宮内悠介『アメリカ最後の実験』(新潮文庫)

 音楽家の父を探すため、アメリカの難関音楽学校を受験した脩。癖のある受験生や型破りな試験に対峙する中、会場で「アメリカ最初の実験」と謎のメッセージが残された殺人事件が発生。やがて第二、第三と全米へ連鎖していくその事件に巻き込まれた脩は、かつて父と仲間が音楽によって果たそうとした夢こそが事件に深く関わっていたと知る。気鋭の作家が描く全く新しい音楽小説、ここに誕生!
 2016年1月、新潮社より書下ろし刊行。大幅に改稿のうえ、2018年7月、新潮文庫化。

 ジャズの名門、グレッグ音楽院のピアノ科の受験生、櫻井脩。行方不明のピアニストの父親・俊一を探すために受験に来た。競わせるゲーム的な内容でふるいにかける試験内容、一癖も二癖もある受験生たち。そして仲間になるマフィアの一人息子・ザカリーと、スキンヘッドの男・マッシモ。俊一の行方を追ううちに知り合う先住民の女性・リューイ。そして謎の楽器「パンドラ」。一方、アメリカ国内で「アメリカ第一の実験」「アメリカ第二の実験」とカウントされた殺人事件が次々に発生していく。
 帯にある「音楽バトル×ミステリー エンタメ×純文学 SF×青春」がピッタリくるような、ジャンルごちゃまぜの作品。音楽的な知識に着いていけないところがあり閉口したものの、エンタメの部分が優れているため、それほど気にならず読み進めることができた。
 様々な要素がこれだけ混在している状況で、こんな短い枚数でよく収め切った。その分、読者を置いてけぼりにしている箇所が多々あるが、それは仕方がない。とりあえず結末まで失踪するしかない、それがこの作品のいいところであり、悪いところでもあるのだろう。
 ジャズのアドリブを多用したみたいな作品。音楽にもう少し知識があったら、もっと楽しめたのになあ、とは思う。




柄刀一『ペガサスと一角獣薬局』(光文社文庫)

 ドラゴンに踏みつぶされた惨死体。五年前に密閉された小屋から発見された白骨。ユニコーンに突かれ、ペガサスに落とされた兄弟。生命を再生し若返らせる館……。幻獣たちが跳梁し、奇蹟が現実のものとなる奇々怪々の事件に、“世界の伝説と奇観”を取材するフリーカメラマン南美希風が挑む。幻想と論理が融合する柄刀ミステリーの真骨頂。(粗筋紹介より引用)
 「龍の淵」「光る棺の中の白骨」「ペガサスと一角獣薬局」「チェスター街の日」「読者だけに判るボーンレイク事件」を収録。2004年~2008年、『ジャーロ』掲載作品に書き下ろしを加え、2008年8月、光文社より単行本刊行。2011年5月、文庫化。

 柄刀一を読むのは15年ぶり。探偵役の南美希風って『密室キングダム』に出ていたのか、探偵役だったっけ、というのは読み終わってから思い出した。
 いずれの短編も、神話に出てくる幻獣や奇蹟を現代によみがえらせ、さらに本格ミステリに融合させている。どうせだったらすべての短編に幻獣を出させればよかったのにと思ったが、そこまで望むのは酷か。
 とはいえ、これだけの設定を考えてくれて、お疲れさまでした、との感想しか出てこないのは、なぜなのだろう。謎そのものに魅力はあるのだが、登場人物と物語に魅力を感じない。そして、結末が今一つ。「チェスター街の日」の謎解きなんて、さすがに無理としか感じない。
 これはもう、好みに合わなかったとしか言いようがない。読んでいて、全然ワクワクしなかった。これじゃ、小説を楽しめないわけだ。




オーエン・デイヴィス『九番目の招待客』(国書刊行会 奇想天外の本棚)

