トマス・W・ ハンシュー『四十面相クリークの事件簿』(論創社 論争海外ミステリ95)
元怪盗、現在は名探偵。顔を自由に変えることができる怪人にして、謎の経歴を持つ紳士、四十面相ハミルトン・クリーク。J.D.カーが愛読し、江戸川乱歩が「怪人二十面相」のモデルにしたと言われるクリーク譚の第一作品集を初完訳。「ホームズのライヴァルたち」第五弾。(粗筋紹介より引用)
1918年に発表した短編集"The Man of the Forty Faces"の内の九編を使って連作長編化し、1913年にイギリス、アメリカで発表。1968年、ポプラ社より児童書として刊行。2011年5月、論創社より新訳単行本刊行。
イギリスの大衆作家、トマス・W・ ハンシューの晩年の作品。四十面相のクリークといえば、江戸川乱歩の怪人二十面相のモデルにした人物。顔がグニャグニャに変化して別人になれる、元は怪盗だったが後に探偵になる、というのは結構有名だったと思うが、肝心の話をほとんど読んだことがない。出版された時から気にはなっていたのだが、ようやく手に取ってみる。Amazonの新刊で買ったのだが、10年経ってもまだ初版だった。
目次に作品名がない。あれ、事件簿だろ、これと思いながら読み始めてみると、プロローグで怪盗から探偵になってしまう。意外だなと思いながら読み進めると、章分けしかないのに一つ一つ事件を解きながら、話が進んでいく。長編なの?、それとも連作短編集?などと思いながら読み進めていった。解説を読んで、ようやく短編集を連作長編化したと分かった。
それにしても、古色蒼然とした作品である。貴族の娘に恋して怪盗を辞め、探偵に生まれ変わる。稼いだ金は今まで迷惑をかけてきた人たちにこっそり返す。娘に恋人がいると知ってがっくりし、事件の解決に失敗する。なんなんですか、この人。あまりにも人間臭い。そして大時代的。小学校の頃に図書館で南洋一郎のルパンを読んで楽しんだ人には、楽しめるかもしれない。それぐらい懐かしい。それ以外の人には……どうだろう。子気味よいテンポで話が進むので、100年以上も前に書かれたということを頭に入れておけば、トリックのあるサスペンスロマンスとしてそれなりに楽しめるとは思う。
プロローグの交通巡査をだますトリックは、横溝正史が後に少年もので多用する。第一、第二章は長編化に際しての書き下ろし。第三~五章は短編「六本の指」("The Riddle of the Ninth Finger")。第六~十章は短編「赤い蠍」("The Problem of the Red Crawl")。ほとんど乱歩の少年ものである。第十一~十四章は短編「鋼鉄の部屋の秘密」("The Mystery of the Steel Room")。第十五~十八章は短編「ライオンの微笑」("The Lion's Smile")。藤原宰太郎の推理クイズによく見かけたあのトリックが出てくる。多分一番有名な短編じゃないだろうか。第十九~二十三章は短編"The Riddle of the Sacred Son"。この時代に指紋を調べるミステリがあったことにちょっと驚き。第二十四~二十六章は短編「魔法の帯」("The Wizards Belt")。人間消失もの。第二十七~二十九章は短編「木乃伊の函」("The Caliph's Daugtter")。第三十~三十五章は短編集にはない話。この時代にこのトリックがあったのかと思った。エピローグは短編「虹の真珠」("The Riddle of the Rainbow Pearl")。クリークの過去が明かされる。
オーエン・セラー『ペトログラード行封印列車』(文藝春秋)
