阿津川辰海『バーニング・ダンサー』(KADOKAWA)

「あの、私も妹も、交通課から来ました」。その一言を聞いて、永嶺スバルは絶句した。違法捜査も厭わない“猟犬”と呼ばれた捜査一課での職務を失い、新しい課に配属された初日。やってきたのは、仲良し姉妹、田舎の駐在所から来た好々爺、机の下に隠れて怯える女性、民間人を誤認逮捕しかけても悪びれない金髪男だった。着任早々、チームに異様な死体の事件の報告が入る。全身の血液が沸騰した死体と、炭化するほど燃やされた死体。ただ一人の理解者であった相棒を失い、心の傷が癒えぬスバルは、捜査経験がほぼない「警視庁公安部第五課 コトダマ犯罪調査課」のメンバーで捜査を開始する。メンバーの共通点はただ一つ。ある能力を保持していることだった――。
「すべての始まり」から、犯人の嘘は仕込まれている。6作品連続「このミステリーがすごい!」ランクイン &「本格ミステリ大賞(評論部門)」受賞作家最新作。阿津川マジックが炸裂する、最高峰の謎解き×警察ミステリ!!(帯より引用)
 『小説 野性時代』2023年7月号~2024年3月号連載(12月号は休載)。加筆修正のうえ、2024年7月、刊行。

 阿津川辰海がまさかの警察小説を書いたのだが、登場人物のほとんどが特殊な能力を持っている、という時点ですでにらしさがプンプンと漂う。まあ、特殊能力を持つ刑事や犯人なんて珍しくもなんともないのだが、この特殊能力の設定が阿津川らしさ。
 二年前のある日、隕石がユーラシア大陸の某所に落下し、この世に百人の能力者――「コトダマ遣い」が誕生した。百人のコトダマ遣いはそれぞれ一つのコトダマを授かっている。そしてあるセンセーショナルな事件がきっかけとなり、コトダマ文書(S文書)の存在が明らかになった。誰がコトダマに選ばれるかは、誰にも予測することができない。そして一つのコトダマを持つ人間は、地球上に必ず一人。コトダマ遣いはそのコトダマを死ぬまで保持できるが、死ぬと別の誰かに引き継がれる。ただし、誰に引き継がれるかは全く分からない。そしてコトダマは全部で百。「燃やす」「凍らせる」「知る」「動かす」「押す」などだ。
 コトダマ遣いによる犯罪に対応するため、世界に先駆け設置されたのが「警視庁公安部公安第五課 コトダマ犯罪調査課」(Spirits of WOrds Research Dvision 略してSWORD(ソード))である。立ち上げたのは、カリスマ女史の課長、三笠葵(コトダマは「読む」、以下同)。班長は捜査一課刑事だった永峯スバル(「入れ替える」)。調査員は大学を中退したばかりの桐山アキラ(「硬くなる」)、田舎の駐在所から異動した初老の坂東宏夢(「放つ」)、交通部交通総務課から異動した双子の姉妹・小鳥遊沙雪(「伝える」)と御幸(「吹く」)、東都大学生で二か月前に能力を発現したばかりの望月知花。そして警視庁が擁したコトダマ研究所の研究員で、外部嘱託員となる森嶋航大。以上がメンバーである。
 調査課のメンバーは別だが、だれがどんなコトダマを持っているのかはわからない。さらにどのような条件で発動し、どれぐらいの能力があるかも、わからない。コトダマ遣いによる事件のように思われても、どのコトダマを扱えるかも調べなければならない。そのことが、捜査を複雑にする。
 色々と条件設定はあるものの、事件の捜査が進むうちにほぼ頭に入ってくるので、特に悩む必要はない。むしろ、これだけの設定をよくぞ考えたものであるし、わかりやすい説明がストーリーに織りこまれているのが巧みである。
 捜査中の刑事同士の反発、犯人と対峙するアクション、劇場犯罪のような犯行予告とタイムリミット・サスペンス、超能力を持った刑事と犯人のバトルと、警察小説の王道な展開が続くも、或る不自然な行動から一気に犯人まで辿り着くクイーンばりのロジックは見応えあり。このロジックを警察小説に融合させたのには、恐れ入りました。ただ、「怒涛のドンデン返し」は伏線がちょっと露骨だったかな。
 活躍が少ないメンバーもいるし、明かされない過去を抱えているメンバーもいる。当然シリーズ化するのだろうが、この作者のことだからまたひねくれたことをするのかもしれない。いずれにせよ、次作が楽しみなシリーズがまた一つ誕生した。今年のミステリベスト10には間違いなく入るだろう。本格ミステリベストだったら、『地雷グリコ』の対抗馬になるかもしれない。

