トマス・H. クック『緋色の記憶』(文春文庫)

 ある夏、コッド岬の小さな村のバス停に、緋色のブラウスを着たひとりの女性が降り立った――そこから悲劇は始まった。美しい新任教師が同僚を愛してしまったことからやがて起こる“チャタム校事件”。老弁護士が幼き日々への懐旧をこめて回想する恐ろしい冬の真相とは? 精緻な美しさで語られる1997年度MWA最優秀長編賞受賞作。
 1996年発表。1997年アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞。1998年2月、文春文庫より邦訳刊行。

 『死の記憶』『夏草の記憶』に続く記憶三部作第三作。日本では前二作より先に邦訳されている。
 過去を改装しながら事件の真相が読者に明らかになっていくという展開は一緒。本作ではニューイングランドを舞台に、弁護士のヘンリー・グリズウォルドが何十年も昔の1926年8月、チャタム校に美貌の美術教師エリザベス・ロックブリッジ・チャニングが赴任してボストンからのバスで到着するのを、チャタム校の校長で父親のアーサーとともに迎えるところから始まる。
 訳者あとがきでアメリカの書評家がクックを評する言い回し「雪崩を精緻なスローモーションで再現するような」というのは、なるほどと思った。カタストロフィがゆっくりと迫ってきて、それがわかっているのに避けられないまま巻き込まれ、大きな傷を残している。
 実際のところ、チャタム校事件というのが現在の視点で見たらさして珍しいものではない。当時の小さな村だったら大事件であったのだろうが、現在からするとそのギャップに戸惑いを感じてしまう。しかもそのチャタム校事件の詳細がなかなか出てこない。引っ張るだけ引っ張って、これなの、という肩透かしに合ってしまった。もちろん当事者からしたら大問題なのだから、そんな風に思ってしまってはいけないだろうが。
 前二作と比べると、なんかじれったい。悪くはないんだけど。




トマス・H. クック『夏草の記憶』(文春文庫)

 名医として町の尊敬を集めるベンだが、今まで暗い記憶を胸に秘めてきた。それは30年前に起こったある痛ましい事件に関することだ。犠牲者となった美しい少女ケリーをもっとも身近に見てきたベンが、ほろ苦い初恋の回想と共にたどりついた事件の真相は、誰もが予想しえないものだった! ミステリの枠を超えて迫る犯罪小説の傑作。(粗筋紹介より引用)
 1995年、アメリカで刊行。クック名義の第12長編。記憶三部作第二作。1999年9月、邦訳刊行。

 医師のベン・ウェイドが、30年前に起った事件を回想する。それは、初恋の人であるケリー・トロイに係わる痛ましい事件。親友のルーク・デュシャンや妻のノーリーン・ドノヴァンなどの会話と当時の回想が交わり合いながら、事件の真相が明らかになっていく。
 『死の記憶』に続く記憶三部作第二作。過去の事件の回想から、事件の真実が明らかになっていくところは前作と変わらないが、内容は大幅に変わる。
 落ち着いた口調で語られていることが、かえって青春時代の傷が癒えないままになっているところはうまいとしか言いようがない。その傷が、落ち着いた日々を過ごしているのに影を落としたままになっているというのは、不幸としか言いようがない。そんな虚しさがと切なさが、少しずつ読者に染みてくる。
 まだ当時の南部の黒人差別はひどかったのだろうな、とも思わせる作品。それに、田舎の警察があまり動いていなかったのだろうとも思わせる。
 それにしてもこの読者の前に明らかになる結末、驚くというよりも悲しくなってしまった。このやりきれない思い、どこへ向かっていくのだろう。
 ミステリというよりも純文学に近い味わいがある。光が無くなっても、影は残ったままであった。




夕木春央『絞首商會』(講談社文庫)

 大正時代の東京。秘密結社「絞首商會」との関わりが囁かれる血液学研究の大家・村山博士が刺殺された。不可解な事件に捜査は難航。そんな時、遺族が解決を依頼したのは、以前村山邸に盗みに入った元泥棒だった。気鋭のミステリ作家が書いた分厚い世界と緻密なロジック。第60回メフィスト賞受賞のデビュー作。(粗筋紹介より引用)
 2019年、「絞首商会の後継人」で第60回メフィスト賞を受賞。同年9月、改題して講談社より単行本刊行。2023年1月、一部加筆・修正の上文庫化。

