馬伯庸『風起隴西 三国密偵伝』(ハヤカワ・ミステリ)

 三国時代の中国。魏・呉・蜀の三国統一の戦いは苛烈を極め、蜀の諸葛亮(しょかつりょう)による魏への北伐が続くなか、蜀軍は連弩を使い魏の将軍・王双(おうそう)の軍隊を壊滅することに成功する。やがて蜀の間諜で、情報を盗むために魏へ潜入していた陳恭(ちんきょう)は、偶然にも蜀へ潜入した魏の間諜の存在を知る。王双の部隊を壊滅させた連弩の機密を盗むために送り込まれたのか? 一方、陳恭から連絡を受けた蜀の間諜対策を行う荀詡(じゅんく)は、機密を守るために戦うことになるが……。正史に語られない英雄の物語と、三国志の裏側を描く緊迫のスパイ小説。(粗筋紹介より引用)
 2006年、発表。2017年、著者自身によって書き直された「新版」が刊行。2025年9月、邦訳刊行。

 馬伯庸の出世作、とのこと。舞台は三国時代(220~280年)、230年ごろ。既に曹操も孫権も劉備も亡くなっており、趙雲も登場しない。諸葛亮による北伐行の頃である。
 主人公は、靖安司(反謀工作機関)従事の荀詡(じゅんく)。魏に潜入した蜀の間諜、陳恭(ちんきょう)から、連弩の機密を盗むために魏の間諜が潜入したことを知らされ、正体を追いかける。さらに、蜀の高官の中に、魏の間諜燭龍(しょくりょう)がいることを知るが、その正体を掴むことができない。
 三国時代を舞台にしたスパイ小説。もっとも中国では、間諜は表立ってではないものの厚遇されている存在である。表舞台からは身を潜めながらも己の知恵と情報網を駆使して自国に有利な情報を探り出す姿は、007シリーズに見られるアクションスパイ小説ではなく、冷戦下の英国スパイ小説を思い出させる。
 作者は、僕が作品の父母なら、父方の祖父はクリスチャン・ジャック、祖母はフレデリック・フォーサイス、母方の祖父は羅漢中と陳寿、祖母はダン・ブラウンだと語っている。確かに本作品はフォーサイスの色が濃い。舞台と登場人物をヨーロッパに代えたら、そのまま冷戦スパイ小説になるではないか、という指摘について仰る通りと作者自身があとがきで話しているのだから、ある意味開き直っている。
 なお本作に出てくる登場人物の多くは当然だが、さらに靖安司、司聞曹(諜報機関)、司聞司(対外交策機関)、軍謀司(情報分析機関)などの名称や、魏蜀の行政手続きなどは全て作者の創作とのこと。おいおい、そこまで創るのかい、と突っ込みたくなった。
 歴史の裏側にある一幕を、エンタテイメントとして鮮やかに炙り出した作品。三国時代を知らない人でも楽しめるし、知っている人ならより面白く読むことができるだろう。

フリーダ・マクファデン『ハウスメイド』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 前科持ちのミリーが手に入れた、裕福な家庭でのハウスメイドの仕事。だが、この家は何かがおかしい。不可解な言動を繰り返す妻ニーナと、生意気な娘セシリア。夫のアンドリューはなぜ結婚生活を続けていられるのだろうか? ミリーは屋根裏部屋を与えられ、生活を始める。しかし、この部屋には……。そして、家族にまつわる真相が明かされるや、それまでに目にしたものすべてがひっくり返る。恐怖と衝撃のエンタメ小説。(粗筋紹介より引用)
 2022年、発表。2023年、国際スリラー作家協会賞ペイパーバック・オリジナル賞受賞。2025年8月、刊行。

