北重人『白疾風』(文春文庫)
信長の伊賀攻めにからくも生き残った「疾風」の異名を持つ元忍者の三郎は、家康が開拓し始めた武蔵野の村に身を寄せ、畑を耕し静かに暮らしていた。そんな最中、風魔残党やら、武田の隠し金山の噂など、不穏な気配が漂ってきた。三郎は再び忍びとなって村を守るため立ち上がる。(粗筋紹介より引用)
2007年1月、文藝春秋より書き下ろし単行本刊行。2010年1月、文庫化。
作者の第三長編は、江戸創世期の武蔵野が舞台。主人公は元伊賀の忍者で、「疾風」の異名を持つ三郎。信長の伊賀攻めから逃れ、北条氏が敗れた小田原攻めで仲間を失い、武蔵野の谷に落ちのびる。武田家に仕えていた土屋平蔵の一党たちを谷を切り開き、田畑を作っていった。五十を過ぎた三郎は、かつて仲間だった篠と静かに暮らしている。しかし武田の隠し金が隠されているとの噂を、三郎のかつての仲間が言いふらしているという。さらに北条家に仕えていた風魔の残党が金を狙い出す。三郎は白髪頭から「白疾風」と名乗り、篠と一緒に村を守るべく立ち上がる。
静かな生活を守ろうとする者、そしてかつての戦乱の時代を戻そうとする者。武蔵野の美しい風景と、争いを求めて言う人の醜さ、そして静かな生活を守ろうとする苦悩が浮かび上がってくる作品だ。静と動のコントラストが素晴らしい。
人生に疲れた時に読むと、昔を振り返りたくなってくる。還暦前の読者に刺さりそうだな、などと想いながら面白く読み終わった。
M・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
クリスマスの英国カンブリア州で切断された人間の指が次々発見される。プレゼントのマグカップのなか、ミサが行われた教会、そして精肉店の店内で――。現場には"#BSC6"という謎めいた文字列が。三人の犠牲者の身元を明らかにしようと刑事ポーたちは捜査に乗り出す。だが彼らはまだ知らない。この連続殺人の背後に想像を超える巨悪”キュレーター”が潜んでいることを……驚愕必至のシリーズ第三作。(粗筋紹介より引用)
2020年、イギリスで刊行。2022年9月、邦訳刊行。
『ストーンサークルの殺人』『ブラックサマーの殺人』に続く刑事〈ワシントン・ポー〉シリーズ第三作。意外なところから発見される三人の指。そして謎めいた文字列。捜査に乗りだすワシントン・ポー部長刑事とティリー・ブラッドショー分析官。レズビアンだが妊娠中のステファニー・フリン警部も、重い腹を抱えながら捜査に参加する。キュレーターは博物館で働く学芸員資格のことを指すが、もちろん本書で使われている意味は別である。
それにしても驚いた。ここまで展開が目まぐるしく変わっていく警察小説も珍しい。一つの謎が解けたと思ったら新たな謎が降りかかり、そして真相はさらに迷宮の奥へ遠ざかっていく。
これまでの作品と同様に、ポーの直観推理力とティリーの分析力が組み合わさって事件の真相に迫っていくのだが、本作のすごいところはフーダニットもフワイダニットも想像つかないところ。よくぞまあ、これだけ謎を重ね合わせることができたものだと感心してしまう。
ポーとティリーの関係性が深まっているところも魅力を増した要因と言えるだろう。過去二作と比べ互いの弱点を補いつつ、信頼の度合いが増しているのだ。だからこそ、取れる行動がある。そんな二人が動くことで、迷宮は少しずつ解明されていくのである。
そしてもう一つ、過去二作と比べ、ポー自身の事件ではないことも本作を傑作にした要因だろう。ポーがより客観的に推理(というより直感と置き換えた方が早い点は変わっていないけれど)を巡らせることができる点が、謎とその解明を面白くしている。
まあ、とにかく読んでみろと言いたくなる作品である。2022年、話題になったのもよくわかる。いやあ、見事。シリーズもので第三作にして過去作を超える傑作が出てくるとは思わなかった。本格ミステリファンも読んだ方がいいぞ、これは。
今野敏『署長サスピション』(講談社)
