『お笑いスター誕生!!』 名鑑【え】


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名 前
エド山口
初出場
 1982年5月1日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 8週勝ち抜き、金賞獲得。
 第3回ゴールデンルーキー賞敢闘賞。
 第2回歌合戦優勝。
ジャンル
 エレキ漫談。
プロフィール
 本名武東郁夫。1948年7月9日生。東京都出身。
 中学時代、当時のブームを背景にエレキバンドをいくつも結成。高校時代からセミプロ的な活動を行う。大学時代は、実弟のモト冬樹、グッチ裕三の3人でバンド「ブルーエンジェル」を結成し、クラブなどで演奏活動をしていた。その後、いくつかのバンドに所属。弾き語り、レポーターなども経験。出演当時は第一プロダクション所属、途中から戸崎事務所所属。
ネ タ
(1週目合格 No.107 1982年5月1日放送)

 月光仮面などの子供番組を中心にしたネタ。
 最近ブラックデビルが流行っていますが……。それから少年ジェットネタにつないでいく。
「みなさん、鉄人28号知ってますか?あれはちょっとおかしいんですよ。『♪敵~に渡すな大事なリモコン』って歌ってるでしょ。でも正太郎君が操縦してるのはラジコンなんですよ。リモコンならコントローラーと鉄人がコードでつながってなきゃいけないんですよ。だからあの歌も『敵~に渡すな大事なラジコン』が正しいんですね~」
 当時はまだワイヤレスリモコンが無かったんですねぇ。そういえばウチが最初に買ったビデオのリモコン、コードでつながってたような気がする!!!
(2週目合格 No.108 1982年5月8日放送)

 加瀬邦彦はなぜ寺内タケシとブルージーンズをやめてザ・ワイルドワンズを作ったのか。
(3週目合格 No.109 1982年5月15日放送)

 時代劇の原点の話。
 杉良太郎の『すきま風』を歌った後、白州で「お白州である。今回、御用金強奪の同心の鳳啓右衛門。その方公職の身にありながらご金蔵破り。市中引き回しの上、即刻獄門打ち首」「情婦お唄、相変わらず口がでかいのう」「車引きの八郎太、頭が悪いばかりに入ってしまった悪の道。病気の母親の薬代欲しさとはいえ、許し難き罪。しかしこの度情状酌量の余地ありとみて、小石川養生所に送る。そこで頭を治して出てまいれ、そうすれば母御もきっと喜ぶぞ」「(東八郎の真似で)お奉行様、どうもありがとうございました。ありがとうございました」

 戸崎事務所の人から、審査員をいじってはいけない、絶対落ちるといわれていたのだが、この週は審査員いじり。戸崎社長が横で見ていて、あ、落ちたなと思ったとのこと。だけど合格。東八郎さんからは「お前なあ」と言われたとのこと。
(4週目合格 No.110 1982年5月22日放送)

 「このマイクに付いているカバー、これをはずすとどうなるかわかりますか?息を吹きかけてみますよ。(ヴォ~)そう、音が割れるんです。風よけなんですね。この風よけを外して喋ると、キャバレーの呼び込みになります。『いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日は当キャバレー○○にお越しいただきまことにありがとうございます。××さん、3番テーブルに御指名がはいっております』って具合ですね。え~っ、今のネタで笑ったお客さんはキャバレーに行ったことのある人かキャバレーで働いたことのある人ですね」
 そのあと、連合赤軍が浅間山荘に閉じこもったときの報道状況を再現。「ばんどうーくにお」が結構受けていた。

 自分の家からエコーチェンバーを持って行って、マイクのラインをそこに入れて、エコーチェンバーから自分の58のマイクを出して、フットスイッチで踏んだり切ったりしながらエコーをかけていたことのこと。
 これが通らなかったら芸能界に行かないと言っていた。
(5週目合格 No.111 1982年5月29日放送)

 エレキギターの原点で、若大将(加山雄三)を取り出す。
(6週目合格 No.112 1982年6月5日放送)

 エド山口のギター教室。ギターには大きく二つのコードがある。長調と短調。長調は明るくて、短調は暗い。短調の例として、ニックニューサのヒット曲「サチコ」。暗い調子で泣きながら歌う。これを長調で歌うと、実に明るくなってしまう。他に効果音としてディミニッシュがある。これを使って『少年探偵団』の一幕を披露。そしてわかったこと。長調が流れているところ喫茶店は、カップルも明るい。しかし隣の喫茶店に入ると、ディミニッシュが流れて、カップルに緊迫感が漂い、「私出来ちゃったの」。
 最後にクイズ。当たったらこのギターを上げる。イントロを流して曲当て。曲が流れて「君といつまでも」とすぐにわかったが、「要領はわかりましたでしょうか」。そして最後はイントロを流して「恋の片道切符」「昭和枯れすすき」と回答が出るが、実際に流れてみると「高原の駅よさようなら」。過去に一人も当たったことのない「クイズ知らんぷり」で終了。
 審査員から大絶賛。
(7週目合格 No.113 1982年6月12日放送)

