井口泰子『脅迫する女』(ケイブンシャノベルス)




 事件は昭和55年春に発生した。富山で女子高校生が、長野でOLが相次いで誘拐され、殺害された。通称「連続誘拐殺人事件」と呼ばれる凶行がこれである。後日、男女二人が逮捕されるが、女の主張は転々と変わり、男は一貫して無罪を主張する。──ことは離婚して一児のある女と、六歳年下で妻ある男との愛人関係の上に起こった。それがこの一見脈絡のない犯行とどう結びつくのか? 主犯は誰なのか? 複雑にからみ合った男女関係の裏に隠された真相は何か? 混乱する捜査当局の追求とあいまって、混迷する事件の深奥に気鋭の著者が迫る。書き下ろし長篇犯罪小説。(粗筋紹介より引用)

 井口泰子は婦人生活社の女性誌『素敵な女性』(1983年に廃刊)から警察庁広域重要指定111号事件、いわゆる富山・長野連続誘拐殺人事件の事件リポートを依頼されたことを契機に、この事件に関わるようになる。取材と調査を進め、検察側の主張に無理があり、宮沢知子の主張はうそばかり、北尾弘の主張には矛盾がなく終始一貫しているから信じられると判断し、無罪を確信する。
 事件から数年が過ぎ、地元富山を除けば忘れ去られてしまったようになったが、北尾の無実の叫びに耳を傾けて欲しい、一人でも多く裁判へ関心を持って欲しいという意図の下、1983年12月に書き下ろしたのが『フェアレディZの軌跡』(栄光出版社)であった。ただし、推理小説の枠組みがあったため、フィクションを加えての書き下ろしだった。
 そして作者はこう言う。
 離婚して一児のある団塊世代の女と、六歳年下で妻ある男との愛人関係の上に発生した異常な凶悪事件──それは、この二人の特異な男女関係を抜きにしては考えられない。私はこの男女関係をこそ、データに基づいて書きたいと思い続けていたが、それがこの小説『脅迫する女』である。
 1987年2月10日、ケイブンシャノベルスより書き下ろし刊行されたのが本書である。

 冒頭は高校生の両親が北陸企画に娘を出せと詰め寄るところから始まり、二人の略歴から出会い、IV章が高校生殺害、V章がOL誘拐殺人から逮捕まで語られ、北尾が刑事に何も知らないと訴えるところでこの物語は終わる。
 内容としては、自らの取材や裁判の内容などをまとめ、事件に至るまでを再現したものである。事件の経緯とその後については、こちらに書いているので参照してほしい。
 この本が出版された1987年2月は、検察側の論告が行われる2ヶ月前。実行犯の名前など根本的に変えてしまった前代未聞の「冒頭陳述の変更」はすでに2年前に行われていた。冒頭陳述の変更など、検察側の主張に大きな綻びが既に見えていた頃ではあるが、世間ではまだまだ北尾共犯説が根強かったのではないだろうか。それこそ、「男の責任」というものが残っていた時代だったと思われる。そのような頃にあえてこのような作品を出版したのは、井口泰子からの援護射撃だっただろう。
 井口泰子は、『男の責任』を出版した佐木隆三と共に、「北尾弘を救う会」のメンバーに入っていた。検察側の求刑を前後として、『脅迫する女』と『男の責任』が出版されている。それも『脅迫する女』は逮捕されるまで、『男の責任』は裁判と、まるで棲み分けたかのようだ。共通するのは、どちらも事件は宮沢知子の単独犯であり、北尾弘は無罪であるということ。無罪を訴える北尾弘弁護団が最終弁論を迎える援護射撃であるかのようだ。弁護団の最終弁論には、北尾と宮沢の心理を分析した両作家の寄稿も取り入れられている。

 作品自体については、すでに富山・長野連続誘拐殺人事件の判決が確定している現在に読むと、それほど面白いものではない。この作品の真骨頂は、世間が共犯説を信じている頃に、あえて無罪主張説を訴えるかのように書かれた点にある。それも、『フェアレディZの軌跡』のように推理小説の枠組みの中で搦め手から書いたのではなく、真っ正面から事件の全体像に取り組んでいる。ある意味、勇気のある行動であったかも知れない。佐木隆三『男の責任』のような法廷傍聴記なら、もし北尾が有罪であったとしてもそれほど責められないだろう。しかし本作品の場合、北尾が有罪だったらそれこそ指弾されていただろう。

 井口泰子は宮沢単独犯を主張していたが、最高裁で死刑が確定した時、「一%の奇跡が起きるかなあと期待してきたけど残念です」と話していることから、死刑という刑については疑問を持っていたと思われる。


【参考資料】
 井口泰子『連続誘拐殺人事件』(ケイブンシャ文庫):『フェアレディZの軌跡』を文庫化するに当たり改題したもの
 井口泰子『脅迫する女』(ケイブンシャノベルス)
 佐木隆三『男の責任―女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)


【「事実は小説の元なり」に戻る】