藤原喜明『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)
プロレス界、最大のカリスマの死から1年――。アントニオ猪木とはなんだったのかという「猪木探し」が再燃している。本書は猪木の死以降、口を閉ざし続けてきた藤原喜明の独白本。新日プロ草創期、異種格闘技戦、UWFと新日への出戻り、引退、そして死に秘められた真実……猪木が最も信頼した弟子、藤原が語る猪木の秘話と愛憎のすべて。鳴り物入りで公開されたあの映画で、猪木を探すことができなかった、という人は必読の一冊。(粗筋紹介より引用)
2024年1月、書下ろし刊行。
「アントニオ猪木の用心棒」「昭和のテロリスト」「関節技の鬼」などと呼ばれた藤原喜明が、新日本プロレス入門時からの師匠であるアントニオ猪木について語った一冊。さらに佐山聡(初代タイガーマスク)、前田日明との対談でも、アントニオ猪木について語っている。スペシャル対談として藤波辰爾とによる、新日本プロレス時代の外国人レスラーについて語っている。
確かにプロレスラーの中で、一番長く猪木と通じ合っていたのは藤原喜明かもしれない。この一冊を読むと、藤原にとって猪木は親代わりであり、師匠であり、ある意味神様でもある。アントニオ猪木がどんなに馬鹿なことをやっても、どれだけ借金を背負うとも、どんなに馬鹿な夢を語っても、どんなに馬鹿な行動をとっても、猪木のことを信じる。猪木の言うことなら何でもやる、そんな信念と言動がこの本から伝わってくる。アントニオ猪木って外から見るととてもはた迷惑な存在にしか見えないのだが、信奉者にとってはどんなことをされても付いていく、そんな存在である。だからこそマスコミも含め、人は猪木を追いかけるのだろう。
自伝となるとどうしても自慢話が増え、都合の悪いところは隠してしまう。この本も藤原の自伝に近いところはあるので、どこまでが本当かどうかはわからない。ただ藤原自身は自分が見た真実しか書いていないと言っているのだから、実際その通りなのだろうと思うことにしよう。嫌な言い方をすると、アントニオ猪木という麻薬にどっぷりと中毒になった弟子が書いた一冊である。
トマス・H・クック『石のささやき』(文春文庫)
姉が壊れはじめたのは、幼い息子を亡くしてからだった。すべてが取り返しのつかない悲劇で幕をおろしたあと、私は刑事を前に顛末を語り始める……。破滅の予兆をはらみながら静かに語られる一人の女性の悲劇。やがて明かされる衝撃の真相。人の心のもろさと悲しみを、名手が先生に痛切に描き出した傑作。(粗筋紹介より引用)
2007年、発表。2007年9月、邦訳刊行。
ストーリーは主人公である弁護士のデイヴィッド・シアーズが刑事のピートリーに対し、事件について話している。そしてデイヴィッドの一人称により、姉であるダイアナの悲劇が語られる。
二人称で現在の「わたし」が事件を回想するのと、一人称で過去の「わたし」が事件を語るのが並行して進んでいくのは、クックのお馴染みのスタイル。さすがに何冊も読むと飽きが来そうなものだが、それでも物語に引き込まれるのは、語りの巧さといっていいだろう。徐々に語られる不安と恐怖。主人公の視界が悲劇の霧で厚く被さっていく。
怖いと言ってしまえばそれまでだが、それでも手に取ってしまうのが、クックの魅力なのだろう。
ヘレン・マクロイ『逃げる幻』(創元推理文庫)
幾度も家出を繰り返していた少年が、開けた荒野の真ん中から忽然と消えた――ハイランド地方を訪れたアメリカの軍人ダンバー大尉が地元の貴族ネス卿の娘に聞かされたのは、そんな不可解な出来事だった。宿泊先のコテージで話に出た家出少年ジョニーを偶然発見したダンパーは、その目に恐怖が浮かんでいることに気づく。同様の理由で学校を退学になったという少年はなにを怖がり、なぜ家出をやめないのか? そして二日後、新たな事件が発生する――スコットランドを舞台に、名探偵ウィリング博士が人間消失と密室殺人に挑む傑作謎解きミステリ。(粗筋紹介より引用)
1945年、発表。2014年8月、邦訳刊行。
