阿津川辰海『読書日記~かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』(光文社)
大好物のミステリーを食べて、こんなに大きくなりました――アガサ・クリスティー、綾辻行人、エイドリアン・マッキンティ、伊坂幸太郎、ジェフリー・ディーヴァー、都筑道夫、D・M・ディヴァイン、法月綸太郎、ヘニング・マンケル、山田正紀……など総勢362名、1,018作品。一日一冊以上のペースで爆読する若手屈指の本読み作家が大好きな作家&作品を存分に語り尽くした偏愛ミステリーガイド。この熱量と文字量、どうかしてるぜ。(粗筋紹介より引用)
ホームページ『ジャーロ』に2020年10月から2022年3月まで月2回掲載されている「読書日記」、2022年3月までの解説全11本、そしてエッセイを収録し、2022年8月刊行。2023年、第23回本格ミステリ大賞〔評論・研究部門〕受賞。
「いったい、いつ読んでいるんだ!?」各社の担当編集者が不思議がるほど、ミステリを読んでいる阿津川辰海の読書日記を中心にまとめたもの。とにかく読んでいる量が凄い。1日1冊でも追いつかないんじゃないかと思わせるほど。さらにジャンルが幅広い。本格ミステリだけでなく、警察小説、ハードボイルド、サスペンス、冒険小説、スパイ小説、ホラー、SFなど色々読んでいる。それも新刊、古典を問わずにだ。そして記憶力が凄い。過去に読んだ本の内容を、よくぞこれだけ覚えているものだと感心する。そして一番すごいのは、悪口を言わないことだ。本を読み続けると、どうしても納得のいかないところ、首のひねるところを責めてしまいがちだ。これだけ本を読んでいたら、他の作品と比較して、不満に思うところを書いてしまいがちになる。しかし本作品にはそれがない。とにかくいいところだけを口にする。作品を愛する者からしたら、嬉しいことだろう。
ミステリへの愛情があふれすぎる一冊。作者のことが苦手な人がいるかもしれないが、本作品はぜひ手に取ってほしい。
方丈貴恵『アミュレット・ホテル』(光文社)
犯罪者の楽園、アミュレット・ホテル別館。殺し屋、詐欺師、窃盗グループ、どんな犯罪者でも会員となれば泊ることが可能。2つのルールさえ守れば、どんなサービスでも提供。偽造パスポートでも、グレネードランチャーでも、ルームサービスで申し込むことができる。守らなければならない2つのルールとは、「一、ホテルに損害を与えない」「二、ホテルの敷地内で傷害・殺人事件を起こさない」。もしルールを破ったら、ホテル探偵が必ず追い詰め、秘密裏に処理される。(粗筋紹介より一部引用)
『ジャーロ』2020~2023年に随時掲載。加筆・修正のうえ、2023年7月、刊行。
強請屋の佐々木が高層フロアである1101号室で絞殺された。しかし佐々木が泊まっていた部屋は0906号室。窓にはすべて鍵がかかり、扉のレバーは金属製のワゴンが置かれていて回らない密室状態だった。部屋の中には殴られて眠らされていたハウスキーパーの遠谷がいた。アリバイの無い容疑者3人を一室に集め、ホテル探偵の桐生が謎を解く。「Episode1 アミュレット・ホテル」。
アミュレット・ホテル別館三階で行われていた、クライム・オブ・ザ・イヤーの授賞式。その真っ最中、壇上で選考委員の一人が毒殺された。殺害のチャンスがあったのは、亡き主人の代理として出席していた秘書だけ。桐生の過去と、ホテル探偵になるまでが描かれる。「Episode0 クライム・オブ・ザ・イヤーの殺人」。
騙されて脅迫を受けた幼馴染の及川アリアを助けるために、窃盗グループの一員であるスリの瀬戸博貴は脅迫者の木庭有麻から目的のキーホルダーを奪おうと後をつけていた。ところが木庭は、路上で誘拐された。主犯は瀬戸が所属する窃盗グループの、さらに親グループの影の支配者である山吹。山吹からキーホルダーを奪おうとした瀬戸だったが、アミュレット・ホテルの別館で追い返されてしまった。「Episode2 一見さんおことわり」。