 『方舟』が面白かったことと、もうすぐ出る新作が本作、『サーカスから来た執達吏』と話が繋がっているということで、デビュー作を読んでみた。メフィスト賞受賞なので、いつかは読むつもりだったし。
 舞台は1920年の東京。第一次世界大戦が前年に終わったばかりの不安定な世の中。村山鼓堂博士が外で殺され、自宅の庭まで運ばれていた。内側が血まみれになっていた鞄に入っていた手紙から、村山博士が無政府主義者の国際的秘密結社「絞首商會」に関わっているらしいことを心配した遺族の水上淑子は、かつて村山邸に泥棒に入った蓮野に、事件の謎解きを依頼する。
 物語の最初は事件とそこに至るまでの背景が非常に丁寧に書かれており、逆に読みにくい。蓮野とその友人で絵描きの井口が2章で出てきてから物語は面白くなっていくのだが、硬い文章は変わらないので読みづらさは残っている。村山博士の知人である友人4人が容疑者なのだが、なぜか奇妙な動きを見せるので、事件の真相が見えにくくなっていく展開とその動機はうまいと思った。井口の妻・紗江子の姪・峯子が誘拐されるストーリーも挟むあたりはよく考えられている。その分、タイトルにもなっている「絞首商會」の存在が見えにくくなっているのは非常に残念であった。
 読み終わってみると印象が散漫なのは、何が軸なのかはっきりしないところが大きい。井口や紗江子、峯子が動く分、蓮野の動きが見えにくいせいもあるだろう。ただ、最大の原因は、やはり「絞首商會」の存在をうまく使えなかったところにあると思う。犯人を突き止めるまでの推理展開が面白かったので、非常に勿体なかったと思う。




麻耶雄嵩『化石少女』(徳間文庫)

 学園の一角にそびえる白壁には、日が傾くと部活に励む生徒らの影が映った。そしてある宵、壁は映し出す、禍々しい場面を……。京都の名門高校に続発する怪事件。挑むは化石オタクにして、極めつきの劣等生・神舞まりあ。哀れ、お供にされた一年生男子と繰り広げる奇天烈推理の数々。いったい事件の解決はどうなってしまうのか? ミステリ界の鬼才がまたまた生み出した、とんでも探偵!(粗筋紹介より引用)
 『読楽』2012~2014年掲載。2014年11月、徳間書店より単行本刊行。2017年11月、文庫化。

