シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』(東京創元社)

 十二歳のテッドは、いとこのサリムの希望で、巨大な観覧車ロンドン・アイにのりにでかけた。テッドと姉のカット、サリムの三人でチケット売り場の長い行列に並んでいたところ、見知らぬ男が話しかけてきて、自分のチケットを一枚ゆずってくれると言う。テッドとカットは下で待っていることにして、サリムだけが、たくさんの乗客といっしょに大きな観覧車のカプセルに乗り込んでいった。だが、一周しておりてきたカプセルに、サリムの姿はなかった。サリムは、閉ざされた場所からどうやって、なぜ消えてしまったのか? 人の気持ちを理解するのは苦手だが、事実や物事の仕組みについて考えるのは得意で、気象学の知識は専門家並み。「ほかの人とはちがう」、優秀な頭脳を持つ少年テッドが謎に挑む。カーネギー賞受賞作家の清々しい謎解き長編ミステリ!(粗筋紹介より引用)
 2007年6月、イギリスで刊行。2008年、アイルランドのビスト最優秀児童図書賞(現・KPMGアイルランド児童図書賞)受賞。2022年7月、邦訳刊行。

 作者のシヴォーン・ダウドは1960年、ロンドン生まれ。オクスフォード大学卒業後、国際ペンクラブに所属し、作家たちの人権擁護活動に長く携わる。2006年、"A Swift Pure Cry"でデビュー。ブランフォード・ボウズ賞とエリーシュ・ディロン賞を受賞。本作品は二作目で、作者はこの2か月後、乳癌で亡くなっている。その後、未発表のYA作品が次々に刊行され、2009年にカーネギー賞を受賞。2012年にも原案作品がカーネギー賞を受賞している。
 主人公のテッドは作中で「症候群」などと自分のことを言っているが、訳者あとがきによるとアスペルガー症候群(今では自閉スペクトラム症と呼ばれる)ではないかとのこと。たまには喧嘩もあるが、両親も姉のカットもテッドのことを愛しており、そしてテッドも彼らを愛している。
 事件の謎そのものは、観覧車ロンドン・アイに乗ったはずのいとこのサリムが消えてしまった、という単純なもの。ただ消えた謎だけでなく、どうして消えたのか、そしてどこへ行ったのかという謎が加わり、事件は混迷していく。
 テッドは謎に対する八つの仮説を挙げる。中には大人が聞いただけでバカバカしいと怒り出す物もあるが、あっという間に組み立てできるテッドの頭脳はたいしたもの。そしてなんだかんだ言いながらテッドの言葉を信用し、まずは行動に移す姉のカットも素晴らしい。時には大人との壁を感じながらも、事件に挑む二人の姿は読んでいて楽しいし清々しい。
 読み終わってみると、事件の伏線が丁寧に張られていることに気付く。テッドの推理の過程も子供らしいたどたどしさはあるものの、論理的である。本格ミステリとしての骨格はしっかりしており、主要人物に悪人がいるわけではないので、読後感は非常に良い。今年の収穫の一冊といってもいいだろう。本作の続編を、本作品の序文を書いたロビン・スティーヴンスが完成させたとのことなので、楽しみにしたい。
 ただ、大人が薦めそうなYAという気がしなくもない。嫌な言い方をすれば、いい子ちゃん過ぎる作品。まあそれは、作品の価値には何の関係もない話だけれど。




桐野夏生『残虐記』(新潮文庫)

 自分は少女誘拐監禁事件の被害者だったという驚くべき手記を残して、作家が消えた。黒く汚れた男の爪、饐えた臭い、含んだ水の鉄錆の味。性と暴力の気配が満ちる密室で、少女が夜毎に育てた毒の夢と男の欲望とが交錯する。誰にも明かされない真実をめぐって少女に注がれた隠微な視線、幾重にも重なり合った虚構と現実の姿を、独創的なリアリズムを駆使して描出した傑作長編。(粗筋紹介より引用)
 『週刊アスキー』2002年2月5日号~6月25日号連載。加筆修正のうえ、2004年2月、新潮社より単行本刊行。同年、第17回柴田錬三郎賞受賞。2007年8月、文庫化。

