求刑死刑判決無期懲役【1986年〜1990年】






事件概要
罪 状
判 決
判決理由
備  考
S・W(49)  S被告は1983年2月5日の満期出所から4日目より窃盗を再開。盗んだ金はゲーム喫茶でのポーカーゲームや飲食代で使った。2月23日、S被告は横浜市金沢区の家へ盗みに入り、見つけた和服を次々と身に纏っていたとき、老女(63)が帰宅。S被告は老女を押さえつけるが抵抗したため、以前に盗んで持っていた日本刀で首を刺してしまい、殺害した。その後、たとう紙にライターで火を付ける。火は別の紙に燃え移り、やがて家に移り燃え盛った。捷治は現金を盗んで逃走した。
 起訴された公訴事実は、窃盗10、強盗6、強盗殺人1、強盗強姦1、現住建造物等放火2、傷害1、銃砲刀剣類所持等取締法違反1件の合計22件。その後、器物損壊と傷害が加わった。強盗2件は前刑の服役以前に犯したものである。
強盗殺人他 1986年3月25日
横浜地裁
和田保裁判長
無期懲役+懲役5年
 検察側は強盗2件について懲役7年、他について死刑を求刑した。
 裁判長は拘置支所内で経を上げて被害者の冥福を祈っているなど人間性を全く喪失していないこと、生い立ちに同情すべきことがあること、近似の量刑の実状などを減軽理由としてあげた。
 S被告は15歳から46歳までの31年間で少年院3回、刑務所5回に入っており、刑務所の外にいたのは11カ月と2週間であった。また逮捕後には32年前の1951年10月8日に起こした少女殺人事件も自供。警察は当時事故死として処理していた。すでに時効を迎えていたため、不起訴となっている。
1986年6月4日
被告側控訴取り下げ、確定。



I・H(38)  一和会系暴力団会長I被告ら8人は共謀して、山口組T組長(当時50)らの殺害を計画。I被告はN被告ら4人に射殺を指示。1985年1月26日夜、大阪府吹田市のマンションで山口組T組長と若頭(当時47)、山口組系組長(当時47)の3人を射殺。他3人の被告は組長の行動を監視していた。 殺人他 1987年3月14日
大阪地裁
岡次郎裁判長
無期懲役
 裁判長は「人命を軽視する暴力団の特徴を示した悪質な犯行で、一般社会に与えた不安と恐怖は重大である」としたが、「死刑の適用は慎重であるべきで、T組長らにも抗争を誘発した落ち度がある」と減軽の理由を述べた。  実行犯4被告にいずれも無期懲役(求刑同)、監視役の3被告に懲役10年(求刑懲役20年)が言い渡された。I・H被告は事件当時、傷害致死罪による懲役刑の仮出獄中。
1989年3月20日
大阪高裁
近藤暁裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「山口組側の激しい切り崩し工作が誘発した犯行で、T組長側にも落ち度があった。死刑適用は慎重にすべきである」と述べた。
上告せず確定。
T・T(48)  無職T被告は兵庫県掛保郡に住む実兄宅から現金を強奪することを計画。1985年8月21日午前1時頃に侵入し、就寝中の実母(84)と兄の三女(22)を、持っていた丸太棒(94cm)で殴り殺し、三女のハンドバックから現金12,000円を奪った。 強盗殺人、強盗強姦他 1987年6月16日
神戸地裁姫路支部
重村和男裁判長
無期懲役
 弁護側は心神耗弱であり殺意はなかったと主張したが裁判長は退けた。そして「自己中心的な犯行から肉親二人の命を奪った犯行は無慈悲で残酷極まりない。同情の余地はないが、反省の念が深い」と述べた。
1989年3月8日
大阪高裁
重富純和裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「残虐極まりない犯行だが、被告はそれなりに反省しており、矯正の余地はある」として、「死刑が相当」として控訴した検察側の主張を退け、控訴を棄却した。
上告せず確定。
K・M(48)  元とび職K被告は1986年11月20日早朝、横浜市旭区の路上で、スナック経営の女性(当時43)と歩いているうち、乱暴しようとしたところ抵抗されたため腹を立て、近くの雑木林に突き倒して乱暴したうえ、持っていたタオルで首を絞め殺し、現金17万円などが入ったセカンドバッグを奪った。 強盗殺人、強盗強姦 1987年9月17日
