サイモン・モックラー『極夜の灰』(創元推理文庫)

 1967年末、精神科医のジャックはワシントンDCの陸軍病院で、顔と両手を包帯で覆われた男と向かい合っていた。旧知のCIA幹部から、北極圏にある陸軍の極秘基地で発生した火災の調査を依頼されたのだ。発電室で出火し、2名が死亡。重度の火傷を負って昏睡から目覚めたコナーは、唯一の生き残りで、何が起きたのか思いだせないという。同じ火災現場で発見された遺体は、一方はかろうじて人間の形を残していたが、もう一方は灰と骨と歯の塊だった。なぜ遺体の状態にこのような差が出たのか? 幾多の謎と陰謀が渦巻く衝撃のミステリ長編!(粗筋紹介より引用)
 2023年、アメリカで刊行。2024年8月、邦訳刊行。

 作者のサイモン・モックラーはケンブリッジ大学で現代語学を、ロンドン芸術大学のキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツで絵画を学び、アーティスト、ミュージシャン、教師、公務員などさまざまな職種を経験してきたとのこと。ロンドン在住。2012年、スリラー小説"Decoy"を電子書籍で発表。2013年、ドイツで第二作"Das Midas-Kartell"を発表。2019年、イギリスで児童書"Beatrix the Bold and the Curse of the Wobblers"を発表し、シリーズ3作目まで刊行とある。本作品は、アメリカでのデビュー作。
 主人公のジャック・ミラーは精神科医。CIA幹部のポール・コティからの依頼で、グリーンランドにある陸軍の秘密基地で発生した火災事件の生き残りである陸軍兵卒のコナー・マーフィーからの聞き取りを始める。顔と両手が包帯で覆われたコナーは昏睡状態から目覚めたばかりで、事件のことは何も覚えていなかった。事件で亡くなったのは二人。アメリカ陸軍下士官で、主任研究員のオーウェン・スティグリッツ。陸軍三等軍曹のヘンリー・カーベルだ。オーウェンは熱で干上がっており、ヘンリーは灰と骨と歯の塊だった。
 ジャック・ミラーの造形が面白い。酒を飲み、タバコを吸い、車を乗り回し、必要とあらば飛行機で動く。なんだかハードボイルドの私立探偵みたいな人物だ。コナーとの会話からヒントを得、事件現場の資料や写真を探し、コナー、オーウェン、ヘンリーの関係者から話を聞く。展開がスピーディーで、読者を飽きさせることはない。さらにジャックは襲われる。裏に存在する組織は何か、といったエスピオナージの味わいを漂わせる。さらに事件の真相を説き明かす本格ミステリの要素も混じり、最後は冒険小説ような活躍まで披露する。
 よくぞまあ、これだけの要素を詰め込んだものだと感心した。しかも本格ミステリのように手掛かりを至る所で散りばめる巧さもある。徐々に事件の背景と謎が解かれていく展開もうまいし、読者の想像を超える終わり方も素晴らしい。まあ日本の読者にとって、作品の仕掛けはわかりやすいかもしれないが、そこはアメリカの小説ということで差し引いてもよかろう。もしかしたら日本のミステリからヒントを得たのかもしれないが。
 評判がよかったので読んでみたのだが、本当に素晴らしかった。これだけジャンルミックスさせ読者に驚きを与えつつ、本格ミステリとしてすっきりと終らせられるのは見事と言いたくなるぐらいの傑作である。

大山誠一郎『ワトソン力』(光文社)

 目立った手柄もないのに、なぜか警視庁捜査一課に所属する和戸宋志。行く先々で起きる難事件はいつも、居合わせた人びとが真相を解き明かす。それは、和戸が謎に直面すると、そばにいる人間の推理力を飛躍的に向上させる特殊能力、「ワトソン力」のおかげだった。殺人現場に残されたダイイング・メッセージ、雪の日の不可能犯罪、バスジャックされたバス内の死体……。今日も話とを差し置いて、各人各様の推理が披露されていく!(粗筋紹介より引用)
 『宝石 ザ ミステリー』『ジャーロ』掲載作品に書き下ろしを加え、2020年9月、単行本刊行。

