死刑確定囚(2009年)



※2009年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
藁科稔
事件当時年齢
 47歳
犯行日時
 2000年7月13日
罪 状
 殺人、強盗予備、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 高岡市組長夫婦射殺事件
事件概要
 元暴力団組長で、札幌市の小物類販売業伊藤稔(旧姓)被告と無職W被告は、指定暴力団山口組系組長(当時56)と確執のあった組幹部の幾島賢治被告(旧姓太田)に依頼され、2000年6月末、組長宅に押し入り、強盗に見せ掛けて殺害することを計画した。しかし、実行役の中国人グループが直前に逮捕され、グループに渡した組長夫婦の写真などが警察に押収された。このため、伊藤被告らは付着した指紋などから幾島、伊藤両被告の関与が発覚すれば、同組長の報復があると恐れ、7月13日午前9時半頃、組長宅に侵入し、口封じのため組長と妻(当時52)を射殺した。
一 審
 2004年3月26日 富山地裁 神沢昌克裁判長 死刑判決
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控訴審
 2006年2月16日 名古屋高裁金沢支部 安江勤裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年1月22日 最高裁第一小法廷 涌井紀夫裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 2002年10月8日に結審したが、2003年3月、検察側は新たに殺人などで起訴した幾島賢治被告、K被告を加え「四人による共謀」と訴因変更を申請し、裁判長は変更を認めたため、審理が再開された。
 一審最終弁論で弁護側は「犯行は組の内部の人間が被告をそそのかした物で、金目あてではなく、また計画性もない」として情状酌量を求めた。
 判決理由で神沢裁判長は、伊藤被告について「共犯者を指揮し、主導的かつ中心的な役割を果たした。確定的な殺意で、二人の命を奪う行為を自ら実行した」と断じた。W被告については「事前の下見や謀議、犯行時の見張り役などに参加したが、伊藤被告の指示で行動し、殺人の実行行為時に果たした役割も限定的」とした。

 控訴審になって弁護側は、組長夫婦を射殺したのは、覆面姿の別の人物だったと主張した。
 判決理由で安江裁判長は、別の実行役が夫婦を殺害したとする伊藤被告の主張について「同被告に殺害を依頼した共犯者が別の実行役の存在に一切言及していないことなどから、到底信用できない」と指摘。本件犯行が綿密に計画され、拳銃で被害者の顔面や後頭部を撃つという極めて冷酷で残忍な犯行であると位置づけ、「被告人が実行役として中心的な役割を果たした」と述べた。
 さらに同裁判長は「両親の生命を奪われた遺族の処罰感情は峻烈を極めており、遺族への謝罪の言葉など被告人にとって酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑はやむを得ない」と断じた。

 2008年12月11日の最高裁弁論で、弁護人は「指示を受けただけで、計画性もない」として、死刑回避を訴えた。検察側は「犯行の中心的役割を果たした」とし、上告棄却を求めた。
 判決で涌井裁判長は、「共犯者から依頼された報酬目当てという動機に酌量の余地はない。命ごいをする妻を容赦なく射殺する非情な犯行で、白昼の住宅街で敢行され、社会に与えた影響も大きい。2人の生命を奪った刑事責任は極めて重大で、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。
備 考
 W被告は2004年3月26日、「伊藤被告と一体となって行動したが、役割は従属的」との事情を酌み、求刑無期懲役に対し、懲役18年判決。控訴せず、そのまま確定した。
 幾島賢治被告と一緒に殺害を依頼したとして起訴されたK被告は求刑死刑に対し、2006年11月21日、富山地裁で無罪判決(判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい))。2008年4月17日、名古屋高裁金沢支部で検察側控訴棄却。無罪が確定。
 幾島賢治被告(旧姓太田)は2005年1月27日、富山地裁で求刑通り死刑判決。2006年10月12日、名古屋高裁金沢支部で被告側控訴棄却。2009年3月25日、被告側上告棄却、確定。
その後
 藁科稔死刑囚は2009年4月19日、収容されていた名古屋拘置所の居室で吐血。食道静脈瘤と診断され外部の病院に入院していたが5月2日午後6時16分、入院先の病院で肝不全による出血性ショックにより死亡した。56歳没。病死は3日、名古屋拘置所が発表した。
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氏 名
幾島賢治
事件当時年齢
 53歳
犯行日時
 2000年7月13日
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、覚せい剤取締法違反、建造物侵入、威力業務妨害
事件名
 高岡市組長夫婦射殺事件
事件概要
 暴力団幹部の太田賢治被告(旧姓)は、指定暴力団山口組系組長(当時56)と確執があったことから、元暴力団組長で小物類販売業伊藤稔(現姓藁科)被告と無職W被告に殺害を依頼。伊藤被告とW被告は2000年7月13日午前9時半頃、組長と妻(当時52)を殺害した。
 その他、高岡市のクラブへの営業妨害、覚せい剤使用の余罪がある。
一 審
 2005年1月27日 富山地裁 手崎政人裁判長 死刑判決
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控訴審
 2006年10月12日 名古屋高裁金沢支部 安江勤裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年3月23日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 幾島被告は「組長の妻の殺害までは依頼していない」と主張していた。
 富山地裁は、その点について「組長と一緒にいた妻の安全面に配慮した形跡はなく、妻が殺害されることを十分に認識していた」と殺意を認定した。そして判決理由で「2人の生命を奪った極悪非道な行為」「実行役に何度も殺害を依頼し、主導的な役割を果たしており、責任は重大」と厳しく指摘した。

 控訴審でも幾島被告は妻に対する殺意はなかったと主張していた。
 判決理由で安江裁判長は、殺意はなかったとする弁護側の主張について「組長と妻が一緒にいる際に犯行を企てており、妻の生命の安全に配慮した事実はない」などと指摘し、殺意を認定した。
 さらに、同裁判長は「実行犯のために拳銃二丁を用意するなど、犯行に必要不可欠な役割を果たした」と述べ、「組長を殺害することで組の実権を握ろうとした自己中心的な犯行で、経済的利益を確実なものにするために妻の殺害まで企てた動機に酌量の余地はない」と断じた。

 弁論で幾島被告側は死刑は重すぎると量刑不当を訴えた。
 今井裁判長は「実行犯に拳銃を渡し、殺害を促すなど、犯行に主体的、積極的に関わった。至近距離から拳銃を発射して即死させた。白昼の住宅街での犯行で、近隣や社会に与えた影響も大きい」と述べた。
備 考
 旧姓太田。
 藁科稔(旧姓伊藤)被告は2004年3月26日、富山地裁で求刑通り死刑判決。2006年2月16日、名古屋高裁金沢支部で被告側控訴棄却。2009年1月22日、被告側上告棄却、確定。
 W被告は2004年3月26日、「伊藤被告と一体となって行動したが、役割は従属的」との事情を酌み、求刑無期懲役に対し、懲役18年判決。控訴せず、そのまま確定した。
 幾島賢治被告と一緒に殺害を依頼したとして起訴されたK被告は求刑死刑に対し、2006年11月21日、富山地裁で無罪判決(判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい))。2008年4月17日、名古屋高裁金沢支部で検察側控訴棄却。無罪が確定。
その後
 2011年9月時点で再審請求中。
 2014年7月16日午後、幾島賢治死刑囚は、肝不全のため収容先の名古屋拘置所で死亡した。67歳没。3月に大腸がんが見つかり手術したが、既に肝臓などに転移していたという。
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氏 名
松田幸則
事件当時年齢
 30歳
犯行日時
 2003年10月16日
罪 状
 強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反(所持)
事件名
 熊本県松橋町男女強盗殺人事件
事件概要
 無職松田幸則被告は、2003年10月16日午前11時20分頃、熊本県松橋町(現宇城市)の女性(当時54)宅に侵入。女性ならびに女性と同居していた元精肉店経営者(当時54)の2人を鋭利な刃物で刺して殺害。現金約83000円や腕時計、ショルダーバッグなど35点(時価約24万円相当)を奪った。松田被告はヤミ金融などに多額の借金があり、知人を通じて、経営者の男性に約20万円の借金があった。
一 審
 2006年9月21日 熊本地裁 松下潔裁判長 死刑判決
控訴審
 2007年10月3日 福岡高裁 仲家暢彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年4月3日 本人上告取り下げ、確定
拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 検察側は冒頭陳述で、松田被告は妻に定職についていないことを隠すため消費者金融やヤミ金融から借金を重ね、2003年8月ごろには毎月の返済額が250万円に達していたと述べた。犯行動機については、松田被告が以前元経営者から借金した際に元経営者が高級腕時計を着用し、財布から多額の現金を取り出すのを見て思いついたと指摘。犯行の二日前には、知人に「いいもうけ話がある」と持ち掛けるなど計画的な犯行だと述べた。
 弁護側は冒頭陳述で、元経営者は金を融通していた男性の保証人になるよう松田被告に要求したと指摘、「松田被告は元精肉店経営者と男性が父親の不動産を奪おうとしていると思い込み、免れるためには殺害も仕方ないと判断した」と動機を説明。奪った金品は「犯行から数時間後に女性宅に戻って盗んだ」として、殺人と窃盗罪の適用を主張した。
 松下裁判長は「被告の公判供述は不自然かつ不合理。捜査段階の供述調書と証人らの供述の信用性は高く、強盗殺人罪が成立する」と弁護側の主張を否定。判決で「被告人は日掛け金融などから借金をして返済資金を捻出するその場しのぎの無計画な返済を行い、窮状に陥った」と指摘。その上で「金品などを奪うため、何の落ち度もない2人を殺害することを考えた。人命を軽視する極めて自己中心的かつ身勝手な犯行で、動機に酌量の余地は一切ない」「罪責はあまりに重大で、極刑はやむを得ない」とした。

 2007年6月13日の控訴審初公判で、松田被告の弁護人は「金品強奪が目的ではなく、殺害後、数時間たってから金品を奪おうと考えて現場に戻った」として、強盗殺人罪ではなく殺人罪と窃盗罪に当たると主張し、死刑の回避を訴えた。一方、検察側は控訴棄却を求めた。
 仲家暢彦裁判長は「強盗殺人の成立が優に認定でき、被告の主張には理由がない。債務の返済に窮し、返済資金欲しさに殺害しており酌量の余地はない。刑事責任はあまりに重大で、死刑に処するのはやむを得ない」と述べた。