横浜地裁
石田恒良裁判長
無期懲役
 裁判長は「被告人は1971年にも同様の手口でスナックの女性経営者を殺し、犯行当時は仮出獄中の身で、情状酌量の余地は全くない」と述べた。ただし「凶悪な犯行だが、計画性はなかった」として減軽した。  K被告は1971年11月5日、東京都小平市でスナックママに乱暴して殺害。1972年4月20日、東京地裁八王子支部で懲役14年の判決を受け確定。83年11月10日に仮出獄したばかりで、わずか10日後の犯行だった。
1988年6月29日
東京高裁
石丸俊彦裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「極悪非道で、鬼畜にも等しい行為であることを十分に考慮しても、なお被告を死刑とするについては強い逡巡、躊躇を禁じえない」と述べた。
上告せず確定。
M・S(40)  無職M被告は1986年7月6日午後8時頃、大阪市の路上で無職男性(52)と口論になり、胸をナイフで刺して殺害した。さらに7月14日午前3時半頃、空き巣特別警戒のため私服でパトロール中だった生田署の巡査2人に職務質問され、殺人事件が発覚したと思い巡査(当時26)をナイフで殺害、もう1人の巡査(21)に重傷を負わせた。他に6月13日午後11時頃、大阪市のホテルに知り合ったばかり女性(52)を連れ込み、「やきを入れたる」などと脅して、顔を殴り、全治17日のけがをさせた。 公務執行妨害、殺人、殺人未遂、傷害 1988年2月2日
神戸地裁
近藤道夫裁判長
無期懲役
 検察側は「常にナイフを所持し、法と秩序を守る警察官を殺傷するなど反社会的で、性格の矯正は不可能」と死刑を求刑。これに対し弁護側は「いずれの事件もその場から逃げようとナイフを使った偶発的な犯行。殺意があったものではない」と主張していた。
 裁判長は「身体の枢要部を鋭い刃物で刺した冷酷、残忍な犯行で責任は重大。とりわけ、警察官に対する事件は近隣住民ら世間に大きな衝撃を与えた」とし、「高度な殺傷力のあるナイフで正面至近距離から刃体の長さを超える深さまで刺した行為そのものには、確定的殺意を認めるのが相当。動機、原因には酌量の余地がない」と判断。また、M被告本人については、「長い間刑務所などで過ごしたものの、反社会的性格は著しく、ナイフを収集するなど再犯の可能性もあり、死刑に値するとしても過言でない」と言及しながら、今回の事件は「狼狽から前後の見境なく起こした偶発的なところがあり、犯行後に自首を思い悩んで警察に電話。さらに公判では責任の重大さを比較して贖罪寄付もし、生涯を通じてつぐなう約束をしている」と、減軽理由を説明した。

1989年9月14日
大阪高裁
石松竹雄裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「冷酷、凶暴な犯行だが、偶発的で発生している」と述べた。
上告せず確定。
S・M(45)  無職S被告は1986年12月1日夕方、山梨県東八代郡のJR駅で、知人である台湾コンパニオン女性(30)から預かったハンドバッグを持ち逃げしたが、女性に会いたくて12月8日午前3時40分ごろ、台湾コンパニオン(ジャパゆきさん)の宿舎であるアパート二階にある女性の部屋に侵入した。しかし女性は不在で、居合わせた他の女性4人が雇い主であるコンパニオン派遣業男性(39)にポケットベルで連絡。S被告は駆けつけた男性に刺し身包丁で切りつけ手や腹に2週間のけがを負わせた。さらに逃げるため、アパート一階にガソリンをまいて放火。二階にいた台湾女性2人(ともに28)が一酸化炭素中毒で死亡、他の女性2人が窓から飛び降りて逃げる際、頭や腰などに重傷を負った。 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火罪、傷害、窃盗、住居侵入 1988年2月9日
甲府地裁
古口満裁判長
無期懲役