 全米200万部突破のベストセラーが刊行。作者のフリーダ・マクファデンはボストンで脳外科医として働く傍ら、2013年に自費出版で作家デビュー。サスペンス路線の中編、長編を30編ほど執筆している。
 主要登場人物はわずか5人。前科持ちの美人、そしてハウスメイドのミリー(ウィルヘルミナ)・キャロウェイ。彼女を雇うのがニューヨーク郊外の高級住宅地に住むニーナ・ウィンチェスター。その夫であり、父親の会社を継いだアンドリュー。二人の娘である小学四年生のセシリア。そして庭師である英語をほとんど話せない庭師のエンツォである。
 出所後に勤めていたウェイトレスを首になって車中暮らしだったミリーは、ニーナとの面接を経て、ウィンチェスター家のハウスメイドとして雇われる。豪邸にもかかわらず、ミリーの部屋は狭い屋根裏部屋。ニーナはその日によって異なるおかしな言動を繰り返し、ミリーを困惑させる。そのうちにニーナのいじめはひどくなっていく。
 これはよくある古臭いパターンかと思いながらも、語り口がよいのでテンポよく第1部を読み進めていったのだが、第2部でガラッと変わる。仕掛けそのものはストレート、というか単純なものだが、それだけでないのがこの作品のすごいところ。最後は本当に背筋がぞっとする。あまりにも淡々とした口調だから、余計に怖い。
 500ページ以上あるけれど、全く退屈しない。どんどん物語は進むし、無駄な描写もない。作者がどこまで計算しているかはわからないが、隙のない構成である。それでいて、結末に向けての盛り上がりの巧さ、この衝撃。全米でベストセラーになるのも納得の傑作である。
 映画化されるのは当然だろうが、これがシリーズ化されているというのが、本当に最後の衝撃かも。続編が楽しみである。

月村了衛『機龍警察 火宅』(ハヤカワ文庫JA)

 最新型特殊装備“龍機兵"を擁する警視庁特捜部は、警察内部の偏見に抗いつつ、国際情勢のボーダーレス化と共に変容する犯罪に立ち向かう――由起谷主任が死の床にある元上司の秘密に迫る表題作、特捜部入り前のライザの彷徨を描く「済度」、疑獄事件捜査の末に鈴石主任が悪夢の未来を幻視する「化生」など全8篇を収録。着想の妙と研ぎ澄まされた世界が広がる、2010年代最高のミステリ・シリーズ初の短篇集。(粗筋紹介より引用)
 2010年~2014年、『ハヤカワミステリマガジン』『小説新潮』『読楽』『SFマガジン』『小説屋sari-sari』『NOVA+バベル』に掲載。2014年12月、早川書房より単行本刊行。2018年8月、文庫化。

