求刑死刑判決無期懲役【1991年〜1995年】






事件概要
罪 状
判 決
判決理由
備  考
H・T(40)  大阪府豊中市職員H被告は1987年5月11日に、西宮市のピクニックセンターで知り合った西宮市在住の主婦(当時56)と山菜採りの最中、乱暴しようとして抵抗されたため、後ろから主婦の頭部を丸太で殴り、殺した。
 さらに1989年3月19日、H被告は同センターで、級友らと遊びに来ていた西宮市に住む少女(当時11)を乱暴しようとした。しかし少女が逃げようとしたので、犯行が露見するのを防ぐため、頭を地面に打ち付けて殺した。
殺人他 1991年11月11日
神戸地裁尼崎支部
佐々木條吉裁判長
無期懲役
 裁判長は「家庭、職場内のあつれきで精神状態が不安定だった。犯行当時酒を飲んでおり、心神耗弱の状態が認められるので無期懲役にした」と述べた。
1995年12月8日
大阪高裁
角谷三千夫裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は、精神鑑定の結果などから、被告は「精神遅滞」であると判断。「いずれの犯行時も飲酒酩酊し、家庭内や職場での人間関係のあつれきで精神的に不安定だった」として心神耗弱状態だったと認めた。
1996年5月15日
被告側上告取り下げ、確定

I・K(45)  高松市今里町町議I被告は、1990年9月初めごろから元不動産業者ら5人と共謀。今里町の無職男性(当時46)を殺害して土地権利書、印鑑を奪う計画を立てた。10月9日未明、男性方で右翼団体の男性ら3人に男性の殺害を依頼。遺体を香川県大川郡のダムに捨てさせた。さらに男性の所有地を3億5000万円で売却した。 強盗殺人、死体遺棄他 1991年12月11日
高松地裁
野口頼夫裁判長
無期懲役
 裁判長は「首謀者として果たした役割は重大だが、今後、更正も期待できる」と述べた。  1人は1992年4月に、無期懲役判決(求刑死刑)。他の4人は懲役15〜10年の判決。
1993年11月4日
高松高裁
村田晃裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「原判決に事実誤認はない。自己中心的で果たした役割は大きいが、反省の情も示している」などとして双方控訴棄却。
上告せず確定。
F・G(42)  無職F被告は愛人である高松市の主婦K被告、無職男性S被告と共謀。K被告の夫である会社員(当時36)を殺害して保険金6000万円を取ることを計画。1988年5月27日、F被告、S被告が大阪から出張帰りの男性を高松空港で待ち伏せ、乗用車に乗せ、F被告が短銃で男性を射殺、山中に死体を捨てた。その際、現金3万円とキャッシュカードを奪った。F被告らは生命保険会社に保険金支払いを請求したが、払われなかった。 強盗殺人他 1991年12月25日
高松地裁
野口頼夫裁判長
無期懲役
 裁判長は判決理由で「三被告ともに身勝手で、極めて悪質な犯行で酌量の余地はない。F被告は最も積極的な役割を果たしたが矯正の可能性がある」と述べた。 K被告は求刑無期懲役に対し、懲役15年が二審で確定。S被告は懲役12年が一審で確定。Sは京都地裁で2013年1月18日、麻薬特例法違反の罪でで懲役14年、罰金400万円、追徴金135万円の判決を言い渡されている。
1994年5月19日
高松高裁
米田俊昭裁判長検察
被告側控訴棄却
 量刑不当を訴えた検察・被告側控訴を棄却した。
上告せず確定。
S・U(60)  滋賀県草津市の溶接工S被告は、韓国の貿易商に売った中古漁船をめぐって中古車ブローカー二人(懲役刑が確定)と共謀し、東京都大田区の貿易会社社長の男性(当時63)から金を脅し取ることを計画。1979年4月、男性を千葉県成田市内の山林に連れ出して絞殺、首を切断して埋めた。1ヶ月後には犯行発覚を恐れ死体を掘り出し、頭部を切断後消却。スコップで細かく砕いた後、海へ登記した。
