若竹七海『さよならの手口』(文春文庫)
探偵を休業し、ミステリ専門店でバイト中の葉村晶は、古本引取りの際に白骨死体を発見して負傷。入院した病院で同室の元女優に二十年前に家出した娘探しを依頼される。当時娘を調査した探偵は失踪していた――。有能だが不運な女探偵・葉村晶が文庫書下ろしで帰ってきた!(粗筋紹介より引用)
2014年11月、文春文庫より書下ろし刊行。
「仕事はできるが不運すぎる女探偵」葉村晶シリーズ第三作となる書き下ろし長編。前作『悪いうさぎ』から13年ぶりの登場(ただし、短編「蠅男」「道楽者の金庫」に登場している)。31歳だった葉村は40過ぎになっている。住んでいた新宿区の建物は地震で住めなくなって、調布市千川のシェアハウスに引っ越している。長谷川所長が引退して長谷川探偵調査所が閉鎖され、貯金があったので探偵休業中。旧知の富山泰之に頼まれ、吉祥寺のミステリ専門店〈MURDER BEAR BOOKSHOP〉でアルバイト中。先に『静かな炎天』『錆びた滑車』を読んでいたのだが、こういう経緯だったのか(苦笑)。
アルバイト中に白骨死体を発見して負傷という、出だしから不運すぎる。さらに元トップ女優から二十年前に家出した娘探しを依頼されて探し始めると、当時調査した探偵が失踪している。単純な捜査に見えて、どんどんと複雑化していく流れは絶妙。気が付いたら娘探し、失踪した探偵、そして古本屋で知り合った女性の裏と、複数の捜査を一人で追う展開となってしまい、やっぱり葉村は不運としか言いようがない。それでいて、読んでいる方に消化不良を起こさせるような迷走は全くなしという筆さばきは見事。
13年ぶりの書き下ろしということもあってか、作者も相当力が入っている。ただ、気負いを感じさせないところはさすが。素直に脱帽します。やっぱりうまい。ただ、ミステリに関する蘊蓄は、もっと少なくてもいいんじゃないかな。自分もミステリ好きだから楽しく読んでいたけれど、よくよく考えるとそこまで書かなくてもいいような。
イアン・ランキン『黒と青』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
1960年代にスコットランドを震撼させた絞殺魔“バイブル・ジョン”。事件は迷宮入りとなっていたが、それから三十数年、同様の手口の事件が起き、リーバス警部は捜査に乗り出した。はたして伝説の犯人が帰ってきたのか、あるいは模倣犯の仕業か? 折りしもリーバスが昔担当した事件で服役中の囚人が冤罪を訴えて獄中で自殺。警察の内部調査が開始されることとなった。四面楚歌の状況のなか、リーバスの地を這うような捜査が続く。ミステリ界の次代を担う俊英が放つ傑作警察小説、遂に刊行!(粗筋紹介より引用)
1997年、発表。同年、英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞受賞。1998年7月、邦訳刊行。
エジンバラを舞台とするジョン・リーバス警部シリーズ長編第8作目。イアン・ランキンの長編が邦訳されたのは、本作が初めてであった。タイトルはローリング・ストーンズのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』から来ている。
リーバス警部は第1作では若い刑事だったとのことだが、本書では五十男で、クレイグミラー署犯罪捜査部に転勤している。離婚しており、別れて暮らす娘が一人。冴えない見た目であるし、酒は飲みすぎ、煙草は吸いすぎ。上司の命令には従わず、一人で行動するなどの問題児。しかし上司や権力、闇の組織を恐れず、犯罪を悲しみ、部下には優しさを示す。
