東野圭吾『マスカレード・ナイト』(集英社文庫)

 練馬のマンションの一室で若い女性の他殺体が発見された。ホテル・コルテシア東京のカウントダウン・パーティに犯人が現れるという密告状が警視庁に届く。新田浩介は潜入捜査のため、再びフロントに立つ。コンシェルジュに抜擢された山岸尚美はお客様への対応に追われていた。華麗なる仮面舞踏会が迫るなか、顔も分からない犯人を捕まえることができるのか!? ホテル最大の危機に名コンビが挑む。(粗筋紹介より引用)
 2017年9月、集英社より単行本刊行。2020年9月、文庫化。

 「マスカレード」シリーズ第3作。今回の舞台はカウントダウンの仮面舞踏会。
 やはり読んでいてうまいな、と思うのは、ホテルならではのエピソード、新田たちの捜査の状況、真相に少しずつ迫っていく過程、そして尚美自身のエピソードが過不足なく絡み合っているところ。特になかなか接することのない高級ホテルならではのエピソードは、読者を非現実的世界へ引きずり込むのに最適。
 犯人に振り回されながらも、新田たちが少しずつ追いつめていく展開はサスペンス満載。エンタメに振り切り、読者を楽しませることに徹すると作者は強い。読み終わってみると、さして目新しいことをしているわけじゃないと気付くんだけどね。
 シリーズキャラクターの活躍を万遍なく用意し、楽しめるストーリーを書き、次作への引きらしきものを準備する。人気作家の腕というものをいかんなく発揮した作品である。

鮎川哲也『下り“はつかり" 鮎川哲也短編傑作選II』(創元推理文庫)

 疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を織るという。王道を求めず孤高の砦を築きゆく名匠には、雪中松伯の趣が似つかわしい。奇を衒わず俗に流れず、あるいは洒脱に軽みを湛え、あるいは神韻を帯びた枯淡の境に、読み手の愉悦は広がる。純真無垢なるものへの哀歌「地虫」を劈頭に、定番の傑作「赤い密室」や、余りにも有名な朗読犯人当てのテキスト「達也が嗤う」、フーダニットの逸品「誰の屍体か」など、多彩な着想と巧みな語りで魅する十一編を収録。本格ミステリ界の泰山北斗、綾川哲也の尤なる精粋―――当代切っての読み巧者が選ぶ、傑作集成第II巻。(粗筋紹介より引用)
 1999年3月、刊行。

 空襲で焼け残った洋館に住む若き隠匿者たる当主・羅馬夫(らまお)。ソヨ子嬢を恋するも片想いに終わり、遺書を残して拳銃で自殺しようとした。しかし死に方が汚くなるので辞め、睡眠薬を注射で注入し、自殺を試みた。ノックの音で目を醒ました羅馬夫の前に入ってきたのは、ソヨ子そのものであった。「地虫」。鮎川による横溝流の怪奇幻想作品。ただ横溝ほどのロマンチシズムは感じられなかった。
 予定されていた解剖の準備のために、天野教授の法医学教室に所属する医学士の浦上と榎が解剖室に入ると、解剖台の上に女の首とバラバラに切断された手足とが、外科鋸1本やメス五本と一緒に血にまみれて転がっていた。台のかげの床には、小包のように油紙に包まれた荷物が五つ転がっていた。机の下の開きにも包みがあった。被害者は、同じ教室の香月エミ子だった。入口の扉には文字合わせ錠と閂がかかっていた。解剖室に入る鍵は浦上が持っていた。五つの窓にはすべて鉄格子がはまっていた。天井には換気窓があったが、大きさは20cm四方だった。浦上と榎はライバルだったが、浦上は西独留学が決まっていた。そして浦上は同じ教室の大学院生である伊藤ルイを捨て、学生で美人のエミ子に乗り換えていた。エミ子は妊娠していた。「赤い密室」。星影龍三の初登場作品。『13の密室』にも選ばれている、密室殺人トリックの傑作。田所警部から事件概要を聞いただけで、星影が推理して謎を解き明かす、本格推理小説のお手本というような作品である。密室殺人トリックが解き明かされたら、そのまま犯人がわかるという、精密な組み立てに酔いしれた。やっぱり密室トリックには甘いな、自分。
 23歳の美貌のソプラノ、山下小夜子が早朝、自宅で殺された。夫である41歳のロシヤ音楽研究家の山下一郎は九州方面へ旅行に出かけており、その夜遊びに来て泊まっていた、小夜子の動機でアルト歌手の竹島ユリは、犯人がRNとイニシャルの入った折鞄を持っていたと証言するも、そのイニシャルを持つ人物は動機がないかアリバイがある者ばかりであった。碑文谷警察署の捜査本部では、ユリが犯人ではないかと疑うも、鬼貫警部だけは一郎が怪しいと睨んでいた。「碑文谷事件」。正直言って長いだけ。半分くらいに削れそう。アリバイトリックも今一つだが、動機については先行作品が強烈すぎるので今さらとしか思えない。
 療養中の義兄に呼ばれたことと、締め切りの迫った短編執筆のため、推理小説家の浦和は芦ノ湖のそばにある緑風荘へやってきた。一癖も二癖もある人物たちが泊っている中で、連続殺人事件が発生する。「達也が嗤う」。日本探偵作家クラブの犯人当てゲームとして書かれた、鮎川の犯人当て小説の中でもとくに有名な作品。犯人当てでもこのようにトリックをふんだんに入れる鮎川の姿勢と、意外なユーモアには恐れ入る。
 締め切りが迫っても何のアイディアが思い浮かばないぼくに、かつてアンデルセンに話をしたことがあるという夜空の月が、恵良三平の犯罪について話す。三平は自らの価値を高めるために三人の女と付き合っていたが、ある女性に本気で惚れてしまい、邪魔になった三人を次々と奇抜な方法で殺害していく。「絵のない絵本」。月が話しかける設定はともかく、途中の殺人方法やオチについても馬鹿馬鹿しいの一言。グロテスクで、悪趣味なファンタジーとしか言いようがない。
 画商の芥川が三人に送り付けた書留小包の中には、それぞれ硫酸の空き瓶、最近発砲されたピストル、ビニールの白い紐であった。しかし芥川には何の心当たりがない。届け出を受けた警察は、何らかの殺人事件があったに違いないとみて捜査を始めるが、数日後、猿楽町の焼けビルの地下室から首無し屍体が発見された。背後から二発撃たれ、両手を薬品で灼かれていた。そして死因は絞殺だった。着ていた服には「岡部」のネームがあり、辛辣な美術評論家の岡部乙五郎ではないかと思われた。岡部は荷物を送られたうちの一人、彫刻家の宇井歌子と同棲した過去があった。「誰の屍体か」。舞台設定は巧みだし本格ミステリとしての完成度は高いが、途中の捜査過程が淡々としていてあまり面白く読めない。トリックを楽しむのならこの書き方が良いのだろうが、小説を楽しむのならもう少し物語性を足してほしい。
 大学工学部教授の夫が、助手を拳銃で射殺したのち、自らも胸を刺して自殺した。美人の妻は保険金200万円を受け取るために、他殺であることを立証してほしいと探偵に依頼する。「他殺にしてくれ」。ハードボイルドのパロディみたいな作品に仕立て上げながら、本格ミステリならではのトリックが仕掛けられている作品。ユーモアというよりは悪趣味に近い仕上がりである。
 陶器会社の東京支店長である泉恵三が失踪し、二週間後に熱海の海で死体となって発見された。警察は自殺として片付けたが、九州の素封家の美人令嬢との結婚が決まり、将来は洋々たるものがあった泉が自殺するはずがない。社長の命を受け、泉の大学時代の同期でもある私が調査することとなった。「金魚の寝言」。ちょっとしたアリバイトリックは面白いが、事件の展開が今読むと古臭い。まあ、当時なら当たり前にあった出来事なのだろうが。
 今年の陶芸作家賞の有力候補である人気陶芸作家の加茂正子は美術雑誌記者くずれの坂本宏に、売れない頃に頼まれて作った偽作の壺の件で脅迫を受けた。約束の日の午後八時半、加茂は一緒に飲んでいた友人のろくろ師に付き添ってもらい、隅田川の白鬚橋に向かったが、加茂は現れなかった。しかし翌日、白鬚橋のたもとで坂本の他殺体が発見された。ただし、加茂たちが待っていた場所の川向うであった。「暗い河」。さすがにこれは調べればすぐにトリックがわかるんじゃないか。いや、実際にすぐわかっているし。物足りなさだけ残る。
 代々木の外れにある木造アパート南風荘で、麻薬中毒の河井武子が殺害された。名のあるシナリオライター千家和男が目撃され、過去に関係があったことを認めたが、殺害時刻は妻と一緒に列車の中にいたとアリバイを主張した。それを立証するという妻が撮った写真には、青森行きの特急「はつかり」が入っていた。「下り゛はつかり゛」。鮎川がまとめた鉄道アンソロジーの表題タイトルにもなった鬼貫ものの代表的短編。ただこういう作品を読むと、アリバイ作りに利用された人が言ってしまえば、それで全てが終わっちゃうんじゃないか、という不満は残る。
 小田原の静光園老人ホームで、71歳の三崎慶典と66歳の橋爪もと子が結婚式を挙げた。川崎にあるヤマト製菓の女子寮に住んでいた18歳の小室和江が夜に何者かに呼び出され、京浜国道の脇で絞殺死体となって発見された。和江はその日朝から出かけており、帰ってきたときは蒼褪めていたという。会っていた相手は三崎慶典だった。和江の亡くなった父親と友人だった三崎に父親の写真を貰いに行ったが、三崎も戦災で無くしていた。「死が二人を分つまで」。これはよくできた作品。どういう着地点になるか、全く予想もつかない。本短編集のベストに挙げたい。

