ディック・フランシス『告解』(早川書房)
「……彼を殺したことを告白します」 意識が混濁した瀕死の老人ヴァレンタインは、枕元にいた新進の映画監督トマス・ライアンを神父と間違えて、そう囁いた。かつて装蹄士だったヴァレンタインが、作業の過ちで騎手の致命的な事故でも招いたのだろうと、トマスはあまり気に留めなかった。
トマスは、20年前の競馬界の謎の事件を題材にした新作を撮影中だった。ニューマーケットの調教師の妻が、厩舎で変死したのだ。夫が殺したのではないかと疑われたが、他殺とも自殺も発揮しないままに、年月が流れていた。ハリウッドのスターを主演に据えたこの映画で、トマスは監督としての進化を問われていたが、事件の真相の描き方をめぐって脚本家との対立が激化し、さらに何者かからロケを中止せよという脅迫状が舞い込む。トマスは不屈の意志で撮影を続けるが、出席者が刃物で襲われ、さらに彼自身にも魔の手が……
映画界を舞台に、謎とサスペンスの連続で贈るシリーズ第33作。(粗筋紹介より引用)
1994年、発表。1995年10月、邦訳刊行。
映画界が舞台ではあるが、題材は競馬界。解説の森田芳光がリアリティがあると書いているので、この綿密な描写は相当取材を重ねたのだろう。
いつものフランシスと比べると登場人物が多く感じられるのは、映画界を舞台にしているからだろうか。その分人間関係がちょっとごちゃごちゃしているように思えた。それでも読者を引き込むの謎の提示は上手いし、様々な苦難に遭いながらも撮影を続けて完成させようとするライアンの意志の強さには惹かれるものがある。
フランシス、やっぱり面白いなあと思わせるものはあるけれど、ただフランシスに求めるもの、という意味では平均点かな。もう少し盛り上がりが欲しかったと思う。
北國浩二『リバース』(PHP文芸文庫)
プロをめざしているバンドマン・柏原省吾はある日、恋人の上野美月から別れ話を切り出された。省吾の幼馴染である桂木妙子の交際相手のエリート医師・篠塚と付き合うというのだ。その直後、省吾は不思議な能力があるといわれている少女・野原すみれとともに、篠塚が美月を殺しかけている光景を幻視する。嫉妬ゆえの妄想か、それとも……!? 省吾は美月を守り、彼女との幸せを取り戻せそうとするのだが――読後感さわやかな、二転三転の長篇ミステリ。(粗筋紹介より引用)
2009年6月、原書房より書下ろし単行本刊行。2015年、文庫化。
作者の作品を読むのは初めて。
未来を見える人が悲劇を回避して未来を変えようと動き回る設定だったので、これはよくあるパターンかとややげんなりしながら読み進めたのだが、第三章の終わりで予想外の方向に進む。ここからの二転三転ぶりが巧い。特に未来の視える人物がすみれだけではなく、省吾自身も視てしまうところがお見事。ほとんどストーカーとしか思えない省吾の行動の説得力が増す役割を果たしている。またイライラさせられる登場人物たちの行動や言動にも、読み終わっても意味があるものであったところにも感心した。
ただ、その点を差し引いてもちょっと読みにくかったかな。なんかもどかしいというか、もっさりしているというか。背景描写をもう少しスッキリできれば、サプライズ効果がもっと上がったと思う。
よくできているけれど、もっとよくできるだろう、と言いたくなるような作品。悪くはなかったけれどね。
今野敏『分水 隠蔽捜査11』(新潮社)
鎌倉署管内で起こった、不審火。多数の消防隊が急行したのは、代々政治家を輩出している家柄の安達家の、由緒ある洋館であった。現在そこには元与党幹事長で82歳でも現職国会議員の安達喜代助、息子で衆議院議員の政孝が住んでいる。鎌倉ではそれぞれ殿様、若様と呼ばれている大物であった。最初は板橋武捜査一課長が鎌倉署に向かったものの、佐藤実県警本部長との話で竜崎本人が向かうこととなった。しかも将来の総理総裁と噂される安達政孝は、人気女優との不倫スキャンダルで世間に騒がれており、安達家周辺にはユーチューバーが群がっていた。さらに政孝に取り入ろうと、同期の八島圭介刑務部長も介入したがる。