本書では北海の石油掘削基地の労働者が転落死した事件を追うものの、昔担当した事件の犯人が服役中に冤罪を訴えながらも自殺したため、マスコミの注目を浴びる。しかもその時の捜査の違法性を問われることに。一方、スコットランドでは迷宮入りした過去の連続殺人事件と同様の手口による連続殺人事件が発生しており、さらに麻薬売買に絡む殺人事件も発生。同時に複数の事件が進行するモジュラー型のストーリーだが、どれにもかかわってしまうことで精神的に追い込まれながらも、リーバスは一人で事件に立ち向かっていく。
ハードボイルド風味の警察小説といった感じ。個人的には好きになれないタイプのリーバス警部だが、事件を追いかける執念はすごい。そこに引き込まれた。とはいえ、読んでいて疲れるな、モジュラー型は。ストーリーを把握するのには苦労した。だけどじっくり読みこめば、エジンバラの描写も含め、イギリスの舞台を楽しむことができた。時間があるときに、ゆっくり読むべき作品。
芦辺拓『大鞠家殺人事件』(東京創元社)
大阪の商人文化の中心地として栄華を極めた船場。戦下の昭和一八年、陸軍軍人の娘、中久世美禰子は婦人化粧品販売で富を築いた大鞠家の長男に嫁いだ。だが夫・多一郎は軍医として出征し、美禰子は新婚早々、一癖も二癖もある大鞠家の人々と同居することになる。やがて彼女は一族を襲う惨劇に巻きこまれ……大阪大空襲前夜に起きる怪異と驚愕の連続を描き、正統派本格推理の歴史に新たな頁を加える傑作長編ミステリ!(粗筋紹介より引用)
『ミステリーズ!』No.102~105(2020年8月~21年2月)連載。書下ろしを加え、2021年10月、単行本刊行。2022年、第75回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)ならびに第22回本格ミステリ大賞を受賞。
芦辺拓を読むのは久しぶり。協会賞と本格ミステリ大賞を受賞したので購入し、読んでみることにした。
最初は明治三十九年、パノラマ館で大鞠百薬館創業者の長男、千太郎が神隠しにあう話。続いて大正三年、千太郎の妹である喜代江が番頭の茂助と祝言を挙げる話。最後は昭和十八年、中久世美禰子が大鞠家の長男・多一郎に嫁ぐ話。それらを経て、昭和二十年、大鞠家での連続殺人事件が発生する。
どうも芦辺が書く関西弁は、多分リアルに書いているのだろうが、慣れるのに時間がかかる。特に千太郎が失踪する話は、丁稚の鶴吉のモノローグになっているので、特に読みづらい。ページをめくるのに、時間がかかってしまった。そこさえ過ぎれば、大丈夫なのだが。
昭和二十年の大鞠家にたどり着くまでを丁寧に書いているので、ちょっともどかしいところはあるが、殺人事件が発生してからの展開は緊迫感がある。最後の謎解きまで、目を離すことができないストーリー展開もお見事。謎解きのカタルシスも十分に味わえる。船場の商家や戦時中ならではの背景が、巧妙に取り入れられているのはさすがである。
満を持して書かれた、という感がある。作者の代表作となるであろう傑作。W受賞も当然の結果といえよう。
ボストン・テラン『その犬の歩むところ』(文春文庫)
ギヴ。それがその犬の名だ。彼は檻を食い破り、傷だらけで、たったひとり山道を歩いていた。彼はどこから来たのか。何を見てきたのか……。この世界の罪と悲しみに立ち向かった男たち女たちと、そこに静かに寄り添っていた気高い犬の物語。『音もなく少女は』『神は銃弾』の名匠が犬への愛をこめて描く唯一無二の長編小説。(粗筋紹介より引用)
2009年、発表。2017年6月、邦訳刊行。
ボストン・テランの作品を読むのは初めて。作者は覆面作家とのことで、性別や年齢すら明らかにしていない。
主人公はカリフォルニアのセント・ピーターズ・モーテルで生まれた犬のギヴ(GIV)。飼い主はモーテルの経営者で、ハンガリー移民のアンナ・ペレナ。夫は元パイロットで、アンナの運転中の事故で亡くなった。ミュージシャン志望の兄弟の兄、ジェムはギヴを盗んで連れていってしまう。そこからギヴの苦難の道は始まった。いくつかの事件を経て巡り合った、元アメリカ海兵隊員でイラクからの帰還兵、ディーン・ヒコックは虐待されて逃げ出したものの死にかけていたギヴを拾い、そしてギヴを飼い主に返そうとギヴの辿ってきた道を後戻りしてゆく。
