夏樹静子『独り旅の記憶』(光文社文庫)

 野末総子はバンクーバーへの独り旅の折り、ホテルで素敵なカップルを見かけた。その男に東京で再会したが、何故か男は迷惑そうに足早に立ち去った。その夜遅く、麻布署の警部補が総子を訪問。まさにその男と出会った時間に、バンクーバーでの連れの女性がガス中毒死したことを知った。「独り旅の記憶」
 男が自宅前で殺害された。DINKSの走りのような男と妻であったが、男には色々と浮いた噂があり、事件は痴情のもつれによるものと思われた。「DINKS」
 妊娠五ヶ月の慶子の家の隣に住んでいるのは子供のいない三十代後半の夫婦。妻の方は、いつもプラスチックの人形を自分の赤ん坊と思い込みながら可愛がっていた。しかしある日、慶子はごみステーションに人形が捨てられているのを発見する。届けてあげようと隣の家に行ったら、妻は本物の赤ん坊を育てていた。「雨に濡れた遺書」
 毬子の家に、旦那の唯和が地元テレビのキャスターと浮気をしているという匿名の電話が入った。一年前、そういう疑惑があったことは事実だった。しかし、とうに切れていると思っていた。しかし執拗に電話が続き、毬子の疑惑はますます深まっていった。そしてある日、キャスターの昔付き合っていた男が殺害され、しかも彼女の髪飾りが男のベッドから出てきた。「二人の目撃者」
 高校時代から二十年以上の親友付き合いをしている糸子と由加利が、お互いの愚痴を言い合っていた。糸子は主人に先立たれ、子供と二人でマンションを買ったはいいが、子供が暴力団員の車にバイクをぶつけてしまい、マンションのローンに困っている。由加利は亭主が浮気をし、しかも相手が妊娠している。浮気を切り出されたら分かれるつもりでいるが、当然そのときは慰謝料を請求するつもりだ。しかし亭主の父親は都心の土地を持っており、それを夫が相続するまでは離婚をするつもりはない。しかし……。「ひと言の罰」
 夫の帰りを待っているとき子のところに、短大時代の同級生である由果から電話がかかってきた。とき子の夫である剛起と三年越しの不倫をしていたが、とき子と分かれる気配がないので自殺すると。しかしとき子はかつての夫と離婚したときも自殺するとわめいていたので、今回も同じだと思っていた。しかし次の日、気になったとき子は警察に電話を入れる。「「死ぬ」という女」

 いずれも男女の愛にまつわる事件を書いた短編。書かれた時代の風俗を鋭く切り取りながら、特に女性を語り手、主人公にする姿勢は、昔から変わっていないようだ。ある意味では一貫している、ある意味ではどれを読んでもそう変わらない。そのせいか、読んでいる途中は楽しめるし、読後すぐはすっきりしているのだが、読み終わった後は印象に残るものはあまりない。まあ、読後にすっきりするというのは、物語に満足しているということではあるのだが。物語に首をひねるような部分がなく、面白い物語を作ることができるというのは、それも重要な才能の一つであることに間違いはない。
 唯一の例外といえるのは「ひと言の罰」か。これは佳作といえる作品である。当時の推理小説年鑑(1992年)にもまとめられたというのだから、その年を代表する短編のひとつといえるだろう。親友二人の会話から生まれた事件。そして結末まで、息をつかせぬサスペンスと、驚きの結末。これは本当によくできている。一読をお薦めする。




服部真澄『龍の契り』(祥伝社 ノン・ポシェット)

 一九八二年、英国情報部が外交文書を撮影中、スタジオが全焼した。その折、忽然と消失したある機密文書――。二年後、香港返還交渉に挑んだ英国サッチャー首相は、なぜかほぼ無条件で返還に合意した。それまでの強気な姿勢の英国を、かくも弱気にさせたものとは? 香港返還前夜、機密文書を巡り、英、中、米、日の四カ国による熾烈な争奪戦が開始された!(粗筋紹介より引用)
 1995年、本書でデビュー。直木賞候補作ともなったベストセラー。