ホテルの最大の出資者である、犯罪業界のトップクラス『ザ・セブン』の5名(2名は欠番)が、アミュレット・ホテルの15階にある開かずの区画にある会議室「タイタンの間」へ5年ぶりに集まっていた。議題は、アミュレット・ホテルの廃業について。武器密輸王である笠居の妻と娘が三か月前にホテルで殺されたことから、提案したものであった。その会議の休憩中、控室で笠居がナイフで殺害された。しかし全員が会場に入る際に、金属探知機でチェックを受けていた。ナイフを持ち込むことができたのは、左足が義肢であるオーナーの諸岡だけ。「Episode3 タイタンの殺人」。
犯罪者専用のホテル、アミュレット・ホテル。殺人事件が起きたら、その場でホテル探偵が解決する連作短編集。一癖のある犯罪者だらけという登場人物、不可能状況下での犯罪もさることながら、ホテル探偵は必ずその場で事件を解決しなければならない、というスリリングな状況での推理が作品を盛り上げる仕掛けとなっている。
こういう特殊設定を生み出したもの勝ちだな、と思わせる作品。ただ、せっかくの場所なのに殺人事件がよく発生するというのもどうかとは思ってしまう。普段接することのできない犯罪者が目の前にいるのだ。作中にある「そのルールとこの異常なホテルの存在そのものが……犯罪者の持つ底なしの犯行欲求を駆り立て、その犯行方法をより常軌を逸したものへエスカレートさせる原因となっている」という言葉が正しいと思う。
いわば、楽園であるはずなのに、格好の殺人現場となっているのが、アミュレット・ホテルの現状なのだ。この矛盾した状態での殺人事件は今後も続くのか。「タイタンの殺人」にあるように、トップ連中まで出してしまって、今後どうするつもりなのか。そこは作者の腕次第だろう。
本格ミステリとして読むと、動機や仕掛けなどは簡単に設定しやすいし、不可能犯罪を起こしても当然と思わせる雰囲気になっているので、ある意味ずるいとは思ってしまうものの、読者に受け入れられやすい内容になっている。長編でよくみられたややこしい設定も抑えられるし、読み易いことは確か。犯罪者ばかりなのに軽さが感じられるのは、マイナスポイントだろう。
シリーズとして続くのだろうが、先行きは少々不安。まあ読んでみるつもりだが。
柳川一『三人書房』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)
大正八年東京・本郷区駒込団子坂、平井太郎は弟二人とともに《三人書房》という古書店を開く。二年に満たない、わずかな期間で閉業を余儀なくされたが、店には松井須磨子の遺書らしい手紙をはじめ、奇妙な謎が次々と持ち込まれた――。同時代を生きた、宮沢賢治や宮武外骨、横山大観、高村光太郎たちとの交流と不可解な事件の数々を、若き日の平井太郎=江戸川乱歩の姿を通じて描く。第十八回ミステリーズ!新人賞受賞作「三人書房」を含む連作集。(粗筋紹介より引用)
2021年、「三人書房」で第18回ミステリーズ!新人賞受賞。『紙魚の手帖』掲載作品に書き下ろしを加え、2023年7月、刊行。
弟二人が買い取ってきた本の中には、松井須磨子が送ったものと思われる遺書が挟まっていた。須磨子の自殺は、島村抱月の後を追ったものではなかったのか。「三人書房」。
写楽などの浮世絵が大量に発見され、鑑定の権威とされる神崎俊が真作に間違いないと言い切った。しかしそれらは、全て浮世絵贋作者清水修二郎が描いたものだった。交流があった宮沢賢治の手紙からヒントを得た乱歩が、事件の背景を解き明かす。「北の詩人からの手紙」。
謎の娘師と呼ばれる土蔵破りの正体は、浅草オペラの花形、淡雪あやめなのか。「謎の娘史」。
岡倉天心は、円泉寺の秘仏堂の調査で他と違い、詳細な記録を何も残さなかった。天心の死後から10年、万朝報の記者が、天心は虚偽を働いたという記事をでっちあげようとしていた。弟子の横山大観は激昂するも、友人の宮武外骨は江戸川乱歩に調査を依頼する。「秘仏堂幻影」。
高村光太郎が発表したブロンズ像の彫刻作品、○○の首と名付けられたものが次々と盗まれた。光太郎と交流のあった江戸川乱歩が謎解きに乗り出す。「光太郎の〈首〉」。
作者は新人賞受賞時69歳。そして本作品発行時は71歳である。そのせいかどうかわからないが、ずいぶん枯れた作品集のイメージがある。
