ウィリアム・ショー 『罪の水際』(新潮文庫)
ケント州の海辺の町ダンジェネス。休職中の女刑事アレックスは、同性婚パーティに居合わせ、花嫁に襲いかかろうとした中年女性を間一髪で阻止する、一方、街では夫婦の凄惨な死体が発見され、現場に血文字のメッセージが残されていた。町の多くが巻き込まれた大規模な投資詐欺に、少なからず関係があるようだが――。町に渦巻く複雑な人間模様と悲劇を端正に綴る現代英国ミステリ―の到達点。(粗筋紹介より引用)
2021年、発表。2025年4月、邦訳刊行。
作者のウィリアム・ショーは英国のミステリ作家。音楽雑誌の編集者を経て、音楽ジャーナリストとして著書を数冊刊行。2013年、1960年代のロンドンを舞台にした刑事キャサル・ブリーン&女性警官ヘレン・トーザーシリーズ第1作"A Song from Dead Lips"で作家デビュー。2017年、刑事アレックス・キューピディシリーズ第1作"The Birdwatcher"を刊行。本書はアレックスシリーズの第5作(第1作は脇役とのことだが)。英国推理作家協会(CWA)最優秀長篇賞最終ノミネート。本作品が本邦初訳となる。
シリーズ物とは全く気付かずに読み始めたため、この登場人物たちの関係はどうなってるんだとか(特にアレックスとウィリアム・サウス)、なぜアレックスは精神を病んで休職中なんだ、などの部分がわからないまま話は進む。まあ、読み始めたらそれほど気にはならなくなるが。
休職中なのに、自分を顧みず事件に関わろうとするアレックスに正直閉口する。悩んでばかりだし、うまくいかないといら立っているし、悪夢ばかりでよく眠れないし。なんか、読んでいて腹が立ってくる。完璧主義者にありがちなタイプだな、これは。まあ、そんな簡単に悩みを捨てられないのが人間なんだけど。それに地方都市ならではの人間関係もあるのだろう。一人娘とはいえ、なんだかんだ付き合っているゾーイが大変そうだ。このゾーイの存在が魅力的で、救われている気がする。
主人公に苛立ちながらも、老夫婦殺人事件に関わっていくうちに別の事件が浮かび上がってくる展開はなかなか。地方都市で情と罪が絡み合う英国警察小説ならではの面白さはある。特に情景描写がうまいね。だから、人の心の揺れ具合がきれいに描き出される。
まあ面白かったと言えば面白かったけれど、これはできれば第1作から紹介してほしかったなと思わせる作品。そうすれば、もう少し登場人物への思い入れが変わってきて、より楽しめたかもしれない。もっともそうなると、キャサル・ブリーン&ヘレン・トーザーシリーズから出さないといけなくなるのか(アレックスは、二人の娘)。それもまた大変だ。早川あたりがもっと早く邦訳を出してくれていたら、もっと違っていたと思う。
河崎秋子『肉弾』(角川文庫)
大学を休学して引きこもり中の沢貴美也は、建築会社経営の父・龍一郎に反発しながらもその庇護下から抜け出せずにいた。猟銃の免許を取得させられた貴美也は、龍一郎の趣味である北海道での鹿狩りに連れ出された。旅館で熊がいると聞いた龍一郎は貴美也を連れ出し、カルデラ地帯の奥深くへ分け入ったその時、熊の襲撃を受ける。貴美也の眼前でなすすべなく腹を裂かれ、食われていく龍一郎。どこからか現れた野犬の群れに紛れ1人逃げのびた貴美也は、絶望の中、生きるために戦うことを決意する。圧倒的なスケールで人間と動物の生と死を描く、第21回大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介に一部追記)
2017年10月、KADOKAWAより単行本刊行。2019年、第21回大藪春彦賞受賞。加筆修正の上、2020年6月、文庫化。
