無期懲役判決リスト 2009年




 2009年に地裁、高裁、最高裁で無期懲役の判決(決定)が出た事件のリストです。目的は死刑判決との差を見るためです。
 新聞記事から拾っていますので、判決を見落とす可能性があります。お気づきの点がありましたら、ご連絡いただけると幸いです。
 控訴、上告したかどうかについては、新聞に出ることはほとんどないためわかりません。わかったケースのみ、リストに付け加えていきます。
 判決の確定が判明した被告については、背景色を変えています(控訴、上告後の確定も含む)。



地裁判決(うち求刑死刑)
高裁判決(うち求刑死刑)
最高裁判決(うち求刑死刑)
67(6)
52(11)+12
34(2)+1


 司法統計年報によると、一審:69件(控訴後取下げ3件)、控訴審67件(棄却52件。破棄自判15件。公訴棄却1件。上告39件、上告後取下げ4件)、上告審44件。一審で不明なのは、東京地裁における強盗致死傷判決の2件(どちらも被告人は韓国籍)。
 検察統計年報によると、一審確定で21件、控訴取下げで確定3件、控訴棄却で確定15件、破棄自判で確定1件、上告取下げ4件、上告棄却で確定44件。


【2009年の無期懲役判決】

氏 名
原平(61)
逮 捕
 2005年3月12日(殺人未遂容疑)
殺害人数
 5名
罪 状
 殺人、殺人未遂
事件概要
 岐阜県中津川市の市職員原平被告(57)は2005年2月27日午前7時半頃、自宅で寝ていた整体業の長男(当時33)、母(当時85)の首をネクタイで絞めて殺害。同日午前11時頃、近くに住む長女(当時30)と長女の長男(当時2)と長女(当時3ヶ月)の3人を車で自宅に連れてきて、ネクタイで首を絞めて殺害した。さらに約2時間後、長女の夫(当時39)も包丁で刺し、2週間の軽傷を負わせた。他に飼い犬2匹も殺害している。原被告はその後、自分の首を包丁で刺し自殺を図った。原被告の妻は不在だった。
 原被告は一時重体だったが、徐々に回復。3月11日になって医師が「拘置に耐えうる」と判断したため、12日正午過ぎ退院し、長女の夫に対する殺人未遂容疑で、逮捕、拘置された。その後、4月2日、母と長男に対する殺人容疑で再逮捕された。
 動機については、同居を始めた1999年頃から母親が妻へ執拗な嫌がらせを続けたため殺意を抱いていたと話している。長男殺害は母を殺害する邪魔をされたくなかったから、長女と孫殺害は殺人者の家族と見られるのが可哀想だったと供述している。
裁判所
 岐阜地裁 田辺三保子裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年1月13日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 岐阜地検は2005年4月、原被告の供述内容に一部整合性がないとして、精神科医による聞き取りなどの簡易鑑定を実施。その結果、刑事責任能力はあると判断して起訴した。
 2005年7月1日の初公判における罪状認否で原被告は「間違いありません」と述べた。弁護側は事実関係については争わないとしたものの、「責任能力の有無については検討したい」として、精神鑑定などを求める可能性を示唆した。
 11月4日の公判で、弁護側は「刑事責任能力に疑いがある」として原被告の事件時の精神状態について鑑定を請求、土屋哲夫裁判長は請求を認めた。
 2006年6月19日の公判で、土屋裁判長は犯行時、限定的な責任能力があったとする精神鑑定結果を採用した。鑑定によると、原被告は犯行前、妄想障害や軽度のうつ病に陥り、犯行時は母親に対する被害妄想などがあった。善悪の判断や行動を制御する能力については「著しく弱っていたが、全く失われていたわけではない」と、限定的な責任能力を認めた。
 8月28日の公判で、原被告の精神鑑定をした医師は「原被告の人格、環境が母への憎しみを募らせ、一家心中という妄想を膨らませた。犯行時は心神耗弱の状態だった」と述べ、責任能力を認めた簡易鑑定と異なる鑑定結果を明らかにした。
 10月20日の公判で、土屋裁判長は検察側が求めていた再鑑定について「認定された事実の評価や鑑定の手法、経緯について別の考え方もあり、他の専門家の見解を聞く必要がある」として実施を決めた。
 2007年8月に地裁に提出された検察側の精神鑑定は、「善悪を判断する能力は失われておらず、完全に責任能力がある」とした。
 2007年12月3日に再開された公判で、死刑回避のため約1000人の署名入り嘆願書を集めた近所の鉄工所の男性社長が弁護側証人として出廷。「(原被告に)悔い改める機会を与えてほしい」と述べた。また事件当時の原被告の精神状態について「事件の10日ぐらい前『通常の顔色ではない』と言っている人がいた」と証言した。
 2008年7月29日の論告求刑で検察側は、妻や自分への嫌がらせが続いたことを母親殺害の動機に挙げ、「母親に強く出られない自分の姿を、妻に見られたくないという虚栄心から殺害に及んだ」と指摘した。原被告は被告人質問で、母親以外の殺傷について「人殺しの子といわれ、残った家族がつらい思いをするから」と述べたが、検察側は「自己中心的で独善的発想」と非難し、酌量の余地はないとした。精神鑑定で意見が分かれた責任能力については、検察側が求めた再鑑定を基に「事件以前には社会生活に適応していた。精神障害はなく、当時は責任能力があったとする再鑑定結果は信用性が高い」と結論付けた。また長男から順に殺害した経緯などから「計画的で、強固な殺意に基づいた冷酷、残忍な犯行」などと求刑理由を述べた。
 9月16日の最終弁論で、弁護側は「妻に対する母の嫌がらせもすべて自分への攻撃と感じるなど妄想性障害があった。動機も平常心理を超えており、犯行時は責任能力が著しく低下していた」と指摘。責任能力を認める再鑑定結果については「自己愛で母の殺害は理解できても、一家殺害は説明できない」と反論した。そして「被告は犯行時、心神耗弱状態だった」「死刑だけは避けていただきたい」などと刑の減軽を主張した。
 原被告は最終意見陳述で「本当に申し訳なく、おわびのしようがない」と述べた。
 判決で田辺裁判長は、母殺害の動機について「妻につらく当たることが長年にわたって続き、耐えられないと思った」と指摘。ほか5人の殺傷については「殺人者の家族という汚名を着せられるのを避けるため」と述べた。
 争点となった責任能力については、原被告が動機や犯行内容について捜査段階から公判段階まで具体的に供述していることや、一度始めた犯行を、思いとどまることなくやり遂げていることなどから「完全責任能力があった」とする鑑定を採用し、限定責任能力とした当初の鑑定は「判断過程が明確でない」などと退けた。また心神耗弱だったとした弁護側の精神鑑定について、「医師が何らかの精神障害があるという前提に立っており、精神障害と診断した合理的な根拠が明確に示されていない」と指摘して手法そのものを批判した。
 そして田辺裁判長は「一方的思いから孫までも殺し、誠に身勝手、自己中心的だ。巻き添えになった子どもたちの人格、人生を無視した身勝手で自己中心的な犯行。極刑も視野に入れて検討すべき事案」としながらも、「精神的に追い詰められた末の一家心中で、私利私欲に基づいておらず、一抹の酌量の余地がある。5人もの尊い命を奪った結果は世上まれに見る重大な犯罪だが極刑の選択には躊躇が残る」と述べた。
備 考
 検察・被告側は控訴した。2010年1月26日、名古屋高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年12月3日、検察・被告側上告棄却、確定。

氏 名
池田俊雄(70)
逮 捕
 2003年9月1日
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人
事件概要
 秋田県神岡町の無職細谷俊雄(旧姓)被告は1983年ごろ、不倫相手との交際費や堕胎させる費用などに充てるため消費者金融から借金。雪だるま式に増えたため、自宅を担保にしたり、義母や義姉の預金を無断で払い戻したほか、長女のために義母が貯金していた100万円も返済に充てた。さらに二女にも借金させたが、2002年8月末には負債残高が約1700万円を超え、毎月の返済額は約70万円に上った。そのため、妻(当時59)と、妻の母(当時84)に2,000万円の保険金を掛けた保険金殺人を計画した。
 細谷被告は2002年10月13日午後5時38分ごろ、後部座席に妻と義母を乗せたまま、金浦町(現にかほ市)の金浦漁港西側岸壁の突端近くで止めていた乗用車を発進させて深さ約4メートルの海中に転落させた。細谷被告は海中に沈んだ乗用車から自力で脱出し、近くにいた観光客に救助された。約40分後に地元のダイバーに引き揚げられた妻と義母は、本荘市の病院に搬送されたが死亡した。水死だった。妻は人工透析を受けるなどの病弱、義母も高齢で、ともに泳げなかった。
 細谷被告は事故後の調べに対して「漁港で休憩した後、乗用車を前進させたら(岸壁突端の)係船柱に接触した。一度後退し、再び前進しようとアクセルを踏んだら海に落ちてしまった」と説明していた。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年1月14日 無期懲役(検察側上告棄却、確定)
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 検察側は「動機や結果、被害感情など、いずれの面からみても死刑が相当」と主張した。
 古田裁判長は「残酷、非情な犯行で死刑も考慮に値するが、緻密で周到な計画ではなく、凶悪事件を犯す傾向も認められない。反省しており、無期懲役を破棄しなければ著しく正義に反するとはいえない」と指摘した。
備 考
 2004年9月22日、秋田地裁で求刑通り死刑判決。2005年11月29日、仙台高裁秋田支部で一審破棄、無期懲役判決。旧姓細谷。

氏 名
杉本寛治(63)
逮 捕
 2008年3月3日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂
事件概要
 神戸の会社員杉本寛治被告は、神戸市の会社員男性(当時55)へ2004年に貸した200万円を取り戻すため、男性に無断で生命保険8200万円をかけた上、2007年10月には岡山市の会社社長Y被告に2000万円の報酬を支払うと言って犯行を持ちかけた。借金があったY被告はすぐに了承。Y被告は11月に手付100万円を受取り、計画を進めたが、12月中には犯行を2度失敗している。その後Y被告は会社のアルバイト従業員男性(当時46)に数百万円を支払うといって犯行を指示。
 2007年12月30日未明、3人は神戸市で会社員男性と合流。杉本被告とY被告が会社員男性を押さえつけ、従業員男性に軽乗用車ではねるように指示した。しかし従業員男性は怖くなって拒否。そこで両被告は2人を連れて鳥取県智頭町へ移動。杉本被告は会社員男性に「落ちたら許す」とうそをつき、助手席に従業員男性を乗せて、智頭町内の県道から約50mの崖下に落ちるように指示した。会社員男性は指示通りにしたものの、落下前に車から飛び降りた。しかし2人に崖下へ連れていかれて木の棒で複数回殴られた上、落下車両のそばに放置されて翌日に凍死した。従業員男性は肩の骨を折るなど、全治4週間の怪我を負ったが、自力でがけを上った。Y被告が偽名で119番通報した後、2人は現場を離れた。
 生命保険金の受取は男性会社員の親族としており、杉本被告はその親族に保険金が入ったら借金を返済するようにと再三強要していた。
 軽乗用車はY被告の持ち物で、約6000万円の自動車保険に加入していた。Y被告は2008年1月3日に智頭署に電話をかけ、従業員男性が車を崖下に転落させ自力ではい上がったと言ったので現場を訪れたら、車のそばで男性が死んでいたと通報した。
 鳥取県警が従業員男性に事情を聞いたところ、「知り合いの男性を乗せて山道を走っていたところ、道を間違えたのでUターンしようとして、がけの下に落ちた」と話したため交通事故と判断し、1月8日に従業員男性を道交法違反(救護措置義務違反)や保護責任者遺棄致死などの容疑で逮捕した。ところがその後の捜査で車内から従業員男性の血痕は発見されたが、会社員男性の血痕が検出されず、男性従業員の供述にも矛盾が出てきた。さらに、従業員男性は両被告が会社員男性を殴打したことを証言。会社員男性に借金があったことや保険金がかけられたことが判明し、保険金目的の殺人事件の疑いで捜査。3月3日に殺人容疑で杉本被告とY被告を逮捕した。
 杉本被告は住宅ローンなど約2600万円、Y被告は事業の失敗で消費者金融から数4500万円の借金があった。
裁判所
 鳥取地裁 小倉哲浩裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月19日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きで、両被告のどちらが犯行を主導したのかが争点となった。また公判は、2009年5月から始まる裁判員制度を想定し集中審理で行われた。
 1月7日の初公判で、杉本被告、Y被告とも起訴事実を認めた。Y被告は「杉本被告に逆らえない立場にあり、主要な役割を果たしたのは杉本被告だ」と主張。杉本被告は殺人未遂について「殺意は未必にとどまり確定的なものでなかった。転落現場は雑木が茂っており、転落死によるがい然性は強くなかった」と主張した。
 1月15日の論告求刑で検察側は、「保険金をかけたりY被告に指示を出すなど、主導者は杉本被告であり、人間を金銭を得るための道具としか見ていない卑劣な犯行。人命軽視は甚だしく酌量の余地はない」と断じた。同日の最終弁論で弁護側は、「綿密な計画に基づくものではなく、犯行は場当たり的でずさんなもの。また、崖下に車ごと落ちるように男性を説得したが、強制はしていない。意思の自由は奪っていなかった」と情状酌量を求めた。杉本被告は最終陳述で「罪に服したい」と述べた。
 判決で小倉哲浩裁判長は「男性の借金を回収するため無断で生命保険を掛け、貸付額を超える保険金を得ようとした」と杉本被告の主導性を指摘した。また裁判長は計画がずさんであるという弁護側の主張は認めながらも、「失敗しても別の方法で殺害した執拗な犯行。金銭的利益のために人の生命の重さを考慮しない悪質な犯行で、中心的役割を担った。今後の人生すべてを懸けて償わなければならない」とした。
備 考
 道交法違反(救護措置義務違反)や保護責任者遺棄致死などの容疑で2008年1月8日に逮捕された従業員男性は処分保留とされ、その後5月14日に不起訴となった。しかし従業員男性はY被告の指示で2006年1月26日、岡山市内のホテル駐車場からレンタカー1台を盗んだとしてY被告とともに窃盗罪で起訴され、5月15日に鳥取地裁で懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決が言い渡された。
 殺害された会社員男性も、従業員男性への殺人未遂容疑で容疑者死亡のまま書類送検されている。
 第2回から公判が分離されたY被告は、公判で杉本被告に脅されたと主張したが、鳥取地裁の小倉裁判長はY被告が事故偽装を提案したと認定し、「果たした役割は大きい」として2009年1月13日、求刑通り懲役30年を言い渡した。Y被告は控訴した。

 被告側は控訴した。2009年8月31日、広島高裁松江支部でY被告とともに被告側控訴棄却。2010年1月27日、Y被告とともに被告側上告棄却、確定。

氏 名
益子勝(23)
逮 捕
 2008年7月24日(銃刀法違反容疑。8月2日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、窃盗、銃刀法違反
事件概要
 住所不定無職益子勝被告は、2008年5月頃に携帯サイトで知り合って交際していた女性と遊ぶ金や、生活費欲しさに2008年6月21日から7月3日の間、群馬県渋川市内の青果店に3回侵入。現金計約25万円や、その後脅迫に使用した包丁(刃渡り約12.5cm)などを盗んだ。
 益子被告は盗んだ宝石を売りに行った中之条店の質店で、女性(当時74)が一人で経営していることを知り、7月7日に侵入。現金約9万円を盗んだ。その金を使い果たすと、7月16日午後2時頃、再び同店に侵入。女性に発見され大声を上げられたため、包丁を突きつけ「静かにしろ」と脅迫。同2時20分ごろ、もみ合いになり、タオルで女性の首を絞めて殺害した。その後室内から現金約34万円と指輪など(時価39万円相当)の貴金属数点を盗んで逃げた。盗んだ現金は交際女性とほぼ使い切っていた。
裁判所
 前橋地裁 石山容示裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月19日 無期懲役
裁判焦点
 2008年12月16日の初公判で益子被告は殺害を認めたが、殺意を抱いた時期については「最初は殺害しようという気持ちはなかった」と起訴事実を一部否認した。
 検察側は冒頭陳述で、益子被告が交際相手との遊興費欲しさに窃盗を繰り返す中で、「質店なら現金100万円ぐらいはあるだろう」と考え、同店に侵入。女性に発見され、顔を見られたことなどから、「逃げても通報される。殺して現金を奪うしかない」と決意し、殺害に及んだと指摘した。一方、弁護側は、「口を押さえ、首を絞めても(女性が)叫び続けたため、殺害を決意した」と主張した。
 2009年1月13日の論告求刑で検察側は、益子被告が殺意を抱いた時期について「遅くとも、侵入を発見され包丁を突き出したが、被害者がさらに大声を上げた時点」となどと主張。「冷酷で執拗かつ残忍な犯行」と断じた。また被告人質問で検察側は益子被告が殺害後、被害者宅でシャワーを浴びて汗を流し、缶コーヒーを飲むなどの行動をとったことを明らかにした。
 同日の最終弁論で弁護側は「当初は被害者を傷つけず金を奪う計画だった。殺人は偶発的なもの」と主張し、減軽を求めた。
 石山裁判長は「窃盗罪による執行猶予判決から半年もたたないうちに、本件犯行に及んでいる。利欲的かつ自己中心的であり、酌量の余地はない。殺意は強固で、強盗殺人は極めて悪質。矯正には相当長期間を要する」と述べた。殺意の生じた時期について、判決は「もみ合ううちに殺害して金品を奪おうと決意した」との被告側主張を認めたが、「量刑上重要ではない」とした。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
徳田治(48)
逮 捕
 2007年8月20日(8月31日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗、詐欺未遂、住居侵入他
事件概要
 無職徳田治被告は2007年7月17日未明、長野県安曇野市の県営アパートに住む無職女性(当時87)方に侵入。石で女性の頭を殴って殺害し、現金52000円の入った財布を奪った。徳田被告は県営アパートの近くに住んでいた。
 また徳田被告は同日、住んでいたアパート自室の隣室に侵入。財布や通帳など約40点(約6500円相当)を盗み、近くの飲食店でも3点(約2000円相当)を盗んだ。また、女性を殺害した後の同日、盗んだ通帳を使って、松本市内の銀行窓口で現金を払い戻そうとしたが、喪失届が提出されていたため、未遂に終わった。
 徳田被告は犯行後、列車を乗り継いで仙台市へ逃走。20日朝、仙台市のアパートに侵入し、現金1万円を奪うなどした。同日、住居侵入容疑で宮崎県警仙台東署に逮捕された。
 徳田被告はパチンコなどで消費者金融に借金が215万円あった。事件4日前の13日、人材派遣会社から給料約8万円を受け取ったが、その日のうちにパチンコで使い果たし、食費などを得るために空き巣を決意した。
裁判所
 最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月19日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 不明。
備 考
 2008年4月30日、長野地裁松本支部で求刑通り一審無期懲役判決。2008年10月8日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
佐藤雅樹(38)/生方久巳(47)
逮 捕
 2007年9月12日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入他
事件概要
 新潟県上越市のK被告は2007年6月15日、自宅アパートの部屋で、東京都新宿区の自称人材派遣業佐藤雅樹被告に「上越市の不動産業の女性(当時74)の自宅に多額の金があり、月末になるとテナントの集金で留守にする」などと教え、空き巣に入るようそそのかし、女性宅の間取りに金庫や金の保管場所を示した図面を手渡した。
 K被告は1990年頃、佐藤被告と市内の自動車修理販売会社で同僚として知り合い、2000年頃から金を貸していた。2003年から女性のテナントビルで飲食店を経営し、佐藤被告を店長として雇用。2006年2月ごろに経営悪化で閉店後、自身も借金があったK被告は佐藤被告に借金返済を迫り、空き巣話を持ちかけた。
 佐藤被告は図面を見せて指示した上で6月30日夕、東京都新宿区の無職生方久巳被告、新潟県上越市の工員の男(事件当時19)とともに空き巣に入ろうとしたが、女性が在宅していたことから断念。計画を練り直して、2007年7月1日午前0時10分頃、女性方を訪れ、生方被告が訪問者を装って女性に玄関のドアを開けさせ、佐藤被告と2人で家に押し入った。両被告は女性の顔や手足を粘着テープで縛り、現金約2,000万円が入った金庫と封筒入りの現金約600万円の計約2,600万円を奪った。工員は現場までの行き帰りの車の運転手役だった。女性は窒息死した。
 佐藤被告は生方被告へ約800万円を報酬として渡し、自らは約1000万円を手にしてその中から工員に数10万円を報酬として与えた。また残り約800万円を借金の一部返済としてK被告に手渡した。
 女性はJR直江津駅周辺にスナックなど24店舗を所有。毎月約200万円の家賃収入を得ている資産家として知られていた。金庫には家賃として集めた多額の現金が入っていた。佐藤被告は2005年まで女性がテナントを貸す飲食店で働いていた。
 主犯格の佐藤被告は、奪った金で自らの借金を返済したり、共犯の少年や生方被告に数10万円を渡していた。佐藤被告は生方被告と東京の暴力団事務所で知り合い、工員とは以前に上越市で一緒に仕事をした仲だった。
裁判所
 東京高裁 中川武隆裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月21日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 佐藤被告と検察側の双方は量刑不当で控訴しており、2008年12月17日の控訴審初公判で互いに控訴棄却を主張。生方被告は検察側だけの控訴で、弁護側は控訴棄却を求め、結審した。
 判決で中川裁判長は一審の死亡を予期していなかったという認定について、「緊縛は非常に危険。生命に重い影響を及ぼすのは容易に予見でき、犯行は残虐かつ冷酷非道」と断じた。そして「老齢で無力の被害者を死亡させるなど残虐で非道な犯行で遺族らの処罰感情は厳しい。刑事責任は重大で一審判決は著しく軽い」と指摘した。
備 考
 元少年の工員は2008年7月15日、新潟地裁で懲役10年(求刑懲役15年)判決。被告側が控訴するも棄却。
 K被告は窃盗教唆などの罪で起訴。2008年1月22日の初公判では、起訴事実を否認し無実を主張した。2008年10月1日、懲役3年(求刑懲役5年)判決。被告側控訴も棄却。
 佐藤雅樹被告は2008年7月15日、新潟地裁で懲役30年判決。生方久巳被告は2008年8月5日、新潟地裁で懲役28年判決。
 両被告は上告した。2009年6月9日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
岩井誠治(41)
逮 捕
 2008年6月30日(死体遺棄容疑。7月21日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件概要
 埼玉県鳩ヶ谷市の内装業、岩井誠治被告は2008年6月16日午前9時頃、川口市で焼肉店を経営する韓国籍の女性(当時69)の自宅で、女性の背中や胸を果物ナイフで刺して殺害。現金13万円や貴金属など(計約77万円相当)を奪った。その後、岩井被告は遺体を店舗2階にある女性の部屋のベッド下に隠した。岩井被告は奪った貴金属を換金し、下請け業者に工賃の一部を支払った後、そのまま逃亡した。ナイフは12日に市内のホームセンターで購入したものだった。
 3階に住んでいた中国籍の従業員女性が同日、女性の姿が見あたらないと東京都内に住む女性の次男に連絡。次男が捜索願を提出したため18日に県警捜査員が女性宅を調べたところ、女性の遺体を発見。捜査本部を設置した。
 岩井被告は5月に焼肉店のリフォームを約245万円で請け負って工事を行い、内金115万円を受け取った。しかし岩井被告は下請け業者などに支払うはずの現金をパチンコや飲食費などに使ってしまったため、女性に残りの金額を前倒しで要求。しかし女性は拒否したためトラブルになっていた。捜査本部は岩井被告を任意で捜査していたが、6月30日、長野市内のパチンコ店にいるところを捜査員が見つけ事情を聴取、犯行を認めたため逮捕した。

 岩井被告は父親にかつて約2,000万円の借金を肩代わりしてもらい、また評判のいい弟に対して負い目を感じていた。女性から請け負ったこの工事は、岩井被告が一人で受注し取り仕切った初めての仕事で、成功させて周囲を見返したかった。それだけに、金銭面で両親や弟を頼ることはプライドが許さなかった。
裁判所
 さいたま地裁 大谷吉史裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月28日 無期懲役
裁判焦点
 2009年1月16日の初公判で、岩井被告は起訴事実を認めた。検察側は冒頭陳述で、岩井被告が下請け業者などに支払うはずの現金を遊興費などに使い、金に困っていたと指摘。金に困っていた岩井被告が被害者に焼肉店内装工事代の前払いを要求して断られたことから、被害者を殺害して金を奪おうと考えたと指摘した。
 同日の求刑論告で検察側は「犯行は冷酷、残忍で、厳しく非難されなければならない。被告に反省や後悔の念は見あたらない」と断じた。弁護側は最終弁論で奪った金の大半を職人への未払い給与にあてていたなどと強調。「金銭面で追いつめられるなど動機に同情の余地もある」と主張し、「反省の態度を示している」などと情状酌量を求め、即日結審した。
 岩井被告は「死のうとしたが、死に方が分からなかった」と謝罪。犯行後の逃亡先で風俗店から女性を呼んでいたことを指摘され、「寂しかった」などと弁解した。
 判決で大谷裁判長は、岩井被告が「女性の無理な工事内容の変更や追加を、追加料金を取ることなく応じてきたのに、代金前払いをあっさり断られた揚げ句、うそつき呼ばわりされ立腹したことが動機の一つ」と供述した点について、「そもそも支払金に窮するようになったのは、工事代金を家計や遊興費に使ってしまった無計画な生活の結果で、女性に落ち度はない。短絡的で身勝手な動機や、犯行の経緯に酌量の余地はない」と述べた。
備 考
 岩井被告の父親は鳩ヶ谷市議で、逮捕翌日の7月1日、長男であることを明かした上で謝罪する声明文を出した。初公判にも情状証人として出廷し、「大切な命を奪った。申し訳ない」と謝罪した。しかし現在5期目の鳩ヶ谷市議については辞職する考えのないことを強調した。
 控訴せず確定と思われる。

氏 名
竹村諒(25)
逮 捕
 2008年6月7日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反、建造物損壊
事件概要
 千葉県船橋市の無職(逮捕時はパチンコ店従業員)竹村諒被告は、2007年12月2午前2時頃、習志野市の市道で帰宅中の飲食店従業員の男性(当時42)から金品の奪おうとしたが大声を上げられたため、胸を包丁で刺して殺害し、現金約6000円などを奪った。竹村被告は金融会社に数十万円の借金があり、家族に渡すはずの生活費をパチンコで使い果たしていた。竹村被告と男性は面識がなかった。
裁判所
 東京高裁 阿部文洋裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月29日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年1月20日の控訴審初公判で、竹村被告側は量刑が重すぎると訴えた。
 阿部文洋裁判長は「深夜の人通りのない場所で金を奪うため、確定的な殺意を持ち被害者を刺した凶悪で非情な犯行」と述べた。
備 考
 2008年11月5日、千葉地裁で一審無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
山下真史(44)
逮 捕
 2007年2月14日(銃刀法違反で逮捕済)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反(加重所持、発射)、建造物損壊
事件概要
 前橋市の指定暴力団稲川会系総長山下真史被告は、配下の山田英夫元被告、KK元被告、KS元被告に抗争中の指定暴力団山口組系F幹部(当時56)殺害を指示。山田元被告らは2005年10月13日午後9時ごろ、高崎市の厚生年金健康福祉センターで、F幹部(当時56)を射殺した。
 殺害されたF幹部は、元稲川会系組長だったが破門となり、山口組系に出入りしていた。2005年8月にはF幹部の自宅に稲川会系M組長ら数人が襲撃し、金属バットで殴るなどして重傷を負わせた。これに対し、山口組系組長の高見沢勤被告らは犯人探しを始め、稲川会系のW組長に接触。情報提供や傘下入りを求めた。だが、W組長は拒否し、同年9月4日に安中市の路上で射殺された。翌5日、別の稲川会系組長が拳銃を持って高見沢被告宅を襲撃。そして10月、F幹部が射殺される事件が発生した。
裁判所
 東京高裁 長岡哲次裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年1月29日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 長岡裁判長は、一審の前橋地裁判決の一部に法令適用の誤りがあったとして一審の判決を破棄した上で、「計画的かつ強固な犯意による冷酷で残虐な犯行」として改めて無期懲役判決を言い渡した。
備 考
 山田英夫元被告は2007年8月31日、前橋地裁で無期懲役(求刑同)判決。控訴せず確定。
 KK元被告は2007年11月22日、前橋地裁で懲役24年(求刑懲役30年)判決。控訴せず確定。
 KS元被告は2007年7月26日、前橋地裁で懲役16年(求刑懲役23年)判決。控訴せず確定。
 ほかにも山下被告側にF幹部の居場所を知らせるなどしたとして、3人が殺人ほう助で逮捕され、傷害致死ほう助の罪で判決を受けている。
 高見沢勤被告は2008年2月4日、前橋地裁で求刑通り一審死刑判決、控訴中。
 2008年3月6日、前橋地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年7月7日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
今田文雄(61)
逮 捕
 2007年11月25日(銃刀法違反の現行犯逮捕。12月16日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反他
事件概要
 福岡市の指定暴力団道仁会系組員今田文雄被告は、2007年11月8日午前7時40分ごろ、佐賀県武雄市の整形外科医院に侵入。2階個室に入院していた同市に住む板金業の男性(当時34)を対立抗争中の暴力団関係者と間違え、拳銃を4発発射、うち2発を命中させて失血死させた。
 九州最大規模の指定暴力団である道仁会(福岡県久留米市 構成員・準構成員約950人)は、2006年5月に松尾義久会長が新たな会長に就任。これに反発した傘下の村上一家などが離脱し、九州誠道会(同県大牟田市、構成員・準構成員約440人)を結成した。
 松尾会長は九州誠道会の結成に激怒、関係者を絶縁処分にしたとされる。その直後から2006年7月にかけ、道仁会を狙った発砲事件が福岡、佐賀、長崎各県で続発した。
 その後、抗争はいったん沈静化したかに見えたが、2007年6月に佐賀県で九州誠道会系組長が刺殺された。8月には松尾会長が福岡市の路上で射殺され、その翌日には熊本市で報復とみられる九州誠道会系組会長を狙った銃撃事件が発生した。11月24日には福岡県大牟田市で、九州誠道会系組幹部が病院前で射殺された。
 今田被告は、世話になった松尾会長が九州誠道会の組員らに射殺され、報復のため同会幹部を殺害しようとしたが所在をつかめなかった。関係者がこの医院に入院しているとの情報を入手し、部屋番号だけを頼りに、関係者と男性が部屋を入れ替わったことも知らずに犯行に及んだ。
 今田被告は事件後逃走。防犯カメラに写っていた映像から、捜査本部は22日に殺人容疑で逮捕状を取った。25日午前0時50分頃、福岡県大野城市内で、福岡県警の自動車警ら隊の捜査員がパトカーを見てUターンするなど不審な白いクラウンに乗った男女を見つけ職務質問をしたところ、今田被告が拳銃1発を空に向けて発砲。捜査員がその場で今田被告を取り押さえた。また一緒にいた福岡市の無職女性(当時44)も覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕した。今田被告は上着の内ポケットに別の回転式拳銃1丁を隠し持ち、実弾も20数発所持していた。
 同乗していた女性は後に殺人容疑で再逮捕されたが、処分保留となっている。
裁判所
 福岡高裁 川口宰護裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月3日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 量刑不当を理由に検察、被告側の双方が控訴した。
 2008年11月27日の控訴審初公判で、検察側は一審判決が「道仁会の援助で(今田被告と)遺族との間で示談が成立」と認定した点について、「示談は使用者責任を負う同会との間で成立したもので事実誤認。過大に評価すれば、罪を犯した者の面倒を組織が見るという暴力団社会の論理に司法がお墨付きを与えることになる」とし、「求刑通り無期懲役しか選択肢はない」と主張した。
 今田被告は被告人質問で、「遺族には申し訳ないことをした」と謝罪したが、調書と供述内容が食い違っているなどとして一審判決に不満を示し、「真実を裁いておらず受け入れられない」と述べた。弁護側も「被害者を対立する暴力団関係者と誤認した」と認定したことに関し、「検察官の主張を軽々に容認しており不当」と指摘した。
 判決で川口裁判長は、示談について「被告が自ら損害賠償義務を履行したものではない」と指摘。同会代表者が使用者責任として支払ったものとの判断を示した上で「示談には寛大な刑罰を求めるなどの条項はない」などと述べ、「一審判決の量刑は軽すぎて不当」と判断した。
 事件の態様に関しては「暴力団特有の論理に基づく対立抗争の一環として実行され、反社会的な動機に酌量の余地は全くない」などと指弾。今田被告に対して「今でも被害者を企業舎弟だと思っていると強弁するなど、真摯に反省しているとは到底認められない」と断じた。
 遺族らの処罰感情について「最愛の家族を奪われた遺族の悲しみや苦しみは筆舌に尽くしがたく、極刑を求める心情も無理はない」と述べた。
 また、一審判決が「暴力団特有の気質や思考方法をのぞかせており、真摯に反省しているとは認めがたい」と指摘する一方で「犯行を認め、それなりに反省している」と述べた点について、川口裁判長は「(一審判決は)反省状況の評価が一貫しておらず、不適切」と批判した。
備 考
 2008年6月10日、佐賀地裁で懲役24年判決。被告側は上告した。2010年3月8日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
佐々木繁一(77)
逮 捕
 2007年7月25日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂、詐欺
事件概要
 長崎県大村市の金融業佐々木繁一被告は学生寮従業員U被告と共謀。2003年7月1日午後10時頃、大村市の道路脇の側溝で、佐々木被告の三男で元新聞販売店従業員の男性(当時26)にかけた保険金約1億4000万円を取得する目的で、事前にU被告が飲ませた睡眠薬で意識がもうろうとしていた男性を大村市の道路脇側溝に押し込み、男性がバイク転倒事故を起こしたように偽装して水死させた。
 同日午後11時25分頃、男性が側溝で倒れているのを、佐々木被告が発見し、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は水死と断定された。男性のそばに乗っていたとみられるミニバイクがあったことから、県警は運転中に側溝に転落したとみて事故として処理し、司法解剖などはしていなかった。
 ところが2004年11月末になって、県警に「(男性の)父親から殺人を依頼された」との趣旨の情報が、佐々木被告の知人男性から寄せられ関係者から事情を聴くなど慎重に捜査を進めていた。
 その後の調べで、男性にかけられた保険金が多額▽保険金を佐々木被告が受け取った▽男性が側溝(高さ約30センチ、幅約35センチ、深さ約10センチ)に全身がすっぽりとはまった状態で見つかっており、転落にしては不自然――などの事実が判明したため、保険金殺人事件との見方を強め、佐々木被告らの逮捕に踏み切った。U被告とO被告はそれぞれ1000万円ずつを報酬として受け取った。
 佐々木被告ら2人はまた、青果行商O被告、無職I被告、無職K被告と共謀し、交通事故を装って男性を殺害しようと計画。2003年5月下旬ごろの午後9時半ごろ、大村市の路上で、I被告運転のトラックで、男性のミニバイクをはねて殺そうとしたが、男性が路肩に倒れ込んで衝突を回避し、未遂に終わった。I被告は事件後、佐々木被告から報酬などとして現金100万円を受け取った。
 佐々木被告は1984年5月から2006年9月までは保護司をしており、2004年には20年勤続表彰で法務大臣表彰された。また違法駐車などを取り締まる大村地区地域交通安全活動推進委員としても1991年から14年間活動した。その他、大村市を中心に、事件を起こした少年らを指導して社会復帰を手助けしたり、地域の防犯活動にも参加してきた。三男の男性は事件の約2ヶ月前に仕事を辞め、佐々木被告と同居していた。
裁判所
 長崎地裁 松尾嘉倫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月6日 無期懲役
裁判焦点
 佐々木繁一被告は逮捕直後の2007月下旬に犯行を自白したが、その後は否認。
 公判前整理手続きを採用。主な争点は▽殺害▽殺人と殺人未遂事件での知人との共謀▽保険金の詐取-のそれぞれの有無。
 2008年10月1日の初公判で佐々木被告は、「実子を殺すことなど夢にも見たことはない」などと全面否認し、無罪を主張した。検察側は冒頭陳述で、佐々木被告が経営していた健康食品会社が倒産し、「犯行時は9380円の預金で、消費者金融などに合計約225万円の負債があった」ことなどを指摘。事件前、娘に「退職金1億円が入る」と話していたとし、殺害の計画性を強調した。続いて男性殺害時の状況を詳述。「お父さん何ばすっとね」と抵抗する男性にのしかかり、顔を増水していた側溝の水に抑え込んで水死させたとした。さらに、受け取った保険金約1億4000万円を高級外車の購入や自宅の増改築費に充てたり、娘に1000万円を渡したりしていたと指摘した。また佐々木被告が男性の生存中から新聞「おくやみ欄」に死亡記事を出す準備をしていたことなどを明らかにした。
 これに対し、弁護側は「貸金業で多額の債権があり、十分な資産はあった」などと検察側の示した動機を否定。「佐々木被告は保険の存在も知らず、殺害当日も自宅にいた」と真っ向から対決する姿勢を示した。
 11月5日の公判で佐々木被告は男性の死亡前に書き、自白のきっかけになったとされる「告別式の案内」などのワープロ文書について、「通っている教会の葬儀委員をしており、見本として書いた」と主張した。弁護人から最後に「本当に殺していないのか」と問われると、「何で殺す必要があるのか。助けようとしたことはあるが殺そうとしたことはない。犯人扱いされてはらわたが煮えくり返っている」と声を荒らげた。また、前回公判で任意性の有無が争われた自白調書について、松尾裁判長は「疑いはみられない」と任意性を認める判断を下した。
 11月26日の論告求刑で検察側は「残忍で人倫に反する言語道断の犯行。実子を殺害し、自損事故を偽装して完全犯罪をもくろんだ鬼畜の所業と述べても過言ではない」と厳しい言葉で指弾した。同日の最終弁論で弁護側は「経済的な困窮もなく、殺す動機はない。捜査段階の自白調書にも任意性がない」と主張。佐々木被告は最終意見陳述で「私は何も罪悪を犯していない。なぜかわいい息子を殺さないといけないのか」と述べた。
 判決で松尾裁判長は被告側の無罪主張に対し、被告に殺害を持ち掛けられた共犯者らの証言や、被告が生命保険契約に関与し、生前に死亡前提の文書を作った点などを挙げ、犯行を認定した。そして「不自然・不合理な弁解に終始し、反省の態度はみじんも見受けられず、犯行後の情状もすこぶる悪い」と非難した。そして「1年半余りにわたって執拗に実子の生命を狙い続け、自損事故を装って保険金をだまし取った。計画性が高く、ずる賢く悪質だ」と指摘。「助命を求めるわが子を側溝に押さえ付け、極めて冷酷で無慈悲。父親から生涯に終止符を打たれた被害者は誠に哀れだ。犯行を首謀し、責任は共犯者と比較にならないほど格段に重い。人命軽視は甚だしく、動機は人倫に背き、利欲的、自己中心的だ」と述べた。
備 考
 殺人未遂罪に問われたK被告は2008年5月26日、長崎地裁で一審懲役3年6ヶ月(求刑懲役6年)判決。被告側控訴も棄却。そのまま確定。
 殺人罪に問われたU被告は2008年8月8日、長崎地裁で一審懲役9年(求刑懲役13年)判決。控訴せず確定。
 殺人未遂罪に問われたI被告は9月19日、長崎地裁で一審懲役4年(求刑懲役6年)判決。控訴せず確定。
 殺人未遂罪に問われたO被告は10月17日、長崎地裁で一審懲役4年(求刑懲役7年)判決。控訴せず確定。
 被告側は即日控訴した。2009年12月10日、福岡高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
吉田たけし(39)
逮 捕
 2008年1月21日(死体遺棄容疑。2月12日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件概要
 横浜市の暴力団組員で建設作業員の小川英司被告は、指定暴力団山口組系幹部の男性(当時41)の運転手を勤めていたが、暴力を振るわれたり、満足な給料をもらえなかったことからうっぷんがたまっていた。事件直前、男性がさいたま市内のバカラ賭博店に言いがかりをつけ、三百数十万円を脅し取っていたことを知り、知人で東京都中央区に住む元暴力団組員井上武蔵被告に報酬1000万円で殺人を依頼。井上被告は住所不定の暴力団組員鈴木一弘被告、足立区の元暴力団組員の吉田たけし被告と共謀。4人は2005年10月20日午前1時頃、草加市の国道側道で男性を乗用車に押し込んでバタフライナイフで左胸を刺して殺害した上、現金約350万円を強奪した。さらに千葉県船橋市に住む建設作業員の男性、中央区に住む暴力団幹部と一緒に、遺体を千葉県いすみ市の空き家の庭に埋めた。
 行方が分からなくなったことから男性の妻が県警に相談、2006年5月に正式に失跡を大宮署に届けた。
 県警の内偵捜査で、男性と小川被告らとの間のトラブルが浮上。小川被告の供述に基づいて別荘の庭を捜索したところ、土中から白骨化した遺体が見つかった。遺体を運んだ車にあった血痕のDNA型も男性と一致したことから、死体遺棄容疑で5人の逮捕状を取っていた。
裁判所
 さいたま地裁 大谷吉史裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月6日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 吉田被告は井上被告、鈴木被告らと強盗団を結成しており、強盗容疑で逮捕された際に自供したため2被告に恨まれていたことから共犯者として名前を出された、事件当日はアリバイがあるとして無罪を主張した。
 判決で大谷裁判長は、共犯者の証言は信用できるとして、被告側の主張を退けた。
備 考
 吉田たけし被告は井上被告、鈴木被告らと強盗団を結成していた。住居侵入、強盗致傷等の罪により、2007年1月31日に東京地裁で懲役18年が言い渡され、6月29日には確定。逮捕当時は服役中であった。
 死体遺棄を手伝った中央区の男性は2008年6月10日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)が言い渡され、確定している。船橋市の男性は2008年7月8日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)が言い渡され、確定している。
 井上武蔵被告と鈴木一弘被告は2008年9月16日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で求刑通り無期懲役判決が言い渡された。井上武蔵被告は控訴せず確定。鈴木一弘被告は2009年2月19日に東京高裁で控訴審判決が言い渡された。被告側控訴が棄却されたものと思われる。
 小川英治被告は2009年3月3日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で求刑通り無期懲役判決。

 被告側は控訴した。

氏 名
少年(19)
逮 捕
 2008年6月27日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗、詐欺
事件概要
 住所不定、無職少年(事件当時18)は2008年6月23日午後8時頃、三重県熊野市に住む会社員女性(当時47)の自宅で、女性の首を包丁で刺し、ダンベルのバーで頭を殴るなどして殺害、財布から現金約108,000円を奪った。
 6月26日午後2時10分頃、女性宅を訪れた次女(当時22)が発見。熊野署に通報した。
 少年は女性の三女(当時19)と交際しており、以前から女性宅に出入りしていた。事件後、少年は三女と23、24日と外泊。25日は女性宅に泊まったが、三女は遺体に気付かなかった。26日、愛知県までドライブしたところを捜査員に見つかり、容疑を認め逮捕された。
 少年は2008年2月、御浜町の友人宅で現金約15万円を盗んだ。
 少年は2008年6月、携帯電話のインターネットオークションを通じ、オートバイを売却する名目で、大分県の男性から49,370円をだまし取った。盗んだ金は食事やパチンコ代に、詐取した金は遊興費や交際女性へのプレゼントに使ったとされる。
裁判所
 津地裁 山本哲一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月9日 無期懲役
裁判焦点
 津地検は2008年7月17日、強盗殺人の非行事実で少年を津家裁に送致した。「刑事処分相当」の意見を付けた。家裁は同日、2週間の観護措置を決定し、少年を津少年鑑別所に収容。少年審判開始も決定した。
 津家裁(下山保男裁判長)は8月12日、少年を検察官送致(逆送)する決定を出した。下山裁判長は「犯行は計画的で、執拗かつ残忍。刑事処分が相当」と指摘した。
 11月17日の初公判で、少年は起訴事実のうち殺害は認めたが「お金を取るっていう目的じゃない」と強盗目的は否認した。検察側は冒頭陳述で、少年が6月18日ごろ、金を盗むため女性方を物色し、さらにかつての交際相手との間に生まれた男児の養育費や遊興費に困窮していたとして、「犯行は金目的」と指摘した。弁護側は「女性に『早く家から出て行って』などと言われ、いなくなればいいと思ったのが動機。殺害後に金を奪おうと思いついた」とし、強盗殺人罪ではなく、殺人罪と窃盗罪を主張。そのうえで、「当時、心的外傷後ストレス障害で情緒不安定だった」として情状酌量を求めた。
 12月10日の第3回公判で、検察側が少年を窃盗と詐欺罪で追起訴したことを明らかにした。少年は起訴事実を全面的に認めた。少年は被告人質問で、以前にも同様手口の詐欺で約10万円を得ていたと述べた。
 12月26日の論告で検察側は「犯行は計画的で残虐。酌量の余地はない」と指摘。弁護側は最終弁論で「殺害は金品が目的ではない。同居する被害者に気まずさを感じ、いなくなってほしいと思い殺害した」とあらためて強盗目的を否認した。
 判決で山本裁判長は「(少年が)経済的に窮していたことや(金を奪う目的で殺害したとの)捜査段階の供述にも信用性が認められる」として、強盗殺人罪の成立を認定した。そして「被害者の生存を装うメールを被害者家族に送るなど、隠蔽工作を重ねており悪質」と指摘した。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
白石敦子(57)
逮 捕
 2008年3月4日(詐欺容疑。3月14日、死体遺棄容疑で再逮捕。4月5日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、詐欺
事件概要
 雑貨店経営の白石敦子被告は無職の渡辺義雄受刑者と共謀。2008年3月1日午前、埼玉県上尾市の白石被告の雑貨店で、上尾市に住むトラック運転手の男性(当時66)の顔に袋をかぶせ、ビニールテープを口に巻くなどして殺害、現金約3万円や貯金通帳などを奪った。2人はさらに、男性の遺体を市内の荒川に遺棄した。その後、男性宅から妻のクレジットカードを盗んだ。
 白石被告は2005年12月、男性所有のビル2階で、日用品や文具などを扱う店をオープン。店内では占いやパソコン教室を開き、自らも占い師として活動していた。しかし、2007年秋から月13万円の家賃を滞納するようになり、滞納額は計91万円に達した。何度要求しても支払わないため、男性は弁護士を立てて立ち退きを要求。「いくら言っても家賃を払ってくれない」「階段の手すりにまで宣伝の張り紙を出していて迷惑」などと周囲にこぼしていた。
 渡辺被告は定職に就かず、若いころから日雇いの仕事を転々とし、約10年前からは路上生活に。約1年前に白石被告と知り合い、食事の世話を受けることもあった。殺人の報酬は500円だった。
 白石被告と渡辺被告は2日、市内のスーパーでクレジットカードを使い、数万円分の買い物をした。防犯カメラの映像から県警は4日に白石被告を、5日に渡辺被告を逮捕した。男性の遺体は8日に発見された。
裁判所
 さいたま地裁 大谷吉史裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月13日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 2008年12月24日の初公判で、白石被告は「全部男がやった。自分は見ていただけだ」などと強盗殺人の罪を否認した。ただし詐欺罪については認めた。検察側は冒頭陳述で、「被告が一緒に男性を脅し、犯行に及んだ」「白石被告が男に『殺しちゃいな』と指示した」などと指摘した。検察側証人の渡辺被告は「全部2人でやった。犯行の報酬に500円だけもらい、『店にもう来るな』と言われた」と証言した。
 2009年1月27日の論告求刑で、検察側は「男性に雑貨店の立ち退き訴訟を起こされて殺害を計画した。事件を主導したのは白石被告だ」と指摘。「渡辺被告に男性を殺害させ、500円で追い払って、罪をすべて押しつけようとしている。卑劣な責任逃れ。犯行は極めて残虐かつ凶悪。自らの利益や欲望のため殺害した犯行は短絡的だ」と指弾した。弁護側は最終弁論で「渡辺被告の証言については信用性に疑問が残る。渡辺被告単独による犯行だ」などと主張し、強盗殺人と死体遺棄について無罪を主張した。
 大谷裁判長は「渡辺被告の証言が信用できる上、犯行前後の状況を見ても、白石被告が本件各犯行に関与したことを推認できる事情が多く認められる」と述べ、両被告の共謀を認定。犯行理由について「雑貨店の立ち退きを余儀なくされることを恐れ、それを防ぐとともに被害者から金品を奪おうとした」と指摘。その上で「かねてより食事をごちそうするなど、手なずけていた渡辺被告に殺害方法を話し、ビニールテープやひもを準備して殺害を実行した」と述べた。さらに、「渡辺被告は完全に支配下に置かれており、いわれるままに犯行に加担した」と指摘し、白石被告が犯行を主導していたと判断。そして「犯行は粗暴で執拗かつ残酷」とした。
備 考
 渡辺義雄被告は2008年8月8日、さいたま地裁で求刑通り無期懲役判決。被告側控訴も棄却。現在上告中。
 被告側は控訴した。2009年6月30日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年12月8日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
西元正治(32)
逮 捕
 2007年1月11日
殺害人数
 3名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 鳥取県境港市の会社員西元正治被告と、同僚のH被告、米子市の解体業K被告は、米子市の路上でK被告が山口組暴力団組員3人(当時40、45、40)からあいさつの仕方を巡って暴行を受けたことに激高。米子市のスナックで2007年1月11日午後10時30分頃、組員3人と乱闘になり、西元被告が自分の車に積んでいたマグロ解体用の包丁を使って、組員3人の背中や胸などを刺して殺害した。H被告も護身用の警棒で暴力団員の頭部を殴った。
裁判所
 広島高裁松江支部 古川行男裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月17日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2008年9月19日の控訴審初公判で、検察側は控訴棄却を求め、弁護側は正当防衛で無罪を主張、即日結審した。凶器となった包丁について、西元被告は「怖いから包丁を持っていけば落ち着くのではないかと思い持っていった」と言い、犯行時の記憶がなかったことを主張。弁護人も「仮に正当防衛が成立しなかったとしても過剰防衛が成立し、一審判決の量刑は不当」と述べた。
 判決理由で古川行男裁判長は、西元被告がマグロ解体用包丁(刃渡り22.3cm)をスナックに持ち込んだことなどから「組員らから相当激しい攻撃を受ける可能性があり、包丁で対抗することも想定していたと認めるのが相当」と指摘、「正当防衛は成立しない」と述べた。その上で「3人の命を奪った結果は重大」と指摘した。
備 考
 H被告(求刑懲役30年)とK被告(求刑懲役25年)について鳥取地裁は「殺意は認められない」として殺人罪を退け、ともに傷害致死罪の共謀を適用し懲役10年を言い渡した。両被告は控訴せず確定。
 2008年4月16日、鳥取地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年12月7日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
星島貴徳(34)
逮 捕
 2008年5月25日
殺害人数
 1名
罪 状
 死体損壊・遺棄、住居侵入、殺人、わいせつ略取
事件概要
 東京都江東区のマンションに住む派遣会社社員の星島貴徳被告は、幼少の頃に両足に大火傷を負ってその跡が残ったことから、女性に気持ち悪がられることを恐れ、現実の女性と付き合うことを諦めていた。そこで自分の言うことを何でも聞く女性を求め、2008年4月18日、2部屋隣に住んでいた会社員の女性(当時23)が帰宅して玄関の鍵を開けた音を聞くとすぐにわいせつ目的で侵入。包丁を突きつけるなどして女性を自分の部屋に連れ込み暴行しようとしたが失敗。約3時間後、自室ドアがノックされ、女性の部屋の前に警察官が立っているのに気づいたことから、女性が行方不明になったと装おうと包丁を首に突き刺して殺害。5月1日までの間に浴室内で遺体をのこぎりや包丁で細かく砕いて冷蔵庫などに隠し、その後水洗トイレに流したり、ごみ置き場に捨てたりした。
 同居している女性の姉が帰宅後異常に気づき、午後9時15分に通報。出入りを監視する5台の防犯カメラに女性が連れ出される様子が映っていなかったため、マンション内にいる可能性が高いと全150戸を捜査したが、手がかりを得られなかった。
 星島被告の部屋にも事件当時を含め3~4回捜査員が訪れているが、手がかりは得られなかった。失踪2日後には捜査員が星島被告の室内を任意で捜索して段ボールのふたをあけるなどして確認したが、発見できなかった。捜査一課は任意捜査の限界と話している。
捜査一課は失踪直後から約1週間、マンションのエントランスに約15人の捜査員を配置。マンションへの出入りを制限し、住民には外出先を尋ねた。住民の大きな荷物は中身を確認することもあったが、「すべての手荷物を隅々まで調べることはなかった」(捜査幹部)とされる。
 捜査一課はマンションの全住人や出入りしていた者など約170人に協力を求め、指紋の提供を受けた。このとき星島被告も要請に応じたが、星島被告は薬品などを使って指先の皮膚を荒らしていたため、10指とも紋様が読み取れず、照合が不可能だった。
 逮捕直前、星島容疑者から改めて指紋採取したところ、皮膚は約1か月を経て再生しており、女性の部屋で見つかった指紋と一致した。5月24日、捜査一課は星島被告宅を捜査し、玄関やリビングの床から血痕を採取し、血液反応を確認した。床の血痕は、DNA鑑定で女性のものと一致したため、5月25日に捜査一課は星島被告を住居侵入容疑で逮捕した。
 5月28日以降、捜査一課はマンション近くの下水道の捜索で骨片や皮膚、脂肪など人体の組織片を150点以上発見。いずれも数センチ程度に切断されており、DNA鑑定によって一部は女性のものと確認された。
裁判所
 東京地裁 平出喜一裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年2月18日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きが採用され、争点は情状面、量刑等に絞られた。
 2009年1月13日の初公判で、星島貴徳被告は起訴事実を認めた。検察側は冒頭陳述で、星島被告は女性と交際した経験がなく、「若い女性を性奴隷にしたい」と考えて女性の拉致を計画したと指摘した。弁護側は冒頭陳述で、女性を殺害しようと考えたのは、警察官に事件を察知されたと思った後で、計画性はなかったと主張。「被告は、幼い時に足に大やけどを負ったことを負い目に生きてきた。拘置中に自殺を試みており、今は被害者の冥福を祈りながら写経を続けている」と、反省の情を強調した。
 1月14日の公判で検察側は、法廷の大型モニターに200個超の生々しい肉片や骨片の写真を映し出した。またマネキンを使って遺体切断場面を再現した写真や、被告自身が描いた犯行状況のイラストを次々と映し出した。星島被告がそれに沿って説明すると、傍聴席で遺族の女性が声を上げて泣き出し、男性に抱きかかえられて退廷した。一通り説明を終えた星島被告も突然、「(自分は)絶対に死刑だ」と叫び、検察官から「そんなことは聞いていない」とたしなめられた。
 1月19日の公判で弁護側は、被告人質問の中でマネキン人形の画像などで切断状況を生々しく再現したことについて、「反省している被告の人格破壊になる。(5月から)裁判員制度があるので認めてきたが、妥当かどうかは疑問。調書朗読で足りる」と抗議した。検察側は「(裁判員制度では)本人の説明が原則」と反論したが、頭部の解体状況については検察、弁護人、裁判所の3者で協議し、被告人質問での再現を取りやめ、調書朗読の形式を取った。
 1月20日の公判で遺族は死刑を求めた。
 1月26日の論告求刑で検察側は、星島被告が自分の言うことを何でも聞く「性奴隷」にしようと被害者を襲ったことについて、「被告に不都合なことを考えない人間に作り替えようとした。身勝手極まりない動機だ」と指摘。さらに、星島被告が遺体を切断してトイレに流すなどした点について、「被害者の存在を消すことで完全犯罪を計画した。鬼畜の所業だ」と非難。事件の発覚により自己の生活や体面を失うことを恐れて完全犯罪をもくろみ、徹底的な隠滅工作を行ったと非難した。また、「遺体と対面できず、現実として受け止められていない。今も帰りを待ちわびている」と遺族の強い処罰感情にも触れた。そして「未来のある若い女性の存在を消し去った過去に類を見ない悪質極まりない犯罪。被害者の人格、尊厳、生命を一顧だにしない犯行で、矯正の余地はない。最も安全で安心なはずの自室で女性が襲われ、姿を消したこの事件が社会や1人暮らしの女性に与えた衝撃は軽視できない。被害者が1人で殺害に計画性がない事件でも、判例は死刑を選択してきた。死刑を回避すべき事情はない」と死刑を求めた。
 同日の最終弁論で弁護側は、「遺体を切断する行為がなければ、死刑求刑はなかったはず。死体損壊の法定刑は3年以下の懲役に過ぎず、被害者も1人にとどまる」と、死刑には当たらないと主張。「検察官の視覚に訴える立証活動が成功しているように思えるが、冷静に判断してほしい」と述べ、「事件に計画性はなく、殺害は想定すらしていなかった。被告の反省も顕著。無期懲役が相当だ」と反論した。最終意見陳述の後、星島被告は、傍聴席の遺族を振り返り、「死刑になっておわびさせていただくしかないと思っています。本当にすみません」と一礼した。
 判決は当初2月10日に予定されていたが、平出喜一裁判長が「判断に慎重を期したい」として2月18日に延期した。
 判決で平出裁判長は星島被告の動機について「女性を思い通りの人格に作り上げ、ゆがんだ性的欲望のため『性奴隷』にしようとして被害者を拉致した」と認定。「事件の発覚を防ぐには被害者の存在自体を消してしまうしかないと考えての犯行。極めて自己中心的で卑劣、酌量の余地はない」と非難した。
 平出裁判長は、その上で、死刑を言い渡すには「相当強い悪質性が認められることが必要となる」と指摘。星島被告の犯行について「抵抗できない状態の被害者に包丁を1回突き刺した犯行は冷酷だが、執拗な攻撃を加えたものではなく残虐極まりないとまではいえない」と述べた。死体損壊・遺棄については、「量刑に十分考慮するべきだが、被告が死刑を求刑されているのは殺人罪に問われたからだ。死体損壊などの行為を、殺害行為に比べて過大に評価することはできない」とした。
 また、(1)事前に殺害のための凶器を用意していたわけではなく計画された犯行とはいえない(2)拉致した後に当初の目的だったわいせつ行為はしていない(3)一貫して事実を認め、謝罪の態度を見せている-などの事情もあげて、無期懲役を選択した。
備 考
 東京地検は2009年1月14日の第2回公判後、この公判を裁判員裁判の「モデル」と位置づけ、「裁判員裁判を想定して、目で見て分かる立証を心掛けた」と説明。「遺族の了解は得ていたが、精神的ショックへの対応は今後の検討課題だ」と話した。しかし19日には「裁判員制度は関係なく、立証上必要があった」と修正している。
 検察側は控訴した。2009年9月10日、東京高裁で検察側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
鄭永善(37)
逮 捕
 2006年2月17日
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、銃刀法違反、傷害、公務執行妨害
事件概要
 滋賀県長浜市の主婦鄭永善(ていえいぜん 中国籍)<当時の日本名・谷口充恵(みえ)>被告は、長女(当時5)と近所の園児らを送迎する「グループ送迎」当番だった2006年2月17日午前9時頃、同市の農道に軽乗用車を止め、後部座席に乗っていた女の子(当時5)と男の子(当時5)を刺し身包丁(刃渡り約21センチ)でそれぞれ約20ヶ所刺し、出血性ショックにより殺害した。長女も同じ車の中にいた。
 鄭永善被告は事件から2時間後、現場から南西約50キロの大津市の湖西道路真野インター入り口で、長女を連れて軽乗用車を運転しているところを緊急配備中の警官に見つかった。停止命令に素直に応じ、「子どもを刺して殺したことは間違いありません」と認めた。事件後、日本人の夫とは4月に協議離婚している。
 鄭被告は事件翌日の2月18日午後0時10分ごろ、拘置先の大津署で留置場に向かう際に、付き添った女性警官2人の肩や腕にかみつきけがをさせたとして、傷害と公務執行妨害の罪でも起訴されている。
裁判所
 大阪高裁 森岡安広裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年2月20日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2008年6月25日の控訴審初公判で、検察側は「犯行前後の行動には計画性がある。誤った精神鑑定結果に基づく一審判決は破棄すべきだ」と指摘。再鑑定を請求したが、高裁は採否を保留した。弁護側は「統合失調症がかなり悪化した状態での犯行。責任能力はなかった」と主張し、「仮に心神耗弱状態でも、無期懲役は重すぎる」と述べた。
 9月19日の公判で、森岡安広裁判長は留保していた再鑑定を却下した。鄭被告を事件前から診察していた精神科医の証人尋問もあった。精神科医は検察側の質問に「事件翌日の診察からすると、完全責任能力があった可能性がある」と指摘。犯行は「基本的には子どもがいじめられていると逆恨みしたことが要因ではないか」と述べた。一方、弁護側の質問には、事件翌日の診察が責任能力を判断するためではなかったことや、裁判で正式な鑑定をした経験がないことを明かした。
 12月19日の最終弁論で、検察側は「被告人の攻撃的性格による暴力的犯行で、計画的で動機も了解可能。限定責任能力しか認めなかった一審判決は誤り」と述べ、死刑を求刑した。弁護側は「被告が心神喪失状態だったことが一層明らかになった。心神耗弱とした一審判決は事実誤認」として、無罪を主張した。
 判決で森岡裁判長は「犯行時、統合失調症の影響で心神耗弱状態だったとした一審判決に誤りはない」と指摘。量刑についても「精神症状に影響されていたから、直ちに被告を責められない面もあるが、被害者からすれば理不尽極まりない」とした上で、「犯行は計画的で著しく残虐。刑事責任は重大だ。重過ぎるとは言えない」と一審を追認し、検察、弁護側双方の控訴を退けた。
備 考
 2007年10月16日、大津地裁で一審無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
少年(20)
逮 捕
 2006年11月2日(出頭)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、詐欺、業務上過失傷害他
事件概要
 香川県坂出市の元飲食店従業員の少年(事件当時18)は2006年11月1日午前5時15分ごろ、丸亀市の雑居ビル3階の外階段で、新聞配達中の男性(当時64)の顔を踏みつけるなどして殺害。男性が配達前に受け取っていた10月分の給料など、42,000円などを奪った。他に男性の腕時計と眼鏡も奪い、坂出市内の下水道に捨てた。
 少年は無免許での当て逃げや詐欺事件で、業務上過失傷害や詐欺などの罪にも問われている。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月23日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 元少年側は「酒に酔って判断能力が低下していた。殺すつもりはなく、傷害致死と窃盗罪に当たる」とし、無期懲役は重すぎると主張していた。
備 考
 少年が盗んだ現金のうち3万円を受け取った友人の無職男性は、盗品等無償譲り受けの罪に問われ、2006年12月26日、高松地裁丸亀支部で懲役1年執行猶予3年(求刑懲役1年)の判決を受けている。
 2008年3月11日、高松地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2008年8月11日、高松高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
金城勉(54)
逮 捕
 2005年11月
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗殺人未遂、強盗傷害、窃盗他
事件概要
 横浜市の無職金城勉被告は、2004年1月~2005年10月までに計6か所の郵便局を襲い、計約2636万円を奪うなどした。
 判明分は以下。
  • 2004年1月19日午後4時半ごろ、横浜市港北区の郵便局に押し入り、局員2人をバールでたたくなどして、現金約108万円を奪った。
  • 2004年2月23日午後0時40分ごろ、横浜市鶴見区の郵便局に押し入り、現金27万円を奪った。
  • 2004年3月16日昼ごろ、横浜市都筑区の郵便局に押し入り、バールで窓口のアクリル製のパネルをたたき割り「強盗だ。金を出せ」と脅し、現金71万円を奪った。
  • 2004年6月17日夕、横浜市緑区の郵便局でバールで窓口の貯金箱を割り「お前の目を刺すぞ。1000万円出せ」と局員を脅し、1360万円を奪った。
  • 2005年6月17日午前9時10分ごろ、横浜市神奈川区の郵便局に押し入り、バールでカウンターをたたき割って「金を出せ」と脅し、現金約700万円を奪った。さらにワゴン車で逃走しようとした金城被告の行く手を乗用車で遮った横浜市緑区の男性会社員(当時23)の乗用車に繰り返し車をぶつけ、会社員の首に4ヶ月のけがを負わせた。
  • 2005年10月14日夕、横浜市戸塚区の郵便局に押し入り、現金約377万円を奪って逃走する際に男性警備員(当時65)を刺殺しようとして重傷を負わせた。