江戸川乱歩(平井太郎)が次弟の通(平井蒼太)、末弟の敏男とともに上京して団子坂で古書店「三人書房」を経営したのは1919年。わずか2年でその店を閉じることになるのだが、その古本屋に持ち込まれた事件を乱歩が解く、というのが短編「三人書房」。登場人物のキャラクターに頼っているところは多いものの、味わい深い佳作である。これは読む価値あり。
「北の詩人からの手紙」は通の視点で、宮沢賢治や宮武外骨が出てくる。「謎の娘師」は支那ソバ屋時代の乱歩の話で、敏雄視点。「秘仏堂幻影」はすでに乱歩が結婚して大阪に住んでおり、井上や梅など複数視点で、横山大観が出てくる。「光太郎の〈首〉」は乱歩放浪中の話で、光太郎視点。この四作が今一つだった。
乱歩が謎解き役ではあるし、乱歩のエピソードや実作品などを絡めて物語を作っているのだが、その絡め方は無理矢理。連作短編集にあるべき作品ごとの連携は見られないし(せいぜい井上と梅の絡みぐらいだが、それもごくわずか)、しかも物語の雰囲気に統一感が取れていない。偉人たちの絡め方も強引すぎる。謎解きも乱歩の作品に絡めようとするものだから、物語からはかえって浮いた感がある。
ただ連作をするのなら、全部三人書房で終わらせればよかったのだ。鳥羽造船所時代の同僚で、三人書房に居候していた井上勝喜が視点のままでよかったのだ。せっかく青山梅というヒロインを創作したのなら、そのまま使えばよかったのだ。なんて勿体ないことをしたのだろう。
それと、世間に知られている乱歩像と大きくかけ離れていることにも違和感がある。残念ながら、その乖離を狭めるほどの筆力は見られなかった。
表題作だけは面白いが、残りは今一つだった連作短編集。謎の部分はせいぜい「日常の謎」程度だろうと思っていたので元々期待はしていなかったが、乱歩の若いころを取り扱うという設定に期待していただけに、残念だった。
佐々木譲『暴雪圏』(新潮文庫)
三月末、北海道東部を強烈な吹雪が襲った。不倫関係の清算を願う主婦。組長の妻をはずみで殺してしまった強盗犯たち。義父を憎み、家出した女子高生。事務所から大金を持ち逃げした会社員。人びとの運命はやがて、自然の猛威の中で結ばれてゆく。そして、雪に鎖された地域に残された唯一の警察官・川久保篤巡査部長は、大きな決断を迫られることに。名手が描く、警察小説×サスペンス。(粗筋紹介より引用)
2009年2月、新潮社より単行本刊行。2011年11月、文庫化。
『制服捜査』に登場する志茂別駐在所の川久保篤巡査部長が再登場。すでに雪が溶け始めていた三月末、十勝平野が十年ぶりに超大型爆弾低気圧に覆われた日の話である。
川久保は住民からの通報で、雪が溶け始めた茶別橋の下の斜面のくぼみから地元の主婦、薬師泰子の変死体を発見する。
地元企業でこき使われていた初老の西田康男は、妻が二年前に死に、子供もなく、胃がんの可能性が高いことから、最後ぐらい楽しもうと職場の金庫から二千万円を持ち出す。
夫の単身赴任中に出会い系サイトで知り合った菅原信也につきまとわれるようになった坂口明美は、関係を清算しようと包丁を持ち、菅原の指定するペンション・グリーンルーフへ向かう。
笹原史郎と佐藤章は、組長をはじめほとんどが上部団体の襲名披露に出席するために出払っていた暴力団組長宅を襲い、金庫から約五千万円を奪うが、内儀の浩美が暴れたため、佐藤が射殺し、二人は金を分け別々に逃亡した。
三月に高校を卒業した佐野美幸は、腎臓疾患で入院した母親の退院が長引くと伝えられた。入院中、義父に何度も襲われた美幸は耐えきれず、札幌の叔母のところへ家出をしようとするが、吹雪でバスが運休しており、通りがかったクレーン付きトラックに載せてもらい、帯広を目指す。
地元でペンション兼レストラン、グリーンルーフを営む増田直哉・紀子夫妻は、ペンションのボイラーが直らず、業者も吹雪で来られないことを心配していた。昼過ぎに来た客の菅原は、露骨に不満な顔をする。夕方になり、予約をしていたドライブ旅行中の初老の平田夫妻がやってきた。増田は、薪ストーブのあるレストランで暖を取るよう勧めた。
吹雪で道路に雪が積もり、閉鎖された。日が沈む志茂別のグリーンルーフに一人、また一人と集う。
