エヴァ・ドーラン『終着点』(創元推理文庫)

 ロンドンの集合住宅に住む女性モリーのもとへ、娘のように親しくするエラから電話がかかってくる。駆けつけると、エラのそばには死体が転がっていた。見知らぬ男に襲われ、身を守るために殺してしまったのだという。警察の介入を望まず、死体を隠すふたり。しかしその後、モリーは複数の矛盾点からエラの「正当防衛」に疑問を抱く……冒頭で事件が描かれたのち、過去へ遡る章と未来へ進む章が交互に置かれ、物語はたくらみに満ちた「始まり」と、すべてが暴かれる「終わり」に向けて疾走する。英国ミステリ界の俊英が放つ、衝撃と慟哭の傑作。(粗筋紹介より引用)
 2018年、イギリスで刊行。2024年8月、邦訳刊行。

 エヴァ・ドーランはエセックスの生まれ。コピーライターやポーカーのプレイヤーとしても活躍。2014年に"Long Way Home"でデビュー。以後、ジギッチ主任警部とフェレイラ巡査部長の男女コンビによる警察小説をシリーズ化し、計6冊執筆。本書は現時点で、唯一のノンシリーズ。
 テムズ川河畔に建つ築六十年の五階建て集合住宅〈キャッスル・ライズ〉は取り壊しが決まっていたが、数世帯がまだ立ち退きに抵抗していた。2018年3月6日、反対運動のパーティー中、女性活動家のエラは見知らぬ男に襲われ、正当防衛で殺害してしまった。エラが母親のように慕う集合住宅住人で活動家のモリーはエラの助けに応じ、死体を隠してしまう。
 この「それはこうして始まる」からエラの章は過去に遡り、モリーの章は未来へ進んでいく。モリーは本当に事故だったのかを疑い、エラは過去に何があったが少しずつ明らかになるとともに、モリーの疑問の答えも少しずつ明らかになっていく。そして「それはこうして終わる」で現在と過去が重なる。
 現在と過去が最後の方で集約される作品はそれなりに浮かぶのだが、過去が遡っていくというのは珍しい。真実を少しずつ明かしながらも遡るという書き方は、作家の側からしたら結構大変であろう。ただ読む方からしたら、少々まどろっこしいことは事実。
 それに、この構成を生かし切ったストーリーだったかというと、これも疑問。悪くはないのだが、そんなに“衝撃”はなかった。なぜかと言うと、「終わり」までが長すぎる。途中でダレてしまった。こういう構成の作品は、もっと短く、スパッと切ってほしい。アクションが少ないと、読み続けるのが大変である。
 ということで、もうちょっと盛り上がるかと思って読んでいたのだが、自分の中では今一つ。なぜか、作者にお疲れさまでした、と言いたくなるような作品ではあった。

ベンジャミン・スティーヴンソン『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ハーパーBOOKS)

 ぼくたちカニンガム家は曰くつきの一族だ。35年前に父が警官を殺したあの日以来、世間からは白い目で見られている。そんな家族が3年ぶりに雪山のロッジに集まることになったのだから、何も起こらないはずがない─その予感は当たり、ぼくらがロッジに到着した翌日、見知らぬ男の死体が雪山で発見された。家族9人、それぞれが何かを隠し、怪しい動きを見せるなか、やがて第2の殺人が起こり……。(粗筋紹介より引用)
 2022年、オーストラリアで刊行。2024年7月、邦訳刊行。

 オーストラリアの作者の長編三作目。コメディアンとしても有名とのことだ。
 冒頭からディテククション・クラブの会員宣誓やロナルド・ノックスの探偵十戒が出てくる。まあ、さすがに十戒の5項目(○○人の話)は削除されているが。プロローグで語り始めるのは、「ミステリの書き方を教えるハウトゥ本を執筆する作家」である作者のアーネスト(アーニー)・カニンガム。いきなり「ぼくの家族は全員誰かを殺したことがある」と語り出すのだ。おいおいと思ったら、「近頃のミステリー小説には、この自明の理を忘れ、事実より隠し玉や切り札に重きを置くものが多い」と嘆く。だからノックスの十戒を載せ、「謎解きは公平にやれ」と訴えかける。自らは探偵とワトソンの両方の役割を担うわけだから、全ての手がかりを読者に明かし、自分の推理や思考も明かすと宣言する。なんだこりゃ、と思いつつ、物語を読むことにした。
 「兄」「義妹」「妻」「父」などと登場人物の属性を章タイトルにし、ところどころで読者に語りかけたり念押ししたりするので、海外でもこんなメタな書き手がいるのか、と頭を抱えそうになってしまった。特に章を設けながら、何も語りたくない、はないだろう。しつこいぐらい、自分がフェアな語り手だと訴えるのを見ると、ここまで念押ししなければすぐに作者が疑われるのか、と悲しくなってしまった(あ、自分だ、すぐに疑うのは)。
 ところが雪山に家族が3年ぶりに集まった状況下における連続殺人の謎が深まっていくうちに、意外と真っ当な本格ミステリであったことに驚いた。全ての手がかりは明示され、探偵は自らの推理の過程を丁寧に、ご丁寧なぐらい読者へ示す。自分は世の探偵よりは賢くないと嘆きつつも、最後はみんなを集めての謎解きと犯人指名。これは面白い。コメディアンの作者ならではのユーモアを散りばめつつ、余計なトリックを使うことなく、あくまでフェアプレイに徹した本格ミステリ。特に、散りばめられた伏線の回収がうまい。メタな要素は目くらましよりもフェアな部分を強調するのが主目的であり、正直しつこいのだが、まあ天丼だと思うことにしよう。
 本格ミステリとしても十分楽しめるし、作者のユーモアも楽しめる。本格ミステリに対するこだわりのメタ要素も、ユーモアだと思えば結構じわじわ来るものだ。訳文のおかげかも知れないが、文章も実に読み易い。聞いたことがない作者だったのであまり期待していなかったが、予想外の広い物であった。