 北村薫が編集した鮎川哲也短編集第2弾。今まで読み終わらなかったのは、単に私が鮎川哲也をそれほど好きではないから。星影龍三ものは好きなんだけどね。まあ「絵のない絵本」とか「他殺にしてくれ」みたいな悪趣味な作品を入れられると、げんなりしてしまうよな。
 「達也が嗤う」みたいな犯人当て小説だと素直に面白く読めるんだけどね。「碑文谷事件」とか「金魚の寝言」あたりになると、今とは合わない当時の時代が反映されすぎていて、どうも好きになれない。手順も含めたトリックの妙だけを楽しめる人だったら、これでもいいのだろうけれども。だから北村薫の解説はまだしも、北村・有栖川有栖・山口雅也の鼎談で鮎川礼賛ばかりを読まされると、本当にげんなりとしてくる。
 鮎川作品とは肌が合わないのはわかっていたけれど、新刊で買った本をずっと放っておくわけにもいかず、ようやく手に取りました。面白い作品もあったけれど、読み切るのは苦痛でした。

(たに)夏読(なっとう)『この恋だけは推理(わか)らない』(東京創元社)

 上城北高校二年二組、窓際一番後ろの席には『恋愛の神様』がいる。「彼女いない歴=年齢」なのに『恋愛の神様』として様々な恋愛相談を受ける、岩永朝司、十七歳。放課後やってきた二年三組の小井塚咲那は、「私に小説のネタになりそうなコイバナを教えてください!」と真剣な眼差しで頼みこんできた。恋愛小説家だというのに恋を知らない咲那は、コイバナと交換に『神様』の助手となり、恋愛相談を二人で解決していくのだが……。爽やかな余韻も美しい「東京創元社×カクヨム 学園ミステリ大賞」大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2024年、東京創元社×カクヨム学園ミステリ大賞大賞受賞。加筆修正のうえ2024年12月、単行本刊行。

 恋愛経験がないまま恋愛小説家としてデビューしてヒットするも、二作目が書けない小井塚咲那が、彼女いない歴=年齢なのに保護者が縁結びで有名な神社の宮司だったことから、中学時代から恋愛相談を受けてきて「恋愛の神様」と呼ばれた岩永朝司に、小説のネタになりそうなコイバナを教えてほしいと相談する。朝司は教える代わりに、相談者の悩みの解決を手伝ってほしいと提案し、咲耶は助手として動き回る。
 主人公の小井塚咲那は二次元推しであり、三次元の恋愛経験なし。友達はなく、人と長時間話すのは苦手。表情分析に長けており、顔を見れば人の嘘がわかってしまう。咲耶は悩みを解決するも小説の参考にはできないため、引き続き助手を務めていく。
 咲那と朝司の漫才的なやり取りを面白く読みながらも、結局はただの恋愛相談お悩み解決ものかなとあまり期待せず読み進む。途中で感じた違和感から仕掛けはある程度想像ついたのだが、それでも実際にその仕掛けが明かされる場面が出てくると結構なサプライズ感があるので、作品としては成功している、と思った。しかし本作品の面白さはここから。第一話の雰囲気からは予想できない方向へ流れ、意外な結末に進む。最後まで読んでみると、出だしから伏線が張られていることがわかる。思っていたよりできるぞ、この作者。
 本格ミステリの要素があまりないのはちょっと残念であったが、学園ミステリ×サスペンス×恋愛ものとしては完成度が高い。題材の一つ一つには新味がないけれど、組み合わせての調理方法がうまい。なんとなくだけど、赤川次郎がソノラマ文庫に書いていたジュニアミステリ(『死者の学園祭』とか)を思い出した。次作も楽しみである。ただ、ペンネームだけはちょっといただけない。