 仕事帰りにスタンガンで気絶させられた和戸宋志が目を覚ますと、そこは核シェルターらしき地下室だった。捜査一課でも目立たない和戸が恨みを買うことはないだろう。しかし、非番の時に関わった事件で恨みを買ったのではないか。和戸は過去の事件を思い出す。「プロローグ」。
 断崖に建つ、アルファベットのLの形をしたペンション「ロンド荘」。クリスマスの朝、主人の海江田が出てこない。海江田は自室で殺されていた。海江田は血で、五つの十字架を描き残していた。がけ崩れがあり、警察はすぐ来られない。客たちの推理合戦が始まる。「第一話 赤い十字架」。
 和戸が地下二階にあるギャラリーで行われていた彫刻家・大前武幸の作品展を訪れた。すると原因不明の道路陥没の影響でギャラリーが停電になり、外に出られなくなった。闇の中で救助を待っていると、大前が殴られて殺された。こんな状況下でなぜ。「第二話 暗黒室の殺人」。
 なぜか笹森電機の会長に気に入られ、令嬢の婿候補の一人として瀬戸内海の島の別荘に行くことになった和戸。台風のなか、リビングルームでくつろいでいると、婿候補の一人が毒殺された。「第三話 求婚者と毒殺者」。
 和戸は地下室の中で、自分を監禁した理由に思い当たる。「インタールードI」。
 初雪が積もった十二月の奥多摩。建築現場の基礎の中で男が射殺されていた。基礎までの足跡は、被害者と発見者のみ。そして二人はオリンピックの射撃の候補であるライバルだった。しかし、拳銃はどこにも見当たらなかった。「第四話 雪の日の魔術」。
 再び目を覚ました和戸。自分を監禁した人物を絞り込む。「インタールードII」。
 和戸は休暇を取ってロサンジェルス旅行に出かけることにした。しかし飛行機の中で男性が不審死。乗客の医師が調べると、毒による死亡の可能性が。自殺か、他殺か。「第五話 雲の上の死」。
 和戸は帰宅途中で火事を見つけて119番通報。助けた人物はプリントアウトされた台本を手にしていた。男は劇団の座付き脚本家。病院に集まった劇団員たちは、結末が書かれていない台本を読み、誰が犯人かを推理する。「第六話 探偵台本」。
 大宮駅発の高速バスがバスジャックされた。犯人は五人の乗客を移動させようとするも、一人が動こうとしない。乗客の一人、和戸が調べると、男はナイフで胸を刺されて殺されていた。犯人はいったい誰か。「第七話 不運な犯人」。
 全ての回想が終わる和戸。彼を監禁したのはいったい誰か。「エピローグ」。

 謎に直面すると、そばにいる人間の推理力を飛躍的に向上させる特殊能力「ワトソン力」を持つ、警視庁捜査一課の和戸宋志が主人公である連作短編集。とんでもない特殊能力であるが、これって和戸が学力試験を受けていると周りの人の能力も向上するのかね。初めて認識したのは小学校のクイズ大会の時とあるけれど、クイズは知識を持っていないと解けない物が多いはずだが、知識力もいつの間にか向上するのだろうか。そもそも事件解決10割というのが有り得ない。捜査一課が取り扱う事件って、推理力よりも集団による捜査力が必要となるものも多いはずなんだが。手掛かりがゼロで行きずりの殺人だったとしても、ワトソン力が働いて犯人が捕まえられるだろうか。とてもそうは思えない。もう少しまともな書き方をしてほしいものだ。まあ、ギャグだと思って読んだけれど。
 この特殊能力のおかげで、事件が起きたら周りの人物で勝手に推理合戦を始める。ということで、事件の説明、推理、解決という人間ドラマをほぼ無視した謎解く小説の出来上がり。これはうまい設定である。特に人物描写が無味乾燥としている作者にはうってつけの設定だ。
 ということで各短編はほぼ推理クイズ化したものであり、他に評しようがない。雑誌で短編1本を読まされたらつまらないだろうな。和戸が監禁されるという事件によってつなげることで、連作ものに仕立て上げたのはよくできました、というところ。ただ、このパターンの二作目は難しいだろう。もっとも、二冊目出ていたね、今年。

古泉迦十『崑崙奴』(星海社FICTIONS)

 大唐帝国の帝都・長安で生ずる、奇怪な連続殺人。屍体は腹を十文字に切り裂かれ、臓腑が抜き去られていた。犯人は屍体の心肝を()っているのでは――。
 崑崙奴(こんろんど)――奴隷でありながら神仙譚の仙者を連想させる異相の童子により、捜査線は何時しか道教思想の深奥へと導かれ、目眩めく夢幻の如き真実が顕現する――!
 第17回メフィスト賞『火蛾』で鮮烈なデビューを飾った幻の作家・古泉迦十による24年ぶりの本格ミステリ超大作が、ここに降臨!(粗筋紹介より引用)
 2024年11月、書下ろし刊行。

