真門浩平『バイバイ、サンタクロース~麻坂家の双子探偵~』(光文社)

 特別に優秀な児童が通う帝都小学校で、群を抜く知能を持つ双子の兄弟、圭司と有人。刑事を父親に持つふたりはミステリが大好きで、身の回りに起こったさまざまな謎に挑戦する。桜の葉は何故ちぎり落された? 雪上の奇妙な足跡の鍵を握るのはサンタクロース? 密室殺人現場からの脱出経路は? トリック解明にロジカルに迫る圭司と、犯人の動機や非合理な行動に興味を持つ有人。6年生の冬、そんなふたりの運命を大きく変える事件が待っていた――――(粗筋紹介より引用)
 光文社の新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」の第三期として、2023年12月、光文社より単行本刊行。

 私立帝都小学校三年生で、現職の刑事を父に持つ見た目が瓜二つの双子の兄弟、麻坂(まさか)圭司と 有人(あると)。入学の頃からの仲良しである山口頼子、外山桜と二年生の時に「帝都小探偵団」を結成。「秘密基地」と称する廃ビルで遊んでいた。時には父親が話してくれる事件の謎を議論することもあった。
 小学三年生の五月の半ばに咳き込むようになった桜は、肺炎と診断されて入院。衰弱した桜は、窓から見える桜の木の葉っぱが全部落ちたらいなくなってしまうと呟いた。しかし今はまだ七月半ば。桜の葉はまだ青々としている。そんなある日、桜の葉がすべてちぎり落とされた。犯人はクラスメイトの中にいるのか。「最後の数千葉」。
 小学四年生の春。昼休みが終わってグラウンドから戻ってくると、圭司が持ってきていたゴッドレンジャーのゴッドペガサス号のミニチュアが机の中から無くなっていた。席の近くの床には、湿った土が落ちていた。盗んだのは対立していたクラスメイトでアリバイの無い竹内洋太郎なのか、それとも他にアリバイの無い村井為朝か高橋祥子なのか。「消えたペガサスの謎」。
 クリスマスイブの夜、村井為朝の父親が自宅の離れで殺害された。ドアの鍵にはピッキングの跡があった。積もっていた雪には三組の足跡が。すべて犯人の足跡と推測されたが、離れに行く向きの足跡が一組と、離れから出る向きの足跡が二組。外から忍び込んだはずなのに、足跡の数が合わない。「サンタクロースのいる世界」。
 高校卒業から一年数か月、山間の高知にある民宿に久しぶりに集まった元サッカー部の仲良し五人。そのうちの一人が、自室で腹にナイフが刺さって死んだ。部屋は密室状態。自殺か、それとも他殺か。土砂崩れで道がふさがり、警察はすぐに来られない。同じ民宿に泊まっていた圭司が事件の謎に挑む。「黒い密室」。
 インフルエンザで休んでいた有人だったが、あっさりと熱が下がって暇だった。そこへ小学校から帰ってきた圭司が、学校で起きた大事件のことを話す。それは殺し。キンタっていう奴が理科準備室で死んだという。しかも圭司は第一発見者の一人だった。「誰が金魚を殺したのか」。
 小学六年生になった圭司たち。頼子がクラスのリーダー格の女子からシカトされるようになった。しかし頼子は明るく、いつもの廃ビルで探偵団の仲間たちと過ごしていた。しかし二月半ば、有人の部屋に集まっていた探偵団の仲間たちに、頼子から暗号のようなメッセージが送られてきた。そして頼子の母から、頼子の居場所を探す電話がかかる。もしかしてと廃ビルに向かうと、飛び降りて死んだ頼子の死体があった。「ダイイングメッセージ」。