近頃、怪盗フェイクという変幻自在の窃盗犯が出没し、大森署の管内の宝石店を荒らして、マスコミを騒がしていた。そんな中、戸高が公務中に競艇で二千万円を当ててしまう。さらに、前回小型核兵器を守り切った実績により、警察の各方面から公金の保護を名目に大金が持ち込まれ、なんと総額一億円が大森署の署長室に……。するとそれを知ってか、怪盗フェイクがSNSで犯行予告!「大森署の署長室にあるお宝をいただく」。なんと日時指定までしてきたのだった。はたして藍本署長たちは、大胆不敵な謎の怪盗から、署長室の金庫に眠る大金と、警察のメンツを守り切れるのかーー!?(帯より引用)
『小説現代』2024年12月号掲載。2025年4月、単行本刊行。
隠蔽捜査シリーズでお馴染みの大森署に、竜崎信也の後任として赴任した美貌のキャリア、藍本小百合署長が主人公のシリーズ第二弾。「モラルやコンプライアンスを超越した」美貌を持ち、批判的な署員でも署長に会えば反抗する気をなくしてしまうという。そのため、方面本部や警視庁本部の幹部が、署長に会うためだけに大森署を訪れる日々が続いている。
戸高による公務中の万舟券問題に頭を悩ませる貝沼副署長。さらに、払戻金の二千万円、インチキ商法による詐欺事件の主犯から押収した三千万円、麻薬取引の囮捜査用の見せ金五千万円を合わせた計一億円が署長室の金庫に収められており、気の休まる時がない。しかも、大森署管内を騒がす怪盗フェイクから「大森署の署長室にあるお宝をいただく」との予告状まで届き、胃が痛む日々が続く。しかし、天然な藍本署長は怪盗フェイクが来ることにうきうきしており、「署長詣り」に訪れる来客は増えるばかり。
どこまでが天然で、どこまでが計算なのか分からない藍本署長に振り回される貝沼副署長。ただ、毎回藍本署長に男たちが骨抜きにされる展開は、そろそろ飽きてきた気もする。まだ二作目なんだが。今回初登場の七飯寛盗犯係長や戸高は普通に接しているようだが、もう少し変化のある展開が見たいし、藍本署長に署長ならではの鋭さを期待したくなる。
怪盗フェイクの正体や犯行の手口については、読み進めるうちに展開が読めてしまうため、謎解きの面白みはそれほど感じられない。このシリーズは、隠蔽捜査シリーズに登場した大森署の面々の活躍を楽しむためのスピンオフだと割り切れば、それで十分。娯楽作品として気軽に読めばいい。斎藤警務課長の趣味が手品だったという新情報も出てきたことだし、まだまだこのシリーズを楽しめるネタはあるはず。次の展開を楽しみに待ちたい。
若竹七海『まぐさ犬の桶』(文春文庫)
仕事はできるが、不運すぎる女探偵・葉村晶も老眼に悩まされるお年頃。そんなに〈秘密厳守〉の人探しの依頼が舞い込んできた。ひと癖もふた癖もある関係者たちに翻弄されながら、縁の深い小型車”毒ガエル“を喰って奔走する晶に忍び寄る謎の影。満身創痍の晶は予想もつかない結末に辿り着く−−(粗筋紹介より引用)(粗筋紹介より引用)
2025年3月、書き下ろし刊行。
2021年の短編集『不穏な眠り』以来5年ぶりの新作となる、タフで不運な女探偵・葉村晶シリーズ。長編は2018年の『錆びた滑車』以来となる。
タイトルは作中にも出てくるが、イソップ寓話にある「自分には役に立たないが、誰かがそれでいい思いをするのは絶対にイヤだ、とその「役に立たないもの」を手放さずに意地悪や嫌がらせをし続けるひとのこと」を指している。
吉祥寺の住宅街にある古い二階建てモルタル造りのアパートを改装したミステリ専門書店〈MURDER BEAR BOOKSHOP〉のアルバイト店員にして、オーナーのひとり富山泰之が「(ミステリ専門書店に)探偵社がついてたら面白いかと」公安委員会に届け出までして始めた〈白熊探偵社〉におけるただひとりの調査員、葉村晶。ある事件で住まいを失い、とりあえず物置となっていた本屋の二階に転がり込んだら、いつの間にか住むことになっている。コロナ禍が始まり、知り合いの調査会社〈東都総合リサーチ〉の下請け仕事もなくなり、書店員+近所の揉め事処理で暮らす日々。
魁星学園創立者の孫で元理事長であるとともにエッセイストとしても名高い乾巌、通称カンゲン先生に、稲本和子という女性の行方を捜してほしいと、3年ぶりの依頼を受けた葉村晶。稲本和子の一人娘である学園の理事が、本屋で万引して逮捕され、留置中に急死していた。時にミステリマニアックなエッセイもある乾巌の新作エッセイ集をまとめる本屋の編集者と立場を偽って、五十過ぎの体に鞭打って走り回る晶だったが、次々とトラブルに巻き込まれる。