 京都市の北部に位置し、百年の歴史を誇る名門、私立ベルム学園。由緒ある家柄である神舞まりあは、古生物学部の部長で二年生。末っ子でわがままに育ったまりあは、化石マニアの変人奇人。大雑把な性格で、成績は下から数えてベスト3以内の赤点常連。桑島彰は同じ古生物学部に所属する一年生。普通のサラリーマン一家に育ったが、近所ということでまりあとは幼馴染の関係。彰の父親は、まりあの父親が社長である会社の社員。彰はまりあのお守り役というか従者のようになっていた。人によっては召使とか従僕とまで。
 ベルム学園では部活が乱立し、部室がないという問題が生じていた。荒子武信率いる現生徒会執行部はこの問題を解決すべく、部員数五人未満が三年続いた過疎部を強制的に廃部することとした。古生物学部はわずか二名、しかも対外的な実績なし。荒子会長は夏までに実績を残さないと廃部にすると最終通達してきた。
 犯人らしき人物が警察に通報した、生徒会の不祥事を探る男子新聞部員殺人事件。「第一章 古生物部、推理する」。
 停電中に一瞬だけ電気が回復したとき、クラブ棟の白壁に殺人中の影が映った女生徒殺人事件。「第二章 真実の壁」。
 彰のクラスメートで、私鉄叡山鉄道ファンクラブである叡電部男性部員の殺人事件。「第三章 移行殺人」。
 石川県にある学園の宿泊施設で合宿中に発生した、指名手配犯殺人事件。「第四章 自動車墓場」。
 生徒会による旧クラブ棟抜き打ちガサ入れ中の男子生徒墜落死事件。「第五章 幽霊クラブ」。
 荒子会長の跡継ぎ候補で古生物学部男子新入部員が、鍵のかかった体育用具室内で越された事件。「第六章 赤と黒」。
 ベルム学園で次々と殺人事件が発生。廃部を免れたいまりあは、生徒会をつぶすべく、生徒会役員の一人が犯人だと奇天烈な推理を繰り広げる。
 奇天烈な探偵とワトソン役のシリーズを複数持つ麻耶雄嵩が、またとんでもない探偵を作り出していた。化石マニアの劣等生で、奇人変人として学園中に知られている神舞まりあ。その従者とみられている桑島彰。古生物学部をつぶしたくないという我儘な想いから、まずは犯人が生徒会役員だと決めつけ、そこから推理を無理矢理組み立てるのだ。しかし当然ながら粗が多い。そこを彰に突っ込まれ、人前で推理を披露することなく終わってしまう。そんな話が六つもあるのだ。
 まずは犯人を決めて、そこから逆算で推理を繰り広げては、「化石バカ」「赤点頭」「赤点ツンデレ先輩」「友達がいない」「赤点推理」などと罵倒され、従者みたいなワトソン役にやり込められる名探偵がいるだろうか。ここまで力関係が逆なのも珍しいと思う。
 実際のところ、推理に無理矢理なところが見受けられるし、そもそも想像、というか妄想を広げる形の推理なので、謎解きの楽しさはあまり見られない。しかも一部の事件では犯人が捕まらないまま終わっており、普通だったら学園閉鎖になってみんな転校してるんじゃないか、などというツッコミは置いておいたとしても、罪悪感が全く見られないというのも奇妙である。まあ、この曖昧な推理と結末も含めて、これが麻耶雄嵩だと言ってしまえばそれまでなんだろうが。
 続編『化石少女と七つの冒険』が好評と聞いたので、とりあえず最初から読んでみようと思って手に取ってみた。登場人物のキャラクターは立っているのに、もやもやだけが残るような作品だった。麻耶雄嵩にしては読み易いので、麻耶ワールドの入り口としては最適かもしれない。




マイケル・スレイド『暗黒大陸の悪霊』(文春文庫)

 警官殺しが続発する中、カナダ騎馬警察巡査長クレイヴンの母親が惨殺された。唯一の物証が示す犯人はクレイヴン。彼自身の出生にまつわる暗い秘密とは? そして暗黒大陸の悪霊に操られる殺人者《邪眼鬼(イーヴル・アイ)》は誰か? 犯人探しは最後の一行まで転げ込む! ミステリ魂増量、鬼才スレイドが再び放つ狂気の大作。(粗筋紹介より引用)
 1996年、アメリカで発表。2003年11月、邦訳刊行。

 『髑髏島の惨劇』の評判を聞いていたので買うだけ買ったが、あまりもの厚さにためらっていた一冊。6時間ぐらいの移動があったので、その間にと思って手に取ってみた。しかし、シリーズものだとは全く知らなかった。
 法月綸太郎の解説から借りると、ロバート・ディクラーク警視率いる特捜部隊スペシャルXと、「この世ならぬもの」に取り憑かれ、恐怖と戦慄に満ちた殺戮を繰り返すサイコキラーたちとの果てしない死闘を描いたカナダ警察年代記シリーズの第五作ということ。スペシャルXとは、カナダ連邦騎馬警察(RCMP)特別対外課(スペシャル・エクスターナル・セレクション)の通称で、カナダ国外とリンクする犯罪はこのセクションが担当。北米大陸有数の国際犯罪都市ヴァンクーヴァーに本部を構え、最新のハイテク技術とRCMPの旧公安本部で諜報活動の訓練を受けた選り抜きのスタッフをそろえているとのこと。シリーズの『クール』『ヘッドハンター』『カットスロート』は創元ノヴェルズ(あったね、そんなレーベル)より刊行。『髑髏島の惨劇』から文春文庫で刊行。
 スレイドは初めて読んだが、よくもまあ、ここまでごった煮のようにいろんな要素をつぎ込んだと、別の意味で関心。サイコ、呪術、人種差別、歴史、警察小説、法廷ものに加え、本格ミステリの要素まで入っているのだから、何だこれはと言いたくなる。シリーズもののため、前作までの要素も入っているので、所々訳が分からないまま進んでしまった。場面の切り替えが早いし、登場人物は多いし、着いていくのはやっとなんだが、意外と読み易いのはなぜなんだろう。
 しかも最後は犯人探し。最後の最後までもつれるフーダニットは、本格ミステリとして破綻があるかどうかを読者に考えさせない力業で決着がつく。ある意味見事というか。
 とはいえ、何冊も読みたい作者ではなかったかな。一冊で満腹。まあ、買ってどこかに締まっているから次(というか前作か)も読むけれど。




