マイケル・バー=ゾウハー『エニグマ奇襲指令』(ハヤカワ文庫NV)

 連合軍のフランス進攻が目前に迫った折り、英国はナチの最新ロケット兵器完成の報を入手した。その攻撃を未然に防がぬ限り、連合国の勝利はあり得ない。だが、極秘暗号機エニグマによって作成される敵の通信文は解読不可能。遂に英国情報部は一大作戦に踏み切った。エニグマを奪取せよ――しかも敵軍に感知されずに! 白羽の矢を立てられたのは服役中の大泥棒ベルヴォアール。自由と多額の現金を保証された彼は、傑出した変装技術を武器に、独軍占領下のフランスへ単身潜入した! スパイ小説の気鋭がスピーディに描く会心の戦争サスペンス!(粗筋紹介より引用)
 1978年、マイケル・バラク名義でアメリカで発表。1980年9月、邦訳刊行。

 作者はイスラエル出身で、後に国会議員になっている。『過去からの狙撃者』と『パンドラ抹殺文書』を昔読んだきりなので、手に取るのは久しぶり。作者はスパイ小説が中心であり、本書は唯一の冒険小説といわれている。
 エニグマは実際にドイツで使われていた暗号機。エニグマはギリシア語で謎を意味する。背景となる歴史的事件や人物の描写はおおむね事実に即しているが、MI6やSOE長官の名前やキャラクターは作者の創造である。
 第二次世界大戦でドイツが使用していたエニグマ暗号機による通信文を解読するために、英国情報部はエニグマを敵に感知されない様に奪取する計画を立てる。選ばれたのはベルヴォアール。仲間からは男爵と呼ばれており、父親もド・ベルヴォアール男爵と名乗っていた泥棒だった。パリで強制収容所に贈られた金持ちのユダヤ人やレジスタンスの指導者から金品を奪い取り、ドイツに横流ししていた。ところが途中でやめ、パリのゲシュタポ中央倉庫から半トンの金を盗み出し、フランスに輸入した。仲間の裏切りで、英国に上陸したときに捕まった。MI6のブライアン・ボドリー長官はダートムア監獄に繋がれているベルヴォアールに、無罪放免と二十万ポンドの報酬を提示する。
 一言でいうと、第二次世界大戦版アルセーヌ・ルパン冒険譚である。変装の名人で、知力体力があり、女性にもて、部下や仲間に慕われているベルヴォアールが、ドイツの厳重な管理下に置かれているエニグマをいかにして奪取するか。昔の冒険小説に出てくる騎士と変わらない。敵対するドイツ軍情報部のルドルフ・フォン・ベック大佐もフェアプレイに徹しているところなど、余計に騎士団物語の印象が強い。正直、当時の戦争下でこれだけの活躍が可能なのかどうかは疑問だが、それすらも感じさせないベルヴォアールの活躍をただ楽しむ。そんな作品である。
 スピーディーな展開で面白かったけれど、ちょっと古風すぎたかな。




日経woman編集『早く絶版になってほしい #駄言辞典』(日経BP)

【駄言・だげん】とは?
「女はビジネスに向かない」のような思い込みによる発言。特に性別に基づくものが多い。相手の能力や個性を考えないステレオタイプな発言だが、言った当人には悪気がないことも多い。
「えっ男なのに育休取るの?」「男なんだし残業くらいしろー」「家事、手伝うよ」「ヘェ…それ彼氏の影響?」「就活は女性らしくスカートで」「ママなのに育休取らないの?」「君は女の子なのに仕事ができるね」
 女らしさ、男らしさ、キャリア・仕事能力、生活能力・家事、子育て、恋愛・結婚――400を超える駄言に、どう立ち向かえばいいのか(折り返し、帯より引用)
 2021年6月、刊行。

 2020年11月、日本経済新聞の紙面で呼びかけられた、心をくじく「駄言」のエピソードを集めてまとめたもの。第1章は集まった「駄言」のリスト、第2章は「駄言」についての6人へのインタビュー、第3章はどう立ち向かえばよいかである。
 読んでいて、心がくじけそうになりましたよ。無意識で使っている言葉が多い。酒を飲んでなくても、平気で言っていそうな言葉もある。言われてみれば、たしかに「駄言」だなと思えるものが多い。もう読んでみて、としか言いようがないくらい、心に刺さります。まあ一部は、「そんな意味では言っていない」とか「そういうつもりはない」とか「それは昔から伝わる表現だ」とか言い訳しそうだけど、それ自体が間違いだということに気付いてほしいな。一部の政治家とか評論家とかタレントとかがこういう発言をして批難の嵐に合っているのを見て、自分ならそんなことは言わないよ、という人にこそ読んでほしい一冊である。




ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)

 高校生のピップは自由研究で、5年前に自分の住む町で起きた17歳の少女の失踪事件を調べている。交際相手の少年が彼女を殺害し、自殺したとされていた。その少年と親しかったピップは、彼が犯人だとは信じられず、無実を証明するために、自由研究を口実に警察や新聞記者、関係者たちにインタビューをはじめる。ところが、身近な人物が次々と容疑者として浮かんできてしまい……。予想外の事実にもひるまず、事件の謎を追うピップがたどりついた驚愕の真相とは。ひたむきな主人公の姿が胸を打つ、英米で大ベストセラーとなった謎解きミステリ!(粗筋紹介より引用)
 2019年、英国で発表。2020年のブリティッシュ・ブックアワードのチルドレンズ・ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞。2021年8月、邦訳刊行。

 ロンドン在住の作者のデビュー作。
 5年前、アンディ・ベルという17歳の少女が失踪し、恋人のサリル(サル)・シンが自殺したため、サルがアンディを殺害したとして捜査は終了した。しかしリトル・キルトン・グラマースクールの最上級生であるピッパ(ピップ)・フィッツ=アモーヒはサルの無実を信じ証明するため、自由研究による資格取得にかこつけ、「2012年、リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の捜査に関する研究」というタイトルで、サルの弟ラヴィに手伝ってもらいながら捜査を始める。
 自由研究とはいえ、こういうテーマが通ってしまうというのは、田舎町とはいえさすがイギリス。日本だったら話をした時点で却下されるだろう。というか、自由研究による資格取得、EPQ(Extended Project Qualification)という制度があるなんて知らなかった。
 今だったらSNSを駆使して、いろいろと調べることができるんだよなと素直に感心。情報開示請求で警察の捜査のある程度の内容も知ることができるんだな。昔だったら警察とか記者に親戚や知り合いがいて裏事情などを得ることが多かったのにな、などと思ってしまった。結構デリケートな内容も多く、関係者も口を噤むのではないかと思うのだが、わりとペラペラ喋っているのには、まあミステリなんだなと思うことにしよう。
 それにしてもいくら調査のためとはいえ、名前を偽って関係者とLINEをし、ドラッグの売人の家に行くなど結構危険なこともやっている。当然ピップが危ない目に合う展開もあり、その辺も読者をひきつけているのは事実。
 情報を得るたびにレポートの内容が厚くなり、容疑者も増えてくるとともに、最重要容疑者の名前が変わってくる。その二転三転する展開を楽しむとともに、驚きの結末が楽しめる作品に仕上がっている。
 面白かったけれど、傑作とまでは言えなかったかな。イギリスで大ベストセラーとなったとあるが、高校生が読むというより、大人が読んでこんな高校生の子供が欲しいと言わせるような作品という感があった。続編が残り二冊出ているとのことなので、邦訳を待ちますか。




エリー・グリフィス『見知らぬ人』(創元推理文庫)

 これは怪奇短編小説の見立て殺人なのか? ――イギリスの中等学校(セカンダリー・スクール)タルガース校の旧館は、かつてヴィクトリア朝時代の作家ホランドの邸宅だった。クレアは同校の英語教師をしながら、ホランドの研究をしている。10月のある日、クレアの親友である同僚が自宅で殺害されてしまう。遺体のそばには"地獄はから(・・)だ"という謎のメモが。それはホランドの怪奇短編に繰り返し出てくる文章だった。事件を解決する鍵は作中作に? 英国推理作家協会(CWA)賞受賞のベテラン作家が満を持して発表し、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長編賞受賞へと至った傑作ミステリ!(粗筋紹介より引用)
 2018年、イギリスで発表。2020年、アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞最優秀長編賞を受賞。2021年7月、邦訳刊行。

