サミュエル・アウグスト・ドゥーセ『スミルノ博士の日記』(中公文庫)

 天才法医学者ワルター・スミルノはある晩、女優アスタ・ドゥールの殺害事件に遭遇。容疑者として、かつての恋人スティナ・フェルセンが挙げられる。名探偵レオ・カリングの手を借り、不可解な謎に挑むのだが……。江戸川乱歩・横溝正史ら戦前の日本人作家にも多大な影響を与えた、世界ミステリ史上に名を刻む、探偵小説ファン必読の傑作本格推理長篇。(粗筋紹介より引用)
 1917年、スウェーデンで刊行。1923年、小酒井不木訳で『新青年』連載。1963年、宇野利泰訳で『世界推理小説大系5 チェホフ・ドゥーゼ』(東都書房)に収録。2024年7月、文庫化。

 サミュエル・アウグスト・ドゥーセはスウェーデンの軍人で、画家としても活動。1913年、弁護士で私立探偵のレオ・キャリングを主人公とした”Stilettkäppen"(邦訳『生ける宝冠』)でデビュー。1929年まで同シリーズ全14冊を発表した。本作はシリーズ第4作。本文庫の底本となる宇野訳はドイツ語訳を訳したものである。そのため、ドイツ語に訳される際に変更・省略された箇所が一部あり、その違いについては文庫末に書かれている。
 名前のみ有名な作品という意味では、本書はその代表の一つと言ってもいいだろう。なんといっても某大作家の代表作に先立って某トリックを使ったということで、日本では有名な作品である。ただ、『世界推理小説大系』(東都書房)で邦訳されてから一度も復刊されていない。解説の戸川安宣によると、宇野によるスウェーデン語原典の新訳が創元推理文庫で企画されていたが、宇野自身の死去により実現しなかったという。それがまさか、中公文庫で復刊するとは思わなかった。
 ただ、ドゥーセの他の作品は大して面白くなかった、という話を聞いたことがあったので、正直期待はしていなかった。読んでみると予想より全然古びていないし、結構面白かった。なんでこれが復刊しなかったんだと首をひねるぐらいである。
 中身に触れるとほぼトリックがわかってしまうので止めておくが、某トリックを使う必然性があったことに驚いた。結末まで読んだ時、うまいじゃん、と思わず唸ってしまったぐらいである。プロットや他のトリックも含めて、ここまでスマートに仕上がっていたことに感心した。ここまでドロドロの恋愛模様が書かれているとは思わなかったし、スミルノが色々と動き回るサスペンスもなかなかのものである。
 もちろん今読むともう少しひねってほしいところがあるのは否定できないが、書かれたのが1917年ということを考えると、ない物ねだりに等しい。できれば原典による新訳を読んでみたかった。そうすればもっと評価があがっていたかもしれない。本格ミステリファンなら、ぜひ手に取ってみるべき一冊だろう。

新名智『雷龍楼の殺人』(KADOKAWA)

 富山県の沖合に浮かぶ油夜島。この島にある外狩家の屋敷「雷龍楼」では二年前、密室で四人が命を落とす変死事件が起こった。事件で両親を失った中学生の外狩霞は、東京にいるいとこ・穂継の家へ身を寄せていたが、下校途中、何者かに誘拐される。霞に誘拐犯は、彼女を解放する条件となる「あるもの」を手に入れるため穂継が雷龍楼へ向かったと告げる。しかし穂継が到着した夜、殺人事件が発生。その状況は二年前と同じ密室状態で、穂継は殺人の疑いをかけられる。穂継が逮捕されると目的のものが手に入らないばかりか、警察に計画を知られてしまう。穂継の疑いを晴らしたければ協力しろ、と誘拐犯に迫られた霞は、「完全なる密室」の謎解きに挑む。(帯より引用)
 2024年、書下ろし刊行。

