渡辺優『私雨邸の殺人に関する各人の視点』(双葉社)

 雨目石鋼機株式会社の名誉会長である雨目石昭吉が約10年前に別荘として購入した、昭和初期に建てられた古い洋館の私雨(わたくしあめ)(てい)。足が悪くて車椅子の昭吉のために改装はされているが、歴史ある佇まいはそのまま。ただ60年前には持ち主の実業家が愛人に殺されたという。6月22日の午後、私雨邸にやってきたのは昭吉と、孫で小学五年生のサクラ、孫でサクラの異母兄となる29歳の無職金髪の梗介、孫でサクラたちの従姉妹になる25歳の杏花、会長補佐で52歳の男性会社員石塚。招待されたのは、昭吉とSNSで知り合った、T大学ミステリ同好会会員である18歳の二ノ宮、そして会長である21歳の一条の男性コンビ。私雨邸で料理と家事を担当するのは、日雇いで44歳の女性恋田。山中をトレッキングしているときに足をねんざして、助けを求めた30歳の男性会社員、水野。私雨邸を撮影しているときに水野と遭遇した、地元の女性雑誌編集者牧。水野と牧も誘われた晩餐会が開かれた。会の終わりごろ、自殺に失敗して道に迷った田中という男性が私雨邸に助けを求める。雨による土砂災害で、道路のトンネルがふさがってしまい、全員が宿泊することとなる。次の日の夜、夕食の終わりごろ、部屋で休んでいた昭吉がナイフで刺されて死んでいるのを、サクラが発見した。
 クローズドサークルと密室殺人に大喜びの二ノ宮、実は杏花の高校の同級生だが口に出せない牧、30歳になると昭吉からの援助が打ち切られる梗介の視点で物語は進む。
 『小説推理』2021年12月号~2022年6月号連載。加筆訂正のうえ、2023年4月、単行本刊行。

 作者は2015年に「ラメルノエリキサ」で第28回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。複数の著書がある。クローズドサークルの密室殺人、さらに連続殺人が起きるのに、事件を解決するはずの名探偵がいない、という帯に惹かれて購入。
 特に最初の事件は、誰にも犯行が行えず、動機らしい動機も見当たらない。物語は二宮、牧、梗介の視点で進むのだが、警察も名探偵もいないので、各自が得た情報が集約することはなく、全てを知っているのは読者だけという状態なのである。そして神の視点Xから、「ここまでの視点で犯人は特定可能である」と投げつけられる。
 本格ミステリファンなら、クローズドサークルの連続殺人事件に興味津々だろう。作中でも二宮は、人が死んだことより自分が憧れの設定の登場人物になっていることで大はしゃぎしており、読んでいて腹立たしい(笑)。こんなのが居たら遺族から殴られてもおかしくはない、と言いたくなるぐらいの浮かれ様である。さすがに本格ミステリファンでも、実際の事件でこんな態度をとるような人物はいないと思いたい(笑)。
 それはともかく、3人の視点が速い展開で入れ替わってスピーディーに物語が進むのだが、視点が重なる部分と重ならない部分がある。これでどうやって結末まで持っていくのだろうと思っていたのだが、結局各人が推理を披露するだけなのは今一つで、なにか工夫がほしかったところ。推理の披露部分でようやくすべての証拠が明らかにされ、最後にある人物が謎解きをする。本来なら、証拠が出てくる→ワトソン役が短絡的な発想で推理を披露し、名探偵にたしなめられる→証拠がすべて明らかになる→名探偵が正しい推理を披露する、という展開がちょいとずれているというわけである。これを新しいとみるかどうか。密室トリックが現実的だったのにはホッとしたが。
 読み終わってみると、ちょいと変な気分にはなったな。これが新感覚なんだろうか(苦笑)。クローズドサークルで、最後に変な人間ドラマを見せられた。それが面白いとは思えなかったが、これは好みかもしれない。




伊坂幸太郎『AX アックス』(角川書店)

 最強の殺し屋は――恐妻家。「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克巳もあきれるほどだ。兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。引退に必要な金を稼ぐため、仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。『グラスホッパー』『マリアビートル』に連なる殺し屋シリーズ最新作! 書き下ろし2篇を加えた計5篇。(粗筋紹介より引用)
 『野性時代』他掲載3編に書下ろし2編を加え、2017年7月、単行本刊行。

