京極夏彦『鵼の碑』(講談社ノベルス)

 殺人の記憶を持つ娘に惑わされる作家。消えた三つの他殺体を追う刑事。妖光に翻弄される学僧。失踪者を追い求める探偵。そして見え隠れする公安の影。発掘された古文書の鑑定に駆り出された古書肆は、縺れ合いキメラのごとき様相を示す“化け物の幽霊”を祓えるか。シリーズ最新作。(粗筋紹介より引用)
 2023年9月、書下ろし刊行。

 『邪魅の雫』以来17年ぶりとなる「百鬼夜行」シリーズ。というか、そういうシリーズ名だったんだ、これ。
 「鵼」の章で始まり、関口巽・久住加壽夫パートの「蛇」、益田龍一・御厨冨美パートの「虎」、木場修太郎パートの「貍」、中禅寺秋彦・築山公宣パートの「猨」、緑川佳乃パートの「鵺」に分かれて細かく切り替わりながら、それぞれの動きが他の動きに絡み合いつつ、事件の結末「鵼」の章に向かっていく。
 829ページもある作品ではあるが、想像したよりは読みにくくない。なんか、変な表現だな。まあ、本の厚さに比べれば読み易いと言ってしまってもいいだろう。ただ、この登場人物って誰だったっけ? というぐらい覚えていない人が多い。作中で言及される過去の事件も、思い出せないものが多い。それぐらい、時の経過って残酷だね。いや、自分の記憶力の減退ぶりを嘆くべきか。
 ただ、結末まで読んでも、今までのシリーズ作品のような強烈さが何もない。一応憑き物落としはあるけれど、読者にまで纏わりつく憑き物が全くないので、呆気なさしか残らない。結局、久しぶりのシリーズで今までの主要登場人物が出てきて動き回るだけの、キャラクター小説止まりというのが腹立たしい。
 「百鬼夜行」シリーズのファンなら楽しんだろうなあ、とは思ってしまう。別にファンではないので、「ああ読み終わった」程度の感想しか出てこない。これだけの厚さの本を、手首を捻挫させずに読み終えた、ということだけは誇ろう。次の『幽谷響(やまびこ)の家』は10年後くらいですかね。




ジェフリー・ディーヴァー『石の猿』上下(文春文庫)

 中国の密航船が沈没、10人の密航者がニューヨークへ上陸した。同船に乗り込んでいた国際手配中の犯罪組織の大物“ゴースト”は、自分の顔を知った密航者たちの抹殺を開始した。科学捜査の天才ライムが後を追うが、ゴーストの正体はまったく不明、逃げた密航者たちの居場所も不明だ――果たして冷血の殺戮は止められるのか。(上巻粗筋紹介より引用)
 冷酷無比の殺人者“ゴースト”は狡猾な罠をしかけ、密航者たちのみならずライムの仲間の命をも狙う。愛する者たちを守るには、やつに立ち向かうしかない。真摯に敵を追う中国人刑事ソニーの協力も得、ライムはついにゴーストの残した微細証拠物件を発見する――見えざる霧のような殺人者は何者なのか? 大人気シリーズ第4弾。(下巻粗筋紹介より引用)
 2001年発表。2003年5月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。2007年11月、文庫化。

 リンカーン・ライムシリーズ第4作目。タイトルの「石の猿」とは孫悟空のこと。
 今回の相手は国際手配中の蛇頭の大物“ゴースト”。共産主義国家であり、西洋とは考え方の違う中国人が相手ということもあり、さすがのライムも戸惑うところがあるのは面白い。
 ただゴーストの正体、所々生じる違和感、どんでん返しの連続といったあたりは、ディーヴァー流と言ってしまえばそれまでだが、パターン化されているのも事実。こういう作風に新味を求めるのは難しいが、読者の想像以上の物を求めてしまうのは悲しい性なのかもしれない。まあ本作で言えば、当時アメリカではあまり知られていなかった蛇頭を持ってきたあたりが新しい試みなのだろうが、日本人が読むとさして違和感がないので、やや肩透かしにあった気分になったのかもしれない。
 とはいえ、高いレベルでの希望を書いてはいるものの、ディーヴァーの標準作とは十分に言えるだろうし、読んでいる間は面白いのも確か。この次も読んでしまうだろう、という巧さはさすがとしか言いようがない。




芦辺拓『三百年の謎匣』(角川文庫)

