麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』(講談社ノベルス)
悪徳銘探偵メルカトル鮎に持ち込まれた「命を狙われているかもしれない」という有名作家からの調査依頼。“殺人へのカウントダウン”を匂わせるように毎日届く謎のトランプが意味するものとは? 助手の作家、美袋三条との推理が冴えわたる「メルカトル・ナイト」をはじめ、不可解な殺人事件を独自の論理で切り崩す「メルカトル式捜査法」など、驚愕の結末が待ち受ける傑作短篇集!(粗筋紹介より引用)
『メフィスト』他掲載。2021年9月、刊行。
美袋三条が住むアパートの隣にある大家の庭で、隣の家に住む昭紀青年が大家である未亡人で妖艶な美人の八尾多美に頼まれ、二日前に死んだ飼い犬の琢磨を埋めていた。二階の窓から見ていた美袋だったが、そこへ現れた多美に、琢磨は先妻の息子である徹が財産を狙って多美を殺そうとしている、その前にまず飼い犬を殺したに違いないと言い張り、美袋からメルカトル鮎に“無料で”調べてほしいと依頼した。当然メルカトルは断ったが、日付が変わったころ、いきなりメルカトルが美袋の部屋に現れた。「愛護精神」。
頼まれ仕事で石見にある古寺に来た美袋。その帰り際、手水舎にスマホを落として故障させ、さらに最終バスに間に合わず山の中を歩き回ることとなり、見つけたのは三階建ての洋館。そこは脳外科医で有名だった故大栗博士の邸宅で、美袋はメイドに頼んで泊めてもらうことになった。ちょうどその日は、博士が35年前に引き取った四人の孤児が命日に合わせて帰ってきていた。しかし、そのうちの一人が、女性用の露天風呂で殺された。「水曜日と金曜日が嫌い」。
コロナ禍の名探偵の話。ショートショート「不要不急」。
なぜ屋敷で殺人事件は起きるのか。ショートショート「名探偵の自筆調書」。
小説の取材で鳥取に行った美袋だったが、駅でメルカトルと遭遇。ところが依頼人である中規模の貿易会社社長、若桜利一は台風で沖縄から帰ってこれず、代わりに来たのは秘書の郡家浩。しかし郡家は依頼内容を聞いていない。若狭宅に泊まることになった二人だが、住んでいるのは妻、二人の娘、息子、家政婦。その日は長女の婚約者も来ていた。ところが夕食後、秘書の郡家が殺害された。「囁くもの」。
閨秀作家として有名な鵠沼美崎のところに、トランプのダイヤのKが送られてきた。次の日はダイヤのQ、その次の日はダイヤのJ。Aの次の日はハートのKが送られてきた。これはいったい何のカウントダウンなのか。ハートの4が来た時点で、美崎はメルカトルに、3日後のAが来るときに、滞在中のリゾートホテルで警護してほしいと依頼する。「メルカトル・ナイト」。
かつて事件を解決したことがある人気俳優の辛皮康雄に誘われ、主宰している劇団「皿洗い」の上演に向けての合宿が行われる大江山の別荘「天女荘」に来たメルカトルと美袋。湖で双眼鏡を覗いたら天女を見つけた美袋。歩いていくと天女堂があり、中には天女像とトランクがあった。次の日、加入したばかりの若手女優から別荘にトランクが宅配で送られてきた。しかしそのトランクは、美袋とメルカトルが天女堂で見たものと同じだった。トランクの中には、砂を詰めた袋がいっぱい。そして、俳優の一人が自室で殺害されていた。「天女五衰」。
メルカトルが過労で倒れて入院した。二日で退院したが、静養のため、誘われていた乗鞍高原の別荘に向かったメルカトルと美袋。持ち主である会社社長、神岡翔太郎の妹である美涼は5年前に白血病で23歳の若さで亡くなった。妻の和奏も美涼の学生時代の友人で、他に5人の美涼の友人たちが別荘へ遊びに来ており、さらに1人が明日来るとのことだった。メルカトルは調子が悪く、失態を繰り返す。次の日の夕方、友人の一人が殺害された。「メルカトル式捜査法」。
『メルカトルかく語りき』以来10年ぶりのメルカトル作品集。久しぶりだなと思っていたら、『メルカトルかく語りき』どころか『鴉』も読んでいないや。本屋で目にしたから、わあ、懐かしいと思って購入した。
メルカトルの行動・言動がすべてを見透かしているかのようでありながらも、本人はそれを否定。事件が起きる前によるメルカトルの行動が、最後の犯人追及のための推理の条件に含まれているのだから、何といえばいいのか。「メルカトル式捜査法」を読むと、それはもう無意識なのか、それともその行動そのものが犯人を招き入れているのか。そういう謎、というか不可解な現象までも含め、本格ミステリとして仕上がっているのは、麻耶雄嵩らしい。
それにしても、相も変わらず銘探偵メルカトルが傲岸不遜。こんなのと友人付き合いしている美袋が本当に辛抱強いと思ってしまう。まあ、いいか、そんなことは。
まあ、素直にメルカトルという存在自体を呑み込んで読む分には、楽しめる作品集。そうじゃない人には、呆れるだけだろうな……。読みにくい名前の登場人物ばかりだが、ちゃんと変換できるところには感心する(今頃言うか)。
グレアム・ムーア『評決の代償』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
大富豪の娘を誘拐し、殺したとされる男の裁判。陪審が下した無罪判決は、世論からバッシングを浴びた。それから十年。現在は刑事弁護士として活躍しているマヤ・シールら当時の陪審員たちが、かつて裁判中に宿泊していたホテルに集められる。あの事件のドキュメンタリーが撮影されるのだ。だが番組収録を翌日に控えたその夜、真相につながる新たな証拠を見つけたと主張していたひとりが、部屋で死体で発見された。マヤは自らの容疑を晴らすため、必死の調査を開始するが……サスペンスに満ちたリーガル・ミステリ。(粗筋紹介より引用)