 恐妻家の殺し屋「兜」は、高校生の一人息子、克巳の進路相談に絶対に行くと妻に約束する。緊急の用事なんてそうそうない。しかし仕事を斡旋する医師は、同じ日に緊急の仕事を依頼する。「AX」。
 医師は、かつてスズメバチと呼ばれた殺し屋男女ペアの生き残りの男が兜を狙っていると忠告した。そんなとき、家の庭の木に蜂が巣を作っていると、妻から電話が来る。「BEE」。
 兜こと三宅は通い始めたボルタリングジムで、同じ恐妻家の松田と友人になる。しかも松田の娘、風香は克巳と同じクラスだった。医師は二つの仕事があるという。一つは別の殺し屋が組織から抜け出そうとしているので殺害してほしい。もう一つはその殺し屋からで、組織から抜け出すための死体が欲しいという。「Crayon」。
 表の顔は文具会社の営業社員である兜は、取引先のテナントが入っている百貨店の警備会社社員、奈野村と親しくなる。ある日、奈野村は中学生の息子が伸也の百貨店の店内巡回を見学したいというのだが、いいだろうかと兜に相談する。「EXIT」。
 あれから10年。克巳は茉優と結婚し、三歳の息子・大輝がいた。ある日、母のところにスポーツジムのトレーナー、田村亮二という人が父に会いたいと連絡があった。代わりに会った克巳に亮二は、10年前の小学校のころ、中学生の子に恐喝されていたところを、三宅に助けられたという。その時拾った病院の診察券を、占い師の助言で返しに来たのだった。克巳はその診察券の予約の日付が気になった。「FINE」。

 『グラスホッパー』『マリアビートル』に続く殺し屋シリーズの第三弾は、恐妻家の殺し屋「兜」を主人公にした連作短編集。
 うだつが上がらない恐妻家が、実は凄腕のプロフェッショナル、という設定はそれほど珍しいものではない。殺し屋が家族思いというのもありがちだ。まあ、殺し屋とのギャップと、軽妙なやり取りを楽しめればいいかな、なんて思いながら読み進めていたら甘かった。書下ろしの二編「EXIT」「FINE」を最初から念頭に置いて書いていたのだろう。意外なところで伏線もしっかり貼られていて感心したし、最後のやり取りなんて思わず感動してしまった。さすが伊坂幸太郎、一筋縄ではいかない。
 連作ならではの仕掛けも楽しめる後半2編よりも、「Crayon」の方が個人的には好みかな。恐妻家の二人が互いの境遇を慰め合い、そして分かり合う姿はあまりにも切実だ。女性は「裏メッセージ」に敏感だ、という言葉には頷くしかない。そうそう、表しかないメッセージに裏を見つける女性がいるんだよ、世の中には。
 人の感情を持ってはやっていけない殺し屋が、人の感情を持ったらどうなるか。そんなことを教えてくれる連作短編集だった。過去二作よりも面白かった。




大沢在昌『黒石(ヘイシ) 新宿鮫XII』(光文社)

 リーダーを決めずに活動する地下ネットワーク「金石(ジンシ)」の幹部、高川が警視庁公安に保護を求めてきた。正体不明の幹部“徐福”が、謎の殺人者“黒石(ヘイシ)”を使い、「金石」の支配を進めていると怯えていた。
 「金石」と闘ってきた新宿署生活安全課の刑事・鮫島は、公安の矢崎の依頼で高川と会う。その数日後に千葉県で“徐福”に反発した幹部と思しき男の、頭を潰された体が発見された。
 過去十年間の“黒石”と類似した手口の未解決殺人事件を検討した鮫島らは、知られざる大量殺人の可能性に戦慄した――。
 どこまでも不気味な異形の殺人者“黒石”と、反抗するものへの殺人指令を出し続ける“徐福”の秘匿されてきた犯罪と戦う鮫島。“新宿鮫”シリーズ最高の緊迫感で迫る最新第十二作。(帯より引用)
 『小説宝石』2021年4月号~2022年10月号連載。加筆・修正のうえ、2022年11月、光文社より単行本刊行。

 前作『暗約領域』から3年ぶりの長編。前作に引き続き「金石」絡みの事件であり、前作の登場人物も多く登場するし、関連する事項も多い。前作を読まなくても物語の内容はわかるけれど、さすがに新宿鮫を本作から読む人はいないだろう。
 本作では前作に引き続き、元公安部公安総務課の若手刑事・矢崎が登場。現在は本庁警備部の災害対策課に所属しているが、公安の手伝いで鮫島と接触し、事件に当たる。新宿署の阿坂景子課長、鑑識官の藪英次とともに殺人者“黒石”を追う。
 過去の作品では藪や桃井課長という信頼できる相手がいたものの、捜査は基本的に一人で行ってきた鮫島が、本事件では矢崎とのペアがほとんどである。変われば変わるものだな、という気がしなくもない。鮫島も年を取ったのか。それとも少しは柔らかくなったのか。以前ほどの緊張感が鮫島からは感じられないのは良いことなのか、悪いことなのか。さらに本作では、鮫島に反発する“身内”が一切出てこない。そのことも、緊張感が見られなかった理由の一つだろう。そして、アウトローであったはずの鮫島が普通の刑事になりつつある気がして、とても残念でもある。
 自らをヒーローと呼びながら、平然と殺人を行っていく“黒石”だが、残虐な犯行内容の割に恐ろしさが伝わってこないのが残念だった。そもそもなぜ自らをヒーローと呼ぶようになったのかがさっぱりわからない。“黒石”の存在を客観視する人物がいないことから、“黒石”の異常さの本質が伝わってこない。そこに物足りなさを感じる。
 筋運びの巧さは相変わらずなのだが、徐々に新宿鮫が変化してきている。前作よりそう感じさせる作品であった。まだ「金石」で登場していない人物もいるし、おそらく次作も「金石」絡みとなるであろう。とりあえず次作に期待したい。




