早見和真『イノセント・デイズ』(新潮文庫)

 田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がる世論の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 2014年8月、新潮社より単行本刊行。2015年、日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。2017年3月、文庫化。

 死刑囚を扱ったものなのでいつかは読みたいと思っていたのだが、今までなんとなく気が乗らなかった。時間ができたので、手に取ってみた。
 死刑囚となった田中幸乃に生まれから関わった人物を各章に配置し、幸乃がどういう人物だったかを少しずつ明らかにしていく。元恋人の妻と双子の子供を放火で殺害した罪で死刑判決が確定したというのだから非常に残酷な人間のように思えるが、過去に関わった人物たちの見る目線は異なる。死刑囚の実際が、マスコミによって植え付けられたイメージとは実際には異なる、というのは実際にも出てくる話。幸乃の体質の点、そして生まれと育ちから持ち合わせた性格の点は本作品ならではの部分なのかもしれないが、これだって強者に従順で損をする犯罪者というのがよくある話なので、それほど惹かれるものはなかった。結末に向かって徐々に明らかになっていく事件の真相についてもよくあるパターンだと思った。
 リーダビリティはあると思ったが、新味は感じられなかった。まあ、人って自分のこと以外については身勝手なんだな、と自分の反省も振り返りつつ思った次第。それだけかな。




多岐川恭『氷柱』(創元推理文庫)

《氷柱》紅塵を離れて雁立市の一角に三万坪の居を構える風変わりな男“氷柱”。ある日遭遇した少女の轢き逃げ事件を契機に、彼自身をも途惑わせる情熱の赴くまま、権勢を振りかざし私曲に走る街の巨悪を懲らすべく、策動が始まった――。
《おやじに捧げる葬送曲》元刑事の青砥五郎を「おやじさん」と慕い、入院先へ再々やってくる探偵社の調査員「おれ」こと白須健一。おやじさんの求めに応じ十億円の宝石強盗や宝石商殺しについて話していくと、次第に事件の全貌が見えてくる。意思疎通は時に困難を極めつつ、ベッド・ディテクティヴは永眠の日まで。(粗筋紹介より引用)
 『氷柱』は1958年6月、河出書房新社より書下ろし刊行。『おやじに捧げる葬送曲』は1984年11月、講談社ノベルスより書下ろし刊行。本書は2001年2月、刊行。

 『氷柱』は多岐川恭の第一長編。河出書房が1956年、『探偵小説名作全集』の別巻として書下ろし公募したときの次席入選作品である。この時の第一席入選作品は仁木悦子『猫は知っていた』である。しかし河出書房が1957年に倒産したため、出版されることはなかった。『猫は知っていた』は江戸川乱歩賞に回され、1957年に第3回江戸川乱歩賞を受賞する。本書は1958年に再建された河出書房新社より刊行された。同年、『濡れた心』で第4回江戸川乱歩賞を受賞するのも、作者の実力を示したものであろう。
 感じの冷たい男という意味で「氷柱」とあだ名される主人公が、少女の轢き逃げ事件を発端に、街の巨悪を懲らすために立ち上がるのだが、単純なクライムストーリーかと思いきや、最後まで仕掛けが施されていることに感心。技巧派の片鱗がデビューのころからうかがえる。ただ、結末には賛否両論がありそう。これが次席止まりだった理由だろうか。読者としては主人公が冷たくても、中身はもう少し熱いものが欲しかった。
 『おやじに捧げる葬送曲』は江戸川乱歩賞が30回を数えた記念として、講談社ノベルスから出版された乱歩賞作家のオール書き下ろし長編企画「乱歩賞SPECIAL」の一冊。しばらく時代小説が中心だった多岐川恭が、久しぶりにミステリに戻ってきた全力投入作品ということで結構騒がれていたと思うのだが、解説の川出正樹によると、「当時ほとんど話題になることもなく」とある。新保博久は戸川昌子『火の接吻』とともに協会賞候補に挙げていた記憶があるのだが、違っただろうか。この乱歩賞SPECIAL、他にも『チョコレートゲーム』『ダビデの星の暗号』『倫敦暗殺塔』といった力作があった。
 見舞客の「おれ」が、ベッドに寝ていて余命わずかな「おやじさん」に宝石強盗事件や宝石商殺人の話をするうちに、「おやじさん」の「推理」によって事件の全貌が徐々に明らかになるという、究極のベッド・ディテクディヴミステリである。「おやじさん」はもうほとんど会話ができないこともあり、「おれ」の一人称ですべての話が進んでいく内容になっている。この見舞客の「おれ」が全てを語っているわけではない、というところにミソがあり、全容が複雑になっている。これだけのベテランになっても、新しいものを生み出そうとする執念には恐れ入る。一人で語る形式になっていることもあり、やや間延びしてしまったところがあるのは否定できないが、最後まで読み通すと作者の狙いのすべてが明らかになり、驚くこと間違いなし。まあもっと驚いたのは、この作品が本書に収められるまで文庫化されていなかったということなのだが。
 出版社があえて第一長編と最晩年の長編をカップリングしたのは、さすがというべきか。チャレンジし続けた作者を知るのにふさわしい一冊となった。