ロビン・スティーヴンス、シヴォーン・ダウド(原案)『グッゲンハイムの謎』(東京創元社)

 夏休みを迎えた十二歳のテッドは、母と姉といっしょに、グロリアおばさんといとこのサリムが住むニューヨークを訪れた。おばさんはグッゲンハイム美術館の主任学芸員で、休館日に特別に入館させてくれた。ところが改装中の館内を見学していると、突然、何かのきついにおいと、白くて濃い煙が。火事だ! テッドたちは、大急ぎで美術館の外に避難した。だが火事は見せかけで、館内の全員が外に出た隙に、カンディンスキーの名画〈黒い正方形のなかに〉が盗まれていたのだ。しかも、おばさんが犯人だと疑われて逮捕されてしまう。なんとしても絵を取りもどして、おばさんの無実を証明しなければ。「ほかの人とはちがう」不思議な頭脳を持つテッドは、絵の行方と真犯人を探すため謎解きに挑む。『ロンドン・アイの謎』につづく爽快なミステリ長編!(粗筋紹介より引用)
 2017年、発表。2022年12月、邦訳単行本刊行。

 『ロンドン・アイの謎』の続編で、前作から3か月後の話である。作者のシヴォーン・ダウドは2007年に前作を発表してからわずか2か月後に病死したため、本作は2015年にシヴォーン・ダウド基金から続編執筆を依頼されたロビン・スティーヴンスが執筆している。タイトルはダウドが生前に執筆契約を結んでいた時のものだが、構想を練る前に亡くなっているので、タイトル以外はスティーヴンスが考えたものである。
 前作の主人公であるテッドやその姉のカット、母親、そして叔母のグロリアといとこのサリムが引き続き登場。父親は仕事があるということで、お留守番である。偽の火事の間に名画が盗まれてしまい、グロリアが逮捕されてしまう。犯人と名画の行方を求め、テッドたちが事件に挑む。
 作者名を隠されたら、別人が書いたとは思わないぐらい、違和感がない。登場人物それぞれのキャラクターを生かしているし、本格ミステリとしての骨格もそのまま。事件が発生し、まずは複数の仮説を立て、一つ一つ消していく過程も同じである。そしてさらに凄いと感じたのは、前作の事件からわずか3か月しかたっていないにもかかわらず、テッド、カット、サリムの成長を描いているところである。子供というものは急激に成長するもので大人を驚かせるが、前作で大きな事件に遭遇しているとはいえ、3か月でどこまで成長するのか。そのバランスが非常に巧い。よくぞここまで書けたものだと思う。
 この続きは書かれていないようだが、ここで止めておいた方が無難だろうとは思う。3人がこれ以上成長するとなると、どの方向に進んでいくのか。こればかりは元の作者でなければわからない話である。
 前作を面白く読んだ方ならぜひ読むべき作品だし、読んでいない方はセットで読んでほしい。そして子供たちにも読んでほしい。そう思わせる良作であった。




西澤保彦『赤い糸の呻き』(創元推理文庫)

 白昼に新聞紙を鷲掴みにして死んでいた男性に何が起こったのか――。音無美紀警部のめくるめく、ぬいぐるみへの妄想と、事件の対比が秀逸な、犯人当てミステリ「お弁当ぐるぐる」。停電時のエレベータ内で起こった殺人事件。もっとも怪しいのは、手や服を血で汚した指名手配の男だが。不可能犯罪を劇的に描く「赤い糸の呻き」。都筑道夫の〈物部太郎シリーズ〉の傑作パスティーシュ「墓標の庭」など、バラエティー豊かな5編を収録。“西澤ワールド”全開ともいえる、著者入魂の傑作短編集。待望の文庫化!(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』『ジャーロ』他掲載作品に、書下ろしの表題作を加え、2011年8月、東京創元社より単行本刊行。2014年6月、文庫化。

