ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』(集英社文庫)

 画家ゴーギャンや歌手ジャック・ブレルが愛した南太平洋仏領ポリネシアのヒバオア島。謎めいた石像ティキたちが見守るこの島に、人気ベストセラー作家と、彼の熱烈なファンでもある作家志望の女性5人が〈創作アトリエ〉のために集まった。だが作家は失踪、彼女らは次々に死体となって発見され……。最後に残るのは、誰? 叙述ミステリーの巨匠ビュッシが満を持して放つクリスティーへの挑戦作。(粗筋紹介より引用)
 2020年、フランスで発表。2023年5月、邦訳刊行。

 フランスの鬼才、ミシェル・ビュッシの邦訳最新刊。ビュッシを読むのは初めてだが、かなり評判が良いので、手に取ってみた。
 『そして誰もいなくなった』を彷彿させるような連続殺人事件が起きるのだが、実はそこまでが非常に長い。おまけに文体が読みにくい。慣れるまでかなり時間がかかる。登場人物の名前も覚えにくい。とにかく最初は我慢。
 作者の仕掛けはわかりやすい。多分ミステリ慣れした人なら予想付くだろう。ただし面白いのはそこから。半分あたりを過ぎたところから、ようやく面白くなってくる。連続殺人事件の謎は。なぜ作者がこんな仕掛けをしているのか。彼、彼女の思惑が混じり合い、事件はより複雑化していく。最後になって一気に明かされる真相。これはしてやられた。ビュッシの「騙り」とはこういうものなのか。
 人の批評を聞くより前に、とりあえず読んで騙されろ。そう言いたくなる作品。凄かったなあ。感嘆の言葉しか出てこない。今年のベスト候補だね、これは。




ジョン・ハート『川は静かに流れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

「僕という人間を形作った出来事はすべてその川の近くで起こった。川が見える場所で母を失い、川のほとりで恋に落ちた。父に家から追い出された日の、川のにおいすら覚えている」殺人の濡れ衣を着せられ故郷を追われたアダム。苦境に陥った親友のために数年ぶりに川辺の町に戻ったが、待ち受けていたのは自分を勘当した父、不機嫌な昔の恋人、そして新たなる殺人事件だった。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2007年、アメリカで発表。2008年、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞(エドガー賞)受賞。2009年2月、邦訳刊行。

 5年前、殺人事件の犯人として逮捕されたアダム・チェイス。犯人と主張したのは継母のジャニスだった。無罪とはなったものの父ジェイコブに感動されて町を離れたアダムだったが、親友ダニー・フェイスの力を貸してほしいという電話を受け、戻ってきた。しかし町の人々はいまだに彼を犯人視している。元恋人で刑事のロビン・アレグサンダーも不機嫌だった。さらに新設原子力発電所の候補に選ばれていて、他の土地の所有者は全員が売却していたが、農場を持つジェイコブは拒否しており、町は二分化していた。助けに来たはずのダニーは見つからず、当時可愛がっていた父の友人の孫娘グレイスが襲われる。そして殺人事件が発生し、アダムは苦境に陥る。
 傷心のまま故郷を離れ、5年ぶりに戻ってきたアダム。傷はまだ癒えず、悪意と憎悪の視線が突き刺さる。そしてアダム自身は誰も信じることができず、元恋人のロビンや農場監督で父の親友であるドルフ・シェパードの温かい言葉も届かない。そんなアダムの絶望感と孤独感が何とも哀しい。
 殺人事件が発生し、再びアダムに疑惑がふりかかる。警察も含め、彼に向けられる視線はより一層冷たくなる。そんなアダムがもがく姿、そして絶望の中にも光を見出そうとする姿に読者は共感してしまう。父ジェイコブ、元恋人ロビン、そしてドルフやグレイス。お互いの心がなかなか通じなくても、そこにある愛が少しずつ未来への光を灯し出してゆく。そこにあるのは、家族の愛である。
 5年前の殺人事件、そして親友ダニーの失踪、グレイスへの暴行、新たな殺人事件。それらの謎が、アダム自身を取り巻く闇が晴れていくとともに、解き明かされていく。その構成が絶妙で、さらに読者の琴線を揺さぶる。いや、もう、素直に感動しましたよ、これは。そして結末も驚きました。ここにも家族の姿があったのかと。
 エドガー賞受賞も納得の出来。いや、凄かった。改めて、他の作品も読もうと思いました。




