宮部みゆき『希望荘』(文春文庫)

 今多コンツェルン会長の娘と離婚した杉村三郎は仕事を失い、愛娘とも別れ、東京都北区に私立探偵事務所を開設する。ある日、亡き父が生前に残した「昔、人を殺した」という告白の真偽についての依頼が舞い込む。はたして真実は――。2011年の3.11前後の杉村三郎を描くシリーズ最新作。(粗筋紹介より引用)
 『STORY BOX』2014年12月号~2016年5月号連載の「聖域」「希望荘」「二重身(ドッペルゲンガー)」と、『オール讀物』2015年6月号、8月号に掲載された「砂男」を収録。2016年6月、小学館より単行本刊行。2018年11月、文春文庫化。

 1月15日に杉村探偵事務所を開いてから10か月。近所のアパートに住む女性からの依頼を受けた。アパートの階下に住み、春に亡くなったはずのおばあさんが先週、車椅子に乗って若い女性と楽しそうに話していることを目撃したとのこと。気になるので、本人なのか、他人の空似なのかを調べてほしいと言う。「聖域」。
 池袋でイタリアンレストランを経営している相沢幸司の父親、武藤寛二は死ぬ二か月ほど前から息子や老人ホームのスタッフなどに、昔人を殺したことがあると告白していた。その告白が真実かどうか、調べてほしいと杉村は依頼された。「希望荘」。
 2009年1月に離婚後、杉村三郎は山梨県の故郷へ10年ぶりに帰った。兄は果樹園経営と農業生産法人の役員、姉は小学校の教師。父は自宅療養中で、母は兄夫婦の家を切り回していた。そして三郎は姉夫婦と同居し、5月からなつめ市場でアルバイトをしていた。ある日、配達に行った人気蕎麦店が開いていなかったので若夫婦の家に行ってみると脱水状態の妻・牧田典子が出てきて、夫・広樹が不倫して昨夜出ていったと言って気絶してしまった。それから1か月後、調査会社「オフィス蛎殻」を経営している蛎殻昴から依頼を受ける。「砂男」。
 2011年3月11日の大震災で借りていた事務所兼住所の古屋が傾いてから2か月。古家のオーナー竹中夫人により、杉村は迷宮のような大邸宅である竹中家の空き部屋を借りることとなった。かつて捜査に関わった少年からの紹介で、高校二年生の伊知明日菜より、シングルマザーの母親と付き合っていたカジュアルアンティーク経営者の男性が震災の前日に買い付けで東北の方へ行ってから行方不明になったので、探してほしいという依頼があった。「二重身(ドッペルゲンガー)」。

 『誰か Somebody』『名もなき毒』『ペテロの葬列』に続く杉村三郎シリーズ第4弾。今多コンツェルン会長の娘と離婚した杉村三郎は、私立探偵事務所を開く。離婚から事務所を開くきっかけまでが語られるのが「砂男」。それから時系列で「聖域」「希望荘」と進み、大震災で事務所を竹中家の一室に移すのが「二重身」となる。
 杉江松恋の解説を読んで納得したが、このシリーズは私立探偵ものであり、主人公がなぜ私立探偵になったのかを長編三作で語るという珍しいシリーズである。そして本作は私立探偵事務所設立顛末記となる。開業のきっかけとなる「オフィス蛎殻」の面々、事務所の家のオーナー竹中夫人、今多コンツェルン時代の行きつけの喫茶店で、今は近くで喫茶店「侘助」のマスター水田大造などのシリーズ登場人物も勢ぞろいする。
 宮部みゆきの巧いところは、平易で簡潔な文章なのに、登場人物や事件背景の描写が巧く、世界観がすんなり入ってくるところ。そしていい人過ぎる杉村三郎の心情が読者へ沁みこんでくるところ。そして流れるようなストーリー。もはや名人芸と言ってもいいだろう。
 本作品集から日付を作品内に掲載するようになっている。自らの物語に一つのけりをつけた杉村三郎が、社会と向き合うための措置のように思える。それは、宮部みゆきが私立探偵小説に真っ向から挑む決心を固めたものなのだろう。
 先に第5作『昨日がなければ明日もない』を読んでいたのだが、これはやはりこちらを先に読むべきだったなと後悔。次作はすぐに読むぞ、なんて思っていたら、第1作の『誰か Somebody』を読んでいないや。うん、いい加減だね、自分。




米澤穂信『Iの悲劇』(文藝春秋)