 崑崙奴とは、文字通り崑崙の奴隷という意味である。しかし崑崙は中国の西方にある中国古代の伝説上の山岳のことではなく、林邑(りんゆう)(ベトナム中部)のさらに南、馬来(マライ)爪哇(ジャワ)あたりを広く指す地名である。
 三月二日、この春五度目の進士(しんし)科(学識試験による官僚登用制度の貢挙(こうきょ)のうち、定期に実施される常挙(じょうきょ)の最難関であり、及第(きゅうだい)すれば必然的に高級官僚への途が拓かれる)受験に失敗した28歳の裴景(はいけい)は、名門崔家の御曹司で千牛備身(せんぎゅうびしん)を務める友人の崔静(さいせい)の家を訪ねた。崔静が留守であり出直そうとしたところ、崑崙奴の魔勒(まろく)からの相談を聞くことになる。崔静の様子がおかしく、ここひと月、お勤めがある日もない日も毎日朝早く出て夜遅くまで帰らない。しかも家人の誰ともまともに口を利かない。千牛衛(せんぎゅうえい)(禁軍の一翼をになう部隊の一つで、品階は高くないものの、天子の侍衛をする異色の役割)の同僚も理由を知らず、不思議に思っているという。そのきっかけが、二月五日に病床の父親・崔尚書(さいしょうしょ)の名代としてどこかへ出かけ、次の日に帰ってきた。そのとき、衣服から希少な瑞龍脳(ずいりゅうのう)の香りがしたという。崔尚書は病床で面会謝絶、董宰(とうさい)(崔家を取り仕切る家宰――老番頭)の董戌(とうじゅつ)も何も知らないという。もしかしたら夜宴が開かれ、そこで瑞龍脳が()かれたのではないか。そのため、北里(ほくり)(長安随一の花柳街)へ行き、元妓女(ぎじょ)で北里の妓楼蘇家楼(そかろう)の下働きである蘇九娘(そきゅうじょう)なら何か知っているのではないか、尋ねてきてほしいというのである。
 知人であり、身の丈六尺にもなる22歳の大女、蘇九娘を尋ねた裴景は、おなかが十の字に大きく切り開かれて、真っ黒い穴が開いていた官人らしき屍体が北里の手前で溝にはまっていたのを見に行っていたと聞かされる。試験に落ちてしばらく下宿先に閉じこもっていて世事に疎くなっていた裴景が事情を聞くと、ここ10日間で同じような官人と商売人の死体が発見されており、今回で3人目だという。まさか崔静ではないかと見に行くが、違っていた。そこへ現れた右金吾衛(きんごえい)(長安の警察及び門衛)の佽飛(しひ)が数名現れ野次馬たちを追い払う。ここは左金吾衛の管轄なのになぜ? 蘇家楼に戻った裴景は、事情通の蘇九娘に改めて夜宴のことを尋ねるも、聞いたことはないという。しかし蘇九娘は、中所侍郎(ちゅうしょじろう)(政策の立案、詔勅の起草をつかさどる中書省の次官で、品階は正四品上)の元載(げんさい)の邸の前に崔静が居たのを昨日見かけたという。元載は今上皇帝が最も厚い信頼を寄せる権臣であるが、恩人でもあっさり殺害する冷酷さと、利権を独占し巨万の富を築き上げた悪徳さを兼ね備えた人物でもあった。蘇九娘はさらに、その元載の大寧坊(だいねいぼう)の邸に、とんでもない美貌の女冠(じょかん)(女の道士)がいるという。しかも知り合いが言うには、二年位前に教坊(宮女に歌舞や楽器等の技芸を教導する官立の訓練学校)で見かけたことがあるというのだ。妃嬪(ひひん)(皇帝から直接寵愛を受ける女性のこと)ではないというが、宮女であることは間違いない。しかし、宮女は後宮から出ることはできない。蘇九娘は元載がその女冠を上元の藪入りのどさくさにまぎれて、無理やり連れ込んだのではないかと想像した。
 裴景は女冠を見たことがあるという光徳坊の商人・孔達(こうたつ)を訪ねるが、孔達は殺されていた。しかも腹は十文字に切り開かれ、黒い穴が開いていた。裴景は通りがかりの人に頼んで坊胥(ぼうしょ)に通報したが、現れたのは友人であり、京兆府(けいちょうふ)賊曹(ぞくそう)(盗賊を取り締まる官。首都警察の警部ぐらい)である突厥(トルコ)人の斛律雲(こくりつうん)(あざな)(とう))であった。斛律雲は、全ての死体の贓物がなくなっていたという。さらに数日後、崔静が失踪した。裴景は斛律雲とともに、事件の渦中に飛び込むこととなる。

