情報、求めています。


 下記の項目について、おわかりになる方、ご教授下さい。もちろん、ここに挙げた以外の項目に付きましても情報を求めております。情報ならどんな細かいことでも結構ですので、よろしくお願いします。
 質問は紺色頂いた回答は赤色漂泊のコメントは緑色で書いております。

 飯島健男さんという人が「お笑い〜」に出演していたのですが、いつの出演かが分かる方はいらっしゃらないでしょうか(このページで見た限りは分かりませんでした)。ユニット?名などは不明です。

 この方は現在「パンドラボックス」というゲームメーカーの社長さんでして、かつて雑誌のインタビュー(正確には別会社の代表だった頃ですが)で「3週勝ち抜いた」と書かれていました。(Y.Kusaka様からの疑問)。
 飯島さんのインタビューによると、日本大学の一つ上の先輩だったコント集団がお笑いスタ誕に出演されていたそうです。自らもコント集団を率いて脚本を書いたりしたそうですが、お笑いスタ誕には出演されていません。
 ここでいう先輩なんですが年齢こそ離れているものの、日大出身ということで怪物ランドでしょうか。(漂泊より) It's New. 2009.10.3

 これはもう完全に、マニア同士の裏話なんですが、お笑いスタ誕の歴代アシスタントのプロフィール及び、芸人と結婚された方はいるかどうか?(屋代島様からの疑問)。
 わかる範囲で用語の方に書かせていただきました。(漂泊より) It's New. 2009.10.3

 S56.4.4放送分、先日当時の新聞テレビらんを調べましたら「悶絶!異色スター大会」とあります。どなたが出演していたのでしょうか?(あtろ様、漂泊からの疑問)
 わかる範囲で用語の方に書かせていただきました。(漂泊より) It's New. 2009.10.3

 第一期と第三期のハイライト集の記憶はあるのですが、第二期(ゴールデンルーキー賞開始)のハイライト集の記憶がありません。G賞の開始が早く、それ程出場者の数が確保できなかったためでしょうか。ご存知の方がいましたら教えてください。また、ハイライト集は出場者全員を見られたのでしょうか?(三甲みつお様からの疑問)。

 川崎駅の近く(銀世会)にあったスナックにお笑いスター誕生の出場者(ぶるうたす、ミスター梅介、小柳トム他)が出演していたお店がありました(がんちゃん様からの情報)。このスナックについてわかる方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい。(漂泊からの疑問)

 フジの『飛び出せモノマネ大作戦』に素人出場者と混じってテキサスコンビらしい二人組が出ていた記憶が有るのですが、知りませんか?演歌歌手のモノマネと人類の進化のモノマネをして(後に中村ゆうじの演じたのと同じ物)しっかり笑いを取っていましたが、大賞と副賞を別の人に取られてしまいました。その回にはまぐりのモノマネをする女子高生が出ていたと記憶しています。外見とトミーズ健ばりのだみ声の大阪弁は似ていました。でも、当時プロの彼らが出られたのか疑問です。(三甲みつお様からの疑問)

 お笑いスター誕生の出演者登場シーンの出囃子
 どなたか入手できませんか?
 教えてください。(もりもと様からの疑問)。

 テレビ東京の年始番組PM1:00から6:00 司会はみのもんた 浅草演芸ホール、浅草寺、仲見世、サンシャイン60、東京タワーからの中継で、出演者は、絵里真理、テキサスコンビ、シティボーイズ、ぶるうたす。番組名がわかりません。知っている方がいれば教えてください。(三甲みつお様からの疑問)

 来生たかおの「セーラー服と機関銃」の替え歌という、しょうもないネタなんです。
 ただ、機関銃をオカマ男に変えただけです。
 イントネーションが上方ぽかったので、上方の漫才師だと思われます。
 こういうしょーもないネタをつかみに持ってくるのは、テキサスコンビではないだろうかと思いますが、まこと&がっしゃんかもしれません。
 ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。(三甲みつお様からの疑問)。