陸秋槎『喪服の似合う少女』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 1934年、中華民国。女性私立探偵・(りゅう)雅弦(がげん)は、(かつ)令儀(れいぎ)という女学生から行方不明の友人・(しん)樹萱(じゅけん)を探し出してほしいという依頼を受ける。樹萱の父親が借金を抱えたまま消えたことを突き止めた雅弦は、調査中に謎の男に襲われてしまう。刺客を仕向けたのは、令儀の伯父で地元の大物である葛天錫(てんしゃく)だった。天錫はなぜ雅弦を妨害するのか。そして、令儀による依頼の真の目的とは。友情、恋慕、哀憫。錯綜する人間関係の中で、雅弦は耐え難い悲劇を目の当たりにする。ロス・マクドナルドに捧げる、華文ハードボイルドの傑作。(粗筋紹介より引用)
 2023年、中国で刊行。2024年8月、邦訳刊行。

 陸秋槎(りく・しゅうさ/ルー・チウチャー)の『元年春之祭』が面白かったので、新刊を手に取ってみることにした。本作は、ロス・マクドナルド『ギャルトン事件』にインスピレーションを受けて書いたと作者はあとがきで述べている。劉雅弦という名前もリュウ・アーチャーから来ているが、P・D・ジェイムズ、スー・グラフトン、サラ・パレツキー、若竹七海の影響を強く受け、さらに北村薫「ベッキーさん」シリーズも参考にしたとのことである。時代設定が中華民国であるのは、中華人民共和国には私立探偵という存在が禁止されているからとのことである。
 舞台が1934年の中華民国。主人公は女性私立探偵、主要登場人物の多くも女性。まさか中国でこんな設定のハードボイルドが成立するのか大いに疑問だったが、まだ中華人民共和国になる前だからギリギリ可能だったか。舞台となった「省城」はほぼ架空の場所ということ。それにしても、作品を成立させるために色々と苦労しているのはあとがきから伺えるのだが、作品そのものにその痕が見えないことには感心した。
 調査対象者や依頼人の家族の問題に立ち入っていく展開は、いかにもロスマク風。中国という舞台ならではの文化(漢詩を持ち出すところはさすが)や社会、特に中国で共産主義が台頭していく時代性を切り取りながら、ミステリに仕立てていく展開はお見事と言っていい。
 ちょっと残念なのは、劉雅弦の調査がトントン拍子過ぎるところ。「同業者と比べると数少ない優位」が結構あるじゃないか、と言いたくなる。葛令儀らが通っている聖徳蘭女学校への出入りが自由なこと、連れ込み宿の経営者である馮姨と知り合いなこと、新聞記者であるキャロル・ホワイトとニューヨーク時代から知り合いであること。ここまで都合のいいところに知り合いが配置されていて、ドンピシャな情報が入手できるというのは、調査の苦労が少なく面白みに欠ける。しかも序中盤のテンポに比べ、終盤の展開がもたついているのはどうにかならなかっただろうか。せっかくのドンデン返しが生かし切れていない。力作なのに、惜しい。
 離婚歴、ニューヨーク在住経験といったキャリアを持つ劉雅弦が主人公なのに、過去があまり語られなかったというのは、この女性探偵を使った続編を考えているのだろうか。本作はキャラクターをできるかぎり控え、ハードボイルドに徹した読み応えのある作品に仕上がっているが、ロスマク風ではない彼女の活躍及んでみたいところだ。女性私立探偵が中国の激動に巻き込まれるというミステリも読んでみたいものである。

横溝正史『死仮面〔オリジナル版〕』(春陽文庫)

 「八つ墓村」事件を解決した金田一耕助は、岡山県警の磯川警部から駅前のマーケットで起きた奇妙な事件の話を聞く。殺人容疑者の女が腐乱死体で発見され、現場には石膏のデス・マスクが残されていたというのだ。やがて舞台を東京に移した「死仮面」事件の謎に、金田一耕助が挑む! 初文庫化短篇「黄金の花びら」併録。さらに著者直筆の訂正が入った草稿を写真版で特別収録した決定版!(粗筋紹介より引用)
 『物語』(中部日本新聞社)1949年5月号~12月号連載。2024年9月刊行。