2020年2月、ランダムハウスより刊行。2021年7月、邦訳刊行。
作者のグレアム・ムーアは1981年シカゴ生まれの作家、脚本家。2010年、『シャーロック・ホームズ殺人事件』で作家デビュー。2014年、映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の脚本を担当し、第87回アカデミー賞脚色賞を受賞している。
10年前にロサンゼルスの大富豪、ルー・シルバーの一人娘、ジェシカが誘拐され、遺体がないまま、ジェシカが通う学校のパートタイムの国語教師で黒人のボビー・ノックが逮捕された。ジェシカとボビーは放課後に会い、メールを通わすようになっていた。国民の84%が、ボビーがジェシカを殺害したと信じていた。本来なら表に出ないはずの12人の陪審員の名前が表に出るほど、アメリカ中の注目を浴びた。5か月後、陪審は無罪判決を下した。当初は11対1で有罪判決だったが、唯一無罪を挙げたマヤ・シールが他を説得したのだ。まさかの無罪判決に、世間は陪審員を非難した。それから10年後、テレビ局の企画で当時のドキュメンタリーが撮影されることになり、1人を除く11人が、当時宿泊していたホテルに集まった。刑事弁護士となったマヤは撮影前日、黒人のリック・レナードを部屋に招き入れる。二人は裁判中、肉体関係に陥ったが、リックは最後の一人になるまで有罪を訴えていた。リックはその後、マスコミにやはり有罪であったとマヤを批判するようになる。そんなリックは、真相につながる新たな証拠を見つけたと話す。口論となって部屋を出たマヤが再び帰ってくると、リックは殺されていた。疑われたマヤは他の陪審員たちに話を聞いて容疑を晴らそうとする。
物語はボビー・ノックの裁判と10年後の話が交互に語られる。陪審員たちの視線を通した裁判や評議の様子、そして10年後はマヤの視点によるリック殺害事件の真相と、さらにリックがつかんだという証拠探しの話である。
訳者があとがきで「なんとも皮肉に満ちた作品である」と書いているが、その通り、皮肉に満ちた作品である。10年前の裁判の展開は、『十二人の怒れる男』を彷彿とさせるもの。もし、評決が誤りだったら。そんなifを楽しむことができる。さらに有罪確実とされた黒人が無罪となる展開は、立場こそ違うがシンプソン事件を彷彿とさせる。他にもクリスティ(ミステリ)に対する皮肉もあるし、マスコミに対する皮肉もある。おそらく陪審員制度や弁護方法、ブラック・ライヴズ・マターにも皮肉な視線を向けているのだろう。事件の真相までも含めて、今のアメリカが抱える問題点、矛盾点に対する皮肉な視線を集めた作品になっている。
それでいて優秀な法廷ミステリに仕上がっているところが面白い。意外な展開がこれでもかとばかり続き、読んでいて振り回されっぱなしであった。変なことを言うけれど、乱歩が得意な裏返しトリックをこれでもかとばかりに詰め込んだような、今までのミステリにあった“よくある展開”を多々ひねくれて使ったような作品なのである(いや、本当にあったかどうかはよく覚えていないが)。そういう意味でも、皮肉に満ちた作品なのだ。
映画の脚本家らしい、サプライズの連続みたいな作品。個人的には好きだぞ。
押川曠編『シャーロック・ホームズのライヴァルたち 1』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
19世紀末から今世紀初頭は、名探偵シャーロック・ホームズの活躍が読者の熱い支持を受けていた時代だ。そして、かの名探偵のライヴァルともいうべき名探偵たちもまた、この時代に数多く登場している。科学者探偵、悪徳探偵、怪盗、義賊、パロディ探偵……ホームズを意識つつも独自の魅力を発揮した多士済々の名探偵を一堂に集めた本書は、名探偵の黄金時代に憧れ、胸ときめかす読者には垂涎の書といえよう。(粗筋紹介より引用)
1974年2月からほぼ2年間、『ミステリ・マガジン』に断続的に連載された「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」が母体。1983年6月、刊行。
22歳のルシーラ・スタッドリーが開業医のハリファックス博士を訪ねる。20歳年上の夫、ヘンリー卿が極度の神経状態にあるのだが、屋敷を出たがらないのでぜひ来てほしいと依頼した。ハリファックス博士は、ルシーラも病で重態の状況と診て、屋敷を訪ねる。ヘンリー卿が言うには、夜中に幽霊が出るとのことだった。『ストランド・マガジン』に1893年6月から連載された「ある医師の日記から」の第七話、L・T・ミード「スタッドリー荘園の恐怖」(ハリファックス博士)。古臭いゴシックロマンス風ミステリ。謎自体も単純だし、今読むと歴史的な価値しかない。掲載当時はホームズと人気を二分していたとのこと。
マーチン・ヒューイットを訪れたのは、F・グレアム・ディクソン。新型の移動式魚雷の設計図の写しが事務所から盗まれたという。盗まれた当時事務所にいたのは二人の助手だけ。ヒューイットは事務所を訪れ、盗んだ犯人を捜す。『ストランド・マガジン』に1894年3月号から連載されたヒューイット譚の第四話、アーサー・モリスン「ディクソン魚雷事件」(マーチン・ヒューイット)。ヴァン・ダインに「ホームズの足跡をたどった最初の注目すべき探偵」といわれたマーチン・ヒューイット。創元推理文庫で一冊にまとめられており、本編も収録されている。ホームズの連載が一時終了した後に連載されている。残された現場の状況から犯人を推察し、さらに設計図を取り返して背後を探り当てるのだが、ヒューイット自身がちょっと地味なところが残念。