 作者はイギリスの人気ミステリ作家。1998年、本名のドメニカ・デ・ローザ名義の"The Italian Quarter"でデビュー。2009年にエリー・グリフィス名義で発表した"The Crossing Places"が好評を博し、法医考古学者ルース・ギャロウェイを探偵役に据えたこのシリーズは2021年現在13巻を重ねている。また、2014年にスタートしたエドガー・スティーヴンス警部と戦友マックス・メフィストのシリーズも好評を博している。MWAのメアリー・ヒギンズ・クラーク賞とCWAの図書館賞を受賞している。
 物語は英語教師のクレア・キャシディ、同居するクレアの15歳の娘ジョージア・ニュートン、サセックス警察犯罪捜査課部長刑事のハービンダー・カーの3人の視点で語られている。クレアの同僚、エラ・エルフィックが殺され、ローランド・モンドメリー・ホランドの短編「見知らぬ人」に繰り返し出てくる文章のメモが残されていたという事件が発生。クレアの視点で事件が語られたと思ったら短編「見知らぬ人」の一部が差し込まれ、次はハービンダーの視点で事件がもう一度語られ、終わりに「見知らぬ人」の一部が差し込まれたら、次はジョージアの視点で事件の話が続く。そして三人の視点で交互に話が進み、視点が切り替わる直前に短編が差し込まれる。
 最初はクレアの日記からの引用で、この時はそれほど深く考えずに読んでいたのだが、ハービンダーの視点に切り替わってから事件と作中世界に引き込まれて面白くなり、ジョージアの視点で一挙に怪奇色が深まってから面白くなっていった。多重視点で物語が進むという作品はそれなりにあるが、同じ事件を三人で語らせてさらに作中作を挟むことで物語の興味をひきつけるその手法に感心した。やはり人気作家となるだけの腕と実力を持ち合わせた作者ならではの技なのだろう。
 所々で触れられる作中作の怪奇さも満足いく仕上がりであり、そして連続殺人からの解決に感心。最後は思わず膝を打ちました。見事としか言いようがない。英国ミステリの底力をまざまざと見せつけてくれました。傑作です。
 次もハービンダーが登場するとのこと。非常に楽しみである。




多岐川恭『変人島風物誌』(創元推理文庫)

《変人島風物誌》いまでは、このうちの五人が死んでいるのです――住人のひとりが語る、往時の記憶。瀬戸内海に浮かぶ、通称"変人島"に続発した事件を、フェアプレイに徹して各本格ミステリ。エキセントリックな住人ばかりの小島に起こった三つの事件……さて、犯人は?
《私の愛した悪党》さらわれた後、行方知れずになった娘が生家へ復帰を果たす第一部を受けて、第二部では娘の発見に至る過程が詳述される。語り手を務める下宿屋の娘小泉ノユリと似顔絵描の青年の交流を基調に、構成の妙と軽やかな筆致が爽快な、ユーモアミステリの佳品。(粗筋紹介より引用)
 『変人島風物誌』は1961年1月、桃源社の「書下ろし推理長編」シリーズの第三巻として刊行。著者の長編第六作。今回が初文庫化。
 『私の愛した悪党』は1960年2月、講談社の「書下ろし長篇推理小説」シリーズの第五巻として刊行。著者の長編第四作。
 2000年10月、刊行。

 2000年から連続刊行された多岐川恭の初期長編2作をまとめた一冊。
 『変人島風物誌』は再読。作者が言うとおり、犯人当てゲームを目指した小説。瀬戸内海に浮かぶ変人島で続発した連続殺人事件が作者によって提示される。以前にも書いたが、本格ミステリとしてスマートな仕上がり、かつ、変人ばかりの人間関係も面白い。ようやく文庫化された一品、読み逃すにはもったいない。また復刊しないかな。
 『私の愛した悪党』は構成に仕掛けがある。第一部のプロローグは、遠州とカンの字が、作家並川貫(本名佐川一郎)と妻香代の娘で八か月の藍子を誘拐し、身代金を要求するも、警察が見張っていたのを感づき引き上げる。遠州とカンの字は、近所のチョロから警察がこの辺りを嗅ぎまわっていることを知る。カンの字が赤ちゃんを見に行き、そのまま行方をくらます。次は第一部のエピローグとなり、笹雪郷平と名前を変えた佐川の家に、20歳になった藍子が帰ってくる。弟の珠樹と後妻の文代も喜ぶ。そして第二部が始まり、娘の藍子がどうやって帰ってくるのかという物語が繰り広げられる。貧乏だが毎日を楽しく過ごしている下宿屋の面々が面白くて、温かくなる。作者にしては珍しいユーモアミステリだが、構成に仕掛けを施すなど、作者ならではの隠し味が見事。
 どちらも読んでいて面白いし、今でも十分に通用する巧みさ。色褪せない作品群がここにある。