 金城被告は2003年11月に都内の不動産会社を自ら退職したが、当時の妻には退職を知らせず、毎朝スーツ姿で外出。2005年11月に窃盗容疑で逮捕されるまでの約2年間、強盗で得た金から毎月20万円前後を給料として妻に渡していた。
裁判所
 横浜地裁 木口信之裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月24日 無期懲役
裁判焦点
 金城被告は逮捕当初から黙秘している。2006年1月から32回の公判が開かれたが、被告人質問も行われなかった。
 検察側は、現場に残された毛髪のDNAなどのほか、逃走車両内の動物の毛のDNAが被告の飼い猫と一致するとの鑑定結果も証拠として提出、同被告の犯行を立証しようとした。一方、弁護士は検察側の証拠について「採取方法に問題があり、信用性がない」などと主張したため、鑑識を行った警察官や目撃者などが証人として次々に出廷し、公判は3年近く続いた。
 2008年9月30日の論告求刑で検察側は「被告は見えを張ることに拘泥して強盗を繰り返した。職業的な凶悪犯罪で、被告の犯罪性向はもはや矯正不能」と述べた。
 11月11日の最終弁論で、弁護側は最終弁論で「被告を犯人とする根拠は薄弱だ」として無罪を主張した。最後に金城被告は裁判長に意見を求められると、「特にないです」と低い声でひと言だけ答えた。
 判決で木口裁判長は6件の強盗について「住宅地の小規模郵便局を狙うなど、犯人の人着や犯行態様が類似している。各現場の遺留品のDNA鑑定もほぼ同一の結果がでている」と述べ、同一犯の犯行と指摘。
 その上で、「犯行に使われた車内から見付かった毛髪と被告のDNAが一致した。無職のはずの被告が妻に毎月18万円を渡しており、不可解。事件に関係する場所も、被告に土地勘がある場所に集中している」などとして、被告を犯人と認定。「被告の反社会的傾向の根深さには著しいものがある」と述べた。
備 考
 被告側は控訴した。
 2009年9月1日、東京拘置所で死亡。9月17日付で東京高裁は公訴を棄却した。

氏 名
吉井誠(52)
逮 捕
 2006年10月30日(2月14日、別件の詐欺罪で逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、詐欺未遂、詐欺、有印私文書偽造・同行使
事件概要
 東京都の不動産会社社長吉井誠被告は、社員のMY被告、YT被告、元暴力団員IK被告、会社関係者の男性と共謀。2005年7月29日未明(現地時間28日午後11時45分頃)、フィリピン北部バタンガス州の路上で関係者の男性が社員の男性(当時41)を拳銃で撃ち殺害した。男性には会社を受取人とする7500万円(殺害時は1億円)の海外旅行保険がかけられていた。男性は4日前から、社員旅行としてMY被告、YT被告、IK被告、関係者の男とともにマニラを訪れていた。
 殺害から約半年後の2006年1月23日、保険会社に1億円の支払いを請求したが不審な点があるとして拒否された。
 吉井被告には暴力団などに約1千数百万円の借金が、他の3被告にも多額の借金が確認されている。
 また吉井被告らは、2005年2月23日午後6時ごろ、東京都千代田区の路上で交通事故を起こしたよう装い、うち6人が首や腰を負傷したとして、保険会社2社に「休業せざるを得なくなった」と虚偽の申告をして、休業補償金約1550万円をだまし取った。
 2006年2月14日、交通事故の詐欺容疑で吉井被告、MY被告ら7人が逮捕。2月17日、新たに1名が逮捕された。3月6日、詐欺罪で起訴された。また殺害された男性も事件に関与していたが、死亡を理由に不起訴処分となった。
 5月29日、吉井被告は拘置先の警視庁万世橋署の留置場でつめ切りで首を切って自殺未遂を図り、1週間の怪我を負った。つめ切りは留置場への持ち込みが禁止されていたが、社長は直前の体操の時間に運動場から持ち出し、署員が入室検査で見落としていた。
 7月13日午後7時35分頃、一緒にフィリピンに渡航した会社関係者の男が、拘置先の警視庁品川分室のトイレでハンカチをつないで首をつっているのを同房者が発見。病院に運ばれたが14日午後2時40分頃、死亡した。男は当初「自分が撃った」と男性殺害を認めたが、その後は供述を拒んでいた。
 10月30日、吉井被告ら4人が殺人容疑で再逮捕された。
 11月23日、吉井被告ら4人が保険金の詐欺未遂容疑で再逮捕された。
裁判所
 東京高裁 中川武隆裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月25日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 弁護側は、吉井被告との共謀を認めた共犯者の捜査段階での供述を「信用できない」として、一審に続いて無罪を主張した。中川裁判長は「共犯者は真摯な反省の情に基づいて自分から供述している」として、弁護側の主張を退けた。
備 考
 吉井被告は旧さくら銀行の元副支店長らと共謀し、1996年4~7月、東京都内の化粧品会社や道路サービス会社の担当者に架空の高利運用話を持ちかけて約18億5000万円をだまし取った詐欺の罪で1997年12月11日、東京地裁から懲役5年6月(求刑懲役8年)の実刑判決を受けて服役した。MY被告やYT被告は東京拘置所に拘留中や服役中で知り合い、出所後、自らが経営する不動産会社にMY被告らを社員に迎え入れていた。
 2007年5月10日、東京地裁(高木順子裁判長)はMY被告に懲役23年(求刑懲役25年)、IK被告に懲役22年(求刑懲役25年)を言い渡した。そのまま確定。
 2007年10月10日、東京地裁(高木順子裁判長)はYT被告に懲役25年(求刑懲役30年)を言い渡した。被告側は控訴した。2008年6月27日、東京高裁(中川武隆裁判長)はYT被告の控訴を棄却した。中川裁判長は、検察側が調書の任意性を補強する証拠として提出していたDVDについて、「否認から自白に転じた理由などを、誘導されることなく自らの言葉で供述している」と指摘。限定的なものとした一審判決に比べて、証拠価値を高く評価した。2010年4月7日、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)はYT被告の上告を棄却した。

 2008年3月18日、東京地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2010年7月7日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
少年(20)
逮 捕
 2007年10月6日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反
事件概要
 大阪府寝屋川市に住む工員の少年(当時19)は同じ中学の後輩である内装工アルバイトの少年(事件当時15)に「ビールが飲みたいからやろう」と万引を持ちかけた。
 2007年10月6日午前0時50分ごろ、寝屋川市のコンビニ店で、缶ビール12本セットやアイスクリーム、菓子などの商品(計6400円相当)を万引きし、そのまま店を出た。レジカウンターにいたアルバイト店員の男性(当時27)(寝屋川市東神田町)が発見し、2人を店の外まで追いかけた。同店から南約160メートルの歩道上で、19歳の少年が男性ともみ合いになった。少年は持っていた刃物で左胸を一突きに刺した。少年は犯行後、通行人の男性に一旦取り押さえられたが、抵抗後再び逃走した。少年は普段からナイフを持ち歩いていた。
 店からの110番通報で府警寝屋川署員が駆け付けたが男性はうつぶせに倒れており、まもなく死亡した。
 15歳の少年は店から約130メートル南の路上で止まっていたワンボックス車に乗り込んで逃走。車の前のナンバープレートは外されており、車中には仲間の別の少年が乗っていた。
裁判所
 大阪高裁 小倉正三裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月26日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年1月29日の控訴審初公判で、弁護側は「パニック状態で刺した場所を覚えていない。殺意はなく、刑が重すぎる」と主張。検察側が控訴棄却を求め、即日結審した。元少年は被告人質問で「殺意はなかった」「自分勝手な行動で人の命を終わらせてしまい、申し訳ない」などと述べた。被害者の父は「息子はもう戻ってこない。私たちの人生を狂わせた犯人は一生刑務所から出ないでほしい」とする陳述書を涙ながらに読み上げた。
 判決で小倉正三裁判長は「腹部付近と分かりながら、至近距離から強い力でナイフを突き出した」と殺意を認定。「ビールを十分に飲みたいと考えた動機は身勝手で、犯行態様は大胆不敵で凶悪。正義感、義務感から追跡した被害者の無念さは察して余りある、遺族の精神的苦痛も大きく、刑事責任は重大で、刑が重過ぎるとはいえない」と述べた。
備 考
 2人はこれまでも万引き等の窃盗事件を起こしていた。
 15歳の少年は2007年12月6日、大阪家裁で中等少年院送致とする保護処分が決定した。大西良孝裁判長は「刺殺は(主犯の少年が)とっさに実行した行為で、直接的に関与していない少年と責任の差は大きい」とした。
 15歳の少年の逃走を手助けしたワンボックス車の運転手は、事件に関与がないとされた。
 2008年3月18日、大阪地裁で無期懲役判決。被告側は上告した。2009年11月11日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
三上静男(59)
逮 捕
 2007年1月26日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、詐欺他
事件概要
 茨城県阿見町の男性は1983年に室内装飾会社を設立したが、バブル崩壊後に経営が悪化し、金融機関などからの借金が6000万円を超えた。男性社長は2000年4月頃、長年の飲酒で患った肝硬変や糖尿病が悪化して入院。社長の妻であるKS受刑者、社長の娘であるKK受刑者、娘の夫であるKM受刑者はこのまま社長が死んで死亡保険金を受け取ることができれば借金が返済できると期待したが、社長は6月中旬に退院し、再び酒を飲み始めた。弁護士からは社長の自己破産を勧められたが、金融機関からの借金はKS受刑者、KM受刑者が連帯保証人になっており、家の土地や建物は抵当に入っていたため、できなかった。
 KM受刑者と共同で工務店を経営しているKS容疑者は、社長に約4000万円を貸していたことから保険金殺人計画を持ちかけ、KS受刑者らは了承した。
 KM受刑者らはKS容疑者に紹介された不動産ブローカー三上静男被告に殺害を依頼。2000年7月中旬頃から三上被告は水戸市にある自らの会社事務所に社長を住み込ませ、配下である暴力団組長後藤良次被告や、後藤被告の配下である組員O受刑者、無職U受刑者、土木作業員S受刑者、SH容疑者らを使って、連日、日本酒や焼酎を無理やり飲ませた。糖尿病の持病があった社長は次第に衰弱。8月12日、三上被告、後藤被告、O受刑者、U受刑者は社長(当時67)を会社事務所から日立市にある三上被告の自宅に連れ込み、「家に借りたい」と話す社長を怒鳴りつけ、スタンガンを当てるなどして強制的に飲ませ、さらにウオッカの瓶を口に押し込んで無理矢理飲ませて意識を失わせた。その後、後藤被告や社長の車などに分乗し、会社事務所に戻る途中の13日、男性は呼吸不全で死亡した。男性の遺体は、茨城県七会村(現城里町)の山林に車とともに遺棄された。
 男性は2000年8月15日朝に発見された。いくつかの不審な点はあったものの、県警は病死として処理し、KS受刑者らは生命保険会社から約9800万円の保険金を受け取った。うち6600万円はKS容疑者を通して三上被告が報酬として受け取り、残りを借金の返済に充てたが、返しきれなかった。
KS受刑者らの自宅と土地は2002年3月に差し押さえられた後競売にかけられ、9月にKS容疑者が落札し、その後はKS受刑者らを住まわせていた。
 別の事件で一・二審死刑判決を受け上告中だった後藤良次被告は2005年10月17日、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を茨城県警に提出した。そのうちの1件が本件である。
 2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、KS受刑者(当時74)、KK受刑者(当時49)、KM受刑者(当時51)、KM受刑者の兄夫婦を逮捕した。5人は2000年10月19日、県内の金融機関で、名義を偽って普通預金口座を開設し、通帳2通、キャッシュカード2枚をだまし取った。この口座は社長の死亡によって受け取った生命保険金の一部を隠すために使われた。
 2006年12月9日、茨城県警は日立市内の飲食店で店員にいいがかりをつけ謝らせたとして三上静男被告(当時57)を強要容疑で逮捕した。三上被告は2005年9月23日午前1時20分ごろ、同市内の飲食店でアルバイト店員(当時21)に「(出されたものが)注文したものと違う」といいがかりをつけ、胸ぐらをつかむなどして謝罪させたとされる。
 2007年1月26日、殺人容疑で後藤被告、三上被告、KS受刑者、KK受刑者、KM受刑者、ON受刑者、UM受刑者、SK受刑者が逮捕された。
裁判所
 水戸地裁 鈴嶋晋一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月26日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きを採用。三上被告が起訴事実を全面否認したため、保険金殺人の依頼の有無や、殺害行為とされたウオッカを飲ませた事実があったかなど事件の構図を、共犯とされた証人の証言を中心に立証した。
 2008年7月31日の初公判で三上被告は「男性は酒を自分で好んで飲んでいた。保険に入っていたことは後から知った」と罪状を否認し、無罪を主張した。
 弁護人も冒頭陳述で「後藤被告は死刑判決を先延ばししようと、無関係の三上被告を引き込んだ。事件当時は覚せい剤の影響で正気ではなかった」と上申書の内容を真っ向から否定。「親切心から男性を事務所で預かっただけで、軟禁状態ではなかった。後藤被告が飲ませた覚せい剤入りの飲み物などが原因で死亡したのではないか」と反論した。
 さらに、殺人容疑で逮捕された後藤被告配下の暴力団関係者らが起訴猶予になったことについて「司法取引があった。3人は起訴されたくないので、上申書に沿った供述を捜査機関にした」と主張した。
 2009年1月29日の論告求刑で検察側は後藤被告ら7人の証言について「三上被告の関与を明確かつ詳細に証言しており、本件を否定しているのは三上被告しかいない」と指摘。証言の信用性を強調したうえで、「男性に連日飲酒させ、酒を飲まないとスタンガンを押し当てるなど残酷な犯行」と指摘。「三上被告が事件の首謀者。金銭を得るために人命を奪う、人倫にもとる卑劣な犯行」と非難した。
 同日の最終弁論で弁護側は鑑定人の証言などを基に「周囲から『先生』と呼ばれる三上被告が、被害者に、他殺が疑われるような外傷を残したり、犯行が発覚しやすい自宅を殺害場所に選ぶわけがない」と反論。「後藤被告の上申書や証言は、死刑先延ばしのためのでっち上げ。後藤被告は捜査機関が動いてくれるように、たたけばほこりが出そうな三上被告を事件に引っ張り込んだ」と主張した。三上被告も最終陳述で「私が(保険金殺人の)相談を受けたなら、犯行が発覚しないよう、完全犯罪にする。私の城(自宅)を殺害場所に選ぶわけがない。検察官の話したストーリーは到底考えられない。私は無罪です」と主張した。
 鈴嶋裁判長は判決理由で「人の命を金に換えようとした卑劣な動機に酌量の余地はない」と指摘。後藤死刑囚の上申書については「具体的かつ詳細で、高度の信用性がある」と判断。「三上被告が殺害の実行、遺体の遺棄を含め中心的役割を果たした」とした検察側の主張を全面的に認めた。
備 考
 KS容疑者(当時52)は2006年12月31日に交通事故死している。SH容疑者は2004年10月に自殺している。茨城県警水戸署捜査本部は2人を殺人容疑で容疑者死亡として書類送検した。
 詐欺罪に問われたKM受刑者の兄夫婦は2007年3月14日、水戸地裁で懲役1年執行猶予3年(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡され、確定している。裁判官は「だまし取った保険金を隠すためとは知らなかったことなど、酌むべき事情がある」と指摘した。
 殺人容疑で逮捕されたON受刑者、UM受刑者、SK受刑者は2007年2月16日、「刑事責任は極めて軽微」などとして、起訴猶予処分となった。
 2007年7月26日、水戸地裁の河村潤治裁判長は、KS受刑者とKK受刑者に懲役13年(求刑懲役16年)、KM受刑者に懲役15年(求刑懲役18年)を言い渡した。3被告は控訴したが、KS受刑者は8月28日、KM受刑者が30日、KK受刑者が31日に控訴を取下げ、確定した。
 後藤良次被告の公判は分離されている。公判前整理手続きが1年5カ月、11回かかり、2009年4月13日に初公判が開かれる。

 被告側は即日控訴した。2009年8月24日、東京高裁で被告側控訴棄却。2010年3月3日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
細野保(37)
逮 捕
 2008年4月13日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 埼玉県八潮市の指定暴力団住吉会系幹部細野保被告は2008年3月31日未明、自宅前に乗用車を止めていた越谷市の男性(当時35)と口論になり、同日午前1時15分ごろ、同市内のファミリーレストランの駐車場で、男性の胸などを小刀で11回刺し、殺害した。男性は指定暴力団山口組に関係する政治結社のメンバーを名乗っていた。
裁判所
 東京高裁 裁判長不明
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年2月?日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 裁判長は「被害者の言動を被告のために考慮することは相当でない」と一審を破棄した。
備 考
 殺害に関与したとして逮捕・送検された暴力団幹部や右翼団体団長ら5人は、処分保留のまま釈放されている。
 2008年8月20日、さいたま地裁で求刑無期懲役に対し懲役30年判決。被告側は上告した。2009年7月6日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
森清文(32)
逮 捕
 2008年7月23日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 函館市の無職森清文被告は自営業本間正美被告、漁業N被告と共謀。同市の無職男性(当時46)が自宅のインターホンをむやみに鳴らしたなどと因縁をつけ、函館港や男性の自宅前などで顔や腹などを殴るなどの暴行を加えて現金を要求し、乗用車の鍵など3点(計2800円相当)を奪った上、函館港で男性を海に投げ込み、鉄製のいかり(重さ約13kg)を投げつけるなどして水死させた。
裁判所
 函館地裁 柴山智裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月3日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 柴山智裁判長は判決理由で「暴行は執拗かつ強度」と指摘。「被害者がぐったりし、発覚を恐れて殺害した犯行動機は利己的で身勝手極まりなく、酌量の余地は皆無」と述べた。
備 考
 共謀した本間正美被告は起訴済み。
 逃げ出そうとするのを妨ぎ、いかりを入手して森被告らに手渡すなどしたとしたN被告は強盗殺人ほう助罪で起訴され、2009年3月3日、函館地裁で懲役7年(求刑懲役8年)が言い渡された。控訴せず確定。
 被告側は控訴した。2009年7月28日、札幌高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
小川英司(46)
逮 捕
 2008年1月21日(死体遺棄容疑。別の詐欺容疑で逮捕済み。2月12日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、詐欺、窃盗
事件概要
 横浜市の暴力団組員で建設作業員の小川英司被告は、指定暴力団山口組系幹部の男性(当時41)の運転手を勤めていたが、暴力を振るわれたり、満足な給料をもらえなかったことからうっぷんがたまっていた。事件直前、男性がさいたま市内のバカラ賭博店に言いがかりをつけ、三百数十万円を脅し取っていたことを知り、知人で東京都中央区に住む元暴力団組員井上武蔵被告に報酬1000万円で殺人を依頼。井上被告は住所不定の暴力団組員鈴木一弘被告、足立区の元暴力団組員・吉田たけし被告と共謀。4人は2005年10月20日午前1時頃、草加市の国道側道で男性を乗用車に押し込んでバタフライナイフで左胸を刺して殺害した上、現金約350万円を強奪した。さらに千葉県船橋市に住む建設作業員の男性、中央区に住む暴力団幹部と一緒に、遺体を千葉県いすみ市の空き家の庭に埋めた。
 行方が分からなくなったことから男性の妻が県警に相談、2006年5月に正式に失跡を大宮署に届けた。
 県警の内偵捜査で、男性と小川被告らとの間のトラブルが浮上。小川被告の供述に基づいて別荘の庭を捜索したところ、土中から白骨化した遺体が見つかった。遺体を運んだ車にあった血痕のDNA型も男性と一致したことから、死体遺棄容疑で5人の逮捕状を取っていた。
 小川被告には他に詐欺の余罪がある。
裁判所
 さいたま地裁 大谷吉史裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月3日 無期懲役
裁判焦点
 2009年2月10日の論告求刑で検察側は「組織的犯行で、残酷」と述べた。同日の最終弁論で、弁護側は死体遺棄罪について無罪を主張し「被告は男性から暴力を受けていた」と述べ、情状酌量を求めた。
 判決理由で大谷裁判長は「被害者の支配下に置かれていた事態を打開しようと、以前から面識のあった元暴力団組員に殺害を依頼するなど、身勝手で動機、経緯に酌量の余地はない」と指摘。弁護側の「死体遺棄については無罪」とする主張には「共犯者らと共謀した事実が認められる」と退けた。
備 考
 死体遺棄を手伝った中央区の男性は2008年6月10日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)が言い渡され、確定している。船橋市の男性は2008年7月8日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)が言い渡され、確定している。
 井上武蔵被告と鈴木一弘被告は2008年9月16日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で求刑通り無期懲役判決が言い渡された。井上武蔵被告は控訴せず確定。鈴木一弘被告は2009年2月19日に東京高裁で控訴審判決が言い渡された。被告側控訴が棄却されたものと思われる。
 吉田たけし被告は2009年2月6日、さいたま地裁(大谷吉史裁判長)で求刑通り無期懲役判決が言い渡されている。

氏 名
中井嘉代子(68)
逮 捕
 2006年2月9日
殺害人数
 4名
罪 状
 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反
事件概要
 神戸市のテレホンクラブ「コールズ」を経営していた中井嘉代子被告は1999年12月ごろ、神戸市内で経営するテレホンクラブの営業をめぐり、ライバル関係にあったテレホンクラブ「リンリンハウス」の営業を妨害しようと、広島市の覚せい剤密売グループ会長坂本明浩被告に1,000万円で犯行を依頼した。
 坂本被告は、依頼を承諾し、重機オペレータ佐野和幸受刑者と無職亀野晋也受刑者、暴力団員H被告に犯行を指示。3人は2000年3月2日午前5時5分頃、盗んだナンバープレートを付けた乗用車で神戸駅前店に乗りつけ、一升瓶で作った火炎瓶1本を店内に投げ込んで同店の一部を焼き、店員1人に軽傷を負わせた。10分後には東約1キロの元町店に2本を投げ込んでビル2、3階部分計約100平方メートルの同店を全焼させ、男性客4人を一酸化炭素中毒で殺し、店員ら3人に重軽傷を負わせた。
 中井被告は坂本明浩被告の求めに応じ、犯行後、報酬や逃走資金などとして計約1億100万円を渡した。
裁判所
 大阪高裁 的場純男裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年3月3日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2008年6月12日の控訴審初公判で、弁護側は「被告は犯行の謀議に参加していない。犯行を裏付ける仲介役の供述は信用性が疑わしい。事件は実行グループが報酬を目当てに独断で起こした」としてあらためて無罪を主張、検察側は死刑判決を求めた。
 判決で的場裁判長は「『中井被告と指揮役が事前に犯行を謀議した』とする連絡役の男の供述には信用性がある」と供述の信用性を認め、「共犯者らの会合で、犯行の共謀が成立した」と被告側の無罪主張を退けた。そして判決は、中井被告がライバル関係にあったリンリンハウスについて、実行グループの指揮役に報酬を約束して営業妨害を依頼したと指摘。指揮役から火炎瓶を使った放火を提案され、了承したと認定した。
 一方、「被告は火災が発生して客らが死傷する危険性を認識しており、未必の殺意があったことは否定できないが、その程度は高くない」と判断。検察側の「確定的殺意に近い未必の殺意があった」とする主張を退け、死刑を回避した一審の判断に誤りはないとした。
備 考
 佐野和幸受刑者(求刑死刑)と亀野晋也受刑者(求刑無期懲役)は2003年11月27日、神戸地裁で一審無期懲役判決。2005年7月4日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却(検察控訴は佐野受刑囚に対して)。2006年11月14日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 運転役だったH被告は逃亡し、現住建造物等放火容疑で指名手配されていたが、2008年7月28日、愛媛県新居浜市内で逮捕された。
 坂本明浩被告は2008年12月8日、神戸地裁で一審無期懲役判決(求刑死刑)。検察・被告側控訴中。
 手引き等をした神戸市の元土木資材販売業N被告は、殺人容疑で起訴された。2006年11月30日、神戸地裁にて傷害致死ほう助などの罪で、懲役9年(求刑懲役15年)を言い渡された。2007年10月18日、大阪高裁は一審判決を破棄、殺人のほう助罪などを適用したものの「重要な役割を果たしたとは言えない」と懲役6年に減軽した。被告側上告が棄却され、確定。
 坂本被告、N被告と一緒に殺人容疑で逮捕された無職男性は、関与の度合いが低かったとされ、起訴猶予となっている。
 2007年11月28日、神戸地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2010年8月25日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
岡久伸(39)
逮 捕
 2006年9月26日(摂津市内の強盗致傷容疑。11月1日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 指定暴力団九州誠道会(同・福岡県大牟田市)系組幹部岡久伸被告は、九州誠道会系組幹部M被告らと共謀し、2007年8月18日午後6時25分ごろ、福岡市中央区黒門の路上で、指定暴力団道仁会(本部・福岡県久留米市)の松尾義久会長が知人女性の運転する車から降りたところに拳銃を数発射し、頭や腰などに命中させて殺害した。
 岡被告はその後逃走。10月3日午後、大牟田署に出頭し、逮捕された。

 九州最大規模の指定暴力団である道仁会(福岡県久留米市 構成員・準構成員約950人)は、2006年5月に松尾義久会長が新たな会長に就任。これに反発した傘下の村上一家などが離脱し、九州誠道会(同県大牟田市、構成員・準構成員約440人)を結成した。
 松尾会長は九州誠道会の結成に激怒、関係者を絶縁処分にしたとされる。その直後から2006年7月にかけ、道仁会を狙った発砲事件が福岡、佐賀、長崎各県で続発した。
 その後、抗争はいったん沈静化したかに見えたが、2007年6月に佐賀県で九州誠道会系組長が刺殺された。8月には松尾会長が福岡市の路上で射殺され、その翌日には熊本市で報復とみられる九州誠道会系組会長を狙った銃撃事件が発生。11月8日には、道仁会系組員今田文雄被告(殺人他で起訴済)が病院に侵入し、対立する暴力団関係者と誤認した一般男性に向けて拳銃4発を発射し、殺害した事件が起きている。さらに11月24日には福岡県大牟田市で、九州誠道会系組幹部が病院前で射殺された。
裁判所
 福岡高裁 松下潔裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月4日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 2008年11月21日の控訴審初公判で、検察側は「この事件が引き金で抗争が激化するなど責任は重い。暴力団特有の反社会的論理に基づく悪質極まりない犯行で許されない」と主張。「被告に有利な事情を過大評価した一審判決は不当で、無期懲役が相当」とした。一方、弁護側も岡被告が暴力団を脱退したことなどを挙げ、量刑不当などを訴えた。
 判決で松尾裁判長は「極めて反社会的な犯行で、無関係の市民の命も危険にさらした。暴力団特有の論理に基づく言語道断の犯行で、動機や経緯に酌量の余地は全くなく、一審の量刑は軽すぎる」と述べた。  一審で量刑のポイントになった警察の出頭について松尾裁判長は「犯行は認めても共犯者について供述しておらず、真剣に反省しているとは言えない」と指摘。岡被告の親族らが遺族に受け取りを拒否されて社会福祉団体に寄付した1000万円についても「被告自身が用立てておらず、過大に評価できない」とした。暴力団関係者による銃犯罪が社会問題化していることにも言及し、「厳しい処罰が求められる」とした。
備 考
 事件時岡被告を乗せた車を運転し、犯行後に一緒に逃走したとして1月12日に逮捕されたM被告は、殺人、銃刀法違反容疑で起訴され、2009年2月5日、福岡地裁で懲役17年(求刑懲役20年)が言い渡された。7月17日、福岡高裁で被告側控訴が棄却された。
 同じく共謀したとして1月15日に逮捕された組幹部について、福岡地検は2月6日、殺人容疑などについて処分保留とした。しかし同日、銃刀法違反(実弾所持)容疑などで再逮捕された。
 2008年3月27日、福岡地裁で一審懲役30年判決。被告側は上告した。2009年10月20日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
末吉哲弘(36)
逮 捕
 2007年4月30日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、住居侵入、窃盗他
事件概要
 名古屋市の無職末吉哲弘被告は2003年2月から2007年4月にかけて、名古屋市や尾張旭市、長久手町に住む当時18~35歳の女性9人の自宅玄関の鍵をピッキングなどの方法で開けて侵入、帰宅した女性にナイフを突きつけるなどして脅して暴行。さらに現金約22万円を奪った。他に3人から現金約19万円を奪い、そのうち1人に頭の骨を折るなどの重傷を負わせた。
裁判所
 名古屋地裁 近藤宏子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月5日 無期懲役
裁判焦点
 判決理由で、近藤宏子裁判長は「当初は住居侵入し女性の下着などを物色する目的だったのが、女性を襲うまでに悪質化した」と指摘。鍵業者が開いている講習で得た知識を基にピッキングの技術を悪用したことから「犯行経緯に酌量の余地はなく、被害者の選定など周到な準備をしている。ゆがんだ願望に基づく極めて悪質な犯行で、被害弁償などの事情を考慮しても結果はあまりにも重大刑事責任は重大」と述べた。
 被害者の行動を抑圧するために、顔面を殴打したり、犯行をビデオで撮影して脅していたりしたことも挙げ「卑劣であり、常習的な犯行だ」と断罪した。
備 考
 末吉哲弘被告は定職に就かず、逮捕されるまでの10年間に、強盗や窃盗で手に入れた金で株式や投資信託などを運用し、計千数百万円相当の“資産”を蓄えていた。末吉被告は調べに対し、「1997年ごろから盗みを始め、仕事も辞めた。金は生活費以外、すべて預貯金や株などに回していた」などと供述。県警は、預貯金の入金履歴などから、犯行は盗みを中心に約1000件に上るとみている。しかし大半を占めるとみられる窃盗については公訴時効だったり、被害届が出ていなかったりして、立件はされていない。
 被告側は控訴した。2009年9月以降に、名古屋高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。

氏 名
今井健詞(44)
逮 捕
 2006年4月1日(自ら出頭、殺人未遂で逮捕。4月24日、殺人で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂、建造物侵入他
事件概要
 川崎市の無職今井健詞被告は2006年3月20日午後0時45分ごろ、川崎市多摩区のマンション十五階通路で、エレベーターから出てきた小学三年の男児(当時9)に声をかけ、体を持ち上げて手すり越しに約40m下の植え込みに投げ落とし殺害した。
 同月29日午前9時半頃、同じマンション15階から女性清掃員(当時68)を両手で突き飛ばして転倒させ、抱きかかえて投げ落とそうとした。女性が大声を上げ抵抗したため、そのまま逃走した。その前には別の女性にも声をかけていたが、無視されたため断念していた。
 さらに同日午前10時5分頃、同市麻生区のマンション12階で、友人宅に遊びに来た小学四年の男児の両脇に手を入れて体を持ち上げ、手すり越しに地上へ投げ落とそうとしたが、足が20~30cm浮いたところで男児が大声を出して抵抗したため、逃走した。
 今井被告は2005年9月に勤務先を退職。11月、自宅でコードを首に巻きつけるなど自殺のまねごとを繰り返したため、家族が同15日、被告人を川崎市内の病院に受診させ、うつ病と診断され入院した。被告人は2006年1月中旬には改善し、3月8日には退院していた。
 現場のマンションには、不動産会社勤務時に立ち入ったことがあり、事件前にも2,3回訪れていた。被害者とはいずれも面識がなかった。
 今井被告は4月1日、新聞朝刊に被告の画像が掲載されているのを見て観念し、午前6時5分ごろ、多摩警察署に出頭した。
裁判所
 横浜地裁 木口信之裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月5日 無期懲役
裁判焦点
 2006年7月21日の初公判で、今井被告は「間違いないです」と起訴事実を認めたが、弁護人は「被告は当時、統合失調症で妄想幻覚があり、自己の行為を制御できなかった。刑事責任を問うことはできない」と無罪を主張した。検察側は冒頭陳述で「幸せな暮らしをしている他人の家庭へのねたみを募らせ、誰でもいいから子供や女性を殺し家庭を崩壊させてやりたいとの思いに駆られ、マンションの高層階から落とせば自分の手を血で汚さずに殺せると考えた」と動機を明らかにした。
 2007年2月2日の公判では、今井被告が事件直前まで入院していた病院の精神科の医師が証人として出廷し、「退院時にはうつ病は軽快状態で、事件時に統合失調症だった可能性は低いとみられる」と証言した。
 7月9日の公判で、横浜地裁は弁護側が求めていた被告の精神鑑定を実施することを決めた。
 2008年8月7日、公判が1年ぶりに再開。検察、弁護側双方の求めによって今井被告の精神鑑定を担当した筑波大学大学院(司法精神医学)の中谷陽二教授は、「精神病の疾患なしに犯行は説明できない。ただし、犯行への影響は著しいものではない」などと述べた。鑑定を踏まえ、中谷教授は、「子供を投げ落とす行為は、被告の性格や普段の行動からは飛躍しており、疾患で衝動の抑制がきかなかったと考えられる。しかし、自分よりも弱者を狙うなど犯行には冷静、合理的な部分があり、疾患の影響は著しいものではない」と述べた。だが責任能力の有無については「裁判所が判断すること」と明言を避けた。
 10月14日の公判で、被害者男児の母親が今井被告へ対して「息子を返して下さい。罪の重さを自覚し、すべてを白状して下さい」と求め、木口裁判長にも「遺族が望む判決は死刑だけです」と声を震わせた。
 2008年11月25日の論告で検察側は被告の動機について、幸福な家庭がねたましく、自分の手で破壊させてうっ憤を晴らそうとしたと指摘。「無抵抗の子供を高層マンションから投げ落として殺害し、その後悦に入ったかのように、2人を立て続けに殺害しようとした前代未聞の凶行」と非難した。そして「計画的で無差別な通り魔殺人。峻厳な刑が科されなければならない」としつつ、検察側は犯行後や捜査の取り調べでは正確な記憶があったことなどを挙げながらも「完全責任能力はあり、死刑をも考慮すべきであるが、精神疾患の影響をある程度は考慮せざるを得ない」と述べた。争点の責任能力を巡り「軽度のうつ病だったが、精神鑑定でも完全責任能力があったことは明らか」と述べると、弁護側が「鑑定結果は完全責任能力があると言っていない」と異議申し立て。木口裁判長と検察官が協議し「鑑定結果を基に完全責任能力があると検察が解釈した」という意味だと確認された。
 12月25日の最終弁論で、弁護側は「うつ病の影響で心神喪失状態だった」と無罪を主張した。今井被告は最終陳述で「これほど大きな事件を起こして申し訳ありません」と述べた。また、拘置所内で今年10月、将来を悲観してシーツで首つり自殺を図ったことを明らかにした。
 判決で木口信之裁判長は動機について「経済的に追い詰められ、家庭がうまくいっていない自分の境遇に引き換え、幸せそうな家庭をねたみ、不幸な思いをさせようとした」と指摘。「男児殺害で達成感を味わい、さらに2件の投げ落とし未遂事件を起こした身勝手な犯行」と断じた。また責任能力については「人目に付きにくい場所を選び、入念に下見するなど計画的だった。善悪などに関する認識は損なわれていない」と述べ、心神喪失を理由に無罪を訴えていた弁護側の主張を全面的に退けた。
 そして、「理不尽な動機に基づく通り魔的犯行で、社会に大きな不安を与えた」とした。
備 考
 被害男児の両親は初公判を前に、報道陣の取材要請に文書でコメントを寄せた。「ここ数日間、一部の報道関係者の方より、自宅訪問などがあり、取材におびえ心痛めております」とし、「私ども遺族の心情をご理解して頂き、しばらくの間、静かに見守って頂きたく、お願い申し上げます」と結んでいる。
 弁護側は控訴した。しかし今井被告は4月17日に控訴取下げ書を提出し、同日中に再び控訴を申し立てた。これを受け、東京高裁の植村立郎裁判長は6月30日付で控訴申し立てを棄却する決定を出し「控訴は取下げにより終了した」と述べた。

氏 名
岩見昇(36)/島嵜哲也(46)/加藤健二(38)
逮 捕
 2006年6月2日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件概要
 岐阜市の元風俗店店長岩見昇被告、従業員の島嵜哲也被告、加藤健二被告、K被告、I被告、S被告は、経営者の男性(当時33)による待遇に不満を持ち、風俗店の経営などを乗っ取ろうと計画。2005年5月5日、同店事務所で男性の頭などを金属バットや手で何度も殴って殺害し、男性が身に着けていた現金約40万円や店の売上金約69万円を奪うなどした。その後、遺体をビニールシートに包み、岐阜県恵那市の山中に埋めた。
 主犯は島嵜、岩見両被告。島嵜、加藤健二両被告が殺害を実行し、他の4人は見張りなどをしていた。殺害後は岩見被告が店を実質経営していた。
 遺体は2006年4月23日に発見された。
裁判所
 名古屋高裁 田中亮一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月9日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 判決理由で田中裁判長は「犯行は強固な犯意に基づく計画的で大胆なもの」と指摘。「一審判決に明らかな事実誤認はなく、量刑が重すぎて不当とは認められない」と述べた。
備 考
 K被告は懲役26年(求刑懲役30年)、I被告は懲役26年(求刑懲役30年)、S被告は懲役25年(求刑懲役27年)が言い渡された。3被告とも控訴したが、2009年3月9日、名古屋高裁で棄却されている。
 2008年3月28日、岐阜地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。

氏 名
前田洋之(36)
逮 捕
 2008年1月23日(有印私文書偽造・同行使などの罪で起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗、有印私文書偽造・同行使他
事件概要
 住所不定、無職前田洋之被告は2007年4月15日午後11時45分頃、千葉県船橋市の県道の駐車場で、近くに住む会社員の男性が所有するスポーツカー(時価約216万円)を盗み出した。ところが、盗難警報装置が鳴り、駆け付けて車にしがみついた男性を振り落とそうとして蛇行運転して約100m引きずって転落させ、頭部打撲で死亡させた。
 車は約60m先でブロック塀に衝突し、前部が大破したため、アフガニスタン国籍の職業不詳モハッド・イサ容疑者の車に乗って逃走した。
 前田被告とイサ容疑者は1999年ごろ、関西地方で自動車盗を繰り返し、検挙されたグループの一員。前田被告は数人で2006年10月~2007年4月、兵庫、千葉の両県と大阪府で、高級スポーツカーなどを狙って約100件の犯行を重ねていたことを自供したが、起訴されたのは2007年3月~4月にかけ、8台の高級車を盗んだ窃盗容疑である。
 盗んだ車は、姫路市に住む自動車修理販売業の男性らによって製造番号を消した上で解体し、1台20~80万円でドバイに輸出されたという。
 捜査本部は、車に残された盗難防止装置の解除機器の特徴や、事故現場の路上に落ちていた帽子に付着していた毛髪などから前田被告らを割り出した。
 前田被告は事件後の2007年4月下旬に他人名義のパスポートを取得するため申請書類を偽造したとして、12月上旬、逮捕されていた。
裁判所
 東京高裁 若原正樹裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月11日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 控訴審で弁護側は、「被告に殺意はなかった」と主張したが、判決は「被告の首にしがみついた被害者の体が車外にある状態で、乗用車を蛇行させたり縁石に接触させたりしており、殺意があったと認めた一審の判断は正当だ」と述べ、「逮捕を免れるための身勝手な犯行だ」と断じた。
備 考
 モハッド・イサ容疑者は2007年4月16日夜、中部国際空港から偽造旅券で出国した。現在、国際指名手配されている。
 前田被告にパスポートを不正に取得させたとして、旅券法違反罪などに問われた大阪市に住むインターネット販売業の男性は、2008年2月1日、千葉地裁で懲役2年(求刑懲役2年6ヶ月)が言い渡された。
 盗難車と知りながら、前田被告らから盗難車3台を預かって、兵庫県加古川市の倉庫に保管したとして、盗品保管罪に問われた姫路市に住む自動車修理販売業の男性は2008年5月19日、千葉地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年(求刑懲役2年6ヶ月)が言い渡された。また社員である他の4被告には懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(求刑懲役1年6ヶ月)が言い渡された。なお自動車修理販売業の男性は、前田被告に車両盗難防止装置を解除するコンピュータを渡した窃盗ほう助でも逮捕されている。
 モハッド・イサ容疑者の国外逃亡を手助けしたとして、同国籍でイサ容疑者のおいの兵庫県姫路市、私立大学2年の男(当時19)が入管難民法違反(不法出国ほう助)の疑いで逮捕、送検されている。
 2008年10月20日、千葉地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年6月9日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
芝田義浩(30)
逮 捕
 2008年8月14日(別の窃盗事件で逮捕済み)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人他
事件概要
 長崎市の建設作業アルバイト芝田義浩被告は、同居中の女性に生活費などを渡す約束をしながら、仕事もせずに家族らに借金を重ねていてすでに金策の当てがなくなったことから、ホテル客室で金品を強奪する計画を決意。
 2006年11月27日午後11時過ぎ、柴田被告は長崎市にあるラブホテルの客室内で、風俗店から派遣されてきた女性(当時18)の顔面を複数回殴るなどの暴行を加えたが、女性が激しく抵抗したため首を絞めて殺害。現金約7,800円が入った財布や携帯電話などを奪った。奪った現金でホテル代を支払い、残りは同居女性にうそをついて渡していた。
 長崎県警は、ホテル近くに止まっていた車を芝田被告が使っていたことが分かったため、2006年末に任意で一度事情聴取したが、芝田被告は容疑を否認した。しかし県警は2008年7月21日、家屋解体現場から金属を盗み出し売りさばいた窃盗容疑で芝田被告を逮捕。強盗殺人容疑についても調べたところ自供したため逮捕した。
裁判所
 長崎地裁 松尾嘉倫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月17日 無期懲役
裁判焦点
 2009年3月3日の初公判で、芝田義浩被告は起訴事実を認めた。弁護側は事実関係は争わず、芝田被告が遺族あての謝罪文を書き、被告の父親が賠償金を準備している点などを主張した。
 2009年3月4日の論告求刑で検察側は動機について、同居していた女性に渡すための金銭を奪おうとしたと説明し、「極めて利己的、短絡的で酌量の余地はない」と指摘。証拠隠滅を謀った点を挙げ「計画的かつ周到に実行された犯行」とし、「被害者の苦痛は筆舌に尽くせず、遺族の精神的打撃は大きい。態様は執拗、残忍、卑劣で刑事責任は極めて重大」と述べた。事件後も金銭目的で窃盗を繰り返すなど「再犯の恐れは高い」とした。
 被害女性の母親は論告求刑前の意見陳述で「娘を返してください」と泣きながら繰り返し、「絶対にあなたを許さない。死刑以外は受け入れられない」と怒りをあらわにした。
 同日の最終弁論で弁護側は「当初から殺害を計画していたわけではない。被告は反省し、毎日被害者の冥福を祈り、経を読む生活をしている」と述べ有期刑を求めた。
 芝田被告は被告人質問で犯行当時について「お金が必要との思いでいっぱいだった。被害者が暴れてひじが当たり、逆上し殺意を持った」と陳述。逮捕までの心境については「逃げ切れるのではという気持ちと、罪を償いたいという気持ちが両方あった」と述べた。最終意見陳述で芝田被告は「自分が生きている限り被害者と遺族に償いがなされることはない。死刑を望みます」と述べた。
 松尾裁判長は判決理由で「自堕落な生活から金銭に窮して所持金強奪を計画し、翌日には実行した」と指摘。殴っても女性が抵抗したことから「短時間のうちに逡巡もなく殺害を決意した」とし、「わずかな金のため生命も奪おうとするなど人命軽視も甚だしい。動機はあまりにも短絡的で自己中心的かつ身勝手」と批判した。事件当時、被告が指紋を残さないよう軍手をはめ、顔を隠すため帽子をかぶり、証拠隠滅を謀った点を挙げ「周到に準備した計画的なものであり悪質」と述べた。そして「被害者は若い生命を奪われ、結果は非常に重大。殺害態様は非常に凶暴で執拗かつ残忍」と結論づけた。
備 考
 初公判で検察側は裁判員制度を念頭に、証拠調べで初めて簡略化した調書の読み上げを実施した。
 控訴せず確定。