単に大藪春彦賞作品ということで手に取った作品。作者のことは全く分からず、河﨑秋子ってどこかで聞いたなと思っていたら、『ともぐい』で直木賞を受賞した人だと思い出した。そういえば『ともぐい』も読んでみようと思いつつ、結局スルーしているな……。本作は作者の第二作目。
捨てられたり逃げだしたりした野犬の集まり。ニホンオオカミが滅ぼされ、鹿が増える皮肉。熊はなぜ人を襲うようになったのか。野犬と熊の対決。北海道の大自然を舞台にした、「生きる」ための姿の描写は実に面白い。この描き方が、作者の持ち味であり、引き出しなんだろうなと思う。ただ、元々は人に育てられたとはいえ、そう簡単に人を信用するようになるだろうか、という疑問はあるのだが。サマードックとか見ていると、首をひねる部分はある。
ただ20歳で引きこもり中の貴美也と、強権的な父親とのやり取りは、あまり気分のいいものではなかった。もちろん、大自然の中で生きるために覚醒する貴美也を描くために、あえてこのような設定にしたのはわかるのだが。序盤のその部分だけは、我慢した方がいいかもしれない。
貴美也が生きるために戦いはじめるところが、本作品の真骨頂。下界で何もできなかった人間が、大自然の中で必死に生き延びる姿。そして人に捨てられた犬たちと、人と触れ合うことができなかった青年が心を通わすようになるところは首をひねりつつも、面白く読めた。それでも青年は人間界から持ち込んだナイフとかファイヤスターターとか使うところが、仕方ないとはいえちょっと残念。これが大藪だったら、徒手空拳で生き延びようとするのかな、などと想像してしまった。
ちょっと飛躍しすぎ、強引な部分があるのは事実だが、それを含めても楽しむことができた一冊。アイヌと熊の絡みとか、もうちょっと深堀りできたんじゃないかと思うところもあるけれど、それは多分他の著作で語られるのだろう。
トム・ミード『空に浮かぶ密室』(ハヤカワ・ミステリ)
1938年、ロンドン。銀行支配人のドミニクが観覧車のゴンドラで射殺された。現場は密室。疑いは同席していた妻のカーラに向いた。若き弁護士のイブズは彼女の無罪を証明すべく、遊園地で目撃された足を引きずる謎の男を探し始めた。だが捜査が難航し、イブズが観ていた奇術ショーの舞台上で第二の密室殺人事件が! さらに、楽屋で第三の密室殺人事件が起き、イブズが犯人として逮捕されてしまう。この不可解な事件の捜査を依頼された元奇術師の私立探偵スペクターが辿り着いた、驚愕の真実とは!?(粗筋紹介より引用)
2023年、イギリスで発表。2025年11月、邦訳刊行。
『死と奇術師』に続く第二長編。前作と同様、元奇術師の私立探偵ジョセフ・スペクターが事件を解決する。本作も、「亡き巨匠」と名前こそ出していないが、ジョン・ディクスン・カーに捧げられている。
観覧車のゴンドラ、奇術ショーの箱の中、捜査中の劇場の地下室と3つの密室殺人事件である。前作以上の不可能犯罪。そして追いつめられる主人公。黄金時代の本格ミステリを再現したい作者だから、小説の舞台も構成も当時を彷彿させるものである。ロジックで犯人を追い詰める展開も前作と同様、しっかりとしたもの。当時の本格ミステリが好きな人なら、酔いしれることができるだろう。重要証拠となる証言や事象について、ページ数をルビで振るというのは、読者に優しい仕様である。
ただ、帯で「令和のクレイトン・ロースン」と麻耶雄嵩が書いているが、結末の拍子抜けなところまで似なくてもよかったのにと思ってしまう。前作以上にストーリーと謎が面白い分、真相に無理があり過ぎなのは残念。ここがもう少しスマートに着地していたら、オマージュを超えた傑作になっていただろう。