アンデシュ・ルースルンド & ステファン・トゥンベリ『熊と踊れ』上下(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 凶暴な父によって崩壊した家庭で育ったレオ、フェリックス、ヴィンセントの三人の兄弟。独立した彼らは、軍の倉庫からひそかに大量の銃器を入手する。その目的とは、史上例のない銀行強盗計画を決行することだった――。連続する容赦無い襲撃。市警のブロンクス警部は、事件解決に執念を燃やすが……。はたして勝つのは兄弟か、警察か。スウェーデンを震撼させた実際の事件をモデルにした迫真の傑作。最高熱度の北欧ミステリ。(上巻粗筋紹介より引用)
緻密かつ大胆な犯行で警察を翻弄し、次々と銀行を襲撃していくレオたち。その暴力の扱い方は少年時代に父から学んだものだった。かつて彼らに何がおこったのか。そして今、父は何を思うのか――。過去と現在から語られる"家族"の物語は、轟く銃声と悲しみの叫びを伴って一気に結末へと突き進む。スウェーデン最高の人気を誇り、北欧ミステリの頂点「ガラスの鍵」賞を受賞した鬼才が、圧倒的なリアリティで描く渾身の大作。(下巻粗筋紹介より引用)
 2014年、スウェーデンで発表。2016年9月、ハヤカワ・ミステリ文庫創刊40周年記念作品として、邦訳刊行。

 著者の一人、アンデシュ・ルースルンドはジャーナリストの活動を経て、2004年にベリエ・ヘルストレムとの共著『制裁』でデビューし、翌年、第14回ガラスの鍵賞(最優秀北欧犯罪小説賞)受賞。本作から始まる「グレーンス警部シリーズ」がベストセラーになる。2009年に発表した同シリーズ第五作『三秒間の死角』で2011年、英国推理作家協会賞インターナショナル・ダガー受賞。
 著者のもう一人、ステファン・トゥンベリはスウェーデンの作家、シナリオライター。合作した理由は訳者のあとがきで語られるが、ここでは伏せる。
 この軍人ギャング事件については実際にスウェーデンで起きた事件であり、ブロンクス警部などは架空の人物であるし、実際の事件との犯行期間の違いなどはあるものの、事件内容については概ねそのままだという。また兄弟たちや父親との会話もほぼ実際のものだという。
 実際に兄弟たちが事件を起こす現在と、兄弟たちの過去が交互に語られる構成となっている。まずはリアルな事件描写が圧巻。さらにその事件の背景にある心理描写がすごい。緻密な事件計画と、ちょっとの狂いから計画が壊れていき、軌道修正する展開も面白い。さらにもう一つ特筆すべきなのは、犯人たちの家族の描写だろう。兄弟愛、反発する父子、そして母子。幼少のころから大人になるまで、変わらないようで変わり、変わっているようで変わらない親子関係と兄弟関係の微妙な綾が読者を惹き付ける。
 とりあえず、すごい犯罪小説を読ませてもらった。大満足。ただ、これの続編を読みたいとは思わなかったな。




横溝正史『横溝正史少年小説コレクション6 姿なき怪人』(柏書房)

 横溝正史の少年探偵物語を全7冊で贈るシリーズ第6弾。
 人にその素顔を知られることなく、神出鬼没・大胆不敵な宝石強奪を成功させる『まぼろしの怪人』、自らの欲望のためには殺人をも辞さず、ついには幼き姉妹へと魔手を伸ばす『姿なき怪人』、「顔のない男」とまで称される変装術を駆使して犯行を重ねる紳士盗賊『怪盗X・Y・Z』――人々を恐怖に陥れる犯罪者たちに御子柴進少年と三津木俊助、そして警視庁の等々力警部が立ち向かう! 中学生向け学年誌に連載された三作品を、初出誌のテキストに準拠して完全復刻。なかでも『怪盗X・Y・Z』は、最終話「おりの中の男」を含む全4話収録の形での刊行はこれが初めてとなる。あらゆるミステリ好きに贈るシリーズ第6弾!(粗筋紹介より引用)
 2021年11月、刊行。