現実の時に合わせて年齢を重ねていく葉村晶。不運なのは相変わらずで、体のガタと合わせて満身創痍なのに、自分のポリシーに従って動く姿は感動ものである。このやせ我慢が、一匹狼の探偵ならではなんだよな。
学園の創立者である乾一族の複雑な人間関係に加え、高級別荘地の「介護と学園地区抗争」などが絡んで事件はどんどんと複雑化していく。一族の人間関係が複雑で、似たような名前が続くこともあり覚えるのが大変だったが、そこさえ過ぎればとても面白い。久しぶりの長編だからかもしれないが、作者の力が入っていることがわかる。次から次へと新事実と謎が出てくるので着地点がさっぱり見えてこないのだが、葉村が負う傷と痛みと引き換えに少しずつ謎が解けていく展開は巧い。ただラストはちょっと不満が残るかな。これは読んだ人によって感想が異なるかもしれない。
久しぶりの葉村シリーズであったが、さすがの仕上がりであった。まだまだ葉村には活躍してもらいたい。
松城明『探偵機械エキシマ』(KADOKAWA)
大学生の実沙は、「探偵の記録者」のアルバイトを教授から頼まれた。探偵事務所を訪ねると、そこにいたのは、AI探偵・エキシマと、エキシマにこき使われる助手・空木のコンビだった。どこか不自然な科学者の家、13年前の少年の死の謎を解こうとする容疑者の集まり、殺人犯が出歩く雪の夜道……。エキシマは、誰よりも早く殺人犯を見つけ出し、ある目的を達成しようとする。不自由な機械の体で犯人を探すエキシマ、彼女が唯一心を許す空木、そして「最悪の未来」を回避するために真相究明を急ぐ実沙の推理バトルが幕を開ける!(帯より引用)
「Dont't disturb me」のみ『小説野性時代』2024年11-12月合併号掲載。書下ろしを加え加筆修正し、2025年2月刊行。
錆びれ気味の別荘地にあるITベンチャー社長、神藤瑛一の家を訪れたのは、若いながらも日本でも指折りのAI研究者であり、大学時代は同じ研究室の同期であった薬師教授に紹介された空木であった。神藤が開発したAIアシスタント「シルク」に興味を持った空木は、漆黒の楕円体に四本の手足が生えたAIロボット「エキシマ」を見せる。「Open the curtain」。
薬師教授の研究室に配属されたQ大学四年生の真砂美沙は、空木探偵事務所所長である空木侑と一緒に行動して記録を取るオブザーバーになってほしいと薬師に依頼される。空木の事務所を訪れた美沙だったが、隣のビルから墜落死事件が発生する。「Lost and foun」。
美沙の研究室で開かれたバーベキュー大会。そこに呼ばれた美沙の友人、白馬楓花はエキシマを見て、13年前に起きた楓花の弟・春翔を殺したのは誰かを推理してもらおうとする。「Dont't disturb me」。
エキシマによる殺人事件解決後、雪が降り夜も遅くなったので空木に送ってもらうことになった美沙。隣にいる空木を意識する美沙であったが、次々と不審人物に遭遇する。「You have control」。
空木のオブザーバーの前任者である鹿島から話を聞く美沙。美沙は楓花たちに手伝ってもらい空木の事務所を清掃するも、近所のファミレスで昼食後に帰ってくるとエキシマが消えていた。「Just a machine」。
AIロボットのエキシマが事件の謎を解く全5編の連作短編集。エキシマは誰がいつ、どこで開発されたのかわからないAIロボット。エキシマは周囲の人間を解析して、人殺しを見つけたらとにかく殺そうとする。それを止められるのは、エキシマの通訳兼ヒモ的アシスタントであり、空木探偵事務所所長である空木侑だけ。誰にも倒せず、賄賂にも懐柔できない。無秩序な社会に、強制的に秩序をもたらす装置である。
まずはエキシマの設定が秀逸。謎を解いて犯人を殺してしまうAIロボットと、それを防ごうとする人間アシスタントのやり取りが面白い。そして各編の本格ミステリとしても悪くない。特にAIロボットならではの能力を生かした情報収集と感情を排した思考は、設定を十分に生かした本格ミステリに仕上がっている。これだけでも十分に評価できるが、さらにエキシマ自身の謎に迫っていくストーリーが面白い。当初は短い5編しかないのは勿体ないなあと思いながら読んでいたが、話が進むにつれて作者の狙いが明らかになり、読み終わって脱帽した。エキシマをめぐるドラマを描き切ったのは見事といっていい。登場人物の配置を隅々まで計算していることにも感心した。
