求刑死刑・判決無期懲役【1996年~2000年】






事件概要
罪 状
判 決
判決理由
備  考
N・I(31)  医師N被告は1994年10月29日未明、つくば市内の自宅で口論から妻(当時31)の首をロープで絞めて殺害。さらに、長女(当時2)と長男(当時1)も絞殺し、3人の遺体をビニール袋に入れて横浜市内に運び、海に捨てた。 殺人、死体遺棄 1996年2月22日
横浜地裁
松浦繁裁判長
無期懲役
 裁判長は「医師という社会的な地位にありながら、3人も殺害し遺体を遺棄した極めて重大な犯罪で、社会に大きな反響をもたらした。しかし、衝動的なもので、背景の夫婦げんかは被告の責めのみに帰することができず、深く反省していることなどを考慮すると無期懲役が相当」と述べた。
1997年1月31日
東京高裁
佐藤文哉裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「本件は冷酷非情な犯行で、被害者らに落ち度はなく、浮気に悩まされたあげく殺害された妻らの無念の情は察するに余りある」と指摘した。妻の遺族らが極刑を強く希望していることにも理解を示したが「被告は深く反省、悔悟しており、極刑がやむを得ないと認めるべき場合には当たらない。無期懲役は相当で、軽すぎるとも重すぎるとも言えない」と結論づけた。
1997年2月14日
被告側上告取り下げ、確定

石橋栄治(58)  1988年12月28日午後11時過ぎ、神奈川県平塚市内でタクシーに乗った土木作業員石橋栄治被告は、売上金を奪う目的で運転手(当時44)の首などをペティナイフで刺し失血死させた。遺体は同日午後11時50分頃、小田原市の路上で発見された。
 1989年1月1日未明、盗みの目的で神奈川県足柄上郡にある建設会社のプレハブ平屋建て作業員宿舎に侵入、山梨県出身の作業員(当時39)の所持金28000円を盗んだが、見つかったためカッターナイフで刺し殺した上、灯油をまいて火をつけ、同宿舎1棟約50平方メートルを全焼させた。
強盗殺人、現住建造物放火 1996年3月8日
横浜地裁小田原支部
☆原孟裁判長(☆草カンムリにノギヘンのノギ、その右に亀)
無期懲役
 判決では放火殺人事件について石橋被告の捜査段階の供述内容は合理的であると、石橋被告の無罪の主張を退けた。しかしタクシー運転手殺害事件では「犯行を認めた捜査段階の自白は、あいまいな知人の証言を基に捜査員の誘導や暗示で引き出された疑いが濃い」と指摘し、無罪とした。  再審請求中の2009年10月27日病死。72歳没。
1999年4月28日
東京高裁
佐藤文哉裁判長
一審破棄・死刑
 一審で無罪になったタクシー運転手殺害事件について裁判長は「自白の任意性に問題はない。供述に変換はあるが信用性に疑いは生じない」と判断した。
2004年4月19日
最高裁第三小法廷
藤田宙靖裁判長
被告側上告棄却、確定
判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
 判決理由で裁判長は「被告を犯人とした二審判決の事実認定は正当」とした上で「金欲しさから全く落ち度のない被害者に確定的な殺意のもとに行われた犯行で冷酷、残忍」と指摘。「自責の念もうかがえず、死刑は是認せざるを得ない」と述べた。
T・Y(30)  自動車修理業T被告は、1992年8月25日、鈴鹿市三日市町の市道で四輪駆動車を運転中に、散歩していた女子中学生を見つけ、いたずら目的で追突。車を後退させてひき殺した。遺体は三重県亀山市の石水渓で切断、同県阿山郡伊賀町の池に捨てた。このほか、1990年7月から1993年12月までの間に、新潟、千葉、福島の三県でも5人の女子中高生を襲い、うち一人には右目を失明させ言語障害などの後遺症を残す傷害を負わせた。合計14件の事件で強姦致傷、わいせつ目的略取などの罪に問われた。 殺人、死体損壊、傷害、強姦致傷、わいせつ目的略取他 1996年3月25日
津地裁
上本公康裁判長
無期懲役
 判決理由で裁判長は「被告は犯行を隠すために、車をバックさせてまだ息のあった女性をひき殺した」と検察側の主張した殺意を認定。しかし「被害者のめい福を祈らせるとともに、しょく罪の日々を送らせるのが相当」と述べた。  1999年2月に自殺したらしい(未確認情報)。
1997年6月5日
名古屋高裁
笹本忠男裁判長
検察・被告側控訴棄却
 判決理由で裁判長は、一審で弁護側が殺意がなかったと無罪を主張し争点となった鈴鹿事件について「現場で口封じのためひき殺した」などと殺意を認定した一審判決に「事実誤認はない」とした。しかし量刑に対する判断では、検察側の死刑の主張に「相当の根拠がある」としながらも、殺人は計画的でないことや別の事件で多量の出血に驚いて家人に電話するなど、被告の心に人間らしい感情が存在していることが認められる-などと指摘。「死刑をもって臨むについては、いまだわずかながら隔たりがあるというべきである」とした。
上告せず確定。
F・H(55)  F被告は1993年12月4日、岡山県倉敷市に住む父親(当時79)方を訪れ、金を無心したが、断られたうえののしられたため激怒。その場にあったナイロンひもで父の首を絞めて殺害。直後に帰宅した母(同74)も同様に殺して、現金3万円と預貯金通帳などを奪った。その後、二人の遺体を布団袋に入れて同県玉野市の山中に捨て、貯金約260万円を引き出した。 強盗殺人、死体遺棄他 1996年4月15日
岡山地裁
山森茂生裁判長
無期懲役
 裁判長は「犯行の内容や情状面でしん酌すべき点は無く、死刑も考え得るが、計画性は無く殺害方法も残虐とはいえない。命をもって償うよりも、一生をかけて罪を償うべきである」と述べた。  F被告は一審で「死刑が当然。早く執行してほしい」などと死刑志願の陳述をしていた。
1997年11月12日
広島高裁岡山支部
伊藤邦晴裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は極刑に該当するとは言い難いとして、無期懲役を言い渡した岡山地裁判決を支持した。
1999年12月21日
最高裁第三小法廷
元原利文裁判長
検察側上告棄却、確定
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 裁判長は決定で「身勝手、冷酷な犯行で被告の刑事責任は重く、死刑も考慮しなければならない事件だが、事前の計画に基づくものではない」と指摘。「被告には前科がなく事件前の一時期を除いて定職に就いており、犯罪と無縁の生活を送っていた。事件後、自分の命をもって償いたいとの心情を吐露するなど深く反省している。無期を破棄しなければ、量刑が軽すぎて著しく正義に反するとまではいえない」とした。