南アフリカの百万長者であるチャールズ・ヴァンドリフト卿と、その義兄で秘書のシーモア・ウィルブラハム・ウェントワースは、ニースにホテルを取り、休暇を楽しんでいた。そのころニースで有名になっていたのは、信者に"偉大なるメキシコの預言者"と呼ばれ、千里眼の能力を持つ男のことであった。チャールズ卿はペテンを暴いてやると、その予言者を呼び出す。『ストランド・マガジン』に1896年6月から一年間連載された「アフリカの百万長者」の第一作、グラント・アレン「メキシコの予言者」(クレー大佐)。本シリーズで登場するのは、ゴムのような顔を持つ変装の名人、クレー大佐。言ってしまえば詐欺師であり、この後もチャールズ卿との追いかけっこが始まるとのことだから、ホームズのライヴァルとは違う気もするが。その後の詐欺については謎が解き明かされるが、他についてはそのままということもあり、冒険活劇として読んだ方が正しいシリーズ。クレー大佐は藤原宰太郎の本で知っていたので気になっていたのだが、できればシリーズで読んでみたい。
シドニー・ハーコートは婚約者のリリアン・レイに渡すため、半世紀にわたってロンドン社交界のあこがれの的であったダイヤモンドを、宝石店の目の前で新しいケースに入れてもらい、包んでひもでくくったままの状態で持ってきた。しかしケースを開けてみると、中は空であった。宝石店に伝言を届けると、一時間後にアルフレッド・ジャギンズという私立探偵が宝石店の依頼で現れ、ハーコートから話を聞いて出ていった。すると今度は別の男が、同じくアルフレッド・ジャギンズと名乗って表れた。『ビアスンズ・ウィークリー』1897年1月23日号から12回にわたって掲載された名探偵アルフレッド・ジャギンズ譚の第一話、マクドネル・ボドキン「消えたダイヤモンド」(ジャギンズ氏)。どことなくユーモラスな中年男が探偵で、出だしの突飛さと比べるとなんとも地味な終わり方であり、探偵役もこれまた地味で面白みに欠ける。このシリーズは単行本"The Rule of Thumb Detective"では加筆され、主人公も青年私立探偵ポール・ベックに書き改められており、クイーンの定員にも選ばれている。作者は、ポール・ベックとドラ・マールの二つのシリーズを持ち、結婚させて生まれた息子とともに事件に当たる作品を書いたことで知られる。
ジプシー娘のヘイガー・スタンリーが営む質屋のところへ一人の若者が持ってきたのは、高価な珍本である『神曲』第二版だった。売りたくないので来たという若者に四ポンドを渡したが、一週間後に質札を持ってきたのは下品な男だった。質草を渡さなかったヘイガーは、若者の亡くなった叔父の遺産探しに挑む。1899年、ロンドンのスケフィントン社から出版された「質屋のヘイガー」に収録、ファーガス・ヒューム「フィレンツェ版ダンテ」(質屋のヘイガー)。ファーガス・ヒュームといえば『二輪馬車の秘密』で有名な多作家。本作はヘイガーというキャラもいいし、ミステリの謎と結末もよくできている。一冊丸ごと読んでみたい。
クイーンズフェリー界隈の大邸宅の何軒かで、不可解な方法で貴重品がごっそり持ち去られる事件が続いたが、警察は誰も逮捕できなかった。盗まれた人々たちが集まって相談しあい、ロンドンの私立探偵、タイラー・タットロックが呼ばれた。しかしタットロックが来てから二日後、また強盗事件が起きた。1900年にチャトー・アンド・ウィンダス社から刊行された短編集"The Adventures of Tyler Tatock; a Private Detective"の巻頭に収められている、ディック・ドノヴァン「クイーンズフェリー事件」(タイラー・タットロック)。作者は当時の多作家ということで、作者と同じ名前の探偵が活躍する短編集シリーズがある。事件が起きて、探偵が現れてすぐ消えて、次に現れたときは解決を話すだけ。しかも犯人の目星を付けるのは、本能的。全然魅力ないんだけど。
大英博物館閲覧室の常連であるプリングル氏は、ある一人のドイツ人らしき男が気になった。多数の本に囲まれ、色々考えながら手紙を書き終わった男が周りの本を落としたすきに、プリングル氏はランディ侯爵と書かれた宛先をこっそりと見た。さらに男が本を返している隙に、吸取紙つづりをすり替えた。ブリングル氏は吸取紙から文字の判読を試み、文章を再現する。R・オースチン・フリーマンが無名時代、ホロウェイ刑務所の嘱託医を務め、当時の上司であったJ・J・ビトケアンと合作したクリフォード・アシュダウンが1902年6月より『キャッセル』誌に連載された「ロムニー・プリングルの冒険」の三作目、クリフォード・アシュダウン「シカゴの女相続人」(ロムニー・プリングル)。ロムニー・プリングルは40歳を過ぎた独身の詐欺師。表向きは出版代理人だが、裏では法律の抜け穴を利用する悪徳紳士である。悪事を探り出し、脅迫者の裏をかいてちゃっかりと儲ける主人公の姿が小気味よい。
ロンドンで探偵事務所を開いているユージェーヌ・ヴァルモンのところへ、若いチズルリッグ卿が仕事を依頼に来た。六か月前に吝嗇の伯父が亡くなり、甥であるチズルリッグ卿に遺産を残した。遺言書には図書室の二枚の紙の間に財産があるという。チズルリッグ卿はその図書室兼寝室兼鍛冶場を隅から隅まで探したが、遺産を見つけることができなかった。そこでヴァルモンに遺産を見つけてほしいという。ヴァルモンはその図書室へ向かった。1906年にロンドンのハースト・アンド・ブラケット社から刊行された短編集『ユージューヌ・ヴァルモンの勝利』に掲載された、ロバート・バー「チズルリッグ卿の遺産」(ユージェーヌ・ヴァルモン)。ユージェーヌ・ヴァルモンは元パリ警視庁の警視で、今はロンドンで探偵事務所を開いている。「忍耐と刻苦」が捜査信条。エルキュール・ポアロの原型として知られているが、ヴァルモンは失敗ばかりしている滑稽な人物。代表作「放信家組合」は乱歩のいう「奇妙な味」を象徴するような短編である。本作品における遺産の隠し場所は、推理クイズでも引用されている有名なトリックであるが、本作品の面白さはヴァルモンとチズルリッグ卿のユーモラスなやり取りと、失敗を繰り返す過程である。