様々なドラマが一つに集約する警察小説×パニックサスペンス。細かな動きが速いカット割りのように進んでいくため、目を離すことができない。閉じ込められた志茂別にいる警察官は、川久保ただ一人。この群像ドラマの終着点はお見事である。もちろん、結末から逆算して物語を組み立てていったのだろうが、すべての苦悩が解決する結末は読んでいて感動する。ただ、エピローグの呆気なさは気にかかる。もうちょっとその続きを、この人たちはその後どうなったの、という点を描いてほしかったと思ったのは、私だけではないはずだ。
ただ、『制服捜査』に見られた川久保の葛藤は、ここでは全く出てこない。言ってしまえば、舞台が同じなら、川久保でなくてもこの物語は成立していたのだ。その点は非常に物足りなかった。その分、娯楽に徹底しているともいえるだろうが。
何も考えず、大雪によるパニックを楽しみたい人向け。ただもう一つ、何か欲しかった。佐々木譲なら、それができたはず。
夕木春央『十戒』(講談社)
浪人中の里英は、父と共に、伯父が所有していた枝内島を訪れた。島内にリゾート施設を開業するため集まった9人の関係者たち。島の視察を終えた翌朝、不動産会社の社員が殺され、そして、十の戒律が書かれた紙片が落ちていた。“この島にいる間、殺人犯が誰か知ろうとしてはならない。守られなかった場合、島内の爆弾の起爆装置が作動し、全員の命が失われる”。犯人が下す神罰を恐れながら、「十戒」に従う3日間が始まった――。(帯より引用)
2023年8月、書下ろし刊行。
『方舟』でミステリ界の話題を攫った夕木春央の新刊。前作同様、死が刻一刻と迫っている特殊状況化での殺人事件と謎解きという設定になっており、期待は膨らむばかりではあるが、逆に期待外れに終わる可能性もあるので、怖い部分もある。
和歌山の白浜から沖合に5キロくらい。外周1キロもない無人島に資産家の伯父が建てた別荘がある。他に作業小屋と、5軒のバンガローも。伯父が交通事故で亡くなり、島をリゾート施設にしようと集まったのが観光開発、建設会社、不動産会社、伯父の友人に、父と里英。伯父もしばらく島を訪れていなかったが、別荘にはつい最近まで誰か住んでいた痕跡があり、作業小屋とバンガローには爆薬が置かれていた。その日はもう遅いので、翌日警察に通報することにしてその日は眠ったが、起きてみると殺人事件が起きていた。そして十の戒律が書かれた手紙が落ちていた。
よくもまあ、こんな設定を考え付いたものだと思ってしまう。スマホの電波が届く状態で、孤島のサバイバルが描けるとは思わなかった。十戒を守らないと、爆弾の起爆装置が作動する。流れが速く、さらに11月と寒いので、海から逃げることはできない。生き残るためには、犯人の言うことをきかなければならない。そんな状況下でも殺人事件が発生する。登場人物がパニックになったらどうするのかなどツッコミたい部分はあるけれど、元々が想定外の状況下なのだから、多少強引でも仕方がない。
ただ『方舟』と違うのは、『方舟』ほどの作者のゆとりを感じさせないところ。作品世界の中での強引さは仕方がないのだが、小説そのものもかなりの強引さを感じる。その分、『方舟』ほど作品を楽しむ余裕がなかった。
それでも、最後にある一つの事実から殺人犯を特定する推理は圧巻。それから迎える衝撃的展開は、この作者ならではの真骨頂である。この終盤の畳み込みは、見事というしかない。
『方舟』まではいかなかったが、佳作と呼ぶには十分だろうし、今年のランキングを騒がせる存在であることは間違いない。そして次作も期待したい。色々な意味で。
米澤穂信『折れた竜骨』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)
ロンドンから出帆し、波高き北海を三日も進んだあたりに浮かぶソロン諸島。その領主を父に持つアミーナはある日、放浪の旅を続ける騎士ファルク・フィッツジョンと、その従士の少年ニコラに出会う。ファルクはアミーナの父に、御身は恐るべき魔術の使い手である暗殺騎士に命を狙われている、と告げた……。
自然の要塞であったはずの島で暗殺騎士の魔術に斃れた父、〈走狗〉候補の八人の容疑者、いずれ劣らぬ怪しげな傭兵たち、沈められた封印の鐘、鍵のかかった塔上の牢から忽然と消えた不死の青年――そして、甦った「呪われたデーン人」の襲来はいつ? 魔術や呪いが跋扈する世界の中で、「推理」の力は果たして真相に辿り着くことができるのか?