レオ・ブルース『レオ・ブルース短編全集』(扶桑社ミステリー文庫)

 本格黄金期を代表する推理小説作家レオ・ブルースの全短編をここに収録。パーティーの夜に起きた秘書殺しの謎をビーフ巡査部長が快刀乱麻の名推理で解決する「ビーフのクリスマス」、遺産相続をめぐる練り上げられた策謀を暴く「逆向きの殺人」など、短い紙幅に「魅力的な謎の呈示」と「合理的解決」という本格の醍醐味が凝縮された珠玉の短編全40編。図書館で発掘された未刊のタイプ原稿から直接邦訳した11編(内、世界初紹介9編)と発見者による解説を含む、ファン垂涎の真の「完全版」の登場!(粗筋紹介より引用)
 1992年にレオ・ブルース愛好家のバリー・A・バイクが、当時判明していた全短編を集めてアメリカで刊行した"Murder in Miniature: The Short Stories of Leo Bruce"に収録された28編と、発掘された1編、未刊のタイプ原稿から邦訳した11編(内、世界初紹介9編)を収録し、2022年5月、邦訳刊行。

 少々ややこしいが、「手がかりはからしの中」「休暇中の仕事」「棚から落ちてきた死体」「医師の妻」「ビーフと蜘蛛」「死への召喚状」「鶏が先か卵が先か」「犯行現場にて」「鈍器」「それはわたし、と雀が言った」「一枚の紙片」「手紙」「一杯のシェリー酒」「犯行現場」「逆向きの殺人」「タクシーの女」「九時五十五分」「単数あるいは複数の人物」「具合の悪い時」「カプセルの箱」「盲目の目撃者」「亡妻の妹」「河畔の夜」「ルーファス――そして殺人犯」「沼沢地の鬼火」「強い酒」「跡形もなく」「捜査ファイルの事件」の28編は1950年~1956年に雑誌他に掲載され、1992年に発表順にまとめられて刊行された短編集からの翻訳。「インヴァネスのケープ」は1952年に雑誌に掲載された短編の発掘。「ビーフのクリスマス」「死後硬直」「ありきたりな殺人」「ガスの臭い」「檻の中で」「ご存じの犯人」「悪魔の名前」「自然死」「殺人の話」「われわれは愉快ではない」「書斎のドア」の11編は未刊のタイプ原稿として発掘されたもの。そのうち「ビーフのクリスマス」は2015年に、「死後硬直」は2021年に収録されたので、世界初紹介は9編となる。
 このうち、ビーフ巡査部長が登場するのは「手がかりはからしの中」「休暇中の仕事」「棚から落ちてきた死体」「医師の妻」「ビーフと蜘蛛」「死への召喚状」「鶏が先か卵が先か」「鈍器」「それはわたし、と雀が言った」「一枚の紙片」「ビーフのクリスマス」「インヴァネスのケープ」「死後硬直」「ありきたりな殺人」の計14編。グリーブ巡査部長が登場するのは「逆向きの殺人」「タクシーの女」「単数あるいは複数の人物」「盲目の目撃者」「沼沢地の鬼火」「強い酒」「跡形もなく」「捜査ファイルの事件」「ガスの臭い」「檻の中で」「ご存じの犯人」の計11編である。
 なお「ありきたりな殺人」は、「捜査ファイルの事件」のグリーブをビーフに替えた作品である。どちらが先だったのか、気になるところである。
 1編あたりが10ページ足らずの作品がほとんど。犯人のミスやトリックをビーフやグリーブが見つける内容となっており、読んでいてクロフツの短編を思い起こした。気軽に読める推理パズルみたいな作品となっており、仕事や家事の合間で手に取るには最適だろう。時々皮肉が混じるのもらしさというべきか。奇妙な味の短編が含まれているので、こちらも楽しめる。
 ファン以外は読まないような作品集かもしれないが、ファンにはたまらないだろう。これだけ熱烈なファンがいること自体が、幸せな作家だったのだと思う。そして、本にまとめられるぐらいの面白さがあることも。




