おぼん・こぼん『東京漫才』(飛鳥新社)

 奇跡の“仲直り”を果たした超絶“不仲”コンビの自伝的お笑い回顧録! 人気芸人たちが絶賛&感涙&安堵した「芸に生きる男たち」の人間ドラマは、まだ完結していなかった!!!(帯より引用)
 2022年3月、刊行。

 『水曜日のダウンタウン』における仲直りが話題となったベテラン漫才コンビの、初の回顧録。なんといっても、1980年のMANZAIブームを牽引した漫才コンビの一組。あの頃からずっと継続して活動しているのは、おぼん・こぼんとオール阪神・巨人ぐらい(ざ・ぼんちやのりお・よしおは一度、解散している)。
 出会い、結成、アマ活動、上京、キャバレー回り、コルドンブルー出演、お笑いスタ誕グランプリ、MANZAIブーム、そして不仲の真相、57年目の回想。なんとなくは取材などで語られてきた内容もいくらかはあるものの、ここまで突っ込んだ内容をまとめて読むのは初めて。とはいえ、水ダウで再ブレイクしなければ、帯付きで出されるような本にはならなかったんじゃないかな、とは思う。
 こぼんが横山ノックに弟子入り志願したところなどは初めて知った。これだったら、横山やすしとの付き合いに関してはおぼんに言いたくなるわな。
 二人に共通しているのは、徹底したプロ意識と、漫才をして客席を笑わせたい、ということだと改めて分かる内容だった。そして、それぞれこの相手でないと、今以上の笑いを提供することができないという思い。あれだけ口を利かなくても漫才コンビを続けていたのは、もちろんお金もあるだろうけれど、漫才に対するプライドなんだと改めて思い知らされる。80歳になっても、90歳になっても舞台に立って、漫才をして、楽器を吹いて、タップを踏んで歌ってほしい。希望を言えば、あと1本だけ新作を見てみたい。




樋口有介『うしろから歩いてくる微笑』(創元推理文庫)

 鎌倉在住の女性薬膳研究家・藤野真彩と知り合った柚木草平。10年前、高校二年生の時に失踪した同級生の目撃情報がこのところ増えているので調べてほしいと彼女はいう。早速、柚木は鎌倉に<探す会>事務局を訪ねるが、これといった話は聞けなかった。しかしその晩、事務局で詳細を訪ねた女性が何者かに殺害された――。急遽、殺人事件に調査を切り替えた柚木が見つけた真実とは? 娘の加奈子や、月刊EYESの小高直海らおなじみのキャラクターに加え、神奈川県警の女性刑事など今回も美女づくし。円熟の筆致で贈る<柚木草平シリーズ>最終巻。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ』No.88~No.94連載(2018~2019年)。2019年7月、東京創元社より単行本刊行。2022年3月、文庫化。

 なぜか美女ばかりに囲まれる永遠の38歳の私立探偵、“柚木草平”シリーズの第12作、長編第9作。樋口有介は2021年9月に亡くなり、本作がシリーズ最終作となった。帯では、柚木の生まれ故郷である札幌に行く完結編の構想があったというので、残念だ。
 シリーズキャラクターの加奈子や小高直海は登場するが、前作で動きのあった吉島冴子は登場していない。前作『少女の時間』に出てきた山代千絵、美早親娘より紹介された藤野真彩からの依頼で、柚木は10年前の少女失踪事件を追うこととなる。舞台が東京ではなくて鎌倉となるのは初めて。そういう意味では目新しいが、根幹は変わらない。相も変わらず美女ばかりが出てくるし、柚木はなんだかんだ美女にはモテて、そして悩まされてばかりである。少しばかり腹が出てきた、というアラフォーの中年がなぜこんなにモテるんだ、という突込みはさておいて、軽口ばかりを叩く(ややセクハラな)ユーモアと、その裏にある温かい目線も変わらない。そしてしっかりと事件の真相に迫っていくのもさすがである。それにしても、からかわれながらもなんだかんだ最終的にはブラカップを教える鎌倉中央署の女性刑事の立尾芹亜、脇が甘すぎないか。毎度のことながら、酔っ払って独身男性の部屋に泊まっても襲われないと信頼している小高も、ある意味図太い。逆にそういう関係を迫られてもいいと思い込んでいるのかもしれないが。
 ただ本作は、失踪事件や殺人事件の真相こそ明かされるものの、終わり方がちょっと曖昧なところがあるのは気にかかった。もうちょっと後日談が欲しかった。
 解説の杉江松恋による、登場女性一覧は労作。これを見ると、意外とレギュラーキャラクターが少ないことがわかる。女性たちを見ると、当時読んだ内容が思い出せるという意味でも素晴らしい。逆にこういう一覧を見てしまうと、もう次作がないのだと気づかされてしまい、残念である。
 出来栄えに比べて評価が低い気がするが、日本のハードボイルド史には欠かすことのできないシリーズ、キャラクターであったと思う。このシリーズを書き続けてくれたことに感謝したい。