クリスティン・ペリン『白薔薇殺人事件』(創元推理文庫)

 ミステリ作家の卵であるアニーは、大叔母の住むキャッスルノール村に招かれた。大叔母は16歳のときに占い師から告げられた、いつかお前は殺されるという予言を信じつづけており、大邸宅に住む奇妙な老婦人として知られている。屋敷を訪れると、大叔母は図書室で死んでいた。両手には血の跡があり、床には茎の長い白薔薇が落ちていた。予言が的中して自分が殺されてしまったときのために、大叔母は約60年をかけて親族や村人たちを調査していた。その膨大な調査記録を手掛かりに、アニーは犯人探しに挑む。新鋭が贈る犯人当てミステリの大傑作!(粗筋紹介より引用)
 2024年、イギリスで発表。2024年7月、翻訳刊行。

 作者のクリスティン・ペリンはアメリカ、ワシントン州シアトル出身。修士号と博士号を取得するために、イギリスへ移住。児童向けシリーズ"Attie and the World Breakers"を執筆。本書は初の大人向けミステリ。
 主人公はミステリ作家志望のアナベル(アニー)・アダムズ。大叔母で資産家のフランシス(フラニー)に招かれて大邸宅に行くと、大叔母は殺されていた。フラニーは遺言状で、義理の甥で検死医のサクソン・グレイヴズダウンとアニーのどちらかが1週間以内に犯人を指摘すると、そちらへ財産を渡す。どちらも謎が解けない場合は、地所のすべてを弁護士ウォルターの孫で、土地開発会社社員オリヴァー・ゴードンと雇い主のジェソップ・フィールズに売却し、売却金と財産の残りは国庫に寄付するという。1965年に占い師に言われた殺されるという予言。そして1966年に起きたトラブルメーカーの友人、エミリーの失踪。フラニーが遺した調査記録を基に、アニーは犯人探しに挑む。
 帯に「ホロヴィッツと並ぶクリスティの後継者による犯人当てミステリ!」とまで書かれていたので、期待が高まっていたのだが……。うーん、微妙だな。
 多すぎる村人たちの会話を中心とした前半のもどかしい展開は、英国ミステリだから仕方がない。現代と過去が行ったり来たりで書かれるのは、登場人物が多いと覚えるのに大変。どちらかといえば、過去のドロドロ青春ミステリっぽい展開の方が楽しめたかな。アニーに危機が迫っても感情移入ができないのは、作者の課題だと思う。
 予言と殺人を絡めたストーリーは悪くないが、肝心のミステリ要素が物足りない。トリックがあるわけでもなし、ロジックも薄い。意外な仕掛けも残念ながら無し。確かに犯人は予想外だけど、そこに至るまでの展開が物足りないので、してやられたという満足度は少ない。それにタイトルも違うよね、これ。
 まあ、悪くはないけれど、それは犯人当てミステリ、としての面白さではない。読む前にハードルを高く上げてしまったことが、個人的に失敗だった。先入観無しに読めば、もう少し楽しめたかもしれない。

C.W.グラフトン『真実の問題』(国書刊行会 世界探偵小説全集33)

 姉夫婦の家で開かれたパーティの夜、ジェス・ロンドンは腕利きの弁護士で事務所の上司でもあった義兄が、卑劣な陰謀家だったことを知り、怒りに駆られて彼を殺してしまう。翌朝、姉から嫌疑をそらすためジェスは衝動的に自白するが、警察では初め、感傷的な犠牲的行為として取り合おうとしなかった。しかし、強力な状況証拠と目撃証人の出現に情勢は一変し、当局もついにジェス逮捕へと踏み切った。窮地に立たされたジェスは法廷では一転して罪状を否認、被告自ら弁護に立つという、起死回生の奇手に打って出る。四面楚歌の中、ジェスは持てる限りの法廷戦術を駆使して無罪を勝ち取ろうとするが、はたして評決の行方は……? ガードナー最強のライヴァルともいうべき実力派が放つ、検察側と弁護側が虚々実々の火花を散らす異色の法廷ミステリ。(粗筋紹介より刊行)
 1950年、アメリカで発表。2001年、邦訳刊行。