 S被告は殺意を否認。裁判長は検察側の主張通り未必の故意は認めながらも「積極的な殺意は認められない。計画的な犯行とは認められず、確定的な故意ではない。確定的な故意と未必の故意は異なり、量刑上大きな意味を持つ」と述べた。  1964年、交際相手の夫に対する殺人未遂罪で同年6月、東京地裁で懲役3年判決。1967年6月24日には静岡県熱海市の旅館で同宿したホステスとの愛情のもつれから女性を絞殺。同年9月8日静岡地裁沼津支部で懲役12年判決(求刑同13年)。さらに80年には交際相手宅のアパートに放火。同年9月、現住建造物等放火罪で東京地裁から懲役6年を言い渡されて服役した。86年7月27日に満期出所していた。コンパニオン派遣業の男性は売春防止法違反で事件後に逮捕されている。
1988年11月28日
東京高裁
船田三雄裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「女性が逃げ遅れて死亡することがあり得ると考えて放火した」と一審判決通り、未必の故意による殺意を認めて弁護側の主張を退けた。また「結果の重大さや犯行の悪質さは主張の通りだが、動機はその場にいなかった台湾人女性への異常な執着心にあり、殺人を計画的に実行したとは言い難い」などと判断。「確定的故意とは差があるとした一審判決は正当」として検察側主張を退けた。
上告せず確定。
I・R(31)  建設会社役員I被告は1986年11月3日夜、ビル二階の自宅で妻(27)と、長女(2)の教育問題などで口論。妻から他の男の子供だと言われてカッとし、妻の首を両手とコードで絞めて殺した。さらに寝ていた長女の顔をのぞき込んでいるうち「オレの子じゃない。だまされた」と、長女も絞殺した。翌4日夜、同ビル一階に住む父親(69)に犯行を打ち明けたところ、父から「おまえなんか、もともとオレの子じゃない。どうなろうと知ったことではない」とののしられたため、果物ナイフで刺したうえ腰ひもで絞殺。父の内妻(65)も絞め殺した。I被告は犯行を隠すため同月8日未明、4人の遺体を並べたビル一階の寝室に灯油をまいて放火した。 殺人、非現住建造物放火、死体損壊 1988年3月18日
東京地裁
島田仁郎裁判長
無期懲役
 量刑の理由について裁判長は1)妻と父観の不用意で冷たい一言が引き金となり憤激、憎悪のあまりの犯行で同情の余地もある2)衝動的かつ偶発的犯行で計画性は全くなく、今後再犯のおそれはない3)十分反省しており、被害者側と示談が成立している4)親族も一様に寛大な判決を求めている−−と指摘した。
 「犯行当時精神分裂病で、心神喪失状態だった」として無罪を求めた弁護側の主張については「精神分裂病だったという証拠はなく、刑事責任能力が減免される理由はない」と退けた。

1990年12月19日
東京高裁
石田穣一裁判長
検察・被告側控訴棄却
 判決理由は不明。
上告せず確定。
池本登(55)  竹材業池本被告は1985年6月3日、日頃からトラブルのあった隣人で親類の男性(46)とその妻(54)が、池本被告の自宅裏山にあるユズ畑に勝手にごみを捨てたと思い込み、問いただしたが怒鳴り返されたことに立腹。自宅から狩猟用散弾銃を持ち出して男性方に押し入り、男性の胸などに4発、妻の頭などに2発を発射、いずれも即死させた。さらに以前から恨みを持っていた近所の男性(71)が近くの路上で通りかかったのを見付け射殺、その流れ弾で、近くで農作業をしていた主婦に1週間の怪我を負わせた。 殺人、殺人未遂 1988年3月22日
徳島地裁
山田真也裁判長
無期懲役
 弁護側は一貫して、池本被告が犯行時心神耗弱の状態だったなどと主張した。裁判長は被告の刑事責任の重大さを指摘しながらも「犯行は一回限りの感情の爆発であり、刑を減じる余地がある」として、無期懲役を言い渡した。  2007年12月7日執行、74歳没。
1989年11月28日
高松高裁
村田晃裁判長
一審破棄・死刑
 弁護側は一審同様、心神耗弱の状態であると主張した。裁判長は「被告は過去にも粗暴な行動を繰り返している。年齢的な面からみても更生は困難。一審判決は軽すぎて不当。犯情は極めて悪質で、諸般の情状を検討しても極刑をもって臨むほかない」として、一審判決を破棄し死刑を言い渡した。
1996年3月4日
最高裁第二小法廷
河合伸一裁判長
