森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』(中央公論新社)
舞台はヴィクトリア朝京都。洛中洛外に名を轟かせた名探偵ホームズが……まさかの大スランプ!?
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この手記は脱出不可能の迷宮と化した舞台裏からの報告書である。
いつの間にか迷いこんだその舞台裏において、私たちはかつて経験したことのない「非探偵小説的な冒険」を強いられることになったわけだが、世の人々がその冒険について知ることはなかった。スランプに陥ってからというもの、シャーロック・ホームズは世間的には死んだも同然であり、それはこの私、ジョン・H・ワトソンにしても同様だったからである。
シャーロック・ホームズの沈黙は、ジョン・H・ワトソンの沈黙でもあった。
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謎が謎を呼ぶ痛快無比な森見劇場、ついに開幕!(粗筋紹介より引用)
『小説BOC』三号~六号、八号、十号(2016年10月~2018年7月)連載。全面改稿のうえ、2024年1月、単行本刊行。
舞台はヴィクトリア朝京都。なんだ、それは。シャーロック・ホームズがいるのは寺町通り221B。ジョン・H・ワトソンがメアリ・モースタントと結婚して診療所を開いたのは下鴨神社界隈。京都警視庁にスコットランド・ヤードと振り仮名が打たれている。
徐々にスランプになり、「赤髪連名事件」で大失敗したホームズは部屋に立てこもる。何とかしようとするワトソンとハドソン夫人。ホームズばかりにかまけるワトソンに不満を持つワトソンの妻、メアリ。ハドソン夫人の下宿屋の三階に住むのは、こちらもスランプになって大学を辞職したジェイムズ・モリアーティ教授。ホームズが謎を解かないので、こちらも事件を解決できなくなったレストレード警部。ハドソン夫人が221Bの向かいに購入した下宿屋に入ってきたのは、元舞台女優のアイリーン・アドラー。アドラーはホームズの代わりに事件を解くようになり、学生時代の友人であったメアリがホームズ譚の代わりに『ストランド・マガジン』にアドラーの活躍を書くようになる。
なんともまあ、こんな珍妙な話を考え出したものだ。森見登美彦を読むのは初めてだが、こんな作品を書く人だったのか。
ホームズは鋤ではないが、ホームズネタは好きだ。だから楽しく読むことはできた。とはいえ、本格ミステリとしてのホームズ譚を期待してはいけない。冒険浪漫小説としてのホームズ譚を期待してもいけない。ならば、何だ、この小説は。探偵小説とは何かが問われるも、本作品はミステリではないだろう。ホームズや周辺の登場人物を使ったエンターテイメント、としか言いようがない。
シャーロック・ホームズのパラレル小説であり、ホームズやワトソンたちが登場しないと始まらないが、コナン・ドイルが描いたホームズたちとは別物。大胆と言えば大胆だし、楽しめることは楽しめるのだが、感心できるかとなると話は別。どう評価したらよいのやら。
紺野天龍『魔法使いが多すぎる 名探偵倶楽部の童心』(講談社タイガ)
人を不幸にしない名探偵を目指す大学生・志希が出会ったのは、自らを魔法使いと信じる女性だった。依頼された事件は、師匠の死。剣が宙を舞い首が落ちる事件で、獄炎使いも人形師も次々に犯行を自白するという異常事態を論理で解決せよ!