 億万長者の老人が森江法律事務所へ遺言書作成の相談に訪れた帰途、密室状態の袋小路で殺害された。遺されたのは世界に一冊の奇書と莫大な遺産。森江春策がその本をひもとくと、多彩な物語が記されていた。東方綺譚、海洋活劇、革命秘話、秘境探検、ウェスタン、航空推理――そして、数々の殺人事件。物語が世界を縦横無尽に飛びまわり、重大な秘密へと誘う。全てのピースが嵌まる快感がたまらない博覧強記の本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2003~2005年、『ミステリマガジン』に不定期掲載。2005年4月、早川書房 ハヤカワ・ミステリワールドより単行本刊行。2013年9月、角川文庫化。

 森江春策がひもといた物語は、東方綺譚「新ヴェニス夜話」、海洋活劇「海賊船シー・サーベント号」、革命秘話「北京とパリにおけるメスメル博士とガルヴァーニ教授の療法」、秘境探検「マウンザ人外境」、ウェスタン「ホークスヴィルの決闘」、航空推理「死は飛行船(ツエツペリン)に乗って」の六編。年代も1709年から1937年と幅広い。芦辺らしい博覧強記な部分もしっかりとある。この謎の本の物語はいずれも短編であり、テンポよく進むので読み易い。しかし所々で首をひねる箇所があり、気にしつつ読んでいると最後に全ての謎が解ける。構成としては悪くない。
 ただ、現在の事件の方が非常に物足りない。雪の密室殺人にはなっているが、その謎ときは拍子抜けだし、そもそも事件を推理する間もなく解決してしまう。これは勿体ないと思った。だいたい“三百年の謎匣”なんてもったいぶる割に、こんなあっさりと終っていいのか。密室殺人なんてなかった方がよかったんじゃないだろうか。その方が謎匣にふさわしい現代パートの事件を創造できたんじゃないかと思ってしまう。
 だいたいこの手の作品って、現代パートが今一つなことが多い。もうちょっとボリュームをつけて考えてほしかったと思う。




メアリ・H・クラーク『誰かが見ている』(新潮文庫)

 二年半前に最大の妻ニーナを殺されたスティーヴは、今また一人息子と恋人を誘拐された。犯人はフォクシーと名のる正体不明の男で、二人はニューヨーク・グランド・セントラル駅地下の一室に閉じ込められて爆死する運命にあった。爆弾セット時刻は故意か偶然か、ニーナ殺害犯の処刑時刻と一致している……。恐怖と悪夢の数日をスリリングに描いて近来出色の大型サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 1977年、アメリカで発表。作者の第3長編。1979年1月、邦訳刊行。

 主人公のスティーブン・ピータスンは雑誌編集長。強烈な死刑賛成論者。二年半前に妻ニーナを、当時17歳のロナルド・トンプスンに殺された。コラムニスト、作家であるシャロン・マーティンはスティーヴの恋人。そして強烈な死刑廃止論者。19歳になったロナルドの死刑執行日が近づくなか、スティーブとシャロンは死刑制度の是非について争っていた。一方、ロナルドの弁護士であるボブ・カーナーは、ロナルドが無罪であると信じ、死刑執行の延期を求めると同時に、無罪の証拠を捜しまわっていた。スティーブの一人息子である小学一年生のニールとシャロンはスティーヴの家で、(フォクシー)と名乗る男に誘拐される。スティーブは身代金を要求され、払わない場合は二人は爆破される。その爆破時刻は、ロナルドの死刑執行時刻であった。
 作者の代表作であるタイムリミットサスペンス。スティーヴ、シャロン、フォクシー、ロナルド、ボブ、FBI捜査官のヒュー・テイラーなど場面の切り替えが早く、サスペンスの盛り上げに買っている。
 ただ死刑制度の是非を絡めるのは、個人的には好きになれない。議論のやり取りの底が浅すぎて、ただ上っ面を物語に組み込んだ感がある。とはいえ、あんまり深い議論をされてもエンタメにはならないので仕方がないしな、難しいところ。
 素直にタイムリミットサスペンスを楽しめれば、それでいい作品なのかな。そう思うことにした。




加納朋子『1(ONE)』(東京創元社 創元クライム・クラブ)