氏 名
川岸健治(42)
逮 捕
 2007年8月26日(死体遺棄容疑。9月14日、強盗殺人他容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、営利略取、逮捕監禁、(川岸被告のみ)強盗強姦未遂
事件概要
 住所不定無職の川岸健治被告(当時40)と名古屋市東区泉の無職堀慶末(よしとも)被告(当時32)は2007年8月上旬に携帯電話の闇サイトで知り合った。
 2007年8月16日、携帯電話の闇サイト「闇の職業安定所」で犯罪仲間を募集。19日に住所不定無職H元被告(当時29)が、20日に愛知県豊明市の新聞セールススタッフ神田司被告(当時36)が返信し、連絡を取り合うようになった。このときはお互いに偽名を名乗り、以後もその偽名を使ったため、4人は逮捕されるまで本名を知らなかった。
 川岸被告、堀被告、H元被告が21日に名古屋市東区で顔を合わせ、堀被告の提案でパチンコ店の常連客を襲う計画を立てたが失敗した。
 堀被告、川岸被告は21日午後10時過ぎ、金山駅付近で神田被告と会った。神田被告は女性を拉致して覚醒剤中毒にして風俗店に売ればいいなどと提案。このとき堀被告は金槌を見せており、神田被告、川岸被告と互いに強盗殺人を行う意思があることを確認している。
22日午後6時頃、3被告はH元被告に参加の意思を確認したが、H元被告は殺人に反対し、事務所荒らしを提案した。
 H元被告と川岸被告は23日夜、愛知県瀬戸市の薬局に押し入ろうとしたが、客がいたため断念。続いて長久手町の水道工事関連会社の事務所に侵入したが、金が見つからずに逃走。このとき川岸被告が先に逃げたため、土地勘もなく腹を立てたH元被告は24日午前0時55分頃、自ら110番して愛知県警警名東署に出頭、緊急逮捕された。
 24日午後3時頃、神田被告、堀被告、川岸被告は名古屋市緑区のレンタルビデオ店駐車場に集まった。神田被告が若い女性を拉致する強盗殺人を提案し、2被告は賛同した。
 同日午後7時頃から3被告は車で市内を走り、5人の女性を追尾したが、機会が無く失敗。午後11時頃、帰宅途中だった名古屋市千種区に住む派遣社員の女性(当時31)を発見。千種区の路上で待ち伏せ、女性が車を通り過ぎた際に堀被告が車へ無理矢理連れ込み、安西市の屋外駐車場まで走った。
 25日午前0時頃、駐車場で堀被告が女性からバッグを奪い、財布から62000円とキャッシュカード2枚、クレジットカードを奪った。堀被告と神田被告は包丁で女性を脅し、暗証番号を聞き出した。
 川岸被告はその後車中で女性を暴行しようとしたが抵抗されたため、女性を平手打ちにした。車外にいた神田被告と堀被告は川岸被告を制止するとともに、逃げられることを恐れ殺害を決意。午前1時頃、3被告は哀願する女性の頭に粘着テープを二十数回巻き、レジ袋を頭にかぶせ、首をロープで絞め、頭を金槌で数十回殴った。女性は窒息死した。
 3被告は奪った金を均等に分けた後、午前4時40分頃、岐阜県瑞浪市の山林で遺体に土や草をかぶせて遺棄した。午前9時頃と10時35分頃に、名古屋市にある2箇所のATMで現金を引き出そうとしたが、聞き出した暗証番号は虚偽のものであったため失敗。そこで3被告は夜に再度集まって風俗嬢を襲う計画を立案して分かれた。しかし川岸被告は午後1時半頃に警察署へ電話し、犯行を打ち明けたため、身柄を確保された。「死刑になるのが怖かった」と供述している。午後7時10分頃、愛知県警は女性の遺体を発見。神田被告、堀被告を任意同行した。8月26日、県警は3被告を死体遺棄容疑で逮捕した。
 3被告は金持ちが多いからという理由で千種区を物色していた。また女性を狙った理由は、まじめそうで金を貯め込んでいそうだったからと供述している。3被告と女性とは面識がなかった。
 3被告は9月14日、強盗殺人と営利略取、逮捕監禁の容疑で再逮捕された。
裁判所
 名古屋地裁 近藤宏子裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年3月18日 無期懲役
裁判焦点
 2007年12月27日から8回に渡って行われた公判前整理手続きにより、争点は強盗殺人などの共謀の成立時期、3被告の犯行への関与程度、被告側の情状面があげられた。16回の集中審理で証人尋問や被告人質問が行われた。
 2008年9月25日の初公判で、3被告は起訴事実を大筋で認めたが、計画時期など一部について否定した。
 その後の公判では、計画性について検察側は、3被告が事前に包丁やロープなどの凶器を準備していたことを指摘。3被告側は直前まで殺害するつもりはなかったが、互いに虚勢を張るうちにエスカレートしたと反論した。
 共謀時期について、検察側は24日の午後3時頃に集まった時点で犯行を計画したと主張。神田被告側は同日夜に女性を物色するために3人が車に乗り込んだ時点と主張し、川岸被告と堀被告側は犯行直前と訴えた。
 女性の殺害提案や実行について、神田被告は堀被告が提案したと主張。堀被告は神田被告が提案したと主張。川岸被告は車外にいたら2被告が首を絞めていたのでやむを得ず加わったと主張したが2被告は車内にいたと反論した。
 誰が首謀者であるかという点について、川岸被告は、闇サイトで呼びかけた自分が首謀だが、殺人の主犯は神田被告であり、役割は3被告とも同格と主張。神田被告も同格と主張。堀被告は神田被告が話を進めるなど何事も立場が上だったと主張した。
 法廷では神田被告が川岸被告をにらみつけたり、川岸被告が他の2被告に「お前らのおかげで人殺しになった」と声を荒らげたりする場面もあった。
 情状面として、神田被告側は16歳の頃から激しい頭痛に悩まされ、高額な治療費のためまともな治療が受けられなかったと指摘した。川岸被告側は警察に自首したことを主張。堀被告側は犯行を深く反省していると主張した。
 1月20日の論告求刑で検察側は「被害者の命ごいを無視して殺害した方法は、生き埋めにしたのとほかならず、地獄の苦しみを味わわせた」と指摘。当初から強盗殺人の計画を練っており、「なんら躊躇もなく犯行に及んだ」として、酌量の余地は皆無とした。また、面識がない被告らがインターネットの闇サイトをきっかけに犯罪目的で集まったことについて「社会全体を震撼させた凶悪犯罪で、模倣性の強さも他の事件の比ではない」と述べ、一般予防の観点からも厳しい処罰をもって臨むしかないと主張した。また、死刑選択基準とされている「永山事件」最高裁判決にふれ、これまで被害者数が重大視されてきたが「殺害された被害者の数は考慮すべき要素の一つとして挙げたものにすぎない」と指摘。その上で「被害者より被告人の数が多い場合であっても、罪質や結果の重大性などに照らして刑事責任が重大な場合は、死刑を選択すべきだ」と述べた。そして「自己の利欲目的達成のために他人の生命を軽視する根深い犯罪性向と反社会性があり、今後改善更生の可能性は認められない」と死刑を求刑した。
 2月2日の最終弁論で、弁護側はいずれも「計画性のない場当たり的な犯行で、更生可能性はある」として死刑回避を求めた。神田被告の弁護人は「殺害方法は残虐だが、死に至らない被害者に恐怖感を覚えたためだった」と述べ、殺害は偶発的な結果だったと主張。最高裁の死刑判決の判例を挙げ「計画性のなさや被害者数が1人であり、殺害方法も(他の死刑事件と比べると)残虐性が低い」などとして、無期懲役か有期懲役を求めた。堀被告の弁護人は、犯行の無計画さを強調し、「殺害行為の主導は神田被告で、堀被告は指示に従っていた。矯正不可能とはいえず生きて罪の償いをさせるのが相当。死刑を選択すべき場合には到底該当しない。死刑判決が下されれば、厳罰化が加速し乱発を招く」と指摘した。 川岸被告の弁護人は「良心の呵責に耐えきれず自首した。犯行は従属的で、被告の自首によって捜査が容易になったのは明らかだ」と、量刑判断の際に自首の重要性を考慮するよう求めた。
 同日の最終意見陳述で、堀被告は泣きながら「被害者の夢や希望を奪って、遺族に苦しみを負わせてしまった。申し訳ない」と遺族が座る傍聴席へ向かって頭を下げた。川岸被告も声を震わせ「(女性の)お母さんの意見陳述は胸に刺さりました。女性のご冥福をお祈りします。すみませんでした」と一礼した。神田被告は「特に申し上げることはない」と話した。
 判決は、今回の事件は、インターネットの掲示板を通じて集まり、犯罪を計画し、それを実行したという点に特徴があると指摘。素性も知らない者同士が悪知恵を出し合って利用し合い、一人では行い得なかったような凶悪、巧妙な犯罪が遂行可能となった、とした。
 近藤宏子裁判長は、「被害者の哀願に耳を貸さず殺害した犯行は無慈悲で悲惨で、戦慄を禁じ得ない」として、神田、堀両被告に死刑、川岸被告は「犯行直後、自首している」として、無期懲役を言い渡した。
 事前の殺害の計画性について「監禁場所や殺害方法について詳細な計画はなかったが、事前にハンマーや包丁を用意し、何人もの女性を実際に追尾しており、犯行は計画的で悪質だ」と認定。「素性を知らない者同士が互いに虚勢を張り合い、1人では行えない凶悪、巧妙な犯罪を遂行した。遺族も峻烈な処罰感情を表明している」と述べた。
 争点の1つだった殺害の共謀時期については、犯行日にファミリーレストランで、3被告が通行中の女性を拉致・監禁してキャッシュカードの暗証番号を聞き出して殺害し、遺体を遺棄する共謀が遅くとも女性を拉致する約4時間前に成立したと認定した。
 闇サイトを悪用した社会的影響については「インターネットを悪用した犯罪は凶悪化、巧妙化しやすい。匿名性の高い集団が行うため、発覚困難で模倣性も高く、社会の安全にとって重大な脅威」と述べた。
 その上で、〈1〉利欲目的で酌量の余地はない〈2〉落ち度のない市民を拉致し、命ごいに耳を貸すことなく犯行を敢行していて無慈悲で凄惨〈3〉犯行計画は具体的、詳細なものではなかったが、量刑をわけるほど有利な事情とは言えない〈4〉被害者の無念さを言い表す言葉を見いだすことはできない--などを理由として挙げた。
 そして神田被告については「殺害の計画と実行において最も積極的に関与した」、堀被告については「さまざまな強盗計画を積極的に提案し、被害者を最も積極的に脅迫した」と認める一方、川岸被告については「被害者を2度も強姦しようとしており、他の2被告に比べ刑事責任は劣らないが、自首で事件の解決、次の犯行阻止に寄与したことは有利に評価できる」と判断し「極刑をもって臨むには、躊躇を覚えざるを得ない」と結論づけた。
備 考
 女性の母親は3被告に極刑を求める署名活動をはじめ、初公判時点で約28万4000人分が集まった。うち約15万人分については2007年10月23日に名古屋地検に提出されている。
 検察側は3被告の共謀が成立した時期について、公判前整理手続きでは「事件当日午後に3人で乗り込んだ車内」と主張していたが、冒頭陳述では「当日夜のレストラン」と異なる主張を盛り込んだ。弁護側が指摘し、裁判長も「意外な陳述」と発言。約20分の休廷の後、検察側は問題となった主張を撤回した。
 H元被告は窃盗未遂、建造物侵入、強盗予備で起訴。2007年11月20日、名古屋地裁で懲役2年執行猶予3年(求刑懲役2年)の判決が言い渡され、確定している。
 神田被告は知人に手紙を郵送してブログを開設。事件や公判に関するリポートを掲載し続けた。
 神田被告と川岸被告は2006~2007年頃にそれぞれ闇サイトを悪用した別の詐欺事件で執行猶予付き有罪判決を受けている。
 神田司被告と堀慶末被告は求刑通り死刑判決。ともに控訴している。その後神田司被告は控訴を取下げ、死刑が確定した。
 検察・被告側は控訴した。2011年4月12日、名古屋高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
林大平(31)/片山高志(40)
逮 捕
 2008年6月15日(ブラジル人男性事件における死体遺棄容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、殺人、窃盗
事件概要
 栃木県小山市の中古車販売会社役員林大平被告と同市の派遣会社員片山高志被告は共謀。2008年3月4日午後7時50分頃、片山被告が担当していた派遣社員の日系ブラジル人男性(当時48)宅で男性の首を絞めるなどして殺害。財布などを奪うとともにキャシュカードから100万円を引き出し、遺体を佐野市内の川に遺棄した。
 さらに4月20日午後8時頃、林被告が個人的なトラブルで恨みを持っていた前橋市の中古車販売業男性(当時37)を鉄パイプで殴って殺害し、遺体を茨城県桜川市の山林に遺棄した。
 片山被告はブラジルで生まれ育ち、約20年前に来日。小山市内の菓子製造会社を経て1997年に派遣会社へ入社した。林被告は約10年前にブラジルから来日。片山被告と同じ派遣会社で半年間働いた後、2004年に中古車販売の会社を設立した。
 片山被告は事件当時、遊興費による借金の返済に追われていた。
 林被告は中古車販売業の男性から買い取った車の転売を巡るトラブルで、暴力団員の介在をほのめかされ現金1000万円を払うように脅されており、事件までに約750万円を支払っていた。暴力団の話は嘘であった。
 ブラジル人男性は2007年5月、小山市の派遣会社のサンパウロ支社で派遣社員として登録。来日後は派遣先の藤岡町の金属加工会社工場で働いていた。だが、2008年3月5日に無断欠勤した後、連絡が取れなくなった。心配した埼玉県在住の実姉が3月13日、小山署に捜査願を提出した。群馬県警は行方不明になった経緯が不自然なことや、男性の部屋から微量の血痕が見つかったことなどから、事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査していた。
裁判所
 宇都宮地裁栃木支部 林正宏裁判長
求 刑
 林被告:死刑/片山被告:無期懲役
判 決
 2009年3月19日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続では両被告の役割分担等が焦点となった。
 2008年12月15日の初公判で、林被告は起訴事実を2件とも全面的に認めた。片山被告は1件目の強盗殺人については起訴事実を全面的に認めたが、2件目の殺人については死体遺棄への関与を認めたものの、殺人行為への荷担については否認した。
 1月29日の論告求刑で検察側は、ブラジル人男性に対する事件では「金を奪うことを持ちかけたのは片山被告だが、林被告は進んで計画に参加し、殺害の実行行為を全面的に担当した。2人の刑事責任に遜色はない」と主張。また片山被告が遺体をビニールシートで包んだ行為を「実行行為の一部であることは明らか」と主張した。中古車販売業男性の事件では盗難車販売を巡るトラブルから殺意を抱いた林被告を「(自身の)盗難車販売への関与を棚に上げ憎しみを募らせたのは身勝手」と指摘。「林被告が主導し、直接的な殺害行為もすべて行った」と断じた。
 そして、不意に鉄パイプで殴打するなどした手口について「強固な殺意の下で計画や準備を進め、凶悪極まる方法で二人の尊い生命を奪った」などと指摘。「わずか一カ月余りに連続して二人を殺害した特異なもので、動機は短絡的で自己中心的。ごみのように死体を捨て、人間の尊厳に対する念が全く認められない。徹底した隠ぺい工作もし、遺族の処罰感情は峻烈を極める。特に林被告の責任はあまりに重大で、極刑をもって臨むほかない」と述べた。
 同日の最終弁論で、片山被告の弁護人は「多重債務で冷静な判断ができない状態だった。殺害の実行行為を行っておらず、役割や責任は従犯に近い。遺族への被害弁償を申し出るなど深く反省している」と述べ減軽を求めた。林被告の弁護人は、「(中古車販売業男性から)理不尽に現金1000万円の要求をされており、既に4分の3を支払っている。相手にも非がある。ブラジル人男性殺害に加わったもの、中古車販売業男性への金を支払うためで同情の余地がある」とし有期刑の適用を求めた。最後に片山被告は「取り返しのつかないことをした」と深く頭を下げ、林被告は「いくら追い込まれて冷静に考えられなかったとはいえ、人間として一番してはいけないことをしてしまい、情けない」などと悔悟の念を示した。
 判決で林裁判長は犯行の残忍さや林被告の粗暴性を指摘した上で「動機面には斟酌すべき事情がある」と認定。殺害された中古車販売業の男性が多額の金銭を要求するなど「林被告に著しい経済的、精神的苦痛を与え続けた。男性自身にも責められるべき要因があった」と指摘した。
 一方、片山被告側は公判で男性殺害時に「実行行為を行っていない」などと主張していたが、林裁判長は「片山被告は(瀕死の状態の)男性が生存していることを認識しながらブルーシートに包んだ。殺人の実行行為にあたる」などと退け、求刑通り無期懲役を言い渡した。
 日系ブラジル人殺害について、林裁判長は「両被告の動機は金欲しさという誠に身勝手、短絡的なもので人命軽視も甚だしい」と強調。「落ち度はなく、生命を奪われる理由は全くない」とした。
備 考
 片山被告は控訴せず確定。林被告に対し、検察側は控訴した。林被告も控訴した。2009年11月4日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
松田真知(45)
逮 捕
 2006年8月21日
殺害人数
 0名
罪 状
 銃刀法違反(営利目的密輸)、強盗他
事件概要
 指定暴力団稲川会系暴力団組長、松田真知(ただし)被告は2005年12月~2006年1月、部下の組員らと共謀し横浜市の大黒ふ頭でフィリピン国籍の貨物船から拳銃11丁や銃弾220発、爆薬6本、大麻約5キロを密輸するなどした。また3月には横浜市内のマンションで機関銃や拳銃など16丁、実弾約570発を所持した。
 松田被告らは10人と共謀し2005年12月14日、横浜市の飲食店経営者(当時60)宅に侵入。経営者ら3人に拳銃のようなものを突きつけ、粘着テープでいすに縛り付けて脅し、現金約150万円と約8700万円相当の純金などを奪った。
 松田被告は2006年1月、コロンビア人に指示して、座間市の貿易商の男性(当時68)と妻(当時59)の手足を縛って、現金約40万円と腕時計など(295万円相当)を奪った。
 松田被告らは、組員に外国人の窃盗団を集めるよう指示し、2005年12月~2006年2月に、県内と都内で3件の強盗や窃盗事件を繰り返させていた。
 組員らは「奪った金品の6割を松田被告に上納していた」と供述している。
裁判所
 東京地裁 稗田雅洋裁判長
求 刑
 無期懲役+罰金500万円
判 決
 2009年3月19日 無期懲役+罰金400万円
裁判焦点
 判決理由で稗田雅洋裁判長は「銃器を大量に輸入、所持し、市民生活に重大な脅威を与える反社会性の強い犯行。反省もなく、刑事責任は極めて重大」と指摘した。
 松田被告は「関与していない」と無罪を主張したが、判決は「共謀を認めた共犯者らの供述は信用できる。被告が以前から継続的に銃器や大麻の密輸を行い、今回も配下の組員に指示して密輸を試みたことが認められる。組長として犯行を主導し、刑事責任は極めて重大。配下の者に責任を押しつけるばかりで反省の態度がみられない」として退けた。
備 考
 武器密輸事件では少なくとも10人が逮捕されている。組長代行のG被告は2008年6月30日、東京地裁(秋葉康弘裁判長)で懲役30年+罰金300万円(求刑懲役30年+罰金500万円)の判決を受けて控訴している。
 被告側は控訴した。2010年4月15日、東京高裁で判決。被告側控訴棄却と思われる。2011年中に最高裁で被告側上告棄却と思われる。

氏 名
福原大助(41)/福嶋尚和(29)
逮 捕
 2007年11月12日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、住居侵入、銃刀法違反他
事件概要
 指定暴力団道仁会系の組幹部福原大助被告らは共謀し、2007年6月19日夜、熊本市で対立する九州誠道会系の組幹部(当時43)方に侵入し、顔を拳銃で撃った後、包丁で背中などを刺して殺害した。死因は銃で頭を撃たれたことによる脳挫滅である。
 福原被告が指示役、組員福嶋尚和被告が実行役で、組員T被告やY被告は凶器などを処分した。
裁判所
 福岡高裁 川口宰護裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月24日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 検察、被告側双方が量刑不当を訴えた。
 福原被告、福嶋被告、矢野被告、田上被告側は量刑不当などを訴えたが、川口裁判長は各被告が犯行時に重要な役割を果たしたと強調した上で「残忍かつ冷酷非情な犯行。暴力団抗争の巻き添えへの不安が増大するなど社会に与えた影響は極めて大きい」などとして退けた。そして両被告について、「対立抗争の一環で、反社会的な動機に酌量の余地は全くない。重要な役割を果たし、一審判決は軽すぎる」と述べ、無期懲役を選択した。
備 考
 事件を巡っては11人が逮捕され、9人が起訴された。2人は証拠不十分で釈放された。
 T被告は懲役10年(求刑懲役15年)の判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 Y被告は2008年9月2日、熊本地裁で懲役12年(求刑懲役15年)判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。

 2008年8月8日、熊本地裁で福原被告懲役30年判決、福嶋被告懲役28年判決。両被告は上告した。2009年7月21日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
畠山鈴香(35)
逮 捕
 2006年6月4日(男児に対する死体遺棄容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件概要
 秋田県藤里町の無職畠山鈴香被告(当時33)は2006年4月9日午後6時45分頃、自宅から約3km離れた藤琴川にかかる大沢橋の欄干(高さ約1m15cm)の上に川の方を向いて腰掛けた長女(当時9)が「怖い」と言いながら上半身をひねり、背後にいた被告に抱きつこうとしてきた瞬間、とっさに殺意をもって、左手で払うようにその身体を押し返し、長女を欄干の上から約8m下の藤琴川に落下させ、長女を溺水により窒息死させて殺害した。遺体は翌10日午後、大沢橋から約4km下流の浅瀬で水死体で見つかった。頭には軽度の骨折があり、体には多数の皮下出血があった。
 畠山被告は日頃から長女のことを疎ましく思っていた。
 自宅近くを流れる川の浅瀬の石には足を滑らせたような形跡があることなどから、秋田県警能代署は誤って川に転落したものとほぼ断定した。しかし畠山被告は同署の捜査に反発し、再三捜査の徹底を申し出た。また畠山被告は長女の行方不明時の目撃情報を求めるビラを近所に配るなどした。
 畠山被告は5月17日午後3時半頃、2件隣に住む小学1年生の男児(当時7)を下校途中に自宅玄関に呼び入れ、殺意を持って後ろから腰ひもで首を絞めて窒息死させた。畠山被告は遺体を軽乗用車の荷台に乗せて、同4時5分ごろ、約10km離れた能代市の草むらに遺棄した。
 畠山被告は6月4日、男児死体遺棄容疑で逮捕された。その後、殺人、死体遺棄容疑で起訴された。さらに7月18日、長女の殺人、死体遺棄容疑で再逮捕された。
裁判所
 仙台高裁秋田支部 藤井俊郎裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年3月25日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 弁護側は即日控訴。検察も判決を不服として控訴した。
 2008年9月25日の控訴審初公判で、検察側は長女殺害について、藤里町内の大沢橋の上でいら立ちを募らせ、とっさに払い落としたと認定した地裁判決に対し、殺意は遅くとも橋の欄干の上に上らせようとした時点で確定的だったと主張した。長女が転落した後の記憶については、「犯行の隠ぺい工作をしており、犯行事実を忘れているとは考られない」と強調した。さらに近所の男児殺害動機を「長女を殺害したとする嫌疑をそらす目的で、子供を狙った事件を起こそうと行動していた」と改めて訴え、計画性を否定した地裁判決は、事実誤認であると主張した。検察側はまた、「偶然通りかかった男児殺害は無差別殺人である」と指摘。二審の無期懲役判決を破棄した山口県光市母子殺害事件の最高裁判決(2006年6月)を引き合いに出し、この事件に「勝るとも劣らない悪質性がある」として再び死刑を求めた。
 弁護側も量刑不当を訴え、「有期の懲役刑が相当」と主張。自白調書が捜査側の違法な取り調べにより任意性を欠いていると一審に続き、長女を殺害したとする自白の任意性、信用性を争う構えで、「橋の欄干の上で、長女を反射的に振り払った」として過失致死罪の適用を求めた。さらに、弁護側は、畠山被告が長女の転落後、そのショックで記憶を喪失し、男児殺害時は、「異常な心理状態から心神耗弱状態だった」として、再度の精神鑑定を求めた。
 被告人質問で鈴香被告は一審同様、子供のころにいじめを受けたり、父親に暴力を振るわれた過去などを説明。長女との関係についても「育児を夢中でやっていた」などと強調した。
 10月16日の第2回公判における検察側、弁護側双方の被告人質問で畠山被告は、二つの事件への関与について、「よく覚えていない」などと繰り返し、一審の証言を大きく後退させた。竹花裁判長は被告人質問の後、これまでの説明に対し「非常に不自然で疑問が残る」と指摘。「男児の冥福やご両親のことを考えるならありのままを話して」と異例の要請をした。畠山被告は「分かる範囲で話しているつもり」「わたしがうそをついていると思うのですか」と答えた。竹花裁判長は畠山被告に「(男児を)なぜ殺すのか理解できない。次までにしっかりと考え、説明してほしい」と言った。
 10月29日の第3回公判における裁判長からの被告人質問で、竹花裁判長は開廷直後に「あれから考えることはありましたか」と質問。畠山被告は「ほとんど毎日のように考えました」としながらも、殺害当時のことは思い出せないと供述。畠山被告は「男児一家に恨みはなかった」としたうえで、長女殺害の疑いをそらす目的だったことも否定。竹花裁判長に改めて殺害理由を問われ、長い沈黙の末に「わかりません」と小さく告げた。
 12月17日の第4回公判で、弁護側は畠山被告の精神鑑定の請求を撤回した。そして提出した精神科医の意見書では、畠山被告を複数の人格障害が混ざった「混合性人格障害」と判断。他人に逆らいにくく、友人など人間関係が構築できない、場当たり的な行動をする――などを挙げた。この意見書の一部は証拠採用された。
 また弁護側は東海学院大大学院の長谷川博一教授による畠山被告の性格鑑定結果も証拠として提出したが、検察側の不同意により却下された。長谷川教授は捜査段階や一審では作られた記憶があり信用性は低く事実ではない部分があると指摘。検察側は不同意とした理由を「客観性を欠き公平でない」と説明した。長谷川博一教授は25日、仙台高裁秋田支部に対し、鑑定書を証拠として採用するよう求める上申書を提出したが証拠採用はされていない。
 この日検察側は、逮捕前の畠山被告へのインタビューを収録したテレビ朝日の番組の映像・音声を証拠として法廷で流した。被告の証言に一貫性がないことを立証する趣旨だったが、検察側はテレビ局側に使用許可申請をしていなかった。証拠採用されたが、テレビ朝日は19日、仙台高検と仙台高裁秋田支部に「取材・報道の自由を制約することにつながりかねない」と文書で抗議した。
 2009年1月30日の第6回公判で検察側は、「長女殺害の記憶を失っていたという畠山被告の主張は信じがたく、男児殺害についても動機を思い出せないという供述は虚偽だ」と指摘した。さらに証拠採用された男児の両親の意見陳述を引用し、峻烈な遺族感情を考えれば一審の無期懲役判決は軽きに失していると主張。「被告はもはや人間性を喪失している」と強調し、死刑判決以外は考えられないとした。
 これに対し弁護側は「責任を逃れるには不利になることも話しており、本当に健忘している」とし、無意識的な願望などが働いたと主張。長女転落の記憶は男児殺害時には失われており、男児殺害の記憶も失っている以上動機は不明で、二つの事件の真相は明らかになっていないと強調した。さらに畠山被告と面談した精神科医の意見書をもとに、畠山被告は人格障害があり反省をしたくともやり方がわからない状況だと説明。畠山被告に希望を持たせて更生と事件の記憶を思い出すためにも有期刑を選択すべきだと主張した。
 2月10日、長谷川博一教授は、一審、二審で行われた計3件の鑑定は「取り調べ時間や方法が不十分」と指摘。「判決期日を延期し、被告人の記憶について専門家の支援を受けて慎重に扱い、事実の追求に時間をかけるのが適切。あるいは原審へ『審議不十分』として差し戻すのが妥当」とした意見書を仙台高裁秋田支部に提出した。
 竹花裁判長は判決で検察・被告側の控訴を棄却した。
 長女殺害について、竹花裁判長は「畠山被告が強い口調で、長女を極めて危険な欄干に上らせ、腰を支えるのを手伝った。さらに、振り返って畠山被告に抱きつこうとした彩香さんを押し返すには相当な力が必要だった」と述べ、一審通りに殺意があったことを認定。「抱きつこうとした長女を反射的に振り払った」として、過失致死罪の適用を求めた弁護側の主張を退けた。
 検察側は、殺意が生じた時点の認定を巡り、「一審判決に事実誤認がある」と主張したが、竹花裁判長は「犯罪事実自体の認定に誤りはない」として退けた。
 また、畠山被告と長女の親子関係について控訴審判決は、「(畠山被告の)母親に世話を任せきりで、長女との接触に嫌悪感を抱き、彩香さんが足かせとなり、就職できないと感じていた」と述べた。
 「長女が川に転落した後に畠山被告が健忘になった」とする弁護側の主張について、竹花裁判長は「捜査段階で畠山被告は長女を転落させた状況を詳細に供述している。橋にいた事実を忘れようと思い込んだが、その記憶は完全に失われておらず、思い出すことができた。記憶を失ったとは到底認められない」と認定した。
 しかし「結果は重大で極めて凶暴かつ卑劣な犯行だが、利欲的目的を伴うものではなく、著しく執拗、残虐ではない。最高裁で死刑が相当とされた事案と比べると、当然に死刑を選択すべき事案であるとは必ずしも言えない」と述べた。
備 考
 長女殺人事件では、最初に事故死と断定した秋田県警の初動捜査ミスが指摘された。2006年9月4日、秋田県警本部長が県議会で捜査不備を認めた。
 2008年3月19日、秋田地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年5月18日、上告取下げ、確定。

氏 名
江沢拓巳(25)
逮 捕
 2007年7月27日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、強盗致傷、強制わいせつ致傷、窃盗他
事件概要
 高知市の建設作業員江沢拓巳被告は、車のローンやガソリン代など金に困り、2007年1月13日~7月23日にかけ、帰宅途中などだった高知市内の19~32歳の女性計16人に対し、高知市内の公園や駐車場に連れ込み、暴行を加えて金品を奪うなどした。抵抗されると、顔や腹をなぐり、財布などを奪って逃げた。別に窃盗も1件ある。被害総額は約48万円になる。
裁判所
 高知地裁 伊藤寿裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月25日 無期懲役
裁判焦点
 2008年10月6日の初公判で、江沢拓巳被告は起訴事実を認めた。弁護側は起訴事実については争わず、量刑について情状を求めていくとした。
 江沢被告は初公判で認めた17件のうち2件を第4回公判で否認した。
 2009年2月20日の求刑論告で検察側は「自己の刑事責任を少しでも軽くするために客観証拠が少ない事件を選んで否認に転じた」などと指摘。「被害者を自己の性欲のはけ口としてしか見ていない極めて残忍な犯行。多数の被害者に一生消えることのない甚大な精神的苦痛をもたらし、常習性は極めて顕著」と主張。そして「被告を1日でも長く社会から隔離することが必要」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は2件について「捜査官に誘導説得された」などと無罪を主張。残る15件について「罪を償おうと決心し、積極的に事実を述べている。被告はすでに自己を取り戻し、償いと更生の決意を固めている」などと情状酌量を求めた。
 伊藤裁判長は「陵辱の限りを尽くした執拗、卑劣な犯行で有期懲役とする余地はない」と述べた。また被告側が否認に転じた2件の事件について伊藤裁判長は、捜査段階での江沢被告の供述や被害者の話に信用性があると判断。被告側の主張を退けた。
備 考
 自供件数は約27件にのぼる。
 被告側は控訴した。2009年9月17日、高松高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定と思われる。

氏 名
岩本朋宏(24)
逮 捕
 2008年1月4日(死体遺棄容疑。1月14日に殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、窃盗、県青少年健全育成条例違反他
事件概要
 佐賀県唐津市の会社員岩本朋宏被告は、2007年12月2日深夜から3日午前2時頃にかけ、31万円の借金返済を免れようと、同市佐志に止めた乗用車内で、交際していた飲食店店員の女性(当時21)の首を絞めて殺害し、遺体を同市の畑に遺棄した。また殺害後、現金3500円を盗んだ。
 岩本被告と女性は2006年12月から2007年夏頃まで交際していた。分かれた後、女性が岩本被告の実家を訪れ、「貸した金を返してほしい」と求めるなどしていた。岩本容疑者は11月に別の女性と結婚したが、他にも複数の女性と交際があった。
 遺体は2008年1月3日昼、散歩していた近所の女性が発見した。
 岩本被告は2007年5月6日、携帯サイトで知り合った唐津市内の少女(16)が18歳未満であることを知りながら、同市内のホテルで性行為をした容疑でも起訴されている。
裁判所
 福岡高裁 松尾昭一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月25日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 一審で検察側は、借金返済を免れる強盗の目的を認めていた捜査段階の供述をめぐり、信用性補強としては全国で初めて、取り調べ状況の録画DVDを法廷で再生した。しかし一審判決は「映像では署名・押印などが行われる以前の取り調べが明らかではない」などと供述の信用性を否定し「愛憎関係のこじれで凶行に及んだ余地がある」と殺人罪を適用。検察側は「判決には事実誤認がある」などと控訴した。
 2009年1月17日の控訴審初公判で、検察側は「録画を見れば不当な誘導はなく、記憶のままに供述していることは明白」と主張、あらためて強盗殺人罪の適用を求めた。被害者の父親は意見陳述で「前例を基に刑を決めるのであれば裁判官、検察官はいらない」と述べ、供述の信用性を認めなかった一審の判断に不信感を示し、「娘の無念さ、遺族の心情を察して納得のいく判断をしてほしい」と訴えた。
 判決で松尾裁判長は、岩本被告がためらうことなく自分の言葉で供述している点を重視。「検察官はごく普通の口調で、供述を強く迫るものではない。録画時間から限界はあるが、一定限度で検察官調書の信用性を裏付けるもので、被告の捜査段階での供述は信用できる」とした。
備 考
 2008年7月8日、佐賀地裁で一審懲役18年判決。被告側は上告した。2009年11月2日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
廣畑智規(24)
逮 捕
 2006年6月28日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、監禁、傷害他
事件概要
 東大阪大学4年の男子学生Fさん(当時21)は、同じ大学サークル内にいた東大阪大学の女性(当時18)と交際していたが、同じサークルにいた東大阪大短期大学の卒業生でアルバイト従業員TY被告(当時21)が女性に携帯メールを送ったことを知り激怒。相談を受けた無職Iさん(当時21)は仲間2人とともにTY被告から金を脅し取ろうと計画。
 2006年6月16日夜、Fさん、Iさん、男性会社員(当時21)、同大3年の男子学生(当時20)の4人は、TY被告、同じサークルにいる東大阪大3年のSY被告(当時21)を東大阪市の公園に呼び出し、顔などを殴って打撲の怪我を負わせた後、約1時間に渡り車内に監禁。Iさんは実在する暴力団の名前を出し、女性トラブルの慰謝料の名目で、計40万円を要求するなどした。
 SY被告は事件後、中学校時代の同級生だった岡山県玉野市の無職小林竜司被告(当時21)に電話で相談。小林被告は同じく同級生であった大阪府立大3年の廣畑智規被告(当時21)に相談するよう指示した。相談に乗った廣畑被告は仕返し方法を計画。17日、SY被告らは大阪府警に恐喝容疑などで被害届を提出した。また小林被告は、同県内の風俗店で働いていた際の知り合いで岡山市に住むも都暴力団員で無職OK被告(当時31)に電話で対応を相談した。OK被告は相談に対し、「相手を拉致し、暴行して金を取ってやれ」と指示。さらに、山口組関係者と称していたというIさんに関しては「ヤミ金融や消費者金融で借金漬けにしてやるから、連れてこい」と命じた。
 18日、廣畑被告は大阪府に住む大阪商業大4年のSS被告(当時22)、SY被告、無職SH被告(当時21)をつれ、岡山県に行き、小林被告、小林被告の元アルバイト先の後輩だった岡山県玉野市の少年(当時16)と合流。廣畑被告はここで、男子学生らへのリンチ計画を明かし、それぞれの役割を決めた。小林被告には凶器を準備するよう指示し、少年が特殊警棒などを事前に購入していた。 ただしこのときは、殺人までは計画していなかった。同日、小林被告の指示で後輩少年被告が仲間として、玉野市の派遣社員の少年(当時16)とアルバイトの少年(当時17)を連れてきた。
 18日夜、SY被告、TY被告は「被害届を取下げる」「神戸で慰謝料を払う」という口実で男性会社員の車にFさん、Iさんとともに同乗。途中で「岡山なら払える」と偽り、岡山市に誘い出した。
 19日午前3時過ぎ、山陽自動車道岡山インターチェンジで、待ち伏せしていた小林被告は仲間と一緒にFさん、Iさん、男性会社員の3人を取り囲み、仲間と交代で特殊警棒やゴルフクラブなどで殴るなどの暴行を加えた。このとき、携帯電話と現金約98000円を奪った。Iさんが「知り合いのやくざを呼ぶぞ」という言葉に小林被告らが激怒。さらに岡山県玉野市内の公園に場所を移し、執拗に暴行を続けた。現場で直接、暴行したのは小林、SY、TY各被告と後輩少年被告であり、廣畑被告は指示役、他の被告は見張りなどをしていた。Fさんがぐったりしたため「やりすぎた」と後悔したが、警察への発覚を恐れ殺害を決意。そして小林被告が以前働いたことのある岡山市内の資材置き場に移動した。午前4時50分ごろ、Fさんを資材置場で生き埋めにし、窒息死させた。このとき、小林被告が自らパワーショベルを操作して穴を掘り、小林、SY、TY各被告と後輩少年被告がコンクリート片や石を投げつけた上、小林被告が後輩少年に重機で土をかぶせるよう指示。少年がショベル部分で何度も地面をたたいて土を固めた。パワーショベルは、小林被告と少年が以前働いていた解体会社の持ち物で、小林被告の指示で少年が事前に鍵を持ち出していた。廣畑被告はSS被告、SH被告に、資材置き場の入り口付近とふもとの道路で人の出入りや車の通行などの見張りをするよう指示。少年2人やSY被告とTY被告にも、Fさんや一緒に拉致した男性会社員、車のトランクで監禁したIさんが逃げ出さないように監視を指示した。
 その後、男性会社員は最初の暴行に余り関与していないとSY被告やFさん、Iさんが話したことで解放した。男性会社員は廣畑被告、SS被告をマイカーに乗せて大阪に戻り、19日朝、2人を降ろして解放された。「途中、廣畑被告に口止めされた」と証言している。またSY被告らも帰った。
 小林被告と後輩少年被告は廣畑被告にIさんを連れていくことを伝え、了承を得た。小林被告は、Iさんを車のトランクに入れ、自宅マンションに連れ帰ったが、歩行困難なほど衰弱していたため、改めてOK被告に電話で相談。OK被告は「それでは金を取れないから、連れて来なくていい」と言ったうえで、「事件を知られた以上、警察に通報されるので、帰さずに処分するしかないだろう」と、暗に殺害するようほのめかした。小林被告は廣畑被告、SS被告に電話で処置を相談。2被告は「埋めたらいい」と殺害を了承した。小林被告は後輩少年被告とともに20日未明、資材置き場に戻り、パワーショベルで掘った穴にIさんを生き埋めにして窒息死させた。
 翌日の21日、廣畑被告は小林、SY、TY、SH各被告らと岡山県内で会い、「小林と後輩の少年の2人でやったことにしよう」と口裏合わせをした。また小林被告は、暴行後に解放した男性会社員に電話で脅し数10万円を要求した。
 22日、解放された男性会社員が大阪府警に届け出たことから事件が発覚した。
 24日、SY、TY、SH各被告が岡山県警に出頭、逮捕された。
 25日、小林被告が同県警に出頭、逮捕された。
 26日、小林被告の元アルバイト先の後輩の無職少年が同県警に出頭、逮捕された。
 27日、資材置場から2遺体が発見された。また別の少年2人が同県警に出頭、逮捕された。逮捕された。
 28日、大阪府立大3年の廣畑智規被告(当時21)、大阪商業大4年のSS被告(当時22)が逮捕された。
 8月10日、大阪、岡山両府県警合同捜査本部はOK被告を逮捕した。
 TY被告、SH被告は東大阪大短期大学部の卒業生で、SY被告と同じサッカーサークル内にいた。廣畑、SS、小林、SY各被告は中学時代の同級生。廣畑、SS、SYの3被告は小学時代、同じサッカー少年団のチームメートでもあった。
裁判所
 大阪高裁 小倉正三裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月26日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 廣畑被告は監禁や傷害などの罪は認めたが、小林竜司被告との共謀は否定。Fさんの殺害では殺人ほう助を主張し、Iさん殺害では無罪を主張した。
 小倉裁判長は判決で「動機は短絡的で、残虐極まりない犯行。報復計画を発案し、ほかの共犯者を加担させた」と指摘。「2人の殺害に積極的に賛同した」とした。
備 考
 殺害されたFさん、Iさん、解放された男性会社員、知人大学生は、SY被告らに慰謝料名目で金を要求したなどとして、恐喝や監禁などの疑いで、2006年9月15日、書類送検されている。
 小林竜司被告は2007年5月22日、求刑通り死刑判決。2008年5月20日、被告側控訴棄却。現在上告中。
 後輩少年被告は、2007年5月11日、大阪地裁で懲役15年判決(求刑無期懲役)。2008年1月23日、大阪高裁で被告側控訴棄却。そのまま確定。
 TY被告は2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁で一審破棄、懲役11年判決。2008年9月16日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SY被告は2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。そのまま確定。
 SH被告は2007年5月31日、大阪地裁で懲役7年判決(求刑懲役15年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察側控訴棄却。そのまま確定。
 OK被告は2007年6月1日、大阪地裁で懲役17年判決(求刑懲役20年)。控訴審判決日不明。2009年3月17日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SS被告は2007年10月2日、大阪地裁で懲役20年判決(求刑懲役25年)。2009年3月26日、大阪高裁で一審破棄、懲役18年判決。
 少年2人は2006年8月8日、殺人の非行事実で家裁送致された。
 2007年10月2日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年10月27日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
少年(19)
逮 捕
 2008年1月10日(銃刀法違反容疑。1月20日、殺人他容疑で再逮捕)
殺害人数
 3名
罪 状
 殺人、死体損壊、現住建造物等放火、銃刀法違反
事件概要
 青森県八戸市に住む無職少年(当時18)は酒癖の悪いパート従業員の母親や、母親の交際相手の男性になびく中学3年の弟、中学1年の妹に憎しみを感じ、3人を殺害することで、家族を失ったつらさと、後悔する生き地獄を父親に味わわせてやろうと計画。2008年1月9日、自宅アパートで母(当時43)と弟(同15歳)、妹(同13歳)をサバイバルナイフで殺害。母の腹部をナイフで切った上、部屋に放火して一室を全焼させた。
 県警八戸署は殺人事件と断定し捜査本部を設置した。10日午前6時ごろに少年をJR八戸駅で発見し、刃物を持っていたため銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した。
裁判所
 青森地裁 渡辺英敬裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月27日 無期懲役
裁判焦点
 2008年5~8月に青森家裁で開かれた審判では、家裁が捜査段階の「人格障害がみられるが刑事責任能力はある」とする精神鑑定を基に「長男には完全責任能力がある」と判断し、長男の検察官送致(逆送)を決定。青森地検は8月29日、殺人罪などで長男を起訴した。ただし青森家裁が実施した精神鑑定では「重度の精神障害があり、心神喪失状態だった」と診断されている。
 公判前整理手続きで、争点は長男の責任能力などに絞られた。
 2009年3月9日の初公判で、長男は起訴内容のうち、殺人と死体損壊について「記憶にないが結果的にそうなった」と認めたが、アパートへの放火は「企てていない」と否認した。弁護側は「犯行時は責任能力はなかった」として保護処分を主張、事件を家裁で審理するよう求めた。
 検察側は冒頭陳述で、長男は事件を起こす父親に憎しみを募らせていたほか、酒を飲んだり交際相手を家に呼んだりする母親も恨み、交際相手に懐いていた弟と妹にも憎しみを抱いていたとした。犯行日は長男にとって再生を意味する新月にあたり、環境を清算するため3人の命を奪って憎しみを晴らし、余命短い父親に生き地獄を味わわせようと計画。パソコンに書いていた自作の残虐な家族殺しの小説に基づいて犯行に及んだとした。
 弁護側も冒頭陳述を行い、「特定不能な精神障害で、統合失調症の基準を満たす」とし、責任能力はなかったと主張。殺害や死体損壊について「情動興奮が高まって犯行に及んだもので、確たる動機はなかった」と述べた。
 3月18日の論告求刑で検察側は、「人格障害はあるが動機も了解可能で、合理的な行動を取っている」として責任能力があると主張。「死刑選択も可能だが、事件当時は18歳の少年で未熟だったうえ、第三者を殺害した事案でもない。劣悪な成育環境なども考慮すべきだ」などとして無期懲役を求刑した。
 同日の最終弁論で弁護側は事件について「意識が狭まっている状態で殺人衝動を制御できず、普段考えていた殺人のイメージを無意識に実現した」と説明し、長男の責任能力を否定。その上で「医療少年院などですぐにも精神科治療を受けさせるべきだ」として保護処分を主張、事件を家裁で審理するよう求めた。
 長男は最終陳述でも動機などについて語らず、昨年10月から今年1月に執筆したという2つの小説の概要を紹介。いずれも殺人事件の犯人や遺族の心情を描いており、今回の事件を振り返って書いたという。
 判決で渡辺英敬裁判長は最大の争点だった長男の刑事責任能力について、軽度から中度の人格障害や適応障害があり事件に影響したと指摘。その上で、善悪を判断し行動を制御する能力が著しく低下した状態ではなかったと検察側の精神鑑定結果を採用し、「動機が了解可能で、犯行は長男の意思と判断に基づいて行われた」と完全責任能力を認めた。動機は、交際相手を自宅に連れてくる母親や、別居する父親への憎しみから、3人を殺害し、父親には生き地獄を味わわせたいと考えたと認定。「母親に殺される理由はなく、弟、妹に何ら落ち度はない。極めて自己中心的だ」と非難した。医療少年院で治療を受けさせる保護処分にすべきだとの弁護側主張を「犯情が極めて悪質で、当時18歳になって間もないことを考慮しても、保護処分は許容されない」と退けた。そして渡辺裁判長は「冷酷、残虐で、3人の尊い命を奪った刑事責任は極めて重大。死刑選択の検討を避けられない」としたが、障害の影響や計画性のなさ、反省の兆しを有利な事情に挙げ、「18歳になって間もない少年の犯行であることを考慮すると、殺害した家族の冥福を祈りながら、しょく罪の日々を送らせるのが相当」と判断した。
備 考
 被告側は控訴した。2012年11月29日、仙台高裁で被告側控訴棄却。2013年12月24日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
辻富美恵(50)
逮 捕
 2007年1月19日(詐欺罪で服役中)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、現住建造物等放火、詐欺、詐欺未遂
事件概要
 無職辻富美恵被告は2005年12月28日午後9時過ぎ、福山市にある雑居ビル1Fの喫茶店に経営者である夫を呼び出し、睡眠薬を飲ませて眠らせたうえ、石油ストーブの周りに油をまいて火をつけ、約110平方メートルのうち約70平方メートルを焼き、夫を焼死させた。夫にかけられた生命保険金約1億5000万円と火災保険金約2000万円を詐取しようとした。火災後間もない2006年1月上旬、会社勤めもしていた夫を事故死として、社会保険庁福山社会保険事務所に遺族厚生年金の受給を申請。3~12月の6回にわたり、遺族厚生年金計約105万円をだまし取った。
 辻富美恵被告は2005年3月頃、知人の紹介で夫と出会い、偽名を名乗っていた。妊娠したとうそを付いて結婚を迫り、事件の9日前に婚姻届を提出するとともに辻被告を受取人とする複数の生命保険金に加入させた。これらの保険金は、保険会社が疑念を抱き支払われていない。辻被告は金融会社などに約1500万円の借金があった。
 また辻被告は1999年7月1日、福山市で借りていた木造平屋建て住宅に、実際は住んでいないのに住んでいるように装って家裁共済金をかけ、2000年7月22日に住宅が全焼した火災を利用して共済金の支払いを請求。住んでいたように見せかけるため、電気料金やプロパンガスの領収書を偽造し、自分名義の銀行口座に計480万円を振り込ませた。
 辻被告は知人男性とともに、2006年4月に県が事業者に運用資金などを融資する制度を悪用し、福山市内の銀行から約825万円を詐取したとして詐欺容疑で逮捕、起訴されるなどして懲役刑が確定、服役していた。
裁判所
 広島地裁 伊名波宏仁裁判長
求 刑
 無期懲役+懲役1年6月
判 決
 2009年3月27日 無期懲役+懲役1年2月
裁判焦点
 辻富美恵被告は逮捕当初から全ての容疑を否認。2008年12月9日の初公判で、辻被告は「放火もしていないし夫も殺していない」と起訴事実を否認した。検察側は冒頭陳述で「男性との関係を隠し、被害者を利用して多額の金を手に入れる動機がある」と主張。弁護側は「(検察側主張は)間接事実の積み重ねに過ぎず、被告人は無罪」と主張した。
 2009年2月3日の論告求刑で、検察側は、まず争点となった出火原因について、現場の状況や県警科学捜査研究所の研究員の証言を基に「放火」と断定。その上で、(1)被害者を現場に呼び出したのは被告(2)被告は出火当時、現場近くにいた(3)被害者の遺体から睡眠薬が検出され、被告は火災前に同種の薬を入手していた―など複数の状況証拠を挙げて犯人性を主張した。そして検察側は、辻被告が夫に対し繰り返し生命保険をかけていたことなどから「周到に準備を重ねた上での計画的な犯行」と説明。「不合理な弁解を続け、遺族の苦痛も甚大。夫にかけられた多額の保険金を得るためなら人の命を奪うこともいとわない極めて冷酷で悪質な犯行、更生は極めて困難」と述べた。
 2月27日の最終弁論で弁護側は「被告の犯行という証明がされていない」と無罪を主張した。検察側はこの日、詐欺罪の一部について、別に懲役1年6月を求刑した。
 伊名波宏仁裁判長は判決理由で、争点となった出火原因について、広島県警科学捜査研究所研究員らの証言を基に放火と断定、さらに現場の状況から夫に関係のある者による放火殺人と認定した。そして「多額の借金を抱え、夫を火災で死亡させる動機が被告にあった」と指摘した。さらに「うそをついて夫を喫茶店に呼び出し、携帯電話のメールでアリバイ工作するなど、犯人性を強く推認させる」として、「直接証拠がない」との弁護側主張を退けた。その上で「何としても大金を手に入れようと周到に準備し遂行された、計画性の極めて高い犯行。不合理な弁解に終始し、反省もみられない。動機に酌量の余地があるはずがない」とした。
 遺族年金の詐欺罪については別に判決を受けている。
備 考
 殺人、放火容疑で辻被告と同日に逮捕された知人男性はその後処分保留で釈放され、2007年6月12日、広島地検は「共犯性を認める十分な証拠がない」として嫌疑不十分で不起訴処分にした。
 被告側は控訴した。2010年10月28日、広島高裁で被告側控訴棄却。2011年8月24日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
元少年(20)
逮 捕
 2008年6月21日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗他
事件概要
 中国籍で住所不定の元少年被告(事件当時19)は2008年5月9日午後8時30分頃、神戸市のマンションに侵入。包丁で住人の無職男性(当時61)の胸や首を刺して殺害。奪ったキャッシュカードや通帳を使い、銀行口座から計約600万円を引き出した。
 事件後の13日に少年は帰国。東灘署捜査本部はコンビニ店の防犯カメラの映像や、殺害現場に残された遺留物を鑑定した結果、少年を特定し、5月21日に指名手配した。
 少年は6月21日に関西国際空港から入国。情報を得ていた捜査本部が逮捕した。少年は逮捕時19歳だったが、拘置中に20歳になったため少年法の規定に基づき、神戸地検は7月11日、強盗殺人などの罪で起訴した。
裁判所
 神戸地裁 岡田信裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年3月31日 無期懲役
裁判焦点
 2009年3月16日の初公判で、被告は「金品は要求したが、殺すつもりはなかった」と殺意を否認した。
 3月26日の論告求刑で検察側は「計画的で、犯行態様は冷酷、残忍」と主張。同日の最終弁論で弁護側は「偶発的な不幸が重なり、計画性はなかった」として有期刑を求めた。被告は「被害者に申し訳ないことをした」と述べた。
 岡田信裁判長は判決理由で「後ろ手に手錠をかけた上、首と左胸という急所を狙っており、抵抗も身動きもできない被害者に至近距離から強い力で致命傷を負わせた」と殺意を認定した。その上で「けん銃型ライターと手錠を用意し、計画性がある。冷酷、残忍で被害者の無念さは察するにあまりある。つましく老後の生活をしていた被害者の金品と尊い生命を奪い、責任は重大」と述べた。
備 考
 

氏 名
木村邦寛(30)
逮 捕
 2006年12月21日(窃盗容疑。12月28日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、強盗致傷、強盗他
事件概要
 住所不定、無職、木村邦寛被告は2006年11月19日午前1時10分ごろ、中学2年の3少年と共謀し、金品を奪う目的で、岡崎市内の乙川河川敷で寝泊まりしていた女性(当時69)の頭部や顔面などを鉄パイプで数回殴打し、ろっ骨骨折やひ臓破裂などで失血死させた。
 他に11月16日には少年2人と共謀し、同市内の北岡崎駅階段下で、男性ホームレス(当時70)に暴行を加え、2500円が入った財布を奪った。同月19日未明、同市内の河川敷で警備員男性(当時39)から5830円を奪った。同月22日には少年1人と共謀し、同じ男性に殴るけるなどして3週間のけがを負わせ、現金6500円を奪った。
 木村被告は2002年、生徒の1人の母親と職場の同僚を通じて知り合った。その後、この生徒の家に出入りし、生徒らと万引などをするようになった。愛知県警の調べでは、木村被告が関与した襲撃事件は11件に上り、計4件について起訴されている。
裁判所
 名古屋地裁岡崎支部 久保豊裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月6日 無期懲役
裁判焦点
 2007年3月14日の初公判における罪状認否で、木村被告はいったん起訴事実を「間違いありません」と認めたが、弁護士から質問される形で、「お金のある場所がわからなくなるので、殺そうという気持ちはなかった」と殺意を否認。弁護側は強盗致死罪の適用を主張した。
 検察側は殺意について「顔をまともに見られたと思ったため、死んでも構わないと考えた。暴行を加えていくうちに殺意が形成された」と主張。少年とともに、女性が身動きしなくなっても暴行を継続したことで「暗黙のうちに(殺害の)共謀状態が成立した」とした。
 2008年12月19日の論告求刑で検察側は、「社会的弱者を標的にした極めて悪質で、残虐な犯行。刑事責任も重い」と断じた。検察側は、弁護側が殺意を否認している点について「殺傷能力の高い鉄パイプや鉄板入り安全靴で足げにするなど、死の発生を積極的かつ強固に意図していたことは明らかだ」と指摘した。弁護側は同日の最終弁論で改めて被告の殺意を否認し、強盗致死罪の適用を求めた。また木村被告の知的障害に配慮した処遇を求めた。
 判決理由で久保裁判長は「生活の立て直しを目指していた被害者が感じた恐怖や痛み、無念さは言葉では表現できない」と指摘。木村被告が殺意を否認した点も「金属パイプで思いきり殴打しており、『死んでもかまわない』という未必の殺意が認められる」とした。少年審判で少年3人の殺意を否定した名古屋家裁岡崎支部とは逆の判断を示した。そして「無抵抗の被害者を容赦なく攻撃した理不尽で卑劣極まりない犯行。人としての尊厳を否定する犯行で、刑事責任は重大。軽い知的障害はあったが、前科がなく反省していることをあわせて考慮しても無期懲役は免れない」と述べた。
備 考
 共犯である中学2年の男子生徒3人に対して、名古屋家裁岡崎支部(野田弘明裁判長)はいずれも初等少年院送致の決定を出した。3少年は審判で、女性に対する殺意を否定。同支部も「行為の危険性を認識せずに暴行した可能性は否定できない」などと判断し、非行事実を送致時の強盗殺人から強盗致死に切り替えた。また収容期間については、事件当時14歳の少年Aと同13歳の少年Bに「4年程度の収容が相当」と勧告。少年の間で中心的な立場にあったとみられる同13歳の少年Cには「短くとも4年以上の収容が相当」と勧告を付した。少年Cは決定を不服とし名古屋高裁に抗告。同高裁は、初等少年院送致は維持したまま、収容の勧告を「短くとも2年以上とし、処遇達成の度合いを見ながら延長するなどの対応が相当」と変更した。

 2009年3月13日に判決が予定されていたが、担当裁判官の親族に急病人がでたため、検察側と弁護側に意見を求めた上、裁判所の権限で判決公判を延期した。
 被告側は控訴した。2009年12月22日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2010年6月7日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
大平哲也(35)
逮 捕
 2008年10月27日(殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入他
事件概要
 住所不定、造園業大平哲也被告は2008年10月16日午前9時10分頃、水戸市に住む女性から植木の手入れの注文を受けるふりをして女性の自宅に入り、首を絞めて殺害。室内から現金約5800円入りの財布を奪った。大平被告は1人で造園業を営み、2007年には女性方で仕事をしたことがあった。
 遺体は単身赴任先から帰ってきた夫が17日に発見。大平被告が2007年6月にガソリンスタンドで給油代金を支払わずに逃走した詐欺用で逮捕されており、そのときの指紋が現場に残されたものと一致した。
 大平被告はトラックで車上生活を送りながら水戸市内の住宅を訪問し、安価で庭木の手入れを請け負っていた。金がたまるとホテルを利用していた。しかしトラックの車券は切れており、本人も無免許だった。
裁判所
 水戸地裁 鈴嶋晋一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月15日 無期懲役
裁判焦点
 逮捕当初は殺人容疑だったが、水戸地検は2008年11月17日、「金を奪う目的で女性を殺害した」と判断し、強盗殺人罪で大平被告を起訴した。
 2009年4月8日の初公判で、大平被告は起訴内容を認めた。検察側は冒頭陳述で、車上生活をしていた大平被告が、客が減って金に困っていたと指摘。「手足がのばせるビジネスホテルに泊まりたいと考えたが所持金は2000円しかなく、客である女性を襲った」と犯行の身勝手さを主張した。また、「できるだけ厳しい刑を望みたい」とする女性の夫の供述調書も読み上げた。一方、弁護側は冒頭陳述で「大平被告は車上生活で手足の調子が悪くなり、人生に絶望していた」として情状酌量するよう主張した。
 4月9日の論告求刑で検察側は、女性の庭木が手入れの時期だと知った上で犯行に及んだと指摘したほか、犯行時、女性が亡くなった後も顔を何度も殴るなど、「被害者の人格をまったく考えず、残虐で非道」とした。また「被告人は罪を生命で償っても不十分」という女性の夫らの意見陳述書も読み上げられた。そして「無気力と怠惰な性格から車上生活を送っていた」とし、ビジネスホテルに泊まるために金がほしかったという動機について「短絡的で酌量の余地はない」と主張。「ひとりで家にいる、か弱い女性を狙った卑劣で計画的な犯行」と断じた。
 同日の最終弁論で弁護側は大平被告の養父の借金が原因で車上生活が始まったことを挙げ、「大平被告は長い車上生活で生活苦と体調不良が重なり、追いつめられた上での犯行。行政や社会から援助があれば犯行はなかった。遺族に手紙を書くなど謝罪と反省の気持ちがある」と、寛大な判決を求めた。
 被告人質問で、「女性宅で植木の仕事をして、収入を得ようとは思わなかったのか」という裁判官の質問に対し、大平被告は「女性から以前借金をしており、仕事をしても相殺されれば手元に残らない。殺して金を奪えば、これまで一泊だったビジネスホテルに少し長めに宿泊し、体を休めることができると思った」と話した。「これからどう償うのか」という弁護人の問いに対しては「人を殺した私は死刑だと思う。死刑を望みます」と目を伏せ、言葉を区切りながら述べた。
 鈴嶋裁判長は判決で「生命の重さに思いを致さない、短絡的で利欲的な動機だ。無抵抗の被害者の首を絞め続ける犯行態様は極めて悪質。理不尽な犯行の犠牲になった被害者の無念さは計り知れず、無期懲役は免れない」と述べた。
備 考
 被告側は控訴した。2009年9月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
杉本繁郎(49)
逮 捕
 1995年5月16日
殺害人数
 14名
罪 状
 殺人、殺人未遂、死体損壊
事件概要
 オウム真理教元幹部の杉本繁郎被告は他の被告と共謀し、以下の事件を起こした。

●男性信者殺害事件
 修行中の男性信者が1988年9月、死亡した際、教団が宗教法人の認可を得るうえで障害になると考えた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)はひそかに焼却を指示した。1989年2月10日、この信者死亡事件を目撃していたTさん(当時21)の脱会意向を知った麻原は、「事件のことを知っているからこのまま抜けたんじゃ困る。考えが変わらないならポアしかないな。私は血を見るのが嫌だから、ロープで一気に絞めて、その後は護摩壇で燃やせ」と、早川紀代秀被告らに殺害を指示。幹部四人が教団施設内でTさんを殺害し、死体を焼却した。

●元信者殺人事件
 1994年1月30日、元オウム真理教信者だったOさん(当時29)は教団付属病院に入院している女性信徒を救助しようと、女性の親族であり脱会の意志を示しているY被告とともに救い出そうとしたが、警備の信徒に取り押さえられた。教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)はY被告に処刑をほのめかしつつ、Oさんと親族のどちらが大切かを迫り、幹部10数名らにOさんを押さえつけさせ、Y被告に絞殺させた。遺体は教団施設内にて焼却した。