 出版されたときから気にはなっていたのだが、すぐに話題となったことから、なんとなく手に取るのをためらっていた本作だが、もっと早く読めばよかった。確かにベストセラーとなりうるだけの実力を持った作品である。
 英国が中国へ香港をほとんど無条件で返還したのは、現代史の謎の一つともいわれている。使われているようで、ほとんど使われていない題材を見つけたのはお見事。しかもそこから当時の香港、英国、中国、さらに米国、日本などの社会情勢をするどく抉り取り、圧倒的なスケールを持つ国際謀略小説に仕立て上げたその腕は、デビュー作からしてすでに一級品である。しかも歴史や国の動きに翻弄されることなく、登場人物個人の思惑や動き、心情もきっちりと書き込んでいるのだから恐れ入る。しかも物語の流れを損なうことなくだ。
 惜しむらくは、結末がちょっとあっけないことか。もう一波乱起きると、もっと盛り上がったかと思うのだが。
 それにしても、これだけの謀略小説で、この仕掛けを使うとはね。最後の最後まで気を抜くことのできない作品である。今頃書くのもなんだが、傑作。




夏樹静子『見知らぬわが子』(光文社文庫)

 ある夜、仕事から帰ってみると、二歳になる愛娘が瓜二つの別人と入れ替わっていた。いったい、だれが、なんの目的で?思い悩む私に、夫の愛人だった女から電話が入る。暗い海辺に呼び出された私を待っていたのは、絞殺された夫の死体だった。警察は容疑者として私を…。「見知らぬわが子」
 夜道で襲われそうになった村越とも子は、木原葉次に助けられる。しかし葉次は男に腹を刺され入院。とも子は葉次を見舞ううちに好意を抱くようになる。「襲われて」
 若手演出家の裕介は、十七歳年上の私にまたお願いをする。十ヶ月前に結婚した沙織が離婚を認めてくれない。このままでは破滅だ。私は裕介の助けに答えて、手伝うことになる。「暁はもう来ない」
 窓から飛んできたビニル袋が顔にかぶさり、四ヶ月の娘は死んだ。パニックになった妻は帰ってきた夫に睡眠薬を飲ませ、自分も自殺しようとするが、一通の手紙を見つけ……。「死ぬより辛い」
 新聞記者の滝田は新聞の掲示板から高校時代の同級生だった西川の妻、麻衣子と知り合う。麻衣子に運命を感じる滝田だったが、西川の家を訪れた夜、麻衣子が別の男性と密会するのを目撃した。「断崖からの声」
 ドライブ・インのコンパートメントで男性が毒殺された。不倫をしていた社長夫人が容疑に浮かび上がるが、夫人は頑強に犯行を否定した。割烹旅館の仲居であるさち子は新聞を見て、男性が三ヶ月前に泊まった男であることを思い出す。「緋の化石」。
 歌手の園山たまきが殺害された。死ぬ直前、「エトー、タツオ」と叫びながら。江藤にはアリバイこそなかったが、動機もなく、犯行を否定した。一方有力な動機を持つ愛人にはアリバイがあった。江藤の恋人であるあや子は、江藤の無実を証明しようとする。「死人に口有り」
 1969~1971年に「小説現代」などで発表された短編を集め、1976年に発売された一冊。

 「断崖からの声」を除いて、いずれも女性が主人公。作家としてプロデビューしてからすぐに書かれたものが多いせいか、かなり力の入った作品が並んでいる。中には「襲われて」のように、結末までが簡単にわかってしまうものがあるものの、女性特有の心理描写をうまく小説に織り込みながら、サスペンスたっぷりの作品に仕上がっている。女性の機微というか内面の描写は、男性にはなかなか書けないものだ。
 「死人に口有り」には珍しいアリバイトリックが用意されているが、むしろ被害者の心情のほうが恐ろしい。他の作品にも言えることだが、男性より女性のほうが単純なようで複雑だ。女は男の心理を手玉に取るようにわかるだろうが、男が女の心の奥底までを知ることは永遠にないだろう。




鮎川哲也『材木座の殺人』(創元推理文庫)

 新宿の裏通りにある私立探偵事務所の椅子を壊しそうな巨漢の弁護士に「どうしたんだ、名探偵らしからぬ乱暴なことをいうじゃないか」と切り返されて、馬脚を露しかけた「わたし」はドッキリ。事務所の実績が某氏の明察に負っているとは他聞を憚るところなのだ…。推理番組『私だけが知っている』の脚本を原形とする「棄てられた男」「青嵐荘事件」、鮎川哲也版“ジェームズ・フィリモア氏の事件”ともいえる「人を呑む家」や、弁護士と私立探偵の両人が直接関与していない異色作「材木座の殺人」など、六編を収録。本格ミステリの大家が物した安楽椅子探偵譚、三番館シリーズ第四集。(粗筋紹介より引用)
「棄てられた男」「人を呑む家」「同期の桜」「青嵐荘事件」「停電にご注意」「材木座の殺人」を収録。

