ポール・アルテ『狂人の部屋』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
ハットン荘のその部屋には、忌まわしい過去があった。百年ほど前、部屋に引きこもっていた文学青年が怪死したのだ。死因はまったくの不明。奇怪なことに、部屋の絨毯は水でぐっしょりと濡れていた…以来、あかずの間となっていた部屋を現在の当主ハリスが開いた途端に、怪事が屋敷に襲いかかった。ハリスが不可解な状況のもとで部屋の窓から墜落死し、その直後に部屋の中を見た彼の妻が卒倒したのだ。しかも、部屋の絨毯は百年前と同じように濡れていた。はたして部屋で何が起きたのか?さすがのツイスト博士も困惑する、奇々怪々の難事件。(粗筋紹介より引用)
1990年、フランスで刊行。2007年6月、邦訳刊行。
ツイスト博士シリーズ第四弾。100年前の怪事件、あかずの間の開放、100年前と同じ状況下での死、なぜか当たる死の予言等、不気味な謎とその装飾。まさにカーを彷彿させるオカルト趣味な道具立てとサスペンスはアルテのお手の物だろうが、今までの作品は肝心のトリックが今一つだった。しかし本作は、ツイスト博士の推理を聞いてもがっくりしなかった。おいおいと思うところはあるが、読み終わっても楽しめるものだった。
ちょっと検索してみると、この作品がシリーズのベストらしいけれど、なるほどと納得してしまった。これは面白かった。
宮内悠介『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』(幻冬舎)
明治末期に実在した若き芸術家たちのサロン、その名も「パンの会」。隅田川沿いの料理店「第一やまと」に集った木下杢太郎、北原白秋、石井柏亭、石川啄木等が推理合戦を繰り広げる。そこに謎めいた女中・あやのも加わって――。若き芸術家たちが謎に挑む傑作青春ミステリ。(帯より引用)
「牧神に捧ぐ推理」のタイトルで『小説幻冬』2020年11月号~2021年9月号に隔月連載。改題、加筆修正のうえ、2022年1月、刊行。
明治三八年、団子坂の秋の名物である菊人形の興行で、乃木将軍の菊人形の刀が付きたてられた。小屋の番は、事件が起きたかわからないという。当然刀を持ち込んだ客はいなかった。「第一回 菊人形遺文」。
二十年近く前、凌雲閣、通称浅草十二階が建てられたころ。幼馴染でもある夫婦と友人男性が浅草十二階へ行き、男性二人が十二階に上ったが、片方が展望台から墜落死した。後年、夫を亡くした妻と友人男性が夫婦になった。やはり友人男性が突き落としたのか、しかし客でいっぱいだった。「第二回 浅草十二階の眺め」。
去年の六月中旬、華族で外交官の妻が出産直後、赤ん坊が絞殺された。しかも目玉がくり貫かれ、臀部の肉が切り取られた。これは野口男三郎事件の再来なのか。「第三回 さる家族の屋敷にて」。
二年前の五月、洋画家・版画家の山本鼎は上京してきた負傷廃兵を東京勧業博覧会に連れていったが、台湾館の二階にあるカフェで台湾烏龍茶を飲んでいるとき、軍人が拳銃で撃たれた。そして連れの役人が拳銃を池に放り投げた。なぜ放り投げたのか。「第四回 観覧車とイルミネーション」。
今年の一月、家族ともども駿河台に引っ越した与謝野晶子はある噂話を聞いた。明治38年、近所のニコライ堂で鳴るはずのない日没後に鐘が鳴った。不審に思った三人が鐘楼を上ると、マント姿の司祭が胸をナイフで一突きされて死んでいた。階段を上っていた三人は、誰も見ていない。いったい犯人はどこへ消えたのか。「第五回 ニコライ堂の鐘」。
北原白秋と吉井勇は、四谷にある貧民街、細民窟に向かう。そこで二人は亡くなったばかりの少女の死体を見せられる。死斑の跡から、青酸による毒殺が疑われた。そこで木下杢太郎が思い出したのは、鴎外から聞いたという、市ヶ谷台の陸軍士官学校で起きた校長の青酸自死事件だった。「最終回 未来からの鳥」。