 本人上告取り下げ、確定。理由は不明。
執 行
 2012年9月27日 39歳没
 松田死刑囚は9月19日付の手紙で、事件の被害者、遺族などへの謝罪や臓器提供の希望をつづり、関係者へ送っていた。法務省などによると、死刑囚の臓器提供が行われたケースはない。
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氏 名
神田司
事件当時年齢
 36歳
犯行日時
 2007年8月24日〜25日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、営利略取、逮捕監禁
事件名
 名古屋闇サイト殺人事件
事件概要
 住所不定無職の川岸健治被告(当時40)と名古屋市東区泉の無職堀慶末(よしとも)被告(当時32)は2007年8月上旬に携帯電話の闇サイトで知り合った。
 2007年8月16日、携帯電話の闇サイト「闇の職業安定所」で犯罪仲間を募集。19日に住所不定無職H元被告(当時29)が、20日に愛知県豊明市の新聞セールススタッフ神田司被告(当時36)が返信し、連絡を取り合うようになった。このときはお互いに偽名を名乗り、以後もその偽名を使ったため、4人は逮捕されるまで本名を知らなかった。
 川岸被告、堀被告、H元被告が21日に名古屋市東区で顔を合わせ、堀被告の提案でパチンコ店の常連客を襲う計画を立てたが失敗した。
 堀被告、川岸被告は21日午後10時過ぎ、金山駅付近で神田被告と会った。神田被告は女性を拉致して覚醒剤中毒にして風俗店に売ればいいなどと提案。このとき堀被告は金槌を見せており、神田被告、川岸被告と互いに強盗殺人を行う意思があることを確認している。
22日午後6時頃、3被告はH元被告に参加の意思を確認したが、H元被告は殺人に反対し、事務所荒らしを提案した。
 H元被告と川岸被告は23日夜、愛知県瀬戸市の薬局に押し入ろうとしたが、客がいたため断念。続いて長久手町の水道工事関連会社の事務所に侵入したが、金が見つからずに逃走。このとき川岸被告が先に逃げたため、土地勘もなく腹を立てたH元被告は24日午前0時55分頃、自ら110番して愛知県警警名東署に出頭、緊急逮捕された。
 24日午後3時頃、神田被告、堀被告、川岸被告は名古屋市緑区のレンタルビデオ店駐車場に集まった。神田被告が若い女性を拉致する強盗殺人を提案し、2被告は賛同した。
 同日午後7時頃から3被告は車で市内を走り、5人の女性を追尾したが、機会が無く失敗。午後11時頃、帰宅途中だった名古屋市千種区に住む派遣社員の女性(当時31)を発見。千種区の路上で待ち伏せ、女性が車を通り過ぎた際に堀被告が車へ無理矢理連れ込み、安西市の屋外駐車場まで走った。
 25日午前0時頃、駐車場で堀被告が女性からバッグを奪い、財布から62000円とキャッシュカード2枚、クレジットカードを奪った。堀被告と神田被告は包丁で女性を脅し、暗証番号を聞き出した。
 川岸被告はその後車中で女性を暴行しようとしたが抵抗されたため、女性を平手打ちにした。車外にいた神田被告と堀被告は川岸被告を制止するとともに、逃げられることを恐れ殺害を決意。午前1時頃、3被告は哀願する女性の頭に粘着テープを二十数回巻き、レジ袋を頭にかぶせ、首をロープで絞め、頭を金槌で数十回殴った。女性は窒息死した。
 3被告は奪った金を均等に分けた後、午前4時40分頃、岐阜県瑞浪市の山林で遺体に土や草をかぶせて遺棄した。午前9時頃と10時35分頃に、名古屋市にある2箇所のATMで現金を引き出そうとしたが、聞き出した暗証番号は虚偽のものであったため失敗。そこで3被告は夜に再度集まって風俗嬢を襲う計画を立案して別れた。しかし川岸被告は午後1時半頃に警察署へ電話し、犯行を打ち明けたため、身柄を確保された。「死刑になるのが怖かった」と供述している。午後7時10分頃、愛知県警は女性の遺体を発見。神田被告、堀被告を任意同行した。8月26日、県警は3被告を死体遺棄容疑で逮捕した。
 3被告は金持ちが多いからという理由で千種区を物色していた。また女性を狙った理由は、まじめそうで金を貯め込んでいそうだったからと供述している。3被告と女性とは面識がなかった。
 3被告は9月14日、強盗殺人と営利略取、逮捕監禁の容疑で再逮捕された。
一 審
 2009年3月18日 名古屋地裁 近藤宏子裁判長 死刑判決
控訴審
 2009年4月13日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 2007年12月27日から8回に渡って行われた公判前整理手続きにより、争点は強盗殺人などの共謀の成立時期、3被告の犯行への関与程度、被告側の情状面があげられた。16回の集中審理で証人尋問や被告人質問が行われた。
 2008年9月25日の初公判で、3被告は起訴事実を大筋で認めたが、計画時期など一部について否定した。
 その後の公判では、計画性について検察側は、3被告が事前に包丁やロープなどの凶器を準備していたことを指摘。3被告側は直前まで殺害するつもりはなかったが、互いに虚勢を張るうちにエスカレートしたと反論した。
 共謀時期について、検察側は24日の午後3時頃に集まった時点で犯行を計画したと主張。神田被告側は同日夜に女性を物色するために3人が車に乗り込んだ時点と主張し、川岸被告と堀被告側は犯行直前と訴えた。
 女性の殺害提案や実行について、神田被告は堀被告が提案したと主張。堀被告は神田被告が提案したと主張。川岸被告は車外にいたら2被告が首を絞めていたのでやむを得ず加わったと主張したが2被告は車内にいたと反論した。
 誰が首謀者であるかという点について、川岸被告は、闇サイトで呼びかけた自分が首謀だが、殺人の主犯は神田被告であり、役割は3被告とも同格と主張。神田被告も同格と主張。堀被告は神田被告が話を進めるなど何事も立場が上だったと主張した。
 法廷では神田被告が川岸被告をにらみつけたり、川岸被告が他の2被告に「お前らのおかげで人殺しになった」と声を荒らげたりする場面もあった。
 情状面として、神田被告側は16歳の頃から激しい頭痛に悩まされ、高額な治療費のためまともな治療が受けられなかったと指摘した。川岸被告側は警察に自首したことを主張。堀被告側は犯行を深く反省していると主張した。
 1月20日の論告求刑で検察側は「被害者の命ごいを無視して殺害した方法は、生き埋めにしたのとほかならず、地獄の苦しみを味わわせた」と指摘。当初から強盗殺人の計画を練っており、「なんら躊躇もなく犯行に及んだ」として、酌量の余地は皆無とした。また、面識がない被告らがインターネットの闇サイトをきっかけに犯罪目的で集まったことについて「社会全体を震撼させた凶悪犯罪で、模倣性の強さも他の事件の比ではない」と述べ、一般予防の観点からも厳しい処罰をもって臨むしかないと主張した。また、死刑選択基準とされている「永山事件」最高裁判決にふれ、これまで被害者数が重大視されてきたが「殺害された被害者の数は考慮すべき要素の一つとして挙げたものにすぎない」と指摘。その上で「被害者より被告人の数が多い場合であっても、罪質や結果の重大性などに照らして刑事責任が重大な場合は、死刑を選択すべきだ」と述べた。そして「自己の利欲目的達成のために他人の生命を軽視する根深い犯罪性向と反社会性があり、今後改善更生の可能性は認められない」と死刑を求刑した。
 2月2日の最終弁論で、弁護側はいずれも「計画性のない場当たり的な犯行で、更生可能性はある」として死刑回避を求めた。神田被告の弁護人は「殺害方法は残虐だが、死に至らない被害者に恐怖感を覚えたためだった」と述べ、殺害は偶発的な結果だったと主張。最高裁の死刑判決の判例を挙げ「計画性のなさや被害者数が1人であり、殺害方法も(他の死刑事件と比べると)残虐性が低い」などとして、無期懲役か有期懲役を求めた。堀被告の弁護人は、犯行の無計画さを強調し、「殺害行為の主導は神田被告で、堀被告は指示に従っていた。矯正不可能とはいえず生きて罪の償いをさせるのが相当。死刑を選択すべき場合には到底該当しない。死刑判決が下されれば、厳罰化が加速し乱発を招く」と指摘した。 川岸被告の弁護人は「良心の呵責に耐えきれず自首した。犯行は従属的で、被告の自首によって捜査が容易になったのは明らかだ」と、量刑判断の際に自首の重要性を考慮するよう求めた。
 同日の最終意見陳述で、堀被告は泣きながら「被害者の夢や希望を奪って、遺族に苦しみを負わせてしまった。申し訳ない」と遺族が座る傍聴席へ向かって頭を下げた。川岸被告も声を震わせ「(女性の)お母さんの意見陳述は胸に刺さりました。女性のご冥福をお祈りします。すみませんでした」と一礼した。神田被告は「特に申し上げることはない」と話した。
 判決は、今回の事件は、インターネットの掲示板を通じて集まり、犯罪を計画し、それを実行したという点に特徴があると指摘。素性も知らない者同士が悪知恵を出し合って利用し合い、一人では行い得なかったような凶悪、巧妙な犯罪が遂行可能となった、とした。
 近藤宏子裁判長は、「被害者の哀願に耳を貸さず殺害した犯行は無慈悲で悲惨で、戦慄を禁じ得ない」として、神田、堀両被告に死刑、川岸被告は「犯行直後、自首している」として、無期懲役を言い渡した。
 事前の殺害の計画性について「監禁場所や殺害方法について詳細な計画はなかったが、事前にハンマーや包丁を用意し、何人もの女性を実際に追尾しており、犯行は計画的で悪質だ」と認定。「素性を知らない者同士が互いに虚勢を張り合い、1人では行えない凶悪、巧妙な犯罪を遂行した。遺族も峻烈な処罰感情を表明している」と述べた。
 争点の1つだった殺害の共謀時期については、犯行日にファミリーレストランで、3被告が通行中の女性を拉致・監禁してキャッシュカードの暗証番号を聞き出して殺害し、遺体を遺棄する共謀が遅くとも女性を拉致する約4時間前に成立したと認定した。
 闇サイトを悪用した社会的影響については「インターネットを悪用した犯罪は凶悪化、巧妙化しやすい。匿名性の高い集団が行うため、発覚困難で模倣性も高く、社会の安全にとって重大な脅威」と述べた。
 その上で、〈1〉利欲目的で酌量の余地はない〈2〉落ち度のない市民を拉致し、命ごいに耳を貸すことなく犯行を敢行していて無慈悲で凄惨〈3〉犯行計画は具体的、詳細なものではなかったが、量刑をわけるほど有利な事情とは言えない〈4〉被害者の無念さを言い表す言葉を見いだすことはできない−−などを理由として挙げた。
 そして神田被告については「殺害の計画と実行において最も積極的に関与した」、堀被告については「さまざまな強盗計画を積極的に提案し、被害者を最も積極的に脅迫した」と認める一方、川岸被告については「被害者を2度も強姦しようとしており、他の2被告に比べ刑事責任は劣らないが、自首で事件の解決、次の犯行阻止に寄与したことは有利に評価できる」と判断し「極刑をもって臨むには、躊躇を覚えざるを得ない」と結論づけた。