 作者は2021年、『虚魚』で第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉を受賞し、デビュー。『虚魚』が結構よかったので、それなりに楽しみにしていたのだが……。
 20ページ目には「読者への挑戦」が出てくる。しかも犯人の名前、4人の被害者の名前も出てくる。島内で起きた「完全なる密室」の謎を、島外にいる誘拐された中学生が挑む。これだけだとワクワクしそうな設定なのだが、途中でなぜか小説家が事件関係者と話をしているシーンが出てきて、事件を振り返っている。事件と展開に不自然さが漂う。怪しさがどんどん増していく中で、この結末ですか。うん、アンフェアすれすれだ。
 読み終わって感じたのは虚しさ。確かにそういう方法があることは、読み終わってから検索して知った。よくよく読めばあからさまな伏線張っている。だけど最後にこんなの明かされたって、してやられた、と思う人がいるのだろうか。
 帯を見たら、これも阿津川辰海と法月綸太郎のコンビがあおりを書いていた。ただ、褒めちゃいないよね、これ。
 ある意味、本格ミステリに対抗意識を燃やして書いたのかな。それとも皮肉を込めていたんだろうか。読み終わってみると不満だらけだけど、文句を言う気力すらなくなるような脱力感。時間を返してくれとまでは言わないけれど、読まなくてもよかった。作者には悪いけれど。

松城明『蛇影の館』(光文社)

 人間の身体と記憶を乗っ取る人工生命体〈蛇〉は、“衣裳替え”を繰り返し悠久の時を生きてきた。あるとき、五匹の〈蛇〉はそれぞれ、何者かに襲われ、一匹の〈蛇〉が行方不明になる。最年少の〈蛇〉で女子高生に寄生する伍ノは、一族の長から事件の調査を任され、さらに満月の集いのための新たな衣装候補の調達を頼まれる。同級生を騙して廃墟となった伝説の館に卒業旅行に行く伍ノだが、それは惨劇の幕開けだった……。
 寄生、消滅、召喚……特殊条件下の本格パズラー。あなたは〈蛇〉? それとも人間?(帯より引用)
 2024年7月、書下ろし刊行。

 松城明は2020年、『殺人機械が多すぎる』で第30回鮎川哲也賞最終候補。同年、短編「可制御の殺人」が第42回推理小説新人賞最終候補になり、2022年に連作短編集『可制御の殺人』でデビュー。2024年、続編『観測者の殺人』を刊行。別名義でジャンプ小説新人賞を受賞しているとのこと。
 『可制御の殺人』が評判になったとのことだが、全然記憶にない。まあ、細かくチェックしているわけではないので、単に知らないだけかもしれない。
 三千年近い昔、西欧の魔術師によって創られた五匹の〈蛇〉(セルペンス)。人の脳を喰い、身体と記憶を乗っ取る人工生命体。十五世紀の魔女狩りで追われて日本に流れ着き、名前を壱ノ、弐ノ、参ノ、肆ノ、伍ノと改めた。基本的に不死だが、人間との接続を丸一日経った時点で身体が細かい塵に帰り、消滅する。消滅した〈蛇〉は他の〈蛇〉が〈呪歌〉を歌うことで召喚できるが、以前の記憶は失っている。他にも細かいルールがあり、それがロジックとトリックに関わってくる。
 何が面倒かというと、このルールが小出しで書かれていること。謎解きの途中で整理されて出てくるけれど、いちいち覚えていねえよ、と突っ込みたくなった。
 そんな愚痴は抜きにしても、この〈蛇〉の設定がロジックのための特殊設定でしかないのが問題。小説なんだから、やはり物語としての書き方を考えてほしい。物語として成立させるために、卒業旅行に行く写真部のメンバーのやり取りがあるのだろうけれど、〈蛇〉の設定と乖離してしまっている。
 それ以外にも無理のある設定が多い。特に、国の中枢まで食い込んだ巨大なネットワークである〈財団〉という設定が、あまりにも都合良すぎ。“衣装”のための誘拐や死体処理にも対応できるというのもどうかと思うし、組織をどうやって維持しているんだとツッコミたくなるのもあるが、それ以上に事件(謎解きではない)の不都合部分をこれで逃げるというのもどうかと思う。
 さらに、〈蛇〉以外の登場人物も行動や言動が不自然。あの人物の不自然さ、周りがなぜ気づかないんだ。そしてエピローグ、絶対来ないだろう。だいたい、冒頭で部員が殺人事件で死んだ時点で、卒業旅行自体を親や学校が許さない。色々と首をひねることが多いので、多重推理も解決も、まったく楽しめなかった。
 特殊設定にすればいくらでも新しい謎やトリック、ロジックを生み出すことができるのだろうけれど、もう少し説得力と物語性がないと、ただのクイズで終わってしまう。こういうのが好きな人にとっては、たまらないかもしれないけれど。阿津川辰海と法月綸太郎のコンビの推薦文、気を付けた方がいいな。  

