クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(早川書房)

「それが、ここに流れてるあたしたちの血。あたしたちは無法者なの」
 アメリカ、カリフォルニア州。海沿いの町ケープ・ヘイヴン。30年前にひとりの少女が命を落とした事件は、いまなお町に暗い影を落としている。自称無法者の少女ダッチェスは、30年前の事件から立ち直れずにいる母親と、まだ幼い弟とともに世の理不尽に抗いながら懸命に日々を送っていた。町の警察署長ウォークは、かつての事件で親友のヴィンセントが逮捕されるに至った証言をいまだに悔いており、過去に囚われたまま生きていた。彼らの町に刑期を終えたヴィンセントが帰ってくる。彼の帰還はかりそめの平穏を乱し、ダッチェスとウォークを巻き込んでいく。そして、新たな悲劇が……。苛烈な運命に翻弄されながらも、 彼女たちがたどり着いたあまりにも哀しい真相とは――? 人生の闇の中に差す一条の光を描いた英国推理作家協会賞最優秀長篇賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2020年、イギリスで刊行。2021年、英国推理作家協会(CWA)賞ゴールド・ダガー賞(最優秀長篇賞)受賞。オーストラリア推理作家(ACWA)賞(ネッド・ケリー賞)最優秀国際犯罪小説賞、シークストン賞最優秀賞受賞。2022年8月、邦訳刊行。

 作者の第三長編。出版当時から話題になっていたが、2022年のミステリ三冠となったので手に取ってみる。
 舞台は2005年6月のカリフォルニア州、ケープ・ヘイヴン。30年前に7歳のシシー・ラドリーを殺害して逮捕されて10年の刑を受け、さらに刑務所内で殺人を犯して20年の刑が追加されたヴィンセント・キングが出所する前日から物語は始まる。主人公は、13歳の“無法者”と自称する少女、ダッチェス・デイ・ラドリー。シシーの姉である母スターと、弟ロビンとの三人暮らし。そしてもう一人の主人公は、ヴィンセントの幼馴染かつ元親友であり、現在はケープ・ヘイヴン警察の所長であるウォーカーである。
 ダッチェスに降りかかる不幸の連鎖、新たな殺人事件とヴィンセントにかかる容疑、ヴィンセントの無罪を信じて動くウォーク。殺人とその解決はあるものの、どちらかといえば人間ドラマを見ているような作品である。世間の無常さと、人としての希望。
 殺人事件の伏線などは丁寧に描かれているし、ウォークがヴィンセントの無実を信じて動き回る姿は、正式な署員は一人しかいない警察署とはいえ、警察小説、刑事小説といえるかもしれない。しかし読者が気になるのは、ダッチェスが救われるかどうかである。
 第一部で殺人事件が起きるが、第二部の舞台に、ダッチェスの祖父ハルが住むモンタナが加わる。ダッチェス、ロビン、スターはハルの許に移り、それぞれの心を癒していく。一方、ウォークは30年前の恋人、弁護士のマーサ・メイと再会し、過去の傷に触れつつも殺人事件の真相を求める。全く別の話が平行線で描かれているようで、実は繋がっている二つの物語。そんな物語が第三部で交わり、第四部の結末へ向かっていく。
 計算された、心揺さぶられる物語。小説の最初から最後まで、作者の想いが太陽の光のように浴びせられている、そんな作品である。どんな不幸でも、どこかには希望がある。孤独なようでも、誰かが自分のことを見ている。運命は絶望ばかりではない。そして、人の心は汚されていても、世界は美しい。
 先にも書いたが、重厚な人間ドラマの長編。これはもう、泣くしかないよな。この作品の登場人物たちに、救いが来ますようにと祈りたくなる作品。傑作と評されるのも当然だろう。




板野博行『眠れないほどおもしろい日本書紀:「書かれた文字」の裏に秘された真実』(三笠書房 王様文庫)

 アマテラス、スサノオ、日本武尊、神武天皇、中大兄皇子、天武天皇…知れば知るほど凄いぶっ飛びのエピソードを、あの藤原不比等のナビで実況中継! 伝説と事件の舞台裏でその時、何が起きたのか――? 古代日本史オールスターズが登場する最古の歴史書『日本書紀』の魅力に迫る本!
 ◎神代からのお約束「告白するのは男から!!」
 ◎オオクニヌシはなぜ「国譲り」を迫られたか
 ◎「三種の神器」を携えて、天孫ニニギ、降臨!
 ◎英雄ヤマトタケルは、なぜかくも悲しいのか?
 ◎実力十分! なぜ中大兄皇子はすぐに即位しなかった?
(粗筋紹介他より引用)
 2022年8月、書下ろし刊行。