 神田被告本人と弁護側がそれぞれ控訴した。4月13日付で神田被告が控訴を取り下げ、死刑判決が確定した。最高裁が1949年、被告が控訴を取り下げれば弁護人の控訴申し立ても消滅するという判断を示している。
備 考
 女性の母親は3被告に極刑を求める署名活動をはじめ、初公判時点で約28万4000人分が集まった。うち約15万人分については2007年10月23日に名古屋地検に提出されている。
 検察側は3被告の共謀が成立した時期について、公判前整理手続きでは「事件当日午後に3人で乗り込んだ車内」と主張していたが、冒頭陳述では「当日夜のレストラン」と異なる主張を盛り込んだ。弁護側が指摘し、裁判長も「意外な陳述」と発言。約20分の休廷の後、検察側は問題となった主張を撤回した。
 H元被告は窃盗未遂、建造物侵入、強盗予備で起訴。2007年11月20日、名古屋地裁で懲役2年執行猶予3年(求刑懲役2年)の判決が言い渡され、確定している。
 神田被告は知人に手紙を郵送してブログを開設。事件や公判に関するリポートを掲載し続けた。
 神田被告と川岸被告は2006〜2007年頃にそれぞれ闇サイトを悪用した別の詐欺事件で執行猶予付き有罪判決を受けている。
 同日、共犯の堀慶末被告は求刑通り死刑判決。共犯の川岸健治被告は自首が認められ、無期懲役判決(求刑死刑)。
 2011年4月12日、名古屋高裁で堀被告の一審判決を破棄、無期懲役判決。川岸被告は検察・被告側控訴棄却。判決で下山保男裁判長は「強い利欲目的のみに基づく、無慈悲かつ残虐な犯行」と非難する一方で、「ネットを通じて知り合った者同士による犯罪であることを、過度に強調するのは相当ではない」と述べた。そして2人の責任を共犯の神田司死刑囚と比較。「神田死刑囚の殺害提案に安易に応じた側面もあり、計画や実行で最も重要な役割を果たした同死刑囚と同じとは言えない」と判断した。堀被告については「前科がなく、矯正の可能性もある。最も積極的な役割を果たしたとは言えず、被害者が1人である本件では、死刑の選択がやむを得ないと言えるほど、悪質な要素があるとはいえない」などとして一審の死刑判決を破棄して無期懲役とした。川岸被告に対しては検察側、被告側双方の控訴を棄却した。川岸被告については検察、被告側双方が上告せず確定。
 2012年7月11日、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は堀慶末被告への死刑を求めた検察側の上告を棄却し、無期懲役判決が確定した。
 堀慶末受刑囚はその後、別の強盗殺人事件で起訴。2015年12月15日、名古屋地裁の裁判員裁判で求刑通り死刑判決。2016年11月8日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2019年7月19日、被告側上告棄却、確定。
その後
 神田司死刑囚の弁護人は2009年4月27日、控訴の取り下げは無効として控訴審期日の指定を求める公判期日指定申立書を提出し、名古屋地裁が受理した。申立書によると、控訴を取り下げた時の神田死刑囚は、「控訴取り下げに伴う結果について理解する能力が欠けていた」と指摘。さらに、「弁護人が不在で法的援助を受けられない状況での控訴の取り下げは無効。取り下げを受理することは違法だ」としている。
 名古屋高裁(下山保男裁判長)は2010年9月9日付で、神田司死刑囚の控訴取り下げは有効とする決定をした。詳細な理由は明らかにされていない。
 弁護人は9月13日、高裁に異議を申し立てた。名古屋高裁は2011年2月10日、弁護人の異議申し立てについて棄却の決定を出した。弁護人は決定を不服として2月14日、最高裁に特別抗告した。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は3月2日付で棄却する決定をした。控訴取り下げを有効とする判断が確定した。

 また2009年8月12日、神田司死刑囚の弁護人2人は、4月28日と6月5日に神田司死刑囚と打ち合わせのため名古屋拘置所で立会人なしの面会を申し入れたところ、拘置所側は「死刑確定直後で心情安定のため立ち会いが必要」と拒否。立会人がいる状態で面会したが、これは違法な接見妨害にあたるとして、慰謝料など120万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に起こした。刑事収容施設法では、死刑確定者の訴訟の準備など正当な利益保護が目的の場合は立ち会いや録音録画なしの面会を認めている。しかし弁護人は、「訴訟準備などの際には、立ち会いをさせないというただし書きがある」と主張している。この件では、神田司死刑囚も国に840万円の損害賠償を求めて提訴している。その後、死刑囚と弁護士らが控訴などについて協議した19回と、今回の訴訟について話し合った6回のいずれも職員立ち会いなしの面会を求めたが認められなかった件について、総額2700万円の損害賠償を求めた。
 2013年2月19日、名古屋地裁(徳永幸蔵裁判長)は「職員を立ち会わせた拘置所長の判断は裁量権を逸脱し違法」と述べ、計145万2000円の支払いを命じた。判決は「発言内容を職員に知られないことに正当な理由がある場合は立ち会いなく面会できる」と指摘。立ち会いによる心理的な影響を排除する必要性は非常に高いなどと認めた上、「立ち会うべき理由もなかった」と判断した。2014年3月13日、名古屋高裁(長門栄吉裁判長)は、一審に続き「拘置所長が裁量権を逸脱、乱用したもので違法」と認め、国に計145万2000円の支払い金額はそのままで、神田死刑囚への支払額を増やすなど配分を変更するよう命じた。
執 行
 2015年6月25日 44歳没
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氏 名
林真須美
事件当時年齢
 37歳(和歌山毒物カレー事件時)
犯行日時
 1998年7月25日
罪 状
 殺人、殺人未遂、詐欺、詐欺未遂
事件名
 和歌山毒物カレー事件他
事件概要
 元生命保険会社営業職員の林真須美被告は、下記の殺人、殺人未遂、詐欺事件を引き起こした。
  1. 1993年5月18日、和歌山県有田市の旅館で林真須美被告の夫であるシロアリ防除業者の男性(詐欺で一審懲役6年が確定)が転んで右ひざ骨折。バイク事故と偽り、後遺障害保険金など2052万円を詐取した。
  2. 1996年2月13日、林真須美被告は両足をやけどし、バーベキューの炭火に自転車で突っ込んだと偽り、入院給付金459万円を詐取した。
  3. 1997年2月6日、死亡保険金1億4000万円目当てに、夫に亜ヒ酸入りくず湯を飲ませた。
  4. 1997年9月22日、死亡保険金他1億2910万円目当てに知人男性に亜ヒ酸入り牛丼を食べさせ、入院給付金など539万円を詐取した。
  5. 1997年11〜12月、入院中の夫の障害を重く装い、高度障害保険金1億3768万円を詐取した。
  6. 1998年3月28日、死亡保険金他1億2910万円目当てに知人男性に亜ヒ酸入りうどんを食べさせた。
  7. 1998年7月25日、和歌山市園部の自治会が空き地で開いた夏祭り時、空き地で作っていたカレーライスの鍋に砒素を混入。カレーを食べた67人が急性砒素中毒を発症し、自治会長や小学四年生男児ら4人が翌日に死亡した。
一 審
 2002年12月11日 和歌山地裁 小川育央裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2005年6月28日 大阪高裁 白井万久裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年4月21日 最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 林真須美被告は逮捕当時から一審判決まで黙秘を貫いた。一審で被告側は保険金詐欺事件については起訴事実を全面的に認めたが、和歌山毒物カレー事件、砒素による殺人未遂事件については否認。
 特に毒物カレー事件については、「殺意の有無」「動機」「被告以外の犯行の可能性」「科学鑑定の信用性」などが争点となった。
 一審で裁判長は、カレー鍋などから検出されたヒ素について、被告周辺から見つかったヒ素である可能性が「極めて高い」と判断。犯行時間帯の状況についても、「被告が1人でいる時間帯にヒ素を混入することが十分可能だった」とした。殺意の有無については、「ヒ素が少量でも、人を死に至らしめるとの認識を十分に持っていた」として、未必の故意を認定した。ただし動機については近隣住民に冷たくされたことに対する「激高」という検察側の主張を認めず、「動機は不明確」とした。

 控訴審で林被告は供述を始めた。
 被告・弁護側は、「カレー鍋の見張り中、次女とずっと一緒だった」と反論。また、当日は黒いTシャツを着ていたと、目撃者の証言は誤りであると主張した。それと同時に、経済的利益、動機が全くないと主張した。
 亜ヒ酸による殺人未遂事件3件は、いずれも保険金目当ての自作自演であり、亜ヒ酸は夫自らが飲んだと主張。林被告の夫も、同様の供述を行った。
 判決で白井裁判長は、毒物カレー事件の無罪主張について、住民の目撃証言の信用性を高く評価する一方、「被告は自分に都合よく事実の前後関係を意図的に操作したり、事実そのものを捏造したりしたとしか考えられない」と指摘した。
 殺人未遂についての被告の供述について「起訴から5年がたち、証拠や一審判決をつなぎ合わせて弁解することがたやすい状況であり、供述は信用できない」と退けた。控訴審中に、弁護団が夫の出廷前に、林被告の供述内容を記載した公判調書を服役中の刑務所に差し入れていたことにも触れ、夫の証言について「弁護団から公判調書の差し入れを受けて、それに合わせる供述をしているのは明らかだ」と信用性を否定した。
 さらに白井裁判長は、一審段階でのヒ素の科学鑑定の中立性や公正さに問題はないと判断した。

