井口泰子『フェアレディZの軌跡』


 1980年9月11日、富山地方裁判所には長蛇の列が並んでいた。この春、富山市と長野市で、短時日のうちに続いて若い二人を誘拐し、殺害した後、死体を遺棄した上で身代金奪取を企てたという「連続誘拐殺人事件」の初公判があった。犯人として逮捕され、起訴されたのは、小学四年生の息子を持つ宮沢知子(34)と、年下の愛人北尾弘(28)だった。この事件は、富山市、岐阜、長野、群馬、埼玉、東京等にわたり、赤い高級スポーツカーフェアレディZを駆って展開された犯行であり、警察庁は「広域重要指定111号事件」に指定していた。
 一般傍聴人席は30席しかない。ようやくルポライターとして認められ始めた旭希代子(38)は抽選に当たり、運良く席を確保することが出来た。犯行直後、希代子は夫人月刊誌からこの事件のルポルタージュを依頼されて以来、この事件への感心を募らせていた。
 検察側からの起訴状で、いままで発表されていなかった実行犯が漸く特定された。冨山事件が北尾、宮沢二人が共謀し、誘拐は宮沢、殺害は北尾、死体遺棄は共同正犯。長野事件も同様。長野事件の身代金要求は宮沢。
 引き続き行われた罪状認否で宮沢は、「冨山事件は知らなかった。出迎えのみを頼まれた。長野事件は検察の起訴状通りである」と主張した。一方、北尾は起訴事実を全面否認、無実を主張した。
 地裁に入る前、知り合いの新聞記者に出会い、希代子はコメントを書くことになった。撮られた写真が記事とともに新聞に載ったとき、彼女の運命は変わった。

 それから1年10ヶ月後の1982年7月、フリールポライター安畑圭一郎は冨山城址にいた。この事件のルポルタージュをまとめようと、2月から公判毎に冨山に通うようになった。そのとき、旭希代子と知り合った。二人はよく語り、手紙を交わしたが、決定的な違いがあった。安畑は北尾主犯を支持し、希代子は北尾が冤罪であると信じていた。そんなとき、安畑は以前から電話でインタビューを求めていた、宮沢知子の実姉である大石町子と会う約束を取れたのだ。ところが約束の今日20時。彼女は現れなかった。結局22時15分、あきらめてホテルに戻った。
 二日後、自宅にいた安畑はある新聞記事に引きつけられた。サラ金社員山田健が刺された後、車で轢かれ、突き落とされたのだ。
 宮沢知子は、結婚相談所で知り合った男たちを相手に売春行為を働いていた。そのうちの一人が、サラ金会社社員山田健であった。山田は一時、宮沢の共犯者ではないかと騒がれた人物であり、かつて安畑はインタビューを申し込んで逆に脅されたことがあった。しかも1ヶ月前、偶然にクラブで出会い、そこでも諍いがあったのだ。記事をよく読むと、殺された時間は安畑のアリバイのない時間帯とピッタリ一致する。偶然か、これは。慌てて大石町子に連絡を取ってみたが、町子は会う約束などしていないと言う。あの電話は町子の名を騙る偽電話だった! なぜ自分は担がれたのか。ただの嫌がらせか。それとも……。そして捜査の手は徐々に安畑にも伸びていった。
 そして物語は、自ら疑惑を晴らそうとする安畑の行動、そして公判を見続けている希代子の手紙が入り交じる。

 起訴された人物の名前こそ変わっているものの、事件そのものの描写は、実際に起きた。警察庁広域重要指定111号事件、いわゆる富山・長野連続誘拐殺人事件と同じである。すぐに調べればわかるだろうが、このコーナーの主旨に乗っ取り、あえて小説で使われた宮沢知子、北尾弘の名前を用い、実際の事件がどの様に起きたか、記していく。