 由起谷志郎主任は、高輪署時代にお世話になった元上司の高木が膵臓癌の緊急手術を受け、二か月の入院を経て自宅に戻ったと聞き、見舞いに訪れた。入間郡に建てられたばかりの家は、高木が一人暮らしだった。「火宅」。
 事実上消滅した台湾人武器密売組織「流弾沙(リウタンシャ)」の残党であり、重度の薬物中毒である洪立誠(ホン・リーチェン)とその舎弟李永慶(リー・ヨンチン)は、フィリピン組織が密輸した麻薬を機甲兵装に乗って強奪しようとしたが、実際は偽ブランド品であったことから逆上。警察に追われ、近くにあった児童教育センターに立てこもった。見学中の小学二年生と引率を人質に、覚醒剤や現金を要求。警視庁警備部部長の酒田盛一から出勤要請が入った特捜部は、事件解決を目指す。「焼相」。
 ウガンダの反政府組織LRKの武器調達担当幹部ムサ・ドンゴ・デオプが、正式なパスポートを持って入国。合法的に入国した外国人を連行するわけにはいかず、由起谷班は監視を続けた。数日後、デオプは義手や義足を制作する中堅医療機器メーカーの社員と接触を始めた。「輪廻」。
 妹を自ら殺してしまった元IRFのテロリスト・ライザ・ラードナーは、逃亡者を許さない組織の追手を始末しながら、ベネズエラまで流れてきた。謎の人物Xの依頼を受けるために。「済度」。
 ロシア人の武器密売商アレクセイ・イワノヴィッチ・ゴルプコフが、墨田区の自らの工場で殺された。一緒に住んでいた10歳の娘・アーニャの聴取のために呼ばれたユーリ・オズノフは、日本語を話せないユーリを見て、モスクワ民警時代のある事件を思い出す。「雪娘」。
 母の静江が不倫で棄てられ、首吊り自殺。伯父である岩井伸輔警部補の誘いを断り、一人で下関に残り高校生活を続けた由起谷志郎。ある日、唯一の友人である福本寛一が講演で死亡。警察からは連続ひったくり事案の容疑者として、パトロール警官に追われて足を滑らせ深さ3mの穴に落ち、死亡したと推定された。志郎はそんな警察に反発、しかし岩井は警察の見立てに疑問を抱く。「沙弥」。
 長野三瓶参議院議員からの質問リストには、国際テロについてがあった。立て続けに起きた機甲兵装がらみの質問であったことから、警察庁警備局は国会答弁と付随する資料作成を警視庁特捜部に丸投げした。国会答弁の当日は小学二年生の娘・久美子の通うピアノ教室の合同演奏会がある日。高級官僚や政治家の子女、さらに警察幹部の子女も多く通っているため、官僚の社交場として是が非でも出席しなければならない宮近浩二理事官は、城木貴彦理事官と共に徹夜で答弁作成を行う。「勤行」。
 吉祥寺で発見された飛び降り死体は、旧財閥系大手商社「海棠商事」を巡る一大疑獄事件の重要参考人であった。マスコミと世論にあおられる形で警視庁は武蔵野署に捜査本部を置いたが、それとは別に特捜部も捜査を始めた。「化生」。

 機龍警察シリーズ初の短編集。ほとんどの作品がシリーズ本編と繋がった話であり、タイトルにはいずれも仏教用語が用いられている。
 「済度」「沙弥」のような前日譚、「輪廻」「化生」のように今後のシリーズに大きく関わりそうな話もあり、シリーズファンなら読み逃せない一冊である。作者のことだから、全ての話がいずれ関わってくるに違いない。
 個人的に一番好きなのは「勤行」。やはり自分は、ハッピーエンドが好きなようだ。

高木彬光『わが一高時代の犯罪』(光文社文庫)

 一高の歴史の中で、これほど奇妙な人間消失事件もないだろう。ある日、本館正面の時計台の中で、一人の学生が忽然と姿を消した。事件には忌まわしい悪魔の影がつきまとっていた。一高生に扮した無気味な男の姿と、一高を憎み呪っていた女の謎。そして事件は悲劇的な結末を迎える――。本格推理白眉である表題作のほか、その続編ともいえる「輓歌」も収録。(粗筋紹介より引用)
 1996年4月、刊行。

 神津恭介と松下研三との出会いや一高時代に遭遇した事件と解決が描かれた中編「わが一高時代の犯罪」と、その続編であり初恋の女性水町知恵子が登場する中編「輓歌」を収録。角川文庫で両編とも読んでいたけれど、収録刊が違っていたのでそれほど続編ということを意識しなかった記憶がある。そうそう、「輓歌」では山田風太郎との合作『悪霊の群』で共演した名探偵・荊木歓喜がゲスト出演しているのだが、読んだ当時はさっぱりわからなくて、解説を読んで初めてどういう人物か知った記憶がある。
 不可能な消失トリックが有名である「わが一高時代の犯罪」だが、明かされてみると拍子抜けするものである。そして砂の落ちる音がする砂時計の話が有名。まあそんなツッコミはともかく、若き神津恭介と松下研三の物語を楽しむ二編である。それとともに、戦争の足音が近づく暗い時代ならではの描写と、それに負けまいとする一高時代の若さを作者自身が投影させた二編と言っていいと思う。
 神津ファンなら忘れてはならない一冊である。