 夜の十一時、八人の著名な男女が、差出人の名前のない謎の電報によってニューオーリンズの二十階建ての高層ビルの屋上にあるペントハウスで開かれるパーティーに招待される。電報で主催者は独創的なパーティーの夜を約束していたが、主催者が何者であるかは誰にも知らされていない。彼らは奇妙な取り合わせのメンバーで、全員が互いに特定の人物を憎んでいた。
 主催者の正体をめぐって各自がさや当てをしていると、突然、部屋に据えられたラジオから主催者の声が流れてくる。ラジオの声は彼らに、これから生死をかけた最も刺激的で愉快なゲームをすると告げる――ゲームに勝たなければ、彼らは今夜、ひとりずつ死ぬことになると。思わぬ状況に直面した彼らは部屋から逃げようとするが、ドアには触れれば死に至るほどの電気が流れ、電話もなく、地上二十階にあるペントハウスでは脱出するいかなる手段もないことに気づく。パニックに襲われた彼らひとりひとりにやがて死が忍び寄る――。
 『そして誰もいなくなった』の謎の招待主U・N・オーエンを思い起こさずにはいられない「オーエン」・デイヴィスが、劇場で観客が耐えうる限りのスリルと興奮、恐怖とサスペンスを詰め込んだ傑作戯曲の幕が開く!(粗筋紹介より引用)
 1932年、Samuel Frenchより戯曲として刊行。2023年9月、邦訳刊行。

 1930年8月~10月にエルティング42番街劇場(現エンパイア劇場)で72回公演された、オーエン・デイヴィス作の三幕劇"THE NINTH GUEST"の戯曲。原作はグウェン・ブリストウ&ブルース・マニングの夫婦作家が書いた処女作『姿なき招待主(ホスト)』(扶桑社海外文庫より12月刊行)。ただし原作が刊行されたのは1930年11月とのことなので、舞台公演の方が先行している。1934年には"Tht 9th Guest"のタイトルで映画化されており、ストーリーは戯曲に沿ったが脚本はマニングとなっている。少々ややこしい経緯の詳細は、酔眼俊一郎の解説を参照のこと。
 オーエン・デイヴィス(1874-1956)はアメリカの劇作家で、1919年には、アメリカ劇作家組合の初代会長に選出されている。1923年の"Icebound"でピューリッツァー賞(ドラマ部門)を受賞した。
 戯曲はほとんど読まないのだが、さすがに「『そして誰もいなくなった』先駆作の本命はこれか?」などと書かれていては、読まないわけにはいかない。
 パーティーの招待客が謎の主催者に誘われて一か所に集まり、ラジオから流れる主催者の予告通りに一人、また一人と死んでいく。しかし彼ら、彼女らは部屋から出ることができない。まあ確かに『そして誰もいなくなった』を彷彿させる設定である。クリスティーが本作や映画を見たという記述はないとのことなので、この作品を知っていたかどうかは不明であるが、もしかしたら、と思いを馳せるのはミステリファンにとっても面白い話である。そのあたりのツボを突いた酔眼俊一郎の解説は必読。
 ただ肝心の中身であるが、当時の戯曲だから仕方がないのかもしれないが、トリックと物語の結末が呆気ない。ストーリー自体も、中盤のサスペンスは悪くないものの、今読むとよくある話と切り捨てられそうな内容だ。言ってしまえば、歴史的価値以上の面白さは存在しない。
 舞台で見るともう少し違うのかもしれないが、それでも古いと言われそう。まあそれも仕方がないか。こういう作品が同人誌ではなく、商業出版で読めることを喜ぼう。




山田正紀『僧正の積木唄』(文春文庫)

「僧正殺人事件」が名探偵ファイロ・ヴァンスによって解決されて数年。事件のあった邸宅を久々に訪れた天才数学者が爆殺され、現場には忌まわしき「僧正」の署名が……。全米中に反日感情が渦巻く中、当局は給仕人の日系人を逮捕。無実の彼を救うため立ちあがったのは、米国滞在中の金田一耕助だった!(粗筋紹介より引用)
 2002年8月、文藝春秋の叢書、本格ミステリ・マスターズより書下ろし単行本刊行。2005年11月、文庫化。