 2009年2月24日の弁論で弁護側は、林被告宅で見つかったヒ素と混入されたヒ素が同一とする鑑定結果や、白いTシャツ姿の被告が1人でカレー鍋の見張りをしていたという目撃証言について「(1人で)混入したとされる時間帯に被告は次女と一緒におり、目撃証言は見間違い」と主張。決定的な証拠がない上、動機も不明なのに一、二審は有罪認定したと批判した。そして弁護側は「確実に別の犯人がいる」とあらためて無罪を主張。検察側は「犯人が別にいるとの(弁護側の)主張は、証拠調べを経ていない事実を前提とした違法なもので、根拠のない憶測に過ぎない」と述べた。また検察側は「鑑定結果や住民の証言は信用性があり、毒物混入事件の手段や方法の類似性から被告のカレー事件の犯人性を推認できる」などと述べた。
 小法廷は(1)カレーに混入されたものと組成上の特徴が同じ亜ヒ酸が自宅などから発見された(2)被告の髪からも高濃度のヒ素が検出され、付着状況から亜ヒ酸を扱っていたと推認できる(3)亜ヒ酸をひそかに混入する機会があったのは被告だけで、調理済みカレーの鍋のふたを開けるなど不審な挙動が目撃された−−などの状況証拠を列挙し、「被告が犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」と有罪の根拠を述べた。さらに「動機が解明されていないことは、被告が犯人との認定を左右しない」と述べた。
 そのうえで量刑の理由について「殺害された4人は何ら落ち度がないのに楽しいはずの夏祭りの最中で突如前途を絶たれ、無念さは察するに余りある。後遺症に苦しんでいる者もおり結果は誠に重大だ」と指摘し、「無差別大量殺傷の卑劣さ、残忍さは論をまたない。社会に与えた衝撃は甚大で刑事責任は極めて重大。(カレー事件への)関与を全面的に否認し、反省の態度を全く示していない。被告のために酌むべき事情を最大限考慮しても死刑を是認せざるを得ない」と結論付けた。
 二審の事実認定を変えず死刑判決を維持する場合、最高裁は通常、量刑理由だけを述べる。直接証拠の無い事件の特質を考慮して、事実認定の理由にも踏み込んだとみられる。
備 考
 林真須美被告は1987年に起きた白アリ駆除会社の元従業員に対する殺人未遂事件についても起訴されていたが、「被告がヒ素入りのお好み焼きを食べさせたとする検察側の主張には疑問が残る」として和歌山地裁にて無罪判決。そのまま確定した。2009年5月25日、事件で拘置されて以降、一審で無罪判決が出されるまでの期間を基に、林死刑囚が和歌山地裁に刑事補償を請求していたことが判明した。
その他
 林真須美死刑囚は2014年3月、支援者で労働運動家の稲垣浩の養子となる。林死刑囚からの依頼である。改姓したかどうかは不明。ただし2018年3月現在、支援する会の名前が林姓のままであること、テレビや新聞などのマスコミも林姓のまま報道していること、2017年7月22日開催支援集会で報告されたメッセージでも林姓となっていること、離婚届を送ってはいるようだが林姓の夫とまだ離婚していないこと(民法上、養子縁組をしても、結婚によって氏を改めた場合は結婚時の姓を称する事になっている)、などを考慮すると、現在も林姓のままと思われる。
現 在
 2012年5月31日付で林真須美死刑囚は、名古屋拘置所にいる死刑囚の男と手紙をやり取りしていたことを漏らされたなどとして、国を相手取り300万円の慰謝料支払いを求めて名古屋地裁に提訴した。訴状によると、名古屋拘置所の職員が、手紙のやり取りなどを拘置所内の複数の受刑者らに漏らし、林死刑囚は肉体的、精神的な苦痛を受けたという。2013年8月9日、名古屋地裁は請求の一部を認め、国に5万円の支払いを命じた。11月27日、名古屋高裁は、賠償額が低すぎるという林死刑囚の控訴を棄却した。
 そのほか、虚偽の証言を理由に夫へ100万円の損害賠償を求めるなど、マスコミ関係者やカレー事件の地元住民、生命保険会社に勤務していたときの同僚など、計50人ほどを相手に訴訟を起こしている模様。

 2009年4月22日、和歌山地裁に再審請求。弁護側は請求にあたり、(1)真須美死刑囚がカレーにヒ素を混入したとされる時間帯の前後に行動をともにしていた次女の新証言(2)真須美死刑囚が殺害を図ったとされる夫の新証言(3)カレー鍋の周辺での真須美死刑囚の不審行動の目撃証言は不自然だとする実験結果−などを、無実を証明する新証拠として提出した。しかし、次女や夫の一・二審段階での証言は裁判所に「信用性がない」と判断されたほか、実験結果についても上告審では証拠採用を退けられている。
 弁護団は2010年3月、林死刑囚の毛髪に付着した検察側のヒ素鑑定に矛盾があるとし、ヒ素の有無を調べる再鑑定を請求した。最高裁判決では、林死刑囚の毛髪から検出されたヒ素をカレー鍋に混入したとする物証の一つとした。毛髪鑑定請求書によると、同一の毛髪にもかかわらず2種類の鑑定で付着個所が数ミリ異なる▽外部から付着したとされるにもかかわらず、ヒ素が先端部でなく毛根部分に近い個所に付着している――と指摘している。和歌山地裁(浅見健次郎裁判長)は2014年6月30日付で、林死刑囚の毛髪などの再鑑定と、その他の証拠開示命令の申し立てを退ける決定をした。弁護団は決定を受けて、7月3日、鑑定の必要性を訴える書面を新たに提出した。10月、弁護団は確定判決のヒ素鑑定は誤りなどとする再審請求補充書を和歌山地裁に提出した。2015年6月4日付で弁護団は、林死刑囚宅などから押収されたヒ素と、現場の紙コップに付着していたヒ素の成分が同じだとした確定判決は誤りだとする再審請求補充書と意見書を和歌山地裁に提出した。2016年9月16日、弁護団は最終の再審請求補充書を和歌山地裁に提出した。補充書では、弁護団の依頼で京大の河合潤教授(分析化学)が分析した結果、死刑囚の関係先から見つかったヒ素と、現場の紙コップに付着していたヒ素は異なるなどと指摘。弁護団は河合教授を証人として申請した。地裁は12月、「必要性がない」と判断し、申請を棄却した。
 2017年1月16日付で弁護団は、「不公平な裁判をする恐れがある」として、担当する裁判官3人の交代を求める忌避を和歌山地裁に申し立てた。和歌山地裁は1月20日付で申し立てを却下した。弁護団は25日付で、大阪高裁に即時抗告した。大阪高裁(中川博之裁判長)は2月15日付で即時抗告を棄却した。弁護団は21日付で最高裁に特別抗告した。最高裁判所第一小法廷(小池裕裁判長)は3月7日付で、特別抗告を棄却した。
 和歌山地裁は2017年3月29日、林死刑囚の請求を棄却した。浅見健次郎裁判長は「全証拠を総合して検討してみても、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じる余地はない」と判断した。決定は、カレー鍋にヒ素を混入する機会は林死刑囚以外になかったことなど複数の間接証拠を挙げ、「事件における林死刑囚の犯人性が非常に強く推認される」と指摘。また弁護側のヒ素は別物との主張に対し、「それぞれのヒ素の組成上の特徴が一致しているという事実は、合理的な疑いを差し挟むことなく認定できる」と退けた。
 4月1日付で、被告側は即時抗告した。林真須美死刑囚の弁護団は4月3日、死刑判決の決め手となったヒ素の鑑定内容が虚偽だったなどとして、鑑定した大学教授ら2人に計6500万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
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氏 名
関根元/風間博子
事件当時年齢
 関根53歳、風間38歳
犯行日時
 1993年4月〜8月
罪 状
 殺人、死体損壊・遺棄
事件名
 埼玉愛犬家連続殺人事件
事件概要
 埼玉県熊谷市で、犬猫繁殖販売業関根元(げん)被告と元妻のペット店経営風間博子被告は共謀して、1993年4月20日、犬の高額売買をめぐるトラブルから、行田市の会社役員(当時39)に、犬の薬殺用の猛毒・「硝酸ストリキニーネ」入りカプセルを栄養剤と偽って飲ませて殺害し、群馬県片品村の元会社役員(死体損壊・遺棄で懲役3年確定)の自宅に遺体を運んで切断・焼却し、捨てた。
 7月21日には、江南町の暴力団幹部(当時51)に役員殺害を知られて金を要求されたことなどから、幹部と運転手(当時21)を、また、関根被告は8月26日、犬の高額売買をめぐるトラブルから行田市の主婦(当時54)をそれぞれ同様に殺害するなどし、元役員に手伝わせて捨てた。
 二人は1995年1月5日に逮捕された。
一 審
 2001年3月21日 浦和地裁 須田※裁判長(※=賢の又を忠) 死刑判決
控訴審
 2005年7月11日 東京高裁 白木勇裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年6月5日 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 関根被告は全ての事件への関与を認めながら、「すべて風間被告の主謀」と主張。風間被告は4人のうち暴力団幹部と運転手に対する死体遺棄事件への関与だけを認め、残りは関根被告が主謀と主張した。また両被告は、死体遺棄を手伝った元会社役員が殺害の実行為者と主張した。
 一審判決では、4人の死体損壊・遺棄で懲役3年の実刑を受け、刑を終えている元会社役員の男性(45)の供述を最大の立証の支えとした検察側の主張をほぼ全面的に認めた。そのうえで、互いに相手が首謀したとする両被告の主張を退け、3人の被害者については「ほぼ対等な関係」で共謀が成立していると認定した。残る1人については関根被告の犯行とした。

 二審でも両被告は同様の主張をしたが、判決は「元会社役員は被害者と利害関係がなく、殺害の動機はない。事件の根幹部分が元会社役員の自白で初めて明らかになった」などと信用性を認め、一審同様に両被告の主張を退けた。

