『アルファベット・パズラーズ』の粗探し



 大山誠一郎『アルファベット・パズラーズ』が東京創元社のミステリ・マスターズから出版されたとき、「精緻なロジックと鋭利なプロット、そして意外な幕切れ。本格ミステリ界期待の俊英が満を持して放つパズラーの精華!」と介されているのを読んで、嫌な予感がしたのを覚えている。こう書いていある作品で、その通りだったためしがないらだ。そのあたりはこちらの感想に書いたとおりである。
 この感想を書いた後、ある指摘を受けた。少なくとも、ロジックについては穴はないのではないかということである。確かに、私が書いてきた色々な問題点は、犯罪計画が穴らだけであることや、警察の捜査がミスばかりであるということではあるが、少なくともロジックそのものについては穴があることを指摘していない。なるほど、言われてみれば確かにその通りである。探偵役の推理については穴は確かに見受けられないように思われる。これは訂正せねばなるまい。
 とはいえ、警察が普通に捜査していれば解決できた事件を、刑事も含めて不思議だ不思議だといっている作品に高い評価を与える気にはならない。本格ミステリの意外な幕切れというのは、常人が万策尽きたところで思いも寄らない方法によって解決を与えられることにある。ロジックはともかく、“堅牢なプロット”とはとても思われない作品であることに間違いはない。
 さて、今から書くことは、そんな本作品の穴と思える部分を列挙したものである。人から見たら粗探しと思えるかもしれないが、はっきりいってその通りである。“これぞ本格ミステリ。”と言うのであれば、粗探しできないようなプロットを立ててこいと言い切ろう。
 当然のことながら、以下の文は『アルファベット・パズラーズ』のネタバレになるので、『アルファベット・パズラーズ』を未読の方は読まないで頂きたい。

 まずは「Pの妄想」である。
 この短編では、資産家の一族である婦人が、家政婦に毒殺されると思い込んでいるわけだが、そんな家政婦はすぐに解雇するんじゃないだろうか。自分が殺されるかもしれないとわかっていながら、殺人者をすぐ近くに置いておく理由は全くない。家政婦など、手配すれば電話一本で来てくれる。それをしない時点で、家政婦が嘘をついているということは容易に想像できる。登場人物は誰もその事実を指摘していない。全くもって不思議である。
 また、家が正面から裏手へ五度傾いているとのことだが、それを誰も気がつかないというのも納得できない。五度傾いていれば、10cmのカップで約9mmの高低差ができる。普通のテーブルや椅子だったら、ガタツキがすぐにわかるのではないだろうか。床だって、歩いてみれば違和感が生じるのも当然と思われる。客が万が一気付かないとしても、警察が気付かないというのはおかしい。
 この短編は、缶紅茶の謎から家が傾いていることを発見するというロジックが楽しいといえば楽しいのだが、普通に警察が捜査していれば、誰でも気付く謎である。作者が意図的に捻じ曲げているか、もしくは作品の都合上警察の捜査能力を無視しているとしか思えない。

 「Fの告発」で最初不思議に思ったことは、四年も一緒に仕事をするのに、同一の場所で顔を合わせるという事は全くないのだろうかということである。忘年会とか新年会はないのだろうか。いや、それ以前に美術館では全体会議というものはないのだろうか。もし会議がなくても運営できるというのであれば、それは私の認識不足なのだろう。
 それともう一つ。この短編ではFシステムというのが謎を生み出す重要な鍵になっている。センサーに指紋を認識させなければドアは開かないというシステムだ。警察はわざわざ登録されている仲代、神谷、松尾がセンサーに指を触れてドアを開けたところを確認しているが、普通そこで三人が入退室されている記録までチェックするんじゃないの? それさえやっていれば、簡単にこの事件は解決できただろうに。大体、最初に登録する仲代を香川伸子の指紋で登録させるのも変な話だ。例えば仲代なら右人差し指、松尾なら左人差し指で登録させればいいだろうに。そんなことも気付かないのか、この犯人たちは。
 まあ、まともに警察が捜査していれば犯人なんかFシステムに惑わされず、簡単にわかっただろう。事件関係者の指紋を取った時点(取らないはずがない)で、仲代と松尾が同一人物だって気付くからだ。