水見はがね『朝からブルマンの男』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 一杯二千円もするコーヒーを週に三度注文しては、飲み残していく客「朝からブルマンの男」、途中下車して遅刻しそうだった友人が、先に行った自分となぜか同時に高校入試の会場に到着した「受験の朝のドッペルゲンガー」、単身赴任中の父親が帰宅する金曜日の夕食だけ味が落ちるという、郷土料理研究会の会員宅のご飯の秘密「ウミガメのごはん」など、桜戸大学ミステリ研究会の二人組が出合った謎を描く全五編を収録。謎の魅力、推理する楽しみを詰めこんだデビュー短編集。(粗筋紹介より引用)
 2023年、「朝からブルマンの男」で第1回創元ミステリ短編賞を受賞。書下ろし4編を加え、2025年6月、単行本刊行。

 世田谷の商店街にあるコーヒー豆問屋を兼ねた喫茶店〈喫茶まほろば〉。痩身の真面目そうな青年は必ず火、水、木の開店と同時に入ってきて、一杯二千円のブルマンを一つ注文する。なぜか嫌そうな顔をして飲み、しかも半分くらいは残してしまう。〈喫茶まほろば〉でアルバイトをしていた桜戸(おうと)大学一年生の冬木志亜は、哲学科二年でミステリ研究会会長の葉山緑里にその話をしていると、その当人がミステリ研のサークル室を訪ねてきた。「朝からブルマンの男」。
 大学の学生寮「進英館」の一〇二号室に幽霊が出るという噂が。しかし一〇二号室は空き部屋、鍵がかかって入ることができない。その老朽化した学生寮には売却話があったが、住人たちの反対運動で取りやめになっていた。葉山緑里への学校からの依頼書を見つけた冬木志亜は、緑里と一緒に進英館へ向かう。「学生寮の幽霊」。
 郷土料理研究会の馬井春香の誘いで、小笠原料理のウミガメづくしをごちそうになった緑里と志亜。その代わりに相談された謎解きは、単身赴任の父親が帰ってくる金曜日、母親が作るご飯が他の日の味と違い、もちょもちょする。米はもちろん、水も調理器具の土鍋もいつもと変わらない。「ウミガメのごはん」。
 熱海への小旅行の帰り、予想より早い台風のせいで緑里と志亜は徐行と停止を繰り返す電車の中に閉じ込められていた。鉄道ミステリの話で盛り上がっていたら、前の席に座っていた青年が不思議な話があると声をかけてきた。七年前の高校受験の朝、試験会場に向かう山手線の駅で、彼は親友のドッペルゲンガーを見たという。「受験の朝のドッペルゲンガー」。
 鉱物研究会で「蛍光性を持つ鉱物」の実験中、いきなりライトが消えて岩木達也が殴られ、さらにテーブルに置いていたガラスケースが割れ、中にあった白石美輝のダイヤが盗まれた。サークル室に居たのは他に金原すず、小貝裕、倉場翔貴の三人。この五人は全員二年生で、付属の中高一貫校の生徒会のメンバーだった。ダイヤを盗んだのはいったいだれか。そしてなぜ。「きみはリービッヒ」。

 桜戸大学ミステリ研の葉山緑里と冬木志亜が事件に挑む連作短編集。二人しかいない研究会のサークル室は、広井キャンパスの片隅にあるサークル棟の、物置しかない最上階のどん詰まりにある。それなのにソファや絨毯など、妙に高価な調度品が整えられている。
 受賞作「朝からブルマンの男」、これが面白かった。典型的な「赤毛組合」パターンの作品だが、やはり一杯二千円もするブルマンを決まった日に飲むという謎が素晴らしい。謎解きも鮮やかだし、冷静な探偵役と猪突猛進なワトソン役の二人の会話と行動も楽しい。それに感心したのは、スポーツジムの会員のクレジットカード不正利用の謎を絡めたところ。これは実話なのかもしれないが、さらっと小さな謎を挟み込むセンスがいい。
 ところが二話目からは、この魅力的な謎がなくなってしまい、がっかりしてしまった。そりゃ魅力的な謎をそうポンポンと生み出せるとは思っていないけれど、それでももう少し面白みのある謎と解決を用意してほしかった。こういう場合は主人公二人のやり取りで物語を面白くするしかないのだが、話が進むにつれ、ワトソン役の志亜の暴走ぶりが鼻につく。ここら辺は設定ミスだと思う。
 一作目が非常によかっただけに、何か勿体ない短編集。とはいえこの二人を主人公にしたシリーズはまだまだ続けられそう。いっそのこと、長編を書いてみませんか。

アン・クリーヴス『哀惜』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 イギリス南西部の町ノース・デヴォンの海岸で死体が発見された。捜査を行うマシュー・ヴェンは、被害者は近頃町へやってきたサイモンというアルコール依存症の男で、マシューの夫が運営する複合施設でボランティアをしていたことを知る。交通事故により子供を死なせたことで心に病を抱えながらも、立ち直ろうとしていた彼を殺したのは何者なのか? 英国ミステリの巨匠が贈る端正で緻密な謎解きミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2019年9月、刊行。2020年、アガサ賞最優秀長篇賞受賞。2023年3月、邦訳刊行。

