【情報、有り難うございました(掲示板)2003年1月〜6月分】


 情報をご提供いただき、有り難うございました。ご提供いただいた情報は、本ページの方に転記させていただきました。今後ともよろしくお願いします。
 読みやすくなるように、漂泊の方で時々、改行を入れております。ご了承下さい。


6/26 三甲みつお様、有り難うございます。
(大竹まことの本)
他には赤塚不二夫が「君たちの笑いは時代の二三歩先を行っていてわからない」に対して「あれだけナンセンスな事を散々やってた人がねえ」
そのなかでタモリの審査だけは的確で、たまに日和ったネタをすると「いつもの君たちと違うねえ」と言われたそうです。
これを聞いてタモリの評が知りたくなってしまいました。

 今日、日本テレビの番組(「ものまねバトル」)にコロッケが出ていました。丁度「お笑いスタ誕」時代のもので野口五郎、西条秀樹、中森明菜、沖田(青学出・E気持ち)トシチャン、マッチ、野村義男、サザンの桑田、こまわりくん、研ナオコ、美川憲一、岩崎宏美、五輪真弓、山口百恵、シャンプーハットを付けた顔マネをしていました。
抜けているのがあるかもしれません。この頃、田原俊彦から声真似を開始したようです。

6/26 ハンバーグ様、有り難うございます。
成子坂の10週目>  審査員は高田文夫・島田洋七・なぎら健壱・ポール牧(テリー伊東の代役)・八波一起の五人。高田さんとポールさんは同席しています。ちなみに、この週まで3週、テリーさんの代役が出ており、1週目はブラザー・トム、2週目は杉兵助さんが代役を勤めていました。
 会場席の若手芸人にはUBU・コンビネーション・七色忍者・Let’sグミグミ8号・もつマメ・アフターサービス・汗かきジジイ・ブローアップ・ハト・ウォンチュー・三津間小太郎・Step by step・ノンキース・TOHO・みみもとでピン・たっちあっぷ・みっともないずらがいました。
 さて、挑戦者ですが、
神奈月(1週目再挑戦、物まねパフォーマンス):吉幾三からセーラームーンのストリップ。ポールさんから「将来性なし」と散々酷評されていた。36点で不合格。
ますだおかだ(2週目挑戦、浪花のしゃべくり漫才):漫才師とミュージシャンの違い、彼女の親に結婚の許可をもらおうという漫才。「ネタはどのくらいあるの?」の質問に「6つ・・・」との答え。91点で合格。
NIGHT・SHIFT(6週目挑戦、あぶないギャグコント):コント「ヤンさんゴミを出す」。これで一連のヤンさんシリーズに終止符?ピンになったスマイリーですが、今でも見たいですね。81点で合格。
フォークダンスDE成子坂(10週目挑戦、感性豊かなコント):コント「死刑執行」。「死ぬ前にやり残した発注はないか」「生まれ変わったら何蜂になりたい」「PANASONY」など成子坂テイスト満載。しかし緊張で桶田さんの目は一重に!92点。
ネタの後、ポールさんから「彼らはGAHAHAキングになるでしょう。しかし何かが足りない。それは、演技力だ。これからもっとその点で苦労してKINGになって欲しい。」高田さんから「(KINGに)行って欲しい。彼らは12個もネタをしているんだから(その分苦労したということか?)」なぎらさん「死をテーマにしているが、だんだん悲壮感がなくなってきた。それがよい。」
そして成子坂の審査の時、ベルトコンベアが中央で止まったのですが、そのままBGMも止まり、照明がつくという状態に、会場のほとんどが「え?」という空気に。審査員の説明によると、「合格はしているが、今までが受けすぎているので、このままKINGというわけには行かない。(洋七)」「10週目ということでお客さんも、審査員も、彼らもみんな納得行くという形で合格させたい。(高田)」「だから、取り直し。(八波)」「相撲では優勝したからといってその相撲内容で評価が違ってくる。だからもう一度ネタを見てから決めたい。(ポール)」といったことで、翌週に仕切り直しとなりました。

6/26 なべ様、有り難うございます。
ボキャ天のキャブラー時代に出したオリジナルのライブビデオで、バックバンドを従えてコントをやってましたが、ラストのオチでお笑いスター誕生!!のカーテンが開いた時のアタック(「行け。シティボーイズだ!」の後に軽快にかかる曲)を演奏してました。どんな設定かは忘れましたが、あの時代のギャラリーがお笑いスタ誕知ってるのかな?と思った覚えがあります。

あの曲、昔着メロの本が売れてた頃に掲載されてて、入力した事ありました。今サイトで確認しても見つからないのですが、どっかにダウンロード出来るサイトってあるんでしょうか?

6/25 あtろ様、有り難うございます。
大竹さんの話は怪しいです。ガッツさん審査員のときはすでにグランプリウィナー。
一度だけサバイバルの前夜祭に出ましたが、きたろうさんの事故で出場辞退したはず。
その後はシティボーイズは歌合戦などの特番かゲストとしてしか出てないはず。

6/24 三甲みつお様、有り難うございます。
(これがマコトの「日本の大論点」講談社より)
で気になった事。彼らがコントをやった時のガッツ石松の評
「動きが足りない」
大竹いわく
「プロボクサーにくらべりゃ動きは足りないよ」
これネタだと思うのですが。ガッツはそんな初期から審査員をしていたのでしょうか?