 S被告はそのまま海外へ逃亡。警察庁は国際特別指名手配をした。しかしS被告は1983年にこっそり帰国した。
 1987年7月、横浜市港北区の住友不動産社長宅に自動発火装置付きの花火入り小包を郵送して脅迫。1989年5月には「平成神風連盟」を名乗って兵庫県西宮市内の太陽神戸銀行頭取宅と東京都中野区内の安田信託銀行社長宅に、青酸カリや雷管の構造図面、タングステン線などを同封した脅迫文を送るなどした。
 1989年8月には、「タイで日本企業を脅迫しよう」と大阪市の暴力団組員(当時53)をバンコク市に誘ったが、なじられたことに腹を立て、別の男(懲役刑が確定)と共謀、同市内の借家で、ナイフで刺殺した。
 
殺人、脅迫、爆発物取締法違反など十の罪 1992年3月17日
福井地裁
西村尤克裁判長
無期懲役
 判決の中で裁判長は「二件の殺人のいずれにも主体的役割を果たしたが、共犯者の積極的な関与があってこそ実行が容易となった」「犯行は極めて悪質、残虐だが、改しゅんの情が認められ、被告人の年齢などを勘案すれば極刑をもって臨むべきではない」と述べた。  S被告は、社長殺害に関して「主犯は中古車ブローカーで、自分は直接殺害には加わっていない」とし、組員殺害についても「けんかになって、決闘の揚げ句に殺してしまった」と主張、起訴事実の一部を否認していた。
 またS被告はグリコ・森永事件に関与していると自供。犯人しか知り得ない内容もあったことから、捜査当局による取り調べも受けたが、結局アリバイがあったことと、後に自供を翻したことから関与の可能性が低いという結論に達している。
1996年9月24日
名古屋高裁金沢支部
小島裕史裁判長(高木実裁判長代読)
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「一審判決に事実誤認はなく、無期懲役が相当」として、無期懲役を言い渡した一審判決を支持した。
1999年3月24日
最高裁第一小法廷
井嶋一友裁判長
被告側上告棄却、確定
 被告側は「社長殺しの実行行為に加担しておらず、元組員殺しは偶発的犯行。重大な事実誤認があり、量刑も重過ぎる」と上告していた。
K・M(42)  千葉県の暴力団幹部K被告は1990年9月22日午前4時ごろ、茨城県鹿島郡で営業中のゲーム喫茶に入店。約17万円負けた後、ソファに横になっていた従業員(当時37)の側頭部を、持っていた拳銃で撃ち殺害。さらに、従業員(当時44)の後頭部を撃って殺害し、店の現金約70万円入りの財布を奪った。 殺人、窃盗他 1992年3月18日
水戸地裁
鈴木秀夫裁判長
無期懲役
 検察側は「計画的な強盗殺人」、被告側は「誤射」と主張。裁判長は「短絡的、自己中心的で冷酷な犯行だが、計画的な強盗殺人とみるには疑問がある」とした。  検察側は強盗殺人罪で起訴していた。殺人未遂幇助前科(懲役4年6月)あり。
1993年1月26日
東京高裁
近藤和義裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「計画的犯行を裏づける証拠も、誤射を裏づける証拠もない」として一審判決を支持した。
上告せず確定。
K・K(45)  高松市の不動産業者K被告は、1990年9月初めごろから高松市今里町町議I被告ら5人と共謀。今里町の無職男性(当時46)を殺害して土地権利書、印鑑を奪う計画を立てた。10月9日未明、男性方で右翼団体の男性ら3人に男性を殺害させ、遺体を香川県大川郡のダムに捨てさせた。さらに男性の所有地を3億5000万円で売却した。 強盗殺人、死体遺棄他 1992年9月4日
高松地裁
野口頼夫裁判長
無期懲役
 求刑より罪一等を減じた理由は不明。  I被告は1991年12月に無期懲役判決(求刑死刑)。他の4人は懲役15〜10年の判決。
1993年11月9日
高松高裁