 一度死んだ村に、人を呼び戻す。それが「甦り課」の使命だ。山あいの小さな集落、簑石(みのいし)。六年前に滅びたこの場所に人を呼び戻すため、Iターン支援プロジェクトが実施されることになった。業務にあたるのは簑石地区を擁する、南はかま市「甦り課」の三人。人当たりがよく、さばけた新人、観山(かんざん)遊香(ゆか)。出世が望み。公務員らしい公務員、万願寺(まんがんじ)邦和(くにかず)。とにかく定時に退社。やる気の薄い課長、西野(にしの)秀嗣(ひでつぐ)。日々舞い込んでくる移住者たちのトラブルを、最終的に解決するのはいつも――。徐々に明らかになる、限界集落の「現実」! そして静かに待ち受ける「衝撃」。これこそ、本当に読みたかった連作短篇集だ。(粗筋紹介より引用)
 『オールスイリ 2010』『オール讀物』2013年11月号、2015年11月号、2019年6月号掲載作品に書き下ろしを加え、2019年9月、文藝春秋より単行本刊行。

 山間の小さな集落、簑石に一人もいなくなるまで。「序章 Iの悲劇」。
 Iターン支援推進プロジェクトに第一陣として転居してきたのは、久野家と安久津家。それから10日目、ラジコンヘリが趣味の久野は、安久津の家が夕方から焚火してスピーカーで訳の分からない音楽を流し続けると苦情を言ってきた。「第一章 軽い雨」。
 Iターン支援推進プロジェクトで、十世帯が蓑石に移住してきた。そのうちの一人、牧野は休耕田に水を張り、鯉を育て始めた。四方にポールを立てて、目の細かい緑のネットを張っているのに、鯉が盗まれて減っていると苦情を言ってきた。出張中の万願寺はすぐに答えを出せず、明日夕方、帰り次第牧野の家を訪れると約束する。「第二章 浅い池」。
 民間の歴史学者久保寺治は、平屋建てに山ほどの本を持ち込んだ。絵本などもあることから、近所に住む立石家の子供、速人が度々遊びに来ていた。ある日、その速人が母親に、本のおじさんのところへ行くと言ったまま帰らなかった。しかし久保寺は仕事で名古屋に行っていた。「第三章 重い本」。
 河崎夫婦の妻、由美子は、車の排ガスは毒だ、隣家の上谷が建てたアマチュア無線のアンテナから電波が出て体に悪いなどとクレームをつける。移住者の一人、長塚が親睦を深めるために秋祭りを開催し、バーベキューを行った。そのとき、由美子が毒キノコを食べてしまい、救急車で運ばれた。「第四章 黒い網」。
 西野と万願寺は、プロジェクトの提案者である飯子市長へ現況の報告書を提出する。すでに半分以上が箕石を出ているのにも関わらず、大野副市長が少し激するも、山倉副市長や飯子は甦り課の責任を問おうとしなかった。その夜、万願寺は東京で働く弟と久しぶりに電話で会話する。「第五章 深い沼」。
 円空が彫った仏像が、若田夫妻が借りている家にあった。長塚はその仏像は重文指定級であり、円空仏を中心にミュージアムを建て、観光地化しようと甦り課に訴えた。しかし若林一郎は、預かりものだから仏を公開することは許されないと答えた。「第六章 白い仏」。
 箕石へ訪れた西野、万願寺、観山がこれまでのプロジェクトを振り返る。「終章 Iの喜劇」。

 合併してできた小さな南はかま市にある、無人化した集落箕石に人を呼び戻すIターン支援プロジェクト。業務にあたった甦り課の面々が、様々な事件に対応する連作短編集。タイトルに「Iの悲劇」とあるし、そもそもハッピーエンドがほとんどない作者のことだから、プロジェクトがうまくいかないのは予想できる。
 途中に出てくる様々な問題、そして万願寺と弟のやり取り、さらに結末などを通し、現在の日本の難題の一つを浮き彫りにしている。合理的に考えるか、情緒的に考えるか。答の出しにくい問題である。
 作者はそんな問題点を提示しつつ、集落で起きた事件と推理を提供する。まあ、事件というほどの大きな事件ではないし、推理できるほどの材料が全て与えられているわけでもないのだが、それは主眼点を考えると当然の手法になるのだろう。日常の謎レベルで社会派のテーマを取り扱うのは、珍しいかもしれない。
 作者も色々なテーマを取り扱っているのだな、と思わせる一冊。本格ミステリを楽しみたかったという人には、がっくりするかもしれないが、個人的には面白く読むことができた。一番好きなのは、「第二章 浅い池」。不可能事件のように聞こえるも、現場を見てしまえば一目で答えが出てしまうそのギャップが面白い。馬鹿馬鹿しいと言う人も多そうだが。




阿津川辰海『午後のチャイムが鳴るまでは』(実業之日本社)