 大学生の玲奈は、全てを忘れて打ち込めるようなことも、抜きんでて得意なことも、友達さえも持っていないことを寂しく思っていた。そんな折、仔犬を飼い始めたことで憂鬱な日常が一変する。ゼロと名付けた仔犬を溺愛するあまり、ゼロを主人公にした短編を小説投稿サイトにアップしたところ、読者から感想コメントが届く。玲奈はその読者とDMでやり取りするようになるが、同じ頃、玲奈の周りに不審人物が現れるようになり……。短大生の駒子が童話集『ななつのこ』と出会い、その作家との手紙のやり取りから始まった、謎に彩られた日々。作家と読者の繋がりから生まれた物語は、愛らしくも頼もしい犬が加わることで新たなステージを迎える。(帯より引用)
 『紙魚の手帖』voL.01(2021年10月号)、07(2022年10月号)、08(2022年12月号)、09(2023年2月号)掲載。2024年1月、単行本刊行。

 大学生玲奈の飼い犬ゼロとの交流を書いた「ゼロ」、玲奈の兄はやてが飼い犬ワンを飼うきっかけから亡くなるまでの交流を書いた「1(ONE)」前、中、後編の計4編を収録。作者の処女作『ななつのこ』から続く駒子シリーズ、20年ぶりの新作。
 久しぶりに読む加納朋子。リストを見たら21年ぶりだった。って、『スペース』を読んでいなかったことに今さら気づく。まあ、いいか。
 「初めに読んでいただきたいまえがき」で「ミステリ畑の敷地境界線上をうろうろしていた私ですが、本書もミステリ色はあんまり強くありません」と強調していたが、加納朋子にそんなものは求めていない。加納朋子が味わえれば、それでいい。
 ということで駒子シリーズということなのだが、肝心の駒子シリーズを人間関係以外ほぼ覚えていないのは申し訳ない。多分過去作品と関連するものが散りばめられているんだろうなあ、と思うところはいくつかあるものの、それがどう繋がっているのかがわからない。
 ということで、ほぼシリーズを覚えていない状態で読んだのだが、全くと言っていいほど問題はなかった。ほんわかする作品だし、さりげなくちょっぴり謎があるところも変わっていないし、登場人物や犬たちの温かさもこの作者らしい。
 何気ない日常のちょっとした事件。そして他愛ない話かもしれないが、家族にとっては大事件。当事者にとっては深刻だが、それ以外にはさして響かない事件。そんな中で生まれたり、確認できたりする絆。そういうのを書かせたら、本当に巧いと思う。ミステリベストには入らないだろうが、いい話を読んだなと思わせる一冊だった。
 個人的にはサイドストーリー好きだし、期間限定特別掌編が楽しかったので、彼らと出会えるこのような掌編をもっと書いてほしいところである。




五十嵐律人『法廷遊戯』(講談社文庫)

 法律家を目指す学生・久我(くが)清義(きよよし)織本(おりもと)美鈴(みれい)。ある日を境に、二人の「過去」を知る何者かによる嫌がらせが相次ぐ。これは復讐(``)なのか。秀才の同級生・結城馨の助言で事件は解決すると思いきや、予想外の「死」が訪れる――。ミステリー界の話題をさらった、第62回メフィスト賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2020年、第62回メフィスト賞受賞。同年7月、講談社より単行本刊行。2023年4月、文庫化。

 作者は執筆当時、司法修習生。受賞後は弁護士の傍ら、執筆を続けている。
 本作品は「第1部 無辜ゲーム」「第2部 法廷遊戯」の二部構成。
 第1部では法都大ロースクール最終学年の久我、織本が二人の過去に触れた嫌がらせの事件が中心となる。既に司法試験を合格している同級生、結城馨の助言で事件は治まったが、真犯人はわからないままであった。現役で司法試験に合格した久我と織本が1年間の司法修習を終えたとき、研究者の道を歩んでいた結城から「無辜ゲーム」開催の案内が届く。かつて開かれていた模擬法廷へ向かった久我は、胸元にナイフが刺さって死んでいる結城を発見する。そしてそばにいたのは、血まみれの織本だった。
 第2部は弁護士となった久我が、殺人罪で起訴された織本の弁護を引き受け、裁判に挑む。しかし無罪を主張する織本は久我との面会でも、肝心なことは何も話さず、必要なことを指示するだけだった。
 うーん、法廷を舞台にしたパズルとしては面白い。どう裁判を終わらせるかという組み立て方は、法律家という点を差し引いてもうまい。罪と罰、犯罪と更生、児童養護施設問題なども絡め、二部構成にすることによって青春小説と法廷物を融合させたその腕は見事。しかも面倒な法律問答をせずにわかりやすく裁判を終わるまで書ききったのは凄いと言っていい。これで主要登場人物3人の心理面がもう少し描かれていると、法廷物ジャンルの傑作となったかと思うと、惜しい。
 なぜこの人はこんな行動をとるのだろう、もっと別の道があったのではないか、という点がちょっと弱い。心理面で納得させる前に行動として現れてしまうので、読者としては納得せざるを得ないのだが、動機の部分が弱いのは否めない。
 処女作とは思えない完成度の高さ。弱点がないわけではないが、これだけ書ければ十分だろう。しかし法廷物が好きな私がこれを今までスルーしていたのは悔しい。