 2009年3月27日の最高裁弁論で、関根被告側は「風間被告が自分の利益のため殺人という方法を選び、かかわらざるを得なくなった」と主張。一方の風間被告側は「関根被告が重要な役割を果たし、利用されたにすぎない」と訴え、いずれも死刑回避を求めた。
 検察側は「身勝手な動機で酌量の余地はみじんもない。死刑以外にあり得ない」と上告棄却を求めた。
 判決で最高裁は「計画的な犯行で、動機に酌量の余地はない。猛毒の硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って飲ませて、苦悶のうちに中毒死させ、死体を切り刻んで焼却した犯行態様は冷酷無慈悲で悪質きわまりない」と述べたうえで、「両被告は不合理な弁解を繰り返しており、真摯な反省の態度も認められない。罪責は極めて重大だ。遺族の被害感情や社会に与えた影響に照らすと、死刑を是認せざるを得ない」と指摘。死刑を選択した一審・二審の判断が相当だと結論づけた。
現 在
 風間博子死刑囚は2007年3月〜2008年12月に名古屋拘置所の収容者と手紙や差し入れをやり取りしていることを、名古屋拘置所の職員に14回にわたり別の収容者に教えたとして、国に10万円の慰謝料を求めた。2014年7月4日、名古屋地裁の加島滋人裁判長は「漏えい情報は、原告のプライバシーにかかるもので、みだりに他者に開示することは許されない」として、国に84,000円の支払いを命じた。
 風間死刑囚は2012年頃に再審請求。さいたま地裁で請求棄却。2015年11月6日、東京高裁(青柳勤裁判長)は請求を棄却したさいたま地裁を支持、再審を認めない決定をした。死刑囚側は特別抗告する。その後、棄却されたものと思われる。
 2015年9月に刊行された、蜷川泰司著『迷宮の飛翔』(河出書房新社)に、風間博子死刑囚の16枚の絵が、挿絵として掲載された。
 2016年ごろ、第二次再審請求。2017年1月6日、さいたま地裁は請求を棄却。即時抗告中。
H P
 冤罪で死刑判決! 控訴審を闘う 風間博子 さんを応援するページです海の星文庫)内
その後
 関根元死刑囚は、2017年3月27日朝、多臓器不全のため東京拘置所内で病死。75歳没。
 関根死刑囚は2016年11月21日、拘置所内で心臓発作を起こし、外部の病院に救急搬送された。24日に退院し、拘置所内で心不全と高血圧症の治療を受けていた。
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氏 名
小野川光紀
事件当時年齢
 26歳(逮捕当時)
犯行日時
 2003年2月23日/2003年4月1日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、建造物侵入、窃盗、窃盗未遂
事件名
 群馬県パチンコ店員連続強盗殺人事件
事件概要
 群馬県太田市の無職高根沢智明被告と、栃木県南河内町のコンビニ店員小野川光紀被告は、2003年2月23日0時30分頃、群馬県伊勢崎市のパチンコ店従業員の男性(当時47)を誘って小野川被告の乗用車に乗せ、群馬県宮城村の路上での首を絞め殺害。奪った合鍵で男性の勤務する店から現金300万円を盗み、遺体を埼玉県行田市の福川に捨てた。
 奪った金でブランド品のバッグや財布を購入したり、パチスロや風俗店で連日遊んだりして1か月で使い果たし、別の襲撃を計画。高根沢被告が以前に勤務したことがある別のパチンコ店従業員を襲撃する計画を立てたが、従業員の退店時間が特定できずに断念。さらに別の従業員襲撃も計画し、3月27日未明、パチンコ店駐車場で従業員を待ち伏せしたが、店から出た従業員がすぐに自分の乗用車に乗り込んだため失敗に終わった。
 4月1日午前2時10分頃、群馬県太田市の駐車場に停めた乗用車内で同市のパチンコ店従業員の男性(当時25)の首を絞め殺害した。さらに合鍵で店に侵入し金を盗もうとしたが、金庫が鍵のほかにダイヤル錠でも施錠されるなどしていたため開けることができず、あきらめて逃走し、遺体を福川に捨てた。
 高根沢被告と小野川被告は1996年8月頃、太田市のパチンコ店の姉妹店で働いて知り合った。高根沢被告は1998年に伊勢崎市のパチンコ店で働いていた。両被告は太田市のパチンコ店員の勤務先の常連客だった。
 最初の事件で奪われた300万円のうち100万円分が500円硬貨だったが、事件後、小野川被告が大量の500円硬貨を群馬県内の金融機関で両替していたことを捜査本部が突きとめ、2003年7月20日に両被告を1番目の事件の死体遺棄容疑で逮捕し、その後強盗殺人容疑で再逮捕。8月29日、2番目の事件の強盗殺人、死体遺棄容疑で再逮捕。
一 審
 2004年3月25日 さいたま地裁 川上拓一裁判長 死刑判決
控訴審
 2006年9月29日 東京高裁 白木勇裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年6月9日 最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 2003年11月4日の初公判で、両被告はともに「間違いありません」と起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、別のパチンコ店従業員も殺害しようと計画していたが、失敗に終わっていたことを明らかにした。
 高根沢被告の弁護人は1番目の事件について「死因は窒息死だが、川で窒息死した可能性がある」として死体遺棄罪について無罪を主張した。また小野川被告の弁護人は「高根沢被告が計画から最後まで主導し、小野川被告は従属的だった」と主張した。
 3月5日の論告で、検察側は犯行の動機について「自らが享楽的な生活をするための金を手に入れることのみ」と指摘した。「顕著な残忍性、冷酷性を有し、反社会的性格は極めて危険で、もはや改善更生は不可能」などと断じた。
 判決で川上裁判長は、高根沢被告の主張について「首の骨が折れていることや、呼吸をしていないことを確認していることなど、遺棄する前にすでに死亡していたことを示すものばかり」として退けた。また小野川被告の主張について「いとも安易に犯行に加担し、石橋さんについては積極的に犯行を計画し、主体的に犯行を遂行しており、両被告の刑事責任に差はない」と断罪した。そして「高根沢被告は主導的役割を果たし、小野川被告も安易に加担したうえ、犯行を積極的に計画した」と認定。「わずか2ヶ月の間に2度も殺害を繰り返した極悪非道な犯行。反規範的人格態度はもはや矯正不可能と言わざるを得ない」と述べた。

 控訴審で小野川被告は、「共犯者の高根沢智明死刑囚が主導し、恐れから追従しただけ。死刑は不当」と主張したが、白木裁判長は「被害者の首に自らロープを巻き付け、2人で引っ張り合って殺害するなど、積極的に犯行を遂行し、利得も公平に分けている」と退けた。そして「定職にも就かず、大金目当ての動機に酌量すべきものはない」と指摘。「犯行はいずれも残忍、悪質。凶悪な事件を犯しながらおそれや反省もなく、間もなく同種の事件を犯したことは許し難い所業。死刑をもって臨むのもやむを得ない」と述べた。

 2009年3月31日の最高裁弁論で、小野川被告は「犯行は高根沢死刑囚が主導しており、死刑は重すぎる」と主張した。
 最高裁で堀籠幸男裁判長は共犯の無職高根沢智明死刑囚が主導的役割を担ったとしたが、「2人の命を奪った結果は重大。ロープで首を絞めた殺害方法は残忍極まりない。実行行為に積極的に加担し、主体的に犯行を遂行した。奪った現金も折半している。金欲しさから最初の事件を起こし、金を手に入れると遊興費に使い、次の事件を敢行したという経緯や動機に酌むべき点はない。死刑とした一、二審判決の判断はやむを得ない」と述べた。
備 考
 共犯の高根沢智明被告は2005年7月13日に控訴取り下げ、確定。
現 在
 2011年8月上旬、再審請求。
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氏 名
宮城吉英
事件当時年齢
 48歳
犯行日時
 2005年4月25日
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 市原市ファミレス組員2人射殺事件
事件概要
 暴力団組員で無職宮城吉英被告は、暴力団組長浜崎勝次被告、暴力団幹部男性(4月27日?に拳銃自殺 61歳没)と共謀。2005年4月25日午後8時55分ごろ、千葉県市原市のファミリーレストラン内で、職業不詳・市原市の男性(当時45)と埼玉県草加市に住む建築業者の男性(当時39)を拳銃で数発撃ち殺害した。事件当時、レストラン内には一般客17人と従業員5人がいた。
 宮城被告らと殺害された2人はいずれも暴力団関係者で、2004年4月に宮城被告が起こした傷害事件の慰謝料支払いを巡り、殺害された男性が所属する暴力団から金銭を要求されており、要求に屈すればヤクザとしてのメンツがつぶれると思ったのが動機とされる。宮城被告は5月25日に逮捕された。
一 審
 2005年12月12日 千葉地裁 金谷暁裁判長 死刑判決
控訴審
 2006年10月5日 東京高裁 池田修裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年6月15日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 検察側は論告で「不特定多数が使用するファミリーレストランで、一般の客が死傷する可能性が高い発砲事件を起こした刑事責任は重い」と述べた。弁護側は最終弁論で「暴力団同士の抗争という側面がある」として、有期刑適用を求めた。
 金谷裁判長は「一般市民に対する危険をまったく顧みることなく殺害に及び、被告は終始主導的に犯行に加担した」と述べた。

 控訴審で宮城被告側は「刑が重すぎる」と主張した。
 池田裁判長は「銃撃を受け、逃げようとする2人に向けてさらに発砲するなど犯行は執拗で残忍。責任はまことに重く、一般客らを巻き込む危険もあった。死刑が重すぎて不当とはいえない」と判決理由を述べた。

 最高裁の弁論で弁護側は「犯行を主導しておらず、死刑は重すぎる」と死刑回避を求めた。
 今井裁判長は「暴力団組織の面目を保つためという犯行動機に酌量の余地はない」と指弾。「被告は自ら実行役を申し出て積極的に犯行を遂行した。一般客17人と店員5人がいたレストランで敢行された犯行。客のテーブルに着弾するなど、無関係の市民が巻き添えとなる危険性も甚だ高かった。社会に与えた衝撃や不安も極めて大きい」と述べ、死刑の判断はやむを得ないと結論づけた。
備 考
 浜崎勝次被告は2007年3月8日、水戸市内のコンビニ駐車場にいるところを見つかり、逮捕された。10月26日、千葉地裁で求刑通り一審死刑判決。2008年9月26日、東京高裁で被告側控訴棄却。2011年12月12日、被告側上告棄却、確定。
執 行
 2013年4月26日 56歳没
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氏 名
高橋秀
事件当時年齢
 38歳
犯行日時
 2001年1月8日/2001年2月3日
罪 状
 強盗殺人、殺人、死体遺棄、詐欺
事件名
 仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件他
事件概要
 宮城県の山口組系暴力団幹部高橋秀(すぐる)(旧姓石川)被告は、同じ組幹部のM、H、KM、組員KK各被告と共謀。2001年1月8日午前1時20分頃、仙台市内の駐車場で、組を脱退しようとした男性(当時25)を暴行し、コンクリートブロックなどの重しを付けて福島県相馬市の相馬港の海中に生きたまま投げ込み殺害した。
 高橋被告とM被告は、仙台市に住む貸金業の男性(当時36)の依頼で取り立てた約200万円を着服。返済を求められたため、返済を免れて所持金を奪おうと他の3被告を誘い、2001年2月3日夜、宮城県名取市の駐車場の車内でひもを使って絞殺。男性の所持金約30万円を奪い、遺体にコンクリートブロックを結び付けて仙台市宮城野区の仙台新港に捨てた。
 高橋被告とM被告は、仲間の組員の母から金をだまし取ろうと考え、岩手県内の女性に対し、「息子が借金をして、連帯保証人が母になっている。借金を支払え」などと要求。1999年4月から2000年7月までの間、数回にわたり計約2500万円をだまし取った。
一 審
 2004年3月25日 仙台地裁 本間栄一裁判長 死刑判決
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控訴審
 2005年7月26日 仙台高裁 田中亮一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年6月23日 最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 仙台拘置所
裁判焦点
 一審で検察側は冒頭陳述で「高橋、M両被告は、男性に取り立てを頼まれて着服していた借金の返済金200万円を返すよう求められ殺害に及んだ。他の3人は、殺害すれば多額の現金が手に入ると持ちかけられた」と動機を指摘した。
 5人は殺害と死体遺棄については起訴事実を認めたが、高橋被告とH被告は「金品強奪の目的はなかった」と、強盗は否認した。また5人は殺意を否認した。
 弁護側は強盗目的や殺意を否認、暴力団特有の上下関係に逆らえない事情があったなどとして情状酌量を求めていた。
 判決で本間栄一裁判長は「残忍非道で凶悪な犯行だ」と述べた。

 二審で高橋被告は、2件の殺人事件はいずれもM受刑者が主導した犯行で、M受刑者より量刑が重いのは不当だと主張したが、田中裁判長は判決理由で「暴力団の最上位の幹部として強い影響力を及ぼし、凶悪な犯罪を遂行した主導者で刑事責任は最も重い」と判断した。