●地下鉄サリン事件
 目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5,500人の被害者を出した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月20日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 杉本繁郎被告側は「従属的な立場にすぎなかった。反省もしており、無期懲役は重すぎる」などと主張していた。
備 考
 2000年7月17日、東京地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2004年7月28日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
金丸洋平(31)
逮 捕
 2008年7月31日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 北九州市の指定暴力団工藤会系組幹部、金丸洋平被告は2007年10月1日午前0時半頃、山口市の路上で、近くに住む暴力団元組長の男性(当時60)を拳銃で殺害した。
 男性は2002年頃まで北九州市内で工藤会系の組長をしていた。
裁判所
 山口地裁 向野剛裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月21日 無期懲役
裁判焦点
 2009年1月28日の初公判で、金丸被告は「やっていません」と起訴事実を否認した。
 検察側は、「現場に残された帽子に付着したDNA型と、被告人宅のごみの中のガーゼから採取した血痕や逮捕後に採った被告の血液のDNA型が一致した。工藤会と被害者は対立関係にあり、動機があった」と指摘した。
 一方、弁護側は、警察がごみ袋の中から金丸被告のものとみられる血痕つきのガーゼを押収したことについて、「プライバシー権の侵害で、重大な違法手続きで、DNA鑑定結果は証拠として排除すべき」と批判した。
 3月10日の論告求刑で検察側は、現場に残された帽子に付いた体液とDNAが一致したことなどから実行役と認められると主張。「犯行は計画的で反省もない。暴力団特有の論理に基づく反社会的で許されざる犯行」とした。
 同日の最終弁論で弁護側は帽子と現場にあった拳銃の位置が離れていることから「実行役とは断定できない」と訴えた。またごみ集積所から被告のごみを押収した捜査手法を批判し、「捜査は違法で、証拠も不自然」「目撃者の証言に不自然な点が多い」などと無罪を主張した。
 判決で向野裁判長は現場に残された帽子から金丸被告のDNAが検出されたことなどから「実行犯と認めるのが相当」と述べると同時に、警察の捜査手法についても違法性はないと判断した。そして「至近距離から銃撃した、計画的で悪質な犯行。住宅街で起きた事件が社会に与えた恐怖感は見過ごせない」と指摘した。しかし動機については「被告人から説明がなく動機は不明」とした。
備 考
 被告側は控訴した。2009年12月1日、広島高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
本間正美(48)
逮 捕
 2008年7月23日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 函館市の自営業本間正美被告は無職森清文被告、漁業N元被告と共謀。同市の無職男性(当時46)が森被告の自宅のインターホンをむやみに鳴らしたなどと因縁をつけ、函館港や男性の自宅前などで顔や腹などを殴るなどの暴行を加えて現金を要求し、乗用車の鍵など3点(計2,800円相当)を奪った上、函館港で男性を海に投げ込み、鉄製のいかり(重さ約13kg)を投げつけるなどして水死させた。
裁判所
 函館地裁 柴山智裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月21日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 2009年4月10日の初公判で、本間被告は「覚えていない」として無罪を主張した。弁護側は冒頭陳述で、被告は長期間の拘置で「(事件時の)記憶を喪失した」と主張。「(共犯とされる)二人が証言で被告に責任転嫁する恐れがある」とした。
 4月16日の論告求刑で検察側は、「起訴内容と直接関係がないところは詳細に話し、自分に都合の悪い部分を覚えていないとする供述内容は信用性が低い。あまりにも身勝手な動機で、犯行は残忍極まりない」とした。同日の最終弁論で弁護側は「被告と一緒に行動した知人男性の証言には疑いが残る。被告は事件時の記憶が欠落しており、関与したことに合理的疑いが残る」と無罪を主張した。
 判決で柴山裁判長は「(共犯者)二人の供述は、客観的証拠と整合し、信用性は高い」として被告側の無罪主張を退けた。そして「理不尽な暴行によって命を奪われた被害者の肉体的、精神的苦痛は筆舌に尽くしがたい」と述べた。
備 考
 逃げ出そうとするのを妨げたり、いかりを入手して森被告らに手渡すなどしたとしたN元被告は強盗殺人ほう助罪で起訴され、2009年3月3日、函館地裁で懲役7年(求刑懲役8年)が言い渡された。N元被告は控訴せず確定。
 森清文被告は2009年3月3日、函館地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。
 被告側は控訴した。2009年9月17日、札幌高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定と思われる。

氏 名
吉田修(51)
逮 捕
 2008年6月2日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、銃刀法違反、窃盗他
事件概要
 静岡県浜松市の派遣会社社員吉田修被告は2008年5月31日午前0時ごろ、浜松市にある電器店兼住宅に二階の窓から侵入。一階寝室にいた店主男性(当時66)と妻(当時64)を脅したが男性に抵抗されて揉み合いになり、ペティナイフで男性の右胸や大腿部などを数回刺して失血死させた。さらに妻を脅し、売上金など現金約115,000円を奪った。また、同月25日午後6時半ごろ、男性宅に侵入し、店舗のレジなどから現金約23,000円を盗んだ。
 吉田被告は消費者金融に数百万円の借金があった。パチンコに充てるため給料を前借りし、毎月手元に残る金はわずかで返済が滞り借金がふくらんでいった。自宅アパートの家賃も数か月分滞納しており、奪った金はパチンコと家賃の支払いに充てられた。
裁判所
 静岡地裁浜松支部 北村和裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月21日 無期懲役
裁判焦点
 2009年3月4日の初公判で、吉田被告は「起訴事実は少し違います。殺意は全くありませんでした」と述べ、殺意を否認した。冒頭陳述で検察側が「犯行の態様からは少なくとも未必の殺意が認められる」と指摘したのに対し、弁護側は「男性を刺したことは事実だが、男性ともみ合った際にナイフが刺さってしまった」と述べ、強盗殺人にはあたらないと主張した。
 3月18日の論告求刑で検察側は争点となっていた殺意の有無について「男性の上に馬乗りになり、多数個所にわたって強い力で刺した」として明確な殺意があったと主張。そして「確定的殺意に基づく犯行。人命が奪われるという取り返しがつかない被害が発生した。短絡的で身勝手な動機に酌量の余地はない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、男性が体を起こした時に吉田被告のナイフが右胸に刺さった可能性がある、上半身ではなく足を刺している―などを理由に殺意を否定し、有期刑を求めた。
 判決で北村裁判長は、争点となっていた殺意の有無について「足を刺せば死ぬかも知れないという未必の殺意があり、それでも抵抗を続ける被害者を殺害しようと確定的殺意で右胸を刺した」と明確な殺意を認定。その上で、パチンコなどで作った借金を返済するために犯行に及んだ経緯を指摘し、「身勝手、短絡的で酌むべき事情は全くない」と述べた。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
長原公雄(23)
逮 捕
 2008年5月24日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人
事件概要
 東京都杉並区の長原公雄被告は2008年5月22日夜、新宿区のマンション駐輪場で、派遣社員の母親(当時57)の顔を殴りつけるなどの暴行を加えて殺害した。
 長原公雄被告は次男。以前は母親と同居していたが、暴力を振るうことが多かったため別居しており、母親は公雄被告に居場所を伝えないようにしていた。現場となったマンションは、長女が住んでおり、訪ねてきたところだった。
裁判所
 東京地裁 小池勝雅裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年4月23日 無期懲役
裁判焦点
 長原被告は当時、統合失調症と診断されていたため、検察側が精神鑑定を実施した上で起訴した。
 2009年3月2日の初公判で、長原被告は「殺意はありません」と起訴事実を否認。弁護側は責任能力を争う姿勢を示した。弁護側は長原被告が事件当時、統合失調症だったと主張。検察側は精神鑑定を実施した上で、「責任能力がある」と起訴した。
 検察側は冒頭陳述で、長原被告が約7年前に父親を殺害したとして少年院に入っていたことに触れ「退院後、一緒に住んでいた母親が被告による暴力を逃れようと別居を始めたことから、『見捨てられた』と逆恨みして殺意を抱いた」と説明。
 弁護側は冒頭陳述で「自分を無視した母親を懲らしめようと殴り始め、手加減できない性格のために死なせてしまった」と、殺人ではなく傷害致死罪の適用を訴えた。
 3月19日の論告で検察側は、「鑑定医は『犯行時、幻覚や妄想の症状はなく、精神障害ではなかった』と診断した。責任能力はある」と指摘。「数十回にわたり強烈に殴打する犯行態様は、残虐極まりない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は「精神障害だった」として無罪か責任能力の軽減を求めた。
 小池勝雅裁判長は判決理由で「被告が真実を語らず動機の解明は困難」とした上で「母親の頭をコンクリートの床面にたたきつけ、歯が飛んでも意に介さず、ひたすら殴り続けた」と指摘した。被告は殺意を否認し、弁護側は「心神喪失か耗弱だった」として責任能力を否定したが、小池裁判長は頭部を狙っている点や捜査段階の鑑定結果を基に退けた。被告が北海道中富良野町で父親(当時55)を殺害したことにも言及。「母親も手にかけ、犯罪性向は深化している。きょうだいから更生の支援を受ける機会も失った」とした。そして「冷酷、非情で残忍な犯行。矯正は著しく困難だ」と述べた。
備 考
 長原被告は16歳だった2001年10月に北海道中富良野町で、父親(当時55)の頭部をスコップで殴打するなどの暴行を加え、殺害している。旭川家裁は、父親の暴力や父母の不和による家庭内の強い緊張状態を動機とみて「教育的処遇で更生を図ることが適切」とし、中等少年院送致の保護処分を決めた。

 控訴せず確定と思われる。

氏 名
林昌文(41)
逮 捕
 2007年11月12日(窃盗容疑。殺人容疑で2007年12月5日、再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄、窃盗、現住建造物等放火、詐欺未遂他
事件概要
 東京都町田市の弁当チェーン店経営林昌文被告は、経営する弁当チェーン店の経営が悪化したことから、従業員であるN被告の父親である運転手の男性(当時61)の財産を奪おうと計画。N被告、従業員Y被告、同M被告に命令。2007年5月28日午前2時頃、相模原市内の男性宅に火をつけ、1階窓枠などを焼いた。2階で寝ていた男性が家事に気付き、消し止めた。
 さらに7月7日午前6時頃、新築工事中の男性方で男性の首を背後から両手で締めて殺害させ、遺体を同市内の山中に埋めさせた。殺害の実行犯はN被告、見張り役はY、M両被告だったとされる。林被告は現場におらず、自宅にいた。
 殺害後、林被告やN被告は男性が契約していた数千万円の死亡保険金の支払いや、数千万円合った預金を引き出そうとしたが、失敗した。7月30日には、男性の傷害保険の解約返戻金154万円をだまし取ろうとした。男性と連絡が取れないことを不審に思った保険会社が解約せず、警察に連絡した。
 N被告は父親と2人暮らしだったが、2006年4月に林被告の会社に就職。2007年6月から、相模原市内にあるアパートでY被告と一緒に住んでいた。
裁判所
 横浜地裁 大島隆明裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年5月7日 無期懲役
裁判焦点
 2008年10月16日の初公判で、林被告は「関与していない」と述べ、窃盗罪以外の殺人罪などについて無罪を主張した。検察側は冒頭陳述で、林被告が仕事のミスなどを理由にN被告に5000万円の借用書を書かせるなどして追い込んでいったと指摘。一方、弁護側は「林被告はN被告らの殺害計画を冗談と思っていた」などと反論した。
 2009年3月25日の論告求刑で検察側は「いずれの事実も首謀者は被告であり、人倫を著しく踏み外した人格態度には最大級の非難を加えるべき」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「殺人罪などについては共謀の事実はない」として、窃盗罪以外は無罪と主張した。
 判決で大島隆明裁判長は「事件を指示しており、財産目当ての強盗殺人に匹敵する犯行だ」と被告側の無罪主張を退けた。
備 考
 N被告は2008年7月8日、横浜地裁で懲役23年判決(求刑懲役30年)。被告側控訴も棄却。上告したかどうかは不明。2009年3月時点では確定済み。
 M被告は2008年9月17日、横浜地裁で懲役20年判決(求刑懲役30年)。2009年1月14日、東京高裁で一審破棄、懲役25年判決。
 Y被告は2008年9月17日、横浜地裁で懲役20年判決(求刑懲役30年)。東京高裁で検察・被告側控訴棄却。

 被告側は控訴した。2009年12月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2012年中に被告側上告棄却、確定。

氏 名
姜英雄(41)
逮 捕
 2008年11月4日(自首)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 埼玉県春日部市で飲食店を経営する韓国籍の姜英雄被告は2008年11月1日午後8時半頃、同市に住む無職男性(当時41)から借りた1,345万円の債務をまぬがれようと企て、経営するバーで男性の頭をバールで殴り、首を絞めて殺害した。男性は、姜被告がかつて働いていた職場の上司だった。
 2日夜、男性の妻から届け出があり、春日部署が捜索していたところ、姜被告が4日昼、「人を殺した」と自首。署員が店内で後頭部から血を流して死亡している男性を見つけた。
裁判所
 さいたま地裁 大谷吉史裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年5月7日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 2009年4月22日の初公判で姜被告は起訴事実を認めた。そして「取り立てが厳しく、踏み入れてはいけない領域に足を踏み入れてしまった」などと述べ、情状酌量を求めた。弁護側も「被害者も被告を追い込んでおり、落ち度がある。量刑上考慮されるべき」と主張した。
 5月1日の論告で検察側は「1,345万円の債務の支払いに窮して殺害した。身勝手な動機に酌量の余地はない」と指摘。同日の最終弁論で弁護側は「厳しい取り立てや長年の関係が犯行を誘発した」と主張した。
 判決で大谷裁判長は、姜被告が事前に凶器のバールを購入し男性を呼び出していたことを指摘。さらに、「免れた借金は1,345万円と多額で、犯行も執拗かつ残忍。計画的できわめて悪質。生涯をかけて罪を償わせる必要がある」と断じた。姜被告は事件の3日後に春日部署に自首したが、大谷裁判長は「犯行が発覚すると考え自首したにすぎない」として、情状酌量の理由にならないと判断した。
備 考
 控訴せず確定と思われる。

氏 名
伊丸岡頼明(65)
逮 捕
 2008年4月21日(窃盗容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、住居侵入、窃盗他
事件概要
 東京都あきる野市元職員の沖倉和雄被告(当時60)は、マージャン仲間である東京都福生市の土木業伊丸岡頼明被告(当時64)と共謀。2008年4月9日午後8時頃、あきる野市の無職男性(当時51)宅にカギのかかっていない勝手口から侵入。在宅していた男性と、約2時間後に帰宅した姉の図書館職員女性(当時54)をナイフで脅して両手足を粘着テープで縛り、現金35万円などを強奪。翌10日午前1時頃、2人の頭に袋をかぶせて窒息死させた。2被告は13日に2人の遺体を長野県飯綱町の農地に埋めた。さらに、奪ったキャッシュカードで預金口座から計約526万円を引き出した。
 沖倉被告は2004年12月に市役所を退職後、スナック経営に失敗。賭けマージャンにより、2008年2月時点で約4700万円の借金を抱えていた。市役所の元同僚から資産家である姉弟の情報を入手。殺害して現金やキャッシュカードを奪う計画を立て4月1日、伊丸岡被告に持ちかけた。伊丸岡被告も会社や飲食店経営の失敗で約1700円の借金があったため、会社を再興するためにまとまった金が欲しくて応じた。
 姉の車が、最寄りの駅近くの駐車場に放置され、10日朝に弟を名乗る男が調布市役所に「姉は体調を崩して休む」と連絡していたため、警視庁捜査1課は姉弟が事件に巻き込まれたとみて捜査。自宅から血痕をふき取った跡や土足のような跡が見つかったほか、9日夜~14日午後、マスクなどで顔を隠した男が複数のATMから計15回、姉弟の口座の現金を引き出したことが判明。防犯カメラの映像の分析から沖倉被告と伊丸岡被告が浮上し、4月21日に窃盗容疑で逮捕。伊丸岡被告の供述から2人の遺体が発見され、5月8日に死体遺棄容疑で再逮捕。5月29日に強盗殺人容疑で再逮捕した。
裁判所
 東京地裁立川支部 山嵜和信裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年5月12日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きにより、「犯行のいきさつ」と「犯行の主従関係」が争点になった。
 2009年3月9日の初公判で、両被告とも罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、沖倉被告が市役所の元同僚から男性は資産家との情報を得て、元同僚らに犯行を持ち掛けたが断られたと明らかにした上で「金に困っていることを知っていた伊丸岡被告を誘った」と指摘した。
 弁護側も冒頭陳述を行い、沖倉被告側は、沖倉被告が計画後1ヶ月以上も実行できなかったが、伊丸岡被告を誘ったことで強力な推進力を得たと指摘。「伊丸岡被告が男性の頭に袋をかぶせたので、自分もやらねばしょうがないと思った」と主張した。伊丸岡被告側は、強盗した際に被害者を殺害する話は聞いていたが、「見張りや被害者を縛るだけと認識していた」と主張し、「犯行は沖倉被告の主導で行われた」とした。
 3月16日の論告求刑で検察側は「計画段階から沖倉被告が主導した。2人は遺体を遺棄するなど完全犯罪をもくろんだ。両被告の間には、明白な主従関係があり、求刑において考慮せざるをえない」と指摘した。沖倉被告について凶器や道具の多くを準備したことや、伊丸岡被告が加わったことで計画内容が変更されていない点などを重視。「借金苦を免れたいとの動機に酌量の余地はなく、死刑以外の選択の余地がない」と指摘した。一方、伊丸岡被告については「供述によって姉弟の遺体が発見され、全容が明らかになった」などと述べ、死刑選択を回避した。
 同日の最終弁論で沖倉被告側の弁護人は「犯行計画は中身の薄い稚拙なもの。実行する気はなかった。計画を作ったのは沖倉被告だが、徐々に伊丸岡被告が主犯になった。沖倉被告が、殺人を実行する決意がないうちに、伊丸岡被告が弟を殺害し、これに影響されて犯行に至った。検察官、伊丸岡被告がタッグを組み、沖倉被告と対立している」と主張。伊丸岡被告側は「沖倉被告が一貫して主犯格で、被告は従属的立場だった。沖倉被告の供述は信用できない。逮捕後は反省し、捜査に協力してきた」などと主張した。
 結審前、山崎和信裁判長が「最後に何か言いたいことは」と尋ねると、沖倉被告本人は「私は人を殺しました。迷惑をかけました」と声を振り絞った。また伊丸岡被告は、「私が自供したのは有利・不利を考えたのではない」と改めて述べた。
 判決は「沖倉被告が犯行を終始主導した」と認定。伊丸岡被告については「自供して事件の解明に協力、心底からの反省と悔悟も認められる」と死刑回避の理由を述べる一方「本来の責任は重く、一定の年齢にあることを考えると、仮釈放を許すことは適当ではなく、生涯、刑務所で罪の償いをさせるべきだ」と、異例の付言をした。
備 考
 結審までは移転前の東京地裁八王子支部で審理されている。
 沖倉和雄被告は2009年5月12日、東京地裁立川支部で求刑通り一審死刑判決。被告側は即日控訴した。
 伊丸岡被告は控訴せず確定。

氏 名
山崎武志(34)
逮 捕
 2007年11月30日(ワゴン車を盗んだ窃盗容疑)
殺害人数
 0名
罪 状
 窃盗、窃盗未遂、暴行、道路交通法違反(ひき逃げ、無免許運転他)、保護責任者遺棄、強盗致傷、監禁、強盗傷害、危険運転致傷、住居侵入、強姦致傷、銃砲刀剣類所持等取締違反他
事件概要
 住所不定無職の山崎武志被告は2007年に以下の事件を引き起こした。
  • 2007年8月4日午後9時20分頃、大阪市の貸しガレージにおいて、女性(当時31)が自転車前かごに入れたバッグを自転車ごと盗もうとしたが抵抗されて失敗した。そのとき、女性を転倒させるなどの暴行を加えた。
  • 2007年8月10日、大阪府東大阪市内の会社駐車場においてライトバン1台および中に入っていた現金約15万円を盗んだ。
  • 2007年9月20日午前4時30分頃、大阪市平野区内の軽ワゴンを盗んだ。
  • 9月21日午前3時50分頃、東大阪市の市道で、帰宅途中で自転車に乗っていたパート従業員の女性(当時55)に盗んだ軽ワゴンで追突し、現金約7,000円他が入った鞄を奪った。女性は重傷を負った。
  • 9月22日、東大阪市の男性Fさん方に、1階高窓から侵入。ウェストポーチなど9点(時価約30万円)を盗んだ。
  • 10月8日午後10時頃、南河内郡河南町の路上で、運転する軽ワゴンを女性の乗用車に追突させた。この後、女性をナイフで脅して自分の車のトランクに押し込めて監禁するとともに、別の場所で暴行し、怪我を負わせた。
  • 10月25日午後8時40分ころ、大阪市平野区の路上で乗用車1台を盗んだ。
  • 10月28日午後6時35分頃、平野区内の民家に侵入。現金2,500円を盗んだが、物色中に家人の男性(26)に気付かれ、バットなどで殴り、頭や背中などに軽傷を負わせた。
  • 11月3日頃、東大阪市のFさん方に再び侵入。現金4万円やバッグなど44点(時価約495,000円)を盗むとともに、ライトバン1台を盗んだ。
  • 11月8日頃、東大阪市のFさん方に再び侵入。ネックレスなど8点(時価約52,000円)を盗んだ。
  • 11月20日午前3時50分頃、平野区内の市道交差点に赤信号を無視して突入し、軽乗用車と衝突。運転していた男性(当時38)と同乗者(当時40)に怪我を負わせたまま逃走した。
  • 11月22日早朝午前5時20分頃、自転車で近くの運送会社に出勤途中だった平野区の女性(39)を見つけ金を奪おうと計画。後方から車ではねたが、金品は見つからなかった。山崎被告は女性を後部荷台に載せ、現場から約2km南にある病院駐車場に車ごと放置した。女性は1年近く意識不明で重体のままだった。入院生活は1年以上経ち、完治の見込みは少ないとされる。
 全部で21件の罪に問われている。
裁判所
 大阪地裁 並木正男裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年5月13日 無期懲役
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裁判焦点
 2008年2月8日、ワゴン車などを盗んだ窃盗罪の容疑における初公判で、山崎被告は起訴事実を認めた。
 判決で並木正男裁判長は放置事件について「殺す動機が見いだしにくい」と殺意を否定。強盗殺人未遂ではなく強盗致傷罪を適用した上で「自己中心的で凶悪。根深い犯罪傾向があり、更生への意欲もうかがえない。生活費ほしさから多数の凶悪な犯行に及び、酌量の余地はみじんもない」と量刑理由を述べた。
備 考
 山崎被告は窃盗罪で1995年10月27日、葛城簡易裁判所で懲役2年執行猶予3年を言い渡された。さらに1997年12月25日、建造物侵入、窃盗、住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷の罪で大阪地裁より懲役8年を言い渡されると同時に、先の判決の執行猶予が取り消された。2007年6月15日、出所した。
 被告側は控訴した。控訴取下げ、確定。

氏 名
丹羽大介(21)
逮 捕
 2008年8月3日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 札幌市北区のガソリンスタンド従業員丹羽大介被告は、手稲区に住む友人の無職男性と共謀。2008年8月2日午前2時半頃、北区にある釣具店で釣り竿やリールなど計6点(計約29300円相当)を万引。丹羽被告は自分の車で逃げようとしたが、追いかけてきた店員の男性(当時23)が車のボンネットにしがみついたため、男性を振り落とした後、車で引きずって死亡させた。
 丹羽被告と無職男性は以前の職場の同僚。事件前に数回、同店を訪れていたため、別の店員が顔を覚えており、作成した似顔絵から捜査本部は二人を特定した。二人は列車で本州へ逃走したが、二人の知人や捜査関係者らが携帯電話を通じて出頭するよう説得したのに応じて、3日未明、青森県八戸市で交番に出頭した。
裁判所
 札幌高裁 辻川靖夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年5月26日 無期懲役(被告側控訴棄却)
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裁判焦点
 2009年4月16日の控訴審初公判で、弁護側は減軽を求め、検察側は控訴棄却を求めた。被告人質問で丹羽被告は、拘置中に被害者の家族の調書などを10回以上読んだと話し、「遺族の深い悲しみや自分への怒りを知ることができた。(遺族に)会って謝罪したい」と述べた。
 小川裁判長は、殺意を否認した弁護側主張を「被告はアクセルが急に重くなったと感じており、車で被害者を引きずっている認識があった」と退け、犯行は「悪質で残虐。身勝手でくむべき事情はない」と非難した。
備 考
 無職男性は強盗殺人容疑で逮捕されたが、万引直後、丹羽被告と別れ、車に乗らずに逃走していたことが分かったため、札幌地検は窃盗罪を適用した。2008年10月21日、札幌地裁は無職男性に懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡し、そのまま確定した。
 2008年12月5日、札幌地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年12月16日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
五戸重雄(46)
逮 捕
 2008年2月17日(死体遺棄容疑。2月29日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、窃盗
事件概要
 青森県八戸市の無職五戸重雄(ごのへしげお)被告は2007年12月18日午前7時ごろ、八戸市の自宅で寝ていた父(当時76)の頭や胸などをハンマー(長さ87.5cm、重さ4.7kg)で何度も殴って殺し、現金約24,000円とローンカード1枚を奪い、水の張った1階浴槽内に遺体を隠した。また後日、奪ったカードで現金計173万円を引き出した。
 五戸重雄被告は2007年9月下旬まで父親と同居していたが、トラブルを起こし、父親の口座から約128万円を引き出して家出。その後、金に困って同日早朝に帰宅し、犯行に及んだ。五戸重雄被告は事件前から定職に就かずパチンコなどを繰り返しては、父親の預金を数回、計400万円を勝手に引き出していた。
 犯行後は遺体と一緒に生活し、遺体のにおいを消すため、遺棄現場の浴室に芳香剤を置いたり、発覚を遅らせるために新聞を取り込んだりしていた。親類やヘルパーからの電話には、「(父は)旅行に行っている」とうそをついていたが、1月5日夕に外出先から帰宅すると、親類の車が家の前にあったため、逃走した。遺体は午後5時半ごろ、訪ねてきた親戚数人が発見した。
 五戸被告は遺体が見つかった直後、約43万円を持って青森市に逃走。翌日に新潟市に向かい、更に金沢市へ逃走。市内の安宿を転々としていた。八戸署捜査本部は1月28日、五戸被告について死体遺棄容疑で逮捕状を取り、全国に指名手配した。
 2月17日、同市内のパチンコ店の休憩所にいた五戸被告を警戒中の石川県警の捜査員が発見。名前を確認したところ、「そうです」と素直に応じたため逮捕した。逮捕時の所持金は百数十円しかなかった。
 五戸被告は高校中退後、水産会社に就職して漁師に。3年働いて退職。土建会社やイカ釣りの遠洋漁業、パチンコ店などを転々としたが、いずれも長くは続かなかった。1995年に結婚。3児をもうけたが、2003年には父親の預金を無断で引き出し家出。金に困っては事件を繰り返した。公判で検察側は殺人事件を起こす引き金ともなった被告のパチンコやスナック通いについて、年収が700万円の時もあったという漁師時代の「思い切り金を使うクセが抜けなかった」と指摘している。
裁判所
 仙台高裁 志田洋裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年5月26日 無期懲役(検察側控訴棄却)
裁判焦点
 検察側は量刑不当を理由に控訴した。
 2009年3月16日の控訴審初公判で、検察、弁護側とも事件の内容については争わず、量刑についてそれぞれ意見陳述。
 検察側は、死刑適用の基準となる「永山基準」から導いた一審判決について、「死刑が回避される有利な事情がなければ、基準を過度に重視すべきではない」と強調。「遊ぶ金欲しさに父親を殺害した冷酷で非道な犯行。被告は一審で『反省の気持ちがわかない』などと述べており、更生の兆しはない」と訴えた。
 これに対し、弁護側は「被害者の数を考慮することには十分な理由がある。幼少、少年期に不遇な面もあり、基準に照らし、死刑選択が許される事案ではない」とし、「ほかの例を参考に、結果の重大性などを見ても控訴は棄却されるべき」と主張した。
 判決で志田裁判長は「殺害方法は残虐非道で、被告の親族も死刑を希望している」とした。一方で、被害者が1人で場当たり的な犯行であることを指摘。被告が「遺族に謝罪の手紙を出さなければ」などと述べている点も挙げ、「更生意欲を持つ兆しが見られる」として死刑回避の理由とした。
備 考
 2008年9月4日、青森地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
岩村浩行(45)
逮 捕
 2008年6月22日(死体遺棄容疑。7月13日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、強姦致死、死体遺棄他
事件概要
 熊本市の無職岩村浩行被告は2007年5月11日ごろ、自宅アパートで、営業に訪れた同市の保険外交員の女性(当時44)を失神させて暴行。その後、女性の首を持っていたベルトで絞めて殺害し、遺体を押し入れに遺棄した。岩村被告は2003年12月から女性の顧客で、女性は事件当日もアパートを訪れていた。
 6月19日午前11時50分ごろ、岩村被告のアパートの部屋に遺体があるのを、家出人捜索で訪れた警察官が見つけた。
 熊本県警の捜査本部は21日に死体遺棄容疑で岩村被告を指名手配。6月22日正午頃、名古屋市のコンビニエンスストアから「数日前に万引きした男に似た人が来た」と110番があり、駆け付けた中村署員が別のコンビニから出てきた男を見つけて同署に任意同行。岩村被告と判明し、逮捕した。
裁判所
 最高裁第一小法廷 桜井龍子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月2日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 被告側は、一・二審判決は重いと訴えていた。
備 考
 2008年8月11日、熊本地裁で一審無期懲役判決。2008年12月19日、福岡高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
栩原慶一(62)
逮 捕
 2008年9月26日?(11月25日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 京都府八幡市の無職栩原(とちはら)慶一被告は2008年4月22日午前11時30分、滋賀県甲賀市内の山林において、知人で宇治市に住む元会社社長の男性(当時63)をナイフで刺すなどして殺害し、通帳(残高約3067万円)や現金約38000円を奪った。
 被害者の男性は2006年秋、経営する矯正下着販売会社の倒産を控えて栩原被告と相談し、栩原被告名義の口座に約3000万円を隠匿し被害者が管理した。殺害直後、全額が栩原被告の別の口座に移した。
 京都府警は詐欺容疑で栩原被告を逮捕。栩原被告が殺害を自供し、府警は被害者の遺体を11月23日に発見。25日、京都府警は遺体が被害者であることが確認し、栩原被告を強盗殺人容疑で再逮捕した。
裁判所
 京都地裁 増田耕児裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月3日 無期懲役
裁判焦点
 2009年5月25日の初公判で、栩原被告は起訴事実をおおむね認めた。検察側は冒頭陳述で、栩原被告が約10億円の借金を抱えて生活費に困り、被害者を山菜取りに誘うなど数日前から計画していたとした。弁護側は「(被害者から)山菜採り用のナイフを手渡されていたことから、偶発的に起きた」と計画性を否定した。
 5月26日の論告求刑で検察側は「金銭のために長年の友人を殺害した。ナイフで刺して石で殴り、人通りのない山中に捨てた。残虐で非人間的だ。奪った金で派手な生活を続け、冷酷さが際だっている」と主張した。弁護側は最終弁論で、凶器を準備していなかったことなどから計画性を否定し、「20年来の友人を殺害したことを後悔し、反省している」と寛大な判決を求めた。公判は被害者参加制度が適用され、被害者の長女が量刑意見で「死刑を求めたい。まじめに生きていた父のすべてを奪った。絶対に許せない」と述べた。また質問にも立ち、「父の最期の様子は」「(事件後)何を思って生活していたか」などと尋ねた。栩原被告は「あやめたことを後悔しています」などと答えた。公判後、「意見が(被告の)心に少しでも届いたらいいと思う」と話した。
 判決で増田裁判長は、栩原被告が凶器を準備していないことなどから、計画性は否定した。一方で、被害者の資産隠しのために作った被告名義の口座の預金を得たいと以前から考えていたとし、「犯行直前に報酬の支払いを拒否され、殺害して手に入れようと具体的に考えた」と指摘した。その上で、「経済的に困窮し、被害者の預金に目をつけた。犯行は冷酷かつ残忍。犯行後に口座から3000万円余りを引き出して使っており、財産的被害も多額に上っている。犯行の動機に酌量の余地はない。遺族の絶望感は計り知れず、厳しい処罰感情も当然。反省していることを考慮しても無期懲役が相当」と述べた。
 被害者の長女は閉廷後、「判決は遺族の絶望感や処罰感情に触れていただき、気持ちを酌んでもらえたと思う」と話した。量刑意見で死刑を求めていたが「絶対に許さないという気持ちは伝えられた。検察求刑通りなのでよかった」と表情を和らげた。また「家族が父を大切に思う気持ちと父の無念さをぶつけたが、被告は今日も私の顔を見なかった。心に届いたのか、知る機会があればいい」と話した。
備 考
 栩原被告は詐欺容疑で逮捕されたが、京都地検は「強盗殺人に関連する行為で、あえて起訴する必要はない」と判断、不起訴(起訴猶予)とした。また、詐欺事件の共犯で逮捕された女も「関与の程度が低い」として不起訴(同)とした。
 被告側は控訴した。2009年中に大阪高裁で被告側控訴棄却。2010年3月8日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
三木恵美子(62)
逮 捕
 2008年4月8日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗
事件概要
 姫路市の清掃作業員三木恵美子被告は2007年9月8日午前11時頃、近くのアパート1階に住む無職女性(当時90)宅を訪問し、ベッド下から現金約20万円を盗んだ。さらに同日午後8時頃にも金を盗もうと女性宅を訪問したが、午前中の犯行が発覚したと思い、室内にあった電話機で女性の頭を殴り、さらに電話線で女性の首を絞めるなどして殺害し、現金約27万円や預金通帳などを奪った。奪った金は滞納していた家賃や光熱費などに使った。
 女性は複数の知人に金を貸しており、三木被告も数回借りていた。
裁判所
 神戸地裁姫路支部 五十嵐常之裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月4日 無期懲役
裁判焦点
 2009年4月20日の初公判で、弁護側は「首を絞めたことと女性の死亡の因果関係に疑問の余地がある」などとして、暴行罪と窃盗罪を適用すべきだと主張した。
 4月27日の論告で検察側は「滞納家賃や借金に困った末の身勝手な犯行。酌量の余地はない」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「ののしられて激高し、とっさに殴って首を絞めた」と殺意を否認。殺意を認めた捜査段階の供述については「強引に自白させられた」と主張した。
 五十嵐常之裁判長は判決理由で「確定的殺意に基づく危険極まりない行為で、刑事責任は非常に重い」と指摘。「計画性がなかった」とする弁護側の主張は認めたが「刑を軽くするのはそぐわない」とした。また強引に自白させられたとの主張については、「供述は具体性があり信用できる」と退けた。そして五十嵐裁判長は「何の落ち度もないのに突然殺害された被害者の無念は察するに余りある」と指摘した。
備 考
 被告側は控訴した。

氏 名
岩井篤三(47)
逮 捕
 2007年11月13日(自ら出頭)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、強盗、死体遺棄、住居侵入他
事件概要
 成田市の暴力団組員岩井篤三被告はマレーシア国籍の住居不定無職、ウン・ハイ・ホワット被告、タイ国籍の住所不定接待業P被告、タイ国籍で茨城県坂東市の無職S被告、タイ国籍で茨城県古河市の無職T被告、埼玉県さいたま市の無職少年(当時18)と共謀。2007年10月14日夕方、千葉県柏市に住む住吉会系暴力団組長の男性(当時57)の自宅マンションに侵入し、内縁の妻や息子を監禁。午後5時頃、帰ってきた男性の腹などをナイフで刺して殺害し、現金100万円や貴金属などを奪った。その後、タイ国籍の女性被告、富里市の無職男性被告を加えた8人で17日、富里市の空き地に遺体を埋めた。内妻たちは富里市内のトレーラーハウスに再度監禁され、15日夜に解放された。
 一連の犯行はウン被告の指示で実行された。
 他にウン被告は岩井被告と共謀し、2007年8月19日午前11時40分ごろ、千葉県酒々井町のパチンコ店敷地内にある景品交換所に盗難車で突っ込み、女性店員(当時41)を脅して、交換所の中にあった現金を奪った。
裁判所
 東京高裁 裁判長不明
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月8日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか?
備 考
 さいたま市の無職少年(当時18)は2008年6月26日、千葉地裁で一審懲役5年以上10年以下判決(求刑無期懲役)。2009年1月29日、東京高裁で検察側控訴棄却。そのまま確定か。
 P被告は2008年10月28日、千葉地裁で一審懲役28年(求刑懲役30年)判決。
 ウン・ハイ・ホワット被告は2008年11月20日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。
 S被告は2009年2月26日、千葉地裁で一審懲役28年(求刑懲役30年判決)。
 T被告は強盗殺人他で起訴。一審判決済み。その他2被告が一審判決を受けている。
 2008年12月11日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年10月26日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
佐藤雅樹(38)/生方久巳(47)
逮 捕
 2007年9月12日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入他
事件概要
 新潟県上越市のK被告は2007年6月15日、自宅アパートの部屋で、東京都新宿区の自称人材派遣業佐藤雅樹被告に「上越市の不動産業の女性(当時74)の自宅に多額の金があり、月末になるとテナントの集金で留守にする」などと教え、空き巣に入るようそそのかし、女性宅の間取りに金庫や金の保管場所を示した図面を手渡した。
 K被告は1990年頃、佐藤被告と市内の自動車修理販売会社で同僚として知り合い、2000年頃から金を貸していた。2003年から女性のテナントビルで飲食店を経営し、佐藤被告を店長として雇用。2006年2月ごろに経営悪化で閉店後、自身も借金があったK被告は佐藤被告に借金返済を迫り、空き巣話を持ちかけた。
 佐藤被告は図面を見せて指示した上で6月30日夕、東京都新宿区の無職生方久巳被告、新潟県上越市の工員の男(事件当時19)とともに空き巣に入ろうとしたが、女性が在宅していたことから断念。計画を練り直して、2007年7月1日午前0時10分頃、女性方を訪れ、生方被告が訪問者を装って女性に玄関のドアを開けさせ、佐藤被告と2人で家に押し入った。両被告は女性の顔や手足を粘着テープで縛り、現金約2000万円が入った金庫と封筒入りの現金約600万円の計約2600万円を奪った。工員は現場までの行き帰りの車の運転手役だった。女性は窒息死した。
 佐藤被告は生方被告へ約800万円を報酬として渡し、自らは約1000万円を手にしてその中から工員に数10万円を報酬として与えた。また残り約800万円を借金の一部返済としてK被告に手渡した。
 女性はJR直江津駅周辺にスナックなど24店舗を所有。毎月約200万円の家賃収入を得ている資産家として知られていた。金庫には家賃として集めた多額の現金が入っていた。佐藤被告は2005年まで女性がテナントを貸す飲食店で働いていた。
 主犯格の佐藤被告は、奪った金で自らの借金を返済したり、共犯の少年や生方被告に数10万円を渡していた。佐藤被告は生方被告と東京の暴力団事務所で知り合い、工員とは以前に上越市で一緒に仕事をした仲だった。
裁判所
 最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月9日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか?
備 考
 元少年の工員は2008年7月15日、新潟地裁で懲役10年(求刑懲役15年)判決。被告側が控訴するも棄却。
 K被告は窃盗教唆などの罪で起訴。2008年1月22日の初公判では、起訴事実を否認し無実を主張した。2008年10月1日、懲役3年(求刑懲役5年)判決。被告側控訴も棄却。
 佐藤雅樹被告は2008年7月15日、新潟地裁で懲役30年判決。生方久巳被告は2008年8月5日、新潟地裁で懲役28年判決。2009年1月21日、東京高裁で両被告の一審判決を破棄、無期懲役判決。

氏 名
前田洋之(37)
逮 捕
 2008年1月23日(有印私文書偽造・同行使などの罪で起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗、有印私文書偽造・同行使他
事件概要
 住所不定、無職前田洋之被告は2007年4月15日午後11時45分頃、千葉県船橋市の県道の駐車場で、近くに住む会社員の男性が所有するスポーツカー(時価約216万円)を盗み出した。ところが、盗難警報装置が鳴り、駆け付けて車にしがみついた男性を振り落とそうとして蛇行運転して約100m引きずって転落させ、頭部打撲で死亡させた。
 車は約60m先でブロック塀に衝突し、前部が大破したため、アフガニスタン国籍の職業不詳モハッド・イサ容疑者の車に乗って逃走した。
 前田被告とイサ容疑者は1999年ごろ、関西地方で自動車盗を繰り返し、検挙されたグループの一員。前田被告は数人で2006年10月~2007年4月、兵庫、千葉の両県と大阪府で、高級スポーツカーなどを狙って約100件の犯行を重ねていたことを自供したが、起訴されたのは2007年3月~4月にかけ、8台の高級車を盗んだ窃盗容疑である。
 盗んだ車は、姫路市に住む自動車修理販売業の男性らによって製造番号を消した上で解体し、1台20~80万円でドバイに輸出されたという。
 捜査本部は、車に残された盗難防止装置の解除機器の特徴や、事故現場の路上に落ちていた帽子に付着していた毛髪などから前田被告らを割り出した。
 前田被告は事件後の2007年4月下旬に他人名義のパスポートを取得するため申請書類を偽造したとして、12月上旬、逮捕されていた。
裁判所
 最高裁第一小法廷 宮川光治裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月9日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか?
備 考
 モハッド・イサ容疑者は2007年4月16日夜、中部国際空港から偽造旅券で出国した。現在、国際指名手配されている。
 前田被告にパスポートを不正に取得させたとして、旅券法違反罪などに問われた大阪市に住むインターネット販売業の男性は、2008年2月1日、千葉地裁で懲役2年(求刑懲役2年6ヶ月)が言い渡された。
 盗難車と知りながら、前田被告らから盗難車3台を預かって、兵庫県加古川市の倉庫に保管したとして、盗品保管罪に問われた姫路市に住む自動車修理販売業の男性は2008年5月19日、千葉地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年(求刑懲役2年6ヶ月)が言い渡された。また社員である他の4被告には懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(求刑懲役1年6ヶ月)が言い渡された。なお自動車修理販売業の男性は、前田被告に車両盗難防止装置を解除するコンピュータを渡した窃盗ほう助でも逮捕されている。
 モハッド・イサ容疑者の国外逃亡を手助けしたとして、同国籍でイサ容疑者のおいの兵庫県姫路市、私立大学2年の男(当時19)が入管難民法違反(不法出国ほう助)の疑いで逮捕、送検されている。
 2008年10月20日、千葉地裁で一審無期懲役判決。2009年3月11日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
松本光司(60)
逮 捕
 2006年8月24日(死体遺棄容疑。9月14日に強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、詐欺、死体遺棄、窃盗、有印私文書偽造、同行使、強盗
事件概要
 住所不定無職野崎隆元被告と横浜市の警備員松本光司被告は共謀して、2006年4月17日午後7時半ごろ、千葉県松戸市の無職男性(当時47)宅で、男性を包丁で脅してロープで緊縛、キャッシュカード入りの財布を強奪。脅して暗証番号を聞きだし、埼玉県内の遊技場の従業員を使って金を引きだした。さらに乗用車に乗せ、18日午前4時ごろ、茨城県取手市の利根川河川敷で男性の胸を包丁で刺して殺害し、同県鉾田市内の防砂林に埋めて遺棄した。二人は19日にもキャッシュカードから現金を引きだした。2日間で計520万円にのぼる。男性から借りていた550万円の支払いを免れる目的だった。
 野崎元被告はリフォーム会社を経営しており、松本被告は会社に出入りしていた。男性宅をリフォームしたことから二人は男性と顔見知りであった。
 野崎元被告と松本被告は6月27日午後4時50分頃、鉾田市の郵便局でカウンターにいた男性局長(当時50)と女性局員(当時41)を包丁と火炎瓶に見せかけたペットボトルで脅し、現金約112万円を強奪。局の出入り口付近で約90万円を落とし、残りの20万円余りを奪って車で逃げた。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月10日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 松本被告は一審で殺人を否認している。
備 考
 被害者の妹は白血病で、被害者より2005年12月に骨髄移植を受けていた。2006年春に再発し、医師は移植の効果を強めようと、ドナーだった被害者の血中のリンパ球を輸血する「ドナーリンパ球輸注」という新たな治療を計画。しかし被害者は輸血1週間前の2006年4月18日に殺害されたため、治療ができなくなった。妹は2006年10月、別のドナーから骨髄を再移植したが、元々成功率は20%と低く、2007年6月、急性骨髄性白血病で亡くなった。享年43。被害者の弟は、「被告らは兄に加え、妹を殺したも同然」と憤りを隠さず、厳刑を求めた。
 2007年10月31日、千葉地裁で一審無期懲役判決。野崎隆元被告は上訴期間中に控訴取下げ、確定。2008年7月8日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
岸本交右(25)
逮 捕
 2008年9月10日(窃盗容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 強盗殺人、窃盗
事件概要
 茨城県つくば市の無職岸本交右(こうすけ)被告は住んでいたマンションの家賃の支払いに困って2008年9月4日午後、土浦市の実家にすむ祖父(当時82)と祖母(当時78)を包丁(刃渡り約21cm)で刺して失血死させ、金庫から現金約16万円や商品券98枚(98000円分)とキャッシュカード、暗証番号のメモなどを奪った。岸本被告はそのまま西へ逃走。9月5日に名古屋市の、6日に大阪市のコンビニエンスストアに設置された現金自動受払機(ATM)で、祖父の口座から計250万円を引き出した。
 土浦署捜査本部は9月9日、岸本被告の顔写真を実名とともに公開した。10日午前、岸本被告をJR博多駅で見つけ身柄を確保。名古屋市のATMで現金30万円を引き出した窃盗容疑で逮捕した。10月1日、大阪市のATMで計100万円を引き出した窃盗容疑と祖父母殺害の強盗殺害容疑で再逮捕した。
 岸本被告は高校を中退後、定職に就かず、祖父母からもらったり盗んだりした金を、車の購入費やパチスロ、キャバクラなどの遊興費に充て、半年で約2000万円を浪費したこともあった。合計金額は5000万円を超えるとされる。1ヶ月ほど前にも祖父母方に忍び込もうとしてトラブルになったが、孫のことを思った祖父母が被害届を提出しなかった。事件当時は消費者金融などに100万円以上の借金があった。
 岸本被告は2007年10月11日午前2時50分頃、つくばみらい市の銀行敷地内に侵入。警備会社の警報で警察官が現場に駆けつけたところ、隠れていた岸本被告を発見。逃走したが取り抑えられ、建造物侵入の現行犯で逮捕された。水戸地裁土浦支部で懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡され、確定した。事件当時は執行猶予中だった。
 他に岸本被告は5月5日~8月8日、つくば市内のコンビニなど6ヶ所の現金自動受払機(ATM)で、祖父名義の口座から9回にわたって計300万円を無断で引き出した窃盗容疑でも起訴されている。
裁判所
 水戸地裁 河村潤治裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月11日 無期懲役
裁判焦点
 2009年5月19日の初公判で岸本被告は起訴事実を認めた。検察側は冒頭陳述で、岸本被告が実家金庫から繰り返し現金などを盗んでキャバクラなどに通い、マンション家賃を滞納していたと指摘。キャッシュカードを盗もうと実家に侵入したが、祖父母がいて盗む機会がなかったため、警察に通報されず確実に現金を得るため2人を殺害しようと決意したと述べた。
 5月20日の被告人質問でも事件について「悪いと思っているが、反省しているかと言われれば分からない」と発言。裁判官から更生の意思を問われ「変わらないだろうと思う」と述べ、更生の可能性を強調する弁護側方針とのずれを表面化させた。
 5月21日の論告求刑で検察側は、「犯行は極めて凶悪、冷酷、残虐。生活費、遊興費目的の動機に酌量の余地はない。殺害後も居酒屋やキャバクラに通うなど平然と過ごした。金に困れば他人から盗めばといいという発想しかなく、再犯の恐れは極めて大きい。本来は極刑も考えられるが、親族間の犯行で、第三者に対する事案とは性質を異にする。家族も情状酌量を求めている」として無期懲役を求刑した。
 同日の最終弁論で弁護側は、「親族は岸本被告が更生し、罪を背負って生きることを願っている。岸本被告も家族に申し訳ないと言っている」と情状酌量を求めた。
 岸本被告は「検察官と弁護士が何か言ったが、事実を見てほしい」とだけ述べ、自身の更生の可能性については固く口を閉ざした。
 判決で河村潤治裁判長は命ごいをする祖父母を殺害した犯行を「命の尊さをあまりに軽視した短絡的な犯行」と指摘。続けて「再三にわたって勝手に金品を持ち出すなどしていた被告人を見捨てることなく、祖父母として心配し、気にかけていたにもかかわらず、命を奪われたことは、あわれというほかない」と語りかけるように述べた。そして「生活費や遊興費を得るための自己中心的で利欲的な犯行。反省の情すら示さず、刑事責任は極めて重大」とする一方、「遺族が寛大な処分を求めていることは考慮されなければいけない」と述べた。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
渡辺裕一郎(57)
逮 捕
 2009年1月5日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、強盗致傷、住居侵入
事件概要
 住所不定、無職の元プロボクサー渡辺裕一郎被告は2008年11月11日午後1時10分ごろ、小田原市に住む男性(当時84)方で男性の頭や胸などを殴り、現金約12万4千円を奪った。男性は顔や腹部に軽傷を負った。渡辺被告は事件当日、小田原競輪で負けて犯行を計画し、奪った金はギャンブルに使った。
 2日後の11月13日午後1時50分、同市に住む別の男性(当時82)方で、男性とその妻(当時79)の顔を手拳で数回殴って現金約4万8千円を奪った。奪った金はパチンコに使った。男性は脳幹部出血で4日後に死亡した。妻は顔に軽傷を負った。
 日本ボクシングコミッションによると、渡辺被告は1974~77年にプロボクサーとして活動。75年にミドル級で全日本新人王、最高ランクは日本1位。日本ミドル級王座戦に2度挑戦したが、いずれも敗れている。通算成績は18戦11勝(6KO)7敗。
裁判所
 横浜地裁小田原支部 山田和則裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月16日 無期懲役
裁判焦点
 県警は渡辺被告が元ボクサーだったことなどから強盗殺人容疑で逮捕していたが、地検支部は「慎重に捜査した結果、引退から30年以上過ぎており、殺意は認めがたい」として強盗致死罪を適用した。
 2009年4月21日の初公判で、渡辺被告は「間違いありません」と罪を認めた。
 冒頭陳述で、検察側は「ギャンブルで所持金がなくなり、現金を奪おうとした」と動機を説明。3人のあごやこめかみを殴ったことについて、「急所を的確に狙った悪質な犯行だ」と指摘した。
 一人を殴った際に感染症にかかったという被告は車いすで出廷し、「怨霊が取りついて歩けなくなった」と述べた。
 5月12日の論告求刑で検察側は「ボクサーのこぶしが凶器と分かっていながらコンビネーションパンチで殴った。高齢の被害者に対し、容赦のない執拗な暴行。ギャンブル代欲しさの計画的で残虐な犯行残虐さに戦慄を覚える」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「必要最小限のパンチで、暴行の程度は軽い」などと懲役20年以下を求めた。
 山田和則裁判長は判決理由で「プロボクサーとして身に付けた技で、執拗な暴行を加えた無慈悲で残虐な犯行。酌量の余地はない」と指摘。動機について「ギャンブルの金欲しさに犯行に及んだ」と述べた。
備 考
 被告は控訴しない方針。

氏 名
鈴木智勝(30)
逮 捕
 2008年12月27日(死体遺棄容疑。強盗殺人他容疑で2009年1月18日、再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄他
事件概要
 住所不定無職鈴木智勝被告は2008年12月16日、福島県いわき市に住む無職男性(当時79)方に侵入。現金を盗む目的で食べ物などを盗んでずっと潜んでいたが23日午後11時頃、2階の布団部屋に隠れているのを男性に見つかったため、揉み合いの末、男性の首を腕で絞めて殺害。遺体を布団などで覆い隠した後、乗用車(約5万円相当)と現金25,000円、その他15点(約13,000円相当)を奪った。
 鈴木被告は愛知県内の自動車部品製造会社で派遣社員として働いていたが、2007年10月に契約が満了。別の仕事をあっせんされたが「やりたくない」と断り、車の中や温泉宿泊施設などで生活していたが金に困っていた。
 男性と連絡がとれないことを不審に思った親族から通報を受け、福島県警が捜索していたところ、同月27日に男性方2階で遺体が見つかった。県警は同日夜、いわき市内で男性の車を運転していた鈴木被告を発見し、死体遺棄を認めたため逮捕した。
裁判所
 福島地裁いわき支部 高原章裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月17日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 2009年5月1日の初公判で、鈴木被告は起訴事実を全面的に認めた。
 同日、検察側は「約5分間にわたり首を絞め続けた殺害状況は極めて残虐。殺害後には金品を奪ったり、台所で飲食するなど冷徹な行動をした。自己中心的な動機に酌むべき事情はない」として無期懲役を求刑。弁護側は「男性方に侵入する際には暴力を加えるなどの目的はなく、突発的な犯行」と主張。鈴木被告が深く反省していることや犯行に計画性がなかったことなどから有期懲役を求めた。
 高原章裁判長は「民家に侵入して見つかり、逮捕を免れようと殺害した場当たり的、自己中心的かつ短絡的な動機で、被害者の立場を全く無視した犯行で、人間性のかけらもない。逃げようとするもかなわず、なすすべもなく殺害された上、遺体を自宅2階の廊下の隅に4日間も放置された被害者の無念さは計り知れない」と指摘。被告の生活にも触れ「愛知県で派遣社員などをしていたが、月々の収入を使い切り安易に仕事を辞めるなど計画性のない生活を送り、金銭に窮して実家近くの顔見知りの家に侵入した」と述べ、「計画的な犯行ではなく反省していても、責任は重大」と非難した。
備 考
 弁護人が情状酌量を求めて控訴した。2009年7月3日までに本人控訴取下げ、確定。

氏 名
脇田誠(43)
逮 捕
 2007年1月5日(死体遺棄容疑。1月27日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄、死体損壊、常習累犯窃盗
事件概要
 住所不定、職業不詳脇田誠被告は交際中の少女が妊娠するなどしたため、金に困り、自分に好意を寄せる愛知県稲沢市の会社員の女性(当時24)から金を奪い取ろうと考えた。2006年11月ごろ、女性に温泉旅行を持ちかけ、消費者金融などから105万円の借金をさせた上、2006年11月25日、女性を睡眠薬で眠らせてから、岐阜、愛知県か周辺地域で殺害。27日に松本市安曇の市道脇に死体を遺棄し、翌日ガソリンをかけて火をつけるなどした。脇田被告は2004年秋ごろに女性と知り合い、交際していた。
 11月28日に遺体が発見された。12月5日に身元が判明。
 捜査本部は、女性の借りたレンタカーに脇田被告が乗った跡があることや目撃情報などから、脇田被告の犯行と断定,12月18日に逮捕状を取り、26日に指名手配した。
 2007年1月5日午後4時20分ごろ、脇田被告はマスクで顔を隠し、潜伏していた神戸市北区有野町のホテルの駐車場に現れたところを逮捕された。
 他に脇田被告は服役中の男とともに2006年1月29日早朝、愛知県岡崎市内の自動車用品店に侵入。カーナビなど17点(約180万円相当)を盗んだ。
 脇田被告は9月25日夜、一緒にいた無職少女(当時17)とともに、愛知県大口町の立体駐車場から乗用車1台(約100万円相当)を盗んだ。盗んだ車は近くに乗り捨てた。
 また脇田被告は12月11日未明、少女と愛知県蒲郡市のゲームソフト販売店に侵入し、新品のゲームソフト313枚(約120万円相当)を盗んだ。
 窃盗では2005年10月から2006年12月にかけ、カー用品店やリサイクルショップなど5店に侵入し、トータルで自動車や貴金属など1000万円相当の品物を盗んでいる。
裁判所
 最高裁第一小法廷 金築誠志裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月18日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 脇田被告は逮捕以来、一貫して容疑を否認または黙秘。一・二審でも無罪を主張した。
 弁護側は「殺害日時や場所が特定されていない」などとして無罪を主張したが、小法廷は退けた。
備 考
 2008年3月5日、長野地裁で一審無期懲役判決。2008年9月25日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
佐々木善美(56)
逮 捕
 2009年1月28日(現行犯逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、建造物侵入
事件概要
 埼玉県越谷市の配送業佐々木善美被告は弁当配達で顔見知りだった千葉県松戸市にある自宅兼元医院宅で、金品を奪って借金の返済に充てようと計画。2009年1月28日午後7時頃、宅配業者を装い電話で一人暮らしの無職女性(当時86)を外に呼び出したすきに侵入したが、室内でと女性と鉢合わせしたため首を両手で絞めて殺害した。その後現金を奪おうとしたが、警報装置が作動して駆け付けた警備員が通報。駆けつけた松戸東署員が逮捕した。
裁判所
 千葉地裁 根本渉裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月19日 無期懲役
裁判焦点
 2009年6月17日の初公判で、佐々木被告は起訴内容を認めた。
 6月18日の論告求刑で検察側は「殺害後も金を奪うつもりがあったことは明らか」と指摘。その上で、「首を絞めたことは確実な殺意があってのことで、借金を返すためという動機に酌量の余地はない。計画的犯行で生命を奪っており結果は重大」とし、「獄中で生涯を終えることを願う」という被害者の長女の手紙を読み上げた。
 被害者参加制度に基づき意見陳述した被害者の遺族の代理人弁護士は、佐々木被告の犯行状況についての供述は「悪質さをごまかすための言い逃れ。不自然で信用できない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は「強盗に入ることを最後まで悩み続け、綿密な準備はない。頭がパニックになり首に手をかけた」と寛大な措置を求めた。
 根本渉裁判長は判決理由で「ヤミ金の借金返済に困り、資産家で高齢の一人暮らしの被害者から容易に金品を強奪できると考えた犯行は短絡的で身勝手」と指摘。「弁当配達の労を笑顔でねぎらう被害者の信頼を裏切って標的にした卑劣で背信的な行為」と述べた。
備 考
 被告側は控訴したと思われる。

