アントニイ・ ギルバート『薪小屋の秘密』(世界探偵小説全集20)
新聞広告で知り合った男と結婚したアガサは、やがて夫の行動に疑惑を抱き始めた。若くハンサムな夫エドマンドのもうひとつの顔、幽霊が出るという人里離れた家で暮らすアガサの胸に忍び寄る不安の黒い影。エドマンドは果たして恐るべき青髭なのか。そして、ある日彼女は秘密の扉をあけた……
サスペンスフルな序盤から本格味豊かな後半へ、巧みなストーリーテリングで読者を翻弄する、アントニイ・ギルバートの代表作。(粗筋紹介より引用)
1942年発表。1997年10月、邦訳刊行。
作者は1889年、ロンドン生まれ。本名はルーシー・ビアトリス・マレスン。赤十字でタイピストとして働く間に自作の詩を雑誌や新聞に寄稿。その後、食糧省、厚生省、石炭協会などで秘書として働く。協会では機関誌に文章を書く。その後、病気の療養中に小説を執筆。1925年、J・キルメニー・キース名義の"The Man Who
Was London"でデビュー。二作を書いた後の1927年、アントニイ・ギルバート名義で"The Tragedy at Freyne"を発表。女性には探偵小説を書けないと信じている人が多かったため、男性名のペンネームにしたとのこと。最初の頃は出版社のコリンズ社にも正体を明かさなかった。好評だったため、次作以降は順調に出版された。1973年死亡。ミステリ関係の著作69冊。1936年、"Murderby Experts"で弁護士探偵アーサー・クルック初登場。以後、一作をのぞいて全作品に登場した。
本作品の翻訳タイトルは米国版タイトルであり、英国版は"Something Nasty in the Woodshed"である。
前半は若くハンサムな男性・エドマンド・ダワードと結婚したオールドミスのアガサ・フォーブズが、実は財産狙いではないかと疑うようになり、夫の行動に疑念を抱く過程が、アガサの視点で丁寧に書かれている。十分読める内容とはいえ、あまりにもありきたりな展開にどうなるかと思ったら、薪小屋での一番いいところで舞台が変わり、クルックが登場。そして今度はエドマンドの視点に切り替わる。この切り替わりが絶妙。読者はいいところでおあずけをくらい、さらにエドマンドとクルックの対決。これは目が離せない。
前半は女性目線の心理サスペンス、後半は探偵と犯人の必死の攻防と意外な展開。作者の構成力が冴える佳作ではある。80年以上も前の作品ということを考えると贅沢を言ってはいけないが、今だったらもう一ひねりあってもよかったんじゃないかと思ってしまうのは、少々毒されていますかね。
浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』(角川文庫)
成長著しいIT企業「スピラリンクス」が初めて行う新卒採用。最終選考に残った六人の就活生に与えられた課題は、一カ月後までにチームを作り上げ、ディスカッションをするというものだった。全員で内定を得るため、波多野祥吾は五人の学生と交流を深めていくが、本番直前に課題の変更が通達される。それは、「六人の中から一人の内定者を決める」こと。仲間だったはずの六人は、ひとつの席を奪い合うライバルになった。内定を賭けた議論が進む中、六通の封筒が発見される。個人名が書かれた封筒を空けると「●●は人殺し」だという告発文が入っていた。彼ら六人の嘘と罪とは。そして「犯人」の目的とは――。(粗筋紹介より引用)
2021年3月、KADOKAWAより単行本刊行。2023年6月、文庫化。
映画化されるとのことで購入。いや、映画は見に行かないけれど。
話題になっていたので簡単なストーリーは目にしていたが、こうやって読むと絶賛されたのもわかる。
まずは過去パートの「Employment examination ––就職試験––」。就職候補6人がグループディスカッションで1人だけ決めるなんて、今だったら間違いなく炎上しそうな試験方法だ。途中で当時の人事部長や学生のインタビューが差し込まれ、彼らにとっては結果がわかっているが、読者にとっては結果がわかっていないので、ある意味思わせぶりな内容になっており、読者を引き込む方法としてはうまい。そして六通の封筒に隠されていた六人の「嘘」と「罪」。一体だれがこんなものを準備したのか。
