林栄暁(71) | |
2000年3月5日 | |
0名 | |
覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)他 | |
2000年3月2日、沖縄県那覇市の民家で、中国から洋上取引で密輸された約218kgの覚醒剤が見つかった。事件に携わった8人のうちの主犯格として逮捕される。末端価格は131億円余とみられている。 | |
最高裁第一小法廷 深沢武久裁判長 | |
無期懲役+罰金800万円 | |
2003年1月10日 無期懲役+罰金800万円(被告側上告棄却、確定) | |
台湾出身で1976年に日本に帰化。1979年4月16日、台湾の軍事法廷にてスパイ事件の連座による「反乱罪」で無期懲役判決。二度の恩赦で1988年出所。 2001年10月16日、那覇地裁で一審無期懲役+罰金800万円。2002年4月26日、福岡高裁那覇支部で被告側控訴棄却。 |
崎田烈(43) | |
1986年5月19日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
1986年5月2日、フリーカメラマン崎田烈被告は広島市のマンションにて、知人で元ホステスの女性(当時36)を絞殺、キャッシュカードなどを盗み、45万8千円を引き出した。遺体は5月6日、訪ねてきた母親によって発見された。 | |
最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月14日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
被告は一貫して無実を主張。物的証拠、目撃証言等はほとんどない。凶器等も発見されていない。 横尾裁判長は「刑訴法の上告理由に当たらない」、「原判決は、正当として是認できる」とした。 | |
1993年11月17日、広島地裁(横山武男裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。横山裁判長は被害者方の鍵が崎田被告の女友達方の洗濯機の中から発見されたことを受け、被告が犯行後に鍵を隠したと断定。弁護側は「鍵を三回目の捜索でやっと発見した、というのは不自然。警察の捏造だ」と主張していたが、退けられた。なお、鍵と同時に発見された血痕は、警察官証人により捜査官による捏造であることが強く示唆されている。 「被害者とは事件の約1年前から交友があった」と崎田被告は供述していた。判決はこの主張を一部認め、検察側のいう「押し込み強盗」と断定することは避けた。しかし、「被害者の預金を引き出したのは、融資の約束があったから」との被告の主張は信用できないとした。 犯行時刻も争点となった。検察側は「5月2日午後5時20分ごろから同8時までの間」に殺害し、「同9時から3日午前0時までの間」に遺体をベッドの下に隠すなど隠ぺい工作をした、としていた。判決はほぼこの主張に沿い、「犯行は2日夕方から夜中ごろ」と幅広く認定した。弁護側は「被告にはアリバイがある」と主張。十分に捜査しなかった検察側を、「見込み捜査であり、ずさんだ」と批判。弁護側は、実際の犯行を被害者の部屋の下の住人が「女性の悲鳴を聞いた」という3日午前1時ごろとしていた。被告はこの時間にアリバイがあるが、この住人はついに法廷に立たなかった。 2000年2月22日、広島高裁(福島登裁判長)で被告側控訴棄却。崎田被告は「被害者とは知り合いで、預金通帳などは借りていたもの。許しを得て現金を引き出した」と一貫して無罪を主張していたが、福島裁判長は「預金通帳を身内でもない崎田被告に貸すのは不自然」と退けた。裁判は1986年7月の初公判から14年間の長期にわたり▽被害者方のドアから検出された掌紋が崎田被告のものか▽犯行時間帯にはテレビを見ていたという崎田被告のアリバイ主張の信頼性▽崎田被告の着衣に返り血による血痕があったか--などが争点になっていた。 |
地主園年成(63) | |
2002年2月14日(2月5日、銃刀法※違反容疑で逮捕) | |
1名 | |
住居侵入、強盗殺人、銃刀法※違反、窃盗、強盗 | |
住所不定、無職地主園年成被告は金銭に困り、以下の犯行を行った。
| |
横浜地裁 広瀬健二裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月14日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
地主園年成被告と弁護側は強盗殺人事件について、物色中にいきなり被害者からフライパンで殴られたので、取っ組み合いになり殺してしまったと訴えた。また審理途中から千枚通しは窓から侵入するために用意したものであると主張した。 判決で広瀬裁判長は「男性を殺害後、さらに室内で金を探しており、冷酷で残忍な犯行」と指摘。地主園被告は計画性を否認していたが「凶器の千枚通しを事前に購入するなど用意周到」とした。死刑選択も有り得るが、自首したことを考慮した。 | |
地主園被告は窃盗罪等により1958年に保護観察に付されたのを皮切りに、1960年に懲役1年8か月、1962年に懲役2年、1965年に懲役2年、1968年に懲役2年6か月の判決を受けそれぞれ服役していた。1988年10月、アイスピックで通行人の左胸部等を突き刺すなどして金品を奪った強盗致傷罪等で懲役7年の判決を受け、1994年に仮出所していた。 広瀬裁判長はこの日朝、JR横浜線のトラブルのため登庁が遅れ、判決言い渡しも当初の予定より30分遅れとなった。 |
申博(38) | |
2002年7月2日(5月11日、無銭飲食で逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
北朝鮮国籍の申博被告は、マンションの家賃が滞り退去を求められたことから強盗を計画。2002年4月29日夜、顔なじみだった茨城県総和町のすし店を訪れ、店主の男性(当時63)を刺殺し、現金76,000円を奪った。 | |
水戸地裁下妻支部 小野田豊宏裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月15日 無期懲役 | |
判決理由で、小野田裁判長は「犯行は、何度もつけで飲食させてくれた男性の好意を逆手に利用したもの。男性が苦しみながら『どうしてなんだ』と言うのを全く無視し、証拠が残らないよう隠ぺい工作するなど、男性への憐憫の情は一片もなく、冷酷で残忍な仕打ち」「確実に現金を強奪できるという理由から被害者を殺害したもので、その動機はきわめて身勝手かつ自己中心的。酌量の余地はない」と断罪した。 | |
被告側は控訴した。2003年6月13日、東京高裁で被告側控訴棄却。2003年11月27日、被告側上告棄却、確定。 |
柴田俊雄(57) | |
2002年4月15日(詐欺罪で起訴済み) | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造・同行使他 | |
2002年、無職柴田俊雄被告は、埼玉県蕨市に住む調理師の男性(当時55)宅に空き巣に入り、残高約800万円の預金通帳を発見。しかし、印鑑を見つけられなかったため、2002年3月17日、新聞拡張員を装って男性方を訪れた。男性を脅してキャッシュカードなどを奪い、さらに調理師を自宅に連行。銀行口座の暗証番号を聞きだした後、18日午前0時頃に殺害、銀行預金から約1,152万円を引き出した。遺体は茨城県千代田町の山中に埋めた。 4月15日、調理師のクレジットカードを使った容疑で逮捕、起訴された。遺体は供述に基づき、6月に発見されている。7月6日、強盗殺人容疑で再逮捕。 | |
さいたま地裁 若原正樹裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月15日 無期懲役 | |
若原正樹裁判長は「犯行動機は短絡的、自己中心的で全く同情の余地がない」とした。 | |
林慎一(41)/金浜宣義(34)/菅原隆一(35) | |
林被告、金浜被告:2000年8月11日(別の窃盗事件で7月31日に逮捕済) 菅原被告:2000年8月20日 | |
1名 | |
強盗致死他 | |
無職林慎一被告、金浜宣義被告と菅原隆一被告は2000年6月25日午前10時35分頃、富士市川成島の市道を歩いていた会社員の女性(当時57)に乗用車で接近。金浜被告が窓から手を伸ばして現金約40万円が入った手提げバッグ(時価約68,000円)を奪った。女性は数メートル引きずられた後に転倒し、乗用車にひかれて死亡した。林被告が運転席、金浜被告が助手席、菅原被告は後部席にいた。また事件後、バッグに入っていたクレジットカードを使い、現金約30万円を引き出した。 3被告は覚せい剤の取引を通じて知り合い、1995年ごろから神奈川県内で自販機窃盗を行っていた。その後、盗んだ車を使って毎日のように静岡など4県に出向き、ひったくりなどを繰り返した。余罪は計約900件。被害額は計1億2,600万円に上る。2001年6月には神奈川県内で観光バス(被害額約2,000万円)を盗んで売却もしていた。3被告は約1,800件分を認めているらしい。 | |
東京高裁 中川武隆裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月20日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
一審初公判で林、金浜両被告は起訴事実を全面的に認めたが、菅原被告は「絶対に転ばせてしまうと思い、2人にやめろと言ったので共謀はしていない」と述べた。 控訴審判決理由は不明。 | |
2002年4月11日、静岡地裁沼津支部で3被告に対し求刑通り一審無期懲役判決。判決理由で増山宏裁判長は「浅薄な犯行で酌量の余地はない。死亡したのは意図したものでないにせよ、起こるべくして起こった」と述べた。 林被告は上告せず確定。2被告は上告した。2004年10月20日、最高裁で被告側上告棄却、確定。 |
梅田勝治(43) | |
2002年1月4日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
福岡市の土木作業員梅田勝治被告は、遊興費のために消費者金融やヤミ金融から借りた約800万円の返済に困り、2001年12月27日夜、元同僚で福岡県篠栗町に住む会社員の男性(35)宅で借金を申し込んだ。しかし男性に断られたため殺害、現金約21万5,000円を奪ってヤミ金融に返済した。さらに28日、再び男性宅に侵入し、金目のものを物色した。 | |
福岡地裁 林秀文裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月22日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
判決理由で林裁判長は「パチンコなどで多額の借金を抱え闇金融に手を出して返済不能に陥り、取り立てから逃れようと、被害者を殺害し現金を奪った」と指摘。「犯行後も証拠隠滅を図った上、現場に戻ってさらに物色している。刑事責任は極めて重い」と述べた。 | |
笠知足(25) | |
2002年4月11日(死体遺棄容疑) | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
無職笠知足被告は、かつて勤めていた金融業の経営者である男性(当時20)の横暴な態度に腹を立て、2002年3月24日、東京都台東区の事務所で男性の頭をガラス製灰皿などで殴り、首にビニール製のひもを巻いて殺害したうえ、現金約410万円を奪った。さらに韓国籍の男性被告ら2人と共謀し、翌日、笠被告が運転する車で男性の遺体を市川市の堤防に運んで捨てた。 | |
千葉地裁 金谷暁裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月23日 無期懲役 | |
弁護側は殺人と窃盗の併合罪に当たると主張していたが、金谷裁判長は「犯行前から金を強取する意思があった」と強盗殺人罪を認定した。 | |
共犯者は懲役10年などが言い渡されている。 被告側は控訴した。2003年7月2日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
ブ・バン・ホア(34 ベトナム国籍) | |
2001年7月10日(銃刀法※違反容疑) | |
2名 | |
殺人、銃刀法※違反 | |
2001年7月7日、東京都中央区の旧常磐橋上で暮らしていたベトナム国籍のブ・バン・ホア被告は、同じ橋に住むホームレスの男性2名(当時49、32)と口論になり、文化包丁で刺して殺害した。 ホア被告は難民認定を受け仕事をしていたが、窃盗事件を起こし服役。出所後の1998年から路上生活をしていた。 | |
東京高裁 村上光鵄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月27日 無期懲役(一審破棄) | |
村上裁判長は「被告の刑事責任は誠に重大で、難民であることなどを有利に解釈した一審判決は誤り」と述べ、一審で無期懲役を求刑した検察側の「量刑が軽すぎる」との主張を認めた。 | |
2002年7月12日、東京地裁で一審懲役20年判決。青柳勤裁判長は「被告が飲酒を断ると殴るなど被害者らの日ごろの言動が事件を誘発した面もあるが、犯行は正当化されるものではない」と指摘。その上で「難民として身寄りのない日本で路上生活していた境遇には同情も感じる」などとして有期刑を選択した。 |
ノジェデヒ・ラシュギャリー・レザ(33) | |
1999年11月7日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
イラン国籍の飲食店従業員ノジェデヒ・ラシュギャリー・レザ被告は、別れた妻との間の子供の養育費を払うため強盗を計画。1999年11月5日午後3時半ごろ、顔見知りだった取手市のスナック経営者の女性(当時59)の自宅へ押し入り、胸や腹を包丁で刺して殺害し、現金46万円入りのバッグを奪った。 | |
東京高裁 原田国男裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月29日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
被告は一審の初公判で起訴事実を認めたが、途中から無罪を主張していた。 弁護側は「被告は凶器を処分しただけで、実行犯は別にいる」と無罪を主張したが、原田裁判長は「捜査段階の供述や証拠から実行犯であることは疑いがない」として退けた。 | |
2001年10月26日、水戸地裁土浦支部で一審無期懲役判決。弁護側は「被告は凶器を処分しただけで、実行犯は別にいる」と無罪を主張したが、山崎和信裁判長は「(主張を)裏付ける証拠がない上、被告の供述は変遷しており信用できない」と退けた。判決言い渡しの途中でラシュギャリー被告は「ふざけるな。おれは犯人じゃない。犯人は日本人だ」と日本語で怒鳴り、目の前の証言台をけり倒したため、山崎裁判長は退廷を命じた。 被告側は上告の方針。 |
福岡徹時(59) | |
2001年7月2日 | |
1名 | |
殺人他 | |
元会社社長福岡徹時被告と、元廃棄物運搬業O被告(二審懲役20年判決)は、埼玉県久喜市の無職男性(当時45)に計1億円の生命保険をかけたうえ、2001年6月30日夜、さいたま市内の路上でハンマーで男性の頭を殴って殺害した。 | |
東京高裁 白木勇裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月29日 無期懲役(一審破棄) | |
白木裁判長は「冷酷、残虐な犯行で、一審さいたま地裁判決は軽きに過ぎる」と述べた。検察側は両被告を無期懲役にするよう求めていたが、O被告については「従属的立場だった」とした。 | |
2002年5月17日、さいたま地裁で一審懲役20年判決。O被告は懲役15年判決。若原裁判長は判決理由で「計画的で冷酷非情な犯行だが、両被告とも逮捕直後に犯行を自白し、保険金取得の実現可能性はほとんどなかった」と指摘。O被告については「首謀者である福岡被告に比べ、従属的な立場だった」と述べた。 |
吉丸明則(55) | |
2001年1月9日(2000年11月28日、暴力行為容疑で逮捕) | |
1名 | |
暴力行為等処罰に関する法律違反、脅迫、殺人、詐欺未遂、現住建造物等放火 | |
会社役員吉丸明則被告(旧姓川下)は2000年8月12日、借金の返済などで金に困っていたことから、妻(47)=殺人罪などで2003年3月24日、求刑通り懲役20年判決=と共謀して保険金殺人を計画。社員(当時35)に8社分1億4,500万円の生命保険をかけ、廃品回収業の男(当時44)=家宅捜査中に逃走しようとして転落死=に依頼し、社員を殺害させた。 別の知人の男二人と共謀し、西区の無職女性を立ち退かせようとして2000年2月16日、ガソリンをまいて女性宅に放火し、約230平方メートルを全焼させた。 | |
広島地裁 小西秀宣裁判長 | |
死刑 | |
2003年1月29日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
判決理由で小西裁判長は「保険金目的で従業員を殺害するために会社を設立した上、アリバイ作りもしていた。計画的な犯行で殺害の状況も執拗かつ残虐。刑事責任は重大」と指摘。その上で、死刑を選択しなかった理由として●被害者は一人●保険金を受け取っていない●反省の態度を示している-などを挙げた。 | |
検察・被告側は控訴した。2004年5月27日、広島高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず、確定。 |
原基(42) | |
2002年1月23日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
パチスロなどで990万円の借金があった社交ダンス講師の原基被告は、2001年12月21日夜、ダンス教室の生徒だったMさん(81)の自宅で借金を申し込んだが断られたため、首を絞めて殺害、現金16万1,500円を奪い、23日に下田市白浜の別荘の床下に死体を捨てた。 | |
静岡地裁沼津支部 高橋祥子裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月30日 無期懲役 | |
高橋裁判長は判決で、「自らの金銭的欲望を満たし、ダンス教師の立場を保持するために人命を犠牲にしたもので、同情すべき点は全くない」と指摘した。「殺害を遂げた後、死体を放置したまま金品を物色するなど、強盗殺人の犯意は強固で卑劣」とした。 | |
控訴せず確定。 |
原田はるみ(37)/原田久芳(29) | |
2002年5月12日(はるみ被告は4月頃窃盗罪で逮捕、起訴) | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、窃盗 | |
福島県相馬市の無職原田はるみ被告は、4年前に元雑貨商(当時77)へ結婚を持ちかけて借りた約350万円の返済を迫られ、2002年3月19日、夫の無職、久芳被告と長女(はるみ被告の連れ子 当時18 少年院送致)と共謀。相馬市内の自宅に元雑貨商を呼び出し、久芳被告が殺害。現金40万1,000円と乗用車を奪い、遺体をダム湖に捨てた。 原田はるみ被告は、当時引き網漁船の乗組員だった久芳被告が漁期になると週末ぐらいしか帰宅しないことに乗じ、知人などの男性から金を借り、遊興に耽っていた。久芳被告が無職になってからも、他の男性と交際してもらった金を生活費に充てていた。 他に、ホテルからのテレビの窃盗1件がある。 | |
福島地裁 原啓裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年1月31日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
原裁判長ははるみ被告が主犯と認定。久芳被告については、はるみ被告が被害者を殴打するのを見て殺害に参加したなどとしてはるみ被告より若干責任が軽いものの、情状酌量するほどではないとした。そして「多額の現金を持ち歩く被害者を狙った悪質な犯行で、動機は短絡、安易で自己中心的。社会に与えた不安、衝撃は深刻だ」などと判決理由を述べた。 | |
両被告とも控訴した。原田はるみ被告は控訴したが、2月24日付で取下げ、確定。原田久芳被告は2003年11月20日、仙台高裁で被告側控訴棄却。2004年3月29日、被告側上告棄却、確定。 |
来栖勇(35) | |
2002年1月23日 | |
1名 | |
強盗殺人、建造物侵入他 | |
会社役員来栖勇被告は経営する清掃道具リース会社の経営が悪化して多額の借金を背負い、資金繰りに困ったため、桐生市にあるJA支店のCD(現金自動支払機)から金を盗もうと計画。 2002年3月11日午後6時40分ごろ、JAに侵入し、現金自動支払い機(CD)を物色。隣のガソリンスタンドから帰ってきた職員の男性(当時49)の顔に催涙スプレーを吹きかけ、後頭部などをバールで何度も殴って殺害するなどした。職員が持っていた現金3万円入りの財布などを奪い逃走した。 | |
前橋地裁 長谷川憲一裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月4日 無期懲役 | |
来栖被告は「殺して金を取ろうとは思っていない」と殺意が衝動的であることを主張した。 長谷川裁判長は「犯行当初、殺人についての計画性は認められない」としながらも、来栖被告が倒れて逃げようとする男性の両足をつかんで引き戻し、頭を執ように殴ったことを指摘し、「強固な現金奪取の意思や確定的な殺意があった」と判断した。そして「犯行は執拗かつ残忍で、結果は真に重大である」とした。 | |
被告側は控訴した。2003年7月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。8月27日、上告取下げ、確定。 |
村田正樹(28) | |
2000年12月4日(自首) | |
1名 | |
強盗殺人、銃刀法※違反 | |
設計事務所勤務の村田正樹被告は、2000年12月2日午前0時50分頃、買い物に立ち寄ったコンビニエンスストアでたまたま見かけた女性会社員(当時28)に性的興味を抱いて後をつけ、女性が住む広島市のアパート3階の玄関前で所持していた折り畳みナイフを見せながら部屋に入ろうとしたが、女性は拒絶し、抵抗。村田被告は女性から約1万5,000円入りのショルダーバッグを奪って逃げた。部屋から出てきた同アパート2階在住の男性中学校非常勤講師(当時27歳)に女性が説明し、二人は村田被告を追いかけた。午前1時ごろ、村田被告は追いかけてきた男性を路上でナイフで刺殺した。 | |
広島高裁 久保真人裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月4日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
控訴審で弁護側は、村田被告が妄想性人格障害や精神分裂病などの精神疾患を発症しているとして精神鑑定を求めたが却下されている。 被告側は「殺意はなかった」などと主張したが、久保裁判長は「言い逃れにすぎず、刺し傷の深さなどから殺意はあった。刑事責任は重大」と退けた。 判決言い渡しの最後に久保裁判長は「刺殺された男性や、バッグを奪われた女性の気持ちをもっと考えてください」と諭したが、村田被告は無言のままだった。 | |
村田被告の家族は一審の公判中に講師の遺族に慰謝料1,500万円を支払っている。 2001年3月20日、広島地裁で求刑通り一審無期懲役判決。上告せず、確定。 |
田中利明(35) | |
2001年7月4日(銃刀法※違反で現行犯逮捕) | |
0名 | |
強盗強姦、強盗、強姦他 | |
無職の田中利明被告は1998年6月から2001年7月の間、大阪市内のマンションなどで深夜から早朝に帰宅してきた10代から20代の女性16人に乱暴した上、現金計約400,000円を奪うなどした。 | |
大阪地裁 古田浩裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月4日 無期懲役 | |
古田裁判長は「被害者の肉体的、精神的苦痛は重大。女性を自己の欲情の道具としか見ない卑劣さ。犯行は連続、常習化しており、戦りつさえ覚える」などとした。被害者の中には顔をカッターナイフで傷つけられたり、顔をけられて目が不自由になったほか、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされ続けている女性もおり、古田裁判長は「人間不信に陥り、転居、退職を余儀なくされたほか、暴行で視力を失ったりPTSD(心的外傷後ストレス障害)で通院したりするなど、あまりに悲惨。被害者の人格をかえりみない凶悪犯行で、酌量の余地はない」と断罪した。 | |
被告側は控訴した。 |
本田晃英(49) | |
2000年6月2日(2000年?に電子計算機使用詐欺罪などで逮捕、起訴) | |
1名 | |
殺人他 | |
農協職員だった本田晃英被告は、新潟県湯沢町の給排水設備会社社長Hさん(当時44)への不正融資が発覚し、約5,000万円を返済することになったため、約2億円の保険金目当てで殺人を計画。実行犯2名に指示し、1999年7月18日、Hさんが乗った乗用車をがけ下50mの川に転落させ、水死させた。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月4日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
弁護側は「被告には動機がない」などと無罪を主張したが、仙波裁判長は「債務返済のため生命保険金を得ようとした動機が推認できる。被告が首謀者であり、刑事責任は極めて重大」と退けた。 | |
2001年12月11日、新潟地裁で求刑通り一審無期懲役判決。実行犯2名は懲役18年、15年が確定。 |
高山正樹(27) | |
2000年8月8日 | |
0名 | |
強姦致傷、強姦未遂、強制わいせつ | |
高山正樹被告は1999年3月10日から2000年8月1日にかけ、仙台市内のマンションの階段踊り場などで、3歳から10歳の女児11人に対し、4件の強姦未遂、5件の強制わいせつ及び2件の強姦致傷事件を起こした。 | |
仙台高裁 松浦繁裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月6日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
検察側は公判で「計45人の幼女が映った15本のビデオカセットがあり、100人を越す犯行の供述もあった」と指摘した。 被告は「記憶にない」と発言、弁護側は一審同様「精神分裂病だった」「心神耗弱状態だった」と主張した。 松浦繁裁判長は「犯行状況や言動をみても善悪を弁識しており、完全責任能力を認めた一審判決に誤りはない」と指摘。「(起訴事実以外も含め)3年以上にわたり同種犯罪を繰り返し、ビデオに写された女児だけでも45人に上るなど被告の矯正は困難」「獣欲に駆られて幼い女の子の体と心をむしばんだ犯行は冷血で人間性を欠く」とした。 | |
2002年3月27日、仙台地裁(前田巌裁判長)にて求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年5月10日、被告側上告棄却、確定。 |
小川康(39) | |
2001年11月26日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
2001年9月23日、無職の小川康被告は自堕落な生活による借金苦から、厚真町の燃料店経営者(当時74)方を訪れ、トイレを借りるふりをして男性方に上がり込み、金を奪おうとナイフで男性の胸や腹を数回刺して大けがを負わせた。男性は歩けるまでに回復したが、病院のベッドで長時間横たわっていたことなどによる急性肺そく栓症で、19日後に死亡した。 | |
札幌高裁 仲宗根一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月6日 無期懲役(一審破棄) | |
仲宗裁判長は「一審は軽すぎて不当」とした。 | |
2002年9月2日、札幌地裁室蘭支部で求刑無期懲役に対し、一審懲役15年判決。斉木利夫裁判長は犯行と死因とは因果関係があるとして強盗殺人罪を認めたが、「直接受けた傷は回復していた」として、「計画的で残忍な犯行だが、反省もしている」と述べた。判決を不服とした検察側が控訴していた。 被告側は上告した。2003年9月2日、被告側上告棄却、確定。 |
千葉弘幸(43)/タン・ブン・ケ(28 マレーシア国籍) | |
2002年5月19日 | |
1名 | |
造物侵入、強盗殺人、窃盗、出入国管理及び難民認定法違反(タン被告のみ) | |
元警備会社員千葉弘幸被告と、マレーシア国籍で無職タン・ブン・ケ被告は、2002年4月30日午前2時5分頃、埼玉県狭山市市民会館の警報装置を誤作動させて警備員の男性(当時26)をおびき寄せ、くぎ抜きや特殊警棒で殴打。粘着テープで縛り、包丁で刺し殺した。奪った合鍵で市内の銀行支店に侵入し、現金自動預入払出機(ATM)から現金1,934万円を盗んだ。 | |
さいたま地裁 川上拓一裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月7日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
川上裁判長は判決で、千葉被告に対し「パチンコ等の遊興にふけって消費者金融から借金を重ね、長男の養育費の支払いや、借金返済ができなくなると考え、犯行に及んだ」などと指摘。「警備会社に勤務していた当時の知識や経験を悪用して犯行を計画、主導的に遂行しており、犯行は強固な犯意に基づいている悪らつなもの」と断罪した。また、タン被告に対しては「ゲームセンターで知り合った千葉被告の誘いを、一獲千金を夢見て承諾した。犯行の動機に酌量の余地は全くない」とした。そして「両被告には人間性のかけらも見いだせず、警備業界、一般社会に与えた衝撃や不安も軽視出来ない」などとした。 | |
千葉被告は控訴せず確定。タン被告は控訴した。2003年10月9日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
宋迪斯(21) | |
2002年4月24日(窃盗容疑。5月10日に強盗殺人容疑で再逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗他 | |
中国籍の留学生宋迪斯被告は在留期間更新のために必要な学費に窮したことなどから、2002年4月18日午後7時頃、二階の自分の部屋から洗濯物を落としたと埼玉県和光市で同じアパートの階下に住む無職男性(当時64)方を訪れ、男性が洗濯物を見に行ったすきに玄関内に侵入。戻った男性をナイフで脅し、奥の部屋で電気コードを使って縛ったうえ、現金5万円とキャッシュカード1枚を奪い、暗証番号を聞きだした後、ナイフで首を刺すなどして殺害した。翌19日午前9時ごろには、上福岡市内の現金自動預け払い機(ATM)から、奪ったキャッシュカードで35万円を引き出した。 | |
東京高裁 原田国男裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月12日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
弁護側は「量刑が重すぎる」と主張したが、原田裁判長は「学費に窮したという動機に酌量の余地はなく、事前の殺意も認められ、責任は重大」として退けた。 | |
2002年9月12日、さいたま地裁で求刑通り一審無期懲役判決。金山薫裁判長は「被告人は仕事をせず、生活費に窮して叔父から学費として借りた66万円を使い込み、不足した学費20万円を調達するために本件を敢行した」と指摘。「(犯行の)翌日、何食わぬ顔で学費を納入し、犯行に使用したナイフや着衣等を捨てたり、アリバイ工作をするなど情状も芳しくない」「自堕落な生活態度を改めることなく、留学生活を続けるために凶行を企図した。極めて強い非難に値する」などとした。 |
木下真博(30) | |
2001年12月29日 | |
1名 | |
強盗殺人、銃刀法※違反 | |
消費者金融「武富士」の元支店長だった木下真博被告は、架空融資による着服金の弁償分を親に返済するため、2001年12月28日深夜、長野大通り支店に押し入り、支店長(当時20)を刺殺。ATMなどから約420万円を奪った。 | |
長野地裁 青木正良裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月12日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
判決理由で青木裁判長は▽殺害計画を詳細にメモ▽かまや出刃包丁、返り血を予想しての着替えを用意▽男性が一人になる時間帯を狙っている▽証拠隠滅を図っている―などとして犯行の計画性を認定。「被害者を殺害する以外の方法を考えていたとは考えられず、確定的な殺意を有していたことは明らか」と指摘した。 一方、弁護側が「犯行は一種のパニック状態に陥った心理状態の下に行われた」と心神耗弱を主張していた点については「綿密な計画の下に首尾一貫して敢行し、精神異常を疑わせるような不自然な点はない」と退けた。また、同店支店長時代の木下被告が会社から厳しく営業目標の達成を迫られて過剰・架空融資をし、発覚後に債務を負った経緯も考慮すべきだとの弁護側の主張も認めなかった。 そして「犯行は計画的で、殺害態様は極めて執拗かつ残虐」とした。 | |
控訴せず確定。 |
町田和昭(41) | |
2002年6月7日 | |
1名 | |
強盗殺人、銃刀法※違反 | |
調理師町田和昭被告はパチンコに熱中して消費者金融から多額の借金をしていたため、2002年3月23日、叔父のMさん(当時68)方でMさんを殺害、約48,000円を奪った。 | |
長崎地裁 山本恵三裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月13日 無期懲役 | |
判決理由で山本裁判長は「見つかった場合は首を絞めて殺害することを想定した上での計画的な犯行」「返済金欲しさに叔父を殺害して現金を強取した。父親に知られてしかられるのが嫌だったので殺害もやむを得ないと決意するなど、40歳にもなる大人の考えるべきことでなく、極めて幼稚で短絡的」などと述べた。 | |
県警から参考人聴取を受けた被害者の幼なじみの男性(当時74)が2002年4月13日、「私は犯人ではない」との遺書を残して自殺した。
控訴せず確定。 |
王帥(23)/李揚名(23) | |
2002年6月7日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗 | |
中国籍の無職王帥被告と飲食店従業員李揚名被告は、王被告の顔見知りである東京都八王子市に住む女性(当時22)がエステ店開業などのため200万円を預貯金していたことを知り、2001年6月26日昼、女性方に押し入り、女性の目や口を粘着テープで縛るなどしてキャッシュカードを奪い、首を手で絞めるなどして殺害した。両被告はカードで、同市内の2か所の銀行から計672,000円を引き出した。遺体は7月17日、友人の日本人男性によって発見された。 | |
東京地裁八王子支部 大淵敏和裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月14日 無期懲役 | |
王被告は公判で、「女性を縛って銀行に金を取りに行って戻ってくると、李被告が『女性が暴れたので殺害した』と言った」などとして強盗殺人罪を否認したが、大淵裁判長は、起訴事実を認めた李被告の供述が信用できることなどを挙げ、「王被告が殺害の実行行為に及んだのは証拠上明らか」と退けた。そして「金銭欲に尽き、酌量の余地はない」と断じた。 | |
渥美圭一郎(32)/佐藤浩和(37) | |
2002年2月18日(佐藤被告は窃盗容疑で1月に逮捕済み、渥美被告は詐欺容疑で起訴済) | |
2名 | |
強盗殺人、死体遺棄、窃盗他 | |
渥美圭一郎被告、佐藤浩和被告(旧姓岡田)はパチンコの出玉を不正操作する「ゴト師」グループのメンバーだったが、リーダーの埼玉県川口市に住む元寿司店経営者の男性(当時36)と、ナンバー2の同県所沢市に住む元パチンコ店従業員の男性(同30)に黙って他の2名と手を組み、パチスロ機を不正に操る装置「裏ロム」を仕掛け、稼ぎを得ていた。この行動がリーダーに発覚し暴行を受けたため、恨みを晴らすのとグループを乗っ取る目的で殺害を計画。リーダーら2名の首を絞めて殺害し、計約120万円を奪い、2人の遺体を登別市内のトレーラー荷台に遺棄した。遺体は2001年11月に発見された。 佐藤被告は勤務していたパチンコ店のパチスロ機から、裏ロムを仕掛ける目的でロムを盗んだとして窃盗の疑いで2002年1月下旬に逮捕されていた。 | |
札幌地裁 遠藤和正裁判長 | |
渥美被告:死刑 佐藤被告:無期懲役 | |
2003年2月14日 ともに無期懲役 | |
判決理由で「動機に酌量の余地はなく、犯行は残虐非道だが、被害者らが殺害される一因は、反社会的集団で活動したことにあり、典型的な強盗殺人と同列視できない」としていた。 | |
共犯2名は求刑無期懲役に対し「追従的立場である」と懲役15年の判決。渥美被告について、検察側は控訴。佐藤被告は控訴せず確定。2004年3月22日、渥美被告に対する検察側控訴棄却。上告せず確定。 伊豆市に住む元パチンコ店員の遺族3人は損害賠償を求めて提訴。2004年5月27日、静岡地裁沼津支部は、犯行グループ4人に対し、元店員の子に2,500万円、両親に各250万円の支払いを命じた。 |
矢野勲(51) | |
2002年7月1日 | |
1名 | |
窃盗、住居侵入、強盗殺人、窃盗未遂 | |
無職矢野勲被告は消費者金融などからの約400万円の借金の返済に困り、2002年6月14日午前2時半ごろ、老人ホーム職員Aさん(当時59)宅に侵入し、ショルダーバッグを物色しようとしたところを気付かれたため、Aさんの首を両手で絞め、窒息死させた。その後、キャッシュカード3枚と現金12,000円を奪い、金沢市内の複数の金融機関から約24万円を引き出した。 | |
金沢地裁 伊東一広裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月17日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