村田晃裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「地価高騰を背景に巨額の不法利益を得ようとした自己中心的で凶悪。犯行に積極的にかかわるなど、果たした役割は大きいが、被害弁済するなど深く反省している」などとして双方控訴棄却。
1995年9月12日
最高裁第三小法廷
被告側上告棄却、確定

K・M(54)  K被告は1978年7月、広島市西区の男性(当時41)方で、金銭トラブルから男性を鈍器で殴るなどして殺害。1983年1月には京都市東山区の神社で参拝客の北海道旭川市の男性(当時65)を石で殴り殺害、現金を奪うなどしたとして起訴、死刑を求刑された。
 K被告側は公判で、京都事件の起訴事実を認めたが、広島事件は全面否認した。
強盗殺人他 1992年9月18日
広島地裁
藤戸憲二裁判長
懲役18年
 裁判長は広島事件について「事件直前に被告と被害者が争うのを見たとする証言は信用できない」と指摘し「犯罪の証明がない」と判断して無罪を言い渡した。
1998年1月13日
広島高裁
荒木恒平裁判長
検察・被告側控訴棄却
 被告側は、京都事件について「当時は心神喪失または心神耗弱状態で、判決は量刑不当」と控訴した。検察側は無罪判決を不服として控訴した。
 判決は、広島事件における目撃証言は疑問とした上で「証拠から殺害現場を断定し被告人を犯人と認定するには合理的疑いを払しょくできない」とした。
上告せず確定。
嶋崎末男(47)  熊本県菊池市の暴力団組長であった嶋崎末男被告(43)は、I組員(当時44)への融資の担保として、I組員の生命保険金総額1億円の受取人になっていた自動車修理販売業社長T被告(42)らと共謀。組員T・T被告(42)と組員K被告(29)に命じて、1988年3月13日、I組員を大分県日田郡のがけから突き落として殺害した。
 さらに、犯行を知った同組関係者から殺人がばれるのを恐れ、T被告らに指示して同月25日、S相談役(当時53)を熊本県阿蘇町で絞殺して宮崎県えびの市の山中に埋め、同年5月17日には、熊本県菊鹿町でT組員(当時59)の首を絞めて殺し埋めた。他に別の強盗事件や恐喝、逮捕監禁、窃盗など。
殺人、詐欺、死体遺棄、強盗致傷、恐喝、逮捕監禁、窃盗他計13 1992年11月30日
熊本地裁
赤塚健裁判長
無期懲役
 暴力団内部の事件であるとして量刑に特別に配慮された。  嶋崎被告は「殺害を指示していない。実行したのは元組員らの判断による」などと主張。
2004年9月14日執行。59歳没。
1995年3月16日
福岡高裁
池田憲義裁判長
一審破棄・死刑
 裁判長は「暴力団内部の事件であることなどを理由に極刑を避けたのは不当」と一審判決を破棄した。
1999年3月9日
最高裁第三小法廷
千種秀夫裁判長
被告側上告棄却、確定

T・T(45)  熊本県菊池市の暴力団組長であった嶋崎末男被告(43)は、I組員(当時44)への融資の担保として、I組員の生命保険金総額1億円の受取人になっていた自動車修理販売業社長T被告(42)らと共謀。組員T・T被告(42)と組員K被告(29)に命じて、1988年3月13日、I組員を大分県日田郡のがけから突き落として殺害した。
 さらに、犯行を知った同組関係者から殺人がばれるのを恐れ、T被告らに指示して同月25日、S相談役(当時53)を熊本県阿蘇町で絞殺して宮崎県えびの市の山中に埋め、同年5月17日には、熊本県菊鹿町でT組員(当時59)の首を絞めて殺し埋めた。他に別の強盗事件や恐喝、逮捕監禁、窃盗など。
殺人、詐欺、死体遺棄、強盗致傷、恐喝、逮捕監禁、窃盗他計13 1992年11月30日
熊本地裁
赤塚健裁判長
無期懲役
 暴力団内部の事件であるとして量刑に特別に配慮された。  
1995年3月16日
福岡高裁
池田憲義裁判長
検察側控訴棄却
 判決理由は不明。
上告せず確定。