マクロイのベイジル・ウィリング博士シリーズ第7作。最も登場するのは中盤以降であるが。
消失トリックや密室殺人は、それほど感心するようなものではない。しかし、ストーリーが面白い。特にドイツ降伏後ならではの設定と雰囲気が秀逸。こういう時代だからこそ成立する犯罪と動機なのだ。
ただ、この犯人を見破る手がかりは、日本語に訳されると難しい。多分そこが、今まで翻訳されてこなかった大きな理由だろう。この点については、ちょっと評価しづらい。
それにしても、この作者がなぜ当時数冊しか訳されてこなかったのか、不思議だ。ロマンスが含まれる点が、日本では馴染みにくかったかな。
三津田信三『忌名の如き贄るもの』(講談社文庫)
生名鳴地方虫絰村に伝わる「忌名の儀礼」。自らに降り掛かる災厄をすべて実体のない忌名に託す儀式の最中に、村の有力者・尼耳家の跡継ぎが殺される。「決して振り向いてはいけない」儀式中に右目を刺され命を落とした被害者。時同じくして目撃された異形のもの、“角目。村を訪れた刀城言耶が事件の謎に挑む。(粗筋紹介より引用)
2021年7月、講談社より書下ろし単行本刊行。2023年9月、文庫化。
刀城言耶シリーズ第8長編。今回もホラーと本格ミステリが融合した作品。
事件が起きるのはかなり遅く、途中まではやや退屈な展開。阿武隈川はともかく、やっぱり祖父江偲が一緒に行かないと駄目だよ、というのは冗談であるが、盛り上がりに欠けたのは事実。事件が起きてからもあまり緊迫感が見えてこないのも、前半の退屈な展開が影響しているんじゃないだろうか。
ただ、最後の解決は見事。それにしても、この動機は凄い。こんなことが成立するのも、戦後すぐの地方ならでは。これには感心した。
シリーズ化作品だから最後まで読めたけど、展開は冗長。もうちょっと鋭い切れ味が欲しかった。
松下龍之介『一次元の挿し木』(宝島社文庫)
ヒマラヤ山中で発掘された二百年前の人骨。大学院で遺伝学を学ぶ七瀬悠がDNA鑑定にかけると、四年前に失踪した妹・紫陽のものと一致した。不可解な鑑定結果から担当教授の石見崎明彦に相談しようとするも、石見崎は何者かに殺害される。古人骨を発掘した調査員も襲われ、研究室からは古人骨が盗まれた。悠は妹の生死と、古人骨のDNAの真相を突き止めるべく動き出し、石見崎の姪である唯と調査を始めるも、予測もつかない大きな企みに巻き込まれていく――。(粗筋紹介より引用、一部追記)
2024年、第23回『このミステリーがすごい!』大賞文庫グランプリを受賞。2025年2月、宝島社文庫より刊行。
帯を見るとみんな絶賛しているけれど、正直言って今一つ。時系列や視点がころころ変わるのだが、これが今一つ機能しておらず、さらに書き分けがあまりできていない。それ以上に問題なのは、人物描写がまったくできていないこと。主人公の七瀬悠はものすごいハンサムということなのだが、その造形が全く伝わってこない。紫陽についても同様。さらに敵役である牛尾がどれだけ怖いのか、さっぱりわからない。付け加えると、宗教団体の樹木の会もさっぱりわからない。ただ雰囲気だけで読者にわかってもらおうとするのは、今後は控えてほしい。
そして人骨の謎についてはあまりにもストレートすぎ。もう少し工夫はできなかったのだろうか。
ただ、読ませる力があることは事実。ツッコミどころ満載でも、最後まで読めたし。これで読者に見透かされないストーリーとわかりやすい描写力が付けば、もっと面白い作品を書くことができると思われる。
ジャック・カーリイ『百番目の男』(文春文庫)
連続放火殺人を解決、異常犯罪担当部署に配属された刑事カーソンには秘密があった。誰にも触れられたくないくらい秘密だ。だが連続斬首殺人が発生、事件解決のため、カーソンは過去と向き合わねばならない……。死体に刻まれた奇怪な文字に犯人が隠す歪んだ意図とは何か。若き刑事の活躍をスピーディに描くサイコ・サスペンス。(粗筋紹介より引用)
2004年、アメリカで発表。2005年4月、邦訳刊行。
作者のジャック・カーリイはケンタッキー州生まれ。広告業界で20年以上勤務の後、2004年に本作でデビュー。