 堀越学園芸能界言葉講座。
(8週目不合格 No.114 1982年6月19日放送)

 ウルトラマンネタ。
(爆笑オンステージ No.176 1983年9月6日放送)

 登場すると、紙テープが数本飛んで来たのに驚く。
「僕のバックバンドを紹介します。リズムボックス・オーケストラ」
 ワンフレーズ披露後
「絶対解散しないバンドですので、怖くないですね。これが今ブームですので、ご自分でおやりになってみたらいかがでしょうか」
「ブームといえば、なぜか力道山。凄いですねえ、力道山のブームが。帰ってくるヒーローがどんどん増えますね」
「ついこの間まで明石家さんまさんがひょうきん族でやっていたブラックデビル、今はあみだ婆あなんてやっていますが、ブラックデビルが出ていたのが、日本テレビで昭和35年に放送していた『少年ジェット』、スクーターに乗った少年が犬を連れて悪人を退治するという番組の悪役だったんです。これも帰ってきたヒーローの一つですね。知らないでしょ、少年ジェットの歌。やってみようか。少年ジェットの歌」
 ワンフレーズ歌った後、ブラックデビルと少年ジェットと犬のやりとりの一幕を披露。
「凄いんですよ、闘って。このブラックデビルも、ある意味ヒーローですね。知ってます、少年ジェットって。ラビットスクーター125ccに乗って、100km/hで突っ走って、犬がぴったり走っていくんですね。信じられないでしょ。六連発のピストルを二十連発撃っても弾が全然減らないんですよね。他にもチャンバラ映画で、斬られても相手の敵が減らない。小さいころ、弟と映画をよく見に行ったんですが、斬られると画面の脇に消えていくんですね。そして出てくるんです。「兄ちゃん、あの人さっき切られた。鉢巻きしてまた出てきた」、そういう時代だったんですね」
「テレビは小さいころからずっと見ています。エド山口の歴史はテレビの歴史、みたいなものです。だから、人とはテレビの見方が違いますよ。正面からではなくて、裏から見るんです。ウルトラマン」
 『ウルトラマン』の歌を披露。途中、「変身」のフレーズを「妊娠」と言って笑いを取る。
「ウルトラマンを見ても普通の人とは見方が違う。バルタン星人と戦っているウルトラマンの背中のチャックが10cm開いていたのを、私は見ていますからね。こういう見方ですね」
「ウルトラマンって13人いるんですよね。知っています、ウルトラの母って。お母さん。格好はウルトラマンで、胸は膨らんでいるんです。それはいいんですが、下もぼこっと膨らんでいるんです。これはよくわかりませんでしたね。こういうところを注意してみると、面白いですね」
「仮面ライダー。ショッカーと戦うんですよね。「世界を征服する」と言いながら、日本にしか出てこない。変身する時間が長すぎる。風力エネルギーをためて、「ライダー!」。こうやっている間に、後ろからやられたらどうするんですかね」
「巨人の星。凄いですよ(とワンフレーズ歌う)。伴忠太。あれ、すごいですよ。こう~。一言でいうと、エイズっていうんですけれどね。すぐ抱き着く。飛雄馬、星、といってすぐに抱き着く。完璧にエイズですね。花形満。中学生で、スポーツカーを平気で乗り回している。髪型がすごい。正面から見るとあっちかこっちかを向いている。そして横から見るとまっすぐを向いている。フランジみたいに動くんですよね。星飛雄馬の特技。振りかぶって「父ちゃん」と言うと……目でたき火をしている。1球投げるのに15分間かかる。だから1週間再放送で見てね、試合終わったかなと思っていたら、未だ3球しか投げていない。それから牛乳瓶の便底眼鏡をしていた、そう、左門豊作。あれがすごい貧乏。あれが嫌いでね。兄弟たちがたくさんいてね、言うんですよ。「お兄ちゃん、お腹すいた」ってね。そしてバッターボックスに立ち、「俺がホームラン撃つ、バイ」って。構えているんですよ。炎がメラメラって燃え上ってね。それはいいんですよ。ところがそこから、弟たちの顔が一人ずつ出てくるんですよね、十人ぐらい。腰が重いでしょうね。水子のたたりみたいで。他に誰かいたかな……。そうだ、お父さん。星一徹。あれは人間じゃない。宇宙人。バックスクリーンよりでかくなる人間なんて絶対いない。だって飛雄馬が投げようとして「父ちゃん、俺は大リーグボールを投げるよ」って言うと、バックスクリーンの後ろから「ガォー」と出てくる。(ワンフレーズ歌う)」
「こうやって見ていくとテレビって面白いですね。『宇宙戦艦ヤマト』。何がヤマトだ。真空状態で、煙が立ち上っている。俺はこんなこと、習わなかったよ。宇宙の真空状態で爆発音が聞こえる。後ろを向いていて「ドカーン」という音が聞こえてくる」
「歌謡界の方も見方が変わってくる。ナタリ~って、フリオ・イグレシアス。八万円のショー、行った人いないでしょ、この中に。行った人はそのあと、森昌子のショーに行くんですからね。歌がすごい。「ん~~~~~、ナタリ~」。いつ出てくるか、見ている方もハラハラする。この歌の元歌がわかりました。おじさんはわかっちゃったよ。聞いてください」
「ん~~~~~、ナタリ~ク、マタリタ、ヤンバラヤンヤンヤン、サリー、サリー」
(爆笑オンステージ No.184 1983年10月29日放送)