 最後に「Yの誘拐」である。中編ということもあってか、かなり力が入っているように見られるのだが、これも首をひねるところが多い。
 まず犯人の誘拐計画があまりにもずさんなのである。いくら銀行員が金を届け、誘拐事件ということで警察があせっていたとしても、届けた金が偽札だとばれた時点で犯行が簡単にばれてしまうのである。警察が一枚ずつナンバーを控えたときは時間がないからごまかせるかもしれないが、爆発後に焼けた金を鑑定した時点でばれる可能性は高い。もしばれないのであれば、それはよっぽど精巧な偽札なのだろう。
 となるとここで問題になるのは、共犯者である柳沢幸一が精巧な偽札を作ることができるかということだ。
 いくら支店長とはいえ、一介の銀行員が本物の紙幣と同じ紙を入手できる機会があるのだろうかという疑問もあるのだが、それぐらいは目をつぶってみてもいいだろう。ただ、いくら印刷業者とはいえ、家業を継いで仕事をしたのがたった2年間という程度のキャリアしか持たない柳沢に、そこまで精巧な偽札を作ることができるとはとても思えない。紙幣印刷というのはデリケートな技術が要求されるのだが、少なくとも本書ではそのような技術を持っているとは書かれていない。前の職種である会社では優秀だと書かれているが、印刷業とは無関係である化学会社で優秀だといったって何の役にも立たないだろう。原版作成と色刷りにすかし、さらには一枚ごとにナンバーを変える必要があるのだが、柳沢がそれだけの技術を持っていると推理するには、あまりにも恐るべき想像力が必要である。
 確かにこの偽札は相当精巧なものだったのだろう。なぜなら、柳沢が土産物屋や喫茶店でこの偽札を使用しているのに、物語では偽札が出てきたと全く触れられていないからである。金の取り扱いのプロである彼らや、さらには銀行でも偽札だとばれていないのだからよっぽどのものだ。逆に偽札がばれていたら、出所をたどられて柳沢が作ったものであると警察は突き止めていただろう。そのような記述が全くなかったので、偽札は誰にもばれずに世の中を回っているものと思われる。つまり、それほど精巧な偽札なのだろう。信じ難いことだが。
 ただ、柳沢という男は本当に優秀だったのだろうか。いくら12年前とはいえ、警察が誘拐犯からの電話の声を録音していることぐらい常識だろうに、地声(声を聞いた友人はすぐに柳沢のものだとわかるぐらい)で電話をかけているのだから。それとも本当に警察が介入していないとでも思っていたのだろうか。
 この事件の犯人は、実は前二つの探偵役である峰原だというのが本作品のサプライズなのだが、果たしてこのサプライズは可能なのだろうか。一億円で四階建てのマンションが建てられるかどうかというのは、もともと貯金があったのと土地を担保にしたということでなんとかごまかしようがつく。土地はもともと持っていたものだと無理やり納得してもいいだろう(かなり苦しい解釈だが)。しかし、事件から一年でマンションを建てるのは難しい。すでに図面と施工業者が決まっていて、建築許可も取ってあるというのなら可能だろうが、まさかそこまではやっていないだろう。つまり、峰原が事件後にマンションを建てるというのは時間的に不可能であるから、<AHM>が身代金を使って建てられたという推理は間違いなのである。<AHM>がA Hundred Millionの略だというのは語呂合わせに過ぎない結果。たぶん峰原は本当に伯母の遺産で建てたのだろう。出所のわからない金でマンションを建てたなどと税務所に突っ込まれていない事実から、容易に想像できる。後藤たちは京都支店まで訪ねて確認したとあるが、たぶん他人の空似だったのだろう。12年も経った容貌など、どうにでも解釈できる。その他に峰原が支店長であったという具体的な証拠は何もない。
 いやはや、後藤たちも勝手な推理を立てたものである。いつも押しかけてきてお茶をせびった挙句、わけのわからない事件を聞かされて警察の尻拭いをさせられた挙句、最後は勝手に出て行って犯人呼ばわりである。なんとひどい住人たちだろう。


 本格ミステリは、時にはファンタジーである。違法建築の館が出てきたり、物理的に不可能なトリックが出てきたり、勝手に歴史を捻じ曲げたり、素人探偵が警察の捜査にしゃしゃり出てかき回した挙句勝手に退場したり。通常では考えられない世界、それが本格ミステリである。もちろんそれでも世界観がしっかりと書き込まれており、読者が納得できるだけの筆力と魅力があるのならば構わない。事実、名作といわれている作品でも一歩間違えればナンセンスなトリックが用いられていることがある。そんな本格ミステリを私は好きだ。しかし、普通の日本を舞台としているのなら、やはり警察の捜査の基本ぐらいは踏まえたうえで、本格ミステリのプロットを作ってほしいと思う。この作者はまだ思いつきだけで小説を書いているように思えて仕方がない。もっともっと勉強してほしいものだ。

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