今野敏『探花 隠蔽捜査9』(新潮社)

 横須賀基地近くで殺人事件が発生、米海軍犯罪捜査局(NCIS)が捜査に加わる異例事態に。一方、竜崎の同期でトップ入庁の警察官僚・八島が神奈川県警に赴任してくることになるが、彼には不穏な噂がつきまとっていた。さらに、息子の邦彦が留学先で逮捕されたという報が……。(帯より引用)
 『小説新潮』2020年10月号~2021年9月号連載。2022年1月、単行本刊行。

 人気シリーズ長編第9弾は、横須賀基地近くで起きた殺人事件。目撃者の白人男性が逃げ出したという証言から竜崎は米軍と交渉し、米海軍犯罪捜査局のリチャード・キジマ特別捜査官が捜査に加わることに。竜崎の同期である八島圭介が福岡から神奈川県警の警務部長へ異動した。八島は福岡で黒い噂があったという。そして八島は今回の殺人事件の進捗状況を気にしていた。ポーランドに留学していた息子の邦彦が逮捕されている写真を、美紀の友達がSNS上で見つけた。記事が見つからず連絡も取れないため、かつて関わった外務官僚の内山昭之に調査を依頼する。
 タイトルの探花は、科挙の最終試験の合格者でトップを状元、二番目を榜眼、三番目を探花と呼んだことから来ている。入庁時の成績は一番が八島、二番が伊丹、三番が竜崎であった。
 22人の同期入庁で、しかも同じ東大法学部卒なのにほとんど覚えていないという竜崎にもちょっと呆れるが、逆に言うと八島って地方ばかり回っていたのだろうか。それと息子の留学先の大学や携帯電話も確認しない父親というのもどうかしていると思う。まあ、本当に変なところで外れている。それでも有名人であることは間違いなく、東京都や他県の警察にもすぐに協力を要請して受けてもらえるところはさすが。それにいざというところで金を惜しまないのも、先行投資した方がかえって早期に物事を終わらせて結果的に経費削減につながることをわかっている。ぎりぎりまで部下を信頼して口を出さず、いざという時に力を貸す。それにリスクマネジメントに優れている。そりゃあ部下は尊敬するだろう。こうやって信奉者を増やしていくところは宗教に近い(苦笑)。
 現場に詰めている刑事部長というのも鬱陶しいだろうが、なんだかんだ言いながら竜崎と連係プレーを見せている板橋捜査一課長がいい味を出している。反論すべきところは反論し、神奈川のことを知らない竜崎には教えるべきところを教え、権力と人脈を使えるべきところは使い、そして納得する意見を言われたら自らの中で咀嚼して動く。信頼関係ってこういうものなんだなと思う。それと、何を考えているかわからないがしっかり仕事をしている阿久津参事官も今後が楽しみだ。
 ということで、神奈川県警で竜崎の株がどんどん上がっていくのだろうという土台固めみたいな一冊だった。シリーズファンなら楽しいだろうが、それ以外にはちょっと物足りないかな。昔みたいに、解決が難しい事件にあたってほしいところだ。他にも、大森署の戸高みたいな癖のある刑事も出てきてほしい。




黒川慈雨『珍名ばかりが狙われる 連続殺人鬼ヤマダの息子』(宝島社文庫)

 連続殺人鬼ヤマダの息子に殺された被害者の共通点は「珍名」。大学生・不倫(ふりん)(じゅん)の叔父が殺された。殺害状況と珍名があいまって、不倫純の一家は世間からいわれのないバッシングを受ける。そんな折、純は珍名専門の判子職人・(まぶた)と出会い、店に集う珍名の常連客との交流を通して、自分のアイデンティティを見つめはじめる。しかし犯人から新たな殺人予告があり――。純は叔父の死の真相にたどり着けるのか!?(粗筋紹介より引用)
 2021年12月、書下ろし刊行。

