ジェフリー・ディーヴァー『魔術師』(文春文庫)

 ニューヨークの音楽学校で殺人事件が発生、犯人は人質を取ってホールに立てこもる。警官隊が出入り口を封鎖するなか、ホールから銃声が。しかしドアを破って踏み込むと、犯人も人質も消えていた……。ライムとアメリアは犯人にマジックの修業経験があることを察知して、イリュージョニスト見習いの女性に協力を要請する。(上巻粗筋紹介より引用)
 超一流イリュージョニストの“魔術師”は、早変わり、脱出劇などの手法を駆使して、次々と恐ろしい殺人を重ねていくライムたちは、ついに犯人の本名を突き止めるが、ショーの新たな演目はすでに幕を開けていた――。「これまでの作品のなかで最高の“どんでん返し度”を誇る」と著者が豪語する、傑作ミステリ!(下巻粗筋紹介より引用)
 2003年発表。リンカーン・ライムシリーズ第5作。2004年10月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。2008年10月、文庫化。

 リンカーン・ライムシリーズ第5作目は、イリュージョンを駆使する魔術師との対峙。うーん、面白いと言えば面白いけれど、ライムやアメリアより、イリュージョニスト見習いのカーラの印象が強いかな。
 嫌な言い方をすれば、イリュージョンを使えば裏をかくことが簡単じゃないか、って思ってしまう。だから、事件そのものの驚きはほんとどないし、カーラによるイリュージョンのトリック解明もそれなりに楽しくは読めるが、そこ止まり。イリュージョンを使う以上のサプライズが欲しかったね。ライムの家に“魔術師”が現れるところなんかは見せ場なんだろうが、なぜか乗り切れなかったね。シリーズとして続く以上、ライムが死の危険にさらされるとは思えないところが、シリーズものの弊害だと思う。
 最後のドンデン返しは、あまりにも多すぎて胃もたれしてしまうほど。読んで満足したのはカーラの成長、そこだけ。読んでいる途中は面白いけれど、もう一つ満足できないまま、読み終わってしまった。

ジム・トンプスン『ポップ1280』(扶桑社)

 ポッツヴィル、人口(ポップ)1280。保安官ニック・コーリーは、心配事が多すぎて、食事も睡眠も満足に取れない。考えに考えた結果、自分はどうすればいいか皆目見当がつかない、という結論を得た。口うるさい妻、うすばかのその弟、秘密の愛人、昔の婚約者、保安官選挙……だが目下の問題は、町の売春宿の悪党どもだ。何か思い切った手を打って、今の地位を安泰なものにしなければならない。なにしろ彼には、保安官というしごとしかできないのだから……。
 アメリカ南部の小さな町に爆発する、殺人と巧緻な罠の圧倒的ドラマ! キューブリックが、S・キングが敬愛するジム・トンプスンの代表作。饒舌な文体が暴走する、暗黒小説の伝統的作品、登場!(粗筋紹介より引用)
 1964年8月、ゴールド・メダル・ブックからペーパーバック・オリジナルで刊行。作者の第22長編。『ミステリマガジン』(早川書房)1998年11月号~1999年1月号にて邦訳連載。2000年2月、扶桑社より単行本刊行。

 例によってダンボールの底から取り出した、今頃読むのかという一冊。
 伝説のカルト作家、鬼才トンプスンの代表作である暗黒小説。舞台は第一次世界大戦末期、アメリカ南部にある人口1280人の小さな町、ポッツヴィル。主人公であり、語り手でもある保安官のニック・コーリーは、恐妻家で女にだらしなく、仕事は怠けて何もせず、下品な冗談を連発する。“保安官しかできない”気弱な愚か者のように見えるが、自分の地位を守るためなら何でもやる男。たとえそれが、保安官の倫理とは相反することであろうとも。
 とにかくこのニック・コーリーという人物に、腹が立って仕方がない。なんでこんな男がモテるんだ、なんでこんな男が保安官なんかやれるんだと突っ込みたくなる。しかし、強か。だらしなく、弱音ばかり吐いていようと、下品なユーモアで身をかわし、いつの間にか自分の立ち位置を確保しているのだから、やってられない。
 それでいて、社会風刺の要素がしっかり込められていることに驚き。吉野仁の解説を読んでそのことを知って改めて読み返し、黒人の扱い方などで納得した。そもそも、舞台が第一次世界大戦末期ということも気付かなかったよ。
 軽そうに見えて重そうなテーマを挟みつつ、だけど主人公には何一つ共感を持てない。なのに面白い。凄い作品だった。

芦辺拓『明治殺人法廷』(東京創元社)