サイコサスペンスは苦手なのだが、次作『デス・コレクターズ』の評判が高いので、まずは第1作を読むしかない、ということで手に取ってみる。
連続斬首殺人事件という異常な事件が発生しているのに、主人公の「僕」こと、アラバマ州モービル市警察本部の精神病理・社会病理捜査班(PSIT)に所属するカーソン・ライダーが自身のトラウマに悩まされるし、市警内の政治力学に振り回され、そのくせ事件より検視局に採用されたアヴァ・ダヴェネルとの関係に現を抜かすわ、で本当に大丈夫なのかなどと思ってしまう脱線が多い。相棒であるハリー・ノーチラスがいなかったらどうなっていたんだろうと思ってしまう。
それでも事件そのものの展開はスピーディーだし、法医学や心理学の要素を散りばめたやり取りは面白い。まともな人はほとんどいないんじゃないか、という登場人物の言動には辟易させられた。それに、結末の動機については言われるほど驚かなかったかな。むしろこんなことよく考えたな、という呆れの方が強い。まあ付いていけない、と言った方が早いんだが。
世評ほど楽しめなかった、というのが本当のところ。それでも、こんな馬鹿な(誉め言葉)作品を考えるのは、日本だけじゃなかったんだ、ということを知れただけでも収穫かも知れない。
柚月裕子『孤狼の血』(角川文庫)
昭和63年、広島。所轄署の捜査二課に配属された新人の日岡は、ヤクザとの癒着を噂される刑事・大上のもとで、暴力団系列の金融会社社員が失踪した事件の捜査を担当することになった。飢えた狼のごとく強引に違法行為を繰り返す大上のやり方に戸惑いながらも、日岡は仁義なき極道の男たちに挑んでいく。やがて失踪事件をきっかけに暴力団同士の抗争が勃発。衝突を食い止めるため、大上が思いも寄らない大胆な秘策を打ち出すが……。正義とは何か。血沸き肉躍る、男たちの闘いがはじまる。(粗筋紹介より引用)
『小説 野性時代』2014年3月号~2015年2月号連載。2015年8月、KADOKAWAより単行本刊行。第69回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)受賞。2017年8月、角川文庫化。
後にシリーズ化される『孤狼の血』シリーズ第1作。主人公は広島市、広島大学出身の25歳、日岡秀一巡査が呉原東署捜査二課暴力団係に配属されたところから始まる。日岡が一緒に組むこととなったのは、捜査二課主任、暴力団係班長である44歳の大上章吾。凄腕のマル暴刑事として県警内部で有名で、警察表彰受賞歴は県警現役トップだが、訓戒処分も現役ワースト。人権派弁護士とのトラブルで、左遷させられていた。
曰くありげなベテランマル暴刑事と新人刑事が、時には衝突しながらも事件に対峙するのはよくあるパターン。しかもベテラン刑事が暴力団と繋がっているとか、過去の悲劇を抱えているというのもよくあるパターン。暴力団抗争に巻き込まれ、なんとか回避しようとするのもよくあるパターン。筋立て自体に新味はまったくない。それなのに面白く読めるのは、作者の実力としか言いようがない。いや、凄いわ。
作者が書きたかったという悪徳警官小説。取材力も大したものだとは思うが、それにしてもこのリアリティは何なんだろう。いや、暴力団も警察も知らないけれど。過去に読んだ作品が今一つだったので今まで手に取る気が全く起きなかったのだが、売れるにはちゃんと理由があるんだと今さらながら思い知った次第。シリーズの残りの作品も読んでみようと思わせる。これは傑作でした。
米澤穂信『倫敦スコーンの謎』(創元推理文庫)
「なあ常悟朗。お前に頼んでいいことなのかどうかわからないんだが……小佐内を紹介してくれないか?」 堂島健吾曰く、かつて絵の謎を解いた(ことになっている)小佐内さんに、もう一度知恵を借りたいのだという。──美術家の縞大我が、サンフランシスコ・ビエンナーレの黒熊賞を受賞した。健吾は地元のテレビ局に頼まれ学内を捜索、彼の在校時代の作品を発見するが、その作品は模写でありながら展覧会に出品された事実も掘り起こしてしまったのだ。果たしてこの作品は盗作か否か? 小市民を目指す小鳩君と小佐内さんの謎解きの日々。大人気シリーズ、待望の第二作品集。四編を収録。(粗筋紹介より引用)