O・H(59)  金沢市の建設作業員O被告は、一緒に働いていた建設会社員の男性(当時18)から約40万円を借りた。この返済を求めてきた同僚の男性(当時19)を1994年10月28日深夜、金沢市内で、翌29日未明には金を借りていた男性を加賀市内でそれぞれロープで絞殺し、乗用車で石川県石川郡美川町内の住宅地の空き地に運んで捨てた。 殺人、死体遺棄、現住建造物等放火 1996年5月15日
金沢地裁
石山容示裁判長
無期懲役
 裁判長は 「自己中心的な犯行であり、酌量すべき事情はない」と断罪した。しかし死刑について「人間の存在の根源である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑で、真にやむを得ない場合における究極の刑罰」との見解を示し、「運用は慎重でなければならない」とした。殺人については、借金の返済を求められたことが引き金になって決意したものであり、「綿密周到な計画に基づくものでない」とした。同僚男性殺害はその言動に憤激したこと、借金をしていた男性殺害は同僚男性殺害の発覚防止が主な動機だったと認定し、金銭的苦境を脱するための強盗にも匹敵する利欲的な犯行とした検察側の主張を退けた。また矯正が不可能とも言い難いとして、「自ら犯した罪の重大さを自覚させ、反省と悔悟の日々を送らせて罪を償わせるのが相当」と述べた。
1997年9月25日
名古屋高裁金沢支部
高木実裁判長
検察・被告側控訴棄却
 被告側は「衝動的犯行で計画性はない」として有期懲役刑を求めていた。裁判長は「殺人の重大性から見れば、一審判決の量刑が重過ぎるとは到底言えない」と弁護側の主張を退けた。しかし同時に「計画的犯行とは言えず、極刑の選択がやむを得ない場合とまでは断定できない」と検察側の論旨も退けた。そして「死刑は人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、適用は慎重に行われなければならない。被告の刑事責任は重大だが、極刑がやむを得ないとは認められない」と述べた。
上告せず確定。
K・S(51)  ボイラー修理販売業K被告は、長男の障害などの問題を抱えた家庭生活から逃れ、愛人とよりを戻すため家族の殺害を決意。1993年2月14日午前3時半ごろ、自宅で就寝中の妻(当時43)、長男(当時10)、長女(当時17)をそれぞれ金属バットで殴って気絶させた後、灯油をかけて3人を焼死させた。 殺人、現住建造物等放火 1996年7月12日
福岡地裁小倉支部
浜崎裕裁判長
無期懲役
 弁護側は、「被告は極度のストレスで無謀な行動に走る恐れがある微細脳器質性格変化症状群(マイボックス)という脳障害。責任能力が著しく低下していた可能性がある」とする福島章・上智大教授(精神医学)の鑑定書を提出、心神耗弱として刑の減軽を求めた。
 裁判長は「殺害方法の残虐性、結果の重大性、被害者数、放火による公共の危険の発生、犯行後の情状の悪質さなどを考慮すると、刑事責任は極めて重大」とした。しかし、「長男の(知的)障害が判明したあと、父親として障害の回復を願って精いっぱい努力した。その努力にもかかわらず、一向に障害に改善の兆しが見られないために失望し、精神的に疲れてこの問題から逃避したいとの気持ちを抱いたことは十分に同情できる」とした。争点となっていた被告の責任能力について判決は、「犯行当時、憂うつな精神状態にあったが、鑑定人の精神状態鑑定書などによれば、程度は軽度で、物事の是非善悪を弁識する能力が著しく低下していたとは認められない」とし、弁護側の心神耗弱の主張を退けた。
 
1997年12月4日
福岡高裁
坂井智裁判長
検察側控訴棄却
 判決理由で裁判長は「動機は自己中心的。短絡的な犯行で極刑を視野に入れて考察すべきだ」としたが、「犯行は計画的な一面もあるが、ずさんで稚拙。家庭の重圧から逃れたいという感情に駆られた性急な側面が強く、衝動的な犯行。長男の障害などに心を痛めており同情の余地がある」と述べ、情状を酌んだ。そして「逮捕後は反省しており更生する可能性も十分にある。遺族には深い同情を禁じ得ないが、死刑をもって臨む事案とはなお若干の隔たりがある」と述べた。  
上告せず確定。
N・H(53)  大阪府岸和田市のN被告は鉄工所の経営が行き詰まったことから、知り合いの銀行行員(当時31)を殺害して現金を奪おうと計画。1994年10月28日、集金に訪れた行員の頭を鉄製ブロックで殴るなどして殺害、現金23万円を奪った上、和歌山県那賀郡内の山林に遺体を捨てた。さらに行員が生きているように装い、銀行に身代金8000万円を要求する脅迫状を送り付けた。 強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂 1996年12月9日
大阪地裁堺支部
河上元康裁判長
無期懲役
 公判で被告・弁護側は「口論となり、かっとなってやった。現金は、遺体を捨てようとして偶然見つけ、金目当ての殺人ではない」などと主張した。
 裁判長は「金欲しさの冷酷で卑劣な犯行だ」と指摘した上で、死刑を回避した点について「改善、更生の余地がないとは言えない」「被害者は一人で、近年の死刑適用の状況を考慮すると、刑事責任は極めて重大だが死刑の選択はちゅうちょせざる得ない」と述べた。
 
1998年1月13日
大阪高裁
高橋金次郎裁判長
検察・被告側控訴棄却
 被告側は「現金を奪う意図はなく、強盗殺人罪には当たらない」などと主張、検察側は「死刑が妥当」と主張した。
 裁判長は「動機、遺族の無念さなどを考えると極刑を考慮すべきだが、反社会的性格の改善の可能性が全くないとも言えず、最高裁判決の死刑適用例などを考慮すると極刑を回避すべき事案だ」とした。
1999年12月16日
最高裁第一小法廷
遠藤光男裁判長
検察側上告棄却、確定
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 裁判長は決定で「残忍な事件で死刑も考慮されなければならないが、計画性は低く、動機となった鉄工所の多額負債も遊興などの結果ではない。大きな前科もない」とした。
O・H(60)  運転手O被告は妻の借金の返済に困り、1996年1月15日、知り合いの農家の男性(当時75)方に侵入。屋内を物色中に見つかり、男性と妻(当時71)の首を絞めて殺害し、遺体を柏市内の利根川河川敷に埋めた。さらに夫婦から奪った預金通帳などを使い、現金114万円を引き出した。 強盗殺人、死体遺棄他 1997年2月3日
千葉地裁
吉本徹也裁判長
無期懲役
 殺害が計画的か偶発的かが争点となった。検察側は「侵入する前から、見つかったら殺すことを覚悟していた」と主張。弁護側は「とっさの偶発的な行動」と反論した。