パトリック・クェンティン『わたしの愛した悪女』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 板紙会社の若い社長アンドリュー・ジョーダンは、白バラのように美しい妻モリーンを熱愛していた。だが、アンドリューには人知れぬ悩みがあった――美しい女を妻にもった夫に共通の悩みであるが……。それは、モリーンに男ができたのではないかという絶えまない疑惑だった。もちろん、その確証があるわけではない。が、ある時、モリーンを中傷する匿名の手紙がアンドリューのもとに届いた。しかし、これとてジョーダン夫妻の睦まじさをねたむあまりかもしれない。
 そんなジョーダン夫妻の生活に大きな波紋を投げたのは、モリーンのいとこローズマリー・サッチャーだった。ある日、とつぜん彼女は夫妻のアパートを訪ね、アンドリューの弟ネッドと結婚すると宣言したのだ――あの遊び人のネッド、絶えずいかがわしい女といざこざを起し、そのたびに兄に尻拭いをさせているネッド――そのネッドがローズマリーのような醜い女と結婚するとは! どう見ても億万長者サッチャー家の財産目当てとしか考えられない。モリーンはこの結婚に強硬に反対した。彼女は15歳のとき、交通事故で両親をなくし、サッチャー家にひきとられ、ローズマリーと一緒に育てられたからだ。そのローズマリーの不幸を黙ってみていられない……。だが、皮肉にも不幸はモリーンをみまった。アンドリューの拳銃で、何者かに射殺されてしまった!
 愛する妻を殺されたアンドリューは警察とは別個に、憎むべき犯人を調べはじめた。が、明らかになったのは、美しく、貞淑なはずの妻の、真実の姿だった!(粗筋紹介より引用)
 1960年、発表。1962年、邦訳刊行。

 パトリック・クェンティンは、リチャード・ウェップと、劇作家として知られるヒュウ・ウィーラーの合作ペンネームと訳者あとがきで書かれているが、Wikipediaを見ると他にも参加しているメンバーがいるとのこと。他にQ・パトリック、ジョナサン・スタッジなどの名前も使っている。ともにイギリス生まれで、後にアメリカに帰化した。ただWikipediaによると、本作はヒュウ・ウィーラー(ヒュー・キャリンガム・ホイラー)が単独の作品であり、クェンティンとしても後期の作品となる。
 若社長の美貌の妻が、若社長自身の拳銃で殺害される。警察の容疑は若社長にかかる。愛する妻を殺害した憎むべき犯人を探し始めた若社長であったが、妻や家族の裏側を知ることになる。
 事件を追ううちに殺害された妻の真の姿を知るという展開は目新しいものではないが、個性的すぎる登場人物の描き方がうまいので、物語として楽しめる。特に主人公、アンドリュー・ジョーダンがお人好し過ぎるというか、情けなさすぎるというか。絶対裏側では馬鹿にされているのだろうな、と思わせる描き方は達者だと思った。そんなアンドリューが逮捕までのリミットに追われつつ、情けなさを見せながらも必死に真相を追う姿には、男としては涙を誘う。
 最重要容疑者であるアンドリューがドタバタしているのに、警察が全然動いているように見えないのには首をひねるが、試行錯誤を繰り返しながらの結末の畳みかけは見事。当時どれだけ評価されていたのかはよくわからないが、クェンティンのうまさはよく出ていた佳作だと思う。




夕木春央『時計泥棒と悪人たち』(講談社)

 油絵画家の井口が、出獄した元泥棒で友人蓮野に相談を持ち込んだ。以前井口の父が美術収集家の加右衛門氏に譲ったオランダ王族由来の置時計が贋物であり、加右衛門氏が私立美術館の造設を進めているという。美術館に時計が展示されれば、加右衛門氏は大恥を晒す。井口は蓮野とともに美術館に潜入して本物の時計との交換を試みる。「加右衛門氏の美術館」。
 元士族で資産家の蓑田明良が5年ぶりにイギリスから帰ってくるというので、蓑田家はパニック。妾が三人いる47歳の長男幸正、我儘で二度離婚した40歳の長女美千江、保険会社に勤める37歳の次男明正、週四回娼館に通う32歳の従兄弟明彦、すでに子供二人を外に作っている不良青年で20歳の三男篤良。盗み聞きが悪習である女中の亜津子を含め、てんやわんや。そんなある日、だらしない家族内の調整役だった明正が密室の部屋で殺された。「悪人一家の密室」。
 井口が妻の紗江子とともに義兄夫婦の谷苗家に泊まった翌日、谷苗家の一人娘である峯子が誘拐され、身代金を要求する脅迫状が届いた。井口は皆と相談のうえ、警察には届けず、蓮野に助けを求める。蓮野は脅迫状を読んで、違和感を抱いた。「誘拐と大雪 誘拐の章」。
 峯子が誘拐されてから助けられるまでの顛末と、さらになぜか犯人が殺害された謎を峯子視点で書いた「誘拐と大雪 大雪の章」。
 井口のパトロンである晴海社長が蓮野に依頼したのは、四か月前に病死した妻・やよいに送られてきたフランスからの手紙に心当たりがないため、調べてほしいとのことだった。やよいは双子で、晴海社長の最初の奥さんは双子の姉・つきよだった。「晴海氏の外国手紙」。
 陽東海運の大型貨物船光川丸が印度から帰ってくる途中、東京湾沖で航行不能に陥った。曳航の手配に手間取り、西田船長を残して全員が陸に引き上げていた。陽東海運の社長である広川浩太郎は船成金で、黒鳥会という珍味を食する秘密倶楽部を主催していた。光川丸に積まれていたのは二頭の虎だった。そこで広川は、客とコックをヨットで運び、船上で会合を催すことにした。その客の中にいたのは、井口と蓮野、画家で晴海社長に世話になっている大月。そして三人と同行した雑誌編集者の南である。黒鳥会で給仕をしている照江は、殺されて臀部の肉を抉られた南の死体を発見。慌てて広川を呼んだが、市血痕は残っているものの、死体は消えていた。「光川丸の妖しい晩餐」。
 井口の祖父が骨董商をしていた時に取引したフィリップ・ファン・ロデウィック伯爵の次男より、オランダ王族由来の置時計を拝見させてほしい、できることなら買い戻させてほしいという手紙が届いた。ところが、置時計に散りばめられていたルビーだけが盗まれていたのだ。それだけではなく、井口の妻・紗江子の周りでルビーが盗まれる事件が相次いでいた。「宝石泥棒と置時計」。
 全て書下ろしで、2023年4月、講談社より単行本刊行。