望月拓海『毎年、記憶を失う彼女の救いかた』(講談社タイガ)

 わたしは1年しか生きられない。毎年、わたしの記憶は両親の事故死直後に戻ってしまう。空白の3年を抱えたわたしの前に現われた見知らぬ小説家は、ある賭けを持ちかける。「1ヵ月デートして、ぼくの正体がわかったら君の勝ち。わからなかったらぼくの勝ち」。事故以来、他人に心を閉ざしていたけれど、デートを重ねるうち彼の優しさに惹かれていき――。この恋の秘密に、あなたは必ず涙する。(粗筋紹介より引用)
 2017年、第54回メフィスト賞受賞。応募時タイトル『リピート・ラブ』。同年12月、講談社タイガより刊行。2018年、第7回静岡書店大賞映像化したい文庫部門受賞。

 作者は放送作家として音楽番組を中心に携わってきたとのこと。日本脚本家連盟会員である。
 交通事故の影響による解離性健忘で、毎年1年で記憶が事故直後に戻ってしまう女性が主人公。そんな彼女の前に現れた見知らぬ小説家と賭けをして、そして恋に落ちる。
 この小説家が持ち掛けた賭けの謎こそあるものの、記憶を失う女性の恋愛物語そのものである。脚本家が書いたっぽいな、と思われるような描き方、会話であり、それ以上でもそれ以下でもない。映像化狙いかなという気がした。
 個人的には面白さを感じなかったが、これは好みの問題だろう。こういうものが好きな人もいるだろうなとは思う。




陸秋槎『元年春之祭』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 前漢時代の中国。かつて国の祭祀を担った名家、(かん)一族は、春の祭儀を準備していた。その折、当主の妹が何者かに殺されてしまう。しかも現場に通じる道には人の目があったというのに、その犯人はどこかに消えてしまったのだ。古礼の見聞を深めるため観家に滞在していた豪族の娘、於陵葵(おりょうき)は、その才気で解決に挑む。連続する事件と、四年前の前当主一家惨殺との関係は? 漢籍から宗教学まで、あらゆる知識を駆使した推理合戦の果てに少女は悲劇の全貌を見出す――気鋭の中国人作家が読者に挑戦する華文本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2016年、中国の新星出版社から刊行。2018年9月、邦訳刊行。

 作者の陸秋槎(りく・しゅうさ/ルー・チウチャー)は北京生まれ。復旦大学古籍研究所在学中の2014年に短編ミステリ「前奏曲」で、第二回華文推理大奨賽(華文ミステリ大賞)の最優秀新人賞を受賞。本書は長編デビュー作。2013年、第3回島田荘司賞に応募するも一次選考で落選。同年8月、初稿を新星出版社の編集者に渡すもデビューならず。2015年1月に出版社と契約を結び、大幅な改稿後に出版されたという経緯がある。
 時代は天韓元年(紀元前100年)、中国は前漢のころ。楚の雲夢澤が舞台。名家である韓家で起きた連続殺人事件を、客として呼ばれていた豪族の娘、於陵葵が解き明かす。
 作者が構想と執筆中に影響を受けたのが麻耶雄嵩と三津田信三。それに作者が好きだという漢籍と、アニメ的キャラクター表現といった要素を全部一冊に詰めたという。主要登場人物のほとんどが女性というのも、そんな作者の好みなんだろうな。
 古代中国文化や文学のペダントリーに満ちた物語は、はっきり言って読みにくい。ただでさえ登場人物の名前を覚え、関係性を確認するのに手間取るのに、引用が必要なやり取りが続くと、内容を理解するのに大変である。
 ただ、推理の部分は面白い。ここまで生の感情をむき出しにしながらの推理合戦は珍しい。二度にわたる読者への挑戦状が示すように、作者は本格オタクなのだろう。ただそのオタクぶりが、良い方に転がった珍しい例と言っていいかもしれない。
 前半は退屈だろうが、我慢して読むこと。そうすれば面白くなってくる。ここまで前半と後半の面白さが異なる作品も久しぶりだ。新本格の面白さと、それに対する批難も呑み込んで挑んだのだろう。うまく調理できたかと聞かれたら微妙だが。若さに任せて力任せに料理を行った結果味付けにムラができたが、うまく調味料が混じったところは美味しい、そんな作品である。