1917年、ロシアで二月革命が起きた。世界戦争(第一次世界大戦)中のドイツはロシアを戦争から切り離すため、ドイツとの和平を条件にチューリッヒに亡命しているヴラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフ(後のレーニン)と妻ナージャ、その片腕グレゴリー・ジノヴィエフらをロシアへ帰国させようとする。チューリッヒからドイツ、スウェーデン、フィンランドを経てロシアのペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)へ向かうのだが、ドイツ領内では列車から離れず、ドイツ市民と接触させないようにしたため、封印列車と呼ばれた。ドイツ外務省帝国東方情報局員であり、内心ではウリヤーノフを尊敬しているカスパー・エーラーは、作戦を成功させるべくチューリッヒに飛び、ウリヤーノフと接触するが、ロシア秘密警察も動いていた。
1979年、イギリスで発表。1981年8月、邦訳単行本刊行。
実際に起きた、封印列車によるレーニンの帰国を舞台としたエスピオナージ。ということで、実在の人物と小説の人物が入り混じる。この人数が多い。多すぎる。登場人物一覧にも載っていない人物が山ほど出てくるし、ドイツ名やロシア名だから読みにくいし覚えづらい。それに、このレーニンの封印列車は有名らしいのだが、全く知らなかった。この歴史的事実を知っていれば、もう少し楽しく読めたのだと思う。
中盤になってエーラーが動き出すと、ようやくページをめくる手に力が入ってくる。ウクライナが絡むところは、現状を考えると色々と考えさせられる。ロシア秘密警察との攻防は、読んでいて迫力がある。
ただレーニンのその後を多少なりとも知っていると、読了後の満足度はもう一つ。史実を知っていても楽しめるほどの面白さには、残念ながら到達しなかった。歴史の裏舞台をもう少し匂わせてくれると、まだ違ってくるのになと思いながら読み終わってしまった。
オーエン・セラーはスパイものを中心に執筆していて、イギリスでは有名な作家とのこと。ロンドン在住の公認会計士だそうだ。
今野敏『審議官 隠蔽捜査9.5』(新潮社)
米軍から特別捜査官を迎えた件で、警察庁長官官房に呼び出された竜崎伸也。審議官からの追及に、竜崎が取った行動とは――。さらに竜崎異動の余波は、大森署、神奈川県警、そして家族にも……。名脇役たちも活躍するスピンオフ9編を収録。(帯より引用)
『小説新潮』2019~2022年掲載他、書下ろし1編を加え、2023年1月刊行。
大森署から竜崎伸也を送り出し日、品川署管内で連続ひったくり事件が発生。野間崎管理官より要請されて緊急配備を行ったが、貝沼副署長のところに笹岡生安課長が戸高の件についてクレームを言いに来た。さらに刑事組対課で戸高とベテラン刑事の船井が事件を巡って喧嘩。しかも大森署管内でタクシー強盗事件が発生。新任の署長はまだ来ていない。誰もが竜崎ならどうするかを考える。「空席」。
竜崎冴子は大田区内で女性の焼死体が発見されたというニュースを見て既視感を抱く。気になった冴子は夫の伸也にそのことを話すが、警察の捜査に口を出す必要がないと言われてカチンとくる。「内助」。
竜崎邦彦は友人のポーランド留学生、ヴェロニカに頼まれ、アントニという男性から荷物を受け取ったが、ビニル袋の中身は白い粉末だった。「荷物」。
竜崎美紀は通勤途中、駅で置換をしたらしい男性をつかまえて駅員に引き渡す。おかげでプレゼンに遅刻しそうになった。そのことで富岡課長から嫌味を言われる。「選択」。
板橋武捜査一課長は、池辺渉刑事総務課長に呼び出された。捜査一課の矢坂敬藏専門官は前任の本郷部長を公然と批判するぐらいのキャリア嫌いなので、新任の竜崎部長に盾突くような真似は止めるように言ってほしいということだった。部屋に戻った板橋は矢坂を呼び出そうとするが、強盗事件が発生したので外に出ていた。「専門官」。
佐藤実本部長が竜崎部長を呼び出した理由は、キャリアの参事官阿久津と、地方の参事官で組織犯罪対策本部長の平田清彦の仲が悪いので何とかしてほしいということだった。その日の夕方、横須賀で発砲事件が発生。阿久津、平田、池辺は竜崎部長に事件の第一報を伝えるが、通報者が高校生ということに竜崎は違和感を抱く。「参事官」。