 2009年4月21日の最高裁弁論で、弁護側が「更生の可能性があり死刑は重すぎる」と主張して死刑回避を求めた。検察側は遺族の処罰感情が強いことなどを挙げ「無慈悲で残虐な事件。結果は重大だ」と反論。「極刑はやむを得ない」と上告棄却を求めた。
 判決で堀籠幸男裁判長は「わずか1カ月足らずの間に2人の命を奪った重大な犯行。助命を懇願する被害者に凄惨な暴行を加えて殺害するなど、極めて冷酷非情。凶悪性や残忍性が社会に与えた衝撃は大きい。共犯者に指示するなど犯行の中心的な役割を果たし、刑事責任は重大」と指摘、死刑が相当と判断した。
備 考
 2004年3月25日、仙台地裁で共犯のM、H、KM、KK各被告に対し求刑通り無期懲役判決。M被告は控訴するも取り下げ確定。2005年7月26日、仙台高裁で残り3被告の控訴棄却。3被告は上告するも棄却され、無期懲役判決が確定している。
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氏 名
小日向将人
事件当時年齢
 33歳
犯行日時
 2003年1月25日
罪 状
 盗品等有償譲受け、有印私文書偽造・同行使、旅券法違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、現住建造物放火未遂
事件名
 前橋スナック乱射事件
事件概要
 指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告らは、対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)の殺害を計画。
 矢野被告の指示を受けた暴力団幹部小日向将人(こひなた・まさと)被告は、同幹部山田健一郎被告(当時36)とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。
 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部(後に殺人予備容疑で逮捕)を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。

 前橋市のスナック乱射事件は、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件がきっかけになったとされる。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙ったとみられる。
 2002年2月21日の大前田一家元総長宅(前橋市)発砲事件にかかわった矢野睦会幹部が、4日後に入院先の日医大病院(東京都文京区)で射殺された。元総長宅襲撃失敗の口封じが目的で、警視庁は同会会長の矢野治被告ら3人を2003年9月に逮捕した。
 矢野睦会の襲撃はその後も続き、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶が投げ込まれ、2002年10月14日には白沢村の銃撃事件も発生。こうした流れの中で2003年1月にスナック発砲事件が起きた。
 小日向被告は事件後、フィリピンに逃亡するなどしていた。2002年10月、不法滞在容疑でフィリピンから強制送還され、警視庁が旅券法違反容疑で逮捕した。捜査本部が、抗争事件に絡む盗品等有償譲り受け容疑で逮捕していた。
 矢野被告は2003年7月8日に元組長宅への放火容疑で逮捕された。矢野被告らとともに小日向被告は前橋事件への関与を追求された。小日向被告は2004年2月に、「会長の指示で2人でやった」などと供述を始める。本事件で矢野治被告と小日向被告は2004年2月17日に逮捕された。
 山田被告は2004年5月7日に逮捕された。
 小日向被告は他に稲川会系元総長方に火炎瓶を投げつけた襲撃事件など6事件で火炎瓶処罰法違反、現住建造物放火未遂罪などにも問われている。
一 審
 2005年3月28日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決
控訴審
 2006年3月16日 東京高裁 仙波厚裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年7月10日 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 小日向被告は別の罪で起訴された後、2004年2月に乱射事件への関与を認め、事件の全容解明に向けて積極的に供述、捜査に協力してきた。しかし、論告で検察側は、捜査の過程から同1月上旬には同被告に強い嫌疑を抱いていたとして、同被告の供述を「自白」とは認めず、減軽理由となる「自首」には当たらないとした。また、同被告は具体的な襲撃方法の検討に中心的にかかわるなど「現場の指揮官的立場にあった」と指摘した。
 検察側は「罪のない市民を一方的に殺害するという非道この上ない残虐な殺りく行為であり、全国を震撼させた前代未聞の事件。矯正は期待できない」「暴力団特有の論理に基づく、他に例を見ない凶悪、残虐かつ卑劣な事件」として死刑を求刑した。
 小日向被告は一貫して「店内にいるのは全員、敵だと聞かされ、撃たなければやられると思った」と供述。このほか▽自供により一連の事件が解明された▽真摯に反省している−−などと主張した。
 久我裁判長は、スナック店内に一般客がいる可能性も認識していたとして、「暴力団特有の極めて反社会的な犯行。遺族の被害感情は極めて峻烈」とした。小日向被告の自供で捜査が進展したことは認めたが、被告側の自首の主張は退け、「死刑をもって臨むほかない」とした。
 判決を言い渡した後、久我裁判長は小日向被告に「私としては君には出来るだけ長く生きてもらいたい。遺族に謝罪を続けていって下さい」などと涙ながらに諭した。

 控訴審で弁護側は、小日向被告の自白は自首にあたり、刑を軽減すべきだと主張したが、判決は「捜査機関は自白する前に被告を犯人だと特定していた」と退けた。また、同被告は、店内に一般客がいるかもしれないと考え、犯行直前に中止を進言していたが、判決では「最終的に襲撃を決断した後は、店内に何人いようと、殺害する意図があった」と指摘された。そして仙波裁判長は「被告の自白で事件の全容が解明され、その真摯な反省の態度は評価すべきだが、4人もの命を奪った責任はあまりにも重い」と述べた。

 2009年6月12日の最高裁弁論で、被告側は「一般市民がいるとは知らなかった。自首も成立している」と死刑回避を求めた。検察側は「無関係の飲食客を殺害した比類なき凶悪事件」として、上告棄却を主張した。
 判決で竹内行夫裁判長は「住宅街の飲食店で敢行され、一般客3人が殺されたことが地域社会に与えた衝撃は計り知れない。自らの手で2人を射殺し、犯行に果たした役割も大きい」と指摘。また自首については成立しないとした。そして「対立暴力団への報復で、動機に酌量の余地はなく、冷酷で残虐。事件の解明に協力し、首謀者の所属暴力団組長の命令で実行したことなどを考慮しても、刑事責任は重い」として、被告が事件の解明に協力し、反省していることを考慮しても、死刑が相当と判断した。
備 考
 他の被告については、矢野治被告の項参照。
 山田健一郎被告は2008年1月21日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2009年9月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2013年6月7日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。
 矢野治被告は2007年12月10日、東京地裁で求刑通り死刑判決。2009年11月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2014年3月14日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。
その他
 矢野治被告の項参照。
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氏 名
早川紀代秀
事件当時年齢
 42歳
犯行日時
 1989年2月〜1995年1月
罪 状
 殺人、殺人未遂、武器等製造法違反、犯人蔵匿、犯人隠避他
事件名
 男性信者殺害事件/坂本弁護士一家殺人事件他
事件概要
●男性信者殺害事件
 1989年2月上旬、信者のTさん(当時21)が脱会しようとしたため、首を絞めるなどして殺害した。

●坂本弁護士一家殺人事件
 横浜市の坂本弁護士(当時33)は、オウム真理教に入信して帰ってこない子供の親たちが集まって結成した「オウム真理教被害者の会」の中心的役割を果たしていた。TBSの取材でも坂本弁護士は教団を徹底追及していくことを発言。オウム真理教の幹部たちはTBSに乗り込み収録テープの内容を見て殺害を決意。教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)は早川紀代秀、村井秀夫、新実智光、中川智正、佐伯(現姓岡崎)一明、端本悟に殺害を命じた。実行犯6名は1989年11月3日、横浜市の坂本弁護士宅のアパートに押し入り、坂本弁護士、妻(当時29)、長男(当時1)の首を絞めるなどして殺害。遺体をそれぞれ新潟、富山、長野の山中に埋めた。
 坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所は、オウム真理教が関わっていると主張。坂本弁護士がオウム批判をしていることと、坂本弁護士宅にオウムのバッジが落ちていたことなどが理由である。オウム真理教側は、被害者の会や対立する宗教団体が仕組んだ罠だと反論した。
 1995年3月20日の地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教への強制捜査を開始。9月10日までに三人の遺体が発見され、7日に5人が、22日には松本被告と実行犯5名が再逮捕された。村井秀夫元幹部は1995年4月に刺殺された。

●サリンプラント建設
 麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は1993年11月〜1994年12月まで、教団武装化の一環として、サリン製造用のプラントを建設させた。

●LSD密造事件
 LSD密造は1993年末から、精神錯乱剤としての性質を化学兵器として利用しようと、村井らの発案でスタート。麻原は1994年2月、大量生産を指示した。LSDのサンプルが完成すると麻原自身が試飲、「修行で体験できる最高の所まで到達できた。修行に応用できないか」と話した。
 この幻覚体験を契機に、麻原は信者獲得のために幻覚作用のある薬物をイニシエーションと呼ばれる宗教儀式に使用することを思いつき、覚せい剤や幻覚剤「メスカリン」の量産を次々と命じた。
 LSDは計115グラム密造し、「キリストのイニシエーション」と呼ばれる儀式で信者1600人以上に使用した。覚せい剤は計227グラムを密造し、LSDと混ぜて信者約1000人に使用した。幻覚剤は約3キロ密造したが一部信者の“人体実験”での使用にとどまった。

●自動小銃密造
 麻原彰晃(本名松本智津夫)被告はクーデターを目的に自動小銃を製造することを指示。早川被告らはロシアからAK-74の部品を持ち込み、量産計画を開始。1995年1月1日、小銃一丁を完成させた。

●熊本県波野村での国土利用計画法違反

 他1件。
一 審
 2000年7月28日 東京地裁 金山薫裁判長 死刑判決
控訴審
 2004年5月14日 東京高裁 中川武隆裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年7月17日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 論告で検察側は「教団組織の存続と拡大をもくろんだ極めて自己中心的かつ独善的発想に基づき行われた犯行」と指摘。「殺害後も、(身元の特定を遅らせるため)歯を砕こうと遺体につるはしを打ちつけるなど、とても血が通った人間の行動とは思えない。無神経かつ無慈悲な犯行で、遺族の処罰感情も峻烈(しゅんれつ)」と述べた。
 T事件についても「Tさんの脱会の意思を確認するという重要な役割を松本被告から直接指示されるなど、実行犯の中でも主導的立場にあった」とし「左右から二人ずつでロープを引き、頭部にくぎを打ち込もうとするなど手口も極めて悪質」と非難した。
 最終弁論で弁護側は「被告は犯行時に心神耗弱状態だった」と責任能力の問題を指摘し、「死を重視しないオウム信者にとって、死刑は犯罪の抑止にならない。被告には生命を与え、どうすれば同様の犠牲を阻止できるのかを語り継がせることが真の贖罪」と死刑回避を求めた。
 判決で金山裁判長は「坂本、T事件では極刑を覚悟しながらも供述を続けた」ことなど、公判での積極的な証言や被害者・遺族への謝罪を評価しながらも、早川被告の役割を「終始一貫して積極的に関与し、実行部隊の中心人物の1人として重要だった」と指摘し、「松本被告と一心同体で犯罪者集団となり、殺人を敢行した」などと述べ、「極刑をもって臨むほかはない」と結論づけた。

 控訴審において、坂本弁護士事件について、判決は「居室への侵入許可をほかのメンバーに与えたり、証拠隠滅を指示するなど、松本被告の指示を受け、村井秀夫元幹部(故人)とともにリーダー役を果たした」と指摘し、「犯行を指揮するような積極的立場ではなかった」との弁護側の主張を退けた。
 男性信者殺害事件で、弁護側は「殺害しなくてすむよう、脱退を思い直すよう説得しており、ほかの実行犯より役割は軽い」と主張したが、判決は「(死刑の)量刑を左右する重要性があるとはいえない」と述べた。また、松本被告によるマインドコントロールについて「指示を拒否できなかったのではなく、拒否しないことを選んだにすぎない」と述べ、刑の軽減理由となる「心神耗弱」の成立を否定した。