明治四二年、隅田川沿いの西洋料理店「第一やまと」に集った芸術家たちが集まり、語り合った「パンの会」が舞台。パンとはギリシア神話に登場する牧神のことである。主人公は詩人・劇作家で後に医学者となる木下杢太郎(太田正雄)。他に全六回に登場するのは、洋画家・版画家の石井柏亭。その他、登場回数の多い順で記載すると、洋画家・版画家の山本鼎(5回)、詩人・歌人の北原白秋(4回)、歌人の吉井勇、洋画家の森田恒友、小説家の長田幹彦、後に日本文化研究者となるフリッツ・ルンプ(以上、2回)、画家の磯部忠一、歌人の平野萬里、詩人で後に外交官、最高裁判事となる栗山茂、歌人の石川啄木、洋画家の倉田白羊(以上1回)である。
パンの会に集まった面々の一人が、ある事件について語り始め、議論を繰り広げる。しかし必ず最後に事件の謎を解き明かすのは、「第一やまと」の女中、あやめであった。
アイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』を、明治末期に実在した会に当てはめて書かれたのが本作である。
何が凄いって、参考文献の多さであろうか。なにせ実在した会を舞台にしているのだから、史実と齟齬があってはいけない。実在の人物、実在した当時の文化風俗などを丹念に調べ、さらに事件を仕立て上げるのだから、並大抵の苦労ではなかっただろう。登場人物の描写もいいし、言動にもなるほどと思わせるものがある。風景描写も非常に巧く、情緒あふれるものである。「第一やまと」で出てくる料理も、今では当たり前のものも多いが、読んでいてとてもうまそうに感じる。明治末の、芸術家を登場人物とした風俗小説という点では相当のものであろう。あやめのその後も含め、最後はそう来るか、と唸ってしまった。それに、本家に倣って書かれた作者の覚書も楽しい。
ただ、本格ミステリという点で見ると少々弱い。『黒後家蜘蛛の会』といえば、常連客による突飛な物も含めての推理合戦が楽しいのであるが、残念ながらその域には遠く及ばない。
実在人物の行動や言動の整合性に手間を取られ、さらに時代背景や人物紹介の割合が推理よりも格段に多くなっている。詩歌や美術の当時の潮流も含めて明治末期の風俗を楽しめるのだが、やはりもう少し謎解きを楽しみたかった。そういう意味で、かなり残念な作品である。
飛鳥部勝則『封鎖館の魔』(星海社FICTIONS)
封鎖館――それは増改築を繰り返し無数の開かずの間を抱えた魔窟にして、妖しき殺人譚が伝わる怪奇の檻。かつて芸術家たちが青春を謳歌した狂騒の館は、令和に至り新たな流血を求めた。密室での顔面切断死体の発生から殺人は連続し、僻地に隔離された館は再び狂騒に満ちる。芸術に身をやつす者たちの狂気の坩堝から、昭和、平成、令和を超えてついに示される「封鎖館の魔」の姿とは――!?(粗筋紹介より引用)
2026年2月、書下ろし刊行。
『レオナルドの沈黙』『抹殺ゴスゴッズ』に続く〈妹尾悠二〉シリーズ第3作。
飛鳥部勝則はデビューの頃ぐらいしか読んでいないので、手を出すのは久しぶり。『抹殺ゴスゴッズ』は気になったけれど、厚すぎたのでさすがに手を出す気が起きなかった。本書は薄かったのと館ものなので手に取ってみる。
令和7年の三人連続殺人事件を中心としつつ、次の未解決事件が語られる。昭和四十年の愛人の顔切り落とし事件。昭和五十年のサーカス団の猿が花形スターを斬り刻み、逃げる途中で行き止まりの廊下から消えた事件。平成十年に自称占い師が出入り自由な開かれた部屋で脱出しようとしながら餓死した事件。
出だしはやや説明口調で読みづらかったのだが、慣れてしまえば気にならなくなる。それよりエキセントリックな登場人物群に、ちょっと辟易してしまった。奇妙な言動・行動を、芸術家というだけで読者に納得させようとするのはちょっと首をかしげたくなる。おまけに探偵役の妹尾悠二、ただの謎を解くだけの人なのがつまらない。
だからトリック自体は面白かったのに、読み終わっても動機に釈然としなかったのは非常に残念。しかも犯人だけでなく、登場人物それぞれの行動が釈然としないのだから、不必要に物語がごった煮状態になっている。もっと話を整理できなかっただろうか。