島田荘司『アルカトラズ幻想』上下(文春文庫)

 1939年、ワシントンDC近郊で娼婦の死体が発見された。時をおかず第二の事件も発生。凄惨な猟奇殺人に世間が沸く中、恐竜の謎について独自の解釈を示した「重力論文」が発見される。思いがけない点と点が結ばれたときに浮かびあがる動機――先端科学の知見と奔放な想像力で、現代ミステリーの最前線を走る著者渾身の一作!(上巻粗筋紹介より引用)
 猟奇殺人の犯人が捕まった。陪審員の理解は得られず、男は凶悪犯の巣窟・孤島の牢獄アルカトラズへと送られる。折しも第二次世界大戦の暗雲が垂れ込め始めたその時期、囚人たちの焦燥は募り、やがて脱獄劇に巻き込まれた男は信じられない世界に迷い込む。島田荘司にしか紡げない、天衣無縫のタペストリー。(下巻粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』連載。2012年9月、文藝春秋より単行本刊行。2015年3月、文庫化。

 全部で四章に分かれている。第一章は、2件の凄惨な猟奇事件。第二章はその犯人が書いた、恐竜の進化の謎に迫る重力論文。第三章は誰も成功したことのないアルカトラズからの脱獄。第四章はアルカトラズの地下世界にある謎のパンプキン王国。これだけ見ると、脈絡が全くない。どうつながるか想像もつかないだろうが、すべて一人の主人公が関わっている。そしてエピローグで、すべての章が繋がることとなる。
 島田荘司らしい奇想というか、力業というか。良くも悪くも、ここまで強引な話をまとめることができるのは、島田だけだろう。特に第二章の「重力論文」には色々な意味でよく考えるよといったものなのだが、これも島田荘司のオリジナルとのこと。
 それぞれの章は面白いと言えば面白いのだが、無理しているなという印象も強い。言っちゃえばトンデモの一歩手前、いやすでに踏み出しているか。読んでいる途中は面白いけれど、読み終わったら呆気に取られてしまう。作者にお疲れさまとは言いたい。




東野圭吾『赤い指』(講談社)

 金曜日の夜、会社から帰ろうとした前原昭夫の携帯電話が鳴った。出てみると、うろたえた声の妻の八重子。とにかく家に帰ってきてほしいというのだが、痴呆症の老母の介護をしてくれている妹の春美には来てほしくないという。帰った昭雄は八重子に言われるがまま庭を見てみると、そこには知らない女の子の死体があった。中学三年生の息子である直巳が殺害したのだった。警察に電話しようとする昭夫だったが、過保護な八重子は直巳の将来を考えて何とかしてほしいと訴える。しかたなく自転車で近くの公園の公衆便所に遺棄した直巳だったが、警察の手は徐々に近づいていった。
 『小説現代』1999年12月号に掲載された「赤い指」をもとに書き下ろされ、2006年7月刊行。

 東野圭吾の直木賞受賞後第一作。加賀恭一郎シリーズではあるが、今までスルーしていたのでこの機会にと思って本棚から手に取ってみた。
 二つの物語が並行で進行する。一つは殺人事件を起こした息子に苦悩しながら対処する前原一家の話であり、もう一つは練馬署の刑事である加賀恭一郎の父親である隆正が癌で入院しており、甥である警視庁の松宮脩平は隆正を見舞いに行くとともに、癌に侵されて手術も不可能な状態なのに見舞いに来ない恭一郎に怒りを見せている。
 親子の関係をキーワードにしつつ、刑事側と犯人側で物語が進行。所々で見えない感情をオーバーラップさせながら事件を解決させていくストーリーの組み立てがうまい。テクニックが先立っているような気もするが、作者に翻弄されるのは仕方がないか。ちょっとした疑問点と注意力で、家族の嘘を見抜いていく加賀恭一郎はさすがというしかない。
 それでもなあ、どこか作り物めいている印象が強いのは、最近の東野圭吾からくる悪感情からという気がしなくもない。読みやすいのは事実だが。