ただ処女長編よりもずっと面白かったので、これは次作を期待してもいいと思う。
月村了衛『機龍警察 狼眼殺手』(早川書房 ハヤカワ・ミステリワールド)
経産省とフォン・コーポレーションが進める日中合同プロジェクト『クイアコン』に絡む一大疑獄。特捜部は捜査一課、二課と合同で捜査に着手するが何者かによって関係者が次々と殺害されていく。謎の暗殺者に翻弄される警視庁。だが事態はさらに別の様相を呈し始める。追いつめられた沖津特捜部長の下した決断とは――生々しいまでに今という時代を反映する究極の警察小説シリーズ、激闘と悲哀の第5弾。(粗筋紹介より引用)
『ミステリマガジン』2016年1月号~2017年5月号連載。加筆修正のうえ、2017年9月、単行本刊行。
「機龍警察」シリーズ長編第5弾。日中合同プロジェクトの新世代量子情報通信ネットワーク開発プロジェクト、通称QUIACON。経産省が日本経済再生の切り札と豪語する巨大プロジェクトには、各官公庁、外郭団体、無数の企業、各種研究機関が入り乱れ、政治家、官僚、経済界から裏社会や右翼などが複雑に絡み合い、すでに大規模な贈収賄が行われていた。しかし関係者が次々と殺害されていく。フォン・コーポレーションの内偵を続けていた特捜部は、事件を追っていた捜査一課、二課との合同捜査に着手するが、警察をあざ笑うかのように殺人事件は続く。
操作する方もされる方も、登場人物が多いし、組織や会社の名前がポンポン飛び交う。把握するのは結構難儀だが、そんな苦労すら楽しみに変わってしまうぐらい人間関係と事件の絡み合った糸がほぐれていく展開が素晴らしい。これだけの登場人物を、よくぞこれだけ自在に配置し、交差させることができるものだと感心してしまう。
さらに凄いのは、特捜部の主要登場人物の内面を深く掘り下げるとともに、未来を示しているところ。特に主要登場人物二人の心の揺れ具合は、読み進めていくうちに涙が出てきてしまう。
そして「龍機兵」の戦いこそ出てこないものの、「龍機兵」の隠れた秘密が明らかになる。「敵」の存在が徐々に見えてくる。シリーズを読み続けている読者にとっては、様々な情報が大量に押し寄せてくる。そして読み終わったときに気づく。この作品はシリーズ最高作品だと。それと同時に警察小説の傑作でもあり、大河ドラマの最高潮でもある。それにしてもここまで来ても、シリーズの終着点が全く見えないというのもすごい。
シリーズを読んでいないと分からないことだらけだろうが、とにかく傑作です。ぜひシリーズを1作目から読み、この作品に辿り着いてほしい。いつの間にか、このシリーズの虜になるだろう。そして読者は作者に早く続編を書いてほしいと願い、祈るだろう。
山口雅也『謎の謎その他の謎』(早川書房)
ミステリ(謎)に必ずしも答えがあるとは限らない。芥川龍之介「藪の中」のように、謎(リドル)があり、結末は読者の想像に任せる物語をリドル・ストーリーという。本書はそんな脳を刺激し興奮の極地へ誘うリドル・ストーリーばかりを集めた世界でも類を見ない短篇集だ。王女サロメと彼女をめぐる人々の選択や、連続殺人鬼が出す謎々、サラリーマンが出会う不条理等奇妙な味の謎(リドル)をご堪能あれ。(粗筋紹介より引用)
『ミステリマガジン』2011〜2012年掲載作品4編に、『モンスターズ』所収の「もう一人の私がもう一人」を改作・改題した「私か分身か」を収録。2012年8月刊行。