 ジミー・ぺレス警部シリーズで有名な英国ミステリ界の巨匠、アン・クリーヴスの新シリーズ。クリーヴスを読むのは初めて。
 情景や描写が非常に細かく書き込まれており、物語がなかなか進まない。じっくり読み込むにはいいのかもしれないが、個人的には退屈感の方が強かったな。なんというか、無駄に書き込まれた純文学を読んでいる気分である。その原因の一つは、主人公であrうマシュー警部自身にあるだろう。マシューの過去、特に自らがゲイであることを家族に受け入れられてない傷を負っているせいもあってか、とにかく悩む、悩む、悩む。夫(って作中に出てくるけれど、パートナーだよな、書き方としては)であるジョナサンとの出会いと暮らしで救われているのだが、事件と自身の過去を投影するかのような思考の巡りが、正直言って鬱陶しい。多分、こういう人に共感してのめり込む読者も多いのだろうなあ、とは思うのだが。
 地味ではあるものの、巨匠らしいじっくりと掘り下げていく書き込みを楽しめる人には面白いと思う。私の場合は、自分には全く合わなかった、の一言で終わってしまうが。

キャロル・グッドマン『骨と作家たち』(創元推理文庫)

 著名な作家でもあった大学教授が悲劇的な死を遂げてから25年。その追悼式が開かれる前日、教授の教え子たちが大学の施設に宿泊することになった。かつて作家を志し、教授の下で創作に鎬を削った彼らが旧交を温めるなか、激しくなっていく吹雪。ある部屋のベッドではカラスの死骸が発見され、ベストセラーを生んだ同窓生のひとりは姿を見せようとしない。そして翌朝、階段の下で首の骨を折った死体が見つかりーー。実力派作家がミステリファンの心をくすぐるあの設定を、練達のテクニックで描く傑作!(粗筋紹介より引用)
 2023年7月、アメリカで刊行。2025年4月、邦訳刊行。

 作者のキャロル・グッドマンは2002年に『乙女の湖』でデビュー。今までに25冊以上出版。2003年度のハメット賞、2018年と2020年度のエドガー賞メアリー・ヒギンズ・クラーク賞を受賞している。日本では『乙女の湖』が2003年にハヤカワ・ミステリ文庫から邦訳が出版されているだけで、本作は二作目となる。
 現代パートと、登場人物たちが学生だった過去パートが交互に語られる構成。舞台はニューヨーク州北部にある山と湖を望むブライアウッド大学。主人公で語り手のエレン(ネル)・ポートマンは25年前に大学で学び、15年前に大学へ戻り、今では教養学部長である。ところがこのネルが「信頼できない語り手」であり、何かを隠しているのが容易に想像がつく。追悼式の前日に集まったかつての教え子たちを出迎えるネルとアシスタントのルース・モーリスであるが、隠遁生活を送っているベストセラー作家エレイン(レイン)・ビショップは姿を現さない。猛吹雪が続く朝、ミステリ作家のミランダ(ランディ)・ガードナーが階段から墜落した死体で発見される。
 現代と過去が交互に語られることもあり、殺人事件が起きるのは200ページを越えてから。ここまでがなんとも長い。登場人物が20名程度であるが、全然把握しきれないのは、私が年寄りだからというわけでなく、明らかに作者の書き方の問題だろう。そんなことが重なって、読むのが苦痛だった。
 殺人事件が起きてからは展開がスピーディーになり、過去の事件も明らかになるにつれて現代との接点が見えてくるようになる。しかも連続殺人で、かつて書かれた小説と同じシチュエーションで殺される見立て殺人にもなっている。ストーリーの組み立て方は、クリスティーの某作品を意識しているのが明らかだ。
 ただ問題は、サスペンス度が増す割にそれほど面白くならない点である。あまりにも定型的な書き方が、先の読める展開になっている失敗につながっている。そしてもう一つ残念なのは、主人公のネルに共感も同情もできないことだ。ここに関しては、定型通りにヒロイン化した方が良かったと思う。
 ベテラン作家の割には話が散らかって整理整頓も今ひとつ。特に唐突なロマンスは不要だっただろう。もう少しサスペンスで盛り上げられなかったんかいな、と思ってしまう。今まで翻訳されなかったのも、日本人には受けないと判断されていたからだろうか。

スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(文春文庫)

 森の中に建つ屋敷〈ブラックヒース館〉。そこにはハードカースル家に招かれた多くの客が滞在し、夜に行われる仮面舞踏会まで社交に興じていた。そんな館に、わたしはすべての記憶を失ってたどりついた。自分が誰なのか、なぜここにいるのかもわからなかった。だが、ひょんなことから意識を失ったわたしは、めざめると時間が同じ日の朝に巻き戻っており、自分の意識が別の人間に宿っていることに気づいた。とまどうわたしに、禍々しい仮面をかぶった人物がささやく――今夜、令嬢イヴリンが殺される。その謎を解き、事件を解決しないかぎり、おまえはこの日を延々とくりかえすことになる。タイムループから逃れるには真犯人を見つけるしかないと……。不穏な空気の漂う屋敷を泳ぎまわり、客や使用人の人格を転々としながら、わたしは謎を追う。だが、人格転移をくりかえしながら真犯人を追う人物が、わたしのほかにもいるという――(粗筋紹介より引用)
 2019年8月、文藝春秋より単行本刊行。2022年7月、文庫化。

 英国作家、スチュアート・タートンのデビュー作。これが何ともへんてこな話。西澤保彦の『人格転移の殺人』と『七回死んだ男』を組み合わせ、英国流にアレンジしたような一冊だ。
 イブリン嬢の婚約パーティーの夜、仮面舞踏会で彼女が殺害される。記憶を失っている「わたし」は、謎の男から告げられる――事件を推理し、犯人を捕まえなければ、同じ日を延々と繰り返すことになる。そしてそこから逃れるには、真犯人を突き止めるしかない。「わたし」は意識を失うと、また同じ日の朝へ戻るのだが、なぜか別の人物に人格が移ってしまう。問題は、転移した人物の性格や記憶、さらには能力に引きずられてしまうことだ。様々な視点から事件を検証しながら真相に迫ろうとするが、人格転移しているのは主人公だけではなかった。
 なんとも複雑な構造の物語である。人格転移という要素だけでも筋を織り込むのが難しいのに、主人公自身がそのルールを知らずに物語が進行する(当然、読者も同様だ)。そのため、前半は非常に読みにくく、世界観とルールを完全に理解できる中盤以降になってようやく面白くなってくる。それまでは我慢して読む必要があるだろう。しかし後半になるにつれ、犯人に迫る緊張感とサスペンスが加速し、物語の魅力が一気に開花する。
 この作品は、一度読んだだけではすべての伏線や仕掛けを把握しきれない。そのため、再読することでより深く楽しめる構造になっている。ただ、そこまでの気力が必要なのも事実だ。その点で言えば、私は本作の真の面白さにまだ完全に到達できていないのかもしれない。新本格ミステリの愛好家ならば、狂喜乱舞するような作品だろう。しかし、それでもエンターテインメントとしての魅力をしっかり押さえている点は見事だ。
 英国ミステリ作家は時折ひねくれた作風を見せることがあるが、本作はその中でも際立っている。この作家の頭の中は、一体どうなっているのだろうか。ということで、購入済みの次作に取り掛かる予定。