 『死仮面』は金田一耕助物の長編(ちょっと短めだが)であるが、生前は単行本化されていなかった作品。「探偵作家クラブ会報」昭和24年7月号の消息欄に連載開始の旨を書いていることから、存在だけは知られていた。横溝ブームのさなか、中島河太郎が方々を探し求めた結果、国会図書館で掲載誌を発見。しかし第四回が掲載された8月号が欠号となっていたため、中日新聞1981年10月5日で掲載誌を探し求める記事を出すも反応はなかった。
 作品発掘時、横溝は『悪霊島』の稿を練っていたが、合間を縫って全面的に改稿する予定であった。しかし『悪霊島』完結後は療養することになったため、中島河太郎が第五回の冒頭のあらすじから第四回の内容を推測して補筆。出版直前に横溝が亡くなったため、追悼出版という形になってしまった。その後、横溝正史研究家の浜田知明が8月号を発見し、差し替えた形で春陽文庫から出版された。ただ、不適切とされる言葉を削除、改変していた。本書は初出のテキストとの照合を行い、可能な限り連載時の表記に近づけて出版された。比較すると、以下となる。
 カドカワノベルズ版:1982年1月刊行。第4回中島補筆(「妖婆の悲憤」「校長の惨死」)。一部誤植・脱落有。併録「上海氏の蒐集品」。
 角川文庫版:1984年7月刊行。ノベルズ版の文庫化。中島河太郎の解説有。1996年5月刊行の第15版にて最小限の修正有。
 春陽文庫版:1998年1月刊行。第4回横溝初出(「妖婆」「灯の洩れる窓」)。現代では不適切とされる言葉を削除・改変。併録「鴉」。
 春陽文庫〔オリジナル版〕:2024年9月刊行。第4回横溝初出(「妖婆」「灯の洩れる窓」)。可能な限り連載時そのまま。併録「黄金の花びら」。「草稿」掲載。山口直孝、日下三蔵解説有。

 不思議な告白書の後に、金田一耕助と磯川警部が登場。『八つ墓村』事件の帰り道という設定だが、雑誌上ではほぼ同時期に連載されていた。謎のデス・マスクの話が出てくるも、舞台は東京へ移ってしまう。折角だからそのまま岡山でもよかったのに……と磯川警部が好きな私は勝手なことを書く。
 銀座裏にある三角ビルの最上階にある金田一の探偵事務所に上野里枝が依頼に来てから、舞台は東京・川島女子学園へ移る。ここからの展開は、もう少し描き込みが欲しかったところ。デス・マスクが送られるという設定が今一つ生かし切れていない。1949年という執筆の時期を考えると、執筆数が多くてそこまで手が回らなかったのかもしれない。東京が舞台なのに等々力警部が出てこないというのも、冒頭で磯川警部が出てくるから、あえて登場させてなかったのだろうか。
 作者が全面改稿を予定しており、次女の野本瑠美氏に掲載誌から筆写させた草稿に加筆修正を加えたものが残されている。本書ではその草稿、原稿用紙25枚分が写真版で収録されている。
 また、「死仮面された女」というタイトルの生原稿が残されており、冒頭はほぼ同じだが探偵役は由利麟太郎になっており、こちらは『横溝正史少年小説コレクション3 夜光怪人』(柏書房)に付録として掲載されている。
 数奇な運命をたどった作品であるが、もし改稿されていればどんな作品に仕上がっただろうか。非常に興味深い。

 それにしても、横溝の原稿が見つかっているのに、角川文庫版はまだ中島版のままなんだね。中島河太郎も不本意だと思うのだが。それに、春陽文庫旧版がオリジナルであることを気づかない人が多く、古書価格があがっていたというのも意外だった。そういう方面に疎いもので……。
 ちなみに本書を購入した動機は、装丁が変わっていたから。久しぶりに出版された春陽文庫の横溝正史作品だし、この後も懐かしいミステリを出版してくれるとのことだったので、中身も確認しないままほぼご祝儀みたいな購入だったが、色々な情報が満載だったので、買ってよかったです。昔読んだ作品とはいえ、久しぶりにジュヴナイル以外の金田一耕助を読めて楽しかった。

東野圭吾『架空犯』(幻冬舎)

 高級住宅地のど真ん中にある二階建ての家の内部が全焼。焼け跡から都議会議員の藤堂康幸と、妻で元女優の江利子の遺体が見つかった。康幸はひもで首を絞められた窒息死。そして江利子は風呂場で首を吊った状態で見つかったが、別の索状痕があり、無理心中に見せかけたことは明らかだった。特捜本部に加わった警視庁捜査一課の五代努巡査部長は、所轄・生活安全課の山尾陽介警部補とペアを組んで捜査に当たる。二人を恨んでいるものはおらず、捜査は難航。そこへ犯人と名乗るものから、藤堂夫妻の非人道的行為を示す証拠品を三億円で買い取れという脅迫状が議員事務所に届く。この要求を無視すると、今度は夫妻の一人娘である榎並香織のスマートフォンに、康幸のタブレットから、香織のお腹の子供の写真とともに三千万円を要求するメールが届く。香織と夫で総合病院副院長の榎並健人は、指定の口座に金を振り込んだ。五代は捜査を進めるうえで、ある人物に疑惑を抱くようになる。
 『小説幻冬』2023年3、10月号、2024年1、4-9月号掲載。加筆修正、書き下ろしを加え、2024年11月刊行。