リドル・ストーリーの古典でもあるフランク・R・ストックトン「女か虎か」に出てくるのは半未開の王とは、実はユダヤを支配していたヘロデ・アンティパスであり、王女とはあのサロメであった。サロメと通じたイアソンはヘロデ王の怒りを買い、円形闘技場に引きずり出される。「異版 女か虎か」。アブラハム・ネイサンが執筆した短編を、山口雅也が訳したという形にしている。
群れ型ロボットを開発する会社の人事部に勤める黒田は、同僚の影山と一緒にビルの屋上にある展望ラウンジで階下を見ていた。交差点を囲う人々が、少しずつ形になった群れを組み、歩いているところを。影山は黒田に「我々も遂に、群れる時が来た」と告げた。「群れ」。
製薬会社に勤める私は、財布の中に見たことのないカードを見つける。思い当たる節のない私は周りの人に尋ねるのだが、それぞれ違った反応を示すも、そのカードがなんなのかさっぱりわからない。「見知らぬカード」。
殺人鬼は弱者を攫って人質に取り、もう一人に謎々を出す。その謎々の答えがあっていれば人質とともに相手を解放するが、間違っていたら人質もろとも殺してしまう。謎の殺人鬼「リドル」の目的は何か。「謎の連続殺人鬼リドル」。アブラハム・ネイサン・ジュニアが執筆した短編を、山口雅也が訳したという形にしている。
二見は新入社員の歓迎会で一番怖いものは何かと問われ、「私」と答えた。もう一人の私が別に存在したら怖いだろうと。新入社員を送って帰る途中、駅の通路で寝ているホームレスが「私」であることに気付く。「私か分身か」。bouns trackという形である。
リドル・ストーリーが好きだという山口雅也が、リドル・ストーリーの作品ばかりを書いて纏めた短編集。装丁は、早川書房の異色作家短編集に合わせたものとなっている。
「異版 女か虎か」は、リドル・ストーリーの代名詞とも言える「女か虎か」と「サロメ」を組み合わせた異色作。これはこれで面白かったけれど、最後はちょっと今一つ。ここまで来たらもう少し違った結末を持ってきた方が、意外性があって良かったのではないかと思う。
「群れ」はレミングの行進を題材にした短編。ページ数の都合かもしれないが、群れる原因をもうちょっと深堀りして欲しかったかな。
「見知らぬカード」は、リドル・ストーリーの古典三代名作の一つ、リーヴランド・モフェット「謎のカード」のオマージュ、というよりも、ほぼ移植したと言った方が正しい作品。新味はなく、なぜ書いたのか理解に苦しむ。
「謎の連続殺人鬼リドル」は謎々を出すという連続殺人鬼を扱った作品。正直アンフェアじゃね、とこの殺人鬼に対して思ってしまうのだが、それはまた別の話か。最後はリドル・ストーリーにはなっているが、作者らしい捻くれた仕掛けを準備している。
「私か分身か」はありがちなドッペルゲンガーもの。わざわざリドル・ストーリーにしなくても、と思ってしまった。
これだけリドル・ストーリーを並べられると、結末の不鮮明さにかえって不満が溜まってくる。もし纏めるのなら、もっと構成に工夫が必要。同じような終わり方では、やはり面白さが半減する。
凝った仕掛けが好きな作者らしい異色短編集ではあるが、やはりひねくれすぎ。一般の読者には受けないだろうなと思う。
宮内悠介『月と太陽の盤~碁盤師・吉井利仙の事件簿~』(光文社文庫)
放浪の碁盤師・吉井利仙が、かつて棋士だったころの打ち回しに魅せられ、彼を先生と呼んで追いかけている若手囲碁棋士の愼。姉弟子の衣川蛍衣も巻き込みながら、囲碁を巡る数々の事件に遭遇し、棋士としても成長していく。コンゲームあり、サスペンスあり、異なる味わいを持つ物語を重ね、囲碁という宇宙に魅入られた人間を描ききった傑作ミステリ登場!(粗筋紹介より引用)