被告側上告棄却
 裁判長は「犯行の動機や結果に照らすと被告人の罪責は重大で、死刑はやむを得ない」と述べた。
H・M(40)  沖縄県石垣市の養豚場作業員H被告は1986年12月14日午後6時ごろ、自宅近くの公民館で遊んでいた小学二年生の女児(8)を誘拐、農道に連れ込んでいたずらしようとした。しかし「おじちゃんの顔は覚えているから、言い付けてやる」と言われ、首を絞めたうえ、石を頭に数回投げつけて殺害、翌日、死体を農道わきの草やぶに隠した。 殺人、わいせつ誘拐、死体遺棄、強姦未遂 1988年3月23日
那覇地裁石垣支部
姉川博之裁判長
死刑
 裁判長は「少女に対する3件(5人)目の、しかも残虐非道な犯行で、再犯の恐れもあり、情状酌量の余地は全くない。極刑が相当」と求刑通り死刑を言い渡した。
1990年2月1日
福岡高裁那覇支部
西川賢二裁判長
無期懲役
 裁判長は心神耗弱、違憲という弁護側主張を退けた。しかし量刑について、「被告人の性格が冷酷残忍で矯正が全く不可能であるとも言い難い。死刑は真にやむを得ない場合に適用すべきであり、同種事件の判例に比べ重すぎる」などとして、弁護側主張の一部を認め、無期懲役が相当とした。
上告せず確定。
Y・K(39)  福山市の無職Y・K被告は愛人に与える金を手に入れようと1985年12月27日、自宅近くに住む農業の男性(74)方を訪れ、「銀行に電話してくれ」と脅した。しかし、断られたうえ、男性がY被告を追い払おうとして振ったカマの先がY被告の右腕に当たったことに腹を立て、持っていた包丁で男性の顔や腹を刺して殺害。さらに同居していて犯行を目撃した男性の義姉(74)も首を刺して殺害した。
 この後、Y被告は男性になりすまして広島銀行支店に「4000万円ある。2800万円預金する。1200万円を新札に替えたいので持ってきてくれ」と電話。男性方の裏山に隠れて待ち伏せし、銀行員を殺して金を奪おうとしたが、行員が2人で来たため断念した。
殺人、強盗予備、殺人予備 1988年3月30日
広島地裁福山支部
田川雄三裁判長
無期懲役
 裁判長は「自己の性的欲望を満たすため金を手に入れようとした犯行で、同様の余地はない。手口は執拗、残虐で、社会に与えた衝撃と不安は大きい」と厳しく断じたが、「事件には偶発的要因がある。一生かけて罪の重さを認識させ、生ある限り被害者の冥福を祈らせることが妥当」と無期懲役の理由を述べた。  
1989年12月12日
広島高裁
村上保之助裁判長
検察側控訴棄却
 検察側は量刑不当を理由に控訴。被告側は控訴後に取り下げている。
 裁判長は「犯行には偶発的要素もあった」とした一審を支持した。
上告せず確定。
K・T(43)  新潟市のスナック経営者K被告は、付き合っていた女性(39)から別れ話をもちかけられ逆上。1987年1月4日未明、新潟市内にある女性の実弟宅へ押し入り、女性と母親(71)を柳刃包丁で刺殺したうえ、女性の子ども二人(13、14)と実弟(34)にも重傷を負わせた。 殺人、殺人未遂 1988年3月30日
新潟地裁
堀内信明裁判長
死刑
 裁判長は「被告は財産目当てに被害者らに近付き、愛想を尽かされて犯行に及ぶなど被告の自己中心的で凶暴な性格が原因」と5人全員に対するK被告の殺意を認めた。
1991年10月22日
東京高裁
近藤和義裁判長
無期懲役
 判決は「財産目当ての犯行ではなく、恋慕の情ゆえの犯行。一家5人への殺意は認められるが、皆殺しの計画的な犯行とは差異がある。遺書めいた手記を残し、被告に自殺の意思がなかったとはいえず、死刑にするには躊躇せざるを得ない」と理由を述べた。
1993年3月30日
最高裁第三小法廷
園部逸夫裁判長
被告側上告棄却
 量刑不当を理由に上告していた。
K・O(54)  無職K被告は1985年8月3日午前10時頃、当時住んでいた大阪市西区のマンションで、妻(当時39)と口論し、首を絞めて殺して旅行かばんに詰め、翌朝、奈良県吉野郡の山中に捨てた。また1987年6月1日、金に困って強盗殺人を計画。大阪市中央区のスナック店内で、知り合いだった経営者の女性(当時65)を金づちで殴って殺し、現金88万円などを奪った。 強盗殺人、殺人、死体遺棄他 1988年5月31日