“正義の三人”の住み家へ、魅力的な女性のミス・ブラウンが訪れてきた。レオン・ゴンザレスが対応するが、ブラウンは顔を知られたくないので明かりをつけないでというので、偽名のようだ。彼女は6年前、聖ジョン病院の医学生だった。同級生の男性、ジョン・レスリットに熱を上げ手紙をやり取りしたが、深い関係になる前に奥さんがいることを知った。そしてブラウンは、堕落したジョンに強請られた。去年のクリスマス、ブラウンは教会で賛美歌を歌っているジョンを偶然見てしまった。そして2か月後、ジョンから強請の手紙が来た。おそらく女性が婚約したニュースを新聞で読んだからだった。レオンはジョンに交渉に行く。1912年、「ノヴェル・マガジン」に発表。1931年、"The Law of the Three Just Men"に収録された、エドガー・ウォレス「教会で歌った男」(正義の三人)。レオン・ゴンザレス、レイモン・ポワカール、ジョージ・マンフレッド、ミゲル・テリーによる「正義の四人」は、社会の害虫どもを退治する任侠の士。作者の処女長編『正義の四人』で登場し、以後、四人目のメンバーを入れ替わりながら続く人気シリーズとなった。ただし、途中から三人になっている。こういう作品を読むと、当時の読者はスカッとしたのだろうなと思う、テンポの良い作品。
ソープ・ヘイズルは、大学で同じ寮だった外務次官のモスティン・コットレルから依頼を受ける。外務省から重要な書類が盗まれ、現在、その書類はドイツ大使の手中にあるという。大使館付きの送達便の一員であるフォン・クリーゲン大佐に、急送公文書が入った公文書送達箱を持って出発するように命令が下り、その中に目的の書類がまぎれている。ヘイズルに、その書類を奪ってほしいというのだ。1912年、C・アーサー・ビアスン社から刊行された『ソープ・ヘイズルの事件簿』に収録されている、V.L.ホワイトチャーチ「ドイツ外交文書箱事件」(ソープ・ヘイズル)。ソープ・ヘイズルは書物蒐集家で菜食主義者で鉄道マニアの素人探偵である。最も短編集15編のうち9編しか登場しない。列車消失トリックの名作「ギルバート・マレル卿の絵」で知られている。本作品は残念ながら、当時のイギリスの列車の構造がわからないと、ピンと来ない。
わたしとノヴェンバー・ジョーは森の猟からの帰り道、杣道にある足跡を見つけ、誰が通ったかを聞いてみた。するとジョーは、「白人で、重大ニュースを運んでいて、遠くから来たわけではない。おそらく私の小屋にいるだろう」と推理した。その通り、ジョーの小屋にはクローズというリヴァー・スター・バルブ会社のCキャンプ監督が来ていた。部下の樵夫であるダン・マイケルズが襲われ、もらったばかりの給料が奪われたという。実は去年も五回、路上で強盗事件があった。1913年にボストンのホートン・ミフリン社から刊行された短編集『ノヴェンバー・ジョー』に収録されている、H・ヘスキス・プリチャード「七人のきこり」(ノヴェンバー・ジョー)。ノヴェンバー・ジョーはカナダに住む24歳のきこり兼狩猟ガイドだが、迷宮入りの事件を解決して森の名探偵と言われるようになった。本作品はホームズよろしく、残された手がかりから消去法で犯人を言い当てる作品である。
ジョージとルーシーのイーデンバロー夫婦は、新婚旅行に来たウィンタワルトのエクエルショル・ホテルにジョン・ダラー博士を招待し、一緒に食事をとった。話はストリキニーネ事件のことになる。必要量の百倍のストリキニーネを患者に与えたという。その患者はジャック・ラベリックといい、ジョージの同級生だったという。1913年から『レッド・マガジン』に連載され、1914年にイーヴリ・ナッシュ社から出版された短編集""に収録された、F・W・ホーナング「的外れの先生」(犯罪博士ジョン・ダラー)。コナン・ドイルの義弟で、怪盗ラッフルズの作者として有名なホーナングのシリーズ・キャラクター。トボガン(アメリカ先住民族が使っていたソリ)競争にかかわる話に続くのだが、背景の説明が省かれていて、とにかく読みにくいし、わかりにくい。
ポットソンは夏季休暇中にジェームズ・シルヴァーのアンブロザ屋敷で過ごしていた。友人のピックロック・ホールズはポットソンに、今夜この屋敷に強盗が入ると予言する。イギリスの有名な滑稽新聞『パンチ』の1983年11月4日号に掲載された、R・C・レーマン「アンブロザ屋敷強盗事件」(ピックロック・ホールズ)。ホームズのパロディ・ショートショートだが、個人的には特に笑えなかったな。
ヘムロック・ジョーンズはブルッグ街の下宿で悩んでいた。なんと、ジョーンズがトルコ大使から送られた葉巻入れが盗まれたという。ジョーンズは医者のわたしに、必ず自部一人の力で取り戻すと告げた。『ビアスン』1900年10月号に匿名で発表して掲載された、ブレット・ハート「盗まれた葉巻入れ」(ヘムロック・ジョーンズ)。ホームズものなら誰かは一度手を付けていそうなパロディだが、結末までの怒涛な展開には驚かされる(笑わされる)。