『ジャーロ』掲載の五話と、『ランティエ』掲載の一話を纏め、2016年11月、光文社より単行本刊行。2019年7月、文庫化。
時の本因坊、蘇我元哉は、碁盤師の黒澤昭雪に「青葉の盤」と名付けられる盤を作らせたが、失敗作だと激怒。以後、棋士たちに昭雪の盤を使うなと命じたため、昭雪の仕事は失われた。失意のさなか、昭雪は不審死に見える死に方で亡くなった。それから四半世紀後、元囲碁棋士で碁盤師の吉井利仙と16歳の棋士である槇は、山口の山の中で昭雪の娘である逸美と出会う。「青葉の盤」。
槇と二歳年上の姉弟子で同じ囲碁棋士の衣川蛍衣は、神楽坂で利仙と会っている途中、利仙の兄弟子である贋作碁盤師の安斎優と遭遇する。安斎は、江戸時代の碁盤師・鶴山が修業時代に作った「失敗作」である〈紅炎〉、別名焔の盤を入手したと語り、槇と蛍衣に見せる。しかしその盤は、これから美術館に展示される予定だった。「焔の盤」。
安斎が槇と蛍衣に見せたのは、利仙がかつて作ったという失敗作の盤であった。なぜそんな盤を作ったのか。安斎は槇と蛍衣を、雪が残る山の中の、小さな榧の森に連れていき、ある切り株を見せる。そこで語ったのは、二十年前の出来事だった。「花急ぐ榧」。
九星位のタイトル戦第1局が行われるはずの朝、対局場である五階建ての岩淵鬲記念館の1階の坪庭で、九星位の笠原气八段の遺体が発見された。死因は墜落死であった。警察は殺人事件と見て、屋上に唯一行くことができた、挑戦者である須藤禾六段を重要参考人として任意出頭させた。閉ざされた建物の墜落死事件の謎を、利仙が解く。「月と太陽の盤」。
利仙の推薦で、18歳の槇は八方社による海外への棋士派遣制度で来月から一年間、メキシコで囲碁普及に努めることとなった。旅立つにあたり、一度利仙に会いたいと思う槇であったが、放浪の碁盤師である利仙に一度会いたいと京都まで来た槇であったが、利仙は入れ違いで宿を発っていた。その宿で偶然拾ったのは、手折られたばかりの一粒の榧の木の実だった。「深草少将」。
サンチャゴの海岸で漁をして暮らしている青年の元を訪ねてきたのは、五十半ばの東洋人だった。「サンチャゴの浜辺」。
放浪の碁盤師こと吉井利仙が謎解きを行う連作短編集。とはいえ、遭遇した殺人事件の謎を解くタイプの本格ミステリは「月と太陽の盤」しかない。「青葉の盤」は過去の事件の謎を解き明かす作品ではあるが、「焔の盤」は贋作らしき盤を巡るコンゲームのような作品だし、「花急ぐ榧」は謎解きよりも恋愛小説の要素が強い。「深草少将」に至っては人間ドラマといった方が正しいだろう。そしてシリーズを通しては、槇と蛍衣のラブコメみたいなやり取りも出てくる。また利仙と槇のやり取り、利仙と安斎のやり取りなども、積み重ねてきた人生の一端を表にするドラマである。
解説にも触れられているが、本短編集は宮内悠介が持つ物語作りの要素を散りばめたものとなっている。もっとも、宮内が持つ才能はこれだけで収まらないのだから凄い。その才能の深さを示しているのが、最後に置かれた「サンチャゴの浜辺」である。実話をもとに、これだけのドラマを紡ぎ出すことができるのだから、恐ろしい。
一方、短編集としての統一感がないことも事実。一つ一つのドラマには切り込んでいるものの、個人を深く描き切っていない点に物足りなさが残る。それはあえてそうしているのかどうかはわからないが。
何とも悩ましい一冊。楽しめたのは事実だが。
東川篤哉『じゃあ、これは殺人ってことで』(光文社)
