津島誠司『A先生の名推理』(講談社ノベルス)
究極の謎と解決!津島誠司のウルトラ・ミステリ!
深夜の大通りを咆哮(ほうこう)をあげギクシャク歩む、青く光る怪人。消えたり現れたり、変幻自在の峠の小屋。新興オフィス街を襲う不条理な出来事。海底で救いを求める幻の女。隕石から出現した謎の物体が引きおこす連続殺人。……A先生の神のごとき名推理が驚地動天の謎、超絶トリックを解き明かす。(粗筋紹介より引用)
「叫ぶ夜光怪人」「山頂の出来事」「ニュータウンの出来事」「浜辺の出来事」「宇宙からの物体X」「夏の最終列車」を収録。
確かに謎は奇想天外かも知れないけれど、その解決が今ひとつなんだよなあ、前から思っていたけれど。解決方法を絵にすると、冒頭の謎とのギャップの激しさにとまどいを覚えてしまう。満を持しての登場みたいだけれども、最初に読んだ頃と全く感想は変わらない。要するに子供騙しだね、★。
荒馬間『わざくれ同心』(新潮社)
この失態、闇に葬れないものか。小さな足掻きが大きな仇になった―。外様大名つぶしという徳川幕府の政策と町人の台頭という大きな時代のうねりを背景にしながら、家族を慈しむ心とは何か、好きな人と添い遂げるとはどういうことか。この世の名残り、遺作のみに許された壮絶なる結末、時代ミステリーの珠玉。(粗筋紹介より引用)
外様大名から見ると旗本や御家人ってこう見られていたんだなと初めて知りました。前から気になっていた作家だけに、初めて読んだ作品が遺作とは残念。ただ、ミステリ味は非常に薄いよ。時代小説として★★★★☆。泣けちゃったんだからしょうがない。
都筑道夫『猫の舌に釘をうて』(講談社文庫)
私はそんなに都筑道夫を読んでいるわけではない。せいぜい10冊程度だろうか。しかし読んだ作品はどれも面白かった。
いかにも怪しげなB級スパイ小説と翻訳家自身の周辺の殺人事件の捜査と言う謎解きが並行する『三重露出』、二人が変わり変わり執筆しながらもそれがだれだかわからない『誘拐作戦』、史上最強の本格推理捕物帖『なめくじ長屋捕物さわぎ』、「ブロンクスのママ」シリーズの日本版『退職刑事』等々。“前衛派”都筑道夫に相応しい、凝りに凝ったミステリの数々である。他にも『なめくじに聞いてみろ』や『七十五羽の烏』など読んでいないが、ぜひとも読んでみたい作品は多い。そういえば『黄色い部屋はいかに改装されたか?』のような刺激的な評論集もあった。もし今の新本格ブームの中に登場していたら一躍時代の寵児となっていた作家だろう。都筑道夫ほど「早すぎた作家」というフレーズが似合う作家もいない。
都筑道夫の偉いところは、構成を凝ったとしても、それがマニアだけのためのものとならず、万人受けするような物語を作っているところにある。最近、構成だけを工夫しながらも物語としてなっちゃいない作品も多いが、そういう作家には一度都筑道夫を読んで見ろと言いたい。
話がそれたが、では、都筑道夫の中で何が一番好きかと聞かれたらやはりこう答えるだろう。『猫の舌に釘をうて』。
私はこの事件の犯人であり、探偵であり、そしてどうやら、被害者にもなりそうだ。
この魅力的な出だし。この文を読んだだけで、本格ファンなら(本格ファンならずとも)手にとって読んでみようと言う気が起きるだろう……と言いたいところだが、この手のネタでの成功例を見た記憶がない。この一人三役に最初に挑んだのは誰だったか覚えていないが、すぐ思いつくのが一人四役のシャブリゾ『シンデレラの罠』や一人六役の太田忠司『僕の殺人』。ただし、どちらも巧い処理とは言えなかった。そういえば巧くいった例で乱歩の中編があったな。ただこの一人三役というトリックは、そのトリックが故に、おおっぴらに宣伝できないというネックがある。それはそうだろう。誰が最初から犯人を知りたい。例えば、
骨董屋が仏像を盗まれました(被害者)。骨董屋は自分で捜査を開始し、やがて犯人を見つけます(探偵)。ところがその犯人は自分でした(犯人)。実は健忘症だった骨董屋は自分で仏像を隠し、そのことをすっかり忘れていたのでした。