 推理番組『私だけが知っている』の脚本を原形とする二作品が入っていることもあるが、どうしても全作品が推理クイズの延長上にある作品に思えてしまう。人物描写や背景説明などで無駄なところや華燭な部分を取り除いてしまうと、どうしても問題文に近いものになってしまう。純粋に謎解きだけを楽しむのならそれでいいのかもしれないが、本格ミステリを物語としても楽しもうとしている自分にとっては、退屈を覚えてしまうのだな。
 悪くはないんだけどね。読んでいる時は楽しめるから。ただ、後に残らないだけで。




伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 大学入学のために仙台に引越してきた椎名は、隣の住人から突然「一緒に本屋を襲わないか?」と持ち掛けられます。彼の標的は、たった一冊の広辞苑。――一方、ブータン人留学生と付き合っているペットショップの店員・琴美は、ふとしたきっかけから動物を虐待する連中と嫌な関わりと持ってしまいます。このふたつの物語は、どこでどのようにして結びつくのか?(編集者コメントより引用)
 未知数の才能が結集する、新鋭たちのミステリ・レーベル『ミステリ・フロンティア』第1回配本。第25回吉川英治文学新人賞受賞作。

 独特の感覚と発想。この作者の頭の中はいったいどうなっているのか確かめてみたい。いきなり「一緒に本屋を襲わないか?」と誘われる物語など誰が考え付くのだろうか。その不思議感に振り回されながらも、世界に心地よく浸れるのは、実力のある作者でなければ不可能に違いない。
 二つの物語それぞれがちょっと不思議な物語で、その不思議な物語がどういう風にリンクするのか興味を持たせ、かつ読者に推理させ、さらにその裏をかく結末を用意し、なおかつ読者に感動を与える。登場人物の発想、行動、会話。いずれもがちょっと奇妙なれどそれで突飛でもない。だけど不思議で。伊坂の世界は不思議に満ちている。
 奇妙なタイトルの意味も、物語の最後にきちんと用意されている。不思議で、自分では発想できない、だけど納得してしまうこの感覚。一歩間違えれば荒唐無稽と評されてしまう物語だが、実際はそうでないことは読んでみればわかる。いつまで伊坂がこのような物語を作ることができるのか。我々は次の不思議を待ちながら、見守るしかない。




野崎六助『安吾探偵控』(東京創元社 創元クライム・クラブ)

 下宿屋の主人から家出娘の捜索を頼まれた坂口安吾は、行方を捜すうち殺人事件に遭遇する。殺害されたのは酒造業を営む紅家の婿養子で、現場は雪に囲まれ、一種の密室情況を呈していた。
“お家さん”と呼ばれる寝たきりの老婆と個性的な三姉妹が暮らす、十何代も続く女系一族の紅酒造で勃発した奇怪な連続殺人。犯人は一族の者か、酒造に集うと杜氏か。凶行前に現れた片腕の男の正体は。国税庁の役人の事故死は紅家の惨劇と関係があるのか。
 雪降り積もる戦前の京都を舞台に、坂口安吾と鉄管小僧が謎に挑む。著者が新境地を拓いた意欲的な長編本格推理。(粗筋紹介より引用)
 『北米探偵小説論』で日本推理作家協会賞を受賞している名評論家、作家が2003年に書き下ろした作品。

 評論のほうは読み応えがあるのだが、ミステリのほうはどうも今ひとつという印象が強い。本作はあの坂口安吾を名探偵役に据えていたので、何か新しい面があるのかなと期待しながら読んでみた。読み終わった感想としては、坂口安吾を探偵役に据えなければ、何の面白みもない作品だということである。
 戦前の酒造業が舞台、しかも女系一族の確執など面白くなる要素はいくらでもあると思うのだが、文章や表現が淡白というか、物語の展開が地味というか。盛り上がってもいいところで盛り上がらない。探偵役の安吾が物語を丸く収めたように、作品そのものも小さく丸く収まってしまった感がある。
 そもそもこの作品、なぜ安吾を探偵役に据えたのかがわからない。安吾である必然性が感じられないし、安吾の著作と絡む部分もごくわずかでしかも物語とはほとんど関係ないエピソードだ。とりあえず有名人物を探偵役に据えよう、そんな意図しか見えてこないのだ。もしかしたらシリーズ化するのかもしれないが。
 もっと面白くなる要素はあった作品なのだろうが、むしろわざと地味に書こうとしたとしか思えない。これがもっと余情漂う作品に仕上がっていれば、また別の評価になったかもしれない。