 主人公の五代は『白鳥とコウモリ』にも出ているらしいのだが、そちらは読んでいないのでわからない。清州橋事件で大きな働きをした、と作中であるからそれかも知れない。
 五代視点で話は進み、捜査の方も五代が多くの情報を掴んでくる。他の刑事はいったい何をやっているんだ、という気にはなるが、「五代は切れる」と所轄の刑事ですら知っているようだから、あえてこういう構成にしているのだろう。しかし他にメインで出てくるのは、五代の直属の上司である筒井警部補と、班長の桜井くらい。これで捜査の進捗状況のほとんどがわかってしまうのだから、東野圭吾の描き方はさすがである。
 仲の良い夫婦が殺され、その原因が主要人物の高校時代にまで遡るというのが本書の主眼。少し読み進めると、疑わしい人物が出てきたり、疑わしい出来事が見えてきたりする。ああ、多分こう進むのだろう、と読者が予想しやすい展開だ。そこを半歩先、半歩ずれた目標へ設定しているのが、東野圭吾は実に巧い。だからそこに驚きが生じ、感情が揺さぶられる。
 なんなんだろうなあ、このタクトの振り方の絶妙な幅広さは。一つ間違えればお涙頂戴の陳腐な物語になりそうな題材を、読み応えのあるミステリに仕立て上げてしまうのだから、やっぱりすごい作家なんだと思ってしまう。ちょっと地味かもしれないが、かえって作家としての実力を存分に見せつけた結果になっている。この面白さ、脱帽しました。

小路幸也『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』(講談社文庫)

 みんなの顔が〈のっぺらぼう〉に見える――。息子がそう言ったとき、僕は20年前に姿を消した兄に連絡を取った。家族みんなで暮らした懐かしいパルプ町。桜咲く〈サクラバ〉や六角交番、タンカス山など、あの町で起こった不思議な事件の真相を兄が語り始める。懐かしさがこみ上げるメフィスト賞受賞作!(粗筋紹介より引用)
 2002年、第29回メフィスト賞受賞。2003年4月、講談社より単行本刊行。2007年5月、講談社文庫化。

 「東京バンドワゴン」シリーズで名を馳せた作者のデビュー作。作者が生まれ育った旭川市パルプ町が舞台。
 ミステリなんだか、ファンタジーなんだか、ジャンルを定義するのが難しい。確かにあの頃の風景を描いて懐かしさが込み上げてくるのだが、「のっぺらぼう」が存在する設定と、殺人事件などがなじまない。無理に人が死ぬ設定を出さなくてもよかったと思う。メフィスト賞を意識しすぎたかな。
 作者が書きたかったノスタルジーで押し切った方がよかったと思う。人がいなくなる話が妙に生々しく、それでいて作品に溶け込んでいない。水と油の様に分離されてしまうものを、無理矢理混ぜ込んでしまった感がある。中途半端な仕上がりが、何とももどかしい。

逸木裕『彼女が探偵でなければ』(KADOKAWA)

 高校時代に探偵の真似事をして以来、森田みどりは人の〈本性〉を暴くことに執着して生きてきた。気づけば二児の母となり、探偵社では部下を育てる立場に。時計職人の父を亡くした少年(「時の子」)、千里眼を持つという少年(「縞馬のコード」)、父を殺す計画をノートに綴る少年(「陸橋の向こう側」)。〈子どもたち〉をめぐる謎にのめり込むうちに彼女は、真実に囚われて人を傷つけてきた自らの探偵人生と向き合っていく。謎解きが生んだ犠牲に光は差すのか――――。痛切で美しい全5編。(帯より引用)
 『小説 野性時代』掲載作品に加筆修正のうえ、書き下ろし3編を加え、2024年9月、単行本刊行。