これで簡単に被害者、探偵、犯人の一人三役出来上がりである。これに色々なストーリーを付け加えれば一応小説にはなるだろう。ところがである。この小説を売り出そうとするとき、帯に「一人三役トリックの大傑作」などと書くことができないのだ。そんなことをすれば一発で犯人が分かってしまい、読者の購買意欲をなくしてしまうことだろう。一人二役でもそうだが、このトリックは作者にとって諸刃の剣とも言えるトリックである。
ところがである。そんな危ないトリックを使用していることを、都筑道夫は堂々と最初から宣言しているのだ。ではこの本は一体どのような話なのか。
主人公は淡路瑛一。売れない推理小説家である。いつか前人未踏の独創性を持つミステリを書こうという夢がある。その前人未踏のトリックが、一人称小説の私が、被害者であり、探偵であり、犯人である、というものだ。ところがどのような手を使おうかと考えているうちに、自分がその立場に置かれていた。
私(淡路)が殺したかった相手は塚本稔という。もちろん実行に移すつもりはなかった。理由は簡単だ。稔を殺すと、塚本有紀子が不幸になるからだ。有紀子の心をかき乱しても平気でいられるくらいだったら、姓が塚本に変わるのを指をくわえて眺めいていたはずがない。しかし殺意は胸の中でいっぱいになる。その代わりということで、塚本稔にどことなく似ている後藤を殺す気になった。後藤は淡路と同様に新宿歌舞伎町の喫茶店《サンドリエ》の常連だ。しかしもちろん本当に殺す気はない。けれども殺すまねはできる。そこで疑似殺人を演ずることにした。そう決めた日に塚本の家を訪れると有紀子は風邪で寝込んでいた。隙を見て風邪薬の一服を盗んだ私は《サンドリエ》に通い、三日後ようやく現れた後藤の左隣に座り、風邪薬を後藤のコーヒーの中に入れた。ところが後藤はコーヒーを飲んだ瞬間、泊り木から転げ落ち、死んでしまった。私は慌てた。突然殺人犯人になったのだから。しかも後藤の命を絶った劇薬は、私が盗み出さなかったら有紀子の喉に入っていたはずだ。誰かが彼女を殺そうとしたに違いない。だから私は探偵の役を務めることにした。しかし、おおっぴらに捜査を始めると、私が後藤の犯人だということを宣伝してしまうようなものだからこっそりやらなければならない。また、いくら内緒で捜査を始めても有紀子を殺そうとした人物に気づかれ、そして私を生かしておかないかも知れない。だから私はこの事件の犯人であり、探偵であり、そしてまかり間違えば被害者にもなりそうなのだ。
そうして淡路はこの事件を追う手記を書き留めることにした。たまたま編集者からもらった都筑道夫の『猫の舌に釘をうて』の束見本に。束見本というのは仕上がりの厚みを見るために、組上がりのページ数だけ使用する印刷紙を製本したもので、要するに表紙だけで中身は真っ白の本だ。
ところがそうこうしているうちについに有紀子は殺されてしまう。そして束見本の手記に「読者の挑戦状」が書き込まれてあった。一体書き込んだのは誰か。そして犯人は誰なのか。
冒頭でいきなり事件が起き、そして自分が犯人であり、探偵であり、まかり間違えば被害者にもなりそうだと書いてある。もちろん、こんな単純な一人三役だったらだれも手に取ることはないだろう。しかしこの事件はやはり一人三役だったのだ。手記の最後に淡路はこう書き留める。
私はこの事件の探偵であり、犯人であり、そしてやっぱり、被害者にもなりそうだ。
事件の記述者が探偵であり、犯人であり、被害者であるという一人三役トリックへの挑戦。束見本への手記というスタイル。どれをとってもミステリファンにとっては堪えられない設定なのだが、それに加えて感心するのは、都筑道夫が執筆当時である昭和三十年代の風景、風俗をしっかりと書き込んでいるところにある。このあたりが『猫の舌に釘をうて』を単なるマニア本にしていないところだ。凝りに凝った作風ながらも、都筑道夫が万人に受け入れられた理由はそこにある。そうでなければ、新本格全盛の今ならともかく、当時の社会派ブームの中でこのような本は時代の中に埋もれてしまって、珍品扱いとなっていただろう。
