米澤穂信『リカーシブル』(新潮文庫)
越野ハルカ。父の失踪により母親の故郷である坂牧市に越してきた少女は、母と弟とともに過疎化が進む地方都市での生活を始めた。たが、町では高速道路誘致運動の闇と未来視にまつわる伝承が入り組み、不穏な空気が漂い出す。そんな中、弟サトルの言動をなぞるかのような事件が相次ぎ……。大人たちの矛盾と、自分が進むべき道。十代の切なさと成長を描く、心突き刺す青春ミステリ。(粗筋紹介より引用)
『小説新潮』(新潮社)2011年12月号~2012年8月号連載。2013年1月、単行本刊行。2015年6月、文庫化。
原型は2009年4月に刊行された『小説新潮』5月号別冊『Story Seller2』に掲載された短編「リカーシブル――リブート」で、本作品の第一、二章にあたる部分である。タイトルの「リカーシブル」は、recursiveにableを付け、「繰り返す」という意味を「繰り返すこともできる」と曖昧にさせた造語と解説に書いてある。
父親が失踪したため、寂れていく地方都市・坂牧市に義母と義弟・サトルと一緒に引っ越してきた中学一年生の越野ハルカ。サトルが発言した通りの事件が続き、危惧するハルカはこの地方に伝わるタマナヒメを知る。タマナヒメは未来を見通し、解決策を伝えるというヒメである。高速道路誘致運動が続くこの市で起きる奇妙な事件との関係を調べるハルカ。
閉鎖社会である地方都市を舞台にした青春ホラー作品。寂れていく現状に悩み、高速道路誘致にまさかを賭けるという設定は、日本ならではのリアルさであり、小学生の子供にも伝わる不気味さがうまく描けている。様々に散りばめられた伏線を一気に回収する結末のうまさは作者ならでは。中学生という、大人でも子供でもない年代の心理描写も読みごたえがある。特に主人公であるハルカの強くもあり、弱くもある姿は、そんな境目の揺らぎがよく出ている。
それにしても、救いのあるような終わり方になっているが、この子達、本当に大丈夫なんだろうかという不安はある。その辺の突き放し方も、作者ならでは何だろうか。まあ、社会ってそんなに優しいものじゃない。
早坂吝『探偵AIのリアル・ディープラーニング』(新潮文庫nex)
人工知能の研究者だった父が、密室で謎の死を遂げた。「探偵」と「犯人」、双子のAIを遺して――。高校生の息子・輔(たすく)は、探偵のAI・相以(あい)とともに父を殺した真犯人を追う過程で、犯人のAI・以相(いあ)を奪い悪用するテロリスト集団「オクタコア」の陰謀を知る。次々と襲いかかる難事件、母の死の真相、そして以相の真の目的とは!? 大胆な奇想と緻密なロジックが発火する新感覚・推理バトル。(粗筋紹介より引用)
2018年5月、刊行。
人工知能の研究の第一人者、合尾創(あいお・つくる)が、自宅のプレハブで焼死体として発見される。部屋は密室だったこともあり、警察は持病で倒れた後、火災が発生した事故とみて捜査していたが、高校生の一人息子、輔(たすく)は、創が作った人工知能の探偵、相以(あい)に事件の謎を解いてもらう。「第一話 フレーム問題 AIさんは考えすぎる」。密室トリックはどうかと思うが、まずは第一話ということで小手調べ。事件の背後にいるハッカーテロ集団「オクタコア」が登場。さらに相以と双子の関係にある犯人のAI、以相(いあ)がオクタコアの手元にあることも判明する。レギュラーとなる女性刑事の佐虎、公安の右竜も登場。
互いに戦うことでAIとしてのレベルをアップしてきた相以と以相。以相はオクタコアを通し、相以に挑戦する。環境保護団体のリーダーがオクタコアの一員に殺害された。「第二話 シンボルグラウンディング問題 AIさんはシマウマを理解できない」。観光客向けに縞模様に塗られたロバ(ゾンキー)が墜落してきて、被害者に激突して死んだという不可思議な設定。設定は面白いけれど、実際にこの犯行を行うのは不可能だよな。