日付 出来事
1974年9月 宮沢は69年に結婚したセールスマンと離婚し、富山へ帰る。
1975年 宮沢は結婚相談所に足を運び、再婚相手を捜すため10人近くの男性を紹介してもらった。同時にコールガールの仕事を始める。
1977年1月 北尾、結婚。
1977年9月 北尾は別のコールガールから宮沢を紹介してもらう。その後、付き合い始める。
1978年2月 2人は100万円ずつ出資し、贈答品販売業「北陸企画」を設立。
1979年2月 北尾のネフローゼが悪化。宮沢は大宮の儲け話を持ちかける。
1979年8月9日 宮沢が9,000万円の保険金を掛けた運転手を海岸で殺人未遂。
    9月5日 赤いフェアレディZを230万円で購入。
    暮 北陸企画が休業状態に陥る。借金は約500万円。
1980年2月 閉店準備を始める。
    2月23日 富山駅で高校三年生Nさん(18)が宮沢にバイトへ誘われ、「北陸企画」に連れて行かれる。
    2月24日 Nさんは家族に「アルバイトに誘われて北陸企画にいる」との電話をする。
    2月25日 深夜、岐阜県の山林でNさんが絞殺される。宮沢は一度Nさんの家へ連絡を取ったものの、身代金の要求はしていない。
    2月26日 Nさんの母親と警官が「北陸企画」を訪れるも、宮沢、北尾はNさんを知らないと否定した。
    2月27日 宮沢がNさん宅へ「娘のことがある」と電話。
    3月5日 長野市で帰宅途中の銀行員Tさん(20)を宮沢が誘い、松本市で食事。
    3月6日 早朝、長野県小県郡の林道に止めた車内でTさんが絞殺された。Tさんの家に女の声で3,000万円要求の電話。同日、Nさんの死体が発見される(翌日にNさんと判明)
    3月7日 Tさんの家へ2,000万円要求の電話があった。指名されたTさんの姉が指定された高崎駅の喫茶店に向かうも、犯人は現れず、翌日の場所を指定される。
    3月8日 指定場所に向かうも、連絡はなし。同日から10日まで富山・岐阜合同捜査本部が宮沢、北尾をNさんの事件で事情聴取を行う。
    3月26日 本事件および重要参考人をスクープした『週刊新潮』が発売される。
    3月27日 Tさんの事件を公開捜査。
    3月29日 Nさんの事件で富山・岐阜合同捜査本部が二人を事情聴取。
    3月30日 警察庁は広域重要指定111号事件に指定。同日午後9時、長野県警捜査本部がTさん誘拐事件で宮沢、北尾を逮捕。
    4月2日 Tさんの遺体が発見。宮沢、全面自供。このときは単独実行を認めていた。
    9月11日 富山地裁の初公判。検察側は冒頭陳述で、「両事件とも、両被告が身代金目的の誘拐を事前共謀し、誘拐を宮沢被告、殺害は北尾被告、死体遺棄は両被告が実行した」と述べ、殺害実行犯は北尾被告とした。宮沢被告は富山事件の被害者を「北尾さんに頼まれて迎えに行っただけ」と、誘拐の事実そのものを否定、北尾被告単独犯行説を打ち出した。逆に北尾被告は全面無罪を主張した。北尾は私選弁護団4名、宮沢は国選弁護人2名。


 井口泰子は婦人生活社の女性誌『素敵な女性』(1983年に廃刊)から事件リポートを依頼されたことを契機に、この事件に関わるようになる。取材と調査を進め、検察側の主張に無理があり、宮沢の主張はうそばかり、北尾の主張には矛盾がなく終始一貫しているから信じられると判断し、無罪を確信する。
 事件から数年が過ぎ、地元富山を除けば忘れ去られてしまったようになったが、北尾の無実の叫びに耳を傾けて欲しい、一人でも多く裁判へ関心を持って欲しいという意図の下、1983年12月に書き下ろしたのが本書である。ただし、推理小説という枠組みがあったため、フィクションを加えている。なお、宮沢の付き合った相手の一人にサラ金会社社員がいたこと、また、事件に第三の男の存在が浮かび上がっていたことなどは、全て当時の新聞記事に書かれてあった事実である。
 事件を取材し、冤罪と確信したとき、作家やルポライターなどは幾つかのパターンで本を出版することが多い。
 しかし、井口泰子が取った手法はどれでもない。