葉真中顕『凍てつく太陽』(幻冬舎)

 昭和二十年――終戦間際の北海道・室蘭。逼迫した戦況を一変させるという陸軍の軍事機密「カンナカムイ」をめぐり、軍需工場の関係者が次々と毒殺される。アイヌ出身の特高刑事・日崎八尋は、「拷問王」の異名を持つ先輩刑事の三影らとともに捜査に加わることになるが、事件の背後で暗躍する者たちに翻弄されてゆく。陰謀渦巻く北の大地で、八尋は特高刑事としての「己の使命」を全うできるのか――。民族とは何か、国家とは何か、人間とは何か。魂に突き刺さる、骨太のエンターテイメント!(帯より引用)
 『小説幻冬』Vol.1~16連載。加筆修正のうえ、2018年8月、単行本刊行。2019年、第21回大藪春彦賞受賞。同年、第72回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞。

 舞台は終戦直前の北海道。主人公はアイヌ出身で北海道庁警察部の特別高等課内鮮係に配属されている特高刑事、日崎八尋巡査。その名の通り、内地にいる朝鮮人の監視と取り締まりを行っている。序章では室蘭市の軍需工場で、朝鮮半島出身を集めた伊藤組に人夫として潜入し、以前飯場から抜け出して捕まり、拷問にも口を割らないまま死んだ朝鮮人人夫の逃亡ルートを探る。
 序章から本筋である軍需工場関係者の連続毒殺事件への繋がりが実に巧い。陸軍の軍事機密「カンナカムイ」とは何か、そして連続毒殺犯「スルク」とは誰かという点についても引っ張り方が巧い。さらに事件の謎だけではなく、特高という存在、アイヌや朝鮮といった民族、軍部や戦争、そして大日本帝国という存在など様々な問題をエンターテイメントの中に織り込ませる技術が非常に巧い。巧いだけではなく、面白い。スリリングな展開に、よくぞこれだけの内容を盛り込めたものだと感心した。
 軍需工場から逃亡しようとして八尋に捕まる朝鮮半島出身の宮田こと()永春(ヨンチュン)。元警察練習所の教官であった室蘭署刑事課の主任刑事である能代慎平警部補。八尋のことを土人と呼んで差別する、拷問王の異名を持つ三影美智雄警部補。八尋だけではなく、主要登場人物の背景もしっかりと書き込み、それが隅々まで伏線につながっているところも見事である。
 網走刑務所から白鳥由栄が脱獄した事件、アメリカの原子爆弾開発などのエピソードなども盛り込み、アイヌ民族や朝鮮民族に対する差別の歴史も加え、骨太かつ壮大な物語が完成した。最後の連続殺人事件の謎解きと、その後のスリリングな展開も見逃せない。
 ここまで凄い作品だとは思わなかった。一気読み確実の傑作だった。




床品美帆『431秒後の殺人 京都辻占探偵六角』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 写真を撮る楽しみを教えてくれた、松原京介の不可解な死。離婚話で揉めていた彼の妻は、関与が疑われたものの、死亡時刻にはタクシーに乗っていた。どこをどう見ても、不運な事故としか考えられない状況だったが――恩人の死をその妻の仕業と確信した駆け出しカメラマンの安見直行は、祖母の助言によって六角法衣店を訪れる。店の主は代々京の辻や橋に立ち、道のさざめきから信託を受け、失せ物を見つけ出すことができるというのだ。
 直行は恩人の死亡事故を他殺と証明する証拠を探して欲しいと依頼するが、若くて不愛想な店主・六角聡明からは、けんもほろろに断られてしまう。だが、直行の撮った一枚の写真がきっかけで、六角は事件の証拠探しに協力を依頼する。
 現代のガジェットによって構成された不可能犯罪を、緻密な論証で見事に解き明かす表題作ほか全五編を収録。第十六回ミステリーズ!新人賞受賞者による出色のデビュー連作集。(粗筋紹介より引用)
 『紙魚の手帖Vol.2』(2021年12月)に掲載された表題作に書下ろし4編を加え、2022年4月、刊行。