 文藝春秋の創業80周年記念事業の1つとして始まった本格ミステリ・マスターズの第1回配本のうちの一つ。ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』の後日談と聞いていたので、それほど興味を引く作家ではなかったこともありスルーしていたのだが、まさか金田一耕助が出てきているとは知らなかった。ということで今更ながら手に取って読んでみる。
 そもそも『僧正殺人事件』を呼んだのが相当昔であり、しかもつまらなかったことしか覚えていないので、実は僧正殺人事件の真相は、などと言われても全くピンと来ないし、未読の人に配慮された書き方になっていることもあって、何が何だかわからないところも多い。ああ、ファイロ・ヴァンスがつまんないやつだというのだけは何となく覚えていたが、本作でもひどい描かれ方しかされていない。
 金田一耕助が「サンフランシスコで発生した奇妙な殺人事件を解決した」と『本陣殺人事件』で言及されている事件、という形になっている。そのため、久保銀造も登場。耕助はチャイナ・タウンで阿片に耽溺していたが、それを探し出すのはすでにピンカートン探偵社を辞めて売れっ子作家になっていた人物。他にも長谷川梅太郎の友人で、丹下左膳のモデルになった右腕と右目を失った人物も登場する。
 舞台が1930年代のサンフランシスコということもあり、日本人差別がひどい。事実なのだから仕方がないが、読んでいてつらい。そして、こういう歴史的背景は、金田一耕助にもヴァン・ダインにも似合わないと思った。読んでいて戸惑いを覚えるし、重苦しくて続きを読む気が失せてしまう。
 それ以外にもいろいろな要素を詰め込み過ぎて、焦点がぼやけてしまった印象がある。裁判のその後など、投げっぱなしになっている部分もある。僧正と金田一のオマージュというわりには、事件の背景も動機も納得いかないものであった。もっと普通に、本格ミステリを楽しめる作品に仕上げてほしかった。
 意欲は認めるが、失敗作だと思う。材料を詰め込み過ぎて、さらに変な調味料を足して沸騰させ、鍋からあふれてしまった料理みたいな作品だった。




楠谷佑『案山子の村の殺人』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 ミステリ作家楠谷佑の執筆担当宇月理久とプロット担当篠倉真船は二月頭、理久と同じ大学の友人である秀島旅路の帰省に同行し、秩父市の山奥にある旧宵町村の温泉旅館宵町荘へ四泊五日の旅行に出かけた。宵町村は温泉と案山子が有名で、村の職人たちが作った案山子があちらこちらに立てられていた。山の上にある名所の宵町神社で昨年、神社の見晴らし台から大学生の男性旅行客が転落死する事故があった。そして立てられていた喪服を着た案山子が、下の空き地から無くなっていた。宵町村では10日前に銀色の毒矢が刺さった烏が捨てられ、5日前にはボウガンで村人の家の案山子に銀の毒矢が撃ち込まれていた。さらに夜、宵町荘案内の看板に矢が刺さっているのを理久たちは発見する。次の日、秩父出身の人気シンガーソングライター、丹羽星明が宵町荘へお忍びで宿泊に来た。理久たちは一緒に食事をして盛り上がる。その翌日の朝、雪掻きを手伝いに宵町神社へ行った理久たちは、空き地で至近距離から銀色の毒矢で撃たれた男性の死体を発見する。雪景色には、男性の足跡しかなかった。
 2023年11月、書下ろし刊行。

 〈家政夫くんは名探偵!〉シリーズ(マイナビ出版ファン文庫)で人気の作者による新シリーズ。主人公は同じ家に住む従兄弟の大学生合作作家コンビ。二人のペンネームが作者と同じ名前ということで何かあるかと一瞬身構えたが、特に何もなかった。それだったら同じ名前にしなくてもよかったのにと思う。
 田舎の温泉町で起きる雪の密室殺人。さらに続けて起きる殺人。二度にわたる読者への挑戦状。ここまで直球の本格ミステリも久しぶり。150ページ近く経ってから起きる殺人事件に少々もどかしさを感じるが、逆にそれは丁寧に舞台と人物関係を書いてきた証拠であり、好感が持てる。それに会話のテンポがよいので、飽きが来ることはない。二度の挑戦状も、ただ勘違いして自信満々に出すわけではなく、ちゃんと理由付けがあるところも巧い。
 雪の密室のトリックそのものは機械的でさして面白くはないが、フーダニットの部分は論理的で丁寧な推理がなされていて、その過程自体は楽しめる。ただ、動機がなあ……。殺人の動機に何かを求めちゃいけないのだろうけれど、色々な意味でこれはないよ、とは言いたくなる。もちろん丁寧なぐらいに伏線は貼られていたけれどね。
 動機の部分だけを除けば、とても面白かった。経験値を積んできた若手がド直球の本格ミステリに挑んだ、という意味では非常に好感が持てる。気が早いけれど、来年の本格ミステリベスト10には間違いなく入るだろう。シリーズで買う作家がまた一人増えました。




マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 1930年、ロンドン。名探偵レイチェル・サヴァナクには、黒い噂がつきまとっていた。彼女は、自分が突きとめた殺人者を死に追いやっている――。レイチェルの秘密を暴こうとする新聞記者ジェイコブは、密室での奇妙な自殺や、ショー上演中の焼死といった不可解な事件に巻き込まれる。一連の事件の真犯人はレイチェルなのか? 真実は全て“処刑台広場”に。英国推理小説界の巨匠による極上の謎解きミステリ。
 2018年発表。2023年8月、邦訳刊行。

 マーティン・エドワーズは「英国推理小説界の巨匠」とあったのだが初耳だった。解説を読むと、ノンフィクション『探偵小説の黄金時代』以外は邦訳されていないが、1991年にデビューして英米では高く評価されているとある。著作リストには「ハリー・デブリン」シリーズや「湖水地方」シリーズとあり、かなり売れているのだろうなと感じさせる。
 本書は作者の過去2シリーズとは別作品。これでもかとばかりに警察を悩ます事件が立て続けに発生するし、ミステリアスな名探偵レイチェル・サヴァナクにドキドキさせられる。レイチェルを追い続けるも振り回され続ける熱血新聞記者ジェイコブ・フリントも、いい味を出している。奇術師のサラ・デラメアもいいキャラクターだ。スコットランド・ヤードの面々はレイチェルに振り回され、いい間抜け面をさらしている。舞台設定、キャラクター、不可解な連続殺人事件。まさに黄金時代の探偵小説を彷彿させる。1930年のロンドンを舞台とするのにふさわしいと思わせた。
 そのため、物語の方向がどんどんとレイチェルの謎に移り変わっていくのは、個人的には勿体ないと思った。話の流れが本格探偵小説からノンストップサスペンスに切り替わっていくというのは、せっかくの雰囲気をぶち壊している気がしなくもない。どっちが好みなのかという話ではあるが。ただ折角の舞台とキャラクターを現代風に味付けしてしまうのは、作品時代は面白いのだが、これじゃない感もあるのだ。真相自体に既視感がある点も含め、読者を裏切っている。それをいい意味でとるか、悪い意味でとるかは、読者次第という点は興味深いのだが。
 一応「謎解きミステリ」ではあるな。「本格ミステリ」ではないわけだし。そういう意味では、嘘はついていない。それに読んでいる間は面白かった。サスペンスとして完成された面白さだと思う。ただ、本格ミステリとして着地してほしかった、というのが私の本音ではある。




パミラ・ブランチ『死体狂躁曲』(国書刊行会 奇想天外の本棚)

 チェルシーに住む二組の芸術家夫婦が、初めての下宿人であるベンジャミン・カンを隣家から迎えることになった。だがしかし、その隣家とは、クリフォード・フラッシュによって設立された、法廷で無罪放免となった殺人犯たちが生活を営むアスタリスク・クラブの本部であった! ところが、カンが下宿を始めた翌朝、あちこちにネズミが出没する下宿の自身の部屋で息絶えたカンを、芸術家の妻ファンが発見する。カンとの連絡が途絶えたことを不審に思ったフラッシュは、リリー・クルージを新たな下宿人として送り込むが、リリーとも連絡がとれなくなってしまう。下宿人を迎え入れるたびに次々と死体になっていくことで疑心暗鬼となり恐慌をきたした夫婦たちが死体の処分を巡って右往左往の大騒ぎを繰り広げるいっぽう、二人が殺害されたことを知ったアスタリスク・クラブの面々は、秘密裡に死体を取り戻すべく芸術家宅への侵入を企てる…… 熱烈なファンを生み出し、近年再評価の著しいパミラ・ブランチによる、ブラック・ユーモアをふんだんにちりばめたクライム・コメディの傑作!(粗筋紹介より引用)
 1951年、イギリスで発表。2022年11月、邦訳刊行。