 豪快でなりふり構わず行動する圭司と、小心者で人の目ばかり気にしている有人。そんな双子が事件に挑む連作短編集。事象を基にロジックで謎に挑む王様気質の圭司と、人間心理を基に推理する有人。まあだいたいは有人が圭司に振り回されるのだが、時に圭司を悔しがらせる推理を有人が披露するところは面白い。それ以上に、解き方の方向性が正しく見えても答えがとんでもなく明後日の方向になってしまう推理を有人が披露するところは笑った。とことんロジックにこだわった本格ミステリが好きな人は、喜ぶかもしれない。
 ただ、彼らのしゃべり方も行動も語彙力も思考力も大人と全然変わらない点はどうにかならなかったのか。一応「特別に優秀」な設定なんだろうが、それでもこれが小学生の会話か、行動か、などと思ってしまうのは仕方がないだろう。まあ、この辺の大いなる違和感は無視するしかない。作者もわかってやっているのだろうから。もっとも、時に見せる小学生っぽさが、逆に笑ってしまう結果になっている。
 最初は日常の謎化と思ったら、途中で殺人事件が発生し、作品の雰囲気が変わっていく。「黒い密室」の変形アンチ本格ミステリ風味や、「誰が金魚を殺したのか」の叙述トリック(と書いても大丈夫)には作者の工夫が感じられた。
 ただなあ、伏線を貼っていたのはわかるが、最後の話は止めてほしかったというのが本音。一話目から六話目まで、ここまで振り切るのはある意味大したもの。それも処女作で。
 好みの面であまり評価できないが、本格ミステリベスト10には入ってくるだろう。やりたいことはやった、という作者の心意気は伝わった。




深水黎一郎『エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ』(講談社ノベルス)

 モディリアーニやスーチンら、悲劇的な生涯を送ったエコール・ド・パリの画家たちに魅了された、有名画廊の社長が密室で殺されるが、貴重な絵画は手つかずのまま残されていた。生真面目な海埜刑事と自由気ままな甥の瞬一郎が、被害者の書いた美術書をもとに真相を追う。芸術論と本格推理をクロスオーバーさせた渾身の一作。(粗筋紹介より引用)
 2008年2月、書下ろし刊行。

 作者の第二作目。処女作『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』に出てきた海埜警部補らは出てくるも、特につながりはない。
 読者への挑戦状で社長を死に至らしめた犯人は誰か、そして密室はどのように作られたか、と二つの謎を当ててほしいとある。密室の謎はわかりやすい。登場人物も少ないし、恐らく海外某短編パターンだなと予想がつく。となると、犯人も想像がつくというもの。それらしい動機もちゃんと提示されている。そう考えていたのだが、真相を読んでみて驚いた。事件に深い裏があったことに。
 各章で被害者の美術論の一部が抜粋されており、この中にヒントが隠されているのは想像つくのだが、事件の方が見え見えだった(実際は違った)ので、なんとなくスルーしていた。色々とまさか、でしたね。ただ、かなり複雑な構成をそう見せない技術を披露していながら、その技術が今一つ分かりにくいというのは残念なところかも。物語があまりにもスムーズに進むので、驚きの部分が驚きとして伝わらないんじゃないだろうか。
 あぶり出しのように浮かび上がる意外な真相と結末。表と裏の絵が重なることで、別の世界が見えてくるというのは見事でした。処女作は今一つだったが、二作目はこんなに面白かったのかと思うと、もっと早く読むのだったと後悔している。




ポール・ケイン『七つの裏切り』(扶桑社海外文庫)

 レイモンド・チャンドラーが「ウルトラ・ハードボイルド」と評した幻の作家の代表作7編を収録した傑作集。町なかで別人と間違われて呼び止められた男。そのまま倒れこんでしまった相手を助けてタクシーに乗せたものの、彼はすでに絶命していた。こうして町の裏世界に関わることになった男は、驚くべき行動に出る……強剛な文体とスピーディな展開、複雑なプロットと鮮烈な謎解き。1930年代、伝説の雑誌「ブラック・マスク」を飾るも早々に姿を消したポール・ケイン、復活。(粗筋紹介より引用)
 日本オリジナル短編集。2022年12月刊行。