伊東裁判長は「消費者金融からの借金返済など自己中心的な動機で、酌量の余地はない」と厳しく非難。「指紋を残さないよう軍手を用意するなど、極めて計画性に富んでいる」と指摘して、犯行の悪質性を断罪した。そして「確定的殺意を持って力一杯、(被害者の)首を絞めるなど冷酷かつ残虐」と述べた。 | |
被告側は控訴した。2003年5月30日、控訴取下げ、確定。 |
寺田実(63) | |
2002年7月7日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
無職寺田実被告は2002年6月9日夜、大阪市西成区の知人男性(当時58)宅を訪問。男性と会話中、突然男性の首を絞めて殺害、現金約46,000円や貯金通帳を奪った。その後、盗んだ通帳で約20万円を引き出すなどした。賭け事による借金苦からの犯行。 | |
大阪地裁 上垣猛裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月24日 無期懲役 | |
寺田被告は裁判で「強盗殺人ではなく、殺人と窃盗だ」と主張したが、上垣裁判長は「捜査段階で殺害などの動機を詳細に述べており、被告の主張は信用できない」と退けた。そして上垣裁判長は「借金返済や遊興費欲しさの冷酷、残忍な犯行で、動機に酌むべき事情はない」と判決理由を述べた。 | |
被告側は控訴した。 |
高木六太郎(56) | |
2002年2月27日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
2002年2月9日、高木六太郎被告は豊田市の団地で一人暮らしの老人(当時74)方に侵入、顔を包丁で数回刺して殺害、奪った預金通帳などから現金58万円を引き出した。 | |
名古屋地裁岡崎支部 堀毅彦裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月24日 無期懲役 | |
判決理由で、堀裁判長は「被害者の無念は察するに余りある」と述べた。弁護側は殺意を否定していたが、判決は「通帳を盗みに入って見つかったら殺そうと事前に包丁を用意していた」と殺意を認定。「身勝手な動機で酌量の余地はない」と断じた | |
馬場正太郎(61) | |
2000年12月6日 | |
0名(死者1名) | |
非現住建造物等放火、建造物侵入、窃盗、現住建造物等放火、現住建造物等放火未遂、器物損壊、建造物等以外放火 | |
一宮市で菓子小売業を営んでいた馬場正太郎被告は、パチンコにのめり込んで経営資金に窮し、腹いせから放火を繰り返した。1999年10月から2000年11月までに一宮市や名古屋市西区を中心に約20件、民家や倉庫に放火や放火未遂を繰り返した。1999年12月には一晩で15件の放火を行い、家屋が焼けた女性(当時81)が死亡した。自供した放火件数は100件以上、うち19件で起訴。他に放火による器物損壊1件、窃盗1件、住居侵入・窃盗1件で起訴。被害総額は約5億5千万円に上る。 | |
名古屋地裁 伊藤新一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月25日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
判決は、動機は身勝手で酌量の余地はまったくないと指弾。放火による焼失は30棟の計1,840平方メートル、被害額は約5億5,000万円に上ることを挙げ、「結果は甚大で被害者の打撃は大きく、犠牲者の遺族はじめ処罰感情は厳しい」と述べた。深夜の連続放火が地域住民を長期間不安に陥れたことも指摘、重罰で償わせるべきだと判断した。 また「パチンコに負けた憂さ晴らしなどで放火を繰り返し、その中で犠牲者1人が出た結果は重大。刑事責任は極めて重い」と述べた。 | |
小野寺宣之(33) | |
2000年9月11日 | |
2名 | |
強盗致死、殺人、強盗殺人未遂、現住建造物等放火未遂、覚せい剤取締法違反(自己使用、所持)、銃砲刀剣類所持等取締法違反(加重所持)、逮捕監禁他 | |
指定暴力団稲川会系暴力団組長後藤良次(ごとう・りょうじ)被告は、水戸市内で知人である茨城県常陸太田市に住む元暴力団組員で人材あっせん業の男性(当時33)に体面を傷つけられたと激怒。2000年7月30日午前0時半ごろ、暴力団組員ON被告と共謀して乗用車に監禁。約1時間後、両手両足を縛ったまま水戸市下大野町の橋上から約15メートル下の那珂川に投げ込んで殺害した。 後藤被告と男性は数年前、服役中に知り合い、覚せい剤の売買などで付き合いがあった。男性は知人の男性との車の売買などを巡るトラブルの仲裁を後藤被告に依頼したが、男性の説明に矛盾があったことに腹を立て、犯行に及んだ。 後藤良次被告はON被告、暴力団幹部YH被告、暴力団組員ST被告、無職UM被告、土木作業員SK被告と共謀。2000年8月20日午後7時前、宇都宮市内の自動車販売業の知人男性Kさん(当時37)、高根沢町の無職男性Nさん(当時37)を宇都宮市内のパチンコ店の駐車場に呼び出し、そのままKさんの住む12階建てマンションの最上階の部屋に向かった。しかしKさんは鍵を持っていなかったため、鍵を持っている知り合いで宇都宮市に住む飲食店従業員の女性Aさん(当時24)に連絡。午後10時50分ごろ、Aさんは友人の無職女性Iさん(当時31)と一緒にマンションへ行き、そのまま部屋に入った。後藤被告らは4人を縛り上げ、短銃で脅し、全員に覚せい剤を注射し、脅迫を続けた。21日午前0時から午前1時にかけ、Aさんを急性薬物毒中毒で死亡させた。さらにKさんらの胸を鋭利な刃物で刺し、灯油をまき、火をつけた。Aさんの乗用車(約300万円相当)と二人から現金19,000円、腕時計2個などを奪い、午前2時半ごろに逃走した。Nさんが自力で紐をほどき、水で火を消した後、通報した。 Nさんは事件の数か月前まで後藤被告の車の運転手をしており、辞めたことについて腹を立てていた。Kさんは以前宇都宮市内に住んでいたマンションをYH被告に組事務所として貸す約束を守らず、さらにYH被告の父親の葬儀に参列しなかったことなどに後藤被告らは腹を立てていた。KさんとNさんは小中学校時代の友人であった。ただ、Aさん、Iさんは後藤被告と接点はなかった。 8月22日、宇都宮中央署の捜査本部は、後藤被告を現住建造物等放火と殺人未遂容疑で、全国に指名手配した。29日にはON被告(殺人未遂、現住建造物等放火未遂、逮捕監禁容疑)、UM被告(逮捕監禁容疑)、SK被告(逮捕監禁容疑)を指名手配した。30日、埼玉県のホテルに宿泊していた後藤被告、ON被告、UM被告を逮捕。自動式短銃一丁を所持していたため、銃刀法違反(共同所持)でも現行犯逮捕した。同日、SK被告が出頭したため逮捕した。9月5日、出頭した無職S容疑者を逮捕監禁容疑で逮捕。6日、YH被告とST被告を指名手配。9日、殺人未遂、現住建造物等放火未遂、逮捕監禁容疑でST被告を逮捕。10日、殺人未遂、現住建造物等放火未遂、逮捕監禁容疑でYH被告を逮捕。23日、強盗致死容疑で後藤被告、ON被告、UM被告、SK被告を再逮捕。 10月16日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で後藤被告、ON被告を再逮捕した。12月7日、水戸署は常陸太田市に住む男性の殺人、監禁容疑で後藤被告、ON被告を再逮捕した。 | |
宇都宮地裁 飯渕進裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月25日 無期懲役 | |
飯渕裁判長は、量刑理由で、後藤被告を両事件の主犯と認定し、「小野寺被告は後藤被告に従った」「Y被告の責任は、後藤被告らと隔たりがある」と述べた。 | |
後藤良次被告は2003年2月24日、宇都宮地裁で求刑通り一審死刑判決。2004年7月6日、東京高裁で被告側控訴棄却。2007年9月28日、被告側上告棄却、確定。 YH被告は2003年2月25日、宇都宮地裁で一審懲役15年判決(求刑無期懲役)。そのまま確定と思われる。 ST被告は2003年2月27日、宇都宮地裁で一審懲役15年判決(求刑無期懲役)。そのまま確定と思われる。 UM被告は2003年2月27日、宇都宮地裁で一審懲役12年判決(求刑懲役15年)。そのまま確定と思われる。 SK被告は2003年2月27日、宇都宮地裁で一審懲役10年判決(求刑懲役12年)。そのまま確定と思われる。 S容疑者は不明。 控訴せず確定。 |
今井和美(45)/石川恒雄(51) | |
2002年2月14日 | |
1名 | |
今井被告:強盗殺人、死体遺棄、窃盗、住居侵入、有印私文書偽造・同行使、詐欺 石川被告:強盗殺人、死体遺棄、窃盗、住居侵入 | |
元暴力団員の今井和美被告と石川恒雄被告は、2002年1月、新潟市内で今井被告と同居していた男性(当時48)を脅して現金約28,000円とキャッシュカードを強奪。革製ベルトで男性の首を絞めて窒息死させ、遺体を同市内の砂防林に埋めて遺棄した。更に、現金自動預払機を使い、奪ったキャッシュカードで銀行口座から現金80万円を引き出すなどした。死体は2月13日に発見された。 | |
新潟地裁 榊五十雄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月25日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
榊五十雄裁判長は「人命の尊さを一顧だにしない残忍な犯行で、再犯の危険性も高い」と述べた。両被告は殺害の計画性を否認していたが、判決は「死体遺棄現場を下見するなど、成り行き次第では男性を殺害することを認識しており、ある程度の計画性があった」と判断。有期刑を求める弁護側の主張を退けた。 | |
被告側は控訴した。2003年10月20日、東京高裁で被告側控訴棄却。2004年4月16日、被告側上告棄却、確定。 |
中尾真弓(38) | |
2001年9月25日(死体遺棄容疑で9月4日に逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
中尾真弓被告と知人の山本景弘受刑者(34 2002年12月、大阪高裁で無期懲役が確定)は多額の借金があったことから、1999年7月、中尾被告が家政婦として雇われていた吹田市のKさん(当時62)に睡眠薬入りスパゲティを食べさせ眠らせたうえ絞殺し、遺体を袋詰めにして青森港に捨てた。その後、キャッシュカードや預金通帳から計約550万円を引き出した。7月24日に遺体が発見された。 | |
大阪高裁 浜井一夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年2月28日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
浜井一夫裁判長は「利己的な動機で、卑劣、残忍な犯行。神経症でも判断能力はあった」と述べ、「心神耗弱で責任能力はない」と主張した被告の訴えを退けた。 | |
2001年8月8日、大阪地裁にて求刑通り一審無期懲役。 |
徳丸慈文(45) | |
2001年9月22日?(詐欺罪で9月20日に逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人予備、強盗予備 | |
徳丸慈文被告は銃刀法違反容疑で服役していた福岡刑務所を2001年9月17日に出所。同日、久留米市のスナック経営者(当時53)を牛刀で脅して現金約4万円を奪い、絞殺。2日後、熊本市内のスナックで強盗殺人を計画し、ナイフを持って店に入ったが、客が絶えなかったため断念。20日、無銭飲食で逮捕された。 | |
福岡地裁久留米支部 高原正良裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月4日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
公判で「(経営者)を殺したのは後悔していない。社会に適応できない」と死刑を求めたが、2003年1月の最終陳述で傍聴席の遺族に「申し訳ありませんでした」と謝罪した。 高原裁判長は「成人後、大半を刑務所で過ごした徳丸被告は『生きていても仕方ない』と思い、事件を起こして死刑になろうと考えた」と指摘。「死刑になるために人を殺し道連れにしようとした考えは、全く自己中心的」と述べた。 | |
被告側は控訴した。控訴審判決日不明。2004年4月26日、被告側上告棄却、確定。 |
吉脇恒男(62) | |
2002年4月17日(別件の詐欺容疑で3月27日に逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人、住居侵入、銃刀法※違反他 | |
吉脇恒男被告は遊ぶ金に困り、2002年1月22日、以前、金を貸してくれた福岡県鞍手町の知人の家に押し入り、長女の主婦(当時37)にナイフを突きつけて「金を出せ」と脅したが抵抗され、腹部や胸部などを多数回刺して失血死させた。金は奪わず、逃走した。 | |
福岡地裁飯塚支部 有吉一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月5日 無期懲役 | |
有吉裁判長は「抵抗する被害者の首などを三十数カ所も刺しており、とても血の通った人間のものとは思えない残虐な犯行」と述べた。 | |
吉脇被告に逃走資金を渡し、犯人隠避容疑で逮捕されていた女性は「殺害を知らなかった」として、処分保留で釈放された。 |
杉田忠博(45) | |
2002年1月24日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
宮崎市にてステーキハウスを経営していた杉田忠博被告は、2000年の口蹄疫や2001年の狂牛病騒ぎで売り上げが落ち込み、10月に客だった暴力団幹部(67)から200万円を借金したが、12月に利子を加えた600万円の返済を迫られたことから、このままでは妻子に危険が及ぶと判断し、2002年1月10日、幹部宅に押し入り、寝ているところをナイフで胸を刺して殺害。寝室内の金庫をこじ開けて現金約300万円と腕時計などを奪った。その後も幹部宅に二回入り、額面1億4,000万円の定期預金証書などを奪った。杉田被告は他に消費者金融から数百万円の借金があった。 | |
福岡高裁宮崎支部 岩垂正起裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月6日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
判決理由で岩垂正起裁判長は「周到な計画性をもった犯行で悪質」と述べた。 | |
2002年10月28日、宮崎地裁にて求刑通り一審無期懲役判決。杉田被告は上告しない方針。 |
氏 名 | 福田薫(56) |
逮 捕 | 2001年5月29日(詐欺罪で起訴済み) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 有印私文書偽造、同行使、詐欺、電磁的公正証書原本不実記録、同供用、窃盗、死体遺棄、殺人、横領 |
事件概要 |
絵画リース業福田薫被告は、高校の同級生だった会社員(当時51)に画廊の共同経営資金として投資させた300万円の返済を迫られ、2000年3月8日、北九州市の空き事務所にて会社員を殺害。14日に知人(60、死体遺棄罪等で実刑確定)と共謀して山口県美祢市の山中に埋めた。 福田被告は、2000年4月に会社員の名前を騙り消費者金融から20万円をだまし取った件につき詐欺罪で2001年逮捕、起訴。同じく会社員のクレジットカードを使用した件で捕まった知人の供述により、遺体が発見された。 |
裁判所 | 福岡地裁小倉支部 大泉一夫裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 |
2003年3月10日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) |
裁判焦点 |
被害者を殺害したのは共犯者であると主張。 大泉裁判長は「別の殺人と死体遺棄罪で仮出獄中にもかかわらず人を殺害し、共犯者に死体遺棄を手伝わせて罪をなすりつけようとする反社会的な性格は、長期間の服役でも全く改善されていない。反省も皆無で、道義的責任も重い」と述べた。 |
備 考 |
1986年5月19日、福岡地裁小倉支部において殺人及び死体遺棄罪により懲役15年の判決を受けて確定。1998年6月18日に仮出獄。 共犯者は死体遺棄で懲役6年が確定。 被告側は控訴した。控訴審判決日不明。2005年2月1日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 小沢リサ枝(45) |
逮 捕 | 2001年8月23日(有印私文書偽造で8月2日に逮捕済) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 有印私文書偽造、同行使、強盗殺人、詐欺他 |
事件概要 | 建具業手伝い小沢リサ枝被告は、2001年6月6日午前7時頃、アパート隣室のパート店員の女性(当時53)方を訪ね、借金を申し込む振りをしていきなり女性の首をビニールひもや部屋にあったスカーフなどで絞めて殺し、預金通帳やカギを奪った。さらに預金口座から75万円を引き出した。小沢被告は夫が経営する建具業を手伝っていたが、3月に大口取引先が倒産して資金繰りが悪化。仕入先への支払日である6日に犯行に及び、奪った預金で支払いを済ませていた。 |
裁判所 | 東京高裁 高橋省吾裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年3月10日 無期懲役(被告側控訴棄却) |
裁判焦点 | 弁護側は量刑不当を主張したが、高橋裁判長は「借金を申し込もうとした相手をいきなり殺害した身勝手で思慮に欠ける犯行で、強固な確定的殺意が認められる」として退けた。 |
備 考 | 2002年9月10日、横浜地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2003年6月28日、被告側上告棄却、確定。 |
中村光貴(22) | |
2001年7月31日 | |
0名 | |
強盗致傷(16件)、強盗(1件)、窃盗(8件)他 | |
暴力団組員中村光貴被告は、組の資金不足を稼ぐために、他の組員らとともに大阪府内のベンツ所有者や歩行者ら17人を金属バットで襲い、計約1,800万円を強奪した。2000年10月から2001年6月までの10件の犯行についてと、6月から7月までの15件の犯行について、別々に起訴された。 | |
大阪地裁堺支部 湯川哲嗣裁判長 | |
無期懲役及び懲役15年 | |
2003年3月13日 無期懲役及び懲役15年 | |
湯川哲嗣裁判長は「被害者の中には植物状態に陥った人もいる。凶悪で組の資金獲得という動機にも酌量の余地はない」と判決理由を述べた。また今も寝たきりの男性について、「家族の悲痛や、やり場のない悔しさは計り知れない」と述べた。 | |
中村被告は2001年6月に別の窃盗事件で懲役1年執行猶予3年の有罪判決が確定しているため、刑法の規定(併合罪)により確定判決前の10件に無期懲役を、後の15件に懲役15年を言い渡した。確定後はより重い無期懲役から執行され、仮出獄が認められれば、懲役15年の執行に変更される。 被告側は控訴した。控訴審判決日不明。2004年6月8日、被告側上告棄却、確定。 |
吹谷剛和(27) | |
2000年8月23日(恐喝容疑で逮捕済) | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
コンピュータ会社役員吹谷剛和被告は、2000年7月30日午前2時50分、専門学校生の女性(当時19 強盗ほう助容疑で逮捕)を使ってテレクラで飲食店経営の男性(当時57)を誘い出し、足立区の路上でを刺殺。現金約6万円の入った財布を奪った。 | |
最高裁第一小法廷 島田仁郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月18日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2001年9月27日、東京地裁で求刑通り一審無期懲役判決。控訴審判決日不明。 |
杉山進(55) | |
2002年9月3日 | |
0名 | |
強盗殺人未遂、殺人未遂、銃刀法※違反他 | |
2002年8月21日、杉山進被告は元暴力団幹部の男性、無職男性と共謀し、湘南銀行伊勢佐木町支店駐車場で、現金輸送車に現金を運び込んでいた警備員2人に発砲、重傷を負わせ、現金1,000万円が入ったジュラルミンケースを奪って逃げた。さらにK被告が所属していた暴力団の幹部が2人を警察に出頭させたことを恨み、8月28日に横浜市のスナックで幹部を銃撃し、重傷を負わせた。 | |
横浜地裁 矢村宏裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月19日 無期懲役 | |
矢村宏裁判長は判決理由で「白昼、警備員らに拳銃を至近距離から発射した大胆かつ危険な犯行で、刑事責任は重大」と述べた。 輸送車襲撃で弁護側が「発砲の際は警備員の肩を狙って抵抗を防ごうとした」と殺意などを争っていた点は、「体の中心部に向けて発射している」として退けた。 | |
元暴力団幹部の男性は懲役20年、無職男性は懲役15年が言い渡された。 |
得永幸治(57) | |
2002年4月30日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
住所不定、無職の得永幸治被告は金に困って2002年4月26日午後7時過ぎ、札幌市東区内のスーパーで買い物をして乗用車で帰ろうとした同区の主婦(当時48)に刃物を突き付けて車を乗っ取り、約10km離れた手稲区のホテルに連れ込んだ。宿泊料を払うため現金1万円を奪い、翌日午前0時半ごろまでに客室で口封じのため左胸を刃物で数回刺し、首を絞めて殺害した。 得永被告は住んでいた北区のアパートが2001年暮れに取り壊され、以後は車で寝泊まりをしていた。4月15日に失職し、ホームレス同然の生活をしていた。被害者の主婦とは面識はなかった。 捜査本部は室内などに残っていた指紋、スーパーの駐車場で26日夜、不審車両として放置されていた乗用車のナンバーなどから得永被告を割り出した。30日午前8時ごろ、同市北区内の駐車場で得永被告が乗用車の中で寝ているのを捜査員が発見。同署に任意同行して、取り調べた。得永被告は容疑を否認したが、ホテル従業員などの証言などから同日、殺人容疑で逮捕した。 札幌地検は5月21日、強盗殺人の罪で起訴した。 | |
札幌地裁 井口修裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月25日 無期懲役 | |
2002年8月9日の初公判で、得永被告は罪状認否で「全部間違っています」と起訴事実を全面否認、弁護側も無罪を主張した。 冒頭陳述で検察側は、得永被告が4月15日に失職し、遊興費や生活費を奪おうと、スーパーの駐車場でたまたま見掛けた被害者を連れ去って殺害し、金を奪ったと指摘。ホテルで宿泊代金を払う際に従業員に目撃されていると述べた。弁護側も「被害者とは面識は全くない」としている。犯行経過について検察側は、「ホームレス同然の生活で金を奪う相手を探していた被告が、スーパー駐車場でワゴン車に乗り込む被害者を発見。人目につかない所で金を奪おうとした」と指摘。殺害状況については、得永被告が以前利用し、人目につかずに入れると知っていたホテルを選択。「解放すれば警察に通報すると考え、口封じで殺害を決めた」と述べた。また、刃物を突きつけられた被害者が、逃げようとして車内で抵抗、手を負傷していたことも明らかにした。弁護側は、「得永被告はホテルには行っていないし、被害者に会ったこともない」と訴えた。 2021年1月24日の第7回公判で被告人質問が行われ、得永被告は、検察官から、被害者の乗用車内やホテル客室から、得永被告のものと思われる指紋が検出された理由を問われ、「刑事さんが、私が犯人だと思って、でっち上げたんだと思う」と無罪を主張した。 2月21日の論告求刑公判で、得永被告の指紋や血液などが、犯行現場のホテル室内や被害者の車から検出されたほか、得永被告が主張するアリバイを覆す目撃証言があることなど、犯行を裏づける証拠を列挙。さらに、否認について「反省の態度はなく、生来的な犯罪者を認めたも同然。犯行は残忍極まりなく、矯正は不可能に近い。確信的凶悪犯から社会を防衛するには、終生、社会から隔離しておくほかない」と述べた。 3月7日の最終弁論で弁護側は、検察側が証拠としたホテル室内の指紋や従業員の目撃証言について、指紋の採取過程が不透明で、証人の記憶が不鮮明だと主張。さらに、「人目につきやすいスーパーで被害者を急襲し、逃げ出す機会があったはずなのに10キロ以上も移動してホテルへ行ったというのは、不自然極まりない」と反論した。 最終意見陳述で得永被告は、「トラブルに巻き込まれたが、事件には一切かかわっておりません。私は命を懸けてもいいです」と大声で述べた。 判決で井口裁判長は、▽得永被告にアリバイがない▽車やホテルから指紋や掌紋が出た▽ホテルや車から採取された血痕と、手に抵抗が原因とみられる傷を負っていた得永被告のDNAが一致した▽ホテルにいたとの目撃証言がある--ことなどから、得永被告が犯人と認定した。 井口裁判長は「二人に接点はうかがえず、被害者には何の落ち度もない。連行から殺害までの恐怖と苦痛は想像に難くない」としたうえで、「一貫して否認し、反省悔悟の情は全く見られない」と厳しく指摘した。 | |
被告側は控訴した。2004年2月5日、札幌高裁で被告側控訴棄却。2004年6月28日、被告側上告棄却、確定。 |
森貞几(55) | |
2002年8月22日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
無職だった森貞几被告は、2002年8月20日夕方、長崎市の県営住宅に住んでいる元同僚でかつて交際していた団体職員の女性(当時55)方に侵入し、帰宅した女性の頭を石で殴って殺害。預金通帳などを奪い、現金6,000円を引き出した。 | |
長崎地裁 山本恵三裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月26日 無期懲役 | |
山本恵三裁判長は「刑事責任はきわめて重大」と述べた。 | |
控訴せず確定。 |
小笠原活身(52) | |
1999年6月4日(家族らへの保険金詐欺事件 4月9日、1997年の保険金詐欺事件で逮捕) | |
0名 | |
強盗殺人未遂、殺人未遂、銃刀法※違反、詐欺他 | |
会社社長小笠原活身被告は、自分の妻や長男に掛けた計約4億2,800万円の保険金を狙って殺害を計画。 1998年6月28日、共犯の元暴力団組員(懲役7年の判決)が運転するワゴン車に妻・長男・義母・女性従業員を乗せ、福島県磐梯町の県道で道路左側の壁に激突させた。殺害には失敗したが、5人は約1~4ヶ月重軽傷を負い、小笠原被告は家族らの入院保険金など計約716万円をだまし取った。 小笠原被告は1997年5月2日夜、多額の生命保険を掛けたうえ、群馬県伊香保町の県道で、元暴力団員に軽トラックを電柱に激突させ、同乗していたこの女性従業員に約5か月の大けがをさせて、入院保険金など計約1,400万円をだまし取った。 このほか、小笠原被告は自分の会社とは別に架空のコンピューター会社を経営しているように見せ掛け、市から公的融資金をだまし取った詐欺などの罪にも問われた。 | |
東京高裁 原田国男裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月26日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
原田国男裁判長は「事故直前に借金をして多額の保険に加入するなど、保険金目的で殺害を計画したことに疑いの余地はない」と述べた。 | |
2002年3月18日、さいたま地裁(金山薫裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。金山裁判長は「遊興費や借金の返済資金欲しさに一獲千金を狙い、身近にいる者の生命を犠牲にしようとした冷酷無情な犯行。反省もしていない」と述べた。 |
市川文泰(54)/広瀬正勝(58) | |
1998年5月21日 広瀬被告と市川被告は指名手配され、広瀬被告が1998年2月2日に出頭、逮捕された。しかし広瀬被告は容疑を否認し、新潟地検は2月22日に処分保留で釈放した。その後、市川被告が逃亡先の札幌で逮捕、同時に広瀬被告が別件の詐欺未遂事件で逮捕された。 | |
1名 | |
市川被告:強盗殺人他 広瀬被告:強盗致死他 | |
指定暴力団山口組系組長の広瀬正勝被告と、幹部の市川文泰被告は共謀し、1997年10月、新潟県豊浦町のホテル客室で暴力団幹部(当時51)に金を要求したが断られ、市川被告が拳銃を突きつけ脅した際に発砲して死亡させた。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月27日 無期懲役(市川被告のみ一審破棄 広瀬被告は検察・被告側控訴棄却) | |
検察側は強盗殺人他で起訴。被告側は暴発を主張。検察、被告の両方が控訴していた。 判決理由で仙波裁判長は「拳銃を発砲した市川被告には確定的殺意が認定でき、殺意を否定した一審判決は事実誤認があった」と述べた。広瀬被告については「発砲時は別室におり、殺意があったと認める証拠はない」と判断、一審判決を支持した。 | |
2002年2月28日、新潟地裁は強盗致死を適用して求刑通り一審無期懲役判決。 |
斎藤正利(52) | |
2001年12月25日 | |
0名 | |
強盗傷害、強盗他 | |
元暴力団組員の斎藤正利被告はM被告(一審懲役15年判決)と共謀し、2001年1月から12月まで、大阪、京都、兵庫、奈良各府県の18の金融機関で、郵便局長を拉致したり、発砲して脅したりする手口で現金約8,200万円を奪った(未遂、予備8件含む)。被害は総額1億4,800万円に上った。2001年3月の東大阪金物町郵便局(大阪府東大阪市)に押し入った事件では、郵便局長を拉致して短銃を発射し重傷を負わせた。なおM被告は15件の郵便局強盗に関与しており、残り3件の銀行強盗はN被告、C被告と共謀して行っている。 | |
大阪地裁 上垣猛裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月27日 無期懲役 | |
上垣猛裁判長は「事件の凶悪性や被害の多額さなどからも、厳しい刑は免れない」とした。 | |
一連の事件で10回の逮捕、拘置期間は297日になった。被告側は控訴した。2004年1月28日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2004年6月1日、被告側上告棄却、確定。 |
新井博(29) | |
2002年4月13日(恐喝で起訴済み) | |
1名 | |
殺人、死体遺棄他 | |
2002年2月19日夜、埼玉県熊谷市で風俗店を経営していた政治団体構成員新井博被告は、店の客だった会社員(当時41)とトラブルになり、現金7,000円を脅し取った。さらに風俗店店長ら4人と共謀し、会社員を車で拉致し、監禁。2月20日昼頃、会社員の首をベルトで絞めて殺害した。その後、別の2人にも手伝わせ、群馬県玉村町の産廃処理工場で、廃車に遺体を入れてプレス処理をした。遺体は、廃車が輸出された中国で発見された。 | |
東京高裁 ?裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月27日 無期懲役(一審破棄) | |
2002年9月11日、さいたま地裁(金山薫裁判長)で求刑無期懲役に対し一審懲役16年判決。共犯者は1名が懲役11年(求刑懲役13年)、1名が懲役8年(求刑懲役10年)判決。被告側は上告した。2004年1月13日、被告側上告棄却、確定。 |
藤根勲(59) | |
2002年6月18日 | |
1名 | |
強姦致傷、死体遺棄、強姦、殺人、傷害、窃盗 | |
2002年5月9日午後8時頃、無職、藤根勲被告は、群馬県玉村町の町道を歩いていた保険外交員の女性(当時33)を後ろから軽トラックではねて、「病院に連れて行く」と車内に連れ込み、顔を石で殴った後強姦。さらに別のワゴン車に移動し、女性の首をストッキングで絞めて殺害、車を遺体ごと近くの資材置き場に移動し、放置した。 他に前妻を扇風機で殴打した傷害事件、2度にわたって木製置物合計4個を窃取した窃盗事件、強姦致傷事件で起訴されている。 | |
前橋地裁 長谷川憲一裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月27日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
長谷川憲一裁判長は「うそをついて車に連れ込んで暴行し、顔見知りの被害者から訴えられることを恐れて殺害した」と指摘。さらに「卑劣で確定的殺意に基づいた悪質な犯行。(これまで犯した犯罪で何度も実刑を受け)矯正の機会を与えられながら、悪質な犯罪傾向を深刻化させており、刑事責任は極めて重い」と断罪した。 | |
藤根被告の公判を欠かさず妻と傍聴した女性の父親は「二度と世の中に出てきて欲しくない。本当は死刑にして欲しいし、私が殺してやりたい。娘が殺されてから、生きていても、自分の人生がない感じだ」と声を震わせた。 被告側は控訴した。2003年9月8日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
東海林金夫(45) | |
2001年7月24日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
住宅ローンなどで多額の借金を抱えた東海林金夫被告は、2001年7月15日、東京都にある自らが役員を務める建設会社の事務所で、経営方針を巡って対立していた社長(当時30)をバールで殴って殺害。現金12万円と会社名義のキャッシュカードを奪い、翌日、遺体を神奈川県の放置車両の中に捨てた。 | |
横浜地裁 志田洋裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月28日 無期懲役 | |
被告は初公判で起訴事実を認めたあと、否認。 志田洋裁判長は「会社が倒産しそうだったので経営者が失踪したように見せかけた計画性の高い犯行で、頭をバールで何度も殴るなど執拗で残忍だ」と述べた。そして「近く入籍し幸福な人生を送るはずだった矢先に命を奪われた被害者の無念さは察するに余りある」と述べた。 | |
池田崇(22)/前田裕介(22) | |
2002年10月11日 | |
1名 | |
強盗殺人、強盗殺人未遂他 | |
2002年10月10日午後9時頃、池田崇被告と前田裕介被告は売上金を奪う目的で、池田被告がアルバイトをしている埼玉県春日部市のリサイクル店本店に侵入、中にいた3人にナイフで切り付けた。系列店の店長(当時27)が死亡、本店店長(31)が重傷、アルバイト店員(31)が軽傷を負った。 | |
さいたま地裁 金山薫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年3月31日 無期懲役 | |
金山薫裁判長は「二人は遊ぶ金欲しさから閉店後に店の金庫から金を奪う計画を立てた。店員に見つかった場合には、殺害することなどを携帯電話のメールで事前に確認していた」と指摘した。そして「顔見知りの従業員にナイフやバットで襲いかかった残忍で凶悪な犯行だ」と述べた。 | |
菊地勝(28) | |
2001年4月12日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗 | |
元会社員の菊地勝被告はパチンコなどで借金を重ねたことから、2001年4月8日、長野県南箕輪村でマンションの同じ階に住む同僚の女性Sさん(当時26)の部屋でSさんを殺害、現金6,000円とキャッシュカードを奪い、翌日カードから現金89,000円を引き出した。 | |
東京高裁 ?裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月10日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
2002年10月8日、長野地裁飯田支部(野村高弘裁判長)にて無期懲役判決。被告側は「軽度の知的発達障害があり、当時は心神耗弱だった」と主張したが、判決は完全責任能力を認めた。被告側は上告した。2003年9月3日、被告側上告棄却、確定。 |
方金濤(52 台湾出身)/方立基(45 中国籍) | |
1999年10月4日 | |
0名 | |
覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)、関税法違反他 | |
台湾の犯罪組織が北朝鮮西側領域で覚醒剤を漁船に積み込み、鹿児島県の海岸に陸揚げ、香港の犯罪組織が日本国内で受け入れ態勢を準備していた。主犯格の方金濤と方立基被告は1999年9月29日、北朝鮮の西方の海域で台湾漁船に覚せい剤を積み込み、10月3日夜、鹿児島県笠沙町黒瀬海岸で、ビニール袋入り覚醒剤計565kgを密輸入しようとしたところ、海上保安本部など9機関が押収、日本人、中国人、台湾人ら9名が逮捕、後に逃亡した3名も逮捕された。 | |
最高裁第二小法廷 福田博裁判長 | |
方金濤被告:無期懲役・罰金1000万円(追徴金不明)/方立基被告:無期懲役・罰金1000万円・追徴金116万円 | |
2003年4月11日 方金濤被告:無期懲役・罰金1000万円(追徴金不明)/方立基被告:無期懲役・罰金500万円(追徴金不明)(被告側上告棄却、確定) | |
(朝日新聞では「判決」となっている) | |
押収量としては当時過去最高。 他の10人は、無期懲役~懲役3年6月の判決が確定している。他に計画の立案者、船の所有者である台湾籍の2人が台湾で起訴されている。 方金濤被告は2001年3月1日、福岡地裁(仲家暢彦裁判長)にて無期懲役・罰金800万円判決(追徴金不明)。控訴審判決日不明。 方立基被告は2000年9月28日、福岡地裁(浜崎裕裁判長)で懲役12年、罰金350万円、追徴金94万円判決。2001年6月29日、福岡高裁(小出ジュン一裁判長)で一審破棄、無期懲役・罰金500万円判決(追徴金不明)。 |
酒井高通(38)/多田暁仁(34) | |