輔と相以の探偵事務所に初めて依頼人、クラスメイトで和風美人の間人波(たい ざなみ)が来た。ここ一か月の間、輔の高校でおかしな事件が起こっていた。「運動場ミステリーサークル事件」「虹色の窓事件」「銅像首切り生け花事件」。被害者がいないので悪戯に見えたが、「厳島先生突き落とし事件」が発生したので解決してほしいということだった。「第三話 不気味の谷 AIさんは人間に限りなく近付く瞬間、不気味になる」。いや、いくら何でもそのために手を出すのかよ、と言いたくなる。また、こんな簡単にアジトを知られるオクタコア、ちょろすぎないか。
母の過去の不審死を調べるため、輔は相以とともに祖母の家を訪ねるが、ほぼ初めて会う祖母は相以を見て怒りだし、追い出してしまう。「第四話 不気味の谷2 AIさん、谷を越える」。設定としては面白いけれど、100%有り得ない話。特に猟銃の取り扱い。
輔は誘拐され、オクタコアの本部に連れてこられる。相以を巡って言い合いになったオクタコアのサブリーダーは輔にゲームを持ちかける。輔は隔離された場所にいる相手とノートパソコンで会話する。その相手が本物か偽物なのかを当てるというものだった。「第五話 中国語の部屋 AIさんは本当に人の心を理解しているのか」。本編の解決編。なんか騙されているような気がする展開だが、それにしてもオクタコアがあまりにもちょろすぎる。
作中にあるとおり、ディープラーニングによる第三次AIブームを反映させたような探偵役。AIならではの頓珍漢な推理(密室脱出でトンネル効果とか)もあるし、クイーンの某作品のような殺人事件も出てくるし、まあまあ楽しく読むことはできたけれど、矛盾点も多い。それも含めてパロディなのかと思うぐらいである。世界転覆を掲げるテロハッカー集団「オクタコア」があまりにもちゃち。まあ技術力と一般常識に大きな差がある集団って確かにありそうだが。それにしても公安が目を付けている集団とはとても思えないぐらいの常識力のなさである。
まあ、パロディだよね。アイディアはいいし、笑えるけれど、あまり次を読みたいとは思わなかったな。続編があるけれど、これ1冊で満足してしまった。
T・ジェファーソン・パーカー『サイレント・ジョー』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
赤ん坊の頃、実の父親から硫酸をかけられ顔に大火傷を負ったジョーは、施設にいるところを政界の実力者ウィルに引き取られた。彼は愛情をこめて育てられ、24歳になった今は、保安官補として働いている。その大恩あるウィルが、彼の目の前で射殺された。誘拐されたウィルの政敵の娘を保護した直後のことだった。ジョーは真相を探り始めるが、前途には大いなる試練が……アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞に輝く感動作。(粗筋紹介より引用)
2001年、発表。2002年、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞。2002年10月、早川書房より単行本刊行。2005年9月、文庫化。
幼い時に父親から顔面に硫酸をかけられ、母親から捨てられた24歳の保安官補ジョーが主人公。誘拐された実業家ジャック・ブラザックの娘・サヴァナを、養父でオレンジ郡群生委員のウィルとともに保護するも、そのウィルが目の前で殺され、娘もまた行方不明になり、復讐すべく事件の真相に乗り出す。すると、ウィルの過去や事件の背景が明らかになっている。
サイレント(静かなる男)・ジョーの一人称により物語が進むのだが、そのテンポが名前の通り静かで、そしてゆっくりと進む。登場人物も多くて大変だが、それ以上にジョーの内面が言葉遣い同様に丁寧すぎるほど書かれており、時々まどろっこしくなった。事件の真相を追う作品ながら、主人公であるジョーの再生と成長、そして家族の絆を描いたような作品になっている。ハードボイルドなのに、どことなく純文学を読んでいるような気分にさせられたのは、そんな丁寧で重厚な筆致のせいだろうか。