 とんねるずのネタで、「いらっしゃいませ。デニーズにようこそ」のデニーズを巻き舌でいうのと、他の、ファミリーレストランで、マイクを使うので声がこもるネタがあったのを、思い出したのです。そのファミリーレストランの名前が出てきません。サーテイワンのアイスが固くて、取るのに苦労する。というのもありました。知ってますか。これらは、お笑いスター誕生ではないようです。(三甲みつお様からの疑問)

 お笑いスター誕生!!の審査結果発表時の合格・不合格の音ですが、最初の2回は違う音だったように覚えているのですが…。(なべ様からの疑問)

 テレビ演芸ですが。
 今回は、名前がわからないのです。
 出演時期は西川きよしが司会していた頃でしょうか。
 メガネをかけた小太りの若い男性です。こぶ平タイプ。
「アンアン」の記事で、スポーツ用語(相撲用語)を会話にちりばめた男はもてるとあったけど、じゃなにかい。相撲用語をちりばめて、ぼくはあなたにがぶりよりとかあなたのハートにもろ差しとかいった男がもてるのかい。馬鹿だねえ。
というネタをやっていました。
審査員の評は
たけしのパクリが多いけど面白いというものでした。
対戦相手が強すぎて負けました。B21か浅草キッドクラスが相手だったと思います。(三甲みつお様からの疑問)

 ズバリ「『お笑いスター誕生!!』で、最後にカーテンから出て演じた(=あのカプセルから出て来た)出演者は誰でしょう?」(だから紅白戦の時ですね)(なべ様からの疑問)。
 ちゃらんぽらん、笑パーティー、キャラバンあたりだったと思います。最終回ということで番組に出演の多かった組を並べてたはず。唄子さんが涙声でちゃらんぽらんを激励してました。ほんとは梅介さんのほうが古いはずなんですが。。。(あtろ様より。有り難うございます)

 銅賞どころか1週しか勝ち抜き出来なかった春やすこ・けいこがメダルらしきものをもらってるんです? それとも昔は1週目の札も首にかけるシーンがあるとか?(メンタイ様からの疑問)。
 1、2回は審査結果のところしか見てないのですが、恐らく合格してあの札をかけてたんでしょうね。確か10週表示のランプが無かったように覚えてます(だから最初、10週勝ち抜きって知らなかった)。
 合否のBGMも違ってたと思うんですが、えーいもうこうなったら、林真理子に全て書いてもらおう(^_^)/(なべ様より。有り難うございます)

 お笑いスター誕生出身者のネタ見せ番組がゴールデンタイムで30分だけやっていた事をご存知でしょうか。勿論『ダントツ笑激隊』や『爆笑ドットチャンネル』ではなく、漫才ブームの真っ只中に、確か火曜日の19:00から19:30の間にやっていたと思うのでが……。(三甲みつお様からの疑問)
 「お笑いスター誕生出身芸人が出ていた火曜19:00〜19:30までやっていた番組」ですが、火曜日だったかは私は記憶に無いですけれども、「お笑いエース登場」というタイトルでした。司会はたしか”お笑いまんが道場”の柏村とかいう人だったような・・(だれか詳しい人いませんかね〜)B&Bがレギュラーで出てたような気がしました。アゴキン出演の後BBが客席の女の子に「アゴキンの魅力は?」と聞くと「派手な衣装」と返されていました。(新・しのざき美知様より。有り難うございます)
 「お笑いエース登場」…お笑いスタ誕出身者のみならず、やすきよ以下紳助・竜助、ツービート、春日三球・照代など当時ブームの渦中にいた芸人も出演していました。制作も日テレでなく、大阪よみうりテレビ制作で、読テレの「思い出の漫才コンビ〜」などの企画では当時のVTRが放送されることがあります。
 OAは、毎週土曜19:00〜19:30で、この枠は歴代、アニメなどが放送されたよみうりテレビ枠。よってブームの余派で番組が誕生しながら、プロ野球シーズン中の放送だったので、雨傘番組っぽい扱いだったと思います。(ノミス様より。有り難うございます)
 「お笑いエース登場」司会が小林大作さん(当時「ズームイン!!朝」で大阪からレポートをしてた方)。
 ざこば師匠(当時朝丸)が野外ロケで素人さんと漫才をやるコーナーがありました。
 映像が残ってるようで『お笑いネットワーク〜漫才の殿堂〜』のビデオでB&Bのを見たら出て来ました。(なべ様より。有り難うございます)