 ビルの屋上で使われていたコンクリートブロックが頭の上に落ちてきて、写真館店主が死亡。不倫で離婚話が持ち上がっていた妻はタクシーに乗っていた。「第一話 431秒後の殺人」。
 人気のカプセルホテルで、襖の武将の眼が動くという噂が。大学のオカルト研究サークルの同窓生男女4人のうちの1人が、ベッドで殺された。ただその時間は、同窓生の2人と直行がすぐそばでおしゃべりをしていた。「第二話 睨み目の穴蔵の殺人」。
 夜の映画館で上映中、客の一人が殺された。しかし客はわずか数名で、誰も殺された客のそばには近寄らなかった。「第三話 眠れる映画館の殺人」。
 祟られていると騒いでいたDJがクラブでライブ中、スモークの中で襲われて重体となった。しかし犯人はどこにも見当たらない。「第四話 照明されない白刃の殺人」。
 六角法衣店が差し押さえにあった。14年前に入院先から失踪した聡明の母親が、失踪3年後に連帯保証人となっていたからだという。盲腸で入院した聡明が、母が失踪した部屋で謎を解く。「第五話 立ち消える死者の殺人」。

 作者は1987年生まれ。同志社大卒。2017年に「赤羽猫の怪」で第15回北区内田康夫ミステリー文学賞区長賞受賞。2018年、『レッドカサブランカ』で第28回鮎川哲也賞最終候補。同年、「ROKKAKU」で第15回ミステリーズ!新人賞最終候補。2019年、「ツマビラカ~保健室の不思議な先生~」(改題「二万人の目撃者」)で第16回ミステリーズ!新人賞受賞。本書はデビュー作。
 表題作の「431秒後の殺人」は、「ROKKAKU」を改題したもの。作者が思い入れがあったということで、こちらを先に連作短編として刊行したという。
 探偵役は六角法衣店の店主であり、失せ物探しの占いがよく当たるという六角聡明。ワトソン役は売れないカメラマンの安見直行。もっとも辻占の設定は最初だけしか関わらない。もう少し辻占の設定を生かせばよかったのにと思ってしまう。お人好しの直行が、聡明を引っ張り出すというパターンの連作だが、最後は聡明の母親の失踪事件に挑む話であり、いかにもといった感じの連作短編集には仕上がっている。いずれもハウダニットの謎解きであり、物理的なトリックが主体となっている。
 第一話は、あまりにも偶然に頼りすぎ。まあそれはまだ許せるが、犯人が捕まった証拠の方があまりにも杜撰すぎないか。ここまで見え見えの殺人方法も珍しい。実際に成功した殺人方法とのギャップがひどい。
 第二話は頭の中で情景を思い浮かべるのにちょっと時間がかかった。可もなく不可もなく。
 第三話は、トリックが大掛かりすぎ。これだけ物的証拠を残して、捕まらないはずがない。
 第四話はちょっと面白かった。他の事件と目的の事件をうまくつなげたとは思う。
 第五話は、まあうまく収まるところに収まった感じはある。偽造の部分はちょいとお粗末な気もするが。
 後半の方が面白く読めたかな。六角聡明という人物にもう少しキャラクター性を与えてほしかったと思う。殺人事件が続く連作集の割に、盛り上がりがちょっと乏しかったし、地味な展開で終わっているのも残念。長編には向かなさそうな探偵役だが、続編はあるだろうか。




レイフ・GW・ペーション『許されざる者』(創元推理文庫)