大竹まことは「こんな料理で男はまいる」(角川書店)「両方反対」(双葉社)という本も出しているようです。

6/23 関西の白衣様、有り難うございます。
 私の記憶ではルーキー賞の1回目のネタは鮫島組入門志願の暴走族と鮫島組の大幹部のネタで、最後に全員の気持ちがぴったりあったことを確かめるとかの流れで、突然バレエの音楽が流れ出し、4人が「4羽の白鳥」を踊りだしました。グランプリシリーズのバレエ教室ネタも笑えましたが、ヘビメタやギャングスタイルなどのおよそバレエと似つかわしくない4人の男性が踊る姿は元ネタ以上に笑えました。最後に大幹部(戸丸)が「お前達にはもっといい組を紹介してやる。宝塚の花組だ」「いい加減にしろ!」

 最後に中尾ミエさんが「またバレエみたいと思っていたけど、こんなに早く見られて良かった」みたいなことを言っておられました。

6/19 なべ様、有り難うございます。
 番組初の銅賞受賞者であるギャグシンセサイザーですが、一番最初だと言う事で中尾さんが「折角だから(トロフィー)1個ずつあげちゃう」てやったように覚えてます。
 その後のサムライ日本は1個だけでした。

 こう見ると、番組的にもギャグシンセをプッシュする動きはありましたね(な訳ないか)。

6/18 あtろ様、有り難うございます。
ファニーズのバレエねたは筋モノとしてはグランプリシリーズで1回、Gルーキー賞では新作の俳優ネタのラストで四羽の白鳥を踊っただけでした。

再チャレンジ時も含め登場順はすべてネタ見せのあとに決められました。
山田さんの紹介コメントもテープだったので、司会者も知らなかったようです。

石仏さんはジーコ内山劇場に出てた方ですね。一度ある女性の個展のときに少しだけお話したことがありました。

6/18 石佛様、有り難うございます。
(ビデオ化してほしい芸人)
象さんのポットをお願いします。ぼくは元弟子です。

6/18 パパリン様、有り難うございます。
ファニーズのバレエネタはグランプリシリーズで1回、Gルーキー賞の同じネタOKの時に1回…計2回演じたと思います。

最近思ったんですが、再チャレンジ時の登場順って何か法則があるんでしょうかね?
シティボーイズ・かたしひろしの5週目に「とんねるず」が5週目再挑戦したんですが、その時に順序が「たかしひろし」「シティボーイズ」「とんねるず」の順。
再チャレンジのほうが格が上?って感じで後から出場なのかと思ったら…
6週目では「とんねるず」「たかしひろし」「シティボーイズ」の順。
同じような例は沢山あるのですが…。
ジャンケンかなにかで決めていたのでしょうかね?

6/17 木津健介様、有り難うございます。
はじめまして。ファニーズと怪物ランドの行方を追っていたらここに行き当たりました。
その後すぐに韓国映画の「ラストプレゼント」を見に行ったら、なんかファニーズを思い出して、余計に泣けました。別にそこまでかぶるわけではないんですが、、、
 という訳で、ファニーズのバレエを踊るネタ(確か二回使った)のビデオを希望します。
一票以上が許されるなら怪物ランドのどれかと、アゴ&キンゾーのケツクサ族ネタをお願いします。

6/15 三甲みつお様、有り難うございます。
ゆうへい「トゥルリラトゥルリラ」(松田聖子)
かおり「なにそれ」
ゆうへい「きゅうりだきゅうりだ」
こんな内容だったと思います。

ゆうへいかおりは農業で落すネタが多かった。

6/4 あtろ様、有り難うございます。
ソープーオペラといえば口から突然、水を吹き出す芸がありましたね。

ソープーオペラ、ピグミーズ(ビーチーズ)、三津間小太郎(三津間japan)、モヒカン兄弟(ドリアン助川&パンチUFO)の四組が主催でやってたライブ、半年くらい続いたと思いますが、ピグミーズの片方がよく招待券を私に送ってくれてたので行ってました。

スタジオ200は蛍雪次郎一座の公演もここでやっていました。懐かしいホールです。

6/2 りゅう様、有り難うございます。
『テレビ演芸』の勝ち抜きコーナーの審査員、こちらのHPですでに紹介されている方のほかに当時『ビックリハウス』の編集だったと思うのですが、榎本了壱氏も出てました。
大抵、本業で忙しくて出られなくなった糸井さんのピンチヒッターって感じでしたけど。。。
そして、榎本氏で思い出すのが竹中直人の初ライブ(本人が舞台でそう言ってたので多分)。
テレビ演芸で注目を集め、TBSラジオで深夜放送をはじめた頃ですから、20年近く前ですか
池袋の西武百貨店にスタジオ200というイベントスペースがありまして、その名の通りに200席位の狭いところでしたが、立ち見が出るほど盛況でした。
客席にはブッチャ−ブラザースのブッチャ−さんや手塚真さんがいました。
「竹中直人の顔面変格活用」と言うタイトルで、例の顔まねや声帯模写をやってましたが、本来そのスタジオ200と言うのはカルチャースクール等を開催するのが主目的でお笑いのライブ等は基本的に認めていないらしく、後半は榎本氏をゲストによんで対談する形式をとっていました。
僕は、すでに竹中さんのファンだったので過剰にウケ過ぎていたかもしれませんが、今から思えば、タドタドしいライブだったようにも思えます。
学生時代の思い出話で失礼しました。

5/30 三甲みつお様、有り難うございます。
(ソープーオペラ)
あtろ様ありがとうございます。そうだったんですか。
演劇出身みたいな三人の中で一人だけ芸人みたいな人だと思っていましたが。
西川きよしに「あんたはお笑い担当」と言われていました。

5/30 なべ様、有り難うございます。
三雲さんてそういう形でテレビ演芸に出てたのですか。やっと解りました。
三雲さんは大道芸好きなら誰でも知ってる大スターで、現に面白さでは群を抜いてると思います。私も静岡でスタッフやってて、三雲さんのMC(当時はTHE PEACH BOYSというユニットを組んでいた)を担当した事があり、一緒の写真もあります。
テレビ演芸出演とプロフィールにあったのは知ってましたが、そういうグループを組んでいたとは初耳でした。おかげで謎が解明しました。

テレビ演芸って、静岡では暫く放送されてませんでした。だから竹中直人の時代とか10週勝ち抜き時代も見ていません。末期の西川きよし師匠になってやってたような、それとも自分が関東に住んでたからそう思うのか、とにかくこれも謎です。

5/29 あtろ様、有り難うございます。
プリーズはテレビ演芸に出てましたよ。
解散後も芸人をやっててめがねのほうが現在大道芸人の三雲いおり(ソープーオペラという四人組で再度テレビ演芸に出てました。
片方が羽生愁平でいまビッグボーイズで頑張ってます。友人です。