「探偵たるもの、依頼人を信じ抜くのです!」魔法を信じる心に〈名探偵倶楽部〉の論理は届くのか。青春の日々が蘇る、やさしいミステリ。(粗筋紹介より引用)
2025年2月、書下ろし刊行。
『神薙虚無最後の事件』が『神薙虚無最後の事件 名探偵倶楽部の初陣』とタイトルを替えてシリーズ化され、講談社タイガより刊行。本作品はシリーズ第二弾。
続編があってもいいなと思っていた作品だったが、まさか〈名探偵倶楽部〉シリーズとなるとは少々驚き。東雲大学の先輩後輩で、同じアパートの隣同士である瀬々良木白兎と来栖志希が再び事件に挑む。同じ倶楽部で〈東雲〉こと金剛寺煌は夏休みでハワイ旅行中。雲雀耕助は本来の所属先である広報サークルの季刊誌作成中で忙しい状況。
事件の依頼人は、同じ大学二年の聖川麻鈴。自分を魔法使いと信じる麻鈴は、児童養護施設の経営者だる聖川光琳が樽の中に詰められ、八本の剣で全身を刺しぬかれて殺され、さらに首を持ち去られるという10年前に起きた「白ひげ殺人事件」の目撃者だった。失踪した共同経営者の秘書が犯人と目されるも、行方不明のまま捜査は打ち切られた。麻鈴は光琳のことを魔法使いの師匠であると告げ、自らを含む5人が弟子であるという。師匠は魔法で殺されたと信じる麻鈴は、今になって師匠を殺したという姉弟子と対峙することとなる。
某パーティーゲームになぞらえた「白ひげ殺人事件」のネーミングは面白かったが、白兎と志希が魔法使いを自認する麻鈴の姉と次々対峙する展開は、ワンパターンかつ単純でついていけない。もう少し変化球が欲しかったというか。魔法の街に関する種明かしは、がっかりするしかなかった。さらに「白ひげ殺人事件」のトリックも面白くないし、事件の顛末も今一つ。白兎と志希の仲がどうなるかという点だけは興味をひかれるも、やり取りがテンプレート過ぎて残念。
どうやって「人を不幸にしない」結末に持っていくか、という展開だけを頼りに最後まで読んだけれど、これも今一つだったかな。事件そのものに頼るしか、不幸にしない手段がないように思えるのだが、今後どうするのだろう。
ということで、次作は読むかどうか悩む。三作目で終わるなら手に取るけれど、まだ続くようであったらパスするかも。
新川帆立『目には目を』(KADOKAWA)
重大な罪を犯して少年院で出会った六人。彼らは更生して社会に戻り、二度と会うことはないはずだった。娘を殺された母親・田村美雪はインターネットで情報を募っていたが、少年Bが密告をしたことで美雪は少年Aの居場所を知り、殺害に至る――。裁判で「目には目を」「死には死をもって償ってもらう」と話した美雪は二年後、求刑通り無期懲役判決を受け、そのまま服役した。ノンフィクションライターの仮谷苑子は、少年院へ行った多くの少年の中でなぜ少年Aだけがこれ押されたのかを疑問に思い、「目には目を事件」の関係者に取材を重ね、事件の真相に迫る。
人懐っこくて少年院での日々を「楽しかった」と語る大坂将也。幼馴染に「根は優しい」と言われる大男・堂城武史。高IQゆえに生きづらいと語るシステムエンジニアの小堺隼人。社会復帰後は元猟奇殺人犯として日常をアップする動画配信者・雨宮太一。社会復帰後はマルチ商法にはまり、高級車を乗り回す元オオカミ少年・進藤正義。少年院で一度も言葉を口にせず、社会復帰後はゴミ屋敷で父と暮らしている岩田優輔。かつての少年六人のうち、誰が被害者で、誰が密告者なのか? (帯の紹介文に追記)
『小説 野性時代』2023年4月号~2024年1月号連載に加筆修正し、2025年1月刊行。
デビュー作『元彼の遺言状』が大ヒットした新川帆立の最新作。作者の著書を読むのは初めて。評判がよかったので手に取ってみた。
複数へのインタビューから被害者・密告者を探し求めるフーダニット作品である。被害者少年Aは物語の展開上、序盤で正体が割れる。しかしインタビューを進めても、密告者少年Bが誰なのかが辿り着かない。
一方、少年たちが犯した事件の方も千差万別。親からのネグレスト、周囲からのいじめ、自己中心主義、勝手な犯行論理など、少年たちが犯罪に手を染めるまで、そして退院後の行動や生活が千差万別で、現代社会の問題点を浮き彫りにしていく。