氏 名
橋本卓也(38)
逮 捕
 2008年11月30日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 静岡市の会社員橋本卓也被告は2008年10月7日午後6時ごろ、金を奪う目的で市内の消費者金融を訪れ、経営者の男性(当時63)の顔を殴るなどし、両手で首を絞めて殺害。金庫内の約150万円と、ネックレスや宝石など22点(計約47万円相当)を奪った。
 橋本被告は約1600万円の住宅ローンに加え、複数の消費者金融などから計200万円以上を借りていた。
裁判所
 静岡地裁 本間敏広裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月22日 無期懲役
裁判焦点
 2009年5月18日の初公判で、橋本被告は起訴事実をほぼ認めたが、奪った金額は検察の主張より約40万円少ない約110万円だとして、起訴内容を一部否認した。
 同日の論告求刑で検察側は動機について「パチンコで借金を重ねた末の犯行で同情の余地はない」と非難。カッターナイフなどを用意した計画的犯行であり、社会での更生は不可能とした。同日の最終弁論で弁護側は「犯行を思い立ったのは当日で、場当たり的な側面が強い。多重債務の苦しみなど同情すべき点もある。遺族へ謝罪の手紙を出すなど、反省している」と寛大な判断を求めた。
 裁判には被害者参加制度に基づき、被害者の姉と弟が直接尋問。姉が「どうしても聞きたいことがある」と切り出し、橋本被告に「冷たい床で、1人で旅立った弟。どんな様子だったのか。弟は長く苦しむことなく旅立ったのか。弟の最期を教えて」と声を詰まらせながら尋ねた。橋本被告は「首を絞めていたとき被害者はしゃべることができなかった。しかし自分を恨む思いで口を動かしていたと思う」と小さな声で答えた。姉は「(橋本被告は)逮捕されるまで平然と過ごしていた。極刑を望む。(無期懲役でも)20年は社会復帰させてほしくない」と、検察とは別に求刑意見を述べた。
 本間敏広裁判長は判決理由で「集計表の記載などから約150万円が持ち去られた」と認定。「パチンコなどで借金を重ね、金銭目当てに犯行に及んだ。動機は金銭目当ての利欲的なもので、酌むべき事情は全くない。犯行はあまりにも非情で非道だ」と指摘した。
備 考
 遺族の代理人は論告求刑の閉廷後、刑事裁判手続きの中で被告に賠償請求ができる「損害賠償命令制度」の申し立てを遺族が行ったことを明らかにしたが、金額は伏せた。静岡県内では初めての受理。有罪判決が言い渡されれば、同地裁は賠償額について審理に入る。
 一審判決後、刑事裁判の記録を利用して被告に民事賠償請求ができる「損害賠償命令制度」に基づく審理が非公開で、県内で初めて開かれた。申立人代理人によると、遺族が被告に数千万円の損害賠償を求め、被告は「事実は争わない。金額面は判断を留保する」と述べたという。
 静岡地裁は7月16日付けで、橋本卓也受刑者に対し「損害賠償命令制度」に基づいて被害者遺族への賠償命令を出した。遺族側代理人の小倉博弁護士によると、13日に行われた2回目の審尋に橋本受刑者は出廷しなかったが、遺族側の請求に同意する内容の書面が提出されたため、審尋は2回で終結した。決定書では、請求額の数千万円全額を橋本受刑者に支払うよう命じている。遺族は「橋本受刑者には刑事責任だけでなく、民事上の責任も認識してほしい」などと話しているという。小倉弁護士によると、同制度が適用されたのは県内で初めてという。
 控訴せず確定。

氏 名
斉藤賢一(46)
逮 捕
 2005年12月15日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人他
事件概要
 住所不定、無職斉藤賢一被告は、無職綿引達也元被告と共謀。2005年11月27日午前9時50分ごろ、土浦市のバッティングセンター事務所内で綿引元被告が従業員の男性(当時54)にナイフを突きつけて金を要求。抵抗されたため胸などを刺し、事務所にあった現金4万円を奪った。綿引受刑囚は同センター裏口近くに止めた乗用車で待機していた斉藤被告と逃げた。
裁判所
 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月22日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 
備 考
 綿引達也元被告は、2007年2月2日、水戸地裁土浦支部で求刑通り無期懲役判決。2007年9月25日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 2008年7月18日、水戸地裁土浦支部で求刑通り一審無期懲役判決。控訴審判決日不明。

氏 名
飯田徹(63)
逮 捕
 2007年9月14日(自ら出頭)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、建造物侵入
事件概要
 大阪狭山市の無職飯田徹被告は2007年9月10日午前10時30分頃、大阪市にある法律事務所に押し入り、持参したハンマーで事務員の女性(当時68)に「母親の居所を教えろ」と脅し、顧客の連絡先が記されたノートを入手。その後、女性の後頭部などを数十回殴打して殺害。事務所内のロッカーや机の引き出しから封書や商品券数十枚などを奪った。事務所を持つ男性弁護士(当時78)は不在だった。またノートや封書には母親の居所は記されていなかった。
 飯田被告は1991年頃に交通事故に遭い、賠償金約1億円を得たほか、母親の資産数千万円や兄の年金も自由に使っていたが、浪費によって預金が急激に減った。さらに大阪狭山市のマンションで母親と同居して飯田被告は、母親を虐待していたため、2002年6月、同市が母親を施設に保護。当時、年金手帳も飯田被告が管理していたが、弁護士が翌年から年金の振込先を変更し、母親に年金が渡るようにした。金に困った飯田被告は、母親(当時86)と共同名義のマンションを売却して金を得ようと計画。事務所に押し掛けたり、再三、電話で問い合わせたが、情報提供を拒否されていた。犯行当時の飯田被告の預貯金は約30万円だった。
 10日正午ごろに堺市内のショッピングセンターで、犯人が捨てたとみられる血染めの衣類や事務所の封筒、メモ類などが発見され、防犯カメラには衣類を捨てる男性の姿が映っていた。捜査本部は男性が飯田被告であると断定し、捜査を進めていた。14日午前8時20分、飯田被告が東署に出頭した。
裁判所
 大阪高裁 小倉正三裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月23日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 被告側は控訴審で「被害者と口論になった末の犯行で、殺害目的ではなかった」として刑の軽減を求めた。
 判決で小倉裁判長は一審と同様、飯田被告が、母親の資金管理を任されていた弁護士の事務所から、母親の居場所が分かる書類を奪おうとしたのが犯行の動機と認定。被害者が関係書類を渡そうとしたのに殴り続けたことを認めたとされる被告の捜査段階の供述などを踏まえ、「当初から殺害の意思があった」と被告側の主張を退けた。そして「被害者をハンマーで数十回も殴り続けた執拗で残虐な犯行。一審の量刑が重すぎることはない」と述べた。
備 考
 2008年12月12日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年11月4日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
木内邦治(67)
逮 捕
 2008年12月19日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 住所不定、無職木内邦治被告はホームレス仲間に現金2000円を貸していたが、別のホームレスから「3000万円取り立てられる」という作り話を持ち掛けられ、その費用を工面するため犯行を決意。2008年12月16日午後6時50分頃、埼玉県蕨市のマンションで、知人の男性(当時64)の頭や腹を鉄パイプで数回殴って殺害。現金約2000円が入った財布やキャッシュカード2枚などを奪った。
裁判所
 さいたま地裁 伝田喜久裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月23日 無期懲役
裁判焦点
 2009年5月19日の初公判で、木内被告は起訴内容のうち殺害は認めたが「現金を奪うために殺したわけではない。強盗殺人のつもりはなく、たまたまポケットに小銭があったので取った」と強盗目的を否認した。
 検察側の冒頭陳述によると、木内被告は知人から借金を取り立てる弁護士費用などを工面するために男性を殺害しようと考えたと指摘。弁護側は、被告は別の知人にだまされ、男性にバカにされたと思い込んで殺害したと主張した。
 6月12日の論告求刑で検察側は、「男性はホームレスの被告に飲食させ、金を貸し、家に泊めるなどしてきた。金欲しさに数多くの恩を仇で返した」と指摘。「犯情は極めて悪質で、被害者に落ち度はなく、酌量軽減すべき事情は認められない」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「殺害時には金を取るつもりはなかった」として、強盗殺人罪でなく殺人と窃盗罪に当たると主張した。
 伝田裁判長は「強固な殺意に裏付けられた執拗かつ残忍で悪質な犯行。凶器の鉄パイプをあらかじめ用意しており計画的。被害者はホームレス生活をしていた被告を家に泊めたり洗濯機を貸したりしており、恩をあだで返す犯行で酌量の余地はない」と断じた。
備 考
 「もういいよ。ぐだぐだ言ってんじゃねえ。ふざけんなよ」。椅子に座って判決文が朗読されるのを聞いていた木内被告は、突然立ち上がって叫びだした。伝田裁判長が注意しても、「うるせえ。何様だ」と言い返し、勝手に弁護人席の前にある長椅子に移動して足と腕を組んで座り込んだ。
 言い渡し後、伝田裁判長が「被告はわかりましたか」と問うと、木内被告は「知るかそんなこと」と吐き捨てた。
 被告側は控訴した。2009年10月1日に東京高裁で控訴審初公判。11or12月に東京高裁で被告側控訴が棄却されたものと思われる。

氏 名
牧野健二(43)
逮 捕
 2008年8月6日(死体遺棄容疑。8月17日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 和歌山県海南市の保険会社員牧野健二被告は和歌山市に住むパート従業員の女性から借金200万円の返済を再三求められ、2009年6月25日午後5時40分頃、和歌山市のパチンコ店駐車場に止めた車内で女性の首を絞めて殺害。午後6時50分頃、紀美野町の山中で財布から約105000円を奪った。
 牧野被告は女性から借金を繰り返しており、多いときは1回に数十万円借りたこともあった。借りた金は遊興費等に使用した。牧野被告と女性は、約2年前に勤めていた同市内の自動車販売店の同僚で、退職後も交友関係を続けていた。
 女性の夫が6月26日に和歌山東署に相談。遺体は白骨化した状態で7月12日に発見された。県警海南署捜査本部は8月6日、死体遺棄容疑で牧野被告を逮捕、8月17日、殺人容疑で再逮捕した。
裁判所
 和歌山地裁 成川洋司裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月24日 無期懲役
裁判焦点
 検察側は強盗殺人容疑で起訴した。死体遺棄容疑については、地検は「(起訴の)必要がない」として2008年9月5日付で不起訴処分とした。
 2009年5月18日の初公判で牧野被告は殺害は認めたものの、「借金を免れることが動機ではなかった」と一部否認した。冒頭陳述で、検察側は「女性が借金の返済を強く求めて口論となり、殺害した」と指摘。弁護側は「(女性から)子どもに危害を加えると言われたことに腹を立てて殺した。殺人と窃盗罪に当たる」と主張した。
 牧野被告が「子どものことを言われてカッとなったという動機は、検察官には信用してもらえなかった」などと述べたため、検察側が取り調べの様子を収録したDVDが県内で初めて証拠採用された。
 6月10日の被告人質問で、検察側から「取り調べのなかで『借金の返済を免れるため』と言ったのはなぜか」と尋ねられると、牧野被告は「取り調べが進むと思ったから」と答えた。
 同日の論告求刑で検察側は「計画性は認められないが、捜査段階では犯行を全面的に認めていた」と指摘。「借金の返済を求められたことから殺そうとした」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は動機について「女性から(被告の子供に)危害を加えると言われ逆上した。自白には信用がない」とし、強盗殺人罪に当たらないと主張。強盗殺人罪ではなく、殺人と窃盗罪にあたると訴え、情状を考慮したうえでの判決を求めた。  成川洋司裁判長は「口論の末の犯行という被告の供述は唐突感がぬぐえず、合理的でない」と指摘。捜査段階の自白の任意性を認め、殺人と窃盗の罪が成立するにとどまるという弁護側の主張を退けた。そして判決理由で「被害者からの借金200万円を免れるための犯行で、動機は身勝手で短絡的。犯行は残忍で、反省の情も読み取れない。被害者の無念や遺族の悲嘆は察するに余りある。傷害事件で執行猶予中の犯行で、規範意識の欠如が著しい。強盗殺人罪の中でもかなり重い部類に属する」と指摘した。
備 考
 被告側は控訴した。2009年中に大阪高裁で被告側控訴棄却。2010年3月29日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
真鍋泰光(48)
逮 捕
 2007年11月19日(死体遺棄容疑。12月4日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄他
事件概要
 香川県観音寺市のスナック経営真鍋泰光被告と、知人で丸亀市に住む暴力団組員永岡秀明被告は2007年11月1日午後9時頃、観音寺に住む無職女性(当時55)方で女性の頭をハンマーで数十回殴打して電気コードで首を絞めて殺害し、約1050万円とバッグ(12万相当)を奪った。その後、女性の遺体をシーツにくるんで乗用車に積み込み、観音寺市内の山中に遺棄した。
 真鍋被告は、多額の借金を返済するため、スナックの客だった女性の財産に目を付け、生活費に困っていた永岡被告に犯行を持ちかけた。奪った金は折半した。
 11月2日、連絡が取れないのを不審に思った女性の娘が室内で血痕を見つけた。捜査本部が交友関係を中心に捜査したところ、真鍋被告が浮上。真鍋被告の車から女性の血液が検出されたため、13日に逮捕した。その後の聞き込み捜査で、永岡被告が浮上した。
裁判所
 高松高裁 柴田秀樹裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月29日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年4月28日の控訴審初公判で、弁護側は「強盗殺人は共犯が勝手にやった。真鍋被告は現場にはいなかった」と事実誤認を主張。柴田裁判長は「一審の公判前整理手続きでは必要な証人、証拠を採用しておらず審理が不十分」と指摘し、6月に証拠調べなどを行うことを決めた。
 柴田裁判長は判決理由で「計画を立案し、共犯者を誘い込むなど犯行を主導的に遂行している」と指摘、「利欲目的による狡猾かつ計画的な犯行で、態様も執拗で残虐」などと述べた。真鍋被告の無罪主張については、「2人で電気コードで首を絞めたなどという永岡被告の証言と捜査段階の真鍋被告の供述は整合しており、十分に信用することができる。一審で供述が変遷したのは不自然だ」と退けた。
備 考
 永岡秀明被告は2008年7月17日、高松地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2008年12月25日、高松高裁で被告側控訴棄却、上告中。
 2008年11月21日、高松地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年10月7日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
白石敦子(57)
逮 捕
 2008年3月4日(詐欺容疑。3月14日、死体遺棄容疑で再逮捕。4月5日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、詐欺
事件概要
 雑貨店経営の白石敦子被告は無職の渡辺義雄被告と共謀。2008年3月1日午前、埼玉県上尾市の白石被告の雑貨店で、上尾市に住むトラック運転手の男性(当時66)の顔に袋をかぶせ、ビニールテープを口に巻くなどして殺害、現金約3万円や貯金通帳などを奪った。2人はさらに、男性の遺体を市内の荒川に遺棄した。その後、男性宅から妻のクレジットカードを盗んだ。
 白石被告は2005年12月、男性所有のビル2階で、日用品や文具などを扱う店をオープン。店内では占いやパソコン教室を開き、自らも占い師として活動していた。しかし、2007年秋から月13万円の家賃を滞納するようになり、滞納額は計91万円に達した。何度要求しても支払わないため、男性は弁護士を立てて立ち退きを要求。「いくら言っても家賃を払ってくれない」「階段の手すりにまで宣伝の張り紙を出していて迷惑」などと周囲にこぼしていた。
 渡辺被告は定職に就かず、若いころから日雇いの仕事を転々とし、約10年前からは路上生活に。約1年前に白石被告と知り合い、食事の世話を受けることもあった。殺人の報酬は500円だった。
 白石被告と渡辺被告は2日、市内のスーパーでクレジットカードを使い、数万円分の買い物をした。防犯カメラの映像から県警は4日に白石被告を、5日に渡辺被告を逮捕した。男性の遺体は8日に発見された。
裁判所
 東京高裁 裁判長不明
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年6月30日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 一審で白石被告は強盗殺人を否認している。
備 考
 渡辺義雄被告は2008年8月8日、さいたま地裁で求刑通り無期懲役判決。被告側控訴も棄却。現在上告中。
 2009年2月13日、さいたま地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年12月8日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
岡田充(51)
逮 捕
 2008年2月8日(銃刀法違反で逮捕済)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、住居侵入、銃刀法違反他
事件概要
 指定暴力団道仁会系の組長岡田充被告は、熊本市で対立する九州誠道会系の組幹部(当時43)の殺害を、幹部の福原大助被告らに指示。福原被告らは共謀し、2007年6月19日夜、会長代行(当時43)方に侵入し、顔を拳銃で撃った後、包丁で背中などを刺して殺害した。死因は銃で頭を撃たれたことによる脳挫滅である。
 岡田被告は、事件の数日前である6月14日頃に拳銃2丁と実弾数発を所持したとして2008年1月18日に銃刀法違反(拳銃加重所持)容疑で逮捕され、2月8日に処分保留で釈放後に殺人容疑などで再逮捕された。
裁判所
 福岡高裁 陶山博生裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月1日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 判決理由で陶山博生裁判長は「組織の勢力維持、拡大を目的とする反社会的な犯行動機に酌むべき点は全くない」と指摘。「実行犯を選定し、拳銃を入手するなど主導的な役割を果たした」と述べ、量刑不当などの主張を退けた。
備 考
 事件を巡っては11人が逮捕され、9人が起訴された。2人は証拠不十分で釈放された。
 犯行指示役の福原大助被告は2008年8月8日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役30年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。
 実行役の福嶋尚和被告は2008年8月8日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役28年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。
 凶器を隠したT被告は2008年8月8日、熊本地裁で懲役10年(求刑懲役15年)の判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 見張り役のY被告は2008年9月2日、熊本地裁で懲役12年(求刑懲役15年)判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 実行役の宮本博文被告は2009年1月23日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役27年判決。検察・被告側控訴中。
 凶器を準備したI被告は2009年1月23日、熊本地裁で懲役6年判決(求刑懲役12年)。
 凶器の準備および送迎をしたM被告は2008年10月31日、熊本地裁で懲役15年判決(求刑懲役20年)。
 勝木屋栄二被告は他の殺人未遂容疑も含め公判中。

 2008年9月22日、熊本地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2010年2月24日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
山本敬一(25)
逮 捕
 2007年10月25日(別件の詐欺罪で9月15日に逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 愛媛県東温市の派遣社員山本敬一被告は2007年9月3日午後、東温市の無職女性(当時87)方で、刃物のようなもので女性の首などを多数回刺して失血死させ、女性の財布と現金約6500円を奪った。
 女性は数年前まで孫らと同居し、孫と中学時代の同級生だった山本被告も宿泊することがあった。また約3年前には数ヶ月居座って寝泊まりし、松山南署員に連れ出してもらっていた。
 山本被告は他に、2004年8月中旬頃、東温市内の知人方で応対した母親に「息子に7万円貸しているから返してくれ」といって、実際は貸し付けていないのに7万円をだまし取った容疑にも問われた。
 山本被告は詐欺罪で9月15日、松山南署に逮捕され、10月6日に松山地裁に起訴された。詐欺罪については本当に課していたと否認している。その後10月25日に山本被告は強盗殺人罪で逮捕された。山本被告の担当弁護士は、「9月に詐欺容疑で逮捕された後、衣服や靴など詐欺と無関係のものの押収やDNA採取、殺人事件に関する取り調べが行われた。不当な捜査だ」と主張している。
 しかし松山地検は拘置期限の11月16日、「必要な捜査を終えることができなかった」として処分保留とした。詐欺罪で同被告を引き続き拘置し、捜査を続けた。
 11月22日の松山地裁初公判で、山本被告は詐欺の容疑について「貸していた金を返してもらっただけ。(起訴状は)間違いだらけです」と起訴事実を否認した。弁護側は「拘留期間が、東温殺人事件の捜査に利用されているのは明らか」として、近日中に拘留取り消し請求を行うことを明らかにした。
 2008年1月11日、松山地検は強盗殺人罪で山本被告を起訴した。起訴に当たり長谷透次席検事は「犯罪事実を十分立証できる補充捜査を遂げた」と述べた。
裁判所
 松山地裁 村越一浩裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月3日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 山本被告は逮捕当初から犯行を否認した。公判前整理手続きでは、犯人に強盗目的はあったか▽犯人が奪った現金の金額が約6500円か▽犯人が山本被告か▽DNA鑑定に証拠能力があるか――の4点に絞られた。
 2009年3月11日の初公判で、山本被告は「僕はしていません」と起訴事実を否認した。
 検察側は冒頭陳述で、山本被告の革靴に付いていた血痕のDNAの型が被害者と一致したことや、仕事がなく金に困っていたはずの山本被告が被害者が殺された後に買い物をしていたことなどを指摘した。またDNA鑑定の手続きに問題はなく、証拠能力は認められるとした。これに対して弁護側は、「革靴の血痕には押しつけられた跡があり、警察による証拠の捏造」などと反論。買い物に使った金は「ゲームなどを売って作った」と主張した。
 6月2日の論告で検察側は、山本被告の革靴の一部に被害者の血液が付着していたことを挙げ「犯人だから革靴に血が付いた」と主張。また事件当時、山本被告は所持金がほとんどなかったのに被害者が殺害された翌日に5000円札を使って買い物をしたなどとした。そして「金欲しさに女性の命を奪った」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、血液の付着経緯が不明などとして「証拠としての信用性を欠く」と反論。被害者が亡くなった後も犯人に執ように刺されていることを挙げ、「犯人に強取目的はなく被害者への強いえん恨が動機」と主張し、「犯人は山本被告以外の第三者」などとして無罪を主張した。
 村越一浩裁判長は「被告の革靴に被害者の血痕が付着していたことから、被告が事件当日、被害者方を訪れたと推認できる。金銭的に困窮し、被害者を殺害してでも金を奪おうとした犯行」として被告側の無罪主張を退けた。そして「犯行は悪質で残忍。身勝手かつ自己中心的な動機に酌量の余地はない」とした。
 山本被告は7万円をだましとったとして詐欺の罪にも問われたが、村越裁判長は「被告が、同級生だった被害者の孫と7万円の金銭貸借があり、両親から返済を受けたとみる余地が十分ある。(相手に金を貸して返してもらったなどという)被告の供述はそれなりに具体的だ」と無罪を言い渡した。
備 考
 被告側は控訴した。検察側も詐欺罪に無罪を言い渡されたことを不服として控訴した。2010年4月15日、高松高裁で検察・被告側控訴棄却。2011年7月19日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
鷺谷輝行(29)
逮 捕
 2005年6月9日(逮捕監禁容疑)
殺害人数
 4名
罪 状
 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反
事件概要
 コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月~11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。
 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。パチンコ店員鷺谷輝行被告らがその下部に入っていた。
 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。
 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。
 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。
 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。
 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。
 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。
裁判所
 東京高裁 長岡哲次裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月3日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 被告側は量刑不当を理由に控訴した。検察側はYOさんの事件に傷害致死を適用したのは誤りであるとして、求刑通りの判決ながら控訴した。
 長岡哲次裁判長は「冷酷で残忍な犯行だ」と指摘し、弁護側の量刑不当の主張を退ける一方、検察側が殺人事件の被害者と判断した3人のうち1人については、一審と同様に殺意を認定せず傷害致死罪を適用した。
備 考
 一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年~1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年~4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。
 清水大志被告は千葉地裁で求刑通り一審死刑判決。東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。
 渡辺純一被告は千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。東京高裁で一審破棄、死刑判決。被告側上告中。
 伊藤玲雄被告は千葉地裁で求刑通り死刑判決。検察・被告側控訴中。
 阿多真也被告は千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。検察・被告側控訴中。
 2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
細野保(38)
逮 捕
 2008年4月13日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 埼玉県八潮市の指定暴力団住吉会系幹部細野保被告は2008年3月31日未明、自宅前に乗用車を止めていた越谷市の男性(当時35)と口論になり、同日午前1時15分ごろ、同市内のファミリーレストランの駐車場で、男性の胸などを小刀で11回刺し、殺害した。男性は指定暴力団山口組に関係する政治結社のメンバーを名乗っていた。
裁判所
 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月6日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 上告理由は不明。
備 考
 殺害に関与したとして逮捕・送検された暴力団幹部や右翼団体団長ら5人は、処分保留のまま釈放されている。
 2008年8月20日、さいたま地裁で求刑無期懲役に対し懲役30年判決。2009年2月?日、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。

氏 名
山下真史(45)
逮 捕
 2007年2月14日(銃刀法違反で逮捕済)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反(加重所持、発射)、建造物損壊
事件概要
 前橋市の指定暴力団稲川会系総長山下真史被告は、配下の山田英夫元被告、KK元被告、KS元被告に抗争中の指定暴力団山口組系F幹部(当時56)殺害を指示。山田元被告らは2005年10月13日午後9時ごろ、高崎市の厚生年金健康福祉センターで、F幹部(当時56)を射殺した。
 殺害されたF幹部は、元稲川会系組長だったが破門となり、山口組系に出入りしていた。2005年8月にはF幹部の自宅に稲川会系M組長ら数人が襲撃し、金属バットで殴るなどして重傷を負わせた。これに対し、山口組系組長の高見沢勤被告らは犯人探しを始め、稲川会系のW組長に接触。情報提供や傘下入りを求めた。だが、W組長は拒否し、同年9月4日に安中市の路上で射殺された。翌5日、別の稲川会系組長が拳銃を持って高見沢被告宅を襲撃。そして10月、F幹部が射殺される事件が発生した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月7日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 上告理由は不明。
備 考
 山田英夫元被告は2007年8月31日、前橋地裁で無期懲役(求刑同)判決。控訴せず確定。
 KK元被告は2007年11月22日、前橋地裁で懲役24年(求刑懲役30年)判決。控訴せず確定。
 KS元被告は2007年7月26日、前橋地裁で懲役16年(求刑懲役23年)判決。控訴せず確定。
 ほかにも山下被告側にF幹部の居場所を知らせるなどしたとして、3人が殺人ほう助で逮捕され、傷害致死ほう助の罪で判決を受けている。
 高見沢勤被告は2008年2月4日、前橋地裁で求刑通り一審死刑判決、控訴中。
 2008年3月6日、前橋地裁で一審無期懲役判決。2009年1月29日、東京高裁で一審破棄のうえ、改めて無期懲役判決。

氏 名
志村裕史(24)
逮 捕
 2007年2月10日(窃盗未遂容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 強盗殺人、窃盗未遂
事件概要
 東京都杉並区に住む大学生の志村裕史(ひろし)被告(当時21)は2007年1月25日午前3時頃、裏の家に住む無職女性(当時86)方で、女性と会社員の長男(当時61)をナイフで刺殺し、現金約47000円や貴金属などを奪った。凶器の軍用ナイフは、コレクションとして保有していたものだった。
 志村被告は朝になってクレジットカードを使い、杉並区内のコンビニエンスストアのATM(現金自動受払機)から現金を引き出そうとしたが、暗証番号が正しく入力できなかったため、未遂に終わった。コンビニから不審者として通報があり、2月10日に逮捕された。3月2日、強盗殺人容疑で再逮捕された。
 志村被告は、日大理工学部に在籍する3年生だが、授業は休みがちで、2年前には病気を理由に1年間休学するなどしていた。後に大学から除籍されている。
 また志村被告は事件発覚から3日後、警視庁荻窪署員を自宅に呼び、「家の窓ガラスが割られた」と訴えていた。現場周辺では1月下旬、マンションと民家でパチンコ玉を撃ち込まれて窓ガラスが割られる被害が発生していた。
裁判所
 東京地裁 植村稔裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年7月15日 無期懲役
裁判焦点
 2007年9月21日の初公判で、志村裕史被告は「2人に殺意は抱いていなかった」と起訴事実を否認、自白を強要されたと訴えた。弁護側も「殺意はなく、被告は心神耗弱だった」と主張した。一方、検察側は、志村被告が捜査段階で容疑を認めていたことを証明するため、取り調べの様子を録画したDVDを証拠提出し、採用された。
 10月9日の公判では、検事による3月23日の取り調べを撮影したDVDが上映された。45分間のDVDの冒頭で志村被告は「間違いありません」と強盗殺人の容疑を認めた。その後「明確な殺意はなかった」と殺意を否認したが、「胴体めがけてナイフを振り下ろしたのは殺意がなければできないので、調書を訂正する必要はない」と述べた。警察官の自白強要は「ありません」と否定した。「お金が欲しいだけでなく、ゲーム感覚で人の家に侵入してみたい気持ちもあった」と語り、母親の手紙で自白に転じた心境も明らかにした。「取り返しのつかないことをした。どう償っていいか分かりません。悪いのはすべて私で、家族を責めないでほしい」と声を震わせる場面もあった。
 弁護側の請求により精神鑑定が行われ、2008年3月の公判で鑑定医が「自分の精神をコントロールできない状況で責任能力はなかった」と報告した。検察側は改めて精神鑑定を請求。2008年12月17日の公判で鑑定医が「犯行前後を通じ、責任能力に問題はない。コミュニケーション能力の欠如はなく、精神障害は全く認められない。弁護側請求の鑑定結果は誤っている」とする鑑定結果を報告した。弁護側は3度目の精神鑑定を請求したが、地裁は却下した。
 3月27日の論告求刑で検察側は、争点の責任能力については犯行前後にも普通の社会生活を営んでいたと指摘。「現場で偽装工作をし、凶器のナイフを犯行後に捨てるなど証拠隠滅もしている。警察に虚偽の説明もしている。犯行時の記憶も十分あり、完全責任能力があった」と、完全責任能力があると述べた。そして「パチンコ代など遊ぶ金欲しさの冷酷、残虐な犯行。被告人質問で『被害者に対する罪悪感はない』と言い放るなど、反省していない。落ち度のない2人の命を奪った犯行は強い非難に値する。更生を期待できず、極刑を回避すべき事情はない」と述べた。
 5月18日の最終弁論で弁護側は、責任能力について「犯行当時、被告には責任能力はなかった。責任能力があったとしても、限定的。混乱のなか結果的に左胸にナイフが刺さったため殺意もない」と主張。「心神喪失による無罪を言い渡すか、責任能力を認めたとしても刑を軽くすべきだ」と述べた。志村被告は最終意見陳述で「反省している」と述べた。
 判決で植村稔裁判長は「事件当時の被告の行動などから、完全責任能力があったと認められる」と判断。弁護側の「被告は脳の機能的障害を負っており、犯行時は心神喪失か心神耗弱の状態だった」との主張を退けた。その上で「被告はあらかじめ強盗殺人を計画していたものではない。若年で前科はなく、今後改善更生の可能性がないとはいえないことなどを考慮すると、死刑とするのはやむを得ないとはいえない」と述べた。
備 考
 東京地裁の初公判では、検察側が冒頭陳述で、プロジェクターやパネルを使って犯行に至る経緯などを説明。専門用語を言い換えたり、「ですます調」で読み上げるなど、国民が刑事裁判に参加する裁判員制度をにらんだ対応を取った。
 検察・被告側は控訴した。2010年6月17日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2010年7月9日、被告側上告取下げ、確定。

氏 名
田中健次(65)
逮 捕
 2007年9月24日(自首)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人他
事件概要
 住所不定の無職田中健次被告は2007年9月24日午後11時20分頃、広島市の平和記念講演にある原爆供養塔そばのベンチで寝ていた住所不定の無職男性(当時54)の首などを、ナイフで十数回刺して失血死させた。事件後、田中被告は近くの交番に自首した。
裁判所
 広島地裁 奥田哲也裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月15日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きでは、田中被告の責任能力の有無が争点となっていた。
 2008年10月28日の初公判で田中被告は起訴事実を認めたが、弁護側は「当時、心神耗弱状態だった」として精神鑑定を申請、採用された。
 冒頭陳述で検察側は、田中被告は仕事を探して岩手県などを巡った後、広島に来たが、所持金をほぼ使い果たしていたとした。そして、2007年9月21日から同公園で路上生活を始めたが、惨めで死にたいと思うと共に、知り合った男性も死にたいはずだと一方的に考え、「(男性を)殺害して死刑判決を受けよう」とナイフを購入、犯行後には交番に自首して犯行内容を説明しており、責任能力は認められると主張した。弁護側は、田中被告は就職できずに自殺を図るなどしており、精神的に追い込まれていたと訴えた。
 2009年5月20日の論告求刑で検察側は、田中被告が死刑になるのを希望して殺人に及んだと指摘し「周到に計画され、重罰が必要」と述べた。
 6月3日の最終弁論で弁護側は田中被告について、「当時、仕事もなく、自殺を図るなど精神的に追い込まれていた」と訴えた。そして「犯行直後に自首した」として減軽を求めた。
 判決で奥田裁判長は「所持金を使い果たし路上生活をしていた被告が自らの生活に悲観し、死刑になって死のうと及んだ自己中心的な犯行」と指摘。「公判では殺害して良かったなどと言っており、罪の深さへの自覚や反省はまったく見て取れない」とも述べた。奥田裁判長は「所持金を使い果たし路上生活をしていた被告が自らの生活に悲観し、死刑になって死のうと及んだ自己中心的な犯行」と指摘。「公判では殺害して良かったなどと言っており、罪の深さへの自覚や反省はまったく見て取れない」とも述べた。
 判決言い渡し後、田中被告は裁判長に「死刑になるまで控訴などをしたい」と告げた。奥田裁判長は「死刑になりたいと軽々しく言うのではなく、真剣に自分の罪の重さを考えなさい」と叱責した。
備 考
 被告側は控訴した。2010年1月19日、広島高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定と思われる。

氏 名
小野正人(25)
逮 捕
 2007年4月28日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂、窃盗、住居侵入
事件概要
 住所不定、無職小野(この)正人被告は2007年4月28日午前5時頃、岐阜市に住む元交際女性(当時23)の自宅アパートで、女性と無理心中を図ろうとした際、仲裁に入った会社員の男性(当時23)に逆上し、包丁で数回刺して殺害。アパートから逃げる女性の頭を路上で数回踏みつけるなどして、数ヶ月は意識不明になるなど、脳に後遺症を残す恐れがある重傷を負わせた。
 捜査本部が現場から逃走した小野被告の行方を追っていたところ、28日夕、現場から約10キロ離れた岐阜県各務原市内の神社境内で「不審な人がいる」と近くの住民から通報があり、各務原署員が駆けつけて身柄を確保した。
 小野被告と男性、女性は中学時代の同級生。小野被告と女性は2007年初め頃から交際を始めたが、小野被告の暴力が原因で別れ話となり、男性が仲裁していた。小野被告は「殺害して自分のものにしたい」と事件直前に男性方から包丁を持ち出し、28日早朝まで女性を連れて乗用車で市内をうろつき、殺害場所を探したが見つからず、女性のアパートに戻った。女性に助けを求められ、男性が駆け付けたため逆上した。
 小野被告は定職に就かず友人宅を転々としている状況だった。男性はそんな小野被告に仕事や住居を紹介するだけでなく、事件直前まで自宅に住まわせていた。
裁判所
 岐阜地裁 田邊三保子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月15日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 2008年3月22日の初公判で、弁護側は「事件当時心神耗弱状態だった」と殺人罪について無罪を主張した。
 その後、弁護側の申請により精神鑑定が行われたが、「完全責任能力がある」との結果が出された。
 2009年3月19日の論告求刑で検察側は「包丁を準備するなど計画性があり、身勝手な動機に酌量の余地ない」と指摘。争点の責任能力については、「責任能力を認めた鑑定結果などから、犯行当時はまったく減弱していない」とし、「被害者に落ち度はなく、遺族らの処罰感情は峻烈。反省の情は希薄で再犯の恐れは絶大。有期刑は相当ではない」などと量刑理由を述べた。
 意見陳述では殺害された男性の母が「被害者全員が受けた痛みを同じだけ受けてほしい。息が止まるほどの遺族の胸の痛みが分かるのか」などと心境を語った。
 4月23日の最終弁論で弁護側は「殺意はなかった」として、殺人罪は傷害致死罪、殺人未遂罪は傷害罪などと主張した。無期懲役の求刑に対しては「責任能力は限定的だった」として寛大な処分を求めた。
 判決で田辺裁判長は、「自己の更生のために尽力した被害者に対し、恩をあだで返すような行為で人命軽視も甚だしい。動機に酌量すべき点はなく、生じた結果は余りに重い。遺族が厳しい処罰感情を抱くのも当然」などと指摘。さらに「謝罪文を書くこともせず、真摯に反省しているかははなはだ疑問」とし、「偶発的な犯行ではなく、性格が行動に表れたもの。被告の犯罪傾向は相当根深い。責任は極めて重大で、再犯の可能性は高い」と量刑理由を述べた。
 争点だった供述の任意性については「捜査段階の供述調書は核心部分が一貫しており、迎合したとはみられない」と任意性を認め、殺意を否認した法廷での小野被告の供述について「合理的理由なく信用できない」と退けた。
 また包丁で刺した殺害の手口や傷口の深さなどから「確定的殺意があった」と判断した。
 責任能力についても「精神に特段の障害はなく、責任能力に疑義を生じさせる前提を欠く」とし、「当時は心神耗弱状態だった」とする弁護側の主張を退けた。
備 考
 被告側は控訴した。2009年11月27日、名古屋高裁で控訴審初公判が開かれ、結審した。2010年1月12日付で控訴を取下げ、確定。1月29日に判決が言い渡される予定だった。
 岐阜地検は2010年3月31日、小野正人受刑者を公務執行妨害と傷害の罪で起訴した。小野受刑者は2007年10月30日、岐阜拘置支所の弁護士面会室で法務事務官を殴るなどし、顔に軽いけがをさせるなどしたとされる。岐阜地検は小野受刑者の責任能力を調べるため、鑑定留置を実施していた。

氏 名
福原大助(42)/福嶋尚和(30)
逮 捕
 2007年11月12日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、住居侵入、銃刀法違反他
事件概要
 指定暴力団道仁会系の組幹部福原大助被告らは共謀し、2007年6月19日夜、熊本市で対立する九州誠道会系の組幹部(当時43)方に侵入し、顔を拳銃で撃った後、包丁で背中などを刺して殺害した。死因は銃で頭を撃たれたことによる脳挫滅である。
 福原被告が指示役、組員福嶋尚和被告が実行役で、組員T被告やY被告は凶器などを処分した。
裁判所
 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月21日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 両被告とも刑が重すぎると訴えていた。
備 考
 事件を巡っては11人が逮捕され、9人が起訴された。2人は証拠不十分で釈放された。
 凶器を隠したT被告は懲役10年(求刑懲役15年)の判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 見張り役のY被告は2008年9月2日、熊本地裁で懲役12年(求刑懲役15年)判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 実行役の宮本博文被告は2009年1月23日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役27年判決。検察・被告側控訴中。
 凶器を準備したI被告は2009年1月23日、熊本地裁で懲役6年判決(求刑懲役12年)。検察・被告側控訴中。
 凶器の準備および送迎をしたM被告は2008年10月31日、熊本地裁で懲役15年判決(求刑懲役20年)。
 組長で指示役の岡田充被告は2008年9月22日、熊本地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月1日、福岡高裁で被告側控訴棄却。
 勝木屋栄二被告は他の殺人未遂容疑も含め公判中。

 2008年8月8日、熊本地裁で福原被告懲役30年判決、福嶋被告懲役28年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、ともに無期懲役判決。

氏 名
少年(19)
逮 捕
 2009年2月9日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人他
事件概要
 兵庫県加古川市に住む派遣社員の少年(19)は2008年12月29日午前5時20分頃、稲美町の公園駐車場に停車中のタクシー車内で、運転手の男性(当時54)をナイフで刺殺し、釣り銭約5000円などを奪った。
裁判所
 神戸地裁姫路支部 五十嵐常之裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月22日 無期懲役
裁判焦点
 2009年3月2日、神戸地検姫路支部は少年を強盗殺人の非行事実で、「刑事処分相当」の意見を付けて神戸家裁姫路支部に送致し、少年審判への検察官立ち会いを申し入れた。家裁支部は同日、2週間の観護措置を決め、少年を神戸少年鑑別所に収容した。3月27日、神戸家裁姫路支部(菊池絵理裁判長)は少年に対し、「刑事処分が相当」として検察官送致(逆送)とする決定を出した。4月3日、神戸地検姫路支部は少年を起訴した。
 7月7日の初公判で少年は「間違いありません」と起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で「友人にたびたび遊ぶ金の工面を迫られていたが、金に窮するようになり『友人との関係を保ちたい』『みえを張りたい』という気持ちからの犯行。要求は拒絶できた」と指摘。弁護側は「未熟な少年が友人から金銭を求められ精神的に追い詰められた」と主張した。弁護側は少年の成育歴に関する情状鑑定を請求、採用された。
 7月9日の論告求刑で検察側は「虚栄心から友人の遊興費を負担し、金銭に困った末の身勝手な犯行。落ち度のない被害者を執拗に刺し、残虐で、結果は重大。金ほしさという動機に、酌量の余地はない」と述べた。論告に先立つ被告人質問で、少年は「本当にごめんなさい。自分さえいなければ、誰も、涙を流さずにすんだ。遺族の望む(死刑)判決を」と、言葉を詰まらせながら述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は「成育環境に恵まれず、人格的に未熟。友人からの強い金銭要求を拒絶できず、精神的に追い詰められていた。深く反省し更生の可能性がある」と述べた。
 判決理由で五十嵐常之裁判長は「強固な殺意に基づく冷酷、残忍な犯行。更生の可能性はあるが、犯行の行為責任が重視される。遺族の処罰感情も厳しい。同情の余地はあるが、有期刑で処断する事情はない」と指摘した。また判決では、「同性愛者である自分(=少年)の唯一の理解者として、友人男性を絶対視し、これにつけ込んだ男性の交際相手の女性からたびたび金銭の要求を受けて困窮していた」と述べた。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
秋葉克巳(43)
逮 捕
 2007年7月13日(窃盗未遂容疑。7月25日、強盗殺人他容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、強盗殺人未遂、窃盗未遂他
事件概要
 東京都世田谷区の無職秋葉克巳被告は2007年5月16日午前10時頃、世田谷区内に住む無職男性(当時94)方に侵入。男性をペンチで殴って殺害。体の不自由な長男(当時45)、直後に帰宅した妻(当時87)にも重傷を負わせ、現金6万円とキャッシュカードを奪った。その後秋葉被告は、近くの銀行にある現金自動受払機(ATM)で現金を引き出そうとしたが、男性の妻から聞き出した暗証番号を忘れて失敗した。秋葉被告はガラスを割って空き巣に入るために日常的にペンチを持ち歩いていた。
 秋葉被告は約250万円の借金があり、アパートの家賃1ヶ月分(46000円)を滞納。奪った金で家賃を振り込んだ。
 7月5日、警視庁世田谷署捜査本部の捜査員がATMの防犯カメラに写っていた男と似た秋葉被告を区内で偶然見つけ、周辺捜査を進めて13日事情を聴いたところ認めたため逮捕した。
裁判所
 東京高裁 裁判長不明
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月23日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 一審では殺意を否認した。
備 考
 2008年12月26日、東京地裁で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年12月9日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
永岡秀明(38)
逮 捕
 2007年11月19日(死体遺棄容疑。12月4日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄他
事件概要
 香川県観音寺市のスナック経営真鍋泰光被告と、知人で丸亀市に住む暴力団組員永岡秀明被告は2007年11月1日午後9時頃、観音寺に住む無職女性(当時55)方で女性の頭をハンマーで数十回殴打して電気コードで首を絞めて殺害し、約1050万円とバッグ(12万相当)を奪った。その後、女性の遺体をシーツにくるんで乗用車に積み込み、観音寺市内の山中に遺棄した。
 真鍋被告は、多額の借金を返済するため、スナックの客だった女性の財産に目を付け、生活費に困っていた永岡被告に犯行を持ちかけた。奪った金は折半した。
 11月2日、連絡が取れないのを不審に思った女性の娘が室内で血痕を見つけた。捜査本部が交友関係を中心に捜査したところ、真鍋被告が浮上。真鍋被告の車から女性の血液が検出されたため、13日に逮捕した。その後の聞き込み捜査で、永岡被告が浮上した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 今井功裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月23日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか。
備 考
 真鍋泰光被告は無罪を主張して分離公判。2008年11月21日、高松地裁で一審無期懲役判決。2009年6月29日、高松高裁で被告側控訴棄却。被告側上告中。
 2008年7月17日、高松地裁で一審無期懲役判決。2008年12月25日、高松高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
森清文(33)
逮 捕
 2008年7月23日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 函館市の無職森清文被告は自営業本間正美被告、漁業N被告と共謀。同市の無職男性(当時46)が自宅のインターホンをむやみに鳴らしたなどと因縁をつけ、函館港や男性の自宅前などで顔や腹などを殴るなどの暴行を加えて現金を要求し、乗用車の鍵など3点(計2800円相当)を奪った上、函館港で男性を海に投げ込み、鉄製のいかり(重さ約13kg)を投げつけるなどして水死させた。
裁判所
 札幌高裁 小川育央裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月28日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年7月7日の控訴審初公判で、弁護側は「被告の暴行の程度は共犯者より軽い」などとして、量刑不当を主張。検察側は控訴棄却を求めて即日結審した。
 判決理由で小川裁判長は「動機は利欲的で身勝手で酌むべき事情はない。犯行も計画的だ。被害者から金品を奪うことを計画するなど犯行の重要な部分を担っており、無期懲役が重すぎるとは言えない」と述べた。
備 考
 共謀した本間正美被告は2009年4月21日、函館地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。
 逃げ出そうとするのを妨げたり、いかりを入手して森被告らに手渡すなどしたとしたN被告は強盗殺人ほう助罪で起訴され、2009年3月3日、函館地裁で懲役7年(求刑懲役8年)が言い渡された。控訴せず確定。
 2009年3月3日、函館地裁で求刑通り一審無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
李欣(44)
逮 捕
 2007年8月6日
殺害人数
 0名
罪 状
 覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)、関税法違反他
事件概要
 中国籍で大阪市の自称健康食品販売業李欣(リシン)被告や夫のS被告は他の中国人と共謀。カナダ・バンクーバーを出発する貨物船のコンテナ内に覚せい剤約155kg、大麻約280kg、合成麻薬MDMAとみられる錠剤約688,000錠(約206kg)を隠し、日本へ密輸入した。
 貨物船は2007年7月20日、大阪南港に入港。カナダからの薬物の密輸がここ数年、増加傾向にあることなどから大阪税関の検査センターで8月1日、コンテナごとX線検査し、コンテナ内の住宅用建材の束(高さ70cm、幅245cm、奥行き98cm)七つの間に段ボール箱(高さ35cm、幅45cm、奥行き40cm)が3箱ずつ挟まっているのを発見した。段ボール箱には薬物が入っていた。
 大阪税関と大阪府警薬物対策課はコントロールド・デリバリー(泳がせ捜査)を実施し、6日に建材が堺市北区の倉庫に運ばれるのを確認し、同日、倉庫内にいた李被告ら中国人男女4人を現行犯逮捕し、薬物を押収した。いずれの薬物も2006年1年間の全国押収量を上回る大量摘発となった。末端価格は総額約131億円相当となる。李被告は2006年11月まで日本に短期滞在、7月23日に香港から再入国していた。
 荷受人側の中国人から委託を受け倉庫に木材を運び込んだ運送業者は1年前にも同じ人物に依頼され、倉庫に内部をくりぬいた木材を運搬していたことが後に判明。府警などはこの木材を押収、以前から同じ手口の密輸が繰り返されていたとみられる。
 李被告は2004年3月以降、米国やタイ、香港などから入国、数日~3ヶ月滞在して出国する行動を繰り返し、逮捕されるまでの3年半に約20回出入国していた。李被告は大阪府警などの調べに対し、「過去にも2回、香港の組織の依頼で、段ボール箱が隠された木材を荷受けした」と供述。また夫のS被告と共に計100万円の報酬を受け取る約束だった、と供述。昨夏などにも同様に木材の荷受けをしたことを認めたが、「中身が違法薬物とは知らなかった」と話している。
 大阪地検は2007年8月27日、李被告、S被告ら3人を起訴した。
裁判所
 大阪高裁 大渕敏和裁判長
求 刑
 無期懲役+罰金1000万円
判 決
 2009年7月29日 無期懲役+罰金1000万円(一審破棄)
裁判焦点
 大渕裁判長は李被告が国際的な密売組織の日本国内の最高責任者で、売買を取り仕切る立場だったと認定。「薬物の量を把握していなかったとは考えられない」と述べ、「詳細な量は知らなかった」として量刑を減らした一審には誤りがあると判断した。
備 考
 夫のS被告は一審懲役1年4月+罰金100万円(求刑無期懲役+罰金1000万円)を破棄、懲役20年+罰金800万円が言い渡された。一審は孫被告について「覚せい剤との認識がなかった」として関税法違反罪のみ認めたが、大渕裁判長は「覚せい剤などの薬物と認識していたのは明らか」として覚せい剤取締法違反罪なども認定した。
 大阪地裁で一審懲役20年+罰金800万円判決。一審判決日不明。

氏 名
オラトゥンボスン・ウグボグ(23)
逮 捕
 2008年4月3日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反他
事件概要
 米海軍横須賀基地所属のイージス巡洋艦「カウペンス」乗組員で一等水兵オラットゥンボウスン・ウグボグ被告(ナイジェリア国籍)は2008年3月19日午後9時20分頃、東京都内から横須賀市に住む男性(当時61)のタクシーに乗車し、横須賀市内で止めて男性を包丁で刺し殺害。料金19,560円を支払わなかった。ウグボグ被告は3月8日に基地を脱走し、事件直後に、ほかの米兵の身分証を提示して基地に戻り、現金自動預け払い機から400ドルを引き出した。基地近くのの飲食店で知人数人と酒を飲み、包丁を持ち出した東京都内の日本人女性宅に戻った。事件発生後の同22日午前、東京・五反田で脱走罪で米海軍に身柄を拘束された。
 ウグボグ被告は2007年12月頃から、横須賀市内や東京・六本木のバーなどで女性目当ての遊興を繰り返した。遊興費を得るため、小切手を不正に振り出したり、同僚のキャッシュカードを無断使用したりしたため、2008年1月29日、米軍横須賀基地憲兵隊の取り調べを受けた。捜査対象になったことで仕事への熱意を失い、2月15日、無許可で基地を出、東京都内の日本人女性方で同棲を始めた。基地に戻った同26日、身柄を拘束されていたが、3月8日にロープを伝って脱走していた。米海軍は10日に脱走兵として手配したが、日本側には伝えていなかった。
 ウグボグ被告は4月2日にあった県警の任意の事情聴取に対し「私が刺しました」と殺害を認めた。県警はこれを受けて3日逮捕状を取り、日本政府が身柄引き渡しを米国に要請。この日の日米合同委員会で引き渡しに合意した。ウグボグ被告は、米軍担当者が同乗した県警の車両で横須賀基地から横須賀署に移され、署内で日本側に身柄を引き渡されて逮捕状を執行された。
 これに先立ち、シーファー米駐日大使は同日午後1時ごろ、在日米海軍のケリー司令官を伴って横須賀市役所に蒲谷亮一市長を訪ね、謝罪した。
裁判所
 横浜地裁 川口政明裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年7月30日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きで争点は強盗の犯意、殺意、被告の刑事責任能力の3点に絞られた。
 2008年12月10日の初公判で、ウグボグ被告は起訴事実の認否で弁護人が用意した紙を受け取り「その声は私にいきなりやってきて『彼を刺せ』と言いました。圧倒的な力で逆らうことができませんでした」と朗読し、刺した事実は認めつつ殺意などを否定。心神喪失で無罪と主張する弁護人の後ろには、日米地位協定に基づき米海軍法務部員2人も陣取った。一方、検察側は殺意があり責任能力も問題ないと、冒頭陳述で主張した。
 12月11日の第2回公判で、川口裁判長はウグボグ被告の精神鑑定の実施を認めた。
 2009年4月28日の公判で、ウグボグ被告の精神鑑定を実施した村松太郎慶応大医学部准教授は、「事件時は統合失調症などではなかった。(運転手を刺せという声を被告が聞いたのは)真に体験したものではなく、思いこみか虚言」と報告した。弁護側は鑑定方法を疑問視し「信用できない」と主張した。
 6月17日の論告求刑で検察側は「(被告が映った)テレビに向かって思わず『おまえは死刑だ』と叫んだ」とする男性の遺族の声を紹介。被告は遊ぶ金欲しさに事件を起こしたとして、「酌量の余地はない」と強調。「金銭欲に駆られた理不尽な犯行。虚言を述べて刑事責任を免れようとしている」と指摘した。争点となっている責任能力については、「精神的疾患を疑わせる言動はなく、事件当時の行動は合理的」として、責任能力はあると主張した。
 同日の最終弁論で弁護側はタクシー内の現金が奪われていなかったことや、刺し傷の部位などから、強盗の犯意と殺意をいずれも否定。逮捕後に拘置所の医師が「統合失調症の疑い」と診断したことなどをあげ、「犯行時、何らかの精神障害があり、幻聴の声の命令に従って行ったもの」として、心神喪失による無罪を主張した。
 川口政明裁判長は判決理由で「被告は犯行時精神疾患にかかっていなかった」とし「『声』に命令された」とのウグボグ被告の供述について「虚偽の弁解をしている」と指摘。「いかなる精神障害にもり患していなかった」とした村松太郎医師の精神鑑定結果を踏まえた上で、「犯行に適した場所にタクシーを誘導し、変造した他人のIDカードで基地に戻るなど、犯行の前後を通じ合理的な行動をとっている」などと指摘。心神喪失状態だったとの弁護側の主張を全面的に退けた。川口裁判長は、脱走中の犯行だったことにも触れ「動機は遊興費を得るため。強い殺意に基づく冷酷かつ残虐な犯行。米軍脱走兵による強盗殺人事件として、基地周辺住民らに大きな衝撃を与えた」と述べた。
備 考
 日米地位協定の運用改善合意に基づく起訴前の身柄引き渡しは5件目。この事件を機に、在日米軍の脱走兵は米側が72時間以内に都道府県警へ逮捕要請することで両国政府が合意した。日米地位協定に基づく刑事特別法では、米側の要請があれば日本の警察が米国法を根拠に米兵を逮捕できる。2008年10月3日より正式運用が始まっている。
 控訴せず確定。弁護人によると、ウグボグ被告は接見で「判決は不満だが殺害したのは間違いない。服役することで反省の態度を遺族に示したい」と話したという。

氏 名
ドス・サントス・ウェリントン・ルイス・ヒデアキ・ナガテ(25)
逮 捕
 2008年11月4日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、覚せい剤取締法違反、恐喝
事件概要
 ブラジル国籍で静岡県磐田市に住む自動車販売業手伝いドス・サントス・ウェリントン・ルイス・ヒデアキ・ナガテ被告は同国籍の男ら7人と共謀。2008年8月23日午前0時過ぎ、愛知県北名古屋市の路上で、覚せい剤を密売していたブラジル国籍で岐阜県岐南町に住む男性(当時31)から売上金を奪おうと、男性の胸や腹を蹴った上、背中を刃物で数回刺して殺害。現金18万円と覚せい剤10gを強奪した。
 その他、覚醒剤の使用と恐喝で起訴されている。
裁判所
 名古屋地裁 手崎政人裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年8月7日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 手崎政人裁判長は判決で「組織的で残虐な犯行の中で、中心的役割を果たした」などと述べた。
備 考
 この事件では、ブラジル国籍の8人が強盗殺人容疑で逮捕された。うち6人は「殺意はなかった」として、強盗致死で起訴された。残り1人は不明。
 控訴せず確定と思われる。

氏 名
阿多真也(31)
逮 捕
 2005年2月22日(詐欺容疑)
殺害人数
 4名
罪 状
 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反
事件概要
 コンサルタント会社社長清水大志被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月~11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。
 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。パチンコ店員鷺谷輝行被告らがその下部に入っていた。
 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。
 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。
 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。
 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。
 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。
 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。
裁判所
 東京高裁 長岡哲次裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年8月18日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 検察側は求刑が軽い、死亡した1人は傷害致死ではなく殺人罪を適用すべきとして控訴。被告側は、被告の自首などを考慮し有期懲役とするよう求めた。
 判決で長岡裁判長は「抵抗できない状態だった被害者に執拗な暴行を加えており、4人が亡くなった事実はあまりに重大だ。だが被告の自首が被害者の遺体発見につながっており、死刑がやむを得ないとまでは言い難い」と述べた。検察側は殺害3人、傷害致死1人と主張したが、長岡裁判長は「殺意があったとは認められない」と主張を認めず、殺害2人、傷害致死2人と認定した一審判決を踏襲した。
備 考
 一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年~1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年~4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。
 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。
 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。被告側上告中。
 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。検察・被告側控訴中。
 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。
 2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年10月19日、被告側上告取下げ、確定。