ギヴという犬が気高く勇敢で、そして心優しい。そしてギヴを取り巻く人々がまた色々な傷を負っており、ギヴに対しても様々な感情をぶつける。そしてギヴはその気高い心で、周囲の人を癒していくのだ。時には大きく傷つきながら。いやあ、反則だよとしか言いようがない。こんな犬が主人公なら、心を揺さぶられるしかないじゃないか。最後の救出劇なんて、あざとくても感動するしかない。
ちょいと読みづらい言い回しはあるものの、それさえ慣れてしまえば短めということもあってすいすい読めてしまう。素直に感動に浸りましょう。
島田荘司『星籠の海』上下(講談社文庫)
瀬戸内の小島に、死体が次々と流れ着く。奇怪な相談を受けた御手洗潔は石岡和己とともに現地へ赴き、事件の鍵は古から栄えた港町・鞆にあることを見抜く。その鞆では、運命の糸に操られるように、一見無関係の複数の事件が同時進行で発生していた――。伝説の名探偵が複雑に絡み合った難事件に挑む!(上巻粗筋紹介より引用)
織田信長の鉄甲船が忽然と消えたのはなぜか。幕末の老中、阿部正弘が記したと思われる「星籠」とは? 数々の謎を秘めた瀬戸内で、怪事件が連続する。変死体の漂着、カルト団体と死体遺棄事件、不可解な乳児誘拐とその両親を襲う惨禍。数百年の時を超え、すべてが繋がる驚愕の真相を、御手洗潔が炙り出す! (下巻粗筋紹介より引用)
2013年10月、講談社より単行本刊行。2015年12月、講談社ノベルス化。2016年3月、講談社文庫化。
御手洗清シリーズを珍しく手に取る。舞台が島田荘司の故郷、福山市。後に玉木宏主演で映画化されている。
読んでもがっかりするだろうな、と思いながら読んでいたら、予想通りなので笑った。推理すらなく、ほとんど未来予知としか言いようがないぐらいの先走り発言。全く説明もないのに、反感もなく素直に指示に従う警察。都合よく出てくるヘリコプターや高速艇。舞台が1993年なのに、ほとんどの人が携帯電話を持っている。まだ一般的には知られていないNPOが出てくる。当時はまだ存在すらなかった半グレが出てくる。
当時から突っ込みまくられていたという記憶はあるが、こうやって読んでみると確かにおかしなところだらけ。
それでもトリック満載の本格ミステリになっていたら、まだ読めたのだろうが、目の前にあるのは歴史の謎と、出来損ないのトラベルミステリと、スーパーヒーローによる大捜査線。村上水軍、阿部正弘が記した「星籠」、福山や鞆の紹介、世界中から追われているも尻尾を出していないカルト集団の長、同じ場所に次々と流れてくる謎の死体、田舎で挫折した人たちの半生、謎の赤ん坊誘拐事件、ついでに島田荘司特有の社会批判。全く結びつきそうもない題材をこれでもかと集め、無理矢理結び付けた力業には感心するが、その接着剤が御手洗清ということで全く推理のないまま強引に話が進むところに呆れる。
よほどの御手洗清、石岡和己ファンじゃないと、読むのがきつい。駄作と切り捨ててもいい。『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』のころの輝きはどこへ行った、御手洗清。これだけ文字数を重ねないと物語をつくれなくなったか、島田荘司。まあ、10年前の作品に文句をつけても仕方がないか。
伊坂幸太郎『マリアビートル』(角川文庫)
幼い息子の仇討ちを企てる、酒びたりの元殺し屋「木村」。優等生面の裏に悪魔のような心を隠し持つ中学生「王子」。闇社会の大物から密命を受けた、腕利き二人組「蜜柑」と「檸檬」。とにかく運が悪く、気弱な殺し屋「天道虫」。疾走する東北新幹線の車内で、狙う者と狙われる者が交錯する――。小説は、ついにここまでやってきた。映画やマンガ、あらゆるジャンルのエンターテイメントを追い抜く、娯楽小説の到達点!(粗筋紹介より引用)
2010年9月、角川書店より単行本刊行。2013年9月、文庫化。