大阪地裁
内匠和彦裁判長
無期懲役
 裁判長は「極刑にも値するが、逮捕後は自らすすんで犯行を供述するなど深く悔い改めており、その人格の改善を思えば死刑の言い渡しは躊躇を感じる」と述べた。
1989年9月29日
大阪高裁
重富純和裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「冷酷、残虐な犯行で結果は重大だが、死刑は究極の刑で慎重に行うべきだ」と一審判決を支持した。
上告せず確定。
S・S(38)  栃木県鹿沼市の理容業S被告は1983年8月13日昼、自宅玄関でドライヤーの分解修理中、遊びにきた隣の幼稚園男児(6)が部品を踏んだのに腹を立て、電気コードで首を絞めて殺害、死体を山林に捨てるなどして犯行を隠した。さらに1986年11月25日朝、近所に住む高校一年生の女性(16)を自宅の理容店内に誘い込み、いたずらをしようとしたが相手にされなかったため、ひもで絞め殺したうえ、死体を市内の山林に捨てた。 殺人、死体遺棄 1988年11月29日
宇都宮地裁
上田誠治裁判長
死刑
 裁判長は「なんの罪もない二人を殺害した責任は重大で、情状酌量の余地はなく、極刑が相当」として、求刑通り死刑を言い渡した。  男児の死体遺棄は時効が成立している。
1990年3月13日
東京高裁
柳瀬隆次裁判長
無期懲役
 裁判長は女子高生殺害について犯行に使われたひもが短いことなどから、「殺害のため前夜から用意していた、との一審認定は事実誤認」として計画性を否定。そのうえで、両犯行とも偶発的だった、精神鑑定などからみて、矯正の余地が残されているなどの情状を考慮、「残忍、非情な犯行で若い命を二度も奪った責任は極めて重大だが、死刑は究極の刑罰であり、適用は慎重に行われなければならない。死刑の選択が、真にやむをえない場合と断定することにはためらいが残る」と結論づけた。
上告せず確定。
M・M(45)  熊本県宇土市の会社員M被告は1987年12月25日、金を奪うため、仕事で行ったことのある上益城郡の会社員の男性宅へ侵入したが、男性の娘で顔見知りである女子高生(16)に見つかり、おとなしくさせようとするものの、暴行しようと考え、縛り上げて車に運び、車内で二度乱暴しようとしたが、激しく抵抗されたため首に腕を回し、口と鼻を塞いでいるうちに窒息死させた。遺体は自分の車に積んで自宅に帰ったが処理に困り、27日に牛深市の漁港でビニールシートに包み、重しのコンクリートブロック三個を付けて海中に遺棄した。 強盗強姦致死、死体遺棄 1988年12月22日
熊本地裁
松信尚章裁判長
無期懲役
 裁判長は「執拗に暴行脅迫を加えたうえ、あたかも廃棄物を捨てるように厳冬の海に遺体を捨てた行為は残酷、非情」と厳しく指弾。「恐怖感、無力感のなかで命を奪われた被害者の姿は哀れというほかない」と述べた。さらに量刑について「本件と類似の犯罪で服役、出所してから2年足らずの犯行で、被告の犯罪性向には凶悪なものがあるが、乱暴は計画的ではなく、明確な殺意もなかった。強盗、乱暴とも未遂に終わっている」と認定したうえで、「死刑は究極の刑罰で、その運用は慎重であるべきだ。他の死刑事件の実情も考慮すると、命あるかぎり被害者のめい福を祈らせ、贖罪にあたらせるべきだと判断した」とした。  M被告は10年前に強姦他で逮捕され9年服役、1年前に出所していた。
控訴せず確定。


N・A(40)  無職N被告は1988年6月10日、福岡県久留米市の自宅で母親(59)に借金返済のために金を無心したが、断られ、首を絞めて殺害。直後に帰宅した父親(67)も絞殺して、自宅にあった現金25000円と預金通帳などを奪った。N被告は競艇や競馬でサラ金などに借金をつくり、両親は田畑を売却するなどして金を工面、返済を肩代わりしていた。 強盗殺人、殺人 1989年3月30日
福岡地裁
小出ロ一裁判長
無期懲役
 裁判長は「犯行は許しがたいが、反省が見られる」と述べた。
1990年9月5日
福岡高裁