 パミラ・ブランチはイギリスのミステリ作家。1951年、本作でデビュー。ミステリ4冊を刊行。1967年、47歳の若さで亡くなる。クリスチアナ・ブランドの親友とのこと。海外でも知名度は低かったが、21世紀になって再評価。2006年にA Rue Morgue Vintage Mysteryが全4作品を復刊。2009年には本作がデヴィッド・テナント主演でBBCラジオ4にてドラマ化された。
 全く聞いたことのない作家で、帯に「多すぎる囚人、多すぎる証人、多すぎる殺人者、多すぎる死体!!」とあるから何ぞやと思ったら。
 死体を巡るブラックユーモアドタバタコメディなのだが、出てくる人物がみんな癖のある者ばかりで、読者からしたらその言動と行動に着いていくのに疲れてしまう。さらに死体がどんどん出てくるのに、犯人を探さず、死体の処理にてんやわんやするって、何を考えているんだろう。
 中盤がややだれ気味で、彼らに付き合うにはちょっと長かったかな。こういうのはもっと切れ味鋭く決めないと、読み続けるのが少々しんどい。映像で見た方が笑えそう。それとネズミはもう勘弁してほしい(苦笑)。
 残りの作品もこんな感じなのだろうか。発表当時は受け入れられなかったのも、なんとなくわかる気がする。




覆面冠者『八角関係』(論創ノベルス)

 河内家の三兄弟、秀夫(35)、信義(32)、俊作(29)は父親の遺産を三等分し、それぞれ事業に投資して生まれた利潤で気楽な、惰眠をむさぼる生活を送っている。秀夫の妻鮎子(25)、信義の妻正子(22)、俊作の妻洋子(26)とともに、父が遺した大邸宅の別々の部屋に住んでいた。三組とも子供はいない。洋子と雅子は実の姉妹である。女中はおらず、三人の妻は仲良く家事を行っていた。正月の十日過ぎ、洋子からのお願いで空いた部屋に姉夫婦が住むこととなった。姉の野上貞子(30)は探偵作家、その夫丈助(34)は捜査課の警部補であった。そして四組の夫婦に変化が生じた。鮎子は丈助に好意を寄せ、秀夫は正子に、信義は洋子に、そして俊作は貞子のことを愛するようになった。二月初旬のある日、酔った秀夫は正子を襲い無理矢理関係を持ってしまった。数日後、秀夫が別館の自室のベッドの上で、胸にナイフが突きささって死んでいるのが発見される。別館の周りの雪には、秀夫と死体を発見した鮎子の足跡しかなかった。自殺か、他殺か。さらに連続して事件が発生する。
 『オール・ロマンス』1951年6月号~12月号まで連載。2023年8月、初単行本化。

 『オール・ロマンス』は探偵雑誌『妖奇』を発行したオール・ロマンス社から発行されたカストリ雑誌。小説よりも世相に関する読物記事が中心だった。本作品も、第一回から三回は「愛慾推理小説」、四回は「連載愛慾推理小説」、五から七回は「愛慾変態推理小説」と挿絵画家中島善美によって角付きが付されていた。中島河太郎が1975年にまとめた「戦後推理小説総目録」にも掲載されておらず、まさに幻の作品と言える。
 作者の覆面冠者は匿名作家で、正体は不明。横井司は解説でこの作品が発表された背景とともに、その正体を推理している。
 「愛慾推理小説」と書かれている通り、所々で男女の愛慾シーンが挟まれている。ただその部分を除くと、屋敷内での連続密室事件が発生し、事件ごとにトリックの有無も含めた自殺か他殺かの検討がなされるなど、本格探偵小説と冠付けるにふさわしい内容となっている。しかも高木彬光のエッセイ「密室殺人の推理」で使われている言葉を用いる形で一種の密室分類が提示されるなど、本格ミステリファンの心をくすぐる内容となっている。
 ただ密室トリック事態については過去の作品からの借用となっているし、それ以外にも過去作品をなぞったようなシチュエーションが出てくるせいか、満足感という意味では今一つ。密室分類などの言葉の選び方を含め、どことなく借り物感が漂ってくるのはマイナスだろう。人間関係の心理面もふらふらしていて、舞台自体も含めどことなくぎくしゃくしている。全体的にぎこちないのだ。
 勝手な推察だが、本格探偵小説ファンな新人作家が、自分の好きなものを詰め込んでなんとか結末まで書きあげた、というような仕上がりである。ベストに入るような作品ではないが、こんな珍品もあるんだよ、という意味では読んでおいて損はないだろう。ゲテモノ料理を興味本位で食べてみる、程度のものではあるが。



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