名探偵の代名詞はシャーロック・ホームズ。その人気ぶりを見て、当然他の作者も、ホームズのような、あるいはホームズとは真逆な名探偵たちを登場させていった。それが「ホームズのライバルたち」。ホームズのような「名探偵」だけでなく、ドジな探偵、義賊、怪盗、悪徳探偵、パロディ探偵など、様々なキャラクターたちが生まれ、その多くが消えていった。そんなホームズのライバルたちの作品を集めたアンソロジー全3巻の第1巻。
それにしてもこれだけの探偵たちがいることに驚かされるし、魅力的なキャラクターから失笑するキャラクターまで、様々な探偵たちが世界を駆け巡っていると思うと、非常に面白い。もちろん、作品自体は首をかしげるようなものもあるけれど、それでもこれだけのキャラクターが一堂に会する短編集は素晴らしい。
貴重なアンソロジーだと思うし、資料的価値も高い。絶版にしないことを祈る。
大山誠一郎『アリバイ崩し承ります』(実業之日本社文庫)
美谷時計店には「時計修理承ります」とともに「アリバイ崩し承ります」という貼り紙がある。難事件に頭を悩ませる新米刑事はアリバイ崩しを依頼する。ストーカーと化した元夫のアリバイ、郵便ポストに投函された拳銃のアリバイ……7つの事件や謎を、店主の美谷時乃は解決できるのか!? 「2019本格ミステリ・ベスト10」第1位の人気作、待望の文庫化!(粗筋紹介より引用)
『月刊ジェイ・ノベル』に2004年から2007年に掲載。2018年9月、書き下ろしを加え、単行本刊行。2019年11月、改稿して文庫化。
大学教授が自室で背中からナイフで殺害された。ギャンブル好きで、別れた後も金をせびるなどストーカー行為を続けていた元夫が犯人かと思われたが、犯行時刻には友人2人と居酒屋で飲んでいた。「第1話 時計屋探偵とストーカーのアリバイ」。
郵便ポストから、午後三時の集荷の際に拳銃が発見された。銃口から硝煙が臭い、銃口付近に人血が付着していた。2つの暴力団の小競り合いかと思われたが、その拳銃で殺害されたのは、製薬会社に勤める独身男性。好青年で殺される心当たりは全くなかったが、上司の課長に動機があることが判明。しかし課長には、犯行時刻には中華レストランで従兄弟たちと集まっていた。「第2話 時計屋探偵と凶器のアリバイ」。
刑事の僕が夜の散歩中、男が車に跳ね飛ばされるのを目撃した。男は僕に、恋人を殺害したと告白。しかしそのまま意識を失い、亡くなった。男はアリバイ崩しを得意とする推理作家で、殺されたのは男の彼女だった。しかし男が別の女性を好きになり、別れ話がもつれていた。警察は自供の裏付けに当たっていたが、男は死亡推定時刻の10分前に自宅で宅配便を受け取っており、彼女のマンションまでは車で20分かかる。しかし、男は自宅近くで車に轢かれた。男にアリバイが成立している。「第3話 時計屋探偵と死者のアリバイ」。
個人レッスンのピアノ教師の女性がマンションの自室で首を絞められて殺された。両親から相続した家と土地を売り払うかどうかについて、妹ともめていた。そして妹は殺害時刻にアリバイがなかった。話を聞くと、夢遊病の発作を起こして殺したのではないかと語る。しかし僕には彼女が犯人とは思えなかった。さらに調べると、女性が通っていたマッサージ店の店長の男性が怪しい。しかし犯行時刻、店長は別の女性を見せでマッサージしていた。「第4話 時計屋探偵と失われたアリバイ」。
時計を買った僕に、美谷時乃は小学四年生の時の話をする。時計店店主の祖父と二人暮らしの時乃に、祖父はアリバイ崩しの問題を出す。振り子時計を3時25分に止めるが、祖父が持っていた写真には、一駅離れた駅前広場の時計台をバックにした祖父がいた。時計台は3時25分を差していた。もちろん、振り子時計に仕掛けはない。「第5話 時計屋探偵とお祖父さんのアリバイ」。
三連休をもらった僕は、長野県の料理がおいしいことで有名なペンションへスキーをしに行った。しかし二日目の朝、客の一人が隣の時計台の中で鉄亜鈴で殴られて殺害されていた。僕は夜の11時、その人が時計台に向かうところを目撃していた。残っている足跡は、犯人が往復したとみられる長靴と、被害者が向かっている足跡だけ。当然ペンションにいる誰かの犯行と思われたが、オーナー夫婦、僕を含む客3人はダイニングのバーで12時まで一緒に酒を飲んでいた。犯行時刻は11時から12時の間。残るは、客の一人である中学一年生の少年だった。「第6話 時計屋探偵と山荘のアリバイ」。
65歳の元健康器具販売会社の男性が、自宅で鈍器で殴られ殺害された。70歳になる姉と、男性の持つ自宅と土地を売却するかしないかでもめていたが、姉は自宅にお手伝いとおり、しかも足が不自由で車いす生活だったので、犯行は無理。捜査は難航。3か月後、姉は警察の許可を得て、伸び放題になっている植木や雑草を刈り取ったが、隅の木の根元から男性の白骨死体が発見された。男性が社長だった会社の経理担当だった男で、しかも一千万円の使い込みをして十三年前に失踪したと思われていた。もしかして男は、社長に殺害されたのではないか。男の身寄りを探すと、妻は亡くなっており、21歳の大学生の息子だけが残っていた。息子にアリバイを聞くと、その日は友人が家に遊びに来ていたという。「第7話 時計屋探偵とダウンロードのアリバイ」。
大山誠一郎はデビュー作と第二作を読んだが、謎解きにこだわる割にはあまりにもわかりやすく見逃せない矛盾があって、これ以上読む気にはならなかった(創元じゃなかったら手に取っていなかったと思うが、創元じゃなかったらデビューすらできなかっただろう)。三作目で第13回本格ミステリ大賞を受賞したのには驚いたが、それでも手に取る気にはならなかった(まあ、いつかは読むつもりだが)。本作は「2019本格ミステリ・ベスト10」第1位を取ったというので、文庫化されたのをたまたま見つけて読んでみることにした。