1996年6月14日 | |
2名 | |
監禁、強盗殺人、覚せい剤取締法違反、大麻取締法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反 | |
目黒区で不動産会社を経営していた高橋義博被告はバブル崩壊により、会社の資金繰りを悪化させて、親しい暴力団組長から無理して貸してもらった約二億円とその利息の返済を迫られたため、知人で東京都立の病院内科医、Oさん(当時36)が不動産売買で得た約12億円の売却益を奪おうと計画。部下で役員の酒井高通被告に犯行を持ちかけた。酒井被告と、同じく部下の葛西勝被告、部下の多田暁仁被告の3人は1992年7月23日夜、Oさんの資産を管理していた美容院経営Fさん(当時32)を拉致して世田谷区内のマンションに監禁し、Oさんを電話で呼び出すよう指示。24日にOさんも監禁して拳銃などで脅し、Oさんの現金約79万円やキャッシュカードを奪った。さらに銀行口座から約200万円を強奪。2人に睡眠薬を飲ませて車で栃木県藤原町の国有林に連れていき、あらかじめ用意していた穴に生き埋めにして殺害した。 事件後、酒井、葛西、多田被告の3人は金を分割し、逃亡。高橋被告は借金免除のうえ、東京で新しく貿易会社を経営。酒井被告は役員に収まった。葛西被告は東京で不動産業手伝い、多田被告は広島県で土木作業員として働いていた。 神奈川県警は1996年5月29日、法定限度を超える高金利で金を貸し付けていたとして、葛西被告を出資法違反容疑で逮捕、取り調べていたが、葛西被告が「Oさんらを栃木県内の山林内に埋めた」と供述したのを受け、捜索の結果、6月13日にOさんらの遺体を発見したため、14日、4人を強盗殺人他容疑で逮捕した。 | |
東京高裁 須田賢裁判長 | |
酒井被告:死刑/多田被告:無期懲役 | |
2003年4月15日 無期懲役(酒井被告:検察、被告側控訴棄却/多田被告:被告側控訴棄却) | |
2002年2月19日の控訴審初公判で、高橋被告は「事前に殺害の指示はしなかった」として、死刑は重すぎると主張。酒井被告と多田被告も減刑を求めた。これに対し、検察側は高橋被告と計画を立てたとされる酒井被告について「無期懲役では軽い」と、求刑通り死刑にするよう求めた。 判決で須田裁判長は、「口封じのため、あらかじめ殺害を計画していたのは明らかだ」と高橋被告の主張を退けた。「高橋被告は犯行計画を立案し、共犯者を意のままに動かした首謀者。泣きながら命ごいをする被害者を生き埋めにした残虐極まりない犯行で、極刑はやむを得ない」と述べた。酒井被告と多田被告については、関与は従属的とした。 | |
高橋義博被告は2000年8月29日、横浜地裁で求刑通り一審死刑判決。2003年4月15日、東京高裁で被告側控訴棄却。被告側上告中。 葛西勝被告は2000年8月29日、横浜地裁で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず、確定。 2000年8月29日、横浜地裁にて共に無期懲役判決。酒井被告は「関与は従属的」とされた。酒井被告は2003年9月26日、被告側上告取下げ、確定。多田被告は上告した。2005年9月20日、被告側上告棄却、確定。 |
谷風清士(62) | |
2001年11月15日 | |
1名 | |
殺人 | |
先物取引の失敗で約2,500万円の借金を抱えていた石川県球洲市、造花業谷風清士被告は2001年8月20日、母親(当時81)を助手席に乗せた車を道路脇の電柱に衝突させ、用意していた混合油を気を失った母親の足下などにまき、火をつけて焼死させた。 | |
名古屋高裁金沢支部 安江勤裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月15日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
安江裁判長は、交通事故が出火原因であり無罪であるという谷風被告の主張について、「現場にはブレーキをかけた痕跡もなく、事故だとする供述内容も極めて不自然で、到底信用できない。捜査段階で犯行を認めた供述内容は、関係証拠と符合している」と指摘。「残忍かつ悪質な犯行。そのうえ、不合理な弁解に努めて、真摯な反省の態度に欠けており、量刑は妥当」とした。 | |
2002年11月11日、金沢地裁にて求刑通り一審無期懲役判決。谷風被告は初公判で保険金目当てを否定、殺害のみ認めていたが、第3回公判以降は事故であると起訴事実全てを否認していた。伊東一広裁判長は、谷風被告が供述を翻したことについて、「何ら合理的な説明がなく、事実と整合性を欠く。到底信用できない」とし、「不条理な弁解に終始し、反省の情はみじんも認められない」と判断した。そして「被害者は実の息子に生きたまま火を放たれ、その驚がくや苦しみは計り知れない。冷酷で残忍極まりない犯行」などと述べた。 上告せず確定。 |
朴重治(64 韓国籍) | |
2002年9月1日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
2002年7月31日に刑務所を出所した朴重治被告は金に困り、タクシーを奪って無許可営業をしようと計画。2002年8月24日午前0時半ごろ、名古屋市で個人タクシー運転手の男性(当時66)のタクシーに乗り込み、途中で停車させ、両手首を縛った後に果物ナイフで殺害。現金13,000円を奪った後タクシーを運転し、車の中に遺体を放置した。朴被告は元タクシー運転手で、1985年にタクシー強盗容疑で逮捕、懲役14年の実刑判決。出所後の2000年に窃盗容疑で逮捕、懲役2年の実刑判決を受けている。 | |
名古屋地裁 石山容示裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月16日 無期懲役 | |
朴重治被告は起訴事実を認め、弁護側は「殺害は計画的でなく、反省している」と有期懲役を求めていた。 石山容示裁判長は「短絡的な動機に酌量の余地はなく、執ようで残忍な犯行。遺族感情は厳しく、社会に与えた影響も大きい」と述べた。 | |
運転手の妻は事件による心労で2002年9月に病死。 |
下山等(60) | |
2001年2月11日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
無職下山等被告は、2000年12月28日未明、横浜市青葉区の不動産賃貸業の男性宅(当時86)に侵入し、寝室で寝ていた男性と妻(当時84)の頭を物置にあったくわの柄で数回殴り、寝室の机の引き出しから15万円を強奪した。男性は二日後に入院先の病院で死亡した。妻も重傷を負った。 | |
最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月16日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年4月30日、横浜地裁(矢村宏裁判長)で無期懲役判決。被告側は「犯行は計画的ではなく殺害するつもりもなかった」と主張したが、矢村宏裁判長は「失業中だった被告が金欲しさのためだけに、二人暮らしの高齢の夫婦をねらった残忍で凶悪な犯行で責任は重い」と述べた。10月9日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
氏 名 | 中村年代(41)/火置史宏(35) |
逮 捕 | 2000年10月15日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、死体遺棄 |
事件概要 | 2000年7月20日夕方、不動産業の中村年代(としのり)被告と従業員火置史宏被告はもう一人の会社員と共謀し、火置被告や会社員が勤めていた大阪市鶴見区の建築会社社長(当時46)を事務所に呼び出し、頭を鉄棒で殴るなどして殺害、現金15万円や携帯電話を強奪した。さらに遺体をドラム缶にコンクリート詰めにし、同市の駐車場に隠した。仕事上のトラブルや、火置被告らの借金問題が動機とされている。 |
裁判所 | 大阪地裁 氷室真裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年4月22日 無期懲役 |
裁判焦点 | 両被告は殺意を否認したが、氷室裁判長は「計画的で残酷。同情の余地はない」と述べた。 |
備 考 |
犯行に荷担した会社員(当時24)は2000年8月上旬に入水自殺している。 被告側は控訴した。控訴審判決日不明。2005年2月22日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 今村隆(46) |
逮 捕 | 2002年5月4日(死体遺棄罪で4月9日拘束) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、死体遺棄 |
事件概要 | 今村隆被告は2001年11月15日、千葉県で貿易会社を経営する知り合いの男性(当時38)を軽ワゴン車に乗せ、走行中にライフル銃で射殺。工事代金として持っていた3,085万円を奪い、翌日知人の男性2名(いずれも死体遺棄罪で懲役2年4ヶ月が確定)とともに遺体を寝袋に詰めて、江東区の荒川に捨てた。遺体は12月に横須賀に流れ着き、2003年1月に男性のものと判明した。今村被告は2002年4月9日、フィリピンで身柄を拘束された。 |
裁判所 | 千葉地裁 加登屋健治裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年4月22日 無期懲役 |
裁判焦点 | 加登屋健治裁判長は「今村被告は日頃のつき合いから社長に憎悪を募らせ、あらかじめライフル銃を用意していた。このライフル銃で今村被告を信頼して車の助手席で居眠りしていた社長を射殺するなど犯行は計画的で冷酷だ」と述べた。 |
備 考 |
被告側は控訴した。 男性の遺族は今村被告や死体遺棄を手伝った男性2名に対し、慰謝料などの損害賠償を請求。2004年5月27日、千葉地裁は3人に約1億4,000万円の支払いを命じた。 |
関井雅信(46)/大野義隆(44) | |
2001年7月26日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、建造物侵入、窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺 | |
無職だった関井雅信被告と大野義隆被告は金に困り、1999年5月21日未明、名古屋市に住む知人のトラック運転手(当時36)を殺害し愛知県幸田町の山中に捨て、預金200万円を引き出した。 家族が5月26日、愛知県警緑署に捜索願を出した。 2年後の2001年7月中旬、大野義隆被告が「人を殺して金を奪った」と江南署へ自首。愛知県日進市の店舗からゲームソフトを盗んだ窃盗容疑が発覚したため、窃盗容疑で逮捕した。その後の調べで、関井雅信被告の関与が判明した。県警捜査1課は両被告の供述に基づき、25日朝から幸田町須美周辺の山中を捜索。午前中に男性とみられる白骨化した遺体を発見した。26日、死体遺棄容疑で二人を逮捕。8月1日、強盗殺人容疑で再逮捕。 | |
名古屋地裁 伊藤新一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月22日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
関井被告は強盗目的を否認、大野被告は死体遺棄のみ手伝ったと主張。 伊藤新一郎裁判長は「犯行に計画性が認められ、利欲的な動機に酌量の余地は全くない」と述べた。 | |
被告側は控訴した。2003年10月8日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2004年3月16日、被告側上告棄却、確定。 |
石森郁緒(49) | |
1991年6月16日 | |
1名 | |
営利誘拐、監禁、強盗殺人、死体遺棄 | |
元自動車運転手石森郁緒被告は、主導的役割の元岩手県警巡査岡崎茂雄被告、土建業熊谷昭孝被告、重要的役割の塗装作業員迫康裕被告、従属的地位の土木作業員熊谷光輝被告、同菅原勝治郎被告、塗装工N被告と共謀。1989年7月20日、福島県郡山市の塗装業者社長の男性(当時48)を誘拐し、身代金1,700万円を奪ったうえ、殺害した。遺体は福島県猪苗代町の山中に埋められた。 本事件は「警察庁広域重要指定118号事件」の1つであり、他に1986年7月15日ごろの盛岡市の男性誘拐殺人事件、1991年5月1日の市原市の男性誘拐事件がある。両事件に石森被告は関わっていない。 1991年の事件を捜査した千葉県警は、2年前の郡山の事件と類似していること確認。5月13日、迫康裕被告ら3人を全国指名手配し、迫被告は14日に逮捕された。迫被告は郡山の事件、そして盛岡の事件についても自供。6月15日、郡山の事件で殺害された男性の遺体が山中から発見され、迫被告は再逮捕。さらに熊谷昭孝被告、K被告、S被告が同日に、I被告が16日に逮捕された。そしてすでに警察官をやめていた、飲食業岡崎茂雄被告が全国指名手配されると同時に、118号事件に指定された。岡崎被告は10月31日に東京都港区で逮捕された。 | |
最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月24日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
岡崎茂雄被告、迫康裕被告、熊谷昭孝被告は1995年1月27日、福島地裁で求刑通り一審死刑判決。1998年3月17日、仙台高裁で被告側控訴棄却。2004年6月25日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。 熊谷光輝被告、菅原勝治郎被告は1995年1月27日、福島地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。1998年3月17日、仙台高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。 N被告は病気のため公判が分離されていたが、1996年3月に病死し、公訴棄却。 1995年1月27日、福島地裁で求刑通り一審無期懲役判決。1998年3月17日、仙台高裁で被告側控訴棄却。他の被告と比べると有期懲役が相当と訴えていた。 |
桐生誠一(48) | |
2002年11月20日 | |
1名 | |
住居侵入、強姦致死、殺人、現住建造物等放火 | |
1994年8月15日午前0時30分頃、塗装工の桐生誠一被告は酔っぱらって東京都豊島区の女性(当時54)のアパートに入り、強姦しようとしたが失敗したため下着で絞殺、台所で衣類などに火を付け、床約7平方メートルを焼いた後逃亡した。目撃情報などから警視庁は桐生被告の犯行と断定。桐生被告は1994年12月22日、指名手配された。 2002年11月19日、神奈川県警加賀町署に、「横浜市中区役所のパン券配布に、指名手配のポスターに似た男が並んでいる」との匿名情報が寄せられ、同署員が20日午前、同区役所の近くに現れた桐生被告を発見した。警視庁は同日、桐生被告を逮捕した。 | |
東京地裁 川口政明裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年4月28日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
弁護側は殺人と強姦未遂罪であると主張した。 川口政明裁判長は「暴行目的で部屋に侵入し、顔を見られたため殺害した身勝手な犯行。捜査員の訪問を受けた後、8年も逃亡するなど悪質」と述べた。 | |
被告側は控訴した。控訴審判決日不明。2004年1月14日、被告側上告棄却、確定。 |
山本章代(40) | |
2007年4月27日(別の強盗未遂事件で4月6日に逮捕、起訴済) | |
1名 | |
強盗致死、強盗未遂他 | |
交際していた庄子幸一被告と山本章代被告は共謀して、2001年8月28日、神奈川県大和市の主婦(当時54)の家にて主婦を刺殺、現金約23万円とキャッシュカードなどを奪った。同年9月19日、同市の主婦(当時42)の家で主婦の手足や顔に粘着テープを巻き、浴槽内に顔を押しつけて窒息死させ、現金6万円と通帳などを奪った。被害者はどちらも山本被告の顔見知りだった。 庄子被告は7月に横浜市内で指圧治療などをしている女性から「5人が2人の幸福の邪魔をしている」と言われたため、犯行を行ったと述べており、他に3人の知人の殺害を計画していたことが明らかになっている。 | |
横浜地裁 田中亮一裁判長 | |
死刑 | |
2003年4月30日 無期懲役 | |
庄子被告は起訴事実を大筋で認めつつ「(殺害によって)生活が良くなるという祈とう師の示唆を信じてやった。強盗が主目的ではない」と主張した。山本被告は起訴事実を全面的に認めたが「庄子被告からマインドコントロールされた」と情状酌量を求めた。 田中裁判長は庄子被告を「犯罪熟練者」と呼び、「山本被告を犯行に巻き込み、罪は余りに深い」と断じた。一方、山本被告については「庄子被告の指示に従い行動した」と情状を酌んだ。 判決後、庄子被告の弁護人は記者団に「死刑を覚悟していた。被害者には申し訳ないが、自分が山本被告を巻き込んだという意識が強く、山本被告には助かってほしいと話していた。自分の控訴は迷っている様子だ」と語った。 | |
主犯の庄子被告は求刑通り死刑判決、被告側控訴中。 検察側は控訴した。2004年9月7日、東京高裁で検察側控訴棄却。上告せず、確定。 |
野尻義孝(62) | |
2003年6月29日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
野尻被告は2002年7月22日午後3時頃、岡山県倉敷市の金券ショップで店番中の男性従業員(当時38)をナイフで殺害。現金25万6千円が入った手提げ金庫を奪った。 | |
岡山地裁 榎本巧裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月7日 無期懲役 | |
弁護側は男性に抵抗され野尻被告がパニック状態だったとして、殺意はなかったと主張したが、裁判長は「指紋を残さないためおしぼりとハンカチを用意していた」などとして認めなかった。 | |
被告側は控訴した。控訴審判決日不明。2004年4月12日、被告側上告棄却、確定。 |
矢田敦子(40) | |
2001年9月1日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
大阪府守口市でラウンジを経営していた矢田敦子被告は、客の呉服販売業(当時49)から店の出資金の返済を迫られたため、2001年8月30日、店のホステスであった宮島聡子被告や客の少年2人と共謀して、睡眠薬入りのコーヒーで眠らせた後に首を絞めて殺害。現金11万円や借用書を奪い、さらに被害者のワゴンに遺体を乗せて熊本県八代市の国道まで運んだが、芦北署員に見つかり逮捕された。 | |
大阪地裁 氷室真裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月8日 無期懲役 | |
氷室真裁判長は「短絡、自己中心的で、犯行の中心的役割を果たした被告の刑事責任は重大」とした。 | |
矢田被告らとともに借用書を奪うことを計画し、覚せい剤を渡した不動産業者は強盗殺人で起訴され求刑無期懲役であったが、2003年3月27日、大阪地裁で強盗致死ほう助などが適用され一審懲役12年判決。古田浩裁判長は「共犯女性の供述は信用できず、強盗殺人の共謀は成立しない」「被告は殺害方法などを具体的に知らなかった可能性が高い」と指摘した。2004年1月20日、大阪高裁で一審破棄、懲役11年判決。滝川義道裁判長は「遺族への慰謝の意思も示している」などとした。 宮島聡子被告は公判中。 被告側は控訴した。2004年1月22日、大阪高裁で被告側控訴棄却。 |
林信行(58) | |
2002年2月9日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
愛知県岡崎市の会社員、林信行被告は元部下で愛知県豊田市の無職の男性(当時50)から借りた約1,080万円の返済を免れるため、2001年12月1日に嘘を付いて男性とともに新潟へ出発したが、嘘がばれて引き返す途中の3日午前7時ごろ、長野県平谷村の空地の駐車した乗用車内で男性を絞殺し、4日に静岡県戸田村の雑木林に遺棄した。 | |
静岡地裁沼津支部 高橋祥子裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月8日 無期懲役 | |
弁護側は「被害者の言動にカッとなって及んだ犯行で、借金を免れようとしたわけではない。強盗殺人には当たらない」と主張していたが、高橋裁判長は「被告人には被害者以外に借金について知る者はいないとの認識があり、殺害によって財産上不法の利益を得たのは明確」と退けた。そして「自己中心的で身勝手な行為。動機に酌量の余地はない」と述べた。 | |
被告側は控訴した。2003年11月28日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
元土木作業員(21 事件当時19)/元会社員(21 事件当時19) | |
2001年9月6日 | |
1名 | |
強盗殺人、強盗殺人未遂 | |
両被告は友人A(21 一審無期懲役が確定)に依頼され、遊興費や借金の返済のために友人Aの父である会社員(当時55)に掛けられた保険金約1億4千万を奪おうと計画。2001年9月6日午前3時頃、鳥取県米子市に住む会社員方に侵入し、自宅で寝ていた会社員を刃物で殺害、会社員の妻にも約2週間のけがを負わせた。家屋内の現金も盗む予定だったが、妻が逃げ出したため逃走し、盗むことはできなかった。同居していた会社員の長男一家4人は無事だった。 | |
広島高裁松江支部 宮本定雄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月12日 無期懲役(被告側控訴棄却) 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
片方(父親殺害)は二人に比べ、従属的立場であったと主張。また犯行直後に出頭して自白していることから、量刑不当を主張した。しかし判決では、計画当初こそ従属的立場であったが、金銭目的で加担し、最初に殺害を実行したと もう片方(母親に怪我を負わせる)は人格形成が未熟であったと精神鑑定を主張したが、退けられた。母親が被害者・遺族に対する損害賠償の内金として1,000万円を支払う用意をしていた。 | |
2002年4月24日、鳥取地裁米子支部で求刑通り一審無期懲役判決。刑が重いと元少年の2名が控訴していた。一名は上告せず確定か? 2003年9月16日?、一名の上告棄却、確定。 |
長井俊一(65) | |
2002年7月22日 | |
1名 | |
殺人、殺人未遂、現住建造物等放火 | |
養鶏場を経営している長井俊一被告は、従業員だった福島大三被告(分離公判)に指示し1989年4月5日午後9時20分ごろ、住み込み従業員(当時53)方に放火させ、従業員の妻(当時48)を焼死させ、従業員にも4カ月のやけどを負わせた。長井被告は従業員夫婦や住宅にかけた保険金計2,773万円余を入手し、福島被告に報酬として現金300万円を渡すなどした。 従業員男性は入院先で県警の調査に対し、福島被告が油をまくのを見たと証言するも、2か月後に撤回。男性は退院後、知的障害者施設への入所も考えたが、長井被告が止めて再雇用した。養鶏場に戻った男性に、福島被告は「(原因は)コンロの不始末にしとけ」と口止めした。 埼玉県警は捜査を進めるも、捜査1課は同時期に起きた幼女連続誘拐殺人事件で人員を割けず、熊谷署は放火の可能性を強めたはずのコンロの検分結果を見誤った上、1995年ごろにコンロや油分が検出された妻の衣服などの証拠物を紛失した。 埼玉県警は2001年に捜査を再開。2002年2月、県警が男性の事情聴取を再開。男性が再び「福島被告が油のようなものをまいた」と証言。心理学者が男性の証言について「十分信頼できる」と記した意見書を県警に提出。7月11日、福島被告を殺人他の容疑で、22日に長井被告を同容疑で逮捕した。 | |
さいたま地裁 金山薫裁判長 | |
死刑 | |
2003年5月12日 無期懲役 | |
長井俊一被告は「放火殺人など頼んでいない」と一貫して否認。福島大三被告は捜査段階で自供していたが公判では「長井被告から頼まれ知人に持ちかけたが、自分は放火していない」と無罪を主張した。長井被告側は「福島被告の実行行為や依頼内容、報酬約束についての証言には変遷があり、信用できない」と激しく反論した。 判決は「福島被告が室内に油をまいていた」という従業員の目撃証言を「具体的で信用できる」と認め「福島被告が放火した」と認定。福島被告が単独で事件を企てる理由はなく、福島被告が捜査段階で供述した通り「長井被告からの報酬の誘いに乗った」と結論づけた。そして長井被告について、「経営の失敗を従業員を殺害することで穴埋めしようとした首謀者」と検察側主張を全面的に認め、「反省の情はまったくみられない」と断罪した。 | |
福島大三被告は公判中。 検察、被告側は控訴した。2005年5月26日、東京高裁で検察、被告側控訴棄却。2005年11月29日、被告側上告棄却、確定。 被害者の元従業員男性は、長井俊一被告、福島大三被告らを相手に、妻を殺害された慰謝料や着服された保険金、流用された障害基礎年金など計約7,480万円の損害賠償を求めていたが、2005年7月1日、東京地裁(水野邦夫裁判長)で和解した。和解の内容は長井被告と同被告の妻が今月末に計500万円を支払い、支払われた段階で男性側が提訴を取り下げるというもの。福島被告については賠償能力がないため、金銭を求めず取り下げることにした。男性の代理人は「男性が『本当はそんな額の金額ではないが、ごちゃごちゃするのはもう嫌だ』と話したため受け入れた。男性は高齢で少しでも生活の足しになるのならと早期解決を選んだ」としている。 |
先田好宏(24) | |
2002年8月4日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
無職の先田好宏被告は遊興費の借金の返済に困り、以前に交際していた大阪府吹田市の女性会社員(当時23)を呼び出し、2002年7月28日未明、乗用車内で包丁で刺殺、現金1,200円やカードなどが入ったハンドバッグを奪った。さらにカードで現金約19万円を引き出した後、8月1日未明、福井県敦賀市の山林で遺体を焼いた。 | |
大阪地裁 角田正紀裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月14日 無期懲役 | |
角田正紀裁判長は「あまりにも身勝手な犯行。終生、被害者のめい福を祈り、しょく罪の日々を送らせるのが相当」と述べた。 | |
被告側は控訴した。 |
少年(19 事件当時18) | |
2001年7月18日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
千葉県八千代市の無職少年A(事件当時18)は仲間で鎌ヶ谷市生まれの住所不定無職少年B、C(ともに事件当時17)と共謀。2001年6月20日未明、呼び出した友人が約束の場所に現れないことに腹を立てて憂さ晴らしをしようと、たまたま船橋市の路上を自転車で通りかかった鎌ヶ谷市の大学三年生の男性(当時21)を呼び止め襲い掛かり、近くのマンション敷地で金属バットで足を殴り、ビニール傘で顔をめった打ちにした。逃げようとする男性を乗用車に押し込んで所持金約5,000円を強奪した。さらに近くの山林に連れて行き、頭や腹などを金属バットなどで約30分間めった打ちにした。少年らは、横たわる男性に向かって謝るよう命じた。男性は消え入るような声でゆっくりと「すいません」と言った。少年らは上半身裸の男性を路上に放置し、逃走した。20日午前6時45分ごろ、通行人が男性をみつけ110番通報した。 千葉県警は車の目撃情報などから7月18日、少年Aを傷害致死容疑で逮捕。少年B、Cは友人の家などを転々として行方をくらませていたが、7月27日、市川市内の立ち回り先で、張り込み中の署員が発見、傷害致死容疑で逮捕した。 千葉地検は8月8日、殺意は明らかであると少年Aを殺人と窃盗容疑で千葉家裁に送致。8月17日、少年BとCを強盗殺人容疑で千葉家裁に送致した。8月31日、千葉家裁は少年Aについて、殺人と恐喝罪で逆送した。9月7日、千葉地検は少年Aを強盗殺人の罪で起訴した。9月13日、千葉家裁松戸支部は少年BとCを強盗殺人罪で逆走した。9月21日、千葉地検は少年BとCを強盗殺人の罪で起訴した。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月15日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
弁護側は殺意を否認するとともに「他の類似事件と比べても不当に重い量刑だ」と刑の軽減を求めたが、判決で仙波裁判長は「凶悪な少年犯罪が続発して重大な社会不安を醸成していることや、遺族の処罰感情を考え併せると、刑の軽減は相当でない」と判断した。 裁判長はまた、量刑理由の中で、改正少年法(2001年施行)の不備にも言及。同法では、少年に対する刑を無期懲役から軽減する場合、今回のケースのように犯行時18歳以上だと、最長でも10年の懲役か禁固にとどまるのに対し、18歳未満では長期15年を適用できる。この点について裁判長は、「被告の刑を軽減するとなると、かなり軽くせざるを得ない不都合が生じてしまう」と指摘した。 | |
大学生の両親は少年3人とその両親に慰謝料1億6,400万円の損害賠償を求めた。2002年11月11日、被告側が認諾して訴訟は終了した。 2002年6月20日、千葉地裁(小池洋吉裁判長)で少年A、B、Cに対し求刑通り一審無期懲役判決。弁護側は「殺害の動機がない」と傷害致死罪などの適用を求めていたが、裁判長は「未必の故意」を認めた。2001年4月に改正された少年法について、「有期刑の宣告が原則だが、犯罪の重大性などからやむを得ない場合は、例外的に無期刑を宣告できる」との判断を示した。 被告側は上告した。2005年2月10日、被告側上告棄却、確定。 |
武藤恵喜(53) | |
2002年3月17日 | |
1名 | |
強盗殺人、詐欺、窃盗 | |
2002年3月14日午前3時頃、無職の武藤恵喜(ぶとう・けいき)被告は金に困って名古屋市内のスナックに押し入ったが、経営者の女性(当時61)と口論になり、自分の腕やマイクのコードで首を絞めて殺害。現金約8,000円を奪った。 その他、スナック等における無銭飲食10件及びその際犯した売上金の窃盗10件、その他の物品の窃盗2件の余罪がある。 | |
名古屋地裁 伊藤新一郎裁判長 | |
死刑 | |
2003年5月15日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2002年5月28日の初公判で、武藤恵喜被告は起訴事実を認めた。裁判の途中、被害者の事実婚の夫が傍聴席の柵から身を乗り出し、武藤被告の左頬を背後から殴りつけた。夫は退廷となったが、後に不起訴となっている。 武藤被告は裁判の途中から、「殺した後で金を奪うことを考えた」と言って、起訴事実である金目当ての強盗殺人を否定した。 一審判決理由で伊藤裁判長は「被害者を確実に死亡させるため、腕で首を絞めた後にマイクのコードを使っており、執拗かつ残忍な犯行。遺族の処罰感情も厳しい」と指摘した。また武藤被告が途中から強盗殺人を否定する態度について、長野での一人目の殺人にも触れ「反省、悔悟の情に乏しい。再犯の可能性を否定しがたい。極刑も考えられる」と断罪した。 死刑を選択しなかった理由として、当初は無銭飲食や窃盗目的で店に入ったことや、店にあったマイクのコードを使っていることを挙げ、計画性はなかったと認めた。また、「無銭飲食の上、店の売上金などを盗む目的で入り、被害者に出入り口扉の鍵を掛けられたことから心理的に追いつめられての犯行との一面を否定できない」などと死刑を回避し、「終生、贖罪に当たらせることが相当である」と述べた。 | |
武藤恵喜被告は陸上自衛隊在勤中の1974年に盗みなどの罪を犯して以降、詐欺や盗みなどを繰り返し、度々、服役していた。1983年2月5日、宿泊していた諏訪市の旅館の客間で、テレビの映りが悪かったことなどから、経営者の女性(当時64)と口論になった。女性が靴べらで殴りかかったのに対し、武藤被告は左腕で女性の首を絞め、さらに電気コードを二重に巻き付けて絞殺。武藤被告は遺体を押し入れに隠し、居間から現金約2万円と預金通帳などを盗んだ。殺人などで懲役15年の判決を受けている。出所後も盗みなどで逮捕されていた。 検察、被告側は控訴した。2004年2月6日、名古屋高裁で一審破棄、死刑判決。2007年3月22日、被告側上告棄却、確定。 |
山下光春(42) | |
2000年8月 | |
1名 | |
強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、建造物侵入、強盗傷人、強盗未遂、住居侵入、窃盗、有印私文書偽造・同行使、詐欺、現住建造物等放火 | |
熊本県森林整備課員だった山下光春被告は、遊興費や自宅ローンで消費者金融などから総額約3,934万円の借金があったことから、2000年5月2日昼、福岡市の骨董品店に押し入り、経営者(当時66)を刃物で殺害、現金38万円と骨董品38点(時価合計約293万円)を奪った。1999年2月23日には熊本県八代市で中古車販売店の男性店長(当時37)に県の施設から勝手に持ち出した模擬散弾銃を突きつけた上で麻酔薬を注射し、現金約30万円を奪っている。 上記を含め、1999年2月18日~2000年8月3日にまでの間に建造物侵入、強盗未遂1件、住居侵入、窃盗5件、強盗殺人1件、銃刀法※違反1件、現住建造物放火1件、有印私文書偽造・同行使、詐欺3件で起訴されている。 | |
福岡地裁 谷敏行裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月15日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2000年11月28日の初公判で山下光春被告は「全部間違いありません」等と述べた。 しかし2001年1月31日の第2回公判で弁護側は、強盗目的を否認し殺人罪と窃盗罪が成立すると主張。 さらに4月16日の第3回公判以降、強盗殺人において、被告側は被害者が刃物を持ってきて近づいてきたため、対応しただけであり、正当防衛であったと主張。現金等を盗んだのは、その後であったとして、窃盗罪の適用を主張した。また一部の窃盗、放火事件では名前不明の共犯者によるものと主張した。 判決で谷裁判長は強盗殺人事件における山下被告の供述は不自然であり、捜査段階における強盗殺人目的である供述は妥当であると認めた。またすべての事件において、山下被告の単独犯行と断定した。そして「動機及び背景事情は、いずれも無計画かつ刹那的な浪費生活の行き着いた結果として、自ら招いた経済的困窮を脱すると共に、自己が欲する骨董品を手元に置きたいという、ひたすら利欲的かつ身勝手な考えの下に、その欲望を無軌道に追求したものとしか言いようがなく、そこに酌量の余地は全くない」と断罪した。 | |
少年(19 事件当時17) | |
2001年7月27日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
千葉県鎌ケ谷市生れの住所不定無職少年B(事件当時17)は、千葉県八千代市の無職少年A(事件当時18)、鎌ヶ谷市生まれの住所不定無職少年C(事件当時17)と共謀。2001年6月20日未明、呼び出した友人が約束の場所に現れないことに腹を立てて憂さ晴らしをしようと、たまたま船橋市の路上を自転車で通りかかった鎌ヶ谷市の大学三年生の男性(当時21)を呼び止め襲い掛かり、近くのマンション敷地で金属バットで足を殴り、ビニール傘で顔をめった打ちにした。逃げようとする男性を乗用車に押し込んで所持金約5,000円を強奪した。さらに近くの山林に連れて行き、頭や腹などを金属バットなどで約30分間めった打ちにした。少年らは、横たわる男性に向かって謝るよう命じた。男性は消え入るような声でゆっくりと「すいません」と言った。少年らは上半身裸の男性を路上に放置し、逃走した。20日午前6時45分ごろ、通行人が男性をみつけ110番通報した。 千葉県警は車の目撃情報などから7月18日、少年Aを傷害致死容疑で逮捕。少年B、Cは友人の家などを転々として行方をくらませていたが、7月27日、市川市内の立ち回り先で、張り込み中の署員が発見、傷害致死容疑で逮捕した。 千葉地検は8月8日、殺意は明らかであると少年Aを殺人と窃盗容疑で千葉家裁に送致。8月17日、少年BとCを強盗殺人容疑で千葉家裁に送致した。8月31日、千葉家裁は少年Aについて、殺人と恐喝罪で逆送した。9月7日、千葉地検は少年Aを強盗殺人の罪で起訴した。9月13日、千葉家裁松戸支部は少年BとCを強盗殺人罪で逆走した。9月21日、千葉地検は少年BとCを強盗殺人の罪で起訴した。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月22日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
判決で仙波裁判長は「被告は無期刑緩和の余地を定めた少年法の対象となるが、重大犯罪を犯した少年に18歳未満の一事をもって無期刑を回避するのは相当ではない。改善更生を考慮しても、凶悪な少年犯罪への早急な対処が求められる社会情勢なども考えると、刑の軽減は相当ではなく、無期懲役はやむをえない」と指摘。「暴力的欲求のはけ口として被害者を三人がかりで殺害した悪質な犯行。被告は犯行に主導的、積極的に関与し、非行性は相当根深い」と断罪した。 | |
大学生の両親は少年3人とその両親に慰謝料1億6,400万円の損害賠償を求めた。2002年11月11日、被告側が認諾して訴訟は終了した。 2002年6月20日、千葉地裁(小池洋吉裁判長)で少年A、B、Cに対し求刑通り一審無期懲役判決。弁護側は「殺害の動機がない」と傷害致死罪などの適用を求めていたが、裁判長は「未必の故意」を認めた。2001年4月に改正された少年法について、「有期刑の宣告が原則だが、犯罪の重大性などからやむを得ない場合は、例外的に無期刑を宣告できる」との判断を示した。 少年法では従来、18歳未満の少年が無期刑相当の犯罪に及んだ場合、10~15年の有期刑に軽減することとされていたが、01年4月の改正で厳罰化が図られ、無期刑を科すことが可能になった。法改正後、18歳未満に無期懲役を言い渡した初のケース。 被告側は上告した。2005年2月10日、被告側上告棄却、確定。 |