フリーダ・マクファデン『ハウスメイド2 死を招く秘密』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ギャリック家のハウスメイドとして雇われたミリー。この家で働くには、守らなければならないルールがあると雇い主のダグラスから告げられる。何があってもゲストルームには入らないこと。そこでは病気の妻ウェンディが静養をしているという。ある日、ミリーは異様な量の血にまみれたガウンを見つけ……。閉ざされた部屋の中の秘密が明かされたとき、これまでにないほどの恐怖がミリーを襲う。絶望と驚愕のシリーズ第二作。(粗筋紹介より引用)
2023年発表。2025年12月、邦訳刊行。
まさかの『ハウスメイド』の続編。前作から4年後、前科持ちのミリー(ウィルヘルミナ)・キャロウェイはサウス・ブロンクスにあるワンルームのアパートメントに住み、メイドとして働きながら大学に通い、半年前から弁護士のブロック・カニンガムと交際している。一緒に住もうと誘われるも、断っている。
前作より生活環境は改善されているようだが、働かなければやっていけない状況は変わらず。ということでハウスメイドとして働くミリーを今回雇ったのは、ニューヨークのアッパー・ウェストサイドにある超高級ペントハウスに住むダグラス・ギャリック。しかし妻のウェンディはゲストルームで静養をしているので、絶対入ってはいけない、という条件がつく。ミリーは、ダグラスに虐待されているウェンディを助け出そうと動き出す。
前作と同様、雇われた家には何らかの秘密がある。その秘密に触れ、解放しなければならないと動いてしまうミリー。余計なおせっかいにしか見えないが、そんなミリーを応援したくなる。だが立ち回りが下手であり、恋人のブロックにも詳細を話さないミリーに苛立つことも事実。相反する感情を持ってしまう主人公であり、何とも複雑。
前作と同じ小説の構成なので、それほどサプライズ感はない。それでも物語に引き摺り込まれてしまうのは、物語の構成力だろう。結末はもう少しひねりが欲しかったところだが。
目新しいことは何一つないのに、これだけ読める作品に仕立て上げるその腕は大したもの。世界中でベストセラーになるのもわかる。三作目も今年には邦訳されるそうなので、楽しみだ。
月村了衛『機龍警察 白骨街道』(ハヤカワ・ミステリワールド)
国際指名手配犯の君島がミャンマー奥地で逮捕された。日本初となる国産機甲兵装開発計画の鍵を握る彼の身柄引取役として官邸は警視庁特捜部突入班の三人を指名した。やむなくミャンマー入りした三人を襲う数々の罠。沖津特捜部長は事案の背後に妖気とも称すべき何かを察知するが、それは特捜部を崩壊へと導くものだった……傷つき血を流しながら今この時代と切り結ぶ大河警察小説、因果と怨念の第6弾。
『ミステリマガジン』2020年3月号~2021年7月号に渡り、全九回連載。加筆修正のうえ、2021年8月、刊行。
「機龍警察」シリーズ長編第6弾。まさかの舞台はミャンマー。一方、日本国内でも沖津率いる特捜部と「敵」との構図に変化が生じ、新たな重要人物が登場する。
ミャンマーの歴史と腐敗、そして日本との関りについて深く突っ込みつつ、エンタメとしての活劇をミックスさせる腕には脱帽する。ミャンマーに派遣された姿俊之、ユーリ・オズノフ、ライザ・ガードナーたちの密林の圧倒的な描写と、迫力のある逃亡劇は非常に面白い。ただ、姿俊之をここまで低く見せる意味があったのだろうか、とは思ってしまう。
もう一つの、贈収賄事件に関わる京都での陰謀めいた心理戦も読みごたえはあるのだが、こちらも肝心の主役が煮え切らない。
結局どちらも、今までの主人公格が躍らせられたまま終わってしまうのが問題。ここでこんなのが登場するのか、というもやもや。まだ京都の方はわからないでもないが、ミャンマーの方は真打登場、みたいながっかり感があるのだ。今までの葛藤は何だったんだろう、という思いもある。