前作『蛇影の館』が今一つだったので、評判を聞いても懐疑的だったのだが、これは面白い。できれば続きを書いてくれることを、作者にお願いする。2025年の本格ミステリベストをにぎわす一冊になるだろう。
M・W・クレイヴン『ブラックサマーの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
かつて刑事ポーによって一人の男が刑務所送りにされた――カリスマシェフとして名声を誇ったジャレド・キートン。 彼は娘のエリザベスを殺した罪に問われたのだ。だが六年後のいま、その娘が生きて姿を現した! キートンは無実なのか? あらゆる証拠が冤罪を示し、窮地に立たされたポーを助けるべく、分析官のブラッドショーが立ち上がる。強烈な展開が読者を驚倒させる、英国ミステリ・シリーズの第二作。(粗筋紹介より引用)
2019年6月、イギリスで発表。2021年10月、邦訳刊行。
『ストーンサークルの殺人』に続くワシントン・ポーシリーズ第二作。遺体こそ見つからなかったが、血痕などの証拠から娘エリザベスを殺害した犯人として、当時カンブリア州警察に所属していたポーはカリスマシェフとして名高いジャレド・キートンを逮捕した。キートンは動機がない、死体の処分方法も殺人方法も不明だと無罪を訴えるも有罪判決が下り、服役する。しかし6年後、図書館にやつれたエリザベスが駆け込んだ。警察の事情聴取でエリザベスは当時男に拉致されたと告白。その後薬漬けにされた監禁生活を送るも、男が来なくなったため、ヘロインを求めて脱出したのだった。血液検査の結果から、彼女がエリザベスであることに間違いはなかった。だがエリザベスは事情聴取の後、行方不明となる。キートンが再審請求で冤罪が認められ、無罪釈放されるのは確実。その前にポーたちは真相を掴めることができるか。
600ページ以上もある作品ではあるが、ポーに次々と難題が降りかかること、章が短いこと、場面の切り替えが早いことなどから、テンポが非常にスピーディー。物語にのめり込めば、一気読み確実だろう。そしてその物語もとても面白い。周囲からの冤罪の声を跳ね返すべく奔走するポー。それを傍で助けるティリー・ブラッドショー。そして二人を補助するステファニー・フリン警部。前作から登場するキャラクターたちの造形も魅力である。ただ、ポー自身の謎を負う部分は、個人的には蛇足だと思っている。
惜しいのは、トリックと結末の部分かな。三回読み返したけれど、理解しきれなかった。かなり強引という印象があって、勿体ない。ここに説得力を持たすことができれば傑作になったはずである。
キャラクター造形の深みが増した分、前作よりも面白く読むことができた。次作も読みたいと思わせるには十分の出来である。
天祢涼『葬式組曲』(文春文庫)
20代の女性社長・北条紫苑が率いる「北条葬儀社」。妙な関西弁を喋る餡子、寡黙で職人肌の高屋敷、生真面目すぎる新入社員の新実……癖の強い社員が目立つが、遺族からは「あの葬儀社は素晴らしい」と抜群の評価を得ている。なんと、彼らには故人が遺した“謎”を解明する意外な一面があったのだ。奇妙な遺言を残した父親、火葬を頑なに拒否する遺族、霊安室から忽然と消えた息子――。謎に充ちた葬儀の果てに、衝撃の結末が待ち受けるミステリー連作短編集。文春文庫化にあたり全面改稿。(粗筋紹介より引用)
2012年1月、原書房 ミステリー・リーグより単行本刊行。2015年1月、双葉文庫化。全面改稿のうえ、2022年11月、文春文庫化。
東京でデザイナーとして事務所を開いている久石雄二郎は、兄の賢一郎から蔵元杜氏の父が亡くなったと連絡を受け、十数年ぶりにQ市の実家に帰ってきた。遺言で雄二郎が喪主にしてくれとの話にびっくりしたが、葬儀費用300万円を全額託すと言われ、引き受けることにした。できるだけ費用を減らそうとしたが、北条葬儀社の餡子邦路にどんどん丸め込まれる。「父の葬式」。