そして八年後の現在パートである「And then ––それから––」。就職した人物がとある出来事をきっかけに、過去の真相を改めて求めていく。
会話文が多く、スピーディーで展開が早い。そして就職選考という読者の多くが通ってきた道であり、さらに心の中にくすぶっていただろう違和感を抉り出す心情がよく描かれている。なるほどこれは共感するわ、と思いながら読んでいくうちに、今度は青春時代の郷愁と痛みを感じさせる内容に胸を打つ。それでいて、散りばめるだけ散りばめられた伏線が最後になって回収されていく、ミステリの醍醐味を味わせてくれるのだから、これは凄いというしかない。
これは売れるのもよくわかるわ、面白いもの。この完成度の高さと、胸を打つ展開を両立させたのは大したもの。青春ミステリの傑作でした。
石田明『答え合わせ』(マガジンハウス新書)
“M-1 2008優勝”“生粋の漫才オタク”がはじめて語る「漫才論」「M-1論」「芸人論」。(帯より引用)
2024年10月、刊行。
NON STYLEの石田明が今まで考えてきた漫才論を文字体系化した一冊。目次は以下。
1章 「漫才か、漫才じゃないか」への回答【漫才論】
2章 「競技化」で漫才はどう変わったか?【M-1論】
3章 「お笑いの得点化」という無理難題に挑む【採点論】
4章 路上から王者へ、挫折からの下剋上【コンビ論】
5章 漫才、芸人、お笑いの明日はどうなる?【未来論】
漫才の教科書、と言ってもいい一冊。漫才の基本は「偶然の立ち話」。ボケ「加害者」に振り回されながらも問いただすツッコミ「被害者」の2人がサンパチマイクの前で繰り広げる「おかしな話」が漫才の原点と定義づけている。しかし近年はそこから外れたスタイルが続々誕生しているとも説く。ボケのわかりづらいボケをツッコミが説明する「共闘型」(代表例は真空ジェシカ)。コントの手法を取り入れた漫才のうち、「設定の中の役柄と巣の自分を行き来する」のは漫才コント(代表例はNON STYLE)、「設定の中の役を演じ切る」のはコント漫才(代表例はサンドウィッチマン)。○○漫才と一定の方で名付けられる「システム漫才」(代表例はミルクボーイ)などの言葉の定義。さらにツッコミやボケの役割論、見せ方、声量、東と西の違い、M-1でどう勝つか、会場の違いによる笑いなどの技術論、さらに笑いの得点化、自らの歴史を振り返りながら漫才師としてのコンビ結成やネタ作り、コンビ解散などに触れたコンビ論、そして漫才の未来などである。
スポーツがただ勝てばよい、強ければよい、からどうすれば勝てるかという科学論にまでどんどん深く分析されていくのと同じように、漫才もどんどん分析され、より高度に解析されていくのだろう。まあテレビや舞台で見る方は、そんな小難しいことを考えず、とにかく楽しめればそれでいいと思うんですけれどね。
それにしても、漫才が「おかしな話」だけに限らなくてもいいと思うのは私だけかな。落語にだって人情噺や怪談噺があるのだから、そういう漫才があってもいいと思うんだけれどね。涙を流して感動しても、背筋がぶるっと震えても、それはそれで「面白い」漫才だと思うので。ただ、M-1の4分間でまとめるのはきついかな。
ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(新潮文庫)
マンチェスター大学の学生寮から女子学生ゾーイが姿を消して6年が経過していた。イヴリンはこの失踪事件にとり憑かれ、関係者への取材と執筆を開始。作家仲間ジョセフ・ノックスに助言を仰ぐ。だが、拉致犯特定の証拠を入手直後、彼女は帰らぬ人に。ノックスは遺稿をもとに犯罪ノンフィクションを完成させたが――。被害者も関係者も、作者すら信用できない、サスペンス・ノワールの問題作。(粗筋紹介より引用)
2021年、発表。2023年8月、邦訳刊行。
2011年12月17日、19歳のマンチェスター大学学生ゾーイ・ノーランが、学生寮で開かれたパーティを抜け出し、そのまま消息を絶った。2017年、依頼の無くなった作家のイブリン・ミッチェルはこの事件の取材を始め、ノンフィクションを執筆し始める。そして友人であるジョセフ・ノックスにメールでアドバイスを受ける。