 『火蛾』のデビューから24年、古泉迦十まさかの新作。『火蛾』の舞台は十二世紀の中東であったが、本作の舞台は唐の大歴年間(766-779)。安禄山にはじまった兵火がようやく鎮まったころである。タイトルの崑崙奴であり、さらに主人公裴景を事件に引きずり込む魔勒は、六芸に通じ雑学にまで知見が及び、書も手練れ。年齢は不明で容姿はいまだ童子のよう。裴景は魔勒を見るたび、六朝(りくちょう)時代の神仙譚(しんせんたん)を思い出すという。
 まずは名前と用語を覚えるのに一苦労。特に名前の方は人によって呼び方も変わるし、大変。上にこれでもかと書いたのは、後で読み返すときに思い出せるようにとのメモ書きである。ただ、これでも全然足りない。さらに圧倒的な蘊蓄が押し寄せてくる。唐の文化や政治、都市長安、道教、さらに周辺国の言葉や文化なども流れ込んでくるので、こちらも覚えるのが大変。ただ前作と違うところは、これだけの情報量が押し寄せてきても読み易いところだ。ワトソン役ともいえる裴景の察しの悪さのため、周囲の人物や地の文で都度説明してくれているのが非常に助かる(笑)。というのは半分冗談として、文章がこなれている点も大きいが、やはり捜査や活劇など、物語に動きがある点がその理由だろう。そして奇怪な連続殺人事件と事件関係者の不気味さ。中国伝奇ムードを漂わせつつ、エンターテイメントとしての面白さを携えながら、波乱万丈な展開を経ていくうちに気付いたら真っ当な本格ミステリになっているところは凄い。とはいえ、この謎解きの全てを読者に推理させるのは無理だろう(苦笑)。
 読み切るのは大変だが、それだけの価値がある一冊。2025年ベストを沸かすこと間違いなしの傑作が早くも登場した。

柄刀一『或るエジプト十字架の謎』(光文社文庫)

 カメラマンの南美樹風(みきかぜ)は、大学の後輩たち五人を連れ、山間部のコテージへと夏合宿にやってきた。翌朝、中央広場のT字形の案内板に磔にされた首なし死体が発見される! 被害者は合宿に参加していなかった学生と判明。死体に異様な演出を施した犯人の目的やいかに?(表題作) 名探偵・南美希風が四つの怪事件に挑む、柄刀版《国名シリーズ》第一弾!(粗筋紹介より引用)
 『ジャーロ』2018、2019年掲載作品に書き下ろしを加え、2019年5月、光文社より単行本刊行。2022年5月、文庫化。