阿津川辰海『星詠師の記憶』(光文社文庫)

 被疑者を射殺してしまったことで、一週間の自主謹慎に入った刑事の獅堂は、故郷の村を訪れている。突然、学ランの少年・香島が、彼の慕う人物が殺人事件の犯人として容疑をかけられている、と救いを求めてきた。殺人の一部始終が記録されている証拠の映像は、紫水晶の中にあり、自分たちはその水晶を研究している〈星詠会〉の研究員であると語るのだがーー。(粗筋紹介より引用)
 2018年10月、光文社より書下ろし刊行。2021年10月、文庫化。

 作者の第二長編。紫水晶に映った未来を見ることができる「星詠師」たちが集まった研究施設「星詠会」で、創設者である石神赤司が死亡。警察は自殺と判断した。しかし「星詠会」では、水晶の中に殺人場面が映っていたことから、息子の石神真維那を犯人と断定。真維那を慕う少年・香島は、犯人射殺で自主謹慎中の刑事・獅童と知り合い、真維那の冤罪を晴らしてほしいと頼む。
 星詠師という未来を見ることができる力を持った人物が登場する特殊設定ミステリ。この「星詠会」が立ち上げられるまでのストーリーを途中で織り交ぜながら獅童の捜査が進むのだが、この「星詠会」立ち上げにかかわる人物の心理描写が不足していて、行動が唐突に感じる。それにこの石神赤司が殺される未来、簡単に回避することができるんじゃないか。舞台や人物の立ち位置を変えることなど、それほど難しくないだろうに。
 最後の犯人にたどり着くロジックは作者がかなりこだわったのではないかと思うのだが、力が入り過ぎていて空回りしている。読んでいて、楽しいものではない。もう少しリズムを付けられれば良かったのだろうが、長編に作目でそれは難しかったか。
 なんとなく清水玲子『秘密』に近いな、と思いながら読んでいた。残念ながら、そこまでの面白さはなかったが。まあ、若さゆえの空回りだな、これは。

駄犬『誰が勇者を殺したか 預言の章』(角川スニーカー文庫)

――世界編纂――
 とある神の眷属であり巫女でもある予言者は魔王を倒してくれる勇者を求め、何度も世界をやり直していた。
 世界編纂を繰り返す中、金の亡者と噂され理想の勇者像からかけ離れている冒険者とその一行に興味を抱いた予言者は、彼を勇者と認める。
 彼らを見守る中、市井で聞く噂とは異なる一面に少しずつ惹かれはじめると同時に、彼らを逃れられない死の未来から救おうと導く予言者だが……。
 これは予言者がある勇者とともにあろうとした物語。(粗筋紹介より引用)
 2024年8月、書下ろし刊行。