 裁判長は「突発的なものであり、事前の計画に基づくとはいえない」とし、検察側の主張を退けた。そして「動機は身勝手極まりなく、極めて悪質」と断罪しながら、「自身が招いたとは言えない家族の借金で精神的に追い詰められていた」と、一定の情状を認めた。

1999年4月27日
東京高裁
神田忠治裁判長
検察側控訴棄却
 検察側は量刑不当を訴えて控訴したが、裁判長は「犯行は偶発的かつ突発的だった」と一審同様の判断を示した。
上告せず確定。
山崎義雄(61)  無職山崎義雄被告は寺執事(求刑無期懲役に対し、懲役15年判決が確定)と共謀し、死亡保険金を得だまし取ろうと計画。1985年11月、寺執事から借金をしていた宮崎県の主婦(当時49)をひもで絞めて殺し、寺執事の妻(懲役3年が確定)も手伝い、首吊り自殺を装った。山崎被告らは約2200万円の保険金を分配した。山崎被告は、報酬として700万円を受領した。
 1990年3月、松山市の運転手(懲役11年が確定)と共謀、香川県に住む主婦のおいである食品販売業(当時48)にも寺執事を受取人とする保険が掛けられていると思いこみ、徳島県の山中に呼び出して鉄亜鈴でめった打ちにして殺害。事故死に見せかけるため、遺体を高知県内の林道下に捨てた。保険は契約が失効していた。
 保険金詐欺、死体遺棄罪については時効が成立(1995年1月、初公判)、起訴されていない。
殺人 1997年2月18日
高松地裁
重吉孝一郎裁判長
無期懲役
 裁判長は保険について、被害者側が山崎被告らから金を借りる目的などで積極的に加入、当初から殺害目的で契約されたものではないと認定、「計画的で残虐な犯行だが、矯正の可能性が皆無とはいえない」「共犯者にしつこく犯行を持ち掛けられた面があり、殺害を前提に保険に加入したわけでもなかった」などとして無期懲役を言い渡した。  山崎被告は、主婦殺害は無罪、食品販売業者殺害は委託殺人を主張した。2008年6月17日、執行。73歳没。
2000年10月26日
高松高裁
島敏男裁判長
一審破棄・死刑
 裁判長は「保険金目的の殺人を2回も犯し、まれに見る凶行。周到に計画しており卑劣で冷酷だ。遺族への真しな謝罪もなく、情状を考慮したが死刑を回避する理由が見当たらない」とした。
2005年1月25日
最高裁第三小法廷
上田豊三裁判長
被告側上告棄却、確定
 裁判長は判決理由で「2人の生命を奪った結果は極めて重大で、慰謝の措置も講じられていない。二審の死刑判決はやむを得ないと是認せざるを得ない」と述べた。
山口益生(49)  山口被告、N被告は元暴力団員の男性(当時43)ら3人とともに1994年3月、岐阜県加茂郡の古美術商宅に押し入り現金100万円などを奪った。しかし暴力団員の男性が威圧的な態度をとったことから殺害を計画。仲間1人と共謀して4月、四日市市内の山口被告のマンションで男性の首をアイスピックで刺したうえ、現金400万円を奪って絞殺した。
 1995年3月末、四日市市にある古美術商の男性(当時50)を同様の方法で殺害、現金約430万円を奪った。遺体はともに丸山ダムに捨てた。
強盗殺人、死体遺棄、強盗、殺人、窃盗 1997年3月28日
津地裁四日市支部
柄多貞介裁判長
死刑
 裁判長は判決理由で「遺体を捨てて犯行の隠ぺいを図った。執ようかつ残虐。被害者の無念の情は筆舌に尽くし難い。被告人両名は反省を示し、死刑の適用には慎重さが求められることを考慮しても、両名は極刑にすべきだ」と述べた。  N被告は一・二審死刑判決。上告中の2001年7月2日に病死。
1997年9月28日
名古屋高裁
土川孝二裁判長
一審破棄・地裁差戻
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 裁判長は「極めて重い刑に処せられることが予想される裁判では、弁護人は被告に少しでも有利な事情を主張する必要があるが、両被告の利害は対立するため、同一の弁護人では立証活動はできない」と述べた。そして「両被告の利害が反するにもかかわらず、国選弁護人が一人では十分な弁護活動ができない」として、国選弁護人の選任権を持つ裁判所の訴訟手続きの違法性を指摘し、津地裁へ差し戻した。
1999年6月23日
津地裁
柴田秀樹裁判長
無期懲役
 裁判長は「最初の事件で、山口被告はN被告の指示で首を絞めた。二番目の事件では、犯行の持ち掛けから実行まで、N被告が主導的役割を果たしている」などとして、両被告の刑事責任に軽重を付けた理由を述べた。
2001年6月14日
名古屋高裁
小島裕史裁判長
一審破棄・死刑
 裁判長は「周到な計画的殺人で、真摯な反省の態度も見られず、極刑もやむを得ない」と述べた。
2006年2月24日
最高裁第二小法廷
今井功裁判長
被告側上告棄却、確定
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 裁判長は「動機に酌量の余地はなく、犯行は計画的で冷酷、非情、残忍。共犯とともに積極的に実行行為に及んだ」と述べた。
Z・H(43)  暴力団組員Z被告は幹部M容疑者(殺人容疑などで指名手配中)と共謀。1990年11月23日午後11過ぎ、沖縄市安慶田の空き地で、駐車中の覆面パトカー車内で、抗争事件の取り締まりに当たっていた沖縄署の巡査部長(当時43)と巡査(同42)を、対立する沖縄旭琉会組員と間違え、助手席の外から短銃を五発発砲。両警官の頭部や胸などを撃ち、即死させた。また、乗用車で近くを通りがかった主婦(当時49)に犯行を目撃されたと思い、追い払おうと右手に持った短銃を振ったところ、誤って引き金を引き、主婦の左足に約二か月の重傷を負わせた。 殺人、重過失傷害他 1997年10月30日
那覇地裁
長嶺信栄裁判長
無期懲役
 Z被告は公判で犯行を否認、「別の者の犯行で、身代わりで逮捕された」などと無罪を主張した。
 裁判長は「死刑は究極の刑罰であり、適用には慎重でなければならない。近年の死刑の適用傾向をも考え合わせると、躊躇を感じざるを得ない」としたうえで、「仲間が逮捕され、自らがヒットマン役にならざるを得なかったという面があり、その経緯に同情の余地がないではない。殺害の対象者も特定されていた訳でなく、計画的犯行とは言えない」と述べた。
 1990~92年にかけて県内で発生した沖縄旭琉会と三代目旭琉会による内部抗争では、対立組員と間違われ定時制高校生が射殺された。対立暴力団も構成員4人が殺され、負傷者13人も出たほか、手製爆弾航空機持ち込み事件も発生した。1992年2月、両旭琉会の代表が抗争の終結宣言を行い、表だった抗争は事実上、終結した。警察庁が暴力団対策法を制定するきっかけの一つになった。
 Zには殺人前科(懲役7年)あり。犯行現場にZとともに居合わせた中学2年生の少年(当時14)はぐ犯少年として家庭裁判所に送致されている。