P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻』(文春文庫)

 20世紀初頭のロンドン。気はいいが少しおつむのゆるい金持ち青年バーティには、厄介事が盛りだくさん。親友ビンゴには浮かれた恋の片棒を担がされ、アガサ叔母は次々面倒な縁談を持ってくる。だがバーティには嫌みなほど優秀な執事がついていた。どんな難題もそつなく解決する彼の名は、ジーヴズ。世界的ユーモア小説の傑作選。(粗筋紹介より引用)
 2005年5月、文藝春秋より単行本刊行。2011年5月、文春文庫より『大胆不敵の巻』と分冊されて刊行。

 バートラム(バーティ)・ウースターは婚約者のフローレンスから、出版予定である叔父の回想録に、叔父だけでなく父のスキャンダルも載っていることから、出版前に原稿を盗んでほしいと頼まれる。「ジーヴズの初仕事」。
 いつも恋をしているバーティの親友ビンゴは、今回は食堂のウェイトレスのメイベルに恋をしていた。しかし身分が違うから、いつもお金を出してもらっている伯父が許さないだろうとビンゴは困っており、どうにかならないかとバーティからジーヴズに策を授けてもらうことにした。「ジーヴズの春」。
 いつもバーティに首枷をはめてくるアガサ伯母が、バーディをフランスの保養地の一つであるロヴィルまで呼びつけた。要件は、友達になったアーリン・ヘミングウェイと結婚しろという命令。当然バーディは断りたいが、アガサ伯母には逆らえない。困ったバーディはジーヴズに相談する。「ロヴィルの怪事件」。
 競馬で一か月分の生活費をすってしまったビンゴは、ハンプシャーに住むグロソップの息子の家庭教師をしていた。そのビンゴが、娘のホノーリアに惚れてしまったとバーティに告白した。その日、昼食に誘われたアガサ伯母はバーティに、ホノーリアと結婚するよう命令した。「ジーヴズとグロソップ一家」。
 アガサ伯母から逃げてニューヨークにいたバーティとジーブズのもとにアガサ伯母からの手紙が来て、シリルという男を世話してほしいと命令された。ところがシリルは1日目から留置場へ放り込まれていた。「ジーヴズと駆け出し俳優」。
 ロンドンに帰ってきたバーティは、ハイドパークでビンゴの伯父であるミスター・ウースターと出会う。会話をしていると、顎ひげの男が二人を指差しながら、罵倒してきた。「同志ビンゴ」。
 バーティは、主人公に突然娘が現れるという芝居を見て、子供が欲しくなった。そこで、マンションを引き払って家を買い、インドから三人の娘を連れて帰ってくる姉と同居しようという計画を立てた。しかし独身のバーティを気に入り、バーティの家で仕事を続けたかったジーヴズはこの計画をつぶすべく、ある策を立てる。ジーヴズの一人称視点で語られる「バーティ君の変心」。

 ユーモア小説の大家として知られるペルハム・グレンヴィル・ウッドハウスの代表作シリーズ。
 手に取って読んでみたが、あまり笑えなかったな。予定調和というか、お約束というか。それもかなりわざとらしい。ここまでくると、ジーヴズとバーティで楽しんでいるだけじゃないかと突っ込みたくなる。寝る前にちょこっと読む程度には、いいんじゃないだろうか。平和だし。
 ということで、次作を読む気力は今のところありません。




伊坂幸太郎『夜の国のクーパー』(創元推理文庫)

「ちょっと待ってほしいのだが」 私はトムという名の猫に話しかけた。猫に喋りかけていること自体、眩暈を覚える思いだったが致し方ない。前には猫がおり、自分は身動きが取れず、しかもその猫が私に理解できる言葉を発しているのは事実なのだ。目を覚ましたら見覚えのない土地の草叢で、蔓で縛られ、身動きが取れなくなっていた。仰向けの胸には灰色の猫が座っていて、「ちょっと話を聞いてほしいんだけど」と声を出すから、驚きが頭を突き抜けた。「僕の住む国では、ばたばたといろんなことが起きた。戦争が終わったんだ」――伊坂幸太郎、十冊目の書き下ろし長編は、世界の秘密についてのおはなし。野心的傑作、文庫化。(粗筋紹介より引用)
 2012年5月、東京創元社より書下ろし刊行。2015年3月、創元推理文庫化。