 森田みどりは腕時計の修理の依頼に、上諏訪にある九条時計店へ行った。しかし時計師である計介は病気で2か月前に亡くなり、今は息子で瞬が一人で住んでいた。応対中に生じた停電で動けなくなった瞬は、原因となった三年前のある出来事を話す。工房の庭にある小さな防空壕に二人でいた時、地滑りで閉じ込められた。落ち着いていた計介が近所のおばあさんが通りかかった際に声をかけたことで、二人は助けられた。しかし時計を持っていない防空壕の中で、なぜおばあさんが通りかかるのがわかったのか。「時の子 ―― 2022年 夏」。
 サカキ・エージェンシー女性探偵課の課長である森田みどりの部下、鮎原史歩と一ノ瀬岬が言い争いをしていた。二人が女性の失踪人を調査中、千里眼の持ち主だと自称する高校生ぐらいの男の子が、探し人はあのホテルにいると告げる。すると本当にそのホテルに居た。失踪人は当然そんな男の子は知らないと話す。興味を持ったみどりは、二人が渡された名刺のQRコード先のサイトにあった待ち合わせ場所に向かい、千里眼・兎戌四郎に会う。「縞馬のコード ―― 2022年 秋」。
 帰り道の途中にある商業施設のイートインスペースで、森田みどりは残務を片付けていた。すると中学一年生くらいの男の子が、一心不乱に何かをノートに書いていた。興味を持ったみどりは、男の子が席を立った瞬間に覗き見ると、そこには「父を殺す」と書かれていた。気になって少年の後を尾けると、ある一軒家に入っていった。そこの表札には、西雅人とあった。四年前、別居中の妻・咲枝に息子・颯真を連れ去られたので、裁判で取り戻せるように素行調査してほしいと依頼してきた。ところが調査の結果は何もなく、しかも二人の仲は良好であったと報告すると事務所で大暴れし、放り出されていたのだ。それがなぜ、二人は一緒に住んでいるのか。「陸橋の向こう側 ―― 2022年 冬」。
 横浜支局に異動するなら探偵事務所を退職すると訴える須見要を森田みどりが説得していたところ、依頼人がやってくる。足立区に住む在日クルド人のアザド・タシは3日前、経営しているトルコ料理店のシャッターに赤く✕とスプレーで描かれた。警察に届けるも無視されたので、調査してほしいと依頼する。足立区では、在日クルド人と地域の人たちとの間でトラブルになっていた。調査を始めると、他にも✕を描かれた家が数件あった。要が調べていくうちに、父がクルド人、母が日本人の高校二年生・ロハットと仲良くなり、クルド人たちと交流するようになる。「太陽は引き裂かれて ―― 2024年 春」。
 夫・司の提案で、みどりは司、長男・(おさむ)、次男・(のぞみ)と父・榊原誠一郎の5人で、誠一郎の出身地である茨城県吾代町へ向かった。吾代町は陶芸・漆芸が盛んで当日は「吾代フェス」が開かれていてホテルが取れず、誠一郎の幼馴染・唐沢範子が営むやきものカフェに泊めてもらうことになっていた。カフェで幼馴染たちと交流を深める誠一郎。一方みどりは、範子が母親で陶芸家の唐沢芙美子と不仲だったと聞き、不審に思う。そんなとき、理が一人で森へ入ったかもしれないと電話が入った。「探偵の子 ―― 2024年 夏」。

 『少女は夜を綴らない』に続く探偵・森田みどりシリーズ。二十代の頃は無茶な調査をすると煙たがられる存在だったが、父でサカキ・エージェンシーの社長である誠一郎から〈女性探偵課〉の初代課長を任命され、あれよあれよと繁昌してしまった。夫の司は化粧品会社で働くマーケッターだったが、2020年にフリーランスになり、リモートワークをしている。長男・理は本の虫で「探偵の子 ―― 2024年 夏」では8歳の活字中毒。次男・理は活発で外では目が離せない。みどりと司が結婚したのは2013~15年あたりだろうか。その時代のエピソードはまだ書かれていないので、どういう経緯があったのかは不明である。
 買う気になったのは、帯にあった「第75回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞シリーズ」という言葉。最初見たときは、どういう意味だこれは、と目を疑ってしまった。中を開いてみると受賞作である「スケーターズ・ワルツ」に連なるシリーズだからこういう書き方をしていることがわかった。それで興味を持ったため、前作とまとめて購入。
 前作と比べると母親になっている分、あからさまに人の裏側を調べようとするのは減ってきているが、それでも根本的なところは変わっていない。本作品ではいずれも男の子を捜査のきっかけとしており、いずれも残酷な現実をたたきつける。そんな自分の性格について悩むようになったのが、シリーズの新しい一面だろう。特に自分との子供に悩むところが、意外といえば意外な気もする。今後のシリーズでは、成長した二人の子供との接触が大きなテーマとなるのだろう。ただ、4、5年ぐらい先になりそうだが。先に結婚の話を描くのかな。恋愛には向いていないと思われる女性が、どのように男性と付き合うようになったのか。作者の筆で見せてほしい。
個々の作品で見ると、心理面に深く突っ込むようになった分、謎解きとしての味わいが逆に薄くなった気がする。どの作品も”意外な真相”は用意されているんだけれどね。物事にある表と裏をうまく使っているとは思うのだが、ミステリとしてはちょっと物足りない。『少女は夜を綴らない』収録の「スケーターズ・ワルツ」のような傑作が、本短編集にないのが残念だ。「太陽は引き裂かれて」は川口市のクルド人問題をモチーフとしているだろうが、このシリーズではあまり読みたくなかったかな。みどりという人物への焦点が薄れてしまっている。どれか一つを選ぶとしたならば「時の子」か。色々な意味でこの父親、よく子供を作ったな。人の心理とはやはり不思議だ。
 さて、次の短編集はあるのだろうか。作者に聞いてみたい。