2020~2022年、『ミステリーズ!』『紙魚の手帖』掲載作品に書き下ろし1本を加え、2026年4月、創元推理文庫より刊行。
アメリカの美術展で受賞した高校OBの美術家の高校時代の作品を探してほしいとテレビ局に頼まれた新聞部の堂島健吾は、美術家の高校時代の絵を発見。喜び勇んでテレビ局医連絡したはいいが、実は有名作品の模写であることに気付き、さらに展覧会に出品されたことまで見つけてしまった。困った堂島は小鳩常悟朗へ、小佐内ゆきに取り次いでほしいと依頼する。「桑港クッキーの謎」。
借りを返すため、小鳩は小佐内がリクエストした店でジェラートを御馳走することに。そこで二人が見かけたのは、二人より先にジェラートを頼んでいたのに、全く手を付けようとしないスーツの男。なぜ彼は絶品ジェラートを食べないのか。「羅馬ジェラートの謎」。
小佐内のクラスの調理実習で、小佐内と同じ班の女生徒が担当したスコーンは、レシピ通りに作ったのに出来上がったのは生焼けだった。小佐内はそばで見る限り、とくにおかしなところはなかった。アフタヌーンティーを出す店でスコーンを作るところを見ながら、小鳩と小佐内は推理する。「倫敦スコーンの謎」。
高校OBの美術家が高校で講演会を行うこととなった。事前に送ってくれたオブジェを運ぼうと美術準備室へ向かった小鳩たちだったが、オブジェの一つである球体に大きなひびが入っていた。直前の地震で落ちた石膏像が当たったのか。しかし他には何も損害がない。脅迫状通りの人為的な行動か。しかし講演会当日、演台の隣のテーブルに置かれていたオブジェの球体はどこも壊れていなかった。「維納ザッハトルテの謎」。
〈小市民〉シリーズ2冊目となる短編集。時間としては高校1年冬から高校2年の夏休み前まで。『巴里マカロンの謎』から『夏期限定トロピカルパフェ事件』の間の出来事となる。
小鳩と小佐内の関係がまだ微妙な頃なので、二人の会話が探り合いになっているところは懐かしさを感じる。謎自体は他愛無いものが多く、どうでもいいやと思えるものもあるのだが、なんだかんだ首を突っ込んでしまって推理を繰り広げるあたりが、小市民に成りきれないこの二人なのだろう。シリーズファンにとっては原点帰りと言っていいかもしれない。
逆にシリーズを読んだことがない人からすると、この二人の関係が理解し難いのは仕方がないか。人間関係を知らずとも、推理を繰り広げる部分で楽しんでもらえばよい。何だかんだ正解までを探し当てながらも、最後まで詰め切れない若さというのもまた面白い。
シリーズファンへ向けてのボーナストラックな一冊。個人的には「羅馬ジェラートの謎」が馬鹿馬鹿しくて好き。二人の闇の部分が出ていないし。
ロス・トーマス『悪党たちのシチュー』(新潮文庫)
アフリカ某独裁国家の刑務所で食人という悪夢を経験したことでトラウマを抱えて帰国し、落ちぶれていた辣腕ジャーナリストのシトロンは、くせ者政治屋ヘールに雇われる。米現政権の大きな弱みともなるスキャンダル情報を入手すべく、協力を求められたのだった。勇躍、中米の軍事国家へと調査に向かったシトロンは、隠蔽されていた同国での過去の不祥事の内実を探りにかかるが……。思わぬ展開、魅力的な人物造型にも磨きがかかった、悪だくみと騙し合いのあらゆる面白さをごった煮にし、思わぬ展開と意気な対話で編み上げた、騙りと企みのタペストリー!(粗筋紹介より引用、一部追記)
1983年、発表。2026年1月、邦訳刊行。
アメリカ人ジャーナリストのモルガン・シトロンが、次期カリフォルニア州知事ボールドウィン・ヴィッチの資金調達係であるドレイパー・ヘールに誘われ、大スキャンダル情報を入手すべくタッグを組む。
この作品がどんな話かは、解説の小野家由佳が表してくれている。「枝葉と思われる情報が幹であったことが後から判明し、そこまで見えていた景色ががらりと変わる。この辺かは繰り返されていくうちにエスカレートしていきスラップスティックな様相になっていく。そんな小説です。バディ物、国際諜報小説、恋愛小説、クライムコメディ、華族小説、場面場面で好き放題に展開する」。もうこれだけで、このミステリがどんなごった煮なストーリーなのかわかるだろう。