 人間と猫が話をしているというところで、来たぞ伊坂、と思っていたのだが、猫のトムが住んでいる国の話になってきて理解が追い付かなくなってきた。とりあえず「クーパー」とは杉の木で、町の北西にある谷のそばの杉林の何本かが変態し、そのうちの一本だけが成長して動き出して暴れまわるという。うーん、この説明を聞いただけで、読むのを止めようかと思った(苦笑)。クーパーを倒すと透明化するとか、猫と鼠が会話を始めたりとか、うーん、付いていけない。
 それでも最後まで頑張って読んではみた。確かに色々な伏線が回収されて一つに収まるところはさすがだとは思うけれど、それでも楽しめなかったな。これはもう、好みの問題。とりあえず、苦手な話でした、ということで。




浅暮三文『石の中の蜘蛛』(集英社)

 楽器のリペアを職業としている立花誠一は、杉並区内の防音設備がしっかりしているミニマンションの部屋を不動産屋と契約した日、轢き逃げに跳ねられた。怪我は大したことが無かったが、聴覚が異常に鋭くなってしまった。前に住んでいた若い女性はピアノを弾いていたが、半年前、管理人に何も言わずに書置きだけを残して家具もそのまま部屋を飛び出した。彼女が残したものは、鳴る石。石が建てる音は、蜘蛛が何本もの足で石の内側を這いずるようだった。立花が轢き逃げにあったのは、彼女が原因ではないか。立花は部屋に残された音を頼りに、女を探し出そうとする。
 2002年6月、集英社より書下ろし刊行。2003年、第56回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門賞受賞。

 浅暮三文が2002年に書き下ろした、“ファンタジーとハードボイルドの融合”作品。轢き逃げ事故で異常な聴覚を持った男が、残された音を頼りに失踪した女を探し出す。確かに探し出す手段が特殊ではあるが、物語の組み立て自体はハードボイルド。言っていることに嘘はない。
 異常な聴覚で、常人には聞き取れない音を聞き取ったり、話す言葉の調子から嘘や本当などを見抜くというのはまだわかるのだが、さすがにスプーンで叩いて帰ってきた音からかつてどんな行動を取っていたのかがわかるというのは、都合がよすぎるんじゃないのと思われるような設定で、あまりのれなかった。本作品の特徴はその設定にあるので、それに面白さを感じ取れないと、読んでいてつらい。
 女が失踪した理由や、主人公が轢き逃げされた理由などはありきたりだし、展開も単調で面白くない。結局この作品の面白さは、異常な聴覚を利用するという設定にかかっている。それを受け入れられるかどうかでこの作品の評価は変わってくるだろう。




法月綸太郎『挑戦者たち』(新潮社)

 J・Jの奇妙な挑戦、二代目フゴゥ刑事、皇帝の新しい服、ヒルベルト・ホテルの殺人……。パロディありクイズあり迷路あり。レーモン・クノーに触発されて、古今東西の名作エッセンスに彩られたミステリ万華鏡。ブッキッシュな仕掛けと洒脱な文体遊戯。ミステリ読者悶絶! 史上初、そして最後の試み。「さて、この面白さがどこまでわかるかね」。(帯より引用)
 『小説新潮』2014年5月号、2015年1月号、9月号、2016年2月号掲載。十一章の書き下ろしを加え、2016年8月、刊行。

 「読者への挑戦状」を様々な文体、形式で書き連ねた、計99編。文体模写、パロディ、クイズ、迷路など様々な方法で読者への挑戦状が書かれている。帯に出てくるレーモン・クノーとはフランスの詩人、小説家。『文体練習』という作品は1つのストーリーを99通りの異なる文体で描いており、本作品はそれに触発されたものである。
 まあ、こんなばかばかしい試みを実際に試すのは法月ぐらいだろう。逆を言えば、ミステリに詳しくなければこれだけのものは書けないとも言える。「読者への挑戦状」に対する批判への反論などもさりげなく含まれているところは面白い。巻末には引用、参考文献も載せられているので、何を元ネタにしているかを考えながら読んでみるのも面白い。
 ただ、こんな作品、すれっからしのミステリマニアでもなければ読まないだろう。ある意味、お遊び本。この手の本は、これっきりにしてほしい。これを雑誌に掲載した新潮社も、大したものである。