高木彬光『妖婦の宿 名探偵・神津恭介傑作選』(光文社文庫 探偵くらぶ)

 本格推理小説の巨人・高木彬光が生み出した、日本三大名探偵の一人に数えられる神津恭介の傑作選。探偵作家クラブで実際に「犯人当て」として出題された、日本の短編ミステリーのベスト10には必ず名前が挙がる密室殺人の傑作「妖婦の宿」を筆頭に、不滅の名探偵が快刀乱麻を断つ十編を収録。クラシックな本格ミステリーに瞠目せよ!(粗筋紹介より引用)
 2025年6月、刊行。

 青森の旧家で当主の双子の弟が、幽霊が出るという噂のある離れで絞殺された。離れの周りは、被害者の足跡しかなかった。「白雪姫」。
 「もうすぐ月へ帰る」という美人令嬢が満月の夜、松下が一瞬目を離したすきにホテルから姿を消してしまった。本当に月へ帰ってしまったのか。「月世界の女」。
 影なき女の予告通り、まったく同じ状況で連続密室殺人事件が発生する。悪徳高利貸し、その秘書、著名な探偵。被害者全員に接点がある人物はいなかった。「影なき女」。
 失踪した草鹿雄輔が直前まで書いていた日記には、自分だけに見えて他の人には見えない鼠の恐怖が書き綴られていた。友人である松下は、神津に相談する。「鼠の贄」。
 若い会社員の青山正春が4か月前、妻を殺害した罪で起訴された。田村弁護士に無罪を訴えるも、正春は夫婦げんかで家を飛び出して、見知らぬ女のところで酒を飲み、夜中に帰ったら妻が死んでいた言うばかり。困った田村は神津を引っ張り出す。「罪なき罪人」。
 東洋新聞社会部記者の真鍋雄吉は、殺人事件があったという電話を受け取り、実際に死体を発見する。数日後、犯人を見たという女性の証言を記事にしたまではよかったが、それは数日前、東洋新聞の人生相談に投稿した嘘つき娘であった。「嘘つき娘」。
 1954年3月1日の太平洋ビキニ環礁で行われた水爆実験で放射能を帯びた魚類が各地にばら撒かれたかもしれない、と日本が恐怖に陥っていた3月中旬。東大病院の成瀬博士の前に現れた未亡人の木村陽子は、明らかに原子病(放射線障害)にかかっていた。たまたま同席した神津は、この患者から犯罪の匂いを感じ取る。「原子病患者」。
 飲み過ぎて歩いていた途中に立ち寄った古道具屋で村上清彦が手に入れたのは、一尺五寸の老人の木像であった。それは本当に邪教の神チュールーの神像なのか。村上は惨殺され、死ぬ直前にチュールーと口から漏らした。しかも木像が村上家の倉庫から消えていた。「邪教の神」。
 神津と早川博士が出演したラジオ番組の司会役である怪奇作家の水町幻一は、神津が嫌いだという蛇の環の腕輪をした女が神経衰弱にかかっている話を神津にした。それから二週間後、その腕輪をした女が代々木の温泉旅館で毒殺された。。
 新興財閥の愛人である妖婦、八雲真利子が伊豆のホテルへやってきた。財閥当主だけでなく、二枚目俳優と美男子流行歌手という鳥巻きを連れて。ホテルへ送られてきたトランクの中には、胸にナイフの刺さった真利子そっくりの蝋人形が届けられた。ホテル支配人は、別名で泊まっていた神津恭介に事件の謎解きを依頼する。しかし真利子は蝋人形と同じようにナイフで刺されて殺された。鍵がかかり、監視下にあったはずの自室で。「妖婦の宿」。
 高木彬光が生まれてから探偵作家になるまでのエッセイ「探偵作家になるまで」。

 日下三蔵編による探偵くらぶシリーズ第二期全四冊の一冊目。第二期は戦後作家によるシリーズ・キャラクターの傑作選、もしくは全作品集になるとのこと。
 明智小五郎、金田一耕助と並ぶ日本三大名探偵の一人である神津恭介は、解説によると21作の長編と、48作の短編に登場している。デビューはもちろん、『刺青殺人事件』である。本短編集は1949~1956年に発表された10編がまとめられた。
 日本短編ミステリベストに選ばれるであろう傑作「妖婦の宿」はもちろんのこと、消失トリックが秀逸な「月世界の女」、連続殺人事件のトリックに目を見張るものがある「影なき女」、雪の密室に挑んだ「白雪姫」といった神津ものの本格ミステリ短編は読みごたえあり。「原子病患者」は当時だったからこそ書くことができた作品。本格ミステリが時代と無縁ではないといういい好例であるし、「鼠の贄」は作者が意図しないまま本格ミステリとホラーの融合に成功してしまった傑作である。
 一方、通俗作品と言っていい「罪なき罪人」「嘘つき娘」「蛇の環」「邪教の神」が入っているのは、神津作品を色々な角度から語らせるためだろうか。
 改めて傑作が多いなと思わせる短編集。今からでもぜひ目に通してほしい。
 2013年にまとめられた神津恭介傑作セレクションが絶版になったところで、本短編集ですか。どうせだったらもっと出してほしいところ。それにしても「わが一高時代の犯罪」「輓歌」をセットで復刊してくれないかな……と思ってよく見てみたら、高木作品の有名どころは電子出版で出ているのね。それだったら、『帝国の死角』とか出してくれないかな。

白金透『あなた様の魔術(【トリック】)はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-』(電撃文庫)