 初めて読む作者だが、第17回『このミステリーがすごい!』大賞・隠し玉として2019年に『キラキラネームが多すぎる 元ホスト先生の事件日誌』でデビュー。本作が二作目。
 連続殺人事件が発生。一人目が木乃伊(みいら)義男。二人目が波水流(ぱずる)隆則。二人目の時、ヤマダのむすこと名乗る人物がおかしなまえのやつらをころすなどのメッセージが残されていた。そして三人目が不倫誠次。兄の家に同居する中学以来の引きこもりで、ゲームやアニメにはまっていたことが世間にばれて、不倫家は世間からバッシングを受ける。純は刺青師、珍名専門の判子屋である一京太郎と知り合い、家を出て住み込みでアルバイトをする。ヤマダの息子はさらに殺人を続け、純は事件を追う。
 これでもかとばかりに珍苗字(と書くと失礼なのかもしれないが、めったにない苗字だというのは事実)が出てくるあたりは、逆にユーモア小説なのかと思ってしまったのだが、読み終わってみると意外と色々な社会問題に切り込んでいたことに驚いた。前面に出てくるのは事件被害者ならびに家族へのバッシングなのだが、それ以外にも……ええとそれを書くとネタバレに近くなるからやめておきますが。
 純でも思いつきそうな犯人の正体が、警察やネット上にいる犯罪マニアたちが思いつかないというのは不思議なんだが、そんなことに突っ込むのは野暮か。最後、投げっぱなしな気がしなくもないし、もうちょっと社会の反応を書いてほしかったなとも思うが、楽しく読めた。ベストに選ぶような作品ではないが、短い空き時間を退屈にせずに済ませるには、ちょうどいいかもしれない。




方丈貴恵『名探偵に甘美なる死を』(東京創元社)

「犯人役を演じてもらいたい」と、世界有数のゲーム会社・メガロドンソフトから依頼を受け、VRミステリゲームのイベント監修を請け負った加茂冬馬。会場であるメガロドン荘に集ったのは『素人探偵』8名、その中には「幽世島(かくりよじま)」の事件に関わり現在はミステリ作家となった竜泉佑樹もいた……。だが、穏やかな幕開けを迎えるはずだったイベントは一転、探偵と人質になったその家族や恋人の命を賭けた殺戮ゲームへと変貌を遂げる。生き延びるには、VR空間と現実世界の両方で起きる殺人事件を解き明かすしかない――! 『時空旅行者の砂時計』『孤島の来訪者』に続く、 “館もの”本格ミステリ長編。(粗筋紹介より引用)
 2022年1月、書下ろし刊行。

 〈竜泉家の一族〉シリーズ第三弾。『時空旅行者の砂時計』に出てきた加茂冬馬、『孤島の来訪者』に出てきた竜泉佑樹がともに登場する。竜泉家の新しい人物は出てこない。『孤島の来訪者』から約4年後の設定。例によって、今回も冒頭と読者への挑戦状の箇所で、砂時計の「マイスター・ホラ」が登場する。
 VRミステリゲームと出てきた時点で一気にテンションが下がってしまった。第一作の感想で「SF要素ががっちりとトリックや事件の謎に組み込まれると、自分が作ったルールで考えることになるので、たとえ伏線が張られていたとしても一般的には及びもつかない部分で謎解きされてしまうことになる」と書いたのだが、SF要素をVRミステリゲームと変えても同じことがいえる。トリックに合わせていろいろとルールを設定できてしまうので、たとえ不可能犯罪だといわれても、それほど驚きがない。それに、しょせんゲームの中、ということで実際に殺されるわけじゃないから、サスペンス性に欠けるといった印象を抱いてしまうのだ。
 本作は、さすがにそんな単純にはいかなかった。実は素人探偵同士を対象とした殺戮ゲームであったという展開には、少々驚かされた。VR空間で起きた殺人事件の犯人とトリックをすべて解き明かさないと、本当に殺されてしまう。なかなか凝った設定だった。
 とはいえ、そもそも素人探偵がこんなに世の中にいるのかということに違和感があるし、情報が飛び交っているというのにもピンと来ない。そもそも加茂冬馬は素人探偵なのか、と聞きたくもなる。まあそこは小説だから、とやかく言っても仕方がないのだが。最初に関しては、明らかに安楽探偵椅子を皮肉っているよね、絶対。
 殺人の物理トリックは説明されてもああそうですか、としかいう程度の感想ぐらいしかなく、個人的に面白いものではなかったが、事件の背景に隠されたものの方は面白かった。とはいえ、前二作を読んでいないとその面白さは伝わってこないものであるし、そもそも前二作を読んでいないと意味が通じないもの。作者初めての人にはごめんなさいと最初に謝っておいた方がよい気がした。シリーズものと意識して、楽しむしかない。
 はっきり言って、読者を選ぶ作品。一族の別の人が出てくると予想していたんだけれどね。悪い意味で、予想外でした。




ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』(創元推理文庫)

 キャソン・デューカーは、奇矯な振舞いに魅かれる犯罪者コレクター。ある夜、平生の堅物ぶりをかなぐり捨てて痛飲する銀行家に興味をそそられ話を聞いたところ、架空の事実を盾に取る狡猾な強請に屈したのだという。正義感も手伝って卑劣な男に立ち向かおうとするキャソンは、僅かな手掛かりをもとに犯人像を描き、特定、張込み、接近と駒を進めていくが、その途上で思いも寄らない事態に直面し……。間然するところのない対決ドラマは、瀬戸川猛資氏の言う「ミステリ的おもしろさを超えた何か」をもって幕を閉じる。クライム・クラブ叢書の一冊として名を馳せた傑作、新訳刊行成る。(粗筋紹介より引用)
 1955年、イギリスで発表。1959年、東京創元社より邦訳刊行。2006年8月、新訳のうえ創元推理文庫より刊行。

 ウィリアム・モールのデビュー作。植草甚一、小林信彦、瀬戸川猛資といった名書評家が絶賛した英国サスペンスミステリの幻の傑作が、ついに新訳刊行、といって騒がれていたな……。例によって今頃読む。
 本業はワイン商人の犯罪コレクター、キャソン・デューカーが恐喝事件を見分し、僅かな手掛かりから容疑者を絞り込み、特定し、行動を監視し、そして少しずつ近づいていく。容疑者に辿り着くまでの行動が何ともねちっこい。さらに徐々に近づいていく様は、今だったらストーカーと何ら変わらないぐらい不気味さ。そして心理的に少しずつ容疑者を追い詰めていく様は、真綿で首を締めるという言葉がこれほど似合う物語もない、といっていいぐらいである。乱歩がこれを読んでいたら絶賛していたんじゃないだろうかと思うぐらい、「奇妙な味」を象徴した作品である。
 そしてなんといってもこの作品のすごいところはラスト。これぞ、まさに古き良き英国精神!と言いたくなるぐらいの終わり方である。とはいえ、好き嫌いの差がはっきりしそうな終わり方ではあるが。
 作者はキャソン・デューカーが3作、単独作品が2作、そしてウィリアム・ヤンガー名義で詩集やノンフィクションを出版している。作者のプロフィールはほとんど明らかにされていなかったというが、実は英国情報部保安部(MI5)の諜報部員。しかも破壊活動防止セクションのトップだったマックスウェル・ナイト(ジェイムズ・ボンドのボス、“M”のモデル)の個人補佐官まで務めていたという。そう言われると、どことなくスパイ小説らしい目標相手への接近の仕方といえようか。なお、妻のエリザベス・ヤンガーも本作の4年後に犯罪小説を書いてデビューしている。
 帯にある通り、「伝説の逸品」という名にふさわしい作品。こういうのが読めるだけで満足。かつてのクライム・クラブで出ていた作品は、もっと新訳を出してほしい。




古処誠二『いくさの底』(KADOKAWA)

 戡定後のビルマの村に急拵えの警備隊として配属された賀川少尉一隊。しかし駐屯当日の夜、何者かの手で少尉に迷いのない一刀が振るわれる。敵性住民の存在が疑われるなか、徹底してその死は伏され、幾重にも糊塗されてゆく――。善悪の彼岸を跳び越えた殺人者の告白が読む者の心を掴んで離さない、戦争ミステリの金字塔!(帯より引用)
 『小説すばる』2016年11月号掲載作品を加筆修正のうえ、2017年8月、KADOKAWAより単行本刊行。2017年、第71回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)受賞。2018年、第71回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞。