本書は〈マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ〉シリーズのジョセフ・ノックスが書いた第四長編であり、初のノンシリーズものである。しかし最初のページを開けると、いきなり「第二版刊行に寄せて」と出てくる。しかも、この第二版でノックスの関与を補足し、様々な疑問における作者の回答を追加した、これで出版社はビジネス上の関わりを終了した、と穏やかではない一文が差し込まれている。さらに載せられたノックスの声明が、この作品とノックスの関わりについて何らかの問題があることを示唆している。
物語はイブリンが、ゾーイの家族や友人、周囲の関係者に行ったインタビューを基に、所々で新聞記事を差し込み、時系列に並び替えて構成されている。そのため、各人が語る内容に食い違いが生じている。単なる記憶違いなのか、それとも自分に都合よく解釈しているのか、そして何かを隠しているのか。ゾーイの失踪、背景、捜査、その後などが進んでいくのだが、合間合間でイブリンとノックスのメールのやり取りが挟まれている。イブリンが書いた原稿を都度ノックスに送り、感想を送ってもらうのだが、プライベートで不穏な内容も入っており、しかも一部は黒塗りされている。
読んでいて、何が正しいのか、何を信じればよいのかわからなくなってくる。なぜか手書きのサインも入っているし、関係者の写真も出てくる。作中で出てくる「ノックス」は、神の視点に位置する作者のノックスと同じなのか、違うのか。標題の「トゥルー・クライム」は、本当にトゥルーなのか。
とにかく面白い。インタビューばかりではあるが、互いに当時を思い出しながら会話する体で話が進むため、テンポが非常によい。そして関係者が少しずつ表に出ていない真実が出てきて、失踪事件をめぐる謎はどんどん深まっていく。誰かのインタビューの嘘を他のインタビューと取材結果から推理するというのは、なかなか興味深い。おまけに作者側にも何らかの嘘が隠されていることが、メールから読み取れ、事件の真相に深い影響を与えてくる。
虚と実を交錯させる、よくぞこういう作品を考え付いたものだと感心してしまった。700ページ近い作品だが、ワクワクしながら読み終えることができた。解説で千街晶之が『ポピーのためにできること』との類似性を指摘していたが、本作の方が段違いに上。傑作です。もう、凄いとしか言いようがない。もっと早く手に取るんだった。
川田利明『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス)
脱サラをしてラーメン店を開こうとする人は後を絶たず、年間の出店数は3000店を超えるというデータがあります。それだけ競争が激しい世界で、新規オープンから3年以内潰れるお店は8割にも達すると言われています。
本書はさまざなま失敗を重ねながら、今年(2019年)で10年目を迎えた『麺ジャラスK』の店主であり、プロレスラーの川田利明さんが、現役時代に購入したベンツを売り払ってわかった〝俺だけの教訓〟を余すことなく披露。成功のための「してはいけない」逆説ビジネス学を辛口で伝えます。(作品紹介より引用)
2019年9月、刊行。
プロレスファンを大いに沸かせた、全日本プロレスの四天王プロレス。まさに命がけともいえる大技の応酬と受けの凄みを体現したプロレスだった。2010年6月12日に、ラーメンと鶏の唐揚げを看板料理として、自身のニックネームにちなんだ『麺ジャラスK』を開店。同年8月15日の六人タッグを最後にプロレスは休業状態に入った。
最初から「しょっぱなからこんなことを書くのもなんだけど、この本を読んで〝こんなに大変なら、やっぱりラーメン屋になるのはやめよう〟と思ってくれる人がいてくれたほうが、俺はいいと実は思っている。こんなに成功する確率が低いビジネスに、人生を賭けてチャレンジするなんて、本当に無謀なこと。チャレンジというより、これはもうギャンブルだからね」と川田が書いている通り、まさに失敗だらけのラーメン屋経営10年を書いたもの。第3章のタイトルが「そして、俺はベンツを3台、スープに溶かした……」である。