少年(19 事件当時17) | |
2001年7月27日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
千葉県鎌ケ谷市生れの住所不定無職少年C(事件当時17)は、千葉県八千代市の無職少年A(事件当時18)、鎌ヶ谷市生まれの住所不定無職少年B(事件当時17)と共謀。2001年6月20日未明、呼び出した友人が約束の場所に現れないことに腹を立てて憂さ晴らしをしようと、たまたま船橋市の路上を自転車で通りかかった鎌ヶ谷市の大学三年生の男性(当時21)を呼び止め襲い掛かり、近くのマンション敷地で金属バットで足を殴り、ビニール傘で顔をめった打ちにした。逃げようとする男性を乗用車に押し込んで所持金約5,000円を強奪した。さらに近くの山林に連れて行き、頭や腹などを金属バットなどで約30分間めった打ちにした。少年らは、横たわる男性に向かって謝るよう命じた。男性は消え入るような声でゆっくりと「すいません」と言った。少年らは上半身裸の男性を路上に放置し、逃走した。20日午前6時45分ごろ、通行人が男性をみつけ110番通報した。 千葉県警は車の目撃情報などから7月18日、少年Aを傷害致死容疑で逮捕。少年B、Cは友人の家などを転々として行方をくらませていたが、7月27日、市川市内の立ち回り先で、張り込み中の署員が発見、傷害致死容疑で逮捕した。 千葉地検は8月8日、殺意は明らかであると少年Aを殺人と窃盗容疑で千葉家裁に送致。8月17日、少年BとCを強盗殺人容疑で千葉家裁に送致した。8月31日、千葉家裁は少年Aについて、殺人と恐喝罪で逆送した。9月7日、千葉地検は少年Aを強盗殺人の罪で起訴した。9月13日、千葉家裁松戸支部は少年BとCを強盗殺人罪で逆走した。9月21日、千葉地検は少年BとCを強盗殺人の罪で起訴した。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月22日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
判決で仙波裁判長は「犯情は悪質で、遺族の処罰感情などを考えると、無期懲役はやむを得ない」と述べた。 | |
大学生の両親は少年3人とその両親に慰謝料1億6,400万円の損害賠償を求めた。2002年11月11日、被告側が認諾して訴訟は終了した。 2002年6月20日、千葉地裁(小池洋吉裁判長)で少年A、B、Cに対し求刑通り一審無期懲役判決。弁護側は「殺害の動機がない」と傷害致死罪などの適用を求めていたが、裁判長は「未必の故意」を認めた。2001年4月に改正された少年法について、「有期刑の宣告が原則だが、犯罪の重大性などからやむを得ない場合は、例外的に無期刑を宣告できる」との判断を示した。 少年法では従来、18歳未満の少年が無期刑相当の犯罪に及んだ場合、10~15年の有期刑に軽減することとされていたが、01年4月の改正で厳罰化が図られ、無期刑を科すことが可能になった。法改正後、18歳未満に無期懲役を言い渡した初のケース。 被告側は上告した。2005年2月10日、被告側上告棄却、確定。 |
大泉佳久(46) | |
2001年6月25日 | |
1名 | |
強盗殺人、放火未遂他 | |
山形県上山市の会社員、大泉佳久被告は2001年4月18日、金を借りようとして訪れた、上山市の自宅で留守番をしていた女性(当時78)の首をこたつの電気コードで絞めて殺害。現金100万円などを奪い、ライターで、こたつ布団に火を付け、遺体の一部を焼いた。 | |
最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月28日? 無期懲役(被告側上告棄却) | |
弁護側は「被告は犯行当時、心神喪失か心神耗弱の状態だった」などと主張していた。2002年3月25日、山形地裁で一審無期懲役判決。木下徹信裁判長は判決理由の中で、大泉被告がパチンコなどで作った借金返済のためにとっさに殺害を思いつき、殺害後も隠ぺい工作を図ったとして、酌量の余地はないと指摘。好意を持って応じた女性をためらいもなく一気に絞殺したのは卑劣かつ無残で、恩をあだで返された被害者の苦痛は想像に絶するとした。また、犯行時は心神喪失状態で責任能力はなかったとする被告側の主張について、「供述は具体的で信用できる」として退けた。2002年10月22日、仙台高裁(松浦繁裁判長)で被告側控訴棄却。 |
岡田要(55)/安宮司(41) | |
岡田被告:1994年7月6日? 安宮被告:1994年6月28日 | |
岡田被告:2名 安宮被告:1名 | |
岡田被告:強盗殺人、殺人、死体遺棄 安宮被告:強盗殺人、死体遺棄 | |
元右翼団体構成員である岡田要被告は、水産ブローカー久堀毅彦被告(現姓田中)らと共謀。1992年2月9日午前零時頃、金銭関係のもつれから、同じ右翼団体構成員である自動車販売業の男性(当時29)を飲みに誘った後自宅へ送り、車を降りた直後に用意した紐で首を絞めて殺害した。2月11日、岡田被告も加わり、岡田被告が経営する自動車修理工場敷地に遺体を埋め、上からコンクリートで覆った。 1994年4月、久堀被告、岡田被告は安宮司被告に誘われ、大阪府の自称建設業、実際は新幹線のチケットなどを取り引きする仕事をしていた右翼団体幹部(54)に架空の収入印紙の取引を持ちかけ、現金1,000万円を用意させた。4月28日、河内長野市の病院駐車場でFさんの首を紐で絞めて殺害。現金などを奪い、30日に琵琶湖へ遺体を捨てた。 | |
最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月29日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
久堀毅彦被告は2000年3月16日、大阪地裁堺支部(古川博裁判長)で求刑死刑に対し、一審無期懲役判決。2001年12月25日、大阪高裁(池田真一裁判長)で一審破棄、死刑判決。2006年2月14日、被告側上告棄却、確定。 岡田被告:2000年3月16日、大阪地裁堺支部(古川博裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。2001年12月20日、大阪高裁(池田眞一裁判長)で被告側控訴棄却。「犯行への関与は薄く、ほう助犯にすぎない」と主張していた。 安宮被告:2000年3月16日、大阪地裁堺支部(古川博裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。2001年12月25日、大阪高裁(池田眞一裁判長)で被告側控訴棄却。 |
須崎治(45) | |
2003年1月15日 | |
1名 | |
強盗殺人、詐欺未遂、死体遺棄 | |
さいたま市に住む無職須崎治被告は、競艇に熱中して両親の預金や家の家賃を使い込んだことが両親に知られるのを恐れ、以前にも金を借りていた戸田市に住む伯父(当時76)を殺して貯金を奪おうと計画。2002年11月5日、伯父の自宅で頭をフライパンで殴り、馬乗りになって首を絞めて窒息死させた。現金約19万円を奪い、遺体を福井県三国町の遊歩道脇に捨てた。さらに6日、知人の男性(53 詐欺未遂罪で有罪確定)をおじになりすまさせて、信用金庫から預金800万円を引き出そうとした。 | |
さいたま地裁 福崎伸一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年5月29日 無期懲役 | |
福崎伸一郎裁判長は判決で「動機に酌量の余地は全くない」と指摘、殺害の状況を「執拗、残忍、非道、悪質」と断じた。弁護側は「気絶させて金を奪うつもりだった。顔を見られたら、殺害もやむをえないと考えていた」として、殺意は予備的なものだったと主張し有期刑を求めたが、判決は「変装もせず強盗に及び、顔も見られず成功することが現実的にあり得るとは考えられない。計画的であることは明らか」と退けた。 | |
奥田幸司(61) | |
1999年2月10日 | |
1名 | |
強盗殺人、有印私文書偽造、同行使、詐欺 | |
1997年10月28日、奥田幸司被告は知人の男性(当時57)の郵便貯金20万円を無断で引き出したが返済を迫られ、仮出所が取り消しになることを恐れて新宿の駐車場で殺害し、預金通帳などを奪い約30万円を引き出した。 1997年12月4日に指名手配。1999年2月10日に逮捕。 | |
最高裁第一小法廷 深沢武久裁判長 | |
死刑 | |
2003年6月2日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
1985年3月、1984年に前妻を殺害し懲役12年の判決を受け服役。窃盗の執行猶予分も加算され、1996年8月に仮出所していた。2000年3月10日、東京地裁で求刑死刑に対し、一審無期懲役判決。2001年9月26日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。 |
山守一治(38) | |
2002年4月22日? | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
パチスロや女性との交際などで200万円以上の借金を抱えていた山守一治被告は、2002年4月17日午前10時30分頃、神奈川県に住む父親(当時77)に借金を頼んだところ罵られて逆上、首を絞めて殺害し、現金23万円を奪った。さらに遺体を車で竹藪に運んで捨てた。 | |
横浜地裁 広瀬健二裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月3日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
被告は強盗目的を否定していたが、広瀬裁判長は退けた。そして、山守被告には窃盗の服役前科2犯のほか、罰金前科1犯があるのに、無計画かつ不道徳な生活を続けた挙げ句、借金に悩まされるようになったので、被告人の規範意識、道徳観念の希薄さ、性格的な問題点のみならず、その改善更生の意欲の乏しさが看取されるといわざるを得ない。これらの事情に鑑みると、被告の刑事責任は極めて重いとした。そして被告が母親の顔を知らないなど成育歴に恵まれなかったこと、反省していること、被告の兄弟姉妹が情状酌量を訴えていることも考慮したが、殺害行為の態様、死体遺棄の状況等の犯情に鑑みると、酌量減軽を相当とする事情がみられないとした。 | |
松本知恭(23) | |
2001年6月21日(自首) | |
2名 | |
住居侵入、強盗殺人 | |
松本知恭被告は祖父名義の口座から約1,000万円を勝手に引き出したが、スナック通いや車購入に使い切ったので、さらに別の口座から金を引き出そうと印鑑を盗むことを計画。2001年6月18日夜、祖父宅に侵入し、祖母(当時81)の手首に手錠を掛け、両手で首を絞めるなどして殺害。さらに寝ていた祖父(当時83)の頭にコンクリートブロックを投げつけて殺害し、13万5千円を奪った。 | |
神戸地裁姫路支部 伊東武是裁判長 | |
死刑 | |
2003年6月4日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2003年3月19日の論告で検察側は、「冷酷かつ残忍な計画的犯行。反省の情は見られず改善矯正の可能性はない」と指摘した。 弁護側は起訴事実を認めた上で「被告は自ら出頭するなど反省している」と主張した。 伊東武是裁判長は「愛情をそそいでくれた祖父母を金目的に殺害した犯行は計画的で残虐だ。かわいがってきた孫に命を奪われた無念さは察するに余りある。死刑も念頭に置いて判断すべきだが、自ら出頭するなど反省の態度を示しており生涯をかけて罪を償うべきだ」と極刑を回避した。 | |
検察側は控訴した。2004年4月20日、大阪高裁で検察側控訴棄却。上告せず確定。 |
坂田栄(50) | |
1996年1月9日(暴力行為の罪で高松刑務所に服役中) | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
暴力団員の坂田栄被告は遺産相続の仲介を依頼されたことをきっかけに、愛知県東海市に住む知人女性(当時32)から現金をだまし取ろうと計画。1992年8月5日、知人女性を松山市の自室に招いたが口論になり絞殺、相続金など現金380万円を奪った後、遺体を愛媛県大洲市の河原に運んで灯油をかけて焼いた。 事件から3年以上経過して捜査が始まったこともあり、遺体や殺害の痕跡は見つかっていない。死体遺棄罪は時効が成立している。 坂田被告は1990年8月、暴力行為等処罰法違反容疑で松山西署に逮捕され、1992年6月に懲役8月の実刑が確定したが、保釈中に行方をくらませ、1995年10月に松山市内で身柄を確保されるまで逃走、この間に強盗殺人事件を起こしていた。失跡事件を捜査していた香川県警は、坂田被告が女性と最後に行動を共にしていたことを突き止め、高松刑務所で服役中の同被告を1996年1月、逮捕した。 | |
最高裁第二小法廷 福田博裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月4日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
1998年5月13日、高松地裁丸亀支部(野口頼夫裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。弁護側は強盗殺人の犯意を否認し、傷害致死と窃盗罪の適用を主張したが、野口裁判長は犯意を認定し退けた。 2000年5月18日、採用証拠の記載ミスがあったため、二審高松高裁(島敏男裁判長)で一審破棄の上、改めて無期懲役判決。坂田被告は公判で殺害を否認していたが、島裁判長は「関係証拠から被告が首を締めて殺害したと推認できる」と指摘。遺体焼却もアリバイを主張して否認していたが、遺体処理を手伝ったとする被告の実姉の供述などから「信用できない」と退けた。島裁判長は原判決破棄の理由を「原判決は被告の自白調書をもとに犯罪事実を認定したとみられるが、調書を判決の証拠欄に記載しておらず、理由不備で違法」とした。 |
中村統一朗(75) | |
2000年5月21日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
無職中村統一朗被告は生活費に困り、2000年5月6日午後4時から翌7日未明までの間に、大阪市住吉区の自宅アパートで、隣室に住んでいた女性(当時84)の首を絞めて殺害、現金約9万8千円入りの財布などを奪った。 | |
最高裁 ?裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月5日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2001年10月9日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。古田浩裁判長は「無計画な暮らしから隣人を殺害した動機に酌量の余地はなく、刑事責任は極めて重い」と述べた。2002年4月11日、大阪高裁で被告側控訴棄却。 |
田上勝樹(29) | |
1995年12月4日(新聞販売店放火事件にて 1995年6月に別の窃盗罪で逮捕済) | |
0名(死亡5名) | |
現住建造物等放火他 | |
1994年12月23日未明、田上勝樹被告は大阪市住吉区の新聞販売店に盗みに入ったが、現金が見つからなかったことや過去に他の新聞販売店で解雇されたことを恨み、灯油容器の脇に置いた古新聞に放火して2階建て店舗兼住宅を全焼させた。2階で寝ていた経営者夫婦と子供3人が死亡した。他に4件の放火の罪などにも問われた。 1995年6月、高知県土佐清水市内の旅館からレジスターを盗んだ事件と足摺岬中学校を放火した事件で逮捕。8月11日までに大阪や東京、長野などで20件余りの放火を自供した。田上被告は新聞販売店の事件のみ起訴事実を全面否認。大阪地検は「明確な殺意が認定できない」と殺人罪の起訴を断念していた。 | |
最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月5日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
一・二審で被告側は新聞販売店の放火について無罪を主張。 | |
1999年12月17日、大阪地裁で求刑通り無期懲役判決。田上被告は「事件当時は家で寝ていた」と無罪を主張したが、大島隆明裁判長は「捜査段階の自白は客観事実と一致し、信用できる」と判断した。 2000年10月12日、大阪高裁(福島裕裁判長)で被告側控訴棄却。 |
田辺照明(60) | |
2001年9月6日 | |
1名 | |
殺人、殺人未遂、公務執行妨害 | |
2001年9月3日午前10時頃、新潟県新井市にある建設業田辺照明被告宅へ、土地・家屋の引き渡し命令執行のために新潟地裁高田支部の執行官や債権者ら計7人が訪問。被告の妻が在宅だったが、玄関のカギをかけて閉じこもっていたため、業者らは窓から中に入った。妻が対応中、10時50分頃、外出先から帰宅した田辺被告が約43cmの日本刀を持ち出し、1階の居間にいた債権者たちに斬りかかった。上越市の家具会社不動産部門の社員(当時28)が胸を刺されて死亡、家具会社社長(当時50)と社員(当時44)の2人が重軽傷を負った。田辺被告は左手親指を切り落としてし、頭に大けがを負ったため入院、快復後の9月6日に逮捕された。日本刀は田辺被告が以前から所有していたもので、警察には届け出ていなかった。 田辺被告宅は三階建てで一階部分が車庫などになっている。1996年に約6,000万円をかけて新築され、屋内は一部ヒノキ造りの豪華な造りになっていた。家業の建設業の不振などから自宅の土地建物を競売にかけられ、2001年6月、上越市の家具会社不動産部門が競売で落札した。7月に競売の落札者らが田辺被告宅を訪れた際、田辺被告は新潟地裁高田支部の執行官らに対し、「警察なんて怖くない。二人殺すも十人殺すも同じだ」などと話していたことが関係者の話でわかった。強制執行は7月26日にも試みられたが、田辺被告が応じようとしなかったため、執行官が「いろいろな方法があるんですよ」などと説得しようとしたところ、田辺被告が開き直った態度で暴言を吐いたという。田辺被告夫婦はそのまま居座っており、この日は新潟地裁高田支部の執行官(当時63)の立ち会いで明け渡しの手続きを行うことになっていた。 新潟地裁によると、強制執行の際、暴力団関係者の介入などが予想される場合はトラブルに備えて警察官の同行を求めるなどしているが、一般市民が対象の場合には、事件が起こることは想定していないという。被害者の社員2人は労災認定されている。 | |
東京高裁 須田賢裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月12日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
犯行の動機について、須田裁判長は「愛着のある自宅を競落した不動産会社を逆恨みし、強制執行を阻止するために殺意を抱いた」と指摘。「手当たり次第切りかかった凶暴な犯行だ」と述べ、「確定的な殺意はなく、無期懲役は重すぎる」との被告の主張を退けた。 | |
2002年9月10日、新潟地裁で求刑通り一審無期懲役判決。弁護側は「愛着のある家を手放したくないという極限状況での犯行」だとして、情状酌量を求めていた。榊五十雄裁判長は「一時の激情にかられた、あまりに短絡的かつ身勝手な犯行」と断じた。強制執行手続きは「適法かつ正当なもので、不当なところは認められない」としながらも、同社と田辺被告の間に、それまでにもトラブルがあったにもかかわらず、警察官を同行しないなど、対応に不十分な点もあったとした。 被告側は上告した。2003年11月11日、被告側上告棄却、確定。 |
申博(39 北朝鮮国籍) | |
2002年7月2日(5月11日、無銭飲食で逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
申博被告はマンションの家賃が滞り退去を求められたことから強盗を計画。2002年4月29日夜、顔なじみだった茨城県総和町のすし店を訪れ、店主の男性(当時63)を刺殺し、現金76,000円を奪った。 | |
東京高裁 中川武隆裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月13日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
中川裁判長は「冷酷、非情な犯行で責任は極めて重大。減刑する事情はない」と述べ、弁護側の量刑不当の主張を退けた | |
2003年1月15日、水戸地裁下妻支部で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2003年11月27日、被告側上告棄却、確定。 |
辻村義一(64) | |
2000年6月5日 | |
1名 | |
殺人、現住建造物放火他 | |
辻村義一被告は長門市でスナックを経営する女性に冷たくされたことなどから、2000年5月31日午後11時30分頃、客がいるスナック出入り口からガソリンを流し込んで放火し、二階で寝ていた女性の母親(当時79)を焼死させた。 | |
最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月17日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
被告は死刑を求めて控訴・上告していた。 | |
2002年5月8日、山口地裁で求刑通り一審無期懲役判決。公判で弁護側は、犯行は必ずしも計画的ではなかったなどと主張したが、小島正夫裁判長は「被告は女性を殺すためガソリンや出刃包丁を準備しており、計画性は極めて高い」と述べた。 被告側が死刑を求めて控訴したが、刑事訴訟法では被告が控訴した事件で原判決より重い刑の言い渡しを禁じていたため、2002年11月19日、広島高裁で被告側控訴棄却。 |
牧田晃和(43)/佐藤光希(40) | |
2002年4月30日 | |
2名 | |
強盗殺人、死体損壊・遺棄、強盗致傷 | |
自動車部品販売会社社長牧田晃和被告、会社員佐藤光希被告は、中古車販売業川村幸也被告及び同従業員野村哲也被告の指示により、他の2被告とともに2000年4月4日午前0時半頃、約束手形金240万円の支払いに応じなかった名古屋市の喫茶店経営(当時58)を待ち伏せて襲い、約2週間のケガを負わせた。だが逃げてしまったため、一緒にいた妻(当時64)と妻の妹(当時59)を乗用車ごと拉致。現金24,000円などを奪った。さらに牧田、佐藤両被告は瀬戸市の山林で二人をドラム缶に押し込み、ガソリンをかけて焼死させた。さらに遺体をチェーンソーなどで切断、山中に放棄した。 | |
名古屋高裁 小出☆一裁判長(☆は金ヘンに享)裁判長 | |
死刑 | |
2003年6月19日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却) | |
牧田、佐藤両被告の弁護人は「川村、野村両被告に5,000万円の生命保険金を掛けられ、『言う通りにしないと殺す』と脅されて殺害を強要された」として、刑事責任の軽減や情状酌量を求めていた。検察側は死刑を求めた。 小出裁判長は「グループから抜け出せない状況ではなかった」「主犯二人と刑責は同一ではない」と控訴をともに棄却した。 | |
川村幸也被告と野村哲也被告は2002年2月21日、名古屋地裁で求刑通り死刑判決。2003年3月12日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2006年6月9日、被告側上告棄却、確定。 共犯2名は2002年2月19日、名古屋地裁で懲役12年判決(求刑懲役15年)。控訴せず確定。 2002年2月19日、名古屋地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年2月3日、被告側上告棄却、確定。 |
上杉勝成(65) | |
2000年4月20日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
加古川市でレンタルビデオ店を経営していた上杉勝成被告は、2000年4月3日、知人(当時66)から約120万円の借金返済を迫られたため殺害、現金12万円を奪い、キャッシュカードから現金484万円を引き出した。遺体は知人の車のトランクに隠し、姫路市内の駐車場に遺棄した。上杉被告にはパチンコなどで約3,000万円の借金があった。 | |
最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月19日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2001年10月31日、神戸地裁姫路支部(横山敏夫裁判長)で求刑通り一審無期懲役。控訴審判決日不明。 |
宮村正弘(48) | |
2000年4月14日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
住所不定の無職本宮巖被告と外装工宮村正弘被告は1999年9月29日朝、東京都稲城市のそば屋で宮村被告と客のもめ事を仲裁したそば屋店員の女性(当時51)が暴力団員と名乗ったことに腹を立て、本宮被告が住んでいた同市のアパートに目隠しをして連れ込み、顔を殴ったりナイフを突きつけたりして解決金を要求。50万円を支払うという念書を書かせ、女性の態度が煮え切らないなどとして、本宮被告が女性のわき腹をナイフで刺し、頭をスパナで殴った。さらに二人は女性が金を払わないのではないかと殺害を決意。女性を車に押し込んで走り回り、車内でも頭や胸などをナイフで刺し、出血性ショックで死亡した男性を同日夕、奥多摩町境の山林に埋めた。 | |
最高裁第三小法廷 金谷利広裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月24日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2001年4月24日、東京地裁八王子支部で両被告に求刑通り一審無期懲役判決。被告側は殺意を否認したが、大渕敏和裁判長は「必死に許しを請う被害者を無視するなど冷酷、残忍非道な犯行だ」などと述べた。控訴審判決日不明。本宮巖被告は控訴もしくは上告したかどうか不明。 |
江尻政博(旧姓本間 51) | |
1999年5月?日(窃盗容疑) | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、窃盗 | |
札幌市の暴力団幹部本間政博被告は1998年8月7日午後5時頃、江別市内の石狩川河川敷で、別の組の暴力団幹部の男性(当時45)の首をタオルで絞めて殺害。現金約470万円を奪った。また、刑務所で知り合った遊び仲間の男性と共謀して、男性の遺体を江別市内の石狩川河川敷に埋めた。9日、男性名義のキャッシュカードで、4カ所の郵便局の現金自動受払機(ATM)で現金850万円を引き出した。 本間被告と被害者の幹部は、約10年前に同じ組に所属。その後、被害者が別の組に移った。 道警捜査4課は被害者に家出の理由がないことから、何らかの事件に巻き込まれたとみて捜査。貯金が引き出されていたことがわかり、防犯ビデオの映像などから2人を割り出し、1999年5月に逮捕した。同課で2人を追及していたところ「男性の遺体を石狩川の河川敷に埋めた」と供述。捜索した結果、6月5日に男性の遺体を発見。司法解剖の結果、殺害されたことがわかった。 | |
最高裁第二小法廷 亀山継夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月25日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
共犯の男は2000年3月29日、札幌地裁(高麗邦彦裁判長)で強盗致死ほう助と死体遺棄、窃盗罪で懲役7年6月判決(求刑懲役10年)。控訴したかどうかは不明だが、2001年にはすでに確定している。 2001年3月28日、札幌地裁で求刑通り一審無期懲役判決。本間被告は強盗殺人と死体遺棄について「関与していない。(共犯の男に)車を貸しただけ」などと供述していたが、佐藤学裁判長は「(被告を主犯とした)共犯者の供述は信用できる」として退けた。そして「金銭目的の自己中心的な犯行。共犯者に罪をかぶせて自らは罪を免れようとするなど、反省の念もうかがえない」と断じた。2002年3月25日、札幌高裁で被告側控訴棄却。 |
酒井誠(55) | |
1998年11月17日 | |
1名 | |
殺人 | |
浦和市の香辛料製造会社社長酒井誠被告は事業の損失を穴埋めするため、運転手として雇っていた友人の男性(当時49)に掛けていた1億5,000万円の生命保険金で借金の返済を計画。1998年6月13日未明、酒井被告の義兄(懲役14年確定)に1,000万円で殺害を依頼。義兄らが、路上で男性を金属バットで遅い、殺害した。 | |
最高裁第三小法廷 金谷利広裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年6月24日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
被告は関与していないと捜査段階から無罪を主張していた。 | |
2000年3月20日、浦和地裁で求刑通り一審無期懲役判決。公判では、殺害を依頼されたとする実行犯の義兄の供述の信用性が争点となったが、若原正樹裁判長は「他の共犯者(同罪で公判中)の供述と大筋で符合しているうえ、被害者の(行動を記した)日記や電話の通話状況など事実関係と合致している」として信用性を評価。「酒井被告こそが主犯」と認定した。また、酒井被告が、被害者の会社に融資するためにゴルフ会員権販売会社から借り入れた8,800万円が、被害者の会社の倒産により返済困難になったことで、「(酒井被告は)解決に相当苦慮していた」と指摘。「多額の負債を負わせることになった被害者に対する恨みと、これによって生じた借財を多額の保険金を入手することで返済しようという点にあったことは明らか」と断定した。保険加入の経緯についても、掛け捨て型にすることや保険金の増額を酒井被告が外交員に申し出たことなどから、「酒井被告が被害者に加入するよう持ちかけたと見るのが自然」とし、「被害者が加入を申し出た」などとする弁護側の主張を全面的に退けた。情状面では、酒井被告が捜査段階から一貫して犯行を否認していることについて「あくまで自己の刑事責任を免れようとする態度に出ている」などと批判。「虚偽の弁解で犯行への関与を頑強に否認し、反省悔悟の情は全くうかがえない」とした。 2001年7月18日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
氏 名 | 小沢リサ枝(45) |
逮 捕 | 2001年8月23日(有印私文書偽造で8月2日に逮捕済) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 有印私文書偽造、同行使、強盗殺人、詐欺他 |
事件概要 | 建具業手伝い小沢リサ枝被告は2001年6月6日午前7時頃、アパート隣室のパート店員の女性(当時53)方を訪ね、借金を申し込む振りをしていきなり女性の首をビニールひもや部屋にあったスカーフなどで絞めて殺し、預金通帳やカギを奪った。さらに預金口座から75万円を引き出した。小沢被告は夫が経営する建具業を手伝っていたが、3月に大口取引先が倒産して資金繰りが悪化。仕入先への支払日である6日に犯行に及び、奪った預金で支払いを済ませていた。 |
裁判所 | 最高裁第二小法廷 梶谷玄裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年6月28日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | 弁護側は量刑不当を主張したが、高橋裁判長は「借金を申し込もうとした相手をいきなり殺害した身勝手で思慮に欠ける犯行で、強固な確定的殺意が認められる」として退けた。 |
備 考 | 2002年9月10日、横浜地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2003年3月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
尾田幸夫(69) | |
2002年10月30日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
栃木県鹿沼市でおが粉製造業を営んでいた尾田幸夫被告は経営資金や生活費に困り、2002年10月9日午後4時頃、都賀町に住む知人の女性(当時66)が自宅兼工場を訪れた際、頭や背中などを鉄パイプで殴り、ビニール紐で首を絞めて殺害、現金約70万円を奪った。さらに午後6時半頃、宇都宮市の鬼怒川河川敷に遺体を埋めた。同日午後9時ごろ、女性宅で現金約270万円を奪った。 織田被告はキノコ栽培用のおがくずを運ぶため週数回、女性宅に出入りしていた。借金があり、返済を迫られていた。また、女性の運転手役や自宅の用事などもさせられていた。 尾田被告は女性失踪後、二日にわたり県警の事情聴取を受けた。その際、「今月13日、女性が金を貸していた男性を捜しに一緒に都内に行ったが、女性は行方不明になった」と説明していたが、聴取後、行方が分からなくなった。尾田被告は29日夜、宇都宮市にいるのが見つかり、捜査員の調べに「9日に女性の遺体を宇都宮市の河川敷に埋めた」と供述。30日夕、遺体が見つかった。県警捜査1課と栃木署は同日、織田被告を死体遺棄容疑で緊急逮捕した。 11月9日、殺人容疑で再逮捕。 | |
宇都宮地裁栃木支部 滝沢雄次裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月1日 無期懲役 | |
滝沢裁判長は「被告は被害者から高利の借金をして長年苦しめられたうえ、利息の支払いの代わりに自宅のトイレや下水道の清掃、買い物をさせられるなど度を超した侮辱的な扱いや暴力を受けたため、怒りを爆発させた一面もある」と述べた。一方、「被告は被害者の衣服の一部や靴などを川に投げ捨てて隠滅工作を行ったほか、疑われないよう被害者の知人やいとこに虚偽の申告をして悪質。利己的で身勝手な犯行」と厳しく指摘した。 | |
被告側は控訴した。2003年10月30日、東京高裁で被告側控訴棄却。2004年2月24日、被告側上告棄却、確定。 |
笠知足(26) | |
2002年4月11日(死体遺棄容疑) | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
無職笠知足被告は、かつて勤めていた金融業の経営者である男性(当時20)の横暴な態度に腹を立て、2002年3月24日、東京都台東区の事務所で男性の頭をガラス製灰皿などで殴り、首にビニール製のひもを巻いて殺害したうえ、現金約410万円を奪った。さらに韓国籍の無職男性被告ら2人と共謀し、翌日、笠被告が運転する車で男性の遺体を市川市の堤防に運んで捨てた。 | |
東京高裁 高橋省吾裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月2日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
高橋裁判長は「被害者にも責められる点はあるが、あまりに短絡的、利欲的な犯行で、真摯な反省もなく、責任は誠に重大」と述べ、弁護側の量刑不当の主張を退けた。 | |
共犯者は懲役10年などが言い渡されている。 2003年1月23日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。 |
田口まゆみ(41)/加藤繁夫(40) | |
2001年10月6日 | |
1名 | |
殺人、詐欺 | |
保険外交員田口まゆみ被告は不貞などによる借金の返済に困り、知り合いのトラック運転手加藤繁夫被告に田口被告の夫(当時38)殺害を依頼。加藤被告ら4人は1995年8月18日、夫にクロロホルムをかがせ、車ごと石巻市の漁港に沈めて水死させた。田口被告は8月20日、家出人届を提出。遺体は1995年11月7日に見つかった。田口被告は事故を装って生命保険金約1億3,000万円をだまし取り、加藤被告らに契約金2,500万円を支払った。 | |
仙台高裁 松浦繁裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月8日 無期懲役(被告側控訴棄却) 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
田口被告は、被害者の死因はクロロホルム吸引に基づく呼吸停止または心停止である可能性があるところ、実行役が被害者にクロロホルムを嗅がせたのは被害者を気絶させるためであって、殺人の故意はなかったから傷害致死罪が成立するにとどまり、実行行為者が傷害致死罪にとどまる以上、実行行為を行っていない田口被告に殺人罪が成立することはなく、殺人罪の成立を認めた一審判決は誤っていると主張。さらに量刑不当を訴えた。 加藤被告側はあくまでクロロホルムで気絶させるだけであり、クロロホルムで死亡した場合は殺害の故意はなく、殺人罪は成立しないと主張した。また一審判決は重いと訴えた。 判決で松浦裁判長は、クロロホルムを吸引させる行為が予定した殺害行為に密着するので、被告らに殺人罪は成立するとして被告側の主張を退けた。そして量刑不当の理由はないとした。 | |
2002年5月29日、仙台地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年3月22日付、被告側上告棄却、確定。 実行犯3名は、一人が二審懲役18年(求刑懲役20年)、一人が二審懲役8年(求刑懲役13年)で確定。もう一人は一審懲役16年(求刑懲役18年)が確定している。 |
氏 名 | 上口亨(24) |
逮 捕 | 2001年8月19日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、強盗殺人未遂他 |