4月に県警本部捜査一課第二強行犯捜査第四課に配属された僕(名前は出てこない)が、容疑者にアリバイがあって行き詰まると、「アリバイ崩し承ります」という貼り紙がある美谷時計店に行き、20代半ばの店主、美谷時乃に話を聞かせ、アリバイの謎を解いてもらうという設定。1件解けたら5,000円。決め台詞は「時を戻すことができました」。
物語性を徹底的に削り落とした安楽椅子探偵ものになっている。ご丁寧なぐらいに手がかりを書いてくれているので、アリバイ崩しそのものはそれほど難しくはない。第1話は背中から刺された時点で分かりそうなものだし、第2話は警察の鑑定で分かるだろうと思ってしまう。第3話はちょっと面白かったが、これも警察の鑑定が間抜けすぎ。第4話は実現できるとは思えない。第5話はただの思い出話。ここで探偵役に少しでも人間らしさを加味しようとでも思ったのだろう。第6話は、あまりにも警察が短絡的。というか、あんな状況ならすぐに自白しないか。第7話もダウンロードという点でピンと来る。全ての話は、過去にあったミステリのアリバイトリックのアレンジとなっている。新味はあまりない(それ自体は別に悪いことではない)。
そして先に書いたとおり、物語性が削ぎ落されているので、ただの推理クイズに終わっている点が空しい。いくら本格ミステリといったって、ドイルの作品が推理クイズになっているか? 明智小五郎が出てくる作品が推理クイズで終わっているか? 隅の老人は推理クイズか? ワクワクする謎も、あっと驚くトリックも、魅力的な雰囲気を漂わせる探偵も、何もない。言っちゃ悪いが、事件をパソコンに入力したら、AIが謎を解いているようなものだ。見た目は悪くなくても、味が何もしない。
うーん、『2019本格ミステリ・ベスト10』を買っていないから、当時どのような評があったのかはわからないが、どこが良かったのかさっぱりわからない。解説を読んでも、どこのおとぎ話がここにあったんだというぐらい、ピントがずれていると思った。無味無臭な作品。まあ、こういうトリックのみみたいな作品が好きな人もいるのだろうなあ、とは思った次第。浜辺美波主演によりテレビドラマ化されているが、なるほどなとは思った。脚本家や演出家によって、いくらでも味付けできる。
エリザベス・デイリイ『二巻の殺人』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
エリザベス・デイリイは1940年処女作"Unexpected Night"(後に『予期せぬ夜』のタイトルで邦訳刊行)をもって登場したアメリカの新進女流作家である。それ以後、デイリイは一年に平均二冊の割合で作品を発表しているのだが、その度に批評家や読者の好評を博し、現在では第一級の探偵作家になっている。彼女の作品の大部分はニューヨークを背景としており、動きにむだがなく、しかも未解決なあいまいさを残さず、一分のすきもないように組立てられている点が読者に喜ばれているようである。
本書『二巻の殺人』はデイリイの第三作に当り、百年前に失踪した少女が再びそれらしい姿を表すという発端は、類型がいくつかあって必ずしも新奇ではないが、これにバイロン全集をからませて、古書狂のヘンリー・ガーマジを探偵として引っぱり出す処が面白い。登場人物の性格の組合せに神経を使って、環境と性格から犯人が生まれてくるという書き方はどうやらクリスティー女史の手法に似ている。しかしヒューマニスティックな見方をしているため、どの人物も憎めない一面を持っているのと、明快な解決ぶりで、後味がサッパリして快い。もっと他の作品も読んでみたいと思わせる作品であり、作者である。(訳者紹介より引用)
1941年、アメリカで発表。1955年2月、刊行。1998年10月、再版。
エリザベス・デイリイはアメリカの作家で、ブリンマー大学卒業後、コロンビア大学で修士号を取得。16歳で詩や散文を発表していたとのこと。大学で講師を勤め、『予期せぬ夜』でデビューしたのは62歳の時。作品16冊全て、古書狂の素人探偵であるヘンリー・ガーマジ探偵が探偵役である。ガーマジは1904年生まれとのことなので、1940年6月が舞台の本書では36歳。後に、本書に出てくるクララ・ドーソンと結婚するそうだ。
マルコ・ペイジ『古書殺人事件』と並び、古書ミステリマニアが探し求める作品と言われていた一冊。1998年のハヤカワ・ミステリ発刊四十五周年復刊アンケートで第10位に選ばれた作品である。「二巻」とはロード・バイロンの詩集の全集全十巻の第二巻のことを指している。
個人的には名ばかりが先行していたイメージがあったのだが、読んでみると訳文が古いから、追いつくのがちょっと大変。しかしそれさえ慣れてしまえば、文章に癖が無いし、意外とすんなり頭には入ってくる。ただ、それほど盛り上がることもなく、殺人事件の謎をガーマジが突き止めてしまったという印象しかないな。当時の流行小説、というような感じがする。
ということで、当時の復刊フェアで買ったまま放置していたけれど、読めたからよかった、という一冊。ごめん、それ以上の感想が出てこない。
伊吹亜門『幻月と探偵』(角川書店)
ここは夢の楽土か、煉獄か――。
1938年、革新官僚・岸信介の秘書が急死した。秘書は元陸軍中将・小柳津義稙の孫娘の婚約者で、小柳津邸での晩餐会で毒を盛られた疑いがあった。岸に真相究明を依頼された私立探偵・月寒三四郎は調査に乗り出すが、初対面だった秘書と参加者たちの間に因縁は見つからない。さらに、義稙宛に古い銃弾と『三つの太陽を覚へてゐるか』と書かれた脅迫状が届いていたことが分かり……。次第に月寒は、満洲の闇に足を踏み入れる。(帯より引用)