 国家犯罪捜査局の元凄腕長官ラーシュ・マッティン・ヨハンソン。脳梗塞で倒れ、一命はとりとめたものの、右半身に麻痺が残る。そんな彼に主治医の女性が相談をもちかけた。牧師だった父が、懺悔で25年前の未解決事件の犯人について聞いていたというのだ。9歳の少女が暴行の上殺害された事件。だが、事件は時効になっていた。ラーシュは相棒だった元捜査官や介護士を手足に、、事件を調べ直す。犯人をみつけだし、報いを受けさせることはできるのか。スウェーデンミステリ界の重鎮による、CWA賞、ガラスの鍵賞など5冠に輝く究極の警察小説。(粗筋紹介より引用)
 2010年発表。同年、スウェーデン推理作家アカデミー最優秀長編賞受賞。同年、 BMFプラーク(スウェーデン書店アシスタント協会が授与する文学賞)受賞。2011年、ガラスの鍵賞受賞。同年、パレ・ローゼンクランツ賞(デンマーク語で出版された年間最優秀犯罪小説に送られる賞)受賞。2017年、CWAインターナショナル・ダガー賞受賞。2018年2月、邦訳刊行。

 作者のレイフ・GW(Gustav Willy)・ペーションはスウェーデンの犯罪学者、小説家。犯罪学教授としてスウェーデン国家警察委員会の顧問を務めていた。犯罪事件のコメンテーターとして、テレビや新聞に定期的に出演していた。スウェーデンミステリ界の重鎮で、1978年に警察小説『グリスフェステン』でデビュー。ラーシュ・マッティン・ヨハンソンと、ストックホルム県警捜査課の捜査官であるポー・ヤーネブリングが事件の捜査にあたる。
 他に、25年前の未解決事件であるヤスミン事件の当時の捜査責任者であるエーヴェルト・ベックストレームは、チビでデブで怠け者で差別主義者という最低な男だが、なぜか事件を解決するという主人公として数冊のミステリに登場している。検察官として登場するアンナ・ホルトは、女性刑事として活躍するシリーズがある。公安警察局本部の局長補佐として登場するリサ・マッティも、シリーズの複数の作品に登場している。これらのシリーズは、テレビドラマや映画にもなっている。もしかしたら他のキャラクターも、過去作品に登場しているのかもしれない。
 本作は、長く続いたヨハンソンシリーズの最後の作品として、作者が生み出したシリーズキャラクターが総出演する話となっている。ここを知っているかどうかで、本書の印象はかなり変わってくるのではないだろうか。ただ私は解説を読むまで全く知らなかったが、それでも十分に楽しんで読むことができた。
 本書のテーマは、杉江松恋が解説の冒頭でも書いている通り、「時効が成立した事件の犯人を裁くことはできるのか」である。ヨハンソンが元相棒のヤーネブリングや彼を慕う部下、介護士のマディルダ、長兄から派遣されたロシア人の若者マキシム・マカロフ、妹婿で元公認会計士のアルフ・フルトなどの力を借り、25年前の未解決事件を追うのだが、思ったより簡単に犯人にたどり着くのはちょっと拍子抜け。この辺りは、当時の捜査責任者がエーヴェルト・ベックストレームという事実をよく知っている人ならあっさりと頷くところなのだろうか。
 ここから先の話は、個人的には不満の残るところもあるのだが、これもまた一つの道なのだろう。結構重い内容の仕上がりになっており、特に最後についてはいろいろと考えてしまった。
 結局本書は、作者の重要シリーズキャラクター引退作という位置付けの方が強い作品である。それは原題から見てもわかるだろう。読み終わってみるとちょっと長さを感じたが、読んでいる途中は丁寧なのにダレない書き方と魅力的な登場人物たちのせいか、全く気にならなかった。北欧ミステリ重鎮による力作。ただ、先にも書いたが、シリーズの最初から読んでみたかった気はする。そうすれば、登場人物たちの背景から感じ取る内容も、少しは変わったかもしれない。
 あとはお願いだが、5冠獲得というのなら、その5冠の内容をあとがきか解説かどこかで書こうよ。調べるの、面倒だったぞ。




辻真先『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』(東京創元社)

 昭和三六年、中央放送協会(CHK)でプロデューサーとなった大杉日出夫の計らいで、ミュージカル仕立てのミステリドラマの脚本を手がけることになった駆け出しミステリ作家・風早勝利。四苦八苦しながら脚本を完成させ、ようやく迎えた本番。アクシデントを乗り切り、さあフィナーレという最中に主演女優が殺害された。現場は衆人環視化の生放送中のスタジオ。風早と那珂一兵が、不可能殺人の謎解きに挑む! 戦前の名古屋を描写した『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』、年末ミステリランキングを席巻した『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』に続く、〈昭和ミステリ〉シリーズ第三弾。ミステリ作家デビュー作『仮題・中学殺人事件』から五○周年&卒寿記念出版。(粗筋紹介より引用)
 2022年5月、書下ろし刊行。