事件概要 | 上口亨被告は2001年8月19日午前4時半ごろ、以前勤めていた札幌市の電器設備会社社員寮に盗み目的で侵入。物色中に女性管理人(当時67)に発見されたため、ドライバーで突きかかり、頭蓋骨骨折などの重傷を負わせた。さらに社員(当時32)に見つかったため、ナイフで胸などを数回突き刺し、殺害した。上口容疑者は会社の欠勤が多く、注意されたところ退職していた。 |
裁判所 | 札幌高裁 仲宗根一郎裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年7月8日 無期懲役(被告側控訴棄却) |
裁判焦点 | 弁護側は量刑不当を主張したが、仲宗裁判長は「一審判決が重すぎて不当と言えない」として退けた。 |
備 考 |
2002年12月16日、札幌地裁で無期懲役判決。小池勝雅裁判長は「自己中心的な動機に酌量の余地はなく、犯行態様は危険かつ悪質」とした。弁護側は「対人関係を適切に結べない精神的未熟さからの犯行で、計画性はない」と刑の軽減を求めていたが、小池裁判長は退けた。 被告側は上告した。2003年12月18日、上告棄却、確定。 |
氏 名 | 富田袈裟夫(63) |
逮 捕 | 1998年5月11日 |
殺害人数 | 2名 |
罪 状 | 殺人他 |
事件概要 | 土木作業員富田袈裟夫被告は1998年5月11日、東京都台東区の路上で、近くの簡易宿泊所に住む知り合いの作業員二人(54、51)から暴行や嫌がらせを受け、仕返しに持っていた包丁で首や腹などを刺して失血死させた。 |
裁判所 | 最高裁 ?裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年7月8日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | |
備 考 | 1999年2月23日、東京地裁(岡田雄一裁判長)で求刑無期懲役に対し、一審懲役18年判決。岡田雄一裁判長は「短絡的で、極めて残虐かつ非情な犯行だが、被害者からいわれのない嫌がらせ、暴行を受けたことに対する憤りも理解できる」」と述べた。日付不明だが、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。 |
氏 名 | 酒井健一(31) |
逮 捕 | 1999年12月26日(窃盗容疑) |
殺害人数 | 0名(死者1名) |
罪 状 | 現住建造物等放火、非現住建造物等放火、窃盗他 |
事件概要 |
栃木県真岡市の運転手、酒井健一被告は1999年1~12月に真岡市や上三川町などで、民家や店舗から女性用衣服を11件盗んだ後、証拠隠滅やうっぷん晴らしのための放火を15件重ねた。特に1999年7月26日未明に同県上三川町のクリーニング店に侵入、女性の洋服2着(4,800円相当)を盗み放火した際は、木造2階建て店舗兼自宅約150平方メートルが全焼し、客から預かった衣類も返却不能の状態になったうえ、逃げ遅れた経営者の男性の妻(当時53)が一酸化炭素中毒で死亡した。男性(当時52)も軽傷を負った。男性はプレハブ作りの仮店舗で営業を再開させたが、同年12月26日未明、酒井被告はまたも衣類7点(35,000円相当)を盗んで火を付け、平屋建て店舗約40平方メートルを全焼させた。 石橋署は火災後に現場付近にいた酒井被告の自宅から、同店で扱った女性の洋服を発見、盗みの疑いで逮捕した。その後、酒井被告は窃盗や放火を次々に自供した。「家人が店の中にいると知り放火したとはいえない」として殺人容疑での立件は見送られた。 |
裁判所 | 東京高裁 河辺義正裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年7月10日 無期懲役(被告側控訴棄却) |
裁判焦点 | 内容不明。 |
備 考 | 2002年9月26日、宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2003年12月5日、被告側上告棄却、確定。 |
布目佳男(50) | |
2002年2月12日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
元暴力団組長で住所不定、無職の布目佳男被告は、茨城県岩井市の無職渋谷敏幸被告、フィリピン国籍の野田市上花輪のスナック従業員ロレナ・バセンシ・ナメカワ被告と共謀。2000年3月2日午前4時ごろ、野田市上花輪のスナックを経営する韓国人女性(当時42)の自宅に押し入り、手足を縛って「金や株券を出せ」と脅しながら暴行を加え、現金約350万円や貴金属、乗用車1台など計約660万円相当を奪った。さらに同日夜、スナックでひもで女性の首を絞めて殺害。渋谷服役囚が当時住んでいた茨城県岩井市の住宅床下に遺体を埋めた。渋谷服役囚はスナックの常連客だった。 野田市内の銀行で女性のキャッシュカードを使って数万円を引き出したとして、3月7日、野田署はロレナ被告を窃盗容疑で逮捕。ロレナ被告が犯行を自供し、17日、渋谷被告と野田市の暴力団幹部T容疑者を強盗殺人、死体遺棄容疑で逮捕。Y被告を強盗容疑で再逮捕。渋谷被告の供述で女性遺体が見つかった。3月31日、捜査本部は布目被告を強盗殺人、死体遺棄容疑で指名手配。千葉地検は4月3日、T容疑者を処分保留で釈放した。 2002年2月12日、捜査本部は潜伏先の東京都葛飾区の知人名義のアパートの一室で布目佳男被告を逮捕した。 | |
千葉地裁 下山保男裁判長 | |
死刑 | |
2003年7月11日 無期懲役 | |
検察側は「犯行の手段や方法は残虐で、社会に与えた影響も重大。極刑をもって臨むしかない」として死刑を求刑した。 判決で下山保男裁判長は動機について、暴力団組織のビルの建設資金を調達して、自らの暴力団での地位を盤石にするためだったとし、犯行の主犯者だったと認定。「不自然不合理な弁解を弄し、共犯者に責任を転嫁しようとしており、真摯な反省の態度は見られない。自らの欲得のために及んだ、他人の生命を顧みない残虐で悪質な犯行。罪質、動機は極めて悪質だ」としたが、一方で布目被告は『(被害者に)自分なりの戒名をつけて一生涯生活を共にしていく』と被告なりの反省を示している。人間性はいまだ残っていると評価できる」とし、共犯者の判決も考慮に加えたうえで、「反省の日々を送るべく、無期懲役に処するのを相当」とした。 | |
強盗殺人、死体遺棄容疑他で起訴された渋谷敏幸被告は2001年4月13日、千葉地裁(下山保男裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。 強盗殺人、死体遺棄容疑他で起訴されたロレナ・バセンシ・ナメカワ被告は2001年7月18日、千葉地裁(下山保男裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。 検察側は控訴した。2004年4月21日、東京高裁で検察側控訴棄却。上告せず確定。 |
植村勇太郎(45) | |
1999年4月26日 | |
1名 | |
器物損壊、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、建造物侵入、窃盗、道路交通法違反、住居侵入、殺人、火薬類取締法違反 | |
元山口組系暴力団組員、植村勇太郎被告は以下の事件を起こした。
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大阪高裁 白井万久裁判長 | |
死刑 | |
2003年7月15日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却) | |
検察側は「地域住民を恐怖に陥れた犯行で極刑にすべきだ」として控訴。被告側は無罪を主張して控訴した。 白井裁判長は「(被告の逃走を助けたとされる)別の元組員の証言は信用できる」と一審の判断を追認。検察側控訴については「死刑以外は許されない事案とまでは言えない」と述べた。 | |
2002年5月8日、大坂地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。被告側は上告した。2006年3月20日、被告側上告棄却、確定。 |
宮島聡子(28) | |
2001年9月1日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
大阪府守口市でラウンジを経営していた矢田敦子被告は、客の呉服販売業(当時49)から店の出資金の返済を迫られたため、2001年8月30日、店のホステスであった宮島聡子被告や客の少年2人と共謀して、睡眠薬入りのコーヒーで眠らせた後に首を絞めて殺害。現金11万円や借用書を奪い、さらに被害者のワゴンに遺体を乗せて熊本県八代市の国道まで運んだが、芦北署員に見つかり逮捕された。 | |
大阪地裁 氷室真裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月15日 無期懲役 | |
不明 | |
矢田被告らとともに借用書を奪うことを計画し、覚せい剤を渡した不動産業者は強盗殺人で起訴され求刑無期懲役であったが、2003年3月27日、大阪地裁で強盗致死ほう助などが適用され一審懲役12年判決。古田浩裁判長は「共犯女性の供述は信用できず、強盗殺人の共謀は成立しない」「被告は殺害方法などを具体的に知らなかった可能性が高い」と指摘した。2004年1月20日、大阪高裁で一審破棄、懲役11年判決。滝川義道裁判長は「遺族への慰謝の意思も示している」などとした。 矢田敦子被告は2003年5月8日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。 被告側は控訴した。2004年1月22日、大阪高裁で被告側控訴棄却。 |
関和代(58) | |
2002年11月1日 | |
1名 | |
殺人 | |
函館市で飲食店を経営する関和代被告は、水産業の元夫(当時58)に掛けていた保険金3,000万円目当てに、函館市の暴力団組長H被告(43 懲役20年が確定)に殺害を依頼。H被告は2002年4月8日朝、元夫が七飯町のアパートの自宅にいたところを、窓ガラス越しに拳銃で撃ち、死亡させた。 | |
函館地裁 園原敏彦裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月15日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
関被告側は「金に困っていた暴力団組長への同情から犯行に及んだ」などと主張していたが、判決は「(保険金が下りるように)事故死に見せかけるよう殺害方法を提案するなど、完全犯罪をもくろんだ首謀者。反省の情もくみ取れない」と厳しく指摘した。 | |
被告側は控訴した。2004年3月29日、札幌高裁で被告側控訴棄却。 |
来栖勇(35) | |
2002年1月23日 | |
1名 | |
強盗殺人、建造物侵入他 | |
会社役員来栖勇被告は経営する清掃道具リース会社の経営が悪化して多額の借金を背負い、資金繰りに困ったため、桐生市にあるJA支店のCD(現金自動支払機)から金を盗もうと計画。 2002年3月11日午後6時40分ごろ、JAに侵入し、現金自動支払い機(CD)を物色。隣のガソリンスタンドから帰ってきた職員の男性(当時49)の顔に催涙スプレーを吹きかけ、後頭部などをバールで何度も殴って殺害するなどした。職員が持っていた現金3万円入りの財布などを奪い逃走した。 | |
東京高裁 村上光鵄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月16日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
来栖被告は控訴理由で「無我夢中で殴ったが、殺すつもりはなかった」と殺意を否定した。これに対し村上裁判長は「男性に見つかり催涙スプレーをかけた時、逃げることもできたが、殺害してでも金品を奪おうとした」などとして、「確定的な殺意があった」と認定。「被害者と家族の無念さ、精神的苦痛は甚大」などとして量刑も妥当と判断した。 | |
2003年2月4日、前橋地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。8月27日、上告取下げ、確定。 高裁判決後、「刑に不服はない。ただ、刑を受けるのにまだ不安がある。弁護士と相談するための時間が欲しい」などとして上告。遺族に謝罪の手紙を書いた後、8月27日に上告を取り下げた。 |
南逵雄(62) | |
2001年8月19日 | |
1名 | |
強盗殺人、現住建造物放火、死体損壊、窃盗他 | |
無職南逵雄被告は、2001年5月4日夕、かつて住んでいた三原町のマンションに入り、顔見知りだった3階のパート従業員の女性(当時35)宅に侵入。帰宅した女性をひもで縛り現金やキャッシュカードを奪った。また南被告は女性の部屋に居座り、5日午後6時ごろ、女性をベッドの枕に押しつけ窒息死させたうえ、6日午前、部屋に火をつけた。 | |
大阪高裁 裁判長名不明 | |
死刑 | |
2003年7月17日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却) | |
2002年10月22日、神戸地裁(杉森研二裁判長)で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。裁判長は「犯行は卑劣かつ計画的。被害者の苦痛や無念さは想像するに難しくなく、遺族らが極刑を望むのは当然のこと」と指摘した上で、「殺害を長時間ためらうなど、事前の犯行計画を冷徹に実行したとは必ずしも言えず、十分ではないが反省の態度を示している」などと死刑を選択しなかった理由を述べた。 被告側は上告した。2003年12月18日、被告側上告棄却、確定。 |
高橋道昌(32) | |
2001年12月19日 | |
1名 | |
殺人、殺人未遂他 | |
墨田区に住む高橋被告は、1999年頃から隣人のSさん親子を、薬物による幻覚から一方的に恨むようになり、嫌がらせをするようになった。窓ガラスを割ったり、石を投げつけるなどの行為があったため、2001年4月、500メートル離れた住所へ引っ越し。しかし高橋被告は家を探し当て、ドアを蹴るなどの行為を続けた。Sさんは向島署に度々訪問し現状を訴えていたが、警察はほとんど動かなかった。 2001年12月18日午後9時50分頃、高橋被告はSさん宅に侵入、一階にいた会社員Sさん(当時29)と妻のYさんを包丁で何度も刺し、Sさんを死亡させた。さらにSさんの母親(当時51)にも重傷を負わせた。 | |
東京地裁 小倉正三裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月17日 無期懲役 | |
小倉裁判長は「足かけ3年、理由もなく嫌がらせを続けた末、めった刺しにした犯行は非道の極み。極刑もやむを得ないが、覚せい剤で心神耗弱状態だったので減軽した」と述べた。被告側は「心神喪失で責任能力がない」と主張したが、小倉正三裁判長は「他人を装ってドアを開けさせ、犯行後に証拠隠滅もしており善悪は区別できた」と責任能力を認めた。 | |
控訴せず?確定。 |
岡本三郎(57) | |
2000年6月2日 | |
1名 | |
強盗致死、監禁他 | |
東京都杉並区の暴力団会長岡本三郎被告は、売春行為で得た金の一部を豊島区の元暴力団組員の無職の男性(当時65)にみかじめ料として提供させられた女性(当時29)が仕返しをしようと「1億円を取られた」とうそを言ったのを真に受け、取り返したら半額をもらうと約束。1999年12月6日から7日午前3時ごろにかけ、配下の組員ら7人を使い、豊島区の元暴力団組員の無職の男性(当時65)、知人の板橋区の無職の男性(当時60)、元組員の内縁関係の横浜市の女性(当時60)を港区内のビル2階に監禁し、3人に対し「現金をどこにやった」などと脅迫したが、元組員らがこれを否定したため、3人の頭や腹をイスなどで数十回殴打した。3人は同日朝、板橋区内の路上で解放されたが、元組員は約2週間後の同月中旬、脳内出血などで死亡、残る二人も左足骨折や顔面打撲で2週間のけがを負った。 | |
東京地裁 小川正持裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月18日 無期懲役 | |
小川正持裁判長は「欲に目がくらんで安易に話を信じ込み、大胆で傍若無人な犯行に及んだ」と述べた。 | |
坂野上由行(33) | |
1999年5月28日(1999年5月21日 恐喝罪で起訴) | |
1名 | |
殺人、死体損壊、強盗強姦、強盗傷害、恐喝他 | |
暴力団組員で、大阪市内の繁華街で占師をしていた坂野上被告は、交遊グループ「畑蔵(はたくら)会」を結成し、会長を務めていた。借金返済をめぐるトラブルなどから、他のメンバーら9人と共謀して1998年11月28日、仲間の元会社員(当時30)を大阪市北区の路上で拉致。車の中や大阪府富田林市の仲間の家で集団で頭部などを殴打したり、アイスピックで足を刺したりするなどの暴行を加えて死亡させた。翌月、電気のこぎりで頭部を切断するなどした上、一部を兵庫県内の山中に捨てた。 1999年1~4月、女性3人と男性3人を大阪市や大阪府富田林市の路上などで次々に襲って金を奪ったり、因縁をつけて金を脅し取ったり、強姦したりした。このうち2月には、知人の女性と援助交際しようとした会社員(当時39)を「連れの女に何するんや」と暴行した上、現金約430万円などを脅し取った。 | |
大阪高裁 今井俊介裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月18日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
被告は殺意を否認。今井俊介裁判長は「男性が死んでもかまわないという未必の殺意を抱き、3時間にわたるリンチで死なせたのは明らか」と主張を退け、「凶悪な暴力集団を主導する役割を果たしており、刑事責任は誠に重大だ」と指摘した。 | |
2002年3月29日、大坂地裁で求刑通り一審無期懲役判決。古田浩裁判長は「無抵抗な被害者への暴行の態様は執よう、残虐、冷酷だ」とした。他の5被告は懲役8-6年の判決。被告側は上告した。2004年3月31日、被告側上告棄却、確定。 |
奥田和秀(43) | |
2001年3月2日 | |
1名 | |
殺人、強盗致傷他 | |
2000年11月8日午前7時頃、奥田和秀被告は仲間3人と共謀し、尼崎市のゲーム喫茶に拳銃を持って侵入、店員(当時51)を脅して棒で殴るなどして店の売上金など現金約38万円を奪って逃走した。その後、財布を忘れたことに気付き、身元が判明することを恐れて店に戻り、店員を射殺した。 | |
大阪高裁 白井万久裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月22日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
弁護側は控訴審で「被告の更生には有期懲役の方がよい」として、一審の判決は重すぎると主張していたが、白井裁判長は「犯行は凶悪かつ残忍で有期刑が相当とは言えない」と判断した。 | |
強盗致傷、窃盗などの罪に問われた共犯者の一人は2002年2月12日、神戸地裁尼崎支部(鈴木正義裁判長)で懲役13年判決(求刑懲役16年)。 2002年5月31日、神戸地裁尼崎支部にて求刑通り一審無期懲役判決。鈴木正義裁判長は「確定的な殺意に基づく残忍な犯行」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。判決理由で鈴木裁判長は「事前に殺意を固めていたと評価するには疑問が残る」としながらも、至近距離から拳銃を発射したことを挙げ「緊迫した心理状態であったにせよ、殺意は明らかだ」と結論付けた。弁護側は「殺意は突発的なもので、被告は反省している」などと主張していた。 |
岡英明(43) | |
2002年9月14日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
栃木県鹿沼市に住む無職の岡英明被告は、スナック通いや賭け事でできた消費者金融などの借金を返済するため、多額の預金があり、40万円を借りていた栗野町に住む元同僚の調理師の男性(当時48)から金を奪うことを計画。2002年9月2日午前1時ごろ、無施錠の男性宅玄関から侵入し、寝ていた男性の口をガムテープなどでふさいで両手足を縛った後、抵抗する調理師の首をタオルやビニールひもで2度にわたり絞めて殺害。遺体を壬生町の山林に埋めた後、キャッシュカードを使い計238円を引き出した。 9月14日、捜査本部は現金を引き出した窃盗容疑で岡被告を逮捕。28日、供述通り同県壬生町の山林から男性の遺体を発見、岡容疑者を死体遺棄容疑で再逮捕した。10月4日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 | |
宇都宮地裁 飯渕進裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月24日 無期懲役 | |
飯渕裁判長は、賭け事などで借金がふくらんで犯行を決意したことを認め、「金銭にだらしない日ごろの自堕落的な生活態度が招いた自業自得の結果」などと述べた。そして「被害者は金を融通した被告に感謝されこそすれ、殺害されなければならないような落ち度は何一つない。動機に酌量の余地は全くなく、卑劣にして冷酷非情というほかない。遺族らに対し、慰謝などの措置も講じていない」と厳しく指摘した。 | |
被告側は控訴した。2003年11月28日、東京高裁で被告側控訴棄却。2004年5月19日、被告側上告棄却、確定。 |
角田篤人(48)/信沢藤利(41) | |
2002年11月27日(死体遺棄容疑 12月7日に殺人容疑で再逮捕) | |
1名 | |
死体遺棄、殺人、死体損壊、恐喝未遂 | |
無職角田篤人被告、解体工信沢藤利被告、とび職N被告は、群馬県赤城村樽に住む無職の男性(当時41)に数ヶ月にわたって暴行を振るい、消費者金融から度々借金させ、金銭を要求していたが(N被告は途中から参加)、男性が新たに借金できなくなったため、2001年5月上旬頃、子持村の山林で殴ったり蹴ったりし、重さ約70キロの丸太を体の上に落とすなどして殺害。遺体を半透明のシートに包み、群馬県赤城村の山林に深さ80センチの穴を掘って埋めた。 他に2002年4月23日午前6時30分頃、渋川市の路上で知人の男性(当時39)を車に連れ込み、停車した駐車場の車内で脅し、サラ金会社から20万円を借りさせようとしたが、男性が警察へ通報したため、未遂で終わった。 11月27日の逮捕時は、別の窃盗事件で3被告とも服役中だった。 | |
前橋地裁 久我泰博裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月29日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
久我裁判長は「殺人の態様は、計画的で、陰湿かつ卑劣で、残虐、執拗なものであって極めて悪質非道。死体遺棄・損壊の方法も死者に対する畏敬の念が微塵も感じられない悪質である」と批判。角田篤人被告について、常に主導的な立場で二人に指示し、重要な役割を果たしたと認定。本件犯行以前にも2つの懲役前科があり、前刑終了後約1年間を経過したに過ぎないのに、本件殺人等に及んでいるほか、本件以後にも窃盗罪で受刑中であるなど、その規範意識は極めて希薄と言わざるを得ないと断じた。信沢藤利被告についても、被害者を虫けら同然に思い、虐待を中心的に行い、殺害行為に積極的に参加したと批判。N被告についても、虐待に加わった上、殺害行為自体にも関わり、死体にガソリンを撒いた上燃やすことを提案するなど、積極的にかかわっていると断じた。 | |
N被告は求刑懲役18年に対し、一審懲役15年の判決。控訴したかどうかは不明。 被告側は控訴した。2004年1月13日、東京高裁で信沢被告の控訴棄却。2004年7月6日、角田被告の上告棄却、確定。 |
宮崎久直(38) | |
1998年4月24日 | |
2名 | |
殺人他 | |
岐阜県関市の無職の宮崎久直被告は、別居していた妻と義父の態度が冷淡だなどとして恨みを抱き、1998年4月24日午前4時半ごろ、冨山県小矢部市の漆器業の義父(当時59)宅に侵入。別居中だった医療検査技師の妻(当時25)と義父を渓流釣り用のナイフで刺殺し、義母(当時56)にも1週間のけがを負わせた。妻の祖母(当時93)と男児(当時3)は無事だった。 消防署への通報で小矢部署員が駆け付けた。宮崎被告は逃走したが、30分後、近くの観光施設から犯行を認める電話をかけ、駆け付けた小矢部署員に逮捕された。 宮崎被告は1994年に婿養子として入った。しかし宮崎被告がパチンコなどでサラ金に借金をつくるなどしたことから夫婦仲が悪くなり、1997年夏頃に家を出て、9月ごろから離婚調停中だった。無断欠勤や借金のうわさも広がって勤めていた自動車教習所も退職していた。 | |
最高裁第三小法廷 金谷利広裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年7月30日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
宮崎被告側は「犯行当時は心神耗弱または喪失状態で、自首も成立している」と、量刑不当などを訴えていた。 | |
2001年4月27日、富山地裁高岡支部で一審無期懲役判決。2001年12月22日、名古屋高裁金沢支部で被告側控訴棄却。 |
冨永一幸(34) | |
2002年10月18日 | |
1名 | |
強盗殺人、強盗殺人未遂、銃刀法違反他 | |
2000年12月29日午後0時50分頃、東京都江戸川区にて、元暴力団員の冨永一幸被告と中国籍の朴忠容疑者は信用金庫の軽乗用車を路上で襲撃、短銃を発砲した。運転席にいた職員の男性(当時46)を射殺、逃げるもう一人の職員にも発砲し、パチンコ景品交換所に届ける予定だった現金約4,600万円を奪った。 冨永被告は事件後の2001年1月上旬、朴忠容疑者の手引きで、偽造パスポートを使って成田空港から中国・大連に逃亡。その後、山東省の一軒家で朴容疑者と暮らした。奪った約4,600万円のうち、約3,400万円は朴容疑者が中国に送金。冨永被告の取り分は約1,000万円。取り分が少ないことに「むっとした」という冨永被告だが、朴容疑者に「将来、中国に来たら、家も世話するから」などと逃亡後の生活の面倒をみるといわれ、納得したという。中国語を勉強し、毎晩のように中国女性と遊んで暮らしたという。 2001年5月、朴忠容疑者は偽造した運転免許を使用したとして指名手配された。その後、冨永被告が事件で使われた車を購入していたほか「事件は自分がやった」と知り合いに話していたことがわかり、警視庁は2001年8月22日に強盗殺人の疑いで指名手配した。また、冨永被告とした交友関係の合った朴忠容疑者が捜査線上に浮上した。 朴容疑者は2002年4月中旬、中国黒竜江省の公安当局に別の事件で身柄拘束された。捜査本部は7月17日、朴忠容疑者の逮捕状を取った。捜査本部は国外犯規定を適用して日本に代わって犯人を処罰する「代理処罰」要請を真正、中国側が応じたが、処罰結果はまだ出ていない。 冨永被告は生活に困り、2002年8月、朴容疑者の知人を頼って遼寧省瀋陽へ。10日、偽造の身分証明書を所持していたとして身柄を拘束され、10月18日に国外退去処分、成田空港に到着した飛行機内で逮捕された。 | |
東京地裁 川口宰護裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年8月8日 無期懲役 | |
川口宰護裁判長は「冨永被告は中国人の男と共謀して、あらかじめけん銃や逃走用の車を準備するなど犯行は計画的で悪質だ。事件の後も奪った金で中国へ密かに出国して一年以上逃亡を続けており、十分反省しているとはいえない」と述べた。 | |
被告側は控訴した。2004年4月6日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
安峰(26 中国国籍)/伊藤昭(52) | |
安峰被告:2001年6月29日/伊藤昭被告:2001年7月31日 | |
1名 | |
安峰被告:強盗殺人、住居侵入、強盗傷人他 伊藤被告:住居侵入、強盗致死、強盗傷人、覚せい剤取締法違反、電磁的公正証書原本不実記録・同供用、窃盗 | |
2001年4月28日、専門学校生安峰被告、専門学校生A被告(中国国籍 事件当時少年 一審懲役15年、検察側控訴)、元暴力団員伊藤昭被告、専門学校生R被告(中国国籍 犯行当時未成年だったことが判明したため公訴棄却、再起訴)は、山形県羽黒町の鶴岡市職員宅の倉から古美術品等を奪おうと侵入。玄関で職員の妻(当時51)の手足を粘着テープで縛り、左胸を包丁で刺して失血死させた。さらに、高校2年生の長女にも切り付け、腰に軽傷を負わせた。事件の計画、長女への傷害は伊藤被告、殺害は安峰被告であると起訴された。本事件では他に、運転手および運転手を手配した男がいずれも強盗致死、強盗致死ほう助罪などで起訴されている。 伊藤被告が犯行を計画したのは、別の事件で指名手配され逃走資金を得ようという理由だった。伊藤被告は知り合いの暴力団組長を通じ、日本人の運転手グループ、安被告らの中国人実行犯グループを探してもらう。O被告らは「アルバイト感覚で報酬目当てに」中国人犯罪者の送迎を常習的に続けていた。 安峰被告と専門学校生は2001年3月26日に台東区で強盗傷害事件を引き起こし、2001年11月9日に再逮捕されている。 | |
山形地裁 木下徹信裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年8月18日 無期懲役 | |
公判中、被告の多くは起訴事実を否認、責任逃れに終始した。 安被告は「刺したのは自分ではない」と主張。法廷では遺族らの前で、笑いながら発言を繰り返し、「自分の性格で仕方がない」と開き直った。伊藤被告は起訴事実こそ否認しなかったが「(押し入る前に)包丁を捨てていくよう(安被告に)言った」として寛大な判決を求めていた。O被告(35)は「(O被告(24)に)運転手を依頼しただけ」として無罪を訴え、O被告(24)も「強盗するなど知らなかった」と住居侵入ほう助罪などの範囲で量刑を求めた。 判決で木下徹信裁判長は安被告の主張を「不自然で納得しがたく、信用性に乏しい」と一蹴、O・O両被告も「中国人グループが強盗に及ぶ可能性を認識していた」と断罪した。そして安、伊藤被告について「自らの利益のため犯罪行為もいとわない動機に、酌量の余地などまったくない」と断じた。 | |
同日、運転手役の手配・実行をしたO被告(35)にも懲役5年、O被告(24)には懲役4年6月(求刑はいずれも懲役7年)の実刑判決が下された。 A被告は2003年6月2日、山形地裁(木下徹信裁判長)で求刑無期懲役に対し一審懲役15年判決。2004年2月27日、仙台高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。 R被告は2004年1月26日、山形地裁(木下徹信裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。2004年11月11日、一審破棄の上、改めて無期懲役判決。2005年8月30日、被告側上告棄却、確定。 安峰被告は控訴せず確定。伊藤昭被告は控訴した。2004年3月2日、仙台高裁で被告側控訴棄却。上告せず、確定。 |
川上智弘(22) | |
2002年8月7日 | |
1名 | |
殺人未遂、強盗殺人、傷害、窃盗 | |
住所不定、無職の川上智弘被告は以下の事件を起こした。
川上智弘被告と荘司公彦被告は教護院(現在の児童自立支援施設)からの知り合いである。 | |
名古屋地裁 片山俊雄裁判長 | |
死刑 | |
2003年8月19日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2002年11月29日の初公判で、川上智弘被告、荘司公彦被告、K被告は起訴内容を認めた。以後は分離公判となった。 2003年6月12日の論告で検察側は、拉致した男性について川上被告が「おれ一人でも殺して埋める」などと言いながら共犯者を「鼓舞した」と強調。実行段階でも、弱った男性の胸部を「この辺が心臓か」と言いながら背後からナイフで刺すなど積極的にかかわり「犯行の首謀者だった」と指摘した。事前に凶器や仲間を集めて男性を誘い出した計画性や五時間にわたり暴行を加え続けた上で生き埋めにした点を「執拗で冷酷、残虐であり、極刑の選択もやむを得ない」とした。 6月24日の最終弁論で弁護側は、起訴事実をすべて認め、川上被告が犯行で主導的な立場にあったことは否定できないとしたが、「被害者が一人の事件で、死刑判決が出た事例の被害者には犯行を誘因するような落ち度が全くないが、本件では過剰な暴力的対応をした被害者側にも落ち度がある」と強調した。 判決で片山裁判長は、殺害現場で川上被告らは男性が「勘弁してほしい」などと哀願したことも無視して穴に埋めたり、ゴルフクラブで殴打した行為などについて「被害者の絶望感、恐怖感は計り知れない」と指摘。さらに「あらかじめ凶器を準備するなど計画的な面がみられる。川上被告は終始積極的に行動して主導的な役割を担った」と認めた。一方、死刑の適用については「男性が借金返済を求めるため川上被告の仲間のK被告に脅迫を加えたことが(事件の)きっかけになったのは否定できない。川上被告は遺族に謝罪の手紙を書くなど反省がみられる。犯行時は21歳と若く、成育歴についても養護施設、教護院(現在の児童自立支援施設)に入っていたなどの同情すべき点がある。刑事責任は重大だが、『極刑をもって臨むしかない』とまでは言えない」と結論付けた。 | |
強盗殺人他で起訴されたK被告は2003年6月10日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で求刑無期懲役に対し、一審懲役15年判決。片山裁判長は「K被告は殺人行為の主導的役割を果たしていない」と認定した。2004年1月20日、名古屋高裁(川原誠裁判長)で検察側控訴棄却。上告せず確定と思われる。 強盗殺人他で起訴された荘司公彦被告は2004年11月16日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。 検察・被告側は控訴した。2004年3月15日、検察・被告側控訴棄却。2004年9月10日、被告側上告棄却、確定。 |
江辺義則(37) | |
2001年12月3日 | |
2名 | |
殺人 | |
農林水産省京都食糧事務所職員だった江辺義則被告は、パチンコなどのギャンブルで作った数百万円の借金を巡り妻(当時33)と不仲になったうえ、以前から交際していた女性と再婚するため、妻と長男(当時5)の殺害を計画。2001年12月2日午前7時半頃、和室で寝ていた妻の首を両手で絞めて殺害、居間でテレビを見ていた長男の首を背後から絞めて殺害した。その後、妻の首を台所の包丁で切り、包丁を手に握らせて無理心中を偽装した。 | |
大阪高裁 那須彰裁判長 | |
死刑 | |
2003年8月28日 無期懲役(検察側控訴棄却) | |
那須彰裁判長は判決理由で「極めて自己中心的な犯行」としながらも「不倫やギャンブルなどで妻に責められ、精神的に追い詰められた状態にあった。長男の殺害を一度ためらうなど周到に計画された犯行とは言えず、更生の可能性も認められる」と述べた。 | |
2002年12月18日、京都地裁(竹田隆裁判長)で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。取り調べ段階で犯行を認め反省しているとして、「生涯をかけて2人に対する罪を償わせるのが相当」と判断した。 上告せず、確定。 |
及川和行(26) | |
2001年8月8日(自首) | |
2名 | |
住居侵入、殺人、殺人未遂 | |
2001年8月8日午後2時半頃、北海道広尾町に住む無職及川和行被告は、金に困って自宅の2軒隣の重機運転手(47)方に盗みの目的で侵入。子供たちに見つかり、持っていたカッターナイフで長女(当時6)に軽傷を負わせた。ナイフが折れたので台所の包丁を持ち出し、二女(当時5)と長男(当時2)を刺殺した。 検察側は下着を盗んでいることから、強盗殺人で起訴した。 | |
札幌高裁 仲宗根一郎裁判長 | |
死刑 | |
2003年9月2日 無期懲役(一審破棄) 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
判決では、及川和行被告が事件後に自首していることについて「理由や経緯にかかわらず、十分考慮しなければならない」と指摘。さらに、(1)「自分も死刑になった方がいい」と自責の念にかられた言葉を述べたり、被害者のめい福を祈るなど真しな反省悔悟の念を抱いている(2)平素の行状に格別粗暴非道な点はなく、26歳で矯正の余地がある(3)計画性がない(4)民事訴訟で和解している――などと情状を挙げた。そのうえで「真しな反省悔悟の念が認められ、著しい犯罪性向はなく若年で矯正の余地が十分あり、極刑がやむを得ないとは言えない。被告には終生、被害者のめい福を祈らせ、しょく罪に当たらせるのが相当」と結論付けた。 | |
2002年3月18日、釧路地裁帯広支部(榎戸道也裁判長)で求刑通り一審死刑判決。裁判長は争点となった下着の持ち出しについて、「逃走後、直ちに投棄したもので、下着類から生じる効用を利用、享受する意思は認められない」として、窃盗が成立しないと認定し、殺人罪と同未遂罪を適用した。公判廷で被告が「あまり思い出したくない」と供述したことを示し、「結果や責任の重大性を直視せず、反省の真摯さに疑問を抱かざるをえない」と指摘。自首については「自責の念からとはいえない」と断じた。そして「人間性の一片もうかがうことはできず、残虐非道の極みというほかない」と断じた。 遺族が及川被告を相手取り2,000万円の損害賠償を求めた民事訴訟は2003年8月21日、同支部で和解している。 上告せず、確定。 |
小川康(40) | |
2001年11月26日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
2001年9月23日、無職の小川康被告は自堕落な生活による借金苦から、厚真町の燃料店経営者(当時74)方を訪れ、トイレを借りるふりをして男性方に上がり込み、金を奪おうとナイフで男性の胸や腹を数回刺して大けがを負わせた。男性は歩けるまでに回復したが、病院のベッドで長時間横たわっていたことなどによる急性肺そく栓症で、19日後に死亡した。 | |