 明治20年12月、藩閥専制政府が自由民権活動家一掃のため発令した保安条例により、東京からの撤去を命じられて大阪に流れた、幕臣の息子にして探訪記者の筑波新十郎。被告人に対して絶対不利に適用される法廷で苦闘を重ねる、大阪の商家に生まれた駆け出し代理人・迫丸孝平。推理の曙光いまだ届かぬ時代に質屋一家殺人事件の「正しき真相」を求め、出会うはずのなかった東西の二青年が協力して奔走する。『大鞠家殺人事件』に続いて贈る近代大阪グランド・ロマン!(粗筋紹介より引用)
 『紙魚の手帖』vol.07~16(2022年10月号~2024年4月号)連載。2024年9月、東京創元社より単行本刊行。

 井上ひさしの短編集『合牢者』に強い影響を受けて書かれた一冊。昭和戦時下の大阪を描いた『大鞠家殺人事件』に続く大阪を舞台にした作品。当然ながら山田風太郎の明治小説も十分意識している。
 芦辺拓のいいところであり、悪いところでもあるのは、とにかく舞台設定と登場人物の紹介が長すぎ。さらに所々で蘊蓄は挟まれるし、横道にはそれるしで、なかなか本題に入ってくれない。まあ、その余計な蘊蓄が面白いというのも否定はできないが(苦笑)。
 主人公の筑波新十郎が大阪に行って迫丸に会い、そして事件に遭遇するまでが長いのでじれったくはなるが、素直にあきらめて読み進めていくうちに、やっと事件に遭遇し、話が進みだす。質屋一家6人が殺害され、生き残ったのは土蔵に逃げ込んだ主人の親族となる16歳の子供と、店主夫婦の赤ん坊。警察は16歳の手伝いを犯人として捕らえ、迫丸が代理人(弁護士)を請け負うことになる。
 事件は凄惨だが、ミステリとしての味は薄い。どちらかといえば明治の大阪、薩長政府と自由民権運動、そしてようやく形になった日本の司法という当時の舞台と、実在の人物の輻輳を楽しむ作品となっている。事件の方も謎があることにはあるのだが、どちらかと言えば明治時代の裁判そのものの方が興味深いし、芦辺の筆ものっている。
 明治探偵小説という折も、明治大阪浪漫と呼んだ方がいい作品。面白いと言えば面白いけれど、求めていたものとはちょっと違ったかな。昭和、明治ときて次は……とのことなので、次作に期待しよう。

E・C・R・ロラック『曲がり角の死体』(創元推理文庫)

 豪雨の夜、ダイクス・コーナーと呼ばれる危険なカーブで発生した衝突事故。大破した車の運転席で男の死体が発見されるが、死因は一酸化炭素中毒。しかも二時間以上前に死亡していたことが判明。警察は殺人事件として捜査を始める。被害者コンヤーズは現代的なチェーンストアのオーナーで、その強引な出店計画は土地の商店主たちの反撥を招き、また私生活でも多くの問題を抱えていた。様々な疑惑が渦巻く中、事件当夜の被害者の車の軌跡を追うマクドナルド主席警部が辿り着いた真相とは……。英国探偵小説の醍醐味を満喫させるロラックの代表作。(粗筋紹介より引用)
 1940年、イギリスで発表。2015年9月、邦訳刊行。

 作者はイギリスの作家で、英国本格ミステリを代表する巨匠のひとり。70冊以上の長編を発表し、デビュー作から登場するロバート・マクドナルド主席警部がほとんどの作品で探偵役を務めている。本名イーディス・キャロライン・リヴェット。ロラック名義では20冊目、キャロル・カーナック名義も含めると25作目の長編ミステリである。
 登場人物、特に容疑者が多く、それぞれの人物造形が描き込まれているため、発端の事件の後は地道な捜査が続く。舞台も含めしっかり描き込まれているのに退屈せ卯に読めるのは、黄金時代の本格ミステリならではだろう。逆にトリックなどは書かれた時代もあって仕方ないだろうが古いと感じさせるもので、サプライズなどもあるわけではなく、今の読者からすると地味に感じるかもしれない。まあ、これが田舎町を舞台にした英国ミステリならではといってしまえばそれまでだが。
 当時の英国ミステリが好きな人にとっては懐かしさを感じるもの。その雰囲気を味わいたい人にとってはたまらないだろう。ただこの作者、読むのは二冊目だが、どれを読んでも一定レベルの楽しさを与えてくれるものの、どれを読んでもほとんど変わらないじゃないか、という気がしなくもない。こういうとき、探偵役が地味な主席警部というのは損だっただろうなと思う。これがエキセントリックな人物だったら、人物自体の面白さも加味されるのに。

アンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』(創元推理文庫)