 シリーズ第三弾は、黎明期のテレビ局が舞台。某国営放送を模したCHKの生放送中の殺人事件という不可能殺人である。過去二作の探偵役である那珂一兵はもちろんのこと、『深夜の博覧会』の主要登場人物である降旗瑠璃子、『たかが殺人じゃないか』の主要登場人物である風早勝利や大杉日出夫らが登場する。
 元NHK局員である辻真先らしく、黎明期のテレビ放映の無茶ぶりが楽しく書かれているのだが、過去二作に比べると少々生々しい。まだ昭和36年には生まれてはいないが、歴史上ではない、リアルタイムに知っている人たちがこれでもかとばかりに出てくるし、聞いたことのあるようなエピソードも出てくる。それが事件に密接に絡み合うのならいいけれど、関係ないエピソードが多いので、読んでいてイライラすること間違いなし(苦笑)。さらに前二作の登場人物の“その後の物語”という趣きも強く、○○と○○が結ばれたのか、という部分での楽しめるのだが、前二作を読んだことが無い人や登場人物をあまり覚えていない人にとっては、退屈なエピソードだよなという感もある。
 それに、殺人事件が起きるのは、250ページを過ぎてから。不可能殺人のように見えるが、いざ解決の段になると面白いものではない。100ページちょっとであっという間に解決してしまうし。一応最後にドラマがあって、伏線が張られていたことはわかるのだが。
 よくよく考えてみると、この三部作はいずれも作者が通ってきた昔話がネタになっている。過去二作は知らないエピソードが多くて楽しめたが、本作は自分にとってはちょっと近かった時代が描かれているので、それほど楽しめなかったということだろう。もっと若い人からしたら、全く知らないエピソードばかりで、楽しめるのかもしれない。ただ、さすがに殺人事件が起きるのが遅すぎた。実在の歴史的事実と殺人のバランスも今回はあまりよくない。まあ、気になっていた登場人物たちのその後を楽しむ作品、と割り切った方がいいかもしれない。
 ちなみにタイトルのセリフは、冒頭とエンディングに出てくる。馬鹿みたいな話と言いながらも、結局は通り抜けてきた道である。呆気ないようで、実はいろいろと意味がありそうな言葉ではあるが、それは作者が読者に考えてみろという謎かけのような気もする。
 後でちょっと思ったのだが、通俗味が強い『深夜の博覧会』、本格ミステリの技巧が楽しめる『たかが殺人じゃないか』、人間ドラマの要素が強い『馬鹿みたいな話!』ということで、探偵小説、推理小説、ミステリと合わせてきたのかな。考えすぎか。




パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』(文春文庫)

 18世紀のパリ。孤児のグルヌイユは生まれながらに図抜けた嗅覚を与えられていた。異才はやがて香水調合師としてパリ中を陶然とさせる。さらなる芳香を求めた男は、ある日、処女の体臭に我を忘れる。この匂いをわがものに……欲望のほむらが燃えあがる。稀代の“匂いの魔術師”をめぐる大奇譚。全世界1500万部、驚異の大ベストセラー。(粗筋紹介より引用)
 1985年、ドイツで発表。1988年12月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。2003年、文庫化。

 ありとあらゆる匂いを嗅ぎ分けることができる男、ジャン=バティスト・グルヌイユの一代記を綴った物語。もちろん、空想の人物だが。性にも食にも衣にも金にも興味はなく、苦痛にも何も感じず、ただ匂いについてのみに執念を傾ける男。舞台が18世紀のパリということもあり、当然のように香水作りに手を染め、瞬く間にありとあらゆる香水をつくるようになり、最高の香水を作るために若い女性を殺して処女の香りを集めていくようになる。
 グルヌイユという人物、ある意味で純粋である。なにしろ匂いのこと以外には何も必要がないからだ。グルヌイユという人物、ある意味で冷酷である。匂いのこと以外には何も必要ないから、何もかも切り捨てていく。彼の生涯に関わり、彼の能力を利用していった者たちは不幸な末路を迎えることになる。主人公であるグルヌイユは、悪人である。ただ本人は、自分の行動が悪であるとは何も思っていない。ただ自らの目的を達成するために一途に生きてきた結果だからだ。変な話だが、そんな主人公に共感してしまった。周りを取り巻く人物があまりにも醜悪で滑稽だからかもしれない。
 香水の文化が発達した、当時のフランスならではの物語。時代背景をうまく取り込んだ物語であり、そして居間につながる当時の文化や歴史を皮肉った物語でもある。ベストセラーになるのもわかる。悪事に手を染めるとはいえ、主人公の成長物語でもあったからだ。面白くて一気に読んでしまった。
 2007年に『パフューム ある人殺しの物語』のタイトルで映画化されたらしいが、最後までちゃんと映像化したのだろうか。何とも衝撃的な最後なのだが、あそこまで演じてもらわないと、本書の面白さと感動が伝わらないだろう。