 2023年のスマッシュ・ヒット作品『誰が勇者を殺したか』。ミステリファンにもお勧めしたい一冊であるが、まさか続編が出版されるとは思わなかった。続編と言っても、物語自体は前作1冊で完結しており、本作品は前作の補完という形になっている。
 今回の登場人物は金目当ての冒険者レナード、槍術の使い手エフセイ、元聖女候補の僧侶ニーナ、元貴族の魔法使いソフィアの4人。4人の共通点は、10年前に魔王軍がマリカ国へ侵攻してきたときに、義勇軍に参加していること。そしてその戦いでほぼ全滅した義勇軍の中で生き残ったこと。当時最強と言われた戦士ルークとその妻で魔法使いのレイに関わりがあること。いずれも30代のメンバーである。
 冒頭でレナードの悪い評判が語られ、それからレナード一行の戦いの軌跡、合間にそれぞれの過去が語られる展開は、駄犬の小説で見られるパターンである。なるほど、今回もそう来るのか、と思っていたが、さすがにワンパターンなことはしなかった。予言者とレナードのやり取りの中で、本作品世界の隠された苦悩を浮かび上がらせるところは非常に巧い。前作の重要登場人物も物語に巧く絡めるとともに、前作の心残りな点(笑)もちょっと触れるあたりは、読者のツボを心得ているというか。
 それにしても、ラノベでこんな30代の偽悪的な人物とメンバーを堂々と主人公に持ってくるあたり、作者は読者のゾーンを少し高めに設定しているんじゃないだろうか。まあ、確かに中高生向けというよりは大人向けに近い内容になっているが。
 コミカライズもされているし、もしかしたらまだ続くのかな、このシリーズ。本作も面白かったけれど、さすがにこれ以上補完するのは厳しいとは思うのだが。それに作者、立て続けに出版しているけれど、大丈夫なのか。

有栖川有栖『日本扇の謎』(講談社ノベルス)

 舞鶴の海辺の町で発見された、記憶喪失の青年。名前も、出身地も何もかも思い出せない彼の身元を辿る手がかりは、唯一持っていた一本の「扇」だった……。そして舞台は京都市内へうつり、謎の青年の周囲で不可解な密室殺人が発生する。事件とともに忽然と姿を消した彼に疑念が向けられるが……。動機も犯行方法も不明の難事件に、火村英生と有栖川有栖が捜査に乗り出す!(粗筋紹介より引用)
 『Mephisto』2023~2024年連載。2024年8月刊行。

 国名シリーズ第11作。あれ、“日本”なのに10作目じゃないの、と勝手に思っていたのだが、私以外にも同じことを考えた人はいるはずだ。タイトルは、クイーンが“The Door Between”(『ニッポン樫鳥の謎』)が雑誌掲載された時のタイトル、とかつて噂された説から採られている。
 富士山が描かれた扇を持つ記憶喪失の青年。青年の実家である大家で起きた密室殺人事件と青年の失踪。火村英生と有栖川有栖が、事件関係者からの供述を基に、家族の複雑な思いを明らかにしていく。
 密室殺人そのもの謎は既存の物であるし、アリスが思いつかなかったのが不思議なくらい。もちろん密室そのものは本作品の主題ではないが、密室の謎から事件の一端を解き明かしていく展開はうまい。
 正直なことを言うと、青年の行方、そして記憶喪失の謎が解けてしまうと犯人はすぐにわかってしまう。ロジックはさすがといえるが火村曰く“ふわふわした推理”であり、なんとなく物足りなさを覚えてしまうのは事実。ただ本作品の面白さは、記憶喪失の青年の物語にある。人の謎が解けないと、事件の謎が解けない。この構成が本作品の面白さ。火村の言うフィールドワークならではの物語だろう。
 派手なところは何一つないが、人の謎にウェイトを置くとこういう本格ミステリも出来上がるのだろう、と考えさせられる。読み応え抜群の一冊である。どことなく、ドラマ的ではあるが。