 セント・ポールから来たばかりのブラックに、男はマッケアリーと呼び掛けた。ブラックは男を連れてタクシーに乗ったが、男はそのまま死んだ。ブラックはタクシーの運転手に命じ、玉突き屋のベン・マッケアリーへ会いに行く。「名前はブラック」。
 シェインはクラブ「71」で経営者のリガスに会った。幼馴染で好きなロレインがリガスと結婚したので、シェインはこの店に援助をした。リガスは告げる。ロレインと離婚したと。ホテルに戻ったシェインの部屋を、ロレインが訪れた。「“71”クラブ」。
 おれがドアをノックすると、ベラが出迎えた。バスルームにはガス・シェイファーがいた。そしてキッチンのベンチでは、一人の男が死んでいた。「パーラー・トリック」。
 おれはケベックの鉄道会社から15万ドル近くをだまし取ったヒーリーを、ネヴァダ州カリエンテのカード・ゲームの店で見つけた。ホテルを突き止め部屋を借り、どう接触しようかと思っていたら、ヒーリーが部屋を訪ねてきて、追いかけてきた女房から逃げるため、ロスアンジェルスまで乗せてほしいと頼んできた。了承した俺は車で待っていたが、荷物を取りに行ったまま戻ってこないヒーリーを捜しに行くと、ヒーリーは部屋で殺されていた。「ワン、ツー、スリー」。
 カルヴァー・シティ近くの有名キャバレー「ホットスポット」の個室にマシンガンを持った4人の男が侵入し、デトロイトのギャング一味の男2人を殺害した。それから約1か月、個室に同席していた者や廊下にいた者のうち2人が殺された。元スタントマンで無職のドゥーリンは、個室に居た大金持ちの遊び人、ネルスン・ハロランの屋敷へ行き、雇ってほしいとお願いする。「青の殺人」。
 百万長者ハナンの妻、キャサリンが運転する車がいきなり銃撃された。拳銃強盗の様だが、キャサリンは無事だった。キャサリンはギャンブル好きで、クランダルから68,000ドルを借りていた。それを返すために手を組み、キャサリンの家に伝わるルビー、ビジョン・ブラッドのアクセサリーセットの保険金13万5千ドルを騙し取った。クランダルはルビーのセットをキャサリンに返したが、それは模造品だった。ドルーズは揉め事を解決する依頼を引き受ける。「鳩の血」。
 トニー・マスキオの散髪屋で爆破事件が発生した。ニューヨーク市警九分署の記者室に居たセント・ニックことニコラス・グリーンは、スター・テレグラム紙の事件記者ブロンディー・ケスラーと一緒に事件現場へ向かう。「パイナップルが爆発」。

「ウルトラ・ハードボイルド文体のある種の頂点」(レイモンド・チャンドラー)、「ハードボイルド作家の中で最もハードな作家」(ビル・プロンジーニ)と評したポール・ケイン。ハリウッドで映画関係の仕事に就き、ピーター・ルーリック名義で『黒猫』(1934)等の脚本を執筆。1932年からポール・ケイン名義で「ブラック・マスク」誌に短編を書き続けるも、1936年には同誌を去った。その後は各地を転々とし、1966年に死亡。
 『ブラック・マスクの世界』(国書刊行会)に長編『裏切りの街』が分載されていたことは知っているが、手元にあるもののまだ読んでいない。河出文庫で出版されているとは知らなかった。そんな幻のハードボイルド作家の短編集。
 もう読むのが大変。言葉が極限まで削り落とされている。内容を理解するのが大変なのに、展開はスピーディーで、しかも人間関係や物語が複雑。普通に説明文を書いていたら、この2倍、3倍になるんじゃないかと言いたくなる内容である。1920~1933年の禁酒法時代を舞台としているのに、古臭さを全く感じないのは、この文体のおかげだろう。
 先に書いたとおり、人間関係や物語が複雑で、真相も意外なものが用意されている。とにかく感情がどこにもない。ただただ、事象が流れていく。それも早送りじゃないかというぐらいの速さで。ハードボイルドを極限まで追い求めると、ポール・ケインに辿り着くのでは、と言いたくなる。チャンドラーが“ウルトラ”とまで形容する気持ちがよくわかる。
 個人的な好みでベストは「名前はブラック」「青の殺人」。それにしても、20~30ページの短編を読むのにここまで疲れたのは、初めてだった。