最近ミステリファンになった人は多分都筑道夫を知らないだろう。勿体ないことだ。ぜひとも読んでみるべきだ。凝りに凝った構成のミステリが溢れている中で育っている読者でも、都筑の本を読んだら一度はあっと声を挙げることだろう。都筑の本のほとんどが絶版であるという今の状態がとても悲しい。
ところで、『猫の舌に釘をうて』は束見本のタイトルであったため、一体どのような意味があるのかは本の中でも明らかにされていない。ねえ、どんな意味なの。それに束見本があるということは基の本もあるということでしょう。本当は一体どのようなストーリーだったの? ねえ、都筑先生、教えて下さい(笑)。
現在、『猫の舌に釘をうて』は『三重露出』との合本という形で講談社大衆文学館から出ている。たしかに読者にとってはおいしい本かも知れないが、やはり『猫の舌に釘をうて』はそれ1冊で売り出してほしかった。その方がこの本の趣向をより楽しめたに違いない。
貫井徳郎『誘拐症候群』(双葉社)
新宿駅西口の地下通路で一日中立っている托鉢僧武藤とティッシュ配り高梨の交流。母の看病が中心の日常の中でパソコン通信に楽しみを持ち、そして通信で知り合った〈ジーニアス〉から玩具のモニターを頼まれ続ける咲子、そして連続して起こる数百万円単位という少額の身代金の誘拐事件、この3本の話が並行して書かれていく。そして高梨の子供が誘拐され、一億円の身代金が要求され、その運び役に武藤が選ばれる。
『失踪症候群』に出てくる警察の秘密組織のメンバーが出てくるが、その設定のみが続いているだけで、特に続編という形ではない。一応「~症候群」シリーズらしいのだが、前作と雰囲気はかなり違う。
話としては貫井徳郎らしい貫井節(全然説明になっていないな)。社会派の皮に本格というあんこを詰め込んだ饅頭という路線はこの小説でも生かされている。そして救いの無いようなストーリーという作者の姿勢はそのまま。読み終わって面白いのだが、何かやり切れなさが残ってしまう。やっぱり社会は甘くないって事か(笑)。3本の話があまり噛み合っていないところが残念なのだが無難に面白い。★★★。
鮎川哲也編本格推理マガジン『鯉沼家の悲劇』(光文社文庫)
今回は、宮野叢子「鯉沼家の悲劇」、横溝正史序編・岡田鯱彦解決編・岡村雄輔解決編による「病院横町の首縊りの家」、狩久の短編「見えない足跡」「共犯者」と今回も「幻の名作特集」の名に恥じないラインナップである。
宮野叢子「鯉沼家の悲劇」は落ちぶれた旧家を舞台とした連続殺人事件。ただ、どちらかといえば旧家での因縁を書いている方が筆ののりがいいようだ。そのせいか、最後の解決編はあまりにも唐突すぎ、そしてあっさりとしている。本格の枠で縛られず、旧家の因縁の方をベースとして、そしてもっと筆を費やしてほしかったところだが、出版事情等の理由があったと思われるので仕方がないところか。
「病院横町の首縊りの家」は、金田一耕助最後の事件「病院坂の首縊りの家」の原型。序編を書いただけで体調を崩し、連載中断となった作品である。そのため、中堅作家の岡田鯱彦、岡村雄輔による独自の解決編を書かせ、それぞれ第1コース、第2コースとして掲載したものである。
どちらの解決編に軍配を揚げると言われたらやはり岡田鯱彦の方か。序編の舞台の生かし方、横溝正史の雰囲気のつかみ方などで差が見受けられる。
横溝正史の序編を見るかぎりでは、とても後の大作「病院坂の首縊りの家」の原型とは思えない。多分、当初は100枚ぐらいの中編で終わる作品だったと思われる。しかし、横溝正史はこの作品の中断はかなりくやしかったようだ。当時、どのような仕掛けを考えていたのかが気になる。
狩久「見えない足跡」はユーモアを基調とした本格短編。ただ、山前譲の改題にあるように、このような本格は狩久の得意とするところではなかったと思われる。むしろ「共犯者」のような心理サスペンスの方が筆ののりの良さを感じられる。