 裁定魔術師(アービトレーター)――それは魔術師たちの探偵にして、判事にして、処刑人。数奇な運命からその任に就いたのは、『魔力なし(マギレス)』の侍女リネットとレポフスキー家当主として君臨するマンフレッドだ。主従でもある比翼の探偵たちは、かけがえのない使命を果たすため、次々と邪智暴虐の魔術師どもを追いつめていく!
「あなた様の魔術(【トリック】)はすでに解けております」
「この小娘が明らかにしたとおりだ。魔術師よ、天秤は汝の罪に傾いた」
 これは魔術と謎を論理で暴き、邪悪な魔術師を圧倒的な力で裁く探偵たちを追った事件簿である。(粗筋紹介より引用)
 『電撃ノベコミ+』に掲載された同タイトル作品を加筆修正し、2025年5月刊行。

 炎に包まれる屋敷の傍で、レポフスキー家のメイド・リネットと、レポフスキー家の新しい当主となったマンフレッド・E・レポフスキーが契約を結ぶ。「開幕 そして二人だけが残った」。
 病に倒れた偉大なる魔術師アンゼル・ネイメスは、後継者に死霊魔術師のハリー・ポルテスを正式に指名し、名を継がせることにした。ネイメスの一番弟子であるガイ・レフェンスはハリーが住む山間にある灰色の塔を訪ねる。後継の座が欲しいガイは、隙を付いてハリーを短剣で殺してしまう。しかし偶然見つけた手紙の差出人がマンフレッドであることを知り、慌てるガイ。しかも約束の時間はもうすぐ。このままでは裁定魔術師により、一番重い罪の一つである「魔術師による魔術師殺し」で捌かれてしまう。そこでガイは自分がハリーと偽って、裁定魔術師と相対することとした。そこに現れたのは、リネットであった。「第一章 死霊魔術師(ネクロマンサー)のダイイングメッセージ」。
 魔術師スペンス一門の現当主、四代目クラーク・スペンスは、召喚士としては一流であったが、師匠としては三流であった。師匠殺しは死刑以上の罪だが、師弟間のトラブルに裁定魔術師は基本的に立ち入らない。弟子入りして15年が経つモーガンはもう限界であった。隙をついてクラークに魔術封じの首輪をかけ、ロープで引っ張り絞め殺した。モーガンはクラークのマントを使い、死亡時間を誤魔化すことでアリバイを作った。「第二章 召喚師(サモナー)の不在証明」。
 ホムンクルスの研究者である魔術師のラモーナ・ファルコナーは、2年前から美男子の魔術師クライド・ランドールと同居してホムンクルスの研究を続けていた。ある日の夜明けも間近、ラモーナがまだあかりのついているクライドの部屋を覗くと、クライドは殴り殺されていた。クライドのホムンクルスである「セカンド」がクライドを殺したと聞き、逆上したラモーナは「セカンド」を殺してしまった。しかしクライドは死ぬ直前、裁定魔術師を呼んでいた。そして現れたのは、裁定魔術師補佐の家系ベニストン家の長女であり、マンフレッドの従姉妹にあたるダニエラ・ベニストンだった。「第三章 魔女のミスディレクション」。
 ダニエラは問う。先代の裁定魔術師、フレデリックはどうなったのか。なぜ屋敷は燃えたのか。マンフレッドは自らの生い立ちから、いかにして自分が当主になったかを語り始める。「第四章 裁定魔術師(アービトレーター)のミッシング・リンク」。
 大陸でも珍しい魔術師の街、ジェズリール・タウン。フォーベス家のの一族とその弟子たちが支配している。バーナビーとパティは街の中に消えてゆく。「閉幕 黒魔術師(ウォーロック)と信頼できない語り手」。

 アニメ化も決まった『姫騎士様のヒモ』シリーズ(と言われても全然知らないので、申し訳ない)の作者の新シリーズ。元々は別名義でネットに発表していた短編を、世界観やキャラ設定を大幅に練り直した作品とのこと。
 作者が言うようにライトノベルでは珍しいのかどうかはわからないのだが、魔法界を舞台にした倒叙ミステリの連作短編集である。魔法界を舞台にした本格ミステリ自体、成立させるのは非常に難しいと思っている。嫌な言い方をすれば、魔法のルールを作者に都合よく設定すれば、何だってできるじゃないか、と突っ込んでしまうのだ。目の前にありながらも見落としてしまうミスディレクションを、魔法界という舞台に設定するのが非常に難しいと思う。そんなところに、『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』のような倒叙ミステリを書いたというのだから、どんな作品になったのかは非常に気になってくる。
 しかし読み終わってみると、ちょっと微妙。犯人が使ったトリックや、犯人が見落としたミスの描写が、どうしても説明不足に感じてしまう。特に第二章の魔法界ならではのトリックは、自分の想像力欠如かも知れないが、読み返してみてもどうしても理解できない。また探偵役のリネットが指摘する犯人のミスについても伏線が全然張られていないのでは、面白さが半減である。
 シリーズの肝となるストーリーはあるので、それを核にしながらシリーズを続けるのであろうが、もうちょっと背景についての描写を増やしてほしいな。それとも、魔法界ならこれはもう常識だろう、という部分なのかな。それだったら経験値のほとんどない私は、もう読めなくなってしまうが。

山口雅也編『山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー』(角川文庫)

 本格ミステリの華・密室トリック。国内・海外の巨匠が執筆した、意外な謎と解決が冴える傑作短編。そして伝説の名作、フランク・R・ストックトンの「女か虎か」をはじめとする「謎物語(リドル・ストーリー)」の数々――。
 本格ミステリ界きっての博識を誇る作家・山口雅也が初めて編纂したミステリ・アンソロジー。入門者からマニアまで、全ての読者を驚かせ、満足させる必読の一冊!(粗筋紹介より引用)
「Intro. ―我がアンソロジスト事始」。本書の場合、「本格ミステリ」という縛りを、できるだけ広義に解釈すると説明がある。
「意外な謎と意外な解決の饗宴」は、舞台や世界作り、解決の意外性など、様々な「意外性」に特化した作品を収録。ジェイムズ・パウエル「道化の町」、坂口安吾「ああ無情」、星新一「足あとのなぞ」、P・D・ジェイムズ「大叔母さんの蠅取り紙」、アーサー・ポージス「イギリス寒村の謎」。
「ミステリ漫画の競演」は、有栖川有栖のアンソロジーに漫画作品が収録されたことが嬉しかったので、自らもこのパートを設けたとのこと。高信太郎「《コーシン・ミステリイ》より」 Zの悲劇、僧正殺人事件、グリーン家殺人事件。山上たつひこ「〆切だからミステリーでも勉強しよう」。
「「(リドル・)小説(ストーリー)の饗宴」はその名の通り、リドル・ストーリーのパート。フランク・R・ストックトン「女か虎か」「三日月刀の促進士」、クリーヴランド・モフェット「謎のカード」、エドワード・D・ホック「謎のカード事件」、ハル・エルスン「最後の答」。
「幻の作家たちの競演」もその名の通り。乾敦「ファレサイ島の奇跡」、宮原龍雄「新納(にいろ)の棺」。
「密室の競演I(最後の密室)」は究極の密室アイディアが示されたもの。スティーヴン・バー「最後で最高の密室」、土屋隆夫「密室学入門 最期の密室」。
「密室の競演II(密室の未来)」は、あえてSFが本業の二大巨匠による密室物の未来を占うような作品を集めた。アイザック・アシモフ「真鍮色の密室」、J・G・バラード「マイナス 1」。
 2012年12月、刊行。