ベン・H・ウィンタース『地上最後の刑事』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 半年後に小惑星が地球に衝突し、人類は壊滅するという予測が発表された。ファストフード店で死体で発見された男性も、未来を悲観し自殺したのだと思われた。しかし新人刑事パレスは他殺を疑い、同僚たちに呆れられながらも捜査を始める。世界はもうすぐなくなるのに、なぜ捜査をつづけるのか? そう自問しつつも粛々と職務をまっとうしようとする圭司を主人公としたアメリカ探偵作家クラブ受賞受賞作!(粗筋紹介より引用)
 2012年発表。作者の第六長編で初のミステリ。2013年、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀ペーパーバック・オリジナル部門受賞。2013年12月、ハヤカワ・ポケット・ミステリより邦訳刊行。2016年6月、ハヤカワ・ミステリ文庫化。

 作者はアメリカ、メリーランド州生まれ。ワシントン大学卒業後、2009年にデビュー。本書は『カウントダウン・シティ』『世界の終わりの七日間』と続く三部作の第一作。原題は"The Last Policeman"。
 半年後に地球が滅ぶためパニックになっているのに、コンコード警察署犯罪捜査部制人犯罪化の刑事であるヘンリー・パレスはなぜ地道に捜査を行うのか。この設定だけで、読みたくなること間違いなし。ただ実際に読み進めてみると、ものすごく地味な展開。社会や経済の秩序は失われ、有名企業は倒産し、多くは自暴自棄になって自殺し、残りは自分のやりたいことをやる。破滅する寸前のぎりぎりの街の中で、周囲に飽きられ良ながらも淡々と捜査を進めるパレス。これでパレスが頭脳明晰なら、もしくは圧倒的な暴力を持って次々と障害を乗り越えていくのなら、物語は派手になる。しかしパレスは違う。ただ、関係者に聞き込みを続ける。頭の回転が鋭い方ではないし、気のきいたセリフをしゃべるわけでもない。そこらじゅうの美女を手玉に取るわけでもない。読んでいる方がじれったくなるほどのろまだし、気も弱い。ただ、地道に自分の信じることを続けるのだ。
 死を迎えることがわかっているのに、そしてタイムリミットがじわじわと迫っているとき、人はどう行動するのか。そんな社会的なテーマが隠されているのだろうな、とは思う。本書では様々な死生観が主人公の目を通して描かれる。パレスの呟きは、作者の考えや思いだろうか。
 ただ、ミステリの謎の方は今一つ。この状況下でそんな面白い謎があるわけでもないだろうから当然だろうし、結局「なぜ追うのか」の方に重点が置かれているのだから仕方がないのだが、もうちょっとミステリの味があってもよかったと思うんだけどな。

石ノ森章太郎原作『サイボーグ009トリビュート』(河出文庫)

 天才マンガ家、石ノ森章太郎による不朽の名作『サイボーグ009』。その誕生六十周年を記念して、“九人の戦鬼”が終結! 豪華執筆陣が洗ったな息吹を吹き込んだサイボーグ戦士たちの活躍が、活字の世界でいま始まる。テレビアニメシリーズ第一作の脚本を務めた辻真先も特別参加。全九編収録の書き下ろしアンソロジー。(粗筋紹介より引用)2024年7月、書下ろし刊行。
【収録作品】
●辻真先「平和の戦士は死なず」
 テレビシリーズ第1作の名エピソード、同題の最終回を、オリジナル脚本家が自らリメイク!
●斜線堂有紀「アプローズ、アプローズ」
 原作屈指の名作「地下帝国"ヨミ"編」後日譚。サイボーグ戦士、誰がために闘う?
●高野史緒「孤独な耳」
 003のバレエ公演にともない、001=イワン・ウイスキーが初めて故国に帰郷する。
●酉島伝法「八つの部屋」
 ジェット・リンクはいかにして002になったか。ゼロゼロナンバー・サイボーグ誕生秘話。
●池澤春菜「アルテミス・コーリング」
 その目と耳であるがゆえに、003=フランソワーズ・アルヌールが出会えた奇蹟。
●長谷敏司「wash」
 60年にわたり戦い続けた004=アルベルト・ハインリヒ、過去の亡霊と再会。
●斧田小夜「食火炭」
 張々湖飯店を見舞った奇妙な出来事が、006=張々湖を過去へといざなう。
●藤井太洋「海はどこにでも」
 火星探査団救難船に潜入捜査中の008=ピュンマは、謎の事故に巻き込まれる。
●円城塔「クーブラ・カーン」
 009=島村ジョーたち9人のサイボーグ。彼らは、楽園を築く者たちか。(以上、粗筋紹介より引用)