 『まぼろしの怪人』は横溝ジュブナイルでは珍しい連作短編集。なんといっても第1話でまぼろしの怪人が捕まってしまうのだ。ただ、脱獄で面白いトリックを使ってくれればいいのに、過去のジュブナイル作品と同じネタを流用するというのは残念。怪人二十面相のように捕縛→脱獄を繰り返すパターンは、ある程度長期スパンで行わないと、警察があまりにも間抜けに見えるのだが、まあジュブナイルにそれを求めても仕方がないか。新日報社池上社長の娘、由紀子が活躍するのが目新しいところ。
 『姿なき怪人』はネーミングセンスが悪い。まあそれはともかく、学研の学習誌に連載されていたとは思えないぐらい、普通に連続殺人事件が発生するし、その内容も残忍。編集部もよく連載を許したな、と思えるレベルである。警察も半年以上犯人を捕まえられないし、三津木の活躍も今一つ。最後は探偵小僧の機転で犯人の正体が明かされる。最後は高木彬光の某作品からの引用。中学生、うなされるだろうな……。
 『怪盗X・Y・Z』は角川文庫ではなぜか3話しか収録されておらず、第4話のみが『横溝正史探偵小説選II』(論争ミステリ叢書)で初めて単行本に収録された。そのため、全4話の形で収録されるのは初めてということになる。3話の終わり方がいかにも続きがありそうな内容で、しかも連載が休載されているわけでもないのに、なぜ3話しか収録されなかったのは謎である。しかも当時の角川文庫の背表紙は、大人物が緑、人形佐七が桃色、少年物が黄色の文字になっていたのに、本書だけが緑色の文字だったという謎の経緯がある。しかし解説の日下三蔵、この件に関してしつこいぐらい書いているのは、よほどのうらみでもあったのだろうか(苦笑)。まあ、私も並べていて納得いかなかったのを覚えているが。
 横溝にしては珍しい義賊もの。結果的には三津木・御子柴物の最後の作品となっており、できれば三津木の活躍を見たかったところだが、本作は御子柴進と、敵側であるはずの怪盗X・Y・Zがなんだかんだ手を組んで事件を解決するというパターンである。第2話では野球の試合の見学帰りという、今までにはないパターンの発端があるのが目に付く。また、御子柴進の姉が初登場している(当然、本作限りの設定)のは、時代の移り変わりを象徴しているといえるだろうか。第3話はノンシリーズの大人物の短編「幽霊騎手」を移植したもの。
 これが横溝正史最後のジュブナイル作品。すでに金田一作品の連載もほとんどない頃である。この頃まで三津木俊助、御子柴進の活躍があったと思うと、感慨深いものがある。




>横溝正史『横溝正史少年小説コレクション5 白蝋仮面』(柏書房)

 横溝正史の少年探偵物語を全7冊で贈るシリーズ第5弾。
 その素顔は誰にもわからぬ変幻自在の怪盗『白蝋仮面』、人間を次々と蝋人形に仕立て上げる『蝋面博士』、空飛ぶ犯罪集団を率いる『風船魔人』、金ぴかの奇怪な姿で少女たちをつけ狙う『黄金魔人』――追いつ追われつ、騙し騙され、息つく間もなく繰り広げられる探偵劇! 少年探偵・御子柴進と敏腕記者・三津木俊助の戦いの行方や如何に? 横溝正史リバイバル時に金田一耕助ものに改変されていた『蝋面博士』は、実に50年ぶりの三津木俊助登場のオリジナルバージョンで復刊! 他に長篇とはまた一味違うひねりのきいた短篇5作も収録、充実のシリーズ第5弾。(粗筋紹介より引用)
 2021年10月、刊行。

 第5巻は新日報社の敏腕記者・三津木俊助と、探偵小僧・御子柴進のコンビが活躍する長編『白蝋仮面』『蝋面博士』『風船魔人』『黄金魔人』と、ノンシリーズの少女向け短編「動かぬ時計」「バラの呪い」「真夜中の口笛」「バラの怪盗」「廃屋の少女」を収録。
 『白蝋仮面』は絵物語『探偵小僧』(『横溝正史探偵小説選V』(論創社)収録)、『青髪鬼』(第4巻収録)に続いて白蝋仮面が登場。何らかのシリーズ化を目指していたのだと思われるが、本作が最後である。過去の作品のシーンをつぎはぎしたような作品。最後の宝石の隠し方には違和感ありまくり。『蝋面博士』は角川文庫での金田一耕助改変からオリジナルバージョンになって登場だが、はっきり言ってなぜこれを金田一作品に改変したのか聞きたい。本作品は特に三津木でなければいけなかった作品だろう。『風船魔人』は今までの作品とは異なるアイディアは面白いのだが、他の部分に力が入っていないのは残念。『黄金魔人』はいろは順に被害者を襲うという犯人に突っ込みを入れたいぐらい。短編は特に語るところはないが、「真夜中の口笛」の凶器トリックはドイル短編を真似たもので、実現不可能だろうがちょっと面白い。
 作品のマンネリ化は否めないが、昭和30年代まで色々な雑誌で探偵小説を書き続け、少年に探偵小説の面白さを伝え続けたのはすごいと思う。