ラーメン屋にかぎらず、脱サラや退職後に飲食店経営を目指そうとという人にはぜひ読んでもらいたい一冊。ラーメン屋を経営するのはこんなに大変だよ、という失敗談のオンパレード。面白いのだが、ではどうすれば儲かるのか、という経営学的な話や数字の話はほとんどないので、“ビジネス学”というのはちょっと大げさかな、とは思った。まあこのタイトルは編集者が考えたものだとは思うが。
当時のプロレスファンにとっても、あの川田が、という感じの一冊に仕上がっており、十分面白い。エピソード本として読めばいい一冊である。遠いので躊躇しているが、一度くらい『麺ジャラスK』に行ってみたい。
トマス・H. クック『緋色の迷宮』(文春文庫)
近所に住む8歳の少女が失踪し、ひょっとすると自分の息子が誘拐しいたずらして殺したのかもしれないという不安。自分の兄もそういう性向を持ち、事件に関わっているかもしれないという疑念––––自分をつくった家族と自分がつくった家族。確固たる存在だと信じていた二つの世界が徐々に崩れはじめるとき、どうすればいいのか。(粗筋紹介より引用)
2005年、アメリカで発表。2006年9月、邦訳刊行。
米国東部の小さな町で写真店を経営しているエリック・ムーア。中学時代に父は事業で失敗し、母は事故死。可愛い妹は癌で病死。残っているのは飲んだくれの兄・ウォーレンだけ。だが短期大学講師の妻・メレディスと、一人息子で15歳のキースと幸せに暮らしていた。しかし近所に住む8歳のエイミー・ジョルダーノが行方不明になり、その直前までベビーシッターをしていたキースに疑いがかかる。
ストーリーは割と単純。近所の少女エイミーが行方不明になり、息子キースがその犯人ではないかと父親エリックが心配する話だ。警察はキースの周辺を操作し、エイミーの父親ヴィンスはキースが犯人ではないかと疑う。さらにエリックの過去、かつての家族達との想い出と悲劇が重なってくる。
一つの事件を通し、家族のすれ違いが浮かび上がってくる。子を信じたい親、子を疑う親。そしてそんな親を見る子供。妻は夫をどう思っているのか。いくつかの家族の姿を通し、家族の絆とは何かを問いかけてくる作品である。面倒ごとから逃げてばかりとメレディスに攻められるエリックの姿、きついなあ。
ただ、残念なのは終わり方。折角丁寧に積み上げてきた物語を、最後でぶち壊している感がある。優れた心理サスペンス作品だったのに、これは勿体ない。作者の狙いがちょっとわからなかったな、これは。
静かな震えが徐々に大きくなってゆく作品だった。これで結末がよければ、傑作と言ってもよかったのだが。
雨井湖音『僕たちの青春はちょっとだけ特別』(東京創元社)
中学時代、クラスのお客様扱いでぼんやりと過ごしてきた青崎架月。15歳の春、この明星高等支援学校に進学したことで、そんな日常にちょっとした変化が。先輩が巻き込まれたゴミ散乱事件、ロッカーの中身移動事件、生徒失踪事件を同級生や先輩の手を借りながら解決していく。高等支援学校を舞台に、初めてできた友人たちとの対等な付き合いに戸惑う架月の青春と、彼が出合った謎を描く連作集。(粗筋紹介より引用)
2024年、東京創元社×カクヨム学園ミステリ大賞大賞受賞。加筆修正のうえ2024年12月、単行本刊行。
作者は宮城県在住で、高等支援学校の職員。本作の舞台は自らか近隣の学校を舞台にしているのかと思ったら、全然違うらしい。作者があとがきで「明星高等支援学校は、作中にもあるように軽度知的障害を持つ生徒が選考試験を経て入学し、就労と自立を目指して学ぶ三年制の私立校です。この形態は、世の中にたくさんある特別支援学校と比べるとかなり珍しいものだと思います」と書いている。本作で描かれている入試や中学校からの申し送りなども完全なフィクションとのこと。
明星高等支援学校に進学した青崎架月が、周囲で起きた三つの事件を解く連作短編集、の形にはなっている。もっとも各短編ごとにタイトルがついているわけではなく、「第一章」「第二章」の形になっているので、入学から夏休み前までの架月とその友人たち、そして彼らを見守る人たちを描いたもの、という印象の方が強い。