 失業中の藤川光司が真っ昼間、自宅のフライパンで殴られて殺害された。発見者は保険会社の訪問外交員の女性。家の裏の蔵にあった古美術品百数十点が無くなっていた。容疑者は光司の代わりに働きに出ていた妻の小夜、近所に住む一人息子の允やその妻修子。疑問に挙がったのは、小夜が用意していたまずい弁当がきれいに無くなっていたのに、光司の胃袋には何も入っていなかったことだった。「お弁当ぐるぐる」。犯人当てアンソロジー『あなたが名探偵』に掲載された作品。推理というよりも、一番しっくりくる仮説、と言った方が正しい。単に流れ者の犯人が殺害した後弁当をどこかに捨てた、という説でも間違いではないわけで。どうでもいいが、無駄にキャラの立った刑事たちは余計じゃないかと思っていたが、後にシリーズ化される。
 物部太郎探偵事務所へ依頼に来たゴーストライターの末森徳美は、父から相続した一戸建てと隣の家との間の路地で、五か月ほど前から長い髪の女の幽霊が現れるという。父は亡くなるとき、庭に殺した母親の遺体が埋まっているので、家と土地を売る時は処理してからにしてくれという。まずは幽霊の素性を調べてほしいという。助手の片岡直次郎が幽霊のあらわれる時間を見計らって見張りに就く。「墓標の庭」。都筑道夫の物部太郎シリーズのパスティーシュ。とはいえ、肝心のシリーズを読んだことがないので、どこまで似せているのかはわからないが、幽霊の謎の裏側は面白い。
 憧れの先輩、掛川美幸に来てほしいと頼まれ、日曜日の午後一時に公園へやってきた柚木崎渓。ところが二時半を回っても、待ち人は現れない。そこへ飛んできた紙飛行機には、SOSと書かれた美幸からの文字。筆跡が違うけれどとりあえず指定されたマンションの五○五号室に行くと、「菅田」のネームプレート。しかし部屋に入ってみると美幸が殺されていた。部屋の電話がつながらないので一階に降りると、喧嘩の仲裁をしていたおまわりさんが二人いたので声をかけ、改めて戻ってみると、美幸だけではなく、同じ高三の畠瀬先輩も殺されていた。「カモはネギと鍋のなか」。県警捜査一課の与那原比呂刑事と、同居中の恋人である川渡紗夜があれやこれや話し合いながら、事件の謎を解き明かす展開。西澤らしいと言ってしまえばそれまでだが、これだったらタックシリーズでもよかったんじゃないだろうか。
 ホームレスの浅黄学が殺害され、容疑者として挙がったのは元同僚であった畝部龍二郎であった。しかし畝部は、不倫相手である厚東あきえの部屋にいたとアリバイを主張。若狭刑事はありえの住むマンションからフラワーポットという愛称の建物を見て、12年前の事件を思い出す。「対(つい)の住処」。建物を見て抱いた既視感から、現在と過去の事件の驚くべき連鎖を探し出す展開。こんな動機、よく考えたよなというのが第一印象。本作品中では異色作かもしれないが、一番印象が強い。
 結婚式場へ向かうエレベータ内で、指名手配犯を監視していたふたりの刑事。突然の停電後に、なんと乗客のひとりである中学生が殺害されていた。もっとも怪しいのは、手や服を血で汚した指名手配の男。しかし動機がない。捜査の途中で大怪我をして車椅子生活の岩渓智香刑事は、世話をしに来てくれた二卵性双生児の弟・智久の新婚の妻である真音に三年前の事件の概要を話していた。しかもこの時の刑事の一人は、二年後に墜落死をしている。真音が導き出した驚異の真相は。「赤い糸の呻き」。石持浅海の短編「暗い箱の中で」に触発されて書かれた、エレベータの中での謎の殺人。これも西澤らしく、色々仮説を立てていきながら事件の真相に迫っていくのだが、最後に解かれる謎の真相と、さらにその裏側にある想いが何とも痛々しい。正直、この思考が私には理解できない。