ジェイムズ・クラムリー『酔いどれの誇り』(早川書房)

 ヘレン・ダフィは、何もかもがまだ素晴らしかった時代からやって来た女のように思われた。酔っぱらって本当のやつを忘れてしまうときに心の中をよぎる、実際はありもしなかったほのぼのとした少年時代を懐かしく思い出させてくれた……酒びたりの私立探偵ミロは、没落した名家の生まれで、父親の遺産が手に入る日を待っている身。離婚経験は二回。ある日、事務所を訪れた大学教師のヘレンに強く心惹かれる。彼女の依頼は、ここメリウェザーの街に西部史の研究に来て消息がとだえた弟の行方を捜してほしい、というものだった。偶然、ミロの飲み仲間の一人がその若者を覚えていたが、弟をほめそやしていたヘレンの話とはかなり違う生活ぶりだった。ホモセクシュアルの男たちと暮し、自堕落な日々を送っていたという。メリウェザーのような地方の小都市に流れこみ、コミューンを作って麻薬にふける青年たちの一人だったのだろうか? ヘレンのために、ミロは荒廃した街の中へ単身踏みこんでゆくが……やがて弟は、ある酒場で麻薬を撃ち過ぎた死体となって発見された!
 大自然に囲まれた中西部の街を舞台に、ヘミングウェイ、チャンドラーの流れを汲む作者が詩情をこめて謳い上げる、正統ハードボイルドの雄編!(粗筋紹介より引用)
 1975年発表。1984年9月、邦訳刊行。

 モンタナ州ミズーラを一部模した、人口五万の西部の架空の街メリウェザーを舞台にした、ミルトン・チェスター・ミロドラゴヴィッチ三世、探偵ミロの初登場作品。元保安官補の39歳。祖父から相続したミロドラゴヴィッチ・ビルの四階に、“婚姻の解消”が専門の探偵事務所を開いている。ビルの利益は管理会社と最初の妻、そして二人目の妻の遺児にいくため、ほとんど残らない。ミロドラゴヴィッチ家は元は上流回遊であったが、今は落ちぶれ、53際になったら手に入る父親の遺産を待っている状態。
 いつも酔っぱらっているばかりか、時にはドラッグに手を出し、悪態をついてばかりで暴力をふるってはやられるダメ探偵なのだが、なぜかモテるミロ。世の中って理不尽だ(苦笑)。酒場と酔っ払いばかりが登場し、彼らと減らず口を叩くミロ。それでもなぜか依頼にこたえるべく立ち向かうその姿。うーん、ハードボイルドだ。
 チャンドラーのハードボイルドが苦手な私にとって、帯にある「ヘミングウェイ、チャンドラーの香気を今に甦らせる傑作」という惹句が気にかかったのだが、ミロが駄目人間過ぎたおかげで、気にせず読むことができた。それでも、芯の部分にある男としての矜持、そこはフィリップ・マーロウと変わらない。それを人は「正統派ハードボイルド」と呼ぶのだろう。
 文春ミステリーベスト100の読み逃し作品。いや、かなり昔に読んだ記憶があったはずなのに、リストを確認すると読んでいなかったし、本箱にも並んでいた。今頃読んだが、結構面白かった。大嫌いだったチャンドラーも今読めば、少しは楽しめるのかもしれない。そんな気もしてきた。

TAJIRI『真・プロレスラーは観客に何を見せているのか 30年やってわかったこと』(徳間文庫)

 プロレス界随一のベストセラー、全編書下しリニューアル! 全日本プロレス退団、九州プロレス移籍の裏に何があったのか。TAJIRI「洗脳」説の真偽は? 2024年でデビュー30周年、文豪レスラーTAJIRIがプロレス界の魅力、暗部、未来図を解く。
 アカデミズム界屈指のプロレス者、超話題作『言語学バーリ・トゥード』の川添愛氏が解説寄稿!(粗筋紹介より引用)
 2024年3月、徳間文庫より刊行。