 『絞首商會』で登場した元泥棒の蓮野と、油絵画家の井口が事件に挑む6編を収録した連作短編集。『絞首商會』の前日譚となっており、前作で語られていた峯子の誘拐事件も収録されている。前作に登場した大月なども登場。作品は時系列で並べられている。
 『方舟』が面白かったので、『絞首商會』と新刊の本作を続けて読んだ。大正時代が舞台なのだが、電話がないことを除けば、大正時代というイメージはほとんどない。もうちょっと時代背景を描いた方がリアリティが増すとは思うのだが。前作までは堅苦しい文章で読むのがちょっと辛かったが、本作ではだいぶ柔らかくなっている。ちょいとくどいなという説明はまだ残っているが。
 蓮野が論理的に謎を解き明かす展開は、短編でも変わっていない。そのロジックは読んでいて楽しい。だがバラエティな内容になっている割に、印象に残る作品があまりないのは、書き方がくどいわりに内容が淡白なせいだろうか。舞台がイメージとしてなかなか湧いてこないというのも珍しい。「光川丸の妖しい晩餐」なんて本来なら事件の結末にいたるまでの内容が強烈なので印象が強い作品になるはずなのに、今一つ物足りない。大型貨物船と言われても、書かれている内容からはピンと来ない。そもそも、これだけしか客が来ないのかい、というツッコミもしたくなる。
 楽しめることは楽しめるのだが、物足りなさが残るのも確か。もっと大正ロマンらしく書けないものだろうか。せっかくの設定なのに勿体ない。大正という舞台とロジックの面白さが融合できれば、もっと跳ねるに違いない。




トム・ミード『死と奇術師』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 一九三六年、ロンドン。高名な心理学者アンルセム・リーズ博士が自宅の書斎で殺された。現場は完全な密室状態。手掛かりも、犯人の目撃者も、凶器もなかった。この不可解な事件の捜査を依頼された元奇術師の私立探偵ジョセフ・スペクターは、容疑者である博士の患者たちに翻弄されながら、彼が隠していた秘密へ近づいていく。だが、不可能犯罪と奇術は紙一重だと語るスペクターの前に、再び奇妙な密室殺人事件がおこり……。精緻なロジックと、魅力的な謎で読者に挑戦する、本格謎解きミステリの傑作。(粗筋紹介より引用)
 2022年、イギリスで発表。2023年4月、邦訳刊行。

 トム・ミードはイギリス生まれ。『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』『アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン』などに短編を発表。本書で長編デビュー。本書で登場する私立探偵ジョセフ・スペクターは、短編でいくつか登場している。謝辞ではジョン・ディクスン・カー、エラリイ・クイーン、エドワード・D・ホック、ヘレン・マクロイ、ヘイク・タルボット、クレイトン・ロースン、クリスチアナ・ブランド……に知的な刺激を与え続けてくれることに感謝している。さらにポール・アルテ、島田荘司の名前も挙げている。本書は父、母、そしてJDCに捧げられている。
 舞台が1936年のロンドン。しかも密室殺人×2。謎を解くのは元奇術師の私立探偵。読者への挑戦状があり、解決篇は袋とじになっている。これ、読まなきゃだめでしょ。黄金時代の本格ミステリを今、読むことができる。そのことに感謝、感謝。
 高名な心理学者とその娘、使用人。音楽家、女優、作家という怪しげな患者たち。さらにそれらを取り巻く人々。登場人物の配置や性格付けもよくできているし、難事件に振り回される警部補やその部下たちもいい。途中で『三つの棺』になぞらえた密室トリック検討も登場するが、すぐに終わるのでホッとした。下手な作家は二番煎じと気付かず、ここで長々と書いちゃうんだよな。それがなかっただけでも上等。
 密室トリックは大掛かりなものではないが、逆にその点は地に足が着いているという感じ。無駄にトリックに走る日本の新本格より好ましい(それはそれでいいところもあるが)。限られた容疑者から犯人を導き出すロジックは面白いし、容疑者を集めて犯人を指摘するくだりは楽しかった。
 はっきり言って黄金時代の本格ミステリを再現しただけ、という気がしなくもないが、そのことに挑戦してくれるのが嬉しい。それでいてノスタルジーに浸る作品になっておらず、普通にミステリとして楽しめることに感心した。売れるとは思えないのだが、ピーター・ラウゼイらから賞賛を受けたということはそれなりに評判がよかったのだろう。次作が2023年に刊行予定とのことなので、そちらも翻訳を待ちたい。それと、解説の千街晶之による袋とじミステリの歴史はお薦め。