 最高裁の弁論で弁護側は、早川被告は麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚に帰依し、服従していたと主張、「麻原死刑囚との謀議はなく、命令を受けただけ。被告が主犯と認定した二審判決は誤り」と述べた。
 坂本弁護士一家殺害事件については、早川被告が坂本弁護士の妻首を絞めたとの自供は虚偽だとした。
 さらに、「被告は重い罪を犯し、責任は極めて重い」と述べた上で、「被告にとっての真の贖罪は、同じ悲惨な事件を起こさないように生きて語らせる必要がある」と死刑回避を求めた。
 一方、検察側は「幼児1人を含む4人の生命を奪った結果は重大で、犯行は冷酷で残忍。被告は実行行為者として犯行に積極的に加担しており、死刑をもって臨むしかない」と上告棄却を求めた。
 判決で中川裁判長は「教団の組織防衛のみを目的とした動機に酌量の余地はない。正当な職務上の活動をしていた弁護士を、敵対するというだけで家族もろとも皆殺しにした反社会性の極めて強い犯行。教団幹部の立場で積極的にかかわり、果たした役割は非常に大きい。組織的かつ計画的、冷酷、残忍な犯行で、4人もの命を奪った結果は重大。反省しているが、死刑を是認せざるを得ない」と判断した。
その後
 2010年8月23日、東京地裁へ再審請求するも、その後棄却。
 2013年4月26日、第二次再審請求。2016年3月、地裁は棄却。東京高裁への即時抗告も2016年7月6日、棄却。2016年7月21日付で最高裁第二小法廷(小貫芳信裁判長)は、早川死刑囚側の特別抗告を棄却する決定をした。
 2016年7月22日、第三次再審請求。
 2018年3月14日、東京拘置所から京都拘置所で一泊し、15日、福岡拘置所へ移送された。
執 行
 2018年7月6日 68歳没
 第三次再審請求中の執行。
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氏 名
広瀬健一/豊田亨
事件当時年齢
 広瀬被告30歳/豊田被告27歳
犯行日時
 1995年3月20日
罪 状
 広瀬被告:殺人、殺人未遂、武器等製造法違反
 豊田被告:殺人、殺人未遂、武器等製造法違反、爆発物取締罰則違反
事件名
 地下鉄サリン事件他
事件概要
●地下鉄サリン事件
 目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。
 村井秀夫容疑者は1995年4月23日、東京・南青山の教団総本部前で殺害されたため不起訴。殺人犯は一審懲役12年が確定している。

●自動小銃密造(豊田、広瀬被告)

●都庁郵便爆弾事件(豊田被告)

●新宿駅地下街青酸ガス発生装置設置事件(豊田被告)
一 審
 2000年7月17日 東京地裁 山崎学裁判長 死刑判決
控訴審
 2004年7月28日 東京高裁 高橋省吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年11月6日 最高裁第二小法廷 竹内行夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 一審では松本智津夫(麻原彰晃)被告のマインドコントロールの影響や宗教儀式に伴う神秘体験などにより、「当時は完全責任能力がなかった」と主張。
 1999年9月7日の論告求刑で検察側は豊田、広瀬両被告について検察側は「強制捜査を阻止し松本智津夫被告と教団を守ることが、修行の促進と教団での地位昇進に結び付くとの打算から、納得の上で事件の中核のサリン散布を担当した」と指摘。「松本被告の命令には絶対服従であり、共謀は存在しない」との豊田被告側などの主張に対し「謀議や準備行為に深く関与し、各自が工夫も重ねた。犯行遂行に向けた意思も強固」などと反論した。杉本被告については地下鉄事件で「欠くべからざる一翼を担った」としたものの、実行犯二被告との役割に差があると述べた。その上で、杉本被告による信者の落田耕太郎さんと富田俊男さん殺害事件に言及し「命ごいをする被害者の抵抗を多人数の力で奪って絞殺した冷酷非道な犯行」などと非難。しかし両事件とも捜査段階での自白を自首と認め、富田さん事件については「自発的供述が解明に寄与した」との判断を示した。さらに豊田被告の都庁爆弾、新宿駅青酸の両事件で「殺傷能力を認識しており、確定的殺意は明らか」としたほか、三被告とも「松本被告のまやかしに気付く機会がありながら、教義の矛盾を考えようとすることもなく、信奉し続けた」と非難した。
 山崎裁判長は判決で豊田、広瀬両被告について、教団前代表の松本智津夫被告の指示は絶対的で、「救済」につながると理解して地下鉄事件の犯行に加わったと指摘した。

 2003年7月14日の控訴審初公判で、豊田被告、広瀬被告の弁護側は、松本智津夫被告のマインドコントロールの影響や宗教儀式に伴う神秘体験などにより、「当時は完全責任能力がなかった」と主張。杉本被告の弁護人は「運転手役を無期懲役とするのは量刑が重過ぎる」などと述べた。その後の公判でも「犯行当時は麻原被告のマインドコントロール下にあり、指示に抵抗できず、心神喪失か心神耗弱状態にあった」として、事実誤認や量刑不当などを訴えた。
 判決は、教団による一連の事件について「殺人でさえも魂の救済として正当化する特異な教義を背景に、教団元代表松本智津夫被告の指示・意向を受け、組織ぐるみで敢行された」と改めて認定。とくに地下鉄事件については「何の落ち度もない12人を死亡させるなどしたものであり、犯罪史上類のない凶悪かつ重大きわまりないものだ」と述べた。両被告の主張については、「結局は自らの意思で松本被告の指示に従い、犯行を敢行する道を選択し、これを実行した」などとして退けた。高橋裁判長は、3被告について「今さらながら深く反省しているものの、極めて厳しい非難に値する」と指摘。特にサリン散布に及んだ豊田、広瀬両被告について「最高度の厳しい非難を免れない」と述べた。

 2009年9月14日の最高裁弁論で豊田被告の弁護人は「薬物を使って心理操作され、適法な行為は期待できなかった」と主張。広瀬被告側も「善悪を判断する能力を失っていた。少なくとも心神耗弱状態だった」と訴え、いずれも死刑回避を訴えた。
 判決で竹内行夫裁判長は地下鉄サリン事件について「捜査をかく乱するため、組織的、計画的に行われた無差別大量殺人行為で、法治国家に対する挑戦」と指摘。そして「通勤客らが集中する平日朝の時間帯を狙ってサリンを発散させ、12人を死亡、多数に傷害を負わせた結果は極めて重大。犯行態様は残虐、非人道的で、社会に与えた衝撃や不安は大きく、遺族や負傷者の処罰感情は極めて厳しい」と指摘。その上で「二人は積極的に犯行に加わった。両被告の刑事責任は重く、上位の教団幹部の指示を受けて犯行を行ったことや、反省を考慮しても、死刑を是認せざるを得ない」と判断した。
その後
 豊田亨死刑囚は2011年11月15日、再審請求。時期不明だが地裁は請求棄却。即時抗告。
 広瀬健一死刑囚は2018年1月25日、再審請求。
 2018年8月22日付で東京地裁は、広瀬元死刑囚の再審請求の手続きを終了する決定をした。
 2018年8月23日付で東京高裁は、豊田元死刑囚の即時抗告審の手続きを終了する決定をした。
執 行
 2018年7月26日 豊田被告:50歳没、広瀬被告:54歳没 ともに再審請求中の執行。
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氏 名
窪田勇次
事件当時年齢
 41歳
犯行日時
 1988年10月21日
罪 状
 殺人
事件名
 北見市資産家夫婦殺人事件
事件概要
 網走市出身の保険外交員窪田勇次被告は不正な勧誘行為などの発覚を防ぐため、1988年10月21日、北見市に住む保険契約者の男性(当時61)方で男性と妻(当時56)の首を、持参したドライバーと男性方にあった出刃包丁(刃渡り約16センチ)で刺すなどして失血死させた。男性は地元では資産家として知られていた。
 窪田被告は事件後、道警から任意で事情聴取されていたが、1989年11月、網走市内の網走新港に乗用車を転落させ自殺を装った後、行方が分からなくなっていた。道警北見署捜査本部は事件発生当時の証拠の再検討や現場に残っていた血痕のDNA(デオキシリボ核酸)と窪田被告の親族から提供されたDNAを照合した結果から、2002年10月に逮捕状を請求。12月18日、窪田被告を横浜市の工事現場で発見し逮捕した。殺人の時効10ヶ月前だった。
一 審
 2004年3月2日 釧路地裁北見支部 伊東顕裁判長 死刑判決
控訴審
 2005年12月1日 札幌高裁 長島孝太郎裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2009年12月4日 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 札幌拘置所
裁判焦点
 検察側は現場に残った血痕が、DNA鑑定と本人の供述から被告の血液と一致することを有力証拠とし、論告求刑公判で「保険の顧客だった被害者との契約上のトラブルが発覚して懲戒免職になることを恐れ、被害者を何度も刺した利己的で残虐な犯行」と死刑を求刑した。
 初公判で起訴事実を全面的に認めていた窪田被告は、2003年9月の第4回公判で「事件は警察のねつ造。血痕は病院で採血した自分の血を、誰かがまいた」と述べ、否認に転じた。弁護側は最終弁論で「多量かつ広範囲の血痕を被告の鼻血とするのは不自然。動機も薄弱で殺人に結びつかない」と反論し、無罪を主張した。
 伊東顕裁判長は「現場から見つかった血痕は被告の血液で、犯行時に遺留されたと認められる。自白は信用でき、犯行を実行したことは明白」として退けた。

 札幌高裁での控訴審でも窪田被告は、「連日の調べで刑事に自白を強要された。(殺害行為を認定して死刑を言い渡した)一審判決はでたらめだ」と述べ、弁護人も「現場にあった被告の血痕が事件当時のものである証明は不十分で、自白内容も真実ではない」などと無罪を主張していた。
 判決理由で長島裁判長は「反省悔悟の念が全く認められない。犯行は残虐、冷酷非道で刑事責任は重大。極刑で臨むしかない」と指摘した。