 小海鳴海は16歳でデビューし、著名な文学新人賞を受賞。その後も問題作を発表し、様々な賞の最年少記録を塗り替え、早熟な大家と呼ばれる。しかし35歳のいまでは文芸誌には原稿を書かず、女性誌やPR誌にエッセイを書いて糊口を凌いでいる。その小海が『残虐記』という手記を残して失踪した。自分は小学4年生の時に誘拐され、1年以上監禁された被害者であった。その犯人から手紙が届き、主人公は手記を残して失踪する。
 うーん、読み終わってみてももどかしさが残る。誘拐した男と少女との関係は、男が妄想しやすい内容とそれほど差があるわけではない。そこに色々な内容を付加しているのだが、かえって空々しい物語になっている。
 本来なら、もっと主人公の葛藤、妄想などが書かれてもいいのではないか。主人公が「性的人間」というのなら、もっとそれらしい世界観の妄想が必要。また、主人公を取り巻く人々に、もっと筆を費やしてもいいのではないか。あまりにも物足りなく、あまりにも呆気ない。これを読者の想像で補えというのは、あまりにも突き放しすぎだろう。
 短すぎる、筆不足のことばに尽きる作品。




白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』(新潮社)

 病気も怪我も存在せず、失われた四肢さえ蘇る、奇蹟の楽園ジョーデンタウン。調査に赴いたまま戻らない助手を心配して教団の本拠地に乗り込んだ探偵・大塒は、次々と不審な死に遭遇する。だが「密室」殺人でさえ、奇蹟を信じる人々には、何ら不思議な出来事ではない。探偵は論理を武器に、カルトの妄信に立ち向かう。「現実」を生きる探偵と、「奇蹟」を生きる信者。真実の神は、どちらに微笑むか?
 2022年9月、書下ろし刊行。

 評判が良いので手に取ってみた。『名探偵のはらわた』の続編かと思ったが、同じ世界ではあるものの前作が2015年だったのに、本作はそれより40年近く過去に遡る1978年11月が舞台。なので前作を読まなくても全く問題はない。副題が「人民教会殺人事件」とあるが、実際にアメリカにあったカルト集団人民寺院をもとにしている。
 人民寺院についてはオウム真理教が話題になったころにちょっとだけ読んだことがあるのだが、詳しくは覚えていない。ただ、ジョーンズタウンにおける900人以上の集団自殺は知っていた。なんで今更この事件を取り上げるのだろうと不思議に思っていたが、結末まで読んで納得。この舞台でないと、このミステリは成り立たない。
 助手で大学生の有森りり子が人民教会によるジョーデンタウンまで調査に行ったまま帰らないので、探偵、大塒崇が取り戻しに乗り込む。このりり子と大塒の関係が面白い。この複雑な関係が推理に影を落とすのだから、よく考えたものだ。さらに不思議な状況下でも、奇蹟の一言で済ましてしまう世界でどう謎解きをするのか。
 カルト宗教を信じ切っている信者たちの発言にイライラしながら話は進んでゆく。立て続けに起きる悲劇。どうまとめるのかと思ったら、まさかの解決編150ページ。まさかの多重推理。まさかの犯人。まさかの解決。いやあ、すごい。これはすごい。実在の舞台に、実在の事件も加味し、よくぞこれだけの謎解きを仕立て上げたと感動。
 本格ミステリファンならこれを読まなきゃ、という作品。ただ、本格ミステリに興味がない人が読んだら、退屈なだけだとは思う。適当に推理をこねくり回しているだけじゃないか、と言われても仕方がない。それに現実の事件を使わないと、カタストロフィの説得力が成り立たない。そんな作品でもある。何の知識も無しにこのような舞台を作り上げても、絵空事と簡単に切り捨てられそうだ。
 『名探偵のはらわた』の次にこの『名探偵のいけにえ』を書いたのは、おそらく次の作品に何らかの関係があるのだろう。ということで、やっぱり読むなら出た順番がいいかな。




白井智之『名探偵のはらわた』(新潮社)

 稀代の毒殺魔も、三十人殺しも。日本犯罪史に残る最凶殺人鬼たちが、また殺戳を繰り返し始めたら――。新たな悲劇を止められるのはそう、名探偵だけ! 善悪を超越した推理の力を武器に鬼の正体を暴き、そして、滅ぼせ!(粗筋紹介より引用)
 2020年8月、書下ろし刊行。