ただ、ストーリーが大きく前進したことも事実だ。そろそろ次を出してもらいたいね。このもやもやを吹き飛ばしてほしい。
阿津川辰海『犯人はキミが好きなひと』(ポプラ社)
「お前が謎を解くと、決まって俺は相手と引き裂かれる。お前は俺にとって、失恋の悪魔─いや、失恋名探偵だ!」
名探偵にあこがれる女子高校生・瀧花林。彼女の幼馴染である幣原隆一郎には、ある「特異体質」がある。それは、隆一郎が好きになった女性は、必ず何らかの犯罪に関与していることである。悪女にどうしようなく惹かれる隆一郎(花林いわく、「女の趣味が悪い」)の特殊体質をヒントに、花林は数々の事件の謎を解き明かす。そして、恋は衝撃の結末を迎える――!? 本格ミステリ界の若き俊英・阿津川辰海が贈る、どんでん返しのラブコメ×本格ミステリ!(帯より引用)
『季刊asta』Vol.10、11、12、14、15掲載作品に書き下ろし1編を加え、2026年2月刊行。
花林と隆一郎は中学2年。放課後、立ち入り禁止になっている旧校舎にある旧マジック研究会の部室で、朝から姿が見えなかった顧問で化学担当の堀田汐里が殺されていた。汐里はダイイングメッセージを残していた。隆一郎が好きな教育実習生の近野ゆいなが犯人だと花林は考え、兄でキャリア組の警部補、裕也に捜査状況を聞き、推理する。「第一話 死者からの伝言」。
同じ高校に進学し、二年生となった花林と隆一郎。一週間前の新学期一日目、人気の高い美術教師の安城沙彩が美術室で殺された。一番怪しいのは音楽教師の八木秀美であったが、彼女には大学時代の友達四人と食事をしていたという完璧なアリバイがあった。「第二話 四月はアリバイ狂騒曲」。
新たに隆一郎が好きになったのは、高校から二つ隣の駅で降りたところにある喫茶店の店員鹿野。後をつけて入ってきた花林は隆一郎とコーヒーを飲んでいたが、バックヤードから叫び声が。男性店員と隆一郎が入ろうとしたが、鍵がかかって入られない。二人は裏口に回るも、そこで見つけたのはナイフで刺されて殺されたマスターの死体。隣の倉庫から女性の声が聞こえたので、スライド式の鍵を開けると、そこには鹿野がいた。外からナイフを持った犯人が来たので、マスターがかばって倉庫に匿ったらしい。警察は外部の犯行と考えているが、今までの法則で行くと、犯人は鹿野のはず。この密室の謎を花林はどう解くか。「第三話 キミが犯人じゃなければ」。
夏休み、隆一郎のことが好きなクラスメイトの坂巻千棘の誘いにより、友人たちと一緒にプライベートビーチのある別荘に来た花林たち。次の日、砂風呂を体験したいという椎奈アキラのリクエストにより、男子組は早朝からビーチへ出かけ、戻ってきた。三十分後、心配になった全員は別荘から森を抜けてビーチに行くも、そこにアキラの姿はなかった。三十分後、スマホの着信があったので再びビーチへ行くと、砂に埋まって顔だけ出したアキラがスコップで殴られて殺されていた。ところが今回、龍一郎のセンサが働いたのは、全く関係なさそうなタクシーの女性運転手だった。「第四話 海岸通りでつかまえて」。
文化祭の最終日、花林は隆一郎から依頼を受けた。昨日、差出人が書かれていない手紙をもらった隆一郎は、会って告白したいという待ち合わせ場所に指定時間通り行くも、相手は来なかった。その差出人を探してほしいというものである。どこかイライラしながらも、花林は差出人を探し始める。「第五話 ポイズン・レター」。
隆一郎が千棘と付き合い出したため、なんとなく面白くない日々の花林。千棘の誘いにより、龍一郎やクラスメイト数人と一緒に福島県の山中にある別荘でクリスマスパーティーを行うことになったが、そこに現れたのは三年前、千棘の父の死亡により会社を継がせようとしたら逃げて放浪していた叔父の郁次郎が現れた。祖父の体調が悪くなったことを聞き、遺産のおこぼれにあずかろうと来たらしい。大雪の夜中、友人の理子が客室で郁次郎がナイフで刺されているところを見かける。起こされた花林たちが客室に向かうも、そこは鍵がかかっていた。マスターキーで開けると中には誰もいなかった。しかし布団には血の跡が残っていた。「第六話 あなたの愛を……」。