本作は1985年にデビューした作者の第9長編であるが、解説の北上次郎が言うには、本作で化けたとのことだ。他の作品を読んでいないので何とも言えないが、本作が力作であることには間違いない。ただ長すぎる感があるので、退屈に思う人はいるかも。
リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
英(ガーディアン)、米(ウォール・ストリート・ジャーナル)ほか各媒体で年間ベスト・ミステリに選出。主要書評誌で軒並み絶賛され、異例のスピードで100万部を突破したベストセラーがついに登場。
引退者用の高級施設、クーパーズ・チェイス。ここでは新たな開発を進めようとする経営者陣に住人達が反発していた。施設には、元警官の入居者が持ち込んだ捜査ファイルをもとに未解決事件の調査を趣味とする老人グループがあった。その名は〈木曜殺人クラブ〉。経歴不詳の謎めいたエリザベスを筆頭に一癖も二癖もあるメンバーたちは、施設の経営者の一人が何者かに殺されたのをきっかけに、事件の真相究明に乗り出すが――新人離れした圧倒的完成度でイギリスで激賞を浴び、大ヒットとなった傑作謎解きミステリ。(粗筋紹介より引用)
2020年、発表。全英図書賞の年間最優秀著者賞を受賞。2021年9月、邦訳刊行。
作者はBBCのバラエティー番組のプレゼンター、コメディアンとして活躍。本書はデビュー作。
高級高齢者施設で四人のメンバーが、創始者である元女性警部で元メンバーのペニーが持ち込んだ未解決事件ファイルを読んであれこれ推理している。創始者で経歴不詳のエリザベス、元看護士のジョイス、元有名労働運動家のロン、元精神科医のイブラヒムがメンバー。施設の共同経営者であるトニーが殺害されたため、クラブに時々来ていた女性巡査のドナを通して捜査の情報を知り、事件の解決に乗り出す。
タイトルからして、クリスティーの『火曜クラブ』(創元だと『ミス・マープルと十三の謎』)をモチーフとしていることがわかる。それにしても、登場人物が多い。連続殺人事件に加え、過去の事件なども重なるものだから、事件の全体像を把握するのが少々面倒。そのくせ、ときどき脱線するのだから、始末に負えない。英国本格推理小説特有のユーモアというやつが、苦手。三人称視点なのに所々でジョイスの視点が入ってくるのも読みにくい。
序盤はそれでも面白く読めたんだけど、だんだんと読みづらくなり、中身を把握するのに苦労した。一応謎解きミステリと謳われているけれど、別にトリックがあるわけでもなく(今時あるほうが珍しいが)、丹念に事件を追っていけば解けるもの。それにしても、長すぎないか。1/4は削れそうな気がする。四人の会話を中心とした作品にすべきで、事件のほうはもう少しシンプルでよかったと思う。
これがベストセラーなのか。どこがいいのだろうと思う次第。まあ、作品の世界観が面白いのだろう。続編にはあまり期待できないが。
若木未生『ハイスクール・オーラバスター外伝集 アンダーワールド・クロニクル』(トクマノベルズ)
超大河シリーズ、完結記念! 同人誌等に掲載された外伝短篇を一挙お蔵だし&書下し短篇もあり! また巻末には著者ロング・インタビューも収録。オーラバ・ファン、必携の書!(粗筋紹介より引用)
2021年10月刊行。
収録作品は以下。
「RED RED ROSES」(ファンクラブ用に書かれた「K」(1995年)「noel」(2000年)「ノイエ・ムジーク」(2000年)をまとめ、2008年12月発行)