『グラスホッパー』に続く殺し屋シリーズの第二弾。前作の登場人物も出てくるが、読まなくても特に支障はない。前作が今一つだったのであまり読む気は起きなかったのだが、ハリウッドで映画化されるというので手に取ってみた。
前作同様、「木村」「王子」「果物」(蜜柑と檸檬)「天道虫」の視点で次々と切り替わり、物語が進行してゆく。文章の癖の強さは相変わらずだが、多少は慣れたのか、それほど苦労せず読むことができた。舞台が東北新幹線の中に限られているからかもしれない。
優等生面の裏で他人を操り悪事に手を占める中学生の「王子」を殺そうとする元殺し屋の「木村」、そして闇社会の大物である峰岸良夫の一人息子を監禁先から救い出し、身代金の入っていたトランクとともに父親へ帰そうとする「蜜柑」と「檸檬」のコンビ、さらになぜかそのトランクを盗むよう依頼された「天道虫」こと七尾。リアリティのない、というか戯画的な登場人物たちが、戯画的な展開を繰り広げる。視覚で楽しむような内容を、文字で楽しむ。それができるのは、伊坂幸太郎だからだ。
徹底的に娯楽だったね、これは。読者がスッキリ楽しめればそれでよし。だから最後どうなったのかも詳細に書かなかったのだろう。余計な教訓なんかいらないし、正義も何もいらない。
さて、これが映画になったらどうなるか。ちょっと楽しみだ。
ルース・ホワイト『ベルおばさんが消えた朝』(徳間書店)
十月のある朝、ベルおばさんは姿を消した。明け方、寝床を出ると、そのままぷっつりと行方がわからなくなったのだ。
それから半年、うちの隣にあるおじいちゃんの家に、ベルおばさんの息子、いとこのウッドローがひきとられてきた。わたしと同じ十二歳。ウッドローは、おもしろいお話をたくさんきかせてくれるし、人の心の動きにも敏感な、ふしぎな魅力をもつ男の子だった。ウッドローなら、ベルおばさんが消えた謎について、なにか知っているのかもしれない……。
かわいらしい顔立ちと長くのばした美しい髪のせいで、本当の自分をわかってもらえないと苦しむ、父親を亡くした少女と、母親失踪の秘密を胸に抱く少年。ふたりの友情を軸に、それぞれが心に負った傷をいやしていくさまを繊細に描いたニューベリー賞オナーブック。五○年代アメリカの山間の小さな町を舞台にした感動的な物語。(粗筋紹介より引用)
1996年発表。2009年3月、邦訳単行本刊行。
羽生飛鳥がインタビューの中でマイベストミステリ海外部門としてタイトルを挙げていたので、興味を持って購入。しかし読むのは買ってから1年後(苦笑)。
作者のルース・ホワイトは、バージニア州生まれ。学校教師、学校図書館員を経て、公共図書館に勤務。他の著書に『スイート川の日々』がある。
舞台は作者の生まれと同じバージニア州のアパラチア地方。主人公の少女はジプシー。幼いころに父親のエイモスを亡くし、母親ラブの再婚相手のポーターのことは気に入らずに無視している。母親の妹、ベルが1953年10月のある日曜日、山の上にある小さな谷の家の寝床を早朝五時に出たまま行方が分からなくなった。部屋を出たときは靴を履いておらず、着ていたのも薄い寝間着だけ。昼間着る服と靴は全部、いつもの場所に置いたまま。山の捜索は行われたが誰も見つからず、町を寝間着とはだしで歩いていた人も見つからなかった。家の周りに不審な足跡もないし、夫で炭鉱夫のエヴェレットも、屋根裏部屋で寝ていた息子のウッドローも、不審な物音を聞かなかった。
冒頭から不思議な謎が提供されるも、その後はジプシーの家の隣に住む祖父母の家に引き取られたウッドローとの交流に重点が置かれる。やはり児童小説なのだな、と思いながら読んでいた。確かに12歳のころの少女は多感な時期で、まだまだ子供でありながら、大人の階段へのステップに躊躇するところもある。ウッドローも母親失踪という心に傷を負っている。ある意味無邪気、ある意味残酷な子供たちの世界の、成長物語であった。アパラチア地方の舞台もふんだんに盛り込まれ、当時のアメリカの地方の風景が見事に切り取られた作品である。