 作者のコーネリアス・ウォーレン・グラフトンは1909年、宣教師を両親として中国で生まれた。アメリカに渡ってからは、ジャーナリズムと法律で学位を取得し、結婚して子供をもうけた。ケンタッキー州ルイヴィルで弁護士を開業。1943年、『ねずみは網をかじりだし』でメアリー・ロバーツ・ラインハート賞を受賞し、デビュー。この作品と翌年に発表された『網は肉屋を締めはじめ』では太っていてタフな、頭の回転の速い青年弁護士ギルモア・ヘンリーが主人公。ミステリは本書を含めて三冊のみ。他に普通小説1冊を出版している。1982年、死亡。娘の一人は、キンジー・ミルホーンシリーズで有名なスー・グラフトン。
 本書の原題"Beyond a Raesonable Doubt"は法律用語で、「合理的に疑いの余地なし」という意味である。陪審員は評決に当たり、合理的疑いの余地なしに有罪を確信しなければ、有罪を評決を下し得ない、とある。日本の裁判用語で言うと、疑わしきは罰せずである。
 解説の小林晋も書いているが、本叢書の中では異色作である。そもそも本格ミステリではない。犯人が最初から明らかだが、犯行が徐々に暴かれる倒叙ものでもない。法廷での丁々発止のやり取りはあるが、論理的な推理の応酬があるわけでもない。ひとことで言うと、法廷物である。
 作品の主眼は、ジェス・ロンドンがどうやって有罪判決から逃れることができるか、それに尽きる。400ページを超える作品だが、この主題だけで乗り切ってしまう筆力は大したもの。とはいえ、ジェスは犯行に手を染めているので、読者からしても共感しにくい。
 なんとも感想が難しいのだが、面白いことは確か。ただ、この思い、どこへ持っていけばいいんだろうという苦々しさは残る。よりによって、ここで終わらせますかと、作者には言いたい。いや、小説的にはベストなのだろうが。

倉知淳『こめぐら』(創元推理文庫)

【倉知淳ノンシリーズ作品集成第二弾】必要か不必要かはどうでもいいのだ。したいからする。着けたいからつける。これは信念なのだ――――密やかなオフ会でとんでもない事態が発生、一本の鍵を必死に探し求める男たちを描く「Aカップの男たち」をはじめ、うそつきキツネ殺害事件の犯人を巡ってどうぶつたちが動機のあげつらいと推理を繰り広げる非本格推理童話「どうぶつの森殺人(獣?)事件」、B級時代劇におけるあまりにも意外な犯人消失の真相を描いた「さむらい探偵血風録」など五編に加え、猫丸先輩探偵譚「毒と饗宴の殺人」を特別収録。(粗筋紹介より引用)
 『メフィスト』『野性時代』『ミステリーズ!』『小説新潮』に1995年~2010年に掲載。2010年9月、東京創元社より単行本刊行。2014年1月、文庫化。

 バーの個室で開かれたオフ会は、ブラジャーを付けるのが好きな男たちの集まりだった。今日の目玉は、螺子工場の親爺である杏野が作ったアルミ合金のブラジャー。ところが、背中の鍵が無くなった。鍵がないとブラジャーは外せない。「Aカップの男たち」。
 ディレクターの月形が、プロデューサーの大垣に見せたのは、新企画である「聴取者参加型推理クイズ番組」の台本。月形は大垣に、誰が犯人かを推理させる。「「真犯人を探せ(仮題)」」。
 B級時代劇が好きな男がレンタルしたのは、『さむらい探偵血風録』という十年前に作られ話題にもならずに打ち切られた作品。冒頭で出てきたのは、片方は高い土塀、片方は川の一本道で、侍が怪僧に斬り殺されるシーン。こちらからは蕎麦屋の親爺が、向こうからは二人の職人。犯人の怪僧はどこへ消えたのか。「さむらい探偵血風録 風雲立志編」。
 没落した旧家の跡取り息子は、うだつの上がらない地方役人。書庫で見つけた古文書には、不死の呪術が書かれていた。遊び人の祖父を殺して狂い死にしたといわれる伯父が研究していたのはこれではなかったか。「遍在」。
 どうぶつの森でうそつきキツネが殺された。どうぶつの森が始まって以来の大事件。イヌのお巡りさんは動機とアリバイを調べるも犯人はわからない。そこへフクロウ博士が連れてきたのは、街で名高い名探偵、探偵ネコくんだった。「どうぶつの森殺人(獣?)事件」。
 溝呂木大河が日本フォトギャラクシー賞を受賞した。その記念パーティーが、ライバルである滑川喜三郎、三田谷勇次を発起人としてホテルで開かれた。パーティー最後の乾杯で、溝呂木が毒殺される。グラスのセットはボーイが準備し、溝呂木、滑川、三田谷は無造作に自らグラスを選んでいた。グラスには目印などない。どうやって毒殺させることができたのか。「毒と饗宴の殺人」。