 ノンシリーズの短編集としては三冊目とのこと。一癖も二癖もある探偵役たちが、様々な仮説を立てながら推理を繰り広げていく展開は、作者のお手の物の展開だろう。ただ推理を繰り広げるだけなら、もっと地味なキャラクターにしてもよいとは思うのだが、それもまた作者の個性の一つか。
 個人的な感想だが、たまには切れ味鋭い推理を見せる作品も読んでみたいところ。作者の持ち味が十分に出た短編集であることは分かったうえで、あえてそう書いてみる。




クレイグ・ライス『時計は三時に止まる』(創元推理文庫)

 ジェイクは半ば呆れていた。今日はバンド・リーダーのディックが駆け落ちをやらかす日。だが、肝心の相手が姿を見せない。やむなく先方を訪ねてみれば屋敷は警官だらけ、おまけに彼女は殺人容疑で逮捕されたという。陳述の内容が凄かった。事件のあった午前三時に、時計がいっせいに止まった? 頭を抱えたジェイクは旧友のマローンに弁護を依頼するが、途端に今度は、何者かが屋敷じゅうのベッドメイクをしていったらしいことが明らかに……。酔いどれ弁護士マローンとその仲間が織りなす笑いの数々。不滅のユーモア・ミステリ連作、ここに開幕!(粗筋紹介より引用)
 1939年、アメリカで発表。1987年5月、『マローン売り出す』のタイトルで光文社文庫より翻訳刊行。1992年1月、若干の訂正を加え、改題し、創元推理文庫より刊行。

 酔いどれ刑事弁護士ジョン・ジョセフ・マローン、ナイトクラブ経営者(本作ではディック・ディントン率いるバンドのエージェント兼マネージャー)のジェイク・ジャスタス、大富豪の娘で酒豪、後にジェイクと結婚するヘレン・ブラントの初登場作品。『大あたり殺人事件』などの傑作ぞろいのシリーズなのに、なぜ本作の邦訳がこんなに遅れたのかはわからない。
 富豪の相続人、ホリー・イングルハートと秘密の結婚をし、その夫でバンドリーダーのディック・デイトンと駆け落ちをするための待ち合わせ。ところが時間になってもホリーは現れない。ジェイクとディックはホリーの家を訪ねてみると、富豪の伯母、アレグザンドリア・イングルハートが殺害され、ホリーは警察に逮捕されていた。
 ここからジェイクがマローンに弁護を依頼し、ホリーを救うべくドタバタ劇が始まる。ただ後の作品と比べると、それほどドタバタがあるようには感じない。ユーモアとウィットにあふれる会話はすでに片鱗を見せているが、事件の謎と絡み合った人間関係に振り回されている印象の方が強い。
 時計が午前三時に一斉に止まった謎の方はそれほど面倒なものではないが、殺人事件の謎をここまで読ませる作品に仕立て上げるのは、作者の腕と言っていいだろう。登場人物の魅力と、流れるようなストーリー展開の巧さに酔いしれる長編である。
 2018年の復刊フェアで購入した一冊。東京創元社にはもっともっと復刊してほしいものが色々とあるのだが、毎年似たようなラインナップに見えてしまうのは気のせいか。




青崎有吾『11文字の檻 青崎有吾短編集成』(創元推理文庫)

『体育館の殺人』の衝撃のデビューから10年。“平成のエラリー・クイーン”と称された青崎有吾は、短編の書き手としても高い評価を獲得し、作品の幅を広げ続けている。JR福知山線脱線事故を題材にした人間ドラマ「加速してゆく」、全面ガラス張りの屋敷で起きた不可能殺人の顛末「噤ヶ森の硝子屋敷」、観測不能な最強の姉妹を追う女たちの旅路「恋澤姉妹」、奇妙な刑務所に囚われた男たちの知力を尽くした挑戦を描く力作書き下ろし「11文字の檻」に、人気コミックのトリビュート作やショートショートまで、10年の昇華である全8編を収録。(粗筋紹介より引用)
 2019~2022年に発表した作品群に、書下ろし「11文字の檻」を加え、2022年12月刊行。