 21時過ぎ、本社からの指示で点検に来たトランクルームの管理人が、殺された死体を発見。トランクルームの借主は、麻薬売買の疑いがあるリストに名前が載っていたため、麻薬関連のトラブルが予想された。トランクルームには、高級品の帽子が数多く飾られていた。「或るローマ帽子の謎」。
 足立区の高級住宅街の一角にある屋敷で、一人暮らしの高齢の女性が扼殺された。遺体のある応接室には、フランス製の白粉がばら撒かれていた。そして女性の部屋にはコカインが隠されていた。女性は麻薬売買組織の主要幹部の一人だった。「或るフランス白粉の謎」。
 長野県南部の大病院の院長宅。院長婦人の趣味は木靴のコレクションで、14足もある木靴は実際に使用しているという。翌朝、院長が母屋の応接室で殴り殺されていたのは発見された。凶器は木靴。院長も木靴を穿いていたが、凶器とは別。そして木靴が飾られていた平屋棟から母屋まで、一足の足跡が中庭に残されていた。「或るオランダ靴の謎」。
 美樹風は大学の後輩たち五人を連れ、山間部のコテージでゼミの夏合宿を行った。夜は宴会で騒ぐも次の日の朝、中央広場のT字形の案内板に磔にされた首なし死体が発見された。被害者は合宿に参加していなかった学生であり、昨日の夜、合宿に参加していた恋人にサプライズプロポーズをする予定であった。「或るエジプト十字架の謎」。  カメラマンの南美樹風と、美樹風の心臓移植手術を成功させたロナルド・キッドリッジの娘で、来日している法医学者のエリザベス・キッドリッジが事件に挑む短編集。タイトルを見ればすぐにわかる通り、クイーンの国名シリーズを意識したものとなっている。ただし、雑誌発表順はエジプト→オランダ→フランスの順で、ローマが書下ろしである。
 南美樹風は作者の主要作品に出てくる探偵役だが、過去二冊読んだ限りではあまり興味を惹かれる人物ではなかった。ただし本書では血が流れているのが感じ取れて、面白い人物になっている。美樹風の姉やエリザベスのように、年上の女性に世話を焼かれる倒人物設定がようやくわかってきたからかな。
 作品発表が逆順になっているとは思えなかったが、確かに出来という点では最新作かつ冒頭の「或るローマ帽子の謎」が一番である。特になぜ死体の頭部がメチャクチャにされているのか、という謎から一気に犯人像まで推理する流れには恐れ入った。「或るローマ帽子の謎」の麻薬組織が絡んでくるのが「或るフランス白粉の謎」なのだが、まさか逆に書かれているとは思わなかった。ただ、ある一点から犯人まで導き出す推理はクイーンの亜流でしかなく、今一つ。
 「或るオランダ靴の謎」も出来としては悪くない。うまく木靴を使っている。一方、「或るエジプト十字架の謎」は今一つ。犯人像と行動に少々難があった。
 柄刀作品で面白く読んだのは『時を巡る肖像』以来じゃないか、というくらい面白かった。これだったらシリーズとして次の作品を読みたくなる。

鳥飼否宇『紅城奇譚』(講談社)

 ときは戦国。九州に、謎と血にまみれた城があった――。
 織田信長が天下統一をもくろみ、各地の戦国大名を次々と征伐していた16世紀中頃。九州は大友、龍造寺、島津の三氏鼎立状態となっていた。そんななか、三氏も手を出せない国――勇猛果敢で「鬼」と恐れられた鷹生(たかき)氏一族の支配地域があった。その居城、血のように燃える色をした紅城で、次々と起こる摩訶不思議な事件。消えた正室の首、忽然と現れた毒盃、殺戮を繰り返す悪魔の矢、そして天守の密室……。眉目秀麗な、鷹生氏の腹心・弓削(ゆげ)月之丞(つきのじょう)が真相解明に挑む!(帯より引用)
 2017年7月、書下ろし刊行。

 九州の戦国大名である鷹生龍政の居城、紅城(くれないじょう)。白壁を辰砂で赤く塗り、燃えるようなその紅色は、討ち取った敵兵の血で染められていると恐れられた。『序』
 天正八年(一五八○年)葉月十五日、龍政の正室であり、かつては主君筋だった椎葉義忠の息女である鶴の首無し死体が井戸曲輪で発見された。そばに転がっていたのは、第二側室、月の血まみれになっている薙刀。しかも龍政たちが現場を確認中、第一側室で子を身籠っていた雪が、隅に建つ月見櫓から墜落死した。『破之壱 妻妾の策略』。
 葉月十八日、紅城で雪を偲ぶ宴席が設けられた。実弟の龍貞は、龍政と鶴の間に生まれた五歳のに(にお)に酌をさせつつ、隣に座らせた腹心牛山武兵衛の妹である菜々にちょっかいを出していた。徳利の酒がなくなり、鳰は廓で椎葉家秘蔵の酒を入れて持ってきた。しかしそれを飲んだ龍貞は、苦しんだ挙句死んだ。毒が入っていた。『破之弐 暴君の毒死』
 霜月朔日(ついたち)。龍政は明後日の弓比べのために、龍政と鶴の間に生まれた熊千代と、軍師利賀野(とがの)玄水(げんすい)の嫡男彦大夫の練習を見ていたが、熊千代の不甲斐無さに叱責し、龍政の父で隠居している龍久のところへ稽古に行かせた。そして弓比べ当日、彦大夫の弓が、なぜか幕の向こうに居た龍久に刺さり死んでしまった。罰として龍政は翌日、彦太郎を獲物とした狩りを行い、殺してしまう。さらに翌日、熊千代が利賀野家の矢で殺された。『破之参 一族の非業』。
 師走十日。龍政の夜伽をしていた月が狼藉者に殺された。さらに襲撃は続き、龍政は第三側室の花とともに天守に籠る。しかし地震のあった夜、天守の三階に閂をかけ一人で寝ていた龍政は、翌朝死んでいた。『破之肆 天守の密室』。
 すべての謎が明かされる『急』。