 『なぎなた』と同時刊行されたノンシリーズ短編集。「Aカップの男たち」「「真犯人を探せ(仮題)」」「さむらい探偵血風録 風雲立志編」「どうぶつの森殺人(獣?)事件」は本格ミステリ要素こそあるものの、ほとんどバカミス。特に「さむらい探偵血風録 風雲立志編」は、まともに考えちゃいけません。ギャグにすらなっていない。「どうぶつの森殺人(獣?)事件」は一応読者への挑戦状があるし、本格ミステリにはなっているものの、答は拍子抜けするもの。いや、たしかに論理的推理だけどさあ。
 「遍在」はこの短編集の中では異色の一編。ホラー小説かと思ったら、衝撃の結末が待っている。この人にもこんな作品が書けるんだと思ってしまった。
 「毒と饗宴の殺人」は作者のシリーズ名探偵、猫丸が登場するボーナストラック。まあ、これもへんてこりんな謎解き、と言っていいだろう。
 真面目に読むとバカを見る、と言いたくなるような作品ばかり集まっているが、脱力しながらも楽しんだのだから、これでいいと思う。まあこれも、倉知淳の持ち味なのだろう。

ジャン=ジャック・フィシュテル『私家版』(創元推理文庫)

 三ページめから、わたしは憎しみに満たされた……憎悪の奔流に溺れかけながらも、わたしはこの新作が友人ニコラ・ファブリをフランスで第一級の作家に押し上げることを確信した。テーマは新鮮で感動的だし、文体は力強く活力がみなぎっている。この時わたしは、復讐の成就のためにこの小説の成功を利用すればいいことを、一瞬のうちに悟った。本が凶器になる完全犯罪。ページに毒が塗られているわけではない。ましてや鈍器として使われるわけではもちろんなく、その存在こそが凶器となる……。フランス推理小説大賞、「エル」読者賞等々を受賞した繊細微妙なフランス・ミステリの傑作!(粗筋紹介より引用)
 1993年、発表。1994年、フランス推理小説大賞受賞、「エル」読者賞、ジョワンヴィル市シネレクト賞受賞。1995年9月、東京創元社より邦訳、単行本刊行。2000年12月、文庫化。

 作者のジャン=ジャック・フィシュテルはスイス、ローザンヌ大学の歴史学の教授であり、小説は本書が初めてである。
 作品のアイディアとなったのは、1980年に拳銃自殺した、外交官で小説家のロマン・ガリー。エミール・アジャールという偽名でも活躍し、フランスで最も権威のある文学賞で、本来なら一度しか受賞できないゴンクール賞を二度受賞したことで知られている。なお訳者あとがきでは、ゴンクール賞の受賞年に誤りがある。
 18歳のころからの友人であるエドワード・ラムとニコラ・ファブリ。ラムはイギリスの出版社社長で、ニコラはフランスの人気作家。方や独身で根暗、方や離婚こそしたものの女性に囲まれる人気者。エドワードはかつて恋人であったヤスミナを何も知らないニコラに奪われ、そしてヤスミナが自殺した過去があった。ニコラの作品のイギリスでの翻訳、出版を務めてきたエドワードがついに復讐に手をかける。
 本を凶器に、というフレーズが気になり手に取ってみる。エドワードがどうやって復讐をするのか。エドワードの心理状態と、復讐にいたるまでのプロセスを楽しむ作品である。なんというか、フランスの作品らしい心理サスペンスである。
 エドワードの語り口が暗く影を帯びているのには少々閉口したが、こういう内に籠った憎しみが大きいほど、復讐が成就されるときの快感が生まれる。いつしか読者もエドワードの味方になり、応援したくなる。その描き方が巧い。
 エンディングもフランスらしさが漂っている。日本の作品と違う特徴かな、これは。じっくり読んで、楽しめた一冊でした。

志駕晃『令和 人間椅子』(文春文庫)