 他人から見れば馬鹿らしいことに青春を捧げる高校生たちの群像劇と、超絶技巧のトリックが見事に融合。稀代の若き俊英が“学校の昼休み”という小宇宙を圧倒的な熱量で描いた、愛すべき傑作学園ミステリ!(粗筋紹介より引用)
 『THE FORWARD』『Web ジェイ・ノベル』2022~2023年掲載作品に書き下ろしを加え、加筆修正のうえ2023年9月刊行。

 2021年9月9日、九十九ヶ丘高校2年生の結城と日下部顕は、昼休み校外外出禁止の校則を破り、無料券を手に近くのラーメン屋で昼食を食べる計画を立てた。タイムリミットは昼休みの65分。文化祭準備で忙しい校内を2人は、体育館裏のフェンスの穴からひそかに抜け出した。「第1話 RUN! ラーメン RUN!」。
 来たる文化祭で販売する部誌の校了直前、学校で合宿していた文芸部員たち。なんとか原稿はそろったものの、表紙イラストが昼休みになっても届かない。イラストレーター「アマリリス」こと3年生の司麗美は家で描いているはず。2年生の楢沢芽衣は川原聡と一緒に家へ行こうと体育館裏のフェンスの穴へ向かったら、偶然麗美の姿を見かけた。逃げる麗美を追いかけて体育館を曲がると、麗美の姿は消えていた。近くに居た1年生の男子に聞いても、女子生徒は通らなかったという。麗美はどこへ消えたのか。「第2話 いつになったら入稿完了?」
 2-Aの男子全員は6月から毎週木曜日、消しゴムポーカーで遊んでいる。13人の男子が1人4個ずつ、トランプの図柄が書かれた消しゴムを保管し、ポーカーをしているのだ。9月の第2木曜日に行われる第2回大会を前に、今本がクラスのマドンナに告白すると宣言。本人のいないところで争った結果、第2回大会の優勝者が告白する権利を得ることとなった。「第3話 賭博師は恋に舞う」。
 水曜日の放課後、占い部の茉莉は、文化祭に向けて明日プレオープンする「占いの館」の扉の外で「星占いでも仕方がない。木曜日ならなおさらだ」という男の声が聞こえてきた。翌日の昼食中、茉莉は友人のアリサとエミと一緒に、この言葉の意味を推理する。「第4話 占いの館へおいで」。
 体育教師兼生活指導の森山進は、机の上に置いてあった17年前の学校新聞「ツクモ新報」を見て、当時の事件を思い出す。屋上の天文台から、2年生の浅川千景が消失したのだ。森山は浅川と同じ当時の天文部員であり、そして目の前で消えるところを見ていた。森山の元へ書類を持ってきた生徒会長は、風で飛んだ新聞を拾い、「十七年後の今日、解かれることが定められていたのです」と言い立てた。「第5話 過去からの挑戦」。

 阿津川辰海が贈る、日常の謎学園ミステリ。倒叙もの、消失トリック、賭博、推論、再び消失トリックと様々なジャンルを交えつつ、学園ものらしいやり取りが繰り広げられる。
 帯の言葉だと若林踏の「一瞬の煌めきを多種多彩なミステリの型や技巧とともに描いた、青春群像小説」という言葉が一番ピッタリくるかな。大人から見たら馬鹿馬鹿しいかもしれないことに情熱を傾け、そして恋に心をときめかせ、友情に熱くなっていた時代。舞台や手に取るものは変わったかもしれないが、あの頃の心は永遠。
 まあ、青春小説として読むには、昔の青春作品のパターンを踏襲しているな、という部分はあるにしろ面白く読める。ただ、本格ミステリとして読むとどうだろう。単品のミステリとして面白いのは、せいぜい「第4話 占いの館へおいで」ぐらいだろうか。ストーリーを読めばすぐにわかる通り、「九マイルは遠すぎる」にインスパイアされた作品である。ただ、あまりにもストレートなオマージュなので、ひねりがないのは残念。
 この作品のキモは「第5話 過去からの挑戦」で傍点を打っていた箇所だったようだ。ただ最初から〇〇が出てこない時点ですぐにわかってしまうし、わざとらしい〇〇表示もどうかと思う。勘が悪くても、第1話の時点でほぼ予想がつくだろう。タイトルももう少し考えた方がよかったんじゃないだろうか。
 とりあえず面白く読めるんだけど、この作者に求めるものからしたら微妙だね。読者が「作者に求めるもの」なんて、勝手な押し付けでしかないんだけど。続編ってあるのかな、これ。この登場人物なら読んでみたい気はする。長編向きではないだろうが。




道尾秀介『鬼の跫音』(角川文庫)