横須賀の殺人事件が解決した(『探花』)が、協力を得た米海軍犯罪捜査局の特別捜査官リチャード・キジマが東京都内で捜査活動をしたことについて、警察庁長官官房の長瀬友明審議官が問題視した。竜崎は佐藤本部長と一緒に審議官を尋ねる。「審議官」。
大森署長が美貌のキャリア、藍本百合子警視正に変わってから、野間崎管理官が頻繁に大森署を訪れるようになった。野間崎は、戸高が勤務中に賭け事をする非違行為を働いているのではないかと貝沼副署長と注意した。「非違」。
竜崎は同期の八島警務部長と一緒に、神奈川県警のキャリアだけの飲み会、通称キャリア会に出席した。信号を守るかどうかという話が外に漏れ、問題となる。「信号」。
隠蔽捜査シリーズのスピンオフ第三弾。大森署の面々だけではなく、竜崎家の家族、神奈川県警の面々にもスポットライトが当たった短編が編まれている。気のせいかもしれないがあっさりめの作品が多いし、複雑な謎解きがあるわけではないが、面白さは変わらない。もちろん、今までのシリーズ作品を読んでいる人前提の話ではあるが。
毎度のことながら、原理原則を守るという竜崎にかかると、すべての絡み合った糸が簡単にほどけていくという展開なのだが、飽きが来ないのはキャラクター造形の巧さなのだろう。
個人的な今回のベストは「内助」。一本取られる竜崎の姿が面白い。
若竹七海『暗い越流』(光文社文庫)
凶悪な死刑囚に届いたファンレター。差出人は何者かを調べ始めた「私」だが、その女性は五年前に失踪していた!(表題作) 女探偵の葉村晶は、母親の遺骨を運んでほしいという奇妙な依頼を受ける。悪い予感は当たり……。(「蝿男」) 先の読めない展開と思いがけない結末――短編ミステリの精華を味わえる全五編を収録。表題作で第66回日本推理作家協会賞短編部門受賞。(粗筋紹介より引用)
2013年、表題作で第66回日本推理作家協会賞短編部門受賞。『メフィスト』『宝石 ザ ミステリー』掲載作品に、書下ろし二編を加え、2014年3月、光文社より単行本刊行。2016年10月、文庫化。
長谷川探偵調査所と契約しているフリー調査員、葉村晶に依頼を頼んだ女性は、亡くなった心霊研究家の祖父が住んでいた群馬県の家にある母の遺骨を取ってきてほしいと頼んできた。しかも一週間前に同じ内容を頼んだフリーライターは、今も戻ってこないという。怪しさ満載の依頼を受けた葉村だったが。「蠅男」。
五十を過ぎた死刑囚に送られてきたファンレター。受け取った弁護士に頼まれ、住所が書かれていない差出人を調べ始めた編集者の「私」は、ある偶然から探し当てるも、その女性は五年前に失踪していた。「暗い越流」。
地味な出版社の看板雑誌の女性編集長が行方不明になった。社長に頼まれ、ライターの男と一緒に行方を捜し始めるが、編集長は何人もの人を脅していた事実を知り驚く。そして編集長の墜落死体が見つかった。「幸せの家」。
苅屋学は7歳の時に行方不明となり、3日後に見つかった。しかし教師だった父は、何も話さず黙っていろという。それから7年後、父は自殺した。学は浴びるように酒を飲んでアル中となり、結婚も破綻。7年前に母が癌で亡くなり、家を片付けていると、川向うにある教会のシスター2人が訪れ、児童養護施設の運営資金を集めるためのバザーに不用品を寄付してほしいと話してきたので了承した。ボランティアの男性とともに部屋を片付けていると、一枚の中学生の女の子の写真が出てきた。その女性は、小さい学を連れまわした人物だった。「狂酔」。
吉祥寺のミステリ専門店でアルバイトを始めた葉村晶。遺品整理で金庫を開けるのに必要なこけしを取りに、福島まで出かけることに。「道楽者の金庫」。