「夜間飛行 vol de nuit」(同人誌「super love」(1997年)「super love ex」(1998年)「super love 2」(1998年)「highschool auraduster 2007」(2007年)を再録し、2010年12月発行)
「fragments 2011」(無料配布ペーパー「the mirors」(2010年)「another stigma」(2011年)に新作「another stigma2」(2011年)を収録し、2011年8月発行)
「The Prophets」(2012年8月発行)
「ありふれた晩餐」(無料配布ペーパー「newest day」(2011年)「ありふれた晩餐(not the Last Supper)(2013年)に新作「半秒後の仮想(as a fiction)」(2014年)「Credo」(2014年)を収録し、2014年8月発行)
「metro」(書下ろし「アンダーグラウンド」「胡蝶」「ビハインド」を収録し、2015年8月発行)
「魔法を信じるかい?」(2015年12月発行)
「Siesta」(2016年8月発行)
「pieces of 30th」(新作「銀貨と珈琲」(2017年)『ハイスクール・オーラバスター完全版』特典ポストカードの再録「ストライド」(2011年)「サイレントアイズ」(2012年)無料配布ペーパー「Over the Rainbow」(2017年)2017年12月発行)
未収録SS(CD「REUNION-0」特典ポストカード「NO Friends, NO LIFE」(2012年8月)「18's secret skyscape」(2012年8月)『白月の挽歌』特典ペーパー「王国」(2015年9月)『千夜一夜の魔術師』特典ペーパー「半月」(2018年10月))
「Before The Judgement」(『天の聖痕』『ファウスト解体』応募者全員サービスの小冊子。書下ろし「桜の森の満開の」「天動説の終わり、そして」を収録し、2012年6月発行)
「スリー・ストーリーズ」(本書用書下ろし)
さらに「《ハイスクール・オーラバスター》完結記念 若木未生インタビュー」「あとがき」も収録。
同人誌はいくつか買ったなあ、なんて読みながら思ったり。さすがにペーパー関係は初めて読んだ。
個人的には亮介と亜衣がイチャイチャして、諒が部屋にいられない、みたいな展開のSSを読んでみたかったな……。あの二人が、オーラバ世界の平和の象徴なんだよ、絶対。
掌編ばかりではあるが、ストーリーの裏側というか、登場人物の内面を描いてきたもの。オーラバファンなら必読。
若木未生『ハイスクール・オーラバスター・リファインド 最果てに訣す the world』(トクマノベルズ)
忍の肖像画を描きはじめることができず、クロッキーばかり重ねる亮介。全てを拒み妖の者を狩り続ける諒。忍の選択に従う覚悟を決めた冴子。冷静な指揮官であろうとする十九郎。崩れそうな仲間を気づかう希沙良。零れ落ちる神の命を、人間の掌でとどめることなど叶うべくもなく、斎伽忍をこの世界に繋ぎ止める方法はもうないのか……。ついに雷将勝呂との戦いの火蓋が切られる。《ハイスクール・オーラバスター》シリーズここに堂々完結!(粗筋紹介より引用)
2021年10月、書下ろし刊行。
1989年、第一作「天使はうまく踊れない」刊行から32年。ついに、ついに、ついにオーラバが完結。イラストを変え、レーベルを変え、中断を繰り返し、そしてここまで書き続けられたオーラバが、とうとう終わった。なんとなくこういう終わり方だろうなあ、とみんなが予想したような終わり方だったけれど、それを待ち望んでいたのも事実。感想云々はどうでもよく、ただ完結したことを素直に祝いたい。お疲れさまでした。
紫金陳『悪童たち』上下(ハヤカワ・ミステリ文庫)