 「眠れないほどおもしろい」シリーズ最新刊。天武天皇の命令で編纂され、神代から第41代持統天皇までを取り上げ、39年の歳月をかけて完成された、日本最古の史書『日本書紀』。それをかみ砕きつつ、最新の研究も併せて面白く書かれた解説本。
 わかりやすく書かれているし、特に天皇や藤原一族に忖度して書かれた部分についての反論部分も最新研究に基づいて書かれているから、日本の神話からヤマト時代の歴史について詳しくなれると同時に、現在に残る日本の風習、伝説などにも触れることができる。
 史書と言いながら、辻褄を合わせようと色々無理をしている部分(一部天皇が100歳以上生きているなど)や、天皇の先祖「天孫族」(ヤマト政権)が出雲、熊襲などを滅ぼしていった件などについても突っ込みを入れながらの説明がある。聖徳太子が実在したか(そもそも『日本書紀』にしか名前が出てこない)や乙巳の変の真の首謀者など、日本の歴史で次々と疑念が定義されている点についても触れられている。もちろんすべてが載っているわけではないし、あっさりと触れられているだけではあるので、これ以上のことを知りたいという人に勉強してもらおうという書き方もうまい。
 他のシリーズも読んでみようという気にさせられる。やっぱり日本の古典というのは楽しい。




ボストン・テラン『神は銃弾』(文春文庫)

 憤怒――それを糧に、ボブは追う。別れた妻を惨殺し、娘を連れ去った残虐なカルト集団を。やつらが生み出した地獄から生還した女を友に、憎悪と銃弾を手に……。鮮烈にして苛烈な文体が描き出す銃撃と復讐の宴。神なき荒野で正義を追い求めるふたつの魂の疾走。発表と同時に作家・評論家の絶賛を受けた、CWA新人賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1999年、発表。2000年、英国推理作家協会ジョン・クリーシー・ダガー賞(最優秀新人賞)受賞。2001年9月、邦訳刊行。同年、日本冒険小説協会大賞(海外部門)受賞。

 アメリカの覆面作家、ボストン・テランの処女作。物語としては非常に単純で、粗筋紹介通りの内容そのまま。復讐に燃える刑事のボブ・ハイタワーと、カルト教団「左手の小経」の元メンバー、元麻薬中毒者だったケイス・ハーディンが、ボブの娘ギャビ・グレイをさらった「左手の小経」を追い求める話。
 『その犬の歩むところ』が面白かったので過去に遡って手に取ってみたのだが、ここまで強烈な暗黒小説だとは思わなかった。とにかく暴力、ドラッグ、セックスのパレード。それが妙に飾り付けられた言葉で並びたてられる。それでも不思議に読めるのは、現在形が続く突き放した文体だからか。『その犬の歩むところ』の文体って処女作からだったのね、と妙なところに感心してしまった。ただ、やや荒っぽいことも事実で、正直読んでいて疲れる。
 アメリカならではの描写という気がしなくもない。まあここまで追って、追って、やられて、追っての展開は、ほんとうにしんどい。なぜここまで執拗に、という気もするし、逆にここまで書くから傑作と呼ばれているのかもしれないという気にもなる。好みで評価が非常に分かれるだろうな、とは思う。個人的には悪くなかったのだが、もう少しコンパクトにまとめてほしかったところ。




各務三郎『推理小説の整理学』(かんき出版 Kanki Book)

 元ミステリー・マガジン編集長が、日本で翻訳された推理小説2千冊のなかから100冊を選び解説。推理の楽しさと喜びを満喫の本。(案内より引用)
 1977年7月刊行。

 一 推理小説の歴史と登場する主人公
 二 必読の名作・傑作93選。
 三 読む楽しさを倍増する基礎知識
 四 推理小説をもっと深くきわめたい人へ

 各務三郎による海外ミステリのハンドブック。章タイトルを見れば、どんな内容が収録されているのか大体わかるだろう。
 個人的に勉強になったのは、「リストは手づくりにかぎる」。いわゆる名作などのベストは、あくまで基本図書と考えてかかる方がいい、そして自分の歯の合わぬ作家の作品を蹴って、好みの物だけを読破する方が小説を楽しめる。いつか、あなた自身の名作リストが形成されてくる。うん、仰る通りだ。
 とはいえ、せっかく93選を挙げてくれているので、ここに記す。★★★は読みはじめたら止まらない18名作。★★は読み終わってウーンと唸る40傑作。★は雨の休日、ゆっくり楽しめる35作品。