協会賞受賞作、葉村もの2編を含む短編集。しかしどれを読んでも若竹節が炸裂している。口当たりの良い読みやすさ、見かけとは裏腹の苦い結末。さすが、イヤミスを書かせれば天下一品である。
葉村ものの2編のうち、「道楽者の金庫」はミステリ専門店「MURDER BEAR BOOKSHOP 殺人熊書店」でアルバイトを始める顛末が書かれている。作品的にも重要なので、葉村シリーズの短編集にまとめた方がよかった気もするが……。
表題作は、葉村ものにでも書き直せそう。受賞も納得の出来である。
「狂酔」は本作品中の異色作。不気味な作品だし、着陸の仕方が予想外。まさかこちらの方向に向かうとは思わなかった。
居酒屋で全国各地の日本酒の飲み比べを楽しませてくれるようなのような短編集。ただ、テーマに統一性は欲しかった。贅沢な願いではあるが。
フレデリック・フォーサイス『騙し屋』(角川文庫)
騙し屋とよばれるサム・マクレディは、イギリス秘密情報機関SISのベテラン・エージェント。切れ者で世界各地で敵を欺き、多くの成果をあげてきた。しかし、冷戦は終結し、共産主義は崩壊した。世界情勢は急転したのだ。それは、スパイたちに過酷な運命を強いることになった。マクレディは引退を勧告された。SISの人員整理構想のスケープゴートにされたのだ。マクレディは現役に留まるため、聴聞会の開催を要請した……。世界のフォーサイスが贈る、スパイたちへの鎮魂歌。“最後のスパイ小説”四部作第一弾。(粗筋紹介より引用)
1991年、イギリスで発表。1991年9月、角川書店より邦訳単行本刊行。1992年12月、文庫化。
イギリス秘密情報機関SISのベテラン・エージェント、DDPS(「欺瞞、逆情報及び心理工作」部)部長、通称騙し屋ことサム・マクレディ四部作の第一作。冷戦終了に伴う人員整理による左遷を不服としたマクレディが要請した聴聞会で、マクレディの過去6年間の業績を振り返る形式で語られる。第一作は1985年、ソ連軍の少将でマクレディの元情報提供者でもあるイェフゲーニィ・パンクラティンに係わる諜報戦である。バンクラティンは入手した軍の配置図を東ドイツでの視察時に直接手渡したいと連絡してきたため、パンクラティンの仕事を引き継いでいたCIAは旧知のマクレディにその仕事を押し付ける。しかし東ドイツに入ることができないマクレディは、定年間近でお払い箱寸前の部下、“ポルターガイスト”ことブルーノ・モレンツに命令する。一方モレンツは、プライベートで問題を抱えていた。
ページ数で約250ページ。長編ではあるが、短めである。四部作ということで同じような厚さの本が四冊。一冊にまとめてもいいじゃないか、なんて思ってしまうけれど、マクレディの切れ味の良さを表現するには、この形式の方がよかったと判断したのだろう。
老東西冷戦の終結に伴うお払い箱のスパイたちへの鎮魂歌ともいえるシリーズだが、本作品は引退間近のスパイの鎮魂歌と言える。ブルーノ・モレンツという人物は、マクレディの仕事をすでにしていないし、定年まで残り三年。コールガールのレナーテ・ハイメンドルフに首ったけで、定年後は一緒に住もうと話をしているという、ダメダメ人間である。それでもマクレディのために最後と言える仕事を引き受け、ヨレヨレながらも最後の輝きを見せる。
マクレディは、どんな部下にでも思いやりを持って接している。だからこそ彼はいまだにモテるのだろうし、彼のために仕事をしようと思うのだろう。そんなマクレディの魅力を伝える一冊であり、四部作の最初としては文句なしと言える一冊である。
芦辺拓『スチームオペラ 蒸気都市探偵譚』(創元推理文庫)
毎朝配達される幻灯新聞が食卓に話題を提供し、港にはエーテル推進機を備えた空中船が着水・停泊。歯車仕掛けの蒸気辻馬車が街路を疾駆する――ここは蒸気を動力源とした偉大なる科学都市。女学生エマ・ハートリーは、父が船長を務める空中船《極光号》の帰還を知り、父を迎えるため港へと急いだ。船内で謎の少年ユージンと出会ったエマは、それをきっかけに彼と共に名探偵ムーリエの弟子となり、様々な不可能犯罪に遭遇する。そして最大の謎であるユージンの正体とは? 稀有の想像力が描き出す極上の空想科学探偵小説。(粗筋紹介より引用)