深堀骨『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(左右社)

 昔昔のワンス・アポン・ア・タイム、と云っても然程昔ではない程度に昔、あるコミュニティにGさんとBURさんが棲んでいた。ある日、Gさんが山へシバきに(その実はシバかれに)いってる間に川へ選択にいったBURさんは、若い女の腿を拾う。腿を切ると、中から異様に大きな逸物を持つ赤子が生まれた。二人は腿から生まれた赤子を「腿太郎」と名付けて育てる。成長し、コミュニティ内の風呂屋〈湯気湯〉の三助となった腿太郎は、自らの出生の謎を解くため、犬(名前は「猫」)、猿(コスプレ)、キジ(丼)、それ以外の愉快な(?)仲間たちと共に〈鬼ヶアイランド〉を目指す……(粗筋紹介より引用)
 2023年2月、書下ろし刊行。

 鬼才? 異才? 変態? どういう冠を付けたよいかわからないが、あの『アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記』の深堀骨の20年ぶりとなる単行本で、初の長編。
 女の腿から生まれた腿太郎が、犬、猿、キジたちを連れて鬼ヶアイランドを目指すという、むかし話の「桃太郎」を大胆にアレンジした作品なのだが、これが何ともハイテンションでシュール&ナンセンスギャグの極みみたいな作品。そもそもどうして腿から赤ちゃんが生まれるんだという話だし、腕から生まれた腕太郎も出てくる。GさんとBURさんはゲイカップルだし、Gさんは芝刈りではなく、鞭でシバかれに山へ行く。腿太郎がなぜ三助になるのかという展開もわけがわからないし、さらに出てくる人物にまともな人がいない。そもそも、まともって何? と自分の感覚を疑ってしまうくらい、わけがわからない人たちばかりである。しかも昭和のパロディばかりで、平成生まれの人には何が何だかわからないだろう。力口山雄三ぐらいならまだ許容範囲だけど、「わ~かめスキスキピチピチ~♪」のパロディはさすがに元ネタを思い出すのに苦労した。
 ストーリーもハチャメチャというか、出鱈目というか。それでいてなんだかんだストーリーが成立しているところが凄い。バカバカしいように見えて、ちゃんと計算されている……かどうかはわからないが、面白い作品に仕上がっているのだから、やっぱり異才なのだろう。
 この作品の問題点は、とっかかりかな。バカバカしい登場人物と展開で、全部読まないうちに投げ出すかもしれない。その山さえ越えれば面白くなるから、是非とも読んでほしいものだ。とてつもなく高い山だとは思うが(苦笑)。
 赤塚不二夫が読んだら面白がりそうだな、という気はする。『がきデカ』のノリの方が近いか。それぐらいナンセンスでハイテンション。ファンタジーのかけらも見当たらないファンタジー作品である。この人にしか書けないことは間違いない。まあ、手に取ってみてよ、と言いたくなる怪作である。




ロバート・R. マキャモン『少年時代』上下(文春文庫)

 十二歳のあの頃、世界は魔法に満ちていた――1964年、アメリカ南部の小さな町。そこで暮らす少年コーリーが、ある朝殺人事件を目撃したことから始まる冒険の数々。誰もが経験しながらも、大人になって忘れてしまった少年時代のきらめく日々を、みずみずしいノスタルジーで描く成長小説の傑作。日本冒険小説協会大賞受賞作。(上巻粗筋紹介より引用)
 初恋、喧嘩、怪獣に幽霊カー。少年時代は毎日が魔法の連続であり、すべてが輝いて見えた。しかし、そんな日々に影を落とす未解決の殺人事件。不思議な力を持つ自転車を駆って、謎に挑戦するコーリーだが、犯人は胃がないところに……? もう一度少年の頃の魔法を呼び戻すために読みたい60年代のトム・ソーヤ―の物語。(下巻粗筋紹介より引用)
 1991年、発表。1991年度ブラム・ストーカー賞受賞。1992年度世界幻想文学大賞受賞。1995年3月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。1995年、第14回日本冒険小説協会大賞(海外部門)受賞。1999年2月、文庫化。