 82、3年くらいの正月あたり(これもおぼろげ)で昼にお笑いの特番(?)があって、最後にコロッケが何か賞をもらって号泣しているシーンだけ覚えているのですが、時期やチャンネル(STV)から、お笑いスタ誕と何か関係があったのでしょうか?
 すごくあやふやなのですが、コロッケ号泣だけははっきり覚えています。何だったのでしょう?(ハンバーグ様からの疑問)。
 「コロッケ、受賞で号泣」はおそらく、お笑いスタ誕歌謡祭で「悲しい色やね」を唄って歌唱賞を受賞した時だと思います。
 泣いてたのはギャグでですネ。(屋代島様より。有り難うございます)

 芸人さん達が登場する時山田康雄さんが紹介していましたが、あの名調子のナレーションを覚えている方、教えてください。
何時の、誰の時のモノでもかまいません。
懐かしみたいです。よろしくお願いします。(鬼百様からの疑問)。
 「パパリンと武三さん」には、とんねるずやシティボーイズなど、当時の出演者のナレーションが再録されています。(漂泊より)

 グランプリの賞金は100万円?ですが、金賞、銀賞、銅賞に賞金はあったのでしょうか。(漂泊からの疑問)。
 おぼん・こぼんが番組内で、「グランプリを取ったら100万円と海外旅行がもらえる」と口説かれて出演したと語っています。どうやらそれはプロデューサーの嘘だったようですが(笑)。なお、金賞〜銅賞も賞金があった記憶があるというお言葉をとある方経由で頂いていますが、金額までは覚えていないとのことです(しかし実際にはなかったらしい)。ちなみにゴールデンルーキー賞は賞金80万円、特別敢闘賞は賞金30万円。(漂泊より)

 「お笑いスター誕生!!」のカーテンが開いた時のアタック(「行け。シティボーイズだ!」の後に軽快にかかる曲)、あの曲、昔着メロの本が売れてた頃に掲載されてて、入力した事ありました。今サイトで確認しても見つからないのですが、どっかにダウンロード出来るサイトってあるんでしょうか?(なべ様からの疑問)
 着メロは、個人で作られた方が昔公開していました。今ではつながらないので、保存しておけばよかったと後悔しています。
 落ちたときに流れる時の楽譜は小柳トムが昔黒板に書いていたので、その画像があれば再現できますね。(漂泊より)

 これがマコトの「日本の大論点」講談社で気になった事。彼らがコントをやった時のガッツ石松の評「動きが足りない」
 大竹いわく「プロボクサーにくらべりゃ動きは足りないよ」
 これネタだと思うのですが。ガッツはそんな初期から審査員をしていたのでしょうか?(三甲みつお様からの疑問)
 大竹さんの話は怪しいです。ガッツさん審査員のときはすでにグランプリウィナー。
一度だけサバイバルの前夜祭に出ましたが、きたろうさんの事故で出場辞退したはず。
その後はシティボーイズは歌合戦などの特番かゲストとしてしか出てないはず。(あtろ様より。有り難うございます)

私の記憶では大空テントさんは
ピンで本放送に出演しています。
もちろんあの芸風ですから観客に受け入れられるはずもなく、
唯一「・・・テントとマント。面白くありませんか?」という問いかけにクスクス笑いがおこったのみ。
納得の1週落ちでした。
あまりのインパクトにしっかり頭にインプットされてしまいました。
記憶違いとしたら・・・この記憶はなんやろ?