好きになった女性が何らかの犯罪に関わっているという「特異体質」を持った幼馴染を利用し、推理と謎解きを行うという名探偵志望の女子高生が主人公。特殊設定を利用した本格ミステリである。第一話があまりにも簡単すぎてどうなることかと思ったが、各話ごとにパターンを変えてくるところは、さすが阿津川辰海というべきか。単純に犯人から逆算するわけではないし、徐々に難易度が高くなるのも狙ってのことだろう。ただ、スカッとした謎解きがあるわけではない。
作者が狙っていたのかどうかはわからないが、帯にある「ラブコメ」要素は全くと言っていいほどない。こんな特異体質では、ラブコメ要素など入れられるわけがなく、そういう意味では出版社のミスと言っていいだろう。
ただ高校生が主人公なんだから、殺人事件を多く扱わなくてもよかったんじゃないかとは思ってしまう。後味の良い話が無く、特に最後は重過ぎる結末となっており、読後感がいいものではない。
謎解きとしてだけ見れば阿津川辰海らしいと言えるのだが、小説としてみると高校生らしいライトさが全くなく、失敗していると思う。作者が青春ミステリを書きたかったとは全く思えない。特にこのオチは誰もが考えそうなものであるにも関らず、そこまでの道筋が全く無くて唐突過ぎ。作者は、設定のところで計算違いをしていたのだろう。
永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』(新潮文庫)
雪の夜、木挽町の芝居小屋の裏で、菊之助なる若衆が果たした見事な仇討。白装束を血に染めて掲げたのは作兵衛の首級。その二年後。事件の目撃者を訪ねる武士が現れた。元幇間、立師、衣装部屋の女形……。彼らは皆、世の中で居場所を失い、悪所に救われた者ばかり。「立派な仇討」と語られるあの夜の〈真実〉とは。人の情けと驚きの仕掛けが、清々しい感動を呼ぶ直木賞・山本周五郎賞受賞作品。(粗筋紹介より引用)
『小説新潮』2019年10月号~2021年7月号連載。加筆修正のうえ、2023年、新潮社より単行本刊行。同年、第36回山本周五郎賞、第169回直木三十五賞受賞。2025年9月、文庫化。
仇討ち事件の二年後、一人の武士が事件の目撃者である芝居小屋の関係者たちから一人ずつ話を聞き取るというスタイル。このスタイルは徐々に事件の隠された真相に近づいていくところに面白さがあるのだが、本書はちょっと違う。本書は最後の最後で一気呵成に真相が語られる。読者は読み終わって、始めて気付くのだ。ああ、これは今までの聞き取りが全ての伏線であり、最後でまとめて伏線が回収されていたのだ、と。そして作者は読者にもトリックを仕掛けていたことを、読者は最後の章で知る。作者の構成力に脱帽である。
本書はそんなミステリの仕掛けだけが魅力なのではない。木挽町にある芝居小屋、森田座に関わる者たちが語る、森田座に辿り着くまでの来し方。これが泣かせるのである。元幇間で木戸芸者の一八、江戸住まいの御徒士の三男坊で立師の相良与三郎、四十路の女形兼衣裳部屋の支度・繕い担当である二代目芳澤ほたる、小道具係の久蔵と女房のお与根、元旗本の次男坊で戯作者・筋書の篠田金治。紆余曲折、悲しいことも嬉しいことも乗り越えて辿り着いた森田屋。たとえ悪所と言われようが、芝居に携わる者としての矜持を示し、幸せに生きようとする市井の人々の姿は非常に美しい。
もちろん、結末に納得いかなければすべては台無しだが、そんなミスを犯す作者ではない。隅々まで作者の企みが行き届いており、さらに物語としての感動を与えてくれる。「あだ討ち」に隠された真実に泣ける。
山本賞、直木賞同時受賞も頷ける時代小説の傑作。これは新刊で買って読むのだった。そのことだけが後悔。読んで幸せになりました。
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