最後におばさん失踪の謎も解かれるが、ある重大な事実が隠されていることもあり、さすがに本格ミステリというには躊躇される。しかし、ミステリへの目覚めという意味では面白い。
とまあ、結局ミステリファンの目線で読んでしまったが、小中学生が読む分には十分面白いんじゃないかな。
羽生飛鳥『揺籃の都』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)
治承四年(一一八○年)。平清盛は、高倉上皇や平家一門の反対を押し切って、京から福原への遷都を強行する。清盛の息子たち、宗盛・知盛・重衡は父親に富士川の戦いでの大敗を報告し、都を京へ戻すよう説得しようと清盛邸を訪れるが、その夜、邸で怪事件が続発する。清盛の寝所から平家を守護する刀が消え、「化鳥を目撃した」という物の怪騒ぎが起き、翌日には平家にとって不吉な夢を喧伝していた青侍が、ばらばらに切断された屍で発見されたのだ。邸に泊まっていた清盛の異母弟・平頼盛は、甥たちから源頼朝との内通を疑われながらも、事件解決に乗り出すが……。第四回細谷正充賞を受賞した話題作『蝶として死す』に続く、長編歴史ミステリ―。(粗筋紹介より引用)
2022年6月、書下ろし刊行。
前作『蝶として死す』でスマッシュ・ヒットを飛ばした作者の、初の長編ミステリ。前作と同様、平清盛の異母弟であり、父忠盛の正室の子である平頼盛が主人公である。
前作が第四回細谷正充賞を受賞としたとあるが、聞いたことがなかったのでどんな賞かと調べてみると、一般社団法人文人墨客が主催で、前年の9月からその年の8月に刊行された本を対象に、文芸評論家の細谷正充が選んだ5作品が対象とのこと。申し訳ないが、初めて聞いた。
平清盛が福原に遷都していた時期の話。粗筋紹介に書かれている事件に加え、清盛の飼い猿である福丸が殴り殺される、さらに消えた守護刀の小長刀を取り上げた神から返してもらうべく、祈祷所で祈っていた七歳の小内侍が翌朝、逆さ吊りにされて重体となる事件も発生。なぜか祈祷所からは頼盛が使う香の匂いが濃厚に残っていた。しかし、小内侍が吊るされたと思われる時間帯は、頼盛は甥の宗盛・知盛・重衡と祈祷所の前で食事をしながら出てくるのを待っていたし、その後は寝所にいて部屋を出なかったのは、警護をしていた蝙蝠衆が確認している。祈祷所の周りの雪には足跡一つなく、さらに警護隊も見張っていた。そして祈祷所の扉には、清盛が書いて封をした札が貼られたままになっていた。
複雑怪奇、さらに不可能犯罪が同時かつ立て続けに発生。話し合いや調査によってそれぞれの行動や持ち物を覚書に書き記す、本格ミステリ特有の事件のまとめ書きも使われる。トリックそのものは既存の応用であるが、平安時代という舞台ならではの脚色が、読者の目くらましとなっている。それぞれの会話や覚書の中に、謎を解く重要な手掛かりが隠されている、フェアプレイに徹した謎解き。さらに頼盛と知盛との推理合戦。これでもかというばかりの、本格ミステリのガジェットがそろっている。そして元々清盛に疎んじられていることに加え、挙兵した源頼朝と繋がっているのではないかと一門から疑われている四面楚歌の状況で、一つ間違えれば清盛たちに犯人との濡れ衣を着せられるタイムリミットサスペンスの面白さも加わっている。
さらに、史実が物語の中に絶妙に織り込まれている。家来も含めた実在の登場人物に加え、厳島大明神の小長刀(宝刀)といった小道具、さらに知盛が「万死に一生」の重病となったことや重衡が琵琶を弾くなど、当時の日記や歴史書、軍記物語に書かれているエピソードも巧みに盛り込まれている。在学中は日本中世史を専攻し、平頼盛を研究対象にしていたという作者でなければ、ここまで書けなかったであろう。清盛たちはこういう人物だったのだろう、と読者に納得させてしまう人物描写も見事。私たちが頭の中に浮かべている人物像に、作者の知識に基づいた創造部分が巧みにブレンドされているところが凄い。そして、歴史ミステリならではの面白さも控えているのだ。よくぞここまで考え抜いたものだ。文体が軽いという人がいるかもしれないが、これはあえて読みやすくした結果だろう。