 ロンドンはテムズ川沿いの閑静な高級住宅地リヴァービュー・クロースで、金融業界のやり手がクロスボウの矢を喉に突き立てられて殺された。紋と塀で外部と隔てられた、昔の英国の村を思わせる敷地のなかで6軒の家の住人たちが穏やかに暮らす――この理想的な環境を、新参者の被害者は騒音やプール建設計画などで乱していた。我慢を重ねてきた住人全員が同じ動機を持っているこの難事件に、警察から招聘された探偵ホーソーンは……。あらゆる期待を超えつづける〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ第5弾!(粗筋紹介より引用)
 2024年4月、イギリスで発表。〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ第5作。2024年9月、邦訳刊行。

 まさか出版されてから数か月で邦訳が出るとは思わなかった。ただ前作『ナイフをひねれば』が期待ほどではなかった分、本作がどうなるかとても心配だったが、杞憂であった。
 第一部を読み始めると、まさかの三人称視点。過去四作がホロヴィッツの一人称視点だったため、そこにびっくり。しかもコージー・ミステリのような舞台で、舞台設定と登場人物の説明、そして小さな社会における異分子に対する不満が延々と語られる。作中でホーソーンが愚痴るように、「読者もさすがにうんざり」してしまう退屈さだ。とにかく第二部が始まるまでは我慢して読むこと。そこから面白くなる。
 第二部でホロヴィッツの一人称視点によるホーソーンとホロヴィッツのやり取りが始まり、2019年現在より5年前、2014年の事件が舞台だということがわかる。この頃のホーソーンは、ジョン・ダドリーを助手としていた。初めて出てくる人物に興味津々のホロヴィッツ。一方ホーソーンはこの作品を小説化することに躊躇するようになっていく。
 ということで、事件と現在が交互に語られていく。作者の執筆状況と並行するので、作中作が入ったメタミステリのような奇妙な感覚に捉われた。ホーソーンの過去がわかるかもしれないと、事件の5年後にいるホロヴィッツは登場人物たちのその後を追うのだ。
 事件自体はそれほど面白いものではない。特に二番目のガレージでの密室は、つまらないと切り捨ててもいいものだ。とにかく本作の面白さは、過去と現在が交差するところ。シリーズ全体の謎であるホーソーンの正体と目的が横軸であり、ホーソーンが遭遇した事件の謎を解くのが縦軸。解説の古山裕樹も同様のことを書いているが、シリーズ全体の謎がここまで事件と絡み合うのは本作が初めてだ。それが本作に深みを与えてくれる。事件自体のフーダニットはそれほど面白くないが、登場人物をめぐる謎が抜群に巧い。そして、ホーソーンの過去が少しずつ明らかになるにつれ、謎が深まっていくというのはシリーズのお約束とはいえさすがだ。それにしても、なぜホーソーンはこの事件の資料をホロヴィッツに渡したのか。本作最大の謎は語られなかったな
 個人的に横軸の真実は、ツンデレ・ホーソーンとストーカー・ホロヴィッツの鬼ごっこという気がしなくもないけれどね。そして縦軸は、作者であるホロヴィッツ自身が面白いと思っている本格ミステリの舞台を毎回移殖しているのだと思う。作中で『斜め屋敷の殺人』や『本陣殺人事件』にも言及されているので、いつか日本屋敷を舞台にしたミステリを書いてくれると信じている。
 この作品単独で読んだ場合は、今一つだと思う。ただ、シリーズの折り返し地点として読むと、非常に面白い秀作。さすがホロヴィッツと言っていいだろう。次作がまた楽しみになってきた。

平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』(光文社文庫)

 函館で有名な岩倉家の美人三姉妹。その三女が行方不明になった。海岸で見つかった遺留品のそばに落ちていたのは、血糊のついた鷹のブロンズ像。凶器と思われたこの置き物は、姉妹の家に飾られていた物だったのだが……。
 手がかりが得られないまま事件は新たな展開を見せ、捜査は更に行き詰まってしまう。
 驚愕の結末を迎える、本格ミステリの傑作!(粗筋紹介より引用)
 2019年10月、光文社より単行本刊行。2022年10月、光文社文庫化。