 『東西ミステリーベスト100』未読本消化の一冊。読んでいると思っていたのだが、未読本リストに入っていた。
 アラバマ州南部のゼファーという人口約1,500人の小さな町が舞台。どんな町かというのは、著者の初めの言葉にある。ブライト・スター・カフェ、ウールワース、小規模な食料雑貨の店、悪い娘たちを住まわせている家がある。どの家にもテレビがあるわけではなく、郡内がアルコール禁止なので酒の密造業が繁昌。教会が四つ、小学校が一つ、墓地、底無しの深い湖。公園にプールに野球場。通過するだけの鉄道。だけど魔法の土地。百六歳になる黒い女王。OK牧場でワイアット・アープの命を救った拳銃使い。川には怪獣、湖には謎。真っ黒なドラッグレース用の車で道を飛ばす幽霊。天使と悪魔、死後の復活を果たした南軍兵。異星から来た侵略者。完璧な剛腕を持つ少年。逃げ出した恐竜。
 主人公は、十二歳の少年、コーリー・マッケンソン。両親はトムとレベッカ、祖父はジェイバード。親友はデイヴィー・レイ・キャラン、ベン・シアーズ、ジョニー・ウィルソン。
 コーリーがゼファーで過ごした十二歳の一年が「春」「夏」「秋」「冬」の章で描かれる。連作短編集のように、様々なエピソードが続いていく。それは冒険とファンタジーと現実の交錯。まだまだ子供で、夢と魔法を信じ、ちょっとだけ大人の世界に足を踏み入れた、そんなコーリーだが、顔をつぶされ、ピアノ線で首を絞められた裸の男が、手錠でハンドルに繋がれていたまま車ごと湖に沈められたのを父と一緒に見てしまったことが、一家に影を落とす。それは初めて知る大人たちの罪と過去の傷だった。
 訳者あとがきによると、名前と役割を与えられて登場する人間の数は160人ほど。覚えれらないよ、なんて文句を言いながらも、作品世界に引き込まれていく。まさに1960年代のトム・ソーヤーであろう。本当にファンタジーじゃねえか、と言いたくなる展開があるのも驚き。逆にギャングとの遭遇というのは、アメリカ南部っぽいと思わせる。南北戦争や黒人差別が語られるのも、南部ならではであろう。
 そこに殺人事件が絡むのに違和感がないことに驚かされる。まだそんな時代だったよなと思わせる犯人たちであったが、それも含めて子供の冒険成長譚になってしまうところも不思議だ。そしてまた、尊敬の的でありながら時には相棒となる父親、口うるさいが愛情あふれる母親の存在感も魅力的だ。
 そしてうまいなと思ったのは、最後の章に描かれる1991年。ゼファーを引越ししてから25年。40歳になったコーリーは、妻と二人の子供を連れて、ゼファーにやってくる。過ぎ去った時を思い出すように、そしてあの頃の輝きを伝えるために。少年時代の冒険を大人になって振り返るという結末はあまりにもありきたりであろうが、なのに思わず涙を流してしまうのはなぜだろう。
 ワクワクして、ドキドキして、時には楽しく、時には悲しく。大人たちが昔を思い出させるようなリアル・ファンタジーといっていいだろう。少年の頃の夢と冒険と成長をすべて注ぎ込んだような作品である。やっぱり傑作ですね、これは。




麻耶雄嵩『化石少女と七つの冒険』(徳間書店)