S・S(64)  人気スポーツライターだったS被告は、睡眠薬の乱用や暴力事件を繰り返したことから都内の病院で精神病質と診断され、1964年に東京都小平市の精神科医の執刀で、被告の承諾なしに脳の前頭部を薄くはぎ取る脳外科手術(ロボトミー)を受けた。しかし想像力、直感力が失われ、仕事もうまくいかなくなって絶望。医師を恨んで自殺の道連れにしようと、1979年9月26日、医師宅に押し入った。しかし、医師が不在だったため、医師の妻(当時44)と義母(同70)を切り出しナイフで刺して殺害。現金約45万円と預金通帳を奪った。 強盗殺人、殺人予備、住居侵入、銃刀法違反 1993年7月7日
東京地裁八王子支部
池田真一裁判長
無期懲役
 手術の価値について疑問を示し「死刑にはためらいを感じる」とした。また、被告が高齢であることを考慮。  被告の責任能力をめぐり、二度の精神鑑定が行われるなど、起訴から一審判決まで13年8カ月を経過した長期裁判。
1995年9月11日
東京高裁
小泉祐康裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「被告は心神耗弱の状態にはなく、矯正困難な状況だが、犯行はとっさに起こしたものだった」などと認定したうえで、「被告が手術の結果や医師に対して割り切れない気持ちを募らせたことにはそれなりに理解できる面もある」「死刑をもって臨むには逡巡を禁じ得ない」として、無期懲役の一審判決を支持し、控訴を棄却した。
1996年11月15日
最高裁第一小法廷
藤井正雄裁判長
被告側上告棄却、確定
 上告の理由がないとして無期懲役の二審判決を支持、被告側の上告を棄却する決定をした。
M・K(22)  無職M被告は1992年3月29日未明、埼玉県行田市に住むスナック経営の女性(当時60)の店舗兼住宅に忍びこみ、寝ていた同居の暴力団組長(当時68)と女性を台所にあった包丁でめった刺しにして殺害。現金約350万円や通帳などを奪った。M被告は遊ぶ金ほしさに、以前宿泊したことのある組長宅に忍び込んだものだった。 強盗殺人他 1994年3月1日
浦和地裁熊谷支部
人見泰碵裁判長
無期懲役
 裁判長は「生活費に困り金を奪うのを確実にするために殺そうとしたのは、あまりにも身勝手」「(被害者が親切を施していたのに)遺族に何ら慰謝しておらず、遺族らが極刑を望むのも無理からぬ」などと述べたが、「被告の育ちが不遇だった」ことや、犯行時に20歳7カ月だったことなどを挙げ、「更生の可能性が全くなく極刑しかないとするのは躊躇を感じる」と理由を述べた。  M被告は長野県飯田市内で乗用車を盗んだ罪で1992年8月、飯田簡裁で懲役10月の実刑判決を受け、逮捕時は松本少年刑務所に服役中だった。
1995年4月28日
東京高裁
佐藤文哉裁判長
検察・被告側控訴棄却
 検察・弁護側双方が量刑不当で控訴。裁判長は、「犯行は身勝手、残虐だが、犯行時は20歳と若く更生の可能性が全くないとは言えない」として双方の控訴を棄却した。
上告せず確定。
T・Y(28)/S・T(21)  恋人同士だった無職T被告とS被告は、T被告が以前入居していたアパート経営者で豊島区に住む会社員の女性(当時50)と長女(当時24)を殺して金を奪おうと計画。1992年12月15日、女性方で留守番をしていたT被告が、帰宅した長女を金づちで殴るなどしたあと包丁で刺殺。さらに帰宅した女性も首を絞めた後に包丁で刺し殺し、財布から現金17万円などを奪った。また、両被告は同月2日から13日にかけ、静岡県や山梨県でパソコンや現金など4件、計290万円相当を盗んだ。 強盗殺人、窃盗 1994年5月17日
東京地裁
池田修裁判長
死刑
 裁判長は「死刑が人の生命を奪う冷厳で究極の刑罰であることを考慮しても、確定的殺意をもった計画的犯行であることや動機、社会的影響の大きさなどを考えれば極刑もやむを得ない」と述べた。
1995年12月13日
東京高裁
岡田良雄裁判長