2021年8月、書下ろし刊行。
『刀と傘』で本格ミステリ大賞を受賞した作者の書き下ろし長編。過去二作は幕末が舞台だったが、本作品は満州が舞台。考えてみると満州って、歴史で習った程度では知っているが、満州自体の風俗などはあまり気にしなかったなんて思いながら読み進める。
前半は、いまだに関東軍に影響力を持つ退役陸軍中将・小柳津義稙の晩餐会で、血のつながる数少ない肉親である孫娘・千代子の婚約者、滝山秀一が毒殺された疑いのある事件で、月寒が当時の出席者に話を聞く展開が続く。会話を通して時代背景や人間関係を丁寧に説明してくれているのだが、事件が動かないので、ちょっと退屈かも。
小柳津義稙やその周辺人物はもちろん創作だが(モデルがいるのかどうかは知らない)、岸信介、椎名悦三郎といった実在人物も登場。岸信介が満州にいたなんて、全然知らなかった。
中盤から事件が続き、最後は連続殺人事件の謎を最後は月寒が解き明かすのだが、一気呵成の謎解きは面白かった。特にフワイダニットの部分に感心した。当時の関東軍の闇などにも触れられており、歴史の暗部も絡めたミステリとして十分楽しめる。ただ、そこ止まりかな……。もう一つあっと言わせるものが欲しかった。贅沢かもしれないが。
この月寒三四郎という探偵役、今後も書き続けるのかな。今までも色々と事件にかかわってきたようだし。ただそれだったら、もう少し探偵の色を付けてほしいところだが。
東野圭吾『透明な螺旋』(文芸春秋)
10月6日、南房総沖で、漂流している遺体が発見された。背中に銃創があったため、解剖すると体内から銃弾が発見された。照会の結果、9月29日に足立区で行方不明届が出ている上辻亮太が候補と上がる。届け出をしたのは、同居している島内園香。しかし受理した担当者が連絡を取ろうとしても携帯電話は繋がらず、アパートを訪ねても留守だった。勤務先には10月2日に休職を願い出ていた。DNA鑑定で遺体は上辻と判明し、千葉県警との合同捜査で警視庁捜査一課の草薙俊平の係が担当となった。草薙と内海薫刑事が調べてみると、勤務先の生花店の店長は、休職の理由に心当たりがなかった。しかし9月27日と28日は高校時代の女友達と京都旅行をしており、アリバイがあった。上辻は仕事を辞めて無職であり、勤務先では悪質なパワハラをしており、園香にも日常的に暴力をふるっていた。しかしアリバイがある園香がなぜ失踪したのか。園香が亡くなった母とともに慕っていた絵本作家のアサヒ・ナナこと松永奈江を訪ねても、こちらも失踪していた。ナナのある絵本の参考文献に、湯川学の著書があった。
2021年9月、書下ろし刊行。
ガリレオシリーズ第10作。帯には「ガリレオの真実」「ガリレオの愛と哀しみ」と興味をそそりそうな惹句が書かれている。
湯川学の両親が初登場(だよね、多分)。父親の晉一郎は引退した元医者で、横須賀の海の見えるマンションで余生を送っていたが、母親の認知症が足を骨折して急激に悪化し、父親ひとりでは手が余るので、湯川が応援しているという。
ということで、今回は湯川学自身の"真実"が隠れた主題。はっきり言って、事件そのものは難しくもなんともない。実際、草薙たちの捜査で犯人が捕まっている。犯人やその周辺人物、そして湯川自身の人間ドラマ。親子というキーワードがそのままストーリーに絡んでくる。
だけど、ガリレオシリーズに、読者はこんなの求めているか? 読み終わってがっかりしました。推理のかけらもない作品。こんなの、読みたくなかったです。何も10作目に、こんな作品を書かなくてもいいのに。
失望しました。この一言に尽きる。
ジョルジュ・シムノン『サン・フォリアン寺院の首吊人』(角川文庫)
男はメーグレの目前でピストル自殺をとげた。この浮浪者同然の男が、ブラッセルで3万フランの大金を送るのを目撃して以来、警部は後を尾けていたのだ。遺品はすりきれた黒い鞄一つ。中には、ぼろにひとしい古着が一着。
鑑識の結果、上着には10年以上まえに付着したと思われる、かすかな血痕があった。そして不可解なことに、自殺した男は生前、大金を各地からパリの自宅に送っては、それをすべて燃やしていたというのだ。
執拗なメーグレの捜査のまえに、死んだ浮浪者の哀切な過去と、かつてのおぞましい事件が再現されてゆく――。
妖異なムードを湛えた、シムノン推理の異色傑作!(粗筋紹介より引用)
1930年、発表。メグレシリーズの長編第三作。1950年、水谷準訳により雄鶏社「おんどり・みすてりい」で邦訳刊行。1957年、角川文庫化。
私にとっては江戸川乱歩『幽鬼の塔』の翻案元というイメージが強いのだが、乱歩の翻案元作品でこれだけはなかなか見つからなかったので、ようやく読むことができた。
メグレ(メーグレとは書きにくい)のしつこさはさすがと思ったが、漂う雰囲気がかなり妖しく、シムノン作品ではかなり異色なのではないだろうか(あまり読んだことがないから何とも言えないが)。なぜだかわからないが、メグレが悪人に見えてくるほど、登場人物の悲鳴が哀しすぎる。これ、時代背景をもっと深くわかっていれば、より感慨深いものになっていたかと思うと、自分の不勉強ぶりが悔しい。
なんで初期のメグレ物、新たに翻訳しないのだろう。十分需要があると思うのだが。
横溝正史『横溝正史少年小説コレクション3 夜光怪人』(柏書房)
横溝正史の少年探偵物語を全7冊で贈るシリーズ第3弾、今回のメインキャラクターを務めるのは名探偵・由利麟太郎と敏腕記者・三津木俊助の黄金コンビ!