前作で完結している平頼盛を主人公にしたということでそれほど期待はしていなかったが、良い意味で裏切られた。あえて書かなかったところも含め、歴史ミステリと本格ミステリが濃厚にブレンドされた傑作。今年のミステリベスト候補間違いなし。
佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)
メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へ向かった。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年、土方コシモは、バルミロに見いだされ、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく。海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国の恐るべき神の影がちらつく。人間は暴力から逃れられるのか。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。(帯より引用)
『カドブン・ノベル』2020年12月号に第一部掲載。第二部以降を書き下ろし、2021年2月、単行本刊行。同年、第34回山本周五郎賞受賞、第165回直木賞受賞。W受賞は2004年、熊谷達也『邂逅の森』(文藝春秋)以来17年ぶり。
分厚くてなかなか手に取る勇気がなかったのだが、遠方出張が入ったので新幹線の中で読もうと発奮。
主人公って誰なんだろう。メインとなるのは次の二人。メキシコからの密入航者の母と暴力団幹部の父を持つ少年、土方コシモ。メキシコの麻薬密売のカルテル、ロス・カサソラスの幹部で、他組織につぶされて復讐を誓うカサソラ四兄弟の三男バルミロ・カサソラ。他にもカサソラ四兄弟の祖母で、アステカの儀式が受け継がれた村育ちのリベルタ。元天才心臓血管外科医で、新たな臓器ビジネスのアイデアを持っている末永充嗣。ドラッグ中毒の元保育士、宇野矢鈴。ペルー人の父と日本人の母を持つナイフ作りの天才、座並パブロ。個性的な人物たちが次々と登場する。
これらの登場人物の経歴が時には手短に、時には生から詳細に書かれて平行に進むものだから、いったい何が軸になっているのかわからないまま、ページが進んでいく。圧倒されてしまう暴力とドラッグの渦。それでも目を離すことができない魅力が物語から生まれてくる。
メキシコから逃れたバルミロが新たな臓器ビジネスに乗り出すまでの過程については、所々で簡単すぎるぐらいの文章で流される部分があるので、実際にここまでスムーズに進むとは思えない。だけど読んでいる分には、そんなことはどうでもいいのだ、というぐらいに面白い。ただし、人によっては冗長と感じる部分があるのも事実で、これは好みだろうと思う。
タイトルの“テスカトリポカ”とは、永遠の若さを生き、すべての闇を映しだして支配する、「煙を吐く鏡」という神である。アステカ文明・神話と現代が絡み合う暗黒物語。ただ、結末に至る流れは、思っていたストーリーと違う残念な方向だった。今まで積み重ねてきたものは何だったのか、と言いたくなるのだが、文明の終わりって考えてみるとこんなものだよな。そういう歴史的事実をあえて現代に投影したのかもしれない。
もうちょっと暴走癖を押さえてもらえると、もっと面白くなるんだよな、と思いながらも、この行き過ぎたストーリーこそが作者の魅力なんだろうと感じてしまう。読者を選ぶ作品ではあるが、楽しめて満足。
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