日本最大(?)の犯罪都市・烏賊川市では、今日もあちこちで事件が発生。密室、アリバイ、人間消失――その裏にあるのは緻密なトリック? それとも、うっかり勘違いと奇跡的な偶然? 犯人も被害者も探偵も、どこか抜けていて大事なところでツメが甘い――しかしなぜだか憎めない。真相はコロコロと転がり、あっと驚く場所へ着地する! ユーモア本格ミステリ、ここに極まれり!(粗筋紹介より引用)
『ジャーロ』『小説宝石』『Jミステリー2023 FALL』2018~2025年掲載。2025年12月、刊行。
殺人事件の容疑者として、砂川警部に連れていかれた青年、中元信司。烏賊川市で農園を経営する道明寺秀夫は、雇っている中元が目の前で連れていかれたので、妻の秋子とおろおろするばかり。そこに現れたのは、農園の防犯強化を提案してくれた私立探偵、鶴飼杜夫だった。「李下に冠を正せ」。
会社経営を引退して一人暮らしの児島伸介の家の離れで居候している江添誠二が、強盗らしき人物に殺害された。伸介の元部下であり、借金を抱えた岸本博人が容疑者となるも、彼には完璧なアリバイがあった。姪の江添春香は事件を調べている途中、夜中に児島がスーツケースを砂浜に埋めているのを目撃した。春香は鵜飼にスーツケースを掘り出してほしいと依頼。鵜飼と見習の戸村流平がスコップで掘り出したものは。「深夜プラス犬」。
阿佐ヶ谷ゆきこ博士は、共同でロボット開発プロジェクトを進めるとともに恋人でもあるロボット工学のまあまあの権威、飯田博士に年齢を理由に別れを告げられた それから1年後、烏賊川市の阿佐ヶ谷研究所に親戚のミステリ作家のおじさんから荷物八個が送られた。開けて組み立ててみると、捕まった秋葉原博士が作ったという二足歩行ロボットの「ロボ太」だった。阿佐ヶ谷博士は「ロボ太」を使い、飯田博士を密室で殺害する決意を固めた。「博士とロボットの密室」。
江藤広明は、烏賊川市のコスプレ居酒屋『えもえも』で厨房係として働いていたが、一か月前に店の女の子に手を出したとオーナー海江田雄二と疑いを掛けられ逆上し、店を辞めた。江藤は繁華街で午後九時、海江田の愛人と噂される店員の榊夕菜を見かけて後をつけるも、夕菜は駅裏公園の公衆トイレに入ったまま姿を消してしまった。おまけに江藤は、痴漢と間違われる始末。次の日の夕方、江藤の部屋を訪れた砂川警部と志木刑事は、夕菜が早朝殺されて発見されたと告げる。しかも昨日、江藤が後をつけていたことを知っていた。「どうして今夜の彼女は魅力的に映るんだろう?」。
烏賊川市でも有名な大前田製菓の若き専務取締役である大前田典之は、会社の地位を守るため、叔父で社長の大前田徳次郎を殺害しようと決心。別荘のログハウスに一人でいた徳次郎を殺害し、密室の中で自殺したかのように見せかけた。ところが翌日、一緒に死体を見つけた常務取締役の弟・俊之が典之に提案する。「じゃあ、これは殺人ってことで」。
〈烏賊川市〉シリーズ3年半ぶり10作目となる連作短編集。舞台こそ烏賊川市であるが、探偵役は異なっている。「李下に冠を正せ」は鶴飼、砂川、志木が登場し、探偵役は鶴飼。「深夜プラス犬」は鶴飼、戸村、砂川、志木が登場し、探偵役は鶴飼。「博士とロボットの密室」は砂川、志木が登場し、探偵役は砂川。「どうして今夜の彼女は魅力的に映るんだろう?」は鶴飼、探偵事務所が入るビルオーナーである二宮朱美、砂川、志木、烏賊のゆるキャラである剣崎マイカが登場し、探偵役はマイカ。「じゃあ、これは殺人ってことで」は砂川、志木が登場し、探偵役は砂川である。「博士とロボットの密室」と「じゃあ、これは殺人ってことで」は倒叙ものである。「博士とロボットの密室」に出てくる「ロボ太」は、第8作『探偵さえいなければ』に収録されている短編「博士とロボットの不在証明」に、「どうして今夜の彼女は魅力的に映るんだろう?」に出てくる剣崎マイカは、同じく『探偵さえいなければ』に収録されている短編「ゆるキャラはなぜ殺される」に登場している。