5/29 あtろ様、有り難うございます。
いまだに謎なんですよ。当時仲良くしてもらってた萬流コピー塾の番頭さんが週刊文春の林真里子のページの担当で、林真里子本人にきいてもらったところ「同姓同名の講談の人でしょう」と完全否定。ただタモリの付き人をやってて一回目から会場にきてたルンルンの梅の間さんによると
たしか出てたような。。。との答えでした。
持ちネタの時間はネタ見せ後に調整されていましたが、それからまた放送で編集カットされてましたね。
萬流もぱっくんぷれすも今となっては思い出です。初めて顔写真が雑誌に出たのが萬流で、投稿謝礼をはじめてもらったのがぱっくんでした。

5/27 なべ様、有り難うございます。
持ちネタの時間は5分てルールがあったんですか?
そう言えば昔読んだ山藤章二さんとの対談集でイッセーさんがこの件に触れてて「バーテンのネタは本来20分やって面白いのに、それを短くやれなんて最初は信じられなかった」なんてコメントしてるのを読んだ覚えがあります。
やっぱ型にはまらなくて正解だったんでしょうか。それこそ、村松友視氏言うところの「伝説」にはなりましたが、そう考えると正解だったかもしれませんね。

ところでお笑いスター誕生!!の審査結果発表時の合格・不合格の音ですが、最初の2回は違う音だったように覚えているのですが…。

5/26 なべ様、有り難うございます。
ところでページを読ませていただくうちにまた気づいた事が。
それはイッセーさんの所。ルーキーで演じた学校の先生は、1987年の舞台「都市生活カタログ」でも実は演じておられます。これは当日券を散々並んで購入したせいでよく覚えてまして、演目を書いたチラシも配布したように覚えてます。
中味は全く同じでした。「試験に出るぞー」もやってましたが、番組時と比べてテンポがゆっくりだったように感じました。この時はあの名作「ヘイ!タクシー」も演じましたが、ビデオ化はどうかなぁ?ってとこです。私も探したんですが見た事無いです。
「右脳開発ベルト」て言う、ちょっと違うパターンのネタも披露してて、これが結構良かったです(今でも覚えてるくらいなので)。あれを番組で演じてたら、9週はもしかして…かも。

4週目に演じたのは、子守するお母さんとかいうのだとうっすら覚えてます。おんぶしてたのが犬だったとかいうオチで、審査員に色々言われてた割には合格してました。

5/26 りゅう様、有り難うございます。
(スリーもみないず)
大辞林によると、「うまくない。まずい。味がない」といった、近世上方語なのだそうです。
『物類称呼』には、「あぢなし」とあり、「いにしへ、吉野の国栖(くず)の邑人、かへるを煮て上味とし食ふ。名付けて毛瀰(もみ)といへるよし、『日本紀』に出づ。今云ふもみないとは、もみな物と云ふ心なるべし。いは助字なり」とあります。
つまり、日本書記の時代の吉野の村人が、カエルを煮て食って、あまりのうまさに、「もみ」と名付けたわけです。だから美味いものは「もみなるもの」、まずいものは「もみないもの」、というわけです。
これが、本当に当ってるかどうかはわかりませんけど。。。

5/25 パパリン様、有り難うございます。
シティボーイズの納豆ネタは、9週目のネタが最初です。
料理を作らない奥さんの冷蔵庫に残った材料と言う設定で、
男爵いも(大竹)・豆腐(斉木)納豆(きたろう)といった役でした。
腰に巻いたワラでの納豆キャラがハマリ役で、
審査員にも好評だったのでシリーズ化したようです。

来月の6/6になりましたら、私のHPで当時画像を公開予定です。

アゴキンの1度目のグランプリは2人とも台詞を忘れました。
前半はアゴのミス連発でしたが、うまく誤魔化してました。
後半にまた忘れた時に
「婆っちゃん今日、ボロボロだよ」とキンゾーが言ったら
「お前の台詞だよっ!」ってアゴが真顔で言ってしまいました。
「なんだっけ?」キンゾー
「××っていうのだよ」アゴ
「婆っちゃん、すげえなぁ〜俺の台詞まで覚えているとは…」キンゾー
ちょっと手遅れなフォローでしたね…。
審査員にも、あれを上手く誤魔化せば…グランプリだったろうにと悔やまれてました。

5/25 関西の白衣様、有り難うございます。
(シティボーイズの納豆ネタ)
私の記憶では納豆病ネタのコントが最初だったと思います。どっかの山奥の農村の農家の一家の設定できたろうが納豆病になった、コントでした。ゴールデンルーキー賞で見た記憶がありますが、一次予選か二次予選かは忘れました。
棒でかき回されると気持ちよかったり、ご飯の上にのっかりたくなるとか、のネタで、結構面白かったのですが点数はあまり良くなかったと思います(30点台後半)。
その後、別のコントで3人でくじ引きするのに3色パン(丸いのが3つくっ付いた形のやつ)のどれか一つのまるい部分を選んであんこを引いたら負け、というので。
「ジャムだ」(大竹)「クリームだ」(斉木)「納豆だ」(きたろう)

5/23 あtろ様、有り難うございます。
 芸名といえば、一度話しましたが、お笑いスタ誕の稽古場で強引に変えられてしまったケースもありました。プロになる前の挑戦者(劇団出身・学校出身)は変えやすかったのかも。

ちょうなんず→ウッチャンナンチャン
インキーズ→ピックルス
モンスターフェミリー→怪物ランド
地獄家タージマハール→タージン
いそのなかじま→チャチャ
うろちいんしらむた→田村真一郎

5/21 なべ様、有り難うございます。
情報のところを読んでて気になった事があるので、書かせていただきます。

それはグランプリ挑戦で落とされた人が後ろから出て来るの項。
アゴキンの時には後ろから出て来なかったとありますが、出て来てますよ。
後ろから出て来た2人に向けて米丸師匠や唄子師匠が残念がってました。
(この時はアゴさんが科白を忘れて金造さんがフォロー出来ず、それが原因で落ちた筈)
「もう1回出てきてよ〜」と唄子師匠が最後に2人に向かって言ってます。