エリック・キース『ムーンズエンド荘の殺人』(創元推理文庫)

 15年前に探偵学校で学んだ卒業生たちのもとへ、校長ダミアンの別荘で開かれるという同窓会の案内状が届いた。吊橋でのみ外界とつながる会場にたどり着いた彼らが発見したのは、意外な人物の死体。そして死体発見直後、吊橋が爆破され、彼らは外界と隔絶してしまう。混乱する彼らを待っていたのは、不気味な殺人予告の手紙だった――。密室殺人や不可能犯罪で次々と殺されていく卒業生たち、錯綜する過去と現在の事件の秘密。クリスティの名作に真っ向から挑む、雪の山荘版『そして誰もいなくなった』!(粗筋紹介より引用)
 2011年、アメリカで発表。2013年6月、邦訳刊行。

 作者のエリック・キースはゲーム会社のパズルデザイナーとして活躍。本作品はデビュー作となる。
 閉ざされた雪の山荘で次々と殺されていくという、『そして誰もいなくなった』の雪の山荘版である。作者の公式サイトには「アガサ・クリスティの“パズルとしての殺人”の伝統に則った古典的なフーダニット」と評されているという。
 集まるメンバーは探偵学校の同期。今は職業がバラバラで特に関係がなさそうに見えたが、実は過去の事件や現在の事件が彼らと色々関わっており、複雑な人間模様が連続殺人事件の動機の目くらましとなっている。しかも連続殺人の多くは不可能殺人や密室殺人と、パズルミステリならではの展開である。
 しかし欠点も多い。まずは序盤の視点の切り替えが早すぎて説明が足りず、人間関係を把握するのに時間がかかる。殺人事件が起きるまでは冗長。そして密室殺人がお粗末。謎解き部分で説明されると、興醒めしてしまう。
 ただ、本書で作者がやりたかったのはフーダニット、最後の犯人当て部分。その部分だけは悪くないかな。
 これだけ人間関係が入り組んでいるのなら、もう少し人間ドラマに筆を費やしてもよかったのにと思う。まあ、あくまでパズルミステリに挑戦したという気概と、これだけのページ数にまとめたという部分では褒められてもいい。




井上真偽『アリアドネの声』(幻冬舎)

 救えるはずの事故で兄を亡くした青年・ハルオは、贖罪の気持ちから救助災害ドローンを製作するベンチャー企業に就職する。業務の一環で訪れた、障がい者支援都市「WANOKUNI」で、巨大地震に遭遇。ほとんどの人間が避難する中、一人の女性が地下の危険地帯に取り残されてしまう。それは「見えない、聞こえない、話せない」という三つの障がいを抱え、街のアイドル(象徴)して活動する中川博美だった――。崩落と浸水で救助隊の侵入は不可能。およそ6時間後には安全地帯への経路も断たれてしまう。ハルオは一台のドローンを使って、目も耳も利かない中川をシェルターへ誘導するという前代未聞のミッションに挑む。(粗筋紹介より引用)
 2023年6月、書下ろし刊行。

 三つの障がいを抱えた女性を時間以内に助け出すことができるか、というタイムリミットサスペンス。そこに、途中の行動からこの女性は本当に目が見えないのか、という疑問が挟み込まれる。
 ただ、彼女は助かるだろうか、というハラハラした気持ちが全く湧いてこない。凄い嫌な書き方をすると、「どうせ助かるだろ」程度の気持ちしか抱けないまま、最後まで進んでしまった。読み易いのだが、緊張感が全くない。所々で割り込んでくる登場人物が、あまりにもステロタイプで作り物めいている。
 退屈はしなかったかな、以上の感慨は湧いてこない。久しぶりに井上真偽の作品を読んだが、昔と比べて読み易くなったな。



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