 人気作家の白石美子はアイデアに詰まったとき、AI機能が搭載されたマッサージチェアで癒されていた。ある日、大ファンと称する人物から送られてきた、美子のマッサージチェアが書いたという体裁の小説には、美子と担当編集者しか知らない重大な秘密が暴露されていた(表題作)。江戸川乱歩の猟奇ワールドが令和の世に復活!(粗筋紹介より引用)
 2024年7月、文庫書下ろしで刊行。

「令和 人間椅子」:大学在学中に作家デビューした美子に突然送られてきた原稿は、AIが搭載されたマッサージチェアが書いたというのだが……。
「令和 屋根裏の散歩者」:違法すれすれのハッキングで大金を得た二郎は、マンションの下の部屋に越してきた女子大生に恋をしてしまう。
「令和 人でなしの恋」:マッチングアプリで知り合い結婚した昌彦は理想的な夫だと思ったが、時折妻の目を盗んで出かけているようで……。
「令和 赤い部屋」:参加者は服も背景も赤一色。異様なオンラインサロンの参加者は、全員がサイバー犯罪の首謀者たちだった。
「令和 一人二役」:劇団「X」に所属する女優の卵・小夜子はマッチングアプリでいろいろな女性に成りすますアルバイトで食いつないでいたが……。
「令和 陰獣」:「先生の『令和 人間椅子』大変楽しく読ませていただきました」熱烈なファンレターを送ってきた愛莉は私の愛読者だと言うが……。(作品紹介より引用)

 作者はニッポン放送のディレクター、プロデューサー。2017年、第15回『このミステリーがすごい! 』大賞・隠し玉作品の『スマホを落としただけなのに』でデビュー。映画化されヒットした。
 作者の名前を聞くのは初めて。『スマホを落としただけなのに』は映画化されているのをCMで見た記憶はあるが、作者名まで知らなかった。
 まあ、タイトルを見ただけで間違いなく地雷だと思ったのだが、本屋で見かけて気になってしまったものは仕方がない。多分駄作だろうなと思っていても、手に取るのがミステリ読みの性である(大嘘)。
 タイトル通り、乱歩短編を令和の時代に移植したらどうなるか、という作品である。まあ、「令和 人間椅子」のどこか“人間椅子”なんだ、と突っ込みたくなるし、「令和 屋根裏の散歩者」はただの覗きであり、屋根裏の散歩なんか何もしていない。「令和 人でなしの恋」は現実の方で普通にある内容だろう。「令和 赤い部屋」も、原作の不気味さがすべて消え去ってしまっている。「令和 一人二役」はただの成りすまし。「令和 陰獣」は、もう語りたくもない。
 結局舞台だけ借りて、令和に置き換えているだけ。そのくせオチはつまらない。乱歩が見せてくれた美学がどこにもない。「夜のゆめこそまこと」がどこにもなく、俗すぎる醜悪な世界しかここにはない。これが令和の現実だというのなら、なにも乱歩を借りてくる必要はない。
 ということで、作者には悪いけれど読まなくていいです。いや、ミステリファンがこれを手に取ることはないか。

櫻田智也『六色の蛹』(東京創元社)

 昆虫好きの心優しい青年・魞沢(えりさわ)(せん)。行く先々で事件に遭遇する彼は、謎を解き明かすとともに、事件関係者の心の痛みに寄り添うのだった……。ハンターたちが狩りをしていた山で起きた、銃撃事件の謎を探る「白が揺れた」。花屋の店主との会話から、一年前に季節外れのポインセチアを欲しがった少女の真意を読み解く「赤の追憶」。ピアニストの遺品から、一枚だけ消えた楽譜の行方を推理する「青い音」など全六編。日本推理作家協会賞&本格ミステリ大賞を受賞した『蟬かえる』に続く、〈魞沢泉〉シリーズ最新作!(粗筋紹介より引用)
 『紙魚の手帖』2021年、2022年掲載作品3編に、書下ろし3編を加え、2024年5月刊行。