 刑務所で作られた椅子に奇妙な文章が彫られていた。家族を惨殺した猟奇殺人犯が残した不可解な単語は哀しい事件の真相を示しており……(「■(ケモノ)」)。同級生のひどい攻撃に怯えて毎日を送る僕は、ある女の人と出会う。彼女が持つ、何でも中に入れられる不思議なキャンバス。僕はその中に恐怖心を取って欲しいと頼むが……(「悪意の顔」)。心の「鬼」に捕らわれた男女が迎える予想外の終局とは。驚愕必至の衝撃作!(粗筋紹介より引用)
 『野性時代』2006~2008年に掲載。2009年1月、角川書店より単行本刊行。2011年11月、文庫化。

 片想いしていた杏子は、私と同じ大学の友人であるSの恋人になってしまった。しかも隣室のSは、これみよがしに杏子の声を聞かせてくる。しかもSには別の女もいた。大学にほど近い自然公園で、私はSを殺して埋めた。私は杏子と結婚し、子供も生まれるが、11年後、Sの死体が発見される。「鈴虫」。
 優秀な家族の中で一人ダメ人間の私は、床に転がっていた刑務所で作られた椅子に奇妙な文章が彫られているのを見つける。書かれていたSの名前から祖母・父・後妻を殺害した事件の概要を見つけた私は、唯一生き残ったSの妹に会うために福島県まで出かけた。「■(ケモノ)」(■はけものへん)。
 高校三年の私は、Sが率いる不良集団四人組の一人。Sに女を凌辱しろと言われた私は、二週間後の秋祭りの夜に決行することにした。それから二十年後、私は故郷を訪ねる。「よいぎつね」。
 小説家の私の部屋に見たことがない青年が、2か月前に盗んだ招き猫の貯金箱を返しに来たと訪ねてきた。ところが私には全く心当たりがない。お金かと思った紙は「残念だ」と書かれたメモだった。私は二年前、高校の同級生だったSが、妻と一人娘を自損事故で亡くしたことを思い出す。「箱詰めの文字」。冒頭に、この私が「よいぎつね」のラストシーンらしきものを書いている下りがある。
 1月7日、私はSに教えられた神社に行き、どんどやの火に達磨をくべる。7日前に私の願いは叶ったから。炬燵の向こうにいるSは、いつも私に微笑んでくれる。私を愛してくれるSがいる。「冬の鬼」。
 同級生のSにいつも虐められている小学四年生の僕は、ゴミだらけの家に住む女性と知り合う。女性は押入れから取り出したキャンパスで、頭の上を振るった。それから僕は、Sのことが怖くなくなった。「悪意の顔」。

 心に潜む「鬼」と向き合う作者の第一短編集。犯罪小説、怪奇小説、幻想小説、耽美小説など様々なジャンルの雰囲気を漂わせつつ、似たようなテイストで様々な異なる面を描き出す、六つの短編が収められている。
 Sという登場人物名が共通するものの、当然ながら別人。あえて揃えることで、鬼というテーマの統一性を補強したのだろう。どの短編も後味はよくない。人の心に潜む「鬼」の恐ろしさをじわじわと浮かび上がらせるその筆致は巧みである。あえて短い枚数で収めることで、恐怖を増すことに成功している。作者のデビュー初期に書かれた作品ということで、かなり力を入れていたのではないだろうか。
 個人的なベストは「■(ケモノ)」。最後でやられました。




ダン・ブラウン『デセプション・ポイント』上下(角川文庫)

 国家偵察局員レイチェルの仕事は、大統領へ提出する機密情報の分析。現在、ホワイトハウスは大統領選の渦中にあり、現職と争っている対立候補は、なんと彼女の父だった。選挙戦はNASAに膨大な予算を費やす現政府を非難し、国民の支持を集めている父が有利に進めていた。そんなある日、レイチェルは直直に大統領から呼び出される。NASAが大発見をしたので、彼女の目で確かめてきてほしいというのだが……。(上巻粗筋紹介より引用)
 状況が飲み込めないままレイチェルが連れて行かれたのは、北極だった。氷棚に埋まった巨大な隕石から等脚類の化石が大量に発見されたのだ。これは地球以外にも生物が存在する証拠であり、まさに世紀の大発見だった。選挙戦は一気に逆転し、大統領が対立候補の娘である自分を情報分析官に選んだ理由を悟る。だが、科学者チームと調査を進めるうちに、レイチェルは信じられない謀略の深みにはまりこんでゆく……。(下巻粗筋紹介より引用)
 2001年、発表。作者の第三長編。2005年4月、角川書店より邦訳、単行本刊行。2006年10月、文庫化。