丸山明裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は「被告人の犯罪的性格は固定化したものとは言えず、逮捕後は深く反省している。無期懲役として被告人を反省させ償わせるのが相当である」と述べた。
上告せず確定。
K・S(20)  名古屋市のとび職K被告(事件当時19)ら6人は共謀のうえアベックを襲って金を奪うことを計画。1988年2月23日午前4時半ごろ、名古屋市緑区の公園駐車場で、乗用車内にいた愛知県大府市の理容師男性(19)と同県知多郡の理容師見習い女性(20)を鉄パイプや木刀で襲い暴行を加え、現金約20000円余を奪った。さらに二人を自分たちの車に乗せて連れ回し、犯行を隠すため、翌24日未明、同県愛知郡の墓地で男性を絞殺。25日には三重県阿山郡の山林で女性も同様に殺害し、二人の遺体を埋めた。また六人は、男性らを襲う直前にも名古屋港金城ふ頭で二組のアベックを襲い、一組から現金約86000円を奪った。 強盗致傷、殺人、死体遺棄、強盗未遂、強盗強姦 1989年6月28日
名古屋地裁
小島裕史裁判長
死刑
 裁判長は「何ら落ち度がなく無抵抗の被害者二人を殺害した犯行は執よう、冷酷。被告は犯行時19歳6か月の年長少年で、殺人、死体遺棄の共謀でも率先して方法を提案し、積極的に実行行為をするなど犯行の首謀者的地位にあり、その刑責は誠に重大」と断罪した。  事件当時19歳6か月。事件当時少年への死刑判決は1979年の永山則夫死刑囚以来。K被告とともに殺害の実行犯であるとび職男性(一審判決時18、以下同)は死刑相当としながらも事件当時17歳であったため、犯行時18歳未満の死刑を禁じた少年法の規定により、一審無期懲役(求刑同)が言い渡され、そのまま確定。とび職男性(18)は無期懲役(求刑同)、無職男性(20)は懲役13年(求刑懲役15年)、無職女性2人(いずれも18)は少年法に基づき懲役5年以上10年以下の不定期刑(求刑同)が一審で確定。共犯で唯一成人であった暴力団員男性(一審判決時21)は一審懲役17年判決(求刑無期懲役)が言い渡されたが、控訴審では男性の殺害については無罪であると懲役13年判決が言い渡されて確定した。
1996年12月16日
名古屋高裁
松本光雄裁判長
無期懲役
 裁判長は、生活歴や前歴を検討すると「矯正可能性が残されており、長期にわたり罪の償いを続けさせる余地がある」と減軽の理由を述べた。一連の事件についても「精神的に未熟な青少年による場当たり的な集団犯罪で、綿密な計画の下に実行したものではない」と結論づけた。また、計画的犯行か、精神的に追い込まれての犯行か、事件を性格づけるうえで重要なポイントとなるグループ内で殺害の合意が成立した段階を「男性殺害の直前」とした。
上告せず確定。
T・S(40)  T被告はタイル工などをして各地を転々とするうち、新潟県岩船郡に住む父親方に再三身を寄せるようになった。しかし、家族全員から邪魔者扱いされたと恨みを抱き、1987年8月28日朝、父(74)を丸太などで殴り倒した上、草刈りがまで切り付けるなどして殺害。母親(74)もなたや同じ草刈りがまで殺し、さらに二階で寝ていためい二人を金づちで殴るなどして頭がい骨骨折などの重傷を負わせた。 殺人、殺人未遂 1989年7月31日
新潟地裁
森真樹裁判長
無期懲役
 裁判長は「一家皆殺しを図った犯行は凶暴で、動機にも酌量すべき点はないが、犯行は偶発的だった」と述べた。また、心神耗弱状態だったとする弁護側の主張に対して裁判長は「一連の行動は合目的で犯行当時の記憶の欠落もない」と被告の責任能力を認めた。
1991年10月29日
東京高裁
竪山真一裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「被告をうとんじ、追い出そうとした一家に対する憤激から出た偶発的な犯行」と述べた。
1993年11月2日
最高裁第三小法廷
園部逸夫裁判長
被告側上告棄却