 寒那町の山中でハンターの串路と、へぼ獲りを習いに来た魞沢は、緊急事態を知らせるホイッスルを聞き、駆けつけた。ホイッスルを吹いた三木本が見つけたのは、ライフルで撃たれた梶川の死体。不思議だったのは、二十五年前の誤射による死亡事故の原因となった白いタオルを、梶川が腰から下げていたことだった。「白が揺れた」。
 「ミヤマクワガタ入荷しました」という張り紙を見て、花屋「フルール・ドゥ・ヴェール」に入ってきた魞沢。しかしミヤマクワガタとは、花の名前だった。店主の翠里は、雨宿りがてら、隣の開店予定のカフェで魞沢に1年前の出来事を話す。季節外れのポインセチアを捜しにいた少女のことを。「赤の追憶」。
 近くの工事現場で土器と人骨の埋蔵物が発見されたため、調査することとなった「噴火湾歴史センター」の調査部。余内英子は人骨であることを確認し、警察へ通報に行ったが、戻ってくると作間部長が作業員にバックホウで人骨を救い上げるように指示していた。現場を荒らすようなことをなぜ。「黒いレプリカ」。
 陳列棚にあった万年筆のインクのボトル「BLUE BLACK」を目の前でとられてしまった古林秋一。そのボトルは、フランスで死んだ母が持っていたボトルとよく似ていた。古林は目の前の魞沢を誘ってカフェに行き、当時の父と母の出来事を話し始める。そして、父親が母を捨てた後に死んだとき、部屋に残していた楽譜が消えた謎のことを。「青い音」。
 寒那町で起きた事件から3年後。魞沢はへぼ獲りを教えてくれた名人が誤嚥性肺炎で亡くなったとの連絡を受けた。通夜の後、一人暮らしだった名人の家で仲間たちの思い出話が始まる。名人は亡くなる前、押し入れにある小さな仏像を一緒に仮装してほしいと依頼していた。「黄色い山」。
 近くの共同墓地で友人の一周忌を済ませた帰り、魞沢は再び花屋「フルール・ドゥ・ヴェール」を訪れた。「赤の追憶」の後日談、「緑の再会」。

 短編「蟬かえる」で第74回日本推理作家協会賞短編部門を、短編集『蟬かえる』で第21回本格ミステリ大賞を受賞した櫻田智也の、〈魞沢泉〉シリーズ第3作。昆虫好きの青年・魞沢泉が、遭遇した事件を解決する。前作が2020年7月だったので、4年ぶりの刊行となる。
 この連作短編集では、全ての短編に色の名前が付いており、短編集のタイトルは一冊の本として別タイトルを付けた方がふさわしいという作者の判断によるものである。
 久しぶりのシリーズ最新作だが、魞沢は全然変わっていない。すでに30代半ばだと思うのだが、読みようによっては20代で通用してしまう。ちょっとした手がかりから事件の全貌を解き明かす切れ味は相変わらずだが、本書ではその謎解きが読者にもわかりやすいもので、過去の二作と比べると少々物足りない。ただ、謎が解き明かされた後もドラマが続く構成は見事。そして連作短編集らしい配置、作品構成が巧く、読了後の満足度は高い。
 個人的ベストは「黄色い山」。「白が揺れた」の続編であるため、セットで評価した方がよいのかもしれないが、「白が揺れた」がやや単純な仕上がりになっているのと比べ、「黄色い山」の謎解きが終わった後も残る苦々しさが実にいい。
 前三作が雑誌掲載、後三作が書下ろしである。時間があったからかもしれないが、やはり書下ろし三作の方がよく描けている。ただ、そろそろ別の主人公の作品も読んでみたいね。それに長編も。

D・M・ディヴァイン『そして医師も死す』(創元推理文庫)

 診療所の共同経営者・ヘンダーソンが不慮の死を遂げて二ヵ月が経った。医師のアラン・ターナーは、その死が過失によるものではなく、何者かが仕組んで事故に見せかけた可能性を市長のハケットから指摘される。もし他殺であるならば、かなり緻密に練られた犯行と思われた。ヘンダーソンに恨みや嫌悪を抱くものは少なくなかったが、機会と動機を兼ね備えた者は自ずと限られてくる……未亡人ともども最有力容疑者と目されたアランは、ヘンダーソンの死の状況を明らかにしようと独自の調査を始める。騙しの名手ディヴァイン初期の意欲作、本邦初訳。(粗筋紹介より引用)
 1962年、発表。作者の第二長編。2015年1月、邦訳刊行。