 『サイボーグ009』は好きなマンガの一つ。少なくとも石ノ森が描いた009は全部読んでいるはず。当然小野寺丈の小説版完結編も読んでいる。ただ、最近の別作家が描いているものは読んでない。気になるので、読んでみようという気にはさせられる。さすがにアニメは第2期と映画『超銀河伝説』ぐらいしてかみていない。第1期の映画版2作はテレビでよく放送されていたなあ。
 ということで、009ファンなら読んでみようという気にさせられる一冊である。特に辻真先が自らのテレビ脚本を小説化しているというのだから、読まない理由はない。肝心のアニメを見ていなかったからよく知らなかったが、「地下帝国"ヨミ"編」のエンドシーンをオマージュしているのね。これをテレビでリアルタイムに見ていたら、感動するだろうなあ。
 斜線堂有紀は「地下帝国"ヨミ"編」の後日談。009と001の実際に交わしていそうな会話がうまいと思う。
 高野史緒は001が主人公だが、003のウェイトも大きい。001の故郷ロシアと、バレリーナとしての003をうまく絡ませている。
 酉島伝法は002誕生秘話。ただ、00ナンバーは1か国1人、別人種を攫ってくるという原作の設定とは異なっている。
 池澤春菜は003が主人公。003の能力をうまく生かした作品である。池澤春菜が声優だとは知っていたが、小説を書くことは知らなかった。
 長谷敏司は改造から60年後の004が主人公。この発想は思いつかなかった。しかしサイボーグ戦士って年を取るのだろうか。特に脳の改造出術しか受けていない001はどうなるんだろう。見てみたい気もするし、見るのは怖い気もするし。だけど00ナンバーって人造皮膚だよな。既に初老のギルモア博士はどうなるんだろうという問いにも答えているところが面白い。本アンソロジーの個人的ベスト。
 斧田小夜は006が主人公。006の改造前の過去を知る人物が登場。やはり006、張々湖にはコメディメーカーとして明るくいてほしい。
 藤井太洋は008が主人公。008は作品中でも登場率が少ないこともあり、心理描写を含め書くのがなかなか難しかっただろうなと思わせる作品に仕上がっている。
 円城塔は9人の戦いを主軸にした少々ハードな作品。この枚数で書き切るのは難しかったと思う。それにしても、地の文で「島村」「リンク」「ブリテン」「ウイスキー」と呼んでいる作品を読むのは初めてである。「ジェロニモ」「ハインリヒ」「張」「アルヌール」「ピュンマ」はあるが。

 007と005が主人公の作品は書かれていない。005はなかなか難しいと思うが、007は書きやすいと思うのだが。実際、本アンソロジーでも、一番登場しているのは007だ。コメディを演じつつ、時にはシリアスに、そして時には強烈な批判を言うことができる性格もそうだが、何よりへそを押したら何にでも変身できるというその使い勝手のいい能力のおかげもあるだろう。確か原作でも、009の次に登場しているのが007だったと思う。『サイボーグ009コンプリートブック』(メディアファクトリー)で調べているのだが、本棚を捜しても見つからないので記憶のみになるのだが。(あとで確認したら、004が二番目で、007が三番目だった)
 『サイボーグ009』という作品は1964年から1992年まで断続的に描かれており、年月や掲載誌、それに作者自身の構想の変更などによって設定が異なっている部分もあるため、どの時代の009たちを切り取るかというのは非常に難しいだろう。それでも果敢に挑戦してくれた9人には感謝したい。