氏 名
飯塚洋司(51)
逮 捕
 2009年1月15日(死体遺棄容疑。窃盗罪で逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、窃盗
事件概要
 宇都宮市の造園業飯塚洋司被告は、会社役員の染谷祐吉被告や従業員佐藤晃男被告らと共謀。2007年9月16日午前0時半ごろ、宇都宮市の造園会社倉庫内で、韓国籍で会社役員の男性(57)の頭をハンマーで殴るなどして殺害。銀行のキャッシュカードや現金約50万円などを奪った上、遺体を那須町の造成地に埋めた。さらに盗んだキャッシュカードを使って、男性の口座から計約550万円を引き出したり、別口座に移した。男性はイベント企画などを手掛ける会社の役員を務めており、仕事が少なくて資金繰りが悪化していた飯塚被告に数百万円貸していた。男性は飯塚被告に債権回収の仕事を手伝わせていた。
 他に飯塚被告は従業員の男らと共謀し、2007年7月22日夜に宮城県松島町の事務所から現金約139万円や手提げ金庫など9点が入った金庫1台(約26万円相当)を盗んだ。
 10月、男性の家族は警視庁に捜査願を提出。栃木県警は造園会社事務所近くの住民から、「血痕と引きずられたような跡がある」との通報を受け、捜査を始めていたが、飯塚被告らは姿を消していた。埼玉県警が窃盗容疑で飯塚被告らを逮捕。その後起訴した。
 飯塚被告らはその後の調べで殺害や死体遺棄を供述。同時に上申書を提出した。捜査本部は2009年1月8日、造成地より男性の遺体を発見した。造成地は飯塚被告の友人の土地だった。捜査本部は1月15日、死体遺棄容疑で6被告を逮捕。1月27日、6被告を強盗殺人容疑で再逮捕した。宇都宮地検は2被告については殺人に関与していなかったと判断し、2月17日、4被告を強盗殺人と窃盗で起訴した。
裁判所
 宇都宮地裁 池本寿美子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年8月20日 無期懲役
裁判焦点
 2009年6月23日の初公判で飯塚洋司被告はいずれの起訴事実も認めた。
 7月16日の論告求刑で検察側は、飯塚被告は共犯者の染谷祐吉被告から、男性が数千万円得るとの情報を聞き犯行計画を立案。造園会社の従業員を犯行に誘い込み、凶器などを購入させたり、男性を執拗に殴って殺害するよう指示したなどとして、「組織的犯行の主導的役割を担った」と強調。そして「利欲的動機から、残虐極まりない人を人として扱わない非道な行為を行った。強固な殺意に基づく、組織的かつ計画的な犯行の首謀者であり、責任は極めて重い」と述べた。殺害の直接的な動機については「被害者が数千万円の現金を得ることを知ったため」などとして金目当の犯行と主張した。
 同日の最終弁論で弁護側は「被告人は借金をした被害者から舎弟扱いされ、『高級車のジャガーを買って納めろ』などと理不尽な要求を繰り返しており、飯塚被告は脅えていた。家族や友人にも危険が及ぶことをおそれ、殺害を決意した。犯行について素直に認め、反省している」などと述べ、情状酌量を求めた。
 判決で池本裁判長は動機について「被害者が被告を舎弟扱いして理不尽な要求をするなどしたことから立腹し殺意を抱いた」と指摘。被害者に数千万円の収入が入るとの情報から、主犯格とされる染谷祐吉被告と計画を練り、従業員を誘い入れ犯行を行ったと認定した。さらに傲慢な振る舞いで殺意を抱かせた被害者にも責められるべき点があるとした弁護側の主張は「付き合って数カ月で殺意を抱くのは安易だ」と退けた。そして「組織的に行われた利欲的犯行。被告はすべての指揮をしており一連の犯行の首謀者」と述べた。
備 考
 窃盗と死体遺棄容疑で起訴された元従業員の2被告は2009年7月13日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で懲役5年(求刑懲役6年)、懲役3年6ヶ月(求刑懲役5年)が言い渡された。
 被告側は控訴した。2009年中に控訴取下げ、確定。

氏 名
三上静男(59)
逮 捕
 2007年1月26日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、詐欺他
事件概要
 茨城県阿見町の男性は1983年に室内装飾会社を設立したが、バブル崩壊後に経営が悪化し、金融機関などからの借金が6000万円を超えた。男性社長は2000年4月頃、長年の飲酒で患った肝硬変や糖尿病が悪化して入院。社長の妻であるKS受刑者、社長の娘であるKK受刑者、娘の夫であるKM受刑者はこのまま社長が死んで死亡保険金を受け取ることができれば借金が返済できると期待したが、社長は6月中旬に退院し、再び酒を飲み始めた。弁護士からは社長の自己破産を勧められたが、金融機関からの借金はKS受刑者、KM受刑者が連帯保証人になっており、家の土地や建物は抵当に入っていたため、できなかった。
 KM受刑者と共同で工務店を経営しているKS容疑者は、社長に約4000万円を貸していたことから保険金殺人計画を持ちかけ、KS受刑者らは了承した。
 KM受刑者らはKS容疑者に紹介された不動産ブローカー三上静男被告に殺害を依頼。2000年7月中旬頃から三上被告は水戸市にある自らの会社事務所に社長を住み込ませ、配下である暴力団組長後藤良次被告や、後藤被告の配下である組員O受刑者、無職U受刑者、土木作業員S受刑者、SH容疑者らを使って、連日、日本酒や焼酎を無理やり飲ませた。糖尿病の持病があった社長は次第に衰弱。8月12日、三上被告、後藤被告、O受刑者、U受刑者は社長(当時67)を会社事務所から日立市にある三上被告の自宅に連れ込み、「家に借りたい」と話す社長を怒鳴りつけ、スタンガンを当てるなどして強制的に飲ませ、さらにウオッカの瓶を口に押し込んで無理矢理飲ませて意識を失わせた。その後、後藤被告や社長の車などに分乗し、会社事務所に戻る途中の13日、男性は呼吸不全で死亡した。男性の遺体は、茨城県七会村(現城里町)の山林に車とともに遺棄された。
 男性は2000年8月15日朝に発見された。いくつかの不審な点はあったものの、県警は病死として処理し、KS受刑者らは生命保険会社から約9800万円の保険金を受け取った。うち6600万円はKS容疑者を通して三上被告が報酬として受け取り、残りを借金の返済に充てたが、返しきれなかった。
KS受刑者らの自宅と土地は2002年3月に差し押さえられた後競売にかけられ、9月にKS容疑者が落札し、その後はKS受刑者らを住まわせていた。
 別の事件で一・二審死刑判決を受け上告中だった後藤良次被告は2005年10月17日、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を茨城県警に提出した。そのうちの1件が本件である。
 2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、KS受刑者(当時74)、KK受刑者(当時49)、KM受刑者(当時51)、KM受刑者の兄夫婦を逮捕した。5人は2000年10月19日、県内の金融機関で、名義を偽って普通預金口座を開設し、通帳2通、キャッシュカード2枚をだまし取った。この口座は社長の死亡によって受け取った生命保険金の一部を隠すために使われた。
 2006年12月9日、茨城県警は日立市内の飲食店で店員にいいがかりをつけ謝らせたとして三上静男被告(当時57)を強要容疑で逮捕した。三上被告は2005年9月23日午前1時20分ごろ、同市内の飲食店でアルバイト店員(当時21)に「(出されたものが)注文したものと違う」といいがかりをつけ、胸ぐらをつかむなどして謝罪させたとされる。
 2007年1月26日、殺人容疑で後藤被告、三上被告、KS受刑者、KK受刑者、KM受刑者、ON受刑者、UM受刑者、SK受刑者が逮捕された。
裁判所
 東京高裁 中山隆夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年8月24日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 中山隆夫裁判長は判決理由で、上申書の内容について「多数の共犯者の供述と符合し、信用できる」と指摘。「上申書の内容は虚偽で被告は関与していない」とする被告側の無罪主張を退けた。
備 考
 KS容疑者(当時52)は2006年12月31日に交通事故死している。SH容疑者は2004年10月に自殺している。茨城県警水戸署捜査本部は2人を殺人容疑で容疑者死亡として書類送検した。
 詐欺罪に問われたKM受刑者の兄夫婦は2007年3月14日、水戸地裁で懲役1年執行猶予3年(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡され、確定している。裁判官は「だまし取った保険金を隠すためとは知らなかったことなど、酌むべき事情がある」と指摘した。
 殺人容疑で逮捕されたON受刑者、UM受刑者、SK受刑者は2007年2月16日、「刑事責任は極めて軽微」などとして、起訴猶予処分となった。
 2007年7月26日、水戸地裁の河村潤治裁判長は、KS受刑者とKK受刑者に懲役13年(求刑懲役16年)、KM受刑者に懲役15年(求刑懲役18年)を言い渡した。3被告は控訴したが、KS受刑者は8月28日、KM受刑者が30日、KK受刑者が31日に控訴を取下げ、確定した。
 後藤良次被告は2009年6月30日、水戸地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決。被告側控訴中。後藤被告は別の事件で死刑が確定しており、有罪判決が言い渡されても、その刑は執行されない。
 2009年2月26日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2010年3月3日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
宮本博文(37)
逮 捕
 2007年11月12日(銃刀法違反で逮捕済)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、住居侵入、銃刀法※違反他
事件概要
 指定暴力団道仁会系の組長岡田充被告は、熊本市で対立する九州誠道会系の組幹部(当時43)の殺害を、幹部の福原大助被告らに指示。暴力団組員である宮本博文被告は福原被告らと共謀し、2007年6月19日夜、会長代行(当時43)方に侵入し、顔を拳銃で撃った後、包丁で背中などを刺して殺害した。死因は銃で頭を撃たれたことによる脳挫滅である。宮本被告は拳銃を発射し殺害したとされる。
裁判所
 福岡高裁 陶山博生裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年8月31日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 検察側は量刑不当として、弁護側は事実誤認があるなどとして、双方が控訴した。
 陶山博生裁判長は「抗争の一環で計画的、組織的犯行。その中で被告は実行行為を担った。被告は実行犯でありながら、(事件への関与しか認めておらず)銃撃行為は一貫して否認している。反省が真摯なものとは言えない。有期懲役は軽すぎて不当」と述べた。
備 考
 事件を巡っては11人が逮捕され、9人が起訴された。2人は証拠不十分で釈放された。
 犯行指示役の福原大助被告は2008年8月8日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役30年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年7月21日、被告側上告棄却、確定。
 実行役の福嶋尚和被告は2008年8月8日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役28年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年7月21日、被告側上告棄却、確定。
 凶器を隠したT被告は2008年8月8日、熊本地裁で懲役10年(求刑懲役15年)の判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 見張り役のY被告は2008年9月2日、熊本地裁で懲役12年(求刑懲役15年)判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 主犯格の岡田充被告は2008年9月22日、熊本地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月1日、福岡高裁で被告側控訴棄却。被告側上告中。
 凶器を準備したI被告は2009年1月23日、熊本地裁で懲役6年判決(求刑懲役12年)。2009年8月31日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 凶器の準備および送迎をしたM被告は2008年10月31日、熊本地裁で懲役15年判決(求刑懲役20年)。
 勝木屋栄二被告は他の殺人未遂容疑も含め公判中。

 2009年1月23日、熊本地裁で懲役27年判決。被告側は上告した。2010年1月25日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
佐藤晃男(33)
逮 捕
 2009年1月15日(死体遺棄容疑。窃盗罪で逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、窃盗
事件概要
 宇都宮市の造園業飯塚洋司被告は、会社役員の染谷祐吉被告や従業員佐藤晃男被告らと共謀。2007年9月16日午前0時半ごろ、宇都宮市の造園会社倉庫内で、韓国籍で会社役員の男性(57)の頭をハンマーで殴るなどして殺害。銀行のキャッシュカードや現金約50万円などを奪った上、遺体を那須町の造成地に埋めた。さらに盗んだキャッシュカードを使って、男性の口座から計約550万円を引き出したり、別口座に移した。男性はイベント企画などを手掛ける会社の役員を務めており、仕事が少なくて資金繰りが悪化していた飯塚被告に数百万円貸していた。男性は飯塚被告に債権回収の仕事を手伝わせていた。
 他に飯塚被告は従業員佐藤晃男被告らと共謀し、2007年7月22日夜に宮城県松島町の事務所から現金約139万円や手提げ金庫など9点が入った金庫1台(約26万円相当)を盗んだ。
 10月、男性の家族は警視庁に捜査願を提出。栃木県警は造園会社事務所近くの住民から、「血痕と引きずられたような跡がある」との通報を受け、捜査を始めていたが、飯塚被告らは姿を消していた。埼玉県警が窃盗容疑で飯塚被告らを逮捕。その後起訴した。
 飯塚被告らはその後の調べで殺害や死体遺棄を供述。同時に上申書を提出した。捜査本部は2009年1月8日、造成地より男性の遺体を発見した。造成地は飯塚被告の友人の土地だった。捜査本部は1月15日、死体遺棄容疑で6被告を逮捕。1月27日、6被告を強盗殺人容疑で再逮捕した。宇都宮地検は2被告については殺人に関与していなかったと判断し、2月17日、4被告を強盗殺人と窃盗で起訴した。
裁判所
 宇都宮地裁 池本寿美子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年8月31日 無期懲役
裁判焦点
 2009年8月17日の初公判で佐藤被告は起訴事実を認めた。検察側は冒頭陳述で殺害動機について、飯塚洋司被告の指示であった上に、報酬目的でもあったと指摘。弁護側は「生活の面倒を見てくれた飯塚被告に感謝していたから言うことを聞いた」と述べ、金目当ての犯行ではないと主張した。
 8月18日の論告求刑で検察側は、凶器を用意したり遺棄現場を下見するなどして「計画的犯行において極めて重要な役割を担った」と指摘した。同日の最終弁論で弁護側は「犯行で得た利得は少額」などと主張。また被害者が、理不尽な要求を繰り返していたと指摘した。
 量刑理由で池本裁判長は、佐藤被告の犯行における役割の従属性を指摘。首謀者の飯塚洋司被告に比べ、「責任の程度に幾分差異がある」と情状面を考慮した。一方で「殺害と死体遺棄という最も重要で不可欠な実行行為を行った。強盗殺人という重大犯罪に計画の立案当初から抵抗なく加担し、被害者に執拗残忍な攻撃を加えて殺害した」などと指弾。「酌量減軽して有期懲役刑とするまでの事情に当たらない」と判断した。
備 考
 窃盗と死体遺棄容疑で起訴された元従業員の2被告は2009年7月13日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で懲役5年(求刑懲役6年)、懲役3年6ヶ月(求刑懲役5年)が言い渡された。
 主犯の飯塚洋司被告は2009年8月20日、宇都宮地裁で求刑通り一審無期懲役判決。
 控訴せず確定。

氏 名
杉本寛治(63)
逮 捕
 2008年3月3日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂
事件概要
 神戸の会社員杉本寛治被告は、神戸市の会社員男性(当時55)へ2004年に貸した200万円を取り戻すため、男性に無断で生命保険8200万円をかけた上、2007年10月には岡山市の会社社長Y被告に2000万円の報酬を支払うと言って犯行を持ちかけた。借金があったY被告はすぐに了承。Y被告は11月に手付100万円を受取り、計画を進めたが、12月中には犯行を2度失敗している。その後Y被告は会社のアルバイト従業員男性(当時46)に数百万円を支払うといって犯行を指示。
 2007年12月30日未明、3人は神戸市で会社員男性と合流。杉本被告とY被告が会社員男性を押さえつけ、従業員男性に軽乗用車ではねるように指示した。しかし従業員男性は怖くなって拒否。そこで両被告は2人を連れて鳥取県智頭町へ移動。杉本被告は会社員男性に「落ちたら許す」とうそをつき、助手席に従業員男性を乗せて、智頭町内の県道から約50mの崖下に落ちるように指示した。会社員男性は指示通りにしたものの、落下前に車から飛び降りた。しかし2人に崖下へ連れていかれて木の棒で複数回殴られた上、落下車両のそばに放置されて翌日に凍死した。従業員男性は肩の骨を折るなど、全治4週間の怪我を負ったが、自力でがけを上った。Y被告が偽名で119番通報した後、2人は現場を離れた。
 生命保険金の受取は男性会社員の親族としており、杉本被告はその親族に保険金が入ったら借金を返済するようにと再三強要していた。
 軽乗用車はY被告の持ち物で、約6000万円の自動車保険に加入していた。Y被告は2008年1月3日に智頭署に電話をかけ、従業員男性が車を崖下に転落させ自力ではい上がったと言ったので現場を訪れたら、車のそばで男性が死んでいたと通報した。
 鳥取県警が従業員男性に事情を聞いたところ、「知り合いの男性を乗せて山道を走っていたところ、道を間違えたのでUターンしようとして、がけの下に落ちた」と話したため交通事故と判断し、1月8日に従業員男性を道交法違反(救護措置義務違反)や保護責任者遺棄致死などの容疑で逮捕した。ところがその後の捜査で車内から従業員男性の血痕は発見されたが、会社員男性の血痕が検出されず、男性従業員の供述にも矛盾が出てきた。さらに、従業員男性は両被告が会社員男性を殴打したことを証言。会社員男性に借金があったことや保険金がかけられたことが判明し、保険金目的の殺人事件の疑いで捜査。3月3日に殺人容疑で杉本被告とY被告を逮捕した。
 杉本被告は住宅ローンなど約2600万円、Y被告は事業の失敗で消費者金融から数4500万円の借金があった。
裁判所
 広島高裁松江支部 古川行男裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年8月31日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年5月25日の控訴審初公判で、杉本被告は、「中心的役割を担った」という一審判決に対して共犯者のY被告と対等な立場にあったと主張。一方、Y被告は保険金目的で積極的に関与したわけではなく、杉本被告から脅迫を受けてやむなく犯行に加わったとして、両被告ともに量刑不当を訴えて一審判決の破棄を求めた。検察側は控訴棄却を求めて即日結審した。
 判決で古川裁判長は、「Y被告とは対等な関係にあった」とする杉本被告に対して「保険金目的の殺人を持ちかけており、個々の犯行場面で対等でも量刑の差が生じることはなんら不当ではない」。また「杉本被告に脅されて仕方なく加担した」と主張するY被告には「遺族に対する慰謝の措置もなく、犯行と真摯に向き合っているか疑わしい」として双方の主張を退けた。そして古川行男裁判長は「犯行は冷酷かつ残忍で卑劣極まりない。有利な事情を最大限考慮しても一審の量刑は相当だ」とした。
備 考
 道交法違反(救護措置義務違反)や保護責任者遺棄致死などの容疑で2008年1月8日に逮捕された従業員男性は処分保留とされ、その後5月14日に不起訴となった。しかし従業員男性はY被告の指示で2006年1月26日、岡山市内のホテル駐車場からレンタカー1台を盗んだとしてY被告とともに窃盗罪で起訴され、5月15日に鳥取地裁で懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決が言い渡された。
 殺害された会社員男性も、従業員男性への殺人未遂容疑で容疑者死亡のまま書類送検されている。
 Y被告は公判で杉本被告に脅されたと主張したが、鳥取地裁の小倉裁判長はY被告が事故偽装を提案したと認定し、「果たした役割は大きい」として2009年1月13日、求刑通り懲役30年を言い渡した。Y被告は控訴したが、2009年8月31日、杉本被告と共に控訴棄却。
 2009年1月19日、鳥取地裁で求刑通り無期懲役判決。被告側は上告した。2010年1月27日、Y被告とともに被告側上告棄却、確定。

氏 名
野田恵一(58)
逮 捕
 2008年12月20日(殺人、死体遺棄容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、銃刀法違反
事件概要
 高知市の無職野田恵一被告は2008年9月19日午後1時半ごろ、高知市の自宅にいた金融会社副社長の女性(当時70)の背中や胸などを所持していた包丁で刺して殺害。現金約1000万円を奪った。野田被告は女性の金融会社から数回借金をしたことがあった。
 野田被告は現場から自転車で逃走。高知市役所の駐輪場に自転車を止めて県庁に行き、事前に申請していたパスポートを取得した。野田被告はタクシーに乗り換えて高知空港から大阪空港に飛び、関西国際空港を経て台湾に出国した。
 高知署の捜査本部は現場から野田被告の指紋を採取。20日、野田被告を殺人容疑で指名手配した。警察庁を通じ連絡を受けた台湾警察が10月9日、身柄を拘束した。21日、野田被告は国内へ移送され、逮捕された。現金は台湾での遊興費でほとんど無くなっていた。
裁判所
 高知地裁 伊藤寿裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月2日 無期懲役
裁判焦点
 2009年6月22日の初公判で野田被告は「事実関係に間違いありません」と起訴事実を認めた後、「遺族におわびしたい」と裁判長に訴え、土下座をしようとして裁判長に制止された。
 検察側は冒頭陳述で、野田被告は生活保護費を受けながら酒やパチンコに金を浪費し、周囲から借金を拒絶されるようになった2008年9月頃、強盗で大金を奪って国外逃亡することを計画したと説明。夫が金融会社などを経営する女性を狙い、自宅に一人でいることの多い昼間に犯行に及んだと指摘した。また、犯行後、返り血を浴びた服を現場で着替え、高知空港へ向かう途中にコンビニ店のゴミ箱に捨てていたことなどを明らかにした。そして簡易精神鑑定の結果、責任能力は認められるとした。
 弁護側は、野田被告が犯行までの約半年間、「抑うつ神経症」の診断を受け、治療を受けていたと説明。「犯行について一部記憶がないなど異常な心理状態で、精神の障害によって、自己の行為の善悪やそれに従って行動する能力が著しく劣っていた」と主張し、検察側が実施した簡易鑑定に対し、改めて精神鑑定するよう求めた。また、「通常では考えられない行動に及んでいる」として、臨床心理士による犯罪心理鑑定を請求した。
 7月8日の論告求刑で検察側は「金に困る生活に嫌気がさし、強盗をして大金を奪い、国外逃亡しようと計画した」と指摘。口封じのため、顔見知りだった女性を10回以上包丁で突き刺したとし、「強固な殺意に基づく残虐な犯行だ」と主張した。
 同日の最終弁論で弁護側は最終弁論で「精神面、心理面で万全の状態ではなかった」と心神耗弱を主張して寛大な刑を求めた。
 伊藤寿裁判長は判決理由で、「犯行は計画的かつ合理的で、了解不能な点は見当たらない。神障害を有していたが、軽度の症状で責任能力に影響するものではない。被告は完全責任能力を有していた」として、心神耗弱状態にあったとする弁護側の主張を退けた。その上で「大金を奪い、海外で豪遊しようと考えての執拗、残忍な犯行で、強固な殺意がうかがえる。被害者からお金を奪うために死なない程度に刺したり、国外逃亡した点からも犯行は計画的かつ合理的。酌むべき点はない」と指摘した。
備 考
 傍聴した被害者の夫は一審判決の閉廷後「極刑を求めていたので非常に無念」と話した。
 被告側は控訴した。2010年1月4日、控訴取下げ、確定。

氏 名
江角一子(58)
逮 捕
 2005年7月6日(窃盗容疑。8月10日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、詐欺、詐欺未遂、窃盗、窃盗未遂
事件概要
 名古屋市の民生委員江角一子被告(当時54)は2005年3月22日夜、自らが担当していた名古屋市北区の市営住宅に住む1人暮らしの無職女性(当時83)に睡眠薬を飲ませ、さらに首を絞めて殺害。翌日、女性のキャッシュカードでATMから現金53000円を引き出した。江角被告は2005年2月にも、女性の孫名義の郵便貯金通帳で現金を引き出そうとしていた。
 遺体は翌日発見され、当初は病死と判断されたが、カードから現金が引き出されていたことが判明したため詳しく遺体を調べたところ、首に細い紐で絞められた後があったことから強盗殺人事件として捜査が始まった。
 ATMの防犯ビデオの映像から愛知県警は江角被告に任意の事情聴取を続けたが、江角被告は被害者から頼まれて現金を引き出しただけであり、カードと現金は葬儀後に返したと容疑を否認した。愛知県警は7月6日、窃盗容疑で江角被告を逮捕。さらに8月10日に強盗殺人容疑で再逮捕した。
 江角被告は被害者の近所に住んでおり、2004年まで交通指導員を22年間務めていたことから推薦され、民生委員に委嘱された。江角被告と夫は消費者金融に併せて約840万円の借金があって返済に窮していた。
 江角被告は他に2003年11月、交通指導員の忘年会で同僚女性2人の財布(現金37000円)を盗んだ窃盗、2005年2月2日に勤務先の同僚女性のクレジットカードで約47000円分の買い物をした詐欺および詐欺未遂でも起訴された。
裁判所
 名古屋地裁 天野登喜治裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月7日 無期懲役
裁判焦点
 江角一子被告は逮捕当初から犯行を否認。
 2006年1月25日の初公判で江角被告は「弁護士に一任しているので答えを控える」とし、弁護側は2005年2月22日の詐欺と詐欺未遂のみ起訴事実を認め、残りは無罪を主張するとともに逮捕前の任意の取り調べが約320時間に及び、大声で怒鳴られるなど精神的苦痛を受けたなどと主張。「違法な取り調べが行われた。公訴権の乱用で、起訴は違法だ。強盗殺人の事実はすべて争う。被告は無罪」として公訴棄却を訴えた。
 さらに3月の第2回公判で、検察側が提出した証拠すべてを不同意したため、検察側が約140人の証人を呼ぶなどと応酬。弁護側は期日間整理手続きを申し立て、名古屋地裁は適用を決定した。
 計33回の期日間整理手続きを実施後の2007年7月10日、1年4ヶ月ぶりに公判が開かれ、強盗殺人については江角被告が犯人かどうか、被害者の死因、死亡時刻の3点が争点として整理されたことが明らかにされた。また週1~2回のペースで、年内に計28回の公判を開き、集中審理することが明らかにされた。
 2007年11月19日に初めて行われた被告人質問で、弁護側から、逮捕前の段階で、県警から連日、任意で受けた取り調べ状況について質問を受けた江角被告は、「『お前が殺したんだろう』と、はじめから犯人と決めつけられた」などと述べた。
 しかし弁護側の質問は取り調べ時における違法性に集中。2007年12月18日の公判で天野登喜治裁判長は、検察側の「弁護側が意図的に審理を遅らせている」との主張について、「期日間整理手続きで決めた通りに進むのが望ましい」と述べ「今後は必要な質問項目を吟味するように」と弁護側にうながした。だがその後も続き、当初は6期日を予定していた弁護側の被告人質問は29期日を数えた。初公判から判決までの公判期日は計67回になる。
 検察側は、22日夜に江角被告と酷似した女性が女性方から出てきたとの目撃情報がある、江角被告宅のすりこぎから、遺体から検出されたのと同一の睡眠薬の成分が検出された--ことなどから江角被告の犯行と主張し、多額の借金が動機と指摘した。
 2009年3月19日の論告求刑で検察側は、江角被告が事件当時、数百万円の借金を抱えていたと指摘し、「動機があるうえ、あらかじめ合鍵を作ったり、訪問記録を改ざんしたりするなど、犯人であると強く推認される」と主張。「借金に困窮した被告が民生委員としての立場を悪用し、信頼を寄せている高齢者の命を奪った悪質な犯行だ。刑事責任は極めて重大。不合理な弁解を繰り返し反省の情は全く認められない」と述べた。
 4月30日の最終弁論で弁護側は女性に対する強盗殺人罪について、検察側が主張する死亡推定時刻(午後9時ごろ)以降に女性が電話をしていると主張。遺体の胃の内容物が食後5~6時間以上経過している専門家の鑑定結果を踏まえ「女性は(2005年3月22日)午後11時以降、江角被告以外の第三者に殺害された」と述べた。そして「長時間の違法な取り調べで自白を強要した。違法な自白に頼り、客観的な事実を排除した典型的な冤罪事件だ」と改めて無罪を主張した。
 同日の最終意見陳述で江角被告は「事件から4年間、身を切られるような月日を過ごしてきた。女性を殺したのは私ではない」などと述べた。
 天野登喜治裁判長は5件すべてを有罪と認定した。判決は、被害者が過去10年間、口座の残高がマイナスにならないように管理していたと指摘し、「保険料の支払いを控えた時期に、残高が6円になるまでの引き出しを頼むのは不自然」として被告側の主張を退けた。判決はさらに、〈1〉江角被告は、犯行時間帯に被害者宅から交際相手の男性宅に電話をかけたと認められる〈2〉犯行に使用された睡眠薬の成分が江角被告宅のすりこぎから検出された(3)22日夜に江角被告と酷似した女性が女性方から出てきたとの目撃情報がある――などとして、「女性が死亡した直後に、江角被告は女性の部屋にいた。江角被告が被害者を殺害し、預金を引き出した」と結論づけた。そして殺害の動機について「被告は金に困っていた」と指摘。その上で、「合鍵を作って被害者宅に侵入したほか、犯行には睡眠薬を使用しており、衝動的なものとは考えられない」と述べた。
備 考
 初公判で検察側は、江角被告が過去に交際していた男性2人が死亡し、うち1人の死亡直後に男性の時計や金塊などを売却していた事実を指摘したが、事件に関連性がないという弁護側の削除要請に応じ、立証しないと明らかにしている。
 被告側は即日控訴した。2011年2月23日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2013年2月5日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
平谷武(38)
逮 捕
 2006年9月26日(摂津市内の強盗致傷容疑。11月1日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、強盗致傷他
事件概要
 大阪府高槻市の郵便局員平谷武被告(事件後懲戒免職)は、2006年9月17日未明、自宅前の路上に止めたタクシー内で、個人タクシー運転手の男性(当時59)をナイフ(刃渡り約12cm)で前後から突き刺して殺害。タクシー(時価20万円相当)を奪った。
 平谷被告は9月24日深夜、摂津市内のスーパーで従業員をバールで殴って現金約77万円を奪った。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月7日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 上告理由は不明。
備 考
 平谷被告は2007年2月16日、公判整理前手続きのために来ていた大阪地裁地下1階の仮刑事私設の個室内で、首吊り自殺を図り、重体となった。
 2008年3月27日、大阪地裁で一審無期懲役判決。2008年12月17日、大阪高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
黒部和彦(43)
逮 捕
 2008年11月1日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反
事件概要
 神奈川県藤沢市の無職黒部和彦被告は2008年10月3日夕、同市に住む知人の無職女性(当時78)に借金を断られたため、両手両足をネクタイで縛った上、ナイフで刺殺。現金9000円が入った財布を奪った。黒部被告は失業中で、生活苦のために消費者金融など約500万円の借金を抱え、アパートの立ち退きを求められていた。
 黒部被告は訪問販売の仕事をしていた5年ほど前、スチーム洗浄機の営業で、女性宅を計3回訪れ、室内の掃除サービスなどをしたことがあった。
 黒部和彦被告は逮捕3日前の10月29日に道交法違反(無免許運転)容疑で現行犯逮捕された。この際の指紋と女性宅に残った指紋が一致し、強盗殺人容疑での逮捕の決め手となった。
裁判所
 横浜地裁 木口信之裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月10日 無期懲役
裁判焦点
 2009年8月27日の初公判で、黒部被告側は「金品を奪う目的はなかった」と起訴事実の一部を否定し、殺人と窃盗罪の成立を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、金策に追われていた黒部被告が黒部被告の弁護人は「借金を断られ、焦りや惨めさが爆発して殺害し、無意識に財布を盗んで逃走した」と主張した。
 被告側が「強引な取り調べで、警察・検察の意に沿う調書が作成された」として、供述の任意性を争う方針を示したことから、検察側は取り調べの一部を記録したDVDを証拠提出し、採用された。DVDの証拠採用は、神奈川県では初めて。DVDは公判で上映され、検察側の冒頭陳述を裏付ける内容の調書を、検察官が約30分間、黒部被告に読み聞かせ、最後に被告が同意して署名するシーンが裁判官らの席上のモニターに映し出された。  9月1日の論告求刑に先立ち、被害者の長女が「(被告は)真実を述べてください。最も重い刑に服して罪を償うことを望みます」と意見陳述。検察側は論告で、「凶器を準備し、被害者の両手足を縛っている。奥の部屋しか物色しておらず、殺害前に金の保管場所を聞き出していたとしか思えない」として、強盗目的の犯行と指摘した。
 同日の最終弁論で弁護側は「犯行前、被告は携帯電話で何度も被害者方に電話を入れ、縛った粘着テープには指紋を残している。計画的犯行とは到底いえない」と主張。検察側が証拠として提出した、被告が強盗目的を認めた取り調べの一部録画映像について「不完全な一部可視化で供述の任意性を認めるのは危険」とした上で、「殺害後、盗もうという考えが出てきた」と、強盗殺人罪の犯意をあらためて否認した。
 判決で木口裁判長は「いきなり訪ねて40万円を借りようと思ったという(同被告の)供述は不自然」として、強盗の犯意を認定。また木口裁判長は「DVD録画が取り調べの一部にとどまることを考慮しても、取り調べに問題がなかったことを示す資料としての価値は失わない」と述べ、自白の任意性を認めた。そして「ナイフが深く体に刺さっており、殺意が強固なものだったのは明らか」とした上で、「あらかじめ凶器を用意して犯行に及んだ。公判で不合理な弁解に固執するなど、反省していない。高齢女性に強く容赦のない攻撃を加えており、誠に残虐で悪質」と厳しく指摘した。
備 考
 被告側は控訴した。2010年1月13日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
星島貴徳(34)
逮 捕
 2008年5月25日
殺害人数
 1名
罪 状
 死体損壊・遺棄、住居侵入、殺人、わいせつ略取
事件概要
 東京都江東区のマンションに住む派遣会社社員の星島貴徳被告は、幼少の頃に両足に大火傷を負ってその跡が残ったことから、女性に気持ち悪がられることを恐れ、現実の女性と付き合うことを諦めていた。そこで自分の言うことを何でも聞く女性を求め、2008年4月18日、2部屋隣に住んでいた会社員の女性(当時23)が帰宅して玄関の鍵を開けた音を聞くとすぐにわいせつ目的で侵入。包丁を突きつけるなどして女性を自分の部屋に連れ込み暴行しようとしたが失敗。約3時間後、自室ドアがノックされ、女性の部屋の前に警察官が立っているのに気づいたことから、女性が行方不明になったと装おうと包丁を首に突き刺して殺害。5月1日までの間に浴室内で遺体をのこぎりや包丁で細かく砕いて冷蔵庫などに隠し、その後水洗トイレに流したり、ごみ置き場に捨てたりした。
 同居している女性の姉が帰宅後異常に気づき、午後9時15分に通報。出入りを監視する5台の防犯カメラに女性が連れ出される様子が映っていなかったため、マンション内にいる可能性が高いと全150戸を捜査したが、手がかりを得られなかった。
 星島被告の部屋にも事件当時を含め3~4回捜査員が訪れているが、手がかりは得られなかった。失踪2日後には捜査員が星島被告の室内を任意で捜索して段ボールのふたをあけるなどして確認したが、発見できなかった。捜査一課は任意捜査の限界と話している。
捜査一課は失踪直後から約1週間、マンションのエントランスに約15人の捜査員を配置。マンションへの出入りを制限し、住民には外出先を尋ねた。住民の大きな荷物は中身を確認することもあったが、「すべての手荷物を隅々まで調べることはなかった」(捜査幹部)とされる。
 捜査一課はマンションの全住人や出入りしていた者など約170人に協力を求め、指紋の提供を受けた。このとき星島被告も要請に応じたが、星島被告は薬品などを使って指先の皮膚を荒らしていたため、10指とも紋様が読み取れず、照合が不可能だった。
 逮捕直前、星島被告から改めて指紋採取したところ、皮膚は約1か月を経て再生しており、女性の部屋で見つかった指紋と一致した。5月24日、捜査一課は星島被告宅を捜査し、玄関やリビングの床から血痕を採取し、血液反応を確認した。床の血痕は、DNA鑑定で女性のものと一致したため、5月25日に捜査一課は星島被告を住居侵入容疑で逮捕した。
 5月28日以降、捜査一課はマンション近くの下水道の捜索で骨片や皮膚、脂肪など人体の組織片を150点以上発見。いずれも数センチ程度に切断されており、DNA鑑定によって一部は女性のものと確認された。
裁判所
 東京高裁 山崎学裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年9月10日 無期懲役(検察側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年6月11日の控訴審初公判で、検察側は「残虐、冷酷で遺族の処罰感情は峻烈。被害者が1人でも死刑を選択すべきだ」と東京地裁の無期懲役判決を破棄するよう求めた。一審は殺人に計画性がないことや、突き刺した回数が1回だったことから「方法が執拗とは言えない」と判断したが、控訴審初公判で検察側は「突き刺したのが1回だったのは、被害者を縛り抵抗できなかったからだ」と反論。「遺体を切り刻みトイレから汚物同然に流すなど凄惨極まりない。一審は正当に評価しておらず不当」と求刑通り死刑適用を求めた。
 7月16日の弁論で、弁護側は死刑回避を主張し、結審した。被告人は初公判、弁論のいずれも出廷しなかった。
 判決で山崎裁判長は「殺害は身勝手極まりなく冷酷かつ残虐、悪質性の程度が高く、人倫にもとる犯行だ。尊い生命が失われ、遺体も完膚なきまでに解体され結果も重大。死体損壊は人間の尊厳を無視する他に類を見ないおぞましい犯行。ごみ同然に扱われ、さぞかし無念だったと推察される。遺族の処罰感情も峻烈だ」と指摘。一方で「『女性を拉致した時点で殺害に着手せざるを得ない状況だった』という検察側の主張は早計」と殺害の計画性を否定し「被告は法廷で犯行の詳細を述べ、罪を悔い、謝罪の態度を示している」として、被告に有利な事情を挙げた。ただわいせつ目的で拉致したものの、わいせつ行為には及ばなかった点を一審は有利な情状として挙げたが「有利には考慮できない」とした。さらに「殺害行為は無慈悲で残虐。一審が『極めて残虐とまでは言えない』としたのは相当ではない」と述べた。しかし検察側が、過去に被害者が1人でも死刑判決が出た事例を挙げて極刑を求めていたことについて、「残虐性の程度や被告の犯罪傾向の深さなどに違いがあり、同様に死刑を選択すべきとの根拠にならない」と述べ、最高裁が1983年に示した死刑適用の「永山基準」に沿って判断、「前科がなく、矯正不可能とまではいえない」などと死刑回避の理由を述べた。
備 考
 2009年2月18日、東京地裁で一審無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
染谷祐吉(57)
逮 捕
 2009年1月15日(死体遺棄容疑。窃盗罪で逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、窃盗
事件概要
 東京都の会社役員染谷祐吉被告は、宇都宮市の造園業飯塚洋司被告や従業員佐藤晃男被告らと共謀。2007年9月16日午前0時半ごろ、宇都宮市の造園会社倉庫内で、韓国籍で会社役員の男性(57)の頭をハンマーで殴るなどして殺害。銀行のキャッシュカードや現金約50万円などを奪った上、遺体を那須町の造成地に埋めた。さらに盗んだキャッシュカードを使って、男性の口座から計約550万円を引き出したり、別口座に移した。男性はイベント企画などを手掛ける会社の役員を務めており、仕事が少なくて資金繰りが悪化していた飯塚被告に数百万円貸していた。男性は飯塚被告に債権回収の仕事を手伝わせていた。
 10月、男性の家族は警視庁に捜査願を提出。栃木県警は造園会社事務所近くの住民から、「血痕と引きずられたような跡がある」との通報を受け、捜査を始めていたが、飯塚被告らは姿を消していた。埼玉県警が窃盗容疑で飯塚被告らを逮捕。その後起訴した。
 飯塚被告らはその後の調べで殺害や死体遺棄を供述。同時に上申書を提出した。捜査本部は2009年1月8日、造成地より男性の遺体を発見した。造成地は飯塚被告の友人の土地だった。捜査本部は1月15日、死体遺棄容疑で6被告を逮捕。1月27日、6被告を強盗殺人容疑で再逮捕した。宇都宮地検は2被告については殺人に関与していなかったと判断し、2月17日、4被告を強盗殺人と窃盗で起訴した。
裁判所
 宇都宮地裁 池本寿美子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月14日 無期懲役
裁判焦点
 2009年9月2日の初公判で染谷祐吉被告は起訴事実も認めた。
 検察側は冒頭陳述などで、染谷被告が首謀者の飯塚洋司被告と2人で強盗殺人の計画を練ったことや、殺害行為にも加わったことを指摘。動機について「被害者が数千万円を得ることを知っていた被告人が飯塚被告に便乗し、多人数で確実に殺害して現金などを奪おうと考えた」と主張した。
 弁護側は冒頭陳述などで「飯塚被告に殺害行為を止めさせようともした」と指摘。「飯塚被告が計画立案し従業員を手足として犯行に及んだ」「被告の生活態度は問題ない」とし、有期の懲役刑を主張した。
 同日の論告求刑で検察側は「犯行態様は卑劣で残虐極まりない。首謀者の1人で主導的に関与し、責任は極めて重い」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「従属的に加担したにすぎない」と情状酌量を訴えた。
 池本裁判長は「(染谷被告は)計画の立案、準備、実行およびそのすべてにおいて主導的な役割を果たした」と認定。飯塚洋司被告の犯行に従属的に加担したにすぎないとする弁護側主張については「2人が対等な関係にあったことなどの事情に照らせば、染谷被告は犯行を統制、指揮した飯塚被告とともに、主犯というべきだ」などと退けた。 そして「計画的で組織的に行われた利欲的犯行。態様は残虐で悪質」と述べた。
備 考
 窃盗と死体遺棄容疑で起訴された元従業員の2被告は2009年7月13日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で懲役5年(求刑懲役6年)、懲役3年6ヶ月(求刑懲役5年)が言い渡された。
 主犯の飯塚洋司被告は2009年8月20日、宇都宮地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴するも取下げ、確定。
 実行犯の佐藤晃男被告は2009年8月31日、宇都宮地裁で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。
 実行犯のO被告は2009年9月28日、宇都宮地裁で求刑無期懲役に対し、一審懲役30年判決。被告側控訴するも取下げ、確定。
 被告側は控訴した。2009年12月18日に東京高裁で控訴審初公判。2010年中に被告側控訴が棄却されているものと思われる。

氏 名
飯嶋勝(33)
逮 捕
 2004年11月25日(自首)
殺害人数
 3名
罪 状
 殺人
事件概要
 茨城県土浦市の無職飯嶋勝被告は2004年11月24日正午頃、土浦市内の自宅で母(当時54)、姉(当時31)を包丁や金づちで殺害。さらに、同日午後5時半頃に帰宅した同市立博物館副館長の父(当時57)の頭を金づちで殴るなどして殺害した。母親の遺体近くには、おいにあたる姉の長男(11ヶ月)が座っていた。
 飯嶋被告は、職に就かないことを巡って父からしっ責され、口論になったことから殺害を考えるようになり、包丁や金づちを購入。犯行当日は、里帰り中の姉と口論になり、暴力をふるったのをきっかけに殺害を決意した。
 飯島被告は一夜明けた25日、「両親と姉を殺した」と通報。土浦署員が3人が殺されているのを確認、飯島被告を殺人容疑で緊急逮捕した。
 飯嶋被告は専門学校中退後、19歳ごろから自宅に引きこもっていた。
裁判所
 東京高裁 植村立郎裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年9月16日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 検察側は逮捕後、飯嶋被告に対する約4ヶ月の鑑定留置の結果、「刑事責任能力は問える」と判断して起訴した。
 2005年7月19日の一審初公判で、飯島被告は3人の殺害を認めた。しかし弁護側が請求した精神鑑定の結果、犯行当時28歳だった飯嶋被告は24歳ごろから統合失調症に罹患していた、などとしたうえで、〈1〉被告は事件当時、心神耗弱状態で、心神喪失だった可能性も否定できない〈2〉統合失調症が現在も悪化の一途をたどっており、治療の必要がある、などと指摘した。そして2008年6月27日、一審判決で水戸地裁土浦支部の伊藤茂夫裁判長は「被告は統合失調症で、心神喪失だった」と述べ、無罪を言い渡した。県は同日、長男を措置入院とした。

 2009年3月4日の控訴審判決で検察側は控訴趣意書で、「父親に暴力を振るわれていたことなどから、動機は理解が可能。隠蔽工作もしており犯行前後の行動は一貫している」などと、被告に責任能力がないとした一審判決が不当と主張した。
 弁護側は答弁書で「犯行時の被告の行動には理解不能な点が多く、心神喪失で責任能力はない」として無罪判決が正当だったことを強調した。
 控訴審でも精神鑑定が実施され、「心神耗弱で限定的に責任能力があった」と指摘された。
 判決で植村立郎裁判長は玄関に鍵をかけ、勝手口から帰るように仕向けて父親を殺害するなど一貫性のある行動を取っており、110番通報して自首するなど犯行の違法性を理解していたと指摘。善悪の認識能力などが著しく低下していたとしても、全くなかったとは言えないと判断した。その上で「犯行当時は心神耗弱で、善悪を判断して行動する能力が完全に失われていたわけではない」と被告が統合失調症だったと認めた上で責任能力の存在を部分的に認定。3人の殺害は残虐、冷酷で、刑事責任は極めて重大だと述べた。
備 考
 2008年6月27日、水戸地裁土浦支部で一審無罪判決。被告側は上告した。2012年2月6日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
赤松宗弘(55)
逮 捕
 2009年5月11日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入
事件概要
 和歌山市の無職赤松宗弘被告は2009年5月7日午後4時50分頃、自宅隣にある無職女性(当時68)宅に侵入し、ネックレスなど約29万円相当を盗んだ。しかし帰宅した女性に発見されたため、首をタオルなどで絞めて殺害した。赤松被告は午後6時頃、市内のリサイクル店で盗んだ指輪など16点を約14万円で換金した。
 赤松被告には、消費者金融などから約30万円の借金があった。配管工として働いており、3月末と5月1日に給料を受け取ったが、パチンコにつぎ込み、事件直前の所持金は数十円だった。事件の1ヶ月前に失業していた。
 9日に女性の遺体が発見された後、隣に住む赤松被告の所在がわからなくなった。心配した知人の男性が10日、赤松被告の携帯電話に電話したところ、赤松被告が「盗みに入り、見つかったので殺した」と話した。この男性の証言などから、赤松被告が浮上した。捜査本部は11日に殺人容疑で逮捕状を取り、富山県黒部市のJR黒部駅構内に1人でいる赤松容疑者を発見。富山県警黒部署に任意同行し逮捕した。
裁判所
 和歌山地裁 成川洋司裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月16日 無期懲役
裁判焦点
 起訴事実が強盗殺人では初の裁判員裁判。和歌山地裁は7月27日、裁判員候補者69人に呼び出し状を送付。呼び出しを取り消したり、呼び出し状が届かなかった人を除く41人のうち、37人が呼び出しに応じ、14日午前に裁判員6人(男性5人、女性1人)と補充裁判員2人が選任された。起訴内容に争いはなく刑の重さが争点となった。
 9月14日の初公判で赤松被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 9月15日の証人尋問で検察側証人である被害者の姪が検察側の質問に対して、「被告におばと同じ痛みを味わって頂きたい。被告を死刑にしてほしい」と訴えた。また男性裁判員から「おばにしてあげたかった事は何ですか」と聞かれると、「自分の子供と一緒に旅行などをしたかった。もうお墓に手を合わせる事くらいしか出来ない」と涙声で答えた。一方、午後の被告人質問では、6人の裁判員全員が質問し「空き巣に入ったとき袋を用意したのは何故か」「事件後大阪の兄に会いに行ったのは何故か」「犯行後自宅で寝泊りしていたのはどういう心境か、よく眠れたのか」「被害者が友人と帰宅していたら、いっしょに殺していましたか」などと問いただし、被告は「よく寝られませんでした」、「謝って逃げていたと思う。1人で帰ってきたので殺害した」などと答えた。
 同日の論告求刑で検察官は「強盗殺人というと、物を奪うために人を殺したという場合を想像されると思います」と切り出し、刑法上は今回のような口封じの犯行も「同じように強盗殺人罪が成立する」とかみ砕いて説明した。そして「女性の口封じの為に殺した強盗殺人事件で、執拗、残忍で、動機に同情の余地は全くない。入手した金でパチンコをするなど反省もみられない」と無期懲役を求刑した。裁判員裁判で無期懲役が求刑されたのは初めて。
 同日の最終弁論で弁護側は犯行の計画性を否定した上で、「当初は空き巣目的だった突発的な犯行で、被告には更生の余地がある。厳しい刑を下すことだけが市民感覚を取り入れることではない、無期懲役は重すぎる」として、「懲役25年が相当だ」と裁判員に意見を述べた。
 判決日の午前中、裁判員と裁判官による最終評議が行われ、午後に判決が言い渡された。
 成川裁判長は判決で「現場に遺体があるのに、隣接した自宅で日常生活を送っていた」と述べ、裁判員からの被告人質問の内容を踏まえ、事件の悪質性を指摘した。そして「犯行は非常に執拗、残忍で悪質。奪った貴金属を換金して平然と買い物やパチンコをし、逮捕されるまでひたすら逃げようとした」と非難した。「無残に命を奪われた被害者の恐怖や無念は察するに余りあり、死刑を望む遺族の厳しい処罰感情は当然」と指摘。計画性の低さや反省を考慮した上で「有期懲役の選択が可能としても、被告には無期懲役が相当」と述べた。言い渡し後、成川裁判長は「裁判員と裁判官からのメッセージ」として「現実から逃げず、被害者の冥福を祈りながら罪をきっちり償ってほしい」と説諭。被告は「はい」とうなずいた。
 判決後、裁判員6人と補充裁判員2人の全員が記者会見。それぞれ「いい経験になった」「参加してよかった」などと充実感を口にした。しかし「意見はどれぐらい判決に反映されたか」という質問に対しては、地裁の職員が守秘義務に反するとして回答を制止した。また「法廷や評議で刑の重みについて説明を受けたから(刑期について)判断できた」と口をそろえたが、30代の女性裁判員は「素人の自分たちが決めてよいのか疑問が残った」と苦悩をのぞかせた。会社員の男性(47)は「帰宅後も被告のことを考え寝られなかった」と疲れた表情だった。
 弁護側は控訴について明言しなかったが、藤井幹雄弁護士は「3日間の公判は短い。(地裁が)審理より進行を管理している面が強かったのでは」と苦言を呈した。
備 考
 裁判員裁判で無期刑が求刑されるのは初めて。判決が出るのも初めて。
 和歌山県の日刊紙「わかやま新報」は9月15日付紙面で、14日の選任手続きで裁判員を辞退した女性を実名で報道した。同紙は、呼び出しに応じて地裁を訪れ、出産を理由に辞退が認められた女性の実名と年齢、感想を報じた。
 辞退が認められた裁判員候補者は候補者名簿に名前が残り、年内に再び裁判員に選任される可能性があるため、裁判員法で氏名など個人を特定できる情報を公にすることが禁じられている。罰則はなく、15日に同紙を発行する和歌山新報社の代表取締役名で地裁所長に謝罪文が提出されており、地裁は特別な措置は取らないという。
 控訴せず確定。裁判員裁判で無期懲役判決が確定したのは初めて。

氏 名
大平哲也(36)
逮 捕
 2008年10月27日(殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入他
事件概要
 住所不定、造園業大平哲也被告は2008年10月16日午前9時10分頃、水戸市に住む女性から植木の手入れの注文を受けるふりをして女性の自宅に入り、首を絞めて殺害。室内から現金約5800円入りの財布を奪った。大平被告は1人で造園業を営み、2007年には女性方で仕事をしたことがあった。
 遺体は単身赴任先から帰ってきた夫が17日に発見。大平被告が2007年6月にガソリンスタンドで給油代金を支払わずに逃走した詐欺用で逮捕されており、そのときの指紋が現場に残されたものと一致した。
 大平被告はトラックで車上生活を送りながら水戸市内の住宅を訪問し、安価で庭木の手入れを請け負っていた。金がたまるとホテルを利用していた。しかしトラックの車券は切れており、本人も無免許だった。
裁判所
 東京高裁 若原正樹裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月16日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 控訴審で弁護側は「刑が不当に重い」と主張したが、判決は「被害者に馬乗りになって首を絞めており、強固な殺意が認められる」と指摘した。そして若原正樹裁判長は「被害者の家には仕事で何度も訪れており、平日は一人になることを知っていた。犯行は計画的で、酌量の余地はない」と述べた。
備 考
 2009年4月15日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。

氏 名
江沢拓巳(26)
逮 捕
 2007年7月27日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、強盗致傷、強制わいせつ致傷、窃盗他
事件概要
 高知市の建設作業員江沢拓巳被告は、車のローンやガソリン代など金に困り、2007年1月13日~7月23日にかけ、帰宅途中などだった高知市内の19~32歳の女性計16人に対し、高知市内の公園や駐車場に連れ込み、暴行を加えて金品を奪うなどした。抵抗されると、顔や腹をなぐり、財布などを奪って逃げた。別に窃盗も1件ある。被害総額は約48万円になる。
裁判所
 高松高裁 柴田秀樹裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月17日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか? 一部無罪を訴えたか?
備 考
 自供件数は約27件にのぼる。
 2009年3月25日、高知地裁で求刑通り一審無期懲役判決。上告せず確定と思われる。

氏 名
本間正美(49)
逮 捕
 2008年7月23日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 函館市の自営業本間正美被告は無職森清文被告、漁業N元被告と共謀。同市の無職男性(当時46)が森被告の自宅のインターホンをむやみに鳴らしたなどと因縁をつけ、函館港や男性の自宅前などで顔や腹などを殴るなどの暴行を加えて現金を要求し、乗用車の鍵など3点(計2800円相当)を奪った上、函館港で男性を海に投げ込み、鉄製のいかり(重さ約13kg)を投げつけるなどして水死させた。
裁判所
 札幌高裁 小川育央裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月17日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 判決で小川育央裁判長は「落ち度もない被害者の命を奪った結果は重い。一審判決の量刑が重すぎて不当であるとは言えない」とした。
備 考
 逃げ出そうとするのを妨げたり、いかりを入手して森被告らに手渡すなどしたとしたN元被告は強盗殺人ほう助罪で起訴され、2009年3月3日、函館地裁で懲役7年(求刑懲役8年)が言い渡された。N元被告は控訴せず確定。
 森清文被告は2009年3月3日、函館地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月28日、札幌高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定。
 2009年4月21日、函館地裁で求刑通り一審無期懲役判決。上告せず確定と思われる。

氏 名
大林久人(52)
逮 捕
 2007年5月18日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法違反、監禁、傷害
事件概要
 愛知県長久手町の元暴力団組員大林久人被告は2007年5月17日午後、自宅別棟に元妻(当時50)を監禁。午後3時47分、長男(当時25)が自宅から110番通報。午後4時10分頃、駆けつけた県警愛知署長久手交番の2警官のうち、巡査部長(当時54)が首を撃たれ、玄関先に倒れた。さらに大林被告は自宅で長男と次女(当時21)にも発砲、長男は腹部、次女は足を負傷した。大林被告はさらに仰向けに倒れた巡査部長と、横で開放する次女に向け3発発射したが、当たらなかった。その後、長男と次女は、自力で自宅から逃げ出した。大林被告は元妻を人質にしたまま、自宅に立てこもった。
 玄関前に倒れたままの巡査部長を救出するため、午後9時23分に捜査員が突入。巡査部長は救出されたが、この際、現場近くの路上で警戒に当たっていた機動隊員で、特殊部隊(SAT)所属の巡査部長(当時23 死後二階級特進)が左胸を撃たれ、18日午前0時14分に搬送先の病院で死亡した。巡査部長は防弾チョッキを着ていたが、チョッキのすき間の左鎖骨から入った銃弾が心臓に達した。死因は出血死だった。SAT隊員が現場で死亡したのは初めて。また救出された巡査部長は、現在も身体の自由がきかない状態である。
 18日午後2時51分、人質となっていた元妻が家のトイレから自力で脱出し、県警に保護された。元妻は軽症。このとき、大林被告は地元のFMラジオ局に電話をかけており、指名したDJが折り返し電話をかけ、事件の動機などについて語っていた。
 午後8時30分ごろ、説得に応じた大林被告は自宅から出てきた。48分、機動隊員が大林被告を取り囲み、緊急逮捕した。
 大林被告の元妻は2005年11月、愛知署へ家庭内暴力などについて相談に訪れ、県女性相談センター(名古屋市)に保護された。2005年12月半ばからは県内の別のシェルター(避難所)に移り、2006年6月に離婚した。この間、大林被告は長女方を訪れた元妻を待ち伏せて刃物を示したり、次女と面会中に押しかけて復縁を迫ったりしたため、DV防止法に基づいて妻への接近を6ヶ月間禁じる保護命令も名古屋地裁から出された。 しかし、17日に家族全員で復縁などについて話し合い、その最中に大林被告が激高、拳銃を持ち出して暴れたため、家族が110番した。大林被告は15日にも長男と口論になっており、さらに16日には拳銃で試射をしていた。
 大林被告は10年前に山口組系暴力団を破門されていたが、自宅に拳銃や銃弾を持ち続けていた。
裁判所
 名古屋高裁 片山俊雄裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年9月18日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 量刑不当を訴え、検察・被告双方が控訴した。
 2009年7月1日の控訴審初公判で検察側は、次女への発砲について「下半身に命中する確率が極めて高い状態で発砲している」と他の3人と同様殺意があったと主張。また、SATの警部への発砲を巡り、一審が発砲により死亡する危険性を認容していたにすぎないという概括的殺意にとどまるとした点について「確定的殺意があった」と主張した。
 一方、大林被告側は警部ら3人への殺意を否定。大林被告が犯行当時、薬物の大量摂取の影響で心神耗弱状態にあったとした上で「一審判決の量刑は著しく重くて不当だ」と主張した。
 7月24日の公判で死亡した警部の母が、「命を奪ったのだから、償えるのは命しかない」と涙ながらに証言し、改めて死刑とするよう求めた。弁護側は大林被告に対する被告人質問を行うよう求めたが、同高裁は「不必要」として却下した。同日、検察側は「地裁は、拳銃を使用し治安や法秩序を揺るがした凶悪重大事件であることを見誤った」として改めて死刑を求刑。弁護側は無期懲役をさらに軽減するよう求めて結審した。
 判決で片山裁判長は、「警察官に対する発砲は治安や法秩序に対する挑戦行為であり社会的影響も大きい。長時間立てこもったため、住民の恐怖や不安も大きい」と大林被告を厳しく批判した。しかし、「弾丸は防弾衣に当たって角度が変わり、心臓に命中したという偶発的要素があった」として、一審同様、警部に対する確定的な殺意は認めなかった。一審判決が起訴罪名の殺人未遂罪ではなく傷害罪を適用した次女への発砲についても、二審判決は「被告と次女の位置関係から弾丸が次女の下腹部などに命中する可能性が高い状況にあったとは認められない」として未必の殺意があったとする検察側主張を退けた。
 そして「犯行は短絡的、場当たり的に敢行された」とも指摘し、「一連の犯行が綿密、周到な計画に基づくとは言い難く、警察官の殺害については偶発的な要素もあるなど死刑が相当と断ずることはできない」と述べた。
 大林被告の弁護人によると、大林被告は判決後、「身勝手な思いで尊い人命を奪ったことを反省しています」と話し、判決を受け入れる考えを示したという。
備 考
 2008年12月17日、名古屋地裁で一審無期懲役判決。検察・被告側は上告した。2011年3月22日、検察・被告側上告棄却、確定。