 鳥飼否宇が初めて書いた時代ミステリ。架空の大名の城で起きた、摩訶不思議な事件の数々と、城主一族の滅亡が描かれる。
 作者のいままでの作品とは予想外の方向による連作短編集。全部で四つの不可能犯罪が起きるが、そのいずれもがあまりにも突飛な解決。戦国時代ならではのトリックであり、この時代ならではの殺伐さが色濃い。結末までの物語の流れは大方の予想通りであるが、よくもまあこんな奇抜なトリックを考え付いたな、という意味では一読に値する。ただ、最後はあまりにも馬鹿馬鹿しいけれど。
 いくら戦国時代と言っても、さすがにリアリティには乏しい。むしろ戦国時代なら、どこかで誰かが龍政に手をかけていたんじゃないだろうか。それぐらいの暴君であり、四作目までよく生き残っていたものだと思ってしまう。戦国時代のリアリティにうるさい人は、読まない方がいいだろう。本格ミステリの馬鹿馬鹿しさを共有できる人には、面白い作品かも知れない。

クリス・ウィタカー『終わりなき夜に少女は』(早川書房)

 アメリカ、アラバマ州の小さな町グレイス。嵐が近づきつつあるこの町でかつて起こった連続少女誘拐事件は、未だ真犯人が捕まらず、捜査は暗礁に乗り上げていた。そして1995年5月26日の夜、また一人の少女が失踪した。彼女の名前はサマー・ライアン。町の誰からも愛される彼女が、“ごめんなさい”と一言だけ書いた紙を残していなくなってしまったのだ。警察は単なる家出だと判断したが、サマーの双子の妹レインはそうは思わなかった。レインはサマーとは対照的な不良少女だが、誰よりもサマーのことを愛していた。サマーがレインを置いていなくなるはずがない。レインは捜査を始めるが、その中で彼女は、自分の知らない姉の姿を知ることになる――。(粗筋紹介より引用)
 2017年、イギリスで発表。2024年5月、早川書房より邦訳単行本刊行。

 『われら闇より天を見る』で話題になった作者の第二長編。『われら闇より天を見る』の3年前に出版されている。
 1995年のアラバマ州にある架空の田舎町、ブライマー郡グレイスが舞台。失踪した15歳の少女サマーの双子の妹レインが、警察署の見習で高校生のノア・ワイルドとその親友パーヴィス(パーヴ)・ボウドインとともに探すのが主要なストーリー。そこにグレイス警察署署長のブラックの視点による警察捜査と、サマー自身の視点による過去の物語が加わっていく。
 人物描写やドラマ作りはうまい。特にレインとノア、パーヴのやり取りは、この年代ならではのまぶしさがある。また、覇気のないブラックの存在も、物語に深みを与えている。ただ、ミステリとしてみると、無理が目立つ。『われら闇より天を見る』と比べると、そこが弱いのが残念。
 青春小説としては読みごたえがある作品。『われら闇より天を見る』と比べるとまだ未完成なところがあるのは、仕方がない。新作が、読んでみたい。

呉勝浩『法廷占拠 爆弾2』(講談社)

 法廷に囚われた100人を、ひとり残らず救い出せ!
 未曾有の連続爆破事件から一年。スズキタゴサクの裁判の最中、遺族席から拳銃を持った青年が立ち上がり法廷を制圧した。「みなさんには、これからしばらくぼくのゲームに付き合ってもらいます」。生配信で全国民が見守るなか、警察は法廷に囚われた100人を救い出せるのか。籠城犯vs.警察vs.スズキタゴサクが、三つ巴の騙し合い!(粗筋紹介より引用)
 『小説現代』2024年8・9月合併号掲載。2024年7月、単行本刊行。

 あの『爆弾』の続編が出るとは思わなかったが、確かに法廷でのスズキタゴサクは見てみたい。そこでまさかの法廷占拠、生配信。警視庁捜査一課特殊犯捜査係の類家、野方署の倖田沙良巡査と伊勢勇気巡査も再登場。籠城犯と警察の手に汗握る対決に、スズキタゴサクがいつもの調子で茶々を入れる。
 ジェットコースターのようなストーリー展開ではあるが、前作の緻密な計算ぶりと比べると、一直線急降下という感じ。前作は犯人(=作者)の掌の上で転がされていたのだが、本作は自転車で下り坂をふらつきながら降りている危うさがある。劇場型犯罪ではあるが、定型的な台詞回しと行動が興醒め。確かにどんでん返しが待っているのだが、それすらもすでに種明かしされたマジックを見ているよう。それもこれも、何もかも悟ったようなスズキタゴサクの言動に問題があると思うのだが、どうだろうか。
 確かに一気に読ませる面白さはある。だが、もっとすごくできたんじゃないか、というもどかしさはある。ここは第三弾で巻き返しを期待するしかない。