現在最も注目を集める俊英が新境地に挑んだ、魔術と剣と謎解きの巨編登場!(粗筋紹介より引用)
2010年11月、書下ろし刊行。2011年、第64回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門受賞。
12世紀末のヨーロッパを舞台にしたファンタジー・本格ミステリ。魔法が存在する世界の中の、いわゆる特殊設定ミステリでもある。
素直に驚いたのは、世界観がしっかりしていること。特殊設定ミステリは、その特殊設定の中でのトリックを成立させるだけの舞台になりがちなことがあるが、本作品はミステリ部分を除いてもファンタジー作品として舞台が面白い。その土台としての面白さがあるから、さらに本格ミステリとしてもしっかりと読むことができる。
本格ミステリとしては、証拠と証言を吟味したうえでの、消去法によるもの。ファンタジーの舞台で、このような王道物を読むことができるとは思わなかったが、ファンタジーの部分を壊さない範囲で結末まで引っ張っていく力は大したもの。ただファンタジーファンには、ちょっと物足りないかもしれない。
ただ、実際のヨーロッパを舞台にしている分、歴史からの逸脱が認められないところは逆に弱点になったかも。地に足着いた謎解きを見せられた分、もう少しファンタジー設定で跳ねた部分を読むことができればどうなっていただろう、という思いはある。
作者の代表作にふさわしい力作であるし、協会賞受賞も納得の出来だろう。
ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』(創元推理文庫)
大学入学直前のピップに、ストーカーの仕業と思われる不審な出来事がいくつも起きていた。無言電話や匿名のメールが届き、首を切られたハトが家の敷地で見つかったり、私道にチョークで頸のない棒人間を描かれたり。調べた結果、6年前の連続殺人との類似点に気づく。犯人は逮捕され服役中だが、ピップのストーカーの行為は、この連続殺人の被害者に起きたこととよく似ていた。ピップは自分を守るため調査に乗り出す。――この真実を、誰が予想できただろう? 『自由研究には向かない殺人』から始まった、ミステリ史上最も衝撃的な三部作完結!(粗筋紹介より引用)
2021年、発表。2023年7月、邦訳刊行。
『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』と続くシリーズ完結編。序盤から前作のネタバレが出てくるので、前作を読むこと。前作も前々作のネタバレがあるので、結局は第1作から読むべきシリーズである。
それにしても厚い。読んでも読んでも終わらない。そしてピップ自身が狙われているということも含め、雰囲気が非常に暗い。読めば読むほど暗くなってくる。だけど読むのを止められない。続きが非常に気になってしまう。
ピップへのストーカー行為、そして6年前の連続殺人事件の謎についてはそれほど深いものではない。ただ、この作品のすごさはそこからの展開にある。『自由研究には向かない殺人』の登場人物がこういう方向に流れていくとは、想像もつかない。ただ、これでよいのか、と感じるところもあるが、それも含めて作者の狙い通りなのだろう。
そして最後に、このシリーズを1作でも読んだ人は、本作の謝辞を絶対読んでほしい。作者がなぜこのシリーズを書こうと思ったのか。作者の想いと怒りは、ピップに投影されているに違いない。
第1作のYA小説はどこへ行ったのかと戸惑う部分はある。大人向けのサスペンスといった方が近い本作品。しかし、YA小説ならではの終わり方だったなという思いはある。帯にある“ミステリ史上最も”は人それぞれだろうが、衝撃的な作品であったことは間違いない。本作品を読まずして、2023年の翻訳ミステリは語れない。そして、ピップとラヴィには幸せになってほしいと思わずにいられない。
フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』(創元推理文庫)
67歳のイタリア人、コリーニが殺人容疑で逮捕された。被害者は大金持ちの実業家で、事務所を開いたばかりの新米弁護士ライネンは国選弁護人を買ってでる。だが、殺されたのはライネンの亡くなった級友の祖父だったと判明する。知らずに引き受けたとはいえ、少年時代に世話になった恩人を殺した男を弁護しなければならない――。苦悩するライネンと、被害者遺族側の辣腕弁護士マッティンガーが法廷で繰り広げる緊迫の攻防戦。そして裁判で明かされた、事件の驚くべき背景とは。刑事事件弁護士の著者が研ぎ澄まされた筆致で描く、法廷劇!(粗筋紹介より引用)