 地方紙カメラマンの植戸昭之は、JR福知山線脱線事故の直前に尼崎駅で会った少年のことが気になった。「加速してゆく」。作者がこのような人間ドラマを主体にした短編を書いているとは思わなかったので驚いた。個人的にはこれがベスト。ただ、この作風では作者の良さを引き出せるとも思えない。
 稀代の女性建築家、墨壺深紅が連作で建てた奇妙な屋敷の一つ、噤ヶ森の硝子屋敷。最小限の柱を残してすべてがガラス張りで、屋敷の裏の木々まで見える透明度。不動産グループの女性社長、佐竹が購入し、宿泊施設としてオープンする前に、旧知の友人5名を招待。ところが到着してから30分後、部屋の中で佐竹が着替えに入った自室で射殺され、しかも出火して屋敷が全焼した。佐竹が殺された部屋は誰も近づいておらず、密室だった。探偵、薄気味(うすきみ)良悪(よしあし)が謎を解く。「噤ヶ森(つぐみがもり)硝子(ガラス)屋敷」。ここまで作られた設定を見ると館もののパロディとしか思えなかったのだが、読み終わってみると普通に本格ミステリだった。まあ密室トリックはバカバカしいが、犯人を突き止めるロジックはそれほど悪くない。ただ、そんな勿体ぶって語るほどのものとも思えなかったが。ここまで細かい設定を作ったのなら、是非ともシリーズ化して連作短編集として出してほしい。
 漫画『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の公式二次創作、「前髪は空を向いている」。元作品を知らないので、読んでもなにがなんだかわからなかった。
 禿頭の探偵水雲(もずく)雲水(うんすい)が、女子大生墜落事件の謎を解くショートショート「your name」。嘘を見破るネタは、ワープロ時代にも確かあったななんて思い出した。ちょっとした叙述トリックを織り交ぜているところは面白い。
 飽きっぽい男が、妻に飽きて殺してしまった。ショートショート「飽くまで」。趣向としてはありかも知れないが、このあと飽きが来ても取り換えがきかないルーチンの生活を送ることになるのは気付かないのだろうか。
 あとがきに書かれているように、巨大ロボの清掃のバイトをする女の子の話。「クレープまでは終わらせない」。表紙カバーを描いたイラストレーター、田中寛崇の画集に掲載されたコラボ作品。非ミステリ作品で、絵がないとあまり魅力が伝わってこない。
 人生に干渉した者を片っ端から殺していく、最強の姉妹、恋澤吐息と血潮。日本人で推定二十代。十五年以上も紛争が続く中東の、封鎖された地区に住んでいる。師匠の音切除夜子を姉妹に殺された鈴白芹は、二人と対峙するために中東にやってくる。「恋澤姉妹」。『彼女。 百合小説アンソロジー』に掲載されたアクション小説。作者はあとがきで「百合」について、「広義では友情、憧れ、嫉妬、憎悪、シスターフッドなどもひっくるめた女性同士の関係性全般を指す」としている。申し訳ないけれど、強い印象は受けなかった。だから何なの、としか思わない。
 東土政府によって第二級敵性思想の保持者と認定された縋田は、施設に収容されてしまった。出所するためには、11文字のパスワードを答えないといけない。しかしヒントはない。書下ろし中編「11文字の檻」。極限下の状況でパスワードの謎に迫っていくロジックは面白いのだが、肝心のパスワードの方は今一つ。上層部の一部によるお遊びにしか思えないのだよ、この刑務所って(捕えられた方はたまったもんじゃないが)。そんな余裕があるのか東土政府、と突っ込みたくなった。

 平成のエラリー・クイーンと呼ばれていることは知らなかったが、本格ミステリだけでなくいろいろなジャンルの作品が書けるのだなとは思った。ノンジャンルの短編集を編むのはいいのだが、ここまでジャンルがバラバラだとさすがに印象が散漫になる。特に二次創作は元作品を読んでいないので、苦痛でしかなかった。
 表題作の「11文字の檻」は力作かも知れないが、パスワードの謎よりも、こんな緩い制度の刑務所ってどんな意味があるのかと思う方が強い。だから作品自体の出来としては、あまり感心しない。それよりも「加速してゆく」の方が綺麗にまとまっていると思う。ただ、青崎有吾にこういう作品は求めないけれど。
 やっぱり、ある程度似たような作品をそろえた方が、短編集として楽しめると思う。振れ幅の広さがマイナスに働いた短編集に感じた。



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