フレデリック・フォーサイス『ネゴシエイター』上下(角川文庫)

 石油資源は確実にあと数年で枯渇する────モスクワとヒューストンで、二人の男がその不吉な予見に怯えていた。
 彼らの不安に追い打ちをかけるのが米ソの大幅な兵器削減条約であった。もし批准されれば軍と産業界の一部にとって痛烈な打撃となる。
 二人の男、ソ連国防軍参謀長と、テキサスの石油王は、それぞれ独自の方法でひそかに行動を開始した。
 その頃、合衆国大統領子息が何者かに拉致されるという事件が発生した。
 モスクワとヒューストンで芽生えた陰謀が、スペインの田舎町に引退したはずの交渉人を人質解放の任務へ引き戻すこととなる。(上巻粗筋紹介より引用)
 アメリカ兵器産業界の大物と石油王による陰謀が始動した。サウジアラビアの王政転覆、そして米大統領の政権追い落としが狙いである。大統領の子息誘拐事件はその発端に過ぎなかった。米英両国の危機管理体制も、周到な誘拐犯にただ翻弄されるのみ。その背後にひそむ真の意図に気づいた者は皆無だった。
 交渉人クインは、混迷する人質救出作戦に秘術を尽くし、ついに突破口をひらいた。そのとき、まったく意外な悲劇が発生する────。
 常に世界のエンターテインメント界をリードしてきた巨匠、フォーサイスが、綿密な取材を基に書きあげたベストセラー長編。(下巻粗筋紹介より引用)
 1989年5月、日・英・米同時発売。日本では角川書店より刊行。1991年3月、角川文庫化。

 フォーサイスの大ベストセラー作品。オックスフォードに留学しているアメリカ大統領の一人息子が誘拐されるというショッキングな作品。元ロイズ系列会社で交渉人の仕事をしていたクインが、犯人たちとの交渉に当たる。
 綿密な取材と構想力による物語の巧さはさすが。エンターテイメントとしては十分に楽しめる。ただ、黒幕こそ表に出てこないものの、事件を起こした背景などはほぼ最初から出ている。そのため、事件を企んだのは誰かというサスペンス要素が全くなく、迫力に欠けるのは残念。それに、クインが犯人を探し当てるのがスムーズすぎるのも引っ掛かる。アメリカ政府にも、誰がリークしたかぐらい調べろよと言いたい。
 フォーサイスの過去の作品と比べると、エンタメに軸を寄せすぎた感はある。面白かったことは面白かったのだが。




吉田修一『怒り』上下(中公文庫)

 若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。犯人は山神一也、二十七歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。そして事件から一年後の夏――。房総の港町で働く槇洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母と暮らす小宮山泉の前に、身元不詳の三人の男が現れた。(上巻粗筋紹介より引用)
 山神一也は整形手術を受け逃亡している、と警察は発表した。洋平は一緒に働く田代が偽名だと知り、優馬は同居を始めた直人が女といるところを目撃し、泉は気に掛けていた田中が住む無人島であるものを見てしまう。日常をともに過ごす相手に対し芽生える疑い。三人のなかに、山神はいるのか? 犯人を追う刑事が見た衝撃の結末とは!(下巻粗筋紹介より引用)
 『読売新聞』朝刊に2012年10月29日~2013年10月19日連載。加筆修正のうえ、2014年1月、中央公論新社より単行本刊行。2016年1月、文庫化。