最高裁第二小法廷 滝井繁男裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月2日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年9月2日、札幌地裁室蘭支部で求刑無期懲役に対し一審懲役15年判決。犯行と死因とは因果関係があるとして強盗殺人罪を認めたが、「直接受けた傷は回復していた」とした。検察側が控訴。2003年2月6日、札幌高裁で一審判決破棄、無期懲役判決。 |
菊地勝(28) | |
2001年4月12日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗 | |
元会社員の菊地勝被告はパチンコなどで借金を重ねたことから、2001年4月8日、長野県南箕輪村でマンションの同じ階に住む同僚の女性Sさん(当時26)の部屋でSさんを殺害、現金6,000円とキャッシュカードを奪い、翌日カードから現金89,000円を引き出した。 | |
最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月3日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年10月8日、長野地裁飯田支部(野村高弘裁判長)にて求刑通り一審無期懲役判決。被告側は「軽度の知的発達障害があり、当時は心神耗弱だった」と主張したが、判決は完全責任能力を認めた。2003年4月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
元少年(21 事件当時19) | |
2002年3月2日 | |
1名 | |
強盗殺人、強盗他 | |
2002年2月26日午前1時頃、中国籍の無職少年(事件当時19)は知人で中国籍の無職金哲山被告と共謀し、盗み目的で川崎市川崎区のナイトクラブの従業員寮に侵入。フィリピン人男性従業員(当時36)をナイフで刺殺し、キャッシュカードを奪い、現金94,000円を引き出した。同年1月19日には2人で都内のマンション一室に侵入し、包丁で住人を脅し現金約26,000円などを奪った。 | |
横浜地裁川崎支部 栗田健一裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月8日 無期懲役 | |
栗田裁判長は「抵抗しない被害者に向かって刃物でとどめを刺すなど犯行は大胆かつ凶暴で悪質だ。共犯者に被害者の殺害を何度も提案するなど果たした役割は大きい」と述べた | |
金哲山被告は2003年10月27日、横浜地裁川崎支部で求刑通り一審無期懲役判決。2004年3月1日、東京高裁で被告側控訴棄却。 控訴せず確定。 |
石田芳夫(56)/岡畑千鶴子(59) | |
1998年1月7日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄・損壊 | |
大阪市港区で同居していた無職石田芳夫被告と岡畑千鶴子被告は、1997年12月30日午後10時過ぎ、大阪市生野区の歓楽街「今里新地」で飲食店を経営しているの女性(当時79)を絞殺。現金40万円や指輪、預金通帳などを奪ったうえ、翌日にかけて浴室で遺体を切断。紙袋などに入れていったん自宅に持ち帰った後、1998年1月1~3日の3回に分けて、奈良県当麻町の二上山山中の雑木林に運んで埋めた。 岡畑被告は約2年前まで今里新地で働いていて、石田被告と知り合った。岡畑被告は女性の店の元従業員だった。石田被告は女性の店の常連客だった。石田被告らは約230万円の借金を抱えていた。 連絡が取れないのを不審に思った親類が12月31日、府警に届け出た。女性宅から貴金属の一部がなくなっており、府警は事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査。石田被告と岡畑被告が女性の貴金属を所持していることがわかり、1月7日、事情聴取したところ、石田被告が「女性宅で殺した」などと殺害を認める供述を始めた。同日、供述通りに遺体が見つかったことから、石田被告を、そして事情を聴いていた岡畑被告を強盗殺人、死体遺棄・損壊容疑で逮捕した。 | |
最高裁第二小法廷 梶谷玄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月8日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
両被告は公判にて、殺人などについては「関与していない」と主張、遺体を捨てたことは「暴力団関係者に脅迫、強要された」として無罪を主張していた。 | |
2001年3月16日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。公判で弁護側は「第三者から指示されて遺体を遺棄しただけで、殺人も死体損壊もしていない」と主張していたが、大島隆明裁判長は「二人の自供時の供述は具体的で、連絡先も名前も知らない第三者から命じられたという弁解はあまりにも不自然」と退けた。そして「人命をかえりみない利欲目的の犯行はあまりに自己中心的」と述べた。 2002年7月10日、大阪高裁で被告側控訴棄却。河上元康裁判長は「資産家の財産を狙った冷酷で残虐な犯行。反省の態度もなく、刑事責任は重大だ」と述べた。 |
藤根勲(59) | |
2002年6月18日 | |
1名 | |
強姦致傷、死体遺棄、強姦、殺人、傷害、窃盗 | |
2002年5月9日午後8時頃、無職、藤根勲被告は、群馬県玉村町の町道を歩いていた保険外交員の女性(当時33)を後ろから軽トラックではねて、「病院に連れて行く」と車内に連れ込み、顔を石で殴った後強姦。さらに別のワゴン車に移動し、女性の首をストッキングで絞めて殺害、車を遺体ごと近くの資材置き場に移動し、放置した。 他に前妻を扇風機で殴打した傷害事件、2度にわたって木製置物合計4個を窃取した窃盗事件、強姦致傷事件で起訴されている。 | |
東京高裁 白木勇裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月8日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
藤根勲被告は「無期懲役は重すぎる」として控訴していたが、白木裁判長は「女性には顔を始め、ほぼ全身に傷があり、藤根被告は躊躇することなく、激しい暴行をした」と認め、「無期懲役はやむを得ない」とした。 | |
2003年3月27日、前橋地裁で求刑通り一審無期懲役判決。 |
福田一夫(62) | |
不明 | |
0名 | |
麻薬特例法※違反(業としての不法輸入)他 | |
元暴力団組長の福田一夫被告は、元暴力団組長坂木康悦受刑者、福岡県柳川市の海産物卸商A受刑者らと共謀し、1996年4月、中国・大連付近から覚せい剤約233kgを中国船籍の貨物船で運び、熊本県有明湾内で陸揚げして密輸し、らうち約50kgを元暴力団組長S受刑者を通し、東京都内で知り合いの暴力団組長T受刑者に1億円で密売した。 また、1997年12月にも覚せい剤とみられる薬物約240kgを密輸するなどした。このとき、密輸情報を入手した警視庁が有明海で密輸船を発見。覚せい剤は押収できなかったが、1998年3月18日までに関税法違反容疑で逮捕した組員らの供述などから、東京まで運搬した車や密売ルートを解明。東京地検は起訴に踏み切った。現物のないまま、大規模な覚せい剤とみられる結晶の密輸入を起訴したケースは珍しいとされる。 | |
最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長 | |
無期懲役、罰金1,000万円、追徴金約23億6,900万円 | |
2003年9月8日 無期懲役、罰金1,000万円、追徴金約22億8,977万円(被告側上告棄却、確定) | |
弁護側は「追徴金の額は天文学的数字で、経済的には10回死刑になるようなもの」と主張したが、第三小法廷は「上告理由にあたらない」と退けた。 | |
麻薬特例法違反(業として行う不法譲渡)他で起訴されたT受刑者は、1997年3月14日、東京地裁(大野市太郎裁判長)で求刑通り無期懲役、罰金500万円、追徴金3,348万円判決。控訴したかどうかは不明だが、1999年3月までに確定している。 T受刑者に覚せい剤を売り渡して覚せい剤取締法違反他で起訴された元暴力団組長S受刑者は、1999年3月23日、東京地裁(山内昭善裁判長)で懲役12年、罰金300万円、追徴金1億円判決(求刑懲役14年、罰金500万円、追徴金1億円)。おそらく控訴せず確定。 陸揚げなどを担当し、麻薬特例法違反などの罪に問われた海産物卸商A受刑者は1999年4月20日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で懲役13年、罰金500万円、追徴金約1億1,857万円判決(求刑懲役15年、罰金500万円、追徴金約1億1,857万円)。控訴せず確定。 坂木康悦被告受刑者は中心的役割を果たしたとして、1999年6月22日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で無期懲役、罰金1,000万円、追徴金約2億円判決(求刑同)。控訴舌かどうかは不明だが、すでに確定。 2001年4月17日、東京地裁で無期懲役、罰金1,000万円、追徴金約22億8,977万円。中谷雄二郎裁判長は「密輸覚せい剤は類例をみないほど大量で、大部分が暴力団関係者を通じて社会に拡散して乱用された可能性が高く、責任は極めて重い」と指摘し、追徴金額を約8,000万円減額したほかは検察側の求刑通りに判断した。 2001年10月25日、東京高裁で被告側控訴棄却。高木俊夫裁判長は「社会に与えた影響は大きく、害悪は計り知れない」と述べた。 麻薬特例法は、薬物犯罪による収益や財産を没収すると定めている。追徴金制度は、犯罪による利得を保持させないことを目的にしている。今回は密輸された覚せい剤を没収できなかったため、同法の別の規定で金額に換算した。最高裁によると、同法に基づく追徴金としては過去最高額という。 |
元少年(22 事件当時19) | |
2001年9月6日 | |
1名 | |
強盗殺人、強盗殺人未遂 | |
元少年(事件当時19 二審無期懲役判決確定)ともう一人の元少年は友人A(21 一審無期懲役が確定)に依頼され、遊興費や借金の返済のために友人Aの父である会社員(当時55)に掛けられた保険金約1億4千万を奪おうと計画。2001年9月6日午前3時頃、鳥取県米子市に住む会社員方に侵入し、自宅で寝ていた会社員を刃物で殺害、会社員の妻にも約2週間のけがを負わせた。家屋内の現金も盗む予定だったが、妻が逃げ出したため逃走し、盗むことはできなかった。同居していた会社員の長男一家4人は無事だった。 | |
最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月16日? 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年4月24日、鳥取地裁米子支部で3人に求刑通り一審無期懲役判決。刑が重いと元少年の2名が控訴。2003年5月12日、広島高裁松江支部で被告側控訴棄却。1名だけ上告していた。 |
葛西史明(31) | |
1996年11月1日 | |
1名 | |
殺人、現住建造物等放火 | |
無職、葛西史明被告は1996年6月頃から交際し、9月末頃別れた専門学校生(当時19)とよりを戻そうとしたが、冷たくされたことに立腹。1996年10月24日午後3時50分頃、京都府八幡市にある専門学校生の自宅アパートに押し掛けて、刃物で切り付けるなどして失神させた。その後、玄関にあった灯油をかけて放火し、殺害した。 | |
最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月16日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
被告側は一貫して無罪を主張。 | |
2000年3月21日、京都地裁で求刑通り一審無期懲役判決。葛西被告は捜査段階から一貫して犯行を全面否認。公判でもアリバイを主張するなど争っていたが、榎本巧裁判長は「アリバイを客観的に裏付ける証拠はなく、主張はとうてい信用できない」と退けた。そして榎本裁判長は「女性の行動を熟知し、帰宅を待ち伏せるなど計画的で冷酷な犯行。動機も自己中心的で酌量の余地はない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。 2002年3月27日、大阪高裁で被告側控訴棄却。被告側は「犯罪事実はなく、アリバイもある」として犯行を否認していたが、豊田健裁判長は「出火の約二時間前に被告が被害者宅の電話を使用していることが強く推認され、被告のアリバイ供述は到底信用できない」と指摘、「被害者への攻撃を想定した被告のメモなどもあり、被告による犯行は明らかだ」とした。 |
神和彦(50) | |
2003年3月30日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗他 | |
無職神和彦被告は2003年3月14日午前11時5分頃、札幌市手稲区の無職女性(当時74)宅に金目当てで侵入。室内を物色中、帰ってきた女性に見つかり騒がれたために首を両手で絞め、いったん息を吹き返した女性の首に腰ひもを巻き付けて窒息死させ、現金84,000円とキャッシュカードを奪った。さらにカードを使って銀行口座から現金69万3千円を奪った。 神被告は女性の長女の元交際相手であり、たびたび、金を借りていた。当日も金の無心に訪れ、留守だったため、侵入した。 | |
札幌地裁 遠藤和正裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月19日 無期懲役 | |
弁護側の「被告は心身共に極限状態の中で犯行に至ったもので計画性はない」との主張を遠藤和正裁判長は退け、「利欲的で酌量の余地はない。殺害、現金を奪っただけでなく、被害者の預金まで引き出しておりあさましい限り」と述べた。 | |
控訴せず確定。 |
中村昇(36) | |
1995年7月9日 | |
9名 | |
殺人、殺人損壊、殺人未遂、逮捕監禁致死、殺人予備 | |
オウム真理教元幹部中村昇被告は以下の4つの事件で起訴された。●1993年11月からのサリン生成プラント建設、●1994年6月27日、長野県松本市でサリンを撒布し住民7人を殺害、被告は実行現場の警備役を担当、●1994年7月10日、信者の逃亡を手助けしようとした元信者の首をロープで絞めて殺害、遺体を焼却、●1995年2月28日、逃亡した女性信者の所在を聞き出すために信者の実兄である目黒公証役場事務長を逮捕監禁、死亡させ、遺体を焼却。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
死刑 | |
2003年9月25日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却) | |
検察側は一審で未必の故意にとどまるとされた判決について「確定的殺意による犯行。死刑とすべきだ」と主張。弁護側は「殺意はなく、今は反省している」と有期刑を求めた。 判決理由で裁判長は「サリンをまくことは犯行前に認識したが、ボツリヌス菌培養など多くの失敗経験から多数の死傷者が出ることを見越していたとまではいえず、確定的な殺意とするには疑いが残る」と述べた。 | |
2001年5月30日、東京地裁(永井敏雄裁判長)で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。「各事件はいずれも教団で絶対的な存在だった松本智津夫被告=教祖名麻原彰晃=の指示で実行され、中村被告は教団の仕事として犯行に加担し固有の動機はなかった」とした。 被告側は上告した。2006年9月4日、被告側上告棄却、確定。 |
田口文一(61)/中克己(62) | |
2002年11月3日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、詐欺他 | |
雑貨販売業田口文一被告と無職中克己被告は、2002年9月7日午前9時頃、宇都宮市に住む刀剣類の収集家の男性(当時81)方で、金庫にあった日本刀のつばやさやなど約110点、762万円相当を強奪。男性の顔にビニール袋をかぶせて上から粘着テープを巻き付け、殺害した。被害者はサックス奏者の渡辺貞夫さんの兄。 田口被告はこの事件以前にも、愛知県小牧市の骨とう店に押し入り店主にけがをさせたほか、中被告らと福島県郡山市や宇都宮市の古美術店で窃盗を繰り返していた。 | |
宇都宮地裁 飯渕進裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月25日 無期懲役 | |
7月10日の論告で検察側は「二人は男性が古美術を集めていることを知って周到に犯行を計画した。言葉巧みに自宅に上がり込み、刀剣類を奪って殺害した犯行は悪質極まりなく、結果は重大だ」とした。 同日の最終弁論で弁護側は、「犯行の発覚を免れるために突発的に殺害したもので計画的な犯行ではない」と主張した。 判決で飯渕裁判長は平穏に過ごしていた男性が突然の凶行に襲われたことに触れ、「絶命するまでの心身の苦痛はもとより、その無念さはいかばかりか」と述べた。スタンガンや粘着テープを事前に準備したことについても「計画的かつ悪質な犯行」と指弾した。そして「一人暮らしの老人の被害者を標的にした。卑劣かつ身勝手。冷酷非情。強い利欲的動機に酌量の余地はない」と言い切った。 | |
検察、被告ともに控訴しない意向。 |
梶谷浩司(31)/西村成一(55) | |
2003年1月27日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
元コンビニエンス店長梶谷浩司被告と元警備員西村成一被告は、大阪府寝屋川市にあるスナックの常連客だったが、スナックの女性経営者(当時62)から賭博などの借金の肩代わりとして3,310万円、117万円の借金があった。2被告は借金を免れようと、2002年10月18日夜、女性経営者を焼き肉に誘いだし、車内で首を絞めて殺害。翌日、寝屋川市の貸しガレージで遺体をドラム缶に入れ、コンクリート詰めにして遺棄した。2人は11月11日、事情聴取直後に逃走、22日に指名手配された。 | |
大阪地裁 杉田宗久裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月26日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
弁護側は「被害者からの借金が違法な高金利で、追い詰められていた」と情状酌量を求めた。 判決で杉田裁判長は、「被告両名は高利をとられていたとはいえ、窮地に再々被害者から金を融通してもらって世話になっていたものであり、そのような被害者に対する仕打ちとしてもあまりに無惨で非道なものというほかない。極めて短絡的な発想に基づく自己中心的な犯行で、酌量の余地はない」と述べた。 | |
梶谷被告は控訴せず確定。西村被告は控訴した。2004年5月18日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2004年10月20日、被告側上告棄却、確定。 |
高野貴広(27) | |
2002年2月13日(恐喝罪で起訴済み) | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
元暴力団組員で住所不定無職高野貴広被告は2001年8月22日午後5時ごろ、売買交渉を装って東京都目黒区の外車販売店店長の韓国籍の男性(当時41)を呼び出して包丁で腹などを刺し、男性が持ってきた330万円を奪おうとしたが、抵抗され逃走。男性は病院に運ばれたが同日、死亡した。高野被告は、男性が勤務する中古車販売会社に、車を買い取ってほしいと数回にわたってうその電話をかけており、事件当日も買い取り代金として現金を持って来させて奪おうとした。 | |
最高裁 ?裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年9月29日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
弁護側は「被害者からの借金が違法な高金利で、追い詰められていた」と情状酌量を求めた。 | |
2002年10月28日、東京地裁で求刑通り一審無期懲役判決。控訴審判決日不明。 |
柴田清一(62) | |
2001年1月28日(電磁的公正証書原本不実記録などの疑いで) | |
1名 | |
殺人、死体遺棄他 | |
不動産会社シバホーム社長柴田清一、元同社役員K両被告は共謀し、1999年から2000年にかけて、名古屋市天白区にある不動産賃貸業者(当時66)やその母親や兄名義の土地計8筆の書類を偽造。所有権が柴田被告の不動産会社に移転したとする虚偽の登記をし、建設会社などに約13億円で勝手に転売した。 さらに、不正が発覚しそうになったため2000年7月9日、自宅で不動産賃貸業者の頭を数十回金属バットで殴って殺害し、翌10日に遺体を名古屋市港区の空き地に埋めた。 | |
名古屋地裁 伊藤新一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月7日 無期懲役 | |
2003年5月22日の論告で検察側は「他人の土地を無断で売却し13億円余もの不法収益を得たうえ、発覚を防ぐため被害者を殺害した極めて利欲的で悪質な犯行」と指摘。柴田被告が殺害は知人らの指示と一部で争っていることに対し、「虚偽の弁解で柴田被告が首謀者」と述べた。 柴田被告側は「殺害は業者の親族(故人)や暴力団幹部から依頼された」など主張した。 判決で伊藤裁判長は柴田被告が殺害などの一連の犯罪を計画し、中心的役割を果たしたと認定。また「遺体を遺棄する土地をあらかじめ購入しておくなど執拗かつ残虐な犯行で、登記制度に対する信用を損なわせ、社会に与えた影響も大きい」と量刑理由を述べた。一方、K被告については「凶器の金属バットの購入を行ったうえ柴田被告から3,800万円の報酬を受け取り、重要な役割を果たした」とした。 | |
K被告は同日、懲役16年判決(求刑懲役20年)。 |
関井雅信(46)/大野義隆(44) | |
2001年7月26日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、建造物侵入、窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺 | |
無職だった関井雅信被告と大野義隆被告は金に困り、1999年5月21日未明、名古屋市に住む知人のトラック運転手(当時36)を殺害し愛知県幸田町の山中に捨て、預金200万円を引き出した。 家族が5月26日、愛知県警緑署に捜索願を出した。 2年後の2001年7月中旬、大野義隆被告が「人を殺して金を奪った」と江南署へ自首。愛知県日進市の店舗からゲームソフトを盗んだ窃盗容疑が発覚したため、窃盗容疑で逮捕した。その後の調べで、関井雅信被告の関与が判明した。県警捜査1課は両被告の供述に基づき、25日朝から幸田町須美周辺の山中を捜索。午前中に男性とみられる白骨化した遺体を発見した。26日、死体遺棄容疑で二人を逮捕。8月1日、強盗殺人容疑で再逮捕。 | |
名古屋高裁 川原誠裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月8日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
川原裁判長は一審判決と同様に「否認後の供述は不自然で信用できない」と退けた。 | |
2003年4月22日、名古屋地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年3月16日、被告側上告棄却、確定。 |
坂本正人(37) | |
2002年7月20日 | |
1名 | |
殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身代金取得、住居侵入、強盗、傷害 | |
2002年7月19日午後1時ごろ、群馬県粕川村の無職坂本正人被告は、終業式を終えて大胡町内の路上を帰宅途中だった女子高生(当時16)に道を尋ねるふりをして無理やり乗用車に乗せ連れ去り、約5km離れた同県宮城村の山林で首を手で絞めたあと、さらにカーステレオのコードで絞めて殺した。殺害後の同日夜から翌日昼ごろまでの間、数回にわたり、女子高生の携帯電話を使い、「50万円を用意しろ。娘がどうなってもいいのか」などと自宅に脅迫電話をかけ、同県内の路上で身代金として23万円を受け取った。 群馬警察は要求額が少ないことなどから恐喝事件と判断して捜査。20日正午過ぎ、坂本被告が身代金を受け取ったところを逮捕した。23日に坂本被告が殺人を認め、遺体が見つかったことから、24日朝、殺人と死体遺棄容疑で再逮捕した。 犯行の動機については、児童相談所にいる別れた妻や連れ子に会うため、職員に面会を強要する手段として女子高生を人質に取ろうとした、などと説明した。前妻らは坂本被告から家庭内暴力を受けたため、保護されていた。 坂本被告は5月7日午後5時ごろ、自宅の居間で、前妻の連れ子に教科書を読ませていたところ、子どもが読み間違えたことに憤慨。顔を平手打ちにしてタンスにぶつけ、頭に一週間のけがをさせた。 他に坂本被告は、7月9日午後3時20分ごろ、かつて勤めていた会社の社長宅(前橋市)に宅配便の配達員を装って侵入。社長の妻に包丁を突き付け「金を出せ」と脅し、台所の流し台にあった現金約10万円を奪った。 | |
前橋地裁 久我泰博裁判長 | |
死刑 | |
2003年10月9日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2002年10月21日の初公判で、坂本正人被告は起訴事実を認めた。12月5日の第2回公判で、連れ子に対する傷害事件や強盗事件などについても認めた。 2003年3月11日の第4回公判で弁護側は「(坂本被告の)人格問題が先天的か否か」などを判明する必要があるとして、精神鑑定を申請した。5月8日の第5回公判で久我泰博裁判長は、申請を却下した。 同日、女子生徒の母親が検察側証人として出廷し、「(坂本被告を)死刑にしてください」と訴えた。 7月29日の論告求刑で検察側は、坂本被告が前橋保健福祉事務所を脅し、別れた前妻らと会うため女子生徒を人質に取ったうえ、力の限り首を絞めて殺害。さらに身代金を要求した点について「自己の目的のために他人の生命、人格などを全く顧慮しない身勝手な犯行」と断じた。坂本被告が逮捕後も遺棄場所を供述しなかったことから、死後四日たって女子生徒が発見されたことも指摘。父親の制止で、母親が最後まで女子生徒と対面できなかった無念さに触れ、「遺族の悲嘆を増加させた。犯行後の情状も極めて悪質」とした。また、坂本被告が、事件について「ほとんど考えずにいる」などと供述したことに対し、「矯正は無意味で再犯の恐れは極めて高い」とした。 判決で久我泰博裁判長は、「冷酷、残虐かつ凶悪な犯行」「行き当たりばったりの犯行で残虐極まりない」と指摘したが、以下の理由で無期懲役判決を下した。 (1)殺人は偶発的であり、計画的な犯行でない。場当たり的である。 (2)殺人は執拗であるが、極めて残虐であるとまで言うことはできない。 (3)捜査段階の途中からはおおむね素直に事実関係を認めて捜査に協力している。 (4)これまで前科前歴がない。 (5)被告人に被害者に対する謝罪の念や、反省悔悟する気持ちなどが芽生えてきている。 久我裁判長は閉廷を告げて被告が退廷した後、傍聴席にいた被害者の両親に「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家として死刑判決を出すことは大変なことです。納得できないと思いますが、そういうことです」と語りかけた。 | |
両親や中学時代の仲間が中心となって極刑を求める署名約7万6,000人分を前橋地検に提出していた。 検察側は控訴した。また坂本正人被告も死刑判決を求めて控訴した。2004年10月29日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。上告せず確定。 |
タン・ブン・ケ(29 マレーシア国籍) | |
2002年5月19日 | |
1名 | |
造物侵入、強盗殺人、窃盗、出入国管理及び難民認定法違反 | |
元警備会社員千葉弘幸受刑囚と、マレーシア国籍で無職タン・ブン・ケ被告は、2002年4月30日午前2時5分頃、埼玉県狭山市市民会館の警報装置を誤作動させて警備員の男性(当時26)をおびき寄せ、くぎ抜きや特殊警棒で殴打。粘着テープで縛り、包丁で刺し殺した。奪った合鍵で市内の銀行支店に侵入し、現金自動預入払出機(ATM)から現金1,934万円を盗んだ。 | |
東京高裁 須田☆裁判長(☆賢の又が忠) | |
無期懲役 | |
2003年10月9日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
判決理由で須田裁判長は「人間性をみじんも感じさせない悪質な犯行で、責任は極めて重大」と述べ、弁護側の量刑不当の主張を退けた。 | |
2003年2月7日、さいたま地裁で両被告に一審無期懲役判決。千葉元被告は控訴せず確定。 |
矢部昭夫(57) | |
1991年12月2日(公正証書原本不実記載などの疑い) | |
1名 | |
殺人、有印私文書偽造他 | |
行田市の整体院経営矢部昭夫被告は貸家の家主だった行田市の会社員の男性(当時46)が独身の資産家であることに目を付け、自分の知り合いだった知的障害者の女性(当時20)との婚姻届を偽造。1991年9月29日、同町井戸の荒川岸から男性を岩場に突き落として殺害し、女性に財産処分の委任状を書かせ、財産を奪おうとした。 | |
最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月14日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
物証はほとんどなし。男性は事故死であると矢部被告は無罪を主張。1999年6月29日、浦和地裁熊谷支部で求刑通り一審無期懲役判決。2001年6月27日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
北村浩一(35) | |
1996年11月14日 | |
12名 | |
殺人、殺人未遂、犯人隠匿、犯人隠匿隠避 | |
オウム真理教元幹部北村浩一被告らは教団元代表松本智津夫被告と共謀し、1995年3月20日朝、東京都心の地下鉄3路線5電車にサリンを散布した。北村被告は丸ノ内線の散布役広瀬健一被告を乗用車で送迎した。また同年3~4月、目黒公証役場事務長監禁致死事件の実行役をかくまった。 | |
最高裁第二小法廷 梶谷玄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月14日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
北村被告の弁護側は「一、二審は共犯とされる者の行為で発生した結果の重大性に目を奪われ、被告の役割や行為を無視しており、無期懲役は重すぎる」などと主張した。1999年11月12日、東京地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2002年1月29日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
中村伸一(40) | |
2001年5月4日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造・同行使、詐欺 | |
ケアマネージャー(介護支援専門員)中村伸一被告は、ギャンブルなどによる500万~600万円の借金の返済に困り、2001年4月3日午後2時頃、勤めていた介護サービス会社の利用者で、ケアプラン(介護計画)作成時に知り合った和歌山市新雑賀町の元旅館女将(当時75)の首をひもで絞めて殺害。預金通帳や定額郵便貯金証書(残高計約3,000万円)などを奪い、和歌山市内の地銀窓口で現金75万3,500円を引き出した。さらに2日後、車で遺体を運び、同町最上の空き地で灯油をかけて燃やして埋めた。 また2000年11月から2001年3月の間、特別養護老人ホームなどで現金などを盗んだ。 | |
和歌山地裁 樋口裕晃裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月15日 無期懲役 | |
中村被告は、殺害後に通帳を盗むことを考えたなどと強盗目的を否認して殺人と窃盗罪の適用を求めていたが、裁判長は「犯行当時、借金返済に窮しており、強盗目的は合理性がある」と退けた。そして「介護保険制度に対する国民の信頼の根幹を大きく揺るがしかねない犯行」と述べた。 中村被告は窃盗罪で確定判決を受ける前の1999年6月と7月の窃盗罪にも問われ、無期懲役とは別に懲役1年(求刑懲役1年6月)の判決も言い渡された。 | |
厚生労働省はこの事件をきっかけに、省令を改正してケアマネジャーの資格要件を厳しくし、和歌山県も預貯金通帳などの資産預かりを禁止している。 被告側は控訴した。2004年6月4日、大阪高裁で被告側控訴棄却。 |
土屋潔(61) | |
2002年7月19日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
無職土屋潔被告は金に困り、2002年7月17日深夜、愛知県豊川市御油町に住む知り合いの資産家男性(当時83)宅に侵入。就寝中の男性の顔や頭を金属バットのような鈍器で殴り殺害。男性のショルダーバッグを奪った。バッグには、小銭2円と印鑑しかなく、狙っていた預金通帳はなかった。 | |
名古屋地裁豊橋支部 富田守勝裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月15日 無期懲役 | |
富田守勝裁判長は「犯行は計画的」などと述べた。 | |
余強(29) | |
2002年5月29日 | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
中国人男性の無職余強(ユチャン)被告は他の中国人男性3人と共謀し、2001年8月20日深夜、東京都北区の中国人女性のエステ店員(当時45)の部屋に侵入し、寝ていた同居の別の中国人女性を粘着テープで縛り、刃物を突きつけ「何もしないから静かにしろ」と脅迫。二、三時間後に帰宅した女性も粘着テープで縛り、顔などをふさいで窒息死させ、現金約7万円とキャッシュカードなどを奪った疑い。同居の女性は21日朝、自力でテープをほどき、交番に届け出た。 余被告らは窃盗団のメンバーで、関東地方などで事務所荒らしなどを繰り返していた。窃盗罪で神奈川県警などに逮捕。2002年5月29日、余被告ら3人が逮捕された。共犯の氏名不詳の中国人男性は海外に逃亡している。 | |
東京地裁 成川洋司裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月16日 無期懲役 | |
共犯で強盗致死罪などに問われた中国人男性2人は懲役15年、14年(求刑はいずれも無期懲役)が言い渡された。残る1名は逃亡中。 |
徐慶泰(51) | |
1990年5月24日 | |
1名 | |
殺人、詐欺他 | |
新潟県亀田町のパチンコ店経営、韓国籍の徐慶泰被告は、母親(81)やその養女(48)と共謀。母親が主体となり、パチンコ店員の男性と養女を偽装結婚させた上、9,000万円の生命保険金を掛けた。1986年11月、徐被告と養女は徐被告の経営するスナックで、男性に睡眠薬の入ったウイスキーを飲ませ、新潟市の鳥屋野潟付近で男性を路上に突き落とし、ひき殺そうとしたが失敗。1987年3月2日、再び母親の指示で、徐被告と養女は薬物を飲ませて仮眠状態の男性を乗用車に乗せて鳥屋野橋に行き、鳥屋野潟に突き落としたが、男性が泳いで岸にたどり着き失敗。3日午前4時ごろ、西蒲・中之口村の両郡橋から男性を中ノ口川に投げ込み、水死させた。 しかし、母親と徐両被告が、養女と相談せずに一部保険金の請求手続きをしたことから、仲間割れ。養女の印鑑を必要とした徐被告らは、養女を三回監禁したが、保険金7,750万円は養女が独り占めした。 事件は事故として処理されたが、1989年秋に別の容疑者が保険金詐欺を知っているとして供述したため、捜査が開始された。 徐被告には1億8,000万円以上の借金があった。また徐被告は5回にわたって車など約250万円相当の盗みを行っている。 | |
最高裁第二小法廷 梶谷玄裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月20日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
徐被告はアリバイとともに無罪を主張。母親も無罪を主張。養女は計画に荷担せず、殺人を目撃しただけと主張した。1996年2月20日、新潟地裁で母、養女とともに求刑通り一審無期懲役判決。1999年3月9日、東京高裁は母、養女の一審判決を破棄し、懲役16年を言い渡してそのまま確定。徐被告は2000年1月27日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
今井和美(46)/石川恒雄(52) | |
2002年2月14日 | |
1名 | |
今井被告:強盗殺人、死体遺棄、窃盗、住居侵入、有印私文書偽造・同行使、詐欺 石川被告:強盗殺人、死体遺棄、窃盗、住居侵入 | |
元暴力団員の今井和美被告と石川恒雄被告は、2002年1月、新潟市内で今井被告と同居していた男性(当時48)を脅して現金約28,000円とキャッシュカードを強奪。革製ベルトで男性の首を絞めて窒息死させ、遺体を同市内の砂防林に埋めて遺棄した。更に、現金自動預払機を使い、奪ったキャッシュカードで銀行口座から現金80万円を引き出すなどした。死体は2月13日に発見された。 | |
東京高裁 中川武隆裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月20日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
弁護側は「計画性や殺意はなかった」と主張したが、中川裁判長は「当初から被害者を殺害し金を奪う目的だったのは明らか。金のためには人命も意に介さない悪質な犯行で、責任は誠に重大」として退けた。 | |