ローレンス・ブロック『エイレングラフ弁護士の事件簿』(文春文庫)

 ミステリ史上最高で最凶、絶対負けない弁護士エレイングラフ。法外な報酬でどんな被告人も必ず無罪にしてみせる。そう、たとえ真犯人でも……。エラリイ・クイーンが太鼓判を押した第1作から、38年二わたってじっくり書き継がれた12編を全収録。黒い笑いとキレキレの逆転が絶妙にブレンドされた珠玉の短編集。(粗筋紹介より引用)。
 1994年、8篇をまとめた豪華限定本を刊行。2014年、新たに書かれた4編を追加して刊行。2024年9月、文春文庫より邦訳刊行。豪華限定本に刑されたエドワード・D・ホックの序文も、あとがきに掲載されている。

 元婚約者を殺害して逮捕された息子の無罪を勝ち取ってほしいと依頼する母親。「エイレングラフの弁護」(1976年)。
 妻殺しで逮捕された男は、エレイングラフに弁護を依頼する。しかし男は言う。「わたしが妻を殺した」と。「エレイングラフの推定」(1978年)。
 五万ドル借りていた高利貸しを射殺した起訴された男の弁護を請け負ったエレイングラフは、ウィリアム・ブレイク『天国と地獄の結婚』の一節、「切られた虫は鋤を許す」という言葉の意味を考えておくようにと告げた。「エレイングラフの経験」(1978年)。
 酒を飲んで口論となった妻を殺した男の弁護を請け負ったエレイングラフ。いつもと違うのは、被告人が生活困窮者であること。「エレイングラフの選任」(1978年)。
 依頼人は、自分が殺人の罪に問われたら弁護を頼みたいと告げた。殺されるかもしれないのは、車椅子に乗っている男だった。「エレイングラフの反撃」(1978年)。
 元同棲相手を殺害したとして起訴された若い男の弁護を、無報酬で引き受けるエレイングラフ。若い男は貧乏詩人だった。「エレイングラフの義務」(1979年)。
 結婚を迫っていたプレイボーイを銃殺したとして逮捕された46歳の裕福な女性。しかも目撃者がいた。「エレイングラフの代案」(1982年)。
 妻を毒殺したと疑われている会社社長が、エレイングラフの事務所を訪れた。社長には若い愛人がおり、子供もできていた。「エレイングラフの毒薬」(1984年)。
 財産のために母親を殺したとして逮捕された若者男性に、エレイングラフは自分が善人であることをノートに書き続けるようアドバイスする。「エレイングラフの肯定」(1997年)。
 アメフトのプロ選手である男は、妻を殺した容疑で起訴された。しかも過去に二度、恋人と妻を殺した容疑で起訴されるも、いずれも無罪判決が出ていた。「エレイングラフの反転」(2002年)。
 エレイングラフはいつもと逆に、依頼主の豪邸を訪ねていた。依頼主は自警団の男を殺害したが、正当防衛を主張していた。別の犯人が捕まったが、依頼主は報酬を1/10しか払わなかった。「エレイングラフの決着」(2012年)。
 若い女性は一家三人を射殺したとして逮捕された。女性は拳銃を持っていたことは覚えているも、撃った記憶がないという。「エレイングラフと悪魔の舞踏」(2014年)。

 弁護料は法外だが、有罪になったら一銭も支払う必要はなし。そして依頼人は必ず無罪になる。いや、裁判にすらならず、釈放される。小柄な弁護士、マーティン・エレイングラフの活躍12編をまとめた短編集。一、二編を読んだ記憶があるが、内容はほとんど覚えていない。
 第1作「エイレングラフの弁護」を読んだ時は震えた。これは傑作だと。そしてあまりにも恐ろしくて。ブラックユーモアの神髄ともいえるような作品だった。問題は、似たような傾向の作品ばかりであること。多分雑誌で読む分には面白いのだろう。ところが短編集としてまとめて読んでしまうと、さすがに飽きが来てしまう。名手ブロックでも、ワンパターンからは逃れられなかったのか。もちろん達者だし、一つ一つ違いを出そうと工夫はしているので、十分に読めるのだが。
 どちらかと言えば金や身の回りに執着していたエレイングラフが、最後の方で女性に興味を持つようになるというのは、マンネリを防ぐためだったとは思うが、肩透かしにあった気分。超越した存在が、俗っぽくなったというか。
 名手による匠の技を十分に味わうことができる短編集。だいたい、法廷シーンのない弁護士ものというだけで大したものだ。ただ、できれば間を置きながら、一編ずつ読んだ方がよい気がする。それと、藤子不二雄Ⓐのブラックユーモア物が好きな人にはお薦めします。

逸木裕『五つの季節に探偵は』(角川文庫)