優等生の中学二年生、朱朝陽(ジュー・チャオヤン)のもとに、孤児院から脱走してきた昔馴染みの少年丁浩(ディン・ハオ)とその〝妹分″の普普(プープー)が訪ねてくる。行く当てのない二人をかくまうことになり、当初は怯えていた朝陽だったが、しだいに心を開いていく。山に遊びに行ったあと、カメラで撮影した動画を見返していたとき、彼らはそこに信じがたい光景が映り込んでいたことに気づく。人が崖から突き落とされる場面が……衝撃の展開に息をのむ華文サスペンス(上巻粗筋紹介より引用)
それは完全犯罪のはずだった――妻の実家の財産を狙う張東昇(ジャン・ドンション)は、登山に連れ出した義父母を事故に見せかけて殺すことに成功する。だがその光景を偶然、朱朝陽(ジュー・チャオヤン)たちのカメラがとらえていた。彼らはある事情から、自分たちの将来のために張東昇を脅迫して大金を得ようと画策するが……。殺人犯と子供たちの虚々実々の駆け引きの果てに待ち受ける、読む者の胸を抉る結末とは? 中国で社会現象を巻き起こしたドラマ化原作小説。(下巻粗筋紹介より引用)
2014年、発表。2021年7月、邦訳文庫化。
作者は中国の人気作家。本作に登場する元捜査官の大学教授、厳良(イエン・リアン)を主人公とした〈推理之王〉シリーズ三部作の第二作目。中国で配信直後に10億回突破したサスペンス・ドラマ『バッド・キッズ 隠秘之罪』の原作。
シリーズ2作目とあるが、厳良は張東昇の大学時代の恩師であるにもかかわらず、事件の解説役程度でしかない。1作目はどんな活躍をしたのだろう。
夏休みのある日、成績は学校でもトップだが、両親が離婚し、母に引き取られて貧乏生活である中学二年生の朱朝陽のもとに、孤児院から脱走してきた小学生時代の親友である丁浩と、妹分で2歳下の普普(夏月普)が訪れ、仲良くなる。3人は遊びに行った山で、張東昇が義父母を事故に見せかけて殺害するところをカメラで撮影。丁浩と普普が孤児院に戻らなくて済むように、3人は張東昇から大金を強請ろうとする。一方、張東昇は何とかして証拠のカメラを奪い取ろうとする。
子供たちが殺人者と対峙してやりこめるだけの作品かと思ったら大間違い。読者が予想もしていなかった展開が次から次へと待ち受ける。起きる事件の内容だけを見たらとんでもなくダークな作品で、ノワールと言っても間違いないのだが、朱朝陽と丁浩と普普のやり取りがやっぱり子供だなと思える部分もあり、救いにもなっている。いや、読み終わったらそんな単純な感想にはならない。とにかく驚いたとしか言いようがない。ノワールなのに何となくスカッとした気分になるのも不思議なのだが、それは登場人物に感情移入したからかもしれない。子供たち3人と張東昇との丁々発止なやり取りが、子供が悪い大人を懲らしめているように見えているところがあるからかもしれない。
よくよく読むと、警察が手を抜きすぎ、証言を簡単に信用しすぎなのだが、そんなことを感じさせないぐらいにストーリーのテンポがいいし、人物造形や心理描写が的確だし、展開が面白い。複数の事件の絡ませ方もうまいし、収束に向かうまでのスピード感には感心。中国社会らしいやり取りもあるせいか、途中のいじめシーンや警察の手抜きについてもそんなものだろうと思ってしまうのはちょっと偏見かもしれないが、納得してしまった。
それと、登場人物のすべてにフリガナがついているところに感心。これは非常に読みやすかった。そんな細かい配慮も、作品を面白くさせた理由の一つである。
張東昇という人物は、もしかしたら朱朝陽が成長したらなっていたかもしれない人物像の一つではないか。普普は結婚したら、朱朝陽の父親である朱永平(ジョー・ヨンピン)の二人目の妻である王瑶(ワン・ヤオ)のようになったのかもしれない。そんな中国社会の歪みが生み出した、登場人物たちだったのだろう。
華文ミステリの傑作。ここまで来たら、シリーズの他の作品も読んでみたい。
ジャック・フィニイ『ふりだしに戻る』上下(角川文庫)
女ともだちの養父の自殺現場に残された一通の青い手紙。その謎の手紙は90年前、ニューヨークで投函されたものだった。