正直言って今回のラインナップは予想外であった。一体次回はどのようなラインナップになるのか楽しみだ。高木彬光「刺青殺人事件」の原型版なんか出ないかな。
折原一『黄色館の秘密』(光文社文庫)
実業家の阿久津又造一家が住む「黄色館」は、世界の珍品を集めた秘宝館でもある。ところが、犯罪集団・爆盗団から純金製の黄金仮面を盗むとの予告が!そこへのこのこ現われた密室マニア・黒星光警部。黄金仮面が宙を舞い、密室で人が死ぬ世紀の怪事件を見事なまでに掻き回す。犯人は誰なんだ。(粗筋紹介より引用)
お久しぶりの黒星警部もの。今回もしっかりと密室ものであるところが嬉しい。難解さはないが、相も変わらずの黒星警部の迷推理とドタバタ劇を楽しむことができる。折原曰く「軽い」小説かも知れないが、これだけパロディとバカを極めてくれれば満足。全編バカなら許せるんだよな。★★★☆。
なんで今までの光文社文庫黒星警部シリーズのように『~の殺人』にタイトルを統一しなかったんだろう。どうでもいいことだけど。
探偵小説研究会編・著『'98本格ミステリ・ベスト10』(東京創元社)
1997年度に出た本格ミステリのベスト10および総括。前回の『本格ミステリ・ベスト100』で思いきりけなしたせいか、今回はきちんと選出方法を書いているけれども、相変わらず不親切だなって思ったのは「本格」に対する定義が不鮮明であること。恩田陸は読んでいないので何とも言えないけれど本格なのか? 書評を見る限りではそうとも思えないけれど。『冤罪者』だって「本格」に入れていいものなのか? アンケート回答者が本格かどうか悩むような作品って、このようなベスト10では損をするだろうな。
一応回顧座談会はあるけれど、いったい何が本格なのかを議論ぬきで、しかも過去の自分たちの評論で出てきた表現を何の説明もなしで使っている座談会なので、わかる人にしかわからないような座談会になっている。読者限定(だろうねえ、これじゃ)だからこれでいいのかな。我孫子武丸の「本が人を殺す」は楽しかったけれどね。やはり「この評論家がすごい!」座談会をやるべきだったんじゃないかな。そうすればこの本の大目玉になったのに。
このミスっぽい本の作りになっているけれどもそれも疑問。森博嗣のインタビューがいきなり載っている意味は何なんだ? もう少し方向性を持って本を作ってほしい。これじゃ『創元推理』でやっていることとそう変わらないじゃない。わざわざ本格を検証するつもりなら、本のトーンもそれで統一してほしいね。このままじゃ、これが本格のベスト10なんだよ、って仲間内で騒いでいるだけの本で終わってしまう。
乾くるみ『Jの神話』(講談社ノベルス 第4回メフィスト賞)
山奥にある名門女子校「純和福音女学院高等学校」。主人公である坂本優子は入寮初日のオリエンテーションで聖母といったたたずまいの生徒会長、朝倉麻里亜の熱狂的なファンになる。しかしそれから1ヶ月後、麻里亜は子宮からの大量出血により死んでいた。聖母のはずの彼女は妊娠4~5ヶ月だった。しかも流産したはずの胎児の姿はどこにもなかった。麻里亜の父から依頼を受けた女探偵《黒猫》こと鈴堂美根子は麻里亜の姉百合亜が1年前に臨月直前で妹と同様に子宮からの大量出血で死んでいたことを知る。しかもそばには惨殺された夫の死体があり、妹と同様、胎児の姿はどこにもなかった。一方、優子は半年前に自分とそっくりだった先輩が「ジャック」という謎の言葉を残し飛び降り自殺をした事件があったことを知る。どうやら「ジャック」というのが今度の事件のキーワードらしいが、それは一体何を指すのか。事件に巻き込まれた優子と事件を追う美根子に魔の手が迫ってくる……。
お約束のプロローグ、ありがちな舞台、おきまりの事件と美貌の女探偵。しかし、ああしかし……。
断言しよう。この結末は誰にも予測できない。
98年度ミステリ裏ベストワン、早くも決定。