道尾秀介『いけない』(文春文庫)

 ①まずは各章の物語をお楽しみください。②各章の最終ページには、ある写真が挿入あsれ亭ます。③写真を見ることで、それぞれの”隠された真相”を発見していただければ幸いです。――ラスト1ページ、あなたの読んでいた物語はがらりと姿を変える。騙されてはいけない、けれど、絶対に騙される。2度読み必至の驚愕ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』他掲載作品に書き下ろしのエピソードを加え、2019年7月、文藝春秋より単行本刊行。2022年8月、文春文庫化。
「第一章 弓投げの崖を見てはいけない」自殺の名所が招く痛ましい復讐の連鎖。
「第二章 その話を聞かせてはいけない」少年が見たのは殺人現場? それとも……。
「第三章 絵の謎に気づいてはいけない」新興宗教の若き女性幹部。本当に自殺か?
「終 章 街の平和を信じてはいけない」そして、すべての真実が明らかに……。(帯より引用)

 本書の舞台である蝦蟇倉(がまくら)市は、第一章が掲載された競作アンソロジー『蝦蟇倉市事件』(東京創元社)からである。
 最後の1枚の写真で、物語の構図をひっくり返す。最後に写真を使うというのは過去にもある趣向だが、各章が最後につながるのは大した技巧だな、とは思った。ただ、文字ではなくあえて写真を使うことの方が驚きを増した、というのは第三章と四章ぐらいかな。他の作品では、写真を使うメリットはあまり感じなかったね。
 そもそも物語が暗すぎるので、写真を使うというゲーム性を足されてもピンと来ない。何も無理に技巧にこだわらなくても、と思う。期待外れの一冊でした。

シェイマス・スミス『Mr.クイン』(ミステリアス・プレス文庫)

 麻薬王のブレーンとして完璧な犯罪計画を立てる――おれにとって犯罪はビジネスだ。計画を売るだけ、実行はしない。今度の仕事は大物だった。裕福な不動産業者の一家を事故に見せかけて殺し、全財産を乗っ取るのだ。すべては順調だった。新聞記者に尻尾をつかまれそうになるまでは……究極のアンチ・ヒーロー、クイン登場。刺激に満ちた、新時代の犯罪小説。(粗筋紹介より引用)
 1999年発表。2000年8月、邦訳刊行。

 作者のシェイマス・スミスは北アイルランドのベルファストの労働者階級の出身。季節労働に携わりながら数年間をヨーロッパで過ごし、その後は北アイルランドで競走馬の飼育に携わっている。小説作法を独学で学び、本作でデビュー。英国推理作家協会賞最優秀処女長編賞にノミネートされた。
 主人公のジェラード・クインは犯罪プランナー。麻薬王バディ・トナーのブレーンとして、犯罪計画を立てている。このクインの一人称で物語は進むが、このクインという人物がなんとも腹立たしい犯罪者である。冷酷非情に犯罪計画を立て、自分では手を出さない。鼻持ちならない自信家で、浮気は当たり前。本人はユーモアがあふれている口調で読者に語り掛けてくるが、気に食わないの一言。だが、目を離せない。
 トナーの依頼でトム・ハセットの不動産会社乗っ取りを計画して実行するが、その一方ではルイーズとの浮気が妻のシンニードにばれ、息子2人を連れて家を出て行ってしまっている。息子2人を取り戻そうとするが、シンニードの姉で新聞記者のモリーが立ちはだかる。しかも不動産業者乗っ取りの方まで目を付けられる。うーん、どこにもこの主人公に惹かれる要素がない。悪役が主人公のミステリでも、少しは共感する部分がありそうなものだが、クインという人物に共感できるところは何一つない。
 魅力がどこにあるのかさっぱりわからない作品だが、それでも面白く読んでしまうのは、作者の筆が巧いのかなあ。それとも、作者の想いがクインに込められているからだろうか。ただ、二作目を読みたいとは思わなかったが。
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