 京都の北部に位置する、百年以上の歴史を誇る名門、私立ベルム学園。古生物学部の部長、赤点の女王である神舞まりあは無事に三年生に進級。平部員でお守り役の桑島彰も二年生に進級した。古生物学部も無事に存続したが、もうすぐ五月になるのに新入部員が一人も来ない。そんな時に、理科室で一年生の東海林清花が殺害された。まりあももう事件には興味がなく、彰も安心していたが、清花のクラスメイトで、以前部を見学に来た高萩双葉が相談にやってくる。現場の状況から、彼が疑われている。元生徒会の稲水渚からまりあが探偵をしていると聞いたので、助けてほしいと頼みに来た。さらにベルム学園のヘンリー・メリヴェールと名乗る高校生探偵も登場する。「第一章 古生物部、差し押さえる」。
 ゴールデンウィーク後、高萩が古生物学部に入部した。高萩は、今年建った新しいクラブ棟に既に九つの「七不思議」があると話をするが、特にバイク部にある等身大の一つ目のロボットが夜な夜な両手を血まみれにして新クラブ棟の前の廊下をうろつきまわるという「彷徨える電人Q」の話にまりあが食いつく。古生物学部に興味を持たせるために、プテラスピスのプラモデルを屋上から糸で垂らして窓の外を移動させ、新しい「七不思議」に加えようという作戦が立てられ、三日後に実験を行うこととした。ところが三人は、新クラブ棟の1階のトイレで二年生の男子生徒の死体を発見する。しかもなぜか、電人Qの二本の腕を抱えていた。「第二章 彷徨える電人Q」。
 五月の下旬、京都市北部の広河原の山中で、新種とみられる白亜紀の全長五メートルほどの肉食恐竜の後肢の化石をまりあが発見。地元大学を主体としたプロジェクトチームが発足され、まりあは化石ガールとして全国に名前が広がった。両親からも祝福されて公認され、さらに暗い話題が多い学園のイメージアップにつながって、有名大学の指定校推薦の枠が与えられた。そんな騒動が少し落ち着き、来週には文化祭が始まる六月中旬。新入部員は一人もいないまま。部室にいた三人は、石油の匂いが外から漂ってくるのに気付く。非常ベルが鳴って慌てて廊下に出ると、彰は女子生徒が逃げていく後姿を見かけた。隣の書道教室に入ると、スプリンクラーが作動している中、灯油を掛けられて燃えていた大人の男性を発見。書家としても名前のあるイケメンの書道教師が殺されていた。しかしまりあは文化祭の準備が大事だと、事件解決に興味を示さなかった。「第三章 遅れた火刑」。
 九月に入り、まりあは学園から表彰され、マスコミからの騒動は一段落したが、今度は学内から取材が舞い込むようになった。そんな騒がしい日々が過ぎた九月下旬の放課後。講義室で二年生の女子生徒が殺害され、床に血で化石女という文字が書き残されていた。当然まりあが疑われ、刑事から事情聴取を受けたが、殺害されたと思われる時間帯にまりあは部室にいて一歩も外に出ず、彰と高萩もそれを証明した。では化石女とはどういう意味なのか。「第四章 化石女」。
 十月下旬のある日、彰は体育祭の集団遊戯であるマスゲームの練習が忙しく、部室に来ないことをまりあに責められた。その日も練習で、彰はクラスメイト三人と一緒に弱小部である変装部を臨時更衣室としてジャージに着替えて練習した。練習が終わって変装部室に戻ってきたが、なぜか彰の学生服だけが盗まれていた。理由もわからず、とりあえず担任に報告し、その日はそのままジャージで帰った。翌朝、新クラブ棟の屋上で三年生の女子生徒の死体が発見された。しかもその女子生徒は、彰の学生服を着ていた。一人称を乃公と呼ぶ、ベルム学園のヘンリー・メリヴェールこと、一年生の片理めりと、その相棒の久留間も登場。「第五章 乃公(だいこう)()でずんば」。
 新クラブ棟の裏手にある大きなクスノキは、恋人同士が赤い紐を互いの手首に繋いで一周し最後にキスをすることで永遠の愛が結ばれるという願掛けがあることから、愛染クスノキと名付けられていた。赤いひもは願掛け後、枝に引っ掛ける習わしになっている。十二月下旬、その愛染クスノキに二年生の男子生徒が愛染ロープをかけて首を縊っていた。その両側に、クラスメイトの女子生徒が二人、幹にもたれかかるように死んでいた。この三人心中の第一発見者は、男子生徒の義理の妹である一年生であった。「第六章 三角心中」。
 一月下旬、見知らぬ女子生徒、二年生の橋尾侑奈から体育館の裏側に呼び出され、付き合ってほしいと告白された。それだけならいいが、ピンク色の封筒を渡されるとともに、「あなたの秘密を知っています」と囁かれた。もしかして彼女も、まりあのような推理力をもっているのか。そして体育館の二階から、鬼の形相をした男子生徒が睨みつけていることに気付いた。部室で彰はまりあから、四月の新歓イベントで、登壇組に古生物学部が選ばれ、タイ飯部とコラボが決まったと報告。二日後、橋尾侑奈が体育館の裏で、十字架に磔にされて殺害された。「第七章 禁じられた遊び」。
 『読楽』2019~2022年掲載。2023年2月、単行本刊行。

 『化石少女』から7年後の続編。冒頭から前作のネタバレが出てくる。やはり事前に読んでおいてよかった。
 まりあと彰は無事に進級し、古生物部も存続。進級してもぽんこつな名探偵まりあと、そのお守りであるワトソン役彰の関係は変わらないかに見えたが、新入部員、自称高校生名探偵など、様々なキャラクターが今回も登場。そして名門であるはずの高校で、殺人事件が頻繁に発生する。
 帯にある「青春、友情、熱気、成長……学園ミステリと聞いて思い浮かべること、それらはすべて裏切られる! 常識破り絶対保証、後味のよさ保証なし。これが麻耶雄嵩にしか書けない学園ミステリだ!」がすべてを物語っている作品。内容的には、学生らしい悩みを抱えている生徒たちが登場し、さらに主人公がヒロインとの関係に悩んでいるから、学園ミステリには違いないんだよな。ただ、すぐに殺人事件が、それも頻繁に起きるという異常さが、ただの非日常程度の感覚で終わっているだけで。
 個々の事件の本格ミステリ度でいえば、前作の方が高かったかもしれない。特に前作「第四章 自動車墓場」のような馬鹿馬鹿しいトリックがなかったのは残念である。ただ、ぽんこつ名探偵の推理をワトソン役が否定するというパターンが繰り返された前作より、本作の方がひねくれ度が高い。前作の推理→否定というパターン(ある意味二段階推理)そのものは健在であるが、見せ方のバリエーションが広がっているのだ。さらにその広がりは、予定調和でもあったまりあと彰の関係に変化が生じる結果にもなっている。そして結末までくると、前作以上の仕掛けが待ち受けている。ここまで来ると脱帽。前作からこの展開を考えていたのか、それとも新たに考え出したのか。いずれにしてもひねくれているし、麻耶雄嵩は一筋縄ではいかない。そして、ハッピーエンドを迎えさせてくれない。色々な意味で“らしい”作品だが、茗荷の独特の味のように、なぜかお薦めしたくなってくる作品である。
 しかし、雑誌掲載で半年おきに読んだって、作者の狙いはわからないよな。おまけになぜ出てきたのかわからないままの登場人物もいるし。結末までの流れも含め、これはやはり次作への伏線だろうか。