 「【記録】」「神咒寺事件」「八重定事件」「農薬コーラ事件」「津ヶ山事件」「顛末」を収録した連作短編集。作者の書くものはグロいと聞いていたので敬遠していたが、『名探偵のいけにえ』が傑作との話だったので、前作から読んでみる気になった。
 なんともまあ、粗筋の書きにくい作品。特殊設定下の本格ミステリで、しかも実在事件に似せながらも異なる内容で、さらに現代で新たに挑むという展開。まずは第一話を理解しないと、先には進めない。ここさえ過ぎれば、名探偵の推理を楽しむことができる。ただ、無理に実在事件を使わなくてもよかったんじゃないかと思うのだが、この辺りは作者に聞いてみないと何とも言えない。
 身構えていたがそれほどグロい内容はないし、推理も割とあっさりめ。登場人物はちょっと強烈だが、着いていけないほどではない。ただ、作者が何をやりたいのかが、今一つ見えてこなかった。過去の実在事件に新しい光を当てたかったわけではないだろう。実際の事件とは異なる部分もあるわけだし。
 「【記録】」にはファイルが7つあるのに、全部出てくるわけではないのはちょっと興覚め。やはりこれは、続編があるのだろうか。そうすれば、作者のやりたかったことが見えてくるかもしれない。




アンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』(創元推理文庫)

『メインテーマは殺人』の刊行まであと3ヵ月。プロモーションとして、探偵ダニエル・ホーソーンとわたし、作家のアンソニー・ホロヴィッツは、初めて開催される文芸フェスに参加するため、チャンネル諸島のオルダニー島を訪れた。どことなく不穏な雰囲気が漂っていたところ、文芸フェスの関係者のひとりが死体で発見される。椅子に手足をテープで固定されていたが、なぜか右手だけは自由なままで……。傑作『メインテーマは殺人』『その裁きは死』に続く、<ホーソーン&ホロヴィッツ>シリーズ最新刊!(粗筋紹介より引用)
 2021年、イギリスで刊行。2022年9月、邦訳刊行。

 <ホーソーン&ホロヴィッツ>シリーズ3作目。戦時中はナチスに占領され、オンライン・ギャンブルの世界的な中心地のひとつであるオルダニー島で開催された文芸フェスでの殺人事件。文芸フェスといっても、テレビに出ている料理人、霊能者、島在住の歴史家、児童文学作家、フランスの朗読詩人というよくわからない面子。最もホーソーン&ホロヴィッツの場合は探偵であるホーソーンが主役で、ホロヴィッツはおまけ。イギリスの文芸フェスってこういうものなの? よくわからない。
 物語はテンポよく進むし、いかにも犯人らしい人物が普通に登場。ホーソーンの切れ味は相変わらずだし、ホロヴィッツの片想い(苦笑)ぶりも相変わらず。ホロヴィッツが危険にさらされなかった点がいつもと違うところか。あれ、これで終わりかと思ったところで始まる謎解きはさすが。伏線回収も見事。
 ただ過去の二作品と比べると、物語の起伏がやや平坦。あまりにもスムーズに結末まで進んでしまった。ホーソーンの過去が少しずつ明らかになっていく面白さはシリーズものならではだが、逆にそれがなかったら退屈だったと思う。
 シリーズものとしては安定した面白さではあったが、過去二作に比べるとちょっと物足らない。逆に言うと、このレベルで物足らないというぐらい、過去の二作が傑作だったということなので、贅沢な要求ではある。ホーソーンの謎も含め、次作も結局手に取ってしまう引きは大したものだ。




吉田友美『現代の探偵・スパイ名鑑』(KOSAIDO BOOKS)

 本書は、日本で翻訳されている欧米の推理、冒険、スパイ、警察小説の『シリーズ・キャラクター』を集めた本です。
 収録の基準は①1980年以降に日本に登場したもの②登場年はそれ以前にさかのぼるが、80年代に顕著な活動を示したものとなっています。
 シリーズ・キャラクターですから、同一人物が最低二冊以上に出ていることが条件で、また、あくまでも日本への登場、日本での流通が基準となっているので、まだ一点しか翻訳・刊行されていないものは割愛しました。(「はじめに」より引用)
 「ザ・ヒーロー」「ザ・ヒロイン」と題して、東京新聞の読書欄に1988年10月から2年間わたって連載されたものに加筆。1991年1月、刊行。