鮎川哲也『サムソンの犯罪』(創元推理文庫)

 肥満漢の弁護士が持ち込む仕事は「わたし」の生命線だから、蹴るわけにはいかない。土つかずの戦績を見て私立探偵としての腕を買ってくれているのはわかるが、難事件揃いなのには全く閉口する。捏造テープと換気扇の問題「中国屏風」や麻雀狂に捧げるエレジー「走れ俊平」、無名作家のとんだ有名税「サムソンの犯罪」等々、二進も三進も行かなくなると「わたし」はバー“三番館”へ足を運ぶ。ここでグラスを磨いているバーテンに知恵を借りて解決しなかった例はないのだから―。本格ミステリの泰斗が物した安楽椅子探偵譚、三番館シリーズ第二集。(粗筋紹介より引用)
「中国屏風」「割れた電球」「菊香る」「屍衣を着たドンホァン」「走れ俊平」「分身」「サムソンの犯罪」の7編を収録。

 うーん、確かに読んでいる途中は面白いんだけどね。続けて読むと、どれも同じような話に見えてくるから不思議だ。一つ一つ、日にちをおいて読めばよかったかな。ついでに書けば、読み終わったら、後に残らない。多分1ヶ月も経てば、どんな話だったか忘れてしまうに違いない。まるでドライビールみたいだね。飲んでいるときは実感があるけれど、飲み終わればどんな味だったか忘れてしまう。多分、こういうのは私の肌に合わない。こんな感想しか書けないのだから、私は鮎川哲也のいい読者ではないんだろう。




翔田寛『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 西洋幽霊と日本の幽霊が連続して目撃された怪異。白装束を纏って剣に腹を突き立てていた吝嗇な英国人。歌舞伎役者を巻き込んだ山高帽子盗難の謎。鉄道開通に沸く観衆の中で叫び声を上げた女の悲しい過去。教会堂内で起きた密室状況下の怪死事件。――明治六年、横浜居留地に英国人名探偵、颯爽と登場。愛すべき医師ウィリスをワトスン役に、西洋と日本の文化が交錯する不可思議な事件の数々を鮮やかに解決へと導く新聞記者ワーグマンの活躍を描いた、小説推理新人賞受賞作家初の連作ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 「影踏み鬼」で第22回小説推理新人賞を受賞。「奈落闇恋乃道行」で日本推理作家協会賞にノミネートされた作者の連作短編集。「坂の上のゴースト」「ジェントルマン・ハラキリ事件」「消えた山高帽子」「神無月のララバイ」「ウェンズデーの悪魔」の五作を収録。未知数の才能が結集する、新鋭たちのミステリ・レーベル『ミステリ・フロンティア』第7回配本。

 明治初期の横浜居留地という舞台と、新聞記者ワーグマンという探偵を配置した設定の勝利。文明開化華やかな頃の日本と、近世ヨーロッパで整備されつつあった警察機構というミスマッチをうまくまとめている。
 もちろん、実際に見聞きしたことのない時代のリアリティを感じさせるには、相当の筆力が必要となるが、実力派の作者はその条件を軽々とクリアしている。時代物は、きちんと背景が書かれていてこそ、その面白さが倍増する。
 事件、捜査、そしてワーグマンの記事による事件の真相、さらにワーグマンがウィリスに語る真の解決と形式を決めているので、一歩間違えるとワンパターン(一時の三番館シリーズみたい)になってしまうところであるが、物語や謎の面白さ、そして推理の鮮やかさで難なくクリアしている。
 本格ミステリとしての骨格も十分だ。謎の提示から解決まで流れるように繰り広げられる推理が心地よい。ただ、そのものを知らないと解決できない謎があったのは少々残念。
 今年度の本格ミステリを代表する一冊だろう。派手なところがなく、むしろ地味に見える作品かもしれないが、読み終わってしばらくたっても心にしみじみ残る本格ミステリとして、高く評価されるべき一冊である。お薦め。