私が見た大空テントさんは漫才ではなく、一人で一所懸命に・・いえ、淡々と漫談をする大空テントさんでした。
たった一人で静まり返った舞台を乗り切ったからこそ印象に残っているんです。
記憶では、まんまスタ誕なんですが、それではないという事ですし・・・。
さてさて私が見たのはどの番組だったのやら?(のえら様からの疑問)
 「ざっと31」時代に番組タイトル忘れましたが、TBSの19時頃の枠でたけし司会で、談志らが審査員の番組でテント氏がクモの芸を披露して、相方(ヤマト?)は、何もしていなかった場面がありました。
 あれだと、ピンっぽい出演の仕方だった感じはします。(こきりん様より。有り難うございます)

「こだまひかり」がお笑いスタ誕最後の出場から22年が経ちました。
新春の特番に「こだまひかり」は出演したのか御存知ですか?
またグランプリシリーズ3週休んだのは、何故なのでしょう?
体調不良と言っていた気がしたような気もするのですが…。

それから6週からグランプリまでのカット5週間は、
他の4組のネタを長めにして繋いだのでしょうか…。
この5週間はともかくショックで記憶が曖昧なんです。
御存知の方いましたら教えて下さい。(パパリン様からの疑問)
 お笑い「砂の器」事件、公の掲示板に書けない事も知ってますが、グランプリシリーズ3週休んだのはひかりの入院で、これは欠場が認められてました。グランプリまでのカット数週は、後日おぼんこぼんなどのゲストを後で撮って、それで穴埋めしていました。ただエンディング場面の端々で写ったりしてましたね。(あtろ様より。有り難うございます)

 ファニーズのメンバーが出てた”アウスレーゼ(たしかこんな品名でした。男性用整髪料だったと思います)”のCMがありましたよね、あれに出てたのは赤木さんと後もう一人どなたでしたか?よろしければ、どなたか教えてください。(新・しのざき美知からの疑問)。
 ファニーズは赤木&小椋コンビ。商品は「ふんわりアメリカン、ふわーっとアフリカン」の資生堂ギャツビーでした。彼らの後が松田優作。(あtろ様より。有り難うございます)

 ちょっと驚くお知らせです。先日書き込みました、米丸師匠の「第3回…」発言は正解のようです。どうやら番組的にはファニーズは3回目の受賞者のようです。番組の冒頭のタイトルも第3回となってましたし、司会者2人も3回と言っています。これはどういう事なのでしょう???アゴキンは第2回なのですかね…これは私の憶測ですが、謎になっています1980/4/4の「異色スター大会」あの1回の大会でゴールデンルーキー賞って名前を使ったのではないのでしょうか?じゃなかったら…1回目の受賞者って誰???(パパリン様からの疑問)。
 前年の大晦日の行われた3時間漫才番組でのワンコーナー(60分くらい)で、お笑いスタ誕のメンバーだけでワンナイト勝負で100万円が争奪されたことがありますが、それを第一回とカウントしているのじゃないでしょうか?(タイトルの名称は 覚えてませんがゴールデンRという名称はそこで初めて使われたのかもしれませんね) 出演メンバーは確か小柳トム、金太紋太、ギャグシン、九十九一、コロッケあと一組か二組出てたように覚えています。審査員は おなじみの先生方でした。優勝はギャグシンセサイザーでした。(えむえす様より。有り難うございます)

 テレビ演芸のチャンピオン大会で準優勝ゆうへいかおりとありますが、他の大会で準優勝者を見た事がありません。この回だけですか?あの接戦だったブッチャーB対おおくぼ良太戦でも無かったなあ。(三甲みつお様からの疑問)。
 これは、どこかのパンフレットの紹介でそう書いてあったので、そのまま引用してしまいました。実際に準優勝だったのかどうかは、わかりません。どなたか、ご教示下さい。(漂泊より)

 てきさすpeartU(テキサスコンビ)で勝ち抜いている時、審査員の糸井重里に「お店の経営も順調なようだし」とコメントされていたのを思い出しました。何の店かは未だ不明です。(三甲みつお様からの情報)。このお店についてわかる方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい。(漂泊からの疑問)
 てきさすパート2の講評で糸井重里曰く「お店の経営も上手く行って」云々。どうも芸名とステーキハウスのチェーン店名をかけたギャグみたいです。(三甲みつお様より。有り難うございます)