『ミステリーズ!』連載。2012年9月、東京創元社より単行本刊行。2016年4月、文庫化。
えっと、まずはスチームパンクというジャンルがSFにあるとは知らなかったこともあるけれど、この世界観についていくことができなかった。特に最初の方は物の名前にカタカナのフリガナがあふれかえって、非常に読みにくい。表紙を見ても、これは何のラノベなんだ、と思いながら読んでいたからかもしれないが。
最大の謎はユージンの正体なのに、周囲の誰もがなかなかその謎に突き進もうとしないから、イライラしまくり。世界観の把握が難しいのに、こんな舞台で本格ミステリをやられてもと思うと、なにも楽しめない。最後の仕掛けなんか、どうでもいいやという感じになってしまった。しかもありがちなネタだし。
作者には申し訳ないが、発想倒れとしか思えない。もしくは、読解力の無い私が悪いかもしれない。いや、絶対そうだ。
久住四季『星読島に星は流れた』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)
天文学者サラ・ディライト・ローウェル博士は、自分の住む孤島で毎年、天体観測の集いを開いていた。ネット上の天文フォーラムで参加者を募り、招待される客は毎年、ほぼ異なる顔ぶれになるという。それほど天文には興味はないものの、家庭訪問医の加藤盤も参加の申し込みをしたところ、凄まじい倍率をくぐり抜け招待客のひとりとなる。この天体観測の集いへの応募が毎回凄まじい倍率になるのには、ある理由があった。孤島に上陸した招待客たちのあいだに静かな緊張が走るなか、滞在三日目、ひとりが死体となって海に浮かぶ。犯人は、この六人のなかにいる――。奇蹟の島で起きた殺人事件を、俊英が満を持して描く快作長編推理!(粗筋紹介より引用)
2015年3月、書下ろし刊行。
『トリックスターズ』シリーズで本格ミステリファンの一部から注目を浴びていた作者による長編推理。なんとなく読みそびれていたが、正月休みで引っ張り出してきた。
『トリックスターズ』に比べると、非常にスタンダードで読みやすい本格ミステリ。なぜ孤島に集まるかという設定が面白い。これは全く知らなかった。殺人事件が起きる展開は定跡通りのもので、どことなく基本に忠実、という感じがする。東京創元社に書くから、あえてそうしたという気がしなくもない。
探偵役の加藤盤のどこがいいのだかはわからないが、お決まりのロマンスがあるところはやや軽さを感じる。35歳のオッサンという設定にしなくてもよかったと思うのだが。
ただあまり波乱もなく、呆気なく最後まで進んでしまったのはいいのか、悪いのか。後味爽やか、で終わってしまうのはちょっと勿体なかった。
ピエール・ルメートル『わが母なるロージー』(文春文庫)
パリで爆破事件が発生した。直後、警察に出頭した青年は、爆弾はあと6つ仕掛けられていると告げ、金を要求する。カミーユ・ヴェルーヴェン警部は、青年の真の狙いは他にあるとにらむが……。『その女アレックス』のカミーユ警部が一度だけの帰還を果たす。残酷にして意外、壮絶にして美しき終幕まで一気読み必至。(粗筋紹介より引用)
2012年、"Les Grands Moyens"のタイトルで発表。2014年、改題して再刊。2019年9月、邦訳刊行。
パリ警視庁犯罪捜査部のカミーユ警部が主人公の中編。作品が書かれた経緯は、作者による序文に詳しい。発表されたのはシリーズ2作目である『その女アレックス』の直後であり、作品中の時系列も同様。粗筋紹介にある「一度だけの帰還」というのは、単に日本での翻訳が遅れただけに過ぎない。