全身から蛍火のような光を放つ謎の怪盗「夜光怪人」、童話に見立てた奇怪な新聞広告通り犯罪を重ねていく「幽霊鉄仮面」、そして金蝙蝠とともに現れる黒装束の怪人「深夜の魔術師」、いずれ劣らぬ冷酷無比・極悪非道な犯罪者たちとの、虚々実々、息つく間もない闘いを描く3篇と短篇「怪盗どくろ指紋」を収録。
また、掲載誌の休刊により中途打ち切りとなった「深夜の魔術師」の未完バージョンに加え、未発表原稿「深夜の魔術師」「死仮面された女」も収録、資料的価値も充実した一冊。
今回も初刊時のテキストを使用し、挿絵も豊富に収録した完全版。なかでも、1975年の朝日ソノラマ版刊行以降、探偵役が金田一耕助に変更されていた『夜光怪人』は、じつに50数年ぶりのオリジナル版復活!(粗筋紹介より引用)
2021年9月刊行。
『幽霊鉄仮面』はおそらく横溝の少年物では一番長いのではないだろうか。幽霊鉄仮面による犯罪予告とその方法、三津木だけでなく御子柴進、等々力警部、そして由利先生まで登場し、鉄仮面の正体を明かす。それだけでなく、鉄仮面を追って満州の奥地まで追いかけ、鉄仮面民族という恐ろしい一族まで出てきて戦うこととなる。何とも派手な展開であり、スケールの大きい作品でもある。
鉄仮面の正体そのものはそれほど難しくないが、その裏に隠された真相が意外と複雑で、形勢が二転三転するところもすごい。鉄仮面民族はやりすぎな気もしないではないが、結末までの汗握る展開は、横溝の少年物でも一、二を争う内容である。
『夜光怪人』は角川文庫の金田一耕助バージョンでしか読んだことがないので、オリジナルの由利先生で読むのは初めて。もっとも角川文庫バージョンもほとんど覚えていないな。乱歩にも『夜光人間』という作品があるが、時期的にはこちらの方が早い。今と違ってまだまだ夜は街灯も少なく暗い頃だろうから、闇に浮かび上がる怪人というのは考えたら怖いだろう。ただし、かなり無理な展開があるのはどうかと思うし、あまりにも露骨な伏線があるのはどうか。終盤で獄門島や清水巡査が出てくるのは、楽屋落ち的なファンサービスなのだろうが、当時の読者にわかったのだろうか。それにしても横溝先生、宝探しが好きですね。
「怪盗どくろ指紋」は由利・三津木物の読み切り短編。設定の仰々しさに比べればあっさりとした結末になっている。それにしても横溝先生、時計やオルゴール、好きですね。
「深夜の魔術師」は初読。後に『真珠塔』に改作されているという。そちらの方は角川文庫版で読んでいるはずだが、全然覚えていない。ただ、三津木と御子柴進ものだったのだけは覚えている。少年物としてはかなり残酷な展開があり、そもそも自衛本能が働いて無理だろうと思うようなところもある。由利先生と三津木俊助も誘拐されて、その後の展開でも全くいいところなし。古舘譲という少年の活躍ばかりが目立つ。『真珠塔』に改作されたからというのが大きいだろうが、由利や三津木があまりにも不甲斐ないという展開が今まで単行本未収録だったと思われる。
『幽霊鉄仮面』は少年物の傑作だと思うが、あとは由利先生の活躍が少なかったり不甲斐なかったりと少々物足りない。まあ、それでも戦後の由利先生の活躍が見られたことで満足すればいいのかもしれない。
山本巧次『開化鉄道探偵 第一○二列車の謎』(創元推理文庫)
明治18年。6年前に逢坂山トンネルの事件を解決した元八丁堀同心の草壁賢吾は、井上勝鉄道局長に呼び出された。大宮駅で何者かによって滑車が脱線させられ、積荷から、謎の千両箱が発見された事件について調査してほしいと。警察は千両箱を、江戸幕府の元要人にして官軍に処刑された、小栗上野介の隠し金と見ているらしい。草壁と相棒・小野寺乙松鉄道技手は荷積みの行われた高崎に向かうが、乗っていた列車が爆弾事件に巻き込まれてしまう。更に高崎では、千両箱を狙う自由民権運動家や没落士族たちが不穏な動きを見せる中、ついに殺人が!(粗筋紹介より引用)
2018年12月、東京創元社ミステリ・フロンティアより『開化鐵道探偵 第一○二列車の謎』のタイトルで書下ろし刊行。2021年8月、改題、文庫化。
『開化鐵道探偵』が好評だったからか、書かれた続編。前作から6年後の話であり、独身だった小野寺は事件の前年に綾子という女性と結婚している。『開化鉄道探偵』が面白かったので、文庫化を待って購入。
前作で活躍した面々に加え、綾子が現代っ子っぽい行動で顔を出してくるので、小野寺が頭を抱えているところは面白い。ただ割とあるパターンかな、とは思った。貨車脱線に加え、徳川埋蔵金が絡み、むしろそちらに目が行ってしまう展開はエンタメとしては面白いけれど、謎解きとしてみると誰が事件を起こしたかわかりやすい展開になっている。どちらの路線に進めようとして書いたのかはわからないが、時代背景をうまく溶かし込んだ作品には仕上がった。前作ほど鉄道が絡んでいない気がするのは、ちょっと残念だが。
いっそのこと、ドラマ化すれば面白くなりそうなんだが、当時のセットを準備するのは大変かな。できれば第三作を読んでみたいので、執筆を期待する。
【元に戻る】