 コント百連発で、今でも1つ知りたいのは何故折角6週まで勝ちぬいていて「さてこれから」と言う時にコンビ解消してしまったのか?・・・謎ですね。(たけ@電脳音楽工房様からの疑問)
 もともと、コンビを組んだのも事務所側からの半強制的みたいなものだったらしいです。お笑いスタ誕出場後から、轟二郎が「びっくり日本新記録」やドラマ「翔んだカップル」などにピンで出演し始めたため、自然解消みたいな形で解散になったはずです。(漂泊より)

 普通不合格になると、カプセルが後ろに回り、そのまま出てこずに終わるのですが、ファニーズがグランプリに挑戦したときは、不合格にもかかわらず袖から登場していました。グランプリ挑戦だったからでしょうか?アゴ&キンゾーの時はありませんでしたが。(ハンバーグ様からの疑問)
 グランプリ挑戦に失敗したら袖から出てきて、その理由を審査員が述べる。。。というのはギャグシンのときから恒例となりました。
 で、アゴキンのときはこれは、放送上のカットでした。実際会場では出てきていました。
 ちなみに、ポップコーンは2度目のグランプリ失敗に激怒!先生方の審査理由もふてくされた態度できいてて、あとで赤尾さんに大目玉くらったそうです。(あtろ様より。有り難うございます)
 アゴ&キンゾーも出てきましたよ。(なべ様より。有り難うございます)

 Wコミックが、ボードゲームとファミコンのCMに出ていたの知りません?(三甲みつお様からの疑問)
 ファミコンの方は、例の1、2、3の2の4の5とやっていた記憶があります。(漂泊)
 Wコミックは別の相方の時に、ヨネザワの「プラステン」というゲームのCMにでていました。「1、2の3の、、、」もCMの中で披露してました。(関西の白衣様より。有り難うございます)

 牧田博の出ていた洗剤のCMは何でしょうか?(三甲みつお様からの疑問)
 牧田博さんはクリネックスのスーパーティッシュのCMにでていました。新聞紙にやかんの水を吸わせる手品みたいに、ティッシュをラッパにして水を注いだらこぼれない、という吸収力をアピールしてました。最後に牧田さんが「たまげた!」と叫ぶと、ボール(たま)が歯にはさまったげた(たまげた)に顔が変わるというオチつきでした。(関西の白衣様より。有り難うございます)

 ミヤ蝶代・花代/疑問:女性コンビ。0週勝ち抜き。出てたような気がするのですが?(三甲みつお様からの疑問)
 あtろさんのところで確認させてもらいました。怪女優・町野あかりがいたミヤ蝶代・花代はキャラメルランドとしてテレビ演芸にはでましたがスタ誕にはでてません。その後キャラメルランドというコンビを経て解散しました。(漂泊)

 パールピアスは出ていましたか。(三甲みつお様からの疑問)
 あtろさんのところで確認させてもらいました。出演していません。(漂泊)

 轟二郎がフジ『翔んだカップル』に「ボキは」とか喋る先輩役で出ていたのはお笑いスター誕生出演後でしたでしょうか?(三甲みつお様からの疑問)
 『翔んだカップル』は1980年10月から、轟二郎がいたコント百連発は7月〜9月に出ていますので、出演後ということになります。(漂泊)