 アメリカ大統領選とNASAをめぐるポリティカル・サスペンス。主人公で、国会偵察局(NRO)局員であるレイチェル・セクストン、レイチェルの父で上院議員、そして共和党の大統領候補が確実視されているセジウィック・セクストン、その個人秘書であるガブリエール・アッシュ、アメリカ合衆国大統領で再選を目指すザカリー・ハーニー、その上級顧問であるマージョリー・テンチ、NRO局長のウィリアム・ピカリング、米国航空宇宙局(NASA)長官のローレンス・エクストローム、海洋学者のマイケル・トーランド、宇宙物理学者のコーキー・マーリンソン、古生物学者のウェイリー・ミン、雪氷学者のノーラ・マンゴア、などなどの視点が短い章で入れ替わり、読者に考える隙を与えずに物語が急ピッチで進んでいく。
 細かい矛盾はあるだろうが、そんなことを考えずに作者が作り出す流れに乗っていけばいい作品。もちろん面白いことが前提であり、その点については問題なし。ということで、素直に面白く読むことができました。




Gスピリッツ編集部『国際プロレス外伝』(辰巳出版)

『実録・国際プロレス』、『東京12チャンネル時代の国際プロレス』に続く、国際プロレス盛衰録第三弾。『Gスピリッツ』に掲載された国際プロレス関連の記事を加筆・修正、再構成。
 マティ鈴木、マイティ井上、大剛鉄之助(過去にインタビューしながら収録されなかったもの。主に東京プロレス時代)、木村宏(ラッシャー木村次男)、田中元和(東京12チャンネル『国際プロレスアワー』チーフディレクター)、ジプシー・ジョー、ミスター・ポーゴ、新間寿(元新日本プロレス営業本部長)、アポロ菅原、マッハ隼人、高杉正彦へのインタビュー。鶴見五郎と大位山勝三、マイティ井上と高杉正彦の対談。ビル・ロビンソンの追悼対談、鶴見五郎と高杉正彦による阿修羅・原追悼対談。国際プロレス前の吉原功、TBS時代のグレート草津、サンダー杉山、ヤス・フジイ、ミスター珍の評伝を収録。
 2023年6月刊行。

 1981年8月9日、北海道羅臼町でひっそりとその歴史を閉じた、悲劇の第3団体、国際プロレスの盛衰録第三弾となる。国際プロレスの旗揚げから崩壊、さらに新日本プロレスでのはぐれ国際軍団、全日本プロレスでの国際血盟軍、そして剛竜馬、高杉正彦、アポロ菅原が結成したインディー団体の嚆矢、パイオニア戦志と、国際プロレスに連なる軍団、団体を知る上でも欠かせな一冊となっている。
 『実録・国際プロレス』はインタビュー中心であったため深く掘り下げられなかった吉原功、グレート草津、サンダー杉山、ラッシャー木村、ヤス・フジイ、ミスター珍に関わる評伝、インタビューは貴重。ヤス・フジイのようにプロレス史の中に埋もれたまま忘れされれたレスラーを取り上げられるのは、ここぐらいだろう。
 マティ鈴木へのインタビューは是非ともプロレスファンに読んでほしい。日本プロレスにおける吉原功と遠藤幸吉の確執、当時のアメリカプロレス、国際プロレスの始まり、そして助っ人として参戦した全日本プロレス初期の話題がてんこ盛りであり、さらにプロレスラーだった彼がなぜ実業家として超一流会社の顧問まで上り詰めることができたのか。日本プロレス史にはあまり出てこない鈴木の真骨頂がここにある。
 ラッシャー木村の次男である木村宏氏のインタビューも、プロレスファン必読。プライベートをほとんど明かさなかったラッシャー木村の素顔と本音がここにある。そしてプロレスラーの優しさも。
 それと前巻にはなかったアポロ菅原のインタビューは嬉しい。本人がけがでプロレスをリタイアし、消息が分からなかっただけだったのね。
 一冊を通してみると、プロレスマニアからプロレスラーになった第1号、高杉正彦の記憶力と資料が凄い。地獄耳でもある高杉の証言がなかったら、羅臼にいたるまでの流れと現場、さらに当時の国際プロレスの裏側を知ることはできなかったかもしれない。高杉、本を書いてくれないかね。もしくは連載インタビューとか。かつての日本プロレスからインディー団体にいたるまで、高杉のマニアックな視点で楽しめると思うのだが。同様に、マイティ井上の連載も読んでみたい。当時のヨーロッパプロレスの貴重な証言になると思うのだが。二人共飛び飛びで『Gスピリッツ』に載っているけれどさ。
 今までの“定説”とは異なる部分もインタビューで判明している。特に旧UWFでマッハ隼人がメキシコ方面のレスラーのブッキングを行っていたというのは、マッハの経歴からも考えて当然と思われていたのだが、本人は否定している。ちなみにブッキングしたのは『ルチャ・リブレ』誌のオーナーのバレンテ・ぺレスで、UWFとつないだのはベースボール・マガジン社のメキシコ通信員だった横井清人氏とのことである。
 この本を読んでも、元凶がグレート草津だったとしか思えないぐらい、草津が嫌われていることがわかる。それと早々に離脱したストロング小林と剛龍馬も嫌われていることが。草津に嫌われて虐められて離脱した小林はまだしも、剛龍馬にいたっては本当にいい話が出てこない。ごくわずかな期間でも、プロレスバカとして小さなブームを巻き起こしたのが信じられないぐらいだ。まあ、プロレスが下手すぎ、動きが硬すぎであることが一因でもあるのだが。
 国際プロレス、昭和のプロレスが好きな人にはたまらない一冊。噛めばまだまだ甘みと苦みが出そうな国際プロレス、これからもぜひ追ってほしいものだ。
 国際プロレス出身者で、まだ現役なのは高杉正彦と若松市政(将軍KYワカマツ)の二人。とはいえ、高杉は68際、若松は81歳で、年に1、2回リングに上がる程度である。日本プロレス出身者では、81歳のグレート小鹿、74歳で闘病中の百田光雄、69歳の藤波辰爾である。