一審破棄・無期懲役
 裁判長は、T被告について「S被告を失いたくないとの思いから、言われるがままに犯行を繰り返した面があり、真剣に反省している」、S被告について「犯行直前に20歳になったばかりだった」などとし、「犯行は極めて悪質だが、矯正の可能性もあり、極刑は重すぎる」と述べ、一審判決を破棄し、無期懲役を言い渡した
T被告は上告せず確定。S被告は1996年1月16日、上告取り下げ、確定。
西山省三(41)  ワックス販売業西山被告はパチンコ等で重ねた借金の返済に困り、知人の男(無期懲役が確定)と共謀し、顔見知りで一人暮らしの三原市に住む無職女性(当時87)を殺害して金品を奪おうと計画。女性宅を訪問してドライブに誘い、1992年3月29日午後2時ごろ、広島県福山市の山中で女性を降ろし、石で頭を殴った上、ひもで首を絞めるなどして殺した。さらに女性のバッグから預金通帳と現金3000円などを奪い、銀行と郵便局から計約31万円をおろした。 有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人 1994年9月30日
広島地裁
小西秀宣裁判長
無期懲役
 裁判長は「本件では計画性が低い、強盗殺人を進んで自供した、服役態度は真面目だった、改善更生の余地が残っている、犯行の悪質さが低いことを考慮。仮出所の取り消しによる服役10年以上と本件で20年以上と合計30年以上の服役となるため、贖罪を科すには十分である」と無期懲役判決を下した。  西山被告は競輪や競艇による借金の返済に困り1973年10月25日、山口県内で強盗殺人事件を起こし、無期懲役判決を受けて服役。1989年7月に仮出所していた。
 検察側上告を最高裁が受け入れ、二審を破棄したのは連続射殺事件の永山則夫死刑囚の上告審判決(1983年)以来で、一・二審とも無期だったケースでは戦後初。
1997年2月4日
広島高裁
荒木恒平裁判長
検察側控訴棄却
 裁判長は一審の量刑論を容認したうえで「極刑にするにはやむを得ない理由が必要だが、西山被告は犯行を素直に認めるなど情状酌量の余地がある」と述べて一審判決を支持し、控訴を棄却した。
1999年12月10日
最高裁第二小法廷
河合伸一裁判長二審破棄・高裁差し戻し
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 裁判長は判決理由で「冷酷、残虐な行為であり、別の強盗殺人による無期懲役とされ仮出所中に類似の犯行に及んだ点は非常に悪質。殺害被害者は一人だが、特に酌量すべき事情がない限り死刑はやむを得ない」とした。
2004年4月23日
広島高裁
久保真人裁判長
一審破棄・死刑
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 裁判長は「犯罪性の矯正が不可能と断定はできないものの、著しく困難と考えられる。本件の被害者は一人だが、罪責は誠に重大で極刑を選択するほかない」と結論づけた。
2007年4月10日
最高裁第三小法廷
堀籠幸男裁判長
被告側上告棄却、確定
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 裁判長は「仮釈放後2年余の事件で、被告の反社会性、犯罪性は顕著。刑事責任は極めて重い。パチンコに熱中し、金融業者から借金を重ね、返済に窮して犯行に及んでおり、動機に酌量すべき点はまったくない」と指摘。被告が事件の全般にわたって主導的役割を果たしたと述べた。
O・T(38)  塗装工O(旧姓T)被告は、1992年10月20日午後1時ごろ、東京都国立市の会社員宅で、会社員の妻(当時35)を千枚通しで脅して乱暴した後、牛刀などで背中や首を刺して失血死させ、現金約31000円を奪って逃げた。同年9月には足立区のアパートに押し入り、女性に乱暴し、現金約17000円を奪ったほか、足立区内で3回にわたって住居に侵入し、現金計約58万円を盗んだ。 強盗殺人、強盗強姦、窃盗 1995年1月17日