竜崎は鎌倉署に捜査本部を設置するが、鎌倉署の森田署長、さらに安達家とつながりがある窪井利弘刑事課長は露骨に安達家に忖度し、通常捜査の妨げとなる。竜崎はサイバー犯罪捜査課の三好基也巡査部長の手を借り、現場にいたユーチューバを追うが、殺人事件が発生する。
『小説新潮』2024年10月号~2025年9月号連載。2026年1月刊行。
隠蔽走査シリーズ第11弾長編は、大物代議士宅への放火、さらに殺人事件に挑む。
週刊誌ネタやユーチューブなどを取り入れた事件の組み立てはうまいし、読ませるものがある。ただ事件そのものの意外性はなく、新味に欠けるのも事実。さらに推理らしい推理もなく、ただ捜査を進めれば終わってしまうのも物足りなさを感じる。
竜崎と板橋のやり取りは相変わらず面白い。お互いの力量を十分に分かったうえで、時には皮肉交じりの会話が繰り広げられるのは、プロフェッショナル同士ならではといえようか。本作ではサイバー犯罪捜査課の三好巡査部長が大きな役割を果たしているが、今後はレギュラーとなってほしいものである。
ネット界隈の“世論”への批判的な視線は納得できるところも多いが、古臭いと言われそうな気もする。竜崎家の家族のやり取りも出てくるが、新しいアイテムが出てきても、結局は古いながらも強固な地盤の上に新しいものが出てきている、ということでも言いたいのだろう。
本作で興味深いところは、キャリア同期である竜崎、八島、警視庁の伊丹俊太郎刑事部長の駆け引きであろうか。露骨に上昇志向を見せる八島、なんだかんだ抜け目なくふるまう伊丹、政治にはとことん無頓着な竜崎。彼らの出世争いが、このシリーズの今後のキーとなりそうな気がする。
シリーズならではの面白さはあるが、内容としては大した波乱も動きもなく、ちょっと刺激に欠けた内容だった。神奈川県警に移ってからまだ日は浅いだろうから、大きな動きはしばらくはないだろうとは思うけれど、このままだと退屈に感じてしまう。次作に期待しよう。
トマス・H・クック『心の砕ける音』(文春文庫)
父を継いで新聞社であるセンティネル社を経営するロマンチストの弟・ビリー(ウィリアム)・チェイスは、「運命の女」がきっといると信じていた。ジェファーソン郡地方検察官であるリアリストの兄・キャル(キャルヴィン)・チェイスはそんな女がいるはずがないと思っていた。新しくセンティネル社の従業員となった美しく謎めいた女・ドーラ・マーチが兄弟の住むアメリカ東部メイン州の小さな町に現れたとき、ふたりは確かに「運命の女」にめぐりあったのだが……。クックがミステリを超えて、またひとつ美しくも悲しい物語を紡ぎだした。(粗筋紹介より引用、一部追記)
2000年、アメリカで発表。2001年9月、邦訳刊行。
作品としては、『夜の記憶』の次に書かれた長編。舞台は1930年代。ドーラ・マーチが小さな町に訪れてから、仲の良かった兄弟の運命の歯車が狂い始め、やがて事件が起きる。
兄であるキャルの一人称で物語は進む。例によって抒情的な文章で丁寧な心理描写が描かれるのはクックならではなのだが、悲劇が見え隠れする分、読んでしんどくなる。この暗さが、クックの味と言ってしまえばそれまでではある。
ただ、キャルがドーラの過去を追いかけてからは、いつものクックとは少し異なる。そして最後に聞こえる、「心の砕ける音」。この描写が絶妙だ。そうか、「記憶」シリーズにある泥沼に突っ込んだ足がさらに沈んでいく恐怖と暗さは、ここから少しずつ変わっていくのか。
クックの作風の変化が漂い始める作品。確かに純文学とミステリの境目にあるような作品で、読んでいるときの重さはちょいとしんどい。
ポール・アルテ『カーテンの陰の死』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
殺人現場に偶然居合わせたマージョリーは、犯人と同じ服装をした謎の人物が自分の下宿に入ってくるのを目撃する。続けて密室殺人事件が発生するにおよび、ハースト警部らが乗り出すが、事件の状況は七十五年前にこの下宿屋で起きた迷宮入り事件とそっくり同じだった。(粗筋紹介より引用)
1989年、フランスで発表。2005年7月、邦訳刊行。
ツイスト博士シリーズ三作目。久しぶりに手を出してみた。