バラクーダーは最近の「あの人は今」的番組に出てるのを見かけました。
こだまひかりさんのチャレンジは、私の場合残念ながら一度も見てません。なので幻の芸人です。同じ頃に出てた九十九さんはよく見てたしジアンジアンでひとり芝居やったのも行ったし、とあるところで出くわした事もあります。

5/21 管理人様、有り難うございます。
元、ザ・ポテトの原さんは梅田のストリート実況をしています・・・ヤフー検索で引っ掛かったので書き込みしました。
原さんのぺージもありますので見てチョ
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=harashowto

5/14 ひでっち様、有り難うございます。
3月の改変期の特番だと思うのですが、詐欺をはたらいた犯人が教え子の野球の試合を見に現れたのを刑事が試合終了まで逮捕を待った話が紹介された場面で、トミーズ雅が大木こだま・ひかりの事件のことを引く合いに出し、大竹まことが「そう、ちょうど、俺が出てたころだよ」と非常に懐かしくしみじみ語っていたのが印象的でした。

5/12 あtろ様、有り難うございます。
すがぬまさんは芸人引退後、一時期オフィス北野で働いてました。
最近ではスーパージョッキーの最終回の思い出の名場面で見かけました。
三波さんは「凸凹」「ダントツ」ともに山野での収録だったし、ある意味日本テレビのお笑いの仕切りって感じでしたね。辛口な評といえば思い出すのが、ダントツで審査員として出てたトニー谷。お笑いスタ誕メンバーがやる一瞬芸にたいしてすべて鐘ひとつ。
ある意味、この人の芸に対する厳しさを見た気がしました。

5/7 三甲みつお様、有り難うございます。
おしんのテロップにコント21世紀の文字が。
工夫の役で出てましたが、本人かどうかはわかりませんでした。
NHK朝ドラって穴場かも。
一応本人らしいけど、顔が見えなかったので。電信柱の工事してる人で、セリフは「ああー」とかそんなレベルでした。

5/1 なべ様、有り難うございます。
 ところで今から9〜10年位前ですが、銀座小劇場で横山たかし・ひろし師匠の漫才独演会があり、出かけた事がありました。
 漫才を3席やったと覚えてるのですが、合間に師匠を紹介するVTRが流れ、その際にお笑いスタ誕が出て来ました。
 丁度銀賞を授賞した際の結果発表のもので、「立川レーガン」が出て来た段階で場内が(何故か)大爆笑、続くシティボーイズでも爆笑プラス「へぇ〜」て反応も。とんねるずも出て来て「おー」なんて反応があったように覚えてます。この当時でもうお笑いスタ誕て過去のもんだったか?(何故か九十九さんのグランプリシーンだけ流さなかった)
 その時の漫才では銀賞の時に披露した海の水ネタを観ました。

 当時関西で放映していた森脇健児の深夜番組が東京で放映されており、関根勤さんがそれを見てかなりファンになったらしく、ラジオ「コサキン」にもゲストで出て、チケットプレゼントも行い、その後にやった独演会でした。当日の客席に森脇さんや関根さん(キャイーンも?)がいました。
 この後で松竹系の漫才師の独演会が続いたのですが、東京進出でもあったんでしょうか?謎です。

 番組初期の頃(ギャグシンセかコント100連発が勝ち抜いてた時期)、タモリさんの席に故・三波伸介さんが座ってたのを覚えてます。
 激しい動きのコントを見た後「俺もこれだけ動いたら痩せるかなぁ」とコメントしてたような…。

4/29 三甲みつお様、有り難うございます。
(人生は波瀾万丈)
 北野誠は島田紳介に「おまえおもろいなー、プロになったらどうや」と進められプロを目指したそうです。
 映画「ガキ帝国」に出ていました。その打ち上げの飲み会で道路標識を三本倒し自首したそうです。
 まこと&がっしゃんの映像は静止画のみでした。おまけに「お笑いスタ誕」じゃなかった。

4/25 なべ様、有り難うございます。
 勝抜き表で知ってる情報を書かせて頂くと、1981年5月23日放送分の「?」は、9週目を初めて再チャレンジしたイッセー尾形さんです。土方の親方を演じたものの、落とされました。こんな情報でもよろしければどうぞ。(この時期勝抜いてた「とんねるず」と「シティボーイズ」が、オープニングでテーマ曲に添って一緒に踊ってて、それにアノおとなしいイッセーさんも最後にちょこっと乗ったのに見覚えがあります)

 余談ですが、大道芸を見ている関係で「カム有田」さんを何度も観ているのですが(あの風呂桶も面白いですが、他にも技を持ってますよ)、「カム&トシ」のカムさんだったとは初めて知りました。そう言われれば見覚えがあるような…。
(イッセーさんには公演を観に行って、マウスパッドにサインしてもらった事があります)

4/23 りゅう様、有り難うございます。
 象さんのポットの出ていたキンチョー(正式には大日本除虫菊って社名なんですよね、確か)のCMを思い出しました。
 2回位しか見なかったと思うのですが、場面設定は町工場より少し大きい位の中小企業の社員食堂と思しきところ、グレーの作業服姿の宮野さんが数人の仲間と掴み合いのケンカをしています。
 台詞は憶えていませんが、青春ドラマっぽい熱い言葉が発せられたあと、カメラが引きテーブルに腰掛けラーメンのドンブリを前にした佐藤さんのバストショットになります。
 そのラーメンの中にはゴキブリが。。。。
 お箸でそのゴキブリを摘み上げた佐藤さんが、激するでもなく平坦な口調で食堂のおばあさんに訴えます。
佐藤    『おばちゃん、これ・・・』
おばあさん 『なにいってんの、若い人は何でも食べなきゃダメ!』(と言って肩を叩く)
 ボー然とする佐藤さん。  ってな感じのCMでした。
 ちなみに、食堂のおばあさんは原泉さんが演じてました。
 日曜日の22:30〜の30分枠で欽ちゃんのクイズ番組やたけしさんのトーク番組をやってた時間帯だったと思うのですが。
 ラーメンにリアルなゴキブリってのがまずかったのか、光よりも速く打ち切られていたような。。
 商品は憶えてませんが、当然コックローチあたりでしょうね。
 僕のほかにも、このCM見た記憶のある方いらっしゃいますでしょうか。