登場人物たちは確かに高等支援学校に通っているし、知的障害や発達障害を持つ子たちではあるものの、根っこの部分は変わらない。好きなアイドルは応援するし、興味のあることには熱中し、ちょっとしたことで感情が揺れ動き、そして異性に恋する。ただ実際に接すれば。また違う感情を抱くかもしれない。人は多種多様であり、彼らも“特別”ではなくその一部である、と普通に思えるようになりたいものだ。
ただミステリとして読むと、日常の謎としてもかなり弱い。謎自体が弱いのは仕方ないかもしれないが、推理の部分も淡白で物足りない。架月自身や架月を取りまく人たちの感情が中心となっているから、これは仕方がないかな。一つぐらい核になるような強烈な謎が欲しかったところだが。
架月たちのその後を見てみたい、そんな気にはさせられる一冊。そう思うということは、学園ミステリとして成功しているのだろう。
シャロン・ボルトン『身代りの女』(新潮文庫)
卒業を間近に控えたパブリック・スクールの優等生6人が自動車で逆送。母娘3人の命を奪う大事故を起こしてしまう。20年後、一人で罪を被り刑期を務めあげた
メーガンが、国会議員、辣腕弁護士と、いまや成功を収めている5人の前に姿をあらわす。彼らと交わした“約束”を果たさせるために……。身代り契約の果ての惨劇を、周到に仕組まれたプロットと圧倒的筆力で展開する、予測不能サスペンス。(粗筋紹介より引用)
2021年、イギリスで発表。2022年、CWAイアン・フレミング・スティール・ダガー最終候補作。2024年4月、刊行。
作者は2008年、S・J・ボルトン名義で『三つの秘文字』でデビュー。初期三作が創元推理文庫から邦訳されている。邦訳はそれ以来となる。
メーガン・マクドナルド、タリサ・スレイター、アンバー・バイク、フェリックス・オニール、ザヴィエル・アトウッド、ダニエル・レッドマン。オックスフォード市内の高校を卒業し、大学入学資格試験の結果発表を翌日に控えた夏、優等生6人は市で夜を過ごし、一日の最後をいつも通りタリサの家で迎えた。酔っ払ったフェリックスの提案で、今日も時速80マイル(約128.75km/h)で高速道路M40を数分逆送する肝試しを始めた。しかし母娘3人の命を奪う大事故を起こしてしまう。運転していたダニエルが自首するか、それとも全員が自首するか、黙っているか。メーガン・マクドナルドは自分一人が自首すると告げた。そして事件の真相とある約束を交わした念書を書き、5人にサインさせる。殺人罪で二十年服役したメーガンは出所後、成功した五人の前に姿を現す。
作者の作品を読むのは初めて。評判がよかったので手に取ってみた。なるほど、これは面白い。しかも序盤からハイスピードの面白さである。
5人の身代わりとなったメーガンが帰ってきてからの行動が恐ろしい。当時の罪悪感や今の地位を守る保身などそれぞれ抱える内面は違うが、5人がメーガンに怯え、怒り、そして苦悩する姿がリアルに描かれている。解説の大矢博子が言う通り、「途中でやめられない」。6人の運命はどうなってしまうのか、気になって気になってしょうがないのだ。昔だったらメーガンを応援していただろうが、今だったら5人の方にも同情してしまうかな。これも年を取った証拠かね。
ただ、この結末はないだろう。最後の最後で作者が方向転換したのか、と問い詰めたくなるぐらいである。最初の流れのままで終わらせるべきではなかったか、これは。方向転換するにも、もう少し流れというものがあるだろう。最後でがっくりしてしまった。
前半傑作、中盤傑作、後半傑作、結末がっくり。一番疲れる読み方になってしまった。いや、意外性があっていい、という読者もいるかもしれないし、行動心理はわからないでもないけれど。
甲賀三郎『盲目の目撃者』(春陽文庫)
嵐で沈没した客船ブラジル丸から奇跡的に救出された船医の井田は、帰国後、酒浸りの無為な日々を送っていた。彼はカフェで出会った謎の青年の依頼で、もう一人の生存者である富豪の相続人・民谷清子を訪ね、殺人事件に巻き込まれてしまう……。二転三転する事件の意外な結末とは? 他に「山荘の殺人事件」「隠れた手」を併録。さらに横溝正史のエッセイ「好敵手甲賀・大下」も収録。(粗筋紹介より引用)
2024年9月、刊行。