作者がデビューから手掛けているシリーズということもあり、手慣れた仕上がりとなっている。当然のことながら、登場人物はみんなどこかおかしい。相も変わらずのユーモアと、所々にピリッとした本格ミステリの仕掛けを入れてくるところは変わらない。とはいえ、読み終わってみると予定調和過ぎて、物足りなさを覚えてしまう。ユーモアというか、おかしな行動・言動がワンパターンなのは、シリーズものを読み続けている方からしたらさすがに飽きが来るというか、しつこいというか。
各短編の謎やトリックも軽いものが多く、ストーリーでごまかしている感もある。ただ、表題作「じゃあ、これは殺人ってことで」は勿体ない。うまく料理すれば傑作短編に仕上がるに違いない、というアイディアが盛り込まれている。これをさらっと終わらせるのは残念だ。せめて密室トリックを手垢の付いたものでなく、もっと斬新なものにしてほしかったと思う。倒叙作品の歴史に名を連ねたかもしれないと思うと、とても残念である。
なんか、ルーチンワークで短編を書いているとしか思えないような内容。色々とシリーズを抱えて忙しいのだろうが、もうちょっと力を入れてほしい。
歌野晶午『コモリと子守り』(光文社)
引きこもりの馬場由宇は、自宅裏のアパートのベランダに、ポニョによく似た幼児がしょっちゅう放りだされていることに気づく。虐待を疑いはじめた彼は、ある日パチンコ屋の駐車場の車内に放置されたポニョを発見、助け出して自宅へ連れ帰った。グズる幼児を前にどうしたものかと困り果て、頼れる元同級生・舞田ひとみに助けを求めるのだが――。ひとつの事件の解決は、あらたな事件の入り口だった! ひとみは幼い命と友を救うことができるのか!?(粗筋紹介より引用)
2012年12月、書下ろし刊行。
『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』『舞田ひとみ14歳、放課後ときどき探偵』に続く舞田ひとみシリーズ第3作で、シリーズ初の長編。……ということは、買ってから知った。だったら『舞田ひとみ17歳、コモリと子守り』というタイトルにした方がよかったんじゃないか? カッパノベルスから単行本に移ったから、タイトルを一新したのかな。そのため人間関係が今一つ分からないのだが、馬場由宇は第1作のとある短編で出ていて、その時に発生した事件で家庭が崩壊し、その結果引きこもりになったらしい。
虐待の疑いがある幼児を救ったらその幼児がさらに誘拐される。事件が解決したかと思ったら、今度は誘拐・身代金要求事件。歌野晶午らしいトリッキーさはあるが、後味はあまりよくない。舞田ひとみの関わり方が今一つ不自然で、推理の飛躍がどうしても気にかかる。それに「かなり長めのエピローグ」がただ長いだけで、個人的には蛇足にしか思えなかった。
タイトル通り、コモリと子守りの部分に集中すべきじゃなかったかな。最後に馬場家の問題に踏み込んだため、ストーリーがかえってバラバラになってしまった。
舞田ひとみシリーズはいまのところこの作品が最後。角川文庫から再刊されてたようだが、新作は出ていない。舞田ひとみ、意外と扱いづらそうな気がする。
キャロル・オコンネル『愛おしい骨』(創元推理文庫)