水上勉『水上勉社会派短篇小説集 無縁の花』(田畑書店)

 本書は水上勉が一九六○年から一九六三年の間に書いた短篇小説から九作品を選んで編んだものである。
 この時代の水上は『霧と影』(一九五九年)でいわば二度目のデビューを飾り、『海の牙』(一九六○年)で日本探偵作家クラブ賞を、『雁の寺』(一九六一年)で直木賞を受賞、そして『飢餓海峡』(一九六三年)を発表するという充実期に入っていた。読書界は推理小説ブームを迎えており、その中で過去の『フライパンの歌』(一九四八年)のような私小説路線から松本清張と並ぶ社会派推理小説(当時の言い方だと「社会派」)の作家へと転じた水上は、一躍売れっ子作家となったのである。
 本書に収めたのは、この「社会派」時代に数多く発表された短篇小説である。『飢餓海峡』が代表的だが、水上の社会派推理小説には長編に傑作が多いことが知られている。しかし、こららと並行して矢継ぎ早に発表された短篇にも、現代から見て価値の高いものが多い。これらは多くが絶版でまたおそらく水上の意思で全集未収録であったが、そのまま埋もれさせるには惜しいと考え新編集での単行本化を企画した次第である。
 現代の推理小説はトリックの面白さ、謎解きの見事さを競ういわゆる「本格」の系譜に人気の中心があるようだが、これに対して「社会派」は犯罪者がその事件を起こした動機を重視するもので謎ときに主眼はない。さらに、当時の「社会派」は純文学と大衆文学の間を狙った「中間小説」の成立の中で、間口の広い芸術小説を目指した、いうなれば戦後の「純粋小説」(横光利一)運動であり、ルポルタージュなど小説以外の作品をも包含する呼称であった。とりわけその一翼を担った水上の「社会派」小説は、純粋なジャンル小説とは異なる物語性や問題意識に満ちている。そのような認識から、本書のタイトルには現在一般に用いられている「社会派推理小説」「社会派ミステリー」ではなく「社会派」のみを冠することとした。

(「刊行にあたって」より抜粋)