雫井脩介『検察側の罪人』上下(文春文庫)

 蒲田の老夫婦刺殺事件の容疑者の中に時効事件の重要参考人・松倉の名前を見つけた最上検事は、今度こそ法の裁きを受けさせるべく松倉を追い込んでいく。最上に心酔する若手検事の沖野は厳しい尋問で松倉を締め上げるが、最上の強引なやり方に疑問を抱くようになる。正義のあり方を根本から問う雫井ミステリー最高傑作!(上巻粗筋紹介より引用)
 23年前の時効事件の犯行は自供したものの、老夫婦刺殺事件については頑として認めない松倉。検察側の判断が逮捕見送りに決しようとする寸前、新たな証拠が発見され松倉は逮捕された。しかし、どうしても松倉の犯行と確信できない沖野は、最上と袂を分かつ決意をする。慟哭のラストが胸を締め付ける感動の巨篇!(下巻粗筋紹介より引用)
 『別册文藝春秋』2012年9月号~2013年9月号連載。2013年9月、単行本刊行。2017年2月、文庫化。

 老夫婦強盗殺人事件の容疑者の中に、すでに時効となった中学生強姦殺人事件の容疑者・松倉重生がおり、大学時代にその中学生の家族がやっている寮に住んでいた最上毅検事はなんとしても起訴しようとする。一方、教え子でもある若手検事の沖野啓一郎は、最上のやり方に疑問を抱く。
 まあ、検察側の罪人という表題タイトルにもある通りの事件が起きるのだが、あまりにもずさんすぎて、とても敏腕検事のやることとは思えない。逆に言えば、それだけ切羽詰まっていたといえるのだろうか。動機にしてもかなり不自然。いくら引き金となった事件が起きたからといって、ここまでやるか、というのが正直な印象。沖野と立会事務官の橘沙穂が恋仲になる展開も、どうも薄っぺらく感じてしまった。
 言い方が悪いのだが、作りすぎている割に内容が不自然で、展開は単純。ドラマになりそうなストーリーと人物を配置しているようにしか思えない。松倉とか、弁護士の白川雄馬の描き方もステレオタイプなものになっているのが残念。
 それでも、次のページを読ませようとする力だけはすごかった。さすが、ベストセラー作家。




水谷準『薔薇仮面』(皆進社 《仮面・男爵・博士》叢書・第一巻)

 『週刊文化』の記者である相沢陽吉はミス・ホプキンスへのインタビューが終わりホテルから出て待たせていた車に乗ろうとすると、後から出てきた若い女性も一緒に乗ってきた。カヅミと名乗ったその女性は、家に黙って出てきたが見つかったところを自動車に飛び込んだものだった。陽吉はその夜、酒場でカヅミと話をすると、カヅミは三つの姓名を持っていると話し出した。陽吉がハリキリのハリーからバリーと呼ばれるようになったきっかけの話。「三つ姓名(なまえ)の女」。
 相沢陽吉は元華族で貿易商の紅小路邸で催される仮装舞踏会を取材しようと乗り込んだところ、道化服の格好で参加することになった。百姓娘の仮装をした小牧百合子という若いオペラ女優と踊り、彼女は紅小路を知らないのに招待状が贈られてきて、指示通り舞台の衣装でやってきたと話した。彼女はメフィストに注意するようにと招待状に指示されていたが、一時間後、そのメフィストが現れた。そのままメフィストと百合子は姿が見えなくなり、陽吉も途中で帰ったが、次の日、陽吉は仮面舞踏会が終わった直後に紅小路夫人の「さそり座」という異名がある真珠の首飾りが盗まれたことを知った。「さそり座事件」。
 銀座の酒場「ベルベット」に、顔も両手も包帯をしている不気味な男がやってきた。マダムのカオルに五年ぶりに会いに来たという男は村瀬源三郎と名乗った。源三郎は空襲で逃げ遅れて梁の下敷きになった時、妻のカオルは宝石の入った手提鞄を奪い、源三郎を見捨てて逃げてしまった。当時カオルは全身黒焦げの男の死体があったので、それを源三郎と勘違いして埋葬していたのだった。明日宝石を返してもらうという源三郎に宝石を渡したくないカオルは、若い燕の志村欣一に何も渡したくないと相談する。文化タイムスの記者、相沢陽吉が事件の真相に迫る。「墓場からの使者」。
 牧山丈二は新橋のキャバレーのルーレットで負けてすっからかんになった。そんな丈二に、貿易商のひとり娘である朝倉民枝は金を貸した。条件は、婚約者であるダンサーの岸アケミと手を切ること。一時間後、やはり負けた丈二は、運転手の谷口が待っている民枝のクライスラーに乗り、途中の公衆電話からアケミに別れを告げた。次の日の朝、怒り心頭のアケミは民枝の家を訪れた。仕方なく民枝は女中の竹やに居間へ通させたが、三十分経っても民枝は居間へやってこない。竹やとアケミは寝室に向かうと、民枝は絹靴下で首を絞められて殺されたいた。文化新聞の記者、相沢陽吉が謎を解く。「赤と黒の狂想曲」。
 『週刊文化』の編集者である相沢陽吉は、日比谷公園の噴水前で声を掛けてきた女性が、テニス倶楽部の仲間である綾子であったことを知り驚く。兄、吉岡幹也に来ていたのが脅迫状らしきものだったので心配になった新妻の文枝に頼まれた綾子が、待ち合わせ場所を見張っていたのだった。それらしい男は来たが、幹也は姿を現さなかった。男の後を付けた二人だったが、木賃宿に入ったところを陽吉が探りに行くと殴られて気を失った。さらに後から入った綾子は、薔薇色の覆面をした男にでしゃばるなと脅された。吉岡邸に帰った二人が後から帰ってきた幹也に聞いたところ、ピアニストである文枝に執心していた画家の土屋絃一郎ではないかと話す。二日後の吉岡邸でのカクテルパーティーには、招待された二十人ばかりの客の中に陽吉もいた。ベランダのスクリーンで、ゴルフを撮った映画を見ていたところ、幹也が担当で背中を刺されて倒れていた。そしてバラ色のマスクをした怪しい者が文枝を横抱きにし、去っていった。『薔薇仮面』。
 2022年1月、刊行。