 Mは2000年10月ごろ、県外組織の援助で京都府内の病院を受診した際に脊髄へのがん転移が見つかり、自力歩行は不可能な状態だったことが捜査で判明している。2018年、沖縄県警はMが既に死亡している可能性が高いとみて、容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検することを視野に捜査を進めている。
2000年3月9日
福岡高裁那覇支部
飯田敏彦裁判長
検察・被告側控訴棄却
 検察と被告側双方が量刑不当と控訴した。Z被告は控訴審公判の被告人質問でこれまでの主張を翻し、事件への関与を供述。実行犯はM容疑者であり、犯行の指示者が暴力団組織幹部であると述べた。犯行のきっかけは、同一家事務所前で高校生が殺害された事件があり、その仕返しが背景にあるとした。Z被告の供述に基づき、弁護側も公判で無罪主張を変更。Z被告はM容疑者の犯行を手助けした「ほう助犯」と主張し、量刑上「必要的減軽事由にあたる」として、一審の無期懲役判決をさらに減軽するよう求めた。
 裁判長は争点となったZ被告の銃撃状況などの自白調書の信用性についても「被告が本件の実行犯であるとした一審判決には、何ら事実誤認はない」と述べ、Z被告を再び殺害の実行犯と認定した。そして最高裁の示した死刑適用に関する厳格な基準を示し、「被告人の極刑がやむをえないと認めるにはなお躊躇を覚えるといわざるを得ない。犯行の計画性は高いとはいえず、更生の可能性も絶無とはいえない」と述べた。
上告せず確定。
Y・S(40)/U・M(38)  元建設作業員のY被告とU被告は1996年6月21日午後7時5分ごろ、沖縄県名護市伊差川の農道で、下校中の中学三年生の女性(当時15)を、道を聞くふりをして呼び止め、ワゴン車に引きずり込み、国頭村内で暴行し、午後9時半ごろ、同村楚洲の林道上で首を絞めて殺害。遺体をがけ下に捨てた。 殺人、死体遺棄、わいせつ目的誘拐、強姦 1998年3月17日
那覇地裁
林秀文裁判長
無期懲役
 裁判長は計画性が弱いこと、法廷で謝罪したこと、前科がないこと、更生の可能性があることなどのの事情も考慮。「死刑に処すべきという検察官の意見にも相当の理由があり、被害者の遺族の心情は痛ましいというほかない。しかし、死刑は極刑がやむを得ないものと認められる場合に選択することが許される究極の刑罰である。その適用には慎重でなければならず、死刑をもって処断するにはなお躊躇を感じざるを得ない。無期懲役に処し、終生、被害者のめい福を祈らせ、しょく罪の道を歩ませるのが相当である」とした。
1999年9月30日
福岡高裁那覇支部
飯田敏彦裁判長
検察側控訴棄却
 検察側は量刑不当として控訴。「役割分担や準備をした上での計画的犯行。強姦だけでなく所持金を奪おうとも計画しており、強盗殺人にも匹敵し極めて悪質」とした。
 裁判長は「死刑は犯行の残虐性、結果の重大性、ことに被害者の数などを考察し、極刑がやむを得ない場合に限って許される。本件犯行の動機は身勝手極まりなく、被害者の恐怖や苦痛は絶大で、遺族が極刑を求める心情も十分理解できる。しかし被害者は1名で場当たり的。計画性が高いとは言い切れない。被告両人は反省しており、更正可能性を期待してよい。これらを考慮すると極刑がやむを得ない場合には当たらない。無期懲役に処した原判決の量刑が軽すぎるとは認められない」と述べた。
上告せず確定。
K・H(38)  無職K被告は会社役員浜川邦彦被告と共謀し、1994年7月19日午後1時頃、三重県鈴鹿市の保険代理業(当時36)を市内の産廃処分場に誘いだし射殺。アタッシュケースや時価約400万円の乗用車を奪うとともに、奪った預金通帳から現金1000万円を引き出した。遺体を21日午前6時頃、三重県久居市の造成地にパワーショベルを使って埋めた。
 さらに1994年10月27日、鈴鹿市内で金融業を営む男性に対し拳銃を突きつけ、約束手形の差し入れと引き替えに現金100万円を脅し取った。
 1994年11月20日、K被告、浜川邦彦被告は男性(一審懲役8年が確定)と共謀し、三重県小俣町の輸入販売業(当時63)を伊勢市内の空き地に呼び出し射殺。手提げ鞄や乗用車、宝石、預金通帳などを奪い、通帳から247万円を引き出すとともに、クレジットカードで商品を騙し取った。遺体は22日、久居市の造成地に埋めた。
恐喝,強盗殺人,死体遺棄,有印私文書偽造,同行使,詐欺 1998年6月3日
津地裁
柴田秀樹裁判長
無期懲役
 裁判長は「一連の犯行は浜川邦彦被告が主導的役割を担った。K被告は真しに反省しており更生の可能性がある。死刑を宣告するにやむを得ない場合とは言えない」と述べた。  浜川邦彦被告は無罪を主張するも一・二審死刑判決。2007年7月5日、上告棄却、確定。
 二審で裁判長はK被告に向かって「仮出獄を期待するかもしれないが、そう簡単ではない」と指摘。最近、仮出獄が認められたケースを挙げながら「君の場合のような重大犯罪の場合には、少なくとも20年は入っている。身元引受人がいない場合には、35-40年も入っており、そのまま命を落とす場合もある」と話した。ここまで述べると、裁判長は感極まったのか、声を詰まらせながら「君の場合は終身かもしれない。覚悟しておきなさい」と宣告し、最後に「今後、遺族に対する慰謝の措置を真剣に考えるように」と諭している。
2000年4月19日
名古屋高裁
堀内信明裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「短銃を使用して短期間に二件の強盗殺人を行い、奪った通帳で預金を引き出した犯行の罪質は重大で、動機に斟酌すべきものはない。被告が果たした役割は相当重要なものであり、検察側の死刑求刑にも相当の理由がある」と指摘した。その一方で「犯行の主導的役割を果たしたのは被告ではなく、被告の供述が事件の真相解明に役立ったとの事情を考慮して無期懲役とした一審判決の判断に誤りはない。量刑が軽すぎて不当とまではいえない」と結論づけた。
2005年7月15日
最高裁第二小法廷
津野修裁判長
検察側上告棄却、確定
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 被告の2つの犯行について、「大金目当ての著しく悪質な犯行」と指摘。その一方で、「常に主導的な役割を果たした浜川邦彦被告に比べれば、積極的な犯行ではない」「進んで詳細な自供をした」「同種の前科がない」などの事情があるとし、「死刑の選択を十分考慮しなければならない事件だが、一・二審判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない」として、無期懲役とした一・二審の判断を追認した。