少年Bを探す過程で読者に投げかけられるのが、更生とは何か、復讐とは何か、贖罪とは何かという問題である。著者様々な仕掛けを用い、読者に現状を叩きつけてくる。フーダニットと社会問題の問いかけをバランスよく成り立たせている点は見事である。何もできない、何も答えが出ない虚しさの中で、一筋の光を見出そうとする展開は、読者の救いとなるだろう。
社会派推理小説としてよくできた作品。少年法を中心とした社会問題を、ミステリという枠と表現にうまくはめ込んだという点でも評価したい。今年のベスト候補に入るかな、これは。
ジャニス・ハレット『アルパートンの天使たち』(集英社文庫)
2003年、ロンドン北西部の廃倉庫で、自分たちは人間の姿をした天使だと信じるカルト教団《アルパートンの天使》信者数人の凄惨な遺体が見つかった。指導者の自称・大天使ガブリエルは逮捕され、現場で保護された17歳の男女と生後まもない乳児のその後は不明……。事件から18年、巧妙に隠蔽されてきた不都合な真相を、犯罪ノンフィクション作家の「取材記録」があぶり出す。圧巻のミステリー!(粗筋紹介より引用)
2023年、発表。2024年11月、邦訳刊行。
前作『ポピーのためにできること』は英国推理作家協会賞(CWA賞)ジョン・クリーシー・ダガー賞を受賞し、日本でも話題をさらったのだが、個人的には好きになれない作品だった。本作も前作同様、メール・チャットのやり取りやインタビュー、ニュース記事、脚本などからの引用等で構成されている。
今回は18年前に起きた事件の真相をノンフィクション作家が探る。前作は本格ミステリであったが、本作はサスペンス。地の文がない本作のような形式は、本格ミステリよりもサスペンスの方が合っている気がする。登場人物の内面をストレートに押し出すことで、読者を混乱と驚愕に巻き込み易い。
正直、最初の方は退屈。主人公である犯罪ノンフィクション作家アマンダ・ベイリーと、元アシスタントで文字起こし担当のエリー・クーパー、元同僚で同じく事件を追いかけるオリヴァー・ミンジーズ、エージェントのニック・コーリー、担当編集者ピッパ・ディーコン達とのやり取りは、事件と関係ない情報が多く、読んでいて苦痛を感じる。しかしそれも途中まで。事件関係者や警察関係者などへの取材、インタビューを重ねていくうちに、解決済みであったはずの事件の隠された部分が徐々に見えてくるとともに、さらに謎が深まっていく事件の全貌を知りたい、という欲求に捉われ、ページを読み進めていくことになるはずだ。そして事件にとり憑かれていくアマンダたちの姿に、読者も狂気と戸惑いを感じることになる。
読み終わってみると、驚くべき結末に向けて作者が最初から計算してメール等の文章を積み上げていることがわかる。そして、多すぎると思える登場人物を巧みに配置していることもわかってくる。いったいどこまで計算して、物語を作っていくのだろう。作者の巧みさに驚くばかりだ。
2025年のベスト候補に入ってくるだろう。元脚本家ならではの技巧なのだろうが、できれば地の文がある作品も読んでみたい。
永嶋恵美『檜垣澤家の炎上』(新潮文庫)
横濱で知らぬ者なき富豪一族、檜垣澤家。当主の妾だった母を亡くし、高木かな子はこの家に引き取られる。商売の舵取りをする大奥様。互いに美を競い合う三姉妹。檜垣澤は女系が治めていた。そしてある夜、婿養子が不審な死を遂げる。政略結婚、軍との交渉、昏い秘密。陰謀渦巻く館でその才を開花させたかな子が辿り着いた真実とは――。小説の醍醐味、その全てが注ぎこまれた、傑作長篇ミステリ。(粗筋紹介より引用)
2024年8月、書き下ろし刊行。
主に登場する檜垣澤亭の女たちは以下。(帯より引用)
スエ 夫要吉と共に生糸を取り扱う商店を貿易会社へと育てる。
花 スエの長女で後継ぎ。野心と行動力をあわせ持つ。
郁野 花の長女。商才や社交性に欠ける面がある。
珠代 同次女。自己主張の塊。恋愛遊戯にうつつを抜かす。
雪江 同三女。珠代への対抗心があり、かな子を気まぐれに可愛がる。
明治三十七年(1904年)、日露戦争開戦の年に誕生した高木かな子。父は檜垣澤家の当主要吉。母は元売れっ子芸者で妾のひさ。かな子が学校に上がる年、要吉は卒中の発作で倒れた。ひさは法事の手伝い先で火事に巻き込まれて亡くなり、7歳のかな子は檜垣澤家に引き取られる。檜垣澤家内で力を得るため、かな子は立ち回ることを決意する。