 「はじめに」に書いてある通り、翻訳ミステリのシリーズキャラクター100名を紹介している一冊。紹介内容は(1)国籍(2)住所(3)年齢(4)職業(5)特徴(6)作品(7)作者。当然(5)と(6)にほとんどのページを費やしている。基本的に1人2ページで、スティーヴ・キャレラやバーナード・サムソン、スペンサー、ジョージ・スマイリーなどは4ページ紹介されている。
 1980~1990年が中心なので、全然知らない作者やキャラクターがいる(苦笑)。単に不勉強なのだが、こんな作者やキャラクターがいたんだ、という驚きがあった。そして、今も買えるのだろうか、と思わず調べてみたくなった。さすがにやめたが。
 しかしこれを東京新聞に連載していたのかと思うと、どれだけの読者が読んでいたのか気になった。本になるぐらいだから、反響はあったのだろうなあ。
 こういうのって、今読むとかえって貴重じゃないだろうか。多分ミステリ辞典でも読まなければ目に触れることがないだろうな、などと思ってしまう人たちが結構いた。当時の翻訳ミステリを調べたい人にとっては、結構役立つガイドかもしれない。特徴を説明するため、ちょいと軽いネタバレになってしまうところは気にかかるけれど。




東川篤哉『仕掛島』(東京創元社)

 岡山の名士が遺した二通の遺言状。一通目の遺言状に従って、一族の面々は瀬戸内の孤島・斜島に集められた。行方を晦ましていた怪しげな親族までもが別荘『御影荘』に招かれて奇妙な空気に包まれるなか、もう一通の遺言状は読みあげられた。翌朝、相続人の一人が死体となって発見される。折しも嵐によって島は外界から隔絶される事態に。相続人探しの依頼を受けていた私立探偵・小早川隆生と遺言執行人の代理を務める弁護士・矢野沙耶香、ふたりは次から次へ奇怪な事件に巻き込まれていく。鬼面の怪人物の跳梁、消える人影、そして一族が秘密にしていた二十三年前の悲劇――続発する怪事の果て、探偵たちの眼前に驚愕の真相が現出する!
 本屋大賞作家が満を持して放つ、謎解きの興趣を隅々まで凝らした長編ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ1』No.76(2016年4月)~No.87(2018年2月)連載。改稿のうえ、2022年9月刊行。

 『館島』からえーと、何年後という設定になるんだ? とにかく舞台は2018年。一応前作から三十年後くらいという設定、でいいのか。前作を読んでいなくても、全く支障はない。
 東川篤哉らしいユーモアは健在。お調子者の探偵と、ツッコミ係の美人弁護士の即席コンビがドタバタを繰返しながら謎を解く展開。当然のことながら、館ものにふさわしいどでかい仕掛けも用意されている。そんな推理をするだけの材料があったのだろうかと考えてしまうのはさておき、怒涛の謎解きは迫力があるし、最後にほろっとするところがあるのはさすが。
 ただ、こんなバカバカしい仕掛け、わざわざ準備するだろうか、という根本的なところにツッコミを入れたくなってしまう。それに動き出した時点で音や振動でばれないか? それに警察を招くようなやり方するかな。過去の事件の後始末が台無しじゃないか。そもそも、二十三年前の事件の動機って明かされていたっけ?
 面白く読めるけれど、バカバカしいと思うかどうかが、この作品の評価の分かれ目になると思う。まあ、このバカバカしさが東川篤哉の魅力と言ってしまえばそれまでなんだけど。最近気付いたし、全部読んでいるわけではないのだけれども、ここ数年の東川篤哉って「謎が解かれる」という面白さがないんだよね。ドミノ倒しで言うと、パタパタ倒れる面白さはあっても、倒れた後に完成される絵がないというか。「本格ミステリ」というよりも「トリックのあるドタバタコメディ」にウェイトを置きすぎ。




歌野晶午『首切り島の一夜』(講談社)

 壮年の男女と元教師が四十年ぶりに修学旅行を再現した同窓会を企画する。
 行き先は濤海灘に浮かぶ弥陀華島、別名星見島とも言われる離島。
 宴席で久我陽一郎は、当時自分たちの高校をモデルにミステリを書いていたと告白する。
 その夜、宿泊先で久我の死体が発見される。
 折悪しく荒天のため、船が運航できず、天候が回復するまで捜査員は来られない。
 宿にとどまった七人は、一夜それぞれの思いにふける……。
 彼ら一人ひとりが隠している真実は、事件の全容をあきらかにするのか──。(帯より引用)
 2022年9月、書下ろし刊行。