氏 名
緒方秀彦(50)
逮 捕
 2007年9月6日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 神戸市の電気工緒方秀彦被告は2005年10月18日午後6時から同8時半ごろ、同市で質店を経営している男性(当時66)の自宅兼店舗内で、金づちのような鈍器で男性の頭部を複数回殴って殺害し、現金約10000円を奪った。
 2007年8月中旬、緒方被告は道交法違反(速度超過)容疑で逮捕され、その際に採取された指紋が、男性宅に複数残っていた指紋と一致。また、質店から立ち去る不審な男と容疑者が酷似していたことも判明し、捜査本部は9月6日朝から任意同行を求め、追及していた。
 緒方被告と男性は付き合いはなく、2005年10月に緒方被告が質店を訪れたのが初めてだった。
裁判所
 大阪高裁 小倉正三裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月24日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 逮捕当初から緒方被告は、2年ほど前に現場に行って酒を飲んで話をしたことは認めているが、殺害については「やってません」と否認している。凶器も発見されていないが、検察側は質店から指紋や足跡が見つかったことなどから、緒方被告の犯行と主張していた。神戸地裁判決は「被告の弁解は排斥できず、目撃証言も1年10カ月後の判断で、疑問が残る」として無罪を言い渡した。検察側が一審無罪判決を不当として控訴した。

 被害者と面識がない緒方被告の指紋や足跡などが現場に残されており、被告側は「事件より前に仕事を頼まれ部屋に入った」と主張。一審判決では店内の灰皿に残っていたたばこの吸い殻から緒方被告のDNA型が検出されたことを踏まえ、「わざわざ証拠を残すような行為で、説明できない」と無罪を言い渡した。しかし判決で小倉裁判長は「犯人が必ず常識的に行動するとは限らない」と述べた。そして「質店前の自動販売機でたばこを買おうとしたら、被害者から防犯カメラの設置を相談され、店内に入っただけ」とする被告の主張を「見ず知らずの被告に相談するとは考えにくい」と指摘。「被害者と会ったとする時間帯の供述はあいまいで、他の証言にも一貫性がない。被告の供述は不合理、不自然で信用できない」とした。また現場から被告が出てきたのを見たとする目撃証言も「明確に被告であると判断している」と述べた。その上で「残虐非道な犯行で、責任は重大」と述べた。
備 考
 2008年6月30日、神戸地裁で一審無罪判決被告側は上告した。2011年12月12日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
城尾哲弥(62)
逮 捕
 2007年4月17日(現行犯逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、公職選挙法違反(選挙の自由妨害)、銃刀法違反、火薬類取締法違反
事件概要
 指定暴力団会長代行城尾哲弥被告は、長崎市長選挙期間中だった2007年4月17日午後7時52分ごろ、JR長崎駅近くの選挙事務所前で、4選を目指して立候補していた伊藤一長・前長崎市長(当時61)の背後に忍び寄り、所持していた拳銃で銃弾2発を発射した。伊藤前市長は心配停止状態で長崎大付属病院に運ばれたが、午前2時28分、大量失血のため死亡した。城尾被告は選挙事務所関係者にその場で取り押さえられた。城尾被告は実弾26発を所持していた。
 城尾被告は2003年2月、工事中の市道で自分の車が路面の穴にはまり、破損する事故を起こしており、市に修理代60万円の支払い要求をした。その後、主張はエスカレートし、総額200万円以上を求めてきた。市は「賠償する責任はない」として拒否したが、電話や面会は2004年秋までに約50回に及んだ。城尾被告はこの件で伊藤前市長を刑事告発していたが、長崎地検は2004年に不起訴としている。
 このほか、城尾被告の知人が経営する建設会社が2002年、市の制度を利用して銀行から融資を受けようとして断られた件でも恨んでいた。2005年1月には知人の会社が市の解体工事から排除されたことで市に抗議、前市長あてに公開質問状も送っていた。
 城尾被告は犯行前、こうした不満について記した文書をテレビ朝日あてに郵送。消印は4月15日で、冒頭には「ここに真実を書いて自分の事は責任を取ります」との表現があった。
 また城尾被告は襲撃対象として金子原二郎長崎県知事を考えていたことも明らかになっており、事件の約3週間前には、金子知事の後援会事務所に「覚悟しろ」と脅迫めいた電話をかけていた。
 城尾被告は事件の5年前に約300万円あった預金が事件直前は約4万円にまで減るなど金銭的に困窮し、組で立場を失っていた。今回の事件で組織は全く関係なく、城尾被告は後に破門となっている。
 期日前や不在者投票などで前市長に投票した計1万5435票(全投票数の約8%)が無効になった。
 市長選(同22日)には、長女の夫で新聞記者の横尾誠氏(40)と市課長だった田上富久氏(51)が補充立候補。田上氏が953票差で初当選した。
裁判所
 福岡高裁 松尾昭一裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年9月29日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 公判前整理手続きを採用。
 2008年1月22日の初公判における起訴事実の罪状認否で、「起訴状に書いてある事実はその通りです」と起訴事実を認め、「心よりおわび申し上げます。日々、合掌して伊藤様のごめい福をお祈りしています」と遺族らに謝罪した。
 検察側は冒頭陳述で、城尾被告が暴力団組織の会長代行に就任した2002年5月ごろから、組への上納金(1ヶ月30万円)や毎月の慶弔費など約10万円の資金繰りに困り始め、経済的に追い込まれたと指摘。そのうえで、市道工事現場で起こした自損事故の補償などを巡り、城尾被告が市に不当要求を繰り返したが、対応に不満を募らせ、暴力団幹部としての意地を見せ、世間を驚かせようなどと考え、自暴自棄になった経緯を明らかにした。
 2005年7月ごろには、県内の知人男性に対し「(伊藤)一長(前市長)のタマ取らんか。(金子)原二郎(知事)でもいいぞ。大事件を起こせば後世に名前が残る」と依頼するなど長崎市、県のトップの襲撃を考えるようになった。最終的には伊藤前市長が出馬を表明した昨年2月ごろから前市長殺害を計画したことを指摘した。
 これに対し、弁護側は殺害の事実や殺意は認めたが、公判でも「殺害直前、前市長の姿を見て殺意を抱いた。拳銃を持って行ったのは威嚇のためだった」などと計画性を否定、現場で衝動的に殺意を抱いたと主張した。
 2月25日の第5回公判では、城尾被告は「謹んで極刑を受けたいと思います」と述べた。しかし城尾被告は事件の動機について、「選挙カーが帰ってきたら、空に向けて4、5発発砲するつもりだったが、(前市長が)目の前に現れ、(自分に)会釈をした。想定外で数秒間、頭が真っ白になり、無我夢中で(なぜ前市長を撃ったのかなどは)一切覚えていない」と計画性がなかったことを改めて主張。動機の解明については「私にとって永遠のテーマ」と述べて、明らかにしなかった。殺意の形成時期については「前市長を見た瞬間」と述べ、検察側が主張する「前市長が立候補表明した昨年2月」を改めて否定した。
 3月19日の論告で検察側は、事件後の市長選で大量の無効票が出たことなど、犯行が選挙や社会に与えた影響の重大性を強調。動機について、「市に不当な要求を行い、応じない市や被害者を逆恨みした。弁護側は『要求は正当』と主張するが、(自動車の自損事故など)原因を自分で作りながら因縁をつけるなど不当要求そのものだ」と指摘した。
 計画性について、弁護側は「騒ぎを起こすため空に発砲するつもりだった。現場で市長を見て殺意が生じた」と突発的な犯行を主張したのに対し、「捜査段階から供述が変遷しており、弁解自体が不合理」と述べ、伊藤氏の行動確認や、自身の身辺整理をしていたことを挙げ「殺意は強固で確定的」と結論付けた。
 そして「選挙運動中の候補者を殺害する犯罪史上、例を見ない犯行。自由と民主主義を揺るがす選挙テロだ。動機は身勝手かつ反社会的で、酌量の余地はない」と断じた。
 また「本件被害者が1人だということは、複数の場合に比べ犯情に差があることは否定できない」として、永山基準が定着していることは認めた上で、「被害者が1人でも極刑がやむを得ない場合がある」との一般論を示した東京都国立市の主婦殺害事件の最高裁判決(1999年、判決は無期懲役)を引用し、「死亡被害者が1人でも、結果の重大性、社会的影響などに照らして罪責が重大と評価し得る場合は死刑を選択すべきだ」と訴えた。
 論告に先立って伊藤氏の二女が意見陳述。城尾被告に向かって「正面から遺族を見てほしい。どれだけ残酷なことをしたのか知ってほしい」と語り、「裁判で真相が明らかになるどころか疑問が大きくなり、失望と疲労感が増すばかり。敵討ちが許されるならば、父の温かさと母の笑顔を奪った敵を討ちたい」と極刑を求めた。
 同日の最終弁論で弁護側は、市道工事現場での自損事故などで城尾被告が長崎市に抗議を続けていたことについて「市の不正を追及するためで、金銭は要求していない。不正な行政対象暴力を行う意思はなかった」と述べた。
 犯行の計画性は「被告は事件直前の2007年3月までは紹介された警備会社を経営するつもりだった」「市への不満から市長の社会的な失脚をもくろむようになったが、直前まで殺意は抱いたことはなかった」と述べて犯行の計画性を否定。現場で殺意が突発的に芽生えたと主張した。取り調べ段階で計画性を認める供述をした点については、被告は「検察庁を信用できないのでうそをついた」と弁明した。
 そして弁護側は被害者の人数などを重視した永山事件判決を引用し、「被告は事件後、深く反省している。極刑は重きに過ぎる」と主張した。
 城尾被告は最終陳述で「判決を真摯にお受けします。生きている間、なぜ市長を殺害してしまったのか、自問自答するしかない。ご迷惑を掛け申し訳ありませんでした」と述べ、傍聴席に向かって頭を下げた。
 判決で長崎地裁松尾嘉倫裁判長は、城尾被告が事件前、資金源としていたとされる建設業者に公的融資制度が適用されなかったことや市発注の道路工事現場で起きた車の事故をめぐり、市役所に押しかけて助役に面会を求めるなどしていたと認定。全く理由のない主張・要求だと述べて「市への不正追及だった」との被告側の主張を退けた。
 さらに、城尾被告は、経済的困窮の中で市に要求を断られ、暴力団幹部としてのプライドを傷つけられて自暴自棄になり、前市長への恨みを一方的に募らせたと指摘。動機を「当選を阻止して市への恨みを晴らし、社会を震撼させて力を誇示しようとしたと推認できる」と指摘した。
 殺意の形成時期については、伊藤前市長が出馬を表明した2007年2月末ごろと認定。市長選告示後に後援会や選挙事務所を見張らせ様子を探るなどしていたこと、事件約1ヶ月前から息子に「何があっても驚くな」と告げていたこと、殺傷能力の高い拳銃をためらいなく発射したことなどを挙げて「犯行は計画的で殺意は強固だ」と指摘した。
 事件直前に市への不満などを書いた文書を報道機関に送った事実も認定した。
 そして犯行を「選挙民の選挙権行使を否定するものだ。選挙妨害としてこれほど直接かつ強烈なものはない」と指摘。「伊藤前市長が命を奪われる理由はなく、逆恨みの経緯は自己中心的だ」と述べ、長崎市に不正があったとの動機を主張した城尾被告を「責任軽減にきゅうきゅうとしている」と非難した。さらに背後の至近距離から銃弾2発を撃ち込んだとし、「冷酷かつ残忍、凶悪で卑劣この上ない。通行人らを巻き込みかねない危険もあった」と指摘。被害者が1人にとどまることを考慮しても、民主主義を根底から揺るがす犯行であり、結果の重大性などから極刑を科すことはやむを得ないと述べた。

 弁護側は即日控訴した。2009年1月28日の控訴審初公判で弁護側は控訴趣意書を朗読し、十一項目の理由を挙げて量刑不当を主張。「殺意を抱いたのは事件直前で計画的ではなかった」「犯行が投票後に敢行された場合と比べて影響は少なかった」「最も苦痛のない殺害方法だった」などと有期刑への減軽を訴えた。「被害者は1人で、死刑廃止は国際的な潮流」「民主主義を根幹から揺るがす犯行で、被害者が1人にとどまることを十分考慮しても、極刑はやむを得ない」とした一審判決を「死刑の判断基準を逸脱している」と批判した。犯行の約4年前にあった自動車事故をめぐり、一審判決が賠償金目的の意図的なものと認定したことについては、作為的ではないと反論した。最後に「遺族には高額の補償金が給付されており、精神的苦痛は相当和らげられた」と付け加えた。
 検察側は、弁護側の主張は死刑回避の理由にならないと反論した。
 被告人質問で城尾被告は「市長個人ではなく、長崎市長という公職に反感があった」と述べ、事件当日は「市長を見た瞬間に体がパッと反応した」と、突発的な犯行だったことを強調した。3月2日の第2回公判でも同様の主張をした。
 6月12日の意見陳述で被害者の妻は城尾被告や弁護人の主張に不快感を示し、「事件から2年2カ月が過ぎたが、事件を現実のことだと受け入れてしまうと自分が壊れてしまいそうで恐ろしい。処罰感情は一審の時と変わらない」などと改めて極刑を求めた。また、長崎県警の捜査員が事件直前に、城尾被告が前市長に会いに行くらしいとの通報を受けていたことにも触れ、「なぜ警察は電話の一本もくださらなかったのでしょうか」と不満を示した。陳述に対し、城尾被告は「奥様や家族の希望も殺してしまった。(前市長)1人を殺したんじゃないという気持ちでいます」と述べた。しかし「事件を起こそうという気持ちを持っていたわけではない」と犯行の計画性をあらためて否定した。
 同日の最終弁論で弁護側は「死刑廃止は国際的潮流」と指摘。被告と市の長年にわたるトラブルについて「市には紛争当事者として政治的責任があり、被告への対応は十分でなかった」と述べた。さらに城尾被告が脳血栓や糖尿病を患っていることを挙げ、「被害者は1人。選挙妨害を狙った犯行でもない。再犯の恐れを考慮する必要はない。有期懲役刑が相当」などと死刑回避を求めた。
 判決で松尾裁判長は、主文を後回しにして理由の朗読から始めた。
 事件前、被告が資金源としていたとされる建設業者に公的融資制度が適用されなかったことなどで市に繰り返し対応を求めていたことについて、「不当極まりない」とし、弁護側の「事実誤認」とする主張を退けた。
 動機を「被告の不当要求を拒否した長崎市の首長である被害者への怨恨」とし、犯行態様も「暴力団犯罪の典型で極めて悪質」と断じた。争点の一つだった計画性についても「用意周到ではないものの、十分に準備した上での計画的犯行」と認定し、事件を「民主主義の根幹をなす選挙制度をないがしろにするもの。行政対象暴力として極めて悪質」と位置づけた。
 一方で、「恨みを晴らそうという思いから犯行に及んだもの」として「選挙妨害そのものが目的だったとまではいえない」と指摘。暴力団組織を背景とした犯行ではないことや、被告が経済的に困窮するなどして自暴自棄になって暴発した側面があることなどを挙げた。
 死刑について「生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑で、適用は慎重の上にも慎重に行われなければならない」とした上で、「死刑を選択することについてはなお躊躇せざるを得ない。原判決は重すぎる」と結論づけた。
 主文言い渡し後、松尾裁判長は「裁判官3人で熟慮に熟慮を重ね選んだ結論。被告は終生の服役を通じ、大罪を深く反省、悔悟し、冥福を祈って欲しい」などと説諭した。
備 考
 城尾被告は「水心会」の前身の組の幹部だった1989年7月、「公表すれば問題になる写真を持っている」として当時の本島等長崎市長から1000万円を脅し取ろうとした恐喝未遂事件の容疑者の1人として逮捕されている。
 知人であり、事件当日城尾被告を選挙事務所まで車で送った建設会社社長と、当日伊藤前市長の別の後援会事務所を見張って所在について連絡を取り合っていた無職男性が殺人ほう助の罪で逮捕された。しかし両人とも殺人について知らなかったと供述。長崎地検は立証が困難として不起訴処分にしている。
 ある男性は事件の2時間前、知人の長崎署刑事課の巡査部長の携帯電話に「城尾被告が午後8時ごろ、内部告発の文書を持って市長の選挙事務所に行く。恐喝未遂か選挙妨害にならないか」と連絡。巡査部長は「警察官を行かせないといけない。当直に電話する」と答えたという。 巡査部長は上司の警部補(係長)に報告したが、警察官を選挙事務所に派遣するなどの対応は取られなかった。県警は「通報には具体的な内容が乏しく、差し迫った緊迫感がなかった」として、対応が不適切だったとはいえない、としている。
 立候補した政治家が選挙期間中に殺害されたのは戦後初。
 2008年5月26日、長崎地裁(松尾嘉倫裁判長)で求刑通り一審死刑判決。検察・被告側は上告した。2012年1月16日、検察・被告側上告棄却、確定。

氏 名
小野朗(41)
逮 捕
 2008年7月30日(現行犯逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反他
事件概要
 北九州市の指定暴力団工藤会系組幹部小野朗(あきら)被告は2008年7月30日午後4時55分頃、福岡県須恵町内に住む工藤会系の別の組の元組長だった男性(当時66)方前で、自宅を出てきた男性に回転式拳銃を3~4発を発砲し、殺害した。男性は約2年前に組長を辞めており、組は解散していた。
 小野被告はバイクで約100m逃走したが、元組長を送るため近くに乗用車を止めていた男性が車で体当たりし、発砲音を聞いて元組長宅から出てきた別の男性と2人で捕まえ、警察に引き渡した。
 現場の近くにあった中学校で部活動を行っていた生徒約80人は集団下校や保護者同伴で帰宅した。
裁判所
 福岡高裁 川口宰護裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年9月30日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 一審で小野被告側は恨みによる犯行と主張。判決では動機について不自然と判断したが、暴力団による組織的犯行とまでは認められないとし、有期刑が相当と結論づけた。検察側が控訴した。
 判決で川口宰護裁判長は「現場は病院や学校がある閑静な住宅街で、住民に多大な不安を与えた。暴力団特有の論理に基づく反社会的な犯行だ」と述べ、組織的犯行でなかったとしても一審判決は軽すぎると結論付けた。
備 考
 2009年3月12日、福岡地裁で懲役27年判決。被告側は上告した。2010年1月25日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
吉岡正行(40)
逮 捕
 2007年7月末(強姦致傷容疑。2007年8月18日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 わいせつ略取、監禁、強姦致傷、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、窃盗、暴行
事件概要
 埼玉県北葛飾郡の内藤正行(旧姓)被告は以下の事件を起こした。
  1. 内藤被告は2004年9月、幸手市内の飲食店で勤務していた女性と知り合い、2ヶ月後には「暴力団員とけんかした。『落とし前』が必要」などとうそを言って20~40万円の借金をする関係になった。借金総額は約200万に上り、2005年3月以降、被告の妻が月に数万円ずつ返済していた。2007年7月18日午前3時ごろ、内藤被告は埼玉県杉戸町にあるファミリーレストランの駐車場に飲食店アルバイトの女性(当時44)を呼びだし、7月分を払えないと告げたところ、全額を返済するように言われた。2人は内藤被告の乗用車に乗り、駐車場から殺害現場となった路上まで移動。内藤被告は女性の頭を鉄製フェンスに打ち付け、殴るけるの暴行を加えて頸髄を損傷させた上、首などを持参していたハサミで数回刺して殺害した。レストラン駐車場に戻って女性の車からカーナビや携帯電話などを持ち去り、自分の車内についていた女性の血をふき取った。帰宅した内藤被告は、妻に「女を殺した。これを聞いたお前も共犯だ」とすごみ、妻にカーナビや返り血のついたTシャツを鷲宮町内の川に捨てさせた。 現場近くに落ちていた凶器のハサミは、内藤被告が求人広告を切り抜くために持ち歩いていたものだった。
  2. 内藤被告は2007年7月6日、南埼玉郡で偶然見掛けた女性(当時21)の車を執拗に追いかけ、「おれの女になれ」といきなり車の中に入り込んで乱暴した。
  3. 内藤被告は、7月20日午前1時50分頃、埼玉県さいたま市のコンビニエンスストアから女性会社員(当時25)の車を、自分の車で追いかけ、後方から上向きライトを何度も点滅。女性が車を止めて、「何をするんですか。しつこいと警察を呼ぶ」などと指摘すると、内藤被告は持っていたハサミで女性の首を切りつけ、全治10日間の怪我を負わせた。はさみは、女性を見かけたコンビニで購入した。
  4. 当時の妻(当時38)へ安全靴で蹴るなどの暴行を加えた。
  5. 殺害したアルバイト女性のカーナビを盗んだのと、強姦致傷の女性の財布を盗んだ窃盗の罪にも問われている。
 内藤被告は事件当時の妻(後に離婚)を含め、これまでに6人の女性と結婚しているが、過去の離婚の原因は内藤被告の家庭内暴力だった。
裁判所
 東京高裁 若原正樹裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年9月30日 無期懲役(検察側控訴棄却)
裁判焦点
 検察側は一審に引き続き死刑を求めていたが、若原正樹裁判長は「殺人事件では、経済的利益を得る目的や、用意周到な計画性までは認められない」と指摘。
 ほかの女性三人に対する事件も含め「犯行は悪質だが異常な殺人者とまではいえず、矯正不可能と断定するには疑念が残る」などとして退けた。
備 考
 吉岡被告は前科五犯で、直近の実刑前科三犯はいずれも女性への傷害、強姦などの粗暴犯。出所しては犯行を繰り返し、今回は出所後わずか7ヶ月で事件を起こした。
 旧姓内藤。初公判前に改姓。2008年9月4日、さいたま地裁で一審無期懲役判決。上告せず確定と思われる。

氏 名
真鍋泰光(49)
逮 捕
 2007年11月19日(死体遺棄容疑。12月4日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄他
事件概要
 香川県観音寺市のスナック経営真鍋泰光被告と、知人で丸亀市に住む暴力団組員永岡秀明被告は2007年11月1日午後9時頃、観音寺に住む無職女性(当時55)方で女性の頭をハンマーで数十回殴打して電気コードで首を絞めて殺害し、約1050万円とバッグ(12万相当)を奪った。その後、女性の遺体をシーツにくるんで乗用車に積み込み、観音寺市内の山中に遺棄した。
 真鍋被告は、多額の借金を返済するため、スナックの客だった女性の財産に目を付け、生活費に困っていた永岡被告に犯行を持ちかけた。奪った金は折半した。
 11月2日、連絡が取れないのを不審に思った女性の娘が室内で血痕を見つけた。捜査本部が交友関係を中心に捜査したところ、真鍋被告が浮上。真鍋被告の車から女性の血液が検出されたため、13日に逮捕した。その後の聞き込み捜査で、永岡被告が浮上した。
裁判所
 最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月7日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 一・二審で真鍋被告は強盗殺人について無罪を主張していた。
備 考
 永岡秀明被告は2008年7月17日、高松地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2008年12月25日、高松高裁で被告側控訴棄却。2009年7月23日、被告側上告棄却、確定。
 2008年11月21日、高松地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年6月29日、高松高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
林秀夫(67)
逮 捕
 2006年11月18日(殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人他
事件概要
 広島県三原市の元カラオケ店経営者で無職林秀夫被告は2006年11月17日午後11時過ぎ、同店入り口前で、営業を終えて帰宅しようとしていた経営者の女性(当時68)の顔に刺し身包丁(刃渡り約20cm)を突きつけ「お金貸して」と脅迫したが、抵抗され胸や腹を刺し死亡させた。
 林被告は1999年頃までカラオケ店を経営し、その後女性に店を譲り渡していた。
裁判所
 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月14日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 一・二審で林被告は殺意や強盗目的を否定している。
備 考
 2008年1月25日、広島地裁で一審無期懲役判決。2008年12月25日、広島高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
S・S(34)
逮 捕
 2008年11月1日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃刀法違反
事件概要
 東京都八王子市の会社員S・S被告は直前に家出してホテルを泊まり歩き、所持金が底を突くと「両親のせいだ」「秋葉原の無差別殺傷のような大事件を起こして困らせてやろう」と考えた。
 2008年7月22日、S被告は午後7時ごろに凶器の包丁を購入、JR八王子駅や京王八王子駅前で殺害相手を探した後、「本に気を取られている客なら簡単に刺せる」と考え、京王駅ビルの書店に狙いを定めた。午後9時35分頃、京王八王子駅ビル9F内の書店で目に止まった客の女性(当時21)を包丁で刺して重傷を負わせた上、アルバイト店員で大学4年生の女性(当時22)の胸を刺して殺害した。
 S被告は事件から約40分後に、駅ビルから数百メートル離れたJR八王子駅前の北口交番近くで、警察官から職務質問されると、「私がやりました」と認め、緊急逮捕された。
裁判所
 東京地裁立川支部 山崎和信裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月15日 無期懲役
裁判焦点
 公判前に簡易鑑定が行われ、「刑事責任に問題はない」とされた。公判前整理手続きで争点は(1)自首が成立するか(2)心神耗弱が認められるかに絞られた。
 2009年2月12日の初公判(当時は東京地裁八王子支部)における罪状認否で、S被告は「間違いないです」と起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、被告が殺害相手を探し、2時間近く現場周辺を物色していたと主張した。
 弁護側は「自ら犯人だと名乗り出ている」と自首の成立を主張。また精神鑑定の結果を引き合いに「軽度の知的障害だった可能性がある」と指摘し、責任能力で争う構えを見せた。
 2月20日の公判で、山崎和信裁判長は、弁護側から請求されていた精神鑑定を採用する決定をした。
 7月28日の公判で山崎裁判長は冒頭、昭和大学医学部の岩波明准教授による精神鑑定書を読み上げた。主な内容は〈1〉事件当時、精神状態は不安定だったが、病的な症状はない〈2〉軽~中程度の精神遅滞がある〈3〉犯行時に、(責任能力に影響を与える可能性のある持病の)発作はなかった--だった。
 証人尋問で、弁護側が「IQ(知能指数)が70未満の場合には、責任能力が限定的だった可能性があるという見方があるが」と尋ねると、岩波准教授は「単純に数値だけで判断しないほうがいい」と答えた。
 一方、検察側は「犯行のプロセスは、他の無差別殺人と同じで、知的障害とは無関係ではないか」と尋ねると、岩波准教授は「ストレスがきっかけとなって、犯行に及ぶという類似点はある。だが、知的障害から、短絡的に衝動的な行動を起こしやすくなっており、健常者とは違う」と証言した。
 9月10日の論告求刑で検察側は「将来の仕事に対する不安を理解しない両親を困らせたいとの犯行動機から完全責任能力が認められる。生活状況からも責任能力に影響を与えるような事情は認められない」と主張。「東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件をヒントに、たまたま居合わせた来店客や従業員を襲った悲惨な事件。市民に不安と恐怖を広げた」と指摘した。そして「入念な下準備の上、無防備な女性ばかりを狙った残忍な犯行。動機は身勝手で無責任極まりない。犯行は強固な殺意に裏打ちされた冷酷、残忍なもの。今春から社会人になろうとしていたアルバイト女性の明るい未来を奪うなど、引き起こした結果は重大」と指摘。その上で「死刑求刑も十分あり得たが、責任能力が認められるとはいえ、被告には知的障害があり、適切な矯正教育で贖罪への道を歩み始める可能性もある」とした。
 同日の最終弁論で弁護側は「内向的で気弱。ほとんど自己主張もできず友人もいなかった。被告は知的障害があり、犯行当時は行動を抑制する能力が阻害されていた、通常では考えられない精神状態だったと考えられる。捜査段階の簡易鑑定で知的障害が認められ、責任能力は限定的だ」として、情状酌量を求めた。
 結審前、山崎和信裁判長から発言を許可されたS被告は「自分のしたことに対して、責任を取るだけです。ただそれだけです」と述べた。
 判決理由で山崎和信裁判長は、この事件の直前に発生した秋葉原の無差別殺傷事件について触れた上で、動機を「秋葉原のような大事件を起こせば両親が困るだろうと考えた。どれだけ仕事で苦しんだか両親に思い知らせてやろうと思った」と指摘。「何ら関係ない被害者らに対する凶行で両親に自分の心情を分からせてやろうなどとするのは、筋違いで誠に身勝手」と指弾した。また、菅野被告が交番に出頭し犯行を申告していたことなどから、自首の成立を認めた。争点となった刑事責任能力の程度については「物事の善悪を判断する能力は保たれていた。行動を制御する能力も著しく減退していたわけではない」とした。そして「被害者は何ら落ち度がないのに将来の夢や希望を打ち砕かれた。その無念さは察するに余りある」と述べた。
備 考
 被告側は控訴した。2010年4月14日、東京高裁で一審破棄、懲役30年判決。

氏 名
長井蔵紀(34)
逮 捕
 2008年10月28日(11月18日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄他
事件概要
 松山市の元暴力団幹部長井蔵紀被告は元暴力団組員I元被告と共謀。2005年12月3日午後3時ごろ、長井被告の住むマンションで、飲食店経営の女性(当時31)の首を両手で絞めて殺害。I元被告は両足を押さえていた。現金3万円と乗用車1台(時価153万円相当)などを奪った。さらに仲間2人と共謀し、遺体を布団圧縮パックに入れ、伊予市の山中に埋めた。その後、女性の携帯電話でメールを飲食店の客らに送信し、生きているように偽装した。
 長井被告は女性と交際し同居していたが、別の傷害事件で服役。出所した2005年11月末、同居先に女性の姿が無く、家財道具もなかったため連絡を取ったところ、別れ話とともに2ヶ月分の家賃を請求されて憎悪を募らせた。
 犯行後、長井被告は松山市に住むホステスの女性と共謀し、2007年3月頃、殺害した女性の生命保険契約の解約金をだまし取ろうと画策。女性が被害者になりすまして印鑑証明書を取得し、3月26日に生命保険会社から解約金36万円をだまし取った。2008年12月10日に詐欺と有印私文書偽造・同行使の容疑で逮捕されたが、起訴されたかどうかは不明。
 他に長井被告は暴力団幹部の男性、タクシー運転手の男性と共謀して2007年3月7日午後、松山市内の50歳代の自営業男性の自宅兼事務所に侵入、120万円入りの手提げ金庫を盗んだ窃盗容疑で2009年2月3日に逮捕されているが、起訴されたかどうかは不明。
 愛媛県警は2008年10月28日、死体遺棄容疑で長井被告、I元被告ら3人を逮捕。供述によって女性の遺体が発見された。遺体が埋まっていた場所は、長井被告の実家裏にある山林だった。
裁判所
 松山地裁 村越一浩裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月16日 無期懲役
裁判焦点
 公判前整理手続きで争点は殺害時点で強盗目的を有していたかどうかに絞られた。
 9月14日の初公判で長井被告は起訴状の内容について「所持金をとることについて殺害する段階での意識はなかった。現金3万円の存在を知らなかった」などと強盗目的については否認したが、殺人、死体遺棄については「間違いありません」と認めた。
 9月16日の論告求刑で検察側は「金品を奪うことのみを目的とした強盗殺人とは異なるが、犯行自体は残虐。犯行の経緯や動機に同情の余地はなく、被害者の現金の引き出しを試みるなど殺害後の行動も悪質」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「殺害時点で財物を奪う意思はなく、強盗殺人罪は成立しない」と主張した。長井被告は「一生涯、塀の中で反省したい」と述べた。
 判決で村越裁判長は「担当警察官の証人尋問や被告人質問などから、捜査段階の『金品を奪おうと決めて殺した』という被告人の供述の任意性に疑いを抱かせる事情はない」と強盗目的を認定。「被告人は終始、主導的立場にあった。事前に殺害計画を立て、周到に準備していた。犯行は手荒く、遺族の処罰感情も厳しい。出所後わずか4日での犯行は、規範意識が鈍っている」とした。
備 考
 共犯のI元被告は殺人、死体遺棄で起訴。2009年4月16日、松山地裁(村越一浩裁判長)で「指示されるまま犯行に加担し、酌量の余地はないが、地位は従属的で反省している」として懲役13年(求刑懲役20年)が言い渡され、そのまま確定した。
 遺体を埋める穴を掘ったとして死体遺棄ほう助に問われた男性2被告は2008年12月24日、松山地裁(久保雅文裁判官)は「遺棄する認識は積極的ではなかった」として懲役1年執行猶予3年(懲役1年)を言い渡した。すでに確定していると思われる。
 被告側は控訴した。2010年6月17日、高松高裁で被告側控訴棄却。2011年3月30日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(36)
逮 捕
 2005年11月30日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄、強制わいせつ致死、出入国管理及び難民認定法違反(不法入国、不法在留)
事件概要
 ペルー国籍で広島市安芸区に住む無職ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(当時33)は、2005年11月22日、小学1年女児(当時7)を部屋に無理矢理連れ込みわいせつ行為をした後、午後0時50分~1時40分頃までの間、首を手で締めるなどをして殺害。段ボール箱に入れてテープで封じ、自転車で近くにある広島市安芸区の空き地に運んで遺棄した。
 遺体は22日午後3時頃に見つかった。警察は30日未明、近くのアパートに住むトレス被告を三重県内の親類宅で逮捕した。
 トレス被告は日系三世ペルー人、ピサロ・ヤギ・フアン・カルロスの偽名を用いて2004年4月18日に来日した。2005年8月からは隣町の自動車部品工場で働いていたが、無断欠勤や同僚との喧嘩が多いこともあり、10月中旬に人材派遣会社の登録を抹消され、11月1日にアパートに引っ越してきたばかりだった。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年10月16日 二審判決破棄、高裁差戻し
裁判焦点
 高裁判決を不服とした弁護側が上告した。
 2009年9月11日の弁論で、弁護側は「捜査機関が作った供述調書に過大な信頼を抱いた二審判決は破棄されるべきだ」と主張し、検察側は上告棄却を求めた。
 古田裁判長は、検察側が調書の証拠調べ請求の目的を「殺意や責任能力の立証」とし、「現場の立証」としなかった点などを踏まえ、「被告人質問の内容にまで着目し、任意性を立証する機会を与えるなどの措置をとるべき義務はない」と判断し、「二審は訴訟指揮の解釈適用を誤っている」と結論付けた。そして一審広島地裁の訴訟手続きについて「違法性はない」と述べ、「審理を尽くしていない」とした二審広島高裁判決を破棄、同高裁に差戻した。
備 考
 トレス・ヤギ被告の一審時の国選弁護人である久保豊年弁護士は、2005年12月14日、担当検察官に電話で接見を求めたが、「取り調べ中で捜査に支障がある」と接見を拒否されたのは違法であるとして、国などに慰謝料計220万円の支払いを求めて提訴した。2008年3月12日、広島地裁は「即時の接見を拒否する場合は、別の日時を指定する義務があるが、それをしておらず、違法性は明らか」とし、原告の主張を一部認め、国に22万円の支払いを命じた。橋本良成裁判長は「原告のことを軽視すべきでない」と、検察官の対応を批判する一方で「弁護活動への悪影響は、大きなものではなかった」とした。2009年1月14日、広島高裁(礒尾正裁判長)は「申請後すぐの接見を拒否する場合、別の日時を指定する義務があるのに、それをしなかった」として一審判決を支持、国側の控訴を棄却した。広島地検は上告せず、一審判決は確定した。
 2006年7月4日、広島地裁で一審無期懲役判決。2008年12月9日、広島高裁で一審判決破棄、差戻し。
 2010年7月28日、広島高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
岡久伸(40)
逮 捕
 2006年9月26日(摂津市内の強盗致傷容疑。11月1日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 指定暴力団九州誠道会(同・福岡県大牟田市)系組幹部岡久伸被告は、九州誠道会系組幹部M被告らと共謀し、2007年8月18日午後6時25分ごろ、福岡市中央区黒門の路上で、指定暴力団道仁会(本部・福岡県久留米市)の松尾義久会長が知人女性の運転する車から降りたところに拳銃を数発射し、頭や腰などに命中させて殺害した。
 岡被告はその後逃走。10月3日午後、大牟田署に出頭し、逮捕された。

 九州最大規模の指定暴力団である道仁会(福岡県久留米市 構成員・準構成員約950人)は、2006年5月に松尾義久会長が新たな会長に就任。これに反発した傘下の村上一家などが離脱し、九州誠道会(同県大牟田市、構成員・準構成員約440人)を結成した。
 松尾会長は九州誠道会の結成に激怒、関係者を絶縁処分にしたとされる。その直後から2006年7月にかけ、道仁会を狙った発砲事件が福岡、佐賀、長崎各県で続発した。
 その後、抗争はいったん沈静化したかに見えたが、2007年6月に佐賀県で九州誠道会系組長が刺殺された。8月には松尾会長が福岡市の路上で射殺され、その翌日には熊本市で報復とみられる九州誠道会系組会長を狙った銃撃事件が発生。11月8日には、道仁会系組員今田文雄被告(殺人他で起訴済)が病院に侵入し、対立する暴力団関係者と誤認した一般男性に向けて拳銃4発を発射し、殺害した事件が起きている。さらに11月24日には福岡県大牟田市で、九州誠道会系組幹部が病院前で射殺された。
裁判所
 最高裁第二小法廷 今井功裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月20日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか。
備 考
 事件時岡被告を乗せた車を運転し、犯行後に一緒に逃走したとして1月12日に逮捕されたM被告は、殺人、銃刀法違反容疑で起訴され、2009年2月5日、福岡地裁で懲役17年(求刑懲役20年)が言い渡された。7月17日、福岡高裁で被告側控訴が棄却された。
 同じく共謀したとして2009年1月15日に逮捕された組幹部I被告について、福岡地検は2月6日、殺人容疑などについて処分保留とした。しかし同日、銃刀法違反(実弾所持)容疑などで再逮捕した。その後、殺人罪でも起訴。2010年1月13日、福岡地裁で懲役15年(求刑懲役20年)判決。
 2008年3月27日、福岡地裁で一審懲役30年判決。2009年3月4日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。

氏 名
少年(19)
逮 捕
 2008年12月20日(殺人、死体遺棄容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 浜松市の土木作業員の少年(当時18)は友人である工員Y受刑者と共謀。2008年12月10日午後6時30分頃、浜松市に住む建設作業アルバイトの少年(当時17)を呼び出し、浜松市の雑木林で金づちやゴルフクラブ、鉄パイプで後頭部を殴った上、車でひき殺し、現金約27000円が入ったセカンドバッグ(時価3000円相当)を奪った。
 少年と被害者は同じ暴走族のメンバー。被害者は幹部、少年は集金係だった。11月下旬、被害者の仲介により、この暴走族グループのメンバーに土木作業員と会社員の男性(ともに恐喝容疑で逮捕)がえとの置物(数百円程度)を売るように脅迫。被害者は少年に置物を販売するように依頼したが、少年は12月初旬に販売は辞めたいと申し出た。そのことがきっかけで、少年は被害者に殴られた。事件当日の10日は、販売代金約9万円を被害者に渡す予定であったが工面できず、払えなかったら何をされるかわからないと、友人であるY受刑者を誘って犯行に及んだ。
 浜松東署捜査本部は12月20日、Y受刑者と少年を殺人と死体遺棄容疑で逮捕。その後金を奪ったことを認めたため、いったん釈放のうえ、22日に改めて強盗殺人と死体遺棄容疑で逮捕した。
裁判所
 静岡地裁浜松支部 北村和裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月21日 無期懲役
裁判焦点
 8月12日の初公判で、少年は起訴内容を認めた。ただ、弁護側は「動機はえん恨で、金銭を奪うためではなかった」と述べ、家裁での保護処分を主張した。
 9月9日の論告求刑で検察側は、少年が殺害計画から実行まで、共犯のY受刑者に「終始指示し、主導的立場にあった」ことを重視。Y受刑者が「加担せざるを得ない心理状況をつくり出した」上で、ハンマーのくぎ抜き部分などで少年の頭を狙って何度も殴るなど「生命の尊厳を顧みない、強固な殺意に基づく犯行」と指摘。「少年特有の未熟さは認められず、酌量の余地はない」と法定刑の無期懲役を求刑した。
 弁護側は、9歳でフィリピンから来日した少年が、言語能力に乏しく学校でのいじめなどが原因で「対人関係を築く能力に恵まれなかった」とし、「日本で生まれ育った18歳と比べてはるかに幼く未熟」と主張。被害者の少年に半ば強制的に加入させられた暴走族内のトラブルや、少年自身の「家族を殺す」などの言動が犯行の原因になったことを挙げ、「保護処分が有効に機能し、社会的にも許容される」と少年法に基づく家庭裁判所への移送を求めた。
 判決で北村裁判長は「計画的犯行で、卑劣、せい惨を極める。殺害方法を提案し、共犯者を犯行に加担させるなど主導的な立場にあった。犯情は悪質で刑事責任は極めて重い。被害者の無念を思うとふびんというほかなく、犯行時の年齢や人格的な未熟さを踏まえても酌量減軽は相当ではない」と指摘した。一方、刑の執行については「反省を深め、遺族感情の緩和が認められるなど状況の変化があれば、少年法における仮釈放制度の弾力的な運用を考慮してほしい」と述べた。
備 考
 Y被告は2009年7月24日、静岡地裁浜松支部で懲役30年(求刑無期懲役)判決。控訴せずそのまま確定。
 被告側は控訴した。2010年5月17日、東京高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
岩井篤三(47)
逮 捕
 2007年11月13日(自ら出頭)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、強盗、死体遺棄、住居侵入他
事件概要
 成田市の暴力団組員岩井篤三被告はマレーシア国籍の住居不定無職、ウン・ハイ・ホワット被告、タイ国籍の住所不定接待業P被告、タイ国籍で茨城県坂東市の無職S被告、タイ国籍で茨城県古河市の無職T被告、埼玉県さいたま市の無職少年(当時18)と共謀。2007年10月14日夕方、千葉県柏市に住む住吉会系暴力団組長の男性(当時57)の自宅マンションに侵入し、内縁の妻や息子を監禁。午後5時頃、帰ってきた男性の腹などをナイフで刺して殺害し、現金100万円や貴金属などを奪った。その後、タイ国籍の女性被告、富里市の無職男性被告を加えた8人で17日、富里市の空き地に遺体を埋めた。内妻たちは富里市内のトレーラーハウスに再度監禁され、15日夜に解放された。
 一連の犯行はウン被告の指示で実行された。
 他にウン被告は岩井被告と共謀し、2007年8月19日午前11時40分ごろ、千葉県酒々井町のパチンコ店敷地内にある景品交換所に盗難車で突っ込み、女性店員(当時41)を脅して、交換所の中にあった現金を奪った。
裁判所
 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月26日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか?
備 考
 さいたま市の無職少年(当時18)は2008年6月26日、千葉地裁で一審懲役5年以上10年以下判決(求刑無期懲役)。2009年1月29日、東京高裁で検察側控訴棄却。そのまま確定か。
 P被告は2008年10月28日、千葉地裁で一審懲役28年(求刑懲役30年)判決。
 ウン・ハイ・ホワット被告は2008年11月20日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。
 S被告は2009年2月26日、千葉地裁で一審懲役28年(求刑懲役30年判決)。
 T被告は強盗殺人他で起訴。一審判決済み。その他2被告が一審判決を受けている。

 2008年12月11日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年6月8日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
和光晴生(61)
逮 捕
 1997年2月15日、レバノン当局が別の事件で逮捕。刑期を終えた2000年に帰国し、警視庁に逮捕された。
殺害人数
 0名
罪 状
 逮捕監禁、殺人未遂
事件概要
 和光晴生被告は1973年アラブに渡り、日本赤軍に合流。1974年5月13日、奥平純三容疑者(1977年9月28日のダッカ事件において超法規的措置にて釈放、国際手配中)、西川純被告(1975年8月4日のクアラルンプール事件において超法規的措置にて釈放。1997年11月18日、ボリビアで逮捕。現在東京地裁で審理中)と共にオランダ・ハーグにあるフランス大使館を攻撃して占拠した。フランス大使ら11人を人質に取り、フランスで逮捕されていた日本赤軍メンバーを釈放させた。また警察官2人に発砲して殺害しようとした。
 和光被告は奥平純三容疑者ら4人と共にマレーシア・クアラルンプールのアメリカ領事館を攻撃して占拠した。アメリカ領事らを人質に取り、日本で逮捕されていた5人を釈放させた。この攻撃中に、警察官2名とビル警備員1名が負傷した。
 その後、日本赤軍からは離脱し、独自の戦いを続けた。
裁判所
 最高裁第一小法廷 金築誠志裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月27日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 一・二審で和光被告は殺意を否認し、傷害罪の適用を求めていた。
備 考
 2005年3月23日、東京地裁で一審無期懲役判決。2007年5月9日、東京高裁で被告側控訴棄却。

 和光晴生受刑者は2023年11月4日、大阪医療刑務所で病死した。75歳没。徳島刑務所で服役していたが、医療上の理由で大阪医療刑務所に移っていた。

氏 名
廣畑智規(25)
逮 捕
 2006年6月28日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、監禁、傷害他
事件概要
 東大阪大学4年の男子学生Fさん(当時21)は、同じ大学サークル内にいた東大阪大学の女性(当時18)と交際していたが、同じサークルにいた東大阪大短期大学の卒業生でアルバイト従業員TY被告(当時21)が女性に携帯メールを送ったことを知り激怒。相談を受けた無職Iさん(当時21)は仲間2人とともにTY被告から金を脅し取ろうと計画。
 2006年6月16日夜、Fさん、Iさん、男性会社員(当時21)、同大3年の男子学生(当時20)の4人は、TY被告、同じサークルにいる東大阪大3年のSY被告(当時21)を東大阪市の公園に呼び出し、顔などを殴って打撲の怪我を負わせた後、約1時間に渡り車内に監禁。Iさんは実在する暴力団の名前を出し、女性トラブルの慰謝料の名目で、計40万円を要求するなどした。
 SY被告は事件後、中学校時代の同級生だった岡山県玉野市の無職小林竜司被告(当時21)に電話で相談。小林被告は同じく同級生であった大阪府立大3年の廣畑智規被告(当時21)に相談するよう指示した。相談に乗った廣畑被告は仕返し方法を計画。17日、SY被告らは大阪府警に恐喝容疑などで被害届を提出した。また小林被告は、同県内の風俗店で働いていた際の知り合いで岡山市に住むも都暴力団員で無職OK被告(当時31)に電話で対応を相談した。OK被告は相談に対し、「相手を拉致し、暴行して金を取ってやれ」と指示。さらに、山口組関係者と称していたというIさんに関しては「ヤミ金融や消費者金融で借金漬けにしてやるから、連れてこい」と命じた。
 18日、廣畑被告は大阪府に住む大阪商業大4年のSS被告(当時22)、SY被告、無職SH被告(当時21)をつれ、岡山県に行き、小林被告、小林被告の元アルバイト先の後輩だった岡山県玉野市の少年(当時16)と合流。廣畑被告はここで、男子学生らへのリンチ計画を明かし、それぞれの役割を決めた。小林被告には凶器を準備するよう指示し、少年が特殊警棒などを事前に購入していた。 ただしこのときは、殺人までは計画していなかった。同日、小林被告の指示で後輩少年被告が仲間として、玉野市の派遣社員の少年(当時16)とアルバイトの少年(当時17)を連れてきた。
 18日夜、SY被告、TY被告は「被害届を取下げる」「神戸で慰謝料を払う」という口実で男性会社員の車にFさん、Iさんとともに同乗。途中で「岡山なら払える」と偽り、岡山市に誘い出した。
 19日午前3時過ぎ、山陽自動車道岡山インターチェンジで、待ち伏せしていた小林被告は仲間と一緒にFさん、Iさん、男性会社員の3人を取り囲み、仲間と交代で特殊警棒やゴルフクラブなどで殴るなどの暴行を加えた。このとき、携帯電話と現金約98000円を奪った。Iさんが「知り合いのやくざを呼ぶぞ」という言葉に小林被告らが激怒。さらに岡山県玉野市内の公園に場所を移し、執拗に暴行を続けた。現場で直接、暴行したのは小林、SY、TY各被告と後輩少年被告であり、廣畑被告は指示役、他の被告は見張りなどをしていた。Fさんがぐったりしたため「やりすぎた」と後悔したが、警察への発覚を恐れ殺害を決意。そして小林被告が以前働いたことのある岡山市内の資材置き場に移動した。午前4時50分ごろ、Fさんを資材置場で生き埋めにし、窒息死させた。このとき、小林被告が自らパワーショベルを操作して穴を掘り、小林、SY、TY各被告と後輩少年被告がコンクリート片や石を投げつけた上、小林被告が後輩少年に重機で土をかぶせるよう指示。少年がショベル部分で何度も地面をたたいて土を固めた。パワーショベルは、小林被告と少年が以前働いていた解体会社の持ち物で、小林被告の指示で少年が事前に鍵を持ち出していた。廣畑被告はSS被告、SH被告に、資材置き場の入り口付近とふもとの道路で人の出入りや車の通行などの見張りをするよう指示。少年2人やSY被告とTY被告にも、Fさんや一緒に拉致した男性会社員、車のトランクで監禁したIさんが逃げ出さないように監視を指示した。
 その後、男性会社員は最初の暴行に余り関与していないとSY被告やFさん、Iさんが話したことで解放した。男性会社員は廣畑被告、SS被告をマイカーに乗せて大阪に戻り、19日朝、2人を降ろして解放された。「途中、廣畑被告に口止めされた」と証言している。またSY被告らも帰った。
 小林被告と後輩少年被告は廣畑被告にIさんを連れていくことを伝え、了承を得た。小林被告は、Iさんを車のトランクに入れ、自宅マンションに連れ帰ったが、歩行困難なほど衰弱していたため、改めてOK被告に電話で相談。OK被告は「それでは金を取れないから、連れて来なくていい」と言ったうえで、「事件を知られた以上、警察に通報されるので、帰さずに処分するしかないだろう」と、暗に殺害するようほのめかした。小林被告は廣畑被告、SS被告に電話で処置を相談。2被告は「埋めたらいい」と殺害を了承した。小林被告は後輩少年被告とともに20日未明、資材置き場に戻り、パワーショベルで掘った穴にIさんを生き埋めにして窒息死させた。
 翌日の21日、廣畑被告は小林、SY、TY、SH各被告らと岡山県内で会い、「小林と後輩の少年の2人でやったことにしよう」と口裏合わせをした。また小林被告は、暴行後に解放した男性会社員に電話で脅し数10万円を要求した。
 22日、解放された男性会社員が大阪府警に届け出たことから事件が発覚した。
 24日、SY、TY、SH各被告が岡山県警に出頭、逮捕された。
 25日、小林被告が同県警に出頭、逮捕された。
 26日、小林被告の元アルバイト先の後輩の無職少年が同県警に出頭、逮捕された。
 27日、資材置場から2遺体が発見された。また別の少年2人が同県警に出頭、逮捕された。逮捕された。
 28日、大阪府立大3年の廣畑智規被告(当時21)、大阪商業大4年のSS被告(当時22)が逮捕された。
 8月10日、大阪、岡山両府県警合同捜査本部はOK被告を逮捕した。
 TY被告、SH被告は東大阪大短期大学部の卒業生で、SY被告と同じサッカーサークル内にいた。廣畑、SS、小林、SY各被告は中学時代の同級生。廣畑、SS、SYの3被告は小学時代、同じサッカー少年団のチームメートでもあった。
裁判所
 最高裁第二小法廷 今井功裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月27日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 廣畑被告は監禁や傷害などの罪は認めたが、小林竜司被告との共謀は否定。Fさんの殺害では殺人ほう助を主張し、Iさん殺害では無罪を主張していた。
備 考
 殺害されたFさん、Iさん、解放された男性会社員、知人大学生は、SY被告らに慰謝料名目で金を要求したなどとして、恐喝や監禁などの疑いで、2006年9月15日、書類送検されている。
 小林竜司被告は2007年5月22日、求刑通り死刑判決。2008年5月20日、被告側控訴棄却。現在上告中。
 後輩少年被告は、2007年5月11日、大阪地裁で懲役15年判決(求刑無期懲役)。2008年1月23日、大阪高裁で被告側控訴棄却。そのまま確定。
 TY被告は2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁で一審破棄、懲役11年判決。2008年9月16日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SY被告は2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。そのまま確定。
 SH被告は2007年5月31日、大阪地裁で懲役7年判決(求刑懲役15年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察側控訴棄却。そのまま確定。
 OK被告は2007年6月1日、大阪地裁で懲役17年判決(求刑懲役20年)。控訴審判決日不明。2009年3月17日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SS被告は2007年10月2日、大阪地裁で懲役20年判決(求刑懲役25年)。2009年3月26日、大阪高裁で一審破棄、懲役18年判決。2009年10月27日、被告側上告棄却、確定。
 少年2人は2006年8月8日、殺人の非行事実で家裁送致された。
 2007年10月2日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年3月26日、大阪高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
野崎稔(51)
逮 捕
 2008年10月10日(強盗他容疑。11月21日、死体遺棄容疑で再逮捕。12月2日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 逮捕監禁、強盗、出入国管理法違反、殺人、死体遺棄
事件概要
 元暴力団幹部野崎稔被告は他3人と共謀。2006年5月15日午後8時半ごろ、千葉県浦安市の会社事務所で「8000万円あるだろ。出さないと殺すぞ」と社長を脅迫。乗用車に乗せて横浜市都筑区の社長宅まで監禁、現金約3900万円を奪った。
 野崎被告を中心とした強盗団は東京都内や神奈川県で、多額の現金を持ち歩く会社経営者らをターゲットに、会社事務所に乗り込んだり、路上で拉致して監禁したりして現金を奪っていた。他の件で起訴されたかどうかは不明。

 東京都江戸川区の運送会社社長TS被告は、古くからの知り合いである男性と10年以上前から投機目的の不動産取引を行い、多額の利益を上げていた。2004年にTS被告は見返りとして男性を会社の役員に就かせ、会社の倉庫用地の取得などを担当させた。だが取引の進め方などを巡り男性とTS被告は次第に対立。また役員に迎えるとき、男性に会社の発行株式の数10%を譲渡する約束をしたものの、実際には譲渡せずトラブルとなった。他に2006年6月頃には、男性が契約した千葉県佐倉市の土地の名義などを巡り言い争っていた。事件当時には、男性の社内での存在感が大きくなり、このままでは乗っ取られるとTS被告は危惧した。
 TS被告は職業不詳T被告に男性の殺害を依頼。男性は暴力団関係者S被告に相談。S被告は野崎稔被告に男性の殺害を指示した。
 野崎被告は強盗団の部下であるI被告、M被告と共謀。2006年9月7日、男性(当時66)の自宅近くの駐車場で男性を車で拉致し、車内でポリ袋をかぶせるなどして窒息死させ、遺体を静岡県内の山林に遺棄した。
 TS被告は5人に報酬計千数百万円を支払った。TS被告は事件後S被告らに長期間にわたって約4億円を口止め料として脅し取られたという報道もある。またTS被告は2005年秋頃、別の人物に男性殺害を依頼したものの、襲撃の機会が無くて実行できなかったことも明らかになっている。
 男性には、運送会社が総額約1億円の保険を掛けていた。保険金は死亡時に会社と遺族が折半することになっていたが、遺族の同意がないためまだ支払われていない。

 男性は10月1日に静岡県富士市の富士山麓の林道近くのヒノキ林で、白骨死体となって発見された。
 警視庁では死体遺棄事件として捜査していたが、2008年に入って、別の窃盗罪で服役していたI被告が男性殺害を供述、野崎被告ら3人の関与が浮上した。
 野崎被告は2007年4月、他人名義の偽造旅券で中国に入国。2008年9月に不法滞在で中国入管当局に身柄を拘束された。神奈川県警は捜査員を中国に派遣し10月10日、成田空港に向かう航空機内で逮捕状を執行した。
 県警の調べに、野崎被告は「事件を起こしたから中国に逃げた」と供述。男性殺害についても全面的に認め、その上で上申書を提出した。
 2008年11月21日、警視庁捜査一課と小松川署は野崎被告、TS被告ら6人を死体遺棄容疑で逮捕した。12月2日、警視庁捜査一課らは野崎被告ら6人を殺人容疑で再逮捕した。
裁判所
 東京地裁 秋吉淳一郎裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年10月30日 無期懲役
裁判焦点
 判決で秋吉淳一郎裁判長は「報酬目当てに面識のない被害者の命を奪った非人道的な犯行。中核的役割を果たし、1400万円を得た」と指摘した。
備 考
 10月30日の東京地裁判決では、S被告ら3人に懲役26~16年(求刑懲役30年~懲役20年)が言い渡された。残り2人はI被告、M被告。
 T被告の公判は分離された。
 TS被告の公判は分離された。2009年10月29日の初公判で、TS被告は起訴事実を概ね認めた。
 被告側は控訴した。2010年4月21日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
岩本朋宏(24)
逮 捕
 2008年1月4日(死体遺棄容疑。1月14日に殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、窃盗、県青少年健全育成条例違反他
事件概要
 佐賀県唐津市の会社員岩本朋宏被告は、2007年12月2日深夜から3日午前2時頃にかけ、31万円の借金返済を免れようと、同市佐志に止めた乗用車内で、交際していた飲食店店員の女性(当時21)の首を絞めて殺害し、遺体を同市の畑に遺棄した。また殺害後、現金3500円を盗んだ。
 岩本被告と女性は2006年12月から2007年夏頃まで交際していた。分かれた後、女性が岩本被告の実家を訪れ、「貸した金を返してほしい」と求めるなどしていた。岩本容疑者は11月に別の女性と結婚したが、他にも複数の女性と交際があった。
 遺体は2008年1月3日昼、散歩していた近所の女性が発見した。
 岩本被告は2007年5月6日、携帯サイトで知り合った唐津市内の少女(16)が18歳未満であることを知りながら、同市内のホテルで性行為をした容疑でも起訴されている。
裁判所
 最高裁第三小法廷 近藤崇晴裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月2日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 
備 考
 2008年7月8日、佐賀地裁で一審懲役18年判決。2009年3月25日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。