残された6つの爆弾の在り場所を探すタイムリミットサスペンスであると同時に、犯人である青年の真の狙いを推理する心理闘争が同時展開するため、ページをめくる手が止まらない。シリーズの主要メンバーは登場するし、短いながらもそれぞれの魅力も出ている。よくできている中編といえる。
はっきり言って、もう少しページを足して、長編にしてほしかったぐらいの作品。犯人であるジャン・ガルニエと、母親のロージー・ガルニエの関係は、もう少し深掘りしてほしかった。
この作者の作品はカミーユ警部シリーズしか読んだことがないのだが、他も読んでみようと思わせる一冊だった。
長岡弘樹『教場0 刑事指導官・風間公親』(小学館文庫)
T県警が誇る「風間教場」は、キャリアの浅い刑事が突然送り込まれる育成システム。捜査一課強行犯係の現役刑事・風間公親と事件現場をともにする、マンツーマンのスパルタ指導が待っている。三か月間みっちり学んだ卒業生は例外なくエース級の刑事として活躍しているが、落第すれば交番勤務に逆戻り。風間からのプレッシャーに耐えながら捜査にあたる新米刑事と、完全犯罪を目論む狡猾な犯罪者たちとのスリリングな攻防戦の行方は!? テレビドラマ化も話題の「教場」シリーズ、警察学校の鬼教官誕生の秘密に迫る第三弾。(粗筋紹介より引用)
『STORY BOX』2014~2017年に随時掲載。2017年9月、小学館より単行本刊行。2017年9月、文庫化。
タクシー会社の御曹司との結婚が決まった日中弓。2年関係を持っていた芦沢健太郎に別れ話を持ち出すも、裸の写真をばらまくと脅され、タクシー車内で殺してしまう。「第一話 仮面の軌跡」。
画家で画廊を営む向坂善紀は四年前に離婚した。高校二年の息子匠吾は画の才能があるが、元妻の再婚相手で歯医者の苅部達郎は、それを許さなかった。「第二話 三枚の画廊の絵」。
夫が遺した建設会社を経営する佐柄美幸の息子である小学三年生の研人は、いじめで不登校となっている。しかし担任である諸田伸枝は、頑なに認めようとしなかった。「第三話 ブロンズの墓穴」。
IT関係の仕事をしている佐久田肇は、隣に住む劇団女優の筧麻由佳に惹かれていた。休みの日、焦る麻由佳に助けを求められて部屋に入ると、劇団の俳優元木伊知朗が首吊り自殺をしようとしていた。止めようとしたが、元木は椅子を蹴飛ばした。「第四話 第四の終章」。
デザイナーの仁谷継秀は、認知症になった二十歳年上の妻・清香の介護で疲れ果てていた。さらに仁谷には、別の恋人がいた。仁谷が外出中、清香はガス中毒で亡くなった。「第五話 指輪のレクイエム」。
国立T大学法医学教室の教授である椎垣久仁臣は、司法解剖中のミスで助教の宇部祥宏に青酸ガス中毒による大けがを負わせてしまった。この事故が公になると、次期医学学長の就任予定が流れてしまう。「第六話 毒のある骸」。
『教場』『教場2』の主人公、風間公親の前日譚。各話タイトルは、『刑事コロンボ』のエピソード名のもじりとのこと。倒叙ミステリの連作短編集だが、風間に教えを受けている若手たちが事件解決に挑むという形がちょっと新しい。風間がすべてを知っているようだが口を出してもヒント止まりで、あくまで若手刑事にまかせて解決しようとする。
風間というキャラクターあっての作品集であり、しかも話があっさりめ。若手刑事たちからの風間の印象をそれぞれ語らせているというところからも、ドラマ化前提の作品集のような気がしなくもない。風間ファンならこれでいいのかもしれないが、そうでない人には物足りないだろう。
フレデリック・フォーサイス『帝王』(角川文庫)
灼熱の太陽が照りつけるモーリシャスの沖、そいつは緑色の海水の壁を破って飛びだした。500kgを超える伝説のブルーマルリン、“帝王”がフックにかかったのだ! 渾身の力を込めて巻きとられるリール、必死の逃走を試みる巨魚…8時間に及ぶ壮絶なファイトの果てに、“帝王”を釣った男に訪れた劇的な運命の転換とは――?