 秋田の皆進社から出版された《仮面・男爵・博士》叢書・第一巻。《仮面・男爵・博士》叢書とは、通俗探偵小説における悪の象徴の中でも「仮面・男爵・博士」と呼ばれる人物にスポットライトを当ててみたとのこと。「「推理小説」の時代が到来する前夜に発表された作品を中心に、日本ミステリ史の上で振り返られることなく忘れ去られた通俗探偵小説の中から、楽しんでいただける作品を精選した」とのことなので、楽しみだ。皆進社は「狩久全集全6巻+四季桂子全集全1巻」を出したことで知られるが、さすがにあの金額では手が出ない。今回は手を出せる金額だったので購入してみた。
 水谷準が昭和二十年代に執筆した短編4本と、昭和30~31年に執筆した長編『薔薇仮面』を収録。いずれも記者・相沢陽吉を探偵役としている。すべての作品が東方社から出版された単行本に収められている。
 まあ、言っちゃ悪いとは思うのだが、この胡散臭さと唐突な展開が通俗探偵小説だよなとは思ってしまう。問題なのは、相沢陽吉という人物の顔が全然浮かんでこないこと。通俗探偵小説なら、せめて主人公くらい読者の共感を得るような書き方をしてほしかった。どこまでシリーズ探偵化しようと思っていたのか、よくわからない。
 長編『薔薇仮面』が目玉なのだが、ただ薔薇色のマスクをしているだけで、それ以後、特にこのマスクに触れることもない。わざわざ表題にしなくてもよかったのにと思ってしまう。それに兄嫁が誘拐されて行方不明、兄は意識不明の重体なのに、綾子がずいぶん能天気な娘しか見えない。あんな楽し気に、そして他人事かのような事件への関わり方に首をひねってしまう。
 などとまあ、色々言いたいことはあるのだが、それをも超越してしまうのが通俗探偵小説の懐の広さ、というよりいい加減さであろう。その時面白ければ、前後の辻褄なんか大して考えなくてもそれでいい。急転直下の解決があったっていい。推理の筋道が立っていなくてもいい。本になってまとめて読むと突っ込みどころ満載だが、雑誌に掲載されてるときは、面白く読める(かどうかは読者次第だが)。
 なんか、水谷準のイメージ、変わったな。まあ、一、二冊ぐらいしか読んでいないから、大したイメージを持っていたわけじゃないけれど。
 皆進社のサイト(https://kaishinsha.stores.jp/)で購入可能。第二巻、第三巻に何が来るかわからないが、楽しみにしたい。



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