東京地裁八王子支部
豊田健裁判長
死刑
 裁判長は「死刑は究極の刑で、生命の貴さは被告人にも与えられる原理だが、犯行は法の予想する最も重い部類に属すると言わざるを得ない」「あまりに執ようで冷酷非情な犯行。自らの生命をもって償うしかない」と述べた。  最高裁では弁論が開かれている。
1997年5月12日
東京高裁
中山善房裁判長
一審破棄・無期懲役
 裁判長は「冷酷な人格は矯正も困難と言うべきで、極刑も十分考えられる。しかし、犯行後精神錯乱に陥り、妻と心中を図ったことや父母の愛情に恵まれない極貧の家庭で育ったこと、反省していることなど酌量すべき事情もあり、死刑にはなおちゅうちょせざるを得ない」と判決理由を述べた。
1999年11月29日
最高裁第二小法廷
福田博裁判長
検察側上告棄却、確定
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 裁判長は判決で二審の減刑理由である情状面に対し、「情状を過度に重視することは適当でない」と批判的な見方を示したが、犯行内容について「当初凶器は持っておらず、被害者宅へ行く途中で千枚通しを拾ったことから殺意が徐々に形成された。周到な殺害計画ではない」とした。さらに「前科や余罪を見ると、殺害や重大な傷害が目的の犯罪はない」と指摘。永山基準に照らし二審破棄の必要はないとした。そして判決理由で「殺害被害者が一人でも極刑がやむを得ない場合があることはいうまでもない。犯行は卑劣、残虐で一審の死刑判決はうなずけなくもない」としたが「殺害を事前に周到に準備したわけではなく、O被告は過去に他人の殺害を目的とした犯行はない」と指摘。二審を破棄しなければ著しい不正義になるとまではいえないとした。
K・K(43)/S・K(40)  土木作業員K被告、S被告は、岡崎茂男被告らとともに、1986年7月、岩手県盛岡市の金融業者(当時41)を誘拐、岩手県雫石町の山林で生き埋めにして殺し、乗用車などを盗んだ。1989年7月、福島県郡山市の塗装業者社長(当時48)を誘拐し、身代金1700万円を奪ったうえ、殺害した。遺体は福島県猪苗代町の山中に埋めた。 営利目的誘拐、強盗殺人、監禁、死体遺棄 1995年1月27日
福島地裁
井野場明子裁判長
無期懲役
 「従属的立場であった」と認定された。 岡崎茂男熊谷昭孝迫康裕被告は2004年6月25日に最高裁で死刑が確定。熊谷昭孝死刑囚は2011年1月29日に病死、67歳没。迫康裕死刑囚は2013年8月15日、急性肺炎のため宮城刑務所仙台拘置支所で死亡。73歳没。岡崎茂男死刑囚は2014年6月26日未明、急性呼吸不全のため東京拘置所で死亡。60歳没。
1998年3月17日
仙台高裁
泉山禎治裁判長
検察側控訴棄却
 一審同様、「従属的立場であった」と認定された。
上告せず確定。
M・Y(40)  会社員M被告は、業績を上げるための架空取引や、愛人へ貢いだりしていたため、7000万円の借金を抱えていた。そのため、甲府信用金庫から職員を誘拐し身代金を強奪することを考えた。1993年8月10日、地元雑誌記者を装って信金に電話を掛け、下見に行ったとき窓口にいたことから名前を覚えていた大里支店の女性職員(当時19)を指名。女性職員はM被告が手配したタクシーに乗って指定場所へ向かい、誘拐された。M被告は午後8時ごろ、女性の首を締めて殺害。近くの川に遺棄した。翌日、甲府信金大里支店に身代金4500万円を要求した。 身代金目的誘拐、殺人、死体遺棄他 1995年3月9日
甲府地裁
三浦力裁判長
無期懲役
 被告、弁護側が主張していた自首の成立については認めなかったが、「計画的かつ巧妙な犯行で、動機にも同情の余地はないが、深く反省している」「極刑にも値するが、終身、被害者のめい福を祈らせ、しょく罪の道を歩ませるのも法である」と述べた。