いわゆる一族ものにミステリ要素を加味した大作。1904年から1923年までの物語はかな子が檜垣澤家の中で力をつけていこうとする苦難の歴史であり、そして檜垣澤家一族の記録でもある。女性だらけの一族、そして物語に登場する多くも女性である。一族内の争いもさることながら、かな子をいじめる檜垣澤家の女中たち、横濱のサロンともいうべき有力夫人の集まり、さらに女学校など、女性たちの様々な思惑と感情がかな子を巻き込んでゆく。
まずは登場人物の造形が素晴らしい。物語の隅々まで計算して配置された登場人物。ここには当然、檜垣澤邸に住むものも当然含まれる。言葉、表情、行動の一つ一つに意味があり、隠されている真実につながる。800ページ近い作品で細部まで構成していくのは、並々ならぬ苦労が窺える。凄いとしか言いようがない。
華麗なる一族の物語であり、そしてミステリでもある。事件の謎の真相を、ここまで長いスパンで引っ張っていけるのは、一族ものならではの妙技。かな子の成長に合わせて少しずつ明らかになっていくストーリーは、読者に長い快感と至福をもたらしてくれる。いやはや、脱帽である。
NHKの朝ドラにミステリというお酒をブレンドしたような作品。この絶妙なカクテルが、読者を酔わせてくれる。そして万華鏡のように、読者が見る景色はちょっとしたことで変わっていき、新しい世界を見せてくれる。2024年のミステリ界を代表する一冊である。
馬伯庸『西遊記事変』(ハヤカワ・ミステリ)
仙人の李長庚は昇進の望みを捨て、天庭で隠居生活をするつもりでいた。だが、新しく任命された西方の幹部・観音菩薩に、天竺へ向かう三蔵に課す八十一難の企画立案をうまく押しつけられる。その仕事は煩雑で、予想外の出来事が後を絶たない。予算不足、同僚間の争い、天下りの氾濫。さらに悟空に身分を奪われたと主張する猿が現れる。無数の因果が絡む雑事に悩まされる李長庚は、仕事の中で、自身の昇進と、仙界の騒乱を起こした真実のどちらをとるか選択を迫られ……中国古典『西遊記』を舞台裏から描くエンタメ小説。(粗筋紹介より引用)
2023年、中国で発表。2025年1月、邦訳刊行。
『両京十五日』で話題をさらった作者による、『西遊記』の舞台裏。「訳者あとがき」によると、「全編をとおして独自の解釈が冴え、その中で『西遊記』にまつわる数々の謎が展開され、解かれます」とある。
ただまあ、『そんごくう』は絵本や漫画、アニメなどで知っているのだが、大長編『西遊記』は読んだことがない。読み始めたときは知らないことばかりで結構不安になるのだが、読み進めていくうちによく知っている三蔵法師一行が関わりを持つようになり、非情に面白いドタバタ劇が繰り広げられた。『西遊記』を読んでいれば、もう少し楽しめたのかもしれないが、読んでいなくても十分理解できる。簡単な注釈が多いし、登場人物には常にフリガナが降ってあるので、読む方にも優しい造りになっているのは大変助かった。
素直に面白かったな、と言える作品ではあったが、やはり原典に寄りかかっている部分があるのは否めない。その分だけは若干点数が低くなるかな。とはいえ、そんな評論家っぽいことをする必要はこちらにはないので、単純に楽しめればそれでいい。そんな作品である。
朝永理人『幽霊たちの不在証明』(宝島社文庫)
羊毛高校文化祭の二日目の午後、二年二組のお化け屋敷で、首吊り幽霊に扮していたクラス委員・旭川明日菜の絞殺死体が発見された。彼女に想いを寄せていた「僕」こと閑寺尚は、打ちひしがれながらもその仇を討つべく、クラスメイトの甲森瑠璃子とともに調査に乗り出す。幽霊役の彼女はいつ本物の死体になったのか。分刻みの“時間当て”で犯人を絞り込む本格フーダニット・パズラーの傑作!(粗筋紹介より引用)
2019年、泡沫栗子名義の『君が幽霊になった時間』で第18回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞。改名、改題し、加筆修正のうえ、2020年3月、宝島社文庫より刊行。