 戦争小説を書き続ける筆者が日本推理作家協会賞などを受賞した代表作。
 第二次大戦中期びビルマ戡定後、北部シャン州にあるヤムオイ村で、重慶軍の侵入を防ぐために編成された賀川少尉が率いる警備隊。日本兵にも好意的な村で、到着したその夜に賀川少尉がダア(ビルマの鉈)で殺害された。民間企業である扶桑綿花の社員で、シャン語の通訳として将校待遇の軍属として行動を共にしている依井の視点を通して事件は語られる。
 戦争中の物語ではあるが、日本軍が有利な時期でもあり、特に悲壮感はない。あくまで戦地で起きた殺人事件の謎を解く物語である。戦時下であることを感じさせるような控えめな文体が、やはり戦争中であることを漂わせるその書き方はさすがである。犯人も動機もわからない。そして徐々に村人が疑心暗鬼となり、雰囲気が変わっていく流れがうまい。犯人も動機も予想外なもので、やはりここは戦場であったことを思わせる仕上がりはさすがとしか言いようがない。
 なんといっても戦場と謎解きが機能的に結びついているところが素晴らしい。さらに謎解きの結果、戦争の悲劇があぶり出されていくのもお見事である。見事な構成力と筆致だ。感情を抑えていることにより、苦悩が浮かび上がる犯人の姿も読者の心を打つ。
 傑作といっていいでしょう。ただ作者には、初期のころの本格ミステリも書いてもらいたいと思っている。




芦沢央『許されようとは思いません』(新潮文庫)

「これでおまえも一人前だな」入社三年目の夏、常に最下位だった営業成績を大きく上げた修哉。上司にも褒められ、誇らしい気持ちに。だが売上伝票を見返して全身が強張る。本来の注文の11倍もの誤受注をしていた――。躍進中の子役とその祖母、凄惨な運命を作品に刻む画家、姉の逮捕に混乱する主婦、祖母の納骨のため寒村を訪れた青年。人の心に潜む闇を巧緻なミステリーに昇華させた5編。(粗筋紹介より引用)
 2016年6月、新庁舎より単行本刊行。2019年5月、新潮文庫化。

 入社三年目の夏、常に最下位だった営業成績が3位になった葛城修哉。上司にも褒められて喜んだはいいが、売上伝票を見るとリフォーム用の木材1枚の受注を11枚と誤記していた。今更直しようもない修哉は策を考える。「目撃者はいなかった」。
 現在子役として活躍中の杏。そんな杏を食事から行動まで管理する祖母。母親が年賀状に刷った家族写真は、今より10kg以上太っていたころの杏の写真だったため、祖母は母親を叱る。「ありがとう、ばあば」。
 画家として有名な浅宮二月は、夫の恭一を匕首で切り付けて殺害した。二月は三日後に逮捕されたが、発見された空き家に残されていた絵には、首から血を吹き出す男の絵があった。「絵の中の男」。
 常に尊敬してきた6歳違いの姉の逮捕に動揺する妹。妹はママ友に阻害されているのではないかとだんだん疑心暗鬼になり、3歳になった娘の行動の一つ一つが気になりだしてきた。「姉のように」。
 かつて祖母が暮らしていた檜垣村の寺を、婚約者の水絵とともに訪れた諒。祖母は昔、同居していた曾祖父を殺害し、村八分どころか村十分の状態になっていた。しかし曾祖父は癌で余命わずかだったのに、なぜ殺したのか。「許されようとは思いません」。

 日常の不幸な物語にミステリのエッセンスを加えた短編5本をまとめた短編集。読みやすい描き方をしているのでスラスラとページは進むのだが、読んでいてだんだんと憂鬱になってきた。確かに仕掛けはあるし読み終わってしまうとなるほどと思ってしまうのだが、嫌な気分になること間違いなし。ただ、最後の作品だけが救いかな。これで救われました。単行本から文庫化するときに作品の並びを変えたとのことだが、それは正解だと思った。  うまいとは思うけれど、1本目から4本目のような作品なら次を読みたいとは思わなかったな。最後の作品があるから、他の作品を読んでみようと思った。



【元に戻る】