 フランス人の少年、ジャン・ピエール・プラットを探偵役とした函館物語シリーズの第1作。
 帯で有栖川有栖が「〈本歌取りミステリ〉の精華と言いたい」と書いている。芭蕉の句に見立てた連続殺人、殺されるのは函館の名家である岩倉家の美人三姉妹とある通り、横溝正史『獄門島』を基にして、函館に舞台を置き換えた作品である。ただ事件に挑むのが言い方は悪いが平凡な地元警察ということもあり、犯人に翻弄されるばかり。金田一耕助みたいな名探偵(だけど被害者は増えていく)が最初から出てくるわけではなく、最後に事件を解くのは、岩倉家の後妻の連れ子の友人であるフランス人の少年、ジャン・ピエール・プラットである。
 事件や背景の説明が非常に丁寧。その分、密度が非常に濃く、読むのに時間がかかる。会話の部分とか、もう少し簡単にできたんじゃないかという気もする。そして何より、古臭い。警察が物的証拠を見逃すなど無能すぎるのもどうかと思うが、なにより犯人の動機が古く、現代の視点で見ると説得力に欠ける。それと、これはネタバレになるかもしれないが、もう少しタイトルのつけ方は考えた方がよかったのではないだろうか。
 まあ、推理の組み立てなどは丁寧に書かれているので、謎とトリックと推理さえあればいい、という人には喜ばれるかもしれない。
 本歌取りをするのなら、もう少しうまくやってほしいところ。それに、「名探偵」が欲しかったね。

白井智之『ぼくは化け物きみは怪物』(光文社)

 クラスメイト襲撃事件を捜査する小学校の名探偵。
 滅亡に瀕した人類に命運を託された〝怪物”。
 郭町(くるわまち)の連続毒殺事件に巻き込まれた遊女。
 異星生物のバラバラ死体を掘り起こした三人組。
 見世物小屋(フリークショー)の怪事件を予言した〝天使の子”。
 白井ワールド炸裂!! 心をかき乱す五つの本格明ステリ!(帯より引用)
 『ジャーロ』他に2022~2024年掲載作品に書き下ろしを加え、2024年8月刊行。

 去年の冬休み、小学五年生のリョータは名探偵になることを決めた。冬休み開け、コハダの遠足代が盗まれた。リョータは犯人を指摘するも、クラスメイトの二学期の初めに転校してきたショーンは、その推理が間違いで、別の人物が犯人と指摘する。「最初の事件」。
 宇宙から来た侵略者たちは、地球を16のエリアに分け、それぞれのエリアから64体の人類をサンプルとして収集。侵略者の船、パンパイプで32日間生活する中で知能計測を行い、基準を下回った場合はエリアの人類を滅ぼしてしまう。エリア9、アフリカ南部のサンプルに元警察官の水田時世と一緒に潜り込んだのは、時世と因縁の深い元死刑囚の津野貴美子であった。「大きな手の悪魔」。
 湊会のならず者である𣑥象(たくぞう)は罠にはまって別人を殺してしまい、着の身着の儘で最悪最低の色街、黒塚へ逃げ込む。最後くらい女を抱きたいと願い、尋常小学校の同級生で妓楼を経営しているすけ坊のところへ行くと、納戸で転がっている墜落死したばかりの七竈をあてがわれた。それでも無理矢理挿れると、七竈が生き返った。逆にびっくりした𣑥象が死んでしまった。ところが幽霊となって現れた𣑥象は、自分は毒殺されたので犯人を探してほしいと七竈に頼む。「奈々子の中で死んだ男」。
 異世界から来た三人は、かつてこの島に住んでいた異星生物、モーティリアンの化石を捜しに来た。機械で掘り起こすと、一体の化石を発見する。ただし、深さ8mのところに左手首だけ、そして16mのところに左前腕、そして18mのところに全身の化石が現れた。なぜ深さの違うところから発見されたのか。「モーティリアンの手首」。
 ウッドブリッジ・コミュニティ教会の孤児院から逃げ出し、奇異な外見を見世物にするフリークショーへ入りたいとやってきたのは、ホリーとウォルターの姉弟。ホリーは“天使の子”で、未来を予言することができた。しかしホリーは死んでしまい、ウォルターはフリークショーで働き始める。それから二年後、フリークショーで密室殺人事件が起きる。そしてホリーは二年前、犯人を予告する手紙を封筒に残していた。「天使と怪物」。

 特殊設定本格ミステリの異才、白井智之の短編集。最初の作品が「最初の事件」とあるから連作短編集かと思ったら、特につながりはない、独立した短編集であった。
 短編で使われているトリック自体は、それほど目新しいものではない。ただ特殊設定を生かした舞台作りのおかげで、新しく見えるのだと気付かされた。そういう意味では、新しい物語を生み出す力が物凄いということになるのだが、特殊設定自体があまりにも突飛すぎて、白井自身の実力がミステリマニアの外側に伝わっていないのは残念である。
 今回は短編ということもあり、特殊設定が比較的おとなしめ(あくまで白井作品としては、である)。白井作品が苦手という人にもお薦め……あまりできないかな(苦笑)。5編続けて読むと、表現は悪いがげっぷが出てくる。好きな人にはたまらない、強炭酸の世界である。
 個人的に一番好きなのは「奈々子の中で死んだ男」。舞台こそ色街だが、証言を聞いて論理的に犯人を追い詰めていくロジックを満喫することができる。
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