大山誠一郎『アルファベット・パズラーズ』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 東京、三鷹市の井の頭公園の近くに〈AHM〉という四階建てのマンションがある。その最上階に住むオーナー・峰原卓の部屋に集まるのは、警視庁捜査一課の刑事・後藤慎司、翻訳家・奈良井明世、精神科医・竹野理絵の三人。彼らは紅茶を楽しみながら、慎司が関わった事件の真相を解明すべく推理を競う。毒殺されるという妄想に駆られていた婦人を巡る殺人事件、指紋照合システムに守られた部屋の中で発見された死体、そして三転四転する悪魔的な誘拐爆殺事件――精緻なロジックと鋭利なプロット、そして意外な幕切れ。本格ミステリ界期待の俊英が満を持して放つパズラーの精華!(粗筋紹介より引用)
 e-NOVELSに創作短編「彼女がペイシェンスを殺すはずがない」を発表し、『本格ミステリ03』(講談社ノベルス)に収録された作者が本格的デビューを果たす。短編「Pの妄想」「Fの告発」と中編「Yの誘拐」を収録。未知数の才能が結集する、新鋭たちのミステリ・レーベル『ミステリ・フロンティア』第9回配本。

 前評判が高い作者のデビュー作、しかも「精緻なロジックと鋭利なプロット、そして意外な幕切れ。これぞ本格ミステリ。無駄なものが何もない、謎解きの結晶」などと帯に書かれているので、一応の期待を持って読んでみた。“一応”と書いたのは、短編「彼女がペイシェンスを殺すはずがない」に感心できなかったので、自分の好みとは合わない作風なんだろうなと思っていたからだったのだが、その読みは大当たり。期待外れもいいところだった。
 無駄は省いているというけれど、肝心の登場人物の顔が全く浮かんでこない。これでは名前なんかいらない。これだったらA、B、Cで十分じゃないか。最初の短編二本は、長い推理クイズとしか思えなかった。いや、推理クイズだって、登場人物の顔はもう少しはっきりしている。
 真相解明へ向けての手掛かりと、真相に至るまでの推理はそれなりに面白かったが、設定そのものに矛盾を感じてしまうと謎解きを楽しむ気にはなれない。例えば「Pの妄想」では、家政婦が毒を入れていると婦人が思い込んでいるわけだが、そんな家政婦はすぐに解雇するんじゃないだろうか。だけど実際はしていないのだから、家政婦が嘘をついているのはすぐに見破られると思う。それに五度家が傾いていたら、大抵の人は歩くだけで不審を抱くぞ。  「Fの告発」でも、四年も一緒に仕事をしていたら、体臭とか体つきなどで同一人物が化けていることに気付くんじゃないだろうか。それにここの美術館では、職員一同で会議や検討会、それに忘年会とか新年会とかをやらないのか。とても堅牢なプロットとは思えないのだが、こんなことを考えるのは自分だけだろうか。まあ、「Fの告発」はぎりぎり許せるところだろうか。
 メインとなる中編「Yの誘拐」だが、この作品でようやく登場人物の顔が見えてきた。確かに「三転四転する悪魔的な誘拐爆殺事件」である。誘拐した子供を爆殺するという設定自体が好きになれないし、途中で繰り広げられる推理も読者をいやな気分にさせるものばかりだ。しかも解決はもっと気分が悪くなる。驚く前に腹が立ってくるぞ。こんな後味の悪い作品、よく考えたものだと逆の意味で感心する。
 チェスタトンを彷彿させる犯人像だが、残念ながら穴だらけだ。例えば、警察が身代金の変わりに別の見せ金を用意していたら(これは実際にある)どうするつもりだったのだろうか。それに身代金のナンバーを警察が控えることは常識だろうが、その時点でばれる可能性を考慮に入れてないのはおかしい。さらに納得いかないのは、たった2年しか働かず、「仕事ぶりがいい加減」な印刷業者の柳沢が精巧な偽札を作ることができるとはとても思えないのだ。ただのコピーならいざ知らず、警察もだますことができるような偽札を、番号を10000枚以上も別々にして(続きナンバーには普通しないだろう)作る技術があったとはとても思えない。そんな技術があるのなら、銀行も見放さないだろう。柳沢はなぜ電話で声を変えなかったのかとか、マンションを建てた年とか、マンションを建てた金の出所を税務署あたりから睨まれるのではないかとか、まだまだ突っ込みたいところはあるが、この辺はさすがに枝葉末節か。しかし、二人殺害+誘拐で捕まれば間違いなく死刑になる事件の犯人にしては、不用意すぎると思う。
 ロジックを楽しむには、ユーモアやペーソス、もしくは解決後の爽快さといった明るい要素がない限り、死者や事件を弄んでいるという批判からは逃れられないのではないか。
 うーん、この作品がなぜ評判がいいのか、私にはわからない。穴だらけとしか思えないロジック犯罪計画と間抜けな警察には呆れるが、それ以上に顔が全く見えてこない登場人物たちが繰り広げる、無味乾燥な物語には何の感銘も受けない。作者はロジックばかりを考える前に、まず物語の面白さをもう一度勉強する必要があると思われる。過去の本格ミステリのロジックに穴がなかったとはいわない。しかしそんな穴さえも忘れさせてくれるだけの物語の面白さが、傑作と呼ばれる本格ミステリにはあった。その事実をもう一度認識すべきだ。
 今回はネタばれ+粗探しばかりの感想になって申し訳ない。
 さらなる粗探しは、『アルファベット・パズラーズ』の粗探しの方でやっています。