2003年2月25日、新潟地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年4月16日、被告側上告棄却、確定。 |
ゴビンダ・プラサド・マイナリ(37) | |
1997年5月20日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
ネパール国籍の元飲食店従業員ゴビンダ・プラサド・マイナリ被告は、1997年3月9日未明、東京都渋谷区のアパートの空き室で、売春をしていた東京電力の女性社員(当時39)の首を絞めて殺害、所持金約4万円を奪った。(注:起訴内容) 5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在していたゴビンダ被告を強盗殺人容疑で逮捕した。 | |
最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月20日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
被告側は一貫して無罪を主張。直接証拠はなく、状況証拠の評価が争点となった。2000年4月14日、東京地裁(大渕敏和裁判長)で求刑無期懲役に対し、一審無罪判決。第三者がいた可能性を指摘し、立証不十分とした。検察側が控訴。2000年12月22日、東京高裁(高木俊夫裁判長)で一審破棄、無期懲役判決。幾つかの状況証拠を基に有罪と断定した。 2005年3月24日、東京高裁へ再審請求。2012年6月7日、東京高裁(小川正持裁判長)は再審開始を決定。さらにゴビンダ被告の刑の執行停止を決定。ゴビンダ被告は同日、横浜刑務所から釈放された。ゴビンダ被告は入管難民法違反(不法残留)で有罪が確定していたため、国外強制退去処分を受けて、6月15日、ネパールへ帰国した。7月31日、東京高裁(八木正一裁判長)は再審開始の判断を支持し、検察の異議申し立てを棄却した。8月2日、東京高検は特別抗告を断念することを発表し、再審開始が確定した。 11月7日、東京高裁(小川正持裁判長)はゴビンダ被告に無罪を言い渡した。検察側は上訴権を放棄し、無罪判決が確定した。 |
大石一敏(51) | |
2000年12月13日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
静岡県焼津市で設計事務所を経営していた大石一敏被告は、とばくで多額の損失を抱え、事務所の経営も悪化していたことから、美術品強奪を計画。2000年11月19日夜、静岡県焼津市で東京都大田区の美術商の女性(当時52)の首を絞めて殺害。美術商が所有する美術品17点(約2,237万円)を盗み、20日未明、事務所にて遺体をのこぎりでバラバラにして大井川港に遺棄した。 | |
東京高裁 安広文夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月21日 無期懲役(一審破棄) | |
一審判決を不服とした検察側と、量刑が重すぎるとして弁護側の双方が控訴していた。 検察側は、借金を抱える大石被告が、美術品を奪う目的で女性を自分の設計事務所に誘い出し、絞殺の上、絵画などを奪ったと主張。一方、被告側は強盗目的を否認し、「被害者の言葉に激高しての衝動的な犯行だ」と反論していた。 安広裁判長は判決で検察側の主張通りに、「美術品を強取する目的で殺害した」と認定。その根拠として、(1)設計事務所の経営状態が悪かった(2)「美術品を担保に差し出せばカネを貸してくれる知人がいる」と架空の借金話を女性に持ちかけて美術品を運ばせており、残されていた金銭借用証書は偽装工作だ--などと指摘した。「とばくで多額の損失を抱え、事務所の経営も悪化しており、美術品強奪のために殺害したと推認できる」と指摘して一審を破棄した。 大石被告は判決理由を静かに聞いていたが、言い渡しが終わると突然立ち上がり、安広裁判長に向かって「初めからお前は悪意じゃないか。死刑にしろ」などと大声でわめき、裁判長から即刻退廷を命じられた。 | |
一審で大石被告は殺人罪などは認めたものの、絵を奪う強盗目的や計画性を一貫して否認。2002年7月1日、静岡地裁は強盗殺人罪を否定し、「殺害後に美術品を盗んだ」として殺人罪と窃盗罪を適用して懲役18年判決。被告側は上告した。2004年7月12日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 村瀬国隆(32) |
逮 捕 | 2000年12月20日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 住居侵入、強盗殺人、強盗強姦未遂、窃盗、傷害、強姦未遂 |
事件概要 |
住所不詳、村瀬国隆被告は職業を転々とし2000年5月ごろからは定職に就かず、朝は仕事に行くふりをして母親から交通費をもらい、夜は母親から小遣いをもらってキャバクラなどに行っていた。村瀬被告はキャバクラなどで消費者金融から借金を重ねるとともに、1998頃から街頭で見かけた女性が気に入ると、その女性の後をつけ、自宅を突き止めた上で、交際を求める手紙を書いて差し出すなどしていた。 2000年10月19日夜、村瀬被告はコンビニエンスストアから出てきた東京都板橋区の会社員の女性(当時26)を見かけて気に入り、女性の後を追いかけ、無施錠の玄関から屋内に入るも、女性に懇願され、何もせず出ていった。翌日、女性は別棟に住む父に相談し、工務店に依頼して玄関に鎌錠を取り付けた。 11月8日、村瀬被告はキャバクラに行ったがお金が無くなり、午後9時20分ごろ、豊島区の路上で通行中の女性(当時69)が持っていた手提げ袋をひったくり、現金14,000円などを奪った。この時女性は転倒して足を骨折し、約2か月の重傷を負った。再びキャバクラに行き、その後板橋区の女性のことを思い出し、翌9日午前2時ごろ、女性宅のトイレの窓を破って侵入。女性を強姦しようとしたが、女性が大声を出して抵抗したため、未遂のまま逃げだした。 11月10日、キャバクラで遊んだ帰りの村瀬被告は、帰宅途中の女性(当時16)を見つけて後を追い、空き地で女性を襲って強姦しようとしたが、声を出されて抵抗されたため諦めて逃げ出した。 11月30日昼過ぎ、村瀬被告は板橋区の女性宅に忍び込んだ。女性は仕事に出かけて不在だったが、預金通帳とパスポート2通を奪った。お金を下ろそうとしたが印鑑がなくては下せないことを教えられ、通帳とパスポートを部屋の中に戻した。女性は忍び込まれたことに気づいて警察に被害届を出すとともに、工務店に依頼して錠前を取り付けるなどを行った。 12月16日午前1時30分ごろ、村瀬被告は1階の玄関の窓を割って侵入。警察に通報されて捕まることを恐れ、殺害してから姦淫しようと決意。2階の女性の部屋に忍び込み、寝ようとしていた女性に馬乗りになって手近のタオルで女性の首を絞めて殺害。女性の下着を脱がし、姦淫しようとしたが勃起しなかったため、目的を果たすことはできなかった。そして現金1,500円が入った財布や携帯電話などを奪った。 12月20日、警視庁は村瀬被告を強盗殺人と住居侵入の容疑で逮捕した。 |
裁判所 | 東京高裁 白木勇裁判長 |
求 刑 | 死刑 |
判 決 | 2003年10月22日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却) |
裁判焦点 | 判決で白木勇裁判長は「欲望の赴くまま何度も侵入し、命ごいした被害者を殺害した凶悪かつ重大事案」と指弾。「被害者が一人でも死刑を求める検察側の主張はもっともだが、真剣に反省するようになっており、無期懲役を是認できないとまではいえない」と述べた。判決後、同裁判長は「君にも被害者と同年齢の妹がいる。被害に遭ったら八つ裂きにしてやりたいと思うだろう。人の気持ちが分かる人間になりなさい」と説諭した。 |
備 考 | 2002年9月4日、東京地裁(木口信之裁判長)で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。「殺害された被害者が1人で、被告なりに罪を自覚している」などと死刑の適用を回避した。被告側は上告した。2005年4月12日、被告側上告棄却、確定。 |
太田恵一(28) | |
2003年4月8日 | |
1名 | |
強盗殺人、銃刀法※違反、建造物侵入、窃盗、死体遺棄 | |
太田恵一被告はパチスロやパブ通いなどで消費者金融につくった借金を返済するため、2003年4月7日午前1時半頃、かつて勤務した千葉市のトンカツ店元同僚の男性(当時25)を仕事帰りに誘い出し、自宅近くの路上に止めた乗用車内で、準備した筋切り包丁を首などに突き刺して殺害。鍵を奪って店に侵入し、金庫から売上金約100万円などを奪った。遺体は同市緑区の路上に車ごと放置した。また財布に10万円を入れ、売上金を盗んだことを苦にした自殺であるかのように見せかけた。 | |
千葉地裁 金谷暁裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月22日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
被害者の母親は極刑を訴え、婚約者は自ら殺してやりたいと訴えた。 判決は、被告が反省していることは認めたが、真面目に働いていた被害者の前途を奪った無念はあまりあるとした。 | |
控訴せず確定。 |
本橋文男(52) | |
2002年12月4日 | |
1名 | |
殺人、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反他 | |
三島市の無職本橋文男被告は、経営していた型枠解体業が元請け会社によって廃業に追い込まれたと勝手に思いこみ、2002年12月3日午後0時半頃、この元請け会社の現場責任者だった清水町の男性(当時35)を三島市内の林道で射殺。その後、元請け会社と懇意にしていた三島市の建設会社に押し入り、社長や妻ら家族、偶然訪ねてきていた会社員の男性の計4人を人質に立てこもった。社長と家族2人は約2時間後にすきを見て脱出。本橋被告は会社員の男性を人質に約32時間半にわたって立てこもった後、翌日午後10時過ぎに投降した。 | |
静岡地裁沼津支部 高橋祥子裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月23日 無期懲役 | |
公判で本橋文男被告は、殺害した被害者や立てこもり現場の建設会社経営者らが共謀して自分を廃業に追い込んだと主張。判決で高橋裁判長は、そうした事実は認められず、「受注が減った責任を転嫁しようとしたもの」とした。そして「残虐かつ冷酷な犯行。幼い子を残したまま、理不尽な凶行で生命を奪われた無念さは筆舌に尽くしがたい」とした。 | |
男性の遺族は本橋被告に損害賠償を請求。静岡地裁沼津支部は2004年5月24日、約9,070万円の支払いを命じる判決を言い渡した。本橋被告は訴訟で支払い意思はみせたが「支払い能力がない」として、賠償額の減免を求めていたが認められなかった。遺族側弁護士は「裁判を起こした目的である『自分がしたことの重大さを認識し罪を償って欲しい』という遺族の思いを本橋被告に分かって欲しい」と話した。 被告側は控訴した。2004年4月12日、東京高裁で被告側控訴棄却。2004年11月1日、被告側上告棄却、確定。 |
林同清(32 中国籍) | |
2000年3月14日 | |
1名 | |
強盗致死、住居侵入、窃盗他 | |
2000年5月1日午後6時ごろ、中国籍の無職林同清被告は、元暴力団幹部で横浜市の会社役員の宇佐見衛被告、横浜市の元暴力団組員で無色池之上富士男被告、藤沢市の暴力団幹部松下朋生被告、物品販売業のT被告、中国籍の陳必棋容疑者(指名手配中)、陳強容疑者(指名手配中)ら計約6人と共謀。横須賀市内のマンション1Fのオートロックのドアを壊し、11Fに住む元会社社長の男性(当時64)方に押し入り、一人で居た元社長をクロロホルムで失神させて口や手足などを粘着テープで縛ったうえ、現金約9万円や貴金属など計約640万円相当を奪った。男性はクロロホルムの作用などで胃内に傷ができ、強い恐怖のストレスが原因で食道と胃の接合部の粘膜が裂けて吐血する「マロリー・ワイス症候群」により胃から出血し、気道内に血液が入って窒息死した。 午後7時ごろ、仕事から帰宅した妻が男性を発見。110番通報した。 2000年12月11日、神奈川県警横須賀署捜査本部は強盗殺人容疑での窃盗と詐欺容疑で逮捕され拘置中の宇佐見被告、池之上被告、松下被告らを逮捕。陳強容疑者と陳必棋容疑者を指名手配した。 特捜本部は12月20日、福建省出身で無職R被告を強盗殺人容疑で逮捕した。R被告は2000年8月、入管難民法違反などで逮捕された。特捜本部はR被告についても関連を調べていたが、証拠や自供を得られないまま12月13日、懲役2年執行猶予4年の判決が出て、中国への強制退去が決まった。しかし、同日、移管のためR被告が横浜地検の地下駐車場で車に乗り込む際、強殺事件で送検された4人のうちの1人が偶然目撃、「一緒に(マンションに)上がったやつだ」と指摘したため、共犯であることが発覚、逮捕された。 12月31日、横浜地検は宇佐見被告ら4人を強盗致死と住居侵入容疑で起訴した。地検は「最初から殺意を持っていたとは認定できない」として、強盗致死罪を適用した。 2001年1月29日までに特捜本部は練馬区の自称会社役員K容疑者と港区の会社員T容疑者を強盗致死ほう助などの容疑で逮捕した。K容疑者は2000年2~3月ごろ、知人の宇佐見衛被告から「金持ちの家を教えてくれ」と頼まれ、パチンコ仲間のT容疑者に協力を依頼。同容疑者は、勤務先の管理会社がかつて管理していた同マンションの最上階に住み、被害に遭った男性ら資産家4人の氏名や住所などを、K容疑者を通じて宇佐見被告らに教えた。起訴されたかどうかは不明。 3月14日、特捜本部は横浜刑務所に服役中の中国籍、林同清被告を強盗殺人などの容疑で逮捕した。別の窃盗事件などで2000年10月に懲役3年の実刑判決を受け、確定していた。 | |
横浜地裁 志田洋裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月24日 無期懲役 | |
志田洋裁判長は「殺意までは認められない」と述べた。 | |
強盗致死などに問われた見張り役のT被告は2001年12月3日、横浜地裁(矢村宏裁判長)で求刑通り一審懲役15年判決。控訴したかどうかは不明だが、後に確定している。 強盗致死などに問われた主犯の宇佐見衛被告、池之上富士男被告、松下朋生被告は他の強盗事件も合わせ、2002年1月31日、横浜地裁(矢村宏裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。控訴したかどうかは不明だが、後に確定している。 R被告は不明だが、有罪判決が確定している。 林同清被告は控訴したかどうかは不明だが、後に確定している。 福建省出身の陳強容疑者と陳必棋容疑者は中国に出国。国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配を行い、2001年2月には、中国側に所在確認を要請した。 日本側からの正式な捜査協力要請はなかったが、2004年、主犯格の陳強容疑者の身柄を国内法の国外犯規定に基づいて拘束したとの報告が中国からあった。12月13日、福建省福州市公安当局の担当者が来日。17日までに複数の共犯者から事情聴取を行ったほか、県警が作成した服役囚らの供述調書などの捜査資料を受け取った。後に中国で無期懲役の判決が確定した。 中国の警察当局は2006年11月29日、陳必棋容疑者を拘束した。12月6日、日本側に連絡があった。日中間に犯罪人引き渡し条約がないため、中国の国内法に基づいて処罰される。 |
金哲山(32) | |
2002年3月2日 | |
1名 | |
強盗殺人、加重逃走、強盗致傷他 | |
中国籍の無職金哲山被告は2002年2月26日午前1時頃、中国籍で知人の無職少年(事件当時19)と盗み目的で川崎市川崎区のナイトクラブの従業員寮に侵入し、フィリピン人男性従業員(当時36)をナイフで刺殺し、キャッシュカードを奪い、現金9万4,000円を引き出した。同年1月19日には2人で都内のマンション一室に侵入し、包丁で住人を脅し現金約2万6,000円などを奪った。 金被告は11月22日午後0時50分頃、川崎市川崎区の横浜地裁川崎支部構内で、独房の便器から取った金属製蝶番で腰縄を切り、護送用マイクロバスから降りたところで走って逃走。28日未明、大阪市生野区のスナックで女性店長(69)の首を絞め、現金8万円と女性が身につけていたネックレスなどを奪い、けがをさせた。29日午後4時半ごろ、大阪市西成区の路上にいるところを発見、逮捕された。 | |
横浜地裁川崎支部 栗田健一裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月27日 無期懲役 | |
栗田健一裁判長は「処罰を恐れて逃走を図り、社会に不安を与えた」と指摘した。 | |
法務省は2003年5月29日、護送を担当した副看守長と看守部長を減給一か月(百分の三)、副看守長を戒告のそれぞれ懲戒処分にした。また、監督責任者として、横浜刑務所長を厳重注意、横浜拘置支所長ら四人を訓告とした。 知人少年は2003年9月8日、横浜地裁川崎支部で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。 被告側は控訴した。2004年3月1日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
鈴木勝美(34) | |
2000年11月21日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、殺人未遂、逮捕監禁他 | |
コンピュータソフト会社役員今帰仁(旧姓・矢代)秀樹被告は、東京都世田谷区で一緒に会社を設立したコンピュータソフト会社社長(当時39)、女性役員(当時29)、鈴木勝美被告と2000年11月13日、事務所で会社経営について話し合っていたが、社長が今帰仁被告に貸した借金1500万円の返済を迫ったため口論となった。今帰仁被告と鈴木被告は共謀して女性役員の首を絞め「逃げたら殺す」と脅迫し別室に監禁状態にする一方、社長を事務所内で絞殺した。さらに遺体を茨城県内の山林に埋めた。 女性役員は社内に監禁状態にされていたが、19日に自力で逃げ出し、玉川署に訴え出た。 | |
最高裁 ?裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月28日 無期懲役(被告側上告棄却) | |
2002年9月10日、東京地裁で求刑通り無期懲役判決。控訴審判決日不明。今帰仁秀樹被告は2004年2月23日に最高裁で無期懲役が確定。 |
尾田幸夫(69) | |
2001年7月26日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
栃木県鹿沼市でおが粉製造業を営んでいた尾田幸夫被告は経営資金や生活費に困り、2002年10月9日午後4時頃、都賀町に住む知人の女性(当時66)が自宅兼工場を訪れた際、頭や背中などを鉄パイプで殴り、ビニール紐で首を絞めて殺害、現金約340万円を奪った。さらに午後6時半頃、宇都宮市の鬼怒川河川敷に遺体を埋めた。 | |
東京高裁 須田賢裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月30日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
須田裁判長は「被害者からの侮辱的な扱いや暴力に耐えかねたという酌むべき事情はあるが、犯行は極めて悪質で、無期懲役の量刑が誤りとはいえない」と述べた。 | |
2003年7月1日、宇都宮地裁栃木支部で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年2月24日、被告側上告棄却、確定。 |
石川義純(31) | |
1997年6月16日 | |
2名 | |
殺人、死体遺棄 | |
人材派遣業石川被告は1997年4月21日深夜、人材派遣会社設立の出資金を巡ってトラブルになった福井市の日系ブラジル人の男性(当時30)方で、男性と同居人(当時30)の胸や背をナイフで刺して殺害、遺体を福井県丸岡町の山中に捨てた。 | |
名古屋高裁金沢支部 安江勤裁判長 | |
死刑 | |
2003年10月30日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却) | |
石川被告は一審同様、無罪を主張。 判決で安江裁判長は「状況証拠や証拠隠滅工作から、石川被告の犯行を強く推認できる。交際相手の女性の証言は信用できず、遺体の搬送や投棄は単独でも可能」と述べ、被告側の「犯行時間帯は恋人と一緒にいた。犯行や証拠隠滅は単独では不可能」とする主張を退けた。そして「証拠隠滅工作などから被告人の犯行と認めるべきだが、矯正不可能とはいえない」として、一審判決を支持した。 | |
2001年8月2日、福井地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。石川被告は無罪を主張するも、松永真明裁判長は直接証拠に乏しい中、遺留品などの状況証拠を積み重ねた検察側の立証に沿って「合理的な疑いを入れない程度に起訴事実が証明された」と判断した。しかし、検察側が凶器と位置付けたサバイバルナイフは「凶器とは認められない」と否定。凶器を特定しないまま殺人を認定した。そして「犯行は残忍で悪質だが、犯行時24歳で、矯正の可能性がないとは言い切れない」とした。 被告側は上告した。2004年7月29日、被告側上告棄却、確定。 |
半沢馨(67) | |
2002年9月20日 | |
1名 | |
強盗傷人、住居侵入、強盗殺人、窃盗、建造物侵入、窃盗未遂、銃刀法※違反、火薬類取締法違反 | |
家具製造会社会社役員半沢馨被告と、同会社社長の弟は事業の失敗などで負債が約3億5,000万円に達し金に困ったため、2002年6月8日夜、金品などを奪おうと馨被告が旭川市の建設会社会長(当時76)方に侵入。午後11時半ごろ、帰宅した会長にライフル銃とまさかりを突きつけ、「騒ぐな、金庫を開けれ」と脅したが、抵抗したため、ナイフで腹部を数回刺して、殺害した。弟は裏口で見張りをしていた。 半沢馨被告はこのほか、2002年5月から約2カ月の間に、約10件の強盗や窃盗などを繰り返した。弟はこのうち6件で見張りや犯行現場の下見などをした | |
旭川地裁 井口実裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月30日 無期懲役 | |
弟はいずれの事件も起訴事実を認めた。馨被告もほぼ全面的に起訴事実を認めたが、殺害については未必だったと主張した。 検察側は、馨被告が複数の刃物を使い、被害者に対し、腹部の二つの致命傷、背中の重傷を含め、全身に計41か所もの刺切傷を負わせたことを指摘。ゴルフクラブで抵抗する広野さんを止めるため、「強固な殺意をもって攻撃を加えた」と主張した。 弁護側は、〈1〉馨被告が強盗目的で侵入し、刃物は脅迫するために用意していた〈2〉被害者が抵抗し、馨被告ともみ合うなどしたため傷が深くなった可能性がある--などとして、殺意は「自分の行為で相手が死亡してもかまわない」という「未必の殺意」だったとした。また弟の弁護人は、「兄に従わざるを得なかった」と主張した。 判決は、〈1〉攻撃が特定の部位を狙ったとは断定しがたい〈2〉金庫を開けさせる目的を達成する前に、殺す理由はない--などとして、確定的な殺意は認められなかったとした。その上で、各犯行の残忍さや自己中心的な動機から、「無期懲役を減軽するほどの事情は見いだしがたい」と結論した。 | |
強盗致死に問われた弟は同日、求刑懲役15年に対し、懲役12年の判決。半沢馨被告は控訴した。弟は控訴せず確定。2004年4月22日、控訴取下げ、確定。 |
早竹和也(41)(離婚前の姓は京谷) | |
2001年10月18日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、銃刀法※違反他 | |
早竹和也被告は妻被告(後に離婚 二審懲役5年判決)、主犯格の元暴力団員Y被告(一・二審懲役15年判決)、人材派遣業F被告、無職K被告(2005年7月6日 懲役12年判決)らと共謀。2001年9月1日、工事業者を装って待ち伏せ午後11時15分頃、名古屋市中区のマンション前の路上でタクシーから降りたホストクラブ経営者(当時54)を銃撃し、車のトランクに押し込めて拉致し逃走。さらに近くのマンションのベランダで犯行を目撃し悲鳴を上げた経営者の知人女性に向けて発砲、負傷させた。さらに拉致した経営者がトランクの中で死亡していたため、所持金と貴金属類を奪ったうえ、遺体をドラム缶にコンクリート詰めにして滋賀県彦根市の川に沈めた。 犯行は、F被告がY被告に「金もうけの話がないか」と持ちかけたのが発端。F被告が指示役で、同被告の人材派遣会社で働いていた早竹被告や日系ブラジル人数人(うち二人は逮捕監禁容疑で指名手配)が実行役を務めた。 早竹被告夫婦は、10月15日に車両窃盗事件で逮捕され、本事件を供述した。 | |
名古屋地裁 沼里豊滋裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年10月31日 無期懲役 | |
早竹被告は殺意を否認したうえで、「睡眠薬を飲んでいて記憶がない」として、心神耗弱状態だったと主張した。 沼里豊滋裁判長は判決で、至近距離で四発も発砲していることなどから、殺意を認定した。そして「共犯者を指示し、拳銃の発射もしている。刑事責任は重大」とした。 | |
控訴せず確定。他の4被告は殺意がなかったとして強盗致死罪の罪に問われている。妻は二審で強盗致死ほう助罪などが適用され懲役5年を言い渡された。 |
大森秀一(35) | |
2002年7月23日(自首) | |
1名 | |
強盗殺人 | |
無職大森秀一被告は、2002年07月21日午前6時50分頃、JR東京駅のコンビニエンスストアで菓子パン2個、おにぎり1個、コーヒー牛乳の4点550円相当を万引きして店外に出たところを店長(当時33)に見つかり、取り押さえられそうになった。大森被告は別の窃盗事件で有罪判決を受け執行猶予中だったため、「捕まれば刑務所行きだ」と考え、用意していたナイフで店長の腹を一突きして逃走した。店長は刺された後も追いかけたが倒れ、病院に運ばれたが死亡した。 大森被告は水道配管工として働くも何度も会社を辞め、2002年5月半ばからは母親の実弟の会社で働いていたが、6月29日朝、前日支給された給料約24万円を持って実家を飛び出し、昼はパチスロ、夜は漫画喫茶という生活を行っていた。7月10日頃になると残金が5万円程度になり、朝晩はスーパーマーケットで食料品を万引きし、昼は切符を購入して電車内で昼寝をしていた。JR東京駅のコンビニエンスストアは数日前から何度も万引きを行っていた。 | |
東京高裁 仙波厚裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月7日 無期懲役(一審破棄) | |
仙波裁判長は「事前にナイフを用意するなど危険度が高く、いきなり刺して殺害するという犯行の残虐性と、結果の重大性を重視すべきだ」として一審判決を破棄した。 | |
大森秀一被告は昼間はパチスロ、夜は漫画喫茶という生活を送って2001年8月半ば、所持金を使い果たし、実母宅に帰る電車賃すらなくなってしまったため、川崎市内の路上にエンジンのかかったまま停車していた自動車を盗んで東京都内の実母宅まで戻った。 9月17日、所持金を使い果たしたため、新宿区内の店で食料品を万引きしたが従業員に発見されて警察に引き渡された。果物ナイフを所持していたため、翌日、罰金10万円に処せられた。 その後、先の自動車窃盗事件で逮捕され、12月28日、懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受けていた。 2003年1月16日、東京地裁(山崎学裁判長)は「事件発生から3日目という早期に自首し、捜査に貢献した」と指摘し、「犯行が偶発的」「被害額が550円と少額」点が有利な事情として求刑無期懲役に対し、懲役15年の判決を言い渡した。 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) 量刑不当を訴える検察側と、「殺意はなかった」と主張する被告側がともに控訴した。 被告側は上告した。2004年2月23日、被告側上告棄却、確定。 |
礒貝幸男(50) | |
2000年7月29日 | |
2名 | |
殺人、殺人未遂 | |
2000年7月27日、漁師礒貝幸男被告は、東京湾羽田沖で千葉県富津市の3人が乗り込んだ漁船にレジャーボートで襲撃し、船長(当時51)、乗組員(当時29)を刃物で刺して海に突き落とし死亡させ、乗組員(当時50)に重傷を負わせたうえ、逃走した。礒貝被告は船長から数百万円を借りて返済を迫られていたので、漁船の差し押さえを免れようとして犯行に及んだものだった。二人の遺体は、31日に発見された。 | |
東京高裁 安広文夫裁判長 | |
死刑 | |
2003年11月11日 無期懲役(一審破棄) | |
裁判長は「借金のかたに漁船を取られることを恐れての計画的な犯行で責任は極めて重大だが、1人目を殺害した後は積極的な殺意は失っており、最後まで執拗な犯行だったとは言えない」「死亡した被害者が2人の同種事件と比較しても極刑にためらいを感じざるを得ず、終生贖罪させるのが相当だ」として一審判決を破棄した。 | |
2002年3月12日、東京地裁(秋吉淳一郎裁判長)で求刑通り一審死刑判決。裁判長は「借金の返済期日前に被害者を殺害し、漁船の差し押さえを免れようとした極めて短絡的で身勝手な犯行」と指摘。さらに「逃げ場のない場所を選び、鋭利な刃物で執ように攻撃を加えるなど、極めて残虐な犯行」「発覚を防ぐため、同乗していた2人の殺害を決意した。動機に酌むべき事情は全くない」と述べた。 上告せず確定。 |
田辺照明(60) | |
2001年9月6日 | |
1名 | |
殺人、殺人未遂、公務執行妨害 | |
2001年9月3日午前10時頃、新潟県新井市にある建設業田辺照明被告宅へ、土地・家屋の引き渡し命令執行のために新潟地裁高田支部の執行官や債権者ら計7人が訪問。被告の妻が在宅だったが、玄関のカギをかけて閉じこもっていたため、業者らは窓から中に入った。妻が対応中、10時50分頃、外出先から帰宅した田辺被告が約43cmの日本刀を持ち出し、1階の居間にいた債権者たちに斬りかかった。上越市の家具会社不動産部門の社員(当時28)が胸を刺されて死亡、家具会社社長(当時50)と社員(当時44)の2人が重軽傷を負った。田辺被告は左手親指を切り落としてし、頭に大けがを負ったため入院、快復後の9月6日に逮捕された。日本刀は田辺被告が以前から所有していたもので、警察には届け出ていなかった。 田辺被告宅は三階建てで一階部分が車庫などになっている。1996年に約6,000万円をかけて新築され、屋内は一部ヒノキ造りの豪華な造りになっていた。家業の建設業の不振などから自宅の土地建物を競売にかけられ、2001年6月、上越市の家具会社不動産部門が競売で落札した。7月に競売の落札者らが田辺被告宅を訪れた際、田辺被告は新潟地裁高田支部の執行官らに対し、「警察なんて怖くない。二人殺すも十人殺すも同じだ」などと話していたことが関係者の話でわかった。強制執行は7月26日にも試みられたが、田辺被告が応じようとしなかったため、執行官が「いろいろな方法があるんですよ」などと説得しようとしたところ、田辺被告が開き直った態度で暴言を吐いたという。田辺被告夫婦はそのまま居座っており、この日は新潟地裁高田支部の執行官(当時63)の立ち会いで明け渡しの手続きを行うことになっていた。 新潟地裁によると、強制執行の際、暴力団関係者の介入などが予想される場合はトラブルに備えて警察官の同行を求めるなどしているが、一般市民が対象の場合には、事件が起こることは想定していないという。被害者の社員2人は労災認定されている。 | |
最高裁三小法廷 金谷利広裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月11日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年9月10日、新潟地裁で求刑通り一審無期懲役判決。弁護側は「愛着のある家を手放したくないという極限状況での犯行」だとして、情状酌量を求めていた。榊五十雄裁判長は「一時の激情にかられた、あまりに短絡的かつ身勝手な犯行」と断じた。強制執行手続きは「適法かつ正当なもので、不当なところは認められない」としながらも、同社と田辺被告の間に、それまでにもトラブルがあったにもかかわらず、警察官を同行しないなど、対応に不十分な点もあったとした。2003年6月12日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
井上国雄(24) | |
2002年5月28日 | |
1名 | |
強盗致死他 | |
2002年4月6日午前2時50分頃、井上被告は共犯のO被告とともに『おやじ狩り』と称して足立区梅田の路上で帰宅途中の会社員(当時43)の頭や腹を殴るなどして現金約2万円や腕時計、クレジットカードなどを奪った。さらに約1時間後、近くのディスカウントストアで、奪ったカードを使い高級腕時計2個を購入しようとした。会社員は入院先の病院で5日後、脳座礁のため死亡した。 井上被告は別の窃盗事件で5月16日に逮捕、今回の事件の一部を自供した。 | |
東京高裁 原田国男裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月22日 無期懲役(一審破棄) | |
原田裁判長は「金欲しさで発案し、『おやじ狩りポイント』と呼んでいた場所で襲う相手を物色しており、場当たり的犯行ではない。『おやじ狩り』として頭を容赦なく攻撃しており、暴行で被害者が死亡するのも予見でき、減軽は相当ではない」と述べた。そして「落ち度のない一般人を襲い、社会への影響は大きく、法秩序への信頼を高めるためにも厳罰が必要」と述べた。 | |
共犯のO被告は2003年4月21日、東京地裁で懲役9年判決(求刑懲役15年)。2003年11月22日、一審破棄、懲役11年判決。上告せず確定か。 2003年4月21日、東京地裁で求刑無期懲役に対し、一審懲役15年判決。東京地裁は「死亡を十分予見できたとは言えず、真摯に反省している」として有利な事情を酌量した。検察側が控訴していた。 被告側は上告した。2004年3月29日、被告側上告棄却、確定。 |
渡部俊貴(38) | |
2002年12月?日 | |
0名 | |
麻薬特例法※違反(業として行う不正輸入等)他 | |
東京都板橋区の暴力団幹部渡部俊貴被告は、2000年10月から2002年10月にかけて、熊本県内最大の密売元だったゲーム喫茶経営者S被告、同M被告をはじめ、九州、関東などの密売組織に1キロずつ宅配便で送るなどの方法で覚せい剤84.2kg、大麻9kgを計約3億7,700万円で譲り渡した。 2002年5月23日までに熊本県警生活保安課は、S被告、K被告(覚せい剤取締法違反で逮捕、起訴済み)ら計16人の覚せい剤密売グループを逮捕し、覚せい剤約100kgを押収した。公判中の11月20日、熊本地検はS被告とK被告を、罰則の重い麻薬取締法違反の罪(業として行う不正輸入等)に訴因を変更した。 2002年12月、渡部俊貴被告は東京都内でS被告、K被告に覚せい剤を卸していたとして、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕、起訴された。2003年1月9日、熊本県警と警視庁などの合同捜査本部は渡部被告を再逮捕した。渡部被告はその後、麻薬特例法違反(規制薬物の譲渡)で起訴された。公判中の4月1日、七都県で覚せい剤密売が判明し、適用する罪名を同法の「規制薬物の譲渡」から、より刑罰の重い「業として行う不法輸入等」に切り替えた。 | |
熊本地裁 松下潔裁判長 | |
無期懲役、罰金1,000万円、追徴金3億7,745万円 | |
2003年11月13日 無期懲役、罰金1,000万円、追徴金3億7,745万円 | |
9月22日の論告求刑で検察側は「計画的で悪質。覚せい剤の使用が280万回を超える量を密売しており、社会にもたらす害悪は計り知れない」と述べた。 判決で松下潔裁判長は「多数の末端使用者に覚せい剤が行き渡り、社会に多大な悪影響を及ぼした。金銭欲に基づく犯行動機に酌量の余地はない」と述べた。 | |
県警と宮崎、鹿児島両県警の合同捜査本部は、2002年11月20日時点で一連の事件で28人を覚せい剤取締法違反で逮捕している。 S被告とK被告は2003年9月15日、熊本地裁(松下潔裁判長)で懲役15年(求刑懲役18年)、罰金800万円(求刑同)、追徴金7,527万円(求刑同)が言い渡された。被告側は控訴した。その後は不明。 最高裁が把握している1966年以降、麻薬特例法※違反での無期懲役判決は五例目、追徴金は過去2番目の高額という。 被告側は即日控訴した。 |
新井田勝明(45) | |
2003年6月5日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
熊谷市の自動車解体業新井田勝明被告は、客として通っていた深谷市の居酒屋経営者の女性(当時68)から自動車部品の仕入れ資金として100万円を借り、返済を強く迫られ引き延ばしていたが、経営者から取り立て屋を回すと言われ、殺害を決意。2003年5月15日午前9時ごろ、経営者方を訪れて両手で首を絞めるなどして窒息死させ、現金46万円などを奪った。 | |
さいたま地裁 福崎伸一郎裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月13日 無期懲役 | |
福崎伸一郎裁判長は「一部返済可能だったのに、無責任、不誠実な対応に終始した」と指弾した。 | |
福田和子(55) | |
1997年7月29日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
松山市でホステスだった福田被告は、1982年8月19日午後、同僚のホステスだった女性(当時31)のマンションで女性を絞殺、現金13万円と高級タンスなど約340点(956万円相当)の家具を奪った。遺体は同市内の山林に埋めた(死体遺棄罪は時効成立)。 福田被告は逃亡直後に顔の整形手術を受け、数々の偽名を使いながら石川、京都、大阪、千葉など各地を転々とした。愛媛県警察協会が国内で初めて懸賞金を出して情報提供を呼び掛け、市民の通報から時効3週間前に福井市で逮捕、時効成立寸前に起訴された。 | |