 最高裁の弁論で、弁護側は「DNA鑑定に依拠した事実認定の危険性は足利事件で明らか。一、二審では鑑定の信用性について、十分な検討が行われていない」と指摘。その上で「少なくとも高裁に差し戻し、再鑑定などを行うべきだ」と主張した。これに対し、検察側は「(被告が逮捕された)2002年当時、新たに実用化されていた鑑定方法を用いている。証拠能力も十分」と反論。足利事件より10年以上後の鑑定で、精度に問題ないとの認識を示した。
 判決で古田佑紀裁判長は「記録を調査しても、重大な事実誤認はない」と述べ、DNA鑑定は信用できると認定。信用性が不十分で、再鑑定を行うべきだとの弁護側の主張を退けた。その上で「虚偽の説明をして保険契約を結んだことの口封じのため、被害者を殺害した犯行動機は身勝手で悪質。夫婦を何度も刺すなど、執拗かつ残虐だ。2人の命を奪った結果は極めて重大」と指摘。その上で「犯行の約1年後に自殺を偽装して行方をくらまし、約13年間にわたり逃亡を続け、一審の途中から犯行を否認し、不合理な弁解をするなど反省の態度は認められない。前科がないことをなどを考慮しても、死刑を是認せざるを得ない」と判断した。
現 在
 2013年時点で再審請求中。
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氏 名
井上嘉浩
事件当時年齢
 24歳
犯行日時
 1994年1月〜1995年3月
罪 状
 殺人、殺人未遂、逮捕監禁致死、死体損壊、爆発物取締罰則違反、火炎びん使用処罰法違反
事件名
 元信者殺人事件、VX殺人事件及び同未遂2事件、目黒公証役場事務長拉致監禁事件、地下鉄サリン事件他
事件概要
●元信者殺人事件
 1994年1月30日、元オウム真理教信者だったOさん(当時29)は教団付属病院に入院している女性信徒を救助しようと、女性の親族であり脱会の意志を示しているY被告とともに救い出そうとしたが、警備の信徒に取り押さえられた。教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)はY被告に処刑をほのめかしつつ、Oさんと親族のどちらが大切かを迫り、幹部10数名らにOさんを押さえつけさせ、Y被告に絞殺させた。遺体は教団施設内にて焼却した。

●VX殺人事件及び同未遂2事件
 麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は、教団信者の知人だった大阪市の会社員(当時28)を「警察のスパイ」と決めつけ、新実、中川らに「ポアしろ。サリンより強力なアレを使え」などと、VXガスによる殺害を指示。新実らは1994年12月12日、出勤途中の会社員にVXガスを吹き掛け、殺害した。他別の会社員2名にも吹きかけ、殺害しようとしたが失敗した。

●目黒公証役場事務長拉致監禁事件
 1995年2月28日、逃亡した女性信者の所在を聞き出すために信者の実兄である目黒公証役場事務長(当時68)を逮捕監禁、死亡させ、遺体を焼却した。

●地下鉄サリン事件
 目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。

 その他、「新宿駅地下街青酸ガス発生装置設置事件」「都庁郵便爆弾事件」「宗教学者の自宅マンション前で爆弾爆破事件」「教団施設に火炎びんを投げて被害を自作自演事件」で起訴されている。
一 審
 2000年6月6日 東京地裁 井上弘通裁判長 無期懲役判決
控訴審
 2004年5月28日 東京高裁 山田利夫裁判長 一審破棄 死刑判決
上告審
 2009年12月10日 最高裁第一小法廷 金築誠志裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 一審では東京地裁が「一連の犯行で重要な役割を果たし刑事責任は重いが、実行行為をしていないことなどから、首謀者や実行役と同視しうるような責任を負わせられない」などとして無期懲役を言い渡し、検察側が控訴した。

 控訴審で、検察側は「現場指揮者として重要な役割を果たしており、死刑以外に選択の余地はない」として改めて死刑を求めたのに対し、弁護側は「現場指揮者であることを示す具体的事実はない」などと反論。さらに「被告は一審の裁判長の『修行者ではなく、一人の人間として被害者のことを考え続けてほしい』との説諭を受けて、さらに反省を深めて苦しむ日々を送っている」などとも主張していた。
 判決は、井上被告は同事件で(1)リムジン車内での謀議でサリン散布を最初に発案した(2)決行時刻の決定に関与した(3)東京都内のアジトを使えるようにした――と認定。その役割を「後方支援役」とする一審判決、「現場指揮者」とする検察側主張をともに退けて、「松本被告、村井秀夫元幹部(故人)と実行役との間に立つ総合調整役だった」と評価し、一審よりも責任を重く見た。
 一審判決が死亡の責任までは認めなかった目黒公証役場事務長監禁致死事件については「監禁と麻酔薬投与による死亡には因果関係がある」として、逮捕監禁致死罪の成立を認めた。
 裁判長は「被告は事件の解明に協力し、反省をいっそう深め、罪の大きさに打ちひしがれ、しょく罪にも努めている。しかし量刑の判断は、犯罪の様態や結果、被告の役割といった行為が中核的な要素になるのを考えると、悲惨な結果をもたらした地下鉄事件の刑事責任だけで、優に死刑に値する」と述べた。

 2009年11月19日の最高裁弁論で弁護側は、井上被告が元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らとサリン散布を話し合ったとされる「リムジン謀議」の時点では、共謀は成立していなかったと主張。マインドコントロールされており、「被告も松本死刑囚の被害者」と訴えた。また「二審は地下鉄サリン事件での役割を過大視し死刑の結論を導いた」と批判。「被告の反省も深まっている」などと主張した。
 判決で金築誠志裁判長は「実行犯が集まった場で中心となって犯行計画の具体的内容を指示、説明した。犯行全体の円滑な実行のために、不可欠で重要な役割を積極的に果たした」と判断、刑事責任は極めて重大とした。その上で、「法治国家に対する挑戦として組織的に行われた犯行。反社会的で人命軽視も甚だしく、社会に与えた衝撃や不安も大きい。事実関係を率直に供述して事件の解明に貢献したことを考えても、死刑はやむを得ない」とした。
その後
 2018年3月14日、東京高裁へ再審請求。目黒公証役場事務長拉致監禁事件で男性の死には直接関わっておらず、逮捕監禁罪にとどまるとして、事実誤認による量刑不当を主張している。
 2018年3月14日、東京拘置所から大阪拘置所へ移送された。
 2018年。8月2日付で東京高裁は、手続きを終了する決定をした。
 2018年10月15日、井上元死刑囚の両親が東京高裁に再審請求した。
執 行
 2018年7月6日 48歳没
 再審請求中の執行。
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氏 名
菅峰夫/手柴勝敏
事件当時年齢
 菅被告:46歳(逮捕当時) 手柴被告:53歳(逮捕当時)
犯行日時
 1996年6月8日、11月19日
罪 状
 強盗殺人、殺人、死体遺棄
事件名
 架空建設計画取引による連続殺人事件
事件概要
 不動産ブローカー菅峰夫被告は会社社長を名乗り、1996年1月頃から、福岡県小郡市西部の工業団地開発計画予定地の地権者約50人に「予定地を買い取って大手企業を誘致したい」などと勧誘。菅(すが)被告と不動産ブローカー手柴勝敏被告は「開発予定地の農地転用申請に必要」などとして、地権者の大半から土地の売買契約書や印鑑証明を入手しており、それを使って予定地の転売を計画していた。しかし地権者の世話役だった佐賀県鳥栖市の不動産会社社長(当時59)が邪魔になり、殺害を決意。6月8日午後11時半ごろ、同市で開かれた地権者との会合後、以前から二人に借金を申し込んでいた社長に「(現金を)用意している」と声を掛けて福岡県嘉穂郡庄内町の作業所に呼び出し、首を絞めるなどして窒息死させ、同町内の空き地に埋めた。
 11月19日には、巨額で架空の建設計画で騙して呼び寄せた嘉穂郡穂波町の建設会社社長(当時54)を庄内町のアパートで殺害、社長の経営する会社振り出しの約束手形二通(額面総額4100万円)と現金900万円を奪い、遺体を同町内の造成地に埋めた。
 菅被告は詐欺容疑で11月21日に、1997年1月23日には横領容疑で逮捕された。手柴被告は1997年2月21日に暴力行為容疑で逮捕された。二人が会社社長の死体遺棄容疑で逮捕されたのは2月22日だった。不動産会社社長の遺体は1997年4月24日に発見され、二人は再逮捕された。
一 審
 2004年3月11日 福岡地裁 林秀文裁判長 菅被告:死刑判決/手柴被告:無期懲役判決
控訴審
 2006年5月16日 福岡高裁 虎井寧夫裁判長 菅被告:控訴棄却 死刑判決支持/手柴被告:一審破棄 死刑判決
上告審
 2009年12月11日 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 菅被告は1997年10月1日の初公判で不動産会社社長の死体遺棄は認めたが、2人の殺害などについては無罪を主張。手柴被告は第2回公判の罪状認否で「二件の殺人、死体遺棄は菅被告に強要された。強盗はしていない」と主張した。
 検察側は「借金返済を目的に一獲千金を狙った利欲的な犯行で、矯正の可能性はない」として死刑を求刑した。
 福岡地裁、林裁判長は2社長殺害などの共謀共同正犯を認定したが、主従関係や全容解明に寄与した手柴被告の自供内容などを重視。「手柴被告には素朴、人間的な心情がなお残っており、極刑にはためらいを覚える」と刑の軽減理由を述べた。

 控訴審公判で菅被告は一審同様、不動産会社社長の死体遺棄は認めたが、2人の殺害などについては無罪を主張。手柴被告は「菅被告に強要され、従属的立場だった」として量刑不当を主張していた。
 虎井裁判長は「自らの経済的利欲のため2人の命を奪い、完全犯罪を狙った悪質極まりない犯行」と断罪。菅被告について「不合理な供述に終始し、反省の態度がうかがえない」と指摘、一審判決は相当とした。手柴被告については、自白が事件解明に貢献したことを認めた上で「犯行は菅被告の発案だが、利益にありつくため、2人は互いに利用しあった」「菅被告の計画に従い、共同で殺害を実行しており、量刑に差をつけるほどのものではない」と述べ、対等な共犯関係と認定し、手柴被告の一審判決を破棄し、死刑を言い渡した。

 2009年11月2日の最高裁弁論で、菅被告側は殺人や強盗殺人は無罪と主張。手柴被告側は「菅被告に脅され、加担せざるを得なかった」と訴え、ともに二審に事実誤認があり、死刑は不当と主張した。
 判決で古田佑紀裁判長は「経済的利欲のための犯行で計画性が高く、落ち度のない2人の命を奪った結果は重大。短期間の連続犯行が地域に与えた影響は大きい」と指摘。その上で「菅被告は犯行を主導し、反省もない。手柴被告は菅被告に誘われて加担したが、動機は利欲的で、果たした役割も大きく、相応の分け前を得た」として、両被告とも死刑が相当と判断した。
その後
 手柴勝敏死刑囚は2010年4月14日朝、小脳出血により福岡拘置所で死亡した。66歳没。
 手柴死刑囚は午前7時20分の起床時に職員の呼び掛けに反応せず、布団に寝たままの状態だったため確認したところ、意識がなく呼吸もしていなかったという。病院に救急搬送されたが死亡が確認された。3月に転移性骨腫瘍や前立腺がんなどと診断され、投薬治療を受けていた。夜間の巡回では異常は見当たらなかったという。
現 在
 菅峰夫死刑囚は2010年9月28日、再審請求。
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