夏樹静子『喪失 ある殺意のゆくえ』(光文社文庫)

 九州テレビ放送でディレクターを勤める杉原渓子、二十九歳。そろそろ婚期を過ぎようとする彼女は、ふとした行きちがいで出会った男に、身をまかせてしまう。男には、渓子が理想の男性像として描く、亡兄の面影があった。それきり消息を絶った男に、思いをつのらせる渓子はゆくえを捜しはじめるが……。
 旅情豊かな九州を舞台に、ひとりの女性が抱く幻影を活写。(粗筋紹介より引用)
 『蒸発』に続いて書かれた長編第三作。1973年発表。

 二十九歳の女性が婚期を逃して焦るという描写は当時ならではの作品だろう。そういう意味では古くさい描写の残る作品といえるかも知れない。渓子が同僚のカメラマンと事件を追いかけるところは描写が丁寧だし、九州地方の風景の描写などもキッチリと書き込まれているのだが、それでも作品にのることができなかったのは、多分私自身の体調が悪かったせいだろう。冷静な評価はできていないだろうが、ひとことで言えばつまらなかった。何がつまらないのかわからないのだが、強いて挙げれば女性主人公の姿に納得がいかなかったところだろうか。これはもう感覚的なものなのでどうしようもない。




夏樹静子『秘めた絆』(角川文庫)

 野々村珠子の十三年の穏やかな結婚生活は、突然の来訪者によって一変する。夫・康平の秘書の薫が、康平の子を宿していると珠子に告げ、産みたいと申し出たのである。思い悩むうち、珠子自身も妊娠する。
 五年余りの、康平と二組の母子の奇妙な共存……。その中で、しかし、康平が抱いた疑惑は大きく膨らんでいたのだ。夫の言葉に珠子は鋭い戦慄を覚える。そして同時に、胸深く埋め去ったはずの追憶が、彼女の心を満たして行くのだった。
 男と女、親と子を繋ぐものは何なのか――。痛切な愛のミステリー。(粗筋紹介より引用)

 文庫本で165ページ。1989年出版時、この薄さで380円なのか……。感想とは全然関係ない話だな。
 “愛のミステリー”という惹句はどうかと思うが、親子とは何なのかということを考えさせられる話ではある。ただ、夫・康平の態度があまりにもずうずうしいので、今ひとつ共感しにくい所はあるのだが。もっとも女性からしてみたら、こんな横暴な夫の姿というのは当たり前というのだろうか。いくら血液検査でわかる時代になったとしても、産まれてくる子供が本当に自分の子供かどうか、ちょっと恐ろしくなる話ではある。
 結末までの引きはうまいと思う。簡単な、そしてその場になれば誰でも思い付きそうなトリックだが、エピローグに向けて効果的な使い方がされている。筋立てそのものは単純だが、作者のうまさを十分発揮した一作といえるだろう。



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