 昭和20年2月24日の大雪の朝、日本海側のP県S郡にある猿ヶ嶽国民学校の家政科教師津見菊枝は山上にある分教場に向かっていた。出発したはずの津見が、助教水島勇吉と生徒が待つ分教場に着いていないことがわかったのは雪がやんだ27日のことだった。津見は分教場に向かう途中の山の窪地で死体となって発見された。昭和19年4月から、途中入隊除隊を挟んで20年9月まで、故郷の青郷国民学校高野分校に代用教員として勤めた水上自身の体験を基に書かれた作品。「雪の下」。
 昭和12年11月末の夜、京都の六孫王神社で起きた殺人事件。偶然現場を通りかかった近所の屑物回収業の田島与吉は、落ちていた凶器の包丁を拾ったことから殺人犯として逮捕される。冤罪は晴れたが、厳しい検事の取り調べで衰弱した与吉は、釈放後一人娘で6歳の蝶子を残し死亡。20年後、成長した蝶子は上七軒で芸妓となっていた。「西陣の蝶」。
 福井県大飯群岡田の西方寺に残る無縁仏の過去帳。そこに書かれていた昭和12年5月に縊死した女性の身元の手がかりは「宮川町、島」と書かれていた御守りのみ。同じ頃に京都で青春時代を過ごし、宮川町遊郭でも遊んだことのある作者はその縁から彼女の身元を調べ始める。当時の巡査を訪ねた作者は、女性がある男性のもとを訪ねていたことを知る。「無縁の花」。
 疎開先から終戦早々に上京し、浦和に住みはじめた瀬野誠作きみ子夫妻。昭和23年、失職した誠作に代わってきみ子は日本橋のダンスホールに勤め、人気を呼び、羽振りが良くなる。きみ子は、故郷から姉を呼び、浦和の崖下の一角に家を建てることを考える。そんな時、きみ子はダンスホールの常連客佐沼からあることを頼まれる。昭和23年、神田から浦和に移り住んだ水上の体験をもとにした作品。「崖」。
 昭和20年8月1日、第二小隊第五分隊所属の瀬木音松は、宇治黄檗山万福寺に向かって行軍をしていた。招集されたばかりの寄せ集め部隊には、左眼に大きな傷を負った片目の男がいた。休憩中、彼は自分の眼を傷つけたのは畠山軍曹だと話し、強い憎しみを瀬木に語る。休憩後、行軍が再開されてしばらくすると、部隊後方から叫び声が聞こえてきた。昭和19年に召集され輜重隊に所属した時の体験をもとにしている。「宇治黄檗山」。
 昭和3X年10月12日の夕刻、佐渡の宿根木から沖に漕ぎ出た漁師が、岩陰に浮かぶ大きな木箱を発見する。中から現れたのは美しい女性の絞殺死体だった。現場に駆けつけた新潟県警の多田利吉は、女性が着ていたゆかたを唯一の手がかりに捜査を開始する。と同時に新潟大学の内浦保教授から、民間伝承として伝わる死体を入れた舟「うつぼ舟」の孫自在を知らされる。「うつぼの筐舟」。
 福井県南部の山岳地帯の寺泊部落に住む古茂庄左とさと夫妻。渓下の日蔭田のつらい労働にも仲良く精を出す評判の夫婦だった彼らだったが、ある時以来、さとの姿が見えなくなっていた。近所の人が庄左に問いただすと、さとは神護院に参詣に行って留守なのだと答えた。だがいつまでも帰ってこないことを不審に思った知人が家を訪ねると庄左は意外な言葉を口にした。水上本人が気に入っている作品で、作中の沼や田んぼは幼少時代の記憶をもとにして書いたのだという。「案山子」。
 昭和26年4月26日に那智滝に無理心中した二人の男女。男は輪島に住む漆工、女は京都燈全寺塔頭昌徳院住職の妻だったという。二人の接点はどこにあったのか。「那智滝投身人別帳」を読んだ作者は、そこに書かれた情報をもとに、生前の二人の足取りを調べ、その結果を語り始める。「奥能登の塗師」。
 昭和1X年の10月2日、京都にある真徳院は17歳の少女によって放火された。京都神崎村出身の孤児だった彼女は、真徳院近所の下駄屋で下女をしていた。片目が不自由だが美しい彼女は真徳院に散歩に出かけるうちに、ある一人の寺の小僧と親しく言葉を交わすようになっていた。この作品は昭和37年に起きた壬生寺の放火事件から着想を得て書かれている。「真徳院の火」。(すべて粗筋紹介より引用)
 他に角田光代「序 時代と場所と水上勉」、野口富士男による水上論「慕情と風土」を収録。
 2021年10月、刊行。

 「社会派」の代表的作家であった水上勉の、全集・単行本未収録を含む社会派短編小説傑作選。
 作者の生まれ故郷である福井県、そして最初に奉公に出された京都を舞台にした作品が多い。ここに出てくる登場人物は、いずれも弱者ばかりである。それも時代や地域、慣習などに縛られた人が多い。そして弱者は最後まで弱者である。そんななか、懸命に生きてきた証と、絶望の果てに手を染めることになった殺人。水上勉は、弱者の悲哀と叫びを書き続けてきたのではないか。そんなことを考えさせられる短編集である。
 確かにミステリに謎とトリックを求める読者からしたら物足りないかもしれない。しかし、小説には人が出てきて、人にはそれぞれの歴史と感情がある。それは日本の歴史には全くかかれない歴史であろう。だがそんな小さな歴史の積み重ねで、世の中は動いている。歴史から見たら名もなき人たちの叫びを、我々は読むことができる。そんな幸せをかみしめられる短編集である。



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