荒木あかね『ちぎれた鎖と光の切れ端』(講談社)

 2020年8月4日。島原湾に浮かぶ孤島、徒島(あだじま)にある海上コテージに集まった8人の男女。その一人、樋藤(ひとう)清嗣(きよつぐ)は自分以外の客を全員殺すつもりでいた。先輩の無念を晴らすため――。しかし、計画を実行する間際になってその殺意は鈍り始める。「本当にこいつらは殺されるほどひどいやつらなのか?」樋藤が逡巡していると滞在初日の夜、参加者の一人が舌を切り取られた死体となって発見された。樋藤が衝撃を受けていると、たてつづけに第二第三の殺人が起きてしまう。しかも、殺されるのは決まって、「前の殺人の第一発見者」で「舌を切り取られ」ていた。
 そして、この惨劇は「もう一つの事件」の序章に過ぎなかった――。(帯より引用)
 2023年8月、書下ろし刊行。

 昨年の受賞作『此の世の果ての殺人』が好評だった荒木あかねの江戸川乱歩賞受賞第一作。
 携帯電話の電波が通じない島原湾の孤島、徒島に集まった、男女7人の友人と、海上コテージの管理人。そのうちの1人、樋藤清嗣は先輩の無念を晴らすため、友人の残り6人を殺害する計画を立てていた。しかし実行に躊躇しているうちに第1の殺人事件が発生。舌を切り取られていることに、皆が衝撃を受けていた。その次の日、第1の殺人事件の第1発見者が殺害された。そして毎日、一人ずつが、前の事件の第1発見者が殺害されていく……。ここまでが第1部。そして第2部ではまた連続殺人が発生する。
 第1部は、誰も外に出ることのできない、連絡を取ることのできない孤島での連続殺人。しかも1番目の殺人事件は密室状態。それなのに、クローズド・サークルを読むワクワク感がないのはなぜなんだろう。そもそも樋藤が殺人を計画する動機もなかなか明かされないし、7人の友人関係の背景も明かされない。だから、もどかしさがある。そんなもやもやが、秘密をサスペンスに変えることができず、マイナスに働いている。それともう一つは、フーダニットとハウダニットの弱さ。フーダニットについては不自然な描写で最初からバレバレだし、ハウダニットについては舞台の説明が今一つで、謎解きをされてもピンと来ない。そして作品のそもそもの話だから言っても仕方がないことなのだが、行き当たりばったり感が強い。様々なところで少しずつ、本格ミステリとしての面白さが削がれてしまう結果になっている。
 ただ、第1部は前振り。作者が書きたかったのは第2部だろう。パワハラ、DV、介護、都会と田舎などの社会問題も織り込みつつ、被害者と加害者の関係性に踏み込みながら連続殺人事件が発生し、やがて過去の事件と絡んでくる。ただ、これらの問題を扱うのなら、もっと人物造形を描き込んでほしかったというのが本音。読み易さを考えて削れるところは削ったように見えるが、登場人物の繋がりが判明するところはあまりにも唐突過ぎ。謎解き役の刑事の想像力の逞しさにも呆れるし、犯人たちの動きも安易すぎる。
 第1部も第2部も描き込みが足りない分、説得力に欠ける箇所が多い。2クールぐらいの長さの連続ドラマを無理矢理1冊にまとめたような無理が、物語の浅さに繋がなっている。これだけ長くても、ダイジェストを読まされている感が強い。
 作者紹介で「本格ミステリーの確かな技法に加え、心理に深く分け入った人間ドラマを描くことから「Z世代のアガサ・クリスティー」と呼ばれている」とのことだが、いつどこでそう呼ばれていたのだろうか。まあ、それはどうでもいいが、本作品は本格ミステリの不確かな技巧を詰め込み過ぎ、さらに心理を深く書けない人間ドラマを描いてしまったと言っていいだろう。力は入っている分、力みが強すぎた。前作の感想で、「将来はミステリから離れていくような気がする。この作品の欠点は、ミステリならではの「何か」が足りないところだったと思う」と書いたけれど、その印象は本作を読んでも変わらない。もっとも、作者は有栖川有栖のファンで、本格ミステリが大好きとのことだが。