ぼく、サイモン・モーリーはニューヨーク暮らしにすこしうんざりしはじめていた。そんなある昼下がり、政府の秘密プロジェクトの一員だと名のる男が、ぼくを訪ねてきた。プロジェクトの目論みは、選ばれた現代人を、「過去」のある時代に送りこむことであり、ぼくがその候補にあげられているというのだ。ぼくは青い手紙に秘められた謎を解きたくて「過去」に旅立つ。
鬼才ジャック・フィニイが描く幻の名作。20年の歳月を超えて、ふたたび蘇る。(上巻粗筋紹介より引用)
1882年真冬のニューヨーク。焼け焦げた、青い一通の手紙を追って、ぼくはここへやってきた。まだ自由の女神は建っておらず、五番街やブロードウェイは馬車でいっぱいだ。現代では想像もできないこの美しい街で、ぼくは青い手紙の投函主をつきとめた。謎は次々に氷解していった。しかし、失われたニューヨークで得た恋人とともに、大火災と凶悪犯罪のぬれぎぬを逃れ、「現代」に帰ってきたぼくを待っていたものは、悪意に充ちた歴史の罠だった――。
「過去」への限りない愛惜と「現代」への拒絶をこめたファンタジィ・ロマンの大作。(下巻粗筋紹介より引用)
1970年、発表。フィニイの六作目の長編。1973年7月、角川書店より邦訳単行本刊行。1991年10月、文庫化。
個人的にフィニイはミステリ作家としての印象が強いのだが、どちらかと言えばSF作家としての方が世間的にはイメージが強いのかな。単に自分があまり読んでいないせいかもしれないが。
広告会社のイラストレーターであるサイモン(サイ)・モーリーが、ルーベン(ルーブ)・ブライアント少佐に誘われ、ある政府の秘密プロジェクトに参加する。マンハッタンにある巨大倉庫の中にあったのは、過去の時代のセットが区画ごとに作られていた。そのプロジェクトというのは、セットの時代に同化し、自己暗示によって過去に行くというもの。サイはガールフレンドで骨董店主のキャサリン(ケイト)・マンキュソーから見せられた青い手紙の謎を知りたかった。ケイトの養父の父であったアンドリュー・カーモディが猟銃で自殺した時に残されていた青い封筒。誰がその封筒を投函したのか。そして自殺した謎は。サイは1882年のニューヨークへ行き、謎をつきとめるが、下宿先の娘、ジュリア・シャーボノーと恋に落ちる。そしてプロジェクトの正体に巻き込まれ、さらにニューヨークワールドビルの大火災に巻き込まれる。
タイムトラベルものとして名前が挙がる作品だが、その方法が暗示によって時代を飛ぶという、タイムマシンすら出てこない方法というのは、凄いというべきなのか呆れるべきなのか。過去の描写があまりにも細々としていて、さらに当時の写真やイラストまで挟まれるというご丁寧ぶり。執筆時点のニューヨークを知っている人からしたら、時の流れを楽しめるのかもしれないが、私は執筆時点の現代のニューヨークもろくに解っていないので、丁寧すぎるぐらいの描写が退屈で仕方がなかった。まあ、ラジオすらない当時の下宿暮らしの部分は面白かったが。上巻は本当に退屈だったが、下巻からの展開は面白い。いくら魅力的だからといって、現代の恋人と簡単に別れ、過去の人物と恋するサイモンという人物にどういったらいいのかわからないが、プロジェクトが軍人たちのものになり、巻き込まれていくサイモンはちょっと悲しいと思いつつ、自分の思いに忠実に動くところは感心した。それとミステリ的な仕掛けもちょっとだけあったことは嬉しかった。ちなみに大火事は、実際にあった事件とのこと。アンドリュー・カーモディは架空の人物だが。
作者のノスタルジックな想いが全編に溢れている作品。しかし現代を拒絶するその想いは、私にはちょっと届かなかったかな。タイトルは本当にうまいと感じたが。
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