F・M(46)  暴力団組長Y被告、組員F被告、元少年被告(無期懲役が確定)、A被告(懲役13年が確定)は資産家から金を奪おうと共謀。Y被告の指示で、F被告と元少年被告が2人で1991年7月29日未明、神戸市北区の不動産会社社長の男性(当時75)方に押し入り、拳銃で脅して約20万円を奪ったうえ、男性と長女(当時42)を兵庫県姫路市内の暴力団事務所に連れ込んだ。Y被告ら4人でさらに金を要求したが拒否されたため首を絞めて殺害。犯行を隠すために遺体を焼却炉で焼いた。 強盗殺人、死体損壊、銃刀法違反、火薬類取締法違反、強盗予備、覚せい剤取締法違反、道路交通法違反 1999年1月27日
神戸地裁姫路支部
加島義正裁判長
無期懲役
 Y被告の指示だったことや反省していることから無期懲役が言い渡された。  逮捕の端緒となった拳銃・実砲押収による銃刀法、火薬類取締法違反容疑については、違法が積み重なった捜査と認定され、無罪となった。無実を主張していたY被告は一・二審死刑判決。上告中に病死。
2001年9月27日
大阪高裁
白井万久裁判長
検察側控訴棄却
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 裁判長は「反省していることなどを考慮した一審判決に誤りはない」とした。
上告せず確定。
岡下香(51)  不動産ブローカー岡下香被告は、愛人の女性(詐欺で懲役5年が確定)と共謀し、東京都杉並区でアパートを経営する一人暮らしの老女(当時82)から土地をだまし取ろうと計画。女性は1989年6月から老女の経営するアパートに入居し、温泉旅行に連れ出すなど老女に接近した。さらに元保険代理業の男性(当時38)を長期入院中の老女の長女と戸籍上の結婚をさせた。そして1989年7月から9月にかけて、岡下被告らは老女が所有する杉並区内の土地の売買契約書を偽造し、不動産会社に勝手に転売して約2億800万円をだまし取った。
 事件の発覚を恐れた岡下被告は、10月、杉並区内の自宅マンションで老女の首を絞めて殺害した。岡下被告はさらに共犯者の男性を短銃で射殺し、首を切った後岐阜県の渓谷に捨てた。
殺人、死体遺棄、詐欺他 1999年3月11日
東京地裁
山崎学裁判長
無期懲役
 裁判長は老女殺害の計画性を否定したものの、犯行そのものを批判。しかし「逃亡生活中の苦労から真面目に労働することの重要性を認識し、一端の人間性を示した」と指摘し、「極刑よりは無期懲役にして終生、被害者のめい福を祈らせるべき」と結論付けた。  2008年4月10日執行。61歳没。
2001年5月17日
東京高裁
吉本徹也裁判長
一審破棄・死刑
 裁判長は「周到な計画的殺人で、真摯な反省の態度も見られず、極刑もやむを得ない」と述べた。
2005年3月3日
最高裁第一小法廷
泉徳治裁判長
被告側上告棄却、確定
 裁判長は「金銭的利欲のための計画的な犯行で、冷酷、非情だ。公判廷でも不自然な弁解をしており、自責の念がうかがえない」などと述べた。
S・S(25)  水戸市の塗装業S被告は従業員U被告、同Sさんと共謀、1994年10月21日午後9時ごろから22日午後8時ごろまでの間、S被告の自宅兼塗装会社事務所で従業員のMさん(当時24)に「営業に行っても、仕事を持ってこない」などと因縁をつけ、の頭やしりなどを数十回殴った上、顔全体に粘着テープを巻きつけるなどして窒息させて殺害。同月24日ごろ、Mさんの死体を栃木県内の山林に運び、がけ下に遺棄した。Mさんは養護施設でS被告の先輩だった。
 さらに12月8日午前0時頃、S被告の自宅兼塗装会社事務所で、S被告、妻、U被告、Sさん(当時21)の4人と野球ゲームをしていたが、S被告が負けだしたことから不機嫌になり、金属バットでU被告の頭を数回殴打。さらに普段から快く思っていなかったSんに、酔っ払って激高し始め、執ように殴り続け、浴槽の水中に押し込むなどして殺害した。S被告は1992年3月の塗装店開業当初から、中学の同級生だったU被告やSさんら従業員が注文を取れないと殴る、蹴るの暴行を加えていた。
 後者の事件が発覚して逃走。逮捕される1995年2月までに、共犯者を刺殺しようとしたほか、山口県宇部市で強盗致傷事件、兵庫県尼崎市で窃盗事件をそれぞれ起こした。
殺人、殺人未遂、強盗致傷、死体遺棄他 1999年5月13日
水戸地裁
松尾昭一裁判長
無期懲役
 弁護側は、「S被告には、自分を破滅的状況に追い込みたい自己敗北型精神障害がある」とする福島章・上智大教授の精神鑑定結果に加え、養護施設で育ったS被告の不遇な生い立ちなどから、情状酌量を求めていた。
 裁判長は同被告の犯行を「残忍極まりない」と断じた一方で、「不遇な生い立ちが、反社会的性格の形成に大きく影響し、それが事件の背景にあった」と認め、S被告が公判で「人として許されないことをしたのだから、極刑も当然の報い」と自ら死刑を望んだ点についても「反省の態度」とし、犯行当時20歳から21歳と若かったことなどを考慮し、「極刑にはちゅうちょせざるを得ない」と述べた。
 共犯のU被告は途中から分離公判に。1997年6月9日、水戸地裁(松尾昭一裁判長)で懲役16年(求刑懲役20年)判決。控訴せず確定。
2000年9月4日
東京高裁
荒木友雄裁判長
検察・被告側控訴棄却
 検察、被告双方が量刑不当を理由に控訴した。
 裁判長は「仕事上の不手際を理由に二人を殺害するなど結果は重大だが、犯行は仲間いじめの延長の偶発的な面もあり極刑で臨むにはちゅうちょせざるを得ないとした一審判決は相当」と述べた。
上告せず確定。
持田孝(55)  持田孝被告は1989年12月、飲食店で知り合った日本たばこ産業(JT)社員の女性を強姦して、全治2週間の怪我を負わせた。さらに1週間後、強姦事件をネタに10万円を脅し取ろうとしたが、女性が警視庁城東署に通報したため逮捕され、強姦致傷、窃盗、恐喝未遂で懲役7年の実刑判決を受けた。
 1997年2月に出所。女性が事件を通報したせいで逮捕されたと逆恨みしていた持田被告は、1997年4月18日21時30分頃、東京都江東区の団地エレベーターホールで、女性(当時44)を包丁で刺して殺害し、ハンドバッグなどを盗んだ。
殺人、窃盗 1999年5月27日
東京地裁
山室恵裁判長
無期懲役
 裁判長は「被害者が一人で、利欲目的ではない」と述べた。  持田被告は1976年、深い関係にあった家出中の16歳の少女に別れ話を持ち出されて逆上、広島市のホテルで殺害、懲役10年の前科がある。
 2008年2月1日執行、65歳没。
2000年2月28日
東京高裁
仁田陸郎裁判長
一審破棄・死刑
 裁判長は「被害者の訴えで逮捕されたことを深く恨んだ末の極めて理不尽で筋違いの犯行。被害者には何の落ち度もなく殺害を目的とした動機は利欲的な殺人と変わらないぐらい悪質」と指摘。さらに「強固な殺害意志に基づく高度の計画性」などを挙げたほか、持田被告に殺人の前科があることや遺族感情などにも言及し「死刑をもって臨むのもやむを得ない」と述べた。