 事故死の評決が出ていた共同経営者ヘンダーソンに、殺人の疑いが発生。もし殺人なら、機会があるのはアラン自身か、ヘンダーソンの後妻であるエリザベスしかない。アランは事件の真相を探り始めるも、婚約者であるジョアンをはじめ、多くの者がアランとエリザベスに疑いの目を向けるようになる。
 主人公で容疑者の一人でもあるアランが、ヘンダーソンを殺害する機会がある人物を捜すだけの作品。言い方は悪いが、それだけだ。犯人によるトリックがあるわけでもなし、作者自身による仕掛けがあるわけでもなし。殺人と不倫の両方の疑いをかけられ、人間不信に陥りそうな主人公が、ひたすら事件の状況と関係者の動きを調べて犯人を捜すだけの作品だ。なのに、これが面白い。
 プロットだけを見ると、つまらない。だが、非常に読み易い文章(これは翻訳のおかげかな)の中でじわじわと心を黒く染めていく心理サスペンス。そしてしっかりと散りばめられている伏線の巧みさ。まだ二作目ではあるが、作者の巧みなテクニックが存分に発揮されている。
 とはいえ、やはり事件そのものがこれだけ、という物足りなさがあるのも事実。もう少し満腹感を味わせてほしかった。

今村昌弘『明智恭介の奔走』(東京創元社)

 神紅大学ミステリ愛好会会長・明智恭介。小説に登場する探偵に憧れ、事件を求めて名刺を配り歩く彼は、はたしてミステリ小説のような謎に出合えるのか――大学のサークル棟で起きた不可解な盗難騒ぎ、商店街で噂される日常の謎、夏休み直前に起きた試験問題漏洩事件など、書き下ろしを含む全五編を収録。『屍人荘の殺人』以前、助手であり唯一の会員・葉村譲とともに挑んだ知られざる事件を描く、待望の〈明智恭介〉シリーズ第一短編集!
 『ミステリーズ!』『紙魚の手帖』2019~2024年掲載作品4編に、書き下ろしを加え2024年6月刊行。

 ある日の夜中、神紅大学の部室棟内で気絶していた泥棒が巡回中の警備員に見つかり逮捕された。その部室棟は古い建物で、今はコスプレ研究部が丸々使っている。その泥棒は、もう一人入ってきた人物に叩き付けられたと語ったものの、常習犯のためまったく取り合ってもらえない。しかし、出張中の神経質な顧問が帰ってくる前に、その真偽を確かめてほしい。副部長の男性から明智への依頼であった。「最初でも最後でもない事件」。
 立ち飲み屋の噂話で、元漆器店の男が持つ三階建ての持ちビルが二千万で買い取られたという話を聞いて、喫茶店主の加藤をはじめとした客たちは驚いた。さびれた商店街のぼろビルを、誰がそんな高額で買い取ったのか。喫茶店に来た明智と葉村は、このビル買取の話を聞き、まるで「赤毛組合」みたいだと語った。「とある日常の謎について」。
 昨日、グループワークの打ち上げで泥酔して潰れた明智をタクシーで送っていった葉村。翌朝、葉村は二日酔いの明智から呼び出される。明智が朝起きたとき、アロハシャツと半ズボンは昨日のままだったが、なぜかパンツを穿いておらず、そのパンツはビリビリに引き裂かれた状態で玄関の近くに落ちていたのだ。いったい誰がそんなことをしたのか。「泥酔肌着引き裂き事件」。
 数学科の教授から五度目の猫探しを依頼された明智と葉村は、見つからなかったとの報告をして帰ろうとしたとき、走ってきた女子学生から試験問題が盗まれたが、誰か来なかったかと尋ねられる。教授が席を外し、女子学生が部屋からお手洗いに出た数分間で金庫が破られ、中にあった試験問題が入ったUSBが薄まれたという。しかし教授は別の学生と話をしており、防犯カメラには誰も映っていない。いったい誰が盗んだのか。「宗教学試験問題漏洩事件」。
 田沼探偵事務所にハイツ徳呂の管理人件所有者から依頼されたのは、ストーカーから住人へ届けられた不審な手紙の差出人を見つけてほしいという依頼だった。奇妙なのは一週間に3人の住人から訴えがあったこと。もしかしたら、他の住人にも送られているのかもしれない。一緒にコンビを組むはずだった所員が足首をひねってしまったため、所長はバイトに来たばかりの神紅大学一回生、明智恭介と調査に乗り出すことにした。「手紙ばら撒きハイツ事件」。