D・M・ディヴァイン『三本の緑の小壜』(創元推理文庫)

 夏休み直前、友人たちと遊びに出かけた少女ジャニスは帰ってこなかった――。その後、ジャニスはゴルフ場で全裸死体となって発見される。有力容疑者として町の診療所に勤める若い医師ケンダルが浮上したものの、崖から転落死。犯行を苦にした自殺とされたが、やがて第二の少女殺人事件が起こる。犠牲者はやはり13歳の少女。危険だとわかっていたはずなのに、なぜ殺人者の歯牙にかかってしまったのか? 真犯人への手掛かりは、思いもよらぬところに潜んでいた……。英国本格の名手が遺した、後期の逸品。(粗筋紹介より引用)
 1972年、発表。2011年、創元推理文庫より邦訳刊行。

 英国本格ミステリの名手、ディヴァインの11作目となる後期の作品。診療所の秘書受付であるマンディ、腹違いの妹であるシーリア、診療所の医師であるマークの3人による視点で交互に物語が語られていく。
 小さな町で起こる連続殺人事件なのだが、警察の動きがあまり見られない。少女が続けて殺される割には町全体があまり大騒ぎになっているように見えないのも不思議。ただ、背景は丁寧に書かれているし、描写はうまいので、読んでいてそれほどの不満は感じない。自分に自信を持っていないマンディ、嫌われ者であるシーリア、兄が殺された真相を追い続ける万ディという三者三様の描写と台詞回しが非常に巧い。被害者によるプロローグの独白も含め、伏線の張り方もさすがと思わせる。
 ただ最後に明かされる犯人は肩透かし。特に動機が今一つ。それまでの丁寧な書き方に比べると、終わり方があまりにもあっさりめ。物足りない終わり方だったのは残念であった。
 中期の作品と比べると、円熟味は増したが、ロジックの面白さは薄れた印象をもった。十分に読める作品ではあったが。




若竹七海『不穏な眠り』(文春文庫)

 葉村の働く書店で〈鉄道ミステリフェア〉の目玉として借りた弾痕のあるABC時刻表が盗難にあう。行方を追ううちに思わぬ展開に(「逃げだした時刻表」)。相続で引き継いだ家にいつのまにか居座り、死んだ女の知人を捜してほしいという依頼を受ける(「不穏な眠り」)。満身創痍のタフで不運な女探偵・葉村晶シリーズ。(粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』2017年~2019年掲載の4編を収録。2019年12月、文春文庫より刊行。

 吉祥寺に住む藤本サツキという女性に頼まれ、蔵書を引き取りに来た葉村。すでに余命半年で家族もいないというサツキだが、友人の娘で引き取った田村遥香が栃木刑務所から出所するので、迎えに行ってほしいと依頼する。「水沫(みなわ)(がく)れの日々」。
 東都総合リサーチの桜井肇からの依頼は、大晦日に早稲田通りにある解体直前の廃ビルの夜間警備に急遽入ってほしいというものだった。問題は、そこが呪いの幽霊ビルと言われるくらい、自殺した元の持ち主の霊が出るという。ヒーターのカセットボンベがなく、寒い思いをしながら無事終了。女性事務員の公原楓に報告したら、楓は本来警備に来るはずだった恋人の行方を探して欲しいと依頼してきた。「新春のラビリンス」(掲載時タイトル「呪いのC」)。
 ミステリ専門書店〈MURDER BEAR BOOKSHOP〉でゴールデンウィークに鉄道ミステリ・フェアを開くことを計画したオーナーの富山。準備で走り回る唯一の店員・葉山。目玉となったのは、かつての人気作家神岡武一が愛人に撃たれた時の弾痕が残っている「ABC時刻表」。外出から帰った葉山にスタンガンを当てて気絶させた泥棒は、「ABC時刻表」を盗み出した。行方を追った葉山は、コレクター間のトラブルに巻き込まれる羽目に。「逃げ出した時刻表」。
 知り合いの鈴木品子に頼まれ、蔵書を引き取った葉山。12年前に死んだ従妹の家に居座り、急性心不全で亡くなった原田宏香の子供のころの宝物を知人に渡してほしいという依頼を受けた。当時、宏香を住まわせた便利屋の今井の家を訪ねた葉山は、今井の妻にいきなり包丁で切り付けられた。「不穏な眠り」。