紺野天龍『神薙虚無最後の事件』(講談社)

 大学二年生の白兎(はくと)と、彼が淡い恋心を抱く後輩の志希(しき)。二人は路上で倒れこむ(ゆい)と出会う。彼女が手にしていたのは、唯の父、御剣(みつるぎ)(まさる)が著した20年前のベストセラー『神薙(かんなぎ)虚無(うろむ)最後の事件』。「神薙虚無」シリーズは、実在した名探偵・神薙の活躍を記したミステリで、最終巻では解かれるべき謎を残したまま完結となり、好事家の間では伝説となっているという。白兎と志希は、唯の依頼で大学の「名探偵倶楽部」に所属する金剛寺(こんごうじ)らとともに、作品に秘められた謎を解こうとするのだが――。過去と現在、物語の中と外、謎が繋がり、パンドラの箱が開くとき、目にするのは希望か絶望か!?(粗筋紹介より引用)
 第3章までは【出題編】として『小説現代』2022年4月号掲載。第4章、5賞、エピローグを書き足して、2022年5月刊行。

 2012年にメフィスト賞座談会に掲載された『朝凪水素最後の事件』、2019年に第29回鮎川哲也賞最終候補となった同名作品(応募時ペンネーム天童薫)をプロトタイプに全面的に改稿した作品、とのこと。作者は2018年、『ゼロの戦術師』(電撃文庫)でデビュー。複数のシリーズを出版している。現役の薬剤師とのこと。
 摩訶不思議な奇蹟的大犯罪で大衆を魅了した「怪盗王」と呼ばれる久遠寺写楽と、写楽を捕えようとする全国各地の素人探偵が退治した「大探偵時代」。怪盗王の活躍に誰もが敵わなかった頃、突如として現れた高校生探偵、「欠陥探偵」こと神薙虚無。怪盗王と欠陥探偵とその仲間たちとの戦いは、御剣大が12冊の本にまとめてベストセラーとなった。そして最後の話が『神薙虚無最後の事件』。この本にだけ、作中の事件の解決が記されていなかった。それから1か月後、実在するはずの怪盗王も欠陥探偵も架空の存在だったとことがすっぱ抜かれ、炎上。神薙虚無の戸籍もなく、実際に会った人もいなかった。
 東雲大学の先輩後輩で、同じアパートの隣同士である瀬々良木(せせらぎ)白兎(はくと)来栖(くるす)志希(しき)は、アパートの前で偶然助けた同じ大学の御剣唯の依頼で、『神薙虚無最後の事件』を解き明かすこととなった。挑むのは「名探偵倶楽部」に所属する金剛寺(きら)雲雀(ひばり)耕助、そして語り手の白兎。
 作中作『神薙虚無最後の事件』を読んで、密室殺人事件と最後の消失の謎を議論する多重解決ミステリ。20年前の事件で真相がわからないはずなのに、解決に挑んで推理を繰り広げるというのは、本格ミステリ好きならでは。
 作中作のキャラクターは作られ過ぎていて、短い内容なのに読むのが大変。おまけにわざとらしいくらいの描写も続くし。一方20年後となる現実の登場人物も、金剛寺煌は巨大コングロマリットグループ総帥の孫娘、かつ天才で、当時の警察資料も簡単に手に入れてきてしまうのだから、いやはや。他の登場人物も何かありそうな面々だし、
 ということで、現実感が欠片もない舞台設定と登場人物。そして装飾過多な世界観。目の前には、現実に会ったとはとても思えないような、20年前の未解決事件。ある意味馬鹿馬鹿しい作品ではあるが、そこに挑戦状を叩きつけられたら挑まなければならない。それが名探偵であり、名探偵の信奉者であり、そして本格ミステリの読者なのである。
 ということで、好きな人だけ読んで、満足すればいい作品。しかし伏線は丁寧に張られていて推理しやすいようにはなっているし、読者がアッと言いたくなるような(見え見えだったけれど)展開と、全ての謎に解決を用意した、後味のよい結末が待っている。設定と登場人物さえ許容してしまえば、面白く読める。
 帯の推薦文が辻真先、麻耶雄嵩、奈須きのこ、今村昌弘。他に青崎有吾、阿津川辰海、城平京、知念実希人の推薦文もある。こういう人工的な本格ミステリ、好きな人にはたまらないかもしれない。鮎川賞関連の落穂拾いで読んだのだが、意外に楽しむことができて、満足している。
 あまり続編には期待しないが、せめて白兎と志希が結ばれる作品ということでもう1冊くらいは読んでみたいものだ。



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