 殺人事件を起こし、整形して逃亡した犯人。一方、房総、東京、沖縄の離島でそれぞれが出会う前歴不詳の3人の男。3人の中に犯人はいるのか。
 作者の吉田修一が、市川市英国人女性英会話講師殺人事件にヒントを得て執筆した作品。事件名を言ってもピンと来ないかもしれないが、犯人の市橋達也という名前を聞くとアッと言う人もいるだろう。
 読んでいるときは面白かった。誰が犯人なのかという興味もあるが、それぞれの舞台で繰り広げられる人間ドラマも面白かった。山神を追いかける八王子警察署の南條邦久警部補と北見壮介巡査部長も興味深い。それなのに、なんなんですか、この結末は。
 一つ一つの物語は面白かったのに、結局バラバラなまま終わっちゃう。まあ、これでそれぞれが繋がったら却ってわざとらしいけれど。最後、何もわからないまま終わっているのは、読者が想像してくださいってことだろうか。北見と恋人の話っていったい何だったんだ。
 申し訳ないけれど、このもやもやを与えた作者に「怒り」を感じてしまう。物語を思い出すたびに感じるこの不満、やってられない。




デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』(ハヤカワ文庫NV)

「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父レフの戦時中の体験を取材していた。ナチス包囲下のレニングラードに暮らしていた十七歳のレフは、軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された。饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索を始めることになるが、飢餓のさなか、いったいどこに卵が? 逆境に抗って逞しく生きる若者達の友情と冒険を描く、傑作長篇。(粗筋紹介より引用)
 2008年、アメリカで発表。2010年8月、ハヤカワ・ポケット・ミステリより邦訳刊行。2011年12月、文庫化。

 作者はニューヨーク生まれ。ベニオフは母親の旧姓。用心棒や教師、アイルランド留学、ラジオDJを経て、記事や短編を雑誌に寄稿。2001年、処女作『25時』を発表。自身の脚本で翌年に映画化されている。現在は脚本家、プロデューサーとして活躍。本作品は短編集『『99999(ナインズ)』』に次ぐ三作目。プロローグで作者らしき人物が女優と付き合っていると話しているが、実際にアマンダ・ピートと結婚している。
 主人公はレフ(リョーヴァ)・アブラモヴィッチ・ベニオフで、レニングラードに住む17歳の青年。本作品はデイヴィッドらしき人物が、戦争当時の祖父レフの話を聞くという形で始まっている。ある夜、撃墜されて落下傘で落ちてきた死んでいるドイツ兵の備品を近所の仲間たちと漁っていたレフは、ソ連の警護兵に捕まる。処刑されるかと思ったら、拘置所にいた脱走兵のニコライ(コーリャ)・アレクサンドロヴィッチ・ヴラゾフとともに秘密警察のグレチコ大佐のもとに連れていかれ、娘の結婚式のためのウェディングケーキを作るため、1週間以内に1ダースの卵を調達してこいと命じられる。しかし飢えに苦しむレニングラードのどこに卵があるのか。レフトニコライの卵探しが始まる。
 レニングラード包囲戦という過酷な戦況の中でも、17歳の青年らしく女の子のことばかりを考えたり、同年代のレフたちとやり取りしたりする姿はどことなくユーモラス。彼ら若者たちの明るさと、時に見せる影、そしてあまりにも悲惨すぎる周囲。明るさと暗さのコントラストが高すぎることが、余計に戦争の残酷さと虚しさを浮かび上がらせる。それでも暗くならずに済むのは、キャラクターの面白さと作者の筆力だろう。
 若者の冒険らしく、いつしかボーイミーツガールの要素が加わっていく展開は秀逸。最後の畳みかけは見事というしかない。特にラスト一行にはしびれた。映像化しても、印象的なラストシーンとなるだろう。
 50万部突破したベストセラーとのことだが、それも当然だろうと思われる傑作。原題は"CITY OF THIEVES"なのだが、この邦題も素晴らしい。