 探偵の父を持つ高校2年生のみどりは、同級生から頼まれて先生を尾行し始める。爽やかな教師が隠していた“本性”を垣間見たみどりは、人間の裏側を暴く興奮にのめり込んでいく(「イミテーション・ガールズ」)。誰を傷つけることになっても謎を解かずにはいられない探偵・みどりが迫る、5つの嘘と真実。第75回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞作「スケーターズ・ワルツ」を含む、珠玉のミステリ連作短編集。
 『小説 野性時代』掲載。2022年1月、KADOKAWAより単行本刊行。加筆修正の上、2024年8月、文庫化。

 探偵事務所サカキ・エージェンシーを経営する父を持つ高校二年生の榊原みどりは、クラスメートの本岡怜が学年のボスである松岡好美に虐められているのを助けたことが縁で、担任である英語の清田先生の弱みを握ってほしいと頼まれる。尾行していたら、ラブホテルに入っていった清田。その後、同じラブホテルに入っていったのは好美だった。「イミテーション・ガールズ ―― 2002年 春」。
 京都大学文学部に通うみどりは、東京出資で薬学部に通う友人の松浦保奈美から相談を受ける。通っている香道教室で見せていた龍涎香を盗まれた。保奈美は、犯人が元調香師である君島君乃先生と疑い、探ってほしいと依頼する。「龍の残り香 ―― 2007年 夏」。
 1年半前に大学を卒業してサカキ・エージェンシーに入社したみどりはこの三か月、埼玉県警を早期退職した同期入社の奥野力とパートナーを組んでいる。今日、飛び込みできた依頼主の笠井満は、去年一か月ほど同棲していた赤田真美からストーカー行為を受けているので、証拠をつかんでほしいと訴えた。みどりがとりあえず調査を始めるも、そのような形跡はまったく見られなかった。「解錠の音が ―― 2009年 秋」。
 軽井沢での調査を終えたみどりは、そのまま休暇を取ろうと思い立つ。ピアノの音に惹かれて入ったドイツ料理のレストランでは、40代くらいの女性が演奏していた。演奏の終ったピアニスト、土屋尚子は開いていたみどりの前の席に座って食事を始める。特に『スケーターズ・ワルツ』を褒めたみどりに尚子は、20年前のドイツの地方都市での、ひとりの若い指揮者とその恋人の話を語る。「スケーターズ・ワルツ ―― 2012年 冬」。
 高校時代は砲丸投げの選手だった須見要は、鳶工として三年働いていた会社を辞めて一年前にサカキ・エージェンシーに入社した。女性探偵課の課長である森田みどりと初めてコンビを組む依頼は、二か月前にリベンジポルノの被害を受けた妹のために、写真をばらまいた当時の彼氏を探してほしいというものだった。「ゴーストの雫 ―― 2018年 春」。

 主人公は榊原みどり、結婚後は森田姓。「イミテーション・ガールズ ―― 2002年 春」でみどりは、子供のころから熱中を知らない自分をこう評価する。
 わたしの人生は〈常温の水道水〉という感じだ。運動も勉強もそれなりに好きで、それなりに得意。好奇心もあるほうだし、友達もそこそこいて、家族関係も良好。成績表はほとんどが五段階の四で、特別に得意な科目も、格段に苦手な科目もない。口当たりがよく、温度もちょうどよく、それなりにミネラルも入っていて、まあまあ美味しい水道水。
 しかしみどりは、「イミテーション・ガールズ ―― 2002年 春」で、人の本性と裏側を暴く快感に目覚め、探偵の道を目指していく。
 そういうバックボーンがあることを知って読むのと、知らないで読むのでは、榊原みどりという人物の印象は変わってくるし、作品の評価も変わってくるのではないか。そういう印象を受けた。特に「ゴーストの雫 ―― 2018年 春」は他4作と異なる須美要視点であり、さらに結婚・出産後ということもあってか、みどりの印象がまた少し変化している。そういう榊原みどりの物語として読むべきシリーズなのだろうと思う。
 そういうシリーズものとしての印象は別にして、個々の短編も悪くない。特に協会賞を受賞した「スケーターズ・ワルツ」は見事。終着点までの展開が素晴らしい。「解錠の音が」もストーカーから予想外の方向に話が広がり、出だしの話と結びつく構成はうまい。
 いずれの話にも、人の表と裏が存在する。表と裏が交錯するところに謎が存在する。そんな謎を、丁寧に追いかけることで解き明かすみどり。元々次作『彼女が探偵でなければ』が面白そうだったので、まずはこちらから読んでみようと思った次第なのだが、読んで正解だった。年間ベストに選ぶほど派手で特出しているわけではないが、目が離せないシリーズがここにある。

有栖川有栖『濱地健三郎の霊なる事件簿』(角川書店)