それにしても登場人物の多くが心の底で何を考えているのかわからず、スピーディーかつ好き放題に行動し、いったいどうなるんだこれはと読者をやきもきさせるうちに、いつしかすべてが丸く収まって着地しているのだから、作者の腕に脱帽。
それにしても、こんな面白い作家なのに、なぜ邦訳が止まっていたんだろう。まだまだ出してほしいものだ。
伏尾美紀『百年の時効』(幻冬舎)
刑事たちの昭和は終わらない。真犯人が見つかる、その日まで。
嵐の夜、夫婦とその娘が殺された。現場には四人の実行犯がいたとされるが、捕まったのは、たった一人。策略、テロ、宗教問題……警察は犯人グループを追い詰めながらも、罠や時代的な要因に阻まれて、決定的な証拠を掴み切れずにいた。50年後、この事件の容疑者の一人が、変死体で発見される。
現場に臨場した藤森菜摘は、半世紀にも及ぶ捜査資料を託されることに。上層部から許された捜査期間は一年。真相解明に足りない最後の一ピースとは何か? 刑事たちの矜持を賭けた、最終捜査の行方は――。
感動、スリル、どんでん返し……。エンタメの妙味が全て詰まった、超ド級の警察サスペンス。(粗筋紹介より引用)
2025年8月、書下ろし刊行。2026年、第28回大藪春彦賞、第47回吉川英治文学新人賞受賞。
気にはなっていたけれど、伏尾美紀の乱歩賞受賞作は今一つだったので踏ん切りがつかなかった。さすがに大藪賞を受賞したとなると、読まないわけにはいかない。
令和6年2月21日、アパートで見つかった変死体。葛飾警察署の刑事組織犯罪対策課に所属する28歳の藤森菜摘が現場へ向かうところから物語は動く。警視庁刑事部捜査一課管理官の草加文夫が菜摘に見せたのは、50年前の佃島一家四人殺傷事件に携わった湯浅卓也のノート。この事件は主犯格の男が逮捕されたが、共犯者は不明のままだった。そして主犯格の男は一審公判中に脳梗塞に倒れ、公判は停止。そのまま平成22年を迎え、公訴時効が撤廃された。つまり、この事件は未解決事件のままだった。そしてアパートで見つかった変死体の人物と保証人の人物は、いずれも事件の重要参考人だった。ノートを読んだ菜摘は、捜査を引き受けることとする。
昭和49年3月27日の佃島一家四人殺傷事件、昭和25年3月31日の富岳銀行函館支店長一家6人殺害事件、昭和39年の横須賀聖マリオこども園火災・脱走事件、平成2年3月の聖マリオこども園地下室から16年前に失踪した経営者親子の遺体が発見された事件(横須賀市元児童養護施設経営者親子殺人事件)、平成2年11?月の脱走仲間の土建会社放火死亡事件(横須賀市土建業男性殺人事件)、平成7年1月1日の磯川会最高顧問殺人事件(東京品川コンテナ埠頭男性殺人事件)。昭和から平成、令和と続く一連の事件。元捜査四課だった警視庁捜査一課の鎌田幸三、月島警察署刑事で後に鑑識に移る湯浅卓哉、警視庁捜査一課刑事の草加文夫、葛飾警察署刑事の藤森菜摘。時を経て、4人の刑事が連鎖する事件の解決に挑む。
今どきの言葉でいえば、年齢もバックボーンも違う刑事たちのバディ物である。最初は反発しあいながらも、気付けば相手を認めている関係。はっきり言えばよくあるパターンであり、目新しいものではない。とはいえ、それが相手を変えながら50年も続く構成はさすがに今までなかった。このアイディアを小説化しただけでも、大したものだと思う。
それにこの作品の面白いところは、実際に起きた犯罪などと密接に絡み合っているところ。出てくる事件名だけでも渋谷暴動事件、百歳送致初の事例、上野消火器商一家殺人事件、連続企業爆破事件、山口組(作中では新井組)四代目組長射殺事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、暴対法施工、バブル崩壊、オウム真理教事件、井の頭公園バラバラ殺人事件、國松長官狙撃事件、八王子スーパー3人強盗殺人事件、薬害エイズ事件である(見落としがあるかもしれない)。事件そのものには関係はないかもしれないが、捜査には大きく影響するものもあり、毎年何らかの事件は起きているとはいえ、よくぞこれだけの事件を持ち出すことができたものだと感心してしまった。