 吉祥寺のミステリ専門書店〈MURDER BEAR BOOKSHOP〉のアルバイトとして働きながら、〈白熊探偵社〉の唯一の調査員である探偵の葉村シリーズ。評判は高いシリーズであるし、実際に今まで読んで面白かったのだが、本作品集は今一つだった。
 ミステリ好きな私立探偵は今までいたのだから別にいいはずなのだが、やはりミステリ書店で働きながら探偵を続けるという設定がどうも好きになれないし、そもそも葉村シリーズになじまないと思っている。ミステリの蘊蓄なんて、どうでもいいんだよ、このシリーズでは言ってしまいたい。それに、古本を引き取りに来てそのまま事件を依頼されるというのもワンパターン化してきた。昔の骨太な葉村はどこへ行った、と嘆きたくなる。
 「水沫隠れの日々」を除く3編はいずれも2019年に書かれたもの。2010年1月にTVドラマ化されるから、それに合わせて書かれて出版したとしか思えない。過去の作品と比べると、かなりの薄味である。葉村シリーズファンならこれでもいいのかもしれないが。一応の水準作にはなっているので。




鈴木伸一『鈴木伸一 アニメと漫画と楽しい仲間』(玄光社)

 アニメーション作家の鈴木伸一氏は、トキワ荘で若手漫画家たちと交流しながらアニメーターの道に進み、90歳を迎える現在も新作づくりに取り組んでいます。本書は藤子不二雄作品に登場する「小池さん」のモデルとしても知られる鈴木氏が、自身の活動や仲間との出会いと交流を語ったエッセイです。アニメーターとしての鈴木氏に大きな影響を与えた3人の恩人、手塚治虫・横山隆一・中村伊助のこと、素人の状態から試行錯誤しながらアニメ技術を磨いたおとぎプロの時代、トキワ荘の仲間だった藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろうらとアニメ制作会社スタジオゼロを立ち上げた時の抱腹絶倒の出来事など、アニメ界の重鎮だからこその貴重なエピソードが、これまた貴重な写真や資料とともに披露されます。また、鈴木氏はいかにして「小池さん」になったのか、その誕生秘話も貴重です。(作品紹介より引用)
 「1章 少年時代」「2章 上京してトキワ荘の住人になる」「3章 おとぎプロでアニメ制作を学ぶ」「4章 トキワ荘の仲間とスタジオゼロを設立」「5章 個人事務所としてのスタジオゼロ」「6章 楽しい仲間たちとの出会いと別れ」「7章 次世代に伝えたい僕が好きなアニメ作品」を収録。2023年6月、刊行。

 新漫画党のメンバーであり、トキワ荘の元住人であり、藤子漫画に出てくるラーメン大好き小池さんのモデルであり、日本アニメーションの重鎮である鈴木伸一。そんな作者が、生まれから今までの自信の活動や出会った仲間たちを語ったエッセイ。今までいろいろなところで語ったり書いてきたりした内容をまとめたような一冊。鈴木伸一の集大成と言ってもいいかもしれない。
 トキワ荘時代のエピソードは聞いたものが多いけれど、鈴木伸一の視点で見るとまた新しいエピソードのように思えて面白い。また、第一次新漫画党解散の原因となったのが締め切りの話だったというのは初めて聞いた。合作で揉めた件は知っていたけれど、こういう話だったんだね。おとぎプロ、スタジオゼロと、手塚治虫とは異なる当時のアニメーション業界の話が聞けるのも貴重。
 やはりというか、藤子不二雄両氏に関するエピソードが一番長かった。特に藤子A氏は長い長い付き合いだっただろうから、もっと色々語りたいことがあるだろうにとは思ってしまう。
 エッセイの語り口がどことなくのんびりしていて、そして優しくて。ご本人にお会いしたことはないけれど、人柄がそのまま出ていると思われる文章だった。それが何とも心地よくて。そしてご家族のことがほとんど語られないのも、なんとなくシャイなところが見え隠れした。
 あの頃のトキワ荘、黎明期のアニメーションを語れる人がどんどん減ってきた。鈴木氏にはこれからも頑張ってほしいと思う。それと、鈴木氏のアニメ集成なんかも映像で出てくれませんかね。




エドワード・D・ホック『フランケンシュタインの工場』(国書刊行会 奇想天外の本棚)