陳浩基『13・67』(文藝春秋)

 華文(中国語)ミステリーの到達点を示す記念碑的傑作が、ついに日本上陸! 現在(2013年)から1967年へ、1人の名刑事の警察人生を遡りながら、香港社会の変化(アイデンティティ、生活・風景、警察=権力)をたどる逆年代記(リバース・クロノロジー)形式の本格ミステリー。どの作品も結末に意外性があり、犯人との論戦やアクションもスピーディで迫力満点。本格ミステリーとしても傑作だが、雨傘革命(14年)を経た今、67年の左派勢力(中国側)による反英暴動から中国返還など、香港社会の節目ごとに物語を配する構成により、市民と権力のあいだで揺れ動く香港警察のアイデンティティを問う社会派ミステリーとしても読み応え十分。2015年の台北国際ブックフェア大賞など複数の文学賞を受賞。世界12カ国から翻訳オファーを受け、各国で刊行中。映画化権はウォン・カーウァイが取得した。著者は第2回島田荘司推理小説賞を受賞。本書は島田荘司賞受賞第1作でもある。(作品紹介より引用)
 2014年、台湾で刊行。2015年、台北国際ブックフェア賞(小説部門)、第4回誠品書店間閲讀職人大賞、第1回香港文学季推薦賞を受賞。2017年9月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。

 2013年。香港の名門、()一族が経営する豊海グループの総帥、(げん)文彬(ぶんひん)が邸宅で殺害された。香港警察の(ロー)小明(シウミン)は一族の面々を病室に集めた。謎解きをするのはロー警部の師匠であり、本庁・捜査情報室Bセクションの課長を務めていた(クワン)振鐸(ザンドー)元警視。検挙率100%を誇るクワン警視は、病室のベッドに横たわり、末期がんで余命幾許もなかった。しかし脳波を計測し、YesNoを表示させ事件を解決するという。「黒と白のあいだの真実」。
 2003年。油尖(ヤウチム)管区で行われた大規模な麻薬取締作戦「クサリヘビ」が失敗に終わり、落ち込む凶悪犯罪捜査係・第二小隊隊長のローをクワンは慰める。一週間以上経ったある日、売り出し中の俳優の楊文海がディスコで殴打された。その原因は、香港マフィアのトップである左漢強が経営する事務所所属のアイドル歌手唐穎(とうえい)にちょっかいを出したからと推測された。それから六日後、捜査係に無記名のCD-ROMが贈られてくる。そこに入っていた映像は、唐穎が襲われている様子が映っていた。「任侠のジレンマ」。
 1997年6月6日。50歳になったクワン上級警視にとって、その日は最後の勤務日だった。半年前から旺角(モンコック)のトンチョイ・ストリートでビルの上から硫酸の入った瓶が投下される事件がたびたび起こっていたが、この日は中環のグラハム・ストリートで硫酸爆弾の事件が発生した。さらにクイーンマリーン病院から、クワンが8年前に捕まえた凶悪犯・石本添(せきほんてん)が脱走したと連絡が入った。「クワンのいちばん長い日」。
 1989年。リクラメーション・ストリートにある雑居ビルで、凶悪指名手配犯・石本添、石本勝(せきほんしょう)兄弟が部下と潜んでいるのを発見。警察は逮捕作戦を計画するも、待機中に作戦を感知した石兄弟たちは逃亡を開始。逃げ切れなかった石本勝を捕まえるため、第三小隊隊長の「TT」ことタン警部は、部下のファンとローを連れて突入。石本勝は射殺されたが、石本勝によって雑居ビルに居た一般市民が多数殺害されてしまった。「テミスの天秤」。
 1977年。香港廉政公署の調査主任・グラハム・ヒルの一人息子・アルフレッドが学校帰りに誘拐され、身代金が要求される。廉政公署は香港警察の汚職を摘発する仕事を受け持っていてわだかまりがあるものの、グラハムは香港警察に通報。九龍方面本部・刑事捜査部所属のクワン上級警視が捜査に当たることとなった。「借りた場所に」。
 1967年。労働争議から発展した反英運動。爆弾テロの情報を掴んだ「私」は阻止するために、スプリング・ガーデン・レーンを巡回している若い警察官のアチャと奔走する。「借りた時間に」。