妹尾和夫『笑うて泣いて また笑て ――妹尾和夫のしゃべくりエッセー』(天理教道友社)

 生まれは大阪・大正区。中学・高校を天理で過ごし、教師めざして上京するも、役者になって大阪へ。芸能生活45年、多くの出会いに感謝を込めて、ラジオにテレビに舞台にと、今日も明日も全力投球!!
 撮影現場や番組で出会った著名人とのエピソードや、青春時代の思い出、幼い日の記憶など、演出家・俳優である人気パーソナリティーがラジオ感覚で自由にしゃべった痛快エッセー。(帯、折り返しより引用)
 2013年4月から2021年3月にかけて『天理時報』(週刊)に連載された「笑うて泣いて また笑て ――妹尾和夫のしゃべくりエッセー」を再編集してまとめ、2021年9月、刊行。

 著者は昭和26年(1951年)、大阪市生まれ。天理中学・天理高校を卒業後、日本大学文理学部哲学科入学。在学中から役者を志し、同55年、NHK銀河テレビ小説『御堂筋の春』でデビュー。平成4年(1992年)に演劇集団「パロディフライ」を旗揚げし、座長として演出を担当しながら舞台に立つ。また、関西を中心にラジオパーソナリティーとして人気を博し、テレビでも活躍。現在、『全力投球!! 妹尾和夫です。サンデー』(ABCラジオ)、『妹尾和夫のパラダイスKyoto』(KBS京都ラジオ)、『せのぶら本舗』(ABCテレビ)に出演中。(著者紹介より引用)
 著者は1983年、『お笑いスター誕生!!』に男性2人、女性1人のパロディフライというトリオで出演。青春コントで5週勝ち抜き、銀賞を獲得している。ということで、その辺のエピソードが何か書いていないかなと思って購入。
 読んでみたら、当時のメンバー、神谷光明さんが亡くなっていたという事実を知って驚いた。まだ若かったのに……。
 他はまあ、普通の思い出話をまとめたもので、著者のラジオなどを聞いている人なら面白いかもしれないけれど、うーん……。まあ、読みましたということで。




阿津川辰海『蒼海館の殺人』(講談社タイガ)

 学校に来なくなった「名探偵」の葛城に会うため、僕はY村の青海館(あおみかん)を訪れた。政治家の父と学者の母、弁護士にモデル。名士ばかりの葛城の家族に明るく歓待され夜を迎えるが、激しい雨が降り続くなか、連続殺人の幕が上がる。刻々とせまる洪水、増える死体、過去に囚われたままの名探偵、それでも――夜は明ける。新鋭の最高到達地点はここに、精美にして極上の本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2021年2月、書下ろし刊行。

