江戸川乱歩『蠢く触手』(春陽文庫)

 人気作家であった江戸川乱歩には、いくつかの代作が存在するが、本作もその一つ。新潮社版新作探偵小説全集に収録された、博文館の編集者だった岡戸武平による作品である。乱歩『探偵小説四十年』や鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』などにその経緯は詳しい。ストーリーを乱歩と打ち合わせ、印税は全て岡戸の手に渡ったという。
 昭和6年に出版された平凡社版江戸川乱歩全集には載っていないが、昭和25年に出た光文社名作読み物選版などにも乱歩作品として収録されているから、読んだことがある人は割と多いと思う。私もその一人。
 怪人団による連続殺人事件を追いかける新聞記者進藤の活躍を書いた冒険談であるが、最後に謎を解くのは名探偵明智小五郎である。やはり代作と言うことで乱歩の筆に比べると迫力等に欠けるのだが、それども当時の雰囲気はよく出ている。むしろ乱歩の毒を持ち合わせていない分、読みやすいかも知れない。




西澤保彦『幻惑密室』(講談社ノベルス)

 密室と化した社長宅で起きた殺人事件。しかも室内では時間の流れまでも狂っていた!? そんな不可思議な事件の真相解明に現れたのが<超能力者問題秘密対策委員会出張相談員・(見習)神麻嗣子>なるとんでもない少女。──ミステリの可能性を極限まで追求する西澤保彦が紡ぐ奇想が、今年も斯界に衝撃をもたらす!(粗筋紹介より引用)

 超能力者問題秘密対策委員会出張相談員という設定は面白い。また、事件に絡む男と女のおバカぶりにも笑えた。そこまでは良かったんだけどねえ。超能力を使う設定というのはご都合主義でしかないが、それをいかにしてご都合主義に見せずにミステリをやるのかが腕の見せ所。最近、その点が今ひとつだね。★★☆。




森博嗣『夏のレプリカ』(講談社ノベルス)

 那古野市の実家に帰省したT大大学院生の前に現れた仮面の誘拐者。そこには血のつながらない詩人の兄が住んでいた。誘拐が奇妙な結末を迎えたとき、詩人は外から施錠されていたはずの部屋から消え去っていた。朦朧とするような夏の日に起きた事件の裏に隠された過去とは!?事件は前作と表裏をなし進展する。

 どこもかしこも矛盾だらけの話。これが森博嗣のいう「ミステリィ」なんでしょう。私の考える「ミステリ」とは全く別物らしい。文句たらたらだが書くのもバカらしいのでパス。姑獲鳥以来に本を投げつけたぜ、☆。




佐野洋『透明受胎』(角川文庫)

 著述業(ルポライター)の津島亮は気がつくと病院にいた。警察の話を聞くと交通事故にあったらしい。どうやら外傷もなくただ失神しただけのようだった。しかし、彼が名前を答えた瞬間、警官はこう言った。「しかし、津島さんは、(略)もっとお若い……(略)」 鏡を見た津島は驚いた。42際であるはずの彼の顔の目尻には何本もの皺ができ、顔にどす黒い老人性斑痕さえ生じている。しかも彼の頭髪は見事に真っ白になっていた。しかも、彼をひいたと勘違いした田部佳代は、どう見ても24,5歳位なのだが、実際は40歳だという。翌日、彼の髪と容貌は元に戻っていた。津島と佳代は再び会い、関係を持つが、津島にはその記憶が全くない。しかも佳代は初体験だったと告白する。ならばと二回目を挑むが、挿入することはできず性交不能であった。さらに、佳代の娘は佳代そっくりで、ほとんど同じ指紋が二つもある。そして驚くべき事に、聖母マリアと同じ処女受胎だったというのだ。津島は取材を開始した。すると、海外でも同様のケースが二、三年の間に十数ケース報告されているという。一体どのような原因なのだろうか。