2011年、ドイツで発表。2013年4月、東京創元社より邦訳単行本刊行。2017年12月、文庫化。
『犯罪』『罪悪』で評判となったフェルディナント・フォン・シーラッハによる初の長編小説。本書はドイツで一大センセーションを巻き起こし、出版から数か月後にドイツ連邦共和国法務省は省内に調査委員会を立ち上げた。小説が政治を動かした一冊である。
分量は200ページ足らずで、長編としては非常に短い。ただ、内容は非常に濃く、読みごたえがある。ただ、それは中盤の裁判が始まって以降。単なる殺人事件で、動機こそはっきりしないものの、証拠もそろっており、ひっくり返りようのない裁判。ところが裁判が始まってからの緊迫感は見事。さすが、現役事件弁護士ならでは。そして裁判で明かされる事件の裏については、考えさせられることが多い。
最後があまりにも呆気ないのは事実だが、本作品の場合、それがベストであろう。結局どう考えて行動するかは、読者に委ねられた。そして政治が動いたのは、その結果なのだろう。深く考えさせられる一冊である。
井上悠宇『不実在探偵の推理』(講談社)
「彼女は実在してる。存在が不確かなだけで、ずっと僕の傍にいるんだ」 大学生の菊理現が思い出のダイスに触れた途端、長い黒髪に白いワンピースの美しい女性が見えるようになった。現にしか見えない彼女はしかし、ずば抜けた推理力を持つ名探偵。藍の花を握りしめて死んだ女性、宗教施設で血を流す大きな眼球のオブジェ。二人に降りかかるすべての謎は解けている。あとは、言葉を持たない「不実在探偵の推理」を推理するだけ。水平思考を巡らせて、「はい」か「いいえ」の答えで真実にたどり着け。(帯より引用)
『小説現代』2021年9月号に第一章掲載。その後は書き下ろし。2023年6月、刊行。
花屋の女性店員がすべての鍵がかかった自室で、アコニチンを飲んで死亡。藍の花を握りしめていた。自殺か、他殺か。さらに翌日、第一発見者であり、店員の恋人である花屋の店長も自室で首吊り自殺。刑事課の百鬼広海は、相棒の烏丸可南子と一緒に、甥で大学生の菊理現の元を訪れる。現にしか見えない彼女は名探偵なのだ。しかし、現を介した彼女の答えは「ハイ」「イイエ」「関係ナイ」「ワカラナイ」の四つだけ。真相は、広海と可南子が推理しなければならない。「第一章 不実在探偵と死体の花」。
菊理現が朝起きてキッチンに行くと、青色のダイスが置いてあった。一人暮らしの彼の家に、誰が一体置いたのか。現は入院中の三栖鳥にそのことを話す。不実在探偵はどうやって現のところへやってきたか。「第二章 不実在探偵の存在証明」。
新興宗教団体“神の眼”の施設で、“対話の間”にある“解き明かす者”の像である巨大な眼球のオブジェから赤い液体が滴り落ちていた。教祖は“解き明かす者”の死を感じたという。この殺神事件の謎を不実在探偵は解けるのか。「第三章 不実在探偵と殺神事件」。
殺神事件の謎は解決したが、事件はまだ続いていた。「第四章 不実在探偵と埋められた罪」。
帯の推薦文が凄い。我孫子武丸、今村昌弘、井上真偽、似鳥鶏、友野詳、織守きょうや、秋口ぎぐる、斜線堂有紀、五十嵐律人。まあ、これだけの人が並ぶと、すごく面白いか、とんでなくこけるかのどちらかなのだが、読み終わってみると微妙。
大学生にしか見えない名探偵、さらにイエス・ノーの答えしかない水平思考ゲーム。この設定を組み合わせただけ、としか言い様がない。水平思考ゲームが好きな人ならこれはこれでありなのだろうが、そんなに好きじゃないしなあ。事件現場でこんなのをやられると、怒り出しそう。
ついでに言うならば、物語としてもそんなに面白いものではなかった。百鬼と烏丸のやり取りでもう少し特徴的なタッチがあるといいのだが。物語から浮いている三栖鳥も、もう少し生かすことはできなかっただろうか。
本格ミステリ=ゲーム論という人には楽しめるかもしれない。ただなあ、小説としての面白さがもう少し欲しい。
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