 『紅蓮館の殺人』の続編ではあるが、「名探偵」の葛城輝義と「助手」の田所信哉が前作で精神的に傷ついているという事実さえ押さえておけば、そちらを読まなくても特に問題はない。というか、私自身、『紅蓮館の殺人』は読んでいない。多分続編なんだろうなと思いながらも、こちらを先に手に取った。
 高校を休んでいる葛城輝義に会うために、祖父惣太郎の四十九日に合わせて休み中の連絡事項を持ってきたという名目で、隣の県の山奥にあるY村の高台にある実家の青海館を訪れる田所信哉と友人の三谷緑郎。青海館にいる家族は、父親で政治家の健治朗、母親で大学教授の璃々江、兄で警察官の正、姉でトップモデルのミチル、叔母の堂坂由美とその夫で弁護士の広臣と息子の小学生夏雄、祖母で認知症を患うノブ子。そして誰が出したかわからない招待状で来ている、雑誌記者でミチルの元カレ坂口、夏雄の家庭教師の黒田、葛城家の主治医で輝義の実兄である丹波梓月。台風で帰れなくなった館で起きる連続殺人。大雨による氾濫で橋は流され、村は水位が上がり水没の危険が起きている中で、「名探偵」は推理する。
 正直、村が水没するという地理関係がよくわからない。しかも村より標高が35mも上の高台にある館まで水没するというのは、どういう位置に配置されているんだ? なのに電気も通信も遮断されないって、どうなっているんだ? まあそういうことは考えないようにした方がいいのだろう。
 「助手」の田所信哉による一人称視点で話が進むのだが、この田所自身が前作でかなり心に傷を負っているらしく、くよくよ、もたもた、グタグタしていて、読んでいて本当に鬱陶しい。おまけに「名探偵」の葛城輝義もグズグズしているし、本当に苛立ってくる。二人が高校生だということを考慮しての成長物語という見方もあるだろうが、今更名探偵や助手の苦悩なんて、読みたくもない(後期クイーン問題とかどうでもいいと考える人である、私は)。
 おまけに嵐の山荘、館内での連続殺人(ご丁寧に〇〇〇まであり)、トリックまでもう古典本格ミステリのオマージュなのかと突っ込みたくなるぐらい、古い。スマートフォンが死体の身許確認で使われるなどの現代的な要素は一応あるけれど、それでも古い。さらにいえば、登場した瞬間に本格ミステリならこいつが犯人だと、誰もが思うような人物がやっぱり犯人というのは、どうにかならないものか。
 よっぽどの本格ミステリファン以外にはお薦めしません。どこがいいのか、さっぱりわからない。
 ところで小説中では“青海館”なのに、タイトルが“蒼海館”になっている理由、どこかに書いていますか。読み返す気力もないので、調べていません。




ジョン・ガードナー『ベルリン 二つの貌』(創元推理文庫)

 東ベルリンのKGB先任将校が、冠状動脈血栓で急死した。彼はかつて冷戦のさなか、ハービーの諜報網を崩壊させたほどの実力者だった。だが、その死にまつわる奇妙な噂が囁かれていた。死体には首がなかったというのだ。そして、ある日突然この将校の副官が亡命してきた。ピュートル……亡命者が口にしたこの言葉を聞いた時、ハービーの心はにわかに騒立った。それは、ハービーの諜報網がこの男につけた暗号名で、東側の諜報員が知りうるはずもないからだ。裏切者がいるのか? それとも罠か? そして、首のない死体は何を意味しているのか? 諜報員の非情な世界を描いて、衝撃のラストまで読者を話さない超大作!(粗筋紹介より引用)
 1980年発表、1982年11月、邦訳が創元推理文庫より刊行。

 『裏切りのノストラダムス』に続くドイツ生まれのイギリス諜報員ビッグ・ハービー・クルーガーを主人公にした長編。前作は1970年代だったが、今作は1980年が舞台である。部下のトニー・ワーボイズ、新諜報組織クゥルテットのメンバーで東ドイツ政府観光局に勤務するクリストフ・シュナーベルン、同じくメンバーのヴァルター・ギレン、同僚のタビー・フィンチャーなどは前作から引き続き登場する。この辺りは、訳者に有難うと言いたいぐらい、丁寧にあとがきで説明してくれている。
 今作は東ベルリンの現地諜報員テレグラフ・ボーイズの6人のメンバーをいかにして西ベルリンに逃がすか、しかしこの中に裏切り者がいるかもしれないが、それはホントか、もしくは誰なのか。ハービー自身が東ベルリンに潜入し、虚々実々の駆け引きを繰り広げる。
 読んでいて過去の経歴と現実が交錯するところがあり、じっくり読まないと中々頭に入ってこないのだが、訳者があとがきで文中で触れられているハービーの経歴を年代順にまとめてくれているのでわかりやすい。そこさえクリアしてしまえば、あとは作品世界に没頭すればいい。スパイという世界の表裏や非情さを描き切っており、結末まで何が一体本当のことなのかわからない。東側と西側、どちらが相手を振り回しているのか。読者は振り回されるばかりなのだが、それが心地よい。
 結末まで目を離せない一作。超大作の中にふさわしい。続編『沈黙の犬たち』があるので早く読みたいのだが、やはりこのシリーズはじっくりと時間をかけてよまないといけないようだ。



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