 帯には「十年ぶり渾身の書き下ろし」と書いてある。しかも「二度読み三度読み必至!!」とまで書かれると、何らかの仕掛けがあることは間違いなし。ということで注意しながら読み進める。ところが、登場人物や舞台の説明がなかなか出てこない。離島での同窓会。登場人物たちが酒を飲みながらの会話を続け、少しずつ関係性がわかり始める。ただ、読んでいて個人的に違和感が漂う中で、事件が発生。荒天なので警察が来ることはできない。これはやはりクローズド・サークルものなのかと期待する。さて、ここからどうなると思ったら、登場人物一人一人の過去のエピソードに入ってしまう。
 この登場人物の過去エピソードだが、いずれも色々あった設定になっている。こういうのを読むと、かつて「人間が描かれていない」と新本格が評されていたことへの意趣返しに見えてしまうのは気のせいだろうか。それぞれの登場人物がこの同窓会に参加するまでの追憶自体は面白いのだが、今回の事件とどこにつながるのかさっぱりわからないまま話が進んでしまう。
 最後になって、ある仕掛けがあったことがわかるのだが、正直言って「だから何?」としか思わなかった。違和感の正体はこれか!と判明したのだが、それ以上のサプライズが見つからない。最後まで読み終わって、気付くこと。作者はいったい何をやりたかったんだ?
 久我がかつて書いていたミステリはどこにつながるのだろう。主人公のアナグラムはすぐにわかったのだが、それが今回の事件とどこにつながるのだ? カバーを外したら出てくる小説のエピソードは、何を暗示しているのだ? そもそもこれ、誰が書いたんだ?
 帯にある通り、確かに「二度読み三度読み必至!!」なのかも知れない。少なくとも、作者の仕掛けが成立しているかどうかは確認してしまう。ただ、それ以上のものが見つからない。血染めのタオルとか、回収していない伏線、色々あるよね。
 検索必至の作品です。もしかしたらどこかに読み落としがあるんじゃないか、調べてしまう。だけど、誰も見つけていないみたい。そもそもこれ、「本格」ですらない。謎解きすらない。もやもやしか残らない。「私は作者の意図を全部見抜いてやる」という人にはお薦めできるが、ミステリを楽しみたいという人には薦められない。




トマス・H・クック『死の記憶』(文春文庫)

 時雨の降る午後、9歳のスティーヴは家族を失った。父が母と兄姉を射殺し、そのまま失踪したのだ。あれから35年、事件を顧みることはなかった。しかし、ひとりの女の出現から、薄膜を剥ぐように記憶が次々と甦ってくる。隠されていた記憶が物語る、幸せな家族が崩壊した真相の恐ろしさ。クックしか書きえない、追憶が招く悲劇。(粗筋紹介より引用)
 1993年、アメリカで刊行。クック名義の第11長編。悲劇シリーズ第一作。1999年3月、邦訳刊行。

 主人公のスティーヴ・ファリスは建築士。マリーという妻と、ピーターという息子がいる。35年前の9歳の時、父親のウィリアム(ビリー)が母のドロシー(ドッティ)と兄のジェイミー、姉のローラを射殺し、そのまま失踪した。ある日、作家のレベッカ・ソルテロが本を書くために取材をしたいとスティーヴの前に現れた。レベッカと話をするうちに、当時の記憶が少しずつ甦ってくる。
 読んでいて、地味な男が少しずつ過去の記憶を振り返っていき、父親の内面を探っていくうちに、自らの家族にも悲劇が襲ってくる展開。読んでいて非常に地味だし、ちょっとしたボタンの掛け違いがここまで進むかという点については首をひねるところがあるものの、ひたひたと悲劇が後ろから迫ってくる恐怖の描き方はさすがと思わせる。作者が書きたかったのは、悲劇の真相よりも、その悲劇へ足を進めてしまう人間の闇の部分なのだろう。
 退屈でつまらなくなりそうな話を、ここまで読める話にしてしまう作者の筆の巧さはさすがと思わせるものがある。ただ、もう一つ何か欲しかった気もする。その物足りない部分が何なのかは、わからないのだが。そのもどかしさも含めて、作者らしいのかもしれない。




深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)

 総統の自死、戦勝国による侵略、敗戦。何もかもが傷ついた街で少女と泥棒は何を見るのか。1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅出つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり――ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。最注目作家が放つ圧倒的スケールの歴史ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2018年9月、書下ろし刊行。