最高裁第二小法廷 福田博裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月18日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
1999年5月31日、松山地裁で求刑通り一審無期懲役判決。一審の松山地裁は犯行の計画性を否定したが強盗目的と認定し、検察側の求刑通り無期懲役とした。 2000年12月13日、高松高裁で被告側控訴棄却。被告側は二審で「新たに金品を奪おうと思ったのは殺害後。強盗殺人ではなく殺人と窃盗だが、窃盗罪は時効が成立している」「同性愛関係のもつれから、とっさに殺意が生じた」と主張したが、高松高裁は「供述は信用できない」と退けた。 |
渡辺力(36)/谷本浩和(32) | |
2001年2月10日 | |
1名 | |
強盗殺人、強盗致傷他 | |
大分市の会社役員渡辺力被告は借金返済のため、同じアパートに住む無職谷本浩和被告と飲食店を開く開店資金を得ようと計画。2001年1月、大分市の知人女性の手足を縛り、車に監禁して負傷させ、現金約50万円を奪った。2001年2月7日午前5時頃、渡辺被告の親類である大分県の農家の男性(当時75)宅に侵入し、男性と妻を刃物で脅して山中に連れだし、夫妻の顔に粘着テープを巻いて、男性を窒息死させ、妻を崖下に突き落とし2週間の怪我を負わせ、現金約20万円を奪った。 2001年2月10日に、女性監禁事件で逮捕された。3月3日に老夫婦連れ去り事件で再逮捕された。 | |
最高裁第二小法廷 福田博裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月20日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年5月23日、大分地裁で求刑通り一審無期懲役判決。久我泰博裁判長は「金銭欲に駆られた極めて残酷な犯行。犯行後も遊興生活を続けるなど改しゅんの情も見られない」と述べた。控訴審判決日不明。 |
原田久芳(30) | |
2002年5月12日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、窃盗 | |
福島県相馬市の無職原田はるみ被告は、4年前に元雑貨商(当時77)へ結婚を持ちかけて借りた約350万円の返済を迫られ、2002年3月19日、夫の無職、久芳被告と長女(はるみ被告の連れ子 当時18 少年院送致)と共謀。相馬市内の自宅に元雑貨商を呼び出し、久芳被告が殺害。現金40万1,000円と乗用車を奪い、遺体をダム湖に捨てた。 原田はるみ被告は、当時引き網漁船の乗組員だった久芳被告が漁期になると週末ぐらいしか帰宅しないことに乗じ、知人などの男性から金を借り、遊興に耽っていた。久芳被告が無職になってからも、他の男性と交際してもらった金を生活費に充てていた。 他に、ホテルからのテレビの窃盗1件がある。 | |
仙台高裁 松浦繁裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月20日 無期懲役(被告側控訴棄却) 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
弁護側は「被告は妻の言いなりになっただけ。刑事責任ははるかに軽い」と刑の減軽を求めた。 松浦裁判長は判決で、原田被告が当初は殺害に反対したことなどから、弁護側の主張に一定の理解を示したが「犯行への加担を決意したのは被告自らの選択で、しかも中心的な実行行為を行った。減軽して懲役15年にするのが相当とまでは言えない」と結論付けた。 | |
2003年1月31日、原田はるみ被告とともに福島地裁で求刑通り一審無期懲役判決。原田はるみ被告は控訴したが、2月24日付で取下げ、確定。被告側は上告した。2004年3月29日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 国沢豊(58) |
逮 捕 | 2002年2月27日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 殺人、死体遺棄 |
事件概要 |
広島県三次市の土木建築会社社長国沢豊被告は、男性社員(当時46)が無断で車を売却するなど、態度が日頃から反抗的だとして、同社役員T被告と共謀して殺人を計画。2001年4月12日正午頃、広島県庄原市の同社資材置き場で、社員の腹などを包丁で刺して殺害。遺体を同所に埋めた。 男性社員の家族が三次署に捜索願を提出。 2001年5月4日昼、広島県庄原市内のパチンコ店駐車場で広島市安佐北区の母親(当時24)がワゴン車に長女(当時2)と長男(当時1)を残したままパチンコに興じ、2時間半後に戻ったところ二人がぐったりしていたため、近くの病院に運んだが、長男が熱中症で死亡、長女も熱中症で軽傷を負った。翌日、母親が過失致死傷容疑で逮捕され、25日、重過失致死傷罪で起訴された。事件発生後の捜査で車内から覚せい剤が見つかり、庄原署が2001年10月、覚せい剤取締法違反容疑でT被告を逮捕。実刑が確定し、服役していた。 T被告からの供述を得た広島県警は、2002年2月27日、資材置き場を捜索。遺体は発見できなかったが、T被告と国沢豊被告を殺人と死体遺棄容疑で逮捕した。 県警は2月27日からの3日間と3月19日、国沢被告らの供述にもとづいてショベルカーなどを使って資材置き場を捜索したが、遺体や凶器は発見されなかった。 国沢被告とT被告の供述内容がほぼ一致し、刃物の購入場所についても供述内容が裏付けされたため、広島地検は3月20日、両被告を起訴した。 |
裁判所 | 広島地裁 田辺直樹裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年11月21日 無期懲役 |
裁判焦点 |
2002年5月31日の初公判で、国沢豊、T被告共に「間違いありません」と起訴事実を認めた。 検察側は冒頭陳述で「国沢被告は、他の社員の目の前で男性が反抗的な態度を取ったため殺意を感じるようになった」と動機を指摘。さらに国沢被告がT被告に「どうしてもやらにゃいけん」などと犯行を持ちかけた経緯を明らかにした。また、殺害時の状況については「不要になった重機を埋めるよう指示して男性を呼び出し、包丁で国沢被告が腹部を、T被告が背中を刺した」と説明した。 7月2日の第2回公判で、国沢被告は冒頭で「不況で会社の経営が行き詰っていたので自暴自棄になり、うその供述をした。事件には関与していない」と述べ、初公判で認めていた起訴事実を一転して否認した。この日の公判で、国沢被告は「あちこちから借金の督促があって刑務所に入った方がいいと思うようになり、T被告のストーリーに合わせた」とも供述。一方のT被告は「真実は一つしかありません」と改めて起訴事実を認めた。次回以降、両被告の審理は分離された。 2003年7月18日の論告求刑で検察側は、「共犯者の供述は信用性が高い」「被告が(別の場所に)埋め替えたとみられる」とした。 8月22日の最終弁論で弁護側は、「犯行を裏付ける決定的証拠は何もない」と改めて無罪を主張した。 判決で田辺裁判長は、T受刑囚の供述の信用性などから関与を認定。遺体を埋めたとされる現場に掘り起こされた形跡があるとした検察の主張を認め、「遺体は何者かが埋め替えたとみられる」と判断した。そして「自己中心的な犯行で人命軽視も甚だしい」と述べた。 |
備 考 |
国沢、T両被告は1983年5月に広島県総領町の砂防ダム工事現場で、男性を生き埋めにして殺害し、実刑判決を受け刑を終了していた。 T被告は2003年1月8日、広島地裁(山森茂生裁判長)で求刑通り懲役20年判決。2003年9月11日、広島高裁(久保真人裁判長)で被告側控訴棄却。上告せず確定。 被告側は控訴した。2005年1月18日、広島高裁で被告側控訴棄却。2005年8月30日、被告側上告棄却、確定。 |
保田克博(33) | |
2003年1月29日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗他 | |
無職保田克博被告は2002年10月10日、顔見知りとなった大阪市に住む独居女性(当時87)を「足の治療によい病院がある」などといって車で松原市内へ連れ出し、女性のキャッシュカードを奪ったうえ、女性を放自動車のトランクに閉じ込めたまま放置した。女性は脱水症などで死亡した。その後、カードを使って女性の口座から現金計約580万円を引き出した。 | |
大阪地裁堺支部 細井正弘裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月27日 無期懲役 | |
被告側は殺意は無かったと訴えた。 細井正弘裁判長は判決で「テレビ番組をヒントに老人から金をだまし取ることを思いつき、過去にも窃盗を繰り返した」と指摘。「2002年7月に被害者を見かけ、金品を盗む意図で顔見知りになってすきをうかがっていたが、困難なため殺害した」と計画性を認め、「被害者の懇願も無視して犯行に及ぶなど血も涙もない無慈悲なもの。老人を食い物にする犯罪の増加が社会問題となっているが、この事件はその典型にして最も悲惨な事案」と断罪した。 | |
被告側は控訴した。2004年6月3日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2004年9月27日、被告側上告棄却、確定。 |
佐野和幸(42)/亀野晋也(28) | |
2000年5月16日 | |
4名 | |
窃盗、現住建造物等放火、殺人、殺人未遂、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、暴力行為等処罰に関する法律違反 | |
重機オペレータ佐野和幸被告と無職亀野晋也被告は暴力団員H容疑者(34 指名手配中)と共謀して、神戸市などで展開しているテレホンクラブチェーンの襲撃を計画。2000年3月2日午前5時5分頃、盗んだナンバープレートを付けた乗用車で神戸駅前店に乗りつけ、一升瓶で作った火炎瓶1本を店内に投げ込んで同店の一部を焼き、店員1人に軽傷を負わせた。10分後には東約1キロの元町店に2本を投げ込んでビル2、3階部分計約100平方メートルの同店を全焼させ、男性客4人を一酸化炭素中毒で殺し、店員ら3人に重軽傷を負わせた。 | |
神戸地裁 笹野明義裁判長 | |
佐野被告:死刑 亀野被告:無期懲役 | |
2003年11月27日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
弁護側は「元町店で佐野被告は投げていない。亀野被告が投げた1本も発火せず、店員が投げ返したため炎上した」と主張。また「脅すためで殺意はなかった」と主張した。 判決で笹野裁判長は、「何らかの組織的背景のもとに、制裁、ないし嫌がらせを加える目的で敢行され、酌むべきものはまったくない」と指摘したが、「多数の死傷者の発生を欲して行動したものではない」として「極刑がやむを得ないとは認めがたい」とした。 | |
両被告とも控訴した。佐野被告については検察側も控訴した。2005年7月4日、検察・被告側控訴棄却。2006年11月14日、被告側上告棄却、確定。 |
申博(39 北朝鮮国籍) | |
2002年7月2日(5月11日、無銭飲食で逮捕) | |
1名 | |
強盗殺人他 | |
申博被告はマンションの家賃が滞り退去を求められたことから強盗を計画。2002年4月29日夜、顔なじみだった茨城県総和町のすし店を訪れ、店主の男性(当時63)を刺殺し、現金76,000円を奪った。 | |
最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月27日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
量刑不当を訴えた。 | |
2003年1月15日、水戸地裁下妻支部で求刑通り一審無期懲役判決。2003年6月13日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
林信行(59) | |
2002年2月9日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄 | |
愛知県岡崎市の会社員、林信行被告は元部下で愛知県豊田市の無職の男性(当時50)から借りた約1,080万円の返済を免れるため、2001年12月1日に嘘を付いて男性とともに新潟へ出発したが、嘘がばれて引き返す途中の3日午前7時ごろ、長野県平谷村の空地の駐車した乗用車内で男性を絞殺し、4日に静岡県戸田村の雑木林に遺棄した。 | |
東京高裁 中川武隆裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月28日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
弁護側は「借金返済を免れる目的はなく、強盗殺人ではない」と主張したが、中川武隆裁判長は「『殺せば借金の事実を消せると思った』という捜査段階の供述は信用できる。自分を守ることだけを考えた悪質な犯行で責任は重大」と退けた。 | |
2003年5月8日、静岡地裁沼津支部で求刑通り一審無期懲役判決。 |
岡英明(43) | |
2002年9月14日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄他 | |
栃木県鹿沼市に住む無職の岡英明被告は、スナック通いや賭け事でできた消費者金融などの借金を返済するため、多額の預金があり、40万円を借りていた栗野町に住む元同僚の調理師の男性(当時48)から金を奪うことを計画。2002年9月2日午前1時ごろ、無施錠の男性宅玄関から侵入し、寝ていた男性の口をガムテープなどでふさいで両手足を縛った後、抵抗する調理師の首をタオルやビニールひもで2度にわたり絞めて殺害。遺体を壬生町の山林に埋めた後、キャッシュカードを使い計238円を引き出した。 9月14日、捜査本部は現金を引き出した窃盗容疑で岡被告を逮捕。28日、供述通り同県壬生町の山林から男性の遺体を発見、岡容疑者を死体遺棄容疑で再逮捕した。10月4日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 | |
東京高裁 高橋省吾裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年11月28日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
判決理由で高橋省吾裁判長は「被告に金を貸した被害者は感謝されこそすれ、殺される理由はない。計画的で粗暴な犯行で責任は極めて重大」と述べ、弁護側の量刑不当の主張を退けた。 | |
2003年7月24日、宇都宮地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2004年5月19日、被告側上告棄却、確定。 |
今村宗則(42) | |
2001年10月11日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗未遂他 | |
無職今村宗則被告は金に困り、2001年8月15日早朝、大阪市北区の洋服店店主の男性(当時84)の店に2階の窓から侵入し、就寝中の店主の頭部を角材のようなもので殴った上、電気コードで首を絞めて殺害。現金約3万円とキャッシュカードを奪った。大阪府内の3つの銀行支店で現金を引き出そうとしたが、暗証番号が一致せず失敗した。 | |
大阪地裁 中川博之裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月1日 無期懲役 | |
今村宗則被告は捜査段階から犯行を否認。今村被告は強盗殺人について、一貫して「身に覚えがない」と否認していたが、判決は犯行現場に残っていた足跡や、銀行の防犯カメラに写っていた犯人の特徴が被告と類似していることから、被告の犯行と認定した。そして「動機は金銭目的というあさましいものであり、高齢の被害者の懇願を無視して首を絞め、死に至らしめた犯行は無慈悲かつ残忍で凶悪」などとし | |
被告側は控訴した。2004年7月14日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2004年12月13日、被告側上告棄却、確定。 別の強盗殺人事件で2010年5月31日、大阪地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2011年2月24日、大阪高裁で検察側控訴棄却。2012年12月17日、検察側上告棄却、確定。この時の裁判で、本事件についても犯行を認めた。 |
小出正利(旧姓中林)(32) | |
2003年5月7日 | |
1名 | |
強盗殺人、死体遺棄、窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺 | |
無職小出正利(旧姓中林)被告は2003年1月以降、同居していた横浜市西区の女性(当時30)から借金450万円の返済と別れる際の慰謝料300万円の支払いを迫られたため、殺害を計画。3月2日午後9時頃、マンションに帰った女性を絞殺し、遺体をたんすの中に入れ、山梨県秋山村の山中に捨てた。その後、小出被告はキャッシュカードで現金40万円を引き出したほか、インターネットを通じて雇った女性(詐欺、有印私文書偽造・同行使で逮捕)を使い、女性名義の貯金約360万円を郵便局から払い戻させた。遺体は5月4日に見つかった。 | |
甲府地裁 山本武久裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月4日 無期懲役 | |
山本裁判長は判決で、「自らの金銭的欲望のために人命を奪い、動機には一片の酌量の余地もない」と厳しく指摘。無期懲役としたことについては、「生涯をかけて、しょく罪の人生を歩ませるのが相当」と説明した。小出被告は判決を聞き、傍聴席の遺族に一礼して法廷を出た。 | |
弁護側は控訴しない見通し。 |
内藤信也(51) | |
1999年3月24日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
無職内藤信也被告は1985年8月11日午後11時30分から12日午前1時35分ごろの間、大阪市東住吉区にある閉店後のパチンコ店の近くに乗用車で内縁の妻を待機させ、知り合いの男性(名前不詳、逃亡中)と侵入。内藤被告が男性経営者(当時58)に包丁を突き付けて脅し、もう1人が暴行したが、大声を上げて抵抗されたため、男性の首など約30か所を包丁で刺して殺害、現金約150万円を奪った。現金は三人で分けた。 内藤被告は別の窃盗罪で北海道の刑務所に服役していたが、大阪府警は現場の血痕と内藤被告のDNAが酷似していたことを突き止め、1999年3月半ば、内藤被告を大阪拘置所に移し、任意で事情聴取を始めたところ、犯行を自供。供述などから元内縁の妻の女性を割り出した。大阪府警は3月24日、公訴時効1年5ヶ月前に内藤被告を強盗殺人容疑で、当時内縁の妻で豊中市に住む無職女性(当時34)を強盗致死容疑で逮捕した。女性は殺害まで考えていなかったと判断した。共犯の自称「原田」は身元、行方不明のままである。 大阪地検は4月13日、内藤被告を強盗殺人罪で起訴した。女性は強盗致死ほう助罪で起訴した。 | |
最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月5日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
内藤信也被告は他の男性2人と共謀。1998年4月8日、世田谷区の男性(当時58)宅の窓を破って侵入、現金10万円や貴金属など約280点(時価380万円相当)を盗んだとして窃盗容疑などで16日に逮捕。有罪判決を受けて服役していた。 強盗致死ほう助で起訴された女性は1999年11月24日、大阪地裁(上垣猛裁判長)で懲役5年判決(求刑懲役8年)。 1999年11月24日、大阪地裁(上垣猛裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。上垣裁判長は判決理由で「金銭欲に駆られた残忍な犯行で、死刑も考えられる事案」と指摘した。2000年12月、大阪高裁で被告側控訴棄却。 |
氏 名 | 酒井健一(32) |
逮 捕 | 1999年12月26日(窃盗容疑) |
殺害人数 | 0名(死者1名) |
罪 状 | 現住建造物等放火、非現住建造物等放火、窃盗他 |
事件概要 |
栃木県真岡市の運転手、酒井健一被告は1999年1~12月に真岡市や上三川町などで、民家や店舗から女性用衣服を11件盗んだ後、証拠隠滅やうっぷん晴らしのための放火を15件重ねた。特に1999年7月26日未明に同県上三川町のクリーニング店に侵入、女性の洋服2着(4,800円相当)を盗み放火した際は、木造2階建て店舗兼自宅約150平方メートルが全焼し、客から預かった衣類も返却不能の状態になったうえ、逃げ遅れた経営者の男性の妻(当時53)が一酸化炭素中毒で死亡した。男性(当時52)も軽傷を負った。男性はプレハブ作りの仮店舗で営業を再開させたが、同年12月26日未明、酒井被告はまたも衣類7点(35,000円相当)を盗んで火を付け、平屋建て店舗約40平方メートルを全焼させた。 石橋署は火災後に現場付近にいた酒井被告の自宅から、同店で扱った女性の洋服を発見、盗みの疑いで逮捕した。その後、酒井被告は窃盗や放火を次々に自供した。「家人が店の中にいると知り放火したとはいえない」として殺人容疑での立件は見送られた。 |
裁判所 | 最高裁第一小法廷 泉徳治裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年12月5日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | |
備 考 | 2002年9月26日、宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。2003年7月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
氏 名 | 中村聡(37) |
逮 捕 | 2000年1月6日(詐欺で1999年10月に逮捕) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、死体遺棄、窃盗、詐欺、有印私文書偽造・同行使 |
事件概要 |
横浜市の元老人ホーム営業担当で警備員の中村聡被告は、老人ホームへの入居あっせんを装い、1996年から1998年の間に二十数回にわたり、横浜市の同じマンションに住む一人暮らしの男性(当時64)から約1,800万円をだまし取った。 1999年2月、中村被告は男性から「入所契約を解約したい」などと告げられたため、金をだまし取ったことが発覚すると思い、3月下旬から四月中旬までの間に、菅野さんを同じマンションの自分の部屋に呼び出し、手で首を絞めて殺害。遺体を菅野さん宅まで運んで浴槽に入れ、水死に見せかけ放置した。さらに男性の印鑑を使って委任状を偽造。4月16日、目黒区の都銀支店の窓口で委任状と男性の預金通帳などを使って定期預金約200万円を解約し、男性の普通口座に移し替えた。19日、横浜市西区の別の支店で男性になりすまして現金237万円を引き出し、着服した。 他に中村被告は1996年3月、千葉県浦安市の無職男性(当時80)からキャッシュカードを盗み、現金約534万円を引き出した。男性は1996年10月、同県内の病院で病死している。 4月30日、部屋を訪ねた親族が男性の遺体を発見した。戸塚署は、玄関が施錠されて物色の形跡もないことや、監察医が「心不全による水死」と検視で判断したため、遺体は解剖されないまま捜査は打ち切られた。しかし、男性の死亡後に銀行口座から預金が引き出されていることに遺族が気付き、戸塚署に連絡して事件が発覚。 戸塚署は10月13日までに、4月16日の詐欺、有印私文書偽造・同行使容疑で中村被告を逮捕。11月3日までに、1998年11月に中村被告が通帳2冊と印鑑1本を盗み出し、24日に偽造した委任状で横浜市内の2つの銀行で計203万円を引き出したとして、窃盗、詐欺、有印私文書偽造・同行使容疑で再逮捕。2000年1月6日、強盗殺人と死体遺棄の疑いで再逮捕。 |
裁判所 | 最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年12月8日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | |
備 考 | 2001年1月19日、横浜地裁で一審無期懲役判決。中村聡被告は殺意を否認するとともに首を絞めたことで本当に死んだのかどうかわはわからないと訴えたが、判決理由で矢村宏裁判長は「詐欺の発覚をおそれた被告には殺意があった」「極めて身勝手な犯行で老人ホームへの入居を希望していながら、裏切られた被害者の無念さは察するに余りある。被告には罪を償おうという気持も見られず刑事責任は重い」と述べた。 |
千葉憲司(56) | |
2000年7月29日 | |
1名 | |
殺人、現住建造物等放火他 | |
日立市の千葉憲司被告は、前妻と離婚したのは隣人で仲人だった漁業Iさん夫妻のせいだと逆恨みし、一家を道連れに自殺しようと計画。2000年3月1日未明、Iさん方に侵入しガソリンをまいてライターで火を放ったうえ、物音で起きてきた家族にも次々とガソリンを浴びせた。Iさんの妻(当時71)は、やけどのため翌月に死亡、長女と長女の夫、長女の娘の3人が顔や手などに大やけどを負った。Iさんは漁に出ており留守だった。 | |
東京高裁 山田利夫裁判長 | |
死刑 | |
2003年12月9日 無期懲役(一審破棄) | |
山田裁判長は「冷酷かつ残忍な犯行だが、犯行当時は妄想性障害で心神耗弱の状態にあった」と述べた。争点だった事件当時の被告の精神状態について、判決は「被害者夫婦が信仰する宗教団体から、組織的嫌がらせを受けているという妄想に支配されていた」と指摘し、限定的な責任能力しか認めなかった。 | |
2002年3月4日、水戸地裁で求刑通り死刑判決。一審判決は、「妄想は重症ではなく、完全な責任能力があった」としていた。被告側は上告した。2004年6月22日、被告側上告棄却、確定。 |
奥村岩蔵(71) | |
2003年3月18日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
大阪市の無職奥村岩蔵被告は、2003年2月21日午後6時半ごろ尼崎市道意町のアパートで、目や足が不自由で介護を受けていた男性(当時65)に借金を断られたことに腹を立て、男性を粘着テープで縛り、頭や顔など数十ヵ所を包丁で刺すなどして殺害した上、現金4,100円などを奪った。奥村被告は以前、男性と同じ職場に勤めていた。 | |
神戸地裁尼崎支部 佐●哲夫裁判長(●=「堅」の「臣」を「田」に変えた字) | |
無期懲役 | |
2003年12月10日 無期懲役 | |
裁判長は「目の不自由な被害者に執拗で苛烈な攻撃を加えるなど犯行態様は極めて悪質」とし述べた。 | |
氏 名 | 佐藤健一(32) |
逮 捕 | 2002年9月17日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 殺人、死体遺棄他 |
事件概要 | 山形市の無職佐藤健一被告ら5人は、臓器売買目的で無職の男性(当時50)を同居させ、機会をうかがっていたが失敗。2002年5月11~15日、山形市長町の路上などで暴行、16日には同市の路上で金属バットで何度も殴った上、軽乗用車を乗り上げて胸を圧迫し殺害し遺体を山元町の海岸に埋めた。 |
裁判所 | 山形地裁 木下徹信裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年12月15日 無期懲役 |
裁判焦点 | 木下裁判長は、五人が臓器売買のため、仕事があるとウソをつき男性を誘い出したと指摘。計画が頓挫した憂さ晴らしに、殴るける、エアガンで撃つ、熱湯をかけるなどの悪質な暴行に至ったと述べた。一方で、「直接の死因は、佐藤健一被告が行った軽乗用車による圧迫であり、他の被告は殺害現場にいなかった」などと四人の減刑の理由を説明した。 |
備 考 | 他の4被告は懲役9~15年(求刑懲役15~20年)を言い渡された。控訴せず確定。他2被告も控訴せず確定。他の2被告は被告側控訴棄却。 |
氏 名 | 上口亨(24) |
逮 捕 | 2001年8月19日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、強盗殺人未遂他 |
事件概要 | 上口亨被告は2001年8月19日午前4時半ごろ、以前勤めていた札幌市の電器設備会社社員寮に盗み目的で侵入。物色中に女性管理人(当時67)に発見されたため、ドライバーで突きかかり、頭蓋骨骨折などの重傷を負わせた。さらに社員(当時32)に見つかったため、ナイフで胸などを数回突き刺し、殺害した。上口容疑者は会社の欠勤が多く、注意されたところ退職していた。 |
裁判所 | 最高裁第二小法廷 滝井繁男裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2003年12月18日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | |
備 考 |
2002年12月16日、札幌地裁で無期懲役判決。小池勝雅裁判長は「自己中心的な動機に酌量の余地はなく、犯行態様は危険かつ悪質」とした。弁護側は「対人関係を適切に結べない精神的未熟さからの犯行で、計画性はない」と刑の軽減を求めていたが、小池裁判長は退けた。 2003年7月8日、札幌高裁で被告側控訴棄却。 |
南逵雄(62) | |
2001年8月19日 | |
1名 | |
住居侵入、強盗殺人、強盗強姦未遂、現住建造物等放火、死体損壊、窃盗、窃盗未遂 | |
無職南逵雄被告は、2001年5月4日夕、かつて住んでいた三原町のマンションに入り、顔見知りだった3階のパート従業員の女性(当時35)宅に侵入。帰宅した女性をひもで縛り現金やキャッシュカードを奪った。また南被告は女性の部屋に居座り、5日午後6時ごろ、女性をベッドの枕に押しつけ窒息死させたうえ、6日午前、部屋に火をつけた。 | |
最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 | |
死刑 | |
2003年12月18日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
2002年10月22日、神戸地裁(杉森研二裁判長)で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。裁判長は「犯行は卑劣かつ計画的。被害者の苦痛や無念さは想像するに難しくなく、遺族らが極刑を望むのは当然のこと」と指摘した上で、「殺害を長時間ためらうなど、事前の犯行計画を冷徹に実行したとは必ずしも言えず、十分ではないが反省の態度を示している」などと死刑を選択しなかった理由を述べた。 2003年7月17日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。 |
野村はつね(57) | |
1998年9月24日 | |
1名 | |
殺人、現住建造物等放火、詐欺他 | |
野村はつね被告は山梨県春日居町のホテル経営者らに「法務省刑事局の国際刑事をしている」などと偽って「借金問題があるようだが、私が財産を守ってやる」と持ち掛け、6月までに五回に分けて現金や預金通帳など約6,500万円をだまし取った。しかし旅館側から返還を迫られ、このホテルの従業員だった夫の兄(当時49)のせいで事件が露見したと思い込み、義兄の妻と共謀して殺害を計画。義兄に約4,000万円の保険金をかけたうえで、1998年9月17日午後11時半ごろ、睡眠薬を混ぜた菓子を食べさせて眠らせた上、義兄の自宅である敷島町のアパートの部屋に灯油をまいて火をつけ、一酸化炭素中毒死させた。放火殺人の前にも二人は殺害を図っていたが失敗していた。 | |
最高裁第二小法廷 福田博裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月22日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) | |
共謀した義兄の元妻は一審懲役11年が確定しており、弁護側は「元妻と比べて量刑が重過ぎる」などと上告理由で主張していた。 | |
2000年10月11日、甲府地裁で求刑通り一審無期懲役判決。野村被告には犯行当時、精神科への通院歴があり、公判では、同被告の責任能力の有無が争点の一つとなったが、山本武久裁判長は「善悪を判断して行動する能力が著しく減退した状態までには至っていない」と指摘。犯行動機が金銭的利得を得る目的で一致することや、放火の手段に細やかな配慮が感じられるなどとする精神鑑定結果を示したうえで「犯行当時、心神耗弱」とする弁護側の主張を退けた。また、野村被告が否定していた元妻との共謀については、「元妻だけが義兄殺害を企てたとは考えにくい」と事前共謀の事実を認定。さらに、野村被告が犯行2週間前にも義兄を焼殺しようと企て、ぼやを起こした殺人未遂や、義兄と元妻が勤めていた春日居町の旅館経営者から現金をだまし取った詐欺などについても事実認定した。弁護側は控訴について「これから協議して検討していく」と話した。 2001年6月28日、東京高裁で高木俊夫裁判長は法令適用の誤りを指摘して一審・甲府地裁判決を破棄したうえで、改めて一審と同じ無期懲役の判決を言い渡した。一審で野村被告は殺人と現住建造物等放火の罪は認めたが、殺人未遂と放火未遂の罪については否認。甲府地裁は殺人未遂と殺人の罪をそれぞれ別の行為として無期懲役の判決を言い渡した。これに対し、野村被告は「量刑不当」として控訴。東京高裁の高木裁判長は、殺人未遂と殺人の罪について、同じ殺害の意図をもった一連の行為ととらえ、一審判決を破棄。そのうえで、放火して焼死させる殺害方法の危険さや再犯の恐れを指摘し、改めて無期懲役とした。 |
小松武史(37) | |
1999年12月20日 | |
1名 | |
殺人、名誉毀損他 | |
元消防士の小松武史被告は、弟(事件後に自殺)と付き合っていた女子大生(当時21)が別れ話を持ち出したことに腹を立て、仕返しをしてやろうと決意。弟や他の3人(懲役15~18年が確定)とともに1999年7~8月、女子大生を中傷するビラを自宅周辺などにまいた。さらに、小松被告は3人へ指示を出し、10月26日昼、JR桶川駅前で女子大生を刺殺させた。 | |
さいたま地裁 川上拓一裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月25日 無期懲役 | |
小松被告は公判で「名誉棄損は弟が主導した。殺人の指示はしていない」と無罪を主張してきたが退けられた。 | |
女子大生は、中傷ビラの配布などに絡み、名誉棄損容疑で上尾署に告訴し、助けを求めていたが、署員3人=懲戒免職、虚偽有印公文書作成罪などで有罪確定=が告訴調書を改ざんするなどして捜査を放置し、この間に殺人事件が起きた。事件はストーカー被害を見直す契機となり、2000年11月に「ストーカー規制法」が施行された。 女性の両親は、事件を放置したとして埼玉県警の責任を問い損害賠償を求めたが、一・二審とも殺人事件発生に対する県警の責任が認められず、2006年8月に最高裁で確定した。 被告側は控訴した。2005年12月20日、東京高裁で被告側控訴棄却。2006年9月5日、被告側上告棄却、確定。 |
後藤重幸(69) | |
1996年11月8日 | |
1名 | |
強盗殺人、窃盗 | |
元船員の後藤重幸被告は、1996年8月8日午後11時30分頃、遊ぶ金欲しさで長崎市旭町の食料品店に侵入。二階で寝ていた女性(当時68)に気付かれたため絞殺、現金約83万円を奪った。また1995年10月23日夜にも同店に侵入し現金や切手など計6万円相当を盗んだ。後藤被告は1996年10月23日、知人の女性に言い掛かりを付けて殴り傷害容疑で逮捕、起訴されていた。 | |
福岡高裁 虎井寧夫裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月25日 無期懲役(被告側控訴棄却) | |
死亡推定時刻が「9日午前0時から午前2時の間」とする新しい鑑定結果が出され、弁護側は一審認定を覆す新証拠と強調。しかし裁判長は「検視や解剖時の計測方法に問題があった」と捜査を批判した上で、新鑑定を「一審鑑定と同様に不十分な資料に基づいているため、アリバイの証拠に堪える厳密な結論とはならない」と指摘した。調官に土下座され自白調書をねつ造されたとする後藤被告の主張について、虎井裁判長は「土下座は取り調べ時間をめぐる約束違反を謝罪し、後藤被告の気持ちをつかみたかった行為で自白の任意性は損なわれない」と退けた。 | |
一審長崎地裁で弁護側は「取調官が遺体の写真を見せたり、土下座したりしたためやむを得ず自白したもので信用性がない」などと無罪を主張していたが裁判長は、「問題とすべき点はある」としながらも「犯人しか知りえない秘密の暴露に準ずる事実もあり、自白の根幹部分は信用できる」と述べ、2002年1月31日、求刑通り無期懲役判決。 被告側は上告した。2005年2月14日、被告側上告棄却、確定。 |
中野繁幸(53) | |
2003年6月16日 | |
1名 | |
強盗殺人 | |
工員中野繁幸被告は消費者金融から数百万円の借金があったことから、2003年5月31日午後1時20分頃、栃木県佐野市のパチンコ景品交換所で、以前交際していた従業員の女性(当時57)に出入り口の鍵を開けさせ、従業員の首をネクタイで絞めて殺害。現金約230万円を奪った。 | |
宇都宮地裁栃木支部 滝澤雄次裁判長 | |
無期懲役 | |
2003年12月26日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
判決で滝澤裁判長は、中野被告は農家の父から相当な財産価値のある農地を受け継ぎながらも長年の遊興等で使い果たし、さらに無計画に借金を重ねるとともに、飲食店のホステスに入れてあげて貢ぐ金欲しさに犯行を犯したとして、身勝手極まりなく、動機に酌量の余地はないと断じた。 | |