『フランケンシュタイン』+『そして誰もいなくなった』……ホラー、ミステリの「優良物件」を名匠がどう料理するのか!?(山口雅也)
 メキシコのバハ・カリフォルニア沖に浮かぶホースシューアイランド、この島に設立された国際低温工学研究所(ICI)の代表ローレンス・ホッブズ博士は、極秘裏にある実験計画を進めていた。長期間冷凍保存していた複数の体から外科手術によって脳や臓器を取り出して殻(シェル)となる体に移植し、人間を蘇らそうというのだ。
 コンピュータやテクノロジーに関するあらゆる犯罪を捜査するコンピュータ検察局(CIB)は、ICIの活動に疑念を抱き、捜査員アール・ジャジーンをこの手術の記録撮影技師として島に送り込む。潜入捜査を開始したジャジーンだったが、やがて思わぬ事態に直面する。手術によって「彼」が心拍と脈拍を取り戻した翌朝、ICIの後援者エミリー・ワトソンが行方不明となり、その後何者かによって外部との連絡手段を絶たれたこの孤島で、手術のために集められた医師たちが一人、また一人と遺体となって発見される。
 現代ミステリの旗手ホックが特異な舞台設定で描くSFミステリ〈コンピュータ検察局シリーズ〉最終作。本邦初訳。(粗筋紹介より引用)
 1975年発表。2023年5月、邦訳刊行。

 カール・クレイダーとアール・ジャジーンが活躍する、21世紀のコンピューター社会を舞台にしたSFミステリー「コンピュータ検索局シリーズ」最終作。短編の名手である作者は、Wikipediaによると長編を6作しか書いていないが、そのうちの3作がコンピュータ検索局シリーズである。
 山口雅也が言うには、ホック長編作品で唯一未訳、さらにアマゾンUSAのレイティングで★一つの酷評と憤っている。しかし自身の評はない。
 メキシコのホースシューアイランドで行われた、外科手術による人間復活。まさに『フランケンシュタイン』みたいな復活劇なのだが、そこに集められた医者たちが一人、また一人と殺されてゆく。まさに『そして誰もいなくなった』のように(作品中でも言及されている)。
 コンピュータ検察局シリーズを読んだことがないのでよくわからないのだが、SFやコンピュータに関する特殊な知識が必要というわけではない。人工冬眠も今では実際に開発されているし、読んでいて戸惑うようなものは特になかった。
 ただ、はっきり言って★一つという評価はわからないでもない。本当に『フランケンシュタイン』+『そして誰もいなくなった』なストーリーなのだが、あまりにも通俗的。登場人物のいずれもが俗人過ぎるし、事件に挑むアール・ジャジーンは手術助手のヴェラ・モーガンと関係を結ぶことに頭がいっちゃってる。連続殺人事件中に何をやってんだと言いたい。閉ざされた島で人が一人ずつ殺されていくわりには恐怖感が全然漂ってこない。これもそれも、登場人物があまりにも俗すぎるから。人造人間の“フランク”も曖昧な立ち位置のままで、フランケンシュタインのような恐ろしさと哀愁は伝わってこない。読んでいくうちにどんどん意気消沈してしまった。
 それでもテンポよく進むので読むことができるのはホックならではの腕であろうが、最後まで読むとがっかりしてしまう。連続殺人事件の結末がこれでは、ミステリとしてのカタルシスは全く得られない。
 今まで未訳だったというのはなんとなくわかる。もしこれを書いたのがホックじゃなかったら、翻訳されていなかっただろう。珍作レベルでしかなかったな。




倉知淳『月下美人を待つ庭で 猫丸先輩の妄言』(創元推理文庫)

 猫丸という風変わりな名前の“先輩”は、妙な愛嬌のよさと人柄をもち、愉快なことには猫のごとき目聡さで首をつっこむ。そして、どうにも理屈の通らない謎も彼にかかれば、ああだこうだと話すうちにあっという間に解き明かされていくから不思議だ。悪気なさそうな闖入者たちをめぐって温かな読後感を残す表題作や、電光看板の底に貼り付けられた不規則な文字列が謎を呼ぶ「ねこちゃんパズル」、一見変哲のない写真を巡って恐るべき推理が提示される「恐怖の一枚」など全五編を収録。日常に潜む不可思議な謎を、軽妙な会話と推理で解き明かす連作集。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』Vol.97~101掲載(2019~2020年)。2020年12月、東京創元社より単行本刊行。2023年3月、文庫化。