北条葬儀社を訪れてきた24歳の福沢瑞穂は、生前相談で祖母の火葬だけは止めてくれと依頼する。しかし土葬、水葬とも法律で禁じられているので断ったところで、その祖母が来て火葬で構わないと告げる。その9日後、祖母が階段から落ちて死亡。瑞穂は直葬を依頼し、さらに絶対神ゼロを召喚する棺を準備するという。「祖母の葬式」。
与党議員・御堂克巳の7歳の息子・隼人が車に轢かれて死んだ。与党はイメージ作りのため、葬式を援助して大々的に執り行うことを決めた。それは家族層を希望した克巳の妻・真由の望まぬことだった。真由は代わりに、通夜の前夜、夜の十時まで斎場の霊安室に隼人と二人っきりにしてほしいと頼み込む。午後9時半ごろ、真由が斎場の宿直の職員に、隼人が消えたと訴えた。しかも自分で出ていったという。「息子の葬式」。
2か月前、北条紫苑の幼馴染、咲が学会のために借りた短期留学中の友人の部屋で首吊り自殺した。確かに研究がうまくいっていないと聞いているが、自殺するような性格ではない。恨みを持つ人もいないし、ましてや友人の部屋で自殺するなんてありえないし、遺書もない。しかし警察は自殺として処理した。夫の荒垣は直葬にしたが、最近咲の金切り声が自分の耳にだけ時折聞こえるようになった。病院で診てもらっても異常はない。そこで荒垣は、紫苑の会社で葬式を行ってもらうよう依頼した。「妻の葬式」。
出社した餡子と新実に社長の紫苑は、高屋敷が川に落ちて死亡したと告げた。「葬儀屋の葬式」。
1年を通じ、北条葬儀社の葬儀で起きた奇妙な出来事の謎を解き明かす連作短編集。単行本版とは、物語の根幹をなす設定を一つ削除しているとのこと。おそらく、近未来設定の部分かな。確かにいらない設定のように思える。
葬式という舞台ならではの謎解きが続き、うまいなと思いながら読んでいた。北条葬儀社の北条紫苑、餡子邦路、高屋敷慈英、新見直也という4人の登場人物のキャラクターも立っているし、ストーリーも悪くない。なかなか読ませる短編集だな、と思っていたら、最後にやられました。うわー、何これ。
よく読むと、ちゃんと伏線を張っている。たしかに変だなと想いながらも他の謎解きに気を取られ、いつしか忘れていましたよ、些細な疑問点を。これは凄いな。
しかし「再文庫版のためのあとがき」で、講演会でラストがやり過ぎだと思った人は挙手してくださいとの問いかけに、たくさんの手が挙がったというエピソードを披露している。作者のコンセプトは「感動できそうな話を四つ並べて、続編があるかもしれない雰囲気を頼和せ、最後に全部ひっくり返す」だったとのこと。確かにそのコンセプトは成功しているのだが、後味という点でどうだろう。私もやり過ぎに手を挙げたい。よくできているとは思うが。
夕木春央『サロメの断頭台』(講談社)
全ての謎が解けるとき、『サロメの断頭台』が読者を待つ。 天才芸術家の死、秘密を抱えた舞台女優、盗作事件に贋作事件、そして見立て殺人。 大正ミステリを描き抜く『方舟』著者の本格長編。
油絵画家の井口は、元泥棒の蓮野を通訳として連れて、祖父と縁のあったオランダの富豪、ロデウィック氏の元を訪ねた。美術品の収集家でもあるロデウィック氏は翌日、井口のアトリエで彼の絵を見て、「そっくりな作品をアメリカで見た」と気が付いた。未発表の絵を、誰がどうして剽窃したのか? 盗作犯を探すうちに、井口の周りで戯曲『サロメ』に擬えたと思われる連続殺人が発生してーー(帯より引用)
2024年3月、書下ろし刊行。
『絞首商會』『時計泥棒と悪人たち』に続く蓮野&井口シリーズ(という名前でいいのか?)第三作。
帯にもあるが、「天才芸術家の死」「秘密を抱えた舞台女優」「盗作事件」「贋作事件」が絡み合った「戯曲『サロメ』に擬えた連続見立て殺人」。どれだけ謎をつぎ込むんだ、と言いたくなるぐらいの謎の嵐。その割に、通俗ミステリ並の安っぽさを感じるのは、大正を舞台にしていることだけではないだろう。
元泥棒の探偵役、蓮野は予言者か、と言いたくなるぐらい先を見通していて面白くない。井口のぐずぐずぶりは相変わらずで、妻の紗江子はどこがよくて結婚したのだろうと思ってしまう。蓮野に憧れている姪の峯子、迷惑ばかりの画家大月も登場。お馴染みの登場人物が出てくるのはいいのだが、描き方が悪いカリカチュアライズされている。