 1994年、I.W.A JAPANでデビュー。メキシコで修業後、大日本プロレスに入団。新日本プロレスでも活躍後、大日本プロレスを対談し、メキシコCMLLに参戦。1998年にECWへ移り、人気レスラーとなる。2001年にWWE入団し活躍。地域によってはイチローや松井秀喜よりも名前の知られている日本人として、名を馳せる。2005年に退団して帰国後はハッスルへ入団。2010年にSMASHを立ち上げ。2012年にはWNCを立ち上げ。この間は新日本プロレスにも参戦していた。2014年にWRESTLE-1へ入団。2017年からは全日本プロレスに参戦。2021年に前日本プロレスへ入団するも、2022年に退団。2023年、九州プロレスに入団。
 2019年に草思社から出版され話題となった『プロレスラーは観客に何を見せているのか』を全面リニューアルした一冊である。目次を見ると、TAJIRIが考えるプロレスの方向性が見えてくると思うので、掲載する。
【目次】
第1章 プロレス界を生き抜く条件
 全日本若手に指導した表現技法
 オレの「実の子」フランシスコ・アキラの成長
 斉藤兄弟が海外修行で得た「考える」生存戦略 他
第2章 メジャーとインディーの壁はあるのか
 新日本は「おっかなかった」
 「某選手」に投げかけられた強烈な一撃
 イラつくライガーから「こいつ潰すぞ!」 他
第3章 プロレスラーの土台となる技術論
 デカい選手の速い動きはデカさの武器を殺す
 リング内4本のライン上で攻防は行われる
 技の前に観客に手拍子を求めるのは最低 他
第4章 プロレスの技は本当に進化しているか
 新規ファンよりマニア向けにする罠
 効かない「エルボー合戦」の無意味
 大谷晋二郎の怪我と「効かない技」 他
第5章 道場論
 プロレスラーの魂を鍛える場所
 ルチャの稽古はアマレスの組み技が重点
 日本が世界に誇る寮生活システム
 お金を貯めて自腹で海を渡る=修行 他
第6章 プロレスでカネは稼げるのか
 月給10万円を超えなかったインディー時代
 最高峰WWEのお金の仕組みを話そう
 グッズ売上5年分不労所得で家族4人海外旅行3回 他
第7章 コミュ力 プロレスラー必須のスキル
 団体を去る理由、去れない理由
 WWEで学んだ緊張しない考え方
 会社はお前らの何を売り出せばいいのか 他
第8章 SNSとプロレスの歪んだ関係  不確かな「らしい」で物語をつくれていた時代
 「TAJIRIは選手と団体を洗脳する」説
 プロは「火ダネとなる噂」をどうさばくのか 他
第9章 プロレス中央から地方へ
 集客に苦戦する団体もある中で「無料開催」
 人生の残り時間から逆算して仕事を考え直す
 あらゆるものがありすぎる中央の弊害 他
第10章 達成感の最終回を探す旅へ
 天龍さんの技「53歳」を考える
 「本物の達成感を得よ」とオレは若手を洗脳する 他
解説
 「プロ」としての哲学の在り処 川添愛

 プロレスラーとして世界を駆けずり回ったTAJIRIならではのプロレス哲学を現した一冊。プロレスが悪い意味で進化、というか深化していく現状で、プロレスの基本に立ち返った哲学が読んでいて心地よい。特に「リング内4本のライン上で攻防は行われる」は目から鱗であった。「デカい選手の速い動きはデカさの武器を殺す」は、日本プロレス出身のレスラーや全日本プロレス初期のレスラーが語っていたなあ。アンドレ・ザ・ジャイアントやジャイアント馬場は早く動けるけれど、あえて大きなモーションで技を出す、とか。
 今一度、プロレスは基本に立ち返るべき。そんなことを思い起こさせる一冊である。

