凶器のない密室


【問 題】
 八月のある日の昼下がりの午後九時ごろ。有名な彫刻の大家、安藤南雲がゆかた姿のまま、アトリエの暖炉の前にうつ伏せになって倒れていた。
 窓から覗いた家人が発見し、知らせを受けた警察が駆け付けてみると、南雲は誰かに突然襲われて殺されたらしく、胸部と腕に二か所の創傷があり、その胸の傷が致命傷だった。あたり一面、血の海である。ところが、肝心の凶器が死体のそばにはなかった。アトリエの窓や入口のドアには固く鍵がかかっていて、その鍵束は室内のテーブルの上にあった。他に合鍵はない。窓やドアには隙間もなく、機械的な仕掛けを施した跡は、何一つなかった。
 南雲の弟子や家人などの証言をまとめると、南雲はこの日、銀座の個展に顔を出した後、顧問弁護士の矢部の事務所へ立ち寄った。夕方の六時に自宅へ帰ってきて、夕食をアトリエに運ばせて、そのままアトリエにこもっていたという。
 ただ奇妙だったのは、お手伝いの矢沢ミツに命じ、七時に石炭を運ばせて暖炉に火をくべさせたという。暑い夏なのになぜかと思ったが、暖炉には何かを燃やした跡があった。矢部に聞くと、遺言状を書き換えるために、古い遺言状を取りに来たのだと答えた。南雲は資産家であったが、一年前に胃がんにかかり、誰に資産を残すのか悩んでいたという。ならばその場で遺言状を破り捨てればよかったのだろうが、念には念を入れとのことだったらしい。かかりつけの医者に聞くと、もってあと1、2か月だという。
 胃がんにかかっているというのならなにも殺す必要はないのだが、遺言状が書き換えられたとなると動機は生まれてくる。
 事件当時、家には次の者たちがいた。後妻で年が半分も違う朝子。南雲の弟子の栗原守男。この二人は南雲の目を盗んで不倫関係にあった。それと南雲の甥で、定食もなくブラブラしている居候の洋吉。他にお手伝いの矢沢ミツがいた。ミツは洋吉と関係があるらしい。誰にも動機はあったわけだ。
 警察が調べていくうちに、血まみれの凶器がアトリエの窓の外の草むらで発見された。南雲が南方で旅行した時に買ったという、細身の両刃の短剣である。指紋はついていなかったが、血痕は南雲のものと一致した。また傷口も、ぴったりと一致した。
 凶器は見つかったが、肝心の密室の謎が解けない。
 困り果てた鷲別警部は、名探偵の東山のもとを訪ねた。
 東山は現場の写真を見ていたが、死んだ南雲が右手を暖炉の方に向けているのを見て、この事件の真相に気付いた。


【解 答】
 南雲は他殺ではなく、自殺だった。ガンで余命いくばくもないことを知った南雲は、遺産を狙う者たちに殺人の容疑をかけるために、他殺を装ったのである。
 南雲は、竹べらを短剣と同じ形に削った。彫刻家だから、それぐらい簡単である。そして本物の短剣で腕に傷をつけ、血を塗った後、アトリエの外に捨てたのだ。そして誰にも見られないように窓やドアに鍵をかけてから暖炉の前に行き、竹べらで胸を刺した。そして虫の息の状態で、竹べらを暖炉の火中に投げ入れたのだ。だから右手が暖炉の方に向かっていたのだ。
 竹べらは暖炉の炎で燃えて灰となった。そのため、奇怪な密室殺人が起こったように見えたのだ。

【覚 書】

 山村正夫の推理クイズに何度か出てくるので、恐らく山村自身のオリジナルトリック。山村の過去の作品で使われていた可能性は高いが、調べ切れていません。
 元ネタが判明しました。山村正夫の短編「降霊術」でした。情報ご提供、有難うございました。

 ※解答部分は、反転させて見てください。
 ※お手数ですが、ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。