 井口泰子の分身とも言える旭希代子は、裁判の内容を通し、北尾が無罪であることを熱く語りかける。対する立場にあるフリールポライター安畑圭一郎の論旨は、警察発表、そしてマスコミを通して伝えられた、世間一般の見方ともいえる北尾主犯説である。途中までは、北尾無罪、有罪説が入り乱れるものであったが、粗筋にも書いたように途中から大きく外れ、別の殺人事件が発生する。
 この殺人事件は、殺される男性こそ宮沢と関係があったと小説中で推測される人物(事実は違う、念のため)ではあるものの、富山・長野連続誘拐殺人事件とは何の関係もない。そのため、前半部分の富山・長野連続誘拐殺人事件の公判を中心に書かれた内容と、男性殺害事件はかけ離れたものになっている。タイトルの『フェアレディZの軌跡』も、この男性殺害時件とは全く関係がなく、連続誘拐殺人事件で使用された"赤いフェアレディZ"から来ているものだ。何も知らず読み進めていると、前半部分と後半部分につながりがないと批判するところである。しかし、井口泰子の目的は「北尾の無罪を証明する」ことであった。井口が取った手段はとんでもない方法である。連続誘拐殺人事件と男性殺害時件というほとんど関係のない事柄を、結末にて強引に結びつけてしまったのだ。男性殺害時件の犯人の動機は、一つは結構見かけるものではあるが、もう一つの方は前代未聞である。少なくとも、こんな動機は今まで見たことがない。多分、こんな動機で犯罪を起こす人もいないだろう。

 ミステリの構成としては破綻している。しかし、この小説にこめられたメッセージはあまりにも熱い。全ては富山・長野連続誘拐殺人事件の男性被告無罪を訴えるためのミステリである。

 それにしてもこの事件、そんなに忘れ去られていたのだろうか。他県にまたがる連続誘拐殺人そのものもほとんどないだろうし、愛人関係にあった被告2人がいがみ合っているというのも、週刊誌や女性誌のネタになりそうなものだろう。裁判そのものが長引いているのは、忘れ去られているということと無関係である。出版社自体、有名どころではない。
 世間的には、この作品は井口泰子の代表作とされている。まだまだ共犯節が根強い頃に、このような男性被告無罪を訴える作品を書いた点については、作者の取材力と事件の分析力が高かったといえよう。北尾が無罪となったことで、この作品が注目されることとなった。

 本書は1985年5月、『連続誘拐殺人事件』とタイトルを変え、ケイブンシャ文庫より出版されている。また、1987年2月10日にはケイブンシャノベルスより書き下ろしで『脅迫する女』を刊行している。

 作者の井口泰子は1937年、徳島市生まれ。国鉄職員である父の転勤に伴い、岡山、倉敷、笠岡と岡山県内を転々とする。放送大学教養学部卒業後、山陽放送でラジオドラマを執筆。1965年に上京。推理小説専門誌『推理界』(浪速書房)1967年7月号創刊号から編集部に勤務し、1969年から1年間は編集長を務めた。
 1970年、『東名ハイウェイバス・ドリーム号』で第1回サンデー毎日新人賞受賞し、作家としてデビュー。1972年には森永砒素ミルク中毒事件を題材とした『怒りの道』が第18回江戸川乱歩賞最終候補作に選ばれる。山陽新幹線建設に絡む土地移転問題を背景とした『殺人は西へ』など、数少ない女性の社会派推理小説家として活躍した。1988年には瀬戸大橋建設を描いた『小説 瀬戸大橋』を刊行している。
 放送評論家としても活躍、放送批評懇談会常務理事も務めた。
 2001年2月18日、肺がんで死去した。63歳没。

 なお、初公判以降の事件の経緯については、佐木隆三『男の責任』(徳間書店)に載せる。

【参考資料】



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