十七歳の兄と十五歳の弟。ふたりは森へ行き、戻ってきたのは兄ひとりだった。家政婦ハンナに乞われ二十年ぶりに帰郷したオーレンを迎えたのは、過去を再現するかのように、偏執的に保たれた家だった。夜明けに何者かが玄関先に、死んだ弟の骨をひとつひとつ置いてゆく。一見変わりなく元気そうな父は、眠りのなかで歩き、死んだ母と会話している。これだけの年月を経て、いったい何が起きているのか? 半ば強制的に保安官の捜査に協力させられたオーレンの前に、町の人々の秘められた顔が、次第に明らかになってゆく。迫力のストーリーテリングと卓越した人物造形。著者渾身の大作。(粗筋紹介より引用)
2008年、発表。2010年9月、邦訳刊行。
ニューヨーク市警刑事キャシー・マロリーシリーズを書き続けている作者が、『クリスマスに少女は還る』以来に書いたノンシリーズ長編。
『クリスマスに少女は還る』が長すぎて肌に合わなかったので、評価は高いけれどどうなのかな、と思って読んだけれど、いいじゃないですか。1位の評価に誤りはなかった。
20年ぶりにカリフォルニア州北西部に位置する小さな町コヴェントリーに帰ってきた元合衆国陸軍犯罪捜査部下級准将のオーレン・ホッブズ。昔のままの家で迎えてくれたのは、オーレンを呼んだ家政婦のハンナ・ライスと、元判事の父ヘンリー。そこへ20年前に行方不明になった弟・ジョシュアの骨がひとつひとつ、玄関先に置かれていく。いったい誰が骨を置いているのか。オーレンは調査を始める。
物語が大きく動き出すのが1/3ぐらいなのだが、そこにいたるまでの背景と人物描写が非常に巧く、ストーリーに引きずり込まれる。小さな町を舞台にした人間ドラマの趣きが強く、謎解きとしての要素が少ないのは残念だが、それを上回る物語の面白さがある。過去を秘めている者たちが複雑に絡み合うが、オーレンが自らの過去と傷に触れつつ、もつれた人間関係を少しずつ明らかにしていく流れが味わい深い。
こういう作品はどちらかと言えば苦手にしていたのだが、本作は面白く読めた。多分こういう作風の小説が、作者が本当に書きたいものなのかもしれない。
浅倉秋成『俺ではない炎上』(双葉社)
ある日突然、「女子大生殺人犯」とされた男。既に実名・写真付きでネットに素性が曝され、大炎上しているらしい。まったくの事実無根だが、誰一人として信じてくれない。会社も、友人も、家族でさえも。ほんの数時間にして日本中の人間が敵になってしまった。必死の逃亡を続けながら、男は事件の真相を探る。(粗筋紹介より引用)
2022年5月 書き下ろし刊行。
大帝ハウス大善支社営業部長の山縣泰介が、本人の知らないTwitterアカウントに女子大生殺害の状況写真が載せられ、過去の投稿から本人の名前や住所、勤務先まで瞬く間に特定される。ところが当の泰介はそんなアカウントのことは知らない。辛くも逃げ出した泰介は、味方が誰もいない状況で、逆に犯人を探し求める。
泰介、娘の夏実、Twitterを拡散した大学生の住吉初羽馬、捜査チームの一員である刑事の堀健比古の視点が目まぐるしく変わりながら、事件の真相に迫っていく。
同じ中年である私としては、真面目に働いてきて出世したと思っていた泰介が実は周囲から……という展開は少々リアルすぎて辛い(苦笑)。
ネット民が祭りになったり、自称正義の味方を気取るバカが泰介を探し回る下りなどはやや類型的に感じたが、スピーディーで意外な展開がそんな小さな不満を振り払ってくれる。このストーリーでこの伏線を貼るのか、という仕掛けはうまかったし、一気呵成な結末までの流れは面白かったが、犯人の動機には少々弱いさを感じた。それと最後は、もう少しベタなシーンがあっても良かったとは思う。
少なくとも、前作がフロックではなかったことは十分にわかった。
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