秋保(あきう)水菓(すいか)『コンビニなしでは生きられない』(講談社文庫)

 大学を中退した19歳の白秋。彼の居場所はバイト先のコンビニだけだった。その平穏な日常を引っかき回す研修生が入店。店内で連続する事件にやたらと首を突っ込む女子高生の黒羽深咲だ。教育係の白秋は彼女の暴走する謎への好奇心に巻き込まれ、店の誰もが口を噤む過去の連続盗難事件の真相を推理することになり……。コンビニの「謎」と「あるある」にとことんこだわり、他の追随を許さない秋保水菓のデビュー作、ついに文庫化!(粗筋紹介より引用)
 2018年、第56回メフィスト賞受賞。2018年4月、講談社ノベルスより刊行。2021年7月、文庫化。

 作者は受賞時24歳、でいいのかな。高1の頃からコンビニで働いているとのこと。
 19歳のフリーター男子とバイト研修中の女子高生コンビが、コンビニ店内で起きた不可思議な事件に挑む連作短編集。  作者のキャリアを活かしたコンビニあるあるや裏側を利用した作品作りはまあまあ面白い。インタビューを読むと、強盗事件は作者の実体験とのこと。
 とはいえ、肝心の事件や謎解きの方は強引、ご都合主義が多い。さらにストーリーの方も無理矢理繋ぎ合わせたところが目立つ。登場人物の心理や行動原理も首を捻るものがあるし、結末はそれでいいのか、と突っ込みたくなるぐらい。ラノベだってもう少し心理面の整合性は取れていると思うが。
 ラノベの学園ものの舞台をコンビニに置き換えたような作品だが、ちょっと工夫が足りなかったかな。もう少しコンビニならではの謎解きを期待したい。

青野照市『職業としての将棋棋士』(小学館新書)

 50年にわたる現役生活を引退したベテラン棋士が、自身の半生とともに、これまでに出会った棋士や将棋界をとりまく人達のユニークなエピソードを語り尽くす。
 中学を卒業後に上京し、将棋会館に住み込む「塾生」となって、棋士の見習い生活を始めた著者は、破天荒な棋士や、奇行が目立つ貴公子ならぬ奇行士と呼べる棋士など、さまざまな棋士と出会います。将棋界以外には生息していないと思われる、これらの奇人・変人や天才・奇才の生態をさまざまな出来事を交えて論じます。
 そして将棋界のトップリーグであるA級に上るためにどんな試練があって、どう乗り越えたのか、そしてその後の引退まで、心境の変化なども丁寧に描かれていて、将棋や棋士に興味のある方は必見です。
 さらに、「棋士はどんな人と結婚するのか」「一流企業の役員と棋士とどちらが稼ぐのか」「奨励会を退会した人はその後、どんな人生を送っているのか」など、これまであまり語られなかった裏話も公開。将棋ファンはもちろん、そうでない方も楽しめる一冊です。(粗筋紹介より引用)
 2025年10月刊行。

【目次】
第1章 将棋との出会いからプロ棋士になるまで
第2章 騎士は割りの良い職業か?
第3章 四段からA級まで
第4章 天才・奇才・奇人・変人
第5章 対局中の奇行
第6章 棋士になれた人・なれなかった人とならなかった人
第7章 何か変だよ将棋連盟
第8章 40代からの棋士生活
第9章 将棋界を取り巻く人たち
第10章 女流棋士の活躍
第11章 棋士の結婚
第12章 ファン層の変貌
第13章 将棋の海外普及
第14章 現役最後の日