 道化師たちと、最近はパントマイマーだけが住むクラウンタウン。配達係は、バンコ道化師の誕生日に送られてきたカスタード・パイを、クラウンタウンの規則よろしく、顔に投げつけた。バンコはクリームを舐めた後、パイを食べ始めるごちそうさまギャグをやったのだが、パイに毒が入っていたのでそのまま死んでしまった。ジェイムズ・パウエル「道化の町」。設定は面白いが、設定だけという気がしなくもない。
 モーロー車夫の捨吉は本郷真砂町にある貿易商・中橋英太郎の別荘にある行李を受け取り、浜町河岸の中橋本宅へ届けるという仕事を二円で引き受けた。捨吉は中身を見ていざとなったら頂戴しようと目論み、自宅で酒を飲みながら行李を開けると、中にあったのは女の無残な他殺死体。慌てて捨てようとして警察に捕まり、捨吉の仕業で捜査が終わるかと思ったら、被害者が中橋の妾のヒサであることが判明。結城新十郎が警察ともに捜査に乗りだす。「ああ無常」。『明治開化 安吾捕物帖』第4話。複雑すぎる人間関係が面白いものの、解決部分が駆け足なのは残念。それにしても、探偵役が二人しかいないのに多重解決物と言っていいのだろうか。
 エヌ氏の家に泥棒が入り、エヌ氏を縛り上げ、室内を荒らして逃走。ようやく縄を解いたエヌ氏は私立探偵のおれを呼んだ。窓から逃げた泥棒の足跡は、雪が積もった庭の途中で消えていた。星新一「足あとのなぞ」。作者はそこまで考えてはいなかったと思うのだが、雪の足跡トリックをこれだけ絡めたショートショートが凄い。これは本格ミステリファンなら読んだ方がいい。
 大聖堂参事会員ヒューバート・ボクスデイルは大叔母のアリーが亡くなり、約八万ポンドの遺産を相続することになった。しかしその金は、67年前にアリーがヒ素で初老の夫を毒殺してせしめたものかもしれない。当時の裁判で無罪を言い渡されたとはいえ、もし不正な手段で受け取っていたのなら喜んで受け取る気にならない。アダム・ダルグリーシュ警部は名付け親であるダルグリーンの求めに応じ、当時の裁判の再調査に挑む。P・D・ジェイムズ「大叔母さんの蠅取り紙」。ジェイムズの短編を読むのは初めて。長編とは異なる意外な本格ミステリの冴えであり、この路線を長編でも書いてほしかったところである。
 イギリスで一番小さな村である“御臨終村”で連続殺人事件が発生。人口14人のうち既に12人が殺害されていた。ノース総監に責められたイースト警部は、有名なアメリカ人探偵セロリイ・グリーンに解決を依頼する。アーサー・ポージス「イギリス寒村の謎」。クイーンのパロディものだが、実はシリーズになっている。はっきり言って馬鹿馬鹿しく、アンソロジーに入れる価値があったかどうか疑問。
 高信太郎「《コーシン・ミステリイ》より」、Zの悲劇、僧正殺人事件、グリーン家殺人事件。まあ馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでなのだが、このナンセンスさがこの人の持ち味。
 山上たつひこ「〆切だからミステリーでも勉強しよう」。孤島での連続殺人事件ものだが、途中でオチが見えちゃったのが残念。まあ、ギャグマンガだし。
 1882年に発表された、あまりにも有名なリドル・ストーリーの代表作。フランク・R・ストックトン「女か虎か」。闘技場の扉の向こうに居るのは女か虎か、というストーリーは知っていても、作品を通して読んだ人は案外少ないのではないかと思われる一編。今読んでも色あせることのない傑作。
 「女か虎か」の日、遠い国から来ていた男が闘技場にいたが、恐ろしさのあまりに結果を見ず逃げ帰ってしまった。結果が気になったため1年後、遠い国から五人の代表者がやって来て、高官に結末を尋ねた。「女か虎か」の続編となるフランク・R・ストックトン「三日月刀の促進士」。これは「女か虎か」とセットで読むと、面白さが、いやもやもやが倍増する。
 ニューヨークの住人リチャード・バーウェルはパリに来て芝居を見ていたが、一人の美しい女性が一枚のカードをテーブルに置いていった。リチャードはフランス語がわからなかったので、何が書いてあるか教えてほしいと尋ねるのだが、そのカードを見た人々から次々に理不尽な行為を受ける羽目に。クリーヴランド・モフェット「謎のカード」。リドル・ストーリーの古典三大名作の一つ(残りは「女か虎か」とマーク・トゥエイン「恐ろしい中世のロマンス」)。これも名作中の名作。整合性のある答えが導き出せないところが恐ろしい。
 友人の娘であい、大学生兼モデルのジェンマ・マローンと久しぶりに再会したジュフリー・ランド。ジェンマはパリのカフェでいきなり前に座った男から、フランス語で書かれたカードを渡される。フランス語がわからないジェンマはホテルの支配人に読んでもらおうとカードを見せると、いきなりホテルを出て行けと告げる。次々と理不尽な目に遭い、最後には逮捕されてしまう。何とか釈放され、帰ってきた。相談されたジュフリーは、ジェンマと一緒にカードが置いてあるアパートへ向かったが、そこでカードを渡した男と遭遇。追いかけて摑まえるも、男は死んでしまった。エドワード・D・ホック「謎のカード事件」。シリーズキャラクターであるイギリス諜報機関暗号通信部《ダブル=C》の部長である暗号の専門家ジュフリー・ランドが登場する一編で、「謎のカード」のオマージュ。こういう解決手段もあるか、と思わせる職人技の一作。
 ストリックランドはバーでハイボールを飲んだ後、残した仕事をするために夜の十二時半に会社のあるビルに戻ってきた。そこにいたエレベーター係に聞かれたので、十三階と答える。エレベーターは目的の場所で止まったが、エレベータ係は「自由とドレイ的束縛と、どちらをえらびます?」と質問された。自由とストリックランドが答えると、その通りですとエレベーターを開けた。ハル・エルスン「最後の答」。最後まで読むと、作者に化かされている気分になる話。