頭皮を剥ぐ連続殺人犯って手間暇かかるだろうにいいのだろうか、などと余計な心配しながら読み進めると、次に出てくるのは怪しい下宿屋。ここに住んでいる人も怪しそうな人ばかり。さらに75年前と同じカーテン越しの密室殺人。これでもかとばかりにカーの世界を再現しつつ、下宿屋のところはクリスティっぽい。おまけに結末はポー風。作者からの感謝の言葉の中に、カーとクリスティとステーマンが出てきているけれど、ステーマンの要素ってどこに出てくるのだろう。
不可能要素はかなり強いのだが、ツイスト博士の推理を聞いてがっくり。後出しジャンケンはあるし、推理の飛躍はあるし、そのくせ単純だし。これで終わりかよと思ったら、最後にちょっとだけひねっていて、少し救われたかな。
カーから悪趣味なドタバタを除いたら、こんなに短くなるんだな、と思わせる作品ではあった。ただそのドタバタを省くと、粗ばかりが浮かび上がるというのもよくわかったが。
倉知淳『片桐大三郎とXYZの悲劇』(文春文庫)
元銀幕の大スター・片桐大三郎(現芸能プロ社長)の趣味は、犯罪捜査に首を突っ込むこと。その卓越した推理力と遠慮を知らない行動力、濃すぎる大きな顔面で事件の核心にぐいぐい迫る! 聴力を失った大三郎の耳代わりを務めるのは若き付き人・野々瀬乃枝。この絶妙なコンビが大活躍する最高にコミカルで抱腹絶倒のミステリー!(粗筋紹介より引用)
『別冊文藝春秋』『オール讀物』2015年に掲載された2編に、書下ろし2編を加え、2015年9月、文藝春秋より単行本刊行。2018年8月、文庫化。
片桐大三郎の付き人である野々瀬乃枝が、山手線の満員電車から新宿駅で降りたとき、ホームで倒れている男性に遭遇。実は注射器で毒殺された殺人事件だった。「冬の章 ぎゅうぎゅう詰めの殺意」。
白銀台に住むそれなりに有名な画家が、埃だらけの物置部屋で、車椅子に座ったまま殴られて殺された。凶器は、なぜかウクレレだった。近くには工具箱などもあったのに、犯人はなぜウクレレを凶器に選んだのか。「春の章 極めて陽気で呑気な凶器」。
退屈な片桐大三郎は、何か事件はないかと携帯電話のGPS機能を悪用し、河原崎警部のいる二階建て住宅を尋ねると、そこでは誘拐事件の真っ最中だった。ベビーシッターの若い女性が殺害された、夫婦の赤ん坊が誘拐され、身代金要求の電話がかかっていた。「夏の章 途切れ途切れの誘拐」。
片桐大三郎の後援会の楽屋でファンが見せたのは、若くして亡くなった世界的な映画監督の未発表シナリオ。公園の時間が始まるので、万が一があってはと事務室にある鍵のかかるキャビネットに保管した。ところが公演途中で気になった河原崎警部が確認に来ると、シナリオが消えていた。「秋の章 片桐大三郎最後の季節」。
世界的な大スターで、日本人なら誰でも知っている俳優。聴力を失って引退した片桐大三郎が、耳替わりで相手の声をパソコンに打つ付き人野々瀬乃枝とともに、警視庁特殊捜査課の河原崎警部と野末刑事が持ち込む難事件を解いていく連作短編集。
探偵役の設定は、エラリー・クイーンがバーナビー・ロス名義で発表した悲劇四部作に登場する名探偵、ドルリー・レーンをなぞらえたもの。そして片桐が立ち向かう事件も、「列車の中での針による毒殺事件」「凶器が楽器」など、それぞれ四部作をモチーフにしたものとなっている。最も『Zの悲劇』に相当する「夏の章 途切れ途切れの誘拐」については、共通点がないように見えるが。
片桐大三郎の設定は、パロディとはいえかなり出鱈目なものになっており、正直言って悪趣味だと思う。ただ、謎解きはなかなか面白い。さすが倉知、と言いたくなる。元作品を知っている分、謎の設定にそれほど驚きを感じることがなかったかな。元作品を知らない人が読んだら、どう思うんだろう。
残念だったのは、「秋の章」が肩透かしだったこと。狙いすぎて、かえって消化不良に陥った終わり方になっている。
個人的ベストは「夏の章」。ただ、個人的には推理部分を読みたくなかった。よくこんなこと、思いつくな。
オマージュとしては面白いが、先にも書いたとおり、ラストをもう少しスカッとさせてほしかった。
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