本作の原型は、2017年の第27回鮎川哲也賞最終候補作『幽霊は時計仕掛け』である。作者は2016年に『墜落論』で第26回鮎川哲也賞最終候補に残っている。
高校の文化祭中に起きた女子生徒の殺人事件の犯人を、クラスメイト2人が捜す本格ミステリ。クラスメイト達の証言を元に犯行時間を分刻みで絞り込み、その時間に犯行が可能だった人物を論理で導き出す。文体は軽めで、サクサク読める。殺人事件が起きるまでの友人たちの会話はいかにも高校生が楽しんでいるなと思わせるコミカルなもので、これで語り手の閑寺尚が一年生の時は友達ゼロと言われても信じられない。一方、探偵役の甲森瑠璃子は同級生と喋っているのを見たことがないという、コミュニケーションに難有りである。彼女が探偵役として手を上げる動機は、ある意味切実で、そしてある意味こんなことで、というものである。ただ、余りにも唐突で共感はできない。言い方は悪いが、なんで脇から出てきた、である。
80ページ以上となる「解決編」における、犯人を導き出すロジックは単純明快だが鮮やかである。ただ、それが面白いかと言われるとちょっと微妙。冒頭の部分がちょっとあからさますぎるかな。
ただ、この作品の問題点が多すぎる。まず、真犯人自体が微妙。そして、なぜこんな舞台で殺人に手を染めるかについて、説得力がない。そして一番の問題点は、殺人の動機が弱すぎる。いくらなんでも、これはひどい。
個人的なことを言えば、優秀賞でもよく取れたな、と思うぐらい評価できない。ロジックの部分が多分評価されたのだろう。ただ、他の部分が弱すぎた。
コリン・ワトスン『浴室には誰もいない』(創元推理文庫)
野次馬が見守るなか、一軒家から四人の警官の手で運ばれていく浴槽。匿名の手紙の告発を受けての捜査の結果、浴室からは死体を硫酸で溶かして下水に流した痕跡が確認される。この家に住んでいたのは、セールスマンのホップジョイ氏と家主のペリアム氏。ふたりの男性はそろって行方をくらましていた。パーブライト警部率いる地元警察と、とある事情によるロンドンから派遣された情報部員が、「死体なき殺人」の解決に向け、それぞれ独自の捜査を開始する……。バークリーが激賞した、英国推理作家協会ゴールドダガー賞最終候補作の本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
1962年、イギリスで発表。2016年10月、邦訳刊行。
作者のコリン・ワトスンは1920年、イギリス生まれ。ジャーナリストとして働いたのち、1958年に『愚者たちの棺』でミステリ作家としてデビュー。イギリスの架空の町フラックスボローを舞台に、地元署のウォルター・パーブライト警部が謎を解く〈フラックスボロー・クロニクル〉シリーズ第1作で、全12冊が刊行された。本書はその第三作。同年CWA(英国推理作家協会)ゴールドダガー賞(最優秀長編賞)候補。
作者の作品を読むのは初めて。「バークリー激賞」というところで、どこかひねくれているんだろうなあ、と思いつつ読み進めてみると、パーブライト警部は普通にまとも。あれ、と思いながら読み進めていくと、死体なき殺人の捜査が二転、三転していく。特に情報部員のロス少佐とハリー・パンフリーが登場してからは、ドタバタ度が増えていく。ああ、このひねくれたユーモアと悪意のあるパロディは英国流だ。キーティングがファルス・ミステリに分類するのもわかるし、森英俊が「エドマンド・クリスピンとR.D.ウィングフィールドとの間をつなぐ、重要なミッシング・リンク」と評したのもわかる。パーブライト警部が真面目な人物である分、そのギャップがひねくれている。バークリーが激賞するだろうね、これは。
ただ、ちょいと苦手なんだよな。ユーモアミステリも嫌いじゃないはずなのに、なぜか英国流ユーモアがちょっと受け付けない。受け付ける作品もあるので、その差が自分にもわからないのだが。ただ、死体なき殺人をめぐる謎は面白い。ということは、楽しめているのかな。
しかし苦手だろうと分かっているのに、手を出すかね、私も。
杉井光『世界でいちばん透きとおった物語2』(新潮文庫nex)