 猫丸先輩シリーズ最新刊であるが、前作『猫丸先輩の空論』から15年ぶりの新刊だったとのこと。単行本が出ていたことには気付かず、本屋で文庫本を見て懐かしくなって購入したのだが、そんなに時間がたっていたのかと驚きである。
「ねこちゃんパズル」「恐怖の一枚」「ついているきみへ」「海の勇者」「月下美人を待つ庭で」の5編を収録。
 久しぶりとなる猫丸先輩シリーズであるが、猫丸先輩の容姿も性格も変わっていない。不思議な日常の現象に猫丸が合理的に見える解決を示すのだが、本人が言う通りそれが本当かどうかはわからないし、煙に巻かれたまま終わってしまうところも相変わらず。そういう意味では、どれから読んでも面白く読めるし、後味もいいまま何も残らずに終わってしまうところも変わっていない。それでも「恐怖の一枚」のようにホラーなテイストを入れてくるところを見ると、作者もたまにはアレンジしようと考えているのかもしれない。
 どれか一つと言われると、やはり表題作の「月下美人を待つ庭で」である。このシリーズにしては無理のない推理が繰り広げられるし、読後の余韻がまた格別。猫丸先輩シリーズの中でも上位に位置する作品だと思う(他は何だと聞かれても思い出せないが……)。
 久しぶりに会えただけで満足、そんな一冊。猫丸だけじゃなく、久しぶりに会いたい探偵、いっぱいいるけどなあ……。




柾木政宗『NO推理、NO探偵?』(講談社ノベルス)

 私はユウ。女子高生探偵・アイちゃんの助手兼熱烈な応援団だ。けれど、我らがアイドルは推理とかいうしちめんどくさい小話が大好きで飛び道具、掟破り上等の今の本格ミステリ界ではいまいちパッとしない。決めた! 私がアイちゃんをサポートして超メジャーな名探偵に育てる! そのためには……ねえ。「推理ってべつにいらなくない――?」。NO推理探偵VS.絶対予測不可能な真犯人、本格ミステリの未来を賭けた死闘の幕が上がる!(粗筋紹介より引用)
 第53回メフィスト賞受賞。2017年9月、講談社ノベルスより刊行。

 美少女女子高生美智駆アイは名探偵。切れ味鋭い推理で緻密なロジックと複雑なトリックを全部喋ってしまうものだから、推理の場はいつも長丁場。同級生の助手取手ユウは、アイをもっと世間に跳ねさせるため、アイにこう問いかける。「推理って、別にいらなくない?」。しかしプロローグである犯人がアイに催眠術みたいなのをかけたため、アイは推理ができなくなった。ここはユウの出番。アイを名探偵にするために、ユウはいろいろと考える。
「第一話 日常の謎っぽいやつ」「第二話 アクションミステリっぽいやつ」「第三話 旅情ミステリっぽいやつ」「第四話 エロミスっぽいやつ」「最終話 安楽椅子探偵っぽいやつ」。
 ということで、「メフィスト賞史上最大の問題作!!」というふれこみの本作。推理ができなくなった名探偵アイのために、助手のユウが「日常の謎」「アクションミステリ」など各章のタイトルにあるようなジャンルの名探偵に育て上げようと、実際の事件を通して悪戦苦闘する物語である。こう書くとまともな本格ミステリっぽく見えるが、はっきり言ってバカミス。名探偵と助手というより漫才師に近いコンビが、それぞれのジャンルのお約束を駆使……というより揶揄しつつ、ギャグに一部メタを混ぜて事件の解決に挑む。これがなんとも、同人誌の悪いノリレベル。読んでいて苦痛しかない。ところが最終章になるとメタレベルで読者への挑戦状が登場し、本格ミステリに回帰する。まあよくぞここまで引っ張ったものだと感心してしまった。とはいえ、評価するほどではないが。
 この作品で唯一感心したところは、ワセダミステリクラブの先輩による未完のトリックを完成させたところかな。メタレベルとはいえ、これをここに持ってくるか。
 はっきり言って馬鹿馬鹿しいです。冗談がわかる人だけが読んでください。ただ、編集部がこれを出版したくなる気持ちはわからないでもない。




矢樹純『夫の骨』(祥伝社文庫)