 SFミステリの傑作というとまず思いつくのが佐野洋の『透明受胎』である。処女受胎という重く難しい、そして不可能味の強いテーマに挑み、医学的解説による正当な根拠を据えつつ、あえてミステリによる解決に挑んだこの作品は佐野洋の会心作と言える。
 この小説はとにかく「謎」の連続である。いきなり20歳も老けた主人公、40歳なのに25歳程度に見える女性、記憶のない性交、謎の性交不能、時間的に絶対不可能な暴力事件、母とそっくりの娘、同じ指紋、処女受胎、等々。これ以上は書かないが、その後も「謎」は続く。これだけ大風呂敷を広げて、どうやって解決しようというんだと言うぐらいの「謎」の多さである。しかしその解決部分はあっさりとして、それでいて読者を納得させるものだ。この辺りに佐野洋のセンスの良さが感じられる。今の作家に書かせると、無意味に医学的知識をひけらかすか、謎解き部分にむやみにページを費やそうとするだろう。
 この作品の面白い特徴は、SFミステリながらも、佐野洋が持つ現代性と都会的感覚、社会風俗がしっかりと書かれていることだ。舞台はこの作品が書かれた昭和40年の東京であるし、津島と佳代の情事シーンもしっかりと書かれている(関係ないけれど、佐野洋って実は情事シーンが大好きなんじゃないかな)。途中では当時出始めたばかりの「セックスクリニック」も出てくる。最後には、物語に不要と思われる「オチ」もある。佐野洋の持つ遊戯性はたとえSFミステリーでも失われていない。たとえSFミステリだろうが、どんなテーマに立ち向かおうと自分を見失わない佐野洋を見ることができる。

 しかしこの「処女受胎」というテーマ、SFの中だけの話かといえばそうではない。大体、ほ乳類は雌性が基本形で、性分化の過程で雄性化の力が働いて雄性になる。単純にいうと、女の形に男性ホルモンが影響すると男の形になるというわけだ(カタツムリなど、雌雄両性を持っている場合も男性ホルモンの影響で雌雄変化する)。「アダムの肋骨からイヴが生まれた」のは間違いなのだ。
 性転換するときも同様で、女性から男性になる場合は男性ホルモンを投与し、男性から女性になる場合は男性ホルモンの分泌を抑制する手術を行う。「雄的能力」が欠落している人は要するに男性ホルモンが足りないということである(だからといって薬を投与すると、薬に慣れて益々能力が欠落していくけどね)。
 しかも最近では合成樹脂の原料の一つである「フェノールA」の問題がある。この「フェノールA」を体内に含むと女性ホルモンに似た働きをして人間の内分泌作用をかく乱し、雄が雌性化してしまうらしい。実際、野生の鴨や鰐の生殖異常や人の精子数の減少が報告されているとのことである。いつしか雄はいなくなり、世界は雌ばかりになる。繁殖するためには「処女生誕」が必要となる……考えるだけで怖い世界だ。
 佐野洋がここまで考えていたかどうかは不明だが、その発想には恐れ入る。

 冒頭にあげた聖母マリアの話は、当然「処女受胎」によりイエスを生んだという伝説から取ったものである。聖書というのは完璧なオリジナルというわけではなく、各世界の神話とラップしている部分は結構ある。しかし、「処女受胎」というのは神話の世界でも見受けられない(私の調査不足かも知れないが)。最初にこの伝説を考えついた人の発想には感動してしまう。では、実際にイエスは「処女受胎」による子供なのか。もちろん解答はマリアしか知らないだろうが、私の答えはNoである。




瀬名秀明『BRAIN VALLEY』上下(角川書店)

 孝岡護弘はつくばの研究所から山中の船笠村にある一年前に竣工したばかりの最新脳科学総合研究所ブレインテックへ急遽赴任した。彼の研究テーマは神経細胞のシナプス部分に存在し、記憶の形成に関係するといわれるNMDAレセプターと記憶の関係であった。ブレインテックの北川所長は孝岡の研究テーマに注目し、そして彼を自分の研究所へヘッドハンティングしたのだ。しかし、彼が研究所にきてから、自分の身におかしな事が次々と起こる。彼がブレインテックに来たのは、ただヘッドハンティングされただけではなく、オメガ・プロジェクトに必要であったからだった。オメガ・プロジェクトとは何か。北川所長の最終目的はいったい何なのだろうか。