貴志祐介『兎は薄氷に駆ける』(毎日新聞出版)

 ある嵐の晩、資産家男性が自宅で命を落とす。死因は愛車のエンジンの不完全燃焼による一酸化炭素中毒。容疑者として浮かんだ被害者の甥、日高英之の自白で事件は解決に向かうと思われたが、それは15年前の殺人事件に端を発する壮大な復讐劇の始まりだった。“犯罪者”を執念深く追い詰める警察・検察、英行を献身的に支える本郷弁護士、その依頼で事件調査を始めた元リストラ請負人の垂水、恋人の無実を信じて待つ千春。それぞれの思惑が絡み合い、事件は意外な方向に二転三転していく……。(帯より引用)
 『毎日新聞』夕刊2022年7月9日~2023年8月16日連載。加筆修正のうえ、2024年3月、単行本刊行。

 貴志祐介の新作は、冤罪問題を取り扱った社会派ミステリ。ストーリーは帯に書いている通り。警察の訊問に耐えかねて自白した日高英之だったが、送検された後の石川宏之検事の取り調べでは無罪を主張。そして裁判員裁判は、無罪を主張する英之、それを弁護する本郷、そして有罪を主張する石川検事との間の論戦となった。
 本は厚いが、1ページ当たりの文字数は若干少ないので、あっという間に読み終わってしまった。さすが貴志祐介、読み易さ抜群。と思いながらも、若干趣向はあるもののありきたりな冤罪もの(冤罪の定義は色々あるけれど、一般的な意味でこう書かせてもらおう)なのかな、などと読み進めていたら、最後にやられた。これはうまいわ。タイトルのつけ方も含め、見事。ストーリーにあまり触れられないからうまく伝えられないけれど、読み終わってとても満足した。
 ただ、わかりやすい展開ではあると思う。多分、勘のいい人なら、結末までの流れを大方予想できるのではないだろうか。私はそれを含めて十分に面白かったけれど、物足りないという人がいてもおかしくはない。
 気になったのは、マスコミの動きが鈍いこと。もっともっと騒いでいるだろうし、そもそも取材に動いている人も多いのではないだろうか。それと、無罪を主張する事件の割には、裁判員裁判が始まるのが早く感じた。こういうケースがある確率はゼロじゃないから、ただの難癖かも知れないが。警察の描き方が間抜けすぎる部分は、昨今の冤罪事件の捜査状況を見ると、仕方がないか。
 帯にある「稀代のストーリーテラー」にふさわしい作品。この重いテーマを、ここまで滑らかな筆運びができるのは、作者ならではだろう。ただ帯にある「これぞ現日本の“リアルホラー”」は完全な勇み足。「ホラー」なんて書くと、勘違いする人が結構出そうだけどな。現状では今年のベスト10候補だと思う。




芦辺拓・江戸川乱歩『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』(KADOKAWA)

 あの中絶作を書き継ぎ完結させる! そして物語はさらなる仕掛けへ…
 江戸川乱歩が昭和8年に鳴り物入りで連載開始した「悪霊」は、傑作となるはずだった。謎めいた犯罪記録の手紙を著者らしき人物が手に入れ、そこで語られるのは、美しき未亡人が異様な血痕をまとった遺体で発見された密室殺人、現場で見つかった不可解な記号、怪しげな人物ばかりの降霊会の集い、そして「又一人美しい人が死ぬ」という予告……。期待満載で幕を開けたこの作品はしかし、乱歩の「作者としての無力を告白」した宣言で途絶した。
 本書は、乱歩がぶちあげた謎を全て解き明かすと同時に、なぜ「悪霊」が未完になったかをも構築する超弩級ミステリである。(帯より引用)
 江戸川乱歩が『新青年』1933年11月号~1934年1月号に連載した「悪霊」の第一回から第三回、および1934年4月号掲載「「悪霊」についてお詫び」に、芦辺拓が書下ろし原稿を追加し創作。2024年1月、刊行。

