倉阪鬼一郎『赤い額縁』(幻冬舎)

 次々と翻訳家が失踪する。古本屋がわけもなく売り渋る。読進める者みな得体の知れない恐怖に戦慄く。読み終えた者は誰一人としていない。それが洋古書『THE RED FRAME』だった。著者ジョーグ・N・ドゥームとは何者か。関わる者はなぜ奈落に落ちるのか。この本の周辺で起こる連続少女誘拐殺人事件の犯人は誰なのか?奇妙な隣人。赤い五芒星。壁の中の物音。匣の中の少女。暗号で書かれた手紙。修復された袋綴じの本。改竄されたFDのデータ。肩に置かれた柔らかな手。振り返れば、どこか色褪せ、異界がちらちらと覗く坂下の町。そして泥濘む謎に踏み出す、二人の探偵。知られざる奇書をめぐる、怪奇と倒錯の大迷宮。(粗筋紹介より引用)

 暗号は短編に限るというのが私の持論。正直言ってあの暗号とアナグラムはどうでもいいやと思った。凄いと思うけれどね。ストーリーの方はさっぱり訳が分からない。読者を選ぶ長編。好きな人は好きなんでしょうね。私はだめでした。暗号が凄かったので★★☆。




島田荘司『御手洗清のメロディ』(講談社)

 「IgE」「SIVAD SELIM」「ボストン幽霊絵画事件」「さらば遠い輝き」の4編を収録。「IgE」は1991年だから、まだ島田荘司が迷宮に入り込む前の作品なだけあってミステリの面白さに溢れている。まったく無関係な出来事から事件を予測し、未然に防ぐという御手洗ものの短編の面白さ溢れた作品になっており、懐かしい。しかし、一つの出来事から犯罪を見つけ出す「ボストン幽霊絵画事件」は残念ながら切れ味に欠ける。事件の規模に比べ推理が冗長なのだ。
 残りの2編はミステリではなく御手洗個人の物語。ミステリでないのは残念だが、物語としては御手洗の魅力が十分に引き出されていて面白く、なんだかんだ言っても島田荘司の物語創作力の高さに感心する。特に「さらば遠い輝き」はお薦め。もっとも『異邦の騎士』を読んでいないと何がなんだか判らないだろうけれども。トータルの評価としては★★★。やはり御手洗清には快刀乱麻の推理を期待する。島田荘司よ、ミステリの面白さを追求した作品をもう一度書いてくれ。




奥田哲也『冥王の花嫁』(講談社ノベルス)

 人面疽か女面鳥体の怪物か。醜怪な屍は何を語る?これほど異形の首なし死体がかつてあったか!?
 切断された女の首は、巨大な人面疽(そ)のように腹に埋め込まれていた!深町警部補はギリシア神話に出てくる女面鳥体の怪物ハーピイと死体の関連を天才舞台演出家に訊くが、彼は「ハーピイには姉妹がいる」と第2、第3の惨劇を予言した。凶行の残虐、手口の大胆巧妙。残忍酷薄な殺人劇は終幕に貌(かお)を一変させた!(粗筋紹介より引用)

 読了したことだけを報告します。こんな作品、作者は本当に楽しんで書けたの? 気持ち悪いだけじゃない。




森博嗣『有限と微小のパン』(講談社ノベルス)

 犀川&萌絵シリーズ10作目で最終作(なんでしょう?)。副題の「The Perfect Outsider」が示すように、第1作『すべてがFになる』、副題「The Perfect Insider」と表裏を成す作品。ということであの人が登場。日本最大のコンピュータ・ソフト・メーカが経営する長崎のテーマパーク「ユーロパーク」。ゼミ旅行の先発隊として先駆けてきた萌絵たちを待ちかまえていたように不可解な事件が連続する。そして萌絵はあの人と再会。あの人の目的は何か? そして事件の真相は?

 森博嗣最大の長編となったが、「あの人」(一応自主規制)が出てくるせいか、物語は緊迫感の連続。そのためか、長さを感じずに読むことができる。しかし読み終わった後には不満が残る。あえてここで「あの人」を出した意味が、私には読みとることができなかった。いずれは再登場するとは思っていたけれど、こういう使い方なのかとちょっとがっくり来たのだ。森博嗣がやりたいこと、言いたいことはこの部分なんだなと言うのは判らないでもないが、あまりにも表現が抽象的すぎて判りづらい。いや、抽象的という言い方は間違っているかもしれない。言葉が少ないのだ。あえて言葉を削っているように思える。他の部分では嫌となるほど言葉を使っているのに、あえてここで言葉を削った理由はなんだろう。ほんと、ミステリィだ。
   ちなみに連続する事件の方はあまり考えずに、というより考える暇を与えないままに終わっていた。そういうことを考えると、この本を読むのに夢中にはなったと言えるのだが、さて、この作品が傑作かどうかを考えるとちょっと疑問が残る。やはり森博嗣の面白さは従来のミステリとは別の所にあるようだ。とはいえ、単なるキャラクター小説とも違うし、何とも形容しがたい。やっぱりミステリィなのか? ★★★☆。



【元に戻る】