氏 名
林大平(32)
逮 捕
 2008年6月15日(ブラジル人男性事件における死体遺棄容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、殺人、窃盗
事件概要
 群馬県小山市の中古車販売会社役員林大平被告と同市の派遣会社員片山高志被告は共謀。2008年3月4日午後7時50分頃、片山被告が担当していた派遣社員の日系ブラジル人男性(当時48)宅で男性の首を絞めるなどして殺害。財布などを奪うとともにキャシュカードから100万円を引き出し、遺体を佐野市内の川に遺棄した。
 さらに4月20日午後8時頃、林被告が個人的なトラブルで恨みを持っていた前橋市の中古車販売業男性(当時37)を鉄パイプで殴って殺害し、遺体を茨城県桜川市の山林に遺棄した。
 片山被告はブラジルで生まれ育ち、約20年前に来日。小山市内の菓子製造会社を経て1997年に派遣会社へ入社した。林被告は約10年前にブラジルから来日。片山被告と同じ派遣会社で半年間働いた後、2004年に中古車販売の会社を設立した。
 片山被告は事件当時、遊興費による借金の返済に追われていた。
 林被告は中古車販売業の男性から買い取った車の転売を巡るトラブルで、暴力団員の介在をほのめかされ現金1000万円を払うように脅されており、事件までに約750万円を支払っていた。暴力団の話は嘘であった。
 ブラジル人男性は2007年5月、小山市の派遣会社のサンパウロ支社で派遣社員として登録。来日後は派遣先の藤岡町の金属加工会社工場で働いていた。だが、2008年3月5日に無断欠勤した後、連絡が取れなくなった。心配した埼玉県在住の実姉が3月13日、小山署に捜査願を提出した。群馬県警は行方不明になった経緯が不自然なことや、男性の部屋から微量の血痕が見つかったことなどから、事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査していた。
裁判所
 東京高裁 原田国男裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年11月4日 無期懲役(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 検察側は「被害者の落ち度を過大に評価している」と死刑を求めた。弁護側は有期の懲役刑を求めた。
 判決で原田裁判長は殺害された中古車販売業の男性が盗難車に関するトラブルで林被告から多額の金銭をだまし取ろうとしていた点を指摘。「男性の違法行為がなければ借金を負わず事件は起きなかった。一部の被害者遺族の処罰感情も多少融和している。犯行は極めて悪質だが、被害者の落ち度などを考慮すれば死刑は認められない。酌量減軽する事情も到底認められない」などと死刑を回避する事情を挙げ、一審判決を支持した。
備 考
 片山高志被告は2009年3月19日、宇都宮地裁栃木支部で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。
 2009年3月19日、宇都宮地裁栃木支部で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
飯田徹(64)
逮 捕
 2007年9月14日(自ら出頭)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、建造物侵入
事件概要
 大阪狭山市の無職飯田徹被告は2007年9月10日午前10時30分頃、大阪市にある法律事務所に押し入り、持参したハンマーで事務員の女性(当時68)に「母親の居所を教えろ」と脅し、顧客の連絡先が記されたノートを入手。その後、女性の後頭部などを数十回殴打して殺害。事務所内のロッカーや机の引き出しから封書や商品券数十枚などを奪った。事務所を持つ男性弁護士(当時78)は不在だった。またノートや封書には母親の居所は記されていなかった。
 飯田被告は1991年頃に交通事故に遭い、賠償金約1億円を得たほか、母親の資産数千万円や兄の年金も自由に使っていたが、浪費によって預金が急激に減った。さらに大阪狭山市のマンションで母親と同居して飯田被告は、母親を虐待していたため、2002年6月、同市が母親を施設に保護。当時、年金手帳も飯田被告が管理していたが、弁護士が翌年から年金の振込先を変更し、母親に年金が渡るようにした。金に困った飯田被告は、母親(当時86)と共同名義のマンションを売却して金を得ようと計画。事務所に押し掛けたり、再三、電話で問い合わせたが、情報提供を拒否されていた。犯行当時の飯田被告の預貯金は約30万円だった。
 10日正午ごろに堺市内のショッピングセンターで、犯人が捨てたとみられる血染めの衣類や事務所の封筒、メモ類などが発見され、防犯カメラには衣類を捨てる男性の姿が映っていた。捜査本部は男性が飯田被告であると断定し、捜査を進めていた。14日午前8時20分、飯田被告が東署に出頭した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月4日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか。
備 考
 2008年12月12日、大阪地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年6月23日、大阪高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
戸田瑞(40)
逮 捕
 2008年4月26日(窃盗容疑。5月16日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、窃盗
事件概要
 高知県香南市のトラック運転手戸田瑞(いずみ)被告は、南国市の重機運転手谷脇欣央(よしお)被告と共謀。2004年7月15日午後9時頃、香南市のパチンコ店で知り合いの無職男性(当時21)に「飲みに行こう」と声をかけた。男性所有の車で高知市内などを回った後、香南市の県道脇に車をとめ、現金約10万円を奪いキャッシュカードの暗証番号を聞き出したうえ、車内で殺害。その後、同市の山中に遺体を遺棄した。
 翌日、両被告は無職少年(当時18)とともに高知市内の銀行で、カードを使って現金自動預払機(ATM)から2回に分けて52万円を引き出した。
 男性と戸田、谷脇両被告はパチンコ店で顔見知りとなったが、名前も連絡先も知らず、男性が大金を持っているとの噂を聞いて殺害を思いついた。
 事件当時、両被告とも定職に就かず、月約20万円の借金返済に追われていた。
 男性の家族は家出人捜索願を提出。車は7月下旬に香美市の高知工科大の敷地内で、すべてのドアが施錠された状態で発見された。車内に血痕などはなく、県警は家出と事件事故の両面から捜査していた。
 男性の遺体は2007年12月20日、イノシシ猟をしていた男性が枝道の斜面で人骨らしきものを発見。2008年2月1日に香美署に届け出た。香南署が確認し、白骨化した遺体が斜面下数メートルから数十メートルにわたり散乱した状態で見つかった。県警が解剖してDNA鑑定し、男性のDNAと一致した。
裁判所
 高知地裁 伊藤寿裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月11日 無期懲役
裁判焦点
 戸田瑞被告は逮捕当初から強盗殺人について否認している。
 2009年4月30日の初公判で、戸田被告は「強盗殺人には関与していない」と、強盗殺人罪について起訴事実を否認した。検察側は冒頭陳述で、借金を抱えた戸田被告は、男性がお金を持っていると聞き、谷脇欣央受刑囚とともに、殺害して金を奪うことを決意したと動機を説明。谷脇受刑囚が男性の首をタオルで締め、戸田被告が財布を奪ったとし、「タオルを緩めていいかと問われ、首を横に振り、そのまま絞め殺すように伝えた」と指摘した。弁護側は、強盗殺人罪について、戸田被告と犯行を結びつける客観的な証拠はなく、「男性を待ち伏せしたという時間には、自宅で息子とテレビを見ていた」として無罪を主張。「男は戸田被告と女性を巡って三角関係になった過去がある。男が嫉妬や恨みの感情で、虚偽の供述によって戸田被告を巻き込んだ」などと主張した。
 9月10日の論告求刑で検察側は検察側は、戸田被告が犯行前に男性を尾行して行動を確認し、遺体が発見されないよう山中に遺棄したと主張。動機について「計画性のないローンやパチンコなどによる借金」とした。戸田被告と共謀したとされる谷脇欣央受刑者の公判での証言について「捜査段階から一貫しており、争いのない事実や他の証言にも符号し、信用性は極めて高い」と主張。「後ろからタオルで首を絞め、強い犯意に基づき財布を奪った上、キャッシュカードの暗証番号を言わせた後、タオルで首を絞め続け殺害した犯行態様は残虐かつ卑劣」と指摘した。そして「犯行動機は身勝手極まりなく、酌むべき点は見当たらない。不合理な弁解に終始し、反省の態度が皆無」と述べた。
 9月24日の最終弁論で弁護側は「強盗殺人は、友人の男が戸田被告を道連れにするためのうその話」と無罪を主張。戸田被告は「無罪を認めてもらい、家族を安心させたい」と陳述した。
 伊藤寿裁判長は判決理由で「男の証言は一貫しており信用性が高く、虚偽の供述をする動機が見当たらない」と指摘し、谷脇欣央受刑囚との共謀を認定。また被告側のアリバイ主張について伊藤裁判長は、テレビを見た後に谷脇受刑者と合流することは「十分に可能」と指摘。弁護側の主張を「被告が強盗殺人の犯人であるとの認定に疑問を生じさせるものではない」と退けた。そして「借金返済という身勝手な動機。被告は実際の犯行に不可欠で重要な役割を果たし、冷徹で強固な殺意が認められる。不合理な弁解に終始して犯行を否認するなど反省の態度は認められない」と述べた。
備 考
 谷脇、戸田被告とともに現金を引き出し、窃盗罪に問われた元少年は2008年7月24日、高知地裁で懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡され、そのまま確定した。
 谷脇欣央被告は2008年12月2日、高知地裁で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。
 被告側は即日控訴した。2010年10月12日、高松高裁で被告側控訴棄却。2011年8月29日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
少年(21)
逮 捕
 2007年10月6日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反
事件概要
 大阪府寝屋川市に住む工員の少年(当時19)は同じ中学の後輩である内装工アルバイトの少年(事件当時15)に「ビールが飲みたいからやろう」と万引を持ちかけた。
 2007年10月6日午前0時50分ごろ、寝屋川市のコンビニ店で、缶ビール12本セットやアイスクリーム、菓子などの商品(計6400円相当)を万引きし、そのまま店を出た。レジカウンターにいたアルバイト店員の男性(当時27)(寝屋川市東神田町)が発見し、2人を店の外まで追いかけた。同店から南約160メートルの歩道上で、19歳の少年が男性ともみ合いになった。少年は持っていた刃物で左胸を一突きに刺した。少年は犯行後、通行人の男性に一旦取り押さえられたが、抵抗後再び逃走した。少年は普段からナイフを持ち歩いていた。
 店からの110番通報で府警寝屋川署員が駆け付けたが男性はうつぶせに倒れており、まもなく死亡した。
 15歳の少年は店から約130メートル南の路上で止まっていたワンボックス車に乗り込んで逃走。車の前のナンバープレートは外されており、車中には仲間の別の少年が乗っていた。
裁判所
 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月11日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか。
備 考
 2人はこれまでも万引き等の窃盗事件を起こしていた。
 15歳の少年は2007年12月6日、大阪家裁で中等少年院送致とする保護処分が決定した。大西良孝裁判長は「刺殺は(主犯の少年が)とっさに実行した行為で、直接的に関与していない少年と責任の差は大きい」とした。
 15歳の少年の逃走を手助けしたワンボックス車の運転手は、事件に関与がないとされた。
 2008年3月18日、大阪地裁で無期懲役判決。2009年2月26日、大阪高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
高木節男(61)
逮 捕
 2007年11月4日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入
事件概要
 栃木市の廃品回収業高木節男被告は、近くに住んでいた無職男性(当時88)が資産家であると知り、約20年前に千葉刑務所で知り合った愛知県瀬戸市の会社役員N被告に犯行計画を持ちかけた。事業に行き詰まっていたN被告は応じ、姉と交際していた名古屋市中川区の土木作業員S被告を誘った。
 2007年9月17日午前11時過ぎ、N、S両被告は栃木市の無職男性(当時88)方に侵入。居間で、男性の頭に自転車のかごカバーと土嚢袋をかぶせ、粘着テープを巻き付け、体をいすにビニールひもでくくりつけ、窒息死させた。金品は発見できなかった。高木被告は実行役には加わらず、近くで待機していた。
裁判所
 最高裁第一小法廷 宮川光治裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月11日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか。
備 考
 約20年前、高木被告は大麻密輸などの罪で、N被告は殺人罪で服役中だった。
 2008年6月26日、宇都宮地裁栃木支部で求刑通り一審無期懲役判決。同日、N被告は懲役30年(求刑無期懲役)判決。S被告は懲役24年(求刑懲役30年)判決。2008年11月25日、3被告の控訴棄却。S被告は上告せず確定。N被告は上告するも、高木被告と同日に棄却、確定。

氏 名
森賢一(25)
逮 捕
 2008年12月19日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、住居侵入、窃盗、強姦未遂他
事件概要
 福岡市の内装工森賢一被告は、2007年4月から2008年10月にかけて福岡市や春日市などで一人暮らしの女性宅に忍び込んで強姦。さらに現金を奪うなど、9件の犯行を繰り返した。他に強姦未遂1件、窃盗1件で起訴された。
 2008年8月3日午後9時ごろ、福岡市中央区の女性(当時23)宅に無施錠のベランダから忍び込み「騒いだら殺すぞ。金を出せ」などと脅して強姦し、現金46000円を奪った容疑で12月19日に逮捕された。現場周辺の防犯カメラの映像などから森被告が浮上した。
裁判所
 福岡地裁 林秀文裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月26日 無期懲役
裁判焦点
 公判で検察側は、立件されなかった分も含めて、3年余りの間に同様の事件を25件起こしたと主張した。
 判決で林秀文裁判長は、林裁判長は森被告が起訴された9件以外にも、同様の犯行を多数繰り返していたと認定。普段から防犯設備が手薄なアパートを探し回って、覆面を準備するなどの計画性や、被害者数の多さから「計画性は極めて高く、常習的犯行の一部で、遊ぶ金欲しさと、自身の性欲を満たすための犯行に酌量の余地はない。被害者の絶望感、嫌悪感、屈辱感は察するに余りある。同様の事案の中でもかなり重い部類で、無期懲役はやむを得ない」と結論づけた。
備 考
 被告側は控訴した。2010年中に福岡高裁で被告側控訴棄却と思われる。上告せず確定と思われる。

氏 名
坂井正之(37)
逮 捕
 2008年10月8日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、集団強姦傷害、逮捕監禁、強盗、窃盗、覚せい剤取締法違反他
事件概要
 東京都足立区の無職坂井正之被告は仲間と共謀し、以下の事件を引き起こした。
  • 2人と共謀し2007年10月1日午前1時頃、中央区銀座猪路上で、帰宅中だった都内に住む20歳代のアルバイト女性をいきなり車に連れ込み、足立区の仲間の部屋に連れていって乱暴。女性の胸などに怪我を負わせた上、現金約18,000円入りの財布などが入ったバッグを奪った。女性は約3時間後、埼玉県八潮市で解放された。
  • 2007年10月21日未明、埼玉県南部を徒歩で帰宅途中の女性(26)に金づちをちらつかせて脅迫。乗用車の助手席に乗せてキャッシュカードなどを奪った上、東京都のホテルに連行して乱暴し、約3時間半後、草加市の路上で解放した。
  • 他に坂井被告は2008年7月18日未明、足立区の路上で20歳代の会社員女性に無理やりキスをし、現金約1万円が入ったバッグ(約8万円相当)を奪うなど、3件の強盗事件を起こした。
  • 覚醒剤の使用。
 最終的に坂井被告は仲間数人と共謀し、2007~2008年秋、川口市や八潮市、越谷市など埼玉県南東部で女性4人を乗用車に監禁して暴行した上、女性のキャッシュカードを奪い現金計約270万円を引き出した容疑で逮捕された(集団強姦事件除く)。
 被害者の中には事件後自殺未遂を起こしたり、PTSDに掛かった女性もいる。
裁判所
 東京地裁 裁判長不明
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年11月?日 無期懲役
裁判焦点
 不明。
備 考
 被告側は控訴した。

氏 名
金丸洋平(32)
逮 捕
 2008年7月31日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 北九州市の指定暴力団工藤会系組幹部、金丸洋平被告は2007年10月1日午前0時半頃、山口市の路上で、近くに住む暴力団元組長の男性(当時60)を拳銃で殺害した。
 男性は2002年頃まで北九州市内で工藤会系の組長をしていた。
裁判所
 広島高裁 竹田隆裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月1日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 金丸被告は一審で黙秘、弁護側は無罪を主張していた。
 2009年11月5日の控訴審初公判で、金丸被告は「自分がしました」と殺害を認め、弁護側は「謝罪し反省もしている」として情状酌量を求めた。金丸被告は「(一審では)素直になれなかった。犯行は2人でやった」としたが、共犯者の名前などは明らかにしなかった。
 判決で竹田裁判長は容疑を否認していた一審段階から一転、容疑を認めた金丸被告について、「反省は認められる」とする一方、共犯者の名前を明らかにしなかったことを「不合理」などと指摘。「犯行の重大性を真に自覚するには至っていない」と述べた。
備 考
 2009年4月21日、山口地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。

氏 名
杉原正康(40)
逮 捕
 2005年4月6日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反
事件概要
 会社員杉原正康被告は、金融業者手伝い小田義輝被告及び無職清水久美子被告と共謀。2005年3月7日午後5時ごろ、神戸市のマンションの一室で、清水被告が金融業者の男性(当時32)の腹部を包丁で数回刺して殺害し、現金300万円などが入ったセカンドバッグを奪った。
 小田被告は男性のところで清水被告と一緒に働いていたが、男性数百万円の借金があった。杉原被告はマンションの名義をめぐり、男性とトラブルになっていた。杉原被告は清水被告に、犯行で使うスタンガンの購入費数万円を渡していた。
裁判所
 大阪高裁 小倉正三裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月1日 無期懲役(一審破棄)
裁判焦点
 一審判決は「従属的立場だった」とし、検察側が量刑が軽すぎると控訴。小倉裁判長は「共犯者2人に犯行資金を提供するなど関与の度合いは深い」と述べた。
備 考
 清水(現姓芦沢)久美子被告は2006年7月10日、神戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。大阪高裁で控訴棄却(日付不明)、2007年6月4日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 小田義輝被告は2007年5月15日、神戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2008年11月、大阪高裁で被告側控訴棄却。現在、上告中(既に判決が出ている可能性有り)。
 2008年2月26日、神戸地裁で一審懲役17年判決。

氏 名
福本久雄(74)
逮 捕
 2005年1月26日(死体遺棄容疑 2004年11月に有印私文書偽造・同行使容疑などで逮捕済)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄、死体損壊、有印私文書偽造・同行使、強盗致傷、窃盗他
事件概要
 住所不定のパート工員福本久雄被告は2003年6月、島根県で起こした強盗致傷事件で指名手配されたため、車上で逃亡生活を続けた。2004年5月頃から、福本被告は無職男性ともに行動。2005年6月、男性に成り済まして大阪府八尾市内のアパートを借りた。しかし、男性に持ち掛けた就職話が進まないことで詰問され、警察に通報されるかもしれないと懸念を抱き、殺害を決意。
 福本被告は2004年7月6日ごろ、大阪府藤井寺市の無職男性(当時49)に睡眠薬を投与し、暴行を加えるなどして殺害。同8月8日ごろまでに、遺体を切断し、胴体部分を軽自動車で奈良県五条市まで運び、雑草地に投棄した。また殺害直後には男性の車を男性の車を無断で中古車店に60万円で売却した。
 福本被告は2004年11月、有印私文書偽造・同行使容疑などで逮捕。さらに福本被告の車に男性の血痕がついていたことから追求、2005年1月26日、死体遺棄容疑で再逮捕。そして2月24日に殺人で再逮捕した。
 他に福本被告は2003年6月15日午後11時10分ごろ、島根県松江市内の商店に侵入し、休憩室にあったブリキの箱から205,000円や海産物などの食料品23点(2万4400円相当)を盗んだ。さらに15日午後11時40分ごろ、島根県松江市の土産物店に侵入。レジから約77,000円を盗み、物音に気付いた女性従業員の首を絞めて階段に押し倒すなどして頭などに10日のけがを負わせた。
裁判所
 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月7日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 福本被告は一審で殺人と死体遺棄を否認している。
備 考
 2007年10月29日、奈良地裁で求刑通り無期懲役判決。2008年?中に大阪高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
西元正治(32)
逮 捕
 2007年1月11日
殺害人数
 3名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 鳥取県境港市の会社員西元正治被告と、同僚のH被告、米子市の解体業K被告は、米子市の路上でK被告が山口組暴力団組員3人(当時40、45、40)からあいさつの仕方を巡って暴行を受けたことに激高。米子市のスナックで2007年1月11日午後10時30分頃、組員3人と乱闘になり、西元被告が自分の車に積んでいたマグロ解体用の包丁を使って、組員3人の背中や胸などを刺して殺害した。H被告も護身用の警棒で暴力団員の頭部を殴った。
裁判所
 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月7日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 一・二審では正当防衛を訴えていた。
備 考
 H被告(求刑懲役30年)とK被告(求刑懲役25年)について鳥取地裁は「殺意は認められない」として殺人罪を退け、ともに傷害致死罪の共謀を適用し懲役10年を言い渡した。両被告は控訴せず確定。
 2008年4月16日、鳥取地裁で一審無期懲役判決。2009年2月17日、広島高裁松江支部で被告側控訴棄却。

氏 名
白石敦子(58)
逮 捕
 2008年3月4日(詐欺容疑。3月14日、死体遺棄容疑で再逮捕。4月5日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、詐欺
事件概要
 雑貨店経営の白石敦子被告は無職の渡辺義雄受刑者と共謀。2008年3月1日午前、埼玉県上尾市の白石被告の雑貨店で、上尾市に住むトラック運転手の男性(当時66)の顔に袋をかぶせ、ビニールテープを口に巻くなどして殺害、現金約3万円や貯金通帳などを奪った。2人はさらに、男性の遺体を市内の荒川に遺棄した。その後、男性宅から妻のクレジットカードを盗んだ。
 白石被告は2005年12月、男性所有のビル2階で、日用品や文具などを扱う店をオープン。店内では占いやパソコン教室を開き、自らも占い師として活動していた。しかし、2007年秋から月13万円の家賃を滞納するようになり、滞納額は計91万円に達した。何度要求しても支払わないため、男性は弁護士を立てて立ち退きを要求。「いくら言っても家賃を払ってくれない」「階段の手すりにまで宣伝の張り紙を出していて迷惑」などと周囲にこぼしていた。
 渡辺被告は定職に就かず、若いころから日雇いの仕事を転々とし、約10年前からは路上生活に。約1年前に白石被告と知り合い、食事の世話を受けることもあった。殺人の報酬は500円だった。
 白石被告と渡辺被告は2日、市内のスーパーでクレジットカードを使い、数万円分の買い物をした。防犯カメラの映像から県警は4日に白石被告を、5日に渡辺被告を逮捕した。男性の遺体は8日に発見された。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月8日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 一審で白石被告は強盗殺人を否認している。
備 考
 渡辺義雄被告は2008年8月8日、さいたま地裁で求刑通り無期懲役判決。2008年中に被告側控訴棄却。2009年中に被告側上告棄却、確定。
 2009年2月13日、さいたま地裁で求刑通り無期懲役判決。2009年6月30日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
劉宗述(44)
逮 捕
 2004年11月25日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、強盗致傷、強盗他
事件概要
 埼玉県越谷市の無職劉宗述(りゅう・そうじゅつ)被告ら6人は2004年5月22日午前1時頃、三重県四日市市に住む医師の男性(当時65)宅に侵入。就寝中の夫妻に暴行し、現金や貴金属など計約2000万円相当を奪った。顔に粘着テープを巻かれた男性の妻(当時58)は窒息死し、男性は肋骨を折るなどの重傷を負った。
 劉被告は2004年5月から約半年間、強盗団の一員として埼玉、静岡、三重県などで10件の犯行に加わり、現金計4000万円、物品約3800万円相当を盗んだとされる。
裁判所
 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月8日 無期懲役(被告側上告棄却確定)
裁判焦点
 一審で劉被告は無罪を主張している。
備 考
 本事件では8人が起訴された。
 運転手のT被告は2005年6月10日、津地裁四日市支部で懲役9年(求刑懲役15年)判決。2005年10月18日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定。
 実行役の陳玉興(ちん・ぎょくこう)被告は2005年9月30日、津地裁四日市支部で求刑通り一審無期懲役判決。2006年7月11日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。被告側上告棄却確定(日時不明)。
 実行役の薛経章(せつ・けいしょう)被告は2006年1月13日、津地裁四日市支部で求刑通り一審無期懲役判決。2006年6月26日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。被告側上告棄却確定(日時不明)。
 実行役の薛行強(せつ・ぎょうきょう)被告は2006年1月27日、津地裁四日市支部で求刑通り一審無期懲役判決。2006年7月11日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。被告側上告棄却確定(日時不明)。
 実行役の林家泉(りん・かせん)被告は2006年2月24日、津地裁四日市支部で求刑通り一審無期懲役判決。2006年8月2日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。被告側上告棄却確定(日時不明)。
 実行役の陳明金(ちん・めいきん)被告は2006年7月11日、津地裁四日市支部で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴棄却(日時不明)、被告側上告棄却確定(日時不明)。
 運転手のK被告は2006年8月25日、津地裁四日市支部で懲役15年(求刑懲役20年)判決。控訴せず確定か。
 2008年3月14日、津地裁四日市支部で求刑通り一審無期懲役判決。2009年?、名古屋高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
秋葉克巳(44)
逮 捕
 2007年7月13日(窃盗未遂容疑。7月25日、強盗殺人他容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、強盗殺人未遂、窃盗未遂他
事件概要
 東京都世田谷区の無職秋葉克巳被告は2007年5月16日午前10時頃、世田谷区内に住む無職男性(当時94)方に侵入。男性をペンチで殴って殺害。体の不自由な長男(当時45)、直後に帰宅した妻(当時87)にも重傷を負わせ、現金6万円とキャッシュカードを奪った。その後秋葉被告は、近くの銀行にある現金自動受払機(ATM)で現金を引き出そうとしたが、男性の妻から聞き出した暗証番号を忘れて失敗した。秋葉被告はガラスを割って空き巣に入るために日常的にペンチを持ち歩いていた。
 秋葉被告は約250万円の借金があり、アパートの家賃1ヶ月分(46000円)を滞納。奪った金で家賃を振り込んだ。
 7月5日、警視庁世田谷署捜査本部の捜査員がATMの防犯カメラに写っていた男と似た秋葉被告を区内で偶然見つけ、周辺捜査を進めて13日事情を聴いたところ認めたため逮捕した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月9日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 一審では殺意を否認。
備 考
 2008年12月26日、東京地裁で一審無期懲役判決。2009年7月23日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
林昌文(41)
逮 捕
 2007年11月12日(窃盗容疑。殺人容疑で2007年12月5日、再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄、窃盗、現住建造物等放火、詐欺未遂他
事件概要
 東京都町田市の弁当チェーン店経営林昌文被告は、経営する弁当チェーン店の経営が悪化したことから、従業員であるN被告の父親である運転手の男性(当時61)の財産を奪おうと計画。N被告、従業員Y被告、同M被告に命令。2007年5月28日午前2時頃、相模原市内の男性宅に火をつけ、1階窓枠などを焼いた。2階で寝ていた男性が家事に気付き、消し止めた。
 さらに7月7日午前6時頃、新築工事中の男性方で男性の首を背後から両手で締めて殺害させ、遺体を同市内の山中に埋めさせた。殺害の実行犯はN被告、見張り役はY、M両被告だったとされる。林被告は現場におらず、自宅にいた。
 殺害後、林被告やN被告は男性が契約していた数千万円の死亡保険金の支払いや、数千万円合った預金を引き出そうとしたが、失敗した。7月30日には、男性の傷害保険の解約返戻金154万円をだまし取ろうとした。男性と連絡が取れないことを不審に思った保険会社が解約せず、警察に連絡した。
 N被告は父親と2人暮らしだったが、2006年4月に林被告の会社に就職。2007年6月から、相模原市内にあるアパートでY被告と一緒に住んでいた。
裁判所
 東京高裁 裁判長不明
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月10日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 一審では無罪主張をしている。
備 考
 N被告は2008年7月8日、横浜地裁で懲役23年判決(求刑懲役30年)。被告側控訴も棄却。上告したかどうかは不明。2009年3月時点では確定済み。
 M被告は2008年9月17日、横浜地裁で懲役20年判決(求刑懲役30年)。2009年1月14日、東京高裁で一審破棄、懲役25年判決。
 Y被告は2008年9月17日、横浜地裁で懲役20年判決(求刑懲役30年)。東京高裁で検察・被告側控訴棄却。

 2009年5月7日、横浜地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2012年中に被告側上告棄却、確定。

氏 名
佐々木繁一(77)
逮 捕
 2007年7月25日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂、詐欺
事件概要
 長崎県大村市の金融業佐々木繁一被告は学生寮従業員U被告と共謀。2003年7月1日午後10時頃、大村市の道路脇の側溝で、佐々木被告の三男で元新聞販売店従業員の男性(当時26)にかけた保険金約1億4000万円を取得する目的で、事前にU被告が飲ませた睡眠薬で意識がもうろうとしていた男性を大村市の道路脇側溝に押し込み、男性がバイク転倒事故を起こしたように偽装して水死させた。
 同日午後11時25分頃、男性が側溝で倒れているのを、佐々木被告が発見し、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は水死と断定された。男性のそばに乗っていたとみられるミニバイクがあったことから、県警は運転中に側溝に転落したとみて事故として処理し、司法解剖などはしていなかった。
 ところが2004年11月末になって、県警に「(男性の)父親から殺人を依頼された」との趣旨の情報が、佐々木被告の知人男性から寄せられ関係者から事情を聴くなど慎重に捜査を進めていた。
 その後の調べで、男性にかけられた保険金が多額▽保険金を佐々木被告が受け取った▽男性が側溝(高さ約30センチ、幅約35センチ、深さ約10センチ)に全身がすっぽりとはまった状態で見つかっており、転落にしては不自然――などの事実が判明したため、保険金殺人事件との見方を強め、佐々木被告らの逮捕に踏み切った。U被告とO被告はそれぞれ1000万円ずつを報酬として受け取った。
 佐々木被告ら2人はまた、青果行商O被告、無職I被告、無職K被告と共謀し、交通事故を装って男性を殺害しようと計画。2003年5月下旬ごろの午後9時半ごろ、大村市の路上で、I被告運転のトラックで、男性のミニバイクをはねて殺そうとしたが、男性が路肩に倒れ込んで衝突を回避し、未遂に終わった。I被告は事件後、佐々木被告から報酬などとして現金100万円を受け取った。
 佐々木被告は1984年5月から2006年9月までは保護司をしており、2004年には20年勤続表彰で法務大臣表彰された。また違法駐車などを取り締まる大村地区地域交通安全活動推進委員としても1991年から14年間活動した。その他、大村市を中心に、事件を起こした少年らを指導して社会復帰を手助けしたり、地域の防犯活動にも参加してきた。三男の男性は事件の約2ヶ月前に仕事を辞め、佐々木被告と同居していた。
裁判所
 福岡高裁 松尾昭一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月10日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年10月6日の控訴審初公判で、佐々木被告は一審に引き続き、「警察の取り調べで『人殺し』『うそつき』とどなられ、頭が真っ白になった。何も罪悪を犯していない。ましてや実子も殺していない」と全面的に否認。亡くなった三男について「子どもを1人でも失えば、親はどんな思いになるか」と涙ながらに語った。弁護側も「三男に睡眠薬を飲ませた具体的な証拠はなく、(殺害などを認めた)被告の自白は強制されたもので証拠にならない」と改めて無罪を主張。控訴趣意書では▽被告は右手が不自由で、当時26歳の息子を側溝に押さえ付けて水死させるのは困難▽経済的に困窮しておらず、多額の保険金を得る動機がない-などと訴えた。検察側は控訴を棄却するよう求め、即日結審した。
 松尾裁判長は判決理由で焦点となった自白調書の任意性について「時間的に過酷でなく、警察官が声を荒らげたり、机をたたいた可能性は否定できないが、自白の任意性に影響しているとは考えがたい」と指摘。既に有罪が確定した共犯者供述を「迫真的で十分信用できる」などとしたうえで、自白調書についても「事件前に三男のお悔やみの文書を作成したことを追及され、自白したことが認められる。秘密の暴露もあり、共犯者の供述にはない共謀や犯行の状況も具体的に供述しており、信用性は高い」と認定した。一方、公判での被告の供述については「関係者や第三者の証言とも矛盾している」と信用性を否定した。そして「共犯者の供述や自白調書などを総合すれば一審判決に事実誤認はない」と述べた。
 松尾裁判長は主文を後回しにし、判決理由の朗読から始めた。閉廷直前に、佐々木被告が松尾裁判長の話を遮り「私は何もしとらんですよ」と訴える場面もあった。
備 考
 殺人未遂罪に問われたK被告は2008年5月26日、長崎地裁で一審懲役3年6ヶ月(求刑懲役6年)判決。被告側控訴も棄却。そのまま確定。
 殺人罪に問われたU被告は2008年8月8日、長崎地裁で一審懲役9年(求刑懲役13年)判決。控訴せず確定。
 殺人未遂罪に問われたI被告は9月19日、長崎地裁で一審懲役4年(求刑懲役6年)判決。控訴せず確定。
 殺人未遂罪に問われたO被告は10月17日、長崎地裁で一審懲役4年(求刑懲役7年)判決。控訴せず確定。
 2009年2月6日、長崎地裁で求刑通り一審無期懲役判決。上告せず確定。
 服役中の2010年12月、大分県内で病死。78歳没。

氏 名
勝木屋栄二(36)
逮 捕
 2007年11月12日(殺人容疑。他の暴行、監禁容疑で公判中)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、住居侵入、銃刀法違反(拳銃加重所持)、殺人未遂、爆発物取締罰則違反、暴行、監禁、未成年者略取・誘拐未遂他
事件概要
 指定暴力団道仁会系幹部勝木屋栄二被告は指定暴力団道仁会系の組長岡田充被告と共謀。熊本市で対立する九州誠道会系の組幹部(当時43)の殺害を、幹部の福原大助被告らに指示。福原被告らは共謀し、2007年6月19日夜、会長代行(当時43)方に侵入し、顔を拳銃で撃った後、包丁で背中などを刺して殺害した。死因は銃で頭を撃たれたことによる脳挫滅である。
 勝木屋被告は組員I被告、元組員O被告と共謀。2006年7月16日午後9時50分頃、九州誠道会系暴力団会長(当時54)が住む熊本県合志市の自宅前で、I被告が会長に拳銃を発射し、右肩に10日間の怪我を負わせた。
 勝木屋被告は他の組員と共謀し、2007年7月上旬ごろ~2008年10月2日ごろ、県内の道仁会系組関係者の墓に爆発物である対人攻撃用の手りゅう弾1発を隠していた。
 勝木屋被告は他の8人と共謀。2007年4月8日未明、同組を離脱した熊本市の少年(当時18)を同市娯楽施設駐車場に誘い出し、車数台で少年と友人らが乗った軽乗用車を取り囲み、少年を無理やり連れ去ろうとした。しかし少年は逃げ出したため、友人のアルバイト男性(当時20)ら4人に暴行を加えた上、少年を捜すために乗用車2~3台に乗せて連れ回し、約18時間に渡って監禁した。
 勝木屋被告は2007年7月25日までに暴行容疑で逮捕された。以後、8月13日に監禁容疑で再逮捕。9月4日、未成年者略取・誘拐未遂容疑で再逮捕。11月12日、殺人容疑で再逮捕。2008年1月8日、殺人事件における銃刀法違反(拳銃加重所持)容疑で再逮捕。8月28日、殺人未遂容疑で再逮捕。9月18日、殺人未遂事件における銃刀法違反(拳銃加重所持)容疑で再逮捕。2009年1月9日、爆発物取締罰則違反容疑で再逮捕。
裁判所
 熊本地裁 柴田寿宏裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月15日 無期懲役
裁判焦点
 2008年7月6日の殺人事件における初公判で、勝木屋栄二被告は起訴事実を認めたが、犯行は他の組幹部から持ちかけられたものだと主張した。
 2009年9月17日?の殺人未遂事件における初公判で、勝木屋被告は一切の関与を否定し、無罪を主張した。
 2009年11月24日の論告求刑で検察側は「極めて残虐、冷酷かつ危険な犯行」と指摘。同日の最終弁論で弁護側は幹部殺害の関与を認めた一方で、会長に対する殺人未遂事件は「(石野被告らに)銃撃を指示した事実はない」と無罪を主張した。
 判決で柴田裁判長は勝木屋被告を「殺害の謀議を主催した首謀者の一人」と認定。「いずれも暴力団特有の犯行。1年足らずの間に、実行犯に指示して拳銃を発射させ、主導的な立場で殺人未遂、殺人事件を連続的に起こした」と述べ、刑事責任は重大だと指摘した。弁護側は殺人未遂など2事件で無罪を主張したが、退けられた。
備 考
 九州誠道会系の組幹部殺人事件を巡っては11人が逮捕され、9人が起訴された。2人は証拠不十分で釈放された。
 主犯格の岡田充被告は2008年9月22日、熊本地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月1日、福岡高裁で被告側控訴棄却。
 犯行指示役の福原大助被告は2008年8月8日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役30年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年7月21日、被告側上告棄却、確定。
 実行役の福嶋尚和被告は2008年8月8日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役28年判決。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年7月21日、被告側上告棄却、確定。
 実行役の宮本博文被告は2009年1月23日、熊本地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役27年判決。2009年8月31日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。
 凶器の準備および送迎をしたM被告は2008年10月31日、熊本地裁で懲役15年判決(求刑懲役20年)。
 凶器を準備したI被告は2009年1月23日、熊本地裁で懲役6年判決(求刑懲役12年)。2009年8月31日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 凶器を隠したT被告は2008年8月8日、熊本地裁で懲役10年(求刑懲役15年)の判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 見張り役のY被告は2008年9月2日、熊本地裁で懲役12年(求刑懲役15年)判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。

 九州誠道会系暴力団会長殺人未遂事件では他に2人が起訴された。
 実行犯であるI被告は2009年12月15日、熊本地裁で懲役12年判決(求刑懲役16年)。
 送迎役であるO被告は2009年3月16日、熊本地裁で懲役6年判決(求刑懲役10年)。
 被告側は控訴した。2010年6月23日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2010年11月1日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
木内芳雄(78)
逮 捕
 2008年6月24日(自首)
殺害人数
 4名
罪 状
 殺人
事件概要
 千葉県柏市の無職木内芳雄被告は2008年6月24日午前6時40分頃、自宅の物置から持ち出した全長1m、重さ約3.1kgの大型ハンマーを使って、妻(当時75)、長男(当時49)、長男の妻(当時44)、長男夫婦の長女(当時4)の頭部などを複数回殴って殺害した。
 犯行後、木内被告は自ら110番通報した。木内被告は捜査当局の調べに「妻と息子夫婦に邪険に扱われた。心臓病で入退院を繰り返すなど体調がすぐれず、気遣ってくれない妻と息子夫婦に不満を抱いていた」「孫を1人だけ残すのは可哀そうだった」などと動機を供述した。
裁判所
 千葉地裁 根本渉裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月16日 無期懲役
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 千葉地検は逮捕後約4ヶ月に渡り精神鑑定を実施。鑑定の所見などから、木内被告は心神喪失や心神耗弱状態ではなく、責任能力があると判断し、起訴した。
 2009年11月11日の初公判で、木内被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で「狭心症の手術を受けた後、家族に『頭の薬ももらえば』と言われ、邪魔者扱いされたとして反感を強め、犯行に及んだ」と指摘。孫まで殺した点については「幼い孫を(1人で)生かしておけないと考えた」と述べた。
 弁護側は「事実関係に争いはないが、事件当時、木内被告は心神喪失もしくは心神耗弱の状態だった」と主張した。
 11月13日の論告求刑で検察側は、「執拗で残忍な犯行。重大で取り返しがつかないことをした」と指摘。一方で「4人の命が奪われ、極刑の求刑もやむを得ない事案だが、木内被告はうつ状態を伴う適応障害が動機に影響したことを否定できない点などを考慮した。衝動的な犯行。高齢で体調も思わしくない」と木内被告が高齢であることや自首したことなどを考慮して極刑を回避した。
 同日の最終弁論で弁護側は、「被告は被害妄想により判断能力が低下していた。責任能力に疑問が残る」と有期刑を求めた。
 根本渉裁判長は「適応障害だったと認められるが、犯行に直接的影響があったと言えない」と完全責任能力があったと認定した。そして「妻の何げないそぶりに無視されたと一方的に腹を立て、殺害した動機は理不尽かつ短絡的」と厳しく指摘。「残虐性は著しく、4人もの尊い生命が奪われた結果は極めて重大。犯行は執拗かつ残虐で、被告人の刑事責任は極刑にも値し得る」と述べた。一方で胸の痛みや息子の休職に対する不安を抱えていたことを挙げるとともに適応障害の症状に苦しむ中での犯行だったことなどから「犯行に至った経緯をすべて被告人の責めに帰するのはいささか酷」と無期懲役が相当だとした。
備 考
 控訴せず確定と思われる。

氏 名
野崎浩(50)
逮 捕
 2009年4月7日(死体損壊容疑)
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、死体遺棄・損壊
事件概要
 野崎浩被告は1999年4月22日、横浜市神奈川区の当時の自宅マンションで、交際していたフィリピン国籍で埼玉県草加市に住む飲食店従業員の女性(当時27)の首を布団に押しつけて窒息死させた。

 野崎被告は出所後の2007年に台東区の飲食店に勤めるフィリピン国籍の従業員女性と知り合って交際し、12月に東京都港区のマンションで同居を始めた。女性は六本木の飲食店に移るとともに、同じ店に勤める親類女性2名とも同居した。家賃は4等分の予定であったが、野崎被告はすぐに家賃を支払わなくなり、女性とたびたび口論になっていた。
 2008年4月3日夕方、出勤しようとした女性(当時22)に声をかけたが無視された野崎被告は腹を立て、首を絞めて殺害。包丁などで遺体をバラバラにした。
 女性が出勤しないことを不審に思った親類女性が午後8時頃部屋に戻ると、肉片を抱えた野崎被告がいたため、女性は逃げ出した。野崎被告も遺体を抱えて逃げ出した。
 女性の通報で22時頃に駆けつけた捜査員は、紙袋に入った女性の肉片を発見。野崎被告を手配した。
 野崎被告はバラバラにした肉片十数個をスーツケースに詰めJR浜松駅前にあるビルのコインロッカーに隠すとともに、残りの遺体の肉片を近くの運河から投棄した。
 野崎被告は6日夜、埼玉県川口市内の路上で手首を切って自殺を図ったが軽傷だったため、自ら119番通報。駆け付けた救急隊員に「ロッカーに遺体が入っている」というメモを手渡した。持っていたメモに基づき捜査本部は7日未明、コインロッカーのスーツケースが見つけたため、野崎被告を死体損壊容疑で逮捕した。4月11日、野崎被告の供述に基づき捜査本部は近くの運河から未発見の頭など7ヶ所の部位を発見した。4月26日、供述に基づき遺体の内蔵などが栃木県那須町のホテル跡地の生活排水処理槽内で発見された。4月28日、捜査本部は野崎被告を殺人容疑で再逮捕した。
 さらに警視庁は1999年の事件についても追及し、野崎被告は殺害を自供。供述に従って横浜市内の運河から多数の骨片が発見された。10月8日、警視庁と埼玉県の合同捜査本部は野崎被告を1999年の事件における殺人容疑で再逮捕した。
裁判所
 東京地裁 登石郁朗裁判長
求 刑
 死刑+無期懲役
判 決
 2009年12月16日 無期懲役+懲役14年
裁判焦点
 横浜の事件を巡り死体損壊・遺棄罪で2000年に実刑判決が確定していることから、複数の罪を合わせて刑を科す「併合罪」は適用できず、事件ごとに起訴された。

 2009年7月23日の初公判で、野崎被告は「(起訴状の内容に)異議を申し上げることはありません」と起訴事実を全面的に認めた。しかし弁護人は1999年の事件について「被告は早く極刑になりたいと願って虚偽の自白をしている。客観証拠や(供述に)秘密の暴露がない」と殺人について無罪を主張した。
 7月30日の第3回公判で、野崎被告は1999年の事件について「殺害した覚えはない」と一転して起訴内容を否認、「朝起きたら亡くなっていた」と述べた。
 9月29日の論告求刑で検察側は2008年の殺人と死体遺棄などについて「2度も交際相手を殺害し遺体を切り刻んで捨てており、9年前の事件の経験を生かして同様の犯行に及んだのは、悪質で非人間的。犯罪性向は根深く、矯正の余地はない」とした。そして1999年の殺人で無期懲役、2008年の殺人、死体損壊・遺棄事件で死刑を求刑した。
 同日の最終弁論で弁護側は最終弁論で「横浜の事件(1999年)は、殺害する動機も証拠もない。密室で起こった事件であり、(犯行を認めた)野崎被告の自白に犯人しか知り得ない内容もない。被告の自白に信ぴょう性がなく無罪。台場の事件(2008年)は長期の懲役刑が相当」と主張した。
 最終意見陳述で野崎被告は「すべての事件について罪を認める。うそ偽りはない」と2女性の殺害を認めた。
 登石裁判長は1999年の事件について「自白は具体的で、被告の車から人骨が発見されるなど補強証拠もある」と弁護側の無罪主張を退けた。両事件の動機については「交際女性に利用されていると思い込み憎悪を募らせた」と述べた。そしていずれも「冷酷で残忍な犯行で刑事責任は重大だ。死刑求刑も理解できる」と述べた。しかし2008年の女性殺害事件について、被害者が1人で死刑が確定したほかの事件と比べ「殺害手段が殊更に残虐で執拗とはいえず、利欲的背景もうかがえない」と指摘。「2度にわたって殺人、死体損壊・遺棄の罪を犯し、犯罪性向があることは否定できない」と非難する一方、かつて否認していた99年の殺人について捜査段階で詳細に供述するなど心情の変化が見受けられるとして、「2度にわたり殺人を犯したが、矯正の可能性があり、死刑がやむを得ないとまではいえない」とし、2008年の事件について無期懲役(求刑死刑)、1999年の事件について懲役14年(求刑無期懲役)の判決を言い渡した。
 刑事訴訟法は二つ以上の刑を執行する場合、重い方を先に執行すると定めており、このケースでは無期懲役刑の執行が優先される。 ただ、10年以上の有期懲役は、確定から15年を経過すると執行できなくなるという規定がある。このため、法務省刑事局では「無期懲役刑の仮出所が可能になる10年を経過した段階で、一度、無期懲役刑を停止して懲役14年の執行を開始し、その刑期が終了した後、無期懲役刑を再執行する可能性が高い」と話している。
備 考
 元コンサルタント会社役員だった野崎浩被告は1999年4月22日の女性殺害後、遺体をカッターナイフ等でバラバラにし、横浜市内のビルのトイレなど数ヶ所に捨てた。
 野崎被告は都内のレンタカー会社から車を借り、料金を支払わず、約4ヶ月間にわたって車を使ったとして1999年9月に横領容疑で逮捕された。その取り調べで「女性が死亡したので、扱いに困って捨てた」などと供述。草加署が裏付け捜査したところ、東京都台東区内にある同被告の実家から女性の歯と髪の毛が見つかったため、2000年1月20日、死体遺棄・損壊容疑で逮捕した。
 野崎被告は殺人について否認。他の遺体がほとんど発見されなかったことから死因を特定することができなかったため、殺人容疑を立証することできず、検察側は死体遺棄・損壊容疑で起訴した。
 2000年4月14日、浦和地裁は懲役3年6月(求刑懲役5年)を言い渡し、後に確定。野崎被告は服役していた。
 検察・被告側は控訴した。2010年10月8日、東京高裁で一審破棄、死刑+懲役14年判決。2012年12月14日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
丹羽大介(22)
逮 捕
 2008年8月3日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 札幌市北区のガソリンスタンド従業員丹羽大介被告は、手稲区に住む友人の無職男性と共謀。2008年8月2日午前2時半頃、北区にある釣具店で釣り竿やリールなど計6点(計約29300円相当)を万引。丹羽被告は自分の車で逃げようとしたが、追いかけてきた店員の男性(当時23)が車のボンネットにしがみついたため、男性を振り落とした後、車で引きずって死亡させた。
 丹羽被告と無職男性は以前の職場の同僚。事件前に数回、同店を訪れていたため、別の店員が顔を覚えており、作成した似顔絵から捜査本部は二人を特定した。二人は列車で本州へ逃走したが、二人の知人や捜査関係者らが携帯電話を通じて出頭するよう説得したのに応じて、3日未明、青森県八戸市で交番に出頭した。
裁判所
 最高裁第一小法廷 桜井龍子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月16日 無期懲役(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 量刑不当を訴えたか。
備 考
 無職男性は強盗殺人容疑で逮捕されたが、万引直後、丹羽被告と別れ、車に乗らずに逃走していたことが分かったため、札幌地検は窃盗罪を適用した。2008年10月21日、札幌地裁は無職男性に懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡し、そのまま確定した。
 2008年12月5日、札幌地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年5月26日、札幌高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
男性(27 中国籍、犯行当時19)
逮 捕
 2002年2月7日
殺害人数
 2名
罪 状
 強盗殺人、強盗致死、強盗致傷、銃刀法違反、住居侵入
事件概要
 別府大留学生である中国福建省出身の男性(事件当時19)は、同大留学生朴哲容疑者と共謀。2001年12月26日夕、大阪市内のビジネスホテルに風俗店の女性(当時35)を呼び出し、男がナイフで脅して手足をテープで縛り、キャッシュカードを奪った上、ナイフで胸や首を多数回刺して殺害した。男は朴哲容疑者に約12万円を貸しており、借金の返済を求めたところ、強盗に誘われた。
 男と韓国馬山市出身の金ビン秀(キム・ミンス)被告、中国吉林省出身の安逢春(アン・ホウシュン)被告は、主犯格である同大留学生朴哲容疑者、張越容疑者と共謀。2002年1月18日午前2時半ごろ、大分県山香町の建設会社会長(当時73)宅に強盗目的で侵入し、社長の妻の顔などを棒や拳で多数回殴り、刺し身包丁で胸部を刺すなどして重傷を負わせ、社長の腰部を刺して殺害した。男と金被告、朴容疑者、張容疑者が室内に押し入り、安被告は自動車内で待機していた。男性殺害時転では、張容疑者と金被告が現場にいたとみられている。
 建設会社会長は戦争で亡くなった日本人の慰霊のため、毎年中国を訪れ、残留孤児の身元捜しに奔走。1988年から留学生の身元保証人を引き受けるようになり、今回の犯行グループの中にも、会長が身元保証人になっていた学生がいた。 「日中友好の懸け橋」 として、吉林市の経済顧問や会長の支援で現地に開校した日本語学校の名誉校長にも就任していた。
 安逢春被告は被害者の建設会社でアルバイトをした経験があった。
裁判所
 最高裁第一小法廷 宮川光治裁判長
求 刑
 死刑
判 決
 2009年12月17日 無期懲役(検察側上告棄却、確定)
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 宮川裁判長は決定で「刑事責任は誠に重大で、死刑を選択することも考慮される」と指摘。その上で、「夫妻殺傷事件で殺意は認められない」と判断。強盗致死傷罪を適用した一、二審の判断を支持した。犯行当時、未成年だったことも考慮した。
備 考
 遺族は「事件を風化させたくない」などとして、安逢春被告ら5人に損害賠償を求める訴訟を2004年に大分地裁に起こした。遺族側代理人は「刑事裁判で加害者らの反省が十分感じられない。中国に逃亡した加害者については行方すら分からず処罰もされていない現状からとった手段。金銭を目的とした提訴ではない」としている。
 2005年9月22日、大分地裁浅見宣義裁判長は「殺意を持って男性を刺しており、全体として責任を負わねばならない」と原告の主張を認め、約8,693万円の請求に対し計7,620万円の支払いを命じた。浅見裁判長は「男性を刺し殺した人物は特定できないが、背後から強く刺しており、殺意を持っていた」と指摘し、殺意はなかったとした刑事裁判と異なる判断を示した。

 2005年4月15日、大分地裁で元留学生に無期懲役判決(求刑死刑)、金被告に無期懲役判決(求刑無期懲役)、安被告に懲役14年判決(求刑懲役15年)。
 2007年2月26日、福岡高裁で元留学生に対する検察側控訴棄却。金被告に対して一審破棄、懲役15年判決。安被告の検察側控訴棄却。安被告は上告せず確定。
 2009年12月17日、金被告に対する検察・被告側上告棄却、確定。
 朴哲容疑者、張越容疑者は国外へ逃亡、国際手配中。2013年11月10日?、朴哲、張越両容疑者について、中国当局が別の事件で身柄拘束したとの連絡が日本側にあった。張容疑者の拘束を受け、中国公安当局の関係者ら約10人が2013年春、被害者宅を訪れ、犯行現場を確認していた。日中間には犯罪人引き渡し条約が結ばれていないため、警察当局は、中国の国内法で司法手続きを行う代理処罰を求めた。
 2017年3月、中国の裁判所は、張越被告に執行猶予2年付きの死刑、朴哲被告には懲役15年の判決を言い渡した。2人は控訴せず、判決が確定した。

氏 名
木村邦寛(31)
逮 捕
 2006年12月21日(窃盗容疑。12月28日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、強盗致傷、強盗他
事件概要
 住所不定、無職、木村邦寛被告は2006年11月19日午前1時10分ごろ、中学2年の3少年と共謀し、金品を奪う目的で、岡崎市内の乙川河川敷で寝泊まりしていた女性(当時69)の頭部や顔面などを鉄パイプで数回殴打し、ろっ骨骨折やひ臓破裂などで失血死させた。
 他に11月16日には少年2人と共謀し、同市内の北岡崎駅階段下で、男性ホームレス(当時70)に暴行を加え、2500円が入った財布を奪った。同月19日未明、同市内の河川敷で警備員男性(当時39)から5830円を奪った。同月22日には少年1人と共謀し、同じ男性に殴るけるなどして3週間のけがを負わせ、現金6500円を奪った。
 木村被告は2002年、生徒の1人の母親と職場の同僚を通じて知り合った。その後、この生徒の家に出入りし、生徒らと万引などをするようになった。愛知県警の調べでは、木村被告が関与した襲撃事件は11件に上り、計4件について起訴されている。
裁判所
 名古屋高裁 下山保男裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2009年12月22日 無期懲役(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2009年11月17日の控訴審初公判で弁護側は一審同様に「暴行した段階では殺意はなく、強盗致死罪の成立にとどまる」として、刑を軽減するよう求め、検察側は控訴棄却を主張した。
 争点だった殺意の有無について、下山裁判長は「被害者が死亡するかもしれないと認識しながら暴行した。未必の殺意があった」と述べ、一審に続き殺意を認めた。その上で、「金属パイプで多数回殴打するなど、暴行は凄惨極まりない」として、無期懲役が相当とした。
備 考
 共犯である中学2年の男子生徒3人に対して、名古屋家裁岡崎支部(野田弘明裁判長)はいずれも強盗致死で初等少年院送致の決定を出した。収容期間については、事件当時14歳の少年Aと同13歳の少年Bに「4年程度の収容が相当」と勧告。少年の間で中心的な立場にあったとみられる同13歳の少年Cには「短くとも4年以上の収容が相当」と勧告を付した。少年Cは決定を不服とし名古屋高裁に抗告。同高裁は、初等少年院送致は維持したまま、収容の勧告を「短くとも2年以上とし、処遇達成の度合いを見ながら延長するなどの対応が相当」と変更した。
 2009年4月6日、名古屋地裁岡崎支部で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2010年6月7日、被告側上告棄却、確定。




※最高裁は「判決」ではなくて「決定」がほとんどですが、纏める都合上、「判決」で統一しています。

※銃刀法
 正式名称は「銃砲刀剣類所持等取締法」

※麻薬特例法
 正式名称は「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律」

※入管難民法
 正式名称は「出入国管理及び難民認定法」

※確定について
 求刑死刑について一審無期懲役判決、検察側のみ控訴して無期懲役判決が下された被告については確定したものと見なしている。

※高裁判決
 劉宗述被告(2008年3月14日、一審無期懲役判決)は、2009年中に名古屋高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 斉藤賢一被告(2008年7月18日、一審無期懲役判決)は、2009年中に東京高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 鈴木一弘被告(2008年9月16日、一審無期懲役判決)は、2009年2月19日に東京高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 福田浩之被告(2008年10月27日、一審無期懲役判決)は、2009年2月19日に東京高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 安徳如愛被告(2008年8月、一審無期懲役判決)は、2009年2月24日に大阪高裁(小倉正三裁判長)で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 千神啓史被告(2008年8月、一審懲役20年判決)は、2009年2月24日に大阪高裁(小倉正三裁判長)で一審破棄、無期懲役判決が言い渡されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 大木大祐被告(2008年11月26日、一審無期懲役判決)は、2009年2月26日に東京高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 尹チョルヒョン被告(2008年12月22日、一審無期懲役判決)は、2009年7月以降に東京高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 末吉哲弘被告(2009年3月5日、一審無期懲役判決)は、2009年9月以降に名古屋高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 栩原慶一被告(2009年6月3日、一審無期懲役判決)は、2009年中に大阪高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 牧野健二被告(2009年6月24日、一審無期懲役判決)は、2009年中に大阪高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。
 木内邦治被告(2009年6月23日、一審無期懲役判決)は、2009年11月以降に東京高裁で被告側控訴が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。

※最高裁決定
 渡辺義雄被告(2008年8月8日、一審無期懲役判決。控訴審判決日不明)は、2009年中に最高裁で被告側上告が棄却されていると思われる。確証がないので、ここに記す。

【参考資料】
 新聞記事各種



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