4/15 りゅう様、有り難うございます。
 石井聡互監督の映画で『エンジェル・ダスト』という作品「があるのですが、冒頭のシーンに佐藤さんが出ているような気がするんです。カルト宗教を題材にした作品で、オ○ムの一連の事件を予見したと話題になったりしたのですが。。。通勤電車の中で若い女性が自然発火して焼死してしまい、それを目撃するサラリーマン役が佐藤さんに見えたのですが、なにしろ象さんのポット自体を新鮮な思いで見てから早や20年、佐藤さんのルックスの記憶に自信が有りません。
 今村昌平の映画学校の出身だと言うから、まんざら有り得なくも無いかなと思いまして。。  既に出た話題かもしれませんが、クレジットを見ても判りません(小さい役ですし)ご存知の方がいらしたらお教えください。

4/4 ぶいぶい様、有り難うございます。
ぜひビデオ化してほしい!!!
怪物ランド! 怪物ランド!
うそっぷらんどネタで友達と話していたら止まらなくなりました。
有栖川公園で租庸調!遣唐使!

3/26 あtろ様、有り難うございます。
ここもややこしいですね。
私の覚えてる範囲では。。。
TVジョッキーのザ・チャレンジの三代目グランドチャンピオンが青野・宇野コンビ。
得意ネタは青野さんの竹村健一の物まね。とんねるずに決勝で惜敗。
その後、いもっちょ・ふとっちょの名前で原・宇野コンビになり、サドンデスやTVジョッキー
お笑い君スタに出てました。得意ネタは原さんの洗面器をつかった前川清。
その後スタ誕にも原・宇野コンビでザ・ポテト。
その後は青野・宇野のポテトフライとして吉本入り。
いまは青野さんは新喜劇、宇野さんは地方局のカラオケ番組司会です。

3/26 中田様、有り難うございます。
 一ヶ月以上前の話になってしまうんですけど、ザ・ポテト二代目相方の原SHOW太さんが「銭形金太郎」という貧乏自慢の番組に「40歳を過ぎてアナウンサーを目指す実況オジサン」という肩書きで出演していました。
 それと先週大阪・梅田の歩道橋で原SHOW太さんがストリート実況ライブなるものをやっていたのですが、お客さんから100円をもらって歩道橋の下にいる人達が歩いている様子を実況していました。
 大阪で国際マラソンなどが開催される時は沿道で勝手に実況しているそうです。
 怒られないんでしょうか・・・(^^;

3/21 こきりん様、有り難うございます。
国分ケンジはジョージと組む前は
浮世亭てるてる・ケンケンのケンケンでした。
その前にも、いろいろあったようですが
(ヒロボー・ケンボーとか、奈和せつ子・けん児とかいうのは
 全く観たこともないコンビです。)

 てるてる・ケンケン解散後、一時松竹新喜楽座に出演してました。

 サブローはまた別で
鳳キング・ポーカーのポーカーと組んでいたようです。
このへんもよくわかりません。

3/19 こきりん様、有り難うございます。
浮世亭ジョージさんは本名:小川ジョージで
アメリカ人の父と、日本人の母の間に生まれたようです。

 非常に、コンビを多く変えていて
パンチャーズ〜ガッツジョージ・アーボー〜浮世亭ジョージ・ケンジ〜
浮世亭ジョージ・大平シロー〜浮世亭ジョージ・ケンジ〜ザ・USAと
激しいものです。

 吉本新喜劇に、端役で出演したこともありました。

3/18 関西の白衣様、有り難うございます。
 浮世亭ジョージさんは外国人ぽいバタくさい(死語?)顔つきでしたが、髪の毛は黒かったです。ハーフなのか単に顔の濃い日本人なのかはわかりません。もともと別の日本人の相方と浮世亭ジョージ・ケンジでデビューして、当時は結構売れていたと思っていましたがいつのまにか見かけなくなって、突然ザ.USAで復活しました。日本語関西弁丸出しのしゃべりでした。
 ニックは外見は完全に西洋人。ジョージよりは英語もしゃべれていた。でも日本語もしっかりしていた。漫才のつかみでニックがしゃべる英語をジョージがでたらめに翻訳して、そのうちジョージが正しいのかどうか怪しい英語をしゃべりまくって一段落ついたところで、ニックが「何言うてまんねん、コイツ?」といって落とすのが定番でした。
 どっかのうす味ハムのCMに出ていたのを覚えています。ニ「Very tasty!」ジ「てーしたおいしさや、言うてます」ニ「Fantastic!」ジ「薄味のファンやて」

 ダブルミックスのビオは口ひげをたくわえた割腹のいいおっちゃんで、イラクの某指導者に似ていました。

3/13 あtろ様、有り難うございます。
ギャグどんぶりの女性は、あのねのねがやってた「飛び出せものまね大作戦」出身でした。
相方の男のへんな声がうけてましたが、ネタはしょぼかった。でも終了後、京唄子に不満があったらしく、かみついてました。
「飛び出せものまね大作戦」出身者では若林一男、八田新太郎もそうですね。
竹中直人、大川興業、長江健次も出てました。
あの番組ではワニ男、コンニャク男、大奥女などいろいろいましたがプロデビューしませんでしたね。

3/13 こきりん様、有り難うございます。
(1週落ちといえば)
 ギャグどんぶりが印象深い。
 視聴者参加番組で、有名な女性が
(名前も知らないが、顔だけは見飽きてました。)
突然男女コンビで挑戦したのですが(相方は子供っぽかった。)
訳のわからないことをして、すべってました。

 大木ひびきのいた、からんころんも1週落ちのようですが
この頃は、大阪で放映はあったのかどうか知りませんが
まだ見てませんでした。

3/11 をぢさん様、有り難うございます。
(アイ謙治)
 この人途中であまりにもネタが見破られるので
 この人の名前はこう変えられるってなネタに変えてたような気がする
「桜田淳子は"うんこなんとか"になるよ」とか言ってたような記憶がある
 死ぬほど投げやりだった(すんませんウロおぼえで)