 第二次大戦降伏後のベルリンが舞台。いつ読もうか迷っていたが、今、この時期だから読んだ方がいいかなと思って手に取ってみて正解だった。戦争というものの残酷さと虚しさがよく伝わる作品だった。
 最初こそ殺人事件が発生するが、メインの話は戦後のドイツ、ベルリンの風景である。戦争中は政府や軍隊に守られつつも最後は見捨てられ、そして敗戦後は占領軍に蹂躙され、屈辱を受ける。それでも人々はたくましく生き延びようとし、現状に絶望しながらも未来に輝かしい路があると信じて突き進んでゆく。
 国とは何か。そして国民とは。いろいろ考えさせられる話である。果てしなく重い。それでいながら、エンターテインメントな作品にも仕上がっているのだから、大した筆力である。
 戦争を経験していない人が、よくぞこれだけ書けたものだと感心する。しかも、日本ではなく、ドイツである。圧倒されてしまった。その一言に尽きる。




深緑野分『オーブランの少女』(創元推理文庫)

 比類なく美しい庭園オーブランの女管理人が殺害された。犯人は狂気に冒された謎の老婆で、犯行動機もわからぬうちに、次いで管理人の妹が自ら命を絶つ。彼女の日記を手にした「私」は、オーブランに秘められた恐ろしい過去を知る……楽園崩壊に隠された驚愕の真相とは。第七回ミステリーズ! 新人賞の佳作となった表題作の他、醜い姉と美しい妹を巡るヴィクトリア朝犯罪譚「仮面」、昭和初期の女学生たちに兆した淡い想いの意外な顛末を綴る「片想い」など、異なる場所、異なる時代を舞台に“少女"という(ミステリ)を描き上げた、瞠目のデビュー短編集。(粗筋紹介より引用)
 受賞作「オーブランの少女」、『ミステリーズ!』掲載作品「仮面」に書き下ろし三編を加え、2013年10月、ミステリ・フロンティアより刊行。2016年3月、文庫化。

 美しい庭園オーブランで管理人である姉が殺され、妹が自殺した。妹が遺した日記に書かれていた、悲しい過去とは。2010年、第七回ミステリーズ!新人賞佳作「オーブランの少女」。
 ヴィクトリア時代のロンドンの雪の夜。アトキンソン医師は、醜い顔をしたメイドのアミラと、美しい妹で踊り子のリリューシカという二人の少女を救うため、バルベル夫人を自然死に見せかけて毒殺した。「仮面」。
 嵐の日曜の昼、10年近い常連客の男以外には誰もいないレストラン。隣町に住むという一人の少女が飛び込んできて、トマトのサラダを注文した。店主は過去にあったただ一度の過ちを思い出す。「大雨とトマト」。
 昭和の初め。東京の高等女学校の寄宿舎に住む、群馬出身で16歳の岩本薫子。今年の春、長野の高女から編入してきた同室で人気者の水野環とは、凸凹コンビと名付けられる親友同士。ある日、環が外出中に寄宿舎に来たのは、水野家の老女中で、父が退院したのでなるべく早く戻るようにと伝言した。「片想い」。
 ラズトリヤ湖の畔にある小さな漁村で、初老の漁夫が湖から首の無い死体を引き上げた。どうやら数十年前までラズラト河の上流に存在したユヌースクから流れてきた、かつての囚人らしい。その夜、村の唯一の酒場で白髪の吟遊詩人が歌ったのは、首の無い人物も絡んだ、ユヌースクが滅びる直前の出来事だった。「氷の皇国」。

 作者の受賞作を含むデビュー短編集。いずれも少女が物語に絡んでいるが、それ以外は時代も舞台も、そして作風すら異なる五編が収録されている。
 「オーブランの少女」は作者が初めて書いた小説とのことだが、なんだこの巧さは。読み終わって思わず驚いてしまった。これはと思って「仮面」を読みはじめると、前作品の戦時中のフランスからタイムスリップしたかのように時代と舞台が飛んでいき、さらに驚く。そんな驚きと、そして物語の甘美さに酔いしれる五編。いずれも面白く、いずれも意外性があり、そして少女の運命に思いを馳せる。
 どれも面白かったが、どうしても一つを選ぶなら、ちょっと長めの「氷の皇国」。北欧の架空の国を舞台としているが、季節感や人々の暮らしぶりも違和感なく物語に溶け込んでいるし、さらに王家と周辺の人々を巡るドラマティックな展開は感動もの。意外性は抜群で、史劇を思い起こさせる異国の物語にミステリの調味料が掛けられた傑作である。
 こんなに完成度の高い短編集が読めて満足。なんで出版当時に読まなかったのだろうと悔やまれる。



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