 江戸川乱歩が初めて長編本格探偵小説に挑みながらも、構想が固まらないまま出版社の要請に応じて見切り発車して行き詰まり、わずか三回の連載で中絶してしまった「悪霊」。横溝正史が犯人をばらしてしまったものの、密室殺人のトリックや記号の謎はそのままとなっていたこともあり、完結が待たれていた。かつて土屋隆夫が続編を構想したものの、出版が困難と断念したと言われている。そんな作品にあの芦辺拓が挑戦した。
 まず「悪霊」の伏線と思われる部分をほぼ回収し、結末をつけたところは凄い。犯人にしても、定説から踏み出したのはさすがと言えよう(新保博久の「あんな誰でも真相を知っている小説の結末を今さら付けるんですか」という言葉に触発されたんだろうなあ)。この点は、裏返しトリックを多用した乱歩らしさをうまく継承したと思っている。
 さらに乱歩が連載から逃がれて滞在した「張ホテル」を重要な舞台として登場させ、さらになぜ乱歩が「悪霊」を中絶したのかまでに踏み込み、「悪霊」にリンクさせたところは喝采を挙げたくなった。
 ただ、第四回連載で舞台を移し、迷宮パノラマ館などが出てくるところは、個人的には勇み足だと思った。今までの不気味な雰囲気がかえって台無しになっている。これが乱歩作品で初めての舞台というのならまだしも、『パノラマ島奇談』などの舞台の焼き直し移植にしかなっておらず、乱歩が自作解説で「また私の悪い趣味が出てしまった」と嘆きそうな内容になっている。
 趣向としては凄いと思うし、成功していると思う。ただ、物語として読むとどうか。申し訳ないけれど、面白くない。テクニックと比べて、ストーリーが追い付いていない。乱歩流の今までの味付けを排除しようとした作品、それが「悪霊」だったのではないだろうか。そう思い込んでいるので、乱歩らしさにあふれている本作は違うのではないか、そう思ってしまうのである。
 ただ、江戸川乱歩は長編本格探偵小説を書けない人、というのが私の認識である。戦後に挑戦した『化人幻戯』も結局は別方向に走ってしまった。「悪霊」も結末まで書かれていると、実は大したことがなかったのかもしれない。
 テクニックは素晴らしい。ただ、ストーリーは今一つ。それが私の本作に対する評価。だいたい、90年も昔の本格探偵小説に、今さら面白さと驚きを求めることが間違っていた。




神保喜利彦『東京漫才全史』(筑摩書房 筑摩選書)

 現在も人気のある日本の伝統的芸能「漫才」には「お笑い論」の書籍は数多く存在するが、「漫才」の、特に東京を地盤とした漫才の歴史に関する書籍は数少ない。この「東京漫才」に焦点を当て、漫才の源流にまで遡り、「東京漫才の元祖は誰か?」、「しゃべくり漫才の流入と定着」、「戦後東京漫才の御三家」、「東京漫才専門寄席」、「MANZAIブームの功罪」、「爆笑問題、ナイツの活躍」等をテーマに、その発生と栄枯盛衰を、通説の誤解を正しつつ記した、画期的な「東京漫才」通史。(粗筋紹介より引用)
【目次】
序章 「漫才」以前
第一章 東京に漫才がやってきた
第二章 生まれる東京漫才
第三章 戦前の黄金時代
第四章 戦争と東京漫才
第五章 焼け跡から立ち上がる
第六章 東京漫才の隆盛
第七章 MANZAIブームと東京漫才
終章 新しい東京漫才の形