3/10 ばか皇太子様、有り難うございます。
 森のネタを。うる覚えですが・・・・。
「え〜、私今はこんな(老けた)顔してますが、こうみえても昔ジャニーズ事務所に応募したことがありまして、一次審査通過しまして、二次審査も通過しまして・・・・・・。
 んなわけねーだろ!このバカヤロー!この顔でジャニーズなんか入れるわけねーだろ!
 ふざけんじゃねーコノヤロー!!!・・・・・・・。」
 自分の老け顔⇒実はかっこいい⇒そんなわけねーだろ!といった感じで、小ネタを繰り返してました。客が飽きてくると
「もうちょっとで終わりますからねー、もうちょっと待っててくださいねー。」
 まあ、私好きでしたけどね。

3/5 三甲みつお様、有り難うございます。
 ところで質問なのですが
 テレビ演芸出演者で、「anan」の特集に「相撲用語をちりばめた会話の男がもてる」というのをチャカしたネタを演じた人はだれでしょうか。外見がいじりー岡田かこぶ平風でした。

3/4 ばか皇太子様、有り難うございます。
 昨日の笑林寺!にミスター梅介さん出てまして、ぼけ〜っと見てました。
 ラーメンネタは、やってませんでしたね。六法全書丸暗記ネタはすげえ驚きました。
 たまにあの番組見るんですけど、桂さん歳とりましたねえ。
 もう、あの頃のバイタリティは無いんでしょうね。
 昔の桂さんの番組って最高面白かったですよ。あの頃にもど・・・りたい。

2/22 三甲みつお様、有り難うございます。
 テレビ演芸には30分だけの回もありましたね。テキサスコンビ、確か最初で最後のゲスト出演がこの三十分枠で、この時だけ新聞番組表に芸名が出ました。  グラチャンの面々は、ブッチBと伊東かおる、大助花子はゲストで出てるけど、アマのまんだらーず、竹中直人、中村ゆうじは出ていないと思います。

2/20 あtろ様、有り難うございます。
 二週間に一回、六本木のテレビ朝日のスタジオにて収録してました。
 2本撮りで、まずゲスト2組とフレッシュ1組の2回分を収録。そのあとでやっさんとアシスタントがスタジオに入り6組分の「フリ」「ウケ」を収録。つまりゲストの演芸はまったくこのふたりは見ないで紹介していました。やっさんのコメントがトンチンカンだったのはこれと酒のせい。
 その後、審査員が入り、2本分の「激突!笑いのデスマッチ」を収録してました。審査員の服が二週間かわらなかったのはこのためです。
 前説は落語家になる前の昇太(元まんだらーず)や松村邦弘がやってました。
 ちなみにお客はほとんどが「笑い屋」でした。
 ちなみに「激突!笑いのデスマッチ」第1回目はいくよ・くるよVS阪神・巨人のエキビジョンマッチで引き分けだったとか。。。
 対戦資料が残ってないのは残念。。

2/16 三甲みつお様、有り難うございます。
 無料というのは厳しい。ぺコちゃんなど売れ線の方はでなかったんでしょうか。せーのさんはアマチュア?プロ?
 ニュースペーパーは、そんな昔からだったのでしたか。知りませんでした。

 大助花子についてですがグラチャンにもかかわらず、番組を卒業せずにゲストに良く出ていました。グラチャンの人は番組に寄りつかなくなってしまうので意外(というより売れなかったのか)でした。番組にとっては、チャンピオンに売れて欲しいという気持ちがあったと思うのですが、売れてしまうと番組に出なくなってしまうので難しいですね。竹中直人はずいぶんブレイクしたけれど、テレビ演芸自体の視聴率アップにはつながらなかったというところでしょうか。

 番組では、力を入れて売り出す芸人にばらつきがあった様な気がしますが、たんごしんが良くゲストに出ていたのは何か理由があったのでしょうか。(笑点のチャーリーカンパニーのように何度もネタ見せに来ていた等)

 次回の笑いが一番にカルト芸人のピロキさんが出るみたいです。楽しみだなぁ。
 飯島健男さんの書いた本を見つけたので立ち読みしてみましたが、お笑い時代はありませんでした。

2/16 あtろ様、有り難うございます。
 一度だけ銀座のプラスワンホールというとこででテレビ演芸出演者によるライブがありました。
 入場無料で出演がたんごしん、ゲタゲタ、テキサス、京玉、遊平かおり、キャベツ、せーの!などでした。
 スタ誕のほうは初期の出演者は日劇ミュージックホールに出てましたが、日劇がつぶれてしまい都内のライブにちょこちょこと顔を出したりしてました。ラジカルGSの前身、シティボーイズショーにも初期には梅介や金紋も出てました。あと東八郎劇団としてスタ誕メンバーが出てたこともありました。
 ただ本格的には番組終了後にやったキャラバンと笑パーティーの合同ライブでしょう。ミエさんもしきりに最終回にPRしてました。これがニュースペーパーの前身です。

2/15 三甲みつお様、有り難うございます。
「テレビ演芸」は司会のやすしさんの強烈な個性のせいか闘い≠ェクローズアップされていたんですが、出演者同士(勝ち抜き者)の横のつながり等はあったのか知りたいです。
 なにか、勝ち抜き者が集まって何か(番組など)したって記憶はあまり無いです。一度集められた時は、無制限勝ち抜き戦の前夜祭?でここでもバトルでした。
 この番組のつながりかどうかは不明ですが、「花王名人劇場」に参加していた東京のコントグループ(ブッチB・SFパニックらが参加)ぐらいでしょうか。

2/9 あtろ様、有り難うございます。
 紅白歌のベストテンの第2回漫才歌合戦でコロッケがやったシンデレラハネムーン@岩崎宏美は本人がいたからよけい衝撃的でした。
 この日がメジャーデビューといっていいでしょう。
 ちなみにそのすぐあとにくにお・とおるが女装姿で淡谷のり子の歌マネをやりましたが、どっちらけ。マチャアキを怒らせてしまってました。

2/9 パパリン様、有り難うございます。
金曜のフジの深夜番組「木梨ガイド」にコロッケがでました。
お笑いスター誕生の映像がオープニングに…。
慌ててビデオ撮りましたが…最初しか出ませんでした。(涙)
ネタはシンデレラハネムーン@岩崎宏美でした。

メチャ画像が良かったのですが…何故フジテレビで?
当時の映像ってあるのですね。
でも、とんねるずは流さなかったですね。
やはり色々あるのかな?