 『カジノ・フォーリー』と言うお笑い雑誌の2号にイッセー、4号に大竹まこと、5号にウンナンが出ていたらしいのですが、発行年月日が全く分かりません。お笑いスター誕生放映期間中に発行されていたでしょうか?お詳しい方よろしくお願いします。 (三甲みつお様からの疑問)
 <カジノ・フォーリーについて>
 ’83〜’86頃まで出ていたようですので、たぶんお笑いスター誕生放映中の刊行だったのではないでしょうか。5号でて休刊になりましたが、’92に復活しました。が、この年に3号でてまた休刊になりました。その後’92、’93に”キンゴロー”という単行本に姿をかえ、これは2冊でました。さらにその後には、’94、「GAG!GAG!!GAG!!!」となって(これも単行本です。)発売されました。・・・*’92に出た3冊は、「吐夢書房」という所から(’83〜’86の分は不明)キンゴロー以降は”ワニブックス”から出てます。
<内訳>
 創刊号(’83・10月)・・内容不明
 2 号(’84春号、としか書いてません)・・イッセー尾形、中村ゆうじ、竹中直人など・・表紙〜中村ゆうじ
 3 号(’84冬号)・・伊丹十三ロングインタビュー(!!)、竹中直人、*・・南伸坊やなぎら健壱などが執筆しています。・・表紙〜アゴ&キンゾーのキンゾー(たぶん)
 4 号(’85春号)・・シティーボーイズ、大竹まことインタビュー、おれたちひょうきん族舞台裏、デタガリ三宅インタビュー(!)、(あの)横沢彪・<表紙>大竹まこと
 5 号(’86夏号・7月だったらしい)・・ニッポン喜劇映画特集、お笑い界のニューウェーブ(ウッチャン・ナンチャン、おきゃんぴー、パワーズ)、ラジカルガジベリ、ビンバシステム、ワハハ本舗・・<表紙>〜パワーズ
 前での”キンゴロー””GAG!GAG!!GAG!!!”の巻末にこれらの本の通信販売のおしらせ(実は、上記の内容は、そこから引用したものです。)が載っています。でも、7年前の通販ですからね・・在庫あるのかな〜次の所へ問い合わせしてみたらいかがでしょうか? カジノ・フォーリー社(現在も存在しているのでしょうか?もし存在していたらゴメンナサイ)tel:03・3371・9201 または、ワニブックスへ。(新・しのざき美知様より。有り難うございます)

 放送演芸大賞。ゆーとぴあ、マギー司郎も出ていたと思うのですが。詳しい方がいたら教えてください。(三甲みつお様からの疑問)
 ノミネートも含めて、わかる範囲で出来るだけ載せました。ご参照下さい。(漂泊)

 桂光一光二と、ピンクダックは、出ていましたか?(三甲みつお様からの疑問)
 あtろさんのところで確認させてもらいました。出演していません。(漂泊)

 イッセー尾形が落選した時に抗議の電話を入れたのは井上ひさしで良かったのでしょうか。(三甲みつお様からの疑問)
 イッセー尾形の件なのですが、出どこは分からないのですが、井上ひさしの抗議の内容は「あれは、芸術だ。審査員はわかっていない」ということを思い出しました。(三甲みつお様より。有り難うございます)

 オープントーナメントサバイバルの第7回優勝はどの方でしょうか。それとも、全7回で終了なのでしょうか。(漂泊)
 確認させてもらいました。全7回で終了です。(漂泊)

 キモサベ社中が優勝した「サバイバルシリーズ」で、決勝に進出した方を教えてください。でんでんとコロッケは覚えているのですが、もう一人が思い出せません。(漂泊)
 キモサベ社中が優勝した「サバイバルシリーズ」で、決勝に進出したもう一組はWコミック。(あtろ様より。有り難うございます)

 確か、相撲合戦か何かをやっていた記憶があるのですが、詳細の分かる方、教えてください。(漂泊)
 相撲大会の第一回は優勝は小柳トム。第二回はブッチャー武者の圧勝でした。ピックルスも水着で参加。大会後小柳トムが「相撲取るためにお笑いやってるんじゃない」とエド山口に嘆いたのを、エド山口のオールナイトニッポンで聞いた。 (三甲みつお様より。有り難うございます)
 水上相撲大会の優勝者は…きたろう だったような…(匿名希望様より。有り難うございます)