嵐で沈没したブラジル丸で奇跡的に生き残った船医の井田信一は、両親も知らず、親戚も友達もいないため、帰国後はカフェで酒浸りの日々だった。井田は謎の青年紳士・緑川保の依頼で、夜中に老人を視ることとなったが、目の前で死んでしまい、逃げ帰った。翌日、新聞に何も載っていないことを不思議に思った井田は、昨日訪ねたホテルに行くが、そこで見かけたのはブラジル丸に一緒に乗っていて好意を抱いた草野妙子だった。妙子の家を見つけ、そこに居た書生に聞くと、彼女は富豪の跡取りである民谷清子だという。しかし清子はブラジル丸で病死し、それを看取ったのは井田と妙子であった。そして井田は殺人事件に巻き込まれ、捕まってしまう。「盲目の目撃者」。『サンデー毎日』(毎日新聞社)1931年6月14日~8月2日号掲載。
信州の諏訪町で大きな製紙工場を経営する香山夫妻に誘われ、冬の富士見高原の山荘へ出かけた瀬川夫妻。山荘には、諏訪町の実業家である神永夫妻がいたが、さらに俳優の友成恭一郎・妙子夫妻も来ることになった。妙子は元女優で、結婚前の香山、瀬川とは噂があった。そのため、香山の妻・葉子と瀬川の妻・哲子は少し不機嫌になった。初日の夜、香山と瀬川が地下室で短銃の稽古をし、他の人たちは広間に居た。しかし夜が更けても、二人は戻ってこない。地下室へ行くと香山が殺され、瀬川が行方不明になっていた。「山荘の殺人事件」。『婦女界』(婦女界社)1931年10月~1932年2月号掲載。
上京したが仕事のない24歳の私、高浜義一は、職業安定所で聞いた掃除人夫を探しているという噂を頼りに東洋ホテルへ行った。裏口から中に入るも迷ってしまい、飛び込んだ部屋に閉じ込められた。隣部屋の扉が開いていたので入ってみると先ほど前声が聞こえていた男が死んでおり、慌てた私は男のポケットから二十円を奪って逃げだした。男は前代議士の脇本市兵衛で、その日は娘の民子と、代議士の佐々木勝之助の結婚式だった。脇本が神社の指揮に来ないのに、佐々木は延期を聞き入れず式を強行していた。「隠れた手」。『家の光』(産業組合中央会)1929年5月~12月号掲載。
謎解き重視の「本格」という言葉を提唱した甲賀三郎。しかし短編と比べると、長中編はサスペンス重視の通俗ミステリばかりというのが残念であった。甲賀三郎長編作品の唯一の傑作がノンフィクション・ノベルの『支倉事件』というのでは、「本格」を提唱しても説得力に欠ける。もし甲賀三郎が長編本格探偵小説を書いていたら、ミステリ界はもう少し変わっていたかもしれない。
ここに収められた三中編は、いずれも通俗ミステリと言ってよいもの。「盲目の目撃者」は難破から奇跡的に助かった青年が事件に巻き込まれるものだが、週刊誌の読者を退屈させないためだろうとはいえストーリーは急展開かつ強引そのもの。密室らしきものが最後に出てくるものもトリックは大したことがなく、標題の意味が解るのも最後の方。肩透かしで終わる作品であった。
「山荘の殺人事件」は過去に色々ありそうな四組の夫婦が集まった山荘で起きる殺人事件。さらに隣の工場の関係者までが関わり、事件の様相が複雑になる。被害者と一緒にいたはずの夫が失踪し、語り手の妻が心配するあたりは、女性誌に連載されていた物なのだろうと思わせる。三作品の中では一番本格探偵小説に近い味わいであるが、警察の動きが間抜けすぎるのはともかく、肝心のトリックが雑過ぎる。特に最初の事件の謎解きは、聞かされると唖然としてしまう。
「隠れた手」は主人公の高浜がふとした偶然から殺人事件に巻き込まれ、キーパーソンになる話。政治家たちの陰謀が意外な結末に流れ込むものだが、動いているうちに終わってしまい、本格探偵小説としての要素は今一つ。
どの作品も1956、57年を最後にどこにも収められなかったのもわかる気がする。解説の日下三蔵もあくまで「覚え書き」という形で作品の経緯を書いているのみであり、作品自体の解説はほとんどない。横溝正史のエッセイ「好敵手甲賀・大下」も他で読めるものであるので、できればあまり読めないものにしてほしかったというのが本音である。
ただ、『甲賀三郎全集』に収録されていない作品でもあるし、刊行されて良かったとは思う。当時の風俗を描いた通俗探偵小説と割り切って読めば、それなりに楽しめる。読者を飽きさせない腕はさすがである。
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