 12人目となる現役50年、26人目となる800勝(通算成績で負け越して達成したのは史上初かつ唯一)、A級11年、一般棋戦優勝4回、タイトル挑戦1回、升田幸三賞2回。日本将棋連盟の理事を長く務め、海外普及にも尽力し、しずおか大賞、外務大臣表彰を受賞。一流棋士として長年活躍して2024年に引退した青野照市が、自らの棋歴を振り返りながら、将棋界の歴史、仕組み、思い出などを語った一冊。
 奇人、変人が多いと言われる将棋界だが、その中ではまともだと将棋ファンからは思われていただろう、青野九段。この一冊を読むと、まともだろうけれどやっぱり棋士なんだなあ、と思ってしまう。
 昔の方が豪快、豪胆、奇天烈などというのはどこの世界でもある話。徐々に世間の目が厳しくなり、少しずつ一般人化し、一部からは「昔の方が面白かった」などと言われるのだが、外野から見る分ならいざ知らず、身近にいる人たちは大変だっただろう。
 将棋界の移り変わり、将棋ファンならでは誰でも感じる疑問などを交えながら、ある意味「天才ではなかった」棋士が50年続いた生き方を語っており、読んでいて非常に面白い。将棋に詳しい人、詳しくな人のどちらでも楽しめるだろう。
 今から見るとちょっとやばい、というところではイニシャルになっているのだが、段位やわかりやすい背景が書かれているとちょっと調べればわかるところは逆に興味深い。名人戦移籍騒動の辺りはさらっと触れながらもちょっと深めに描く、そのバランスも流石だ。どんぶり勘定すぎた将棋連盟が徐々に整備されていく過程も、組織の改善という意味で参考になる。
 一方で本当にまずいところは書かれていないね。まあ暴露本ではないからそこは当然か。
 個人的には、米長邦雄が伝授した口紅のプレゼントの話を書いて欲しかったのだが、そこは流石に控えたかな。

伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)

 夫は転勤直後から急に冷たくなった。暴言に耐えながら息子を育てていた佐藤量子であったが、ある日夫に暴力を振るわれ、思わず殺してしまった。息子が小学校から帰ってくる前に、夫の死体をどうにかしなければならないが、呆然とするばかり。そこへ二週間前に偶然再会した、元大学の後輩である桂凍朗(こごろう)が訪ねて来て、一緒に山へ遺体を捨てに行ったが眠ってしまい、目を覚ますとそこにいたのは破魔矢と絵馬という二十代の夫婦だった。
 破魔矢と絵馬が量子と会う2年半前、二人は伊藤歌子に取り憑いているジャバウォックを引き剥がすのに成功した。ジャバウォックとは、元々は鏡の国のアリスに出てくる怪物の名前。ここでは寄生虫のトキソプラズマと同じように、人間に取り憑く謎の寄生虫として便宜上名付けられている。ジャバウォックに取り憑かれると恐怖心や不安感を鈍らせるようになり、警戒心を無くして危険な行動を取らせるようになる。その結果、全力で暴力を振るうようになる。歌子の父、伊藤北斎は20年以上前の人気歌手だったが、失言で世間から非難され、そのまま芸能界を引退し、歌わなくなくなっていた。
 2025年10月、書き下ろし刊行。