森川智喜『動くはずのない死体 森川智喜短編集』(光文社)

 「なんでここにいるの?もしかして動いた?死んでるのに?」
 どこまでもロジカル、限りなくポップ。そしてほんのりクレイジー。本格ミステリ大賞受賞作家の奇想が踊る、5つの奇妙な謎と解決。
 ドレスをズタズタにした犯人は、どこから来てどこへ逃げた?「幸せという小鳥たち、希望という鳴き声」
 虫食いだらけの原稿を、前後の文章から推理して完全修復!?「フーダニット・リセプション 名探偵粍島桁郎、虫に食われる」
 夫は殺したはずなのに! なぜここに!?「動くはずのない死体」
 超常的な力で殺人罪から逃れる男 VS 熱血刑事「悪運が来たりて笛を吹く」
 瞬間移動能力者が起こした密室殺人。読者への挑戦状付き!「ロックトルーム・ブギーマン」(帯より引用)
 『ジャーロ』2021~2022年掲載に書下ろし1本収録。2023年5月、刊行。

 ノンシリーズの短編集。内容的にはバラバラで、しかしどことなく不自然さが統一されているというか。いずれの作品もブラックユーモアな雰囲気が漂っていて、深刻さが感じられない。
 表題作「動くはずのない死体」は、読む人が読めば凄い不可能犯罪のように見えるのだが、オチまで行ってしまうとなんだこのバカバカしさ、と言いたくなるような作品。楽しめる人には楽しめるのかもしれないが、個人的にはとんでもない肩透かし作品である。
 「フーダニット・リセプション 名探偵粍島桁郎、虫に食われる」にしても、コーヒーをこぼして読めなくなった兄の原稿の虫食い部分を、前後の文章から推理して埋めていくというパズルみたいな作品で、個人的にはお疲れさまとしか言い様がない内容である。
 「幸せという小鳥たち、希望という鳴き声」はまあ読めたかな、という心理サスペンス。
 「悪運が来たりて笛を吹く」は落語のオチみたいな作品。
 「ロックトルーム・ブギーマン」は書下ろしでかなり力が入っているが、その分肩に力が入りすぎて、逆に読みにくい。
 どの作品もロジカルな部分があるのだが、その部分が逆に読む気力を無くさせる。もうちょっとさりげなく入れてほしいんだな、私は。多分体調の悪いときに読むと、つまらないです。頭をスッキリさせてから、読むべき本。




阿部和重、伊坂幸太郎『キャプテンサンダーボルト』(文藝春秋)

 人生に大逆転はあるのか? 小学生のとき、同じ野球チームだった二人の男。二十代後半で再会し、一攫千金のチャンスにめぐり合った彼らは、それぞれの人生を賭けて、世界を揺るがす危険な謎に迫っていく。東京大空襲の夜、東北の蔵王に墜落したB29と、公開中止になった幻の映画。そして、迫りくる冷酷非情な破壊者。すべての謎に答えが出たとき、動き始めたものとは―― 現代を代表する人気作家ふたりが、自らの持てる着想、技術をすべて詰め込んだエンターテイメント大作。(粗筋紹介より引用)
 2014年11月、文藝春秋より書下ろし刊行。

 相葉時之は、借金を返すために一攫千金を狙うも手元に残ったのは怪しいスマートフォンだけで、しかもテロリストから命を狙われる羽目に。間一髪のところで偶然出会ったのは、小学校時代のの野球チームの仲間だった井ノ原悠。こちらは息子の皮膚のアレルギーを直すために妻が怪しげな民間療法にはまったため、借金を抱えていた。そして井ノ原の依頼人であった厚生省の桃沢瞳も交わり、波乱万丈の逃亡劇が始まる。蔵王・御釜が発生源の「村上病」。第二次大戦中に蔵王に墜落したB29。主役のレッドが幼女に手を出したために公開直前で中止になった特撮映画『鳴神戦隊サンダーボルト』。これらがどう結びつくのか。
 阿部和重は初めて名前を聞いたが、芥川賞他を受賞している人気作家だとは知らなかった。うーむ、無知って恐ろしい。
 素人連中が警察やテロリストから逃げ回り、それでも証言や証拠が集まってきて、気が付いたら真相に迫っているというアクション満載の娯楽小説。ツッコミどころ満載ではあるが、とにかく楽しめればいいので問題なし。最初から張っていた伏線が、最後になって綺麗に回収されるのはさすがとしか言いようがない。あれこれ言わず、とにかく読め、という作品。
 キャプテンサンダーボルトは、本名フレデリック・ワーズワース・ウォードというオーストラリアのブッシュレンジャー。1953年にはオーストラリアで映画化されている。