途中で満州国家まで出てくるところはやり過ぎじゃないかと思うところもあるし、いくら時効がなくなったとはいえこれだけの年月を経た事件の捜査について若手刑事一人だけをつけることができるのかなど、思うところはいろいろあるけれど、まあこれだけのスケールの作品を書こうとすると目をつぶるしかない部分があるのはしょうがない。これだけのスケール、ボリュームでありながら、読者に退屈させること、疲弊させることなく最後まで読み切らせたその腕は大したものだ。この年を代表する作品となったのも当然の結果と言えよう。
法月綸太郎『法月綸太郎の不覚』(講談社)
油断大敵。「推理」のその先へ――。ミステリの可能性を押し拡げるシリーズ最新作! 書き下ろし短編「平行線は交わらない」など、全4篇を収録した作品集。
【収録作品】
「心理的瑕疵あり」
首吊り自殺物件に住むライターが同じ死に方で発見される。しかし、自殺だとすると現場には不可解な謎があって――?
「被疑者死亡により」
〈交換殺人〉の疑いを晴らしてほしい。だが養父を亡くした依頼人には、多額の死亡保険金が転がり込む予定で――。
「次はあんたの番だよ」
ランナーが公園で目撃した“女の幽霊”。その顔は二日前に殺された資産家女性と瓜二つだった。
「平行線は交わらない」(書き下ろし)
和菓子屋店主が殺された事件。背景には和菓子経営者の兄弟の因縁が……?
(以上、帯より引用)
2020年~2024年、『ミステリーズ!』『メフィスト』掲載作品を加筆修正した三本に加え、書き下ろしを加え、2026年4月刊行。
2019年9月の『法月綸太郎の消息』以来、7年ぶりとなる短編集。この間は評論ばかりで、ミステリは全然書いていない。何をやってるんだ、法月、と言いたくなってしまう。そのあたりについては本人も自覚しているようで、あとがきで愚痴めいたものを書いている。悩んでばかりではなく、もう少し読者の期待に応えればいいのに、とは思ってしまうが。
最初の二本は犯人当て小説だったものから、見出しと読者の挑戦状を除いたもの。「心理的瑕疵あり」は意外な真相がちょっと予想外のもので面白かったが、「被疑者死亡により」は手がかりに工夫はあれど、設定そのものから犯人当てまでかなりきつい。後者、犯人当てと言い切ってしまえば登場人物が少ないから予想はつくかもしれないが、さすがにこの動機は飛躍しすぎというか、そこにいたるまでの手がかりがなさすぎというべきか。
「次はあんたの番だよ」は「ラスト一行で世界が反転する短編」という依頼を受けて書いた作品。法月自身が「苦しまぎれに法月シリーズの鋳型に頼った結果、足下がおぼつかなくなった」作例の典型と書いている通り、内容を理解するのにかなり苦労してしまう作品。ラスト一行で反転するのでなければ、もっとわかりやすく書けただろう。
書き下ろしの「平行線は交わらない」は、150枚弱の中編。ただ人間関係を説明するのに回りくどい説明をしているため、その分長くなった、という印象しかない。はっきり言ってしまえば、ごちゃごちゃしすぎ。もっとシンプルに書けるはずの作品である。
執筆時期が新しくなればなるほど、書き方がくどくなってきている。もともと説明がくどい作家だったが、作品全体がくどくなるのはちょっとしんどい。悩み過ぎなんだろうな、作者は。もっと割り切ればいいのに。
巻末に法月綸太郎シリーズ作品ガイドがあり、そこで長編8作、短編集8作(アンソロジー1冊を含む)、番外編1冊(『リレーミステリ 吹雪の山荘』と書かれている。アンソロジー1冊が、なぜかどこにも紹介されていない。いったい何を指しているのだろう。『名探偵傑作短篇集 法月綸太郎篇』のことかな。
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