2004年10月13日
最高裁第二小法廷
滝井繁男裁判長
被告側上告棄却、確定
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 裁判長は「特異な動機による誠に理不尽で身勝手な犯行だ」と指摘。「計画性が高く、強固な殺意に基づいており、冷酷、残虐。社会に与えた影響も大きい」とした上で、殺人罪で1977年に懲役10年に処せられた前科があることも考慮、「死刑の判断は是認せざるを得ない」と結論付けた。
O・N(38)  元トラック運転手O被告は、付き合っていた大阪府枚方市のタイル職人(当時40)の妻(当時23)から交際の継続を拒絶されたことに立腹。1996年4月30日未明、枚方市のタイル店従業員寮1Fの男性方で、男性と妻の胸や背中を刺身包丁で刺して殺害。室内にガソリンをまいて放火し、夫婦の長女(当時2)を焼死させた。 殺人、現住建造物等放火他 1999年6月25日
大阪地裁
大島隆明裁判長
無期懲役
 裁判長は犯行翌日に自ら出頭したことなどを挙げ、「死刑には躊躇を感じざるを得ない」とし、「短絡的、自己中心的動機による残忍で冷酷な犯行だが、被害者のめい福を祈らせ、贖罪に務めさせるのが適当」として無期懲役を言い渡した。O被告は「死刑を望みます」と述べていたが、裁判長は判決後「気持ちは分かるが、生きて地獄をきちんとみて罪の重さに苦しんでほしい」と諭した。  
2001年1月19日
大阪高裁
森真樹裁判長
検察側控訴棄却
 検察側は「放火すれば長女が死ぬのは分かっており、長女について未必の殺意にとどめ、無期懲役にした一審判決は誤りだ」などと控訴。裁判長は、「犯行は冷酷、残忍で死刑も検討すべきだが、被告の心情に一定の酌むべきものがある」として、検察側の控訴を棄却した。
上告せず確定。
N・H(65)  無職N被告は1991年、山一証券との取引で約4,600万円の損失を出し補てんを求めたが、弁護士を代理人として同証券が拒否したため、弁護士への報復を決意した。1997年10月10日、東京都小金井市の弁護士方で、宅配便を装って弁護士を呼び出そうとしたが弁護士の妻(当時63)に怪しまれ、とっさに刺殺した。 殺人 1999年9月6日
東京地裁
木村烈裁判長
無期懲役
 裁判長は(1)主な動機は報復にあり、強盗殺人に匹敵するとまでは言えない(2)被害者への殺意は弁護士殺害の目的が果たし得ないと考えた際とっさに生じたもので計画性までは認め難い――と判断した。そして「山一証券が損失補てんに応じないことについて弁護士を逆恨みした犯行で、身代わりに妻を殺害された遺族の悲しみは計り知れない。しかし、被害者数などを考えると、究極の刑罰である死刑の選択が真にやむをえないとは言い難い」と述べた。  恐喝未遂、恐喝の前科有り。弁護士は後に全国犯罪被害者の会(あすの会)を設立し、代表幹事に就いている。
2001年5月29日
東京高裁
河辺義正裁判長
検察・被告側控訴棄却
 検察側は「法治国家に挑戦した野蛮な犯行」と一審同様、死刑を求め、被告側は「確定的殺意はなく、無期懲役は重すぎる」と主張した。
 裁判長は「正当な職務を行った弁護士を逆恨みして付け狙い、身代わりとして妻を殺害したもので、卑劣極まりない。公判でも犯行を真摯に反省しているとは言えない」と厳しく指摘。しかし、量刑については「被害者1人の殺人事件である上、強盗殺人や身代金目的誘拐を伴う殺人などとは犯情が異なる。死刑の選択がやむを得ないとまで認めることはできない」と述べ、死刑を求めた検察側の主張を退けた。
上告せず確定。
O・T(33)  F銀行春日部支店行員O被告は顧客だったマッサージ師(当時74歳)、妻(同67歳)に対し、定期預金を運用すると偽って解約させた。この金で不正に浮き貸しを行ったが、2500万円の債務を負った。本店転勤が決まり、発覚を恐れたO被告は1998年7月2日、2人を絞殺し、返済の意思を裏書して渡した自分の名刺1枚を奪った。 強盗殺人 1999年9月29日
浦和地裁
須田まさる裁判長(「まさる」の漢字は賢の又が忠)
無期懲役
 裁判長は強盗殺人罪の成立を認めたうえで「銀行員としてあまりに非常識で職業倫理に背く場当たり的な行動。体の不自由な夫妻を連続して殺害した卑劣かつ冷酷な犯行」と断罪した。しかし「一攫千金を狙った強盗殺人とは同列でない。犯行は自己中心的で短絡的だが、被告は反省を深めており、矯正の可能性がある。年齢が若いことや前科のないこと、また富士銀行側が使用者責任を認めて賠償していることなどから、極刑以外にないと断ずるにはちゅうちょがある」と述べた。  
2000年12月20日
東京高裁
高橋省吾裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「動機が極めて自己中心的、短絡的で酌量の余地がまったくない。大手都銀の行員が犯人だったことから社会的影響も大きい」とO被告の刑事責任は重大と述べ、「極刑をもって臨むべきだという検察官の主張は、十分傾聴に値する」とした。しかし、(1)名刺の強奪については利欲性がそれほど高いとは言い難い(2)殺害をためらう気持ちが出た(3)銀行が遺族に相当高額の金品を支払う調停が成立し、その被害弁償は犯行の被害を補てんする――など情状を酌量すべき事情があると指摘した。そのうえで「無期懲役判決が軽きに失して不当とは言えない」と判断した。
上告せず確定。
S・H(46)  岩手県葛巻町の運転手S被告は1998年4月7日午後0時20分ごろ、岩手県葛巻町の自宅前を自宅前を通りかかった小学2年の女児(当時7)に「遊んでいかないか」と声をかけて誘い込み、自宅内で女児にいたずらした。発覚を恐れて女児の首をビニールひもで殺し、午後7時半ごろ、同町内の山林に遺体を捨てた。 強姦、殺人、死体遺棄 1999年11月24日
盛岡地裁
須藤浩克裁判長
無期懲役
 量刑では、動機や犯行内容に酌量の余地がないと厳しく批判しながらも、犯行は衝動的で計画性がない▽被害者をむりやり連れ去った訳ではない▽際立った前科がない――などと指摘した。  一審3月に検察側が死刑を求刑し結審したが、6月に新たな証拠調べのため裁判所の判断で審理を再開した。殺害時にビニールひもをかけた器具について、判決は「くぎだった」という被告側の主張を認めたが、量刑の判断には影響はなかったとみられる。
 二審判決で裁判長は、無期懲役刑の運用について「受刑後20年前後で仮釈放が検討される例もあるが、この事件は短期間で仮釈放されるようなものでない。仮に検討されるなら遺族の意見を聴くなどすることを特に希望したい」と付け加え、遺族の被害感情への配慮をみせた。
2000年11月14日
仙台高裁