 心霊探偵・濱地健三郎には鋭い推理力と幽霊を視る能力がある。新宿に構える事務所には、奇妙な現象に悩まされる依頼人だけでなく、警視庁捜査一課の辣腕刑事も秘密裏に足を運ぶ。ホラー作家のもとを夜ごと訪れる。見知らぬ女の幽霊の目的とは!? お化け屋敷と噂される邸宅に秘められた忌まわしい記憶とは!? ある事件の加害者が同じ時刻に違う場所に居られたのは、トリックなのか、生霊の仕業なのか? リアルと幻惑が絡み合う不可思議な事件にダンディな心霊探偵が立ち向かう。端正なミステリーと怪異の融合が絶妙な7篇(帯より引用)
 『幽』vol.21~27(2014年7月~2017年6月)連載。2017年7月、角川書店より単行本刊行。

 新宿にある濱地探偵事務所を訪れた宮戸多歌子は、「心霊探偵」と書かれた名刺を渡してくれた濱地健三郎と助手の志摩ユリエに相談する。夫で通俗ホラー作家のペンネーム倉木宴こと宮戸貢司が、この6週間ほどで急激に食欲がなくなり、酒が増え、体重が激減した。10日前、貢司がうなされているので目を覚ますと、貢司の脇に泥で汚れ右側頭部に傷のある女の幽霊が立っていた。貢司を起こすも、本人は夢でも見たのだろうと取り合わない。貢司には浮気癖があるが、そんな女には覚えがないようだった。濱地とユリエは、ユリエが書いた似顔絵を基に、幽霊の謎を追う。「見知らぬ女」。
 1月、フリーライターの駒井鈴奈の家が全焼し、連絡が取れなくなった。2か月後、東京湾で引き揚げられたトランクから、鈴奈の首無し死体が発見された。3週間経つが、犯人の目星がついていない。娘が夢に出てきたという鈴奈の父親からの依頼を受けた濱地は、協力者である捜査一課の赤波江聡一部長刑事より事件の概要を聞き、女優の息子で男性関係があった可能性がある熊取寿豊を調べ始める。「黒々とした孔」。
 小さな町の外れに住む久米川素子は、50mほど隣にある画家夫婦が住んでいた空き家に、半年前から足を踏み入れた何人かが原因不明の高熱を出しており、10日前には遊びに来た弟がその家を訪ねて寝込んでしまった。1日足らずで回復したが何も覚えておらず、ただあの家の前は通るなと釘をさす。気味が悪くなった素子は、濱地に依頼した。画家夫婦の妻は1年前に女性モデルと失踪し、半年前に精神状態が悪化した夫は半年前に首吊り自殺したという。「気味の悪い家」。
 ユリエと付き合っている大学時代の後輩・進藤叡二の友人、茂里幹也は、付き合っている兼井未那と新潟へ泊りがけの海水浴に出かけた帰りの運転する車の中で、彼女に急に不快な気持ちを抱くようになり、会うどころか連絡すらほとんど取れなくなった。幹也に相談された時に黒い霧がまとわりついているのを見てしまったユリエは、濱地に相談する。「あの日を境に」。
 世田谷区のマンションで、一人暮らしの山津儀秋が絞殺された。有力容疑者は山津の友人で、半年前からスナックの女性を取り合っていた須崎藤次。須崎は失職しており、さらに山津から百万円を借りていた。しかも事件の時刻、マンションから出てきた須崎と接触したという目撃者まで居た。本ボシだと思ったら、須崎には犯行時刻に顔見知りの女性と会っており、さらにその後は近くの喫茶店にいたアリバイがあった。赤波江はもしかしたらドッペルゲンガーではないかと濱地に相談する。「分身とアリバイ」。
 北国の霧氷館と名付けられた屋敷に住む夫婦の息子が、3か月ほど前から家を怖がるようになったという。小さいころから住んでいたのに、なぜ今頃になってそんな風になったのか。依頼された濱地が、霧氷館を訪れる。「霧氷館の亡霊」。
 出張からの帰り道、三年前に手がけた案件がどうなったか見に行きたくなり、ある山奥の過疎集落へ寄り道をする濱地とユリエ。列車で移動中、途中の駅から乗ってきたのは、その三年前の関係者である老人だった。「不安な寄り道」。

 幽霊を視る能力がある心霊探偵・濱地健三郎を主人公にしたシリーズ短編集。濱地健三郎は前作『幻坂』に収録されている短編「源聖寺坂」と「天神坂」に登場したキャラクターで、当初はお役御免のはずが読者からの評判がよくてシリーズものになったとのこと。
 霊が見えるホラー短編だが、グロテスクな描写があるわけでもなく、すいすい読むことができる。本格ミステリの味を強めたり弱めたり、そしてホラーの味を強めたり弱めたりと、様々なブレンドによって一種独特の雰囲気がある短編集に仕上がっている。
 ホラーテイストの作品集なので、有栖川有栖の本格ミステリが好きな人にとっては物足りなさが残るかもしれない。また、幽霊との霊能力対決があるわけでもないので、そういう方面を楽しみにしていた人にとっても物足りなさは残るだろう。ただ、どことなくライトタッチで読後感もよいので、気軽に時間をつぶすにはお手軽な短編集ではある。
 この後、2冊シリーズ短編集が出ているとのことだが、それほど読みたいとまでは思わないかな。手元にあったら読むけれど、程度の評価ではある。
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