2/4 をぢさん様、有り難うございます。
今日NHKにミスター梅介が出ていました
もう御分かりかと思いますが衛星放送です
「あの人この芸」という30分番組に出ていました
再放送だろうと思ったら最新の判例(郵便に関する事)を披露して
必死に現役であることをアピールしていました
番組の最後で(最新?)ネタをやってましたがかつてのキレ(笑)はありませんでした
以前ここの掲示板にあったNHKの寄席番組のようにイッパイイッパイでしどろもどろでした
ガタガタだったけれど「ミスターお笑いスタ誕」のミスター梅介がみれてうれしかった

2/3 パパリン様、有り難うございます。
なんか呼ばれたようなので。(^^;
DVDに落としたので「でんでん」アップできました。
DVDは良いですね、後も画像添付出来そうです。

でんでん5週目再チャレンジネタを
Gルーキー賞前夜祭の映像の為、最初だけですが…

よぉ、みんなハッピーかい?
久しぶりだったなぁ〜、会いたかったぜ!
おいら5週で落っこたりして悪かったなぁ
おいらの出なかった番組なんて…つまらなかっただろ?
あの時、海外旅行のスケジュールが詰まっていてワザと落っこったのよぉ
それからみんなに断っておくが、外国生活が長かったせいか
言葉の端端にアメリカ訛りがでるんだ
その時はエキュズキューズミ-よぉ
もう出ちまったぜ、ゴメンなぁ

そうだ、みんなおいらの素敵な笑顔早く見たかったんだよな〜
またせたなぁ
久しぶりの山野ホールはやっぱりイイなぁ〜
みんなが心から歓迎してくれる
特に女からの笑いは嬉しいぜ
おいら生まれつき女が好きなんだ
どうだ好きそうな顔しているだろ?
軽い冗談聞き流してくれ
おいらの顔って見たとおり堀が深いだろ…

2/2 オッサン様、有り難うございます。
「冗談画報」か「冗談画報2」のどっちだったかは忘れましたが、
関西テレビで深夜に放送されてた記憶があります。
ただ、長い期間ではなかったような気がします。

東京から来たものを拒否というよりも、
「ただ単に面白くない。最初から最後まで笑いたいのに・・・」
「関西若手集団の関西ローカルの番組の方が・・・」
という気持ちが、制作側にも視聴者にもあったと思われます。

そういえば「新しい波8」も関西では全く見れませんでした。
友人が出演したのに見る事ができず、残念な思いをしました。

1/31 三甲みつお様、有り難うございます。
そういえば、大阪って「イカ天」も無かった。
「冗談画報」はどうだったんでしょうか?

1/30 ひでっち様、有り難うございます。
福岡では土曜の13時からだったと記憶してます。
いつも授業を終えてダッシュしてギリギリ間に合ってたので間違いないとおもいます

1/29 三甲みつお様、有り難うございます。
勝ち抜き予想
さかなくん
キャラクターは可笑しいけどお笑いじゃない。厳しくつけて0週。

サイコルシュエイルとかいうバンド。まるっきりサイバーニュウニュウでは。お笑いでコスプレ系は何故出ないのかな。

1/27 ひでっち様、有り難うございます。
(1週落ちといえば)
 アイ謙治も面白くなかった印象はあるけど、僕にとってはスリーもみないずの印象が群を抜いていますね。当時桃山学院の落研かなんかの3人組だったんだけど、真中に立ってたリーダーに京唄子も「あんた、しゃべくりへたやね〜」と酷評というよりか同情にも近い反応だった。まさに学芸会の余興って感じでした。だから逆にまた新ためて見てみたい。

1/26 をぢさん様、有り難うございます。
熊本は土曜じゃなくて日曜日のそれも午後2時半からの放送だったと思います

因みにOA当時の熊本は民放ネットが2つしかありませんでした

余談ながら日テレ系のネット局ができた当時、1週遅れだった笑点を、これまで放映した局(1週遅れ)と新設の日テレネット局(リアルタイム)が同じ日に放映してました

1/26 うーやん様、有り難うございます。
新劇風コントと言えば、シティボーイズ→キモサベ社中→怪物ランドですね。
しかし今はこの3組のような凝った設定のコントをするグループはないですね。
ダチョウ倶楽部あたりが真剣に取り組めば面白い物ができそうな気がするんですが、
ここは真剣にネタをやる気はないでしょう。
だるま食堂っていましたよね。女性でしたけど上記3組に近いような感じはしました。
象さんのポットの後継者がいないのはどうしてでしょう?
あれは彼らだからできた芸なのか。
あtろさんがおっしゃる「びっくり箱」、まさに同感です。
独特のスタイルがありましたよね。あの頃は無名でも芸歴の長い人が多かった
ですから蓄積されたものがあったのでしょう。
しかし関西の漫才は当時とあまり変わらないですね。悪い意味じゃないですが。

1/25 こきりん様、有り難うございます。
(テレビ演芸といえば)
 スタ誕とのダブりが多いので
特徴付けが難しいですが
あの番組のイメージが強い出演者と言えば
カージナルズ、桂いずみ、花村淳、キャベツ白坂、あたりとしお、伊東かおる、キッチュ
あたりでしょうか。

 あの番組がルーツという感じのジャンルというと
代田ひかるは、桂いずみの雰囲気がありますが。
テツトモがややカージナルズっぽかったりして。

 ちなみに、この番組
大阪ネットなしで、不定期にサンテレビで観ただけです。

1/25 こきりん様、有り難うございます。
「ざっと31」時代に
番組タイトル忘れましたが、TBSの19時頃の枠で
たけし司会で、談志らが審査員の番組で
テント氏がクモの芸を披露して
相方(ヤマト?)は、何もしていなかった場面がありました。