 営業で色々なところに行く、千葉の館山の養老院に行ったという話。おばあさんに好きな歌を聴いて「さざんかの宿」を歌おうとして「さざんか、さざんか、咲いた道~」。おばあさんに冷静に「歌が違うよ」。
 一度も行ったことが無いのは警察。一度行ってみたい、やってみたいネタがある。サイレン付きのマイクの小道具を持ってネタを披露。
 続いてコップを持ち出し、ラジオたんぱの真似。続いてマイクの風よけを外し、マイクを掴んでキャバレーごっこ。エコーをかけて、東京有楽町の選挙演説の真似。悪人はエコーを使う、正義の味方はエコーを切る。ブラックデビルと少年ジェットのやり取り。
エピソード
(YouTube 「エド山口のOh!エド日記#107、#108)より
 六本木で弾き語りをしていた頃、内田あかりにスカウトされ、1979年に第一プロダクション所属。仕事はあまりなかったが、『六本木ケントス』(ライブハウス)で林ゆたか&パームスプリングスを月1回やっていたとき、B&Bがボーカルの生沢佑一の大ファンで、B&Bと戸崎事務所の社長が来た時、しゃべりが面白いからと社長に勧められ、お笑いスタ誕のオーディションに参加。オーディションに5,60人いたとのこと。6週目ぐらいで社長にスカウトされ、結局第一プロダクションを退社し、戸崎事務所に所属した。
 オーディンションには3週ほど行って4週目で「エド君行くよ」とプロデューサーが言った。おそらく、楽器モノがなかったからなんじゃないかと言っていました。
 プロデューサーは誰が演じていても誰も笑わず、真剣に見ていたそうです。
(YouTube 「エド山口のOh!エド日記#107、#108)より
 社長に10週勝ち抜くつもりはない、ラジオをやりたいといい、自分でパイロット版を作ってプロデューサーのところに行ったらOKとなり、1982年10月から『エド山口のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)(火曜2部 1982年10月 - 1983年9月)が始まった。
感 想
 今時エレキ?という感はありましたが、喋りとギターの上手さはさすがと思わせるものがありました。
レコード
エド山口「フルスロットル」(B面:六本木ララバイ)(1982.12)
EDO「TEARS FOR SALE」(1984)
エド山口「六本木ララバイ」(B面:フルスロットル)(1985)
エド山口「エド山口の想い出の九十九里浜」(1991.5)
エド山口&バウ「年がらノー天気」(1994.6)
他、東京ドンバーズ、エド山口&東京ベンチャーズでもCDを出している。
その後・現在
 『オールナイトニッポン』2部、『まんてんワイド』などのラジオパーソナリティ。レポーター、TVドラマ、映画、Vシネマなどにも出演多数。内藤やす子のヒット曲『六本木ララバイ』を作曲、自分もレコードを出す。実弟のモト冬樹とコンビを組んでモト冬樹&エド山口《東京ドンバーズ》で兄弟25年ぶりのユニットを結成、1995年2月22日、『悪魔がにくい』を発売。
 妻は元アイドル、井上望(1979年デビューで、エド山口と同じ第一プロダクション所属だった)。娘2人を合わせた4人で旅番組などにも出演している。
 2013年からはオフィスアリス所属。
 学生時代から磯釣りにのめり込み、釣り番組の出演、釣り雑誌、本への執筆などが多い。本人曰く、「俺は芸能もやる磯釣り師」。
 1996年に本格的エレキインストゥルメンタルバンド、エド山口&東京ベンチャーズを結成。精力的にライブ活動を続けている。公式HPはこちら
 タレント、女優、歌手のすずきは、エド山口の次女。アプティスプロモーション所属。
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