市川憂人『ヴァンプドッグは叫ばない』(東京創元社)

 U国MD州で現金輸送車襲撃事件が発生。襲撃犯一味のワゴン車が乗り捨てられていたのは、遠く離れたA州だった。応援要請を受け、マリアと漣は州都フェニックス市へ向かう。警察と軍の検問や空からの監視が行われる市内。だがその真の理由は、研究所から脱走した、二十年以上前に連続殺人を犯した男『ヴァンプドッグ』を捕らえるためだった。しかし、『ヴァンプドッグ』の過去の手口と同様の殺人が次々と起きてしまう。
 一方、フェニックス市内の隠れ家に潜伏していた襲撃犯五人は、厳重な警戒態勢のため身動きが取れずにいたが、仲間の一人が邸内で殺されて…!? 厳戒態勢が敷かれた都市と、密室状態の隠れ家で起こる連続殺人の謎。マリアと漣が挑む史上最大の難事件! 大人気本格ミステリシリーズ第五弾。
 2023年8月、書下ろし刊行。

 『ボーンヤードは語らない』以来2年ぶりとなるマリア&漣シリーズ。長編となると、『グラスバードは還らない』以来5年ぶりとなる。
 U国A州フラッグスタッフ署のマリア・ソールズベリー警部と九条漣刑事、U国第十二空軍のジョン・ニッセン少佐といったレギュラー陣に加え、フラッグスタッフ署のボブ・ジェラルド検視官、フェニックス署のドミニク・バロウズ刑事、『ブルーローズは眠らない』で登場する天才少女アイリーン・ティレットも登場。そして『ボーンヤードは語らない』収録の短編「レッドデビルは知らない」で登場するハイスクール時代のルームメイトセリーヌ・トスチヴァンがフェニックス署の検視官として登場する。
 ヴァンプドッグ、すなわち吸血犬と呼ばれた二十年前の連続殺人事件の犯人のエピソードと、フェニックス市で発生したヴァンプドックと同様の手口による連続殺人事件。そして現金輸送車襲撃事件の隠れ家では、密室状態の中で襲撃犯五人が次々と殺されていく。
 規模としてはとんでもなくでかい連続殺人事件。ヴァンプドックが絡むことで、謎解きよりも次々と発生する殺人事件に振り回されるホラー風味のパニック小説を読まされている気分になる。それだったらいっそのこと、そのまま終わらせてくれた方がよかったと思う。殺人事件なので当然謎解きが発生するのだが、フーダニットの部分についてははっきり言って面白くない。解りやすい伏線が所々で貼られているので、ほぼ想像がついてしまう。
 本格ミステリとして面白くないもう一つの理由は、事件の謎解きの肝となる部分が、犯人以外には殺人事件の状況から想像するしかないことである。現実に存在しない症状に、さらに仮定を重ねながら推理をしなければならない。つまり、推理をする上での絶対条件が正しいのかどうか、読者からは判断しにくいところにある。もちろん、推理をする上での前提条件が、謎解きをする前に探偵なりワトソン役なりに整理されていればよいのだが、パニック小説の面を重視してることもあり、整理をする時間がない。解決する時点で初めて示されても、小説内の登場人物や読者が見落としていた意外性が欠片もないまま結果を押し付けられる。これでは本格ミステリの面白さが損なわれてしまう。作者が謎解きの部分は重視していなかったのなら別に構わないが、構成から考えてもそんなことはないはず。本格ミステリを書くのだったら、もう少し緩急が欲しかった。展開的に難しいだろうが。
 ただ、よく知っているキャラクターたちが活躍する小説として読む分には非常に面白い。特に会話の掛け合いや連携を含めた行動の描写は、今まで描かれてきた4冊分の重みがある。もちろんシリーズキャラクターの面白さに頼っている部分は大きいが、そこをわかっていながら読んでいるのだから、私個人としては別に構わない。まあ、この本から読む人はいないだろうが。
 本格ミステリとしての面白さは今一つだが、シリーズ小説としては非常に面白かった一冊。今後のシリーズの展開も含め、作者の分岐点となる一冊になるだろう。個人的には、もっと本格ミステリの部分も頑張ってほしいところである。



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