 漫才師研究家として活躍している神保喜利彦が、満を持してまとめたと言っていい東京漫才の全史。明治の東京漫才のはじまりから、黄金時代、戦後の東京漫才隆盛、MANZAIブーム下の衰退、その後の隆盛ぶりなどを一冊にまとめている。
 今までの通説と言われていたものを検証し、残されている資料を一つ一つ当たり、ご存命の関係者から証言を取りつつ、これだけの歴史をまとめたのは凄いの一言に尽きる。写真などの史料価値も非常に高い。
 そして凄いのが、当時の漫才師たちがどのようなネタをやっていたかについてまで書かれていること。どのように調べたのだろう。どれぐらい時間がかかったのだろう。ただ好きなだけではできないだろう。まさに執念を感じる。
 労作、という言葉がピッタリくる一冊。「漫才」の歴史を語るのであれば、まずはこの本に目を通すこと。そう言い切っていいだろう。何度でも読み返したい本だ。別の形で第二弾、第三弾と研究・調査結果を出してほしいものである。




阿津川辰海『黄土館の殺人』(講談社タイガ)

 殺人を企む一人の男が、土砂崩れを前に途方にくれた。復讐相手の住む荒土館が地震で孤立して、犯行が不可能となったからだ。そのとき土砂の向こうから女の声がした。声は、交換殺人を申し入れてきた――。同じころ、大学生になった僕は、旅行先で「名探偵」の葛城と引き離され、荒土館に滞在することになる。孤高の芸術一家を襲う連続殺人。葛城はいない。僕は惨劇を生き残れるか。(粗筋紹介より引用)
 2024年2月、書下ろし刊行。

 大晦日の夕方、小笠原恒治は、絵画、彫刻、建築の世界的アーティスト、土塔(どとう)雷蔵を殺すため、O県の山奥にある荒土館(こうどかん)に向かっていた。ところが地震による土砂崩れのため、一つしかない道はふさがってしまった。そのとき、土砂の向こうから交換殺人を申し入れる女の声が。小笠原は小さな集落の旅館の若女将、満島蛍を殺害するため、地震からの避難という名目で宿泊する。しかし「名探偵」葛城輝義に邪魔をされまくる。
 土塔雷蔵の長男・黄来と婚約した飛鳥井光流の助けに応じ、荒土館へ向かった葛城輝義、田所信哉、三谷緑郎の三人。ところが地震に伴う土砂崩れで、田所と三谷は葛城と分断されてしまった。孤立した荒土館で連続殺人事件が発生する。
 <館四重奏>シリーズ(と言う名前がついていたことを初めて知った)第三弾。クローズド・サークルと化した館を、「地水火風」の四元素になぞらえて形成するシリーズであるそうだ。
 『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』から三年経ち、葛城、田所、三谷は大学三年生。大学は別々だが、関係性は相も変わらず。第一部は小笠原視点による旅館「いおり庵」パート。第二部は田所視点による黄土館パート。第三部は謎解きパートとなる。
 前振りは第一部で、メインとなるのは第二部なのだが、読み進めても全然面白くならない。特に第二部はこれでもかとばかりの連続殺人が起きるのだが、機械トリックがメインで、しかも仕掛けばかりが大きくて肝心の中身が伴っていない。そもそもこの舞台にリアリティがなくて実現性に乏しい点も問題。電気引っ張るのも大変だろうし、メンテナンスも大変だっただろうな、などと考えてしまう。それにしても、解き明かされても驚きがまったく生じない見掛け倒し感はどうにかならなかったのか。
 それに犯人が誰かが見え見えなのもどうなんだろう。もう一人か二人、容疑者ぐらい準備できだだろうに。おまけに動機にも説得力がない。過去二作は、この点だけは一応準備していたのにと思うと、今まで以上にがっかり感が大きい。舞台装置だけ大掛かりなわりにちゃちで、謎解きの部分に全く注意を払っていない印象を与えてしまう。
 結局作者が描きたかったのは葛城、田所、光流の関係性なんだろう。シリーズを起承転結で例えれば、まさに「転」の物語。作品自体が転んでしまっている気もするが、次がシリーズ最後だろうし、そこまで付き合おう。



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