 昨年、夫の孝之が事故死した。まるで二年前に他界した義母佳子の魂の緒に搦め捕られたように。血縁のない母を「佳子さん」と呼び、他人行儀な態度を崩さなかった夫。その遺品を整理するうち、私は小さな桐箱の中に乳児の骨を見つける。夫の死は本当に事故だったのか、その骨は誰の子のものなのか。猜疑心に囚われた私は…(『夫の骨』)。家族の“軋み”を鋭く捉えた九編。(粗筋紹介より引用)
 『月刊群雛』2015年12月号に掲載された「鼠の家」、2016年7月にKindle個人出版の『かけがえのないあなた』に収録した「朽ちない花」「柔らかな背」「ひずんだ鏡」「虚ろの檻」に、書下ろし「夫の骨」「絵馬の赦し」「ダムの底」「かけがえのないあなた」の計九編を収録。2019年4月、祥伝社文庫より刊行。2020年、「夫の骨」で第73回日本推理作家協会賞短編部門受賞。

 作者は妹の漫画家・加藤缶との共同ペンネーム「加藤山羊」で2002年にデビュー。以後、漫画原作者として活躍。2013年12月からは「作画:加藤山羊/原作:矢樹純」と表記を変更。代表作『あいの結婚相談所』は山崎育三郎主演でドラマ化されている。2012年8月、『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』が第10回『このミステリーがすごい!』大賞の隠し玉として出版され、作家デビューしている。
 全九編はいずれも家族間の揉め事が動機となった事件と、その意外な顛末となっている。収録順番は「夫の骨」「朽ちない花」「柔らかな背」「ひずんだ鏡」「絵馬の赦し」「虚ろの檻」「鼠の家」「ダムの底」「かけがえのないあなた」
 表題作「夫の骨」は一番目に載っているが、これは見事。読み終わって本当に震えがきた。協会賞受賞も納得の出来である。ただ、全部同じような展開なんだよな。もちろん設定も舞台も登場人物も全部違うのだが、根幹が同じ。それも人の悪意が最後に浮き彫りになるような作品ばかりなので、読んでいて疲れる。精神的にも。
 後味の悪い作品ばかりなので、まとめて読むことは避けた方がいい。一編ずつ間を置きながら読めば、もう少し感想は違ったものになるかもしれない。ただ、表題作は傑作。これだけでも、本書を読む価値はある。




エミリー・ロッダ『彼の名はウォルター』(あすなろ書房)

 遠足の途中で載っていたミニバスが故障。クラスの他の生徒たちは歩いて目的地に向かったが、アンナ・フィオーリ先生とコリン、タラ・バーン、グレース・レズリー、ルーカス・チアの4人はタクシーが来るのを待っていた。しかし山の中までタクシーは来ず、携帯電話は繋がらない。嵐が近づく中、フィオーリ先生と4人の生徒は、レッカー車の運転手に紹介され、運転手の父親が所有する丘の上の空き家へ移動した。
 コリンは机の中央の引き出しの下に隠れていた浅い引き出しから、『彼の名はウォルター』というタイトルの本を見つけた。最初のページは、巨大な蜂の巣の戸口に立っている年寄りバチが、玄関前の階段に置かれた小さな人間の赤ちゃんを見下ろしていた挿絵だった。コリンたちはこの本を読み始めることにした。
 2018年、発表。2019年、オーストラリア児童図書賞 Younger Readers部門受賞。2022年1月、邦訳刊行。

 作者はオーストラリア生まれ。ジェニファー・ロス名義で大人向けのミステリも執筆し、邦訳もある。昨年のこのミスで小山正が1位に選んでいたことで評判になった。
 物語は、作中作『彼の名はウォルター』が中心となる。ウォルターは人間だが、育てたのはハチだし、他の登場人物も人間のほかに動物や鳥も出てくる。魔女も出てくるし、貴族も出てくる。ウォルターは宮殿で働くうちに、ヴェイン卿が塔に幽閉している娘のスパロウと恋仲になるが、ヴェイン卿は反対する。
 コリンたちは本に魅かれて読み進めていくが、そのうちに現実世界とリンクしている部分があることに気付く。
 まずは作中作が面白い。ファンタジーであるが冒険ロマン要素が強く、そしてラブストーリーもあり、悲劇もある。コリンたちは最後まで読まなければいけない、という使命にとらわれるようになるが、そんなことを抜きにして、普通に面白い。そしてさらなる悲劇が起きてクライマックスに近づくにつれ、コリンたちの方でもサスペンスな展開が待ち受けているという構成が絶妙である。
 そして最後、まさかのミステリな展開が待ち受けている。いやいや、これはまいった。もう、つべこべ考えずに読めと言うしかない。
 昨年、多くの人が読んでいたら間違いなくベスト10に入っていただろう。何とも勿体ない。今からでも遅くない。もっと多くの人に読んでほしい。そう叫びたくなる傑作である。



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