 最初の方では「脳」に関する学術的説明が延々と続く。途中で挟まれる小さな事件もしくはエピソードが無ければ読み飛ばしてしまいたくなるぐらい難しい。しかし、ある程度の説明が終わり、孝岡のみに異変が起きた辺りからはノンストップで事件が続く。最初は説明の難しさについていけなさそうになるが、その後は展開の早さについていけなくなってしまいそうになる。きっちりと読んでいかないと置いていかれそうだ。しかし、その展開に乗ることさえできればあとはもう特急状態でページを捲ってしまう。とにかく面白いのだ。これほど学術知識を散りばめながら、エンタテイメントに徹して書くことができるのだからすごい。首をひねる部分があるのは事実なのだが(○○とかね)、エンディングへ至るまでの怒濤の展開さえあれば些細なことだね。2年間、待っただけの甲斐があった。とにかく読めと言いたい。早くも来年のベスト10候補作。★★★★☆。




清涼院流水『カーニバル・イヴ 人類最大の事件』(講談社ノベルス)

 インターネット上に噂が広がる「犯罪オリンピック」が開幕するまでの話。その「犯罪オリンピック」の噂を軸に、今までの登場人物や新しい登場人物の日常生活が描かれる。はっきり言ってしまえば次作『カーニバル』の長い前振り。もしくは清涼院版『近況報告』みたいなところか。
 これのどこが「一つの閉じた物語」なんだ? 後書きでそんなこと書いているけれども、な~んにも解決していないじゃないか。とにかく次作を待つしかない作品。つまらない資料室を書いている暇があったら、早く次作を書くように。評価しようがないな、これだけでは。




木々高太郎『網膜脈視症』(春陽文庫)

 デビュー作「網膜脈視症」「就眠儀式」「妄想の原理」「ねむり妻」「跋」、戯曲形式の傑作「胆嚢(改訂)」の6編を集めた短編集。最初の頃の木々は今ひとつ理屈っぽくて好きじゃないのだが、年が経っていくにつれ文学味が深くなっていき、読み応えのある作品が多くなっていく。大体の作家は処女作や初期の作品が面白いのだが、そう言う意味では珍しい作家だ。頼むから、『人生の阿呆』(創元推理文庫)だけで木々を評価しないでほしい。あれを代表作に挙げられるのは木々の本意じゃないはずだ。
 木々が掲げた「探偵小説芸術論」は正直言って共感持てないのだが、当時の「木々VS甲賀論争」のように、探偵小説に情熱を傾け続けたその態度には感心する。最近の作家じゃミステリ(もしくは本格やハードボイルドみたいに細分化してもいいけれどね)全体に対してなかなかここまで情熱を傾ける人っていないものね。島田荘司みたいに間違った方向へ行った人もいるけれども。ちなみに木々高太郎って本業の方でノーベル賞を目指していたって知っている?




山田正紀『阿弥陀 パズル』(幻冬舎ノベルス)

 「人間ひとり、どこかに消えてしまったんですよ」15階建てのビルの警備員室に詰めていた檜山に15階の保険会社に勤めている今村茂はこう語った。残業がやっと終わり、待ってくれていた婚約者の中井芳子とともに今村はエレベータで1階に下りた。ところが「忘れ物をした」といって再び中井はエレベータに乗り15階の会社まで戻ったはずがいつまでたっても降りてこないでそのまま行方不明に。中井は自分の意志で消えたのか、それとも事件に巻き込まれたのか。
 帯に書かれている惹句が凄い。

 人間消失。ビル全体を覆う密室大トリック。逆転につぐ逆転。謎と論理のエクスタシー!

 しかし実際のトリックは大したことない。というか、はっきり言ってがっかりした。「究極のパズラーか、ミステリコメディか」という我孫子武丸の謳い文句が寂しくなってくるほどの内容だ。風水火那子という探偵役がたしかに色々と推理を繰り広げるが、最初から正しく尋問していけば自然と答えが出ていたんじゃないのか? 『麦酒の家の冒険』みたいに全く尋問しようがない場所で推理を繰り広げるのなら分かるが、この風水という女の子、推理をした後、「えっ、私こんな事聞いてないわ。じゃあこの推理違う」の繰り返しなのだ。ああ、情けない。ミステリコメディというのは、納得させるプロットとトリックがあって、その上で笑いをとれるようじゃなきゃ。こういうのをコメディと勘違いされると困るね。ただのドタバタ劇。ここは厳しく☆。



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