 いやはや、凄い短編集だった。
 まず、本格ミステリとして優れている。特に「黒と白のあいだの真実」が凄かったが、「テミスの天秤」も凄い。まさかこの展開でチェスタトンをやるとは思わなかった。それに誘拐物の「借りた場所に」もなかなか。「クワンのいちばん長い日」の犯人はどこに消えたかをめぐる推理も面白い。
 そして社会派ミステリの顔を持つ。舞台は2013年から徐々に遡り、1967年の反英運動まで戻る。香港の社会の動きを事件に投影させるとともに、社会に振り回されながらも市民を守ろうとする警察の姿が描かれる。そう、これは警察小説でもあるのだ。
 そして大河ドラマの顔を持つ。「黒と白のあいだの真実」では既に意識もない状態のクワンであるが、話が進むにつれ年代は遡り、クワンという香港警察の名刑事がいかにして生まれていったかがわかるようになっている。また一部の事件では登場人物が重なっているところも非常に巧い。
 本格ミステリとしての面白さと、人間ドラマの面白さをここまで両立させるのだから、たまらない。今頃読んでこんなことを言うのか、といわれそうだが、これは傑作。文句なし。今度21世紀以降の海外ミステリベストを選ぶときは、間違いなく入ってくるだろう。

ロス・トーマス『愚者の街』上下(新潮文庫)

「街をひとつ腐らせてほしい」諜報員としての任務の過程で何者かの策略により投獄され失職したダイに持ち込まれたのは、不正と暴力で腐敗した街の再生計画。1937年の上海爆撃で父親を失うも、娼館のロシア人女性に拾われ生きのびてきた。度重なる不運から心に虚無を抱えるダイは、この無謀な計略に身を投じる――。二度のMWA賞に輝く犯罪小説の巨匠が描く、暴力と騙りの重厚なる狂騒曲。(上巻粗筋紹介より引用)
 元悪徳警官、元娼婦に、元秘密諜報員。街を丸ごと腐らせる計画を託されたダイたちは、賭博や買春を黙認し賄賂を受け取る警察や風紀犯罪取締班の不正を訴え、スワンカートンの要人たちを次々に排斥していく。弱体化した街には各地のマフィアが群がり、かくして悪党どもの凄惨な共食いがはじまる――。予測不能な展開に一癖も二癖もある輩たち。濃密なる‶悪の神話〟も、ついにクライマックス!(下巻粗筋紹介より引用)
 1970年、発表。2023年5月、邦訳刊行。

 新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」シリーズの1冊。原題の"The Fools in Town Are on Our Side"(町の愚か者たちは我らが味方)は、『ハックルベリー・フィンの冒険』の一節から採られている。ロス・トーマスはほとんど読んでいないけれど、邦訳は全部出ていると思っていた。作者の第六長編で、初期の作者の集大成という広辻万紀評がある。
 米国秘密情報部「セクション2」の秘密諜報員であるルシファー・C・ダイは香港での作戦で予期せぬトラブルに巻き込まれ、とある小さな島国の監獄で三か月過ごす羽目になる。国際問題に発展し、出獄したダイは二万ドルの小切手を渡されて解雇された。とりあえずホテルに泊まったダイを訪ねてきたのは、ヴィクター・オーガットとという若手実業家。メキシコ湾に面した腐敗だらけの小都市スワンカートンを再生させるために、街を腐らせてほしいという依頼であった。
 久しぶりにロス・トーマスを読んだが、やっぱりすごいわと唸ってしまった。ストーリーは『血の収穫』を思い起こさせるような、街中の悪党の対立に主人公が関わるプロットだが、さらに主人公であるダイのクロニクルを組み合わせたところが素晴らしい。このダイの過去がかなり悲惨で、よくぞここまで生きてきたなと思わせる壮絶なもの。そんな過去の記憶と感情がストーリーに投影され、より深い作品に仕上がっている。それでいて、主人公にも作者にも余裕があるところがさすが。ユーモアに富みながらもシニカルな会話と視線。個性的な数々の登場人物。そして予想外のストーリーと、静かな余韻が漂う結末。ロス・トーマスの名人芸である。
 ハードボイルドで、アクション小説で、スパイ小説。こんな傑作が未訳だったなんて信じられない。新潮文庫、ありがとうといいたい。
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