泉山禎治裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長はいたずらの犯意の発生時期について「女児を誘い込もうとした時点であわよくばいたずらしようという意図があった」とし、「犯意を生じたのは誘い込んでから」とした一審判決の事実認定は誤りと判断した。量刑不当の理由として検察側が指摘した犯行の計画性については「強姦から殺害、死体遺棄の犯意はそれぞれ前の行為の終了後に形成されたもの。当初から強固で一貫した意思が認められるとはいえない」と判断。「用意周到に準備された計画的な犯行」とする検察側の主張を退け「極刑がやむを得ないと認められる場合には当たらない」とした。
上告せず確定。
F・Y(49)  借金の返済に困った土木作業員沢本信之被告、同M被告、無職F被告は、フィリピン人のスナック従業員2名(当時24、28)が不法滞在のため、銀行口座を持たずに現金を自宅に保管していると考え、殺害して奪うことを計画。1998年12月25日、偽装結婚を持ちかけ、二人が住んでいた三重県松坂市のアパートに上がり込み、首をネクタイで閉めて殺害。現金13000円とネックレスなど四点(計25万円相当)を奪った。
 沢本、M両被告は1998年5月末、名古屋市内のパチンコ店に押し入り、従業員を殴って頭に6ヶ月のけがをさせたうえ、現金約1920万円を奪った。
強盗殺人、住居侵入、強盗致傷 2000年3月1日
津地裁
柴田秀樹裁判長
死刑
 裁判長は「死刑は究極の刑で、生命の貴さは被告人にも与えられる原理だが、犯行は法の予想する最も重い部類に属すると言わざるを得ない」「あまりに執ようで冷酷非情な犯行。自らの生命をもって償うしかない」と述べた。  M被告は2000年10月8日、収監先の名古屋刑務所で病死。51歳没。森本信之(旧姓沢本)被告は2004年12月14日、上告棄却、死刑確定。沢本被告は「F受刑囚は主犯格で、自分は従属的であった。F受刑囚は虚偽供述を行ったことより判決内容が事実と異なってしまい、精神的損害を受けた」としてF受刑囚を相手に民事訴訟を提起した。
2001年5月14日
名古屋高裁
堀内信明裁判長
一審破棄・無期懲役
 「計画性の高い非情かつ残忍な犯行。動機は自己中心的で酌量の余地はなく、刑事責任は重大」と述べた。F被告の一審判決を破棄して無期懲役とした点については、「沢本被告は事件の発端を作り、主導的、中心的役割を果たした。F被告は殺人の実行犯だが、従属的な立場だった上、遺族に謝罪金を払い、更生の可能性はある」と述べた。
上告せず確定。  
O・K(58)  1997年10月28日、O被告は知人の男性(当時57)の郵便貯金20万円を無断で引き出したが返済を迫られ、仮出所が取り消しになることを恐れて新宿の駐車場で殺害し、預金通帳などを奪い約30万円を引き出した。 強盗殺人、有印私文書偽造、同行使、詐欺 2000年3月10日
東京地裁
秋吉淳一郎裁判長
無期懲役
 裁判長は「殺人で服役した後の仮出所中の犯行で、被告の反社会性から死刑の選択が検討されるべき事件」と指摘。しかし「綿密な計画に基づく犯行とまでは言えない。被告は仮出所後、短期間だが更生のため努力していた」などとし「死刑の選択がやむを得ないとまでは認められない」と述べた。  O被告は1984年に前妻を殺害し懲役12年の判決を受け服役。事件当時は仮出所中だった。
2001年9月26日
東京高裁
中西武夫裁判長
検察・被告側控訴棄却
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 裁判長は「被害者は一人であり、用意周到で綿密な犯行とまでは言えず、死刑がやむを得ないとは認められない」と述べ、極刑を求めた検察側主張を退けた。弁護側は殺害の時点では金品奪取の目的はなく、殺害後にはじめて金品奪取の意思が生じたに過ぎないから殺人罪と窃盗罪が成立するにとどまるとともに、被害者に依頼されて預金通帳から現金を引き出したので無罪であると主張したが、退けられた。
2003年6月2日
最高裁第一小法廷
深沢武久裁判長
被告側上告棄却、確定

久堀毅彦(36)  大阪府の水産ブローカー久堀毅彦被告は金銭関係のもつれから、調理師、元会社員と共謀し、1992年2月9日午前零時頃、自動車販売業の男性(当時29)を飲みに誘った後自宅へ送り、車を降りた直後に用意した紐で首を絞めて殺害した。2月11日、知人の自動車修理業O被告も加わり、O被告が経営する自動車修理工場敷地に遺体を埋め、上からコンクリートで覆った。
 1994年4月、久堀被告、O被告は右翼団体幹部Y被告に誘われ、大阪府の自称建設業、実際は新幹線のチケットなどを取り引きする仕事をしていた右翼団体幹部の男性(当時54)に架空の収入印紙の取引を持ちかけ、現金1000万円を用意させた。4月28日、河内長野市の病院駐車場で男性の首を紐で絞めて殺害。現金などを奪い、30日に琵琶湖へ遺体を捨てた。
強盗殺人、殺人、死体遺棄 2000年3月16日
大阪地裁堺支部
古川博裁判長
無期懲役
 「生命の尊さを顧みない暴挙で、死刑求刑も十分理解できる」としながらも、「最初の犯行は被害者の暴言がきっかけ、2件目には積極的でなかった」「犯行は残忍、冷酷だが、深く反省している」などとして無期懲役とした。  現姓田中。
2001年12月25日
大阪高裁
池田真一裁判長
一審破棄・死刑
 「事件は綿密に計画されたもので、執ようで残虐だ」として逆転死刑判決となった。
2006年2月14日
最高裁第三小法廷
上田豊三裁判長
被告側上告棄却、確定
 主犯ではなかったと被告側は主張したが、第三小法廷は「犯行の中心的な役割を担った」と認定。「周到に準備し、確定的な犯意に基づく計画的、組織的犯行」と理由を述べた。
福田孝行(19)  1999年4月14日午後、山口県光市の会社員(25)方に、当時18歳だった同市の元会社員福田被告が排水検査を装って上がり込み、会社員の妻(当時23)に乱暴しようとしたが抵抗され、首を絞めて殺害。その後、乱暴した。事件発覚を恐れ、傍らで泣き叫ぶ長女(当時11ヶ月)の首を絞めるなどして殺害し、妻の財布を盗んだ。F被告は妻の遺体を押し入れに、長女の遺体を天袋に隠して逃げ、4日後に逮捕された。 殺人、窃盗他 2000年3月22日
山口地裁
渡辺了造裁判長
無期懲役
 殺害は事前に計画されたものではなく、被告には前科がないこと。事件当時18歳であること。家庭環境が不遇で、生育環境に同情すべき点があること。捜査段階で犯行を認めていることや、最終陳述で涙を浮かべた様子から、一応反省している。よって、矯正教育による改善更生の可能性がないとはいえない、と判断した。  被害者の夫は福田被告へ極刑を求めている。また犯罪被害者・被害者遺族の権利確立のため広く活動している。