 物語は佐藤量子が破魔矢、詩織とともに逃走中の桂を追いかけるストーリーと、還暦をすぎた北斎があるきっかけから再び人気歌手となって復活する姿をマネージャーである斗真の視点から語られるストーリーが並行して進んでいく。
 伊坂がインタビューで、自分は世間からミステリー作家と思われていないようなので、ちゃんとミステリーとわかる形をしたものを書こう、として書いた作品と語っている。最も、わかりやすいミステリーの形は書けなかった、というオチも語っているが。
 夫殺しから始まり、ホラー要素の濃いサスペンスと搜索ものをからめた量子のパートと、隠棲していた元人気歌手がSNS上でバズって復活していくのをサポートする斗真のパートが交互に語られる。ともにジャバウォック、そして破魔矢と絵馬という登場人物が重なりつつも、全く違う話が並行して書かれているので、これは作者が読者「だけ」にサプライズを見せる作品なんだろうなあ、今更なあと思っていたのだが、さすが伊坂、そんな単純な仕掛けを見せるはずがなかった。二つのストーリが重なった時、思わず膝を叩いてしまった。
 二つのパートが別々に面白く、そして二つのストーリーが一つになった時、その面白さが倍増どころか三倍増しぐらいに面白くなる。そこで今まで貼られていた伏線の存在に気がつく。伏線を隅々まで張り巡らし、エンディングまで計算し尽くされた伊坂ワールドが存分に味わえる。25周年にふさわしい、完成度の高さである。
 ただ、いつもの伊坂ワールド以上の「何か」がなかったのも事実。もちろん平均点が非常に高いので、「いつも」というだけで十分に面白いのも事実なのだが。贅沢な要求だが、いつもと違うサプライズが欲しかった。読者の我儘なお願いである。

初野晴『カマラとアマラの丘』(講談社)

 いずれ迎える別離。それでも一緒にいたかった。
 廃墟となった遊園地、ここは秘密の動物霊園。奇妙な名前の丘にいわくつきのペットが眠る。弔いのためには、依頼者は墓守の青年と交渉し、一番大切なものを差し出さなければならない。ゴールデンレトリーバー、天才インコ、そして……。彼らの“物語”から、青年が解き明かす真実とは。人と動物のあらゆる絆を描いた、連作長編ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 『esora』『メフィスト』掲載作品に書下ろし3編を加え、2012年9月刊行。

 セラピストの金子リサは、ハナの遺骨と位牌を収めた小さな骨壺を持って、廃墟となった遊園地に来た。花が好きだったハナを、ここで埋葬してもらうために。「カマラとアマラの丘 ——ゴールデンレトリーバ——」。カマラとアマラは、インドで狼に育てられた2人の少女。
 ブライアン・レイと夕鶴(つる)の夫婦が遊園地に来た。二人が運んできたのは、ビッグフットだった。「ブクウスとツォノクワの丘 ——ビッグフット——」。ブクウスとツォノクワとは、北米のネイティブアメリカンのクワキュートル族の神話に登場する森の男女の野人。
 刑事の市川芳弘は大晦日の夜、廃墟の遊園地にやってきて、墓守の青年森野と出会う。彼が探しているのは、殺人事件の現場から逃げ出した天才インコだった。「シレネッタの丘 ——天才インコ——」。シレネッタとは人魚姫のこと。
 若手弁護士の鷺村信彦は、深夜に老人の後を尾けていくうちに、閉鎖された遊園地に辿り着いた。石笛でネズミを誘き出すというその老人がどうしてリゾート開発予定地の訴訟に関わっているのか。「ヴァルキューリの丘 ——黒い未亡人とクマネズミ——」。ヴァルキューリとは、北欧神話に出てくる戦争の女神。
 有名私立中学校に入った僕は、捨てられたラプラドールにライカと名付ける。「星々の審判」。

 廃墟の遊園地にある動物霊園を訪れた者は、生物と関わる死にまつわるエピソードを話す。しかしその話を聞いた墓守の青年森野が、裏に隠された真実を引きずり出して突きつける。ファンタジーで始まり、本格ミステリとして終わる連作短編集。
 幻想的な舞台であるのに、森野が謎を解き明かすと、そこに見えてくるのは読者の目に入ってくるのは残酷すぎる真実。このギャップが作者らしいといえる。ただ、好みは分かれそう。個人的にはあまり好きになれない。趣向として面白いのはわかるが、短編一つで十分と思ってしまう。森野の謎についてもう少し触れてくれると、また違った印象を受けたかもしれない。もう少しハッピーエンドに終わってもいいだろうに。よくできた作品だとは思うが、もうちょっと救いがあった方が好きな私は、そのあたりもちょっと苦手ではある。
【元に戻る】