冒険、復讐、コンゲーム…短編の名手としても定評ある著者が“男の世界”を描き、小説の醍醐味を満喫させる、魅力の傑作集。表題作ほか7編収録。(粗筋紹介より引用)
1982年、ロンドンで発表。同年、邦訳単行本刊行。1984年5月、文庫化。ただし、「殺人完了」「ブラック・レター」は『シェパード』(角川文庫)に収録されているため、本巻からは外されている。
老人の家を強制撤去すると、暖炉の壁から死体が出てきた。しかし警察の取り調べにも、老人は一言もしゃべらない。「よく喋る死体」。
バンゴー市でインドから留学していた医学生は、もぐりの家屋解体業でアルバイトをしていたが、虐待を受けたため復讐を誓う。1982年、エドガー賞短編部門受賞。「アイルランドに蛇はいない」。
小悪党のマーフィーが時間と金をかけて計画した、極上のフランスのブランデー750ケースの強奪。荷物はフェリーから降ろされ、トレーラーで運ばれてきた。「厄日」。
詐欺に加担したかのように新聞に書かれたビルは、新聞社と記者に抗議をするも無視される。名誉棄損で訴えようと弁護士に相談するも、時間と金ばかりかかって無駄だと諭された。しかしビルは『英国法』を読み、復讐の手段を思いつく。「免責特権」。
資産家のティモシー・ハンソンは、癌の苦痛に耐えきれず自殺。弁護士は残された親族の前で遺言状を開く。「完全なる死」。
カミン判事は四時間の汽車旅の中、車室で一緒になった貧相な小男、神父とマッチ棒を掛け金代わりにポーカーを始める。「悪魔の囁き」。
フランス、ドルゴーニュ地方の田舎で私の車はついに動かなくなった。妻と私は、小さな村の中年女の家に泊めさせてもらうことになった。作者のアイルランドの友人が体験した実話とのこと。「ダブリンの銃声」。
勤める銀行の報奨制度で、モーリシャスでの一週間の旅行と休暇を与えられた支店長マーガトロイド。同行者は恐妻エドナと、同じ報奨を得た本店勤務の若者ヒギンズ。ヒギンズに誘われ、エドナに黙ってゲーム・フィッシングに出かけたマーガトロイドは、“帝王”と呼ばれるブルーマリンにヒットする。「帝王」。
フォーサイスというと大長編のイメージしかなかったのだが、この短編集はどれを読んでもひねりが利いていて面白い。多岐なジャンルを楽しむことができ、どれも読者を満足させるものばかりである。小説が巧い人は、やはり短編を書ける人だと改めて思い知った。
「帝王」の結末には思わず喝采を挙げてしまったし、「アイルランドの蛇はいない」の結末の不気味さには背筋が寒くなった。「完全なる死」の騙しのテクニックにも感心した。一番面白かったものを挙げろと言われれば、迷うことなく「免責特権」と答えるだろう。この痛快な復讐劇は、大きな権力に虐げられてきた弱者が留飲を下げること、間違いなしだ。
これは読まないと損をする短編集。絶版状態の今頃にこんな書き方をするのも恥ずかしいが、傑作なのだから仕方がない。これは復刊すべき、それだけの価値がある一冊である。
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