<パズル(謎解き)小説>
<ハードボイルド>
<警察小説>
<サスペンス小説・犯罪小説>
<冒険小説・スパイ小説>
<短編集>
 「もっと深くきわめるための136冊」もあるのだが、それは本を読んで確認してほしい。さすがにこちらは読んだことのないもの、入手が難しいものが結構ある。




H・H・ホームズ『九人の偽聖者の密室』(国書刊行会 奇想天外の本棚)

 伝説の「さまよえるユダヤ人」を名乗るアハスヴェルが主宰する教団「光の子ら」を糾弾すべく準備を進めていたカルト宗教の研究者ウルフ・ハリガンは、ひょんなことから知り合った作家志望の青年マット・ダンカンの協力を得、二人は「光の寺院」で開かれる教団の集会に参加する。その集会の場で、全身に黄色い僧衣をまとった教祖アハスヴェルは、信者たちとともに「ナイン・タイムズ・ナイン」の呪いを唱え、ウルフの死を予言する。
 その翌日、ハリガン家の家族とクロッケー場でゲームに興じていたマットがふとウルフのいる書斎を見ると、ウルフの机に身をかがめている黄色い僧衣を着た人物の姿が目に入る。窓は施錠されており、邸内の扉から書斎に入ろうとするものの、やはり鍵がかかっていて中に入れない。再び外に出て窓から中をのぞくと、ウルフは顔面を撃たれて床に倒れており、存在したはずの黄色い衣の人物は消え失せていた……。
 この不可解な密室殺人の謎に直面したダンカンは、探偵小説嫌いのマーシャル警部補と共に「密室派の巨匠」ジョン・ディクスン・カーの《密室講義》を参照しながら推理・検討をするのだが、なんと《密室講義》のどの分類にも当て嵌まらないことが判明する。困惑する捜査陣を前に、難事件の経緯を知った尼僧アーシュラは、真相究明のために静かに祈りを捧げるのだった……。果たして異色の尼僧探偵の祈りが通じ、神をも畏れぬ密室犯罪の真相が看破されるのだろうか?
 ジョン・ディクスン・カーに捧げられ、エドワード・D・ホックが主催する歴代密室ミステリ・ベストテンにも選出された、都市伝説的密室ミステリが新訳によって半世紀の時を経てここに甦る!(粗筋紹介より引用)
 1940年発表。2022年9月、国書刊行会より単行本刊行。

 2019年より原書房から出版されるもわずか三冊で途絶していた叢書「奇想天外の本棚」が、国書刊行会より復活。本書では「旧版元の反故」とまで書いてしまっているので、裏で色々あったのだろうなあとは想像できるのだが、復活したのだからあれこれ詮索しても仕方がない。前回は原書房ということもあって手に取ることはなかった(本屋でなかなか見かけないんだよね……)が、今回は国書刊行会なので、ミステリはできるだけ買おうと思う。
 ということで、第一弾は『九人の偽聖者の密室』。1960年、『別冊宝石 世界探偵小説全集41 H・H・ホームズ&C・ウールリッチ篇』に「密室の魔術師」のタイトルで翻訳が掲載されるものの、単行本にはなっていない。エドワード・D・ホックが『密室大集合』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を編纂する際に欧米の作家・評論家17人に対して実施した、密室長編ものの人気投票ベスト10の第9位に選ばれている。ほぼ同じ時期に、扶桑社文庫から『密室の魔術師 ナイン・タイムズ・ナインの呪い』が当時の『別冊宝石』の旧訳のまま出版されるというのは何かきな臭いものを感じるが、読者には関係のないことだ。
 アメリカの名評論家、アンソニー・バウチャーが、シカゴのシリアルキラーの偽名H・H・ホームズの名前で書いたのが本作。尼僧アーシュラが名探偵を務めており、2作の長編と数作の短編を発表しているが、そのうちの最初の作品である。バウチャーは他にバウチャー名義でも長編を執筆している。
 ただ、バウチャーでも実作はつまらないと、今まで攻撃されてきた作家たちが嘲笑した、なんていうエピソードを聞いたことがあるのだが、どこで読んだのかをさっぱり覚えていない。そのためあまり期待していなかったのだが、読んでみて今まで単行本にならなかったのがわかるぐらいつまらない。
 カルト集団vs宗教学者という展開は現代にも通じるものがあるのだが、カー信奉者のバウチャーらしい大時代的なやり取りとロマンスは、さすがに今読むとしんどい。ミステリ嫌いの警部が『三つの棺』を読んで感心し、事件の目撃者と一緒に「密室講義」に合わせて密室トリックを検討するというのは、乾いた笑いしかでてこない。それでも密室トリックがよければまだ救いがあるのだが、あまりにもちゃちで泣けてくる。
 話の種として読んで、面白がるしかない。それ以上、何を言えばいいのだろう。エドワード・D・ホックが主催する歴代密室ミステリ・ベストテンに選出されたなんて、悪い冗談だと思いたい。