 ブラウン神父と友人のフランボウは、貿易商のブルーム氏とともにファレサイ島へやってきた。そこには一人のイギリス人の退役軍人・シュルツ少佐が住んでいた。砂金を求め、一部隊分の武器と弾薬をもって、原住民のサリサリ族と反目しあっていた。シュルツ少佐は、崖に挟まれた河の真ん中の小島にある二十五フィートの要塞化した塔に住んでいた。サリサリ族の祭りの朝、シュルツ少佐の塔の上にある寝起きしている小屋が無くなり、河面と接した茂みの中にバラバラになったシュルツ少佐が発見された。乾敦「ファレサイ島の奇跡」。作者は山口雅也のミステリ研の友人。ブラウン神父のパスティーシュであり、超神秘的な不可解な事件に真っ向から挑んだその姿勢は高く買われてもいい。ただ、アマチュアの作品だなという雰囲気は漂ってくる。
 博多で大きな洋裁店を開いている中年夫人・新納ツタ子が列車の中で毒殺された。たまたま一緒のボックスになった他の子供を除く三人に聞くと、S駅の名物の柿羊羹をたくさん買い、おすそ分けしながら食べ、話している途中で苦しみだしたという。同じ包みから刻んで食べた他の人たちに異常はないし、そもそも食べて一時間もたってから青酸カリの効果が表れるというのもおかしい。新納家では四人兄弟のうち一郎と二郎がわずか一週間の間に脳溢血で亡くなっていた。どちらも正規の死亡診断によるもので、すでに火葬されていた。一郎の財産のうち、固定資産と保険金五百万円が美代子夫人に、一千万円の財産は兄弟に分けられることとなっていたので、唯一生き残っている三郎が全てを譲り受けることとなった。「和製メーグレ」こと満城(みつき)警部補が事件の謎に挑む。宮原龍雄「新納(にいろ)の棺」。本格ミステリファンには有名なアマチュア作家。これは見事。思わず喝采を挙げそうになった。毒殺トリックは大したことはないが、事件の全貌に隠されたトリックがうまい。プロットとトリックが綺麗に組み合わさった傑作。
 探検家のペトラス・デンダーは二階の寝室にある自らのベッドの上で、首を切断されて殺された。犯人は、デンダーを憎み、精神科医にかかっているただ一人の同居人、息子のジョナサンであることは間違いなかった。セントラルヒーティングから防熱窓、水冷式の屋根から地下焼却炉にいたるまであらゆる近代設備がそろっていた屋敷は、全て内側から閂と鍵がかかっていた。デンダーを切断した斧は、地下室から発見された。そしてジョナサンはどこにもいなかった。スティーヴン・バー「最後で最高の密室」。藤原宰太郎の推理クイズ本でよく出てくる、“最後の究極の密室殺人”。一応伏線は全部張っているんだな。常軌を逸したトリックではあるが、殺人者なんてみんな常軌を逸しているか。
 推理文壇きっての変わり者である岸辺流砂は、完全防音、窓一つない完全密室状態の書斎を建てた。週刊ミステリーの佐田は注文していた原稿をもらったが、酒を飲むうちに密室談義となった。土屋隆夫「密室学入門―最後の密室」。確かに“最後の密室”にふさわしい作品。密室物のアンソロジーにも取り上げられている。土屋らしからぬユーモアあふれた佳作。
 恋人と別れたイジドー・ウェルビーが悪魔と契約を結んだのは十年前。それからは自分の望む方向へ進み、幸せな生活を送ってきた。そして今日、ウェルビーは寝室ではなく、しごく堅固な、おそろしいブロンズの小部屋に、悪魔と二人きりでいた。契約書によるテスト、それはこの部屋から出ていけるかどうか。出ていければ地獄の幹部要員になれるが、出ていけなければ魂を失うこととなる。アイザック・アシモフ「真鍮色の密室」。悪魔の契約と密室脱出を掛け合わせた作品。SFらしいオチだが、読み終わって楽しいかどうかと言われると別問題で、切れ味が鈍くて今一つだった。
 グリーン・ヒル精神病院の患者であるジェームズ・ヒントンが脱走した。病院からの初めての脱走で、敷地内には当然おらず、手がかり一つ残さず、脱走経路もわからない。院長であるメリンジャー博士やスタッフのイライラは募るばかり。12時間以上も野放しになり、警察に通報していないことが明らかになったら、世間からの非難は間違いない。J・G・バラード「マイナス 1」。密室状況からの人間消失ものだが、何だ、この解決は。ミステリでも、SFでもない。山口雅也の前向上を読んでも、なぜこの作品を収録したのかがわからない。

 「本格ミステリ・アンソロジー」と言いながら、本格ミステリではない作品も収録しているところが、さすがひねくれ者(勝手に決めつけて申し訳ない)の山口雅也。ある意味、この人らしいセレクションだな、と思ってしまう。収録自体は嬉しいのだが、リドル・ストーリーって本格ミステリじゃないだろう。この人の欠点は、自身が面白がっているところが他人には伝わりにくいところじゃないかな。この人のセレクションがなかなか売れないのは、その欠点が前面に出てくるからだと思う。
 まあ、めったに読むことができなさそうな作品ばかりをセレクトしてくれたのは、嬉しいといえば嬉しい。トリックしか知らなかった「最後で最高の密室」なんて、こんなアンソロジーでもなければ収録されなかっただろう。「「(リドル・)小説(ストーリー)の饗宴」の最後に「読者の解答欄」という白紙のページを作る洒落っ気も嬉しい。
 なお巻末にある出展一覧の中に「世界最強の仕立屋」という作品が二番目に載っている。ところがこの作品は収録されていない。『ミステリマガジン』1974年1月号に掲載されたこの作品の著者はマイクル・クライトン。山口雅也自身が「出版間際になって版権が取れないことが判明」と答えている。残念。
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