 確か、ミスター梅介とひびきわたるが団長をやって、団体戦をやっていた記憶があるのですが、詳細の分かる方、教えてください。(漂泊)
 オープンサバイバルトーナメントの後に3週か4週にわたって放送される。このシリーズが事実上最後のシリーズとなる。ひびきわたると梅介をリーダーに、白組と赤組(男女の別なし)に別れネタで 団体戦を行う。(三甲みつお様より。有り難うございます)
 紅白団体戦はサバイバルシリーズの終わった後2回行われました。
 ルールは個人につけられた2週分のネタの点数を合算して紅白で競うもの。
 応援合戦や、団体戦ならではの合体グループなんかもあったものの、このころはメンバーも固定しすぎてつまらなかったです。

 第一回目はぶるうたす、ブッチャーブラザース、まんぼう、パルコなど、前回のサバイバルの成績には関係なくメンバーが選ばれていましたが、第二回紅白団体戦はサバイバルの上位グループが出演しました。
 和光亭幸助・福助、ソフィア、ミスター梅介、ひびきわたる、キャラバン、笑パーティー、ウッチャンナンチャン、松竹梅、ザ・ちゃらんぽらん、田村真一郎、象さんのポット、新山恵理・真理だったとおもいます。
 ミスター梅介とひびきわたるの代打出場として一週だけブラック嶋田と岡けんた・ゆうたがでました。(あtろ様より。有り難うございます)

 ミヤ蝶美・蝶子に関する疑問…
 お笑いスタ誕のシステムとして、「3週以上勝ち抜いていれば、不合格になっても、落ちた週から再チャレンジできる」、逆に言うと「3週目までで不合格になった場合、それまでの勝ち抜きはパーになる」というのがありましたが、このコンビに限り、初挑戦のとき3週目で不合格になったのに、再挑戦のときは1週目からではなく、3週目からの挑戦となっていました。なぜ?(わっきー様からの疑問)
 確かにこのようなシステムがあったことを覚えています。例えば牧田博は、一度2週目で不合格になりましたが、再チャレンジでは1週目からでした。
 なお、その他のルールとしては、不合格後、3ヶ月経たないと再チャレンジが出来ないというものがありました。(漂泊)
 ミヤ蝶美・蝶子の再挑戦問題ですが、私が見ていた頃(放送開始5ヶ月)にはそのような制度はなかったように記憶しています。(うーやん様より。有り難うございます)
 再挑戦で勝ち抜き週が生きるのは3週めから。だからミヤ鈴丸・花丸も3週目からの再挑戦でした。スクランブルは1週勝ち抜いてましたがこの凡例にしたがって再挑戦は1週目からでした。(あtろ様より。有り難うございます)

 原SHOW太さんがお笑いスタ誕出身とあるのですが、いったい、どの方のことなんでしょうか? ダウンタウンと同期生らしいのですが。(漂泊)
 元ポテトフライ(ザ・ポテト)だそうです。(漂泊より)

 北野誠がお笑いスター誕生出身ってホント?何かの本の略歴で見て「この人出てたかな?」と思いました。(三甲みつお様からの疑問)
 まこと&がっしゃんのまことが北野誠だそうです。(うーやん様、わっきー様より。有り難うございます)

 よみうりテレビアナウンサーの森武史が、学生時代に青山一浪・二浪と名乗ってお笑いスタ誕に出ていたらしいのですが、本当でしょうか。(漂泊)
 青山一浪・二浪ですが、お笑いスター誕生には出演していません。彼らが出演していたのは、同じ日テレの「TVジョッキー」の素人コーナーです。(うーやん様より。有り難うございます)
 青山一浪・二浪は「笑ってる場合ですよ」お笑い君こそスターだのチャンピオンでもありました。(あtろ様より。有り難うございます)

 現在、主に結婚式等の司会を主に活動している牧正(まきただし)さんが、お笑いスタ誕に出演していたと履歴欄にありました。牧伸二のお弟子さんだそうです。詳細のわかる方、教えてください。(漂泊)
 ご質問の件ですが村松正三でまちがいありません。(あtろ様より。有り難うございます)


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