東山彰良『流』(講談社)

 1975年、偉大なる総統蒋介石の死の翌月、愛すべき祖父・葉尊麟は何者かに殺された。いったい誰が殺したのか。内戦で敗れ、追われるように台湾に渡った不死身の祖父。無軌道に生きる17歳の葉秋生には、まだその意味はわからなかった。台湾から日本、そしてすべての答えが待つ大陸へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌跡。台湾生まれ、日本育ち。超弩級の才能が、はじめて己の血を解き放つ! 友情と初恋。流浪と決断。圧倒的物語。(BOOKデータサービスより引用、一部追記)
 2015年5月、講談社より書下ろし刊行。同年、第153回直木賞受賞。

 台湾を舞台にした青春小説。主人公は台北の高等中学に通う17歳の葉秋生。一応祖父の殺害の謎を追うという芯はあるものの、内容としては不良である秋生の成長物語の要素が強い。学校をさぼり、悪友と遊び、喧嘩に明け暮れ、幼馴染との恋模様。秋生は成長し、経験を重ね、別れと出会いを繰返し、そして再び祖父の死の謎を追う。青春小説、成長物語と書いたが、一族の大河物語としても読むことができる。台湾、日本、そして中国を舞台にした、スケールの大きな作品。テンポがよく、ユーモアもあり、しかも骨太。文章が跳ね、うねり、そして壮大に広がっていく。
 登場人物が台湾人ばかりで、舞台も台湾が中心ということもあり、登場人物の名前を覚えるのに一苦労した。しかし物語に没頭すれば、そんなことを気にならなくなるだろう。
 これまた今頃手に取った一冊だったが、傑作だった。直木賞受賞も当然の結果だっただろう。




ジェフリー・ディーヴァー『バーニング・ワイヤー』上下(文春文庫)

 突然の閃光と炎。それが路線バスを襲った。送電システムの異常により変電所が爆発したのだ。電力網を操作する何者かによって引き起こされた攻撃だった。FBIは科学捜査の天才リンカーン・ライムに捜査協力を依頼する。果たして犯人の目的は何か? 人質はニューヨーク――史上最大の犯罪計画に、ライムと仲間たちが挑む!(上巻粗筋紹介より引用)
 ニューヨークへの送電を半減させろ。それが犯人の要求だった。だがそれは大停電を引き起こすことになる。殺戮の刻限が迫る中、必死の捜査を続けるライムは、メキシコに出現したウォッチメイカー逮捕作戦の指揮もとらねばならない。二つの大事件に立ち向かう名探偵ライム! 大スケールで贈るシリーズ第9作。(下巻粗筋紹介より引用)
 2010年発表。2012年10月、文藝春秋より単行本刊行。2015年11月、文庫化。

 リンカーン・ライム・シリーズ9作目。ニューヨークへの送電を半分にしろという途方もない要求をする犯人と対峙。一方、メキシコではあのウォッチメイカーが現れたので、遠方から逮捕作戦の捜査の指揮を執る。なんともまあ、盛りだくさんの内容となっている。
 上巻は電気の基礎知識の話が多く、面白みに欠ける。感電のところなど、そんなことも知らないのかと思いながら読んでみたら、考えてみるとそういうものなのかもしれない。二度目の事件が起きたあたりからようやく話が盛り上がり、ディーヴァーらしいジェットコースター級の展開が待ち受ける。これでこそディーヴァーだよ、と思うものの、なんとなくいつも通り、ワンパターンな形式じゃないかとも思ってしまうのも気のせいではないだろう。
 だからといって面白くないわけではなく、とくに下巻からは話の筋に引き込まれて目が離せない。やはりお馴染みの面々が活躍する姿は、読んでいてとても楽しい。そこにライム自身の物語が少し絡むことで、作品にいつもと違うスパイスを加味しているところもさすがだ。作者の電気社会に対するちょっとした批判も、定型的なものではあるが面白い。
 ただ、ウォッチメイカーの使い方は、ちょっと勿体ない気がした。これだけの人物をこういう使い方をするのか、という残念な気持ちもある。ライムとの対決は、もっと頭脳戦になってほしかったと思うのは、私だけではないだろう。
 どこから読んでも楽しめる作者だが、やはり最初から順に読むべきだよなとは今更ながら実感した。作品世界の時はしっかり流れている、そんなことを思わせる作品でもあった。それは読者だけがわかる感慨だろう。



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