1996年4月16日
東京高裁
神田忠治裁判長
検察・被告側控訴棄却
 裁判長は「犯行態様の凶悪性が著しく、死刑を求める検察官の意見には傾聴するべきものがある。しかし厳しい借金の返済要求に切羽詰まって犯行に駆り立てられた点など、酌むべき事情が全くないとまでは言えない。最近一人が殺害された事件での死刑適用に、以前と比べてやや控えめな傾向がうかがえることも併せて考えると、一審判決は重過ぎるとも軽過ぎるとも言えない」と述べた。
上告せず確定。
Y・N(27)  会社社長Y被告は同棲中の女子大生(事件当時19 求刑通り無期懲役が被告控訴取り下げで確定)と共謀。1991年11月22日、札幌市北区の自宅で寝ていた女子大生の両親である北海道職員とその妻(いずれも当時45)を長女と共謀して刺殺。現金20数万円を奪った上、両親の預金や生命保険などを解約し、約450万円をだまし取った。同12月1日、同市東区の原野で遺体を乗せた乗用車を焼き、車ごと埋めた。 強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造、同行使、詐欺 1995年3月23日
札幌地裁
植村立郎裁判長
無期懲役
 裁判長は「実行行為は被告が主導したが、夫妻の長女と一心同体で殺害を計画、実行した。死刑を科すほど量刑事情に相違があるかは疑問」として長女との刑のバランスを考慮、無期懲役を言い渡した。  被告側は「殺害は長女が提案。愛を失わないよう長女の殺意を体現した」と主張。
1997年3月18日
札幌高裁
油田弘佑裁判長
検察・被告側控訴棄却
 検察側は「Y被告が主導的立場で起こした計画的犯行で、極刑が相当」と主張、被告側は「殺害行為の実行行為の主導性は長女にあり、一審判決は一部事実誤認がある」と主張した。裁判長は、「殺害実行の役割に関して、被告と長女には歴然とした差異は認められない」とした上で、「長女は無期懲役の判決が確定していることや、被告に矯正の可能性がないとは断定できないことなどから、一審判決は不当とは言えない」と述べた。
1999年12月16日
最高裁第一小法廷
井嶋一友裁判長
検察側上告棄却、確定
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 裁判長は決定で、二審が共犯者だった長女の役割と比べ「歴然とした差がない」とした判断を否定。「Y被告が殺害を発案したとみる余地が十分あるし、実行段階でも長女をY被告が動かしていた面を適切に評価していない」と指摘した。しかし「長女も主体的に犯行に関与し、責任は極めて重い。役割の差についての二審の誤りが是正されても、まだY被告を長女の無期懲役と大きな差をつけ、極刑とすべきだとまでは断定し難い」とした。
O・T(44)  1992年11月27日、懲役刑の仮出所中に知り合った徳島県小松島市の主婦(当時52)方を訪れたが、主婦と義父(当時81)に冷たくされたことからかっとなり、二人を包丁で刺し殺した。O被告は1971年に大阪で殺人事件を起こして懲役20年で服役。1988年4月に仮出所後、主婦と知り合い、二人で各地を転々としたため、同年11月に仮出所を取り消されて再服役。1992年11月8日に刑期を終え出所していた。 殺人 1995年5月18日
徳島地裁
三谷忠利裁判長
無期懲役
 裁判長は「(出所の)わずか19日後に犯行に及ぶなど責任は重大」としながらも「(被害者側にも)犯行を誘発した面があった」などとした。
1996年3月5日
高松高裁
米田俊昭裁判長
被告側控訴棄却
 裁判長は「控訴人側の不利益変更は法で禁じられており、不適法な控訴だ」などとして死刑を求めていたO被告の控訴を棄却した。
1996年4月
被告側上告取り下げ、確定



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