さらに連続見立て殺人の軽さが悲しくなってくる。井口や大月も所属している芸術家の集まり、白鷗会のメンバーが絡んでくるのだが、これまたとんでもない面々の集まり。いや、芸術家だからってこんな書き方しなくてもと思ってしまう。それに簡単に殺されるのもちょっと納得いかないし、犯人の動機も以上にしか思えない。
長いし、途中で中弛みするし、評価できる作品ではなかった。ということで、完全にキャラクター小説とみなして読んでいました。そう思い込んで読めば、それなりに楽しめます。蓮野にはもっと狼狽えてほしいね。このままじゃ、顔がいいだけのロボットに終わってしまう。
M・W・クレイヴン『ストーンサークルの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
英国カンブリア州に点在するストーンサークルで次々と焼死体が発見された。犯人は死体を損壊しており、三番目の被害者にはなぜか停職中の国家犯罪対策庁の警官ワシントン・ポーの名前と「5」と思しき字が刻み付けられていた。身に覚えのないポーは処分を解かれ、捜査に加わることに。しかし新たに発見された死体はさらなる謎を生み、事件は思いがけない展開へ……英国推理作家協会賞最優秀長篇賞ゴールドダガー受賞作。(粗筋紹介より引用)
2018年発表。2019年、英国推理作家協会賞最優秀長篇賞(ゴールドダガー)受賞。2020年9月、邦訳刊行。
作者は軍隊、保護観察官を経て2015年に”Born In Burial Gown”でデビュー。本作は三作目になる。
国家犯罪対策庁(NCA )重大犯罪分析課(SCAS)に所属するワシントン・ポー部長刑事シリーズ第1作。当時警部だったポーは被害者遺族に機密情報を含んだ報告書を渡すというミスを犯し、1年半前に内部調査及び独立警察苦情処理委員会の審問対象となり、停職処分を受けた。38歳の今はシャップ丘陵地の山奥にあるハードウィック・クロフトという天然石作りの家に住んでおり、エドガーという名前のスプリンガースパニエル犬を飼っている。
マスコミに「イモレーション・マン」と名付けられた連続殺人鬼の三番目の被害者にポーの名前と「5」の字が刻みつけられていたことから、エドワード・ヴァン・ジルNCA情報部長により停職処分を解かれ、元部下でポーの後釜に座ったステファニー・フリン警部の下でポーは捜査に当たることになった。
ポーと一緒に仕事をすることになるのが、オックスフォード大学出身でSCASの分析官であるティリー・ブラッドショー。16歳で最初の学位を受けて以来、学問の世界で生きてきたため、世間一般の常識に疎く、卵ひとつゆでられない。修士号一つと博士号二つを得、データマイニングで高い納涼を発揮するIQ200近くの天才だが、いつも人の接し方を学ばなくてはいけないとフリンに注意されている。
不器用なポーとティリーの二人が捜査を通じて徐々に相手のことを知り、心を通わせていく過程がとても楽しい。物語のテンポが速く、そして悲惨な連続殺人とむごい過去の事件が浮かび上がる暗い内容であるが、二人のやり取りが救いとなっている。この二人に振り回されるステファニーの苦労に笑い半分で同情してしまうが、それもよいアクセントだ。
ポーのほとんど直感ともいえる推理が都合よすぎるところがあるのは気にかかるし、会えてかもしれないが犯人はもうちょっとうまく隠せよと言いたくはなる。翻訳が直訳になっているところがあってこなれていないのは残念だが、テンポの良い刑事ドラマを見ている感覚で楽しませてくれる。既視感バリバリなのはあえて目をつぶろう。これだけの複雑な話をまとめあげた腕は大したものである。ただ、ポーの過去も含め、クリフハンガー方式で幕が下りるのは少々やり過ぎな気がするが。
近作が評判なので、やはりシリーズ1作目から手に取ってみようと思い購入したが、次作に期待できる内容であった。ということで、次も読んでみることにする。
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