新人作家の藤阪燈真の元に奇妙な依頼が舞い込む。コンビ作家・翠川双輔のプロット担当が死去したため、ミステリ専門雑誌『アメジスト』で連載中の未完の作品『殺導線の少女』の解決編を探ってほしいというものだ。担当編集の霧子の力を借りて調べるうちに、小説に残された故人の想いが明らかになり――。各種メディアで話題沸騰。新人作家と敏腕編集によるビブリオ・ミステリ第2弾!(粗筋紹介より引用)
2025年2月、書下ろし刊行。
50万部突破した『世界でいちばん透きとおった物語』のシリーズ第2弾。藤阪燈真、深町霧子のコンビが再登場。
この2人を書いた続編は出るだろうと思っていたが、まさか正面切って、タイトルに「2」と付けてくるとは思わなかった。しかし、前作と同じことはできない。どういう作品をもって来るのだろうと思っていたのだが。
二人組のミステリ作家、アイディア・プロットと執筆担当と分かれている、という時点で岡嶋二人じゃないだろうな、などと危惧していたのだが、まんま岡嶋二人がモデルだった。さすがに『テロリストのパラソル』の後に乱歩賞受賞、作風はどうやらバイオレンスものに近そうだが。プロット担当が亡くなったため、連載作品の『殺導線の少女』が第3回でストップ。解決編のプロットを藤阪燈真が探る、という話。読んでいる途中で頭痛がしてきた。
登場人物、作中の仕掛け、動機など、見たことがあるものばかり。しかも作中作『殺導線の少女』がつまらない。ここが面白ければ、もう少しまともになったと思うのだが。ただ、作中にも出てくるが、『世界でいちばん透きとおった物語』からミステリに入った人や、最近の若いミステリファンは、岡嶋二人を知らないかもしれない。そういう人たちへの導入編になってほしいと思って作者が書いた……わけないか。
前作同様、「世界は優しさであふれてる」みたいなストーリーを欲している人にはこれでいいかもしれないが、ミステリファンとしてはがっくりすること間違いない。凡作ですね、これは。燈真が次作を書けないと嘆いているのは、作者自身を投影したものなのだろうか。この内容で、タイトルに「2」を付けた理由を聞きたい。いや、それは出版社側の誘導か。どこも透きとおっていないじゃないか。もうこのシリーズ、いいです。せめて3作目で燈真と霧子がくっついてください。そこだけ読めれば、もういりません。
白井智之『おやすみ人面瘡』(角川文庫)
全身に“顔”が発症する奇病“人瘤病”が蔓延した日本。流行は落ち着いたが、“人間”と呼ばれる感染者たちが起こす事件は社会問題となっていた。そんな中、かつて人瘤病の感染爆発があった海晴市で起きた“人間”殺害事件。ひとりは顔を潰され、もうひとりは全身を殴打されていた。容疑者は第一発見者を含む4人の中学生。そこへ現れた男が事件の真相を見抜くものの、彼も容疑者のひとりに突き飛ばされて死亡してしまい!?(粗筋紹介より引用)
2016年10月、KADOKAWAより書き下ろし単行本刊行。作者の第三長編。2019年9月、加筆修正のうえ文庫化。
全身に人の顔のような瘤が浮き出てくる奇病、人瘤病。人瘤病患者は「間引かれる人」を意味する「人間」という蔑称で呼ばれる。人瘤病患者の体にできる瘤は大きさ約十センチ。手足や胴体、顔や性器にまで浮き出すことがあり、(程度の差はあるものの)言葉を話すことができる。
作者が作者なので予想はしていたけれど、思った以上にグロい。そもそもこんな設定を考えるだけでも凄いのだが、やっぱりこういうのを読むのは苦手。これで後になればちゃんと本格ミステリになる、とわかっていたから最後まで読めたけれど、多分そういう知識一切なしで読み始めたら、間違いなく途中で止めていた。それぐらい気持ち悪い。“人瘤病”という設定もそうだが、それ以上に登場する人物たちのグロさが。
登場人物が入り組んでいるせいもあるだろうけれど、物語に全然没頭できなかった。本格ミステリとしての謎解きがあったけれども、楽しめなかったな。まあ、肌に合わない、の一言で片付けることができた作品。好きな人は大好きなんだろうけれど。このころの著作を先に読まなくてよかった。もし先に読んでいたら、以後の作品を読む気にはならなかったかもしれないから。
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