帯に描かれた大森望の言葉だが、確かに前半部分は嘘でない。新入生が美貌の生徒会長にあこがれるお約束のプロローグ、全寮制の女子校という閉鎖的な舞台、そしてあこがれの生徒会長の謎の死とそれを追う美貌の女探偵。うーん、確かにありがちだ。しかも、男性と接触するはずのない全寮制の女子校での生徒会長の妊娠、そして消えた胎児と、いかにも猟奇的な道具の揃い方だ。しかしここからが違う。物語は「猟奇的」から「猟奇」の世界へと突入して行く。最近の医学ホラー(嫌な表現だが、ここでは適切な言葉かと思う)を移植しながら「予測できない」結末まで読者を引っ張っていく。
2月に出たメフィスト賞3作の中では一番まとも。もっともあの3作の中ではということである。これを最後まで読み終えた感想は、「何これ?」。「神」と「悪魔」を語るにはちょっと薄っぺらい。「悪魔」というものを表層的なものでしかとらえていない。「愛」というものに関してもちょっと勘違いしているような気がする。それでも「妖しさ」を産み出そうという努力は買えるし、次作を読もうという気になる。たとえストーリーがフ○ン○書○文庫でもね(笑)。あっ、これってネタばらしか(笑)。★。
しかしこの「だれも予想できない結末」の元ネタって結構色々なところで見受けられるネタじゃないかな。最近でもこのネタの漫画を読んだよ。ちなみに悠宇樹の「侵略者」。おいおい、こんな本までチェックしているのか、私は(と自分で突っ込む)。
浦賀和宏『記憶の果て THE END OF MEMORY』(講談社ノベルス 第5回メフィスト賞受賞作)
主人公の大学入学まで後一月というときに自殺した父親。理由もわからないまま自殺した父親の部屋で見つけたパソコン。主人公がスイッチを入れるとそこに出てきた文字は主人公と同じ名字の17歳の女性。しかもキーボードを介して主人公と会話が成り立っている。この女性は一体誰なのか。父親が研究していたAI(人工知能)なのか。それともこのパソコンに誰かの意志が入り込んでいるのか。友人二人と調べていくうちに主人公の知らなかった過去が次々と明らかになる……。
作者は19歳とのこと。そのせいか、途中で出てくる主人公や友人の台詞がどうも青臭い。子供が大人に向かって放つ屁理屈そのものなのだ。もっとも、こういう風に感じてしまうのは、自分が年を取ってしまったからか。それとも社会のシステムにどっぷりと浸かってしまったからか。そんなことを思いつつも途中までは面白く読めた。これは過去探しのミステリなのかなと。ところが違った。裏表紙の推薦文で京極夏彦が言っている通り、これはミステリでもSFでもない。確かに既存の枠組みの中には与しない。それはそうだろう。これは小説ではない。ただの独白だ。
作者がこの本の中で一体何を書きたかったのか。それがさっぱりわからない。推薦の京極夏彦はわかっているのかも知れない。「先行作品に対する敬意ある挑発」。一体何をもってこう言いたかったのだろう。頼むから誰か、具体的に教えてほしい。これのどこがエンタテイメントなんだ!
主人公は一体何を知ったのだろう。主人公はこれからどうするのだろう。何も解決されないまま、物語は唐突に終わる。好き勝手に言葉を紡ぐだけ紡いで。周りの平穏な世界を壊したまま。そして全く無意味と思われる並行世界(妄想か)を最後に描き。
読後の正直な感想は、訳が分からないの一言につきる。確かにメフィスト賞はミステリだけを対象にしたものではない。しかし、第6回メフィスト賞『歪んだ創世記』と同様、小説の体を成していないものを出版してほしくない。やはりここは☆。
この物語に出てくるAIの理論だが、どことなく古い気がするのは自分だけだろうか。実際はもっと進歩しているんじゃないかな。そう思ったのは、自分がウン年前に学んだことと全く同じ事が書いてあったから。不勉強だから何とも言えないけれど、どうも気になる。
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