S・T(42)  北九州市の暴力団組長S被告は、配下の暴力団組長K被告(一審懲役20年が確定)と共謀。妻(当時27)に約2億円の保険金を掛けた上、知人の会社員(当時26)を運転手として誘い込み、保険金殺人を計画。1979年11月15日夜、組長は妻を会社員が運転する車で送り出した。運転手は町道から約8m下の力丸ダムにわざと転落し、二人とも水死。S被告は保険金1億4800万円を受け取った。運転手は、2人から3000万円もらう約束で車をダムに転落させたが、脱出に失敗したとされた。運転者は被疑者死亡で不起訴になった。 殺人、詐欺他 1990年4月27日
福岡地裁飯塚支部
川崎貞夫裁判長
無期懲役
 裁判長は「妻の生命と引き換えに多額の保険金を狙った残虐な犯行」として、無期懲役を言い渡した。しかし、死刑は真にやむを得ない場合にのみ適用すべきとした。  S被告は一貫して容疑を否認。物証に乏しく、K組長の供述が最大の焦点となった。殺人未遂前科(懲役6年)あり。
1993年10月21日
福岡高裁
金沢英一裁判長
検察・被告側控訴棄却
 被告側は一審に続き「共謀を認めた共犯者の自白調書、証言は信用性がない」と無罪を主張したが、「信用性がある」と高裁は判断した。検察側の控訴については「無期懲役が不当に軽すぎるとまではいい難い」と退けた。
1993年12月24日
被告側上告取り下げ、確定
 被告は「こちらの言い分に耳を傾けてくれない現行の刑事裁判に幻滅した。このまま、争い続けてもどこまで主張が通るか分からない。体力がまだあり、社会復帰の可能性のある今のうちに服役する」と語った。
F・H(42)  タクシー運転手F被告は、妻がサラ金に手を出して家庭が崩壊したのは、かつて些細な理由で解雇最古させられた松山市のタクシー会社社長のせいだと思い込んだ。1988年10月8日、松山市内の火薬会社の倉庫からダイナマイト150本と雷管200個を盗み、ダイナマイト4本と雷管を仕掛けた紙箱を作成。贈り物に見せかけて、社長の家のガレージに置いた。同夜帰宅した社長は家に持ち帰り、下宿していためいの大学生(当時19)が開けようと紐を引っ張った瞬間に爆発。めいは出血多量で死亡、社長やめいの家族他4名が失明などの重傷を負った。 殺人、殺人未遂、爆発物取締罰則違反 1990年11月8日
松山地裁
金子与裁判長
死刑
 裁判長は「爆弾の威力が相当強力なものであることを認識していた」としたうえで、「自分の恨みを晴らすための冷静で計画的な犯行。社会に与えた影響も大きい」と述べた。死刑の適用については「被告人に反省の情がみられるものの、犯行の態様や被害者感情などに照らし、究極の措置を選ばざるを得ない」とした。  この事件では、社長から「借金を返済できなければ経営権を譲れ」と迫られていた別のタクシー会社の元社長が、1988年12月に別件の詐欺未遂容疑などで逮捕。松山地検は処分保留のまま釈放、その後、1989年3月にF被告が逮捕された。
1993年7月22日
高松高裁
村田晃裁判長
一審破棄・無期懲役
 裁判長は「犯行は誠に悪質で、結果も重大かつ悲惨だが、死刑は人間の存在を永遠に葬り去る冷厳な極刑であり、適用には慎重を期さなければならない」として、一審の死刑判決を破棄し、改めて無期懲役を言い渡した。
上告せず確定。
K・H(43)  K被告は、職を転々とするK被告のための生活苦や、K被告からの暴力に耐えかねた妻(当時37)との間で離婚話が出たため1989年8月9日午前5時ごろ、マキリと呼ばれる漁業用刃物で就寝中の妻のほか、長女(当時14)、長男(同13)、二男(同10)、三男(同6)の首を切るなどして失血死させた。 殺人 1990年11月16日
盛岡地裁
守屋勝彦裁判長
無期懲役
 心神耗弱状態だったとする弁護側の主張を退けたうえで、「自ら真剣に自殺を考えた無理心中」と判断。  
1992年6月4日
仙台高裁
渡辺達夫裁判長
一審破棄・死刑
(検察・被告ともに控訴)
 裁判長は「被告は漠然と自分も死んだ方がよいなどと考えただけで、無理心中事件ではなく、身勝手で自己中心的性格に起因する事件」と述べた。自己を正当化するなど、悔悟の念がないことなども理由として挙げられた。
1992年10月16日、上告中にくも膜下出血に伴う脳こうそくで死亡。45歳没。11月13日、最高裁第三小法廷で公訴棄却決定。


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