 最高裁では弁論期日指定を受けて、担当していた弁護士2名が辞任。新たにY弁護士ら2名が就いたが、最高裁の弁論を欠席。最高裁は「出頭在廷命令」を出す異例の事態となった。
 最高裁の死刑判決で反対意見が付けられたのは、三鷹事件以来と思われる。
 現姓大月。
2002年3月14日
広島高裁
重吉孝一郎裁判長
検察側控訴棄却
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 裁判長は「極刑の当否を慎重に検討すべき事案」と認定。その上で殺害の計画性を否定。最大の争点だった更生可能性についても(1)18歳になって間もなく、内面が未熟(2)前科がなく、顕著な犯罪的傾向がない(3)家庭環境が不遇(4)矯正は可能とする鑑別結果―などを考慮した一審判決を「主観的事情を過大に評価したものとはいえない」と支持。「極刑がやむを得ないとまではいえない」との判断を踏襲した。
 検察側は控訴審で、元会社員が一審公判中から知人にあてたわいせつな表現や遺族らを中傷する内容の手紙を証拠として提出。裁判長はこの点について「犯行の重大性や遺族らの心情を真に理解しているのか疑問」としながらも、公判での供述などから「不十分だが、悔悟の気持ちを抱いている」と指摘した。
2006年6月20日
最高裁第三小法廷
浜田邦夫裁判長
二審破棄・差戻
 裁判長は「罪責は誠に重大で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と指摘。犯行の計画性については検察側の主張を退けたが、殺害は偶発的とは言えず、有利な事情と評価できないと判断。さらに被告の言動、態度について反省の色は見えず、構成の可能性はないと判断。少年だったことは考慮すべき一事情にとどまる、として二審判決を破棄し、差し戻した。
 弁護側の「殺意がなかった」という主張については、「一・二審判決の認定は認められる」と退けた。
2008年4月22日
広島高裁
楢崎康英裁判長
一審破棄・死刑
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 弁護側は遺体の状況から新たに傷害致死を主張。強姦目的も否定し、被告の当時の精神年齢は12歳程度だったと主張した。
 判決で裁判長は弁護側の主調を全て否認。少年の殺人、強姦の意思を認めた。そして一審の事実認定に誤りはないが、量刑は軽すぎると判断した。
2012年2月20日
最高裁第一小法廷
金築誠志晴裁判長
被告側上告棄却、確定
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 判決で第一小法廷は「平穏で幸せな生活を送っていた家庭の母子が白昼、自宅で惨殺された事件として社会に大きな影響を与えた。犯行時少年であったことや、更正の可能性もないとはいえないことなど酌むべき事情を十分考慮しても、刑事責任はあまりにも重大」として死刑はやむを得ないと判断した。宮川光治裁判官は「当時の被告の精神的成熟度が18歳より相当低ければ、死刑を回避する事情に当たる」として、死刑判決を破棄してさらに審理すべきだとした。それに対し金築裁判長は、「18歳以上かを問う少年法の規定は形式的基準で、精神的未熟さを理由とする破棄はできない」との補足意見を付けた。
井上嘉浩(30)  (1)1994年1月30日、元信者殺人事件。(2)1994年12月12日、大阪市の会社員にVXガスを吹きかけ、殺害。他にVXガスによる2件の殺害未遂がある。(3)1995年2月28日、逃亡した女性信者の所在を聞き出すために信者の実兄である目黒公証役場事務長(当時68)を逮捕監禁、死亡させ、遺体を焼却した。(4)1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。井上被告は現場指揮者を担当した。(5)その他、「新宿駅地下街青酸ガス発生装置設置事件」「都庁郵便爆弾事件」「宗教学者の自宅マンション前で爆弾爆破事件」「教団施設に火炎びんを投げて被害を自作自演事件」で起訴されている。 殺人、殺人未遂、逮捕監禁致死、死体損壊、爆発物取締罰則違反、火炎びん使用処罰法違反 2000年6月6日
東京地裁
井上弘通裁判長
無期懲役
 「一連の犯行で重要な役割を果たし刑事責任は重いが、実行行為をしていないことなどから、首謀者や実行役と同視しうるような責任を負わせられない」などとして無期懲役を言い渡した。  オウム真理教関連では、唯一一審無期懲役、二審死刑判決の裁判である。
 2018年7月6日、執行。48歳没。
2004年5月28日
東京高裁
山田利夫裁判長
一審破棄・死刑
 裁判長は「被告は事件の解明に協力し、反省をいっそう深め、罪の大きさに打ちひしがれ、しょく罪にも努めている。しかし量刑の判断は、犯罪の様態や結果、被告の役割といった行為が中核的な要素になるのを考えると、悲惨な結果をもたらした地下鉄事件の刑事責任だけで、優に死刑に値する」と述べた。
2009年12月10日
最高裁第一小法廷
金築誠志裁判長
被告側上告棄却、確定
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 裁判長は「実行犯が集まった場で中心となって犯行計画の具体的内容を指示、説明した。犯行全体の円滑な実行のために、不可欠で重要な役割を積極的に果たした」と判断、刑事責任は極めて重大とした。そして「法治国家に対する挑戦として組織的に行われた犯行。反社会的で人命軽視も甚だしく、社会に与えた衝撃や不安も大きい。事実関係を率直に供述して事件の解明に貢献したことを考えても、死刑はやむを得ない」とした。
S・T(38)  貿易会社役員S被告は、貿易会社社長高橋義博被告に誘われ、知人の男性(当時36)が不動産売買で得た約12億円の売却益を奪おうと計画。S被告他2名は、1992年7月23日夜、男性の資産を管理していた美容院経営Fさん(当時32)を拉致し、世田谷区内のマンションに監禁し、男性を呼び出すよう指示。24日に男性も拉致し、現金や銀行口座から約270万円を強奪。栃木県藤原町の林であらかじめ用意していた穴に生き埋めにして殺害した。遺体は1996年6月13日に発見された。 強盗殺人他 2000年8月29日
横浜地裁
矢村宏裁判長
無期懲役
 S被告については「殺害を思いとどまるように進言することもあり、人間性も見られた」と述べた。  高橋義博被告は2006年10月26日、求刑通り死刑が確定。
2003年4月15日
東京高裁
須田賢裁判長
検察・被告側控訴棄却
 理由は不明。
2003年9月26日
被告側上告取り下げ、確定
 


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