 あれだと、ピンっぽい出演の仕方だった感じはします。

1/24 あtろ様、有り難うございます。
テントさんはこないだのR−1で準決勝まで行きました。
東京に来たときは必ず連絡くれて、会ってます。もう15年以上かな?
でんでんさんも同郷なんで、仲良くさせてもらってます。
この二人の方の年賀状っていつも凝ってて楽しいです。

三甲さん
初期のスタ誕はなにが出てくるかわからない「びっくり箱」的な面白さがありました。
黄色いカーテンが開く瞬間はどきどきしましたよ。
オンバトも、たしかにいろんな芸人が出てますが。。。ドキドキ感はないですね

1/23 三甲みつお様、有り難うございます。
ぶるうたすの筋肉漫談は、一代限りかと思ったら続いているんですね。
ここからはじまった芸の流れって多いですね。
シティボーイズの新劇の色の残ったコントや、イッセーの独り芝居。象さんのポットの独特の漫才。
例えば、オンバト芸人でオンバトから始まった新しい流れといえば、何があるのでしょう。
気がつくままに
当て振り・田舎者観察実況ネタ・パペットマペットのスタイル・犬ニャーのスタイル。
または、テレビ演芸から始まった新しい流れというのはあるのか?

1/19 をぢさん様、有り難うございます。
アイ謙二って言うんだ
毎週見てましたが、
アナグラムのクイズを出して一週目で落ちた人が
20年以上も記憶のかなたにもやもやしていたのが
一気に解決しました。この人審査員からもボロカス言われてたな
ぼくンとこ(九州)では日曜の午後にOAだったのでタイムスリップしたみたいでした
ちなみにぼくは象さんのポットがお気に入りでした

1/19 三甲みつお様、有り難うございます。
ゲーム批評のぶるうたす?特集ページでいろいろなことが書いていました。
・コインの収集をしている。
・でんでんと劇団ひまわりで同期。
・足を折り、入院し、奥さんに逃げられた(すべて厄年)
・楽屋の方が面白い。(ああ、ぶるうたす、お前もか)
他にもいろいろありましたが立ち読みなので忘れました。
2頁丸々ぶるうたす特集という、意図不明な企画でした(ゲーム雑誌なのに)。

1/11 三甲みつお様、有り難うございます。
(ゲーム批評にある芸人が)
それは、ぶるうたすです。
ゲームについて語るという内容でしたが、ちっともゲームについて語ってくれませんでした。挙げ句の果てに「アゴ勇がくわしいからアゴに聞いて」
肝心のアゴさんはと聞くと「入院してるから」
アゴさんの入院も気になりますが、ぶるうたすもレスラー志望だったようです。
IWAあたりなら今でも可能かも。

1/9 あtろ様、有り難うございます。
 井手ひろしは「笑ってる場合ですよ」のぼんちの「ものまねグランプリ」で優勝、ものまね芸人が多く所属してた大田プロに入り、そのまま「いいとも」のレギュラーになりました。水谷豊の真似は絶品でしたし、アイドル風のルックスで人気でした。
 ところがコーナーが終わると、番組からもお呼びがかからなくなり、円形脱毛症になってしまったそうです。ただ仕事がひまなときに軍団の野球チームで大活躍。
 それが縁でツルツルの頭にし、ガンバルマンに出場。初回から田んぼで泥まみれになりながら大奮闘。レギュラー軍団入りしました。
 山野ホールにもツーレロの応援でダンカンやユーレイがよく見にきてました。
 当時はたけしがオールナイトで「ユーレイとかそのまんまとか軍団の名前が、テレビ欄に載ったりしたら笑っちゃうよな」なんていってましたが、実際笑っちゃうような結果になりましたね。

1/9 ばか皇太子様、有り難うございます。
 お正月の深夜「朝までたけし軍」を見ていて、ふと思ったのですが、井手らっきょは、なぜ、たけし軍にいるのでしょうか?
 私が確か、中学生ぐらいの時、井手ひろしは、タレント紛いのような事をやってまして、突然たけし軍に入ったんですよね。しばらくして井手らっきょになったんですよね。太田プロ所属だったんですかね?
 タレントだったんですかね?なんだったんですかね?
 どなたかご存知ですか?

1/8 あtろ様、有り難うございます。
「こだま・ひかり」の漫才は大阪の演芸資料館でいまでも聴けますが、やはりうまかったですね。
お笑い「砂の器」事件、公の掲示板に書けない事も知ってますが、グランプリシリーズ3週休んだのはひかりの入院で、これは欠場が認められてました。グランプリまでのカット数週は、後日おぼんこぼんなどのゲストを後で撮って、それで穴埋めしていました。ただエンディング場面の端々で写ったりしえましたね。
その後、こだまが真田広之の映画「吼えろ鉄拳」に出てたりしたので役者になるのかなと思いましたが。。。

1/7 パパリン様、有り難うございます。
さて新春早々質問なのですが…
私がもう一度見たいナンバー1のコンビ、
「こだまひかり」がお笑いスタ誕最後の出場から22年が経ちました。
新春の特番に「こだまひかり」は出演したのか御存知ですか?
またグランプリシリーズ3週休んだのは、何故なのでしょう?
体調不良と言っていた気がしたような気もするのですが…。

それから6週からグランプリまでのカット5週間は、
他の4組のネタを長めにして繋いだのでしょうか…。
この5週間はともかくショックで記憶が曖昧なんです。
御存知の方いましたら教えて下さい。

1/5 あtろ様、有り難うございます。
正月の寄席番組、しおり・さおりを久しぶりに見ました。
腹をかかえて笑ったのは、深夜にやってたお笑い番組で元気安のやったヨガ漫談。
これはぶるうたすを最初に見たとき以上の衝撃でした。

1/2 こきりん様、有り難うございます。
太平かつみといえば
相方をよく替えてますが
きびのだんごの前に組んでいた
太平かつみ・ひろみの、ひろみは
トラコ&ヨサクのヨサクだったと思い出す
今日この頃。

 ひろみのあの天性のルックスは
非常に得難かったのですが
どこにいても目立つのに
かつみ・ひろみ解散後に
素人の振りで「三枝の爆笑クリニック」に
出ていたのは、笑えました。

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