 今村昌弘のデビュー作『屍人荘の殺人』に登場するも、そのまま退場してしまった神紅大学ミステリ愛好会会長・明智恭介を主人公とした短編集。まさか、作者も明智恭介の短編集を出すことになるとは思わなかっただろう。
 本人が大した事件は解いていないと嘆いたとおり日常の謎が中心となっており、明智も名探偵というよりは便利屋と言った方が早い。ホームズ役・明智恭介とワトソン役・葉村譲のコンビは、どちらかと言えばボケとツッコミ、揉め事を起こす側と収める側、と書いた方が似合っており、明智が葉村に「ブレーキ役になってほしい」と頼んだ通りの役割となっている。
 日常の謎や軽犯罪が中心ではあるが、魅力的な謎は提供されている。特に「とある日常の謎について」は見事。本短編集のベストである。しみじみとした終わり方を見せつつも、さらにもう一つの誰も取り上げない謎に言及しているところが面白い。とはいえ、これは創元ファンじゃないと通じないだろうな。
 「宗教学試験問題漏洩事件」のように古典トリックをうまく現代に落とし込んだ佳作もあれば、「泥酔肌着引き裂き事件」のように馬鹿馬鹿しい怪作もある。特に後者は、普段の明智と葉村の関係性が垣間見えておかしい。はた迷惑な明智に振り回されつつ、ちゃんと付き合っている葉村は、立派なワトソン役である。それにしても、こんなネタで短編1本を書ける作者には恐れ入る、色々な意味で。
 書下ろし「手紙ばら撒きハイツ事件」は、明智が一回生の時の事件。『屍人荘の殺人』でも言及されている探偵事務所が舞台であり、まだこの時は高校生である葉村は登場しない。書下ろしで力が入った分、かえって複雑化して読みにくくなっているのは勿体ない。別の視点による明智評は面白いのだが。
 このポップでライトな感じの作風は、今村昌弘の新しい一面を見せてくれた。作品紹介だとまさかの「〈明智恭介〉シリーズ第一短編集」とあるので、作者はともかく出版社は第二短編集を出す気満々なのだろう。ということで、剣崎比留子シリーズともども、次作を待っています。

貫井徳郎『ひとつの祖国』(朝日新聞出版)

 第二次大戦後、日本は大日本国(西日本)と日本人民謡倭国(東日本)に分断された。ベルリンの壁が崩壊するころ、日本もひとつの国に統一さえた。だが四半世紀を過ぎても格差は埋まらず、再度、東日本の独立を目指すテロ組織が暗躍しており……。
 テロ組織と意図しない形で関わることになった一条昇と、その行方を追うことになる幼馴染で自衛隊特務連隊に所属する辺見公佑。かつてふたつの国に分かれていた架空の日本を舞台に、二人の青年の友情が交差する。(帯より引用)
 『小説トリッパー』2022年春季号~2023年冬季号連載。2024年5月、単行本刊行。

 ドイツのように東西に分断され、そしてひとつの国に統一されるも、東西の格差が残った状態、という設定。東日本人である一条昇と、西日本人である辺見公佑が親友だったのは、父親が同じ自衛隊員で、東京の宿舎に隣同士で住んでいたことがきっかけであった。大学を出た後、辺見は自衛隊員となったが、一条は自衛隊に入らず、そして正規雇用されず引越業者の契約社員となった。二人は今でも月に一回は会って、近況を報告していた。そして28歳の時、事件は起きる。一条は東日本独立を目指すテロ組織MASAKADOと意図せぬ形で関わるようになり、辺見は自衛隊特務連隊所属としてテロ組織を取り締まる側であった。
 架空の日本を舞台にした社会派作品。東西に分かれていたという設定こそあるものの、国民の経済格差、技術大国ニッポンの凋落などは、現実にの日本にも通じる問題である。
 テロ組織に巻き込まれていく一条の苦悩、そして一条を気遣いながらもテロ組織を追い続ける辺見の心の動きはよく描けている。一条をテロ組織に誘う同僚の堀越聖子、そして辺見と一緒にテロ組織を追う香坂衣梨奈も悪くない。特に徐々に深みにはまっていく一条の描写は秀逸。
 ところがである。ここまで舞台を作っているのに、この終わり方は何だろう。打ち切りになるからとりあえず結末だけ書きました、みたいな投げっ放しである。特に一条がテロ組織に巻き込まれた理由が、余りにも貧弱。これだったら、わざわざふたつの日本などという設定は必要なかったんじゃないか。設定を全く生かせていない。それに一条と辺見、ほとんど交差していないじゃないか。あの人物がどうなったのか、あの組織がどうなったのかなども全然書かれていない。最後はどうやって行くことができたんだ?
 はっきり言ってがっかりしました。いや、リーダビリティはあるんだけれどね。だからこそ、余計にこの終わり方に腹が立つ。計画倒れの作品。ふたつの日本という設定を生かすストーリーを、一から書き直した方がいいよ。
【元に戻る】