出射義夫『検事の控室』(中公文庫)
(旧題『検事物語』(高文堂出版,1977.12)


発行:1986.7.10



 この「物語」は、私が検事として取り扱った数多くの事件の中で、最も印象の深いいくつかの事件を、思い出すままに書き綴ったものである。ある時は起こり、ある時は憂え、ある時は笑った忘れがたい経験を、出来るだけ誇張せず、潤色せず、率直に書いたつもりである。それだけに、描写に物足りないところもあるが、同時に、真実からわき出る「小説より奇なるもの」があるとも考えるのである。
 私の希望は、この「物語」が探偵小説的興味としてではなく、いずれもわれわれと共に生きている実在の人間が、生きるために苦しみ迷っている姿に対し、怒るべきを怒り、同情すべきを同情し、真の人生を知る一つの材料として味わっていただきたいことである。そしてまた、検察の難しさをも理解していただきたいことである。

(自序より抜粋)

 1908年岡山県に生まれる。1931年、東京帝大法学部卒を卒業し、四億年、検事に任官。48年、東京地検刑事部長となり、帝銀事件を始めとする数多くの難事件の捜査に関わる。水戸地検検事正を経て、千葉地検検事正となり、1964年退官。獨協大学教授となり、1984年7月死去。著書に『刑法要綱』『検察・裁判・弁護』などがある。
(著者紹介より)

 本書は1977年に発行された『検事物語』から理論めいた部分を削り、物語として書きあらためたものである。本書の特徴は、自序に書かれているままであり、それに付け加えることはない。当然のことながら、本書で書かれる事件は、一つを除いて名前は出ず、日時や場所もあまり特定できないようになっている。裁判には一つの人生が凝縮されている。本書は全てが作者の成功話ではない。中には失敗例もあり、作者の検事という職業に対する姿勢がよく現れている。
 目次は以下。解説は植松正。

 三つの呻き
 結婚詐欺の男
 女中の死
 「罪と罰」
 レールの行くえ
 盲目になった処女
 お妾さんの放火
 証拠の悪戯
 死体の解剖
 哀れ人の子
 悪夢
 被害妄想狂の話
 漁村の怪火
 酩酊心理
 おはぎの夢
 荒神山事件
 ある日の論告
 底曳網のおばさん
 博多湾の朝
 恨まれる検事と尊敬される検事
 検事の感覚
 恐るべきもの
 聴訴室の思い出
 帝銀事件の問題点
 アメリカで会った法曹人

 注目すべきは「酩酊心理」か。酒に酔い、酩酊状態で殺人を犯したケースを2件紹介したうえで、「酩酊は一時的な精神障碍であって、刑法上ではいわゆる心神耗弱か心神喪失者ということになっている。心神喪失者であれば、刑事責任はないことになるわけである。ところが、厄介なことに泥酔状態で殺人などを犯す事例が非常に多いのである。被害者の遺族や社会一般の道義感情から考えると、人を殺せばやはりそれは人殺しである。酒に酔ったうえのことであるにしても、それが無罪になるということは納得できないのである。」と著者は書き、人を殺して執行猶予でいいのかどうか、疑問を投げ掛けている。さらに「酩酊者の犯罪には刑罰とは別個に、何らかの制裁または処分が必要であるという理論が当然に起こってくるのである」、「アルコール中毒者を一定の期間強制収容して、中毒の矯正をするという保安処分の精度を速やかに実施して、この問題を解決しなければならないと考えるのである。文化国家建設のためには、欧米諸国に比較して遅れているこの方面の制度と施設の改良に、もっと真剣にならねばならぬと思う」とある。現在、心神喪失者による事件の刑罰に関しては議論が高まっている。聞くに値する意見であると思うし、20年以上も前からこのような問題意識を持たれていることに感心する。
 そしてもう一つ「帝銀事件の問題点」に注目したい。筆者は当時東京地方検察庁の刑事部長として、平沢貞道元死刑囚を起訴するまで事件の指揮をしていた。筆者は平沢元死刑囚の逮捕後、小菅刑務所で取り調べを行っている。このとき、平沢元死刑囚は、「はい、たしかに私がやったのです」「三度自殺をしようとしましたが、仏様が夢に出てこられて、心が清まらぬと死なれないといわれたので、すっかり申し上げたのです」「高木さん(主任検事)は紳士です。留置中に進駐軍の人が来て、調べに無理はないかと言ったので、高木さんはゼントルマンだと言ってやりました」と答えている。これだけを聞くと本当に平沢元死刑囚が犯人であるかのように思われる。しかし、「結婚式(事件の2日後に長男の結婚式があった)があるので気が晴れると思ったのです」という不可解な発言もしている。筆者は平沢元死刑囚が犯人らしいと思いながらもこう結びに欠いている。「判決の結果はわからない。しかし、真相は永遠に沈黙を続ける。時には判決に満足し、時には怒りつつ。判決はしょせんは人間のわざなのである」

 もっとも、死刑判決の決め手となった平沢の自白調書は、実は出射が白紙の調書に同時に押させたことが鑑定結果で後に明らかになったのだが、当然ながらそのことには触れられていない(森川哲郎『帝銀事件』(三一書房)参照のこと)。

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